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電報・徴發と救護

廿日 特派員横川勇次 氣仙沼發
追々北に進むに随ひ被害甚しく死体未だ取片
付ざる所あり群役所ハ郡内より十五歳以上五十
歳以下の男子を人夫に徴發せり、救護ハ整備し
居れり高等中學よりハ醫科生をも派遣し各地に
分配救護に盡力せり(前號印刷後着)

電報・慘状と龍田

廿一日 特派員横川勇次 盛町發
巌手縣氣仙郡總戸數四千六百四十七戸の内千五
百十九戸流失し人口三萬二千七百三十三人の内
六千百四十四人溺死し殊に慘状を極む精細の調
査ハ後報に付す
軍艦龍田死体捜索の爲め今大船渡灣に入港す

電報・嘯害地概況

廿二日 特派員鈴木岩 盛岡發

電報・服部知事

  廿二日 盛岡特發 
服部知事今朝釜石に向け出發せり

電報・電信開通

  廿二日 盛岡特發 
山田釜石間の電信開通せり

電報・嘯害統計(巌手縣) 廿日 盛岡特發

被害統計ハ七ヶ町二十八ヶ村にして流潰家五千
三十戸死亡二萬五千〇四十三人負傷者千二百四
十四人(微傷多し)各郡別すれバ左の如し
氣仙郡一町十一ヶ村流失家屋千五百六十戸死亡
六千三百八十人、南閉伊郡二町一ヶ村流失家屋
千六百六十四戸、死亡者九千百三十四人負傷七
百七十八人、東閉伊郡三町八ヶ村流失家屋千二
百三十八戸死亡者七千百二十七人負傷三百八十
二人、北閉伊郡三ヶ村流失家屋二百四十三戸死
亡者千●三十七人負傷十六人、南九戸郡一町二
ヶ村流失家屋二百四十五戸死亡者千百十一人負
傷六十八人、北九戸郡三ヶ村流失家屋八十戸死
亡者二百四十七人

電報・嘯害統計(賴森県) 廿日 賴森特發

本日迄に調査濟みたるハ三戸郡にての死亡者ハ
湊村六名鮫村二十名市川村二十五名階上村二十
一名、家屋の流失湊村十三戸市川村三十五戸階
上村六戸、下北郡にての死亡者ハ三澤村百二十
名百石村百三十四人、家屋の流失三澤村二百三
十七戸百石村百四十一戸なり負傷者ハ目下調査

電報・嘯害地慘状 廿日 盛岡特發

罹災者のハ凡六萬人餘にして餓喝に迫る交通亦頗
る不便一時救濟の爲め函館より米五百石を買上
げ汽船にて直に遭害地に輸送す其慘状最とも甚
だし

雜報・御救恤金

  本月十五日 三陸地方非
常海嘯の災に罹りたる趣憫然に被思召 天皇皇
后兩陛下より巌手へ金一萬圓宮城縣へ金三千圓
,A{r森縣へ金一千圓下賜されたるに付目下救恤の補
助に充つべき旨各縣へ達せられたり

電報・海嘯目撃者の談話

 海嘯の當時巌手縣山田地
方に旅行中なりしも幸ひに難を免れて歸京したる
北村明太郎氏の話を聞くに氏ハ十五日の夜同縣東
閉伊郡大浦村(山田港の對岸)旅人宿川★權兵衛方
に止宿中にて午後八時頃晩酌を傾け居りしに突然
震動ありしかバ地震ならんと思ひて座客兩三人と
共に二階に馳せ登るや凄まじき響起り大風來らん
とする如くなるにぞ所持の風雨計を閲せしに更に
異状なきを以て或ハ海嘯にハ非るかと注意する折
しもあれ此家の子供が海岸の親戚に病人あり見舞
に行きしに偶ゝ歸心切なりしを以て歸り來り将に
家に上らんとするや海嘯なりと叫びて裏庭に出で
垣を破りて背後の大浦山に馳せ登りたれバ家族ハ
勿論北村氏等も其跡に從ひて大浦山に登り危くも
一命を助かりしを喜びポッケットを探りマッチ取
出して焚火せしかバ四辺の人々其火を目當てに集
り來り皆々不思議に命の助かりし有樣をぞ語りけ
中にも川端の妻女ハ其逃げ出さんとする際早く
も家屋潰れて袖を柱に挟まれ動く能はず大浪ハ
忽ち押し來りて頭を越え身ハ水底に在て如何とも
する能はず浪ハ再び頭上を越て引去りしが柱に挟
まれたる爲め長されずして幸ひにも玉の緒を繋ぎ
止めぬ又一漁夫の妻ハ屋上に這ひ上り家と共に沖
中に流されしに偶ゝ小舟の漂ひ來りて屋根に打當
れるありしかバ辛くも之に乘移りしに再度の激浪
押來りて舟を山上に打揚げたれバ是も不思議の命
を拾へり殊に僥倖なるハ同じ大浦村に宿泊せし旅
人某が海嘯の響を聞て逃げ去らんとする所へ何處
よりか馳せ來りし四人の女に袂に縋りて助けを乞
はれ馳せんにも馳する能はず其間に早や一大激浪
逆捲き來りて頭上を越え又引く浪に十數間押流さ
れしが五人一所に取縋り居りし爲め目方重き故に
や遂に捲き去られずして助かりたりと、北村氏ハ
斯くて夜の明るを待ち歸途に就きしの道路市街總
て屍を以て滿され又死を免れし者も食物物品悉く
流失して皆餓死せんとする有樣なるにぞ懷中に在
合わせし二十金を大浦山田の二村に寄付したり兩
村の財産當時ハ僅に此二十金に止まりしといふ夫
より氏ハ昼夜兼行にして盛岡に向ひしが巡査の如
きも饑餓に苦しみ路傍の石に寄りかヽりて疲れ果
てゝ動く能はざれバ行くゆく近傍の人に救助の急
を告げたりしも田植最中若くハ養蚕最中なりとて
進んで行かんとする者なく役塲郡役所等より嚴命
して漸く救助に赴かしむる有樣なりき云々

雜報・宮古鍬ヶ崎の慘状

  巌手縣宮古町大日本水産
會員より同會に達したる十七日發の書面に曰く當
町ハ幸ひにして流失家屋僅に三四十戸死者十四十五
名に過ぎざるも隣町鍬ヶ崎の被害ハ最も甚しく
海岸ハ言ふに及ばず市中一帶破損流失して戸數三
百四五十戸ハ其影を止めず死者ハ百三四十名傷者
百名餘にて十六日早朝より近村の人夫百四五十名
來り取片付方に周旋し居るも壞家死屍等ハ往來に
堆積し叫喚悲傷の聲ハ今に於て止まず慘状目も當
てられぬ有樣にて罹災民ハ衣食住を失ひ露繁き山
陰に莚を敷き戸を蔽ひて避難所となし其日を送る
者三百餘名郡役所にてハ日々七八石の焚出しを爲
し無害者ハ何れも之が配達に盡力中なり、釜石山
田田老附近ハ一層甚しき由にて無害者ハ僅々百
分中五六の割合の由に傳聞す、一昨夜より地震引
續き四五十回あり天氣ハ相變らず陰雲朦々模樣不
穩なるより流言頻に起り人々安き心なく帶を解き
寢に就くものなし市中一帶の被害なれバ屍を棺に
納むら事能はず蓆に包み其侭墓地に運び居り親子
兄弟の死体を取巻き泣き悲しむ聲絶えず市中の光
景凄慘云ふ可らず當夜高地なる鍬ヶ崎小學校に於
て日清事件の幻燈會あり爲めに來観者ハ悉く無事
なりしも其代り生徒中★と爲りたるもの數多し、
此災害にて漁業者百分中七八十ハ死滅せり但
し當夜流し網に沖に出で漁し居りしものハ不思議
にも一名も被害なく皆々無事に打揃ふて歸村せり

雜報・山田町其他の慘状

 水難に加ふるに火難を以
てしたる巌手縣東閉伊郡山田町の慘状ハ聞くに随
つて益々甚だし同町ハ死者凡千人に達したるも今
日迄に發見せられたる屍体ハ二百五十人餘に過ぎ
ず茲に最も酸鼻に堪へざるハ凶變當日辛くして一
生を助かりたる一罹災民が飢寒甚だしかりけれバ
自家の土藏内に火を焚きけるに如何にしてか其火
が土藏に燃移り果ハ四方の家屋に燃えひろがり焔
焔たる猛火の裡に包まれたり進退自由ならざる罹
災民今又此厄難に出遭ひ水責め火責め並び至るの
慘状に悲哀號泣の有樣實に阿鼻叫喚大叫喚の責
苦も斯くやと思はるヽ許りにて遂に四十餘名の人
民が一片の煙りと化し去りたるハ無殘と云ふも愚
かなり、又同郡重茂村ハ一面に茫々たる原野と變
じ只僅かに村長西館富彌氏家屋の屋根のみ山端に
押付けられ其名殘りを止めたるハ無殘の至り出水
嵩サハ平水より七丈餘(嵩サハ山腰にかヽりある
芥溜に依りて量る)屍体ハ重に海上に浮漂しつヽ
ありて陸上にハ少なく追々漂着するの有樣なり而
して負傷者ハ多く重傷にして且塩水を甚しく呑み
たる爲め何れも容体頗る危篤船舶ハ一隻も餘さず
流失或ハ破壞したる爲め海上に浮漂する死体蒐集
するに由なく牛馬の死せしもの牛ハ百頭以上馬ハ
二頭なりと同村駐在所詰田村巡査の屍体ハ未だ發
見せず只同人が佩剣と名刺三枚を芥中より發見せ
りと次に同郡田老村ハ死者二千餘人の多きに達し
死屍累々山積其發見せしもの二百名餘に達したれ
ども之を片付くるに引受人もなく人夫もなく殆ん
ど處置に困難を極め居るとぞ

雜報・賴森縣の嘯害

 内務書記官太田峯三郎氏廿一
日 午後七時六分 賴森縣鮫港發電左の如し
小官ハ本日直に被害地三戸郡湊村視察す同村の
被害ハ死亡六人負傷二人家屋流失三十全潰九戸
にして被害の甚しきを認めず但船舶海産物の損
失多きが如きも其調査未だ詳かならず同村ハ漁
村なるを以て田畑の被害なし
明日ハ三戸郡小湊村(原文の侭)附近を視察する
積り
本縣の被害地ハ三戸郡上北郡の二郡に止まる三
戸郡の被害ハ破家四十四戸死亡七十二人上北郡
ハ破家三百七十八死亡二百五十四人右死亡者の
内未だ其死体の知れざるもの多し

雜報・慘話一束