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紀 北 の 復 興 愈々急速調

紀北の震災地における復興は日
增に軌道に乘り、急援建設資材
も集荷されてゐるが、災害町村
では復舊と併行して食糧增産に
もはげみ農家は麥畑の施肥に敢
闘、魚家は船具、魚網の修理に
涙ぐましい努力を續けてゐる、
また木材生産業者は流材、復舊
素材の集材に全能力を再建へ逞
しく立ちあがつてゐる
ことに尾鷲町では災害地附近
の各所に當会事務所を設け、
縁故疎開した隣保班員の配給
に相互扶助の実をあげ、災禍
にひるまぬ美しい隣保風景を
みせてゐる

十余町歩の地主 鄕土出身開拓戰士の土産話

大陸へ子孫安住の地を求めて滿
州國■■鄕に農業移住隊を組織
して■■を抱き去る昭和十八年
四月渡航した北牟婁郡赤羽村■
原橋倉龜吉さん(七五)を隊長とす
る二十家族が■■以來、黙々と
して廣漠たる沃野に開拓の聖魂
を打込んだ血の滲む二ヶ年の努
力が漸く報いられる日が訪づれ
た、來る二月十一日の紀元節の
佳辰を期して全家族に對し一家
族十町余の地主として登録され
るといふこよない朗報を土産に
このほど歸鄕した、隊長の龜吉
さんは語る
一介の製炭夫としてのわれわ
れが過去二ヶ年の精進により
こんど一家族に十町歩余の耕
地の地主として登録が決定し
ました、この喜びを故鄕の人
人に傳へるかたはら第二次移
住隊の慫慂に歸鄕したのです
が歸鄕してつくづく感じたこ
とは震災罹災家族などはこの
際新らしい故鄕を海外に更生
するためふるつて移住參加が
望ましい大陸は常に衣食住を
もつてわれわれの進出を迎へ
て呉れます

數々の見舞品 罹災者も感激

紀北地方の震
災罹災家族への温かい衣類見舞
品は先づ北牟婁郡の無被害地の
船津、赤羽兩村、相賀町をはじ
め市街地からも續々と復興本部
に送り届けられ、受入れ側も感
激のうちにこのほど第一回の分
配をしたがさらに近日中に第二
回の給與準備が進められてゐる
この熱情こもる數々の見舞品
に地方民の感激はことのほか
で一日も早くと復舊闘魂をた
ぎらせてゐる

空の防人の美擧 慰問金をそのまゝ献金

皇土防衞に挺身する若き空の防
人へと齋藤神都市長は百円、辻
久留町大辻慶一氏は十五円、鳥
羽町中井金六氏は百円を監視哨
へ贈つたが、これに感激した哨
員は
〝私たちよりもつと苦勞をし
てゐる 監視哨へ 渡して下さ
い〟
とうち三十円を過般災害をうけ
た○○監視哨へ贈り感激の話題
をつくつてゐる

殉職警官への 義金八千百圓

縣政記者
会で募集中の故加藤警視と故堀
江警部補の兩殉職警察官に對す
る弔慰金は十日現在で隣人愛の
義金八千百円に上つたが、十五
日限りで受付を締切る

竈を早く修築し 今までの不成績を取り戻せ

薪 薪炭の生産成績は
炭 非常に不振で十一
月末における縣下の生産状况は
▲薪=年度目標千五百六十五
万四千九百六十束に對して五
百八十一万五千二百二十二束
で三十七パーセントを達成し
たに過ぎず▲家=同樣年度目
標三百四十七万二千八百俵に
對し七十三万三千五百九十一
俵で二十一パーセント
といふ現状で、しかも十二月か
らは最生産期に入るのであるが
過般の震災によつて縣下五千の
■中千二百九十七個が破損、う
ち半數は小破程度でただちに復
舊したが大破したものも資材關
係を克服して修理をいそぐとと
もに縣から山本林務課長が上京
して修築に關する高率助成を奨
請してゐるが木炭の生産は三月
までが何といつても最盛期なの
で竈のこわれたところは一日も
早く生産のできるやう助成金の
決定などをまつことなく復舊を
急ぐとともに消費者も極力節約
するやう縣では切望してゐる

震災義捐金寄附者芳名 十一日正午現在

一千円、度会郡■■村■谷万吉
▼一千円、度会郡■倉■奥本■
▼一千円、宇治山田市常磐町龜
谷敬三▼一千円、度会郡南海村
田中佐次兵衛▼三千円、津市三
重 交通 株式会社▼一千百円、
志摩郡神島村 代表者 小久保久
夫▼三千円、群馬縣 知事 ▼一
千円、飯南郡 波瀬村 カネナカ
木材生産 有限会社 社長伊藤信
之亟 ▼一千円、四日市市 千歳
町 四日市倉庫 株式会社▼一千
円、桑名市矢田 三川 高度工業
株式会社 取締役社長 瀬本告▼
三千円、飯南郡宮前村堀内恭次
郎▼三千二十二円六十錢(四人
分)

累計金
六十四万七千四百五十六円六十九錢