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津浪災害輕減私案 理學博士 中村左衛門太郎

 今日の地震學は未だ地震を豫知する事の出來ない幼稚な状態にある。從つて津浪も亦これを豫め知る事は出來ない。然し乍ら海岸地方特に我が三陸浩岸に於ては緩かな長い地震の後に津浪が襲來する虞れのある事は大體動かし得ない原則の様に思はれる。私はこの原則の下に津浪の災害を輕減する方法に就て考へて見た。災害後復興に向つて進まんとする沿岸地在住諸兄に愚案を提示して御参考に供し併せてその體験による御教示に與り度いと考へこの私案を發表する次第である。
 津浪の豫知と災害防止の原則
 津浪の災害を防止する方法の原則は第一に津浪襲來の豫知とその被害輕減の方法を講ずる事の二つに歸するのである。而して津浪の豫知は今日相當困難な事業であつて、完全を期する事は出來ない。現に今囘の如きも沿岸各地の諸君は地震直後多く津津の襲來を豫知されたのであるが、直ちに避難の行動を取る決心の付かれた方々は極めて少なかつた。安全なる位置から見る第三者の目には少しく行動が緩漫であつたと考へられないではないが、自分がその場に居合せたとして震源が何處かも分らない地震に津浪を豫知して直ちに避難すると云ふ事が出來るとは思へない。沿岸の諸君が海水の減退を見てから避難されたと云ふ事は正に當を得たものと思ふ。この様な場合に直ちに海水に注意する事は必要な事である。その爲めに特に望樓の如きものを設けるのも一案であるが私はその必要は無いと思ふ。単に消防手等二三の人々が海岸へ出て見ると云ふ事丈けで充分目的を達し得る事と信ずる。
 次に海面注意の時間であるが、三陸浩岸に於て津浪は地震後大體二十分乃至一時間位の後に襲來するものであるから津浪の警戒は地震が起つた時から二時間位後迄でよろしい。その位の時間は確實に海面を注意して居なければならない。
 そこで津浪豫知の方法としては長く続く地震の後には二時間位海面を注意して急に退潮又は高潮が起つたならば直ちに警鐘等によつて全部落民を高處へ避難せしめる事である。
 これは消極的に津浪の災害を防ぐ方法であるが、人命の損害丈は充分に防止し得る筈である。然し財産をも多少保護しやうとすれば更に災害輕減の積極的方法を講ずる必要がある。
 人命及び家屋家財の災害を防止する事のみを目的とする考案としては部落を高處へ移轉する事で、ある部落が沿岸の急斜面に近い場合に於てはその地方に於て経験した最高潮を基礎として高處へ部落を移す事によつて住家及び人命を保護する事が出來ると云ふ事は何人も直ちに気付く事である。然し乍らこれは決して理想的な案とは云へない。
 この案の缺點は四十年五十年目に一囘の津浪を防ぐが爲めに毎日の業務たる漁業に對しては非常な不便を忍ばなければならない。從つて長い間にはこの不便に耐へ兼ねて再び低地へ移轉する人々を生ずるのである。又この方法によつても船舶の亡失を防ぐ事は不可能である。沿岸に於ける實情から見ると住家の流失よりも船舶の破損による損害の方が大きいのであるから単に高處へ移轉したのみでは理想的だとは云へない。
 部落が附近に高地を有しない場合に於て是非低地に居住する必要のある場合又は高地移轉よる不便を好まない場合に於ける災害豫防上の方法を如何にすべきであるか。
 この場合先づ人命に就ては直ちに多数が避灘し得べき高地に学校神社佛閣等の如きものを選定して置いて平常火災に對する消防演習の如くそこへの避難を迅速にするやうな訓練をして置く事である。(各自貴重品又は必要品を携帯してそこへ避難するやう)
 次に家屋の損害を輕減する方法としては船舶其他の漂流物が家屋に激しく衝突する事を防ぐ爲めに屋敷の圍り特に海岸に面した側に於て密生した生垣又は防風林の如きものを設ける事が有效である。樹木は必しも太い事を要しない。密生した生垣の如きものでも充分に目的を達し得るものである。この方法は又漁船等が家屋に衝突する事を防ぐからその破損をも防ぐ事が出來る。これは各戸に家屋に接して設けるべきものてあつて部落全體を圍むのでけない。生垣はそれ自身で漂流物を全く受け止める力はないがその衝突で家屋が破損するのを防ぐ爲めの緩衝物として必要なのである。部落全體を圍む植林は土地の状況によつては不可能な場合が少くないが各戸に生垣を設ける事は困難が少ないと思ふ。
 船舶の保護は最も困難であり、且つ必要な事である。大形の漁船等は出來得れば地震と共に沖へ避難して行くべきである。安全であるとは云へないが海岸に居るよりはよいと思ふ。小形のものは出來得れば部落の直ぐ前面に置かないやうにしたい。
 土地と経費とが許すならば部落から離して舟溜又は泊地を設け度い。今日の實状に於て家屋一戸を(人命を除いて)救ふよりも船一艘を救ふ方が大切であるとも思はれる。それは船一艘の方が家一戸の財産より大きいのみならず復興の第一歩に家よりも船の方が必要であるからである。沿岸ではそれが生計の基でもあり又輸送機關でもある。
 それ故災害防止の輕重から云へば甚だ極端な云ひ方かも知れないが、第一に人命である事勿論だが、第二に船、第三に家である。それ故最悪の場合には人命のみを救つて家と船とを棄てるのであるが、次には船丈けでも多少保存し度いのである。少くとも家と船とを同様な程度に保護すべきであり、家と、船とが衝突してこれらを共に失ふやうな事を成るべく少くし度いのである。
 以上の様な考へ方を基として種々の場合を考へて見ると土地の事情によつて種々の設計を必要とするのである。以下二三の場合を考察してそれに適應すべき方法を提示して見やう。
 第一案 海岸が平坦で比較的廣き平地を有する場合にして経費を許し得る場合。
 この場合には部落を成るべく高地に設けるが理想的ではあるが、平常の不便の爲め、又は高地が近くに無い時、例へば高田町の海岸の如き地形の時に於ては避難すべき土地丈けでもこれを高い處に求め置き成るべく早くそこへ避難し家屋は萬一の場合に放棄するの他に方法がない。
 然し単に放棄するのでは面白くないから、波浪によつて流失する事を防ぐ爲め、必ず海岸へ植林して波の勢力を防ぎ、且つ生垣及び樹木を以て各戸の周圍を防ぎ、家屋、家具の流失及び萬一植樹又は船舶が漂流し來れる場合の防禦とすべきである。
 市街地に於てはその前面に防波堤及び護岸を設けて津浪の勢力を減少せしむべきは勿論である。その場合にも出來得るならば海岸に砂濱を残してその後に先づ植林して船舶が護岸に衝突破損する事を防ぐべきである。
 更に小型の舟の爲めに部落の側方又は後方(海の方から見て)に丁度塩釜の内港の様な舟溜を作る事を得ば幸である。
それに依つて舟が家に衝突し又は流失する事を防ぐであらう。第一圖はその様な一例である。
 第二案 同上の場合にて経費少き場合。
 一箇の部落がその経費を支出して充分の設備をなし得ないとすれば第二圖の如く少くとも納屋等を残して人家を少しく海岸から後退せしめ海岸には松等の植林を爲して波の勢力を減ずるやうにし、小高い處に神社等避難の場所を用意し置くに止めるの外に方法がない。この場合に於ては前に記した通り人家の周圍に生垣を設けて置き流失物を防ぐべきである。生垣は既に述べた通りそれ丈けで流失物を完全に喰止める力はないから同時に植樹又は家の助けを借りなければならない。從つて家から余り離してはいけない。家と生垣とが協力して流失物を防ぎ止めるやうに第三圖の如くに家の近くに生垣又は植樹を設けるがよい。これは大正六年十月東京湾内に起つた津浪の際に非常に實效のあつたものである。
 第三案 海岸に平地が少なく高地への移動可能の場合。
 海岸植林の余地の無い揚合が三陸沿岸に多くある。その中で第一に居住者が平常海岸との交通を必要としない農家や商家の場合は勿論、多少日常の不便を忍ぶ事を覚悟する場合に於ては全部落を高い處へ移轉せしむべきである。その具體的方法を爲政者の考慮に譲るが、部落移轉の後漁船等に對しては出來得るならば植林にて圍まれた舟溜の設備したが良からう。多少出漁等に不便であり経費も要するが舟の流失を防ぐ事が出來る。然し舟を破損せしむる恐れがあるから、既に部落を移轉した後には海岸に護岸等を施す必要はない。(第四圖参考)
 第四案 海岸に平地少けれども高地への移轉も不可能なる場合。
 海岸に平地が少く植林も出來ず、又高地へ移らんとしても土地を得られざるとか海岸への交通不便で移轉後の困難を考えて移轉を欲しない場合は家屋及び船舶の被害を覚悟して人命のみの安全を期して山上に避難し得るやうな神社、寺、學校等を設け置くに止める。但し家の周圍に生垣を設け船と家との衝突を防ぐ事を得ば或は家屋の流失を萬一にも防ぐ事が出來やう。
 海岸線の護岸
 海岸線の護岸は小津浪に於ては確かに有效である。志津川町の如きは其好例であるが、護岸の高さには自ら制限があるから大津浪に對しては役に立たない。從つて護岸のみに依頼する事は出來ない。津浪の事を考へると從來行はれては居ない様であるが第一案に示した様に護岸を松林等の後方に設け津浪によつて海岸に打ち上げらるる船舶が直接護岸に打ち付けられ破損する事を防ぐ事を提議したい。
 津浪防禦戦線の構成
 津浪防禦の戦線は以上述べた通りにその第一線は防波堤である。然しこれは何處にでも設け得るものでない。第二線は植林である。これは事情の許す限り必要である。第三線の護岸は大津浪には必要でない。第四線は生垣と屋敷内の植樹であつてこれは最も有效且必要である。第五線は避難所であつて學校又は病院等であれば半永久的避難所となり得るの便があるが公園神社等でもよい。
 結語
 以上は自分が直接視察し得た大正六年十月東京湾内の津浪及び今囘宮城縣沿岸の津浪の實況に基き考察した机上論である。商業地を兼ねた市街地に對しての第一案乃至所謂一箇の寒村に對する第四案迄多少實情に適するものがあるならば望外の幸である。自分は津浪を體験したのではないから體験者諸兄から充分の御教示を給はらん事を希望して止まないものである。

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第一圖・第二圖・第三圖
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第四圖・第五圖
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図:第一線~第五線