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まだ震える子 八戸 前後70数回の津波

北海道から奄美大島まで、気象庁が「まるで予測もつかなかった」と告白したほどの大きな規模で押し寄せた大津波も、二十四日夕
刻を*におさまっていった。寝間着のままハダシで避難した人々も、泥まみれのわが家へ帰り始めたが、とくに被害のひどかった
北海道*多市や、三陸海岸の女*、宮古、大船渡、釜石、八戸などの住人は大きな打撃を受け、虚脱状態で夜を迎えた。
全市が停電
大船渡市
三十人の死者と
市の四分の一の
家屋を失った。泥くさい潮の香と
めちゃめちゃに破壊された古ぼけ
た家の柱が泥水に洗われている。
道路、鉄道には、こわれた家の破
片がひっかかり、津波のはげしさ
を示している。「こんどの被害は
これまで最大といわれた明治二十
九年の津波より大きかった」と半
ばあきらめたように、こわれた家
を老人が指さしていた。三陸沿岸
指折りの漁港も堤防を無残に打ち
くだかれ出発前の遠洋漁船が道路
にゴロゴロころがり、荒れ狂った
津波の跡がはっきり残っている。
家屋の流れたあとは泥沼化し、
ヒザまでつかりながら、わずか
に残った家財道具だけでもと捜
し求める人たちの姿も気の毒
だ。市内西光寺に安置された遺
体の身元は、ほとんどわかって
いない。夕刻になって市役所、婦
人会のたき出しが始められたが
むさぼり食べる子どもたちの顔
からも恐怖の色はまだ消えず全
市停電の不気味な夜を迎えた。
横腹さらす漁船
八戸市
避難民の話しでは同
日午前七時までに
前後七十数回の津波がきたとい
う。同市の北東部一帯の低地は二
十四日夜になっても泥沼状態で、
岸壁には押しあげられた百㌧前
後の漁船十数隻がドス黒い横腹を
さらしている。一瞬のうちに生活
のカテを奪われた漁民たちは、自
宅付近の**で夜を過ごした。
二十三日夜、市内の親*に立ちよ
るため船でやってきたという岩手
県久慈市の本波松太郎さん(四〇)は
「乗ってきた船は、こっぱみじん
だ。船の保険は”操業中の事故”
だけに有効と聞いているから、保
険金はもらえないのではないか。
一夜で無一文になってしまった」
と男泣き。「なぜ津波警報をもう
少し早く出してもらえなかった
か」という声が、いたるところで
起こっていた。
霧多布(北海道)
浜中村
の沿岸
一帯には押し流された家屋、漁船
木材などが波に漂っている。津波
で半分にたち切られた霧多布(き
りたっぷ)半島の被害は目をおお
うものがある。道路は泥沼と化し
電柱は崩れ、犬やネコの死体が町
にころがっている。漁船を囲んで
ぼうぜんと、いまは静まりかえる
海を見つめている漁民の姿が痛々
しい。たき出しのおにぎりをもら
う行列に「朝からなにも食べてい
ない」とまだブルブル震えながら
訴える子どもらがまじっていた
 自衛隊のヘリコプター二機が衣
 類、食糧などを投下して行くが
 焼け石に水のようだ。浜中湾と
 琵琶瀬湾に挟まるこの半島は
 津波で完全に孤立したのだ。わ
 ずか三十戸を残しただけで、ほ
 とんどが流失、全半壊した。電
 信電話はもちろん不通、連絡は
 警察電話一本にたよるだけ。最
 初の津波でまっ二つにさかれた
 半島中央部の*見橋、大橋が海
 へ押し出され、橋ゲタをわずか
 に残しているのも、荒れ狂った
 当時の模様をまざまざと見せ
 ている。この付近の人たちは*
 のみ着のまま八㌔をハダシで逃
 げて救援隊に救われたという。
 女川町(宮城県)
 日が暮
 れかか
る二十四日午後六時すぎの女川町
は、まだ押し寄せてくる津波の余
波に住民は夕食もとらず不安の表
情で、消防団員がたき火を取り囲
み徹夜で警戒に当たった。女川港
に面した海岸通りには完全な家は
一軒も見当たらず、柱をへし折ら
れ、形だけの家が残っていた。
第一波は二階までとどく大波で
山手へ避難するのが精一ぱいだ
ったと避難民たちは口々に当時
の恐ろしさをもらしていた。町
には自衛隊が出動、町内に打ち
上げられた流木や、くずれた建
物の整理に泥まみれで働いてい
た。
ヘリで救出へ
無人島に避難の50人
道*釧路方面本部にはいった報告
によると二十四日、厚岸郡浜中村
琵琶瀬海岸から約一㌔沖合いの**
帰島(無人島)に五十人の漁船員な
どが緊急避難、救助をもとめていた
が、同日夕刻までに自衛隊のヘリ
コプターで十二人を救出した。残
る三十八人は目設のため、いった
ん救出作業を打ち切り、二十五日
早朝から救出作業を再開する。

須崎市に再び高波

高知県で最大の被害をうけた須崎
市は二十四日午後六時四十分ごろ
の満潮時に再び高波に襲われ、新
たに全壊七戸、半壊三十二戸、流
失一戸、床上浸水六十五戸、床下
浸水十九戸を出した。