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まず船を与えよ  海草採集の最盛期が来る!   家より寧ろ仕事を

罹災地の一部には配給物資の多寡を云々し他力復旧にのみ拘泥しつつある一方に自力本願の更生安が力強く叫ばれ実行の一歩を踏み出す例話が視察官吏により県に伝えられ一同意を強くしているが一例話に下閉伊郡小本村の如き住宅よりは早く舟を造ってくれとの要求切なるものがあり。小本海岸は本月から四月にかけ海草採集の最盛期であり舟が無くては手を空うして機会を失うと云うのである小本村長は舟材と大工さえあれば一日四人掛りで一隻は建造が出来る是非生業を与える舟の供給を熱望して居りその他漁村浦々にまで舟を与えよの声が次第に高まりつつある。

釜石魚市場 荒木田氏談

釜石町では県の漁業復興計画に基いて資金の融通を受け漁船の新造補給すべく極力各方面に交渉して居るが心ある営業者の中には漁船の新造よりも目下閑散期にある茨城、千葉、神奈川等県外漁業地から漁船の中古品を譲受け目前に差迫って居る盛漁期に対する準備が急務であると云うのである。釜石魚市場会社の荒木田忠太郎氏は次の如く語る。
 漁業の復興は今の処漁船の新造よりも一日も早く漁船を取揃えて差迫った盛漁期を逸しない準備をしなければならん。之には漁船の新造よりも他処から中古漁船を譲受けて来る事です千葉、茨城、神奈川、静岡等の漁船は之から閑散期なので今回の災害の事もあるし水産局の方からでも話して貰ったならば充分諒解して貰う事が出来ると思う。漁船を新造するにしても現在の処修繕船の船大工さえ思う様にならぬ状態です資金の融通を受けるにしても金は兎角他方面に流用されやすいのですからね。釜石港は漁港であり商港であるのです。漁場は水産業の根源をなしています故に一日も早く漁船を取揃え復興に処する事が先決問題です。

近海漁場大変動  近く早池峯丸が調査

今次の大津浪により三陸一帯の近海漁場は非常な変動を見せ営業者間に大恐慌を来しているが右は震災後海底にある魚介類の棲息状態に異変を生じたもので被害地外の漁船はその後も出漁を続けていた間まるで様子が違い出漁に悩んでいる。県水産試験所では近く早池峰丸を出動させその実情調査をなす事になった。尚宮古町の漁船は今尚修理進捗せず僅かに残存船十数隻に依って湾内の漁業を開始している状態で魚市場も活気なく一しお寂寥さを味わせている。

慰問の御礼  震災地代表  一行来社

震災地方民が慰問を受けた御礼廻りのため十四日午後五時
 気仙郡水産会長新沼長吉郎、同郡越喜来村漁業組合長代理東田倉之助、釜石浦漁業組合理事菊地重太郎、気仙郡米崎村菅原斎三郎、八木合同運送会社社長久慈毅一郎、九戸郡南侍浜漁業組合長遠藤富太郎、同郡野田村漁業組合長大沢長右衛門、宮古町助役川原田正一
の諸氏が来社、挨拶をなし同日午後六時廿五分盛岡駅発上り列車で上京したが一行は十五日内務農村商工の各省へ復興に関する陳情をなす筈。

大金侍従  再度伏奏   聖上に拝謁

(東電)天皇、皇后両陛下より三陸地方の御差遣になった大金侍従は十四日午後五時天皇陛下に拝謁仰せつけられ十三日午後四時半の奏上に引続き再度詳細に亘り震害地の惨状を伏奏申上げた。

御下賜金伝達式  きのう釜石で執行

釜石地方三陸沿岸震火災及び海嘯罹災者に対する御下賜金伝達式は十四日午前十一時から釜石町役場に於て小野寺町長、後藤大槌町長二本松、鵜住居村長、木村唐丹助役出席挙行された。開会の辞に次ぎ臨席した釜石地方御下賜金伝達主任官中野警務課長から次の如き挨拶があった。
 今回三陸沿岸の災害の報が御皇室に達するや痛く御■念遊ばされて直ちに御下賜金の伝達の御沙汰あり一方大金侍従を御差遣遊ばされて災害地を隈なく慰問遊ばされた。各町村長は御下賜金の伝達を受けるに際しよく石黒知事の訓示の主旨を体し罹災民に洩れなく伝達し和協協調して災害地の復興に当られたい。
御下賜金は死者、行方不明者には七円、負傷者三円、罹災世帯一戸に付一円、特に出征軍人家族に一円の割合で小野寺釜石、後藤大槌二本松鵜住居木村唐丹の各町村長に夫々伝達された小野寺町長は各町村長を代表して御礼を言上伝達方を上申中中野主任官より伝送すべき旨の回答あり正午閉式

水産復興協議

漁業組合の水産復旧に関する協議会は十四日午後一時から午前に引続き開会されたが大体原案に異議なく水産業組合に就いては追って協議する事として三時半散会した(写真は会場)

陸軍省から  更に二万円   震災地の軍   人関係者へ

(東電)陸軍省では三陸地方震災被害者中出征軍人家族、■死者遺族の罹災民に対し金一万円を先に贈ったがその後陸相代理として三陸震害地に派遣された谷少将の報告によると陸軍関係者の罹災民が予想外に多いので更に金二万円を救済費として陸軍関係の罹災民に贈る事になった。この二万円は報効会帝国軍事後援会、愛国婦人会その他軍事後援諸団体より出征兵士家族救済のため恤兵部に寄附されたものの一部で単に出征兵士家族■死者遺族罹災者のみの救済に止まらず気の毒な在郷軍人罹災者にもこれを贈る予定である。

潜水夫  きょう唐丹へ

気仙郡唐丹村に於て未だ二百余名の死体が上らないので痛く近親者が心配し村民一同が之に同情し広い湾内を捜しているがこれがため同村の復興が顧みられずいまだ住宅建設方面に於ても復興気分が覗われない十五日釜石署の千田警部補、三浦部長は二艘のボートに潜水夫を連れ同村本郷部落、小白浜の海底を捜査することになった。死体引揚げに当る潜水夫は中に死体を見つけなければ腐れてしまうか魚の餌食になってみつかっても波に揉まれて何人か判断出来なくなるし今のうちは唐丹湾が狭いので大部分みつけることが出来ると語っている。尚田老も六百余名上らずにいるので八戸方面より潜水夫の応援を得て大捜査をすることになった。

罹災婦人のために  授産場を開設   愛婦支部が盛岡で    ホームスパンの製織に

愛国婦人会岩手支部では東海岸罹災地の託児所設置並に罹災婦人子供らのため玩具、お腰等を救援することになったが更に災害に依って一家の働き手を失った哀れな婦人達に対しては授産場を開設し仕事を与えるべく、目下高橋主事の手許において具体的な案をたてている。場所は盛岡市内とし大体五十人を限度とし寄宿舎を与えて宿泊させ一ヵ年計画でホームスパンの製織に従事させることになり十四日沿岸罹災地役場に依頼通牒を発した。

宮古湾浄土ヶ浜に  海嘯記念の観音像   明治海嘯の罹災者吉川保正氏    建立計画愈々着手

県商工舘金工部主任吉川保正氏は下閉郡重茂村の出身で明治廿九年の三陸海嘯の際母及び兄を失った罹災者の一人だが以来発心して郷土に近い宮古湾浄土ヶ浜に海嘯記念の観音像を建立すべく計画し故北田親氏翁のプランに依って準備を進めていたが建立に至らぬに北田翁の逝去となり更に今回の海嘯災害となったので吉川氏は是非今度の機会に於て故郷重茂村初め沿岸各地の犠牲者の霊を慰めるため観音像建立の素志を貫くことになった吉川氏は語る。
 私が盛岡に出て来たのは海嘯災害犠牲者慰問のため観音像を建てたい念願貫徹もその一つの目的だった、この前から多少資金も集っているので今度は鈴木元代議士あたりの応援を戴いて是非建てたいと思っています、私の生れ故郷は重茂村の里部落だが廿九年の海嘯の時父は旅行中で母と兄は浪に浚われ姉は行方不明だったが後泥の中から気絶して居るのを発見して助けた私は四才の時で婆やに助けられて逃げたが海に沢山の漂流物が浮いているのを見た記憶が残っている(写真は吉川氏)

罹災者奉仕デー

宮古理髪業組合では十七日の定休日を罹災者奉仕デーとして先ず来る十七日を手始めとして各組合店から一名づつ田老村に出張し罹災者全部に対し無料奉仕をなす事になった。

災地出張中  父は死去   泉沢主事捕

本県統計主事捕泉沢七郎君は震災と共に高田配給所に出張を命ぜられ救護品配給に奔走している間に厳父豊治氏の容態が急変して十三日死去したが職務のためその死に目にも会えず同情されている。

石塚検事正  罹災地視察

東海岸罹災地では復興について目下全力をあげているが今月末頃から愈々所謂自力更生に依って各戸の建築が始まり漂流物の分配、物資購入等が活発に行われる様になるとこれと同時に物資の欠乏に付け込んで暴利を貪る者等が出て来る傾向があるので石塚検事正は今月末から来月にかけ沿岸罹災地一帯に亘り実地視察に赴く。

在仙県人会 義捐金募集

在仙岩手県人会では三陸沿岸大震災の報に四日夜仙台駅前合同運送会社楼上に緊急幹部会を催し種々救援方に就き協議の結果在仙県人有志より義捐金を募ることに決し散会したが翌五日よりは全市を十区に分ち各役員分担奔走中十二日一と先ず募集を締切り総額金五百三円也に達したので早速岩手県知事に託しそれぞれ災害地へ送ることにした。

被害調(十四日午後四時)

十四日午後四時現在の被害調は同八時ころ発表された。
 死  者  一千三百十六名
 負  傷  八百二十三名
 行方不明  一千三百九十七名

奇蹟と云うもの  災害線を行く(D)

 三陸沿岸罹災地の復興途上にあってユーモラスな挿話が各方面から伝わって来る、その二三を紹介してみよう。
   ○
震災と同時に現金を携えて救援に向かったのは赤十字支部の高橋小兵衛主事が一番乗りと言っていいだろう。主事は震災の朝支部から約三千円の現金を赤皮の鞄に詰め込んで直ちに釜石へ飛んだ。本社からは罹災者数を調査せよと電命あったが主事はその頃には先ず満洲出動軍人家族を真先に救うべしとて見積りで罹災家族に金十円以上三十円の見舞金を贈呈し更に二十円以下の生業資金を貸与し歩いて居た。主事は釜石を振出しに唐丹村を訪ね更に逆行北上して大槌山田、宮古を経田老村を廻り気仙郡に飛んだが救助戸数百二十六戸その現金三千円に達し現金を手にした罹災者は感激の涙にくれたとある。
   ○
 同主事が船越村に差蒐った時、流失を免れた一軒の宿にヘトヘト疲れて宿を求めると人心不安に陥っていた宿屋では、お前サンは赤十字のニセ者だろうと言って相手にしない。金は支払うからいいではないかと言ってもダメだったそうでこの時は流石豪胆な主事も負けてしまったそうだ。
   ○
同主事の話、船越村のさる家で十六歳の娘と女中の二人が二階に寝て居るとズシンと来た。二人はその侭海へ持去られたが二度目の波で山ノ手へ持上げられ、それッ切り助かったが階下はどこへ行ったか判らなくなって居た。
   ○
 同じ村で佐々木某という漁師弁天島に流されたが之も二度目の波で陸へ上げられ胸部を打っただけで助かった。
   ○
気仙郡高田松原で小学校先生が寝ていると例のドシンーだ。何んだか重たいものでミシミシと部屋の壁に推しつけられる。水はどうどうと流れる。壁が破けて外へ出た何か知らギッチリ抱きついてると水が引いて行った。教員は二丈もある松の木のテッペンに捕まって居たので降りる時大変難儀したそうだ。
   ○
 気仙郡赤崎村役場近くの家で産婦が二階に寝ていた驚いて押入に逃げ込んだ処、階下だけ水に持去られ産婦は赤ん坊を抱いて丈夫で押入から出て来た。
   ○
末崎村で一頭の馬が約二丈の断崖の上に打揚げられて居た。震災後三日目で村人十何人がかりで馬に腹帯をしてやって辛くも助けおろした

宮古駅  開業は明六月   今度の大震災から    山田線のスピードアップ

盛岡建設事務所では今次の大震海嘯に鑑み山田線の工事を急ぐこととなったが長屋所長は語る。
 山田線川井駅の開業は今年十月の予定であるがこれは九月中旬頃実現すると見ている。川井、宮古間の土木工事は本年八月までに完成、宮古停車場の開業は明九年六月頃の予定です。最初山田線計画における竣功予定年限は九年十月となっているが約四ヶ月早くなります。今冬も昨冬の如く暖かであったなら冬期の作業がぐんとはかどって九年三月頃には宮古まで完成出来たろう尚宮古からさきについてはこれも極力早める考えです。

三陸海嘯 義捐金(十四日本社扱)

十円樺太豊原郡川上炭岩手県人会十二円北海道八雲町本町函舘新聞社支局内八雲双鶴会 三円市内材木町村井文治 二円五十銭満州国公主■満鉄農事試験場和田六太郎
小計金二十七円五十銭
累計二千八百五円九十九銭
 花巻支局扱 金一円也豊沢町中島米八

県扱い(十四日)

一円無名 八五円二九銭東京在郷軍人会芝分会第十三班 五〇円東京増田万吉 六円〇五銭遼陽衛戍病院看護兵一同 五円大分県長州尋常小学校児童一同 一円福井県平泉寺村平林文之助 五円近歩三連二中隊岩手の兵隊 一八円千葉旭町婦人会成田支部 五円神奈川県稲田村有志 三円松本衛戍病院三村英悟 四円長野県望月町中信毎日新聞社望月支局 一円平泉少年団健児一同 二円京都平塚三好 二〇〇円市内上田(祖母の死去に際しての香典返しにかえて)畠地獣■ 五円東京市岡倉捷治郎 二七円七〇銭盛岡市産婆会員一同 一〇円九十銭金ヶ崎町南方小学校職員児童 五〇円日本青年舘大日本連合青年団職員一同 一九円十銭福島県常葉町常葉小学校職員生徒 五円三戸郡大舘村青年団一同七八円六十銭若松市大町堅町山内岩記 三五円仙台二高明善寮 二円久慈町枝成沢小学校職員児童一同 二円小軽米小学校同上 八円三五銭油島村小学校男女青年団員一同 五円上閉伊郡甲子村消防組第一部組員一同 一二円一四銭東磐井郡長坂小学校職員児童一同 三〇円水沢土木管区一同 八円九五銭金田一村青年訓練所一同 三円長野市旭購買組合婦人会 一〇〇円宮城県奥海兵作 一〇円沼宮内愛宕下納税組合 一〇円石巻町石巻旅人宿組合 三二円涌津村小野寺みどり 七六円六四銭真滝村有志一同 一〇円青森県女子師範学校、青森高等女学校職員生徒一同 二五円乙部村住友大萱生鉱業所 日計三千二百十七円八十銭
累計十一万一千六百四十八円七十銭