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大海嘯見聞記  吉浜から唐丹釜石まで   (3)     後 藤 生

厭な事だが岩手県の海岸に沿って六七十■の処にさても恐ろしきタスカラヲという魔の海が横たわって居るのです。富士山を埋めてもまだ底に届かぬという魚の棲まぬ深海です、英国人が最初に発見しそれから海軍水路部でも測量して居るのです。その深海の崖が崩れると、地震となり、そして津波となるのです。今度のもそれだと云われて居る。海軍でも今度、測量するそうですが中野直枝中尉の云うには、昔と違って、海の深さを音で電気で)はかるので簡単に出来るという話です。兎に角、一生に三度か二度、来襲する津波ですそこに我々は生活して居る。何んとか津波が来ても困らぬような方法を講ずる事が絶対に必要です。国としても、学界としても、この原因を探り、沿岸漁民をして何の心配もないように研究所を設け予め海嘯の来襲を知らしめる様にすべきだと思う。八角代議士のサイレンなども至極面白いと思う。潮が引いたらガンガン鳴るようにしておくのです。序に県の水産課も海岸に移動して本式に海の仕事をしたら如何なものですか。

越喜来の役場は学校の後ろになっている。無論災厄を免れたが附近の殆んど全部が洗われて、例によって舟が山に上っている。屋根が田の上に横たわって居る。散々な光景である。この村の災害は
 死者四五 傷者三五 行方不明四一 住家流失九七戸 半潰一八 非住家は全潰二七 半潰一六 流失一四九 漁船 発動機五 破損流失一二 小舟破損二〇 流失一六〇 その外田一七町 畑一〇町 宅地八千坪 製材所 海産物製造所の被害十万円 道路河川の損害割合合計六十九万六千円と云う事である。
子供というものは罪のないものだ残った学校の一室で、ピンポンをして遊んで居る家の人達は取り片付けに忙がわしいというのに。私共は更に自動車を急がせて吉浜に向う。丁度役場では村の人達が集まって善後策の協議中であったが村長始め有力者が出て来て『前回の海嘯で住家を山手に取ったため今回は被害も少なかった』とて大分元気がよい。それでも被害だけは
 死者三 行方不明一四 流失戸数一一 全潰四戸 半潰一 浸水五戸 非住家流失一六棟 全潰八 耕地田二十町 畑二町漁船一〇六 発動機八隻流失破壊し
石の鳥居が折られ道路がこわされ電柱がボンボン折れている。今度は唐丹村だ。大石で自動車を下りる。ここから小蒸汽で小白浜に向うのである。郷軍副会長中野中将は四棟と漁船五〇隻を流したきり被害はない。ある老人が『本郷の人達は地震がしてから心を許したのか、また寝たんじゃないかと思います。あんなにひどくやられるんですからね』と口惜しそうな顔をして語るのだった。山の手は何事もない。役場に行って、色々の話しを聴く。地震三時間前に小白浜の猟師が、沖から帰ってくると潮の引き方が激しいのに驚いた。何かあるのじゃないかと思ったが、まさか夜中に不吉な事を報せるのも・・・・・・と思って黙っていたのである。それから地震になって間もなく波がいつもとは違って沖の方まで引いて行くのに、気がついた夜番が、それ津浪が来るゾと大声に知らせてあるいたら、やがて、ドンという爆音がして津浪がやって来たのだった。それで死者は僅かに二名行方不明四名という数字に止まった。沖に漁に出て居た人達は少し大きな波だなと思っていたが、サテ夜があけて見たら海岸の家がすっかり流されて居るのに驚いたという事だった。柴琢サンに久しぶりにお目にかかっがので爆音は何んでしょうかとうかがったら
 ナアに波が岩にぶつかった音でしょうよ。
ここから釜石まで徒歩で行くつもりで居たら中野中将一行の乗る自動車が釜石から迎えに来たのに、乗せてもらった。途中全滅の本郷部落を見ると、之はまた本当にキレイに流されてしまって、残るは只石コロの野原だ。先年山火事にかかって全滅し、いま又水の為に家諸共三百余の生命を捨ててしまった。道バタに只一軒残って居る時ならぬ自動車の音にこの家の犬が吠えてきて一■凄惨を増すのだった。この村の被害は
    総戸   被害    死    行方    流失発   漁
    数    戸数    者    不明    動機    船
小白浜一五八   九八    二     四     二五  七一
本郷  九八   九二  一〇〇   二二七     一六  五一
花露辺 六六   一四    一     九     −   三一
大石  七八    四棟  −     −      −   三〇
荒川  七一   一五    六     五     −    四
片岸  四八   三一    六    −      −   一六
舘石の災害地を車の中からのぞいて釜石に着いたのが、夜の八時頃直ちに、町役場を訪問する。小野寺町長が青い顔をしてそれでも元気で、町百年の大計を持ち出すのだった。五つの防波堤を作って帝国日本の釜石鉱山を泰山の安きに置かねばならぬと二人の海軍中将を向うに廻して力味かえる。丸焼にあい津波をくらった町長とはとても思われなかった。
 この夜はに宿を■って津浪の夜の話を聴き乍ら夜をふかした。三日払■の本社の事を思い出すとあの地震ですから、■輯の連中も飛んできてくれると思ってサテ老人テクテクやって行くと、菱川君が来て電話にかかっていてくれる宿直の岩根君、雫石君、梅シも居る松本君はもう測候所に駆けつけたとてまあ手配は凡そついて居るので安心したのである。東京、仙台、水沢等格別の事なしという、宮古も釜石も大した事はないようだが、三時前後になって宮古の測候所から、下の製材所が波に浚われたというニュースが入ると間もなく釜石の支局から津浪が来たといって電話を切って逃げ出した事を思い出した。それから本社は工場機会場に非情召集を行って号外又号外あの戦争状態に入ったのだった社の田村部長が釜石で津浪来に逃げ出したはいかが、本社で聴くと菊池君の奥サンが田村サンの手を取って逃がしてくれた事になって居たがこっちに来て聴くと、田村サン腰をぬかしてしまって奥サンが腰を押してくれたという事であった。
  (写真は釜石町只越の焼跡)

沿岸産組復興  対策協議   二十日から各地で会議を開き    応急救済策を練る

産組岩手支会では来る二十日より一週間の予定を以て罹災沿岸産組復興対策協議会を開催し応急救済策を講ずることになったが開催地は
 ▲下閉伊郡宮古▲上閉伊郡釜石
 ▲気仙郡大船渡▲九戸郡久慈
の予定である協議会には中央金庫参事、中央会全■連及県■■林道■係員等より夫々係官を招聘し各組合より理事幹事を出席せしめ実質に即した対策を審議するものである協議要項は
 ▲産組の復興を如何にするか▲資金の融通方途▲産組拡充五ヵ年計画の挫折を如何にするか
其他尚会議前夜数僧侶を招き同僚の死去を弔い悲壮なる決心を以て復興に臨むことになっている。

全国産組から 義捐金募集

産組中央会では本県東海岸震災地救済のため■に罹災組合指導費として三百円岩手支会に交附した。其後被害益々甚大の状勢を呈しているので全国中央機関連絡委員会にはかり各府県産組団体に対し義捐金募集の指令を発した。其要項は各組合役職員は俸給の百分の一乃至三■支出して中央会を経て本県に■る尚本県支会に於ても眼下各組合より応分の義捐金を募集することに決定し十六日の協議会で趣意書を作成して発送することになっている。

八角代議士 帰京報告

(東京支局発)県代議士代表として約一週間にわたり本県沿岸の海嘯被害を調査した八角代議士は十四日午前六時五十分着で帰京したが憩う暇なく同日午後一時からの本会議に出席し同四時から政友会幹部室に於て今回実地踏査した被害状況を約二時間にわたり説明したが鈴木総裁山口幹事長始め幹部は熱心に八角代議士の報告を傾聴した。

五代議士  震災地慰問   復興予算通過   後打連れ帰県

(東京支局発)三陸震災復興に関する追加予算案は二十日頃今期議会に上程されるので同案の通過次第龍谷、田子、広瀬、小野寺、志賀の五代議士(高橋代議士病床)は震災地慰問のため取急ぎ帰県すると。

災害地は  工場地帯に   唐丹の方針

気仙郡唐丹村では今度の災害地は漁業加工場地帯とし住宅地は水準四十尺以上の高台に設けることとし其の費用は国庫よう支出を仰ぐべく柴委員は九日出県して陳情した新設の住宅地は村有地とし将来確実なる村収入とすることになった。

近県小信

震災地救済土木工事・・・・・・青森県では今回の大震災の復興事業及び救済事業に奔走しているが更に県土木課では三浦土木課長は震災地救済土木事業其他の土木事業を打合せのため上京したが、この主なる要件は震災で最も甚だしい被害を受けた同県三沢村、百石町、市川村、八戸市階上村等は家屋倒壊し船舶を失うと云う状態で此の侭では約二千人からの失業者を出すものと見られて居り之等の失業者を救済する為には救済土木工事を起すより外ないので、八年度の土木事業予算の増額を要求する事を主とし、又農林省関係の要件として船舶を造るに付けての打合せ、八戸港修築後の後 末の認可をとる事等打合せの為である。