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大海嘯見聞記  鵜住居から吉里吉里へ   (4)  後 藤 生

第二日(九日)のコースは釜石から宮古までです。慰問を主とするので釜石の災害は実に見ずに出立した。此朝釜石の朝湯につかって、床屋に迄行ったのですから本当なら鬚が伸び白髪がのびようが知人の処、友人の処に廻って見舞もし災害の跡を見るべきであったのです。大変済まん事をしてしまいました。何れ出直してお詫を申すつもりです。

鵜住居村役場に来る前に両石の災害地にさしかかる。ここも全滅です、あっちに畳一枚、こっちに布団が潮水にひたって居る柱にするような丸太一本も見えぬ。焚いてもしようのない木片が桑の樹の間に散らばっている丈です。全戸数一〇四戸の中九〇戸流失倒潰しているのです、惨憺たるものです。ここに来ると気仙郡とは違って山の端に雪さえあります。なんぼ寒い事でしょう。見るも哀れな板囲いのうちに火をたいているのが見えます、悲嘆を知りながら素通りするのが誠にすまん事でした。それでも死者三名は不幸中の幸いです村役場にくると村長はじめ皆さん元気で『きょうから小屋■をするので大工十人の派遣を得た』という事でした。県の三浦さんが大変な活躍ぶりで配給も申分なく陸海軍からの毛布を一人二枚当りは独断専行を許された以上、大手柄と申さねばならぬ。後で山田で聞いたのですが山田方面は一戸一枚半とは大した違いとはいわねばなりません。釜石に入った駆逐艦四隻の中一隻を大槌湾に廻してもらって三日の晩に毛布と缶詰をせしめた処うまいじゃありませんか。被害を部落別にすると(両石は前掲の通り)
    部落  流失  死者  負傷
    戸数  倒潰
箱崎 一七四  二三  —    一
根浜  一六   八  —   —
片岸  五二  二八  —    一
室浜  五二  一五   四   七
その外漁船一一八、発動機四八、流失田畑八町歩等で損害四十五万九千円というのでした。

大槌に入って行く、大槌は震災当時電話不通で一体何うなったのか一切不明でひどく困らされた処です。やっと釜石支局の金田君が大槌まで行ってくれて四日にはその大体を知る事が出来たのです(釜石より遠野経由電話)大槌の交番につくなり金田君はたおれてしまった程難儀をして使命を果してくれたのです。が実際は釜石で腰を抜かしていたそうです其大槌です震災と同時に北の安渡橋が落ち南の小槌橋が落ちてしまった夫に電柱もやられてすべての電話が不通になった。警察電話が開通したのは六日の午後です。そこで大槌と他の連絡は人夫を走らず外方法がなかった。ところがその人夫も思うように見つけることが出来なかった。盛岡から米を運んで来ても橋が落ちているので、そこから人夫で米を運ばせねばならなかった橋を架けるのにも人夫を要した。又道路に倒潰家屋が流れてきて、この取片付にも人手を要した。大変な騒ぎであったらしい。然し県の人達は機敏にも、三日の午後についてすぐ丁度町に残っていた米六石を買占めてしまったのです。そして一人三合づつ罹災者に焚出しをくばることが出来たのです。四日には駆逐艦が入って、米六石麦四石八斗、醤油十三樽、パン二八トン、缶詰二一トン、毛布二八〇枚、騎二四よりパン三、缶詰三毛布二〇〇、外套一〇〇、騎二三よりは味噌十三貫、毛布二〇〇、外套二五枚の配給をうけた。何しろ落橋で安渡、吉里々々には配給もおくれ勝ちなのもやむを得なかった。かくして四日から一人五合の配給をする事が出来たのです。大槌の配給未だしの流言は結局デマに過ぎなかった。毛布も一人二枚という贅沢を極める事が出来たのです。

茲で大槌の被害の全貌を見渡すと
    流失  全潰  半潰  浸水  家族数
大槌 一七二  四八  三〇 一九五 二、六九一
安渡  八六  二八  四二 二二〇 一、二九六
吉里々々(赤浜を含む)
    七四  二二   九 二四〇  八、三四
計  三三一  九八  八一 二九四 四、八二一
 但し大槌の内町方一九〇戸、向川原二五五戸
       死  傷  者
    死者 行方不明者 重傷 軽傷
男   二三  一一   一二 三五
女   一八  一二    一 一六
内訳  死亡者行方不明   重軽傷
 大槌    二九     四二
 安渡    二四     一五
 吉里々々   九     一一
    家屋其他被害
 船舶発動機        八五
 漁船          四一〇
私共の見た目では大槌は殆んど全町に亘って、津浪の被害をうけたように思う。されば、役場の数字では罹災総戸数は一、七六〇戸、総人口一一、一二〇人となって居る。そして被害総額は百三十九万四千八百円余円に上って居る。

大金侍従のお出でというので倒潰家屋の始末が捗取った。之は消防青年団、郷軍の努力である。土木管区と工兵隊の奮闘で落ちた両橋も七日午後四時に開通が出来て孤立の山田が生き返ったのだった。私共の訪問したときはバラック六十戸、十二棟の工事が始まって居るところで、これに三百人を収容し。なお不足分は材料を山林課に要求して次のバラックを建造する計画だという事だった。派遣兵家族に対しては配給の先取権を与え軍人家族に対しても、適当の処置を講じていた。

安渡もひどくやられて居る。形がないとはこの事だろう。スルメ漁で名高かった安渡の浜は、いまは見るに堪えない荒れ方である。荒井儀兵衛さんが私達を追いかけてきて、八角代議士に大槌湾の築堤計画を懇願するのだった。丁度暗礁のある辺りで防波堤を出せば安くもあがり、こういう惨害は避け得られるとて八角氏と荒井さん大分組めて居た。赤浜の岡本さんの案内で私共は吉里々々に参りました。ここも全滅です。組合の金庫が二三町も流されて横になって居た。何しろすぐ荒海だから、ここも築堤の必要がある。先年激浪でやられて今度の大災害である。土地の人達も之ではとてもやり切れまいと思われる話を聴いた丈で気が遠くなる。災害地の皆サン、そう非運ばかりもありますまい。待てば海路の日和とか申します。折角復興に向って精進されるよう祈ってやまぬ。

震災復興予算は  十八日提案困難   二十一日の本会議で    即決可決されん

県選出代議士の熊谷、広瀬、田子小野寺、八角、志賀の諸氏は三陸震災復興予算を十八日(土曜日)の本会議に上程するよう政府と交渉を進める一方民政党幹部と協力し政府を鞭撻しているが内務省関係は農林商工文部の各省に比し頗る尨大な予算案であり殊に内務省土木局の意見は防波陳防波堤及び三陸沿岸を通ずる自動車道路の如きは新規事業であるから技術官を派遣し実地踏査の上決定すべきであると主張し災害地の復興にはつとめて急速を要するに係らず自重主義をとっているので十八日の衆議院本会議の上程は事実上困難と見られ結局二十一日(火)の本会議に提案されるのでないかと予想している。尚衆議院では同案が二十一日上程された場合委員会にかけず本会議で即決可決せしむる方針であると。

漁業組合代表  各相に陳情   後藤農相深く同情し    努力更生を力説す

(東京発)本県水産会並びに漁業組合代表
 熊谷平助、堀田熊次郎、菊池長右衛門、竹内秀策、川原田助役、島香評議員、小笠原孝三、中村(以上宮古)佐藤、崎山(以上気仙)川崎富蔵、村上徳一郎(以上九戸)岡本勘平、荒井儀兵衛、佐藤亀太郎(以上上閉伊)
の諸氏は十五日午前六時五十分着京憩う暇な九数台の自動車に分乗して牛込区薬王寺に中島商相を訪問。つづいて齋藤首相の私邸、高橋蔵相、山本内相の私邸の順序に歴訪し一同を代表して熊谷平助氏今回突如襲来した三陸大震災に際し政府の寄せられたる同情と応急施設に対し謝意を述べ而して今後の援助方を懇請して辞去、零時二十分から院内応接室に於て熊谷総務の紹介にて後藤農相と会見。水産会を代表し堀田、熊谷、菊池(長)、川崎、竹内の諸氏より海嘯による地方民の窮状を説明し
 先ず政府は須らく漁船、漁具を罹災民に給与し一日も早く生業に就くよう応急の処置を講ぜられたい。今回の海嘯で五十里にわたる岩手の沿岸には漁船の影をひそめ死体の捜査にさえこと欠く現状である。
とて言々句々血と涙の陳情をなしたのに対し後藤農相暫し目をしばたたきながら
 海嘯による被害と惨状については全く御同情に堪えない農林省としては只今全力を傾注して復興策に努力している次第である。どうぞ今回の災厄で失望落胆せず一段の奮起を望む。
と述べ熊谷総務より
 来る十八日の衆議院本会議に復興予算を上程されたい。
とて農相を激励し漁船、漁具の国庫補助は前例ないというがせめて八割五分位の補助をして貰いたいと希望を披瀝し同四十分会見を終った夫より一行は陶々亭で開催の熊谷代議士招待午餐会に出席した当日異彩を放ったのは堀田水産会副会長で海嘯以来連日連夜水産事業の復興に努力した結果両脚とも靴ズレで痛々しく破れ洋服に下駄ばきの姿は特に人目をひいた(写真は一行齋藤首相の私邸訪問)

火保支払要求 陳情員上京

釜石町火災保険金支払い要求の陳情隊一行のうち代理店代表者藤沢清助氏外一名は十五日午後七時七分花巻発急行で上京したが藤沢氏は花巻駅で記者に次の如く語った。
 私共丈け陸廻りし外の人達は船で塩釜を廻り東京で一緒になる事になっている今回の焼失者の保険契約高は三四十万円で万一支払われないような事があっては復興は困難である。先に上京した加茂代表から同情ある回答を得たと云うので我々も応援に上京する事になったのである確かな返事を得ぬ限り東京に踏み止まって目的を貫徹する考えである。

帝国生命の災害地慰問  特に巡回健康相談班を派遣

三陸地方の大震並に海嘯の災禍に就ては帝国生命保険会社に於ても時を移さず慰問班数隊を組織して仙台支店より特派し笹原外務主任等を釜石方面に、阿部監督社員等を気仙沼方面に、上田岩手所長等を宮古方面に、其他罹災地を洩れなく巡察し夫々見舞品を贈り加入者の感謝に迎えられている。更に来る十三日よりは罹災後の健康状態につき周到なる配慮をなすため東京本店より特に常務顧問医一色嗣武博士を首脳に一行数名の巡回相談班を組織して災害各地に派遣するに決し加入者のため無料診察を行う筈である。平素健康増進施設につき特別の奉仕をなしつつある。同社の今次の災禍に対する活動ぶりは世間の注目を惹いている尚本店に於ては義捐金を募集中である。

県議一行の お礼廻り

(東京発)滞京中の佐々木県会議長三浦、高瀬、東、沢田、瀬川、柴田の県議一行は十五日午前九時宿舎東家旅舘を出発自動車で陸海軍省日本赤十字社愛国婦人会本社を歴訪三陸震災を礼廻りをなすところあったが午前十一時一行は瀬川上院議員の案内にて貴族院で徳川議長と会見一行を代表して佐々木議長、貴族陰が本県に寄せたる同情に対し厚く感謝の意を表し御礼を述ぶるところあった。これに対し徳川公爵
 震災地の諸君には誠に御同情に堪えない、一日も早く復興を望んでやまない次第である。わざわざ有難う、県民諸子によろしく。
との同情溢るる挨拶があった、又海軍省では八角中将が震災当時いろいろと心配され海軍省へ電話等を以て救援方を問合せその機敏な処置には敬服している次第であるとて、復興に関し県議の一行を激励するところあった。