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雑報 釜石の慘状

大日本私立衛生會より出張したる後藤敬臣氏は第一の嘯害地たる釜石を實見して歸京せり
其報告の要を摘めば左の如し

港内を遠望すれば市街田圃の別なく一面に土砂を殘し宛ら千頃の鹽田を觀るが如し
市街地には唯家屋の遺材柱梁屏障の斷片を堆積するのみにして其直立せるものは或は宅地
庭前にありしと覺しき三四尺廻りの一大樹★立したるものあるを見るのみ市街地の中央に
尾崎{~社あり傍人指點して曰く此巨大なる石は此境内後部にありし石垣の崩れて此に來り
たるなり之と同時に那の石の華表即ち柱及び其蓋石共兩三斷して此に至る、石垣の石十圍
の大石の後部より境内を通り抜け境外に十間許又蓋石は廿四五軒華居の柱は七八十間の外
に位置を轉ず、又銅柱あり(中身は木)市街地に横はりたるを見る是は海岸の棧橋の柱な
りと云ふ
海嘯の起るや山の如き怒濤は陸に向て(凡四間)寄せ來り鄕さ數十尺の山上に達したるも
のにして其中に網羅せられてるものは將棋倒しの有樣にて夫から夫と相觸れて破碎し遂に
此の如き巨大の石を漂はずに至れるなり
又田中製鐡所々用の帆走船五六百噸積の長安丸(他に一隻金比羅丸といふあり何の船にや)
は田圃の上に傾坐したるを視る當時怒濤は其錨綱を切り之を港灣より打ち揚げ樓閣堂宇の
嫌なく市街の東西南北に游泳蹂躪したるよしなれば其船底に觸るヽ所のもの何かは以て堪
るべき

釜石町は人口六千五百五十七人にして内死者四千七百人傷者五百人なり而して戸數は千二
百二十三戸にして流亡一千八十餘戸なれども苟くも潮水を被りたる平地には概ね家形のも
のなし僅々西北の山下に石應寺といふ一宇及大槌村に越るべき街道なる谷合の坂道兩脇に
小學校と町役塲とを存じ其側に密接せる裏店同樣の小民屋及山頂山腰に點々散在する小家
屋にすぎざれば滿目満目條見るものをして札前然たらしむ
右に擧げたる如く死者は四千七百なれども廿二迄に八百人の人夫を駆り八百人餘の死骸を
捜索し得たるに過ぎざれば其五分の四は溺死漂流し去りたるものならん
又調査表に於ては傷者の數五百の多きを見るも假病院に於て第二師團より派出になりたる
齋城軍醫の言によれば傷者は約百五十名にして就中重病者を入院せしめ即ち現に三十餘を
入れて治療しつヽあり其餘は自家其他の殘屋に於て回診又は外來として取扱ひ居れりと而
して傷者は大抵一人數ヶ所の疵を受けたれども多くは挫傷打撲の類にして頚骨を折り肋部
を傷けたる等亦稀に見る所なり然れども又大手術を施さヾるを得ざるものなきに非ずと聞
けり又傷者中外傷症肺炎を發したるものあり是は海水殊に土砂混濁の冠水を呑みたるに因
すといふ
災餘の難民は北の山下に在て依然侵害を免れたる石應寺の堂字に集め日に救助米を仰ぎ
(三日間のは炊出しを受けたり)露命を繋ぎ居れり
最も遠き漁區にありしものは其災害を知らず翌日朝歸り來なきに驚きたるもあり其甚だ遠
からず近からざる所にて捕漁中なりしもの一二あり當時海上何となく異常の光景を呈し暗
夜にして物質能く見え海上光輝あるが如きは何ぞの變ありしも知る可からずと  釣綸を
収め舟を漕ぎ初めたるに潮流頗る急にして(常に二時半を費す)凡卅分にして灣内に入り
陸地の騒動一方ならざるに喫驚しつヽ無難に上陸するを得たりと

慘話一束

殘存の老婆巌手縣北九戸郡種市村字八木にて一家皆流亡し只七十六歳の老婆を殘せり而か
も老婆の左腕を挫き傷經からずして苦悶の状みるに堪へず人皆其治療に加へんをを勸むる
も老婆は最早此老齢に達し子孫に別れ何樂みに生存ふべき一時も早く死するがましと堅く
★て治療を受けず

母と二子

同郡門前にて潰家の下より頻に救いを呼ぶ聲あり掘起して見るに一婦人腰まで泥に入り六
歳許の女兒を脊にし三歳許の男兒を抱き居り背上の女兒は已に縡切れてありたるが婦人も
亦今しも救の人の來りしを見るより心の弛みにやがつかり息絶え殘るは三歳の男兒のみ

河中の赤兒

北閉伊郡普代村にて出生後三四ヶ月を經たらんと覺しき一兒沙泥の中に全身を埋め頭のみ
現はし居るを發見し引出してみるに砂石口中に充滿せるも尚息の通ひ居れば取敢ず砂石を
口中より取除き「岩おこし」と稱する菓子を水にて融して與へたるに快よく吸い込みて追々
健全になれり

巨岩潰決

同郡四の畑村羅賀の湊口にありし巨岩三十人位も隱れ得る者は一丁餘も隔りたる丘上に打
ち上げられ又長さ三間幅一間半の巨岩が半腹より潰決して海面と水平を同うし其もぎ取ら
れたる半分は全く形を失ひて見えずなれり

夫婦の負傷

夫は肘を傷け妻は眼を破り眼球脱け出てヽ腐敗しかヽれるあり夫の醫者に向て自分は死す
るもよし願くは妻の癒へんとをと乞う

一塲の悲哀劇

大槌町大砂賀といへる所の貸座敷の主人佐々木末吉長男(15)長女さき(17)二女つ
ね(6才)の外娼妓6名あり一三近所に行て遊び居る間に海嘯起り家内皆二階に籠り{~佛
を念じつヽ流れたり家はグルリ■と回轉して流れ行く中に松助といへる漁師其老母を負ふ
て流され來り二階の軒に取附くや否や子はヒーと泣聲して怒濤の中に奪はる夫婦再會の機
縁の中にも母と子を同時に失へる悲しき殆ど狂氣の如くなるを末吉は己も危き激浪中の二
階にて介抱し居る中長女おさきは弟の一三の身を案じ妾は如何でも助かりませぬが弟を助
けたいとて泣き妹のつねはソンナラに兄さんが死だのか己ァ死たくない之から惡戯をしま
せんから助けて下さい親父さんと縋りつき娼妓らも相抱きて泣く中浪の愈■怒りヨリ■と
音して裂け始めたれば一同念佛を唱ふるもあれば助けを呼ぶもあり阿鼻叫喚の間に天幸な
る哉陸に打揚げられ不思議の命を助かりさて一三は愈■死せしならんと又もや泣き居る所
へ走り來りしは一三にて僕は山へ逃たから大丈夫と一同目出度く廻り合しは只々芝居の筋
の如く悲喜交■至るも無理ならず

屍体の慘状

屍体は深く泥土の中に埋没されたるもなれば木材若くは潰倒家屋の間に介在し居るもあり
殆ど地面一体を掘起すに非れば容易に見るもあり殆ど地面一体を掘り起すに非れば容易に
見當らず膨れあがりたる屍体腐敗して蟲湧き異臭紛紛鼻を★き人夫堪へずして出奔するも
のあり又牛馬の死したるは海岸にて燒き捨れば其臭氣も甚しくして殆ど通行する能はず

鬼哭啾々

とは目のあたり今見る心地す週日を過ぎたる今日に至りても夜になれば「助けて呉れ■」
と泣き叫ぶ聲猶耳にありて膓をたつ

阿鼻叫喚

てふとも今ぞ實地に知られたり一婦人屋根に縋りて押流され潮水をあびて★ひ泣つヽ救を
呼ぶ聲其凄きを得も言われず

倒れし家屋

の中より掘起されし一婦人あり三歳許りの子を懐き居りしが其子の息あるを見て淋しく笑
いたる儘死せり

子供のみ

十五をかしらに六歳迄四人の子供ある一家あり大人は皆死し四人の子供のみ重傷を負ひて
生居りぬ四人の揃ふて身体皆包帯だらけにて枕を並べ居る様慘の慘なり

宮城縣の嘯害救助

宮城縣下の被害は巌手縣に比し五分の一位なれば應急の道既に定まり左の通支給せらる
五千圓 衛生會支出
四萬七千百二十圓備荒儲蓄支出 決 中央支出金共
備荒儲蓄 小屋掛料農具焚出し等に充るも被害地は概ね漁戸にして既に流失船數二千四百
九十一(此見積金十萬七千二百四十)流失網數七萬九百九十一(此見積金一萬二千五百圓)
たり右支出金額にては到底漁業に要する器具を給する能はざるを以て同縣廳よりは金十九
萬圓國庫より支出の儀を中央政府に申請せりと

赤十字社看護婦z搆(畢

日本赤十字社にては昨日午後二昨上野發汽車にて患者寝具用として毛布二百枚を送り尚醫
員三村石之助氏に看護婦十一名を附して巌手縣へ向け派出せしめたり

英人の厚意

賜暇を得て香港より本邦に渡來中なる英国二等軍醫エスウエストコット氏は今回の海嘯に
付無報酬を以て政府又は赤十字社の爲め醫術上の助力をなしたき旨在本邦英國公使を經て
外務大臣へ申出たる趣にて一昨日赤十字社は其照會に接したるも該社は救護上充分の餘余
裕あるを以て之が助力を求むるの必要なき旨其厚意を謝すると共に外務大臣へ回答せり

救恤寄贈物品の種類

罹災地一般に副食物欠乏し罹災民は勿論他の人民も鹽すら嘗むると六かしければ梅干漬物
味噌乾物等皆恤の必要あり而して日用器具一物もなくとならば煮ず燒かずして食するもの
を要す次に患者用の滋養物も必要なり皆營養非常に乏しきを以て左程の大ならざるも容易
に治癒せず次に生計快復の爲め漁船は勿論漁具の必要又急なり其種類左の如し
各種漁具漁網釣鈎
網地網絲浮子沈子★等の制作原料
網制作に要する器具
漁業用衣類餌料容器など

大津波の餘波

去十五日北海道渡島國龜山郡にても海嘯あり村民海岸に出て防禦に盡力せしも汐波のため
凡三十分にして子安村は家屋一戸破壊三戸浸水、漁船三四艘及橋梁一箇流失、戸井村は漁
船六艘流失其他陸上に打揚げたるもの亦尠からず但し人畜に異状なし

内相一行

板垣内務大臣一行が軍艦和泉にて被害地を巡視することは特派員より電報の儘記載せしが
尚其の郵報を見るに同大臣は去廿6日午後一時小野田警保局長服部巌手縣知事久米參事官
栗原秘書官と共に宮古着先づ新渡戸群長の案内にて赤十字社假病院に至り各病室を巡覽し
夫より宮古鍬ヶ崎の被害地を一見し歸宿後は宮古町有志及巡回中同地へ來合せたる縣會常
置委員の訪問を受け翌廿七日午前六時三十分川口にて和泉艦より差廻せるポートに乘り本
館に乗組みたりとあり

海嘯の善後策

先年濃尾震災の當時政府は緊急勅令を發して豫備金を支出し以て事後承諾を求めたるに自
由改進兩黨は憲法違反として其承諾を與へざりしことは猶世人の耳目に炳鳥★たる所なり
今回三陸海嘯の被害に就ては政府は如何に其善後を策せんとするか聞く進歩黨は政府をし
て緊急勅令を發せしめず直に臨時議會召集の請求を爲すに決したりと(前號を看よ)自由
黨は其總理たりし板垣伯今や嘯害地に在るを以て其果して進歩黨と同一意見なるか將た政
府の前轍に倣はんとするか豫じめ之を知る可らざるも既に實例のある事なれば假令板垣内
務大臣たればとて當初の意見を飜へすが如き事萬々なかるべく内閣も亦愛岐震災當時の内
閣にあらざれば無論臨時議會を召集せらるべきも今後政府及び自由黨の擧止は頗る注目す
べき者なるに依り進歩國民兩派の諸氏皆其形勢を窺い居れり

国民協會と臨時議會

進歩黨にては臨時議會召集の請求を爲すとに決議したるに依り此決議の趣旨を國民協會に
向い交渉する筈なり而して國民協會にては被害視察員藥袋氏は一昨日午後仙臺を發し昨日
歸京したれば一両日中に在京會員の集會を開く筈なりと