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仙南地方町村議 長会から見舞金

仙南地
方町村
議長会は二十八日午前十時から大
河原町役場内の仙南町村議長会事
務局で開き、チリ津波の被災地に
仙南地方百六十七人の議員で議長
五百円、議員二百円を拠金して贈
ることに決めた。

“死の町”に咲いた  明るい話題二つ 濁流から人命救う  危険を顧みず飛び込む

死の町からしだいによみがえった志津川町の人々はようやく平静をとり戻し、
当時の恐怖の陰にかくされていた勇敢な人々の話題が町民の口に上っている。
【その一】同町林、農林業佐藤久
弥さん方の使用人千葉真一さん(三
一)は当時松原海岸で逃げ道を断た
れ救いを求めている人々のため、
単身濁流を泳いで志津川町簡易裁
判所内のマツの木と川向こうの大
久保地内のプラタナスの木をロー
プで結んだ。そのあとこのロープ
が十数人の人々の命の綱となった
【その二】同町汐入、自動車修理
販売業堀内勇策さん(二七)は妻れい
子さん(二六)といち早く八幡橋まで
退避した。ところがさきに非難し
ていたおばあさんをおんぶした一
人の婦人が突然波に足をとられ、
おばあさんは投げ出されて波間に
姿を消した。これをみた堀内さん
はただちにれい子さんを逃げさせ
たあと、単身引っ返し濁流に飛び
込んで泳ぎつき、おばあさんを一
たん流れてきた屋根の上に避難さ
せたうえ再び安全地帯まで救い出
した。妻れい子さんは大波の中に
姿を消した夫はもはや帰らぬもの
と泣きくずれていたが、肩をたた
かれて二度びっくりしたという。

街頭募金などの 救援活動を展開  社会党県連で決める

 社会党県連は二十八日午後二時
 から仙台市南町通の同連本部で
 緊急役員会を開き、チリ津波災
 害救援本部を設置して独自の立
 場で救援運動を行なうこととき
 めたと同時に県連本部に災害対
 策本部を設け、婦人部、県議、
 市議団を動員して街頭募金など
 の救援活動を展開する、ことな
 どをきめた。
なお二十九、三十の二日間宣伝カ
ーをくり出す。

津波対策を協議  塩釜市議会

塩釜市議会は二十八日午後全員特
別委を開き、チリ津波対策を協議
した。市側から被害状況を開いた
あと、とりあえず各常任委員会か
ら二人ずつでて市当局と協力して
復旧策にあたる。また中小企業の
再建策として生業資金の貸し付け
問題をとりあげ、塩釜信用金庫あ
たりに財政の許可範囲で預託し実
施するなどの方針を決めた。

チリ津波災害 の映画つくる  県文章広報課

県文章広
報課はチ
リ津波災
害の十六ミリ映画をまとめた。広報
課員の取材したものに東北テレビ
映画社の撮影したフィルムを借り
て編集したもの。四百フイート、トーキ
ーで映写時間は約十五分間。災害
地を生々しく描き出したこの映画
は政府、国会の復旧対策要望に一
役買う。

石巻29、塩釜は20戸  応急住宅の割当て決まる

 県は津波で家を流された人たち
 のため、災害救助法に基づき応
 急仮設住宅五百二十六戸を建て
 る計画を立て、一部建てはじめ
 ているが、敷地問題ではっきり
 したメドがついていないところ
 が多いので、早急に地元と話し
 合いを進める。
こんどの津波による県下の全壊、
流失家屋は千五百四十戸、応急仮
設住宅建設の計画はこのうち三割
で、二十八日町村別建設数は石巻
市二十九戸、塩釜市二十戸、気仙
沼市九戸、七ヶ浜町二戸、雄勝町
二十六戸、女川町八十一戸、牡鹿
町二戸、志津川町三百五十一戸、鳴
瀬町三戸、歌津町三戸と決まった
 県としては災害救助法によって
 被災後二十日以内に建てるよう
 規定されているので「それまで
 にはなんとしても完成させた
 い」と語っている。

志津川に津波慰問班  仙台青年会議所

仙台青年会議所(菅原甚寿理事
長)は二十八、九の両日、白石市
三住地区の開拓地で無医村診療を
行なう予定だったが、チリ津波が
起こったため計画を変更、二十九
日志津川町に津波慰問班を送るこ
とになった。
会員約二十人が十二台の自動車を
持ち寄り、日赤県支部に集まった
義援金を積んで同日午前八時半、
仙台を出発、義援金の輸送を助け
る。会員の医者四人と看護婦三人
が同行、現地で医療活動に協力す
る。

自衛隊に感謝状  宇都宮仙鉄局長

仙鉄局
の宇都
宮局長は二十八日、仙石線本塩釜
駅付近の津波被害線路を片付けて
電車運転のできるようにした陸上
自衛隊仙台南駐とん部隊第一一〇
特科大隊(増子友康隊長)あてに
感謝状を発送した。

窓 救いの手

 二十四日早朝のチリ津波の災害
は見た者ばかりがわかる。家財を
なくし、肉親を失った、精神的、
経済的打撃は言語に絶する有様で
ある。現地の皆さまは気も狂わん
ばかりでしょう。だれがすき好ん
だものでもなく、ほんとうの天災
です。このときに当たり、被害を
免れた者はできるだけのことをな
すべきだと思います。
 しかし一方目を国会に向けます
と、災害対策に参加するとかしな
いとかいう党もあるようです。現
地災害者の生きんがための叫びが
聞こえないのでしょうか。国会で
はいるとかいらないとか騒がれて
いる自衛隊が現地では一番献身的
な努力を続けています。そのほか
各団体ならびに学生さんたちの活
動も広く展開され、まことにうる
わしい限りです。
 災害地の皆さんもお心をとり直
して復旧に一意努力して下さい。
二十四日付のこの欄に災害地を救
うのは私たちの義務だとありまし
たが全くその通りです。ぜひ一人
々々が真心をもって被災地の人
々に救いの手を差し伸べましょ
う。
(河南町・佐藤)

患者さらにふえる 志津川の赤痢

 赤痢患者の発生に見舞われた志
 津川町では二十八日も全力をあ
 げて患者の発見、まん延防止に
 大わらわとなっているが、同日
 現在患者はさらにふえ真症一人
 擬似十一人の計十二人となった
 このほか下痢患者も三十九人を
 数えている。
これに対し防疫対策本部ではこれ
まで志津川中学校前にあった旧隔
離病棟が施設不十分のため同日十
二人の患者全員を公立登米病院の
隔離病舎に移す一方、自衛隊衛生
班の協力で患者発生地区の清掃を
徹底、また気仙沼はじめ仙北各保
健所、一般開業医の協力で九班四
十人の医療班を編成、衛生指導に
当たっている。なお検便は同日ま
でざっと百人を終わっているが検
便してもその時被災者の患者は仕
事に追われて事後指導が十分に行
なわれず一般町民の間に疲労が目
立っているだけに■■されてい
る。

よみがえった繁華街  石巻地方 万石橋の仮橋も完成

 石巻地方の津波被災地はほぼ跡片
 づけも終わり本格的な復興に
 とりかかった。女川町は二十八
 日夕方までに自衛隊員による町
 内整理もすっかり完了、隊員四
 百二人は各駐とん地に引き揚げ
 た。また雄勝町に出動した苦竹
 駐とん部隊百五十六人は、二十
 七日夜十時で目抜き通りの跡始
 末も終わり、二十八日には住民
 の手による路地の整理も終了、
 町は見違えるほどきれいになっ
 た。
一方石巻市の水びたしになった家
も家財道具の整理をすませ、ほと
んど水害以前の姿にかえった。し
かし万石橋の落橋で陸の輸送路を
断たれた牡鹿半島はやや復旧が遅
れ、自衛隊などの手で懸命に復旧
作業を続けている。万石橋は二十
八日も早朝から折柄の雨をついて
第六施設大隊五十人が復旧作業に
勤めた結果、同や十時すぎ落橋五
日目に仮り橋の架橋に成功した。
なお雄勝町で働いていた苦竹一〇
九隊特科隊(隊長三浦ニ佐)は見
舞金として五千円、また女川町で
働いた多賀城の第二十二普通科連
隊第一大隊(野口二佐)ら五隊は
六千二百円をそれぞれ町に被災者
の救助にと寄付した。

救援物資の 配給始める  気仙沼

 気仙沼市の津波復旧作業は順調
 に進み、同市対策本部は二十八
 日牡鹿、南町、内ノ脇一帯の便
 所のくみとりに全力をあげる一
 方、県対策本部からの救援物資
 の配給をはじめた。
救援物資は衣類、雑貨、日用品、
学用品など二万一千点。また津波
で被害をうけた稲苗約五十ヘクタール分
(水田面積換算)が不足しており
気仙沼濃改事務所はこの不足品を
追町、中田町、南方村からとり
あえず十五ヘクタール分を移入する方針を
決める一方、三十日本吉町病虫害
防除所に農協関係者が集まり早急
に対策を講ずることになった。

きょう開通の見込み  河北−志津川線

県道路課は、こんどのチリ地震津
波でもっとのひどい被害を受けた
河北−志津川線の復旧工事を急い
でおり、志津川町折立−長清水間
の十ヵ所延長一・九キロメートルに自衛隊
の協力で土俵を敷き、土を盛って
仮道をつくっているが二十九日開
通する見込みである。

津波に恒久対策  女川港に防波堤新設計画

 石巻地方で津波のひどかった女
 川、雄勝、牡鹿の各町は、二度
 とみじめな災害をくりかえさな
 いため、恒久対策を検討してい
 るが、女川町は二十八日、三百
 メートルの防波堤を女川湾口に築いて
 津波を防ぐことに決め、この計
 画書を提出した。
女川湾口には昭和八年の三陸津波
のあとにつくった防波堤(百五十
メートル)が港の東側にある。しかし湾
口が六百メートルもあるうえ、港がV字
型になっているため、津波があれ
ば一挙に海水が浸入する。また引
き潮には急激に潮が引く結果、町
の被害は倍加されている。このた
め反対の西南部に新たに三百メートルの
防波堤をつくり、津波を防ぐこと
に構想が固まった。総事業費は約
三億円で国の直轄事業にするよう
強く働きかけるという。
 木村女川町長の話 津波は三陸
地方の宿命だ。しかし宿命だとい
って手放しでみているわけにはい
かない。三十年に一度はかならず
津波がやってくるのだから、この
機会に徹底した対策を進めたい。

電灯、水道は一応復旧  志津川 悩みは自衛隊の引揚げ

 悪夢以来五日目となった二十八
 日、最も被害の大きかった志津
 川町も電灯もつき、水道も一応
 復旧して飲料水にことかかなく
 なった。しかし本格的な復旧作
 業はこれからというとき、自衛
 隊の大量引き揚げなど同町の再
 建途上に幾つかの悩みが表面化
 関係者の反省、協力が望まれて
 いる。
 ◇建設作業=自衛隊千三百余人
が投入され汚物処理、建設に活躍
してきたが、二十七日夜の徹夜作
業で目抜き通りの汚物除去を最後
に二十八日七百五十人の建設隊が
町を去った。一応目抜き通りの清
掃はできたといっても一歩裏町に
はいれば依然汚物の山、しかし自
衛隊は「公共に奉仕するのがたて
まえで個人的な奉仕はできない」
とあって打ち切りとなった。この
ため対策本部では同日さし当たり
本吉町で消防団の出動を要請する
など対策に大わらわだが、うちひ
しがれた町の人々に親しまれてき
た自衛隊員が“町を去る”の報に
町民は暗い顔。「災害にもお役所
仕事が顔を出す」と一部に批判の
声も出ている。
 ◇防疫作業=「保健所、一般開業
医の協力で数に不足はないのだが
活動は思うにまかせぬ」と防疫対
策本部では嘆いている。なるほど
医師、医療品に不足はないが一般
開業医などはそのまま泊まり込め
ず一日交代の奉仕となっている。
このため患者への一貫した指導が
行なえずその場かぎりになるケー
スも出てくるという。また自衛隊
消防団など多数の応援がくり込ん
で人出はあり余るほどなのだが、
目下の衛生活動の主眼は便所や汚
物の整理。ところが便所のくみと
り、汚物を入れる穴掘り仕事など
人のいやがる仕事を押しつけるこ
ともできず、応援の人は多いが人
手不足という嘆きを訴えており、
復旧作業もこの辺が大きなガンと
なっている。

国会だより 各人各派の本県選出自民代議士

 ○…ふってわいたような大津
波に自民党主流派は「国会再開
の足がかりになる」と、とんで
もない喜びよう。「結局、両社
とも拒否できまいから、もうひ
と津波のデカいのがこないか」
とまで放言するものもあった
が、ふだんなら臨時
国会召集まで要求す
る社会党がソッポを
向いた。被害当日、
内海、大石代議士ら
自民党議員は早速、
国元へかけつけたが、禁足令が
出ている社会党議員は地元にも
帰れずヤキモキ。そこで東北議
員の要求で党内に三十三人から
なる津波対策特別委を設置、日
野吉夫氏が委員長におさまり
「現地視察」と銘打って二十
四日夜、やっと日野、佐々木、
菊池の社会党トリオが国元へ
帰ることができた。「津波より
ここ二、三日の国会の動きの方
が大切だ」という議員を、日野
委員長など汗だくで「被災地を
みてくれ」と説いて回り、よう
やく視察班を編成する始末だっ
た。
 ○…安保強行
突破のあおりで
自民党内はハチの巣をついたよ
うな騒ぎ。各派閥とも連日のよ
うに“部落会議”を開いて政局
収拾策を協議している。県選出
議員も大野派、佐藤派、河野派
石井派などとバラエティに富ん
でいるから岸内閣に対する評価
はマチマチ。最も強硬なのは河
野派に属する大石武一氏で「国
民にも党員に対しても許すべか
らざる重大な裏切りだ」とま
でいい切る。「会期延長をした
ら、なぜ安保審議を打ち切る必
要がある。公党としての国民の
信用をふみにじり、岸個人の権
力主義をふりかざして、抵抗も
できぬ社会党議員をゴボウ抜き
までした警察力行使は、涙が出
るほどだ」と野党ばりの口調。
有効、無効論の前に責任をとっ
て岸退陣が先決。第一、世論が
承認しまいから、六月十九日
までもたないだろうとの観測
だ。
 ○…これに真っ向から反発す
るのは佐藤派に属する愛知揆
一氏。「安保可決は法律的にも
政治的にも完全無欠。札つきの
二、三の連中が騒いでいるだけ
だから、現政権で既定方針通り
やり抜け。現状は“弾丸を用い
ざる日ソ戦争”だから負けては
ならない。岸総理はソツのなさ
を捨てて、いまこそ日本の命運
をになえ」とま
ことに景気がよ
い。そして「冷
却期間をおけば、自然におさま
るとの見通し」だそうだ。
 ○…この間に立つ中間派もま
た微妙。大野派の内海安吉氏は
「安保採択に加わった全党員の
連帯責任だから、岸だけを責め
るわけにはいかない」といいな
がらも「解散も、総辞職もしな
い」との岸発言にはいささかむ
くれ顔。「反主流派とどう妥協
するかの党内のまとめ方が総裁
として必要なときに、なぜ爆弾
を投げるのだろう。あれでは岸
個人の感情むき出しだ。包容力
がない。苦労を知らない。私が
岸なら…と思うね」と。石井派
の長谷川峻氏など、清瀬議長を
抱えて議長席にすわらせた張本
人だから「まるでボクが安保を
通した責任者みたいに文句をい
われて大弱りだよ。ボクは菅家
喜六君(福島)らと議長護衛隊
に回っただけ。安保採決までや
るとは全然知らなかった。党員
の九〇パーセントに知らせないんだから
ひどいね」と弁解、火消しに必
死のテイだ。

謹んで津波災害の  御見舞を申し上げます

皆様には十二分ご健康に留意なされ、新
たな希望に向かって一刻も早く立ち直り明
るい生活を取り戻されるように心からお
祈り申し上げます。
  仙台市名掛丁九六
佐藤ナショナル製品販売株式会社
宮城ナショナル月賦販売株式会社

謝津波災害御見舞

この度の津波に際し早速お見舞を賜わり
ご厚情の程厚く御礼申し上げます
弊社志津川営業所が被災致しました外は
お陰をもちまして大きな被害はなく目下
鋭意復旧に努力中でございます
 なおご不便をおかけしておりましたバス運行につきましては
 ごく一部を除き本日より平常の運行に復しました
右取敢ずお礼かたがたご報告申し上げます
 昭和三十五年五月二十九日 宮城県栗原郡■■町
          仙北鉄道株式会社

心から御見舞申し上げます

 日本ビクター株式会社