文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

懇ろなる御慰問  恐懼に堪えない   大金侍従を案内視察して    石黒知事語る

聖旨を奉じて来県の大金侍従を案内震災地を視察中の石黒知事は九日午後二時五十七分着で帰庁した知事は語る。
 被害地は凄そう凄惨を極め表わすに言葉はなかった。侍従には強行して罹災者を慰問され逐一惨状を視察されました。一家全滅或は親は子子は親を失った悲しみは涙なくして語られない。気仙郡綾里村には私から有難き思召を伝えることにした。侍従は畏きあたりから御派遣された以上如何なる難路にても視察慰問したいとの話しであったが舟に故障を生じており万一のことあってはと私からお見合せを願ったわけだ。侍従御差遣にあたり 両陛下におかせられては親しく見て親しく慰問せよとの御言葉がありったとの事で一切形式的慰問でなく真に懇なる御慰問を賜わった次第であります。出征兵の家族並に遺家族には一々御言葉を賜わり慰問されました。聖旨の程恐懼の至りに堪えなかった。

悪臭満つ中を  大金侍従田老へ   優しき慰問に泣く村人等    予定変更久慈一泊

(宮古電話)大金侍従一行は九日午前八時漁吉丸に乗船石黒知事市瀬旅団長佐川支庁長外宮古町多数代表者の見送りをうけて出港したが海上は多少の寒気を覚えるのみで至極平穏九時過ぎ重茂元村に着湯本学務部長加藤県高等課長の先導で再び惨禍の漁浜に向った重茂方面一帯はトドケ崎灯台地方とならんで今次津波中最も高い波をうけた所で可なりの高所にある家屋もさらわれており大金侍従も各部落の実情を視察して眉をひそめ元村の罹災民に優渥なる聖旨を伝えつつ懇に慰問され遭難者一同はぬかづいて喜恩の厚きに感極まっていた。同所は重茂村中比較的被害が少なかった方であるが四十五軒足らずのうち二十六戸の流失三戸の倒潰家屋を出しており死亡者は四十一名中重軽傷者十五名あり現在生存者は百六十五名で不思議にも子供が約半数の七十九名が助かっているのは震災と同時に前回の三陸津波の遭難者が津波の襲来を直感して大人達は協力して直ぐ子供や老人達を先に避難させたからであったと云っている。次いで一行は海路を戻り同十一時二十分惨禍に名だたる田老村に着く各救護隊員の数日来の目覚ましき奮闘により余程整理され死体等も片附けられてあったが未だ尚悪臭去らず一行は出迎えの関口村長星宮古署長以下の案内に唯々無情の思いに文字通り荒野に化した田老の惨害を見つめるのみ随所に憩う遭難者も侍従の優しき慰問の言葉には涙新たによよとばかり泣くのみであった。大金侍従は学校に小憩の後関係者からつぶさに当時の実情を聴取して後昼食をとり更に凹凸の地を徒歩で視察し午後一時再び漁吉丸に乗船一路小本に向ったが予定コースを稍変更し同日は岩泉に行かず久慈に一泊のこととなった。

被害額莫大  きのう県から発表

九日午前十時県発表、各署下被害調査左の如し
久慈署下
 漁船    一三五、九二〇円
 漁具    一四六、〇七六円
 道路         五〇
 橋梁     二五、五二〇
 田畑      八、五〇六
 宅地      七、四〇〇
 家屋    一三〇、三三〇
 家財     四三、〇五一
 家畜        五八〇
 穀物      二、四九五
 魚粕     一四、二〇〇
 現金      一、四〇二
 その他   一〇三、一四八
  計    六一九、一二八
岩泉署下
 漁船    一一〇、五八〇円
 漁具    二〇八、〇一〇円
 道路        五八〇
 橋梁      三、三五〇
 田畑      一、九二五
 宅地     三九、三三二
 家屋    一九四、〇七八
 家財    一三三、三八四
 家畜      三、六八七
  計    六九四、九二六円
宮古署下
 家屋    四一〇、三四五
 家財    一九五、〇六〇
 漁船    四八〇、二九〇
 漁具    八二三、九一九
 道路     九一、二四〇
 橋梁     二〇、六〇三
 肥料其他 一七〇一、三二七
釜石署下
 家屋    七七二、〇七二円
 漁船    二四八、二四六
 家財其他 一一九一、五二六
  計   二二〇二、八四〇

被害調べ  ゆうべ八時  半発表

九日正午現在の被害状況は午後八時半に至り発表された。
 死亡千五百二十四人、負傷六百九十三名、行方不明千四十五名家屋被害全壊六百二十二戸、半壊四百九十戸焼失二百十八戸、浸水床上二千五十八戸床下百九十一戸

前日の不思議  真赤な海水が沖天に上る   老漁師の目撃談

(釜石電話)海嘯襲来直前の発光現象は学界人の研究題材に供せられて居るが大槌町浪板漁夫加藤丑松(六〇)と云う。老人の目撃談に依ると二日午後六時頃同町鯨山に上って海上を眺めて居ると突如太平洋が真赤になったかと思うと海水が噴火したのではないかと思われる様に真赤な海水が火柱の如き形態をなして沖天に打上るを見たと云う。突発現象と共に今回の災害と何等かの関係があるものではないかと見られて居る。

本社第五回  慰問品   小本方面へ

本社慰問品第五回発送は九日夜
 藁靴七梱、衣類二梱、食器二梱足袋一梱
の十一梱を取りまとめ沼宮内を経て小本方面に送った

郵便物の  流失多し   県下郵便局   の被害

(仙台電話)今回の三陸地方震災被害につき仙台逓信局では目下局員三十余名を特派し詳細調査を行っているが九日までの報告によると岩手県下における郵便局の被害は
 局舎流失  五局
 倒  壊  一局
 浸  水  五局
であって郵便物が全部流失したものは六局でその数量は判明しない。又官金保管中流失したるは四局で一千六百三十四円四十七銭三厘で局長の死亡は普代局長、従業員死亡八名、罹災者百八十名に達している。なおこの外工務課関係で電信電話器、電柱の被害十数万円に上る模様である。

山崎犀慰問

(釜石電話)文部省事務官山崎犀二氏外属官二名と九日午前十一時大槌町役場同小学校を訪問慰問する処あった。

震災のどさくさ  一儲け企んだ男   挙動不審一関で御用

九日午前一時頃西磐井郡山目郵便局附近を徘徊している不審の男あるので一関警察署に引致取調べたところこの男は宮城県栗原郡文字村前科一犯千葉永次郎(四二)と称し釜石鉱山に向う途中だと曖昧に言を左右するので更に厳しく追究したところ三陸沿岸震災のどさくさにまぎれ込み一働きしようと本県に飛んで来たこと遂に包み切れず仄めかしたので厳重署に留置し目下身元取調べ中。

収容し得る 百七十一名  岩手養育院養老院   収容申出づ

今回の三陸震災に岩手養育院養老院では被害地の孤児貧児及び老人等続出するを慮り同院に百七十一名を収容し得る見込みありと県社会課および被害地町村役場に申出でたが混雑中収容手配の覚つかない事を思いこの場合出張は見合わせ漸次混乱の鎮静するのを待ち坂本事務員を出張災害地の実地を視察せしめる事になったが尚急を要する時は県社会課へ申込まれたいと

在郷看護兵 救援を募る

盛岡連隊区にては県救護本部の依頼により震災罹災者救護に働く在郷看護兵を募集することとなったがこれは期間約一ヶ月で月謝三十五円を給し地元医師県救護班のもとにて救恤に従うが志望者は十三日までに盛岡連隊区宛履歴書一通添付志願すること。

東京府慰問使

東京府を代表し知事代理安原学務部長朝倉学務部長は九日午後三時十三分着で来盛県庁に石黒知事を訪問し丁重に見舞の挨拶を述べた。尚一行は青森県慰問のため八戸に向った。(写真は左から二人目安原学務部長)

ノートを寄贈

県教育会制定雑記帳製造元大阪市日本ノート株式会社では当市の売■き元赤沢号と共同にて東海岸震災地、罹災児童に対してノート二万冊を送ることとし九日本社に申出であったが早速荷造りの上夫々罹災地に発送する。

宗像理事気仙へ

愛国婦人会本会から宗像理事が七日震災慰問のため来盛八日石黒支部長の案内でさかり町に向い一泊九日より気仙郡赤崎、大船渡、末崎、米崎、高田気仙町等慰問した。

力強く復興へ 更に建築材料  五百戸分発送   気仙、上閉両地方へ

県では気仙郡末崎、綾里、広田、唐丹、上閉伊郡大槌、鵜住居の六ヶ町村に青森県湊廻しで九日丸太一万本、板二万坪の建築材料五百戸分を発送した。

漁業復興  基本調査   水試十一日から

(釜石電話)県水産試験場では県沿岸の漁業一般に亘り復興に関する基本調査を十一日から行う事とし其のプランを樹てているが右に就て小安場長は語る。
 津波後の漁場は未だ調査して見ないから判らぬが、相当変化して居る事であろう。殊にも近海漁業は当分駄目ではないかと思って居る。そうなれば遠洋漁業に依る外途がないと考える兎に角徹底的に調査を進め本県漁業の今後執るべき途をたてるつもりである。

罹災者収容 長屋を建築  鵜住居大槌  で着工

災害を蒙った上閉伊郡鵜住居村の約一千名の罹災民は寒気に悩まされているので同村では取敢ず全滅した両石部落に一棟に五家族収容し得る長屋を六棟建築する事になり九日着工又大槌町でも同様のものを建てる事とし大槌部落五、安湊四、吉里二、その他罹災民を収容する事になり九日着手したがその程度のバラックを順次に建てる事になっている。

釜石小学校  授業開始   雄々しくきょう

(釜石電話)釜石町小学校では災害のため三日から九日まで臨時休業しておったが罹災民に対する学用品の配給も出来たので十日から授業を開始することになった。尚学用品教科書の配給は尋常科四百二十四名に対し三百九十九円二十銭代高等科百五十一名に対し二百四十円十銭代を給与した。

津波震火に耐う  合理的市街   釜石土木復   興委員会

(釜石電話)釜石町土木復興委員会は九日午後三時からの町役場会議室で開催された今度の災害で潰滅した場所町仲町等の復興地域整理に関して協議の結果火災津波地震に対して最も合理的面目を一新した市街地をつくる事になった。

安渡仮橋完成

災害で落落した大槌町の小槌橋同安渡橋は工兵第八大隊の活動に依って八日夕刻仮橋を完成し上閉伊郡と下閉伊郡の交通も漸く貫通した。

矢浦橋工事入札

(釜石電話)三日の津波で破損した釜石町矢の浦橋の工事入札は十日午前十時町役場で行う。

海嘯御見舞御礼

今回海嘯に就ては早速御懇篤なる御見舞被下 御厚情誠に厚く奉存候幸に被害軽微且つ人事畏状無之候間御安心被下度願上候混雑中御尊名伺洩れも可有之と存じ謹みて紙上御礼申上候
 三月五日   九戸郡久慈町湊
          兼田忠吉

今回震害及海嘯に因り父千次郎儀 死亡に際しては御懇篤なる御悔下され御厚情の段忝く奉存候
 混雑の際御尊名伺洩有之べく謹んで以紙上御厚礼申上候  昭和八年三月八日
      九戸郡夏井村
       小坂製材所
        小坂八十四郎