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太平洋岸の被害さらに増大 チリ大津波

死者87、行くえ不明74
 被災地一道十七県におよぶ
(夕刊所報)日本本土の太平洋岸一帯を襲った“チリ大津波”は、二十四日夕刻の高潮をもって一応その峠を越した。
しかし被害は通信線の回復につれてさらにふえ、同夜までに判明しただけで死者八十七人、行くえ不明七十四人、
負傷者六百九十八人にのぼっている。被災地は一道十七県におよび、特に宮城、岩手を中心とした三陸地方がひどかっ
た。このため被害の大きかった九市十二町村に災害救助法が発動された。なお、津波の今後の見通しについて、仙台
管区気象台は、一応峠は越したが、まだ警戒体制を解く段階ではなく、さらに注意を要するといっている。

志津川、大船渡が大被害 各地で漁船転覆 宮城

宮城県は東北地方
で最も大きな被害
を受けた。とくに志津川町は全町
の八割までが水につかり、死者二
十八人を出すなど惨たんたる光景
を呈した。女川町でも六割が浸水
港にはカキいかだ用のタルや木材
が浮流し、泥海となった。塩釜市
は本塩釜駅付近が最もひどく、漁
船や遊覧船が町の真ん中に打ちあ
げられ、本塩釜駅は高さ一・五メートル
の泥水をかぶり、町中が悪臭に包
まれた。
 亘理町荒浜では午前四時半ごろ
 漁船が一隻沈没、乗組員七人が
 海に投げ出され、四人が行くえ
 不明となった。気仙沼市では午
 前四時ごろ海辺から三百メートルぐら
 い潮が引き、そのあと三、四十
 分後に第一波が押し寄せた。こ
 のため三人が行くえ不明。また
 名取市閖上町でも漁船一隻が転
 覆、四人が行くえ不明となっ
 た。

大船渡41人死ぬ 岩手

大船渡市は最も被
害がひどく、死者
四十一人、行くえ不明十四人を出
した。碁石岬、長崎からの入江にな
っている同港は、高さ四メートルの津波
をまともに受け、笹崎、須崎地区
は跡かたもないほど全壊。海岸か
ら千メートルも離れた盛高校のグラウン
ドに二十トン級の漁船が打ちあげら
れた。陸前高田市の米崎町町沼田
部落では死者七人を出した。
 宮古地方には午前二時四十七分
 ごろ第一波が襲来、■ヶ崎、築
 地などは全部落民が高台に非難
 した。釜石市では市営ビル前か
 ら郵便局前のメーン・ストリー
 トが泥水で覆われ、二千五百八
 十三戸が浸水、海岸二万の市民
 が避難した。

工場地帯はマヒ 青森

八戸市には午前三
時三十分ごろ第一
波が押し寄せたが、同市種差地区
ではちょうどワカメの口あけの日
なので漁民が浜に出ており、この
人たちがまず最初にさわぎ出した
八戸港では船舶が約三百隻流失、
五千戸が水浸しとなった。また流
された漁船が岸に打ちあげられ、
工場地帯にも浸水。日曹製鋼、日
東化学などは一時マヒした。八戸
火力発電所も約三〇センチの浸水。港
の冷凍会社も水浸しで作業がスト
ップした。百石町川内部落でも午
前六時ころ、高さ四メートルの波が押し
寄せ、浜辺から約五百メートルが水浸し
となった。

各港ごった返し 福島

福島県は数字に現
われた被害は少な
かったとはいえ、昭和八年の三陸
津波のときよりも津波そのものは
大きかった。磐城市の小名浜測候
所の検潮儀ではかりきれず、相馬
市松川浦の修港事務所の検潮儀が
二・一メートルの干濁を記録した。磐城
市小名浜、中之作、江名の三港は
約百隻の避難船でごった返し、同
市渚部落では午前三時四十戸二百
人が高台に避難した。また浪江町
請戸浜では午前五時潮が一たん二
百メートルも引いてから高さ二メートルの津波
が押し寄せ、五メートルの高さの堤防を
波しぶきが飛びこえ、半鐘が鳴り
渡る中を二百人の部落民が山にの
がれた。
一方相馬市松川浦港は五十隻が出
漁していて帰港できず、うねり狂
う沖で右往左往、家族が高台から
見守るなかを一隻ずつ狭い港口に
つっこんで夕方までかかりやっと
全員が無事に帰ってきた。
 またこの日午前六時ころ、磐城
 市下川字大剣三七、農金子ミサ
 さん(六九)は同大剣海岸を歩いて
 いるうち、大波にのまれて水死
 した。

沈没船二十三隻など  二管の船舶関係被害

【塩釜】第二管区海上保安本部に
はいった連絡によると、二十四日
未明からの津波による管内の船舶
関係被害は午前九時までに判明し
たところによると、沈没二十三
隻、流失三十七隻、行くえ不明二
隻のほか、乗り上げ八十五隻、破
損船多数を出した。
これによる死者は三十二人、行く
え不明百三十三人にのぼった。調
査が進むにつれ被害はさらにふえ
る見込み、港湾施設では宮城県閖
上港で魚市場岸壁が三十メートル決壊し
たほか、女川港と福島県久之浜で
それぞれ護岸が五十メートルから七十メートル
決壊した。また同本部では管内の
巡視船を総動員、警戒しているが
巡視船「くま」が漂流物に衝突し
片舷をこわしたほか、巡視船三隻
も作業中船体に損傷した。

被害地へ巡視船や 自衛隊五千人派遣

海上保安庁は太平洋岸を襲った津
波被害について二十四日朝第一管
区(小樽)、第二管区(塩釜)、第三
管区(横浜)の各海上保安本部に
非常体制をとるとともに、被害の
ひどい大船渡に塩釜から巡視船
「みやけ」を、八戸に、青森から
「あぶくま」、秋田から「みくら」
をそれぞれ派遣した。午前九時す
ぎ羽田からビーチクラフト一機を
塩釜に派遣した。
一方、防衛庁は二十四日午前九時
すぎ宮城、岩手、青森の知事から
の出動要請で八戸、宮古、釜石、大
船渡、石巻の各津波災害地に八個
大隊約五千人の陸上自衛隊員を派
遣した。このほか伊勢湾、八戸方
面で航空自衛隊機が被災地の被害
状況を調査している。

三千三百戸が浸水  紀南四国 堤防決壊も続出

【大阪】二十四日早朝紀南、四国
南岸を襲った津波は各地にかなり
の被害を出した。とくに三重、和
歌山、徳島、高知の南部は数回津
波が続き、三重県尾鷲市、徳島県
阿南市橘町、和歌山県田辺市新庄
町などに災害救助法が発動され、
三重、高知県では養殖真珠に大き
な被害が出た。阿南市橘町は全町
千戸が浸水、高知、和歌山などで計
約三千三百戸が浸水、停電、堤防
の決壊が続出した。高知県須崎市
をはじめ、各地で小、中、高校が
臨時休校した。

被害総額37億円  真珠大被害

【津】三重県志摩地方の真珠養殖
場は二十四日早朝の津波のため大
きな被害を受けた。県水産課の調
べによると、流失、破損した真珠
イカダは一万八千三百台。被害総
額は三十七億余円に当たる。

霧多布(北海道)で 二千人孤立

【札幌】二十四日早朝から北海道
を襲った津波は、午前九時ころま
で断続したが、その後次第に衰え
た。そくに被害のひどかった浜中
村霧多布では死者六人、家屋の全
半壊約百五十戸、流失二百戸など
全部落が被災、住民約二千人が高
台に孤立したまま夜を迎えた。
 食糧、衣料などの補給はヘリコ
 プターや漁船、巡視船で行なっ
 ている。また同村トンキ別部落
 では六十八戸のうち五十戸が水
 をかぶり、二人か死亡するなど
 浜中全村は二十七年の十勝沖地
 震に次ぐ被害を受けた。

六線区が依然不通  仙石船 きょう始発から開通

 (夕刊所報)二十四日の大津波
 によって寸断された東北の国鉄
 海岸ローカル線は同夕刻八戸線
 が開通したほかは六線区が依然
 として不通となっている。
八戸線は小中野−陸奥湊間が不通
となっていたが、同午後五時五分
開通した。山田線は同六時二十四
分大槌−吉里吉里間が開通したが
磯鶏−豊間根間は線路がハシゴ状
となったため約二百立方メートルの砂利
が必要とみられ、開通は六月十日
ごろになるといわれる。また大船
渡線は脇ノ沢駅の駅舎が三分の二
冠水しているので陸前高田−盛間
が不通、復旧の見通しは立ってい
ない。気仙沼線の全線開通は二十
六、七日になる模様。
仙台線は同五時半、石巻−陸前小
野間が開通したのをはじめ同六時
二十分、西塩釜−本塩釜間が開通
した。同夜は本塩釜−陸前小野間
が不通だったが、二十五日朝の始
発から前線が開通する予定。

各地バス被害状況

 仙台陸運局に二十四日夕刻まで
 にはいったバスの被害状況次の
 とおり。
▽仙北鉄道志津川営業所が屋根ま
で水をかぶり、バス十九両が運行
不能▽岩手県北バス大船渡営業所
でもバス四両が水浸し▽仙台−気
仙沼線の道路冠水で分断運行して
いるほか、石巻−鮎川線、矢本−宮
戸線、石巻−雄勝線も道路の冠水
で運行中止▽岩手開発鉄道盛岡−
大船渡線は世田米まででそれ以遠
は運転中止

八戸発電所の 発電不能に  東北電力の被害

 津波で東北電力の施設にもかな
 りの被害が出た。
同電力調べによると二十四日夕刻
までにわかった被害は八戸火力発
電所(最大出力十五万キロワット)が発電
不能になったほか、電柱折損約三
百七十本、断線高圧十一ヶ所、低
圧十五ヶ所などで、このほか引込
線の断線はかなりの数にのぼるも
のとみられる。これらの被害のた
め気仙沼、志津川、女川、大槌、
八戸の各変電所管内が停電した。
 そのうち気仙沼、女川変電所は
 午前中に送電を始めたが、全部
 復旧するには相当の日数がかか
 る見込みである。

電話線、各地で切断  東北電通局 対策本部を設置

二十四日未明の大津波で東北地方
太平洋岸の電話線はズタズタに
切断され、東北電通局は津波災害
対策本部を設けて復旧にあたって
いるが、戦後最大の打撃を受けた
だけに作業は思うようにはかっどっ
ていない。
 同局の津波被害調査によると、
 全く通信不能におちいったのは
 宮城県下では志津川小竹浜、江
 ノ島の三局をはじめ、岩手県で
 ■茂、豊間根、吉里吉里、箱崎、
 吉浜、越喜米、■里、細■、貝
 越、広田の十局に達し、陸前高
 田、大船渡の二局も通信はほと
 んどマヒした。
同局は気仙沼−陸前高田−大船渡
間に移動無線車二台、仙台−■岳
−志津川間に移動無線機一台を置
き回線の確保につとめる一方、冠
水した大船渡局を市内盛町の高台
に移す工事を進めている。
 被災地への安否電報はさばく方
 法がないので、全国で受付制限
 を行なっており、市外電話もた
 まる一方。同日夕刻には仙台−
 気仙沼間で約五百五十回、仙台
 −八戸間では約百回の“特急
 報”がストップした。

社説 大津波と科学者の道

 どえらい津波が太平洋岸
を襲ったものである。しか
も不意に——。平和を押し
流す政治、外交上の人災もこわいが、
二十四時間あれば地球を半濁して死の
町をつくる天災の物すごさが、いまさ
らのようにわれわれの心をとられた一
日であった。
 ところでこういうときに常に問題に
なるのは“災害の予知”である。ラジ
オで聞いた和達気象庁長官の言葉では
「北海道や東北地方の気象台からは事
前に“海の異常”について報告があっ
た。しかしそれがこれほどの津波にな
るとは予測できなかった」ということ
である。これを聞いて、誰しもが津波
以上の意外さを感じたことだろう。日
ごろ政治責任者のソツのない答弁を聞
き慣れている耳には、どう聞き直して
みても甘いささやきではない。いかに
気象庁といえども地震や津波を制御、
調節しているわけではないから、それ
が怠慢から生ずる過失でない限り、わ
からないものはわからないでいいし、
予測できないものはできないで一向に
構わない理屈である。だがどういうも
のか、われわれは無意識に学問を政治
の上においている。いわば学者に対し
ては、政治家にない絶対的な信頼と価
値を見出しているのである。
 こういう一般の日本人の習性は明
らかに素人の勝手である。たぶん、学
者はこういうだろう、「地球物理学の
発達は地球進化の定説がやっと出かけ
た程度だから、いまの段階では地震の
予知ができないのも当然だ」また「生
物の進化に突然変異があるように、地
球の進化の過程に急激な変化があって
も一向にさしつかえないはずである」
と。しかしわれわれは、こういう学者
の回答に接すると“致し方ない”とは
思うが、決して“納得”はしない。
 現に河川工学の権威で資源調査会副
会長の安芸皎一東大教授は「科学の世
界でも、今日ではなかなか過去の経験
の延長からだけでは将来を予測するこ
とがむずかしくなってきている。予測
の方法の再検討が強く要求されている
のではかいか」といっており、新進気鋭
の研究者の間でも「自然界のベラボウ
に大きなエネルギーの出現の確立が、
統計的にきわめて小さいということだ
けで安心していいものだろうか」と、
自らに疑問を投げかけているような発
言も少なくない。そしてこれらは台
風、地震、それから起こる高潮と津波
などを研究の対象としている地球物理
関係に向けられていることは疑う余地
がない。この学問の分野ではしばしば
“周期”を重視するからである。
 津波の被害を二次的に拡大する日本
の典型的な湾といわれているのは三陸
の■里湾である。昭和八年の“三陸津
波”では湾口付近で七、八メートルの高さだ
ったのが湾の奥の白浜部落では二十メートル
から二十五メートルという驚異的な高さにま
で達した。三陸沿岸はすべてこれに近
い宿命を背負っている。ありきたりの、
しかもはるか遠方の無関係とも思われ
る地震や低気圧がひとたび“三陸”を
捜し当てれば、たちまち死の町をつく
る“そこ”にわれわれは住んでいる。
 われわれには細かい数字も理論もわ
からない。本当は、学問の進歩がどこ
までわれわれの生活を楽しいものにし
てくれるのか、その限界や可能性も知
らないのだ。だがそれにもかかわら
ず、こういうどえらい天災にあうたび
に、われわれは現代の最先端を行く優
秀な物理学者たちに、地球の長い歴史
の間に起こったこと、今後も起こるで
あろうことに対する高い人道主義に裏
付けられた科学的良心を期待するの
である。

災害救助法発動  厚生省 志津川など21市町村に

二十四日夕刻厚生省にはいった報
告によると、津波被害のため災害
救助法が発動された市町村は次の
九市十一町一村となった。
▽北海道=浜中村▽青森県=八戸
市▽岩手県=大船渡市、陸前高田
市、釜石市、宮古市、大槌町、山
田町▽宮城県=気仙沼市、志津川
町、雄勝町、女川町▽三重県=尾
鷲市、南島町、海山町、紀■町、
長島町、南勢町▽和歌山県=田辺
市、白浜町▽高知県=須崎市

四県が歩調合 わせ中央交渉  三浦東北自治協議会長談

三浦東北自治協議会長(宮城県知
事)は二十四日午前十時三十分、
仙台市霞ノ目の陸上自衛隊飛行場
から自衛隊連絡機で約三時間にわ
たり、空から津波に襲われた三陸
沿岸一帯を、塩釜−石巻−志津川
−気仙沼−陸前高田−大船渡−宮
古−八戸のコースで視察したが
「宮城、岩手、青森、福島四県が
歩調をそろえて対中央交渉に当た
り、復旧対策に万全を期したい」
と次のように語った。
 被害は実にひどい。特に宮城県
 は志津川町、岩手県は陸前高
 田、大船渡の両市、青森県は八
 戸市が惨たんたる有様だ。さし
 当たっての対策は各県独自でた
 て中央交渉することになるが、
 被害がハッキリしたら、四県が
 共同して全国知事会議を緊急招
 集してもらい、政府に復旧対策
 を要望して、三陸沿岸の早い復
 旧をはかりたい。

日赤で被災者に 救援物資送る

日赤本社では、こんどの津波の被
災者に救援物資を送ることを決め
二十四日、その第一次分を宮城、
岩手、北海道へ発送した。
 ▽宮城=夏シャツ上下七十組、
石けん、タオル百個
 ▽岩手=夏シャツ上下九十組、
 石けん、タオル百個

救援物資を無賃輸送  国鉄、8月23日まで取扱い

国鉄本社は二十四日夜、被害の最
も大きかった宮城、岩手、青森三
県下の被災者に送られる救助物資
に対して運賃の無料および半額扱
いにすることをきめた。無賃の物
資は、被災者救助用寄贈品(知事
市町村長、日赤支部長あて)で、
五割引きは被災者用個人あて物資
(食料品、薪炭、衣類、寝具)、応
急建築材料(木材、ブリキ、トタ
ン、戸しょうじ、タタミ)となっ
ている。
 期間は救助用寄贈品(無賃)二
 十四日から六月二十三日まで
 被災者用個人物資(五割引き)
 が二十四日から八月二十三日ま
 で、着駅は宮城、岩手、青森各
 県下の国鉄線および連絡社線と
 なっている。

河北春秋

空白となっている
国会も、きのうの
大津波に呼びさま
されたようなかっ
こうだ。まことに、
国乱れたときの警
鐘のよう▼この災害に対し
ては国会としてもだまって
はおられまい。救済対策の
ために国会を開くことにな
れば、社会、民社両党も知ら
ん顔はできないだろうから
自然、空白国会は救われる
かもしれないとみる人のあ
る▼もしそうなれば、この
チリ大津波は岸さんだけを
救う時の氏神となるわけだ
が、われわれには迷惑全■
な悪魔のような天災が、岸
さんにだけは思いがけぬ福
の神にみえるほど、日本の
政治はだらけ切っている▼
ところが、災害国会をやろ
うにも会期は二十六日ま
で。自民党はこの間の深夜
国会で会期は延長されたと
いい、社会、民社党は延長
は無効だとしている。つま
り自民党説によれば災害国
会は可能だが、社会、民社
党説では臨時国会を開かね
ばならない▼現実に惨たん
たる被害を目前にして、そ
の救助の手をのべようとす
るにも政情かくのごとく、
ふがいなくも最悪の線に低
迷している。情けないとい
うよりも、腹のたつことで
ある▼被害十万を超えた昭
和八年の三陸大津波の年
は、陸海青年将校たちが首
相犬養毅を射殺した翌年で
あり、また神兵隊事件と年
を同じくする。三年あとに
は例の二・二六事件を生ん
だ▼その前の三陸大津波の
明治二十九年はまた日清戦
争を終えて、日本がいわゆ
る侵略の歩を台湾に■した
年だった。伊藤博文内閣の
第二次であり、伊藤は第四
次まで内閣をつくり、明治
四十二年ハルビンで韓人に
暗殺されている▼いわゆる
天誅(ちゅう) であり、俗
にいう天罰覿(てき)面で
ある。こんどのチリの大津
波もまさしく日本の“岸”
に寄せたもの。被害を受け
た大衆に政府は双手をつい
てあやまるべきだ。