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災害復興事業費  約二十万円の財源   差当り県債に求める    救助基金十万円のほかは国庫補助

十一日の県参事会に提案される復興対策の各種事業案は既報の如く総額三十三万余円であるが中罹災救助基金の十万円支出を除く一般会計関係の小舟建造十万円、耕地復旧費五万円、養蚕関係三万二千円以上合計約二■万円の財源は国庫補助を見込むか一まず県債に求め準備費及び救護軍の四万五千円は財源国庫補助である。

家屋税免除  被害十九ヶ町村

宮城県江は七年度中に新に竣成した家屋の賃貸価格決定のため仙台市は三月十七日より十九日第一次家屋税調査員臨時会を開催する事となったが、今回の被害左記十九ヶ町村はこれを免除する事になった、
 牡鹿郡女川町、大原村、荻ノ浜村、鮎川村、桃生郡十五浜村、本吉郡十三浜村、志津川町、戸倉村、歌津村、小泉村、唐桑村、大島村、大谷村、階上村、松岩村、御岳村、亘理郡坂本村、閖上町、

小学関係復旧  費一万五千円

今回の災害による宮城県の小学校関係の被害復旧は十五浜村雄勝小学校の復旧費四千二百五十円及罹災児童に対する休職三千二百余円学用品、被服費等の就学奨励費七千五百余円、合計約一万五千円で県ではこれを支出する事になった

増改築も容易に  宮城県の漁民住宅   ABCDEFの六様式を定め    罹災漁民の住宅建築を指導

漁村計画ないし漁村整備の一法としてこの機会に漁民住宅を後方高台に集結移転せしめ、かつ住宅構造等も出来るだけ理想的形式に統一せしめ、かつ出来れば、種々共同的施設も講ぜしめんとの方針で宮城県水産課、土木課等でも極力努力計画中のことは既報の如くだが、その後全部落集結移転の話を進めつつあるところは宮城県では十五浜村の荒部落、小泉村の二十一浜部落等で、なお増加の傾向あるものと見られている。また漁民住宅については
一、経済的目的よりする規格の統一
一、将来改造■の容易
一、将来位置変更の可能
一、衛生的構造
一、漁民住宅としての便宜
等の諸要素を考慮し、県土木課遠藤技師の手許において設計中であったが、数日前
A型 七坪、八畳一間、一坪二十二円十五銭
B型 六坪、六畳一間、一坪二十二円二十銭
C型 四坪八合、四畳半一間、一坪二十四円四十四銭
D型 十二坪五合、八畳一間、六畳一間、一坪二十円
E型 十一坪二合九勺、六畳一間、一坪二十一円
F型 十坪、六畳一間、一坪二十一円
の六様式を定め、これに基いて全県災害地漁民住宅建築を指導することとなった。右建築材料は屋根用トタンは県より支給、他は地元において購入することとするよりも、請負その他必要な事項はなるべく県において面倒を見て建てしめることとなった。これは半永久的建物だが、増改築きわめて容易に設計しあるため、将来経済力の向上に従って、これを増改築し、永久的住宅となし得ることはきわめて容易で、この災害を機会に全県下の復活住宅は一斉にこの理想型に統一せられることとなるであろう。

波浪を防ぐ  勇敢な猛者   保安林の必要を説く    赤林仙台営林署長

赤林仙台営林署長は今次三陸海嘯と保安林のの関係調査のため管下海岸地方を視察九日帰仙したが、
 七ヶ浜村菖蒲田海岸から阿武隈川口海岸まで六百丁歩■八里に亘る保安林地帯における先般の津浪被害は塩釜より牡鹿半島の根元にかけての浪打際は浪が第一砂丘にも上っていない、僅かに水の越したところは、阿武隈川より浪が上って名取郡玉浦村の赤江湖に及んだところだけであったが南に行くに従って第一砂丘を■し第二砂丘にまで及びその中間に水の溜まっているところを見受けたが国有林、民有林にまで達したところはなkった、概してこの方面を襲うた津浪は干潮時における襲来であった関係上浪が割合に低く浪の高さが僅々二三尺に過ぎず、然もその襲来■りが頗る徐々たるものであったのは思うに牡鹿半島の■林突出が緩衡地帯となって海嘯惨害の範囲を縮小したのではあるまいかと思われる、この程度の海嘯のため幸いにも保安林の性能を発揮し得ずに済んだことは誠に結構なこと■ったが、この海嘯に対する危惧につけ内陸に森林を持つことの必要はますます痛感されて来る、万一怒涛澎湃する■津浪が襲来し第一第二の砂丘を一嘗めに保安林を越して部落に侵入することがあったとしても森林地帯があれば充分その被害程度を減少することが出来る、津浪の勢いを削ぎ、部落への猛侵を防ぎ更に幾多の生命財産の危機を救う■実に津浪に対する偉大なる国境警備の重任を果たし得る唯一の強者であることを認識して欲しい云々、
と語っていた。

大金侍従帰京  本日午後十時半仙台駅通過   宮内省に写真帳差出

宮城、岩手両県下の震災、海嘯各罹災地を視察中の大金侍従は十一日午後十時三十分仙台駅通過、常磐線廻り急行列車で帰京されるが本県では県下理沙一ノ惨状を撮影した写真帳四部を宮内省に差出すべくせんだいから同車の三辺知事から大金侍従に依頼の筈で、なお内務省にも一部提出した。

災害地方産業組合  復興資金の斡旋   融資希望十五組合    総額卅一万円に上る

宮城県下の災害地方における産業組合では組合員並に当該町村の復興に努力すべく、県に対し資金の供給斡旋を申請して来た、被害地方の産業組合は十五組合で融資希望額は三十一万円に達した県では信連を通じて中央金庫へ申請する外政府に対し長期低利の資金融通を申請することになった。

津浪卅分前に  SOS通信   女川、江の島間の無電    装置いよいよ高唱さる

仙逓局に於ては目下宮城県下牡鹿郡女川、江の島間の超短波無線電話設置の計画を進めつつあることは既報の通りだが、江の島、女川間は海上僅かに八浬であるから若し江の島に無線設備がありさえすれば少なくと三十分前にSOSの通信が出来ることになり従って生命財産に受ける被害もある程度まで避難し得ることになる訳だというので目下局内でも同装置の速威を高唱しているようである。

余震は漸次微  かになった

大地震の余震は引続き一昼夜十回内外ずつあるが石巻測候所の地震計は三日から十日午前中まで総計二百四十六回を記録しこのうち人体に感じたのも相当あるが八日午前十一時三十六分のは家屋も相当震動したこの日は九回あり九日は四回しかなかった、今月一杯は続くだろうがだんだん微かになって来ている

災害地の煙草  需要増大せん

地震と津浪で根こそぎ洗われて了った三陸地方一帯に亘る漁村の購買力は一時停止の状態に陥っているが復興資金の注入によって一躍購売力を倍加して行く模様があり食料品、衣類、建築用材その他経済用品が救恤品の減退に伴って油然とその必要を訴えて来るであろうが震災直後各地から多数の救護班がくり出した結果現地には早くも煙草パットの需要旺盛を極めているから三陸一帯で平均一ヶ月十五万円の売上げあったパットが消費力を拡大して二十万円程度の景気がつづくものと算定し専売局では大よろこびでパットの増製手配を取っている。

本建築は高所に!  海岸より窪地は絶対避ける事   宮城県保安課で通牒を発す

宮城県下罹災地各部落は、それぞれバラックの建設を急いでいるが中には自力で本建築にかかるものもあるので県保安課では今回の経験に鑑み各町村当局を通じ本建築に際しては将来危険のおそれのない土地を選定し、殊に海岸寄りの窪地等は絶対に避け高所に建築するよう注意方の通牒を発した。

警察電話の  完備を図る   架設予算三万四千円    三辺知事国庫補助申請

今回の震災により宮城県下の通信機関の不完全なることが完全に暴露されたが、この苦い経験に鑑み県当局は警察電話の完備を期し十一日上京の三辺知事は電話架設費の国庫補助を申請する筈であるが架設場所は
 本吉郡唐桑村二個、歌津村二個十三浜村一個、桃生郡十五浜村船越一個、牡鹿郡大原村一個、荻浜村一個、鮎川村一個で
これに擁する費用三万四千円である。

沈没、大破、焼失  震災当時釜石港碇泊中の   船舶被害、海事部入報

仙逓局石巻海事部への報告によると地震当時岩手県釜石港海岸にあった宮城郡塩釜町運送船栄商丸(四○トン)は行方不明で乗組員一名死亡、同常盤丸(四四トン)及び永運丸(三八トン)は船体大破、伊勢隣作所有の明徳丸(一九トン)は大破沈没し、津田さだ所有第二勢正丸(一九トン)は焼失した旨入報あった詳細不明。

各方面の同情

畏きあたりからの御内帑金の御下賜を初め今回の災害に対する同情は義捐金となり義捐物品となり非常に多額に上っているが十日も左の通り各方面から同情が寄せられた

各宮家より御  救恤金御下賜

九日夜内務省社会局社会部長より宮城県に対し
 各宮家より震災につき御救恤金を御下賜あらせられた
旨の電報あった。

神奈川県消防  協会理事視察

宮城県下の被害状況視察のため財団法人神奈川県消防協会理事石井兵助、平野宗十郎両氏十日来仙、県保安課を訪ね県下罹災消防組員に見舞金として金一封を贈った。

谷少尉三辺知  事を訪問   十日帰京

陸軍省軍事調査委員長陸軍少尉谷寿夫氏は荒木陸相代理として、倉茂師団参謀の案内で随行の井出少佐、大久保大尉と共に十日午前八時三十分宮城県庁に三辺知事を訪問、親しく災害の見舞を述べ知事より災害の状況並救護状況等につき詳細説明を受け帰京した。

東京市より  見舞金三千円

東京市社会局保護課長高島信一氏は東京市長代理として災害見舞のため十日午前来県三辺知事を県庁に訪問し災害の状況を聴取し、同市よりの見舞金三千円を寄贈した

片倉組従業員  の罹災者に   会社より見舞金

今回の災害中片倉仙台製糸所従業員の内宮城県関係の罹災者は家屋倒潰二名、半潰ニ名、浸水六名、姉二名を失ったもの一名あり、会社ではその被害状況に応じ見舞金を送った。

野菜が不足  災害地方民配   給を要望

災害地方の義捐金品配給につき県は各地出張所及災害地駐在員より状況の報告を求め、かねて当該地方の希望を集めているが、その情報によると、
 最初衣服、寝具等不足であったが最近は配給品多く、その不安は除かれたが食糧品中野菜類の不足が衛生上からも頗る重要視されている、 
と各方面共一致して野菜の配給を希望している。

殉職局員には  弔意を表したい   災害地視察を終えて    安光仙逓局長帰る

安光仙逓局長は釜石方面の震水災地を視察九日帰仙したが部内関係の罹災状況並に善後処置に就て語る、
 震災地は全部三等郵便局であったため電話使用が当時の十■三倍にも激増してその結果利用者の皆様に非常な御迷惑をかけたことは誠に相済まぬ次第である、然し三等郵便局のいずれもがあの惨害に対し出来る限りの応急処置を取り得たと云うことは問題となっている三等郵便局の存在理由一等郵便局■の存続となるとも思われる、今復興に際し昼夜■行業務にいそしんでいる電信工夫工手に対し深甚な感謝の意を表し度い、今次の震害に罹災者も非常に多く従業員の被害も又少なくないが、罹災従業員に対してはとりあえず見舞金を贈ることになっているが中には職に殉じた人もあり、かかる人に対しては三等郵便局の従業員として法規には無いが充分な弔意を表し度い、その他の功績者に対しても表彰の手続を取るべく考慮している云々
なお仙逓局の調査による郵便局被害は、
 ▽浸水局 雄勝浜、十三浜、大船渡、越喜来、釜石、赤岬△流失局 細倉、綾里、平井賀、八木(取■所)、田老▽県箱流失 鵜住居、階上、十三浜、歌津、唐桑、越喜来、八木、平井賀、小白浜、山田、小本、普■△従業員死傷 死亡普代郵便局長大村謙三■外六名、負傷百八十名宜金流失、田老局(資金四百円二日の残高若干)平井賀局(過超金■百五十五円外三円)八木局(三十一円七十六銭)細浦局(四十円)盛局は大行袋六個流失郵便物流失四十通。

罹災民には  同情にたえない   災害地を視察した谷陸相代理談

荒木陸相代理として三陸地方災害地の慰問ならびに視察のため特派された陸軍省軍事調査委員長谷寿夫少尉は井出少佐、大久保大尉を随行青森、岩手両県の慰問を終えて九日夜来仙十日多門師団長に面会管下一般の被害情報を得、市内藤崎の軍事展覧会を見物、更に三月十日陸軍記念日の有意義な演習に臨み午後一時の準急で帰京に先ち師団司令部において記者団に左の如く語った、
 自分は陸軍大臣として震水災各地の慰問視察のため差遣せられた、現地は主として岩手県を視察したが本県下は親しく視察する機を得ず、ただ盛岡へ向う途中倉茂参謀と打合せの上現地に向ったのみだったが昨夜当地に来て本県の被害もまた甚大な事を知り洵に同情に堪えない、震災地の救護並に整理については各方面の努力で敏速且つ適切に行われたが就中、軍隊の救護班や在郷軍人等の統制なる活動が非常に役立った事は非常に意を強うした次第である、陸軍大臣は今次震災に対し殊に出征将兵の遺家族に対して心配をせられ事実又被■も少なくはなかったが各方面の御同情と御救護によって、一日も速やかに罹災者の安息を得らるる様祈って止まない次第である、わけても新聞社今回の御活動は実にめざましいものがあるが今後ますます震災地の急速な復興に御努力あらんことを希望して止まない次第である。

感謝を浴びて  救護班帰る   東北帝大病院の各班    救護状況を交々語る

東北帝大病院では三陸沿岸に大震災突発するや直に救護班を組織し三十五名の医員、薬剤員、看護婦は九台の自動車に分乗、志津川、高田、釜石の三方面に向って即夜急行し三日から連日あらゆる苦難と闘いその献身的努力によって完全に任務を果し高田班は三百余名の傷病者を治療して七日夜帰仙、続いて志津川班も八日夜帰仙したが釜石班に更に岩手県方面に奮闘しつつあって■亦三四日中に帰仙する筈である。
 之等救護班は現場一番乗りであったことと自動車を縦横に駆使して僻村を巡回したため到る所恰かも救世主の降臨であるかの如く非常な感謝を浴びたもので所期通りの実績に太田院長も松井事務官も悦んでいる。
八日夜帰った志津川班は山川内科の津田一彦学士を班長として外科の中村豊弥、谷久両学士、産婦人科の小泉全道学士、薬局員増沢辰郎氏、書記小島渉氏、看護婦五名を以て組織され四台の自動車で三日午後五時大学病院を出発、六日間に実に四百三十名の傷病者を応急手当し傍ら屍体を検案する等不眠不休の活動を続け何れも疲労の極に達し看護婦たちは物が見えない位だと語っている九日出勤報告を終った班長の津田学士及び小島書記は疲れも見せず元気に交々語る
 四日から歌津村の田浦、石浜、名足、馬場山中、港、細浦、清水の各部落、小泉村、大谷村、唐桑村の大沢、只越■の部落を片っ端から診療した。五日細浦で■■の救護班トラックの活動を見た、何せよ■通が不便で十戸乃至十五戸位の■部落がぽつぽつ散在しえているがそういう所には当時速やかに救護の手が達して居らず県境■特に手が届いていず、其等の部落民はみんな憤慨していた。そこへ次々に訪ねて行ったので其狂喜の有様は想像外であった。死んだようになっていた負傷者が唯一本の注射で急に気力を回復し大学のお薬を生れて初めて戴いたがこんなによく利くぞ有難い有難いと云ってお茶なぞを出す者もあった。従って行く先々到る所で傷病者が殺到したので寒村のため医療を受け得ないような他の病人等にまで積載して行った薬のある限り治療を果して来た。実に寒村で子供のおできに木ノ葉をガーゼや包帯代りに貼っている有様だ。負傷者は顔から泥塗れで外科的には骨折や打撲傷が多かったが重傷者が余り見受けなかったのは負傷の刹那逃れる気力なく押流されたのであろう、また■科的の者が少なかったのも同様、■の不自由から惨死したものと思う。屍体を見ると何れも凍死か或いは酷い負傷の結果が多い。内科的には肺炎、感冒が多く、余りの驚愕と恐怖から非常なショックを受けた者も多く見受けられた。今後震災地方警戒を要するのはチフスと肺炎の流行である。