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小雨ついて復旧作業

災害後六日目を迎えた二十九日、女川、志津川、塩釜などの被災地は、小雨をついての復旧作業が続けられた。陸上の復旧作業は自衛
隊などの協力もあって順調に進んでいるものの、各港は漂流物や沈没した船が散乱、災害時の惨状を呈し、湾内が完全に整備される
までにはまだ相当日数がかかりそうだ。

住宅の建設に着手  消毒も二、三日で終わる 志津川地方

二十九日になっ
て電話は六割方復旧、また心配さ
れていた赤痢多発地区の検便でも
一人の保菌者も出ないという結果
が出、赤痢におびえる町民をホッ
とさせた。防疫対策本部は十二人
の赤痢患者を出していること、被
災者が連日の復旧作業や栄養不足
で極度に疲労していることなどか
ら大量発生を予想、赤痢患者発生地
区周辺の人たち百人の検便を行な
ったが一人の保菌者も検出されな
かった。
 一方自衛隊の建設隊七百五十人
 が引き揚げたあとには仙北各地
 から応援の消防団員ほとんど二
 百人、それにポンプ車八台がく
 り込み、便所のくみ取り、汚物
 処理に当たっている。くみ取り
 車も二台ふえ五台となったが、
 それに三十日には二台がふえ
 る。防疫班の消毒作業も二、三
 日中に全町を終わる見込みだ。
一方応急住宅は差し当たり四十戸
を同町松原海岸に建てることにな
り、二十九日から整地作業がはじ
まり、町の復旧作業もようやく軌
道に乗りはじめた。
なお二十九日から町内六ヵ所に診
療相談所を設置、また県税事務所
に住宅相談所が開設した。

進む土木工事 気仙沼地方

 気仙沼市津波対
 策本部は二十九日救援物資の配
 給につとめる一方、気仙沼市鹿
 折の汚物処理に三十八人の特別
 班を編成、あと片づけにあたっ
 た。また病気の発生を防ぐため
 市衛生課と保健所が一体となっ
 て市内各地の消毒につとめてい
 る。
市の応急土木工事も進み二十九日
現在階上の護岸工事と大川河口の
護岸工事を残すだけとなり、大川
の護岸工事は雨と土俵不足で遅れ
気仙沼湾内のノリ、カキ養殖漁民
は流失したカキイカダ、浮きタル
の回収につとめているが、とくに
千台余りのカキイカダが全滅した
気仙沼、牡鹿地区漁民はわずかに
シラス漁に糊口をしのいでいるが
これとて■漁に近く漁民たちはあ
すの生活に困るものも多くでてき
ている。
なお同市の津波復旧工事に協力し
ていた陸上自衛隊大和駐とん部隊
の三百三十人は一応の作業を終え
市民の感謝をうけながら二十九日
引き揚げた。

湊の整理はまだまだ 石巻地方

牡鹿半島の一部を
残し、二十九日までにすっかり津
波の跡かたづけを終わったが、こ
んどは湊の沈船整理と浮遊物の整
理にすっかり頭を痛めている。石
巻土木出張所の調べでは石巻港に
沈んだ船は近海捕鯨鮎川事業所の
「竜丸」(一四八トン)をはじめ「第
二共和丸」(一三五トン)、「第一宮
城丸」(三九トン)、「第二金比羅丸」
(一四八トン)、「第八白竜丸」(四
七トン)など大型船だけで二十隻を
越えている。また警備船「きたか
み(二七トン)、観光船「きんかさ
ん丸」(九七トン)など一般船と中
小漁船約三十隻もこっぱみじんと
なって港の底にひしめいている。
しかし沈船を引き揚げたのはごく
一部で大部分はほうり出したま
ま。このため入港船は危険でうっ
かり速度も出せない有様だ。
 一方、女川港は町からあふれ出
 た家財道具、木材、たるなどが
 また災害当時のままで放置され
 ている。それでも町の整理が一
 段落した二十八日がらぽつぽつ
 浮遊物の整理に手をつけはじめ
 たが、満潮になると一斉に岸壁
 に押し上げられ、船もうかうか
 はいれない始末だ。ことに木材
 などはちょっと見わけがつかな
 いためよほどハッキリしたもの
 でないと持ち帰れないことも整
 理を遅らせている理由の一つに
 なっている。女川湾が完全に整
 理されるのはあと一ヵ月もかか
 りそうだ。

堤防復旧に全力 塩釜地方

塩釜市浦戸地区の
津波被害は住宅関係にあまりなか
ったが、外洋に面し激浪に洗われ
たため堤防に相当の痛手をうけた
市対策本部の調べだと、堤防が二
十六ヵ所で七百二十二メートルも決壊、
六ヵ所四百メートルが流失、護岸の決壊
は百三十メートルもあり亀裂は二百五十
メートルにおよんだ。このため二十八日
から空俵を急送し応急措置をとっ
ているが、二十四日いらい水位が
高いうえ高波が依然として残り二
十八日夜に積みあげた土俵六十俵
が流され堤防の決壊場所は大きく
なるばかり。二十九日までに二千
百俵を送り全島民一体の作業を統
けたが、全部で七千俵の土俵は必
要とされ同本部で関係方面に手配
三十日には旧市内からの応援隊を
送り込んで復旧をいそぐことにな
った。
またこわれた堤防の恒久策につい
て同市は災害復旧工事で実施する
よう県当局に要請することになっ
た。一方塩釜市海岸前、北浜など
の被災地は雨にもめげず復旧工事
などに大わらわだった。

被災者に貸し付け  塩釜の対策本部

塩釜市の津波対策本部は二十九日
生活に困っている被災世帯百戸に
対し、とりあえずの生活資金とし
て一世帯三千円を貸し付けること
になった。無利子六ヵ月据置き十
二ヵ月払い。また仮設住宅(十六
・五平方メートル以内)二十三戸を同市
上ノ原に、三戸を浦戸に建てるほ
か、今週中にゴザ一千枚を配布す
る方針をたてた。

女川町の構造を調査  建築学界の権威者

建設省の建築研究所長竹山謙三郎
工博ら建築学界の権威者四人は、
二十九日東北大教授栗山寛工博ら
とともに、海岸都市計画の参考に
するため女川町を訪れ、約四時間
にわたって町の構造を調べた。こ
の調査は近くとりまとめたうえ発
表されるが、女川町への津波の被
害が志津川に比べ比較的軽かった
のは
 ①道路が海に面して放射状にで
 きている。
 ②三陸津波以来、建築が津波対
 策を第一に考え、流されないよ
 う土台をしっかりつくった。
などがあげられている。

塩釜に破傷風発生

 津波被害で心配されていた破傷
 風患者が塩釜で発生、塩釜保健
 所では十分注意するよう呼びか
 けている。
同市北浜、水産加工業相沢喜源太
さん方の従業員菅原きよ子さん
(二〇)が二十八日ちょっとした傷
から苦しむので小笠原病院にか
つぎこんだところ、破傷風にかか
っていることがわかった。応急の
血清注射で落ちついているが、予
断が許されない状態だという。こ
のため塩釜市医師会は北浜と仙石
線本塩釜駅に医療困りごと相談所
を設けたり、戸別に巡回訪問など
をやっているが、まず傷をつくら
ないこと、傷をつけたらすぐ完全
消毒するか、血清免疫注射をやる
よう望んでいる。

石巻に赤痢

石巻保健所は津波被災地の検便を
つづけていたが二十九日朝石巻市
荻浜福貴浦、漁業高橋武義さん(二
六)が赤痢とわかった。

浦戸島に集団発生か

塩釜市の離れ島である浦戸地区か
ら二十九日午前、市津波対策本部
に「軽い下痢や腹痛を訴える患者
が各部落に発生している。医師の
派遣を願う」と要請してきた。同
地区は津波で約二百の井戸のうち
九十二ヵ所が海泥をかぶってお
り、赤痢の集団発生などが予想さ
れるため同市立病院から医師、看
護婦各一人を急派した。

災害復旧水産業大会開く

 県漁連と県信漁連は二十八日
 緊急合同幹部会を開いて、三十
 日午後県漁連の通常総会終了後
 水産団体の代表二百人を集め、
 津波災害復旧水産業大会を開き
 特別立法その他復興対策の基
 本線を決めることを申し合わせ
 た。
大会は被害を受けた全水産団体を
一本化したかたちで復興対策を中
央へ要請しようというもので、
特別立法の適用範囲についでは小
型定置網、ノリ、カキ資材、破
損、流失漁船、水産加工施設、流
失加工水産工品、漁港船だまり、油
槽施設、水産倉庫など被害を受け
たもののほとんどを含め、伊勢湾
台風の特別立法の適用範囲を下回
らないよう要請する。
災害助成のうちもっとも重点を入
れるのは、零細漁家の手足となる
小型漁船(無動力船を含む)の高
率助成で、その復旧資材として、
国有木材の無償払い下げを要請す
ることを考えている。

窓 津波と修学旅行

 二十六日朝、陸前原町の広場
にはそれぞれ旅行カバン、水筒を
肩にした可愛らしい旅行者でいっ
ぱいだった。原町小学校六年の修
学旅行である。担任の先生は生徒
の点呼に大わらわだったが、一つ
のクラスだけは何か沈んで落ち着
かない感じだった。聞いてみると
担任の行場先生は志津川町の出身
で、二十四日発生したチリ津波の
被害で家に帰ったとのこと。楽し
い修学旅行を担任の先生とともに
……子ども達は前々から念願して
いたのだが、突然の天災では致し
方なかった。
 その時、一台のタクシーがすべ
り込んできた。ドアを開いて降り
てきたのは行場先生である。期せ
ずして子ども達の「先生! 先生
!」の声。見送りに来ていた母親た
ちの中にはひそかに涙する者もあ
った。あとで聞くところによると
志津川町の生家は津波のために全
壊流失し、おじさんが亡くなられ
たとのこと。それでも先生は子ど
も達の引率責任上、夜を日につい
で交通の断絶した志津川から徒歩
で、またタクシーを乗りついで、
一睡もせずに子ども達の出発間際
にかけつけてこられたのである。
この尊い教育者の姿に心から感謝
と敬意を表する。(仙台T・M)

津波から乗客を救う  本塩釜駅の助役近く表彰

 チリ津波が塩釜を襲ったさい、
 たくさんの乗客を救った仙石線
 本塩釜駅助役の雨川■吉さん(四
 一)が近く宇都宮仙鉄局長から表
 彰される。
さる二十四日午前六時二十一分本
塩釜駅着の下り高城町行き電車が
本塩釜駅近くにきたとき、大津波
が塩釜港内から本塩釜駅に向かっ
て押し寄せてきた。電車が駅に進
入してきたときにマトモに津波を
くらってはたまらない。車内の乗
客、ホームにいる客とも大混乱を
起こすに違いない。雨川さんは電
車目がけて線路を走り、ホームの
数十メートル手前で電車を止めるとすぐ
運転士に西塩釜駅に逆もどりさせ
た。乗客は七十人ぐらいいた。す
ぐかけもどるとホームと待合室で
大騒ぎをしていた百五十人ばかり
の客を駅の渡線橋の上に誘導した
その直後に波はホームを洗ったの
だという。
 雨川本塩釜駅助役の話 当然の
ことをやっただけのことです。あ
とでみるとまくら木が線路に数本
ものっかっており、電車をとめる
ことが、あと三十秒おそかったら
海水の中で脱線したかもしれませ
ん。また津波の勢いが強かったの
で水位がどの程度高くなるか見当
つかず、とにかく早く処置するこ
とがいいと思ったことが結果的に
よかったのでしょう。

身をていし町民を誘導  志津川署 警官などの表彰を上申

 県下で最大の津波被害を受けた
 志津川町で、警報が出る前に津
 波をキャッチ、身をていして町
 民の避難誘導に当たるなど、警
 官の行為が町民の感激の話題と
 なり、志津川署は二十九日県本
 部に表彰方を上申した。
 西条規一巡査(三二)=非常召集で
いち早くかけつけるや、署備え付
けの拡声機をもってパトカーで町
内を巡回、避難を呼びかけ、パト
カーが相次いで動けなくなるや、
身をもって濁流の中を連呼、再三
大波をかぶりながら全員退避する
まで呼びかけた。
 遠藤順子事務員(三一)=非常召集
に病気の母ハナさん(五五)を自宅に
残したままかけつけた。「事務員は
非常召集に応ずる義務はない」と
所員たちから再三帰宅をすすめら
れたが、心の中で母親の無事を祈
りながら電話連絡、事務処理に活
躍、帰宅したときにはハナさんは
津波の尊い犠牲となっていた。
 佐藤悦三郎巡査(四二)=津波当夜
当直として勤務中午前四時過ぎ
「高潮らしい」という一般の連絡
によって直ちに名足巡査駐在所な
ど海岸地帯の民家に連絡、潮が異
常に引いていることから津波と判
断、署長に連絡、署員を非常招集
する一方、署内にあるサイレンで
避難信号をならした。この機敏な
処置が町の八割を破壊されながら
死亡者を最小限度にくい止めた。

行くえ不明の人妻死体で発見 志津川

二十九日午前十一時ころ、行くえ
不明となっていた志津川町入谷、
飲食店三浦信一さんの妻みなとさ
ん(三七)は志津川病院前の民家の下
から死体となって発見された。こ
れで同町の津波犠牲者は死者三十
七人、行くえ不明者は同町汐入、
運搬業須藤登さんの三男信広ちゃ
ん(四才)だけとなった。

松島湾に漂流死体

二十九日午前九時四十分ころ、松
島湾の桂島付近で漂流物を整理し
ていた漁民が水死体をみつけた。
塩釜海上保安部と塩釜署が調べた
ところ、石巻市渡波下伊勢谷地、
無職、内海ときえさんの長男幸雄
さん(二一)とわかった。幸雄さんは
二十四日午前五時ころ同市御殿横
丁にいる弟の政雄さん(一八)のとこ
ろに立ち寄ったあと行くえ不明と
なっており、津波に流され漂流し
たものとみられている。

津波被害品の修理について

この度の津波により被害を受けられた皆
様方に心から御見舞申し上げます。弊社
では左記の通り被災日立製品修理承り所
を設けまして、被災を受けた日立モート
ル、日立家庭電気品等の修理補繕に当た
っております。同所には専門技術員を配
置し、準備万端整えて皆様のご利用をお
待ち致しております。どうぞお気軽にご
利用下さい。
 昭和三十五年五月三十日
株式会社日立製作所仙台営業所
日立家庭電器販売株式会社仙台営業所
日立家庭電器月賦販売株式会社仙台営業所
修理承り所
仙台日立商品サービス班
 宮城県宮城郡多賀城町八幡 仙台日立サービスステーション
    電話仙台八二六〇〜三
石巻日立商品サービス班
 石巻市立町通り一ノ一五六 三和重機商事石巻出張所内
    電話五九二
気仙沼日立商品サービス班
 気仙沼市仲山通り 三和重機商事気仙沼出張所内
    電話一四二五

津波御見舞御礼

 去る24日総長の津波来襲に際し、弊社釜石
製鐵所は殆んど被害なく平常通り操業をいた
しております。
 御鄭重なお見舞に対し、衷心より感謝し、
取り敢えず紙上をもって御礼申し上げます。
            昭和35年5月30日
  富士製鐵株式会社