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電報

嘯害後の情形 廿七日 仙臺特發

志津川分署部内道路修繕成功し車馬を通ず
宮城縣濱沖に家屋二百漂流しありとの通知に接せり
人夫百六十名罹災地へ向ふ

北海道の嘯害 廿七日 札幌特發

幌泉警察署より津浪被害地は歌別、歌露、油駒、小起、庶野、猿留にて難破漁船八十三流
失家屋三十五溺死人五名ありとの確報なり

内相一行 廿七日 特派員鈴木巌 宮古發

板垣内務大臣着今宮古鍬ヶ崎被害地を巡視し出水艦にて沿岸南方大船渡まで到り夫より一
旦此地へ戻り北方せん

雑報 慘話一束

内務大臣の一行 内務省着電左の如し 廿六栗原秘書官宮古發

内務大臣の一行只今宮古へ着明朝和泉艦に乘込被害地南海岸山田大槌を經て釜石に一泊良
翌廿八日北海岸田老久慈を經て八戸に到り上陸の豫定

廿六栗原秘書官宮古發

久米參事官も明朝大臣に隨行して和泉艦に乘込む又三崎縣治局長も明後日釜石より同艦に
乘り大臣一行に加わる筈

板垣内相の巡視に就て

板垣内務大臣が今回の海嘯に付て世人より曠職の★議を受るに至りたる事實は前々號に記
せしが尚聞く所に依れば確報の内務省へ到着せしは十六日にして夫より續々到來する被害
の電報は一々大臣の出張先へ急報し且夫々の手續を經て畏き邊りへ奏上せしに深く宸襟を
惱ませられ東園侍從は被害地視察を命ぜられ十九日の拂暁を以て主務大臣よりも先に視察
の途に上りたり然るに板垣内相は此空前の慘害を詳知しながら敢て巡視の途に上ることを
なさず自由黨民及隨行御用記者等と共に各所の饗宴に臨み海嘯後八日を經過したる二十二
日を以て漸く巡視の途に就きたるも而かも急速に被害地へ至らずして巌手縣知事に打合せ
ありと良云ひ三崎縣治局長と會合の都合ありと稱して一日に達し得べき所を三日を費やす
が如きの事実上決して曠職の責を免るべからず然るに内務省は之を辨護して曰く當時大臣
は巡回中にて其宿所分明ならざりしを以て海嘯の事を報告する能はありし云々と果して然
らば内務省員も又曠職の責めを免るべからず是迄の例に依れば大臣の巡回先等は最も詳密
に最も迅速に主務省に打電し來り時々刻々其居住所を知り得べき筈なり況んや大臣巡回の
日割は公然半官報を以て發表しあるをや縱し大臣の分明ならずとするも大臣の勸迎に狂奔
せる地方廳に向て打診せば百事を擲ちて之を傳達するは言を待たざるなり之を要するに板
垣内相が三陸の海嘯を冷眼に看過し去り已を得ずして巡視の途に上りたるは蔽ふべからざ
る事實なり是れ決して等閑に附すべからずとて進歩黨及び國民協會にては十分に之が調査
をなす事に決したるが或は第十議會の一問題となすやも知れずと云う者あり因に記す慘害
の最も甚だしき巌手縣知事服部一三氏は被害地へ向け出張中内務大臣の來縣を聞き俄に遠
野より引返し大臣と共にゆる■宮古地方へ出掛たるが爲め釜石地方の人民中には知事未だ
千人峠(遠野釜石の中間にあり)を越さずとて其不親切を咎め居る者ありと

被害地寫眞献納

博文館の大橋乙羽氏は海嘯の起と同時に直ちに三陸地方に赴き被害の慘状を撮影すると四
五十枚、携へ歸りて其中より精選せる者二十餘枚を二冊の帖と爲し宮内省に献納したり

海嘯救恤物品

津波罹災民救恤に就ては金も必要なり米も必要にして人の氣の付かざる詰らぬものに却つ
て必要なるものあり世の慈善家は之に注意して寄贈すべし去る廿五日宮城縣にて受付けた
る寄贈物品は衣類四千八百五點、器具三千三百三十一點、食類二百九點、藥品一點、通計
八千三百四十六點にして累計三萬四千四百廿八點なり