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大海嘯見聞記  田老と小本港   (7) 後 藤 生

熊谷平助氏は我々の為に汽船を一隻出して呉れました。実は八角将軍と私は、船が無かったら三日でも四日でも山道をあるいて下閉伊九戸の海岸を廻る決心をして居たのです。少なくともこの汽船で二日を旅程から縮小する事が出来た午前八時鍬ヶ崎を出発しました。中野直枝中将、連隊区の斎藤中佐も私共と行を共にした熊谷氏も普代まで一緒にまいりました。空は曇っているが、稀に見る和ぎでした。船は田老につきます。残って居るのは右の山手に二三軒、左の山手に学校と役場だけです。あとはキレイに洗われている。取片付にいそがしい田老の消防達何か聞いてもぼんやりして居るのも無理はないが、あまりにも惨憺たる光景に、驚かざるを得ない。熊谷アンが私達にここがいい街でした。ここが川で、ここが橋でしたと説明して呉れるが、只砂浜と化して田老の町を想像する何ものもないじゃありませんか。まず役場に向いました。
八角将軍 関口さん、此度は飛んだ事で…私は代議士の代表でまいりました。政府を鞭撻して皆サンのために此の議会中に復興予算を要求する決心です熱が冷めた後では何うもなりません。熊谷巌君は後藤農相とは眤懇の間ですから向うでお膳立をやってる筈です。
関口村長 遠路態々お出で下さいまして有難うございます、実は廿九年の経験もあり田老湾修築の必要を認め而も今回小漁港に指定するという事なので四日に出県して田老港の運動をする事になり、巳に県会議員諸君も視察に来てくれて居たのですから之からと安心してる時この災厄に出っくわしました。タスカロラは田老の沖になって居り直接荒海に面して居るから是非共防波堤を造ってもらう外ありません、何うか宜しく御願致します全く御覧の通りの始末、貧富の差なき土地と相成りました。漁船も九百余隻、家屋も自力では何うにもなりません 皆サンのお同情によって、今後はかかる災厄はない様にして産業に従事させたいと思います。
と、もう七十路を越したが、此の大事件に際して自ら陣頭に立って進もうとする意気、如何にも熾烈なものがあります。朝日に火をつけてから
 市区の改正も致さなければなりません。慶長の昔にも大津波にあったのですが三百年の間に夢の如く忘れてしまい二十九年にあの惨状—あの時も全滅の姿で二百人生き残った丈けでした。今度という今度は、何うあっても完全な魚湾の設備をせにゃなりませんワイ。
と村長大きな笑いを見せようとするが、打撃と疲れで心持ち黒ずんだ顔に、愁いが漂うのでした。死体がまだ誰とも判明せずに居るのが四五ばかりある、記念碑と病院と化した学校には遠慮して私共は舟に戻りました。盛岡、厨川、土淵の青年、消防の人達が大へん元気で働いて居ました。同村の被害を見ると
大字 字  現在  流失  死亡  生死
      戸数  戸数      不明
田志田老 三六二 三五七 四一五 三九八
  樫内  二四   四  —   —
乙部荒谷  六八  六五   四   五
同青砂里  四六  四六  二二  一五
 同野原  二七  二七  三九  二二
 同小港   四   四   六  —
攝待水沢  一七   四   四  —
同下攝待  一三   三  —   —
 計   五六一 五一〇 四九〇 四四〇
 全戸死亡したもの六六戸

小本に上陸。想像していた様に浜通りはすっかりやられている。小本橋の橋桁で流石の津浪も抑えられて本通りは無事だった。佐々木村長は橋の上に立って私共に津浪の全貌を語った。
 地震後井戸の水川の水を見たら別段変りはない、それで油断して暖を取ったろうと思う津浪というので橋の上と山に分れて群をなして逃げ出したものです奇蹟的に助かったお話を申すと浜通りから逃げ出した二人の兄弟が、別れ別れに一人は山を上って一人は何処を行ったのか、八幡サンに行ったものですそれが三日の午後になって境内でめぐり合ったのです。姉と妹が小本川向川岸から山の方に手を取り合って逃げ出したが姉の方がもう足が動かなくなってしまった然し津浪は押寄せてくる。そこで妹があらん限りの力を出して姉を拘えて安全地帯まで行きついたのです。村長『その妹の力を私は想像する事が出来ません』とビックリしていた。もう一つは、カフェーの女給が、津浪というので逃げ出したが浪がくる気配に桑の木に上ったものです。そして、足袋一つ濡らさずに助かったという事でした。被害は、流失八九戸、死亡一五一、倒潰五戸、浸水五〇、負傷三八流失発動機六、漁船三〇〇、乳牛四頭等であるが、罹災民三三二人のものは大きな家に滞■した。岩泉との電話不通となったが佐々木県会議長サン始めお医者サンが来てくれて助かりました。県庁からは高瀬課長サンがお見えになり配給も遺憾なくそれに沼宮内葛巻岩泉方面から大ぜいのお手伝を戴いて居ります。
それから箱石藤右衛門サンのお座敷で村長は八角代議士に左の陳情を述べるのだった。
一、小本川両岸の護岸工事三万円
二、茂須の復旧工事匡救事業でやったのが破壊された之が六万円
三小本漁港十六万円県より既に測量隊も来ているという事だった
四、小本川改修 之に依って四八〇戸から七〇〇戸四千人を収容する耕地が出来る
五中ノ場の開墾等を災害善後施設としてやりたいという事だった津浪に依って海草を奪われてしまい之が損害一万五千円アワビイワシ漁も何うなる事か兎に角小舟が必要なので百五十隻バラック四十戸とを支庁に願ってやりました
小本を去る時、中野中将、斎藤中佐の乗った小舟が波をかぶって危うく転覆せんとした中将は頭からすっかり水にぬれてしまった。岸に見ていた八角サンと私ヒヤリさせられた。陸海軍の将校四人が水に呑まれたらそれこそ大変な事になりますからね(写真は田老港惨害の跡)

帆立貝全滅  海藻類の被害  莫大

(宮古電話)明治二十九年の大津波で殆んど全滅に瀕した山田湾及び高浜の帆立貝は僅かに残った種貝の繁殖で漸く近年隆盛を見本郡沿岸の名物として推称されて居たところ又復今次の津波により海水に変化を来し全滅の悲運にあい当業者をして絶望させているが此の外三陸沿岸の海藻類や貝類の被害も莫大なものとみられて居る。