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写真 写真:第2火災の発災直後 黒煙左側第1火災、右側第2火災 海岸側高い煙突の右側のタンクから右側が昭石、左側三菱金属、第1火災の原油タンク群は、主にタンク上部で燃焼中、右側白煙、成沢石油(口絵写真-防衛庁提供)
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写真 写真:発災当日(6月16日)午後の火災状況 昭石タンク群の周囲の漏油は殆ど燃え尽している。中央の建物は東北電力火力発電所、右方黒煙は成沢石油火災、第2火災はまだ発生していない
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写真 写真:発災当日(6月16日)午後のタンクの燃焼状況 地震の際タンクからあふれ出た油は殆ど焼失
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写真 写真:発災翌日(6月17日)の火災状況 右側白煙は杉治倉庫付近、左側手前は昭石旧工場、中央白い夕ンクのうち左の大きいタンクは昭石タンク
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写真 写真:発災翌々日(6月18日)昭石三菱金属焼跡の状況
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写真 写真:発災当日夕方の新潟市街 左方に新潟駅、左方上に信濃川が見える

 新潟地震は、過去の地震には、あまりみられなかった特異な地震として各界の注目を集めた。
 社会情勢の変化に伴い災害の形態も変化しているが、まさに新潟地震においては、かつての地震では経験しなかった多くの新しい体験と教訓を残したのである。
 流砂現象による建物の被害、石油タンク施設の火災等がそれである。
 地震における火災については、従来から研究を続け対策をすすめてきたが、このたびの地震で新しい事実を認識させられ、さらに今後の研究と十分な対策をたてることの必要性を痛感した次第である。
 消防庁としては、この地震直後いち早く調査班を編成して現地に派遣し、火災を中心にあらゆる角度から調査し、その後研究を行なってきた。その結果、まだ研究すべき点は多々あるが、一応今までにまとまった成果をここに報告することにした。
 将来この報告書が、地震対策を検討する上での指標の役目を果たしてくれれば幸いである。
 なお、この調査研究に当って、ご尽力くださった調査研究員井関弘太郎並びに研究論文をいただいた早稲田大学井上勇、建築研究所戸川喜久二の各先生方に深く敬意を表するとともに、協力いただいた新潟、山形、秋田の各県の関係者に深く感謝する次第である。
昭和40年3月1日
   消防庁長官松村清之

目次

Array序
第1編 地震の概要…………………………………1
 第1 新潟地震の発生状況………………………1
  1. 震源地および震度、規模…………………1
  2. 津波…………………………………………2
  3. 新潟地方の地震の歴史……………………2
  4. 新潟地震による被害状況…………………3

第2編 応急対策……………………………………11
 第1 消防庁のとった応急措置…………………11
  1. 防災連絡室の設置…………………………11
  2. 防災非常体制の確立と現地視察…………11
  3. 情報連絡および災害状況の把握…………14
  4. 化学消防車等の応援要請…………………15
  5. 化学消火薬剤等の緊急輸送………………16
第2 新潟震災における公共団体等の応援協力……19
  1. 自衛隊等に対する応援要請………………19
  2. 県外からの応援状況………………………19
  3. 県内からの応援状況………………………25
  4. 自衛隊の災害派遣状況……………………27
第3 消防機関等の活動状況…………………………32
  1. 新潟県下における活動……………………32
  2. 山形県下における活動……………………78
  3. 秋田県下における活動……………………79

第3編 現地調査……………………………………81
 第1 危険物関係施設の被害概要と問題点……81
  1. 新潟市内の危険物施設の被害……………81
  2. 昭和石油新潟製油所………………………82
  3. 昭和石油原油貯蔵タンクから出火した第1火災概況…86
  4. 昭和石油と三菱金属との境界付近より出火した第2火災概況……87
  5. 昭和石油新潟製油所の消防設備………………………………………90
  6. タンク被災状況分類表…………………………………………………92
  7. 亜細亜石油新潟油槽所の被災状況……………………………………117
  8. 歴世鉱油本社製油所および山下油槽所の被災状況…………………122
  9. 日本石油製油所並びに貯油所の被災状………………………………125
  10. 出光興産新潟油槽所の被災状況……………………………………132
  11. モービル石油新潟油槽所の被災状況………………………………133
  12. 三菱石油新潟油槽所の被災状況……………………………………135
  13. 丸善石油新潟油槽所の被災状況……………………………………136
  14. 日本瓦斯化学新潟工業所の被災状況………………………………138
  15. 新潟市におけるその他の危険物施設の被害状況…………………141
  16. 東北電力新潟火力発電所燃料タンクの被災状況…………………142
  17. 危険物施設として今後検討されるべき諸点………………………144
第2 昭和石油新潟製油所火災調査……………………………………………153
  1. り災前の状況……………………………………………………………153
  2. 出火状況および出火原因………………………………………………163
  3. 延焼拡大状況……………………………………………………………177
  4. 被害状況…………………………………………………………………179
第3 消防用施設の被害状況……………………………………………………181
  1. 被害発生地域の特質……………………………………………………181
  2.主要市町村の被害状況……………………………………………………182
  3.消防用施設の被害状況……………………………………………………188
  4.震災時の消防力低下の問題………………………………………………195

第4編 研究論文…………………………………………………………………199
  1. 地震と火災…………………早稲田大学教授 井上 勇…………………199
  2. 地震時の避難………………建設省建築研究所設計計画研究室長工学博士 戸川喜久二…206
  3. 地質学よりみた新潟地震…名古屋大学助教授工学博士 井関弘太郎…213
  4. 地震災害対策基図の作製…      〃      井関弘太郎…219

あとがき

第1編地震の概要

第1新潟地震の発生状況

1.震源地および震度、規模

 新潟地震は、昭和39年6月16日13時01分40秒(震源地)に、日本海の新潟県粟島付近を震源地として発生した。
 その地点は、粟島沖北緯38°4分、東緯139°2分で、震源地の深さ40kmである。
震度は、新潟酒田地方が最も強く、強震(震度5)で局部的には烈震(震度6)のところもあった。その他の地域の震度は、図−1に示すような分布を示しているが、北海道帯広から近畿地方豊岡までの範囲に地震を感じている(表−1)。
 新潟地震の規模は、7.7M(マグニチュード)で、震央距離(震源から地震を感じた最も遠い距離)は、600kmとなっている。この規模の地震は、日本海沿岸の地震としては1900年以来(地震計観測が開始されて以来)の最大の規模の地震である。
 いままでの大規模な地震としては、大正12年9月1日の関東大地震7.9M、昭和8年3月3日の三陸地震8.5M、昭和23年6月28日の福井地震7.3Mをあげることができるが、これらと比べても新潟地震の規模の大きさがうかがえる。
 新潟地震のあとの余震は、16日から27日の問に73回にもおよんでいるが、そのうち最大のものは震度3となっている。

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図:図‐1 震度分布図
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図:図‐2 津波の状況 数字は津波の高さを示す
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表:表‐1 震度一覧表
2.津波

 震源地に近い岩船瀬波海岸では、地震後7~10分に、新潟では30分後の13時35分に津波が寄せてきたが、その後30分ごとに第12波までおよんだ。一般に静かに押し寄せている。
 津波の波高は、震源地から近い上海府が最高390㎝(13時20分)を記録している(図‐2)。

3.新潟地方の地震の歴史

 最近においての新潟地方の地震としては,昭和36年2月2日の長岡地震があるていどで、長い間大規模な地震に見舞われることがなかった。しかし古くさかのぼって記録を調べてみると、そうとう地震に関係あることがわかる。
 その代表的な地震としては、貞観5年6月17日の越後、越中地方の地震、文亀元年12年10日の越後国府地方の地震、寛文5年12月27日の越後高田地方の地震、宝暦元年4月25日の越後高田地方の地震、文正11年11月12日の越後三条地方の地震、弘化4年3月24日の信濃越後地方の地震などをあげることができる。
 こうしてみると「新潟地方は地震とは関係がない」とこの地方の人びとが信じていたということが、大きな誤ちであることがわかる。
 もともと新潟地方は、日本海の内側地震帯と陸の信濃川流域地震帯の交さ点に位置しているもので、統計的には地震の可能性は十分考えられる。

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表:表‐2 新潟地震史

第2編応急対策

第1 消防庁のとった応急措置

1.防災連絡室の設置

 新潟地震は比較的災害発生の少ない裏日本一帯に突然襲来した。とくに新潟市を中心に新潟県、山形県、秋田県の各地方に甚大な被害をもたらした。地震発生とともに、被災地の県及び市町村はもちろん、政府の各関係省庁は、直ちに被害状況の実状把握に努め、防災非常体制を確立し、中央防災会議の総合的な調整のもとに、対策が練られ、被災地救援のための応急措置を開始したのである。
 まず政府は、災害対策基本法に基づく非常災害対策本部を総理府に設置し、本部体制を確立して直ちに被災県との情報連絡にあたる一方、各省庁が実施する応急対策の総合調整など国としてとるべき措置を迅速に展開した。消防庁では、防災業務計画に基づく、防災連絡室を発足させ、消防的見地から総理府の対策本部と緊密な連絡のもとに、一連の応急措置を行なった。すなわち被災地からの情報収集、現地で実施している消防活動に対する技術的な指導、助言を行なうとともに、係官の派遣、化学消火剤の輸送、化学消防車の応援要請など災害の情勢に対応して、全庁挙げて、迅速、的確な応急対策を実施したのである。
 そこで、今度の新潟地震に際し、消防庁が非常災害対策本部の実施部門として、どのような対策を講じ、どのような役割りを演じたか、対策本部の措置とも関連するものもあるが、その概要を次に記述することにする。

2.防災非常体制の確立と現地視察

Array 地震被害が最も激甚とみられた新潟市の被害状況をすぐに把握することは、通信網の不通により不可能であったが、山形、秋田両県については、一部の被害概況を有線電話により、聴取することができた。その内容は山形県鶴岡市において、幼稚園々舎が倒壊し、園児に死傷者がでた模様という情報であった。
 この情報は直ちに、中央防災会議事務局に通報した。これによって、事務局では、直ちに(16日午後3時)関係各省庁の連絡会議を招集、今後の対策を協議した。協議内容は、被害状況の把握、非常災害対策本部が設置されるについての本部員の人選、現地調査団の派遣と団員等の編成についてであった。この会議に消防庁から川合次長、魚谷災害係長が出席した。
 政府としては、地震災害の事態に鑑み、とりあえず、現地視察調査団を編成、赤沢自治大臣を団長に6名の団員を加え、急拠、新潟市に急行させた。調査団は、16日午後4時50分自衛隊のヘリコプターを利用して出発した。
 調査団のメンバーには、当庁から山崎教養課長が同行した。とくに最初の現地視察団でもあるし、そのメンバーを次に紹介する。
団長 自治大臣 赤沢正道
団員 警察庁 金堀警備局参事官
〃 大蔵省 田代主計官
〃 厚生省 牛丸社会局長
〃 建設省 神田技術参事官
〃 消防庁 山崎教養課長
〃 総理府 北川参事官
 また政府は、新潟地震に係る災害の応急対策を強力に推進する必要から午後5時すぎ持ち廻り閣議により災害対策基本法に基づいて総理府に新潟地震非常災害対策本部(以下「対策本部」という)を設置した。本部長に河野建設大臣、副本部長には、野田総理府総務長官をあてることを閣議決定した。本部長、副本部長は7月の内閣改造に伴い7月18日の閣議により、小山建設大臣、臼井総理府総務長官がそれぞれあてられた。
※閣議決定要旨
   新潟地震非常災害対策本部の設置について(昭和39年6月16日閣議決定)
 災害対策基本法(昭和36年法律第223号)第24条の規定に基づき、新潟地震にかかる災害の応急対策を強力に推進するため、下記により臨時に、総理府に新潟地震非常災害対策本都を設置するものとする。
     記
1.非常災害対策本部は
(イ)名称 新潟地震非常災害対策本部(以下「本部」という)とする。
(ロ)所管区域 新潟県、山形県及び秋田県の区域とする。
(ハ)設置場所 東京都とする。
(ニ)設置期間 昭和39年6月16日から災害応急対策を推進するため必要と認める期間とする。
2.本部の本部長は、建設大臣河野一郎を充てる。
3.本部の副本部長は、総理府総務長官野田武夫とする。
4.本部の本部員は、関係行政機関の職員のうちから内閣総理大臣が任命する。
5.現地災害対策本部を新潟市におき、所要の部員を駐在させ応急措置の推進に当らせる。
6.本部の庶務は、内閣総理大臣官房審議室で行なう。

 対策本部の本部員には18の指定行政機関の参事官、局課長クラスから46名が任命された。
 このなかから被害の中心地域である新潟市に設置された「現地災害対策本部」の現地本部長に松村消防庁長官が任命されたのをはじめ、10名の現地本部員が任命された。消防庁では斉藤総務課長、山崎教養課長(現地本部員)が任命された。松村現地本部長はじめ10名の現地本部員は17日午前10時30分ヘリコプターを利用して現地に向け出発した。
 現地本部室は新潟県庁内に設けられた。現地対策本部には、とくに当庁から魚谷災害係長が加わった。総理府の対策本部では、特別に本部室が設けられ、災害発生時から数日間は連日定時に本部員会議が開催され、応急対策の実施について協議された。
 松村現地本部長は6月23日一旦事務連絡と経過報告のため帰庁したが、またすぐに現地に舞い戻り30日の、現地災害対策本部が閉鎖されるまで被害状況、応急対策状況、現地の要望等を迅速にまとめ東京の対策本部に連絡するなど、現地関係機関の指導及び連絡調整にあたった。
 17日早朝には第1次調査団の派遣に引続き小林厚生大臣を団長とする第2次調査団が編成され現地視察に向った。続いて同日午後には、田中大蔵大臣、翌19日には対策本部長である河野建設大臣が現地に飛んだ。
 また20日に福田通産大臣が現地に向い、21日には池田内閣総理大臣が新潟市の被害状況と応急措置の状況を視察するため現地に赴いた。
 このように中央においては総理府に非常災害対策本部が設置され、また各指定行政機関もそれぞれ実施対策本部を設け災害の状況に応じた被災者の救援、応急復旧など応急対策を迅速かつ的確に実施した。一方、池田総理大臣をはじめ関係各省大臣と要員が現地に向い応急措置の状況、被災者の激励など必要な対策を講ずべく調査及び視察を行なったのである。
 消防庁では、総理府の災害対策本部と相呼合して消防庁防災業務計画に基づく防災連絡室をいち早く発足させ防災体制を確立した。
 総括的な指揮は、川合次長が長となって行ない、総力を挙げて、被害状況の把握、情報の収集に努めたほか新潟市民に不安を与えた昭和石油タンク施設等の火災を消火するための化学消火薬剤等の緊急輸送、化学消防車の応援要請、石油火災等に対する消火方法、応急措置の指導、助言等…など災害状況の情勢に対処しながら、現地対策本部が閉鎖された30日頃まで昼夜を徹して応急対策を行なったのである。
 総理府に設置された対策本部との間の連絡調整及び現地との清報連絡を迅速、かつ的確にするために、本部室に当庁の職員2名ずつを連日交替で駐在させた。
 対策本部の特別室には、新潟市の現地対策本部との問に、地震発生の翌日(17日)から連絡用の直通電話が設置された。一般の公衆電話がすべて不通になっていたのでこの直通電話を新潟市との唯一の通信連絡方法として大いに活用したのである。
 次に現地に対する職員の応援派遣であるが、松村消防庁長官が現地本部長として現地に赴いたのはともかく、前記のように地震発生当日の午後4時に山崎教養課長が赤沢自治大臣を団長とする第1次調査団に加わり、急拠現地に急行したのをはじめ、翌17日には小林厚生大臣の調査団に伊規須予防課長が加わって現地に赴いた。
 また現地において24日まで滞在し、消防活動の指導助言にあたっていた山崎教養課長と交替して斉藤総務課長が24日午前7時東京から現地に出発、30日までその任にあたった。
 その他消火薬剤を緊急輸送した車輛に同乗して予防課の矢筈野補佐。中村技官の2名を16日午後7時頃急派した。ほか17日早朝総務課の永瀬補佐、安田事務官が消火薬剤を空輸する自衛隊機に同乗、石油タンク火災と被災地の状況を空から視察した。
 ほかに予防課長谷川、高橋両技官を石油火災の実態調査のため19日午後5時から新潟市へ派遣したのである。

3.情報連絡および災害状況の把握

 地震発生とともに、気象庁地震課に対し問い合わせ震源地、被災予想地域等について地震状況を聴取、新潟、山形、秋田の3県地方に震度の高い地震が発生した模様との情報を確認した。直ちに新潟、山形、秋田の3県の県庁防災主管課に対し緊急通話(日本電々公社の一般有線電話利用)し、まっ先に被害状況の把握に努めた。しかし新潟市との間が通信施設の故障のため通話不能であったことから相当の被害が発生しているということが想像できた。山形、秋田両県については通話可能であり両県の防災主管課を呼び出したところ管下市町村を通じて被害状況の把握に奔走している最中であった。山形県下では酒田地方に相当の被害が発生している模様であり、これまでわかったところでは鶴岡市において幼稚園々舎が倒壊し、園!
児拾数名がその下敷きになっているという暗いショッキングな情報をまず把握することができた。
 この情報は直ちに中央防災会議へ通報した。新潟市については、同方面へ通ずる電信電話一斉が不通であり、苦慮したが、早急に被災状況を把握する必要から取りあえず、防衛庁に依頼、当庁の職員2名を派遣、防衛庁が情報収集するルートを通じ、情報収集にあたることにした。
 時間の経過とともに秋田県をはじめ山形県、長野県、福島県などから続々と地震被害の速報が送られてきた。その結果山形、秋田の両県を除いて被害は軽微であることがわかった。
 一方新潟地方の被害状況については依然として把握できず防衛庁に詰めている職員から断片的な概要が送られてくる程度の情報により知るほかはなかった。そのなかで石油タンクが爆発し、炎上しているという情報があったが火災の程度もわからず正確で詳細な情報が必要となった。石油タンク施設の爆発程度、火災の規模、他の石油タンクの爆発及び延焼の危険などその実状を把握し、それに伴う必要な応急対策を講ずるための検討資料を得ることが先決であった。そのためにも直接新潟県庁と連絡をとらねばならなかった。その連絡方法には相当な検討を要した。直接の通話が不能であるごとは厳然たる事実であったが新潟県庁の出先機関の事務所を経由して、ようやく正確な被害状況を把握することに成功した。つまり、これが新潟県からの第1報となった。この情報連絡の方法は新潟県庁が県の出先機関との間に行政無線通信施設を備えていることに着目したわけである。まず県の出先機関が所在する高田市、長岡市、新発田市の通話可能の可否を確認した。そこでこれら3市にある県支庁に対し公衆電話により、通話申込みをすることにした。通話可能ということではあったが新潟県内の電話は、地震のため混乱し、ふくそうしているとみえて、しばらく時間を要した。午後4時(地震発生後約3時間)高田市にある県上越支庁と連絡がついた。この時までは、新潟県庁との間に行政無線が働いているということであった。「新潟市に甚大な被害が発生した。」という情報を得た。この情報が当庁にとって新潟県内の県機関から直接得た初めてのものであった。上越支庁にはさらに新潟県庁と連絡を取り、くわしく状況調査のうえ速報するよう依頼した。つづいて次のような第2報を聴取することができた。「昭和石油のタンク施設が炎上中で他の石油タンクも爆発の危険があり付近に水素ガス、民家などもあり、類焼の危険性がある。また市街地が大部分浸水し、一般住民は避難を開始している」というものであった。
 この情報が新潟県から出されそして、これまで知り得た情報よりも、最もくわしい正確なものであった。これによって当庁では、消防資機材、化学消防車等の応援要請とか、化学消火薬剤等の緊急輸送などを躊躇することなく実施に移すことができたし、その後の応急対策に役立ったことはいうまでもない。
 しかしながらこの上越支庁の情報ルートは新潟県庁内の無線基地局の発電機が他の無線の方に使用され、発信不能になったということであった。そのため上越支庁と県庁間の交信もできず、このルートは第1、2報だけで中断する羽目になった。
 それからの当庁と新潟県との情報連絡は、隣接している警察庁の警察電話を借用したり17日から対策本部に特設された新潟市の現地対策本部との直通電話を利用するより他に手段はなかった。このような状況から、情報収集及び連絡等に迅速かつ的確を欠く面が生じたことは否めなかった。このことからも消防庁と都道府県間との防災無線電話の設置が強く切望されるところである。同時に現存の行政無線等を効果的に運用するようあらかじめ検討しておく必要があることも痛感されたのである。
 16日午後9時40分になって初めて新潟県の笹川消防防災課長から警察電話を通じて被害状況と応急措置の報告があった。折り返し、当庁の技官から石油火災の消火等について参考的な指導助言を与えたほか、当庁がこれまで講じた消火薬剤等の輸送と他県に対する応援要請の可否などについて情報交換を行なった。以後必要に応じ1日に数回以上情報交換及び指導助言を続けたのである。

第3編現地調査

第1危険物関係施設の被害概要と問題点

1.新潟市内の危険物施設の被害

 今回発生した新潟地震は、各地に種々の被害をもたらしたが、ここでは、特にその被害の目立った新潟市内における危険物関係施設について、被災の概要をのべ、今後の保安対策を樹立する上に必要と考えられる諸点について検討を加えることとする。
 新潟市内に存する危険物関係施設は、昭和39年3月31月現在、総計1,509で、その内訳は次のとおりである。
 地震による被害のあったものは、程度の大小を含め相当数におよんでいる。被害の最も大きかった大規模な危険物施設をようする昭和石油の石油精製工場に始まり給油取扱所まで、その範囲は広いものであった。
 地震とほぼ同時に3箇所の出火が認められたが、うち2箇所は、危険物関係施設であり、いずれも石油精製を行なう工場であった。昭和石油新潟製油所及び成沢石油製油所がそれである。
 他に、石油精製工場としては、日本石油新潟製油所及び歴世鉱油製油所の2箇所があったが火災の難は免かれた。
 出火場所のうちたまたま2箇所が製油工場であったのであるが、石油精製であったための出火とはいい難い。
 しかし、石油原油を加熱処理することを主体とする工場である点からすれば、操業中に地震を受ける状況下では危険度の高い場所になると考えられる。また、地震当時は、いずれの工場も作業中であり、火気が使用されている状況にあった。
 石油精製工場に次いで比較的多量の危険物が保有されているものとしては、油槽所等があげられる。これ等の施設は、前述の日本石油新潟製油所等と同様、地震、出水、津波などによる被害を受けているが、亜細亜石油油槽所、歴世鉱油油槽所を除いては、いずれも火災の難は免がれた。その他の危険物施設も地震による被害を受けたものはあるが、いずれも火災には至らなかった。
 以下、被害概要、危険物施設の検討すべき諸点を順を追ってのべる。

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表:新潟市内に存する危険物関係施設内訳
2.昭和石油新潟製油所

 所在地新潟市沼垂4の914
(1)施設概要
  ア.旧工場の主なる設備
  敷地面積—184,800平方米、蒸溜装置、再精溜装置、洗滌装置、白土処理装置、L・P・G充填設備、添加剤混合装置、ボイラー—2基、重軽質タンク
  イ.新工場の主なる施設
  敷地面積—322,300平方米、原油蒸溜装置—40,000バーレル/日
  水素化処理装置—11,000バーレル/日、接触改質装置—4,800バーレル/日
  水添脱硫装置—2,000バーレル/日、原油タンク180,000kL 5基
  製品タンク—47,500kL 10基
(2)被害状況
  ア.旧工場の状況
 当工場では、地震とともにNo.33、1,000klタンク(当時964kl入)の引線パイプが側板から折損してガソリンが約2メートルの高さに噴出し、防油堤の破損箇所から流出した。その他のタンクにおいても地震動により大きくゆれ満量のタンクは屋根の破損箇所より貯蔵油が流出した。
 この他、地下水も各所から噴出し、さらに14時00分頃の津波によって50センチメートル程度の浸水をしたうえに、タンクならびに機器配管の亀裂により流出した軽質油および重質油が浮遊して極めて危険な状態になった。
 その後、当製油所の北側にある隣接工場と、当製油所との境界附近の火災が当工場一帯に拡がり、瞬く間に全面火災となり、一部の施設を残して、当工場はほとんど全滅した。
  イ.新工場の状況
 地震により当製油所、日本石油新潟製油所及び貯油所並びに近隣の東北電力の各タンクはいずれも震源地方向の南北に動揺した。
 当製油所原油タンク5基、製品タンク10基の浮屋根は、地震の影響を受けて、それぞれ動揺し、特にNo.1103原油タンク(満量タンク)は、地盤沈下による西側への傾斜及び地震波の反射により、複雑な動揺をしたため、地震とともに屋根が3~4回側板より上方に動揺し、同時に原油が上部から側板に添って周囲に温流したが、4回目ぐらいの動揺時に火災が発生した。
 この他、No.1101、No.1102、No.1104及びNo.1105の原油タンクも同様であって、ほとんど同時に火災を起こした模様であり、原油タンクならびにタンクヤードは一面の火に包まれた。
 これら原油タンクの上部には、ドライケミカル消火剤ボンベ(10キロ型)が数本宛常備されていたが、上述のような火災状況であったので消火剤の使用はできなかった。
 この結果、No.1103の原油タンクは6月29日17時まで、他の原油タンクは6月24日10時頃までえつづけ、その間に流出した原油の火によって、インテグレート装置の加熱炉、廃熱ボイラー、接触改質装置の反応塔、水素化処理装置及び水添脱硫装置の反応塔下部において、水素系混合油の火災が発生した。
 又、流出油によって高圧変電室も一部焼損した。
(3)地震直後の状況
  ア.地震と同時に、消火用水の送水のためのディーゼルエソジソ付ポンプは基礎の不等沈下のためカップリングに無理が生じ運転不能となり、ガソリンエンジン付ポンプは廻転したが送水出来なかったので、ポンプの駆動を断念した。又、地震と同時に東北電力排水管の亀裂により、同ポンプ室は水びたしの状態となった。
 さらに一部貯水池は地震によるコンクリートの亀裂によって貯水がなくなり、地上から地下への配管がその結合部において亀裂が入り、あるいは切断された。
 その上、化学消防車は道路の地割れ隆起等により走行不能の状態であった。
したがって、もし化学消防車が直ちに出動したとしても、初期消火作業は実施できなかったものと思われる。
  イ.旧工場の加熱炉及びボイラーは手動操作により直ちに消火した。
 この地帯では、地震と同時に地割れが起こり、この地割れの部分からは地下水が噴き出し、又、ほとんど同時にタンク漏洩その他によって油も流出した。
  ウ.新工場は遠隔操作により加熱炉およびボイラーとも消火した。
  エ.送電関係については製油所内の特高変電所のスイッチを作業員が切ろうとした時にはすでに停電していた。
  オ.原油タンクならびに製品荷役の状況は次のとおりである。
  (ア)16日11:00時、本船より重油をNo.1101タンクに受け入れ中であったが、直ちに桟橋のバルブを閉め荷役を中断した。
 軽油は船積みを終了し、B重油とガソリンをそれぞれ船積中であったが、いずれもタンク廻りのバルブを閉め、船は退避した。
  (イ)No.1102タンク、(ガッチサラン原油)装置へ通油中であり、タンクは攪拌中であった。
  (ウ)No.1103タンク、(カフジ原油)16日12:00時に検尺を終了し、タンクは攪拌中であった。
  (エ)No.1104タンク、(クェート原油)装置へ通油中であり、タンクは攪拌中であった。
  (オ)原油関係タンクのバルブの開閉状況は別添図面のとおりである。

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表:表−1 製油所タンクリスト
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図:図−1新工場原油タンク地区配管図
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図:図−2旧工場、原油、A・B重油、軽油地区配管図
3.昭和石油原油貯蔵タンクから出火した第1火災概況

(1)火災の概要
 ア.出火場所の名称
 新潟市沼垂4914番地 昭和石油KK新潟製油所
 イ.出火工作物
 屋外タンク貯蔵所(容量30,000klフロ・一テング原油貯蔵タンク)
 ウ.出火日時
 昭和39年6月16日 13時2分頃
 エ.覚知日時
 昭和39年6月16日 13時3分頃
 各通信網が損壊途絶した為火災通報はなかったが揚煙状況で覚知した。
 オ.延焼危険防止日時
 昭和39年6月19日12時頃
 力.鎮火日時
 昭和39年7月1日 5時頃
 キ.焼失面積及び損害額
 (ア)焼失屋外タンク貯蔵所
容量45,000kl2基全焼
容量30,000kl3基全焼
 (イ)焼失原油
  121、937kl
 (ウ)焼失タンク及び原油損害額
 タンク 480,400,000円
 原油  675,874,000円
 計  1,156,274,000円
 (エ)焼失建物面積及び損害額
 昭石所有建物 全焼3棟
 建面積 450m2、延面積478m2
 損害額 1,572,639,000円
 罹災一般住家 全焼 18棟
 罹災世帯数 13世帯、罹災者数 59人
 建面積 1,173m2、延面積 1,223m2
 損害額 13,854,000円
 合計 2,742,767,000円
 ク.死傷者なし
 ケ.気象状況
 天気晴、風向西、風速5。2m/SEE、気温22.2℃
 相対湿度 60%、実効湿度89%

第3 消防用施設の被害状況

1.被害発生地域の特質

 この地震による被害発生の特質は、特徴ある地盤変動によるものが多く、関係者の注目をあつめた。
 また今回の地震による酒田市の被害地域は明治27年10月22日に発生した荘内地震(住家潰焼6,006死者726)の被害地域と、きわめてよく一致するという事実は、かりに震源の深さ、発振機構の相異等、今後解明されねばならぬ問題は残されているにしても、それぞれの位置する地質条件によって、かなりの相関をもって被害発生の特質が予想されるのではないかと考えられる。
 消防研究所では、地震発生後、二度にわたり被害地域を調査したが、その結果、被害の多発地域は、つぎのような地質条件のところに多いということが判明した。
  i 最近における埋立地、盛土
  ii 新しい氾濫原
  iii 砂丘と沖積平野との境界部
  iv 山間の沖積地
  v 河口部の堆積地
 これらのうち、とくに土質状況の軟弱な部分、および地下水面の高い地域には被害が集中している傾向がある。
(1)最近における埋立地、盛土
 この種のものは新潟市、酒田市に多く発生し、このほか新しく造成された宅地にも被害が見られている。とくに経過時間の短かいものほど被害が大きい。
 この部類に属する地域の被害の特徴は、雁行状の亀裂や、構造的な不等沈下などに代表される。
(2)新しい氾濫原、洪涵地
 これは信濃川、阿賀野川の旧河床や、鶴岡市の大山地区等にみられ地下水面の高さ、土のしまり具合の良否等により、さらに被害の強弱があるようであるが、埋立地と同様、大きな被害が発生しやすい地域と言えるようである。
 被害の様相は、埋立地、盛土の例に似て亀裂、地盤の不等沈下等がいちじるしい。
(3)砂丘と沖積平野の境界部
 とくに新潟市市街地西方の内野、寺尾関屋方面、酒田市飯森山、黒森地区等によくみられるが、この地区の被害の特徴は、地震動により砂丘下部の自由地下水面の盛り上がりが、流砂層となって周辺部に押し流されたものと考えられる。また、この地域の砂丘傾斜面上には階段状になった小規模な断層群がみられるほか、下部には場所により砂の噴き出しがみられる。
(4)山間の沖積地
 鶴岡市三瀬水無地区、温海町、村上市在部等にみられる山間の小規模な沖積地で、土蔵の被害をはじめ、比較的強烈な被害が目立っている。
(5)河口部の堆積地
 最上川河口の宮野浦地区、荒川河口の神林村塩谷、信濃川河口の山ノ下、阿賀野川河口の松浜、下山地区に代表され地下水の噴き出し流砂現象をはL"め、家屋の被害が圓立つている。これら地域ぱ震動により、続成作暦が促進され、地盤溝沈下したと考えられる。また下山地区のように地盤面が、地下水面より儀くなサ、地下水による漫水がおさまらぬ地域もでている。
 以上が被害発生地域の地質的にみた特質であ番が、とくに地下水面の高いところでは、条件により、いわゆるQuick-sand現象がみとめられ、また一般に地盤は沈下した模様である。

2.主要市町村の被害状溌

 新潟地震による被害は、ひろい範囲にわたってはいる滅その殆どは新潟市一市に集中している。このため、他の市町村の被害については案外忘れられ勝ちな点もみられる。
 しかし、各市町村によって、その位置するところの地質的条件により、本質的に異なった被害の様相を示している。調査の結果、今次新潟地震による被害は、被害形式の相異により2つの型に分けることができる。
 その1つは山形県温海町を中心とした強烈な被害相で、これを仮りに温海型と名付ける。また他の1つは新潟市に代表される例で、これを新潟型と名付ける。両者の被害様式についての詳細は、各市町村の被害状況報告の中で述べる。
(1)新潟市
 新潟市の被害は、信濃川と阿賀野川の河口付近に挾まれた地域に多発し、地質学上最近の時代において生成された氾濫康地帯や、市域の発展にともなつて行なわれた埋立地にいちじるしいものがみられる。とくに明治以後において完成された埋立地ぱ壊滅的な被害を受けている。手元にあるいくつかの地形図の組み合わせによって作られた新潟市の埋立地の発達状態は、図−1のとおりである。
 一方、これら被害地域に対し、旧砂丘地帯は被害の殆ど無い地域となっている。
 現在の地形図に旧河川、砂丘地帯を入れると図−2のようになる。
 本市付近には、海岸線とほぼ平行に数条の砂丘堆積物帯が走っているが、この上に位置する地域は、先の被害地域と、きわめて対照的であるほか、その間にかなりはっきりした境界線を求めることすらできる。
 新潟市における被害地域と無被害地域の分布については図−3に示した。
 本市被害の特質は、コンクリート建物が地上構築部に被害のないまま、基礎からそっくり傾斜してしまった形式のものが多いことで、これは土の支持力が急速に失われたためと説明されている。この原因は地下水が震動により間隙水圧を増し、砂が流動化したという。いわゆるQuick-sandの現象と土砂の締まり方の問題に起因する。もともと新潟市を中心とする地域は、一部にsilt層等も無いわけではないが、圧倒的に中粒砂ないしは細粒砂が厚い層をなしており。あるいは地下浅部に腐植土を挾む軟弱地帯もみられている。
 この中粒砂ないしぼ細粒砂は堆績物中、毒っ之も流動化され易い粒径にあたるものであることも不運なことであった。
 土の締まり方についてはJISに定められた標準貫入試験の方法により、目安をたてることができるが、これによるいわゆるM値の値の大小は、被害の分布と対照させて考えることができる。この結果N値は信濃川に沿って小さく、被害の地域とよく一致したようである。
 このほか本市は地下水揚水過剰のためと思われる急激な地盤沈下があったことも周知の事実で、このため低地にあっては地震による信濃川堤防決壊等のため逆流し浸水したことで、これら二次的被害もきわめて大きなものがある(図−4参照)。
 以上要約すると、新潟市の被害の特質は、土の支持力が失われたことによるコソクリート建物の傾斜Quick-sand現象、低地浸水などである。
 本市中心部の被害の状況については、震災後、すぐに行なわれた新潟大学地質学教室一同の献身的な調査活動によって完成された「新潟地震地盤災害図」の大作がある。
(2)村上市
 村上市における被害は、三面川氾濫原に沿う地下水の胚胎地域に多発し、とくに四日市、山辺里、西興屋、下山田等の部落に家屋の倒壊がみられたほか、震源地が本市から近い位置にあったことから沿海部で津波の被害が多発した。とくに瀬波、岩船港では漁船の被害が大きかった。本市には新潟にみられたような砂の噴出はなく、コンクリート構築物等の傾斜4、みられなかったが、村上中学校のコンクリート壁面に亀裂が生じたのは震動の大きかったことを物語っている。また墓石の転倒も各所でみられかなりの水平加速度が加わったこと(約400gal程度で新潟よりも大きい)を示している。
(3)山形県温海町
 温海町の被害は震源地に近く、その上、他の諸市町村と異なり、いわゆる硬い地盤の上にあるので、その被害様式も特異なものがある。温海町付近の地質構造は、海岸線とほぼ平行に海岸側から順に、玄武岩額、第三紀中新世及位層(砂岩、疑灰岩、礫岩よりなる)、中新世安山岩類、花嵩岩類が露出しており、沖積部は極めて局所的に存在するに過ぎない。
 温海町の被害のうち、他の地域と比し、もっとも特色とすべきことは、地震にともなう山崩れが多発したことである。概査した結果によれば上記諸岩類のうち、及位層の露出している地帯に山崩れが多いようであるが、この点に関しては今後なお検討されねばならない。
 また本地域には、直線状に連なった強烈な振動帯が発生したと思われる節も二、三あるが、これらの点は地質構造線に関係あるもののようで、今後に残された研究課題である。
 本地域の被害の特色は、コンクリート構築物に顕著な被害が発生したことで、壁面の亀裂、石垣の崩墳鳥居墓石の転倒、瓦の飛散など、強烈な被害も各所に認められる。また、前記山崩れによる被害とともに落石による家屋の被害など、二次的な被害も多発した。
(4)鶴岡市
 鶴岡市の被害は市の中心部には、むしろ少なく、本市の西方、日本海海岸沿いに起伏する丘陵の内側に位置する大山川、およびそれの支流の洪涵地(一部は砂丘の境界部に当る模様)に被害が集中的に発生しており、とくに西郷、大山、水沢等の各地区には相当な被害が認められる。この地域はN値も一般に小さく、締まりの悪い軟弱地盤であって新潟型の被害相である。
 また上例とは異なり、三瀬、水無地区の山間の沖積部には、温海型の被害が認められ、コンクリート壁面の亀裂、警鐘台の倒壊等の被害が認められた。
(5)酒田市
 酒田市の被害は埋立地、河川沿岸および砂丘と沖積平野との境界部にとくに被害がいちじるしく、被害の形式は新潟型である。
 新潟における信濃川両岸の埋立地に対応するものは、酒田では最上川右岸の小中島地区である。また、この他、酒田では郊外に造成した埋立地にも被害が発生している。河川沿岸としては、最上川両岸の旧河床部に被害の発生をみているが、本市でとくに被害の大きいところは、海岸砂丘の内側と沖積平野との境界部にある黒森、坂野辺新田、飯森山の各地区と最上川河口の宮野浦地区で、相当の被害が認められる。また飯森山地区では砂丘斜面に階段状断層の発生や、いわゆる砂火山の現象が見られ、砂の噴出が行なわれたことは新潟の場合と本質的に類似していることを物語っている。
 また、これらの被害地域は、いずれもN値が小であったことも新潟の場合と同様である。

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地図 図:図−1新潟市における埋立地の発達図
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地図 図:図−2新潟市の旧河川、砂丘分布図
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地図 図:図−3新潟市における被害地域の分布図
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地図 図:図−4新潟市における浸水地域の分布図
3.消防用施設の被害状況

(1)消火栓設備
 今回の地震の結果、調査地域にある消火栓は、表−1のような被害をうけた。

この表で、「被害をうけたものの総数」とは、地震の結果、何らかの被害をうけたもので、消火栓
自体は被害はなくとも、埋没、傾斜等の理由により復旧作業を要するものをさし、また、「消火栓
本体の被害」とは、消火栓自体の機械的な被害で、取替え等を必要とするものをいう。「震災直後
使用不能となったもの」とは、導配水管路等の被害による断水のため、使用不能となったもの等も
含まれる。
 この表から判るように、現在設置されているところの消火栓本体は、その機械的強度においては、この程度の地震には耐えられるという心証を得ているが、かりに消火栓本体に何の事故がないにしても、現在のように水道管に連結されている以上、水道被害と一蓮託生の運命にあるのが実情で、消火栓設備は、大震災発生時には全く頼りにすることができないことを銘記する必要がある。
 以上のような現状から、今回の新潟地震の結果受けた消火栓の被害状況調査については当然のことながら、それはすなわち、水道被害を調査することになる。
 新潟における水道被害は、取水、浄水施設は被害軽微であったが、配管関係に相当な被害があった。
 本市では一般震害と同様に、水道被害においても重被害と軽被害との地域が分けられるようであり、その分布は地質条件の良否とよく一致する。とくに流砂現象を起こした地盤の地下埋設物は壊滅状態に近い。
 また配管系の被害は、鋳鉄管にあっては、継手部に被害が多く、抜け、弛み、脱落等の被害が目立っているが、石綿管にあっては、折損の被害が多いようである。これは新潟市に限らず、他の市町村でも共通に言えるようである。
 新潟市における消火栓の被害の詳細は表−2のようである。(なお新潟市では、消火栓は全部、地下式である。)
 また、被害をうけた消火栓の分布は図−5のとおりである。
 村上市における水道被害は、水源井より配水池に至る鋳鉄管が途中2カ所にわたり、接手コーキングが抜けの状態となったのをはじめ、市内の配水管(石綿管使用)が16カ所、折損の被害を生じたが、断水はさけられた。しかし、駅前付近の地上式消火栓がフランジ部分から外れ、倒壊したので、消火栓は地震直後この1個が使用不能となったが直ちに復旧された。
 温海町における水道被害は、湯温海地区において鋳鉄管による配水管が14ヵ所(接手管部の外れ7ヵ所、管の亀裂7ヵ所)被害をうけたのをはじめ、地震による落石により、消火栓が1基、破壊されたこのほか、水源上流に地震に伴う山崩れが発生し、河川が赤濁したが、温海町水道には沈澱濾過池の設備がないため、取水を停止せざるを得ない状態となり、約10日間、断水の状態となった。この期間、消火栓はもちろん、使用し得なかったわけである。
 鶴岡市水道にあっては、市街の最西部、柳田地区の末端に位置する石綿セメント管の接手部が外れ、単口消火栓1基が使用不能となったが、直ちに復旧した。このほか、市街20ヵ所で一部洩水がみられた程度であった。
 鶴岡市大山水道にあっては、石綿セメント送水管が接手部から亀裂折損の被害をうけ、送水不能となったほか、配水管(いずれも石綿セメント管)も3カ所、亀裂を生じた。このため、自衛隊による給水作業がつづけられ、消火栓は使用不能となった。
 酒田市にあっては、水道の被害は大きく、とくに450mmと600mmのヒューム管による送水管が60ヵ所にわたって折損したほか、市内の配水管も、主として石綿管の部分に亀裂、折損が多発し、完全断水となった。このため自衛隊の給水活動が行なわれたが、地震発生後、約2週間の長期にわたって、消火栓は使用不能となった。
 以上のような事実は、大地震発生時には、石綿管、ヒューム管等は折損されやすく、とくにそれら送水管に用いてある市町村は、地質条件によっては、全面断水になる可能性もあるので、事前から検討する必要のあることを教えている。
(2)防火貯水槽
 この地震による防火貯水槽の被害は、表−3のとおりである。
 この表中、「被害を受けたものの総数」とは、地震の結果、何らかの被害をうけたもので、貯水槽の傾斜、浮上がり、沈下等も含まれている。「被害総数中全壊洩水」とは、以上の「被害を受けたものの総数」中、地震の結果。亀裂を生じ、中の水が洩水し、消防の役にたたなくなったものをいう。「被害総数中軽被害」とは、貯水槽の沈下、浮上がり、傾斜、小亀裂等を生じたもので、いずれ修復の必要はあるが、消防用の水としては、非常時に際し使用可能なものを示している。
 新潟市における全壊洩水の1件は、阿賀野川河口附近、浜松地区にある加治川運河を一部埋立てた際、700mm径のヒューム管を長さ422mにわたって埋設し、途中何カ所かの貯溜部を設け、連水管式に仕上げたもので、いわば特殊なものである。軽微な被害としては、一部洩水2件(うち1件は100m3級、他の1件は震災前から若干洩水気味であった。)、浮上がり傾斜2件(浮州町ほか)陥没が5件である。新潟市における貯水槽の被害位置分布は図—6に示してある。
 本市の貯水槽被害の特性は、他の構築物、水道の被害の激しかったのに比べ、意外と思われるほど、軽かったことで、これは被害の様式の似た酒田市の場合と一致する。
 村上市における全壊洩水は、同市北方、吉浦地区で、川の表流水を流下貯溜させる独自の方式によるものである。このほか同市では東方、赤沢地区で同前川支流の表流水を流下貯溜させる独自の方式によるものが一部亀裂を生じている。また大月地区ではヒューム管を用い導水貯溜する形式のものがヒューム管接合部に亀裂を生じたりした。
 温海町では、安土、山五十川、戸沢、小岩川地区にある無筋コンクリート造貯水槽に、最大巾5cm程度の亀裂を生じ、完全洩水したものや、間知石積みによる無蓋貯水槽(山五十川)が崩壊したりした。このほか当地域は他に比して全般に貯水槽の被害が多いようであるが、これは先に述べた新潟型と、温海型の本質的な違いによるものか、あるいは予算の関係上、無筋のコンクリート(厚さも15cm以下である)にせねばならなかったことに原因があるか否か、なお検討を要する。
 鶴岡市における全壊洩水の5件は、本市の南西方、温海町との境に位置する。三瀬、水無地区の山間部に集中している。この地域は鶴岡の他の地域とは異なった被害相を示していることから、温海型に近い被害と考えられる。しかしながら、全壊の被害をうけた貯水槽は、無筋のものであり、厚さも12~15cmであることは温海の場合と同様である。
 本市ではその他、軽微な被害は全市域にわたっている。
 酒田市における貯水槽の被害は、飯森山、黒森地域にみられるが、全壊の1件は小さなものであり、無筋コンクリート、厚さ8cmというものであった。このほか本市の貯水槽被害は、きわめて軽微であったといえよう。
 以上、貯水槽被害をかえりみると、これらの中には、国の補助により設置された鉄筋コンクリート製のものは、全地域を通じて一件も被害がなかったということは特筆に値する。
 また、温海、鶴岡の三瀬、水無地区のような山間部では、若干被害がでているが、これとても鉄筋コンクリート造にしたならば、どうであったか、なお検討されねばならない。
 しかし、新潟、酒田、鶴岡の大山地区のような軟弱地盤地帯にあっては、貯水槽はもっとも確実な水利施設であるという心証を強くした。また、亀裂の状態にしても勇断方向に働いたものは殆ど見当たらず、多くは引張り方向であったことを考え、現在この種貯水槽の洩水防止策について、消防研究所で研究中である。
(3)防火井戸
 防火井戸は、新潟、村上両市に設置されているが、その被害状況は表−4のとおりである。
 新潟における防火井戸の被害は、信濃川河口付近の山ノ下地区、阿賀野川河口付近の松浜、下山地区に多発し、流砂現象により井戸内から砂が噴出し、埋没した例が多い。とくに下山地区にあっては、全滅の状態となり、松浜地区では過半数が破壊された。
 新潟における防火井戸の被害分布については図−7に示した。
 村上における防火井戸の被害は、岩船地区において、井戸枠が陥没、使用不能となったものを始め、村上地区で、地震直後、しばらくの間、水枯れの状態となったものである。
 このほか、「一部破損、土砂流入等」とは、井戸枠の一部が破損したり、少量の士砂が噴出あるいは流入したりしたものである。また村上地区にあっては、殆どの井戸にわたり若干の砂の噴出があった模様であるが、その量は、せいぜい20~30cm程度と思われる。
 なお、本表は震災間もなくの資料であるので、とくに新潟にあっては、調査がすすみ次第、被害は若干増大する可能性もある。
(4)プール
 プールは大量の貯水量を有するので、消防用水利として指定されたものが多いが、新潟市においては11カ所の指定がある。このうち、宮ノ浦中学校のものが最も大きな被害をうけ、亀裂の発生をみたが、いちじるしい洩水は避けられた状態であった。
 ただ、指定こそされてはなかったが、昭和大橋わきの白山小学校のもののように、完全に勇断破壊されてしまったものもある。ただし、この地域は地盤の上からも、もっとも悪い条件であって、むしろ例外的なものといってよかろう。
(5)自然水利
 新潟市にあっては信濃川の表流水を、酒田市にあっては最上川の表流水、および一部は海水を消防水利として指定してあるが、新潟の場合、一部に地割れ等が発生した個所もあったが、さしたる被害もなく、適当な措置により、容易に復旧使用し得る状態であった。
(6)消防署関係、分団器具置場、望楼等
 これらの諸施設にも各所で被害が発生した。新潟では、榎木、附船、松浜の各出張所が地割れ発生により戦力から脱落したのを始め、下山地区器具置場が倒壊した。また榎木出張所の望楼が傾斜したりした。
 村上市では、大月地区器具置場に床面亀裂を生じた。
 温海町ではポンプ車庫の全壊、半壊各1棟をはじめ、山崩れにより警鐘台が1ヵ所押し倒されるという被害が発生した。
 鶴岡市では、庁舎関係の被害3件をはじめポンプ格納庫19件、警鐘台関係8件の被害があり、その多くは、三瀬、水無地区および大山地区である。
 酒田市では、飯森山、黒森宮野浦地区を中心に、格納庫4件、警鐘台10件の全半壊の被害が発生したが、損害はやや軽微である。

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表:表−1新潟地震による消火栓設備の被害状況
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表:表−2消火栓の被害状況[新潟市消防署調べ]
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地図 図:図−5新潟市における消火栓の被害分布図
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表:表−3新潟地震による防火貯水槽の被害状況(20m3級以上)
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地図 図:図−6新潟市における貯水槽の被害位置分布図
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表:表−4新潟地震による防火井戸の被害状況
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地図 図:図−7新潟市における防火井戸の被害位置分布図
4.震災時の消防力低下の問題

(1)地割れ
 大地震の発生の際には、大小無数の地割れが発生することは、良く知られたことであるが、これは消防活動をきわめて困難にする。
 今回の新潟地震においても、被害地には、各所にさまざまな地割れが発生し、同時に地下水の噴き出しにともなって砂を噴出し、あるものにあっては、その砂で裂罅を充填したものもあったが、大きいものでは、車の通行を不能にした。
 地割れの発生個所は、地質条件に密接な関係があるが、その形状については、地塊ごとにみた場合、卓越した方向性もあるが、全体としてみると、必ずしも顕著な構造的な方向性があるわけでもないようである。
 ただ地割れの発生は、地下に比較的口径の大きな配管等がある場合、それに沿って延長されることが多く、したがって公道上に地割れが直進しているような形状のものが多いようである。
 地割れによる落差は、今回の地震ではあまり大きなものはなく、特殊な例外(例えば昭和大橋取付部の盛土)を除いては、せいぜい数10糎程度のものである。亀裂幅は単純な地割れ(水平移動のみのもの)にあっては、糎台から数10糎程度までが多く、それ以上のものはむしろまれである。
 一方二本以上の平行な地割れの発生により、中に位置する部分が陥没するいわゆる地溝状の地割れも多く、この場合1m程度、陥没したものもみられた。自動車等が埋没された例は、この種のものに多く、地溝状の凹地に砂が噴き出してきたものである。
 このほか、上例と反対の地畳状の地割れや、路面の波形変形等も各所にみられた。
 新潟市における地割れ等の路面変化については図−8に示したとうりである。
 新潟市にあっては、地震発生と同時に、出張所を出ようとした消防車が、地割れに落ちこんだり(附船出張所)、地割れが車庫前に発生したため、地震直後の出動ができなかったり(榎出張所)した例が報告されており、大地震発生時には、かなりの消防戦力が脱落することを覚悟せねばならない。このほか、新潟では低地浸水があり、かなりの広い範囲にわたって、車の進入が不能となる地域が発生したことは先に述べた。
(2)水利確保の方策
 すでに述べたように、大地震発生の際の水利としては、消火栓は全く期待できず、防火井戸は地下水の性質上、その胚胎地域があらかじめ限られていることから考えると、非常時用消防水利として、もっとも確実であるものは、自然水利および防火水槽であるという心証を強くしている。
 ただ、消火栓も、直線状の部分にあっては、強い面もみられるので、消防用専用水道を設け、鋳鉄管による配管を行なったりするならば、あるいは相当にフレキシブルな材料による専用吸水消火栓を設けるならば、きわめて有効であるとは言えるが、現状ではその実現は困難であろう。
 そこで水利を確保する方策は、最大限に自然水利を利用すること、そのために大地震発生を想定し、地盤変動に対し耐えられる地点を事前から選定しておくことである。ポンプの中継送水のほか、相当量の貯水のできるシート袋(たとえばビニール・ターポリンの袋)の用意も必要となろう。
 このほか、自然水利に頼ることの困難な地点にあっては、耐震性のある防火貯水槽の設定が急務である。とくに鉄筋コンクリート製のものであって40m3~60m3程度のもので塊状のもの(いちじるしく細長いものは不可)は、きわめて信頼し得ると考えられる。
 この貯水槽を設置する場合、低地浸水のおそれのある地域、および地盤が軟弱であり、Quick-sand等の現象の起こる危険のある地域にあっては、取水孔はつねに路面より数10糎程度以上高く設ける必要がある。新潟地震においても砂の噴出にともなって、取水孔が埋没したり、土砂の流入のあったものが多くありまた貯水槽全体が数10糎程度陥没したものが多かったことは、今後の対策によい教訓とされた。
 このほか、消防水利としてはプールがあるが、これは予想以上に確実なものであるという心証を得た。これら消防水利を守るということは、消防の至上たる使命であるばかりでなく、新潟地震調査の際にも各所で見られたように、急場の生活用水としても利用ざれており、小さい施設ながらもその利用価値はきわめて大きなものであろことが改めて認識された。

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地図 図:図−8新潟市における地割れ等の路面変化

文献

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2)全国科学技術団体総連合新潟地震防災研究総合報告会講演要旨科学技術庁国立防災科学技術センター昭和39年8月
3)新潟市新潟市政要覧昭和39年4月
4)新潟市6.16新潟地震の概況
5)新潟地方気象台新潟地震速報第3号昭和39年
6)NHK広報室新潟地震と放送一非常災害における放送の役割一日本放送協会昭和39年8月
7)東京都土木技術研究所新潟地震に関する資料昭和39年11月
8)吉村尚久林等若林茂敬新潟地震(写真図版)地球科学73号昭和39年7月
9)西田彰一陶山国男ほか新潟地震地盤災害図新潟大学地質学教室未発表
10)新潟県地震水害対策本部新潟地震と7.7水害の状況昭和39年7月25日
11)村上市6.16新潟地震災害及び救助の状況報告書
12)村上市村上市市勢要覧昭和39年3月
13)温海町温海町勢要覧昭和36年8月
14)山形県災害対策本部39.6.16地震被害状況(写真集)
15)山形県災害対策本部39.6.16地震に県がとった措置状況昭和39年6月30日
16)山形県災害対策本部地震被害の応急復旧状況昭和39年8月10日
17)山形県災害対策本部6.16地震被害状況最終版昭和39年8月25日
18)鶴岡市新潟地震による被害並びに災害復旧予算昭和39年7月25日
19)鶴岡市鶴岡市市政要覧昭和37年11月
20)酒田市新潟地震による被害状況報告書昭和39年7月20日
21)酒田市工場設置の案内昭和39年
22)酒田市酒田市政要覧昭和38年11月
23)酒田市消防本部消防現勢昭和38年
24)新潟市消防本部消防年報昭和39年3月
25)新潟県新潟臨海工業地帯地盤図昭和38年
26)新潟市水道局にいがたの水道1962
27)八幡エコンスチールK.K建築基礎と地盤一新潟地震の記録マンスリ一エコン43
28)山形県商工労働部鉱業課山形県地質図及説明書昭和35年3月
29)新潟県新潟県地質図説明書昭和37年3月
30)細野義純新潟地震災害調査1消防用施設の被害調査日本火災学会昭和39年度秋季学術講演会概要集昭和39年11月
31)中川恭次大崎順彦新潟地震がのこした課題——振動による地層の液化現象—科学朝日1964年8月
32)新潟日報社新潟地震の記録—自然との半月の戦い昭和39年8月
33)須貝貫二佐藤茂牧野登喜男新潟地震を予察して地質ニュースNo.120工業技術院地質調査所

第4編研究論文

第1地震と火災

     早稲田大学教授 井上勇
 新潟地震を象徴するものは、昭和大橋の落下、アパートの転倒、昭和石油の火災の3つといえる。
 このいずれにも共通して言えることは、近代的な施設の震災という点であるが、特に近代的な工場の地震災害である昭和石油の火災は、最も顕著なしかも初めての経験として注目すべきものであろう。
 石油工場の大火災はかって四日市市において経験し、その後消火設備が著しく改善されて、火災の発生はあっても適切な消火活動によって、初期消火に成功していた。しかるに、新潟地震では既往の努力もむなしく、折角の消火設備も地震によって同時に破壊されて効果的な作業を行なえず、長時間にわたって、野放しで燃え続ける最悪の事態となり、大被害を蒙ることになってしまった。火災・消火の実務・研究に携る者がとくに反省して今後の対策を考えるべきところである。
 地震時に発生した火災あるいは火災の危険に頻した例は新潟においても2~3に止まらない。新潟市消防本部の調査によっても、4ヵ所の炎上火災、4件の消止め火災および2件の火災危険状況の発生が記録されている。
 いまこれらの調査と重複した記述をすることは意味がうすいと思うので、できる限り、他の角度から地震時の火災と防火対策について、私見を綴ってみることとしたい。
1.地震と初期消火
 新潟地震の炎上火災4件のうち、3件は危険物火災で、他の1件は地震による火災か、火災発生時に地震に見舞われたのか疑わしいものであるから、一般市民の家からは1件の火災も発生していないといえる。市民の消防意識の高さを示し、実に稀有の好記録を残し、異変の際にも冷静に事に処せば火災を免れる実例を見せてくれた。
 もちろん、この地震が新潟では震度5の程度で、倒壊家屋が少なく、慌てて家をとび出した市民も、火元処理の確認にもどるゆとりを持ったことが幸いしたには違いない。より激しい地震で多数の倒寝・破損を生ずる場合には火災の多発が予想されるが、このような事態になっても防火・初期消火の心構えを失なわなければ損害を最小に食い止めることができよう。すなわち、心のゆとりの有無が初動の適否となって現われ、重大な岐路を誤りなく選ぶもととなるのである。
 新潟には2つの大きな製油所があった。一方が原油タンクの発火を起こしたのを除けば、両製油所とも同じような漏油・浸水に遭遇し同じような火災危険の状態に陥ったがこの中で作業員は各々適切な処置によって、操業中の蒸溜装置・ボイラーなどの火源を処理し、試験室の薬品などからの発火を防ぎ、浸水のため漏油が拡散しても、工場内での発火・炎上は起こさなかった。平素の訓練がよく非常時に役立ったようである。
 それにも拘らず、一方が首尾を全うして、直ちに復旧に移り得たのに対し、他方はついに全工場炎上と被害を拡大してしまったのは原油タンクの火災の熾烈さによって、心のゆとりを奪われ、一種の敗北感に陥り、津波のおそれの警報によって消防措置を放棄してしまった点にある。
 天変地異に際しての人心の動揺は、誠に微妙なもので、ゆとりを持てというのが無理であり、特に思いもしない災害に直接遭遇した場合の判断は著しく困難には違いない。けれど、地震・台風に見舞われる機会の多い日本では、常にそのための心構えが必要で、予想だもしなかったというならば、いささか怠慢ともいえる。
 火災は初期消火が消防の要諦であるが、地震火災ではとくに初期に制圧しない限り、大火となり易いので、常にゆとりを以って消火に当たる心構えを失なってはならない。
2.火災危険の拡散と火源の処置
 地震などの自然災害に伴うと否とに拘らず火災は常に燃焼の三原則を満足する条件によってのみ起
こる。
 唯平時は火災危険の大きい各種の危険物は一般によく管理され、可燃物が人間の管理の外におかれることはまずないといってよい。それゆえ、火災危険の大きい可燃物の管理を厳重にすれば火災を防ぐことができて、工場などで多量の危険物を扱って操業できるのである。しかし、地震による破壊が起こると、管理下に置かれていた火災危険を持つものが各所にバラ撒かれ、我々の統制の手からとび出してしまう。
 こうなると、燃焼の三原則のうちで、我々の処理できるのは発火温度のみになり、火源の制御以外に防火の方法はなく、これに成功すれば火災は起こらない。新潟地震では、市民はこの点をよく理解していて、損害を最小に食い止めることができた。たとえば、ガスを消して避難し、再び確認のため屋内に戻り、こぼれ油の火災を消火器によって消し止めた天ぷら屋の小母さんは、変災時の防火活動の要諦を実践した模範的な人物といえる。
 工場内にもこれに類した措置によって災害を未然に防いだ人々が多数にいる。ボイラーのバーナーが地震変位のため焚口からはずれ外側に火炎を吹き出したのを消し止めた作業員。大きな動揺でまだ足もとも危い中で這い廻って元栓の処置をしてまわった職員。沈下したボイラーの中へ漏油の浸入するのを砂を盛り上げて防いだ人々など、火災危険の充満し、一触即発の危機の中で、よく適切な処置を施した例が多数にある。変災時の火源処理の重要性をよく認識していたわけである。
 新商ガソリンスタソドや日本石油新潟製油所の漏油に対する火源警戒は作業員、隣人、消防隊など多数の人の緊密な協力によって成功したもので、火災危険に対する良識の勝利であった。
 しかし、一方には地震時における火源管理の不徹底から重大な失敗を招いたものもある。松島町の道路火災などは火源管理の不良の故で、四囲の状況を考えない行動の所産である。
 発火温度以上のところへ可燃物と酸素が供給されるならば、燃焼は必ず起こる。それ故、地震時には可燃物が各所に拡散するのであるから、発火温度以上の温度を保有するものは徹底的に監視し、火災危険のある状況とは隔離する注意が必要である。昭和石油の旧工場から、臨港町までを焼きつくした火災は、地震発生後5時間を経て発火しているが、この注意の不足に端を発しているように思う。
 一般に工場では各種の目的で高温を利用して操業するから火気取扱いには熟練者が多く、常時の管理には全く遺漏がなく、危険物を扱いながら安全に運転が行なわれている。しかし地震の場合には、どのようなことから安全管理が崩されるかは予測できない。
 たとえば、自動制御装置の破壊による制御機構の停止や誤動作、試薬ビンの転倒による混合発火あるいは浸水によるカーバイトのガス発生爆発などの事態は容易に起こる。新潟地震でも、制御機能の停止によって、分解蒸溜などの塔内のガスの追出しと窒素置換は中央指令室で遠隔操作できなくなり、各単位ごとに処理をせねばならなくなった例がある。また、薬品の転倒破損による発火も数件発生した。幸いにいずれも消し止められているが、どの場合も僅かの手落ちがあれば大災害に発展する火源となるものである。
 さらに考えるべきことは、工場における炉の問題である。炉は高温作業を行なうものであるから、炉体は相当多量の保温材によって断熱され、内部を高温に保つようにされている。このため、たとえば炉への熱供給を遮断したとしても長時間にわたって炉内の温度は高温を保っている。炉体が損傷して外気との接触が容易になった場合は甚だ危険である。
 新潟地震の例を見ても、炉や反応塔の火源を止め、出入口を密封して窒息をはかったにも拘らず、亀裂部からの空気の流通で、長時間内部で燃焼を継続したと見られるものがあった。また、地震後2時間ほど経過してから炉の蓄熱部に浸入して蒸気爆発を起こし炉体の一部を損傷した例も見られる。これらの場合外部から危険物が流入して来たとしたら、火災発生となることは明らかである。高温作業とくに熱容量が大きく、断熱のよい炉を持つ作業の地震時の処置については今後十分な検討をする必要がある。
 火気、高温の取扱いの複雑な工場の地震被災後の火源管理は綿密細心に行なわねばならない。
3.消防装備
 原油タンクの発火・災上をはじめ地震と共に起こった火災に対する消火活動は、常時にくらべて著るしく劣り、ことに昭和石油を中心とする大火災は燃えるが儘になってしまった感じさえする。
 地震と共に断線・停電が起こり、通信網は破れ、火災発生とその状況に関する情報入手が遅れ迅速な措置が取れなかった。また、道路の噴砂・浸水・亀裂などは消防車の現場到着を遅れさせ適切な時に適切な消火活動を行なうことを妨げた。さらに、貯水池の破壊による減水・用水路の切断による給水の不足などがこれに輪をかけた。
 その上、重要な時期に津波警報によって退避し、あるいは消火弾の投下のデマによって、消火活動を中止し、活動の空白と闘志の冷却を来たさせたのは甚だ遺憾なことであった。
 考えてみると、これら消火活動を阻害した現象は、大地震である限り、必ず随伴する現象で、消防の装備というものは、これらに打ち勝つだけ十分に強力でなければならないはずなのである。それなのに、関係者の努力にも拘らず今日の消防装備は地震に対して甚だ無力であり、消火活動を期待する方が無理とさえ思えるのである。むしろ、劣悪な装備の下でよく消火努力をし、被害を最少に食い止めたものと言える。
 ラジオ・テレビが火災を報道し、茶の間に火災の画像が写し出されているのに、関係者は正確な情報が得られず徒らに焦燥の中に時を過したように見える。消防用の無線通信網が完備していて、迅速により正確な情報の入手があれば、みすみす第2の火災を起こさせずにすみ、タンク火災も制圧の方策が得られたように思う。指令は徹底できず、現場では四囲の状況が判らず、連絡不明のまま消火にあたるのでは、大きな誤りを犯しやすい。通信装置の完備は消防近代化の第1歩である。
 現地消防署に化学消防車の1台も装備がないのでは、火災対策を立て得ないのも道理であり、また、緊急時の消火活動に対する教育訓練・油火災に対する消火法教育の不足などと、とがめても無理である。複雑化する都市の消防装備はもっと充実させねばならない。
 製油所・化学工場には化学車装備の自衛消防組織があるが自家工場内の局部火災と類焼防止の活動のみを期待すべきものである。にも拘らず、現実には、それのみが戦力で、公の消防装備の方が劣っていたとは国の予算編成に疑いを持ちたくなる。
 新潟地震による被害額を見積ると、鉄道・土木・建築の損害はいずれも200~300億円であるのに対し、工場の被害は実にその数倍1、700億円を越していて、その損失の大部分が火災によって失なったものである。消火活動が満足に行なえるだけの装備を持てば、損失は恐らく10分の1以上に減らし得たと考える。現実には東京で組織した応援隊を待つほかないという哀れな有様である。これは、新潟のみの問題ではない。
 消防専用のヘリコプター・悪路でも行動自由なジープあるいはカタピラ車・これに牽引されるタンク車・高圧車・泥水用ポンプ・消火艇などから消火剤の貯蔵倉庫を持つことまで決して過ぎた要求とは言えない。
 このような装備によって訓練して、はじめて近代消防の活動も満足したものになる。現状での教育訓練はあまりにも無手勝流である。油火災の実態を見学し、また泡消火の教育を受けた者が殆どいないというめも装備の劣悪に遠因がある。これでは応用動作を欲求することはできない。東京から急送された各種の消火剤が混同され、消火泡原液がそのまま火災部へ投げ込まれるような混乱もあったと言われる。
 新潟地震を契機に各地の工場の相互援助協定が益々緊密化し、機動性のある良好な装備の消防隊が活動し得る機運が生れつつある。とくに石油連盟は新潟地震のときも対策本部を置いて協力して消火活動を行なった経験をさらに発展させる模様である。地域毎に消防ブロックを作って組織的な近代装備をはかるべき時が来ているようである。
4.消火設備
 災害が起こると、一般に全く無防備のところに災害が発生したように報道され、関係者を惜しがらせることが多い。新潟地震の火災とくに昭和石油の原油タンクは、我々が見てもまず最も良好な消火設備をしていたと思う。そのタンクが被災し、しかも固定消火設備は役割りを果たしていないのである。
 無防備の被災ならば、今後は設備によって災害を防ぐことができる。最高の設備が無力であった点にこそ問題があり、反省を要するのである。
 昭和石油の消火設備は、その発端に欠点があった。タンク附近のフォームチャンバー・配管はあまり異常が認められず、送液すれば平常の作動をしたものと推定される。ポンプ室は2箇所あったが、両室からタンクヤードまでの配管も1箇所の損傷以外ほぼ問題はなく破損部も何らかの応急処置は可能であったと思われる。致命的であったのはポンプ室の沈下であり、異常変位による偏心であった。
 主ポンプ室は旧運河沿いに置かれ、旧運河の貯水を利用する計画になっていたが、沈下・移動によって、停電時用のディーゼル駆動も役立たなくなってしまった。ポンプの傍のエャフォーム原液タンクも大きく傾いていたから、あるいはプロポーシァナーにも異常を来たしていたかも知れない。
 新工場のポンプ室は容量約1,000m3の貯水池の横にある。貯水池はひび割れ減水し、取水管が浮き上り、これがポンプ室の壁を破壊して、ポンプを突き上げ偏心の因をなしたように見える。送液側配管は殆んど乱れを見せていないので、長期間の火災の間に運転を試みてもよかったと思う。いずれにしても、折角の設備も何等消火活動に役立たずに終わってしまった。
 日本石油の製油所は、消火ポンプからの配管はタンクあるいは装置附近の消火栓までで、タンクの基部で災害時に連結し、水・泡その他の薬剤を選択利用でき、あるいは、消防ポンプ車から直接タンク附属の消火設備配管に給液することもできるような、いわゆる半固定式の方式を採用している。この製油所の消火配管は相当古い埋設配管であったため、地下で破断したものもあるらしく、実際上消火栓までの送水が不可能で、万一火災となった場合は、消防ポンプとの連結方式を用いることになったものと思われる。
 しかし、この工場は漏油と侵水によって、発火寸前の危険状態にあったので、若し、タンク上部で火災となった場合も、下に消防ポンプ車を近よせて、運転することは不可能であったと考える。地震などの場合には地表の漏油も当然発生し、この製油所に近い状態が生ずる可能性は多く、半固定式による消火設備も地震時の設備として信頼し難いものがある。
 さて、新潟の設備・装置の被災を詳に調査すると、配管の破損・切断は配管が固定され逃げのない状態で変位を受けた場合で、(1)埋設管が、亀裂などによる勇断を受けたとき、(2)埋設から地上に立上り、装置・建家等に固定されあるいは長い架管となった場合の立上り部、(3)装置に固定された管が装置の不等沈下によって地表とぶつかった場合、(4)2つの装置施設などを貫通しているとき、両者の不同の変位による勇断力を受けたとき、(5)防油堤の貫通部、などに破損が見られ架管・地上のころがし配管は殆ど損傷を受けていない。
 さらに、損傷の多い部位でも、フレキンブルジョイントを用い、あるいは高圧・高温配管のように円弧を用いて応力を緩和している場合には全く破損が生じていない。また、直角の曲りに135度に2回曲げ、中間にフレキンブルジョイントを用いた配管は、甚しい変位にもよく耐えて健在であった。
 装置の損傷は不等沈下と2つの装置の基礎の違いによる変位が主な原因で、もとはと云えば地盤不良、基礎工事の不足によるものが多い。一般にポンプ室は工場の片すみに追いやられ、地盤不良の位置になってしまうことが多い。新潟地震はこの誤りを明瞭に示してくれた。工場の被災後に最も重大問題となったのは、工業用水の不足であった。新潟という特殊な事情を別にしても、地震後の用水の確保は火災の有無に拘らず工場として真剣に取り組むべき問題で、貯水池とポンプを震害から守ることは工場の至上命令となってよい。よい地盤と堅固な基礎の上で常に給水可能な設備が望まれる。
 配管は、消火用配管の埋設はやめるべきである。凍結を心配するなら、常にドレン抜きを励行し、保温あるいは配管ピットを設けるがよい。しかし、ピットは漏油の流入などの事故の出る恐れがあるので、ころがし配管を推したい。消防活動の際に配管が邪魔になって活動を妨げるという難点はある。けれど他の欠点に較べるとこの不便が一番軽いように思う。地上をころがすことは、消火用配管に特有の着色を施してその配置を明らかにし、また、万一損傷のあった場合直ちに応急の処置を講じられる利益がある。
 新潟の教訓はいずれかといえば、消火設備に対する不信感を与えたように見える。しかし初期消火を成功させるものは、消防隊の活躍ではなく、固定設備である。貴重な経験を生かして万全の設備を作り上げねばならない。
5.延焼の防止
 社会生活が高度になればなる程、火災になるような危険物の使用量も使用頻度も大きくなる。火災発生の機会も、火災被害の大きさも増してくる。これを守る消防の使命も重大となり、多くの場合我々の制御下に危険物を置いておける。しかし、地震による火災の発生は、いかに注意しても、ある程度、止むを得ないものがある。発生した火災は初期消火で制圧すべきものであるが、なお炎上するものも生じよう。こうなれば延焼防止の対策が検討されねばならない。
 危険物の保安距離・防油堤の構築などは、このための配慮であり、地震時と否とに拘らず延焼防止対策は重要である。けれど、地震時には各種の破壊が伴うため、平時に現れない延焼条件が加わってくる。この点はよく注意する必要がある。
 新潟の地震火災が、液体火災でしかも傾斜めある浸水地域に起こったところに不幸があった。しかし、このような事態は、どこの臨海工業地帯が地震被災をしても起こることである。貴重な教訓といってよい。
 石油類の防油堤は地震によって沈下・倒壊あるいは一部破損し防油の役割りを果たさなかった。そこに防油堤を越す浸水があって、一面に燃料油を拡げてしまった。地表に浸み込んでいた油類も噴砂・噴水と共に浮き出て来た。製油所の被災はこんなふうに始った。この上に河口の堤防の決壊は海面と連がることになり、干満により、あるいは津波により水の移動が起こるに従って油面も移動したと考えられる。
 昭和石油の旧工場の火災の発火が、ほぼ満潮時に起こり、運河をわたり臨港町に延焼して行ったのが翌朝の干潮時、アジア石油へ火の廻ったのはつぎの満潮時と見るのはこじつけに過ぎるのであろうか。新潟港の潮汐差は1メートルにも満たないから、あるいは延焼の大きな因子とはならないかも知れない。しかし注意してよく検討しておく問題であろう。
 水面上の油火災に対する有効な手段の探求は現在当面している大課題である。強力に推進し、各種の試みを実用化にまで持ちこさねばならない。オイルフェンスによる水面区分の方式や、丸太・ドラム缶などの連結による区画法、固形泡沫による被覆など各種の応急対策を検討したい。
 原油タンクの火災は浸水による流動は起こさなかった。しかし、地震によるタンク内の油の揺動溢油が大事を惹き起こした。また、焼けてしまったので明確な断定は下し難いが、タンクヤード内の配管とくにタンクとの接手部に切損があって原油を漏らしたように見える。これが、防油堤の破壊と併せて5基のタンクへ直ちに延焼し、凄じい火災となり、人々を驚かし、旧工場の処置にまで影響をおよぼした。
 原油のボイルオーバーの恐ろしさはこの火災でも発揮され、溢れた油は防油堤を倒して傾斜地を流れ、船江町に及び民家を焼いてしまった。ボイルオーバーは原油タンクの大火災では必ず起こるので、熱伝導率からほぼ沸き上がる時間を推定できる。その予想の下に砂地のどこかに土堤構築をして、火災局地化をはかる必要があった。とはいえこれは冷酷な第三者の批判で、あの非常事態の中で土堤構築の人員を集め作業を進められたか否か断じ難い。それならば、地震に耐え、大量の溢油に負けない防油堤を予めはりめぐらすのがよいことになる。
 新潟地震ではブロック積みは甚だ弱く、ブロック1枚積みのものは殆ど例外なく破損していた。コンクリート製でも亀裂による破損・配管貫通部の破損などはあったが被害は僅かであった、工場敷地、配置などから考えねばならないがもう一度土堤を防油堤とすることを検討する要はないだろうか。大量の土を保有することになり、一部の亀裂など容易に修理でき臨機の処置が取り易い便がある。
 この火災で幸いであったことは、殆ど無風に近い状態で焼けて行ったことである。もし強風に吹かれたら惨状はどのようであったろう。やはり火災は初期に局地化して留めをさすべきものである。
6.むすび
 新潟の地震火災を教訓としながら、全くの私見を並べてみた。私は火災は慌てなければ制圧できると思っている。地震の際にもまず、火災に対する心構えが幸・不幸の岐れ目になる。冷静であれば、注意は行き届き、火災危険を1つずつ始末できる。災害は未然に防ぐべきである。
 変災時の火災は大火となり易い。これをおさえるのは装備である。火災装備と近代消防、とくに変災時の工場火災に対する火災装備の不足は、日本の高度成長のひずみの1つと思える。消防装備の充実を切に望むものである。
 なお最後に防火・消火は大きな共同作業である。近隣の連絡の円滑であった所は、危機を無事に切り抜けている。相互に信頼し、補い合ってこそ変災を免れることができる。地震があろうがなかろうがこの原則が守られない限り災害は猛威をふるうことになろう。

第2地震時の避難

     建設省建築研究所 設計計画研究室長 工学博士 戸川喜久二

1.はしがき
 地震はいつも不意打ちにやってくる。そして最も困るのは、どれほどの大きさで、どれほど続くのか、見当のつかぬことである。
 日常、体験する地震は、結果として微震・弱震に終わるのが多いが、油断はできない。それがいつ烈震となって災害にまで発展するか、まったく予測できないからである。
 昔から、怖い災害の筆頭にあげられるのも、この理由からであろう。そこで、避難のことは、常々からよく考えておく必要がある。
 地震の発生は、季節も時間も選ばないが、避難する側には、それぞれに利害得失がある。本来なら、避難対策も、季節別、時間別に考究すべきであるが、それは煩項にすぎ、反って一読の妨げとなるであろう。そこで、この小文では、単に昼夜別にとどめ、各建物における避難法を述べる。
2.夜間
(1)木造住宅
 就寝中に地震に襲われることが間々ある。気付いたときの揺れかたが、本震自体か。それとも来たるべき本震への前ぶれか、見当がつかないが、丈夫な家具類(洋服ダンス・本箱・机等)に囲まれた中に寝ているのだったら、避難の必要はない。落下物に備え、夜具を深くかぶり、できるだけ小さい姿勢をとる。本震がいよいよ強く、家が傾くほどの地震となっても、生命を守るほどの空間は、家具類が確保してくれるからである。戦後、住宅が小型となり、家具類と同居するような生活が多くなったが、地震に対しては、このほうが有利である。
 さて、地震心得8力条のひとつに。「1分過ぎたら、まず安心」というのがあるが、避難とは、この1分間を如何に安全に過ごすか、ということである。なかでも、本当に怖いのは10秒前後であることを、よく知っておこう。
 新潟地震の強震計記録で見ると、前ぶれ8秒(10ガル)本震最大4秒(159ガル)、それから余震になり、1分もたたずに危険は遠去かっている。
 また験震時報に集められた50の大地震記録を見ても、経過は似たようなものである。地震は昔から「ナマズ」に見立てられているが、地震計の針の描いた波型は、むしろ「エイ」に近い。小微動の前ぶれののち、大波が「エイ」の本体を形作り、それから付けねが太く、先にゆくほど細い、長い尾がつづく。大波は10秒前後で、それさえ巧みにやり過ごせば、そのあとに大波をしのぐほどの強い波は、決して来ないのである。
 小住宅の密集したような地域では、原則として戸外への避難はあきらめた方がよい。敷地も道巾もせまいところでは、かえって外の方に危険が多いものである。ただし、危険を避ける突差の行動は、つねに忘れず、外に、安全場所の見付かるときは、座蒲団などをかぶり、脱出する。
 大きな家、社寺、などは大屋根になり、頭が重いので、地震には危険である。家具の少ない座敷に寝ている場合は、納戸のような家具の多い小部屋か、便所・浴室などに逃げこむのがよい。
 地震の去ったあと、火災危険の点検をする。ガス管の外れ、揮発油・アルコールのビンの倒れ、など注意する。
*1.川岸町アパート2号棟地階SMAC-A型
*2.第22巻別冊「日本における大地震の記録」昭和32年9月気象庁
(2)アパート
 コンクリートのアパートは、新潟地震で、一般の信用を落とした。倒壊したのでなく、大傾斜しただけなのであるが、技術上のミスは明白である。河口に近い砂地の上のコンクリート建物には、杭打ちが必要だったのである。こういう落度さえなければ、コンクリートアパートほど、地震に安全な建物はない。コンクリート造は、一般に地震には強いが、その中でも、とくにアパートは強い。室内の棚からの落下物とか、本棚の総倒れなどに気をつけさえするなら、外への避難など、考える必要はない。
 ただし、地震後の点検は、面倒でも念を入れるほうがよい。コンクリート造は、外部からの火の延焼に対しては強いが、内部からの火に対しては、特に弱いのである。気密にできているため、小さな火に対しても、怖るべき一酸化炭素の蓄積量が多く、かつ、早い。それに地震後の断水も考えておかねばならない。
 石油暖房は倒れないまでも、油こぼれしていないか、貯蔵油は安全か、またガス洩れ、漏電等、配線配管の安全をたしかめる。
 もし、小火で喰いとめることに失敗したら、窓も出入り口も密閉して逃げるとよい。空気不足にして、火勢を弱めるためで、その間に十分の水を用意するだけの、時を稼ぐことができる。
 上階への延焼防止のため、上階居住者にバルコニイの可燃物を取りこむよう、伝えねばならない。コンクリート造は、アパートに限らず、地震よりも、内部発生の火災の方が強敵である。
 木造アパートの強敵も、地震の終わったあとの火事である。管理人は、居住者不在の一室に立ち入っても、出火危険の有無を、確かめなくてはならない。
(3)旅館、ホテル
 旅館は、立地条件により、宿命的に地震に不利のものがある。景勝の傾斜地・断崖に密集する旅館群など、それである。
 また、敷地に恵まれぬ市街地旅館も、僅かの庭に岩石を組み、石灯籠を配する等、わざわざ地震の時の危険場所を、設けているものが多い。
 旅館の規模設計はさまざまであるが、共通する欠点は、宿泊者にとり出入り口への順路の解りにくいことである。宿泊者は、宿泊のとき非常時を念頭にして、脱出方法や脱出場所を確かめるだけの心の用意をしておいて欲しい。
 強い地震に襲われたとき、不案内による不安のために、多人数の宿泊者が、混乱に陥る可能性がある。
 地震時には、なるべく室内にとどまる方針がよい。室内の卓、広縁の卓と椅子、電気冷蔵庫等、若干の丈夫な家具を拠点として、危険時間をしのぐ。また、そういうものがないとき、押入れの上の段がよい。また。近くに浴室・便所があるなら、そこへ逃げこむのもよい、また、一般に木造2階建ては、強震のとき胴差部分(1階2階の継ぎ目)で折れまがることが多いのが、2階の変型は少ない。従って2階宿泊者は比較的安全である。
 ホテル宿泊者は、ベッドの蔭が安全な避難場所である。コンクリート造のホテルなら、ベッドの蔭へかくれる必要もない。
3.昼間
(1)事務所建築
 昼間は、すべての人が活動状態、あるいはすぐ活動にうつれる状態にあるので、夜間の地震より、避難するには有利である。
 コンクリート造のビルディングなら、建物の大小を問わず、外に避難する必要はない。室内の落下・倒壊物に気を付けるだけでよい。あわててエレベーターなどに逃げこむと、停電で中途に閉じこめられて、その救出に無用の人手がかかる。また階段へ走るのも、それに刺激されて多人数がそこに集まり、無用な人騒がせになるから、慎むべきである。
 木造の事務所なら、とりあえず机の蔭に低い姿勢で、強震をやりすごす。2階の方が安全だから、2階勤務者は、わざわざ危険の多い階下に、降りていくことはない。
 老朽木造の事務所のとき、やはり強震は机の下にかくれて、10秒ほどをしのぐ。もし、広い空地や道路があるなら、そこへ出てもよいが、揺れている間の10秒では、20m以上は走れないし、瓦の落下にも気をつけねばならない。事務机がたくさん並らべば、便所や湯沸場のせまい場所に多勢詰めるよりは、かえって安全である。大部屋の事務室であったら、周辺よりなるべく中央近くの机の下がよい。書類が多く、喫煙による火点も多いので、地震後の出火を厳戒すべきである。
(2)デパート
 福井地震(1948.6.28)では、8階建てのデパートが大破壊した。倒れはしないが、1部の柱が折れたため、建物が大きく2つに割れ、その1方はひどく傾いた。この原因は地盤にも建物にもあった。地盤は旧濠跡、建物は戦災焼ビルに増築を加えたものである、1階1部は天井が垂れさがって、床に接した。
 これほどの大被害にかかわらず、また営業時間であったにかかわらず、人命被害は皆無であった。コンクリート造の地震による変型は、非常にゆっくりくるので、このような類例のないひどい場合でも、人は容易に生命を守ることができるのである。従って、デパートで買物中に地震にあっても、決してあわてることはない。むしろ、その位置を動かぬ方が安全である。
 デパートでは、群衆の動揺して階段へ集中することの方が、警戒を要する危険を内存している。
 買物客の主力は女性であるが、地震に気づくと、初めもと来た順路へ戻ろうとし、エレベーター・エスカレーター・階段へ集中する。こういうときは、多数集まっている方が、安心感があるので、階段が最も多く人を集める。しかし、各階で階段を一時に使うことは不可能で、順調に使える階段は2階1階間だけである。2階群衆の流出の終わらぬ間は、3階群衆も、4階群衆も、流出不能なのである。それでも、見かけ上の進行は続く。ここに群衆事故を起こす原因がある。
 階段上の密度はその水平面積1平方米につき8人までが限界で、10人以上は危険、12人になると、ブレーキのこわれた自動車と同じで、前進がとまらなくなる。あとは将棋倒しが随所に発生すること、過去のいろいろな群衆事故が示すとおりである。
 地震の1分間は、恐怖にさらされているので、その間の僅かの待ち時間でも、群衆密度はあんがい高くなると思う。
 7月、12月の大売出し期間中は、とくにこの群衆事故の発生を防がなくてはならない。
 デパートで、地震にあっても、避難行動は起こさぬよう、万一、動揺したら、上階側へ誘導するように注意すべきである。
 ただし、屋上では、塔や貯水槽や煙突の倒壊危険に注意しなくてはならない。
(3)映画館
 映画館で映画鑑賞中に地震となったら、椅子より低い姿勢をとることとし、出口・階段へ殺到することを避ける。観客数の如何にもよるが、僅か一分足らずの時間で全員を館外に出すことは困難であるし、また、館外の方が安全とも限らないからである。
 木造映画館の階上座席のものは、バルコニイの落ちることがあるので、座席後方へ移動したほう
がよい。
 停電は観客に不安動揺を与えるので、全照明を点じて館内を明るくし、同時に予備電源へ切換えを急ぐ。念のため、停電予告を出したほうが、その後の動揺を少なくするであろう。
 コンクリート造の映画館なら。避難を考える必要はない。一部の天井脱落などに備え、椅子より低い姿勢をとったほうがよい。バルコニイが二層も三層もある大型映画館では、極力階段集中を避ける。恐怖のあまり一斉に階段へ殺到すると、階段で将棋倒しを生ずる可能性は、デパートより強い。
 映画館・劇場に限らず。公会堂・集会所のような多人数の集まるところでは、地震と同時に、群衆事故を強く警戒しなくてはならない。
(4)学校
 木造校舎では、外壁を南京下見(厚板を横段に順重ね)としたものが、地震に非常に強いということが、実証されている。が、老朽していれば、安心できない。
 授業中に地震があったら、机の下に身をかくすのが原則である。1教室(50人出口巾75糎2カ所)で廊下に出るのに約20秒、廊下を集団で走って秒速3mである。火災とは性質がちがうので、教室にとどまるほうが、安全のようである。
 コンクリート造校舎なら、避難の必要はない。
 学校建築は、地震後の情勢によっては、避難救援の拠点となるので、地域居住老の受け入れにつき、よく研究しておく必要がある。
(5)病院
 木造の病院なら、患者はベッドの蔭にかくれる。重症患者には手助けが要る。2階建で2階に入院している患者は、その必要はないであろう。倒壊するようなことになっても、2階は助かるものである。ただ、重症のため、酸素吸入や懸垂注射器など使用中の患老には、看護婦の監視が要る。
 薬局から火事を出さぬよう、地震後の点検を急ぐことが大切である。
 コンクリート造の病院なら、全然避難の必要はない。懸垂注射器など、倒れるものに注意を要する。困難なのは、手術中の患者についてである。強震10数秒は、そのままやり過ごすことができても、引き続ぎ起こる停電・断水等につき、十分な対策が要る。ことに、人工心肺など使用する高度技術の手術には、十分な地震対策を、常々用意しておかねばならない。地震後、薬品火災を起こさぬよう、薬局その他の点検を怠らぬことである。
 病院は、地震後の情勢で、救援活動の拠点となるから、負傷者の受け入れ、救護班の急派等、常々検討しておくことが望ましい。
(6)建物外での行動
 道路歩行中に地震となったら、ブロック塀・石垣等に近よらず、なるべく大通りに出ることである。市街地では、看板や外壁タイルなどの落下物に注意し、コソクリート造の建物が見つかったら、構わず建物内に避難するとよい。公衆便所・公衆電話ボックス・交番等、小型の建物でもよい。
 神社やお寺の境内は広く、樹木が多いので安全そうだが、鳥居・灯籠・石欄・石垣・老巨木など、倒壊のおそれのあるものが多いので、注意を要する。社殿・本堂も、屋根の重いものが多いので、近付かないほうがよい。
 学校の校庭、公園など、よい避難場所である。
 広い草地でも、川べり、崖地に近いところは、地崩れや地たりが起きやすいので、そういう場所で地震にあったら、できる限りそこから離れる。
 地震のあと、山で遠雷を聞いたら、山津波だから、谷添いの路を避け、谷をはさむ斜面に向かって、できるだけ高く登るとよい。
4.集団避難
 地震後、津波の来襲が予報されたり、火災が多発して大規模な火災となったとき、危険を予想される地域は、一時血退かなくてはならない。その避難目標は、その地域の学校か、隣接地域の学校である。
 この勧告や命令の系統は、何時の場合にも、複雑多岐で、避難老を大いに迷わすものというが、放送1本にしぼるべきで、あとは放送内容の伝達にとどめたいものである。そのかわり、放送内容は十分な検討を経た簡潔なものでありたい。
 伊勢湾台風のとき、立退きに応じないものの主因は、海賊集団の出没であったというが、自然災害による家財の喪失は断念できても、盗難は忍び難いのである。
 また避難先での救援方法に、不安を持つものも、立退きを渋滞させる。
 非常の際には、とくに血の通った為政でありたい。
 さて、避難勧告の発令時期の判断、および受け入れ側の参考に、任意地域の避難完了に要する時間の推定法を述べよう。
 地域面積(m2、km2)の平方を0.3で除したものが、その時間(秒)である。25ヘクタールの地域なら、全員がこの地域から姿を消すのは33分かかる。また、学校が地域の中心にあると17分で、集合できる。なぜこうなるか、という根拠の説明は、長くなるし、この小文の目的でないので割愛する。
 地域の人口は、地域小学校の学童数の約7倍と思えばよい。一時的には、この全員受け入れを覚悟しなくてはならないが、罹災者となり、長時日とどまることになると、その収容限界は、全数の約1/3までである。
 その期間、絶えず関連あるニュースを伝え、各自の再出発の意図を刺戟する。罹災者のもつ絶望感は、ときに破壊的悪宣伝を生み、また、それに共鳴しやすいからである。
(1)住居よりの移動
 立退きは一時的で、すぐ復帰できる場合もあるが、復帰不能の場合もある。だが立退きの主目的は、生命を守ることで、財産ではないことを、知っておかねばならない。
 従って、持っていくものは、生きるために必要の順である。水・食糧・毛布・金銭・紙・小型ラジナ・薬品・マッチ等。
 水。断水を覚悟する。できるだけ多くの容器に用意する。給水を受けるにも、まず容器が必要である。
 食糧。2日分は用意する。配給機構は寸断され、焚き出しを受けるまで、予想より時間のかかるものである。
 紙、用便に使用する
 以下、こういうときの心得は、台風季節の雑誌や、放送などでよく耳目にするので、省略する。
 次に、家族のとりまとめが、困難な問題である。主人は勤務先に、子供は学校に、というように、昼間の家族は分散しているのが、普通である。双方で探し合って、移動をつづけ、10日も再会できなかった例など、珍らしくない。これらは、指示された集団避難から離れた場合に起こる。指示通りに移動するなら、情勢により、再移動、再三移動となっても、行くさきは常に明らかである。
 留守家族だけ立退くときには、とくに指示通りに動くことが、家族を早くまとめるのに有利であ
る。
 自家用車により立退くものには、予めその使用すべき専用コースを決めておくとよい。それも一定時間に限らないと、交通麻痺を起こし、公共の避難および救援の機構の妨害となる。
 自転車・リヤカ一・乳母車等の利用は、それほどの障害とならないだろう。
 徒歩避難の平均速度は、集団化すると毎秒50cm、子供つれでは30cmである。目標とする学校までのコースは、常々よく調べておくことが望ましい。
(2)職場よりの移動
 津波警報の出たとき、その立地条件により、工場・事業所でも、操業・業務を中止し、立退きをいそがなくてはならない。
 そのときも、移動の第一の目的は人命保護であり、財物でないことを強く認識しよう。情勢によっては、ただちに全員を解散帰宅させるほうがよい。不安に満ちた情勢下では、職員各自の家族相互の安全を確認した後でなくては、十分な活動を期し難いと思うからである。
 職場の整理、重要物件の移動などは、家族に不安のない小数、および社宅居住老、解散後再参集の小数の手によって行なう。
 最も困るのは、警察署・消防署を職場とする職員に、同様の解散手段のとれないことである。現在、どのようにこの対策がとられているか知らないが、総動員するなら、その一部を割き、各自家族の安全確認のための代表連絡係りとすべきである。家族をかえりみず職務を全うすることが如何に称讃されようとも、それは形をかえた非人道であり、礼讃すべきことではないと思う。

第3地質学よりみた新潟地震

     名古屋大学助教授 理学博士 井関弘太郎
 新潟地震における新潟市の被害状況を視察して、とくに注目された点は、表層地質の状態が、地震災害の程度に強く影響していたことである。
 新潟市およびその付近の沖積層の層厚が異常に大きく、G1層(第1礫層)までの150m内外に達することはすでに指摘されているが、今次の地震において、沖積層の全層厚の大きさが、被害の発生にとくに重要な直接的条件となっているとは考えられなかった。そのことは、沖積層の厚さの点では全域がほぼ同様な状態にあると思われる新潟市市街部において、地震被害の程度、とくに建物被害の状況に著しい地域差のあったことからも知られる。
*1.井関弘太郎(1957):日本周辺の陸棚と沖積統基底面との関係(名大文学部研究論集XIV)
*2.例えば、新潟市役所付近の中心市街部には、殆ど建物被害が認められず、また砂丘上にある新潟大学のあたりでは、赤レンガ作りの長い壁でさえも、損傷が認められない状態であった。
 建物被害を中心とした地震災害(火災・津波を除く)の激甚地は、次の4地域であった。
 i 信濃川の河状整理による同川両岸の埋立地帯
 ii 新潟駅付近の新規埋立て、嵩上げ地域
 iii 砂丘背後の新規造成宅地の陥没地域(藤見町)
 iv 砂丘背後の旧河床部における湧水・陥没地域(関屋田町一帯)
 関屋田町一帯の現象については、その原因が明らかでないが、他の3地域に共通していえることは、すべてが昭和以降に埋立て。嵩上げされた個所である。言葉をかえれば。沖積層の表層部分が、他の地域に比較してルーズな状態にあると考えられる地域に、被害の集中していることが認められたのである。次に、それぞれの地域の地質状態と被害の概要を述べておく。
1.信濃川河状整理埋立地帯
 大正11年に大河津分水路が完成してから、それより下流の信濃川の最大洪水量は、従来の1/4以下に減少した。このため、低水路を安定させることと、市街地の造成を目的として、昭和2年以来、河状整理計画をたて、両岸の埋立てを実施した。埋立地の幅は万代橋右岸で約400m、左岸で100m弱に及んでおり、その結果、770mの長さをもっていた万代橋が、現在の308mに短縮されたのである。県営アパートの転倒で有名になった川岸町や、これに近接する国体グランドも信濃川左岸の埋立地上にあり、後者の損傷も著しかった。
 これら埋立地の造成に用いられた埋立土は、河床砂(中砂~細砂)であったといわれるが。河床砂だけであったか否かについては確証を}xていない。埋立地帯では、地表面下5m内外まで、標準貫入試験のN値が5未満の場合が多いが、それ以浅においてN値が10代になる個所もある。川岸町には、後者に属するデーターもでている。しかし、地震時においてはこれらの埋立土が、いわゆる高含水性のクイック・サソド(quick sand)—流砂—化し、ほとんど支持力を失ったらしいことは、電柱が自重により4mも沈下したことにも示される。
 クイック・サソド化した埋立土は、河方へ流れだしたと思われる。そのため、パラペットと長さ8mの鋼矢板からなる信濃川の護岸は、多く河方へのめるように倒壊した。またそれによって河岸の埋立地の地盤はさがり、さらに建物はなかば陥没しながら傾き、倒れている。河岸の諸埋管類も河方へ流失したり、切断したものが多い。
 このような信濃川護岸の欠潰は、万代橋より下流の左岸で最も深刻であった。かかる状態のところに最高1.8mにおよぶ津波の襲来をうけたので、左右両岸とも各所に大きな浸水事故が発生したわけである。
 なお、新潟港の埠頭個所においてもクイック・サンドの被害がみえたが、そのなかで比較的被害の少ないようにみえる中央埠頭においても、鋼矢板(長さ18m)が海方へふくれだし、さらに繋船に欠くことができないピットが弱化しているため、大型船の接岸荷役は、ほとんど不可能な状態にあった。
2.新潟駅付近の新規埋立て、嵩上げ地域
 現在の新潟駅は戦後に新設されたものである。それ以前の状態を地形図等から検討すると、少なくとも近世には信濃川の河道になっていたと判断される。そのためにか、局部的には標準貫入試験のN値5以下という軟弱砂層が8m以深にまで及ぶ個所もある。とくに表層部には、N値0~3という極めて軟弱な泥層・砂泥層がひろがっている。これは、旧河道の跡が、新潟駅の新設まで、湿田になっていたことに関係があるように思われる。
 このような地質状態のところに大型ビル・中小コンクリート建造物が建設されたため、不同沈下、剪断破壊による陥没現象が随所にみられた。駅舎・プラットホームの変形、および国鉄線路の弯曲などが、新潟駅構内の比較的限られた範囲に発生したのも、以上のような条件によるところが大きいと考えられる。
 重量構造物の沈下などにより、道路面は、大きく波うつように弯曲していたが、これは表層部に軟弱層があり、それが流動したことによって、顕著になったものと推測される。この付近の路面には多くの亀裂が生じたようにみうけられたが、われわれが視察した7月2日現在ではすでにそれらは修理されていた。
 しかし、傾斜したビルの一部には、傾きが増加しつつあるものもあった。例えば、新潟駅東側のマルヒロビル(4階建)の場合、6月28日から7月3日(午後1時)までの問に2°も傾斜が増し、全傾斜量は9°に達していた。
3.砂丘背後の新規造成宅地の陥没地域(藤見町)
 砂丘部分の家屋被害は殆どみられなかったが、砂丘砂を運搬してきて新規に宅地造成した市営藤見町団地においては、局部的ではあるが、帯状につづく陥没帯が生じ、数戸の全潰家屋さえだしている。陥没帯の幅は住宅2~3戸が入る程度で、長さは200m内外、陥没量は1~1.5mに達していた。その様相は、土壌侵蝕のようにもみえるが、土砂の流れは認められず、また、地震時に湧水があったようでもない。地元民の一部には、この沈下現象を付近に天然ガス井(昭和34年規制)のあったことと関係づけているが、筆者の観察では、その原因が深部にあるのではなく、表層付近にあるように思われた。
4.砂丘背後の旧河床部における湧水・陥没地域(関屋田町一帯)
 震動が停止した直後、土砂を含む地下水の噴出および噴砂があった後、地盤が陥没して家屋が傾斜したものである。この地域は砂丘背後地であると共に、近世の信濃川河床部に相当するところである。上記の現象が砂丘中に豊富に含まれる地下水(透水性のため、砂丘は一般に地下水賦存量が大きい)に関係があるか、あるいは旧河床部分の表層の地質的特性に起因するか否かは不明であるが、このような現象が、殆ど旧河床部だけにみられたことは注目される。なお、この地域では、ガス管と思える約4吋径の鋼管が、八字状に折れ曲ってアスファルト舗装の路面を突き破って露出しているのをみたが、これも表土の流動によると判断される。ただ、それから10m足らずのところにある石碑が、何の変化もなく存立していることは、a!
?°潟地震の一新潟市における一特徴をよく示すものといえる。
 以上の現地調査の結果をもとにして、その後に建設省建築研究所などが蒐集した地質資料や建造物の基礎工事の状況を検討してみると次のようなことがわかった。
(i)上述のように建造物の被害が大きかった新潟市の旧河床部には。他の個所に比較して軟弱な砂層が厚く堆積(人工的埋立て分を含む)していることが共通して認められた。この軟弱砂層とは、地表面下5m以浅では標準貫入試験のN値が5以下の程度、また地表面下1GmあたりでN値が10以下の砂層をさすが、このような砂層の厚さは、新潟駅付近の旧河床部では地表面下1Om内外の深さにまで達しており、また信濃川沿岸でも地表面15m近くの深さにまで及んでいる。
 しかし、このような砂層でも静的な状態では、5~8t/m2内外の長期支持力をもち、川岸町の県営アパートのような、4階建てコンクリ。_ト建築物(約4.5t/m2)でも布基礎によって支持することが可能であった。しかるに、地震時のような動的状態にあっては流動化し、支持力を殆ど失ってしまう性質のあることを忘れていた結果が、あのような被害をまねいたのである。なお、このような流動化しやすい軟弱砂層は、新潟市の場合もそうだが、一般に粒子がそろっている細砂層で、しかも堆積の時期が新しいため、砂の配列が整然とした状態にあるうえ、地下水を十分に含んでいることが普通である。
(ii)上記の軟弱砂層が地震時に支持力を失ったことは、電柱などが自重で4mも沈下したことでもわかるが、地震前後に行なった標準貫入試験のN値を比較してみても、この軟弱砂層の部分では、地震前のN値より地震後のそれが小さくなっていることからも認められる。
 しかるに新潟市の地表面下約15m以深には、標準貫入試験のN値が30~40以上に及ぶかなり締まった砂層が分布しているが、この層においては、上部の軟弱砂層とは反対に、地震後のN値が地震前のそれよりかえって高まったことがわかった。換言すれば、この層では地震時以後にかえって支持力が高まったことになる。
(iii)したがって、コンクリート建造物の基礎が、長さの比較的短かい松杭などの摩擦杭(長さ7~8m以下)によっている場合、軟弱層の厚い旧河床部では、基礎杭がその支持力を失い、遂には、建物の傾斜をまねく結果になったのである。これに対して、基礎杭が15mを越える長尺杭(ロングパイ
ル)による場合には、建物の傾斜が殆どみられなかった。
 なお、上部の軟弱砂層と15m以深の締まった砂層との間には、中位の締まり方をもった砂層(N値10~29代)があるが、その部分で終わっている基礎杭による建物の場合には、地震により傾斜を生じたものがあった。
(iv)以上のような地盤条件と建築物の基礎構造および被害状況との関係は、今後の軟弱地盤地域における建築設計にとどまらず、都市計画にも極めて重要な教訓をあたえたといえる。とくに軟弱砂層部分は、動的状態においては、支持力を殆ど失うという前提のもとに、それぞれの計画を策定することが強く望まれるのである。このような軟弱砂層が分布している地域は、沖積地のなかでも、旧河床部分や池沼・海面をサンドポンプ等によって埋立てた個所、あるいは低温地に嵩上げをした個所に主として分布しており、その状態は、上述のごとく地表面下5mぐらいまでは標準貫入試験のN値が5以下、10m内外の深さで、N値10以下ということをとくに付言し、このような砂層が厚く分布するところでは、とくに注意の要することを喚起a?!
?ておきたい。

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地図 図:図−1新潟市埋立地分布図
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図:図−2新潟地震新潟市内主要被災地域の地質断面(建設省建築研究所資料)
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図:図−3万代橋左岸付近における地震前後の標準貫入試験結果比較(名古屋大学土木工学教室作図
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図:図−4新潟駅前付近の土質断面と代表的ビルの基礎工(名古屋大学土木工学教室作図
第4地震災害対策基図の作製

Array     名古屋大学助教授 理学博士 井関弘太郎
 まえがき
 現在の段階では地震の発生を予知することができないので、当初から防災態勢を整えてそれに対処することは望めない。また地震の場合は、極めて限られた面を除いては、施設によって震害を封じることは困難であって、大震火災への対策は殆ど消防活動にまたねばならぬ状態である。また、火災の準焼速度方向などはその時の気象状況によって異なるので、水害などにみられるような規則性はない。
 これらの点からみて、地震災害対策は日ごろから十分な対震演習を重ね、臨機に対処しうる態勢を備えておくことが最も肝要である。しかし演習をするためには被害想定をする必要があるが、その被害想定があまりに現実性に欠けるものであっては、折角の演習の効果も薄らぎ、適切な震災対策をたてることもできなくなる。このような理由から、現実性のある被害想定と、それに対する消防・救護活動を図上で演習できるような地図作製の必要性が生まれるのであるが、このような必要から、愛知県防災会議の依頼により、筆者は「愛知県防災対策基図」(名古屋地域)と呼ぶ図上演習図の地図を作製した・この地図は、図名が示すとおり被害想定図ではなく、被害発生に関する諸条件を図示したものであって、これをもとにしa?!
|、関係者が各種の現実性のある被害想定を行ない、それに対する消防救護計画をたてるために作られた基礎図、すなわち基図(base map)である。
 次のこの図の作製要領と、これを使って被害想定や消防・救護計画を策定する場合に考えるべき要素の若干を紹介し、震度6程度の地震があった場合の被害の想定を巨視的に行なううえの基準をあげてみる。
1.沖積層の厚さと家屋倒壊率
 地震災害で最も恐ろしいのは火災だが、地震時の火災発生は、家屋の倒壊を原因とする場合が多い。したがって、火災発生点数は、家屋倒壊の関数とみることができる。
 しかるに家屋の倒壊は、沖積層の状態、とくにその厚さと密接に関係することは、大正12年の関東地震の経験からみても明らかである。東京消防庁火災予防対策委員会(委員長内田祥三博士)の報告によれば、関東地震の場合、沖積層深度と倒壊率との問には、表1に示すような関係があった。しかし、同委員会においては、その後における木造家屋の耐震構造の発達から、表1に示す倒壊率に75%の修正係数をかけた値を、今日、関東地震程度の地震にみまわれた時の想定倒壊率としている。
 このような経験をもとにして、名古屋地域の場合には、震度6の地震があった時の沖積層深度と家屋倒壊率との関係を、表2に示すように推定した。この倒壊率を用いて、学区ごとの家屋倒壊数を、次の式によって求めた。
 A学区内の家屋倒壊数=学区内全戸数×(0.006a+0.008b+0.02c+0.04d+0.08e+0.15f)…
(1)ただし
 a:洪積台地
 b:沖積層の厚さ 0~10m
 c:同上 10~20
 d:同上 20~30mのそれぞれにおける宅地面積÷学区内の全宅地面積
 e:同上 30~40m
 f:同上 40m以上
 このような被害想定をする前提として、洪積台地あるいは第三紀丘陵・山地などの地震災害の小さい地域と沖積地とを大別し、さらに沖積地については沖積層の層厚分布を地図に描く作業から始めなければならない。沖積層は過去2万年以降に谷地や入江・湾内に堆積した新しい地層であるため、一般に軟弱である。その厚さは東京下町では40~60m、濃尾平野の木曽川河口あたりで40~50m、大阪湾付近で35mに達するところもあるが、沖積地においても厚さが10m内外にとどまるところもかなりある。
 沖積層の厚さを求めるには、土木工事に伴うボーリング資料を集め、それを検討すればよい。その場合の資料としては、なるべく標準貫入試験を併行したものが望ましい。標準貫入試験は一定のロット上に重さ64kgの錘を75cmの高さから落下させ、それが30cm突入するのに何回落下を繰返えすかを求めたもので、その回数をN値という。N値が高いほど地層は締まっているのであるが、沖積層の場合だと、砂層でもN値が10内外(時には30以上にもなる)、粘土・シルト層ではN値5以下の場合が少なくない。しかるに沖積層の底に達し、洪積層あるいは第三紀層にうつりかわるとN値は急に高まり、50以上になる場合もある。N値の急変部を注意しながらボーリング資料の記載事項をみると大体沖積層の底がわかるが、一般的には、海岸付近の沖c!
c?層は上部の5~10mが砂層で、その下が軟弱な粘土・シルト層になっている。このようにしてえられた沖積層の厚さを、その資料のえられた地点に記入し、それにもとついて沖積層の等厚線図を描けばよいわけである。
2.沖積表土層の厚さと倒壊率
 一般的にみて、家屋倒壊率は沖積層の層厚と密接な関係をもつが、しかし局部的にみた場合には、沖積層の厚さが同じでも、表土層の状態によって倒壊率の異なることが、昭和19年の東南海地震における名古屋市の震害率を検討した東京大学地震研究所の表俊一郎・宮村摂三博士によって証明されている。
 *表・宮村博士の館率P(%)とは、P=100×(全壊数+1/2半壊数)総戸数
 ここでいう表土層とは、終戦直後、京都大学の佐々憲三博士により行なわれた名古屋市内の地質の物理探査の際、地表付近(とくに沖積地の)深さ数メートルの部分にかけて、人工地震波伝播速度が0.2~0.85km/秒以下という著しく緩漫な層(一般的にいって軟弱層)のあることが認められたが、その範囲の層を指している。この表土層の厚さと上記の震害率との問には、かなり高い相関関係がみられ、同層の厚さが5m以上の場合には、震害率は5~10%(部分的には50%以上)に達している。
 したがって、`各地区の家屋倒壊率を求めるには、まず前項で述べたように。沖積層の層厚との関係から予想される家屋倒壊数を推定したうえに、表土層の厚さが5m以上(部分的には4m以上)の個所については、表3に示すような倒壊率から算出される家屋倒壊数を加えなければならない。これを式であらわせば次のようにたる。
 表土層の厚さが5m以上の地区の家屋倒壊数=(1)式で求めた家屋倒壊数+(学区内総戸数×0.05)…………(2)
 今次の新潟地震においては、新潟市の場合、沖積層の層厚よりむしろ人工的埋立土としての軟弱表土層の厚い個所において大きな被害をみせた。これは、上述の名古屋市南部の場合と全く同じような。あるいはそれ以上に顕著な流砂現象による被害であった。このような現象を起こすのは、人工地震波の伝播速度が綬漫な層であるが、そのような試験がない場合には、標準貫入試験のN値からも推測できる。すなわち、地表面下5m内外までN値が5以下の砂層、あるいは地表面下10mまでN値が10未満の砂層で、しかも地下水が飽和しているような場合をこれにあてるととができる。このような軟弱層の分布地域がわかったならば、沖積層等厚線図とは別に軟弱層分布図(厚さ5mの線で描げばよい)を重ねて記入すればよい。なお、軟弱な表a!
??層が厚く分布するのは、埋め立てられた河川・湖沼の部分をはじめ、人工的埋立地に多いので、このような個所を予め調べておくことも必要である。
 沖積層の層厚や表土層の厚さとは別に、沖積層が砂礫からなる場合と、粘土や砂などからなる場合とでは、かなり顕著な倒壊率の差(後者が危険)がみられる。東南海地震の際にも、砂礫質の天竜川沖積地に対して、その隣りの砂泥質の大田川沖積地では著しく高い倒壊率を示したことにもうかがえる。したがって、図面があまりに複雑にならない限り、砂礫層の分布地域を記入しておくことも望まれる。
3.家屋倒壊数と火災発火点数
 家屋倒壊数と火災発火点数との関係は、関東地震における東京市の場合、全壊家屋数の1.3%になり、半壊家殿を1/2して計算し場合0.9%になっている。したがって、今日の各都市における出火想定を行なう場合には、出火条件が関東地震当時より高まっていることからみて、発火点数は、少なくとも倒壊家屋数の1.3%程度に推定することが妥当と思われる。換言すれば、倒壊戸数80戸に1件の出火があると考えればよい。しかし、これは関東地震の経験をもとにしたため、夏季の昼食時の状況であり、火気使用量の高い冬季の出火率は倒壊家屋数の2。0%程度に想定することが妥当のように思われる。
 これらのことを式で示すならば、次のようになる。
 火災発火点数=(1)式または(2)式から求めた家屋倒壊
  数×[0.013(夏)………(3)または0.02(冬)]
(1)式から(3)式までの作業を学区単位に行なえば、学区ごとの倒壊家屋数および発火点数の大様が求められる。そこで、発火点が学区内のどこになる可能性が強いかを想定する作業に入らねばならない。これは大震火災を考えるうえに極めて重要なことといえる。
 この問題を解くため、まず、関東地震の際の火災発火点を職業別にみると、薬品取扱業者が44(全発火点の27%)、これに次いで飲食関係業者が30で、火災発生件数の約20%に。及んでいる。しかるに、平常時の出火状況をみても、職業別には飲食業関係者からの出火が多く、また地域的にも。その集中地域が比較的高くなっている。それゆえ、——地震発生時刻により差異があるぜ思われるが——一般には、大震火災の発火地点も、平常時の火災多発地域に多く集まると考えて差し支えなかろう。
 このような理由から、基図作製にあたっては、例えば、昭粕30~35年の町別火災出火密度で、1ha当り1件以上のところを、既往火災多発地域としで現わすことが望まれる。
 発火点の分布を考える他の1つの条件として、木造映画館・木造浴場の分布をあげでおくこともよい。これは、両者が発火しやすいというより、むしろ倒壊しやすい建築物であることによる。なお、そこは大衆が集合するところであるから、平常から救助活動の対象として注意を払うべき地点ともいえる。
 このほか、危険物取扱所(危険物貯蔵所・製造所・取扱所・販売取扱所・給油所など)、高・中圧ガス管の配管状況を図示しておくことも必要であろう。しかし、これらは発火点としての条件がすべて同じではないので、予め、個別的に検討しておくことが必要であろう。なお、愛知県防災対策基図には示さなかったが、図があまりに錯雑しないならば、発火性薬品の取扱業者・学校をマークしておくことが関東地震・福井地震の経験からみて発火点の分布を想定するのに役立つと思われる。
4.初期消防活動に関する資料
 前項の諸条件を勘案して火災出火点を想定したならば、当然のことながら、これに対する初期消防の計画をたてることになる。このための参考資料として、次のような事項な記載しておくことが望ましい。
(1)消防署(本署・分署)の位置
(2)震災時においで、消防車等の通行がなんとか可能と思われる道路(原則として幅員10m以上の道路。さらに20m以上の道路を別に示すのもよい)
(3)上記の道路に近接した貯水槽(4)消防ポンプ車の接岸・取水可能地
(5)幅員10m以上でも、地震に路面電車の架線が落下し、ポンプ車等の交通が阻害されると予想される道路については特別の記号を符しておく。
5.延焼火災発生に関する条件
 地震時において初期消防が成功することは望ましいが、現実の消防能力からみて、延焼を全くくいとめることは不可能といえよう。そこで、火災の延焼を妥当視するわけでないが、避難・救護対策を計画するうえから、最悪の事態を想定してみることも必要であろう。
 火災出火のうち、発火家屋の焼失だけにとどまる即時消止と、不幸にしてそれが拡大した延焼火災とに区別される。関東地震の場合、東京市内における即時消止と延焼火災の比は、約3:4であった。しかし、この比率にもかなり地域差があり、浅草区・本所区・深川区・神田区など、全壊家屋数が多く(それゆえ出火点数も多い)、しかも家屋密度の高い地区では、延焼火災の比率がいずれも出火数の80%前後に及んでいた。これに対して、全壊家屋数も少なかったうえ、当時、比較的家屋密度の低かった本郷区・小石川区・牛込区では、延焼火災の比率は20~30%であった。
 このような点から、愛知県地震災対策基図においては、空中写真からの判読により、建蔽率がおよそ20%以上の集密市街地と、それ以下の市街地・農村集落とに区別した。そして、これらの地区における延焼火災発生率を——最悪の場合——上述の関東地震の経験と、今日の当該都市の諸状況(ここでは名古屋市を事例にとる)を勘案して、下記のように考えることが妥当と思われる。
   予想される独立出火点からの延焼火
   災の発生率(発火点数=100%)
 建蔽率20%以上の密集市街地60~80%
 上記建蔽率以下の市街地・農村集落20~40%
(消防署からの距離、道路事情、水利などからみた初期消防の難易、防火建築の普及状況、ガス管あるいは石油類等の危険物取扱施設の有無・状況などを勘案して、上記の発生率の範囲内で地域差を考える。)
 なお、大震火災の場合は、独立出火の延焼からさらに飛火出火するものも少なくない。また関東地震の例をあげるが、この場合には飛火出火延焼数が独立出火延焼数の約66%に及んでいる。この数値をそのまま耐火建築が普及し、道路幅員の拡がった今日の多くの都市にあてはめることはできないとしても、最悪の事態を想定するにあたっては、独立火災延焼数の30~40%の飛火出火延焼率を考えねばならなかろう。したがって、延焼火災の発生件数(飛火出火からの延焼を含む)は、次の式によって推定することてができる。
   全延焼火災発生数=(3)の式で求めた火災出火点数×
   独立出火延焼発生率[0.6~0.8(密集地域)または0.2~0.4(非密集地域)]×
   (1+飛火出火延焼率(0.3~0.4))………(4)
 なお、火災の延焼拡大の条件については、次に示す延焼限界距離基準表(東京消防庁火災予防対策委員会資料)をもとに検討してみることが望まれる。この基準表は、空地があったり、耐火構造の建物がある場合に、火焔の直線的な進みが一時足踏み状態となり、場合によってはそこで焼け止まりとなる延焼限界距離を示したものである。
6.空地.病院等について
 避難誘導の計画をたてるための資料として、空地を図示(緑色系統などで)することが必要である。この場合、空地の種類を次の4とおり位に大別しておくことが適当であろう。
(1)恒久的空地……公園・競技場・校庭・河川敷など
(2)都市計画空地区……第2種・第3種空地地区
(3)耕地
(4)一時的空地等……工場用空地・港湾物揚場など
 これらの空地は単なる避難所になるばかりでなく、時には消防活動の拠点になることもありうるので、細大もらさず記入することが望まれる。
 救護活動の計画をたてるために、耐震耐火構造の病院をマークしておくことも必要である。
 あとがき
 地震災害対策基図は、はじめにも述べたように、地震災害の発生あるいは消防活動などに関係する諸条件を図示したのにすぎないから、直ちにこれから防災態勢のありかたを結論することはできない。むしろ、この図をもとにして、各種の被害を想定し、それに対応する態勢をさがしだすことが必要なのである。そのような図上作戦の基礎になる地図なので、あえて基図と称したのである。
 なお、地震災害対策基図の作製あるいはその使用にあたっては、都市計画諸図、とくに用途地域図、防火地域図、あるいは平常時の交通量図などを参照すべきである。

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表:表−1大正12年関東地震における沖積層震度と倒壊率との関係
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表:表−2当図利用に際しての沖積層深度と倒壊率との関係
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表:表−3表土層の層厚と家屋倒壊率との関係
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表:表−4東京下町における延焼限界距離基準表(風速3.5m/秒の場合)

あとがき

 昭和39年度の非常火災対策の調査研究の対称として、新潟地震における石油タンク火災等の火災をとりあげ、直接実地調査を行なって、総合的な角度から調査研究した成果をまとめたのがこの報告書である。
 調査研究の基本方針としては、昨年度、大震火災の総括的な問題点を明確にすべくとりまとめた報告書「大震火災対策の研究」に引続き、さらに地震における火災問題を深く掘り下げ、地震時の火災対策をより具体化することにあった。
 ご承知のように、昨年6月に発生した新潟地震では、公共建物や一般民家などからの火災発生は、ほとんどなく、石油タンク施設から火災が発生するという過去の地震には、みられなかった特異な現象が起こり、社会問題として大きくクローズアップされたのである。
 この石油火災に対処すべく、当庁としては応急措置に万全を期する一方、現場の消防機関も、必死の消火活動を行なった。また、予防課並びに消防研究所では調査班を編成して、現地に赴き実態調査を行ない、あらゆる角度から分析、検討を加え、被災の実態の解明にあたったのである。
 この新潟地震の残した貴重な体験と教訓を記録して将来に備えるべく、この報告書をまとめたのである。なお新潟地震に関連して、早稲田大学教授井上勇、建設省建築研究所設計計画研究室長戸川喜二、名古屋大学助教授井関弘太郎の諸先生方から、得がたい貴重な研究論文を寄せていただき収録した。誌上をかりて深く敬意を表したい。
 また本書の執筆にあたっては、主として、消防研究所堀内部長総務課、魚谷、川崎、教養課、小宮山、予防課、長谷川、柿田、次郎丸、原、消防研究所、細野の各事務官及び技官がそれぞれ担当した。それを各主管課で修正検討を行なったうえ総務課において編集したものである。
 願わくば、本書が関係方面に十分活用されいささかなりとも、地震時の火災対策に寄与すれば幸い
である。
 最後に、現地調査において、ご協力いただき、あるいは資料の提供をいただいた新潟県消防防災課、新潟市消防本部、山形県消防防災課、秋田県消防課、東京消防庁ほか関係者御一同に、深く感謝の意を表する次第である。
   昭和40年3月1日
    消防庁総務課長 斎藤正夫