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志津川 一瞬・地獄の町に

24日の大津波は全くの不意打ちだっただけに、県下の沿岸地方の被害は昭和八年の大津波に次ぎ、県民に与えたショックも大きかっ
た。中でも志津川、女川町などは町全体が水に洗われて手のつけようもない有様。家を失った人々は「また津波がやってくるのではな
いか」という不安にさいなまれながら、恐怖の一夜を明かした。

襲いかかる波の壁  濁流に沈む母娘の悲鳴 志津川

志津川湾の奥に
はいりこんでい
ながら志津川町は県下で最大の
被害を受けた。
午前四時ごろ異常な引き潮で津波
を予測した地元漁民が騒ぎ出し、
志津川署はすぐに緊急サイレンを
鳴らして町民に警告、同時に町役
場、消防団とともに警戒態勢をし
いた。無気味に鳴り続くサイレ
ン、乱打される半鐘に町民もはじ
めは火事と思っていたが、同四時
半ごろゴーッというものすごい海
鳴りを耳にしてやっと大津波の襲
来に気づいた。
「津波だ、逃げろ」と気違いのよ
うにわめきながら着のみ着のまま
で付近の山へ避難する町民。その
あとを追うように高さ五メートルもの大
波が海岸ぞいの民家におそいかか
った。しかも大波は町を貫流する
八幡川にそって上り、わずか五分
で海岸から約二キロも奥に達し、旧
志津川町の千七百数十戸はアッと
いう間に水びたしになった。もっ
とも被害の大きかった同町大森、
汐入、松原、市場前などは強烈な
“水の壁”に民家が押し流され、
屋根や壁を削られ、流木や押し流
された漁船にたたかれてメチャメ
チャ。あちこちの田んぼや民家に
は泥をかぶった死体が横たわり、
目をおおう惨状だ。
 町民の中には逃げおくれて濁流
 にのまれる者、倒れた家の下敷
 きになった者など、肉親や隣人
 の前で次々に津波のいけにえに
 なっていった。塩人部落の西城
 しも子さん(二六)の身重のからだ
 に長女まさ子ちゃん(四才)を背負
 い、志津川中学校へ逃げのびる
 途中、あと数十メートルというところ
 で転倒、そのまま濁流の中に消
 えてしまった。これを助けよう
 とした婦人は「バカヤロウ」と
 いう怒声にわが身の危険を察し
 涙をのんで学校にかけ込みワッ
 と泣きくずれるなど、至る所で
 悲惨な場面がくりひろげられた
この津波で三百戸が流失、倒壊、
千五百戸が床上浸水、電灯、電話
線は寸断され、道路もまったく不
通となった。死者次のとおり。
 ◇志津川町死亡者氏名(南町)
本田ふき、菅野京子(二五)、藤倉久
治、(大森)佐藤半治、高橋功、
(塩人)西条まさ子、西条しも
子、佐藤庄之助、須藤みよりほか
家族三人、佐藤孝之助(八六)、遠藤
彪也(三一)、西条ゆきお(五九)、三浦
たえ子(一一)、遠藤たか子(四二)、阿
部とよ子(一三)、千葉みどり、沼
倉つねよ、大場敏正(四才)、(新町)
佐々木宗子(一一)、(大久保)遠藤た
か子、(町裏)佐藤たち子、その母
(荒砥)佐藤善吉、(戸倉)須藤成
一(四才)、佐藤庄蔵(七三)

被害総額七十億越す  県 空陸から救助に当たる

 三陸一帯をおこった津波につい
 て県は二十四日午前六時二十分
 災害救助法を発動、三浦知事を
 本部長とする災害救助対策本部
 を副知事室の設け、さたに気仙
 沼、志津川、石巻の三ヵ所に現
 地対策本部を設けとりあえず調
 査班を編成、志津川、気仙沼、
 女川、塩釜、閖上の各方面に急
 派、また自衛隊、日赤の協力を
 求め、空と陸から被害の調査と
 救援に当たっている。
県災害対策本部は二十四日午後五
時から緊急部長会議を開き、津波
対策を検討したが、同日夕刻まで
に判明した県下の被害総額は、七
十一億七千万円に達したのでと
りあえず、県が手持ちの財政■
■積立資金一億二千万円と、手持
ち資金二億円を対策費にあて、さ
らに政府に対し、地方交付税や国
庫支出金の増額とくり上げ支給、
緊急復旧に要する対策費に対する
特別債の措置、公共施設の復旧に
対する特別補助金の交付などを要
望することにした。また被災者に
対する措置としては
 ①健在の減免税②家屋復旧資金
 の低利融資③被災地域には地元
 市町村と協力して生活相談所を
 設け、生活費の特別貸し付け
などの措置をとることをきめた。
このほか同本部は宮城食糧事務所
に乾パン二万食分と、たき出し用
の精米千七百俵の現地向け輸送を
依頼、同事務所は県下の各倉庫の
政府手持ち米の精白を急ぐととも
に卸商の手持ち分を集め、二十五
日朝までに各現地に配布の手配を
とった。また県信連、共済連、各
金融機関も県の呼びかけでそれぞ
れ応急救援を続けている。

県緊急合同 常任委員会

県議会はきょ
う二十五日午
前十時から水産商工、土木、農林
の合同常任委員会を緊急招集して
津波被害の報告を聞き、また一両
日中に全員協議会を開いて復旧対
策を練る。

カキいかだ全滅  小舟三百隻以上流される 気仙沼

 明け方五時の第
 一波を皮切りに
 この日のうちに六度も高潮が押
 し寄せた。「大島という自然の
 防波堤があるから津波には絶対
 安全」といわれていた気仙沼市
 内ノ脇、魚町、南町付近も、こん
 どばかりはひとたまりもなかっ
 た。階上、鹿折にかけて道路に
 は二メートル近い波がうずを巻き、気
 仙沼署は女、子どもを気仙沼中
 学校に非難させた。
湾内では朝六時ころ、小舟二隻で
カニ漁をしていた気仙沼市松岩字
片浜、佐藤松治さん(六〇)と同松岩
田体田、小野寺丑太郎さん(七三)が
波にのまれて行くえ不明になるな
ど事故が相次ぎ、六千台を越える
カキいかだは全壊して一億数千万
円の損害を出した。気仙沼魚市場
では水揚げしたばかりの本マグロ
など数千トンが流されたり泥水につ
かったりして開店休業。また唐桑
町漁協では集荷した一万キロのワカ
メがオジャンになった。気仙沼署
の調べでは床上、床下浸水は合わ
せて四千五百戸にせまり、流れた
小舟は三百隻を突破したという。

全町が水びたし 女川

朝六時四十分に押
し寄せた三度目の
“どとう”で女川町はまたたくま
に水の下になった。全町三千戸の
うち六十戸が全壊して押し流され
たのをはじめ、百戸が半壊、繁華
街など二千戸が屋根まで水びたし
になった。第一波の襲来は津波警
報後二十分たらずの四時二十分。
決定的なパンチになった第三波の
引き潮に乗ってついさっきまで寝
ていた家、家財道具がただよい流
れていくのを裏山に逃げた町民た
ちは家族同士抱き合って、ただな
がめているばかり……。一方女川
湾の岸壁は激しい波に抵抗する力
を失い、三十メートルにわたって決壊、
石巻線女川港駅は完全に水につか
ってしまい、臨時線の線路の上に
漁船二隻が打ち上げられ船腹をさ
らしていた。

泥水の中に立ち あがる市民たち 塩釜

 塩釜市の被害は埋
 め立て地に商店街
 が密集している海岸通り、北浜
 付近が最もひどく、全市の床上
 床下浸水一千戸のほとんどがこ
 のあたりに集中した格好。早朝
 から何度も津波に文字通り波状
 攻撃された市民は気を休めるひ
 まもない一日を送った。
夜にはいって塩釜市内の海岸通り
北浜などでは飲食店、映画館など
が一斉に休店、津波のツメ跡を生
々しく物語っている。海岸前の道
路に二隻ばかりの大型遊覧船が横
倒しに乗り上げたままだ。こうし
た中を陸上自衛隊多賀城部隊が、
二トンクレーン車などを動かして岸
壁に乗りあげかかった船の処理に
当たった。また津波の■■に寝も
やらぬ市民の姿がそちこちに群が
り、■災者もホッと安ドの表情を
しながら泥に埋まった屋内の水洗
いなどの復旧作業に深夜まで精を
出していた。

塩釜で二人 行くえ不明

塩釜市中新田五三、ペンキ■寺岡
正さん(三一)は同市北浜町の屋台に
泊まっていたが、二十四日押し寄
せた津波で押し流されて水死した。
また同市字台二五、佐藤要吉市議
の孫進一ちゃん(五才)も行くえ不明
となっている。

鮎川港も大打撃 雄勝・牡鹿

雄勝町も大
津波の洗礼
を受け、県道ぞいの目抜き通りで
三十二戸が押し流された。このほ
か百五十戸がこわれて、ここでも
立ち直りにはかなりの時間がかか
りそう。また牡鹿町では近海捕鯨
の基地鮎川港が痛撃をこうむり、
六十六戸が全半壊、八十七戸が床
上浸水。同町鮎川浜寺下、漁業森
田平三郎さんの次男久雄君(十四)は
朝九時ころ海岸に潮が引いたあと
をみにいき、次の津波にのまれて
水死した。

自民党県連、津 波対策本部置く

自民党
県連は
県議会自民党控室に二十四日、津
波対策本部を設け直ちに災害地の
実情調査に乗り出した。きょう二
十五日同党所属全県議を招集して
対策を練る。本部長は舟野亀一郎
副本部長は庄司隆両氏。

社党県議団、き ょう対策総会

社会党
県議団
は二十五日午後一時から、県議会
社会党控室で、津波対策緊急総会
を開く。

愛知氏、自民党七役 に被害対策を要望

愛知揆一自民党代議士は二十四日
午前、党七役に東北の津波被害を
報告するとともに、早急な救援対
策をたてるよう要望した。

さながら“船の墓場” 石巻

 石巻市内でざっと
 二千六百戸が水に
 つかったが“オカ”の上の被害
 よりも港内外の漁船群が受けた
 打撃の方がはるかに深刻だっ
 た。
沈んだ船二十一隻、流された船三
十五隻、こわれた船四十五隻とい
う惨状。観光船「きんかざん丸」(九
〇トン)と警備船「きたかみ丸」(二
十トン)も海底に姿を消した。中で
も石巻と女川とを結ぶ「内海■」
には逆流した潮に乗って、ともづ
なを切った漁船が流れ着き折重な
って沈没、さながら“船の墓場”
といった光景だった。また港内に
停泊していたマグロはえなわ船
「竜丸」(一五〇トン)の甲板員及
川与平さん(二五)=歌津町=は逃げ
おくれて沈没した船と運命をとも
にし、石巻氏袋谷地、無職広田友
吉さん(六〇)は小舟でウナギあげに
こぎ出し転覆して行くえ不明にな
った。

救われた町民の命  女川 消防士の機転で退避

 女川町は津波の洗礼をうけて全
 町死の町と化したが奇跡的に一
 人の犠牲者も出さなかった。こ
 れは消防署の監視人がいち早く
 津波の襲来をみつけ、津波警報
 に先立って町民を高台に非難さ
 せたからだ。
この消防士は女川町角浜の大槻喜
蔵さん(三六)、望楼で見張り中午前
三時五十分ごろ、たまたま津波を
見つけた。ふだんの高波と違って
大きくなりそうだったので大規模
な津波と判断、早速当直の女川町
大原、木村国男さん(三三)に連絡し
た。このため伝令が石巻署女川警
部派出所の高清水所長に飛び間髪
をいれず署員の非常招集が行なわ
れ、住民に退避命令が出された。
発見してわずか二十分、県警の津
波警報に先立つこと、実に一時間
二十分だった。

積極的に貸し出し  沿岸市町村の金融機関

 県内沿岸市町村の銀行、相互銀
 行、信用金庫、信用組合など各
 金融機関は、こんどの三陸津波
 でかなり打撃をうけたが、復旧
 促進のため預貯金の払い戻し、
 貸し出しに積極的に応ずる体制
 をととのえた。
被害をうけた各行は預貯金、手形
などの元帳、証書、ぬれた札の交
換、店舗の清掃、■■につとめた
結果、塩釜市内の各店は二十四日
午前十一時ごろから開店、石巻、
渡波、女川、気仙沼の各店も同日
中に営業を始めた。しかし被害激
甚地の志津川町では七十七、■
陽、撮■の各行が水びたしになっ
たため復旧に手間どり、各行とも
本店から応援を繰り出して徹夜で
復旧につとめているので二十五日
午前から営業できる見通した。

災害地の犯罪 取締り強化

 県警本部
 は二十四
 日午後、石巻、塩釜など沿岸各
 署に対して災害後に発生するお
 それのある窃盗などの犯罪を厳
 重に取り締まるよう指令した。
また被災地の物資不足につけこみ
食料品などの暴利をむさぼる悪質
業者が出ることも考えられるので
厳重警戒するよう通達した。