文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

運送船金菊丸  押し流されたか   津波当夜は釜石港に碇泊    その後行方不明

牡鹿郡渡波町運送船金菊丸は阿部船長外三名乗組み津浪の当日岩手県釜石港に碇泊中行方不明となり捜査中であるが多分押流され当時乗っていた阿部船長外溺死したものではないかと憂慮され引続き船主側で各地に手配中である。

犠牲的奉仕に  多大の感謝   三陸汽船の損失多し

震災襲来後既に六日を経過し罹災者は各方面から■然として集まった同情に感激、雄々しくも荒土に奮い立って復興につとめているがこれ等罹災地への復興材料と慰問見舞、救恤品の運送に犠牲的活動をなしつつある三陸汽船株式会社は釜石町の本社を始め沿岸各地の支店、出張所、代理店殆ど全滅し有形無形に莫大の損害を蒙ったにかかわらず、幸にして塩釜営業所は異常なく所有船も奇跡的に無事であり殊に故障のため釜石港に繋留中の汽船も地震後に来れる海相に港内十町余のところを四個の碇を曳いたまま漂流しながら船体に異常がなかったので会社幹部は天佑としてもこの災禍に際し三陸沿岸唯一の海上交通機関として天から命ぜられた使命であるとなし罹災者の無賃乗船、慰問、見舞、救恤品の無料運搬、復興材料の半減運搬に多大の犠牲を払って活動中である。既に関東大震災の際に食糧品を積んで東京芝浦へ最先きに到着大いに感謝された前例もあり、今回の震災には直ちに三日午後汽船に食糧品等を積んで罹災地に急行し以後定期船に臨時船に有効な活動を続けている。
 三日震災直後岩手県では沿岸地方の惨状を知り騎兵■隊から借り受けた毛布を始め食糧防寒具をトラックに積んで出発したが途中道路破壊の為立往生し遂に三日夜の間に合わず罹災者は寒気におののきつつ一夜を明かすに至った有様で、それに引きかえ横須賀から急派された軍艦と三陸汽船会社の汽船は逸早く到着、罹災者の救助につとめ大に感謝され震災における海上輸送機関の必要なことを痛感させた三陸汽船会社としては前記の如くそれ自体が莫大な損害を受け一方漁業も中止されて三陸沿岸からの物資もなく、片荷に加えるに無賃運送をなし人夫賃を支払いつつ運航するよりも停泊した方が利益であるに拘らず、多大の犠牲を払いつつ運航していることについては各方面から大いに賞賛されているとのことで、今回の実例に徴して震災等の天災に備うる海の交通機関として東北唯一の会社を助成すべきであるとの議が関係官庁の間に起っている。

有益な活動に  感ずる喜び   尾上常務の談

今回の活躍について三陸汽船会社の尾上常務取締は語る。
 会社としても莫大な損害を蒙ったが、会社の歴史に照らし幾多の犠牲を払っても社会のため■そうとの徹意から社員一同が結束して罹災者の救助、罹災地の復興に貢献せんとするものである、関東大震災の際もそうであったが、直後に受けた今回の惨害には会社としては勿論、一般にも海上輸送の如何に完全であるかを知られるに至った、三陸汽船会社は往年東京湾汽船会社の横暴に刺激されて設立されたものであるが、当時は完全な陸上交通機関なく宮城県以南は勿論、宮古、山田、釜石方面から盛岡方面へ赴く人も塩釜を経由する有様で三陸沿岸との貨物の集散は全部塩釜を中心として行われた、その後陸上交通機関が漸次完備したが、大量貨物の運搬は船腹を利用することが利益であることには変りははない、現在三陸沿岸各港の外に北海道お、東京、横浜方面の定期航海を行っているが、陸上交通機関の完備と共に打撃を蒙り航路を縮小しなければならぬ状態となったが郵便物の航送命令を承はって居り定期航海をしていることとて船舶の経済に如何に拘らず運航して来た矢先今回の震災に遭遇し■いずも有益に活動し得たことは欣快に堪えぬ、然し会社の現状に顧みて官民の同情ある後援により本年の使命を果さんとし犠牲を覚悟し罹災者の救援と罹災地の復興に助力せんとするものである、なお罹災者としての会社に対して寄せられた同情に対し深謝するものである。

復興早く心強い  沖合に家屋の漂流を見る   中村厳島艦長の談

災害救援軍艦厳島艦長中村俊久大佐は石巻町役場で左の如く語った
 海上から見た災害地殊に釜石港は実に同情に堪えない参上を思わせたが、復興も速かに行われて居るので力強い感がした。自分達の任務は完全に終了したので今明日本艦並に各駆逐艦も全部横須賀に帰ることになっ居る。沖合捜査により駆逐艦沼風は漂流し■居る家屋三戸を発見したが人影はなかった。その外沖合には可なり家屋の破壊したもの家財道具等が相当漂流して居るのを見たが何れも人影を見なかった。

厳島帰航  きのう石巻慰問

三陸地方罹災民救援のため救恤品を積載して横須賀より派遣された軍艦「厳島」及び駆逐艦数隻は任務完了したので帰港することになったが、八日午後二時半厳島は牡鹿郡渡波町沖合に碇泊して中村艦長は副長外二名を従え石巻■当局を訪問、石母田町長不在のため佐藤助役と会見、中村艦長から野村横須賀鎮守府司令官の代理として慰問の言葉を述べ助役より深く感謝の意を表した。なお艦長一行は同三時自動車で塩釜神社、拝に赴いた。同艦は九日■抜■一路横須賀に向う筈。

海員掖済会で  救恤金五百円

日本海員掖済会、甲庶務課長等八日来仙、同会より救恤品金五百円を宮城県水産課に提出したが同会本県支部でも同様救恤金を支出する計画で協議中である。

郷軍から義捐金

仙台市在郷軍人■合分会では今回の県下災害地方に対し各分会より百円の義捐金を贈る事になった。

松操校の慰問

朴沢松操女学校では三陸沿岸の震災につきバザー純益金より県社会課を通じて一百円更に衣類二百二十点を寄送しました一方愛国婦人会の以来を受けて布団縫を引き受けて全生徒を動員し見事に数百枚を縫い上げた、なお第二段の慰問として金円の寄送方につき努力中である。

救いの手伸びず  村当局も善後策になやむ   惨澹たる 坂元村磯浜

宮城県下の罹災地中亘理郡坂元村磯浜は場所の関係から一段の同情薄く罹災者は衣食にも事欠く有様で村役場は六、七両日に亘り村会を開いたが纏まった善後策を講ずるまでに至らず村当局は罹災者に対し余りに冷淡であるとの非難の声まで発せられるに至り亘理警察署では斉藤署長以下署員は全力を挙げて罹災者の救助につとめる一方、県に惨状を訴え救済方を申請して来た。
 磯浜は地震後に来た海嘯は一時間半を経たころとて避難した部落民も安心して寝に就いたところへ一丈余の津浪が襲来海寄りの民家二十一戸は全潰、十八戸は半潰■るの惨状で七名の負傷者を出したが幸に一名の犠牲者もなかった、浸水家屋は二十九棟で舟の流失は五十五艘に達し罹災当時そのままという悲惨な状況にある。

水産の復興  宮城県水産会対策   本省と知事に請願

宮城県水産会では八日午前十一時から県庁に沿岸六郡水産組合代表者会議を開き罹災地方の応急対策につき協議した結果県水産会より一千円を支出しその範囲内において流失及全壊の家屋に対し組合業者一名当り一円宛、死亡に対しては三円宛を贈るため今、明日中、五名の係員を派遣し、郡水産会及当該組合の援助を得て配分する事になった、なおこの外、罹災救助対策として、
一、水産復興資金の低資を迅速に且つかん居に融通せられるよう請願の件
ニ、造船材料の廉償払下方を農林省及営林省に請願の件
三、水産■復興の助成金交附方を請願の件
以上を主務大臣に請願すると共に三辺知事に対しては以上三件の助力を求めると共に
一、罹災家屋の復興まで県電の料金を無料とせられたいこと
ニ、罹災者に対し県税の減免を行われたきこと
以上を陳情した、同各府県の系統水産会に対しても義捐金の募集を依頼した。