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「新規蒔直しでさあ」  力強い釜石人の言   寒村部落から救護救済を先に    心憎い遊山気分の自■救護団特派員記

大槌港から一気に気仙郡下の災害地へ!と計画を樹てたが本社から第三陣第五陣と各地に続々特派員が派遣せられたことを知ったので大槌から何所へも寄らず真っ直ぐに帰任した、即ち本文をものしている記者踏査した災害地は九牛の一毛的に全くその一部分に過ぎない。だが然し、よく考えて見ると否親しく災害地を踏査した結果によると大地震、大海嘯の惨状は何所へ行っても同じ、被害戸数の多寡、死傷者数の差に過ぎぬことが判った。
最激甚地の一田老村では死屍の漂流夥しく救護船の航行にさえ不便を感じた位だったとの事、又唐丹村では死者数百名、鮪か塩鮭を積み重ねた様に累々たる死人の山を築いたとの話、曰く食うに糧なく海草を拾って飢餓を凌いだと云う話等に、災害地は到る所、■又惨あってこれ等を一々こくめいに書いた日には全く際限がない、記者は只一言今回の三陸沿岸の災害は如何なる形容詞、如何なる最大級の悲惨なる言葉、文章を使用したと■一向何所からも苦情や抗議の持込まれるほど、それ程惨澹たるものであったと云う事だけをハッキリ述べて置き度い
全く幾度、幾百度悲惨を語ったとて夫れが什うなると云うものでない、左様したことを管々といつまでも述べたて書きたてる事は死人の年齢を数えるにひとしい、愚痴をやめて早くも復興事業の始められてたことは流石である天晴れである、釜石で小型機船組合長大阪兼太郎さんに逢ったとき大阪さんは記者に対し
「フフン三陸地方で津波は年中行事みた様なもんですよ、今度も亦裸一貫から新規蒔き直しをやってるんでサァ、自力更生ッって奴でソヲ建て直しをネ」
といって太い腕を振って見せた、その意気だ、その弾力性、その反発力こそ禍を転じて福となすものだ
天災を克服せよ、記者は濛々焼死者の異臭鼻をつく焦土と化した焼跡から、又大津浪のため一物も余せず浚われた泥土の街の中から早くも鑿や鉋の復興のひびきを聞いて非常な心強さを感じた。隣人愛相互扶助……そうした美わしい情景が災害地の彼方此方、そこかしこに展開せられていた、六畳間に十数人、知るも知らぬも相集まり相抱きあって共に泣き共に笑うているのであった、見ず知らずの人々に部屋を興え食を供しているのである−打算的な都会人などには到底真似の出来ぬこと、家は潰れ家財は失い死人まで出した村人達が人のため村のためとあって■々として道路や橋の改修に従事しているさまは、真にいぢらしい、頼母しくも又奥床しい心根ではないか、制服服帽の警官が街路で白昼公然と放尿しているのも震災、海嘯、非常時風景の一つだが村人がこれを見て「ああ巡査さん達も疲れた事だべなア、歩けなくなって道路で小便をして御座る」……記者は村人達の純真な物の見方、思いやりの深さに自然と頭がさがった、
犠牲となったものの中に馬、牛、豚、犬、猫、兎、鶏などの沢山あったことを忘れてはならぬ、もの言わぬ彼等の死は赤ん坊の死と共に可憐だ、悲運な彼等のため冥福を祈ってやり度い、海嘯のため一部落全滅の鵜住居村両石浦で荒野と化したそのなかを生き残った鶏が一羽、あてどもなくさ迷い歩いているのを見て思わず涙がこぼれた、握り飯を興えたが食わうともしなかった。
災害地で最も気持の悪かったのは何々町、何々村からと続々「救護班」の旗押したててやって来た在郷軍人団、消防組、青年団等々の振舞である、彼等は救護班の美名にかくれてその実は見物に来たのである、物見遊山に来たのである固よりその全部とはいわないが半数位はどうしても左様より見られなかった、彼等は手伝えどころか酒を飲んで復興作業の邪魔になっていたではないか、村人達の涙ぐましい、優にやさしい情景に感激した記者は斯うした輩を見て義憤をさえ感じたのであった、蓋し彼等一部救護班は無用の長物、悪魔的存在でさえあった。
陸海軍から救援のため派遣された兵士諸君、これから道路工夫、電信工夫、電灯工夫、郵便局員、鉄道職員、真に罹災地へ同情の真面目な在郷軍人団消防組、青年団等々の人々が災害地にあって文字通りの不眠不休、昼夜兼行で復興作業に従事し死線を越えた罹災民の救護につとめていたがこれ等の人々に対しては戦時の功労者同様、後日大いにねぎらってやってよりと思う
救済救護は交通不便な寒村部落から先にして欲しい
罹災者特に貧困罹災者に対しては税金の免減をすべきは勿論漁具、農具等仕事を始める道具を興えて貰い度い、これは罹災学童の就学を早める事と共に早ければ早いほどよい訳だ、農漁村民は都会人の如く贅沢をいわず無理な要求をせぬだけでも不憫であり救済方法も楽な筈である
他府県からドンドン救済品、慰問金が寄贈されているのに地元の富豪連が冷然としているのは一体どうした事だろう
今回の三陸大海嘯行衛不明者中、津波に乗ってロビンソン・クルソーのように絶海の孤島に漂流し幾年か幾十年後、浦島太郎みたいに故郷に戻ってきたなどという物語りが生れぬとも限ったものではない。(終)

生き残ったのが  いっそ怨めしい   夫や子に死別れて    泣き沈む哀れな女

三陸海岸への海上交通機関として大活動中の塩釜三陸汽船会社の桟橋は釜石その他の罹災地から避難して来る者、或は罹災の報に沿岸へ赴く者で一方ならぬ混雑を呈しているが、震災哀話が毎日のよう現れて傍人の涙をさそっている六日の定期船新東北丸で罹災地田老(岩手県)に出発した女などは最も悲惨の極みであった、その女は田老に夫と子供六人を残し乳呑児を背負って郷里宮城県に帰っている内震災に続く海嘯で田老は殆ど全滅し夫と子供は全部海の犠牲者となった、真赤に眼を泣きはらした同女は
 郷里に帰ったばっかりに、夫や子供に死別れてしまった、こんな悲しいことになるなら一しょに死んだ方がよかった、生き残った事が恨めしい
と号泣する姿は他の見る目も哀れであったと。

一つ残らず  潰れた漁家!   樹つべし『漁村計画』    宮城県水産課で極力勧説     海辺を離れて高台に建てよ

都市に都市計画があるように漁村に漁村計画を樹てたらどうか、殊に三陸沿岸の如き、例の地震帯が移動しないかぎり今後もいつまた大海嘯の災害に見舞われるものかわからない。そこでこの危難をさけるためには住宅地を高台に設けることが絶対に必要なこととなるが、ふだんは現に建てられている住宅をこわして移転するということはなかなか出来ないことだし、一軒、二軒飛びはなれたところへ移転したところで、不便でしかたがない。しかるにこの計画をこうした場合に実現をはかるとすれば、最も時期を得たものとなる。どうせ家はこわれている。しかもそれが一軒二軒に止まらない。こんな時に後方適当な高台を選定して、団体的にここに移住し、ごく海辺■建てねばならない更衣場、給水場、冷蔵庫だけは共同でこれを海辺に設置することとする。これが理想的な漁村計画で、海国日本として今後海洋産業にますます重きを置かねばならない事情を考慮すれば、この漁村計画特に地震帯から縁を切ることのできない三陸沿岸の如きにおけるこの漁村計画は絶対に必要なものとなる。当地域水産課ではここに着目して、この機会とばかり係員を被害地に派して、極力勧説につとめているが、何分にも急場のことばかり考えてバタバタと家をもとの場所に建ててをり、これに対して法規的強制力がないので、この絶好の機会に恵まれながら、なんともなし得ない事情にある。ただせめてもの望みはたとえ一ヶ村でも二ヶ村でもこの点を考慮に加えて復興計画にあたる熱心な村の現れることと当面■問題はやむを得ないとして、これが刺激となって漁村計画法の制定されんことで、伊丹議長などもこれが熱心な主張者であるから近く臨時県会が開かれるとすれば、こうしたことも中央政府に対する地方の要望として具体化することとなるであろう。
(写真は理想的漁村■■の一つ。後方にあるは住宅、共同浴場、娯楽場、共同菜園、小学校等であり前方にあるは共同給水所、共同更衣室、共同冷蔵庫等でこれならばいついかに大きな津波が来ても生活の根拠を脅かされるような心配が絶対にない)