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東海岸の救助を急げ  恒久的に組織的に   釜石五千の罹災者に寒気襲来    復旧に、数十年困難か

(釜石電話)地震と津波と火事で生地獄と化した釜石町では五日朝からみぞれが降り出し加えるに寒気夥しく五千の罹災者達は飢餓と寒気とにさいなまれ見るも無残な状態を呈し無情な天を恨んでいる。花巻在郷軍人分会十五名同役場吏員三名胆沢郡倶城在郷軍人分会四名その他各方面から救護隊が続々来町これら罹災民の救助に努めている。又東北帝大救護班富永班長以下医員看護婦十余名東京府東京市両救護団二十数名は四日夕刻来町して活躍している救恤品も四日から軽鉄トラックで搬入されているが何せ被害地が広汎に亘っているため食糧の如きも僅かにその日その日だけの状況にて飢餓を免がれしめている状態で何れも丸裸で焼け出された彼等罹災者達の窮状はその極に達している。療護間もない小野寺町長も丸裸で焼け出されたが自家のことはふり向きもせず罹災民の救護に奔走している。今回の罹災地は場所前只越海岸通りの目抜きの大商店が全滅したので釜石町の更生困難にして復旧に於ても向う何十年間かとみられている。

熱烈な救援運動 全機能を発揮して  物資の配給順調   きのうも県庁全員登庁

五日の県庁は日曜日にも拘わらず全員登庁、石黒知事は陸軍大臣代理谷少将、丹羽社会局長官、松岡秋田県知事代理等震害状況視察のため来盛した中央部及び隣県からの慰問者との応接にいとまもなく警察部に設けられた非常警備司令部は被害地移動本部からの情報接受と救護指令の令達に一層の緊張を帯午後三時十三分着で仙台市からの帰庁の前田内務部長は宮城県庁に於て大金侍従より有難き聖旨と御内帑金を拝したる旨石黒知事に報告し洪大無辺の聖恩に答え奉る伝達方法に関し■議を続けた。この間にも各府県知事、各種団体、中央機関よりひっきりなしに電信電話を以て慰問を兼て確報の紹介あり一方配給本部で不足を嘆いていた救護品輸送トラックも青森県より十台の応援あり県下から非常徴発した。七十余台はこれに勢を得て全機能を発揮しつつあり道路の復旧と相持って物資の配給は漸く順調に進捗して居り庁内各課は徹宵警戒を続けた。尚五日の主なる慰問者は左の通りであった。
 松岡秋田県事務部長、長瀬福島県社会課長、大原福島県社会事業教会副会長、小林日赤嘱託、伊藤農林省事務官、尾瀬京都府局、盛生新潟県技師、緒方消防教会理事、内山京都水産技師、中尾農林事務官、瀬川上院議員

陸軍当局は  救護に万全の努力   来県した谷少将談

陸軍省軍事調査委員長谷静夫少将は井出少佐、大久保大尉を従え陸軍大臣代理として本県震災慰問視察のため五日午前十一時十二分盛岡駅着列車にて来盛直ちに県庁内臨時衛戍司令部に入り市瀬旅団長より状況報告を受け後市瀬旅団長以下各隊長幹部将校を集め陸相訓議を伝達したがそれより記者団と会見左の如く語った。
 陸軍大臣代理として申上げます今回の震災には衷心より御同情に耐えぬ次第です。又県民各位県民機関の御活動には真に敬服致して居ります。陸軍当局と致しましては救護につき出来るだけの尽力を惜しまずとりあえず衛戍各隊地方陸軍官衛を督励致し県御当局と密接な連絡を以て偵察兵を派遣し引き続き物資輸送配布救護班の派遣警備等万全を期する様命じて居りますが本日私参り尚知事閣下と御協議の上尽力する考えです。私は尚約一週間御当地に滞在の上災害現地の視察も致す考えですが何卒貴社に於かれても特別の御奮発を御願い申します。
尚谷少将は高与旅舘に宿泊している。

谷少将動静

陸軍省谷少将は五日午後四時盛岡駅発県社会課斎藤属を案内とし宮古から県南被害地被害状況視察にのぼった。日程は宮古についてから軍艦霧島に搭乗明朝宮古港出発山田、大槌、鵜住居を視察して釜石に入港、一泊、七日釜石発唐丹気仙郡一帯を視察大船渡港入港上陸して一泊。

救恤品の  無料取扱   四日から一月

三陸海嘯の被害地に向け輸送する運搬物資中寄贈救恤品は四日から一ヶ月間無料取扱い復旧建築材料は四日より二ヶ月間五割減とし取扱い指定駅は左の通りである。
 仙台、盛岡、塩竃、石巻、気仙一関、千厩、陸中八木、平津戸湊、種市、久慈各駅、遠野、仙人峠、三陸汽船各荷取扱所

県外各地から 慰問の薬品

岩手県東海岸に於ける地震、海嘯が一度伝わるや県外各地から陸続として慰問品が送附されているが県衛生課へは東京の高田製薬会社大木合合名会社等より既に六梱の風邪薬傷薬外科薬その他送られ五日は秋田県衛生課から井戸消防毒剤クロール石鹸千百十本が到着した尚瀧沢村篠木青年団からも同様寄贈があった。

青森からトラック 十台応援

青森県から五日救援トラック十台を県に輸送し来たので内二台は午前十時宮古に向け八台は県農配給本部直属として配給に活動することになった。

軍当局の  救恤品   将校以下第   一線に活躍

  一線に活躍
衛戍騎兵団第三旅団にては折柄初年教育のため将校以下一同非常に急がしい時期であるが災害突発以来将校廿一名以下左の如く計百七十一名の兵力を第一線に派遣し尚騎兵両連隊工八留守隊を以て兵站事務に任じ大活動を行い且つ師団命令に基き左表の如き物資を救恤品として輸送配給した。
 △将校二一△軍艦二△下士官三六△看護長四△計手一△兵九九△看護兵六△属二△計一七一
 ▲旅団直接差出衣糧品 △外套二〇四〇△毛布一五六〇△襦袢一四〇〇△袴下一三〇〇△天幕九九一△乾麺麭一六五二包△缶詰二五二〇△器具土工具四〇組他に架橋器材々料木工器材

政府米一千石  一関から発送

岩手県東海岸罹災民へ払下げられる政府払下げ米一千石は六日午前九時一関駅着それより一関から各災害地へ発送されることになった。

市内各団体は  総動員で奮闘

愛国婦人会盛岡支部では三日以来慰問品募集を開始していたが四日午後までに集ったものは大きなこも包み十一個トラックで二台に上り中には着類が主で米味噌醤油等の食料も交っている。同支部では早速県に托して被害地へ発送すると
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盛岡市山岸青年団及び同婦人会では連合して四日宮古、釜石方面罹災民救援金品の募集をなし衣類三千点同四十円を直ちに罹災地へ発送した。
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市内各キリスト教団体では連合で国際的に通知を発し義捐金募集を開始する傍市内中ノ橋盛銀前と肴町榊呉服店前に慈善鍋を設け同情金を集めている。
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盛岡婦人会男子青年団女子青年団では協力して市内各小学校を中心に仁王、櫻木、城南、厨川、杜陵高等小学校大慈寺仙北町、米内、山岸の十区に別れて市内全般に亘って被害地慰問品の募集に奔走しているが現在市役所に集っているのは中一区の二十二ばかりでその他九ヶ所よりも続々集る模様である。
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市内各小学校では今度の被害で親を失い家は流れ学校にも行けず寒さにふるえている気の毒な罹災地の小学児童にいたく同情し生徒が自分達の使い古しの学用品その他を持ち寄り本社に托して発送する事になっている。
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盛岡仁王小学校生よりなる盛岡善友少年団員は内丸公会堂前大通り二丁目その他の街頭に立ち『三陸地方の津波に寄附して下さい』と可愛い声を張り上げて道行く人の同情をひいている尚三日以来集った金高はまだ二十円余だが全部集めて宮古釜石方面の海洋少年団宛に送ると

動員青年団 手分け区処

東海岸震災被害地の交通機関整備小屋楫等に労力の不足を来しつつある現状なので県では五日市町村青年団員の義務心に訴え総動員することとなりその区処を左の通り決定した。尚動員した団員は七日前後までには被害地に到着の見込みである。
◇盛岡地方 気仙東磐井西磐井江刺駅沢各郡町村青年団
◇宮古山田町方面 下閉伊崎山山口刈屋川井門間以南各村青年団員
◇小本村地方 岩手郡■■村玉山瀧沢西山以南各町村盛岡市岩手郡川口巻堀■民田頭松尾以北町村下閉伊郡田老有■大川以北各町村九戸郡葛巻江刈村
◇久慈町地方 二戸郡各町村九戸郡各町村葛巻江刈両村除く
動員実施のため五日午前十時各市町村に学務部長名で通牒を発した。

救護品配給調  (三日五日午後二時現在)

      釜石方面     宮古方面     盛方面     久慈方面     岩泉方面       計
白 米   二五八俵      二四〇      九三       五〇      三七三   一、〇一四
蔬 菜   八四〇貫                                        八四〇
味 噌   一四九樽       三一      四三       三二       七八     三三三
漬 物    六九同       五〇      四二       二三       一八     一九七
乾麺麭 一、〇〇〇食    一、六〇〇   一、〇〇〇      七〇〇      六〇〇   三、九三〇
缶 詰    一二箱        六       八        —        —      二六
キャラメル一、五〇〇個   一、四〇〇     七〇〇      七〇〇      七〇〇   五、〇〇〇
毛 布  一、四〇七枚   一、二七六     八〇六      四一七      一六〇   五、五〇六
寝 具    七一一枚       —     七四三        —       七三   一、五二七
衣 類  三、七一五点   四、八七五   二、九八五    一、〇二五    一、〇九〇  一三、六九〇
外 套    三〇〇枚   一、〇一〇     二五〇      二〇〇       五〇   一、八一〇
靴 下  一、一二八足     八四五     七三九      三三二      三四八   三、三九二
足 袋  一、一一〇足     九八八     七四六      二七二      二八四   三、四〇〇
下 駄  二、二〇〇足   二、二〇〇   一、三〇〇      九〇〇      九〇〇   七、五〇〇
草 履  一、六〇〇足   一、六〇〇     九〇〇      七〇〇      七〇〇   五、五〇〇
天 幕    二六二張     二六〇     一二〇      一二〇      一九一     九五三
莚    一、五〇〇枚   一、五〇〇   一、五〇〇    一、五〇〇    一、〇〇〇   七、〇〇〇
鍋      一五〇個     一五〇     一〇〇       五〇       五〇     九〇〇
バケツ    二八八個     二八八     一九二       九六       九六     九六〇
湯 沸    三〇〇個     三〇〇     二〇〇      一〇〇      一〇〇   一、〇〇〇
提 灯    六三五個     六二五     四二五      二一二      二一二   一、八九七
マッチ  三、五七〇    三、二五〇   一、八九〇    一、三〇〇    一、三一一  一一、三二〇
ローソク一〇、一七二    七、九四七   八、五四七    三、二三六    三、三八六  三三、二八八
木 炭  八、四〇六俵                                     八、四〇六

応急薬を配給  井戸水を消毒

罹災現地における救護班の活動は直接負傷者の救助診療に従事する一方一般罹災民に対し胃腸薬、解熱剤、凍傷膏その他を配給して応急処置に用いさせることとし又罹災のため母乳の分泌が止まった気の毒な母を失った幼児のため母乳代用人工栄養品を配給し又罹災後における疾患の予防その他保健上考慮の結果飲料井戸の浚渫井戸の消毒等を実行し大活動を以て罹災民の感謝をうけているが右救護班は左の如し。
▲他府県より派遣された救護班
◇宮古署下
 △第八師団救護班(四日田老村に到着)一般将校一軍医一看護長一下士計手各一看護兵六
 △新潟県赤十字救護班(五日山田町到着)一班医師一看護婦三
 △横浜市救護班(五日田老村に到着)一班医師一看護婦三
◇釜石署下
 △東京府済生会救護班(四日釜石町到着)班長一医師二看護婦三
 △東京市赤十字救護班(同上)医師二技手一看護婦四
 △東京市救護班(同上)二班医師三事務員二看護婦六
 △宮城県東北大学救護班(三日唐丹村着)二班一行十三名
▲本県救護班
◇久慈署下
 △二戸郡医師会(種市中野)医師一名看護婦三
 △岩手病院(侍浜、夏井、久慈医師一看護婦六
 △赤十字支部(種市)医師一事務員一看護婦三
◇岩泉署下
 △岩手病院(田野畑)医師二看護婦六
 △赤十字支部(小本)医師一事務員一看護婦三
 △岩手郡医師会(普代)医師一看護婦二
◇宮古署下
 △盛岡市医師会(宮古、重茂、山田、船越)医師二看護婦六
 △赤十字支部(山田)医師一事務員一看護婦三
 △衛生課(田老)医師二薬剤師二看護婦一
 △岩手病院(田老)医師一事務員一看護婦三
◇釜石署下
 △花巻共立病院(唐丹)医師一薬剤師一看護婦三
 △稗貫郡医師会(唐丹)医師二看護婦六
 △遠野病院(鵜住居)医師二看護婦六
 △赤十字支部(釜石)医師一事務員一看護婦三
◇盛署下
 △和賀郡医師会(吉浜、越喜来、綾里)医師三看護婦六
 △西磐医師会(赤崎、大船渡、広田末崎)医師三助手一看護婦六
 △東磐医師会(高田米崎)医師一看護婦三
 △一関実費診療所(移動)医師二看護婦二
 △薄衣(同上)同上(医師一歯科医師一助手四計医師三〇歯科医一薬剤師三助手五看護婦七一

工兵隊活躍  道路橋電話  復旧に

衛戍司令部より派遣された小柏大尉以下四〇名の工兵隊は四日午後九時鵜住居に到着し小松平松両大尉部隊と協力直ちに同村大槌町間道路橋梁電線の復旧工事に着手したが八日完成の見込み。

鋭意架橋工事

盛岡工兵では災害復旧のため四日小柏大尉指揮四十名、佐藤少尉指揮十三名の二復旧班を出して鋭意復旧工事に当っているが宮古へ向った佐藤少尉の一隊は宮古橋は河幡白米に加えて材料ないためその工事をとりやめ海岸を急遽南下して下日織笠村に到着織笠橋を鋭意架橋中である小柏大尉指揮の一隊は釜石より警察電話を架設しつつ北上し五日は安家村に到着し大槌北方を流れる小■川外二ヶ所に架橋中である安家大槌には材料ないため、釜石方面よりその供給をうけて鋭意架橋中である。

野田村の  救済状況

(久慈電話)九戸郡野田村では四日緊急村会を開き罹災者一戸に対し毎日白米二升宛配給及び一戸に付二円外家族二名以上は一人に付金五十銭宛の割合で給与すること したが同村の救助を要する罹災者は五十九名で細民階級が大部分を占めて居る。
×
九戸郡水産会では七日午前九時より久慈町に緊急総代会を開き罹災対策を講ずるが差当り問題となっているのは漁船漁具の準備で船材の共同購入等必要とされて居る。又かねて懸案中の各漁業組合地区に水産倉庫設置の件も議題となる模様である。
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久慈土木管区管内の震災損害は道路二万三千三百円橋梁二万円港湾九万三千八百円計二十万七千円に上る見込み。

岩手軽鉄  無賃乗車の奉仕

(花巻電話)岩手軽鉄では沿岸各地の震火災被害者救護のため社線各駅より釜石遠野へのものに対し無賃乗車せしめて相当の効果を挙げたが本六日からは県又は警察署長に於て必要と認め■明したものに限り当分の間無賃乗車の取扱いをすることになった。

厳島釜石入港 (釜石支局発)横須賀鎮守府より

 △毛布六千五百枚△水兵服二万着△着類一万着△缶詰六千キロ△ビスケット六千キロ
の救恤品を積載した軍艦厳島は五日午前八時釜石に入港した。

各郷軍救恤品  罹災地へ急送

県下沼宮内、日詰、一関、岩谷堂盛岡、黒沢尻、一戸、花巻、福岡葛巻、千厩、遠野、竹駒、山目中里、安家、小友各在郷軍人分会では在郷軍人盛岡支部の命令により味噌、米、衣類等の救恤品募集を行い、夫々トラック其他を利用して罹災地に急送している。多い所では衣類三四千或は一万点以上と集めた分会が多数ある。尚一関分会では東京仙台方面より輸送された慰問品を夫々整理の上釜石への輸送を行っている。

御礼

今回本県東海岸の災厄に際しては多大なる御同情を辱うし慰問金品御寄贈被成下洵に有難く候物品は早速包装救護本部を経て罹災地へ向け発送致候一々御礼申上べきの処には候共御尊名伺洩れも多々有之候に付き乍失礼紙上を以て厚く御礼申上候 敬具
 昭和八年三月五日
  愛国婦人会岩手県支部
  愛国婦人会盛岡市幹事部
  岩手仏教婦人会

海嘯御見舞御礼

今回の三陸海嘯に就ては早速御■■なる御見舞被下御厚情誠に辱く奉存候幸に異状無之候間御安心被下度願上候混雑中後尊名伺洩れも可有之と存じ謹みて紙上御礼申上候
 三月六日 宮古町
  菊池長右衛門

東海岸罹災地御見舞

◎生命保険金即時支払
◎証券担保最高額貸付
右貸付支払ニ就テハ当所ヘ御申出被下度候
 昭和八年三月三日 大正生命保険盛岡出張所
  盛岡市紺屋町
  電話一、一一三番
保険契約者各位御中

大震、水、火災御見舞

本社に於ては不取敢三陸地方一般罹災者各位に対し(金二千円)県知事を通じ見舞金贈呈致候処当社保険契約者、事務取 所主任、職員其の他関係者の内、罹災者各位には更に本社より直接御見舞可致候間御一報願上候
 昭和八年三月四日
  東京市麹町区内串町一丁目三番地
   富国徴兵保健相互会社