文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

大海嘯見聞記  船越と織笠村   (5) 後 藤 生

下閉伊郡に入る、船越村役場に行ったら若い人二人居る丈けで、村長さんや助役さんは田ノ浜の災害地に行って不在だった。漁組合長鈴木吉平さんが八角氏の軍服姿を見て家から飛び出してきて、案内してくれる。ここでも組合の金庫が五六町流されて田の中に泥まみれの姿を見せて居る。桟橋は全く跡もない。学校と寺が無事だったが、その他はカゲも形もなく行ってしまって居る。無論、山田湾の波と船越湾の波と連絡した事は廿九年の時と同様である。三日の朝船越全滅の報伝わるや、村の人だとて本社の編集室を急襲して来られたが如何に新聞社でも、船越との直通電話がある訳でなし宮古支局と警察電話で情勢を集めて居るのだからナンともお知らせする事が出来ずお気の毒な事だった。こういう時に、伊藤さんの岩手号が安全だったら、あの辺を偵察して貰って、充分な報道をなし便宜を与える事が出来たであろうと思う。
 田ノ浜は総戸数二二三戸の中流失倒潰が一七七戸之も滅茶々々にやられて居る。山の手のある家に役場を移動して、ここで善後策を講じて居る処だった。村長サン、村役人達、議員達の話を総合するとこうだ。
一、舟を奪われては手足をもがれたようなものですから、之を急にこしらえて頂くように願いたい。
二、この村では木炭に窮している。これも何とか方法を取って頂きたい。
三、地区改正をして、全部家屋を山の上に移す(学校の高サ迄)山を崩すことは簡単に出来る。
四、防波堤もゼヒ復活してもらいたいその費用二万円とす。
五、寝具が足りなくて困っている。
この配給も山田の軍艦からもらって具合よく行って居た。この家の前の広場に、莚を敷いて、衣類の分配をして居る処だった。見ると錦紗のお召があり、紋付があり、流石に同情の集まった事が判るがさて、こういうキャシャなものを毎日身につける訳にも行くまいし結局は木綿のフダン着が一等必要じゃないかなど思いめぐらされる潮につかった布団を大事そうにしてるのを見ると矢張り美しくなくとも厚ぼったい布団をかぶらなけりゃ寒い事だろうと思い当る。青年達が一生懸命で、分けて居る間を無心の子供達は、津波も忘れて、鬼ごっこなどして居るのも哀れである。配給の合図は八幡サンの太鼓を鳴らすなど津波でなければ見られぬ図である。この村の被害は約七十二万二千円に上って居るそうだが
 大浦部落では流失二戸、船越部落同二四戸で発動機が六三漁船二三六ばい流失した。
死者は田ノ浜二名大浦三名であった。九日迄は何処からも応援が来なかったという事だ。炉バタにキチンと座って居た老人が
 何しろ三十八年目にやってくるんですからやり切れません、今年九十五になる婆さんが、津波ときいても、逃げようとせず運を天に任したのですが不思議なものです。この人がとうとう助かったのです。高い足駄をはいてビンビンして居ますが、この老人は今度で三度津波に遭ったそうです。一生に三度か二度でつくわすのではいくら命があてもたまりません。
というのでした。無理もない事です。八角中将は『私も津浪は之で二度経験しますよ』とお世辞をいうと老人『アナタのは御覧になる丈で私共は本場モノですヨ』と逆襲されてまいっちまう。各部落の魚舎をつなぐ特設電話もやられちまったという事だった。

 引返して私共は医師三浦寅治さんの処で、午めしを頂戴した。消防組頭の菊池福松さんが大分御機嫌でやってきて、八角さんを拝みながら『何うぞ舟を与えて下さい』と涙をこぼすのだった『私の財産などは何うでもいい、早く若い者を生業につけて下さい』と又合掌する。
 寺の坊さんが地震直後桟橋までやってきて大槌に電話をかけて、返事をきいてから提灯をつけて寺に入るなり津浪がザーッと来たそうだ。寺は松原なので安全であったらしい。八角氏の説では船越も浜に松原を造って浜は共同作業場とし、山手に住宅を造るべきだというのだった。三浦さんは、津浪ときくや、山に逃げずに人の止めるのを聞かずに坂を下って行って津浪の正体をつかまんと海の中を覗いて見たら、まっ白く逆まく波が恐ろしい音をして入海の処でうずまいていたという事だ。

織笠村役場を訪ねると丁度■■村会の処で村長始め議員達からいろいろの陳情が八角氏に集中する。
この村の被害状況は
部落名 流  半  浸  死者行  流失
    失  潰  水  衛不明  舟
細浦 一戸  〇  一   三   二
跡浜  〇  三 二一   二  一九
織笠  〇  五 四二   一  一四
其外破損舟は発動機一四漁船四六
という事になって居る。ナルほど外の町村よりは表面の被害はなさそうに見えるけれども実は質に於て他村と何等変りがないという事であった。それにも拘らず県でも何ら救援の方法を講じてはくれないというのだった。殊にひどいのは炊出しをする米百俵を県配給部に購買するからと申請した処応じてくれないとは、県も何うかしてるというもの。そこで政府米の払い下げを宜しくやってくれというのだった。被害の大なるものは、海苔の網杭(金のもの)の流失で三年使用が出来るのを流してしまった。この損害三万円、それに海苔がついているものの流失一万五千円といわれる。その外金チャク網、鰯粕、其他道路、橋梁、耕地宅地の損害を合わせて七万二千円という事だった。この村では屋根に石をあげて居るので外の村よりは割合に流失がなかったが浸水によって財産を奪われてしった事をばお上では見てくれぬとは近頃流行のお多分に洩れず認識不足と申さねばならぬ。途上で内丸教会の今井牧師がリュックサックを背負って罹災者慰問にあるいて居るのに出会う。スキーの高橋源三君が生命保険の肩章をかけてこれも災害地慰問をして居るのだった。
註 田村部長より腰を抜かしたというのは断然■報だという取消要求がありますので田村サンは青い怪光に多分震え上ったと思いますが山を元気に駆上った事に訂正して置く。(写真は大槌町白石の海岸)