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選挙、町から村から 「復興は復興」   「選挙は選挙だ」     無競争のユメ破れ      十五浜村は俄然混乱

海嘯復興の一路に向って精進せんとする桃生郡十五浜村は最初、今期村議改選に当って
 「徒らに名誉心を煽って定軌を逸してはならぬ」
というので選挙騒ぎを断然廃して無競争当選を期すべく一部有志間に熱心提唱された事は、当時報道の如くであるが、その後期日切迫に連れ
「復興は復興……選挙は選挙だ」
との見解から、予て野心ある連中は、逸早くも暗躍を開始したため遂に無競争の夢は破れ、昨今各浜各部落共凄い接戦を演じている殊に同村は地勢的に自然北浜と南浜にわかれ、以前までは定員十八名の内各々半数づつを出して、詰らぬ部落感情のもつれを赤裸々に暴露していたが、今度も海嘯復興という重要案件を控えては南北両浜の抗争到底覆えし切れぬものあり、各半数を目指して突貫するという有様で、寧ろ以前の選挙に倍して凄じい猛然競争を展開している、殊に北浜方面は例の死の部落と化した荒区で約三十名の有権者が犠牲となったので幾分戦線に影響あるが、それでも関係部落民が握手して地盤擁護すれば充分九名の当選者を見る事が出来るので、或る程度まで大同団結の実を見せている、目下出馬を伝えられる推薦候補となった村長成沢甚助氏と元村長末永永丈太郎氏の取組は村民の手に汗を握らせている、因に候補者顔触れ左の如し。
 木村金次郎、木村幸蔵、山下元一、沢村貞、奥田孫蔵、小田忠平、梁瀬源三郎、山下藤四郎、永沼鶴治、永沼丈太郎、永沼勝雄、岩沢市四郎、和泉文作、中村丹之助、高橋金一郎、阿部理助、阿部栄輔、藤井万之助、大野清蔵、永沼卯七、末永佐太郎阿部東兵、成沢甚助、秋山貞四郎、青木源治朗、秋山鶴吉、鈴木忠吉

怖ろしい三陸津浪  三つの型種と其破壊力   東北帝大助教授理学博士 林氏の研究【二】

【2】津浪の答論
 (A)廻し津浪(本郷型)
 (1)本津浪襲来の地域
  これは地殻運動において沈下の傾向ある三陸の沿岸即ち岩手県久慈より広田川に至る地域の各湾に主として起った津浪でその特徴とすることは次の如くである。
  イ、各湾について湾口並に湾内の水深の深度が非常に大きく概して湾口において70乃至80米、湾内においても多くは30乃至40米の水深である。
  ロ、湾の周囲は主として古生代の岩石か火成岩によって取り囲まれて相当高い山が海岸まで迫っている。
  ハ、本津浪の被害殊に激甚なる地は必ず湾口より波浪の進入する直前に波の進む方向に対して多少の角度を有する断崖が存在する。
  ニ、本津浪が湾口より進入して一度び湾口に直■し■■に突き■るとこの波は恰もホースから出た水の様な勢いを得て、断崖より反射されたように一つの方向を得て突進しその進路に部落が存在すれば粉端微塵に打ち破くのである。
  ホ、東北地方の地図を試みに広げて見よ。釜石湾口が仮りに正束に向ったものとすれば、釜石湾以北の各湾の口は少しづつ東北に向っていて北に位置する湾程その湾口の方位の傾きが大きくなり、宮古湾においてはその湾口は殆んど正北に向っている釜石湾以南の湾口は東南に向っていて、南に位置する湾程その湾口の方位の傾きが大きくなり広田湾においてその湾口が殆んど正南に向っていることに注意して戴きたい。本津浪はこの地域の湾内に激烈に押し寄せたものである。而して中央気象台の発表によると本回の震源地は釜石正東約二三〇■の由である、この震源地の位置を宮古附近より広田に至る各湾の湾口の方位並にこの地域に本津浪の起ったことを考えると正に地殻運動によりて沈下した形跡の地域に起る特徴ある津浪であるといっても差支えはない様である。
  ヘ、津浪の襲来に於て例外はあるが惨害の甚だしいのは釜石湾を中心として北方に於ては主として右廻りの浪で、南方に於ては主として左廻り様のである。これによっても地殻運動の差に因る海湾形状深浅の差が本津浪の由来に関係する所多きものと思われる。
  ト、本津浪の起った地域について廻し波の方向を考えると釜石と今回の地震の震源地とを結んだ線が過去の地殻運動の軸に当るのではないか。
  チ、綾里湾辺より田老湾■にかけて、いわゆる例年の厄水と異った形式に於て厄水の襲来があり■の■死並に活力の減退著しく海岸に打ち上げらるる率が多くなって来た。この厄水の害は三月より徐々に著しく五月六月には相当著しく、八月まで継続したようである。この厄水の点に■■した惨害地域と本津浪襲来に地域が殆んどよく一致していること並に厄水の鮑の惨害に及ぼした時期が本津浪襲来の時期の約一年前であることは特に注意したい。なお明治二十九年の津浪襲来の前年に於て鮑に対する約水の惨害のあったという記録が宮古にあるという話を付記して置く。
  リ、地殻の沈下運動をした地域に本津浪が襲来して、この地域の両翼にある近くの隆起運動をした地域に引き津浪が来るものとすれば津浪襲来の形は岩石の硬軟又地質時代によると云うよりも地殻運動の結果たる海岸地形の影響と見てよい。即ち廻し津浪は三陸沿岸線に岩手県沿岸特有の津浪と云ってよい。
  ヌ、本津浪は引き波の際に惨害を及ぼさず押し寄せた時にホースから出た水の様に一撃に家屋等を粉砕する。其力は越喜来、釜石、末崎村等に於て一号金庫を200乃至400米以上の地に飛ばしたり、本郷に於て秋保石で作った土蔵等を粉砕して山寄りに破片を飛ばしたりする程強いものである。其進路の様子は玉突の球がクッションに打ち当って反射的に運動する様に湾を囲む断崖の地形に従って恐ろしい勢で突き進み、勢の弱った地点に破壊■を大■は■■して■却するのが特徴である。
  (■)本津浪を廻し津浪と称するの理由。
 田浜(釜石より北)に襲来した津浪は湾口に面した断崖に打ち当って其まま右廻りの浪(漁夫の所謂廻し浪)となって、田老部落を一撃の下に粉砕した。
 唐丹湾(釜石の南、第一図)に於て花露辺と本郷の両部落は山一つを隔てて相隣而も湾の入口は一つであり、花露辺が湾口に近いのである。而もこの両部落を襲った津浪に内進した津浪は進路の正面にある丸森茶屋の断崖に於て二分せられ一は右に廻りの波となって其主■は珊瑚島において再び二分して■は右して清水部落を左廻りに襲撃して対岸の下船渡の一部に突入している。
 丸森茶屋において左廻りとなった津浪襲撃の威力は猛烈で石浜部落の沖を直進し末崎村細浦部落の埋立地(細浦港入口より港の奥に向って松島の右側)コンクリート作りの岸壁に衝突して、コンクリート壁を破砕して、完全にV字型に抉り取った上斜に埋立地に東南の方向に溝を作って細浦湾に雪崩れ落ちたために、この部のコンクリート壁は海底地盤の落盤によって海へ崩れ落ちている。この細浦湾内へ雪崩れ込んだ廻り津浪の勢は盛んで対岸の民家漁船を一撃にしたまま細浦東南隅の山地の腹を左に廻って細浦部落西南隅の民家を襲撃した後東岸に沿って退去している。よって残留した民家は細浦港口の松島より港奥に向って、埋立地岸壁のV字型破壊地の右に当る数軒と右岸中央部の数軒のみの惨状である。
 ここに述べた例が三つの湾に限られているがその津浪の襲撃の径■が如何に明確に追跡出来るかという点と波の動きがホースから出た水のような勢いと破壊力を持って、玉突において打たれた球がクッションの上を壁や球に衝突しながら反射的に運動する様子によく似ているということを了解せられたならば、この津浪に廻し津浪という命名が如何にも適当と思われるだろう。
 この例に這入る津浪の災害地は前にも述べたように三陸沿岸の最近地質時代に地殻沈下運動をつづけたる地帯のみ存在しているのであって、その災害は最も甚大で部落の痕跡をも止めないのみならず廻し浪の径路を最もよく遺留物によって示している点で本郷を代表の名として、本郷型の津浪の災害と称したい。
 (3)廻し津浪の模型は存在する。
 岩手県上閉伊郡釜石湾の湾口に鷲の巣崎という岬がある。この岬の突端は湾外に向って凹字型になっている。平常沖合から来る表面波はこの凹字型の岩門でいわゆる廻し波の現象を起して、その波の右廻りの進路に当る岸壁に穴が穿たれて波の去来する毎に音をたてている。これによっても廻し波の破壊力がよく分ると思う。
 本津浪の廻し津浪と称する所以が一般論として■章の説明によって一層明かになると思う。