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悲惨、百人分の死体  引取人なき田老村の惨状   県に遺骨用瓶の供給方要求

岩手県沿岸被害地中最も惨状甚だしかった田老村から屍体百人分の受取人なきため遺骨用瓶百個の供給方を県に要求してきた。

残った家の大部分  この前の津浪で流された家ばかり   海を睨んで呪う哀れ狂うた妻    牡鹿半島の悲喜いろいろ     津浪を巡る牡鹿半島日が一様の悲喜いろいろ

三日午後二時頃十五浜村の荒浜と大須浜■の波荒海岸で岩と岩との■に挟まれた老婆の死体を通行人が発見引き上げようとしたがとどかず小船二艘の応援を求めてようやく引あげた、老婆は荒浜の高橋しんさん。
あまりの強震に津浪が来るなと直感した雄勝浜の鈴木某という若者避難の用意を命じて家族を山に自分は牛を曳いて高い所に繋ぎこれから家財を運ぼうと帰って見ると家が無くなっていた。
雄勝浜で死亡した九名のうち七名は九人家族、助かった二人は三十二歳と二十五歳の若者で流れる家の屋根を破って飛び出して助かったもの、三番目に出ようとした妹は半身だけ出して死んだ。
これも雄勝浜だが金十円也を名刺入れに入れて置いたまま家財と共に流された阿部某という人せめてあの金でも持っていたらと悲観していたところへ隣の大原部落からソックリ還された、名刺入れが大原海岸に漂着していたのを子供が拾い半円紙幣と一緒にあった名刺から判って届け出たもの。
全滅を伝えられた荒浜部落は死者は多いが流失家屋は二十八戸中の十八戸で残った十戸は浸水もしない、そのうち八戸は三十七年前の三陸大海嘯の際家を流された人達ばかりである。
三日の真夜中淡い月の光を浴びて廃墟の様な荒浜の被害地帯に現れた一人の女が背負った子供の泣くのも知らずに髪を振り乱し眼をキラキラさせ海を睨んで何かを呪うようなすごい姿、夫を浪に呑まれて気が変になった。

何と皮肉な  健康体の者七名が死亡して   一家で残った者は跛一人    二十一浜の哀話

宮城県衛生課救療第一班は三日本吉郡小泉村方面に出張、同村二十一浜を振り出しに唐桑村等を診療四日午後二時帰庁の途についたが右一行のもたらせる情報によれば
 小泉村大字二十一浜は死亡九名行方不明六名、家屋十八、小船全部流出、唐桑村字石浜は行方不明十名、同村字只越は死亡八名、行方不明十七名この一部落中只越の被害は最も甚だしく流出三十三戸、罹災民三百はこの寒空に野宿している負傷者は割に少く食糧も行き渡っているが病人はこれから続出するだろう、損害想像以上で話にならぬ石浜沖を漂流中の家屋に近づき屋根を持上げたら五十六才の老婆が生きていたので救助した、二十一浜では健康な家族七名が死亡してびッこ一人だけ助かったのもあった。

海軍救恤品  各県協議の上分配

横須賀鎮守府ではさきに被害地救護のため、第六駆逐艦、第一駆逐艦等を派遣中だが、更に海軍大臣の訓令により、
 毛布一万枚、下士官兵軍衣袴二万枚、襦袢一万個、雨着一千枚、乾麺包六千キロ、缶詰五万キロ等の救恤品を軍艦厳島に積載、被害地に向け出発したこと号外所報の如くだが、同艦は六日朝釜石着の予定で、救恤品分配に関しては各県協議の上、厳島艦長に申出られたいとの旨、関係知事に対し同鎮守府参謀長より五日入電があった。

田老村の死者は  七百人突破か   外に重軽傷者約五百名に達す    悲報は刻々と伝わる

全村全滅の惨禍を受けた岩手県下閉伊郡田老村は交通通信機関が潰滅して正確なる状況は未だに判明しないが騎兵二十四機隊高橋大尉からの報告には四日午後八時三十分までの発見死体は二百名なお発見見込み死体は少なくとも五百名という報告で、さらに同午後八時三十分に県警察部に到着した宮古署長の報告によれば四日午後六時までに検視した死体は二百五十名で右は陸地において発見したる死体のみで、海中にある死体の捜索は五日早朝から開始するが、目下行方不明の四百六十四名は全部死亡者の見込みで負傷者は約五百名との報告であり、その災害が如何に甚大であるか想像に余るものである。

大金侍従石巻へ

(上)日和山迎陽閣にて(左より)大金侍従、三辺宮城県知事、石母田石巻町長(下)迎陽閣を下る大金侍従(昨日)