文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

近海漁場遂に狂う  被害地外の漁船空しく引揚ぐ   指導船出動して調査

宮城県下の沿岸地方は海嘯の襲来によって魚介類等の棲息状態が以前に比較して全然異動している。被害地外の漁船は一両日前から出漁したものもあったが棲息地の異動から少しの漁獲もなく帰港したという有様で、この報告に接した県水産課では、これが対策として近く大東丸、宮城丸の指導船を出動させ県下近海一帯に亘り海洋調査を行うこととなった。

震災津浪災害に  各宮家痛く御同情   御救恤金一封御下賜に御決定    宮内官の寄贈品発送

三陸における今回の大震災に対して秩父宮、高松宮、各皇族殿下には痛く御同情遊ばされ七日午前十時より宮内省宗秩寮に各宮家別当事務官会議を開き慰問方法を協議した結果一道三県の罹災者には十六宮家がそれぞれ御救恤金御慰問の思召しを以って金一封を御下賜あそばされることとなり当番の北白川宮家犬塚事務官の下において取纏めた上七日中に内務省を経て道県当局に伝選する事となった、なお宮内官四千人の衣類の寄贈品は第一回分は七日夜発送し引続き第二回、第三回分を発送する筈である。

丹羽社会局長  官視察日程

丹羽社会局長官宮城県内の視察日程左の如く決定。
 八日午前七時気仙沼町発、同八時三十分唐桑村只越着、同八時五十分同所発、同十一時四十分歌津村着、正午同所発、午後零時二十分志津川町着、同一時同所発、途中十三浜村の状況聴取同三時三十分十五浜村着、同四時同所発、同六時石巻町着、同六時十分同町発(電鉄に依り)同七時五十分仙台駅着、同十時三十分仙台駅発東京に向う

御下賜金  配分の調査   宮城県当局から県下    各警察署、罹災町村に特例

畏きあたりからの震災罹災民救恤御下賜金八千円の分配方について宮城県当局は大体関東大震災当時の御下賜金分配方法を倣うこととなっているが更に各警察署長並罹災町村長に対し左記事の調査方を命じた、
恩典に属する罹災者の範囲
イ、震災並にこれを伴う災害による死亡者及行方不明者、負傷者(一週間以上医師の治療を受けたものに限る)
ロ、住宅の全流失、全潰、半流失、半潰、床上浸水
ハ、住宅の罹災者は震災地に世帯を構えていたもの(自家、借家を問わず)
但し死亡、負傷、行方不明者に就ては世帯の有無を問わず、右により死亡者数
行方不明者、負傷者、住宅全流失、世帯数その他該当各事項につき正確なる数を報告すること

海軍救恤品  『矢風』より受領   直ちに罹災村へ

被害地救援の駆逐艦矢風は七日午前七時本吉郡気仙沼港を出帆同九時頃牡鹿郡女川港に入港したので富田県石巻救護出張所所長は渡波水産試験場船宮城丸で女川港に赴き同艦から毛布一千六百五十枚、被服三千二百、缶詰、米その他を受領直ちに宮城丸で牡鹿郡大原村、女川町、本吉郡十三浜村、桃生郡十五浜等にそれぞれ適当にこれを配布することとなった。

大金侍従一行  岩手県視察   昨夜は釜石に一泊

大金侍従一行は七日午前十時岩手県高田高等女学校に到着、出迎えの石黒知事の報告を受け正午大船渡に入り、更に機艇で赤崎、綾里、越喜来、唐丹の各地を視察、同夜は釜石に一泊された。

宮城県会議員  災害地視察日程

昨報宮城県県会議員団の災害地視察日程は左の如くである。
▲七日 午前九時県庁発(自動車)午後零時半大原村着(昼食)米川部落、鮫浦部落視察、午後三時鮫浦発、午後四時三十分女川着午後五時女川発、午後六時石巻着(泊)
▲ 午前八時石巻発、午前九時三十分十五浜雄勝着、雄勝荒浜視察、午後零時三十分雄勝荒浜発、午後二時三十分十三浜村月浜着、午後三時同所発、午後四時戸倉村着、午後四時三十分戸倉村発、午後四時五十分志津川町着(泊)
▲九日 午前八時志津川町発、同八時三十分歌津村着、同九時同所発、同九時二十分小泉村着、二十一浜視察、同十時二十分同所発、同十時五十分大谷村着、同十一時二十分同所発、同十一時三十分に階上村着、正午同所発午後零時二十分気仙沼着(昼食)午後一時同所発、同一時三十分唐桑村着視察、同四時同所発、同四時三十分気仙沼町■泊
▲視察員 議長伊丹栄三郎、議員山田甚助、栗野■助、庄司作五郎、安藤源治郎、小野寺広亮、富田広重、大槻儀十郎、北村文衛

レート本舗同情

レート化粧料本舗東京平尾■平商店にては今回の三陸大震災に同情されて金一百円也を本社に委託しん寄附された。

白米十俵寄託

東京渋谷の養命酒本舗では三陸災害地への白米十俵寄贈して来たので、本社では慰問班トラックを以て宮城県下の罹災者へ配布した。

慰問金品募集

仙台市土樋自警団では三陸沿岸災害地慰問金並に物資を募集する事となった

殖える犠牲者の数  痛ましい老人や小児ら   宮城県下の死者と行方不明者

宮城県下の地震海嘯の犠牲者は警察当局の調査の進むに従い増加して来る。中にも一部落殆ど全滅して桃生郡十五浜村荒部落の如き最も悲惨なもので老幼者と婦女子に死傷者の数が多い、その後判明したものは左のとおり。
死亡者
△本吉郡 鹿折村三浜小松三吉(五九)小松うめよ(二五)小松とし(一○)千葉弥治(二五)唐桑村大浜伊藤りく(六一)伊藤はつ子(一一)伊藤宗蔵(五ツ)吉田ゆき(六三)村上まつの(四九)
△桃生郡 十五浜村雄勝、高橋昭一郎(七ツ)高橋さとみ(四ツ)高橋竹雄(二ツ)
△牡鹿郡 鮎川村金華山鈴木伊三郎(四七)大原村大谷川石森竜男(七ツ)石森よしみ(五ツ)尾口正直(一九)石森ともえ(二八)渥美うん(七九)渥美■作(六二)石森とめ(五二)吉光稔(三ツ)渥美清吾(五二)渥美勘太夫(五四)阿部善治(五二)渥美きよ子(九ツ)渥美英雄(七ツ)渥美貞子(五ツ)渥美時子(三ツ)渥美忠蔵(六五)渥美ちよ(六二)
行方不明者
△桃生郡 十五浜村船越荒高橋興四郎(二ツ)高橋松男(三八)高橋よし(六八)高橋とり(三七)高橋章(一二)高橋輝男(一○)高橋和彦(七ツ)高橋もよ(一二)高橋みえ子(一○)高橋輝美(七ツ)高橋つきよ(三ツ)高橋泊(五ツ)高橋長作(六四)高橋熊治郎(一五)高橋幸三郎(六ツ)高橋まつ子(一三)高橋貞一郎(三九)高橋留之助(六五)高橋こまじ(四○)高橋耀子(一一)高橋みや子(一五)高橋栄(二九)高橋悦子(七ツ)高橋清雄(一二)高橋のぶ(■ツ)高橋康成(六ツ)阿部たかよ(二○)
△牡鹿郡 女川町江島鈴木庄之助(二八)
負傷者
△本吉郡 鹿折村三浜千葉源治(一八)小松正治郎(三○)階上村杉下佐藤まさ(四○)唐桑村大沢伊藤忠蔵(六○)村上源治(七五)志津川町清水鈴木直三郎(三二)鈴木かつ(三三)同村細浦阿部■治郎(二三)戸倉村藤浜後藤はしめ(二七)後藤定雄(七ツ)同村寺浜佐野未蔵(四二)佐野はしめ(三四)後藤よし子(九ツ)阿部喜平治(二七)遠藤あきよ(三六)大島村外畑菊野たけの(五二)
△牡鹿郡 大原村大谷川木村安治(五八)木村ふみ(二三)木村はるよ(六二)安藤とら(五八)渥美伝治(六一)佐藤辰三(五八)同村谷川三浦良助(四七)渥美長治郎(六一)渥美あす(五六)阿部庄七(六三)阿部文治(四三)渥美まさよ(三一)阿部ふよえ(九ツ)渥美喜平(六一)渥美正吉(二五)大内慶之助(五一)石森政之助(五三)鮫ヶ浦伊藤かつよ(四七)阿部正八(五九)阿部ふみよ(五ツ)阿部よしみ(二一)伊藤善太郎(五一)伊藤清(四三)阿部福治(二一)阿部政美(一七)
△桃生郡 十五浜村船越荒高橋はつえ(一三)高橋直子(九ツ)高橋善助(二七)福島誠(三一)福島謙四郎(四六)高橋兼光(三一)高橋重光(二八)高橋重一郎(一七)高橋鶴吉(二四)高橋富■(二一)高橋止(一九)高橋ためよ(一八)高橋竹五郎(四二)高橋みとみ(三七)高橋並一(三七)高橋うめの(三五)高橋勝次郎(二二)福島喜左衛門(五一)福島つね(四八)福島たけ子(一五)福島富市(一二)福島豊治(三九)福島長吉(二四)

孤児、孤老を  引取って収容   善意本私設会社事業連盟    災害の各地に活動

今回の三陸大震災はその被害の判明するとともに幾多の悲話、惨話を生みつつあり、就中親を失い、子を奪われて独り廃墟に残された老人や子供の話は涙なくしては聞かれぬがこれ等気の毒な孤児、孤老の数は意外に多かるべく被害地の関係町村においてもその善後処置に腐心しつつあり、今回丸山鶴吉氏を理事長とする全日本施設社会事業連盟においては全国約八百の連盟団体を動員して罹災地各市町村と連絡共同しこれ等気の毒な人々の収容救済に乗出す事となり取敢ず特派慰問使として同連盟の業務理事武田憲宏、北越戒定の二氏が来県、県市当局を訪問、打合せの上岩手県に赴いたが被害各県の加盟団体において収容し切れざる場合順次全国的に活動する手筈であると。

防疫吏増員  直ちに罹災地に急派   宮城県の悪疫防止策

宮城県下罹災地部落に悪疫流行を予想されるので県衛生課では震災直後防疫班を罹災町村に急派し汚損された井戸水の消毒を行わしめていたが、今回内務大臣から防疫吏定員増加の指令に接したので七日佐藤誠、大友定吉、高橋哲、相原幸助、遠藤長蔵五氏を任用、直ちに罹災部落に派遣し一般防疫に当たらせているが、現在罹災各地の腹チプス患者は本吉郡気仙沼町に五名、唐桑村、牡鹿郡大原村、荻浜に各一名、名取郡閖上町に二名ある。

寒気襲うて  飢えに泣く   岩手県下小部落民の窮状    県当局救済に努力

震災後の岩手県地方は七日寒気きびしく朝の最低気温氷点下十七度一分を示し近年まれなる寒さにて海岸地方の罹災者は寒気と飢えに泣いている、物品の配給は岩手県当局並に海軍の応援を得て順調に行っている、小部落にはなお手が及ばず悲惨な光景を呈している。六日午前気仙郡綾里、城喜来両港に入港した駆逐艦雷電の乗組員はその惨状を見るに忍びず減食して食糧を配給している、県当局は石黒知事が中心となって復興救済に万全を期し大童となって活動をつづけている。なお被害数字については陸軍の応援の下に県が設置して非常警備司令部にて調査を進めているが六日午後十時現在の調査によると死者一千四百名、所在不明一千百七十一名を算している。

罹災者供養  九日松島海   岸通りにて

三陸沿岸津波、震火災罹災者のため松島瑞巌寺町役場大宮司雅之助佐浦とも琴富貴発企となり来る九日は初七日に当るので同日午後七時から海岸通において供養を行う筈。
 当日は瑞巌盤■師一門の僧侶十数名臨場して荘厳なる仏式の営みを修行する、式後供養の流灯を行い遺族十名以上の参列団体に対しては宮■において五割引をなすと

労力奉仕団  無賃乗車   七日より実施

仙鉄局では震災地に向う労力奉仕救護班に対し左記条件の下に無賃乗車取扱を行うこととなり七日よりこれを実施した、
 一、区間 上野、石巻、気仙沼、花巻、平津戸又は久慈駅との相互間
 二、等級 二三等
 三、期間 三月二十日まで
 四、無賃取扱の範囲は官公衙発行の救護班たる証明所持者に限る

政府の配給米  災害地へ分配

政府の災害地配給米は七日第一回として二車に満載され牡鹿郡石巻駅到着直ちに女川町百二十俵を始め県係員が駅に詰めかけそれぞれ災害地へ配給を開始した。

各国大使同情  の意を表す   伊国代理大使個    人として百円を

三陸沿岸震災津浪に対して駐日米国大使、トルコ大使、ブラジル大使、鮑満州国代表者は六日外務省に内田が外相を訪問し深甚なる同情個を表しまたイタリー代理大使は人として金百円を見舞として寄附した。

通信網復旧  当局徹宵の努力で略完成す

震災地における電信電話の通信網は当局徹宵の努力によって速かに復旧し七日
現在に於ては僅かに不備な点は釜石、大船渡間の電話一回線のみ開通のため未だ只出局から青森へ直通電話が完全でないのと、釜石、仙台間の電話不通箇所は六日午前十一時から開通されたが直通に至らず気仙沼中■によっているという点だけに留っている。

十五浜方面  青物欠乏   宮城県農会か    ら一千貫急送

被害地十五浜方面には青物類が全く欠乏しているとの通報を受けた宮城県農会では六日熊野技手を牡鹿郡農会に急行せしめ石巻附近で大根、里芋、人参、馬鈴薯等約一千貫目を調達して現送の手続きを取ったが被害地方面では農産物の欠乏甚だしい所が多々ある模様なので石川、渡辺両技手を本吉方面に急派し実情調査と同時に■菜類の調達斡旋につとめることとなった。

災害激甚地  本吉郡へ   仙台市慰問隊志    津川歌津を慰問

仙台市より震災害地に派遣された慰問隊佐々木社会課長、鈴木市視学及び三浦書記の三名は五日正午市内有志より寄贈せられたる
 味噌五○樽(九升詰樽)、ミルクキャラメル五○○○箱、沢庵三樽、布団三枚、衣類一一二包、手拭一包、ミルク四八○缶
をトラック二台に積載し被害の最も甚だしき本吉郡歌津村及び志津川町に出張それぞれ罹災民に配給し六日午後四時帰仙した、なお右の慰問品は
 志津川町 味噌三樽、キャラメル二○○○箱、衣類二包、ミルク百四十四缶
 歌津村  味噌四七樽、沢庵三樽、薄団三枚、手拭一包、衣類一一○包、ミルク三三六缶、キャラメル四、八○○○箱
を配給した。

仙台市救護班  雄勝方面へ

災害地救護は■然として同情集まり仙台市社会課長佐々木晋氏が七日午前中まず第一回としてトラックに同情品多数を満載して牡鹿郡石巻町に来り石巻署と打合せの上雄勝方面に向った

郷軍副会長ら  慰問に来仙   見舞金を贈呈    災害現場へ

震災地慰問並に在郷軍人の活動状況視察のため帝国在郷軍人会副会長中野海軍中尉及本部評議員二名は七日午前七時来仙直ちに師団司令部に至り見舞の辞を述べ且罹災在郷軍人に対し連合支部を通じ百円を見舞金として呈し倉茂参謀より師■全般の状況、吉野連隊区司令官より在郷軍人会員の状況を聴取し後県庁その他関係方面を見舞った、一行は午後一時仙台発気仙沼に至り同地一帯の災害地を慰問の筈、なお帝国在郷軍人会本部役員有志より二十五円、又東京市連合会より金百二十円を罹災会員に見舞金として■興連合会支部に委託した。

鈴木警察部長 伊丹県会議長  罹災地視察に

鈴木宮城県警察部長桂特高課長の一行は七日午前九時自動車で石巻町に出張直ちに被害地現場視察に赴いた、また伊丹県会議長も同様石巻町に到り被害地視察に向った

熱心に御視察  鄭重に御見舞   大金侍従視察の模様    県税は相当減免

三辺宮城県知事語る
三日間にわたる災害地視察を終って七日正午帰庁した三辺知事は語る、
大金侍従は各地ともきわめて熱心に御視察なされ、かつ鄭重に御見舞の辞を居られた。御視察の結果たださえ天恵のうすいこの地方の災害には非常に気の毒に感ぜられた模様だが、それでもさかんな復興の意気には、わずかに意を強くして居られたようであった。
県庁としてはさしあたっての救護対策については随時遺憾なきを期しつつあるが、■余の永久的復興計画については成案を得次第上京して政府の諒解を求めることにしたいと思っている。もっとも大体の概算程度は政府でも出来るだけ早く知っておいていただく必要があるので、随時書類で報告することにしている。
臨時県会を開く必要があるかどうか、今のところ何れともきめていない。これは今後のなりゆきを見た上で、最も至当と思われる処置をとりたいと思っている。
県税の減免をどの程度にやるか具体的な案は出来ていないがいづれにしても相当程度の減免はしなければなるまいと思っている。
また金融方面についても出来るだけ便宜な方法を講じてもらう考えで、特に農工銀行等の配所を煩わすことともなるであろう。

三陸沿岸罹災者 義捐金品募集

三月三日突如として三陸沿岸を襲える震災は其の被害殊の外甚大にして県下の罹災者の状況洵に悲惨を極め同情に堪えざるものあり■に関係者相謀り罹災者救恤のための左記に依り広く江湖の同情に愬え義捐金を募集することとせり希くは事情御諒察の上御醵金あらんことを

一、応募金額は可成一口五十銭以上たること但し団体は一団体を以て一口とすること
二、物品は可成大口に取纏め予め県社会課に御相談のこと
三、受付場所は県庁市役所、町村役場とす
四、義捐金品の受領に付ては新聞紙に掲載し領収証に代うること
五、募集締切期限は三月三十日とす
六、義捐金の配分は主催者に一任のこと
昭和八年三月四日
主催者記
宮城県知事
仙台市長
宮城県会議長
宮城県町村長会長
河北新報社長
在仙日刊新聞社長
在仙東京福島新聞支局長
復興に応援 桃生郡十五浜村に入った軍隊−六日−