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死の町と化す三陸沿岸 チリ津波現地ルポ 助け求め狂う人影  ドス黒い海の屋根上で

大津波のパンチをくらった三陸沿岸の傷跡は大きく、深く、ところによっては致命的ですら
あった。昭和八年の大津波の体験を忘れていない人々も、こんどの“ヤミ打ち”とでもいい
たいほどの急襲には全く手のほどこしようもなかった。以下は一瞬のうちに荒地と化し、
ドロ沼に変わった被災地を空と陸からみた現地報告である。
本社特別機にて境記者=三陸一
帯を襲った津波の被害を空からみ
るため記者は二十四日午後一時三
十五分、仙台市霞ノ目空港を飛び
たった。離陸して十分後、眼下に
はおびただしい流木といっしょに
漁船や観光船三、四十隻が海岸に
打ち上げられている塩釜港がみえ
る。むざんな姿が津波の大きさを
物語っていた。松島港は海底がふ
くれあがったように一面が灰色の
海。やがて機は北上山脈を越えて
被害のもっとも大きいと伝えられ
る志津川、気仙沼方面に向かって
北上。同二時無線機は「またまた
津波が志津川に押し寄せた」と伝
えてくる。時速百七十キロがまどろ
っこしいほど。東方の太平洋はな
にごともなかったようにみえる
が、きょうは海と空を見分ける水
平線が無気味にかすんでいた。

涙誘うコイのぼり

 ○…間もなく志津川上空。黒い
かたまりが千メートル以上も沖に浮いて
いる。高度五百メートルまで急降下する
と、それは重なり合って流れてい
る屋根だった。その一つに旧五月
節句のコイのぼりが引っかかって
いるのが痛々しい。付近一帯には
戸障子が無数に流れ、逆に漁船は
数百メートルもの陸地に押し上げられて
いる始末。海岸はクイをうちこん
だような流木で埋まっている。同
町の約九割は相当の被害をうけた
とみた。段々畑に赤白青の花もよ
うがみえるが、何回となく押し寄
せる高潮におそれおののく避難中
の婦女子たちだろう。昭和にはい
って三度目の大災害はあまりにも
むごい。

壊滅の気仙沼

 ○…気仙沼港はさらにひどい。
ちょうど数キロにもわたる油をなが
したようなドス黒い海水が激流と
なって海岸に押し寄せつつあると
きだった。黒い海水はパラパラに
なった無数の養殖カキのイカダを
乗せていて、谷間の急流のイカダ
流しと同じ感じ。すごい勢いで時
折り青白い渦を巻きながら海岸に
突進していた。同市鹿折と内脇の
水産加工場地帯はほとんど壊滅状
態。さずがの天然の良港も自然の
暴威のなすがままのようだった。

大船渡線は砂の中

 ○…北上すすにつれ被害のひど
いのが目立つ。陸前高田市では自
衛隊の臨時着陸基地が水没、その
うえに三隻の漁船があげられてい
る。また有名な高田松島の防風波
林が真ん中で百メートル余も決壊、流れ
こんだ海水で大船渡線は土砂に
埋まっていた。機長が家人を乗せ
たままの流失家屋を発見した。海
岸から約十キロ沖だ。はるばる手こ
ぎ和船で近づく影が二つ三つみえ
る。急降下してせん回する。流木
の取り巻かれた半壊の二階建て家
屋だ。家人は屋根から狂うように
助けを求めている。この家族たち
の無事を祈り機はさらに北上した

赤い腹だす貨物船

 ○…低い大船渡線陸前高田−細
浦間の鉄道線は各地でズタズタ、
レールがアメのように曲がった所
もあった。大船渡港は三キロ四方の
湾内に流木が流れこみ惨状は目を
おおうほど。小野田セメント工場
は流木の中に建っており、そばの
海岸に係留されていた一千トン級の
貨物船が四五度に傾きが腹をだし
ていた。何回か機がせん回する間、
ここでも黒い恐怖の海水が渦をま
いていた。町は避難をおえたのか
人影なくひっそり閑。陸前高田か
ら大船渡の間はまるで“死の町”
と化したようだ。アリのように高
台に走る避難民がチラホラみえる
程度である。

原子キノコの濁水

 ○…機はここで反転し女川方面
へ。三陸沿岸特有のリアス式海岸
も浜辺という浜辺は沖合まで変色
し、それに海岸線がぐんと変わっ
てしまった感じだ。女川港は流木
に埋まって身動きできない有様。
石巻港は北上川からはき出す濁水
が港の入り口から沖合に原子爆弾
のキノコ雲のように大きく広がり
大規模だった津波のもようを描い
ているようだった。

母の遺体にすがる姿  無気味に続く余波のうなり

大船渡にて菅原(孝)記者=大
船渡線大船渡駅を中心として〇・
五キロ間の線路はズタズタ。タクシ
ーがひっくり返って線路にのっか
っている。のぼりかけた黄色い太
陽の下にめちゃめちゃに打ちの
めされた商店街がただ横たわって
いた。人はいない。みんな山手
に逃げたあと。町のど真ん中を走
る国道には二かかえもある丸太
がゴロゴロしている。駅のすぐ前
に五十トンクラスの漁船が打ち上げ
られていた。地元消防団が「また
波がきた、逃げろ」と声をからす。
魚市場にいくには腰まで水があっ
た。冷凍工場から冷凍用アンモニ
アガスが白煙をあげている。

町は泥海の中に孤立

 ○…小野田セメントの三本煙突
の煙も消えた。四千トンのセメント
積み取り船「写洋丸」が堤防にの
し上げスクリューをさらけだして
いる。電報電話局も泥海のなかに
孤立したまま、屋外の電話線など
は一本もない。当直の交換手がや
っとの思いで逃げだしたといい、
人っこ一人いなかった。山手の西
光寺は遺体収容所に当てられてい
る。大人にまじって名前も確認で
きない子どものなきがらが二つ、
三つ。ついさっきまで一緒に寝て
いた祖母、母、妹の三つの遺体に
取りすがって女の子が泣きじゃく
っていた。大船渡東映の事務員泉
覚さん(三五)の長女富目子ちゃん(一
一)だ。胸をしめつけられる思い。

配置につく自衛隊

 ○…午後二時になって電電公社
の移動無線カーが盛岡からかけつ
け、夕方から緊急連絡用の電話を
確保した。引続き自衛隊一本木駐
とん部隊二百六十人、一関、千鹿
などの各署からの応援隊もぞくぞ
く到着して配置についた。しかし
津波の余波は夕方まで続き、市民
のすべてがド、ド、ドウと漁船の
底がもり上がってくるようなもの
すごい音が耳を離れず、眠れない
ままの一夜を過ごした。

気象庁の大ミス? 警報が遅れた原因  退庁後に情報入る   データ不足、重なる悪条件

“チリ大津波”は全く突然に襲ってきた。全国で最も早く津波警報を出した仙台管区気象台でさえ、第一報は午前四時四十八分。その
ときはすでに太平洋岸各地は激しい波に洗われており、沿岸住民は不安におののいた。警報発令がもっと早かったら、被害は最小限度
に食い止められたはず。発令が遅れた原因を追究してみる——。
 これについて気象庁では
①地球の裏側からの津波による被
害はこれまでなかった。
②情報が不足していた。
③気象業務法による津波警報は日
本近海の自身に対し出すことにな
っている。
 などをおもな理由にあげている
また、仙台管区気象台の内海技■
部長は「このような遠隔地の地震
で大被害の出たのは日本はじまっ
ていらいのこと。まさかと思って
いたため気象庁でも判断できなか
ったためだ」といっている。結局
こんどの津波は、過去経験したこ
ともないほど大規模だったために
気象専門家たちが判断を誤ったと
いうことにあるようだ。
 ところで気象庁には、二十三日
 午前中にハワイの津波情報セン
 ターから情報がはいっていた。
 この情報がかえりみられなかっ
 たことにも今度の大被害の原因
 の一端があるといわれている。
 津波警報については、現在国際
 的なデータ交換協定はない。し
 かし在日米軍がいる関係で、太
 平洋地域に津波警報を出す米国
 組織であるホノルル沿岸測地局
 からの情報は常時同庁にはいる
 こんどの場合も半日以上も前の
 二十三日午前十時二十分には
 「チリ地震で被害を伴う津波が
 あるかもしれない」との一方が
 入電、さらに同日午後六時五十
 七分強さの程度は不明だったが
 ハワイ諸島に対する津波到着予
 想時間をふくめた情報がもたら
 されている。気象庁では、いま
 までにチリ付近の地震で実害の
 ある津波を受けた経験がなかっ
 たため警戒体制をとれなかった
 という。このためハワイからの
 第二報は退庁時間後であったた
 め、予報官の手元に届かず、こ
 の失敗を演じてしまったわけだ
 広野気象庁地震課長の話 関東
大地震を上回る大きな海底地震だ
ったため思わぬ大被害となった。
経験、情報不足による技術の限界
をついて“奇襲”された。
 内海仙台管区気象台技術部長の
話 経験がなかったことが遅れた
原因だ。

観測史上最大の地震

気象庁■■部が一回目のチリ地震
をキャッチしたのは二十一日午後
七時二十三分ごろ、地震計の記録
から見て規模(マグニチュード)
約八の大地震であることが推定さ
れた。翌二十二日午後七時五十一
分には二回目の地震を観測、二十
三日の午前四時十五分と同三十一
分には三回目、四回目の地震がキ
ャッチされた。このうちとくに大
きかったのは四回目で、その規模
は八・七五と推定される。もしこ
の数字が正しければ、地球上にお
ける地震観測の記録上空前の大地
震だ。日本に津波をもたらした地
震はこの四回目のものである。
 震源地は南緯三七度、西経七三
 度チリ国コンセブンオン市沖の
 太平洋と推定される。日本から
 この地点までの距離は約一万八
 千キロ、この距離を津波が伝わる
 には、二十二時間から二十四
 時間かかるが、地震後はわずか
 十五分で到達する。したがっ
 て、地震波を観測したとき、気
 象庁が津波来襲の判断を下して
 いれば、おそくも二十三日の夕
 方には警報が出せたはずであ
 る。

水害罹災者に対するお知らせ

今回の津波によって罹災された三陸
地区の預、貯金者に対しましては、現
地の金融機関でつぎのとおり便宜の
お取り扱いをいたします。
1、預金証書、通帳を流失された場合でも預、貯
  金者であることが確認さえできれば払い出
  しに応じます。
2、届出印鑑を流失された場合は■印でも払い
  出しに応じます。
3、事情によっては応急生活資金を限度として
  定期預金、定期積金などの期限前の払い戻し
  にも応じますし、これを担保とする貸し出し
  にも応じます。
4、汚れたお札はどこの金融機関でもお引き換
  えいたします。
5、書く際をなくされた場合は日本銀行仙台支店
  または日本銀行代理店へご相談下さい。
   昭和三十五年五月二十四日
     宮城県銀行協会
     宮城県相互銀行協会
     宮城県信用金庫協会
     宮城県信用組合協会
     宮城労働金庫
     宮城県信用農業協同組合連合会
     宮城県信用漁業協同組合連合会