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津波と国際警報組織の問題 ◇おしみなく国際交流する自然現象◇ 松沢武雄

南米の地震津波は過去にもある
 こんどの津波来襲が太平洋岸
のほとんど全体に及ぶというこ
とを耳視したとき、私はたいへ
ん奇異な思いと、どきりとした
ものを感じた。それは、三陸沿
岸に大被害のあった津波でも、
東海道から西の方の海岸は平気
でいるし、逆に東海道や南海道
方面の大津波でも、三陸沿岸方
面は、けろしとしているのが定
石だからである。どきりとした
のは、このごろの物騒な世相か
らである。けれども、地震屋で
ある私は、一日前のチリ沖の大
地震を知っていたから、すぐに
も平静を取りもどすことはでき
た。それにしても、あまりの被
害の大きさに、なおも、ふしぎ
な思いは去らなかった。
 いま、東京大学の地球物理学
教室に、リヒター博士という有
名な地震学の先生が来ておら
れる。地震の規模をあらわすた
めの有名な目盛りを作った方で
ある。この先生からいただいた
地震学の本を繰ってみたら、南
来の地震津波で日本をおそった
例が出ているのには、あらため
て敬意を表するとともに、自分
のうかつさにあきれた次第であ
った。それは、一八六八年(明
治元年)八月八日のアリカ(当
時ペルー)地震の津波がハワイ
ニュージーランド、日本などを
おどろかせたこと、一八七七年
(明治十年)五月九日のイキケ
(当時ペルー)の地震の津波が
サモアで二−四メートル、日本で二−
七メートル、ニュージーランドやオー
ストラリアで一−七メートルの津波を
起こしたことが出ていた。して
みれば、日本にも相当な津波が
おしよせたことになる。
 ただし、そのころの日本は、
明治維新の混乱のおりで、この
ような現象の記録は、もっとも
不備な時代であったらしい。そ
んなわけで現在日本の地震屋は
もちろん私も含めて南米の地震
津波が大被害を起こそうなどと
は夢にも思っていなかったとい
うのが、いつわらざる所ではあ
るまいか。どうも、自然現象と
いうものは、私どもの常識を上
回るものがときどきやって来る
ので困る。

並行しない地震と津波の大きさ

 さてこんどの地震の大きさは
例のリヒターさんの規模目盛り
で八・七と報ぜられている。し
てみれば、大地震にはちがいな
いが、類例のないほどのもので
もない。ところで、地震の規模
と津波の大きさとは、必ずしも
並行しない。近い例では一九四
六年四月二日のアリューシャン
海こう(溝)の大地震は規模目盛
りは七・四で決して第一級のも
のではないが、ハワイ群島で十
数メートルの津波があって百六十人ほ
どの死者が出たし、カリフォル
ニアのサンタクルスでも四メートルく
らいの津波がおそった。それい
らい、とくにアメリカ軍隊が津
波に恐れをなしたことはたしか
である。それがきっかけで、津
波警報組織ができたのであった
ろう。一方、この地震にくらべ
て一九五七年三月九日のやはり
同じアリューションの地震は、
その規模八・三ではるかに大き
いものであったが、津波はずっ
と小さいものであった。

世界的な規模の警報組織が必要

 現在の津波警報は、日本近辺
に起こる地震によるものを、お
もな目標としているのであろ
う。それでも一応は役に立つわ
けであるが、前にもいったよう
に太平洋沿岸のほとんど過半以
上を驚かす場合がある。こうな
るとどうしても世界的規模の組
織が必要となってくる。すなわ
ち国際的な協定によって、警報
組織を組み立てなければ、間に
あわないことになる。
 一番の問題の区域は太平洋岸
であるが、そこには実にさまざ
まなイデオロギーの国々ががん
ばっている。ところで自然現象
は公平無私、一視同仁で、そん
な見さかいはない。そこで人間
の方も、いっさいの私心を失っ
て、人命を尊ぶ気持ちになれば
そのような組織を作ることはむ
ずかしくないなずである。
 昨年の暮れであったと思う
が、キルノースその他の地震学
者、海洋学者などが、五人ほど
ソビエトからやってきて、たい
へん熱心に日本の地震観測網や
津波警報組織を見て帰った。彼
らにとっても、津波は大きな関
心事となって来たわけである。
このようにして自然現象の方か
らはおしみなく国際交流が行な
われざるをえないのである。
 とにかくほぼ地球の裏側に近
いところまで、かくも巨大な津
波を起こす地震そのものは、千
キロもはなれれば、ほとんど人体
にも感じなくなるとは、なんと
奇態なことではあるまいか。
 (理博、地球物理学)

科学 地震による津波の話 為政者は予防対策に冷淡だ 鈴木次郎 津波被害の一流国日本

 さる五月二十四日の明け方、突
如として日本の各地に津波が押し
寄せた。死者九十九人、行くえ不
明四十六人、負傷者八百五十六人、
全半壊、流失家屋は合計約五千戸、
浸水家屋まで入れると約五万近い
家が被害を受け、被災者十七万人
に及ぶという大被害である。この
ほかに船の沈没、流失とか養殖施
設の被害などを入れるとその損失
は大変な金額になるだろう。この
被害はご記憶の方も多いと思うが
終戦翌年昭和二十一年十二月に起
こった南海■地震の際に起こった
津波で、紀伊半島、四国などが受け
た大被害に匹敵するものである。
時はちょうど数日前に国会で政府
与党が抜き打ち的に新安保条約の
衆議院通過をはかり、国内の世論
がわきかえっていた時である。は
からずも内では人為的な抜き打
ち、外では自然の抜き打ちと板ば
さみになってしまったかっこう
で、全く泣き面にハチ、やりきれ
ない話である。特に被災された方
々に対して何と申し上げてよいか
同情の言葉もない。
 津波という言葉の起源は、識者
によると、津とは湾とか浜とかい
った意味で、湾の奥に大波が押し
よせるという所から来た言葉だそ
うである。中国では海■という語
があるが、これは全然違った現象
で、古くは混同されて使われたこ
ともあるが、いまでは津波に統一
されている。また横文字でTsuna
miと書けば世界中どこへいって
も通用する。つまり日本語が世界
語になった数少ない言葉の一例で
ある。これのあまりありがたくな
い話ながら、地震や津波の災害の
点では日本が世界での一流国であ
るためであろう。
 日本では古来津波の害を受けて
いる。記録に残っているもので
は、天武天皇の十二年(西暦六
八四年)十一月に南海道沖に地
震があり、津波の被害にあったこ
とが記されている。東北地方では
当時未開の地であったためか、そ
れほど古いものはないようであ
るが、貞観十一年(西暦八六九
年)には三陸地方大津波で水死者
千余人が出たと書いてある。もち
ろんそれ以前にも津波はあったに
違いないが、人間がいなければ津
波があっても被害は起こりようが
ないし、また多少被害があっても
今日と違って記録にはとどめられ
ずに終わったものであろう。
 明治以降でもっとも有名なもの
は明治二十九年
六月十五日の三
陸大津波である
この時には全半
壊、流失家屋は
一万を越え、死
者だけで二万七
千余人を数えた
私らも子どもの
ころのその被害
の絵を見て、そ
の悲惨な状態に
心をうたれた記
憶がある。また昭和三年八月三
日には同じく三陸沖に起こった
地震で死者三千人を出した惨事
があり、これも先輩の方々には
おぼえておられる方も多いと思
う。

被害は湾の形できまる

 ではこのような被害を起こす津
波はどうして起こるのだろうか。
津波といっても火山の爆発や広い
意味では台風の時のいわゆる高潮
もこの中に含まれるのであるが、
地震によって起こるものだけにつ
いて述べて見よう。海の底で大地
震が起こると、海底に大きな地盤
変動が起こる。地盤変動とは海底
の広い部分が急に隆起したり沈下
したりすることである。このよう
なことが起こると、そこに波がで
きて四方に伝わって行く。例えば
たらいの中に水を入れ、その底に
五右衛門ふろの底のような板片を
入れておいて、急にその底を持ち
上げるとたらいの中の水はそれに
つれて急に動き、その波が四方に
伝わって行く。これと同じような
現象が大規模に起こると考えれば
よい。
 こうしてできた波は、同じ海の
波でもわれわれが海岸で見受ける
波とはちょっと性質が違ってい
る。われわれのよく見る波は、風
浪といって海の表面付近では波が
あるが、海の深い所までその運動
は及んでいないし、また波の周期
も短く波長も短い。しかし津波は
長波といって海の底の部分までも
運動をする大規模なもので、波長
つまり一ウネリの長さも深い所で
は何十キロメートル、何百キロメートルにもなるよ
うな程度のものである。波の伝わ
って行く速さは、深さによって違
う。海の深さをメートルで書いた
値を十倍して平方根をとると毎秒
の速度がメートル単位で出せる。
つまり四千メートルの深さの海なら毎秒
二百メートル、九千メートルの深海なら毎秒三
百メートルといったわけである。この速
さは近ごろ流行のマッハ、つまり
音速に比べれば四千メートルの海で約〇
・六マッハ、ジェット機よりは遅
いが、汽車などよりははるかに
早い。このような波が四方に伝わ
って行くわけであるが、海の真ん
中では波の高さも大したことはな
いし、またその波長もとてつもな
く長い波であるから、船が航行中
に津波にぶつかっても何のことも
ない。厳密には船がゆっくりジワ
ジワと持ち上げられ、また下げら
れるのであるが、こんなものは船
にとってはなんでもない。多くの
場合何も気がつかずに過ぎてしま
う。よく津波の警報が出ると停泊
中の船が急いでエンジンをかけ外
洋に出て行くけれど、これはなに
も津波に立ち向かって行くわけで
はなく、こうすれば被害を受けな
くてすむからである。
 ところが、この波が海岸にやっ
て来ると大分話が違ってくる。先
に書いたようにこの波の速さは深
さによって違うのだが、陸地付近
では等深線は大体海岸線に平行で
あるため、やって来た波は陸地に
近づくに従って海岸線に直角に近
く曲がり、湾の入り口につき当た
る。さらに湾の中に侵入してくる
と、湾の奥では海の幅もせまくな
り深さも浅くなっているため、波
の高さは急激に高くなって陸地に
のし上がってくるのである。この
波の高くなり方は湾の形によって
すいぶん違う。例えばV字型をし
た湾では湾の入り口の数倍にもな
るし、U字型の湾でも二倍近くの
高さになる。従って外洋では大し
たこともない波が湾の奥では非常
な高さになってしまう。明治二十
九年の大津波では吉浜という所で
二十五メートル、昭和八年の時には綾里
(りょうり)という所で二十四メートル
にもなった例がある。
 いままでの話でもわかるよう
に、津波というやつは湾の形でそ
の高さが大きく左右される。ある
湾では被害がひどいのに、隣の湾
では大したことはないといった現
象も起こる。だからある津波で大
きな被害を受けた所は、いつの津
波でも被害がひどい可能性が大き
いわけである。また海岸線の出入
りが少なく、湾がない所はいつで
も被害を受けないのに、津波とい
えば、いつでも三陸や紀伊半島な
どのように海岸線の出入りのはげ
しい所は大きな被害にさらされ
る。不公平な話であるが仕方な
い。
 また津波というとわれわれが土
用波が何かを見るように、高い波
が屏風(ビョウブ)を立てたよう
に並んで押し寄せるような光景を
想像している方もおられるようで
あるが、前にも述べたように津波
は周期も長く、波長も長い波であ
るからそんな具合にやって来るも
のではない。あたり一面の水が急
に盛り上がって来て、ついには陸
上にもぐんぐんあふれて来るとい
うようにやって来る。これがある
所まで高くなると、逆にぐんぐん
と水位がさがり始め、ふだんは見
えない海底まで露出してしまう。
このようなことをくりかえるので
ある。つまり波といってもわれわ
れがふだん海岸で見るものとは大
分違った様相を示すものである。
また津波は引き波から始まるとよ
くいわれているが、必ずしもいつ
もそうとは限らない。振幅が小さ
い場合には上げ波より下げ波の場
合の方が目につきやすいからこの
ようにいわれるのであろう。

常識をこえる自然の力

 このような波が陸地に押し上が
れば、その水圧で建物をこわす、こ
われた建物は流されて次の建物を
こわす、といった具合に片端から
こわされて行く。また船が陸に押
し上げられて建物をこわすことも
多い。またたとえ家がこわれなく
ても浸水すれば家中が汚物でおお
われたり、家具が流されたりす
る。一部残らず何もなくなって
しまったり、材木をつみ上げたよ
うな惨たんたる有様になってしま
うこともある。もちろん逃げおく
れれば人間も波にのまれてしまう
こうして大被害が生ずる。このよ
うに大被害を起こすものではある
が、津波は地震が起こってから
いくら速いとは
いっても、飛行
機程度の速度で
やってくるので
あるから、地震
後、津波が来る
までに警報を出
し、少なくとも
人命だけでも救
うという措置は
とれるはずであ
る。現に日本で
は地震後、ラジ
オなどを利用すれば数分くらいで
警報が伝達されるような組織も作
られ、いままでにもたびたび警報
を出し、効果をおさめている。
 しかし、今回はチリで地震が起
こってから一日近くもあったのに
なんの警報も出ず全く抜き打ち的
にやられてしまった。これには当
事者たる気象庁としては失態とい
われても仕方がないだろう。が、
この失態は必ずしも当事者の怠慢
とだけせめられないものがあると
思う。外国で起こった地震によっ
て津波が起こり、そのため日本で
も被害を受けた例はもちろん沢山
ある。例えばカムチャッカやアリ
ューシャンの地震では、よく北日
本が被害を受けるし、また昭和八
年の三陸津波でハワイで被害が生
じたこともある。しかし今回のよ
うにほとんど地球の反対側にある
チリの地震で、こんな被害が起き
た例はまだかつてないのである。
もちろんチリもよく地震の起こる
国で、大地震もたびたび起こって
はいるが、そのために日本が被害
を受けたこともない。恐らく気象
庁でもまさかこんなことになると
は予想しなかったのであろう。な
ぜこのようなことになったのかは
こんご大いに研究しなければなら
ないが、何はともあれ、これから
はこの苦い経験を生かすとともに
太平洋全域にわたって組織されて
いる津波警報組織を十分活用する
ようになってほしいものである。
自然の猛威は恐ろしい。われわれ
の貧弱な経験からの常識では予想
できないようなことも起こるとい
うよい教訓である。
 東北地方では不幸にして津波の
被害を受けやすい海岸を沢山持っ
ている。このような所ではよくい
われるように防潮堤や防潮林を作
るとか、低い所には家を作らない
とかいった心掛けはもちろん肝要
である。政府としても災害が起こ
る前にもっとこのような施設に対
して金を出してもよいのではなか
ろうか。「天災は忘れたころにやっ
て来る」というのは災害の起こる
たびに引き合いに出される寺田寅
彦先生の不朽の名言であるが、地
元民は必ずしも忘れてばかりいる
とはかぎらないのである。三陸地
方では昭和八年以来毎年三月三日
を期して訓練を続けて行なってい
るし、今回の津波でも町や村で独
自の判断から警報を出し、このた
め被害を少なく食いとめた話も聞
いている。またある町では長年か
かって立派な防潮堤を作っておい
たため被災を免れら例もある。ひ
とたび被害が起こると騒ぐくせに
のどもとすぎれば熱さを忘れてふ
だんの予防対策に冷淡なのはだれ
だろうか。寺田先生の名言をわれ
われと一緒に為政者にもよくかみ
しめてもらいたいと願うのは私ば
かりではあるまい。(東北大学理
学部助教授・地震学専攻)