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千五百人への炊出しに  係員等目をまわす   全町の損害約卅万円に及ぶか    戦場の様な女川町

牡鹿郡女川町は全戸数一千六百三十三戸の中浸水したのは四百四十九戸、罹災人員一千四百九十一人で、これらの中最も被害の多い二百五十一戸一千五百三十二人に対し町当局では津波当日より焚出しを行って居り、来る十二日まで支給するので上を下への混雑を見せ吏員は不眠不休の活動だ、何にせ二百五十余戸の家の中はガランとして道具は殆ど流失しているので死傷者こそないが却て被害はヒドイといわれ、これらの物質的損害は実に三十万円に達するだろうといわれ、肥料だけで約十万円と見ている。従って二百五十戸に対する救済方法だけでも用意でないので全力を挙げている、
 七日には海軍部内、高等官、判任官等より被服類から日用品、食料品の配給寄贈があり、本社の第一回、第二回の寄贈品外石巻町役場愛婦宮城支部等個人の寄贈も多く
これらは片端しから配給してるが罹災者が二百五十戸からのこととで多忙を極めている。

駆逐艦野風  女川へ入港

駆逐艦野風は本県桃生、牡鹿両郡災害地への配給寄贈品を積載して七日女川湾頭に其雄姿を現したので宮城丸はこれを積卸しそれぞれ配給したが、野風につづいて沼風神風等が七日中に女川港沖に碇泊し八日出航した、海上には昨今になって家屋の影も木材その他漂流物はなくなっているとのことだがなお警戒を解かず海上の漂流物に十分注意を払っているとのことである。

古税署下酒類  震災被害   六十五石七千円余

今回の地震の結果古川税務署管内で酒類のこぼれた数量は
 最高古川町橋平酒店の清酒三石もろみ一石七斗、最低中新田町渋惣酒店の清酒五斗十四軒合計六五石六斗余七千円
で税額にすれば二千六百円である

義捐金三百円  米谷町会の決議

米谷町会は七日開会、災害罹災民救助慰問金三百円の支出贈興を可決した、尚高泉同町長は八日慰問のため災害地に向った。

震災義捐金品

登米町消防後援会は過般開催して得た活動写真映写会益金十円を六日災害罹災民慰問のため送金した
登米町会議員桜井保之氏は正味5貫詰味噌二百樽をトラックに満載災害罹災民救助のため七日朝十時同町出発災害地へ急行したが、これは本県百樽岩手県百樽の予定で罹災民に同町議が自ら配給しつつ北進岩手県に入るものだと。
災害地慰問金品の寄贈は各地から翕然と集ってるが七日には本社石巻支局に対し石巻町門前青年団より蒲鉾二箱九百本を災害地へ寄贈依託して来た外牡鹿郡渡波町中町猪又春代、同肴町■井とよさんより各金一円宛依託して来た。
桃生郡鷹来村大江村長以下各団体代表者は十五浜村海嘯の惨状を視察し、直ちに全村各区長会議を開き、衣類その他金品を募集取敢ずトラック一台に満載して避難民に贈った。
桃生郡小野村字浜市素封家■藤宗蔵氏は桃生、牡鹿両■津浪被害地に■米二百俵、味噌三百貰を贈って親しく慰問した。

行方不明の  溺死体発見

地震津浪の当夜牡鹿郡女川町江の島海岸で行方不明になった同字漁夫木村正之助(ニ一)の溺死体は六日午後同海岸に漂着、及川部長医師と共に検死の上家人に引渡した。

見るのも聞くのも  総べて涙の種   小波漂う岸辺に集う避難民    十五浜村の後日話

大海嘯に見舞れた桃生郡十五浜の惨状……見るものきくもの只涙のたねでないものはない、暴れ狂うた太平洋の浪、収って物凄かった当時の状景はケロリと忘れたもののように小波ただよう岸辺に集う避難民から聞いた後日話り
海魔に一と甜めにされた雄勝浜に不思議にも只一軒取残された家がある、これは宮城電気局雄勝浜電工散宿所で、全部栗材木で建てた堅固な建物だけに、大津浪に襲れ附近の民家が跡方もなく押流されたのに、この散宿所のみは残ったのであるから今度家を建てる村の人々もこの不思議に残された栗ノ木材で建てた家を見て教えられるところがある。
雄勝浜の高橋某は海岸を埋立ててニ三月過ぎたら新家屋を建設しようとして準備の真最中、この大海嘯に襲われたので被害を免れた若しこの危険な海岸に新居を構えたならば、只一と呑みにされるところであった。
同村荒浜の荒川熊吉さん「津浪だァ……」と聞えた時は最早家の中に浸水して、屋外に出る事が出来ない、只運を天に委せて梁の上にすがり家もろとも、浪の間に間に押流されている中、丁度午前六時ころ、附近の海岸にガタンと打ちあげられて、一命だけは助かった。
雄勝浜の一家七名の家族をさらわれて、自分のみ奇跡的に命拾いをして鈴木求(三三)さんは、地震の一寸前三年前に死亡した実父が枕元に立って「早く起きろ起きろ」と叫ばれて、フト目を醒ますと間もなく地震がグラグラとゆり初めたそうだ。
全滅になった荒浜の隣部落船越女子青年団で自分達の部落も浸水したのであるが、荒部落が流されて跡方もないというので、早速一里半の峠を越えて炊出を運んだり、老幼婦女子を安全地帯に避難させた。
同村大須部落は、明治二十九年の海嘯で全滅となったので部落民は申合せて、高所高所と選んで家を建てたおかげで今度の津浪には海岸に繋いだ小舟五六隻やられたきりで全部落は完全に被害を免れた
荒部落で押流されて死んだ中には気の毒なものが多い、ことに津浪ときいて一時安全地帯に逃れた高橋正治さんは、家に残した祖先の位牌を持ち出さぬのが残念だとて再び自宅に引き返したまま帰って来なかった。

漁船具の損害  四万五千円   「一日も早く更生策を」    女川町当局鳩首協議

牡鹿郡女川町、大原村地内の漁船船舶の流失、破損等は非常に多く漁業を生業としてる町村民は生業を奪われたように呆然としているが女川町では、
 大型運送船一隻、沈没漁船二十三隻、破損流失して居り、全然修理の出来ないのが九隻あり、流失し発見されないのが一隻、大原村では漁船三十四隻が流失し、破損が五隻ある、
漁夫の生業を奪われた対策につき女川町当局では
「まだ具体的方法を考えてはいないが、生業に就くことの出来ない漁夫に対しては速かに方法を講じたいと思う、取敢ず漁船、漁具の損害調査を進めているが漁船は約一万五千円、漁具は約三万円の流失損害と見ている、炊出し、配給等応急対策が出来た上で直ちに漁夫の生業に就けるように更生の方法を論じたいと思って居る」
と語っている。

桃生郡水産課  予算総会延期

桃生郡水産課では本月早々つうじょう予算総会召集の予定であったが、最も会員の多い同郡十五浜村が津浪被害のため、慰問その他復旧事務が多忙を来したため無期延期とし更に事務官今野乾治郎等は同行して出張して漁業方面の復活につき奔走中である。

配給に、捜査に  宮城丸の大活動

本県渡波水産試験場船宮城丸は災害地救助作業に服すべく直後武久技手乗船し県の命令で牡鹿半島沖合より金華山近海雄勝湾から三陸一帯の海上を家屋その他の漂流警戒の重任に当った、
 大原村谷川では遺族五名を便乗せしめ、家屋の漂流十余戸を認めたが何れも人影を見なかった更に釜石港又は気仙沼港から救恤品運送配給の任務につくことになり一時帰港し六日より佐々木技師乗船して再び出動なのか午前八時軍艦野風が牡鹿、桃生両郡の救恤品を搭載して女川港に入港したので石巻救護出張所富田主任と打合せの上急速にこれを積み卸し、更に各災害地へ転送の任につき富田主任、高橋■と松川女川町長、佐々木技師は軍艦野風艦長と打合せの上数回に亘って積卸し、一先ず女川港に陸上げし配給区分をした上
更に午後二時二十分一切の準備を了し大原村分を搭載して女川港を出帆し、夕刻まで大原村の分を引渡した上、再び女川港へ引返し、徹宵で十五浜、十三浜村の分を積み込み、同夜中に出帆桃生郡十五浜村雄勝および本吉郡十三浜へ配給したもので、宮城丸の今回の活動は実に敏速で乗込員の奮闘に対し感謝されている。

写真説明 

(1)女川へ入港した駆逐艦野風(2)本社石巻支局前を出発せんとする第二回慰問隊(3)救恤品を積んで女川を出発する指導船宮城丸(4)大原村谷川部落惨状(5)大原村鮫ヶ浦部落