文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

●災害地出張日記 (第四報六月二十日釜石において) 特派員 日戸勝郎

午後(十九日)二時まで鈴子舘にて原稿を書き了り
昼食整えて直に釜石町役場に到り一倉郡長か大槌
に到るわ聞き然らばとて余もまた追行しぬ。釜石より
道程三里半二ヶの大なる山坂を越え炎天焼くか如
き日中羊腸九択を登り下りす流汗瀧の如く身体冷
を覚ゆる程なりし。
大槌に到る途中山坂より見らるる限り処々の山間
田甫村落に海嘯の侵入せし痕を認む。水海村の如き
は家の構えもならばこそ奇麗に洗い上げられて十
数人の人と土地の砂原に酒樽開く大声に話し居る
と見る彼等は昨来いずれの処に宿せしや。吁樹下石上の
禅僧にてもあるまじきに同所は十数戸にして人口
百人もありしか十二人ばかり助かり家は悉無。
両石村は戸数百二十九戸の処百二十七流失して残
るは二軒のみ。人口は七百十人にして百三十人程生
存し得たりと。この地方には鵜住居より救助米出し
居る両石の村外れの山下に大形の帆舞船横わり居
りて処々に鋼鉄及び錨金網散乱し居る。この船は田中
製鉄所の持ち船にして釜石より吹き飛ばされし者な
りと。この船ドンドン村落に入り来たりしため斯く悉無
の破潰を見るに到りしと。
鵜住居村大字箱崎の中に鍬ヶ濱は十二戸にして人
口八十人なりしか。流亡七十人にして戸数は悉無流
失せり。
字刈宿は七戸にして人口四十六人死亡は七人なり。
字白濱は二十八戸にして人口は百八十六人。死亡は
十人戸数は八戸流亡。箱崎は六十五戸にして人口は
四百三十二名。死亡は百人負傷二十名以上。小字鵜住
居は百三十戸人口は八百六十六人にて死亡は八人。
大字片岸は四十戸人口は二百六十六人死亡は八人
にて八戸流る半潰は二十四。室ヶ濱は三十五戸に
して人口は二百三十三名。死亡は五十名戸数は二十四
流失。合計にて鵜住居村は人口「千六百余人」死亡ら
り。而して昨(十九日)までに屍体ようやく十分の一ほど引き
上がしと。総じてこの辺は大槌より掛けて人夫牛馬の運
乏しく三十人五十人の人夫は何の役にも立たずと。
此等の諸村を巡視して四時過ぎ大槌に着きぬ。直ちに警
察署に到りまた同町役場に到りて大槌町の概況を問う。
町役場には書記三名ばかり在りしが昨日来いまだ精査
せずと云う。然らばとて待ち居りし中に町長後藤直
太郎氏も来たり。また西南閉伊の郡長も来る。談じて晩景
に及び一先ず宿屋に着きし。
町役場の書記金崎某と云えるは当日遭難者の一人にして
余のためにその顛末を語る。前報にも記せし如
く当日は如何にも同町が凱旋祝勝会なれば遠野
より花火師を三人雇い来たり人夫二人を伴うて洲岬
において花火打ち揚げに掛かりぬ。その時金崎書記は花火に
遠くより見れば好きものなりとてそのあたりの牛小屋あ
る高処に登り数人相会して見物しぬ。第一回の花火
は失敗し第二回も三回も不完全なりしその時地底に
小微動の地震なりしに何心かと居りしが間もなく
遥かに「ドンー」と一声響き渡りぬ雷の如く聞こえし
かで雨降らんと話し居るに雨もなし。而してその響
きは何となく地底より来たりし様なり。一人の者不審
かしく思い是れあるいは海嘯にてはあらざるかと。地方
の人等は却って聞き流し海嘯などは「コンナ」ものに非
らずなど平素に話し居りし第四発目の花火は誠に見
事に打ち揚がれり。この瞬間浜辺の方に声ありて「海嘯
ダー」と細く聞こえ其れと云うて海面を見しに浪
は四五十丈高く捲き捲き寄せ来たりぬ。その早きこと目
も止まらぬ。もとより気が気でなく逃げ去りしが十分
間も立つと思う頃目を挙くればこの時早や無惨の
状体を現せり実に夢の如しその浪の来るや手を挙
げて捲くり下ろせすが如く倉の前家の前にて一捲く
も下ろせしに波は毫も障えざりしも空気の圧力
にて家も倉も皆倒れたりと大砲よりも猛勢なりし。
余はその夜(十九日)の中に大槌町の調べを聞かんとせ
しも末調なればとて翌朝早起再び訪いしに昨夜は
一時までようやく調べ上げたりとてすなわち左の如く
報じぬ。
大槌町大槌(安渡向河原)には死亡百四十二、負傷
十二、家畜は四、建物は二百二十、耕地は六十五町、
船は五十八艘流失せり。小槌にては(大須賀中須賀)
死亡八十八、負傷は四、建物は百五十、耕地は二十
九町。船舶は十四艘流失。
吉里々々村は一層甚だしかりし。死者は三百六十九
負傷は四十五、家畜は十五、建物は二百三十四、耕
地は四十二町、船は九十。
右合計すれば死亡者は六百余人(■着の他出稼ぎも)。
負傷は六十一、家畜は十九、建物は六百四、耕地は
百三十六町、船は百六十二艘なりと。この調査はもっとも
精確なる者なり。
大槌町は通り一辺にては破損少なきか如く片側の家
は大概壁抜かれ柱挫かれしが建物の組織は依然た
りし。ただ家具雑具は「代無し」にせられたる故街路に
処狭きまで並びてあり市街の裡手なる浜に近き分は
一面に持ち去られぬ。
大槌町において目下困難なるは人夫の不足せること
なり。郡長は釜石より二十五名も引き上げんと言いしに
目下五十人あれども目に見えず二十五名位何の甲斐
なるべきや。人夫の不足は目下の大困難たり一日も
緩うせじ。棄物屍体尽く腐敗して必ず流行病を惹起
さずんば止まざるがなり。災害地方ならざる地の人夫
は悉く雇い来たりて処分形付けの早く清潔ならんこ
とを望むなり。人夫は一日四十銭にて死体発見せば
五十銭なりと。
大槌町における負傷者皆小学校において手当てし居
れり。
釜石もその他の地方もこの類なり。

悲話片々

◎余が片岸村を通りし際老婆と子供のみ残り家も
財産も失いしが路傍に蹲りて天を仰いで恨んで曰
く今までは支那に勝った勝った勝ったと毎日旗立てて
暮らしていたが今は仇取り返されたり。支那にて水を
送り来たるに相違なしと。
◎一人の老婦人あり。海嘯に持ち行かれて屋根の上
に取り付きまた材木に取り付きなどして転々し居りしが
大なる手水鉢の如き者流れ来るを見つけその中に這
入り込みしが何分覆らんとせし故傍り見しにまた
一つの材木流れ来たれり。それに大なる穴ありしがば
是れ幸いとその穴に両手を入れて?まりつつ運に任
せて流れ居たり。暫くして足に障る者あり。何物なら
んと探りしに確かに地面なりしかば蘇生の心にて這い
上がり夜の明くるまで其処に居りしが何ぞ図らん
山の絶頂なりと。
◎道又某は夫妻だけ助かりて他は皆死亡せし趣きな
るが本人の直話に此日本父子共に酒飲み酔臥せしに
海嘯の音に目を覚まし夢中にて二階に上がりぬ。其
より屋根の「グシ」に取り付き母にも妻にも取り付かし
め離すな離すなと声掛けつつ流れ行しがその時母の
呼び声も聞き妻児の啼き声を聞きしも父の声は聞こえ
ざりし。屋根は次第に建物を離れて五六丁も奮位地
を離れしと思う頃自分は兎に角して屋根突き破り
て上に登り母と妻に之れより登れと声掛けしに
母の声して貴様屋根を下りては往かぬなお凄まじ
き音の聞こえるありと叫びぬ。屋根は打ち寄せられて山に
近づきし故幸と跳ね登りぬまた手を伸ばして母と妻を
救いんとせしに此瞬間波また襲い来たりて屋根を無理
に持ち行きぬ。吁これで別れかと思い其れより山伝う
てある所に到り助けられ裸体のままなりしを着物借り
て凌げり。暫くして午後十時ごろ吾家にありし叔父も
尋ね来たりて妻も助かり某所に預け置きぬと聞き不
思議と思う他なかりけり。後に何して生きたと尋ね
しに一向前後判明せざれど屋根の上に一時登りし
に目前に下女が吾子を負うて深底に落ちしを恰も傍
にて見たりしかば覚えず押さえとせしに其「ハヅ
ミ」にて自分も落ちぬ。その後は判然とせず暫くたちて
山の岸に打ち揚げらる時に傍に建てる家なりしが家
内の人は皆屋根に上ぼりて在りしに家の下に助け
てくれと声頻りに聞こえしに是れ即ち自分にてあり。
◎前川某は同じく屋根の上に取り付きて流れぬその時
屋根は幾箇も流れ来たりしかどその中の丈夫そうなもの
に乗り移りし者ありて一人は少年一人は四十位の強漢な
りし三人は必死となりて互いに声掛けつつ何処に流れ
るも離るるありと波に任せ行きしに大槌の赤濱の方
に近づきぬ時に波荒くなり屋根崩れかからんとせ
しかば傍らに流れ来たる櫓櫂に三人共に取り付きたり。
然るに二人なれど浮かび得べきも三人なれど沈みけ
る故再び元の屋根に乗りぬ。前川曰く三人の中一人
丈泳ぎて赤濱につき救助の策を講ぜられよと四十
ばかりの強漢彼の櫂に取り付きて赤濱に泳ぎつき何とか助
けんものとて待って居れと頻りに叫びしが人は待ち
たくも波は次第に此屋根を沖に持ち去られり。然るに
沖合いには?船五六艘打ちつ揺られつして一所に漂
い居りしかば前川等二人は声を限りに助けを呼ぶ。?
船の漁夫等も耳敏く聞きつけて全力を尽くして櫓櫂
を押しつつ終に屋上の人を救いたりしに船中の人
皆知人にて前川の旦那なるかとその奇遇に驚けりと
云う。
◎箱崎の教員杤内泰吉氏は海嘯にて小学校も危うし
と見て取り馳入りて御真影を取り出しそれが為
め時を費やして負傷非常に終には死亡したりと伝
えり。氏の如きは忠死の士と云う可きか。
◎大槌町の医師淺沼貞吉氏は海嘯当日より自ら負
傷者の手当てに尽力し得らるる由なり。
◎閉伊郡舟越村は流失夥しく西舘と申す高所一
戸を除くの他は悉皆流失。而して生存者は六百名ばか
りもあれば食料に乏しく目下飢餓に迫り宮古よ
り米送の手続運びたりとも途中人馬通せさる所あ
り困難切迫せりとて大槌町役場へ米三駄運び呉る
る様依頼し来たれり(十九日)。大槌町も其如く宿屋を
始め財産家まで皆米を失いそのもっとも乏しき者は町村
より仰ぎ居れり。今日より救助の法大に講ぜずんば
終には飢餓を以て人を殺すに到るべし。
◎沿岸地方何の地に宿しても遂に魚を食いしこと
なし。有るには有れども皆古びて食えぬなり。また青物
もなし。旅人は兎に角其地方土着の人今後の有様如
何にあるべき。
◎各所より新聞記者入り込みたり。
◎田老村は三千人余の人口なるに七八十人も生き
たらんがまた五百戸の戸数は殆んど悉無なりしと。釜
石気仙に次げる宮古は多くして二三十戸鍬
ヶ崎は百三十戸余もならんがただこの処の娼楼だけは皆
無事なるよし。大槌釜石にても娼■及び娼妓は無事
なりと。海は婦人を恐るるものか。
◎浮標修繕のために釜石に来たり居る逓信省の技師
某氏は同じく死亡して三千円余の金を失えりと。
◎十九日の夜釜石町鈴子近傍に一の風説起こり山「
ツナミ」が起こると老幼男女仙人峠を越えて逃げる
もなり。山海嘯とは山が押し出すなり。
◎釜石湾の三巌島には百五六十名の漂流者あるよ
し語る者ありと京地二三の新聞に発電せし者もあ
り態々船出し見るに全くの虚伝なりし。

●管内海嘯被害概

数取調一覧表
(明治二十九年六月二十一日午後六時調の分)
(表中○は町名 余は村名)
┌---------------------------人口-----------------------┐ ┌-------------------------戸数--------------------------┐
郡 町村名 人口(人) 死亡(人) 負傷(人) 健在者(人) 戸数(戸) 流失家屋(戸) 半潰家屋(戸) 存在家屋(戸)
気仙郡 気仙 三六五一 二三 一〇 三六一八 五六九 三五 一六 五一八
○高田 三四八九 三 ・・・ 三四八六 六一六 ・・・ ・・・ 六一六
米崎 三四六〇 一二 二 三四四八 三五〇 一一 五〇 二八九
小友 二五一九 二六〇 一四 二二四五 三八一 七〇 五 三〇六
廣田 三一〇二 五〇〇 一一 二五九一 四六九 一六三 ・・・ 三〇六
末崎 二九六五 六〇六 三〇 二三二九 四〇〇 一九一 ・・・ 二〇九
大舟渡 二三〇四 七八〇 三五 一四八九 三〇六 一〇五 三〇 一七一
赤崎 二九八五 四四八 六八 二四六九 三八九 一七二 ・・・ 二一七
綾里 二八〇三 一四五八 五九 一二八六 四五一 二八五 一〇〇 六六
越喜来 二四四九 四一一 六〇 一九七八 三二二 一一三 一二四 八五
吉濱 一〇七五 二一五 九 八五一 一三三 三二 三三 六八
唐丹 二八〇七 二〇〇〇 二〇 七八七 四七四 三四一 三 一三〇
計 三三、六〇九 六七一六 三一八 二六、五七五 四八六〇 一五一八 三六一 二九八一
南閉伊郡 ○釜石 六五五七 四七〇〇 五〇〇 一三五七 一二二三 一〇八〇 ・・・ 一四三
鵜住居 三一四七 一〇六九 一九〇 一八八八 五一一 三五〇 ・・・ 一六一
○大槌 六五五五 九〇〇 七二四 四九三一 一一九二 三六九 ・・・ 八二三
計 一六、二五九 六六六九 一四一四 八一七六 二九二六 一七九九 ・・・ 一一二七
東閉伊郡 船越 二二九五 一三二七 七〇一 二六七 四七四 三七一 一 一〇二
織笠 一八〇〇 六七 五〇 一六八三 三〇三 一〇五 二五 一七三
山田 三七四六 一〇四〇 一五〇 二五五六 七八二 三五九 二五〇 一七三
大澤 一〇三六 五五〇 五九 四二七 一九九 一九六 ・・・ 三
重茂 一四九三 七〇〇 三三 七六〇 二三六 一五九 ・・・ 七七
津軽石 二六一八 三 一 二六一四 四三四 八 ・・・ 四二六
磯鶏 一九九六 九〇 五四 一八五二 三六五 一〇九 ・・・ 二五六
○鍬ヶ崎 三四五九 一〇〇 三三 三三二六 七〇一 三〇〇 五〇 三五一
○宮古 五一五七 一二 ・・・ 五一四五 九九三 二〇 ・・・ 九七三
崎山 九八一 一六〇 一二 八〇九 一五五 四五 九 一〇一
田老 三七四七 二六五五 二七七 八一五 六六六 一三〇 ・・・ 五三六
計 二八、三二八 六七〇四 一三七〇 二〇、二五四 五三〇八 一八〇九 三三五 三一七一
北閉伊郡 小本 二〇九〇 三六七 二五七 一四六六 三八六 二三〇 ・・・ 一五六
田野畑 三〇二五 三〇三 一五 二七〇七 四六五 五二 四 四〇九
普代 二〇三八 一〇一〇 一五三 八七五 三三〇 二五八 ・・・ 七二
計 七一五三 一六八〇 四二五 五〇四八 一一八一 五四〇 四 六三七
南九戸郡 ○久慈 四〇九二 四〇〇 四四 三六四八 六五七 一〇〇 ・・・ 五五七
宇部 二二四四 一八五 四〇 二〇一九 三二八 四八 ・・・ 二八〇
野田 二五九〇 二四九 四九 二二九二 四一一 一二〇 ・・・ 二九一
長内 二七一九 一二七 一 二五九一 四七二 五二 ・・・ 四二〇
夏井 一八〇三 四三 四 一七五六 二六五 ・・・ ・・・ 二六五
計 一三、四四八 一〇〇四 一三八 一二、三〇八 二一三三 三二〇 ・・・ 一八一三
北九戸郡 侍濱 一三九七 一〇〇 三 一二九四 一八五 五〇 ・・・ 一八三
中野 一六九五 一四六 一二 一五二七 二二八 五三 ・・・ 一七五
種市 四六八五 一七五 三〇 四四八〇 六五五 八〇 ・・・ 五七五
計 七七七七 四二一 四五 七三一一 一〇六八 一八三 ・・・ 八八五
合計 一〇六、五七四 二三、一九四 三七一〇 七九、六七〇 一七、二一一 六一六二 七〇〇 一〇、六一四
備考 人口戸数は警察署の戸口調査による。
本表の被害数は時々増加を来たすにより
日々変更あるべし。
気仙郡及び南北九戸郡等により報告により訂
正したるを以て増減を来たせり。

●大海嘯大惨害義捐人名

一 金二円 盛岡市上衆小路 池野末次郎
一 金三十銭 同鍛冶町 村井勘六
一 金五十銭 同呉服町 高橋吉兵衛
一 金二十銭 北海道函館区
函館大黒町 常川伊三郎
一 金五十銭 同川原町 上斗米金太郎
一 金二円 石港北上会社員 瀬川長蔵
一 金一円 同同 野々村良堅
一 金七十銭 盛岡市十三日町
長澤さよ 長澤孫次郎 長澤いき 長澤かつ
古舘勘六 高橋徳次郎 佐々木久吉
一 金五十銭 盛岡神仏葬儀会 上領純一郎
一 金一円 同 小向岩太郎
一 金一円 同 戸澤甚太郎
一 金五十銭 同 巌根壽太郎
一 金一円 同 村木経作
一 金五十銭 同 川村文治郎
一 金五十銭 同 藤澤元治
小以金十二円四十銭
通計金三百円六十九銭
◎正誤 昨日の紙上義捐者人名中金五十銭「
山井こと」とあるは「山屋こと」また「村井みつ」
とあるは「村井みわ」の■も誤植に付き正誤す。