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なんと云う悲惨!  一村微塵ただ広莫   震害後最初の訪問者となる    唐丹村にて松本特派員発

三日夜十時記者は菊池くんと中村写真班君と三名松原嬉石を経て海岸線伝いに沿岸の状況を具さに視察し乍ら約四里の夜道を陸行で気仙郡唐丹村に向った。唯一つの提灯の光を頼りに余震頻々たる中を浜伝いに進む無気味さ—松原は倒 家屋三十五戸嬉石では七十五戸行手の道に無残に倒れたこれらの家屋が累々と重っている。柱を戸を屋根を電柱を踏み越え踏み越え進むこと約三十分、時々電線が足にからんで転がる。潮騒がゴーッゴーッと鳴っている。何だか又津浪が押よせて来たような気がしてドキッとする。漸く街道に出ると左手には夜目に凄い真暗な海、右手の崖からは、ゴロゴロと大きな石が転げ落ちて道を塞いでいる。約二里行進平田部落に着いた。部落の中川一二方に青年団員がこの夜を警戒のため集っているので立寄る。この部落は倒壊家屋十七戸、死者一名何でも死んだのはこの家の下手の方の後藤アサ(七一)婆さんで五十才になる嫁が背負って運び出そうとした時には既に波が押寄せて来たので嫁が婆さんを置いて逃げたのだという悲惨な話しだ。
 庭先きの達磨ストーブに暖を取って居ると三日の地震以来の疲労が出てうとうとと他愛なく三人とも倒れて仕舞う。目を覚ますと四時だ恰度花巻町の松田福松方雇人大沢伊三郎(三〇)と云う人が唐丹村の実家に急を聞いて急ぎ帰るのだとて立よったので我等三人は此家を立ち行を共にする。行手はだんだん気仙と上閉伊郡境の凄い平田峠にかかる(奥州流血録)に出て来る野田の百姓一揆が越した名だたる険所だ。
道には氷が張り詰め靴はズルズルすべり何遍スベッて転んだか涙が出そうだ。これも尊い報道の役目である。ひどい山坂を約一里登ると頂上に出た頂上から谷は南向きなのでもう立派な春だ雪をもとめんとするならば暁の光を浴びて遙か真南の中央に見ゆる鍬台山脈あるばかり道を下って行く事約半里其処は唐丹村本郷部落のありし処—渺茫たる一面の曠野が唐丹湾に面して居る。約百戸の部落は全部影も形もなく流失しよくもこれ迄粉微塵に砕けたと思われる木片の山、家の恰好が残ったのはタッタ二軒其一軒の方から大漁半天を着た親父が出て来た。女房をなくしたと云う三浦吉太郎と云う人でへ声を立てて泣いて訴えるのだった。誰が此大惨状を見て涙なしと云得よう然も救護班の研究員よりも誰れよりも真先きに此部落を訪ねた新聞記者は我々一行だったのだ聞くと三日地震後の夜明け浪打際に打上げられてウメキを立て救いを求める。瀕死の罹災者十人余りも居り。其の凄惨さは二目と見られなかたと云う今はゴザをかけられて居る累々たる死体の山其数五十ヶを越すだろう。鬼気自ら迫るものがある其あたり倒壊した水浸たしの屋根の下に、バリバリ砕けた唐紙、赤ん坊は何処に行ったのか嬰児籠、赤い鼻緒のボンボン下駄、出歯庖丁等を見ると薄気味悪くゾクゾク寒気が身に迫る。鳥が群をなして居る。何を啄いで居るのだろう。ゴロゴロした中を歩いて行くと大木の下からギロリと両足が出て居る片方にだけ足袋を穿いた無残な足。
 約四丈の大津波だったとの事で発動機漁船が二隻僅か山腹に腹を見せて覆って居る。その山に一頭の馬が主を失った事を知ってか知らでか青草を食べて居る馬は独りで逃げ出したのか人の親は大抵寝て居た子供を助けるために命を失ったと云う事で此部落丈でも海底の藻屑と消えたもの三百五十人生き残ったものは半数にもたらぬ二百五人で大抵男であった今はうちが倒れそれぞれ他家に収容されて居る有様である。

此の惨!唐丹村小白浜

中村特派員撮影(昨夜十時到着)

筆紙に尽せぬ惨  鵜住居から大槌を訪うの記   大槌にて 金田特派員発

三日の夜が明けると大槌町が火事と津波で全滅だと云う風評。それは大変と釜石から出発する。約四里鳥ヶ沢峠を綿の如く疲れているが新聞社に籍を置く責任感で進み鵜住居村水海部落に到着した。無数の大木は根こそぎに倒れている。此処は戸数は少ない。流失家屋二軒馬一頭。死んだ話を聴いていると重傷を負った女を担架に乗せて鵜住居村方面にかつぎゆくのを見る。尚進んで鵜住居村両石につく惨状の甚だしいのに驚く。ここは漁村で九十六戸の中山の手にある五戸だけが残って全滅し一面の野原と化している部落民は食うに米がない衣類もない諸君少しも早く救ってやってくれ。命からがら助かった者も右の始末だ。舟もない家もない涙なくしては見られない。此処は死者三名であるそれから更に強行軍して鵜住居につく。此処は高所にある関係上損害は殆んどない。次いで片岸部落につく総戸数五十戸その中潰滅二十三戸死傷者はない見込み惨状は筆紙に現わす事は出来ない。道路は到る所決潰したもの十二戸五歳の子供が死に同村板割では女三人死んだ箱崎部落には地勢の関係上行かないが可なり死傷者はある見込み。午後一時頃近く大槌町が見える。小槌橋が落橋して約一里上流に上って漸く町に入った早速巡査駐在所に到着して聞いて見ると吉里吉里案渡方面の惨状は激しいと云うことだ。中でも哀れなのは築港工事の事業員九人此の人達は地震があれば津浪が起ることを知らない人達でそのまま寝て居たらしいそして全部犠牲者となった。或家では五歳位の子供を抱いて寝て居た母が潮が追って来たので子供を捨てて逃げて自分だけ助かったとの事だ涙なくして聞かれない話ばかりである。山田方面から来た人の話によると同方面はトテも被害が激しいとの事なので之から吉里吉里案渡方面に向う予定。県から応援巡査が来た赤十字救護班も見える炊出しを運ぶ人もある。罹災者臨時収容所は小学校であるがその他の地方の状況は通信機関杜絶のため全然不明である。交通機関通信機関は尚当分開通の見込がたたない。

その後に来るもの心配さるる伝染病

県衛生課の指揮する罹災救済の医療班は被害地各地に於て活動して居るが四日午後迄に到達した各班の報告によると九戸地方は加療機関充分で近く引あげ久慈署下に於ても負傷者の応急処置は全部の罹災者に行きとどいて居る。然し病気の発生はむしろ今後にあり気のゆるみ或は食物の急変で胃腸を害う等災害後の伝染病流行が心配されるので災害地方に井戸の消毒浸水家屋の清潔法便所くみ取りの励行等を徹底させることになった。

罹災者へ骨壺配給 釜石署から百八十人分

(釜石電話)罹災者達は屍体の処置に困って居り気仙郡唐丹村方面では河原に屍体がごろごろとして居り凄惨の極みを呈して居り釜石警察署では之等罹災民に対し骨壺を配給する事になり取敢えず四日百八十人分を県に注文した。

亡霊慰問使

県では震災地亡霊慰問使として仏教会より左記諸師を五日派遣することになった。
 盛署下 岩瀬豊英、稲田泰堂、遠藤淵山
 釜石署下 藤本正道、斗ヶ沢慶雲、阿部大環
 宮古署下 土舘全■、海野義雄村松海恩
 岩泉署下 及川富雄、山本悟岳
 久慈署下 松尾正眞、浅沼俊道

救いの神様□□ 山田  駆逐艦が投錨   祈りの寒夜を送る

(山田電話)流失家屋二百五十倒壊七十三死者二名行方不明五名を出した山田町は大津波の引けた三日朝町の中心にある警察署から南全部が綺麗にさらわれて居る状態に避難先から帰った町民の心を暗くし殆んどなす処を知らず宮古からの交通も大槌からの交通も遮断されたので孤立の状態に置かれたが町当局は直ちに救護処置を取り一般避難者は小学校寺院等に収容された。夜に入り再び津波の襲来を懸念し収容しきれない避難者等が裏山の八幡社前其他の安全地帯を選んで焚火をしながらゴザむしろの上に一夜を明かす状態であった。身をもって危難を脱した人達のこととて着る布団もなく一枚の掛布団に七八人ももぐり込み寒夜にふるえながらも今来の恐怖と疲労の神経を休ましている状態は人間世界に見られぬ悲惨事だ死んだ二人は同町佐藤亀太郎氏(三五)同佐藤次郎(二三)で亀太郎氏は恰度病中であったので逃げ遅れて犠牲になってしまった。
行方不明の五名もその後どんなに捜索しても見あたらず結局はやはり死亡と見られている四日朝になって救援のために三日朝横須賀を出動した駆逐艦一艘を沖合に見出した時は全町民地獄で仏様に会った様な気持になり目に涙を光らして感謝の意に満たされた。湾内に投錨水兵上陸、救いの神様が来たというので皆元気が出て約三十名の水兵の人達の加勢で倒壊家屋の後片付をするもの駆逐艦がもって来た毛布の分配に寒さを凌ぐもの食料品の配給を受けるもの等で漸く死の町からよみがえった様な気持でいる。

雪が降り出す

盛岡地方は四日夕四時頃から小雪がちらつきだし寒さも加わったが測候所の観測では東海岸一帯は盛岡と同様夕方から降り出しこの雪は五日朝迄続く模様であるが幸に強い風はたたないと。

出身海兵帰郷許可

横須賀海軍鎮守府では震害地より本年一月海兵団入団の県出身海兵に帰郷を許すこととなり司令長官から命令があり四日被害地海兵十七名がまず帰郷し労力奉仕を行うことになった。

三菱安田から救恤金申出で

(東電)三陸地方罹災民救恤のため三菱から三万円安田善次郎氏から一万円を四日夫々内務省に申出たので内務省はこれ等を快く受理しこれが使途について協議中。

県よりの救恤品 ゆうべ六時現在

県■内救護司令部では罹災救援食品衣類等を順次自動車及び汽車便を以て釜石、宮古、さかり、久慈、岩泉の各地救護本部へ輸送を行っているが本部に於ては青年団、軍人会員消防団員の手を借り配給に万遺憾なきを期しているその物品の種類は白米の外三十六種に及びこの中には毛布寝具、鍋釜、ランプ、マッチの果てまで包含されているが四日午後六時現在の重なる物品配給状況左の如し。
        白米    味噌     毛布     衣類
 釜石方面  一六八俵  一四二樽  一、三七七枚  二、七一五点
 宮古同   一七〇    二三     七七一   三、九七五
 盛 同    四八    三〇     七九六   二、七七五
 久慈同    二〇    二九     四一七   一、〇二五
 岩泉同   三七三    七六     一六〇   一、〇九〇
 (一般の寄附物品も包含されている)
尚義捐金は四日午後六時までに一千円集ったと。

浚われた  家族五人   宇部村の派遣兵   九戸の詳報

(久慈電話)九戸郡長内村二子の復興工事に働くため種市村金沢熊蔵(三〇)草葉■蔵(一八)前野松次郎(一八)信田直三郎(二〇)の四名は何れも津浪のあった当夜着いたばかりで未だ働かない中に津浪にさらわれ溺死した。
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(同上)久慈町出身九戸郡種市村宿戸小学校小原富太郎(二四)訓導は八木の下宿先で同僚田村儀郎訓導と共に津浪の犠牲となったが死体は四日久慈町に漂着五日葬儀を行う。
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(同上)九戸郡宇部村小袖大下仁太郎方では一人の弟が目下満州に出征中であるが母ムラ(六二)を始め妻マン(二六)妹タキ(二〇)娘イシ(八つ)トシエ(四つ)の五人は津浪の為さらわれ悲嘆にくれているが出征軍人の家族だけに特に同情が集っている。
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野田津浪の跡とその救援振り

(同上)九戸郡沿岸の漁船は殆んど全部流失しつくし屍体の捜索にも差支えることであるが船大工は少なくこれが設備に相当の日数を要し随って一般は差しあたり正業につくことが出来ずこれが対策は最も急を要するものといわれている。

鈴なりで 配給を受く  釜石救護状況

釜石電話)釜石町では小野寺町長をはじめ町会議員町役場吏員等不眠不休で県の救護班と力を合せ罹災者救済に狂奔しているが四日花巻町をはじめ各方面から布団味噌等の救恤品が到着し直ちに罹災者に急報して配布しているが罹災者達は鈴なりに連なって配給を受けている。尚同町では五日午後一時より町役場に緊急町会を招集し救済方法の具体案を決定することになったが過般議決した昭和八年度予算を度外視した非常時予算を編成し救済の全きを期する事になっている。殊に出征軍人家族の罹災者に対しては特別の救済方法を講ずることになった。

早池峰丸で 唐丹へ配給

釜石電話)被害の最も甚だしい気仙郡唐丹村の罹災民に対し県から派遣されて来た釜石町の救護班では四日取敢ず早池峰丸で、米二十俵その他味噌衣食物雑品等を送り配給した。

襟巻までも  置いて   奇特な婦人   本社へ

四日午後三時五十分ころ本社に三十二三歳の婦人が訪問し『東海岸の気の毒な方々におあげして下さい』と現金十二円と衣類一包を置いて名も伝えずに立ち去ったが間もなく引返して更に着用してきた襟巻を『此の寒さでは一層同情に堪えませんから之も贈って下さい』と係員に渡し立去ったが此の奇特な婦人につき本社では調査の結果市内新庄鹿島下小森ヒサ子さんと判明した。

工兵道路修理

衛戍司令部より四日午後二時派遣の工兵隊佐藤少尉以下十三名の先発隊は午後六時半山田着その報告によれば直ちに附近道路復旧工事に着手し宮古町と当町の間に橋梁修理は材料到着次第工事着手する。

罹災地へ薬 薬剤師会から

県薬剤師会より四日県衛生課に罹災民用左記薬剤を発送方委託あったので直ちに発送した。
 △胃腸薬四七〇袋△解熱鎮痛剤六六四袋△霜焼きず薬六六〇袋

鉄道運賃減免

(東電)鉄道省では三陸地方の震火災津波による救恤品復興建築材料の輸送について運賃の減免を四日より開始する旨発表した減免種類は全免と五割減の二種である。

遠野釜石間自動車 開通

遠野釜石間自動車は四日午後一時から開通した。

東北大学救護班

四日午前十時五分東北大学医学部十三名を以て組織する救護医療班は十時三十分唐丹に向け出発した旨遠野署に入電あった。

防寒外套七千着  被服本廠より

(東電)陸軍では内務省社会局の希望により震害激甚地の岩手県に対し被服本廠より毛布製防寒外套七千着を四日急送した。

愛婦より二千円

(東電)愛国婦人会は三陸沿岸震災地に対し取敢ず岩手県支部に金二千円を電送した。

岩谷堂自警団応援

岩谷堂町自警団員十五名は三日午後十時半黒沢尻町より自動車をかって災害地の釜石町へ急行した。

高橋大尉の報告

衛戍司令部派遣高橋大尉は久慈町にて県より出張の久尾課長と同車視察による報告左の如し。
1釜石町出征軍人家族二戸流失
2宮古出征軍人岩間竹造の父死亡田老同上鳥居徳松、川村喜八、久保田徳吉、前川幸古、鳥居安太郎、舘石龍平、家族家屋流失
3普代村字小袖屍体発見六流失五倒壊五不住家となれるもの二〇中野村被害者四名久慈屍体発見一流失一不住家一 長内死亡二名 大沢村夏井村各六

曹洞宗大本山へ 救助の申請

三陸沿岸罹災地住民の大部分は曹洞宗であるため岩手県 洞宗事務所にてはこれが救恤のため活動を開始しとりあえず五名の慰問使僧を被害地へ発足せしめる一方遠藤洲山師は四日県当局の詳細なる調査を携えて上京大本山総持寺永平寺へ罹災者救恤の陳情をなすと。

石鳥谷の救援品

稗貫郡石鳥谷町役場では四日百円代の物品を購入して釜石町の罹災民に寄贈した。

東京各団慰問募集

(東電)東京府市商工会議所では三陸震災義捐金品募集について協議した結果四日より三十一日まで府は府社会課市は社会局で商工会議所では各区町村役場に於て義捐金品の受付を行うことになった。

三陸災害義捐金{四日本社扱}

五円内加賀野小路菊池小八郎 五円同三明院 二円四ッ家町加藤清次郎 六円夕■瀬多賀共和会員 三円同女中一同 醤油五斗十三日町浜屋商店 下駄百五十肴町熊足長分店 鼻緒百五十足肴町同 十円内丸佐藤自動車 五円同同従業員一同 衣類百五十点開運橋際宮田他人 十円肴町金子歯科医院 ナショナル電気ランプ百々東京松下商会 五十円市外本宮村金■友治郎 三円市内鉈屋町井上治郎 五円同桜小路花月亭 手拭三百本肴町川徳呉服店店員互福会 一円上■小路外川忠兵衛 衣類一揃■丸公会堂多賀浅沼ハナ 一円六日町鈴木歯科医院 五円同鉈屋町白岩久治 三円同花屋町通り丸茂呉服店 十円日影門外小路帝室林野局東京支局盛岡出張所 十円市内本町大安真綿本舗 毛布十枚メリヤス下着五枚同 一円上田小路一青年より
七円内丸河畔ルーム女給雇人一同十三円五十銭市内肴町浜藤本店従業員店員女中一同 三十円市内仙北町山田清之助二円六十銭市内仁王菜園盛岡裁縫女学校生徒一同 ズボン十五足市内鍛冶町小野寺商店 一円牧原卓雄 十円市内馬町季村一郎 五円池坊岩手県研究会二円九十五銭衣類十梱市内三つ割青年 二十円市内仙北組町電気研究所盛岡支所 三円市内北山北山高台寺女人講 二円五十銭十三日町渡辺洋服店員一同 衣類大沢川原小路一条一 衣類四個六日町高與旅舘 五円眞馬町杜陵美容院菊池武子 一円向同菊池くに子 五十銭同佐々木なよ 三十円十三日町斎藤仁助 三十円衣類五十点十三日町々会同青年会有志十六名 十二円衣類一包新庄鹿島下小林ひさ 十七円三十銭明治会盛岡支会衣類一包内丸下の橋通澤田トヨ ビスケット二箱東北高等女学校四年甲組一同 パン一箱同乙組一同サツマ藷一俵衣類八梱東北高等女学校生徒一同 二円市内菜園老松町古竹女中一同 三円■沢郡前沢町無名氏 三円衣類一包仁王小路佐藤洋服店 味噌一樽市内小人町荒川福右衛門
合計六百七十二円七十五銭

海嘯御見舞御礼

今回海嘯に就ては早速御■篤なる御見舞被下御厚情誠に厚く奉存候幸に被害軽微且つ人事異状無之候間御安心被下度願上候混雑中御尊名伺洩れも可有之と存じ謹みて紙上御礼申上候。
 三月五日   九戸郡久慈町湊
兼田忠吉

急告

一、罹災者ニ対シ一戸当リ電燈十六燭光以下台燈来ル四月末日迄無料点火(損料モ含ム)ス
一、罹災者ニ対シ四月末日迄ノ取付工料ハ無料トス
今回県下災害ノ罹災者ニ同情シ右ノ通リ通リ急告候也
昭和八年三月四日
盛岡電燈株式会社