文字サイズサイズ小サイズ中サイズ大

特別廣告

●小笠原島の小海嘯

小笠原島々司より其筋へ
の報告に據れば去る六月十六日午前四時頃同島父
島二見港ハ潮水異状を呈す同五時頃に至りて非常
に水量を増し平時に比すれば三四尺も増加せしの
みならす潮水の進退烈しく全く常潮と其趣を異に
したるを以て二見港に於くは夫々警戒を加へしが
港内宮の港の如きは人民未だ起床せざる前なりし
かば簗の■龜七頭とカノー船一隻を流失せり釣濱
界浦等も同時に同樣の増潮を見たるも人畜等に被
害なし又扇村洲崎東海岸初寐浦北袋澤小港南袋澤
海岸西海岸等に於ても同時に著しく水量の増加を
認め又激浪の爲め海岸に休息中の漁夫にして其漁
具を流失したるものあり處に依りてハ潮水溪間に
充溢するに至りたるも人畜に死傷なし

弟島にても同時に三四尺の潮層を増加し南北に面
する方強く東西に向ふ方弱く數回激浪の奔蕩を見
たるも人畜に異状なし
母島にても同時に激浪襲來して沖村港の桟橋を破
壊し僅に板割二三枚を殘して余は悉く流失し又北
村港は地盤最も低ければ人家近傍まで潮水の浸入
を見たるも是れ亦人畜に異状なかりしと云ふ

●布哇島の海嘯

近着の布哇新聞に據れば去月十五日の朝同島の海
岸にも海嘯起りたれども差したる損害もなかりし
由今その模樣を記さんに
ホノルル附近海 布哇の首府ホノルルの近海に起
りし海嘯ハ午前七時三十八分に始まり同じく四十
五分に海潮の高さ一寸に達し八時にハ最低に下り
しが五分を經て再び二寸の高さとなり其れより二
十分間引續き八時四十八分に至て退き先づは安心
なりと思ふ間もなく九時に及び重ねて三寸の高さ
に上り其後上りては下り下りては上り午後三時ま
で止ます十四時間に都合十四回の海嘯ありたり
カウアイ島沿岸の海岸 又カウアイ島(布哇島の
北西に在り)の近海にも前と同日に海嘯起り當日
同島のカバー港に碇泊せし米船ジエームス マキ
ー號船長の實驗談なりと云ふに據れば午前七時卅
分頃海上甚だ穩かならず能くよく注目せしに海嘯
なることを知り得たれば扨ハ一大事なりと早速避
難の用意に取り掛りたり是れより先き端艇二艘は
石炭を積みて埠頭に行きしに未だ荷物を陸上する
に及ばすして此地異起り二艘とも砂上に押し上げ
られ或ハ覆らんとするの虞ありしがば水夫は力を
盡しく之を拒げり然るに之と同時に本船も淺瀬に
乘り上げしを以て出來る限り早く此災を免れすと
頻りに端艇を呼び戻せしに彼の水夫等は死力を出
して漸く漕ぎ付たり兎角する中に海上はますます
荒れ船體の動揺甚しく錨索二つ切れしかば若し此
儘に棄置かんか忽ち他の索も斷ち切れ果ては暗礁
に觸れて船諸共乘組員も微塵となり空しく魚腹に
葬らる可しと思ひしゆゑ一同死を決して一層深き
所に出でんとす九時に至り漸く目的を遂げし時に
は流石に氣質荒き水夫も互に顔を見合せ詞はなく
して唯萬死に一生を得たる嬉し涙に呉るるのみ但
しマキー號の碇泊せし塲所の水潯ハ十二尺、同號
の吃水は十一呎にして彼の引きし時船底を窺ひし
に砂上に在ること屡々なり又その附近の模樣に由
て察すれば海水は少なくとも其深さ三尺を滅じた
るが如し尚ほ或る港は海波退きし後ち俄に四十尺
の陸地を增したる由にてカウアイ島の古老に聞け
ば曾て斯る珍事に遭遇し■る事なく迷信深き人民
を是れぞ世の亂るるを豫て天の知らする前徴なり
と恐れ合へりと云ふホノルル府のコムマーシアル
アドヴアータイザー新聞は此事に就て曰く當地方
に於ては前に何等の異變もなかりしに突然斯の如
き事變の起りしハ思ふに外國の何れかに地震あり
其影響を及ぼせし者ならん云々

●氣仙郡小友村に於ける海嘯慘害實况(承前)

            戸 羽 要 人 寄稿
這回の海嘯は北方より漸次南方に及びしは被害各
地に於ける發生時間等より之を視るも明白なり而
して海岸を距ること僅かに五海里以外は風穩波平
些毫の支障なきハ事實にして現に當地方より四五
海里の處に乘り出で居りし流し網と稱する漁舟は
之を確認し漁夫一同無難に歸りたるの一事を以て
之を知ることを得べし
當村に於ける家屋人畜土地其他の損害は左の如し
一家屋は流失戸數五十四戸破壞戸數十三戸浸水戸
 數十一戸流失土藏五棟流失小屋(厠■厩舎の類)
 八十棟破壞小屋一棟浸水小屋二十棟にして字唯
 出濱に於てハ總戸數五十六戸の内僅かに四戸の
 全き者あるのみ
二人畜は死亡人民二百零三名内男七十八名女百二
 十五名(公吏の死亡ハ村會議員一名収入役一名
 教員一名にて死体の發見は七十二名未發見の者
 百二十八名あり)負傷者二十九名内男十二名女
 十七名にして(重傷十五名輕傷十四名)負傷後死
 亡せしもの二名あり生存者ハ一戸一名乃至六名
 にて僅かに老母若くは稚兒の存在に止まり甚だ
 しきハ一家盡く慘死し復た遺族なきもの二戸あ
 り字唯出濱に於ては總人員四百十一名なるも生
 存する者二百零八名其生存者の男子多きは出稼
 者及び流し網渡世にて沖合に出でしものありし
 に因る
 馬の斃死は二十頭なり
三耕地の浸水は田七十五丁歩畑五丁歩宅地二丁歩
 合反別八十五丁歩にして耕作物の損傷は言ふま
 でもなく地層畦畔の流失も亦尠少ならす特に頽
 屋壞壁巨石大木の甚間に混集■積するものに至
 りては跡始末上實に容易ならざる困難を見る也
四道路橋梁堤防に至りては道路の浸水千四百間橋
 梁の破壞十一ケ處堤防の流失八百間浸水五百間
 にして平時僅少の土木を起すも尚困難を見る況
 や斯る恢復的大土木を起すハ果して何の年ぞや
五各自貯蓄物の見積額は米麥雜穀の流失せしもの
 六百石漁舟の流失は三十七艘に達し流失漁網の
 見積價格は五千圓農具及び漁具ハ三百圓衣服器
 具其の他の物件は二万五千圓にして米穀漁舟等
 に於ける見積價格と破壞堤防の修繕費とを合算
 するときは無慮十五万圓に及ふと思考せらるる
 なり
遭難の翌日より村長を始め村吏村會議員一同は被
害地に出張し實地の調査を遂げ又被遭難外の各組
内に通達し毎戸一名の人夫を出たし死体の捜索流
失物の拾集斃死馬匹の埋葬及ひ地上に散亂しある
雜物の跡始末等に着手せり流失物は大抵海面に漂
流し百米■以外復た寸隙なきに因り乃ち小艇をし
て之れか拾集を力めしむ當村に於ける人夫ハ毎日
二百五十餘名にして遭難以來引繼き之を出たし又
當村の外本郡横田村より四十八名日頃市村より三
百二十名の人夫寄附ありて之が輔翼を受けたり
被害地跡に事務所■設け村吏村會議員一同は事務
員となり專ら救護其他の諸事務に服す衣服器具金
員物件の漂着するもの漸次增加し其拾集せし物件
は皆之を事務所に届出で然る後之か洗浄乾燥を力
めしむ紛議發生の憂あるに因り他日一處に取集め
遭難者を會合し所有者の確認するに随ひ之を交付
する積にてあり米穀に至てハ到底所有者を確認し
得かたきを以て厚く乾燥保護を加へ被害者一同に
平均配與の方針を執り居れり
被害者遺族■皆若くは親族の家に入り若くは縁者
の宅に行き衣服飲食の救護愛隣を受けつつあり過
日當村に於ける備荒貯蓄米を開放し又村内有志者
にして米穀味噌類の寄贈は極めて多く其寄贈品あ
るに随ひ之れか配與の手續を爲せり目下遺族は糊
口上些■の支障なきも永遠は固より保し得へから
さるに因り及ぶべき限り能ふべき丈け救護上の計
畫を立て而して當局者の庇護と同胞の愛隣とは充
分に之を仰かさるべからさる次第なり
被害の最たる字唯出濱は戸數五十六戸■次■比自
から小市街を爲し半漁半農を以て生活の資と爲し
僅かに朝夕の炮烟を颶くる境遇にてあり今や這回
の遭難に際し家屋蕩盡復た隻影片形を止めず且漁
具農具は盡く流失し乃ち生活の具を失ふに因り差
當り假小屋を建築して遺族を収容すると器械を購
求授與して生業に就かしむるとは目下の急務とす
其小屋掛料及漁具農具の請求費に至ては實に其筋
に對し救恤下付の請願を爲させるへからさる也
當村は海岸に瀕し特に東海岸に瀕するの地僅少な
れば随つて被害區域の狭隘なるは實に多幸と謂は
ざるべからず唯其れ被害區域の狭隘なるを以て遺
族の救護及び被害地の跡始末等總て他町村に比較
し迅速整理しつつある積りにてあり
 海嘯被害の實况ハ以上陳述する所の如きも固よ
 り遺漏あるを免れす又唐突の起稿に係るを以て
 行文拙劣秩序紊亂慘害の一斑を彷彿すること能
 はす余ハ他日を待ち補綴拾遺する所あらんと欲
 するなり