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災害の地を行く  高田松原から気仙の海を見る   一家圧死の家に泣く

高田■にて電通瀬川特派員)急電一干直ちに三陸地方津波被害実情編集に飛出した記者は途中東北本線花巻駅より釜石に通ずる唯一の交通機関たる釜石軽便鉄道不通の情報を得たので予定を変更し一関気仙沼を経て
 高田町に入る。有名な日本百景の一たる高田松原の中央にある■湯旅舘浩養舘礼田キヨ(四〇)方では親子三人悉く圧しし同旅舘は完全に押し潰されてしまった。松原は一時は押し流されるかと思われたが二丈の波は直ちに引返したので名物だけは残った訳である。夫より
 気仙郡気仙町長部港海岸を視察する。同所はこの附近で最も甚だしい被害をうけた所で櫻井禎三(二二)方では同人の妹ヤエ子(一九)母コマチ(五〇)祖母トヲ(七六)の四人が悉く圧死し又熊谷ガン(六五)キン(四一)キノ(八九)外男一名一家四名悉く圧死した等あり平野シン(二六)外女二名の三人一家悉く圧死したる等同部落の死者二十八名、戸数
 五十七戸中完全に残ったものは一戸もなく見るも無残なる惨状で同村の田圃は悉く泥海と化しその中に半壊した小船が所々に散在する−暗夜の中を寒気にふるえ乍ら倒壊家屋の中から家財や死体の発見に努めている。村民の姿は見るも哀れなものだ。食糧は山間部の難を逃れた部落から供給されているが唯困るのは人手が足りない事である。記者はそれより同郡の末崎村に向う−同村の被害は割合に少ないようであったがそれでも同村の菅原定右衛門氏方では定右衛門氏が辛うじて
 助け出された外妻ゆり(六〇)娘うめの(三六)長男定喜(一二)次女たま(七ツ)次男定男(四ツ)下男小村勇(一七)の一家六人が圧死せるあり而も主人は危篤である等相当以上の惨状である同村の一古老は語る
 昨夜二時半頃地震後突然うなりを生じたのでスワと許り避難の準備をしたが二丈余の津波が二度も押し寄せあっと云う間もなく家はさらわれてしまった、助かった多くのものは山間部につち
早く避難したもの許りでした私は先祖代々当地に住んでいるが明治二十九年の大津波もこんなにひどくはありませんでした・・・・・・・・・・・・
とただぼう然たる形であった、眼を向う岸の高田松原に転ずれば波は油を流した如く昨夜の大凶暴を忘れた如く自然は何処までも皮肉である

現金三万円入りの  金庫怒涛の彼方へ   末崎村細浦鉄道工事で

(■田来山内特派員発)気仙郡沿岸の中最も悲惨を極めた処は広田村綾里村等で広田村の如きは全滅に等しい状況である震動の激しい最中に明治二十九年の大津波の経験者が大津波襲来の警報をしたので身柄丈け避難した為め死亡者も二十九年の時よりは少なく高田、大■■聞の■きは家屋が道路上に流出して自動車の交通が殆んど出来ない末崎村■浦にある鉄道工事の有田組事務所の如き刃七号金庫が波にさらわれて行方不明になり恰度人夫賃の支払いをする準備中なので金が約三万年程入って居るので発見したものには百円の懸賞金を出すとふれて折角捜査をして居る津波の押して来た当時の波の高さが一丈二、三尺もの高さで凄惨此の上もないものであり追懐しても身ぶるえするの状況だった。

緊急総動員  県に置いた非常警備司令部   救恤と警備完全を

三日の東海岸震災に県は早時非常警備司令部を警察部に置き高等警察■に於て情報を収集し県庁全員に非常■務を命じ社会、庶務両課は■外■接に農務、商工、水産、山林、土木各課は物資配給、衛生■に救護本部を設け万遺憾なきを押しつつある。

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■隊員は高等官百分ノ五、判任官百分ノ三約三千円の義捐金を集め被害地に送る事になった。

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救護品輸送の便を計る為め平津戸に臨時警察を置き同地方通行の民間トラックを徴収事務を敏速に計ることになった。

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県では三日午後五時本県震災が町村■育施設に甚大なる損失を与えたる旨文部大臣に報告し普通学務局員の急派を乞う所あった。

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県青年団体連合会では三日午後四時半本部理事長宛本県震災状況を打電し全国青年の復興協力を乞うた。

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盛岡連隊区司令部では東海岸大震災に就き満州派遣将兵にして同地方出身者の家族多数あり第一線将兵の士気に関するを慮かり且つ夫等罹災家族の救恤を主管するため国崎連隊区司令官以下三日早朝来大活動を始めているがとりあえず司令部附下士官を各方面に出勤せしめ罹災状況の詳細調査に赴かしむる一方県当局衛戌司令部と協力し徹底的救恤に邁進する方針であるが尚三日早朝陸軍省恤兵部に恤兵金の交付を電請した。

暗の中から 助けて呉れ  唐丹通過の  船客の談

(釜石電話)三日午前五時頃気仙郡唐丹村小白浜沖を通過した三陸汽船の乗客の語る処によれば
 同村本■花露辺州部落には全く人家が見当らず暗夜の洋上から助けてくれ助けてくれとの絹を裂くような悲鳴が各所から聞こえたが波浪高くなんとも手の施しようもなくただ見殺しにして同部落を通過した。
と語っていた

種市緊急村会

九戸郡種市村では三日緊急村会を招集し震害地救助義捐金募集に関する決議を為した。

電信電話線不通箇所

Array三日の強震に依る県下電信、電話故障線左の如し
△電信線
 ▲新田−一関▲東京−函館二番線 ▲東京−旭川 ▲東京−青森一番線▲東京−小樽二番線(以上午前十時回復)▲盛岡−只出(釜石以南不通)▲盛岡−盛▲盛岡−釜石二番線(以上不通)▲盛岡−船越▲盛岡−岩泉▲盛岡−釜石一番線(以上三日午後回復)
△電話線
 ▲釜石−宮古▲宮古−山田▲宮古−重茂▲宮古−岩泉▲宮古−田老▲久慈−種市▲高田−細浦▲高田−泊浜(以上海岸方面不通)▲盛岡−釜石▲盛岡花泉▲盛岡−黒沢尻(以上午後回復)
尚盛岡技術官駐在所では総動員で復旧工事に努力しているから四日中に全通する見込み

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釜石町では電信船焼失したため局を移転し単独通話をやっているので交換は不能となったので鉱山局に電話の交換に当っている。

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電話線のうち三日午後四時半迄に回復になった通話線は大槌経由盛岡釜石間一線が午前七時二十分に復旧したのみで三日夜迄は不能で四日夜とみられ釜石宮古其他各都市の被害は大半やられているので今明中には復旧の見込なし。尚小本局詰の鈴木与四郎(二六)君は愛妻及び愛児母堂をのこして殉職。

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山田局佐藤勇(三二)氏及び鈴木勲(二八)両君の家屋は流出され家族は避難したが消息は不明である尚大槌局は三日午後六時迄には通信全くなく被害状況は不明である。

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種市線は午前十一時に野田線は夫々回線し小本宮古線のみは午後六時までには復旧されない。

雄々しく職場に  家をよそに消防手と交換手が   災害の釜石に佳話

(同上)その後判明せる釜石町の流失及び倒壊の主なる建物左の如し
 釜石鉱山廻送部税関出張所、釜石鉱山倉庫、同変電所、渡辺病院、岩手無蓋会社支店、石万鉄工所
尚消防組青年団自警団員等各種団体総出動にて罹災者の救助に活躍しているが海嘯襲来の真最中釜石消防組員数名が元警察署前の火の見櫓に上って警鐘を乱打して海嘯襲来を町民に知らせ危険防止に努め又釜石郵便局電話交換手たちは大波が打上げるまで飛沫をものともせず勇敢に職務を守って異変事の通信連絡に当る等何れも町民の激賞を博した。

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(同上)上閉伊郡鵜住居村箱崎■浜白浜の各部落の被害状況は通信機関杜絶のため詳細を知ることが出来ぬが半島であるため大部分流失したものと見られている。

衣類寄贈

郷軍盛岡連合分会では三日午後六時盛岡駅発臨時列車にて宮古地方へ衣類を送った右の衣類は左の各分会にて一般から寄贈されたものである。
 第一分会(千五百点)第二(四十五点)第三(千七百八十点)第四(千八百五十点)第五(千六百点)第六(一千五百点)第七(五十七点)

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(黒沢尻電話)黒沢尻町並に同町自警団、在郷軍人分会、男女青年団では三陸沿岸の海嘯の報に接すると共に町内から義捐金を募集し之で衣服を購入し三百二点六日午後四時五十五分黒沢尻駅発で遠野駅に発送した。

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本県では物資挑発掛を設け救護品を罹災地に配給したが三日午後三時半迄に白米百六十三俵、味噌二十五樽、漬物二十樽、毛布三百二十一枚その他パン、缶詰、靴下、タオル、足袋、砂糖、ローソク、マッチ、提灯、手袋、ムシロ、寝具等多数発送した。

山田少佐、堀田事 務官来盛

第八師団山田少佐は本県の災害状況視察及び罹災民慰問のため四日午前三時三十二分着上り列車で弘前より来盛した尚内務省社会局堀田事務官は午前一時四十分の下り列車で震災見舞のため来盛した。

思い起す  三陸の大海嘯   死者二万二千五百人

去る明治二十九年五月、桃の節句の折柄、突如本県東海岸を襲った有名な三陸大海嘯の被害は左記の通り。上下閉伊、気仙、九戸の各郡下に亘り死者二万二千五百六十五人(人口十万三千七百七十二人の内)傷者六千七百七十九人、流失家屋は全戸数一万七千二百十一戸の内六千百五十六戸の多数に上った。

思い出  鈴木巌氏談

大変な事になりましたね、三十八年前朝日新聞社から特派されて宮古に来り軍艦和泉で視察に来た時の内相板垣退助氏と同道釜石に向ったのでした。三崎検事総長、内務省から栗原亮一、久米金弥なんという偉い連中も来ました戦争にも行きましたが海嘯の方はより陰惨なものです。軍艦の周囲に屍体が流れて来るのです。一ノ倉■一さんが上閉伊郡長で遠野で米を買占めて大手柄をしたのでした釜石の小■米汪という県会議員が金時計を家に忘れたとて戻ったところを浪にさらわれたのでした。

気仙地方被害

気仙地方は割合に被害軽少と見るも海岸は軽い津波あり広田村気仙町の一部末崎村等相当の被害あり電信電話の不通となれるところもあり被害判明分左の如し
△気仙町 死者二二、行方不明一八、負傷五〇、倒潰四八
△広田村 死者四〇、行方不明一〇、倒潰二〇
△米崎村 死者二、負傷七、行方不明六、倒潰一三
△高田町 死者三、負傷二、倒潰二
三陸海嘯以来の被害、消防をはじめ各団体の出動に混雑をしている

涌津の被害

三日未明午前二時三十分の激震で西磐井郡涌津村酒造会社煙突が屋上五尺の個所から折損損害五十円、同村千葉市平所有土蔵片壁五坪脱落損害五十円、同村佐藤左四郎所有土蔵も又二坪崩れ二十円の損害を被った。

郷軍寄附募集

在郷軍人盛岡市連合分会では三日朝連合分会長松本少将の命令一下各分会長分会役員一同盛岡市役所に集合罹災者を救恤につき打合せを行ったが三日午後三時までに各分会員手分けして分会内各家庭より寄附を受けた。
 ▲第一分会一千点▲第二分会三五■▲第三分会千七百八十点▲第四分会千五百点▲第五分会七百点▲第六分会未着▲第七分会五六点
 合計五千七百余点の衣服類食料品等救恤物資を市役所に集結し松本少将以下各会員の活動を以て瞬く間に分類梱包を終り三日午後六時十五分盛岡駅発山田線臨時列車に積載しとりあえず第一回分として罹災地に発送した

知事の真剣  きのうの県庁

本県沿岸の震害が報告されると共に三日午前一時まで官舎に高瀬商工課長、一之瀬技師、小安水試場長等から水産々業組合の組織計■内容を臥して之に決裁し先ず之で
県水産業は将に■期的発展をなし得ると安堵して床について四、五十分たった頃アノ激震で起き上った石黒知事は直ちに県庁に部課長を集め湯本部長其他を沿岸罹災地に出張を命じ夫から材満将兵へ電報をうたせ大湊要港部に軍艦の派遣を申請し緊急の救恤物資を荷造りさせて各罹災地に配給を命じ其間警々其他に就いて軍部と交渉したり殆んど■食をとる暇もなかった。石黒知事は些かの疲労の色も見せず退庁時間後も居残り警察部長室に設けられた。
警備司令部に詰めかけて指揮統制を図り夕食も七時過ぎに此処でとった。知事も斯く■■であるため■員全部も異常に緊張し各係員は各自の事務分担に努力し物品配給係の濃霧商工両課は井上課長、一之瀬技師以下深更まで第二回配給の物資挑発に努力し外部との交渉を命ぜられた庶務、社会課の大森事務官外仕出し弁当を夕食として十二時過ぎまで働き山林課は県内の仮小屋建築材料の在庫品数量並に之が輸送方法を調査したり研究をなしたりで総員手があかぬ有様。衛生事務をあずかる衛生課は東海林課長以下各罹災地の負傷者数に応じ医師を適当に配置し遺憾なきを期して居り高等課には加藤課長、板橋刑事課長其他が各署からの情報を集めて夫々関係官庁に報告するので警察電話は殆んど空きがない。警察部長室には石黒知事、前田内務、森部警察部長並に軍部関係者が鳩首■■し正に岩手県庁は嘗てない興奮と緊張とを以て満たされ四日を迎えた。

郷里を心配し  泣く女師生   震害の村から出ている    市内各中等生訪問

Array 女師 女師師範寄宿舎生百七十九人中被害地方より来ている者は合計三十人に上りこれを地方別にしてみると
宮古地方三名 坂下ヨシ 伊東ヤエ 高橋ミツエ
釜石地方三名 田村チヤ 小笠原ノブ 金澤ヤエ
久慈地方四名 山崎ノブ 夏江トキノ 中野ケイ 中野ツタ
山田地方三名 佐々木桃子 山崎マサ 上林千代
大槌地方四名 加藤光 岩間ハル 後藤ヤスエ 蔓目ひろ
気仙地方十二名 熊谷マサ 川村フミ 大阪イチ 佐々木トミ 今野キクエ 千葉ミエ 新沼アヤ 佐々木キミ子 花輪ツヤ子 蛇ノ下マツミ 佐藤キミ 蔦田マサ子
八戸地方一名 小林智恵
中八戸、久慈地方よりは大丈夫の報が入っているが、その他は全然音信なく中には心配の余り泣いている生徒もある。

 男子 男子師範学校生徒中災害地より来ている生徒は五年五名四年十六名、三年十四名、二年十二名、一年四名、二部二年四名、一部三名の合計五十八名で三日即日帰郷した生徒は十五名で内十二名は山田線、他は軽鉄で郷里に赴いた。

 盛中 盛岡中学校寄宿舎生七十名のうち三十名は沿岸震災被害地出身であるので学校当局では直ちに旅費を取り揃えたが三日震災の報と共に即日帰郷した四五年生は三名で他は学期試験を控えているため郷省出来ず試験が終るまで待つことにした。尚二日帰郷した生徒は一名あり旅行途中での遭遇は必然であるから学校当局ではその安否を気遣っている。

 盛女 盛岡高等女学校寄宿舎生のうち罹災地出身の女生徒は四年生四名、三年十一名二年四名、一年六名の計二十五名であるが何れも被害が被であるため遽かな帰郷はさしひかえている。

急援の  医療隊   各地から急行

海嘯急援隊として一関町八幡街岩手産婆看護会では左の十名
 櫻田みつ子、千葉かつゑ、竹原そよ、熊谷あや子、阿部ふじゑ、熊谷やをゑ、高橋かつよ、佐藤まき子、佐藤みつぎ、阿部みゑき
及び東西両磐実費診療所中里、塩澤両医師看護婦二名が奉仕的に出動看護を一関警察署に申込みあったので夫々手配した。
黒沢尻町では和賀黒沢尻両病院から医師看護婦数名を午前九時自動車で急派せしめ罹災者の救護にあたらしめた。

同情金募集  慈善鍋   市内基督教会で

東海岸罹災地救助資金を得るため市内各キリスト教会では急遽慈善鍋を作り市内辻々で市民の同情に訴えることになり尚各教会を代表して内丸教会今井牧師は三陸へ向ったが内丸幼稚園ではレコードコンサートを催し救助資金を得ることになった。

女師附属五年生  お金学用品   本社へ托す

女師附属小学校五年生一同は三陸震災に対してお金二円四十銭と学用品多数の寄贈を本社に委託した。

死体二十五箇  宮城県歌津で発見

(仙台電話)宮城県下の其の後判明せる被害状況は相当甚大本吉郡歌津村の如きは一度に二十五個の死体を発見した程であった尚午後二時半県保安課の発表による被害状況は左の如くである。
 死者七十八、負傷者十四、行方不明者八十四、倒潰家屋七十三戸、流失家屋五百五、浸水家屋三千三十四戸、船の流失一千八十八

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(青森電話)青森県下の震災の最も甚だしかったのは上北郡三沢村淋代では流失家屋十六棟死者二十名負傷三十名出した尚同村字四川目では死者六名、行方不明三名、重傷二名を出した。

北海道南海岸 にも海嘯

(北海道日高国浦河発)三日払暁の地震に北海道南部海岸にも海嘯あり。日高国幌泉■■両村にて死者百四十五名浸水家屋百余戸倒壊四百五十戸流失家屋数は不明であるが幌泉村は全滅したものと見られる。

北海道の被害

(札幌電話)三日払暁の地震被害北海道の分左の如し
▼日高国
 広野村 流失三〇戸 死者一〇名
 小■村 死者三名
 鬼伏村 流失五戸 浸水三〇戸

災害の詳報を待つ  在満の郷土出身将士

(朝陽三日発電通)三陸地方大震災の急報は同地方出征の将兵を有する○○○の首脳部に異常のショックを与えているが此の凶報を将兵に知らせない訳にも行かずさりとて常に思いを故郷の空に馳せている彼等に徒らに心配の種を与えてはと頻りに詳報の到着を待っている。

西○団長より  見舞電報   打電に対し

在満西○○団長より三日午後六時衛戌司令官市瀬旅団長宛大道発左の如き来電到着せり。
 三陸沿岸海嘯被害状況承知せり出動将兵家庭救恤については何分の御尽力を乞う。
           西○○団長

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盛岡衛戌司令官は熱河にある西○団長に左の如く打電した。
 遙に戦捷を祝す三陸沿岸ツナミノ為被害相当大なるも出動将兵の家族救援には県当局と協力し遺憾なきを期しつつあり安心を乞うこの旨各隊に伝達ありたし。

八戸線開通

(久慈電話)大津波のため不通になっていた八戸線は三日午後十時久慈着の最終列車から開通した。

八角代議士より 電報

八角代議士より三日午後知事宛左の電報があった。
 震害御見舞申す今朝海軍省に交渉既に舘山、霞ヶ浦より飛行機出動又大湊より駆逐艦三隻、横須賀より駆逐艦五隻、午後三時出発の筈、なお要すれば交渉すべし。

内務省内で  震害対策協議

(東電)内務省では三陸地方大地震に関し三日朝警保局の増田石井両事務官を飛行機にて現状に急行せしめ被害状況の調査及び罹災民救助等につき関係地方庁と協議方を命ずる所あったが石井事務官は釜石着と共に被害状況を実査且つ岩手県外宮城青森各県とも電話を以て連絡を取り詳細聴取したる結果損害が意外に甚大なる事が判明したのでその足で直ちに飛行機に搭乗右報告を■して急遽帰京した。よって内務省では直ちに省内に三陸地方震害対策協議会を開き松本警保局長宮の刑務課長■野社会局保護課長その他関係官出席石井事務官の報告及び各県当局より本省に達した情報を綜合して三陸地方地震被害調査表を作成し宮内省政府大官等に報告する所があった。

救済復興に  遺漏なきを期す   政府から言明す

(東電)政府は三陸地方震害に関し内務省の報告に基づき齋藤首相が四日議会本会議席上に於て右被害状況を報告すると共に政府は罹災民救済震災地復興につき万遺漏なきを期すべき旨を言明する事になった。

郷軍義捐募集

帝国在郷軍人会盛岡支部にては東海岸震災罹災民救恤のためとりあえず被害地隣接町村分会をして分会員を出動せしめ直接救助に当らしめる一方県下各分会をして全県的に救恤物資の募集を行わしめる事となった。

東京市救護班

(東電)岩手宮城両方面の地震について東京市では取り敢ず保険局衛生課長酒井菊■氏を班長として医師看護婦十名の救護班を組織し三日午後十時上野発列車で出発することとなった。

東京府から 救護班派遣

(東電)三陸地方災害見舞のため東京府では救護班として医師四名、薬剤師二名、書記二名、看護婦六名を二班に分ち三日午後七時半上野駅発列車で釜石地方に派遣した。

両鉄道割引

軽鉄及び鉱山鉄道では見舞客のために三日間乗車賃五割引、鉄策運搬を無料奉仕した。

大槌の被害

Array(釜石電話)大槌町における被害左の如し
       町方   安渡   吉里々々  合計
流失家屋   七四   一二九   九二   二九五
倒潰家屋   九八    二九   二二   一四九
半潰家屋   一四    二三   一三    五〇
死  者   一四    一〇    三    二七
行方不明者   九    一二    六    二七
負 傷 者    六     九    三    一八
尚流失漁船七〇、罹災者は小学校に収容負傷者手当中

 前沢地方

沢町内吉田酒造店では酒一石余、及川酒造店は七斗余が酒樽より溢流し、カネヨ陶器店で瀬戸物多大の被害を蒙ったが家屋の倒潰等はなかった。

千厩署員の応援

(千厩電話)千厩警察署部長以下六名の署員は三日午前六時高田に応援のため急行したが尚村落駐在所巡査を招集し命令を待っている又町役場では区長、郷軍分会長、その他各団体の幹部会を開き救済品募集にとりかかっている。

遠野兵站部 食糧を輸送

遠野震災救護兵站部から釜石、大槌、鵜住居へ米六十五俵、味噌十四斗をトラックで十時頃輸送した。

三沢村でも津波襲来

(青森電話)青森県上北郡三沢村では津波襲来により村民三十名は波にさらわれ行方不明となった。

四十尺の大波

九戸郡侍浜村■生海岸に押寄せた津波を目撃の談によると波の高さは四十尺位のこと。