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酸鼻の浜を行く 奇蹟、九死に一生  漁夫鈴木君遭難談   海上を釜石から山田迄

(宮古にて松本特派員発)四日記者と写真班は釜石を出帆三陸汽船に便乗して北上した汽船は津波の日は休航したので津波後の処女航行だ船内は大津波の噂話しでもち切り罹災者の人々をとらえては新しい事実を聞き出そうと務めるのだったが、赤に白く『岩手日報』の腕章を巻いた記者達が船内に姿を現したと見えるや約三四十人の船客は一斉に記者を取り巻いて被害状況質問の包囲攻撃を開始し
 負傷者は何人か、流失家屋はどれ程か、大槌、山田の被害はどうか、鍬ヶ崎町は流されたのか
と熱心に矢継早な問いを発し記者の吐く一言一句毎に船客達は眉をひそめ嘆声を発する有様だった。流石のラジオニュースも全然入らないので無理からぬことだろう。それに全部■■事にやられた唐丹村の本庁部落等では助かった人達は何れも殆んど裸で飛出しているので食うものとてなく流された米屑を拾ってたべているが此の後に来るもの非衛生の結果が心配されていることを伝え更に此の村への慰問品は
 先ず鍋釜、炊事等の道具と草履下駄の履物、衣類等が一番に必要だ
と知らせる船室内は直ちに同情慰問の話しに終る。

さて災害の港釜石を後に四日午後二時半同じ汽船に乗再び海上に出た釜石湾口は釜石町火災の黒煙未だ濃い異様なものの焼ける香りが鼻をついてたま■らない。出帆間際に殆ど倒潰いかった名のみの三陸桟橋に顔面頭部傷だらけの漁夫体の男が駆けつけて来て『マーマー命拾いをした』とて桟橋の上にピッタリ腰をおろした。山田町漁夫鈴亀太郎(三八)と云い奇跡的に九死に一生を得た人で山田町に帰る途中と判ったが、漁業について語る。

 俺は津浪の夜恰度釜石■■の下■■船をつけて、その中に寝ていた。■■■■—大きな地震が来たなと思うと沖の方で稲妻の様なものがピカピカと光ったと思った瞬間、此の世のおしまいかと思われる様な轟然たる物音がして来た。間もなく第一回津浪が来て俺の船は顛覆し俺は木片につかまって桟橋の下を漂っていると、次にゴーゴーと又大きなやつが約三丈位の高さでまるで空の龍の様に首をもたげてビュービューと飛んで来た。その時の凄さ、俺はガラガラと水の中をくぐって後は何程に行ったか判らなかった。気がついて見ると俺は水の中にいた筈なのに何処かに寝ている。手に■ったのが倒潰した家の軒だ。空を仰ぐと星が光っている。はて嫌だなと思うと其処は何かごみごみしたものの上で水の中ではない。そのうちに火事が始った俺は誰かにかつぎ上げられたが後はもう判らない。釜石町の中に押し流されていたのだった。青年団が消防の人に助けられたのだ。今日(四日)になって身体の方々が痛いが命拾いして不思議だ(写真は汽船甲板上の鈴木さん)

船は出帆した。洋上の波は静かだが枕木とか材木がどんどん漂流している。大槌に入って行くと桟橋は助かっていた町の方はひどくやられているが桟橋附近は割合被害が少ない。桟橋には三日午後三時横須賀鎮守府から出動した駆逐隊員十余名が到着し砂糖入り乾メンボ、コンビーフ、毛布、米麦等の慰問品の配給にかかる所だった。■て大槌を出帆した。洋上に薄暮が迫って来た。山田湾に進み入ったのが七時近い。もう夜だ湾内に二隻の駆逐艦が投錨して吾等の行手を探■燈で照らして障■物の危険から救ってくれる。光を通して見る山田町の惨状、湾口に面した町の家々まるで活動のセットの様にゴロゴロと横なぎに倒れている石倉の扉さえもちさらわれている倒潰家屋は五百戸、全町のうち七百戸が難を免れた。

不安も一掃さる  慰問、木材もどしどし到着   復興更生の決意

(宮古にて菱谷特派員発)懸念された津波の再襲もなく罹災民も稍落着いた気持ちであと始末に取りかかっており宮古町は殆ど衣食の心配はなく殖銀郵便局でも非常時払い出しを行い多大の便宜を与えているが山田、田老、小本を始め上織笠、斗米、津軽石、八木沢、高浜等でも急派された軍艦、警官、消防組、青年団の尽力により衣食の配給は逐次続けられ最早不安が一掃されると共に下閉伊支庁では木材を、どしどし各罹災地に向け発送しつつあり直ちに復興工事に着手されんとしているが、一面本社扱いの慰問品満載のトラックを始め全国よりの同情義捐金は陸続として到達し既に配給に取■っており罹災民一同も同胞の真情に感謝の念を寄せ悲しみの内にも更生の決意に燃えている尚各地の通信機関は殆ど復旧するに至った。

(同上)朝来の降雪と風浪のため五日は殆んど各地への連絡交通は杜絶され下閉伊支庁では憂慮していたが午後に至り風雪も止んだので直ちに小蒸汽に食料品を満載し鍬ヶ崎を出港田老村及び各沿岸部落に夫々配給した。
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(同上)鉄道興業株式合資会社宮古出張所員一同は今次津波の惨状に同情し金五十円の寄贈方を申出でた。

本社の慰問品  きのう久慈方面へ

本社第二回海嘯罹災者への第二回慰問品は五日午後八時二十分盛岡駅発で久慈町方面に発送した慰問品は履物二箱味噌一樽石鹸一箱サツマ芋一俵毛布一包手拭一包莫座四十枚衣類十三梱醤油十五樽■缶詰四打入五箱である。

災害義捐金{五日本社扱}

三円波野町菊池幸一 五円黒沢尻運送会社々員一同 五円岩手郡松尾村訓導之会 五円盛岡中ノ橋通り花清 五十銭同十三日町佐藤平二郎 五円同大清水小路寺井社中風交会 五円同鉈屋町小川材木店 五円十銭同内丸盛岡夜間中学校生徒一同 衣類盛岡瓦■会社太■ ■品盛岡紺屋町■池■店 帽子、シャツ同肴町川村■■店 下駄一七〇足袋一〇五■■■町■山商店 ■■五百袋■末石■二百■十四■■足袋■■■各五十■■■■■■長本店 一円六十■■■■■■村三桐一心会第一支会 三十円市内内丸通■塚洋服店 五円五十銭同鍛冶町平六商店支店 メリヤスシャツ六十枚同仁王通り和田呉服店 衣類手拭ゴザ同茅町川善呉服店 履物一箱盛岡履物商交親会 二十円岩手県好摩駅前高田勇 七円同高田運送店員倉方一同 二円岩手郡好摩駅前高田旅舘女中一同 二円同釜■■■ ネルお■五十人分同高田■ 三十円岩手郡大更駅前大更■■運送会社 一円衣類市内■町小■■■ 衣類■■駅前村上アサ子 衣類■鉈■町■■毛皮店 十円同呉服町■正本店同別舘 衣類同大沢川原小路長谷川貞治 醤油三十樽同鉈屋町村井源三本店店員一同 鯖缶詰二箱上田■町村井源三支店外店員一同 鯖缶詰五箱市内肴町村井源三支店外店員一同 十円ネマキ夜具八枚同本町小林旅舘 三円同小林旅舘女中一同 一円無名女 一円市内四ッ家町日■学校生徒一同 餅、沢庵漬岩手郡滝沢村滝沢甘■出荷組合員一同四円同郡中野村桐生液体育奨■会員 五十銭衣類開運橋通村田カメ 二十円衣類二十二組 市内日影門盛岡天主公教会員 衣類市内平山小路小川久助
累計九百八円四十五銭

慰問品{市役所五日迄}

三陸沿岸大震害の報伝わるや市当局では中村市長上京不在だったので中村助役統裁となり県の指示に従って直ちに救護慰問金募集を開始其陣立は先ず市在郷連合分会を動員して衣類、布団、家具並びに必需品の徴集を行い三日中に一万点を■台の自動車を以て宮古に向け急送し一方男女青年団、婦人会は四五の両日各戸毎に衣類慰問金の募集をなし六日これを取纏め送附することになって居り。尚市内各総代は救恤金の募集、市仏教会より亡霊慰問使僧 遣並びに各社会事業団体も呼応して立ち全市挙げての慰問運動に奔走している。尚五日迄に市役所での受け付けの分左の如し。
 一円川原町■沢時雄 一円船内秀■ 一円原舘伝 五十円、醤油百六十五立、味噌五十貫仙北町吉田勇次郎 衣類一包土小路佐々木重吉 十円山岸上野正一郎 二十円■子田小山与三郎 白米四■、粕漬一樽、沢庵一樽古着一■川原町小笠原三吉 二十■女■■■組合一同 白米二俵■■高女 衣類一個沢野浩仲十円、綿入十枚、単衣十枚、■十本小田島旅舘支店 マン■一枚土沢■方黒江 一円木材■■久吉 醤油四樽、沢庵一樽、子供帽子其の他生ヶ町赤沢徳太郎一円七十銭加賀町山本琢郎 味噌二十貫盛岡金剛講 雑品七六個茅町会 三十円東京市小石川区小向伊保内富弥 十円東京市杉並区大宮前町小野政孝 服■小供着物二十五点久昌寺 衣類三十六梱一九二二点盛岡市第三分会 メリヤス七点下小路■四郎 水原町勝又与左衛門 二円内丸金剛珠院住職 子供衣類十点東京浅草区田島町斎藤實衣類十点無名氏 同五点下小路副島■雄 衣類一足袋一下小路鷲尾正雄 一円十五銭城南小学校五年生鷲尾正博外三名 衣類四十五点ホーリネスト教会 百五十円十二銭(三百■十名)衣類十八梱食料品四樽櫻■婦人会男女青年団

大槌の二部落 一品も未配給

(釜石電話)県救護班並びに警察当局では不眠不休で救恤品の配給に当り救民に努めて居るが何せ被害地が余りに広汎なので配給してもなかなか行届かず大槌町赤浜部落の漁夫十四名、同村案渡部落の漁夫十七名は五日救恤品を貰い度いと釜石署に押掛けたが同人等の語る所に依ると如何なる手落ちか同部落には一品も配給されて居ないと。

大槌配給遅し

大槌から帰った市内肴町片山勇治氏は語る。
 海岸口は全部やられた案渡も三分の二は流失罹災者は困っている人達ですから早く救って貰いたい橋が毀れているので配給は思う様に行って居りません。

丹羽長官観察日程

丹羽社会局長官は小林事務官尾花■を随え五日午前十一時十二分着で来盛県庁で打合の上午後四時三十分盛岡駅発で斎藤県属案内で宮古に出発六日は宮古町視察田老重茂山田大槌各町村は回航中の駆逐艦により海上から視察し七日は釜石及び気仙郡下沿岸を視察する。

八角代議士来県

(東電)駆逐艦と救済策に就て協議のため八角三郎氏■遣代議士代表として六日夜災害地に急行することになった。