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 震災豫防調査會報告第三十四號正誤

第三項 調査事業ノ項ニ左ノ通リ入ル
    委員工學博士近藤虎五郎ヨリ命じ二十九年六月十五日三陸大津浪ノ際宮城縣本吉郡唐桑村外五ケ所ニ於ケル水害區域竝ニ宅地移轉計畫ニ關スル圖面ヲ提出セリ
第七項 下段十七行ニ「賴色」トアルハ「赤色」ノ誤リ
第三十七頁、上段十六行「比較的徐々ナル海底面ノ斷層、陥落等」トアル中比較的徐々ナリトノ語ヲ余ハ津浪ノ振動期ニ比較シテ徐々ナリトノ意義ニテ用井タレドモ同頁下段「今村理學士ノ比較的徐々ナル云々」ト引用シタルニ對シ同學士ノ比較的ナル語ハ此ノ意義ト異ナレル旨同氏ヨリ正誤セラレタレバ本頁下段今村理學士ニ關スル分ハ取リ消シトス(大森)

第一編  緒論

一〔緒言〕本報告ハ津浪ノ原因ニ關スル本委員ノ調査ヲ述アルモノニシテ、主トシテ參謀本部ノ施行ニ係ル驗潮儀觀測ノ結果ニ基キテ説ヲ立テタルモノナリ、本委員ニ右驗潮儀記録借覧ノ便ヲ與ヘラレタル田阪虎之助、唐澤忠備兩君ニ對シ爰ニ深謝ノ意ヲ表ス

二〔津浪ノ定義〕津浪トハ如何ナル現象ナルカ、其定義ヲ科學的ニ下サントスルハ頗ル困難ナリトス、勿論津浪ニモ地震ノ如ク大小、強弱ノ差アルコトヲ記憶セザルベカラズ然ルニ地震ノ場合ニハ大小、強弱ニ關ラズ一樣ニ地震ノ名ヲ附スレドモ〔人體ノ感覚ニ觸レザル「パルセーション」(地ノ脈動)及ビ微動等ハ別ナリ〕普通「津浪」ナル語ハ非常ナル海水ノ動搖ニシテ大ナル災害ヲ起スモノ、即チ 其現象中ノ特ニ著シキモノヲノミ意味スルナリ」津浪ノコトヲ一般ニ海嘯トモ書ケドモ余ハ今村理學士ノ説ニ從ヒ津浪ナル語ヲ用井ルコト可ナリト思フ
余ハ便利ノ爲メ暫ク「海振」(Sea-quake)及ビ「シー、ショック」(Sea-shock)ナル語ヲ用井、其意義ヲ下ノ如クスベシ」海振(Sea-quake)トハ海水ノ重力的周期波動ニシテ、地震、海底面ノ變動、噴火山ノ破裂、暴風雨等ガ原因トナルモノトス又「シー、ショツク」(Sea-quake)トハ海水ノ彈性的波動(縱波)ニシテ地震或ハ火山ノ破裂ガ原因トナルモノトス
津浪(普通ノ意義ヲ以テ云フ)ハ即チ「海振」ノ甚シキモノ、詳言スレバ「波丈ケ」ガ長ク、振幅ガ大ナルモノニシテ、古來歴史ニ存スル津浪ハ其特ニ激シキ災害ヲ起コセルモノノミナリト知ルベシ」爰ニ海振ナル一名稱ノ下ニ地殻中或ハ地殻面ニ於ケル地變動ガ原因トナルモノト、氣壓ノ變化ガ原因トナルモノトヲ混ジタル主ナル理由ハ其原因ノ如何ニ關ラズ任意同一ノ海濱ニ於ケル津浪ノ主要現象即チ周期等ガ同樣ニシテ一般ニ現象其物ニ於テ基本的ノ差異ナケレバナリ(第九章以下參照)

三〔シー、ショック〕(Sea-shock)船舶航行中不意ニ激動ヲ與ヘテ、時トシテハ淺瀬或ハ岩礁ニ乘リ上ゲタルガ如キ感覺アラシムルモノニシテ、海底ニ於ケル地震動ガ海水ニ屈折シ來リ、若クハ火山ノ爆發ノ爲ニ水ニ縱波ヲ傳ヘテ衝撃ヲ船底ニ與フルモノナルベシ、此ノ現象ハ水ノ彈性的波動ニ依ルモノナレバ水分子ノ振幅小ニシテ津浪トハ全ク異ナレリ」、
以下ニ論ズルハ主トシテ地震ノ爲ニ起コレル津浪ニ關スル事項ニ限リ、「シー、ショック」ノ事ハ此ノミニテ今後別ニ述ブル所ナシ 

四〔日本ノ津浪ニ關スル諸家ノ研究〕我邦ノ津浪ニ關スル研究ハ非常ニ少ナク(尤モ津浪ニ關スル歐米諸家ノ研究トテモ多クハ有ラズトス)其ノ主ナルモノヲ擧グレバ左ノ如シ
故工學士小鹿嶋果君遺著日本災異誌中津浪ノ部」古來我邦ニ於テ地震、暴風雨等ノ爲ニ起レル大津浪ノ表ニシテ有益ナル蒐集ナリ
理學士(當時學生)伊木常誠君著明治二十九年六月十五日三陸地方津浪實况取調報告(震災豫防調査會報告十一號)」彼ノ近時ノ大津浪タル三陸大津浪後實地踏査ノ結果ヲ詳細ニ戴セラレタルモノニシテ事實ノ參考トシテ貴重ナル報文ナリ
理學士今村明恒君著同三陸津浪取調報告(震災豫防調査會報告第二十九號)」津浪ノ現象ヲ理論上調査セラレタルモノニシテ海ノ深サ、波幅及ビ傳播速度ノ關係、海ノ深サト傳播ノ方向ニ關スル件等有益ナル研究アリ
日本三陸沿海岸海嘯ノ日ニ於ケル各地ノ潮候」 參謀本部ガ出版セラレタルモノニシテ宮城縣陸前國牡鹿郡鮎川村、根室國花咲郡花咲村、神奈川縣相模國三浦郡三崎町油壺ニ於ケル驗潮儀記録ヲ原物二分ノ一大ニ縮圖シタルヲ示シ其説明書ヲヘタリ
尚此等ノ外ニ故關谷委員ガ監督セラレタル震災豫防調査會編纂「日本地震史料」(未刊)中津浪ニ關スル記事數多アリ、本委員ノ提出セル「日本地震史料目録」(震災豫防調査會報告第二十六號)中ニモ地震ニシテ津浪ヲ伴ヒタルモノハ其旨記入シアリ」又本委員ガ震災豫防調査會報告第三十二號ニ戴セタル日本ノ大地震ニ關スル調査文中ニモ我邦古來地震ノ爲ニ起レル津浪ノ數及ビ國別表等アリ其ノ大意ハ次章ニ略記スルガ如シ

五〔津浪ハ敢テ稀ナラザルコト〕世人或ハ地震ノ海底ニ發起スルコト非常ニ夥シキニ關ラズ其ノ津浪ヲ伴フモノ極メテ稀ナリト思フハ大ナル誤ナリ、此カル考ヘヲ有シテ津浪ヲ調査スレバ其ノ原因ヲ説明スルコト困難ナルベケレバ余ハ先ズ本邦ニ於テ津浪ガ地震ニ伴フハ敢テ稀ナラザルコトヲ示サントス
我邦最舊ノ地震記録ハ允恭天皇即位五年(西暦四百十六年)ニ始マリ爾後明治三十一年(西暦千八百九十八年)迄千四百八十二年間ニ日本全國(臺灣ヲ除ク)ニ二百二十三回ノ大地震アリ其ノ内、陸地内ヨリ發震セルモノ百十四回、太平洋中ヨリ發震セルモノ四十七回、日本海ヨリ發震セルモノ十七回アリ、而シテ海中ヨリ發起セル大地震ニシテ津浪ヲ伴ヘル場合ハ合計二十六回ニシテ、内太平洋沿岸ニ起レルモノ二十三回、日本海沿岸ニ起レルモノ三回ナリ、即チ陸地内ニ發起セル大地震ハ 津浪ニ 關係ナカルベケレバ論外トシ、海中地震ニシテ太平洋ニ起レルモノノミニ就テ見レバ津浪ヲ伴ヒタルハ正ニ二分一數ニ當ル以テ津浪ノ現象ハ日本東海岸ニ於テハ敢テ稀少ナラザルヲ見ルベシ、又日本海ヨリ起レル大地震ニシテ津浪ヲ伴ヘルモノハ約其ノ六分一數ニ當ル」注意上記二十六回ノ津浪ハ歴史等ノ記録ニ存スルモノニシテ大抵非常ノ災害ヲ來タシタルモノナレバ大津浪(Destructive Sea-waves)ト稱スベキモノナリ、若シ小津浪ニシテ格別ノ災害ヲ來タサザリシモノヲモ盡ク調ベ數フルコトヲ得タランニハ其ノ數實ニ夥シカルベキナリ(震災豫防調査會報告第二十六號及ビ第三十二號參照)
第一圖ハ日本沿岸ニ於テ海中地震ノ爲ニ起レル大津浪ノ分布畧圖ニシテ余ガ日本大地震ニ關スル調査ノ結果ニ依リテ畫ケルモノナリ(沿岸ニ平行セル赤色曲線ノ數ヲ以テ各海岸ニ於ケル津浪ノ回數ヲ示ス)、大津浪ノ最多ナリシハ伊豆ニシテ七回アリ、次ハ阿波、攝津、遠江、陸中、陸奥ニシテ六回アリ」、此ノ圖ノ現ハス所ヲ概言スレバ津浪ノ最頻繁ナルハ三地方アリテ第一ハ日向ヨリ四國ノ南部及ビ東部、大阪灣、紀伊ヨリ伊豆ニ亘ル東海道一帶ノ海岸ナリ、又第二ノ地方ハ三陸ノ東海岸ニシテ、第三ノ地方ハ北海道ノ東海岸ナリ、此等三地方ヲ震動スル海中ノ大地震ハ各々其地方ニ固有ニシテ、例之バ第一ノ地方ヲ襲フ大地震ノ激震區域及ビ其ノ爲ニ起レル大津浪ハ房總半島以北ニ及ブコトナク、又同樣ニ第二地方ニ發セル大地震ノ震激區域及ビ大津浪ハ房總半島以南ニ及バザルガ如シ、第二ト第三ノ地方トニ就キテ見レバ其ノ地方ノ海中ニ發セル大地震ノ激震區域ハ自己地方ニノミ限レドモ津浪ハ他ノ地方ニ達スルコト往々之レ有ルガ如シ」最大ナル大地震ノ震原地ハ上記ノ第一地方ニシテ彼ノ寶永四年十月四日、安政元年十一月四日及ビ五日ニ於ケル地震ノ如キ其激震區域及ビ大津浪ノ波及沿岸ノ長キモノハ皆此地方ニ發セルモノトス、又安政元年兩度ノ地震、寶永四年地震、明治廿七年北海道地震、明治二十九年三陸大津浪等ノ場合ニハ其震原點ハ何レモ海岸ヨリ多少ノ距離(百乃至二百「キロメートル」)ニアリシモノニシテ我邦地震ノ最盛ナル發起地方ハ即チ日本弧ノ外面ニ當リテ此カル距離ニ於テ粗ボ弧ノ中央線ニ並行スルモノナルベシ
次ニ支那及ビ印度ノ地震ニ就キテ湖河ノ水ニ動揺ヲ與ヘタル場合一二ヲ示スベシ

六〔支那ニ於ケル地震ノ湖河ニ動揺ヲ與ヘタル例〕
左ニ録スルハ本委員提出ノ支那地震表(震災豫防調査會報告第廿九號)ヨリ地震ガ湖河ニ動揺ヲ與ヘタル記事ヲ抄出セルモノナリ
晋哀帝興寧元年四月十九日(西暦三百六十三年五月十九日)揚州地震湖■溢
元至正七年三月(西暦千三百四十七年四月)東平路當阿陽殻平陰三縣地震河水動揺
明靖嘉三十九年四月(西暦千五百六十年五月)嘉興湖州地震屋廬揺動如帆河水撞激魚皆躍起
明萬歴十三年二月六日(西暦千五百八十五年二月七日)准安揚州廬州及上元江寧江浦、六合倶地震江濤沸騰
以上ノ記事中「湖■溢」、「江濤沸騰」等ノ類ハ「シー、ショック」(Sea-shock)ニハアラズシテ、余ノ定義ニ依レバ津浪ノ種類屬シテ原因モ津浪ト同一ナルモノトス」、(第九章參照)

七〔印度地震ノトキ河水ニ及ビタル影響〕
強キ地震ニ際シテ湖、河ノ水ニ激動ヲ與フルハ勿論獨リ支那地震ノ記録ニ存スルノミニアラズシテ他國ニ於テモ同樣ノ現象アルベク就中、大河(或ハ大湖)ガ激震ニ遭遇スルトキハ水ノ動揺モ從ツテ甚シカルベシト思ハル」殊ニ明治三十年六月十二日印度國「アツサム」及ビ「ベンガル」地方大地震ノ際「ブラマブートラ」(Brahmapootra)及ビ「スルマ」(Surma)兩大河ニ於ケル水ノ動揺ハ著シキモノナレバ左ニ余ガ調査ニ關カルモノ及ビ諸報告ヨリ抄出セルモノヲ列擧シテ參照トス

(一)「アツサム」州「シルヘット」府(Sylhet)、「シルヘット」府
土木監督署助手「チアクラバルテ」氏ノ説ニ依ルニ 激震ノ際「スルマ」河ニ於テ十呎乃至十一呎ノ高サヲ有スル大浪ヲ生ジテ河ノ北岸ニ打チ上ゲ、河岸ノ道路及ビ土木監督署構ヘ地ヲ超エテ土木監督署ノ「タンク」(水溜)ニ泥水ヲ混入シタル後東方ニ折レテ進ミ、助手役塲ノ土臺ニ迄達セリ云々」、上記大浪ノ高サヲ推測セル方法ハ左ノ如シ
大震前ニ於ケル河水ノ高サ(但シ水量計觀測ニ依ル)二十呎、五五(海面以上ノ高サナリ)
地面(河岸)ノ高サ                三十呎   (同上)
差九、五呎
此レニ地面上ニ水ノ上リタル高サヲ一、五呎トシテ加フレバ十一呎トナル 即河水ノ浪トナリテ騰リタル概畧ノ高サナリ
因ニ記スル「スルマ」河ハ此ノ處ニテハ東西ニ流レテ、「シルヘット」府ハ其ノ北岸ニアリ、又印度ニテ通常「タンク」ト稱スルハ單ニ水溜池ノコトナリ

(二)「アッサム」州「スナムガンジ」區(Sunamganj Subdivision)
六月十五日「ポインダ」河(R.Poinda)ノ兩岸ニ於ケル「ノアハロット」、「ラルポール」、「カリボール」、「ポインダ」、「ゼーナガル」(Noahalot,Lalpur,Kalipur,Poinda,Jaynagar)等ノ諸村ヲ巡視シタルガ 何レモ數呎低下シテ、中ニハ水ニ覆ハレタル所モアリテ人民ハ小舟ノ中ニ生活セリ、但シ此等ノ村々ノ背後ナル田地ハ數尺隆起シテ砂ノ層ヲ以テ覆ハレタリ……」
「サチナバサール」村(Sachna bazar)モ少シク低下シテ汽船事務所ハ水下トナレリ、汽船事務所支配人ハ不思議ニ生命ヲ助カリタルガ其次第ハ、始メ押シ來ル浪ノ爲ニ同人ハ家屋諸共ニ數百呎流シ去ラレシガ其ノ中、戻リ浪ノ爲ニ再ビ家ト共ニ一樹木ノ下ニ持チ來タサレタリ然ルニ恰モ其樹上ニ一人ノ人アリテ此ノ家屋ガ二ツニ割レタル内ニ浮ベル人アルヲ見附ケテ救助シタルニ、即チ支配人ナリシ云々(「アッサム州事務長官「コットン」氏震災地巡回報告文ヨリ抄出)
〔以下ノ諸報告ハ凡テ「カルカッタ」府ニ於テ刊行ノ新聞紙「イングリッシュマン」(English man)ヨリ抄出セルモノニ係ル〕

(三)「ベンガル」州「セラジガンジ」府(Serajganj)六月十二日附通信
河水ハ約八呎高マリタリ云々

(四)「アツサム」州「デブルガール」(Diburgarh)、ニ於ケル大浪デブルガール、六月十三日附通信 最初ノ震動後「デブルガール、アンディー」(Diburgarh Unddee)高サ三呎乃至四呎ナル水波起リテ河ヲ横ギリテ進ミタルガ水ノ北岸ニ激突スル音甚シクシテ頗ル遠距離ニ於テモ聞ヘタリ
                                               
(五)「ブラマプートラ」河ニ於ケル波浪デブルガール、六月十三日附通信 本月十二日午後五時三十分頃當地ニ於テ頗ル強キ地震アリ……
震動ハ全ク不意ニ起リテ一分半程繼續シタリ最初ハ(水平)振動ナリシガ次第ニ高マリテ左右ニ揺リ動キ恰モ波ガ引キ續キ足下ヲ通過スルガ如キ感ヲ與ヘ樹木ノ震動スルコトモ實ニ甚シカリキ、「ステーション」前ノ川及ビ「ブラマプートラ」河ニ波浪ヲ生ジタリ、震動ハ西ヨリ東ニ進ミタル如ク感ジタリ云々

(六)「ゴアルパラ」(Goalpara)ニ於ケル河水ノ高騰……………河水(ブラマプートラ)ハ不意ニ高騰スルコト約十呎ニ及ビテ船中ニ侵入シ且雜多ノ物ヲ岸上ニ打チ上ゲタリ

(七)汽船ガ地震ニ遭遇セルコト、「インデア、ゼネラル、ナビゲーション」會社(ブラマプートラ河汽舩ノ會社ナリ)ノ汽船「ヘスベラス」號ノ「セラン」ガ報告スル所ニ依レバ十二日ノ午後四時二十分頃 「バクサブ」(Baxav)ト「バリア」(Ballia)トノ間ニ於テ同汽舩ハ激シク振盪セラレテ人々轉バサレタリ、且ツ舩ノ甲板ニ水ヲ打チ上ゲタレバ非常ニ困難セリトゾ、當時河ノ状况ハ宛モ大ナル渦水ノ如クナリシト云フ

(八)「パッダ」(Pudda)河、河水ノ激動、東ベンガル官設鐵道「サラ」(Sara)驛六月十七日附通信 「パッダ」ノ河水ガ激動セル件ニ就キテハ既ニ「ローヤル、スチーム、ナビゲーション」會社汽舩「ベンガル」號ノ舩長ガ報告セル所ナルガ、當時河水(パッダ河)ハ地震中及ビ其後數分間ハ非常ニ激動セラレテ恰モ沸騰セルガ如ク、水淺キ處ニテハ泥砂ヲ二三尺高ク抛出セリ、又鐵道ノ浮キ停車場(Rail-way flats)及ビ此處ニ碇泊セル汽舩等モ甚シク振揺セラレタリ…………地震ハ非常ニ強クシテ東ヨリ西ニ傳ハリタルガ如クニ感ゼリ、當地ヨリ僅ニ十五哩ヲ距ル北「ベンガル」官設鐵道中ノ「ベナル」(Benal)橋ハ大損害ヲ被ムレリ
以上印度地震ニ關スル諸報告中(一)ハ實ニ津浪ノ現象ニ酷似スルモノニシテ其ノ觀測ガ正確ナレバ此ノ種ノ問題ニ就キテハ貴重ノ材料ト見做スベキナリ、(三)(四)(五)(六)(八)モ皆多少河水ノ激動セルコトヲ證ス(二)ハ非常ニ激シキ河水ノ動揺アリタル記事ニシテ、其ノ原因ハ幾分カ河底或ハ河岸ノ低下セルニアルベキモ、主トシテ激震ノ爲ニ波浪ヲ起コセルナラント思ハル」(七)ニ記スルハ同時ニ水ガ傳ヘタル激動ニシテ所謂「シー、ショック」ト同種類ノ現象ナルベシ
次ニ記スル所ノ「リスボン」大地震ノ時英國及ビ北米ノ諸湖於ケル現象ハ非常ナル大地震ノ場合ニハ震原地ヨリ遠隔ノ地ニ於テモ水ニ影響ヲ及ボシ得ルノ例ナリ

八〔西暦千七百五十五年十一月一日「リスボン」大地震〕(ライエル氏地質原理ヨリ抄出ス)
西印度ノ「アンチグア」「バルバドース」及ビ「マルチニーク」ノ諸島ニ於テハ平時ハ潮ノ上ルコト二呎少シ以上ナルニ此ノ時海水ハ不意ニ二十呎以上高マリテ黑色ノ濁リ水ト變ゼリ、尚カナダホ加那太ノ諸大湖ニ於テモ水ノ動揺ヲ現ハシタリ
英國ニ於ケル湖及ビ河川ノ動揺シタルコトモ著シク、例之バ蘇格蘭ノ「ロモンド」湖ニテハ前以テ少シモ異状ナカリシニ不意ニ岸上ニ打チ上ゲ再ビ平時ノ水位ヨリ以下ニ下降セリ、…………水ノ騰シル最大ノ高サハ二呎四吋ナリシ

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地図 第壹圖 本邦大津浪分布圖

第二編  津浪ノ原因及ビ驗潮儀記録

九〔津浪ト地震ノ關係〕前數章ニ例示セルハ何レモ湖或ハ河ニ於ケル津浪ト見做スベキモノニシテ水ノ動揺ヲ生ズル所以ハ地ノ震動ヲ受ケテ湖河ノ水ガ著シキ自己ノ振動ヲ始ムルコト宛モ液体振子(fluid pendulum)ノ如クナルニアルベシ而シテ「リスボン」地震ノ如キ非常ナル大地震ノ塲合ニハ振幅大ニシテ振動期ガ十秒乃至數十秒ノ地動アリテ此等ノミ遠距離ニ達シテ湖水ノ振動ヲ起コスナルベシ、此カル緩慢ナル地動ハ其振動期ガ長キ爲、人體ニハ敢テ感覺ヲ與フルコト無ケレドモ大ナル液體振子(即チ海水、湖水等)ニ振動ヲ附與スルニハ大ナル効果ヲ有スベキナリ
此ノ如キ考ヘヨリ推シテ余ハ地震ニ伴フ津浪ノ原因ハ多數ノ塲合ニ於テ左ノ如クナルベシト信ズ
地震ノ震原ガ海底或ハ海底下ニ存スルトキハ必ズ多少海底ノ地震動ヲ海水ニ傳ヘテ其ノ液體振子(フリュイドベンヂュラム)的ノ作用ヲ生ジ或ハ增大ナラシメ、海ノ各部分ニ固有ナル振動期ヲ以テ振幅ノ著大ナル周期波動ヲ起コスベシ、是レ即チ所謂津浪ノ現象ナリトス」
爰ニ海水ヲ大ナル液體振子ト見做スコトニ就キテ少シク詳言センニ、先ツ吾人ノ考フベキ點ハ任意一塲所ニ於ケル海水ガ平時(即チ地震、噴火等ノ無キ時)ト雖トモ絶エズ多少動揺シツ、アルコトナリ而シテ潮ノ干滿、及ビ普通目撃スベキ小波浪ノ外ニ一種或ハ數種ノ長キ振動期ヲ有スル海水ノ波動ガ存在スベキコトハ容易ニ想像シ得ラルベシ盖シ地殻ノ如キ堅硬ナル岩石ヨリ成ルモノト雖トモ往々振動期ガ四秒乃至八秒(東京ニ於ケル地動計觀測ノ結果ニ依ル)ナル緩動ヲ示スヲ以テ見レバ海水モ數分乃至數十分ノ振動期ヲ有スル緩波動ヲ呈スベキコトヲ推考セザルヲ得ザルナリ(少ナクモ其ノ反對ニ斷定スベキ論據ハ更ニ有ルコトナシ)、然ルニ海水ガ斷エズ波動ヲ呈スル以上ハ一般ニ、其ノ振動期(一種或ハ數種)ハ全ク不規則ニハアラズシテ常ニ多少不變ナルモノトセザル可カラズ、果シテ此ノ如クナランニハ任意一塲所ニ於ケル海水ノ振動期ハ其ノ水深、海底面及ビ海岸線ノ形状等ニ因リテ規定セラルゝモノナルベシ換言スレバ海ハ其ノ水深、底面ノ形状若クハ海岸線ノ形状等ヨリシテ數多ノ小部分ニ區畫セラルゝモノニシテ其ノ諸部分ハ各々液體振子トナリテ自己ニ固有ノ振動期ヲ以テ常ニ多少ノ波動ヲ呈シ、而シテ地震ノ爲ニ動揺セラルゝトキハ一般ニ其振動期ヲ變ゼズシテ單ニ振幅ヲ增シ以テ津浪ト ナルコトナルベシ、但シ任意一塲所ニ於ケル海水ノ振動期ハ通常長短數種アレドモ塲合ニ依リテ其ノ内ノ一種ガ著シク現ハルゝコトモ アルベク、又平時ハ格別著大ナラザル種類ノ波動ガ津波ニ際シテ却テ著大トナルガ如キコトモ有リ得ベキナリ」
次ニ上記セル津浪ノ定義及ビ海水振動ノ臆説ヲ以テ津浪ノ現象ヲ説明セントス先ツ津浪ニ關スル一二ノ疑問及ビ海水振動ノ臆説ヨリ生ジ來タルベキ理論上ノ持論ヲ列擧スレバ左ノ如シ
(第一) 津浪ハ何故ニ海底ヨリ發スル地震ニ伴フコト稀ナルヤ
(第二) 津浪ノ大小ハ何故ニ地震ノ大小及ビ陸地上ニ於ケル震動ノ強サニ比例セザルヤ
(第三) 粗ボ同一個所ヨリ起ル津浪ノ振動期ハ任意一觀測地海岸ニ於テハ不變ナルベシ
(第四) 任意ノ港彎ニ於ケル津浪ノ振動期ハ津浪ノ原因ガ海底地震ニアルト暴風雨ノ爲ナルトニ關セズ同一ナルベシ
(第五) 任意ノ港彎ニ於ケル津浪ノ振動期ハ平時ニ存在スル海水振動ノ振動期ト同一ナルベシ
  
上記五項中(第三)(第四)(第五)ハ互ニ相關係セル問題ニシテ(第四)ノ如キハ(第五)ノ特別ナル塲合ト見做スベキモノナリ、次章ヨリ順次ニ(第一)ヨリ(第五)迄ノ事項ニ就キテ吟味セントス」(第三)乃至(第五)項ニ關スル實驗上ノ材料ハ花咲(根室)、鮎川(陸前)、銚子(下總)、三崎(相模)及ビ細島(日向)ニ於ケル驗潮儀記録ヨリ取レリ

十〔津浪ハ何故ニ海底ヨリ發スル地震ニ伴フコト稀ナルヤ〕海水振動ノ臆説ニ依レバ海底、若クハ海底下ニ地震アル毎ニ多少津浪ノ現象ヲ呈スベキ理ナルニ實際津浪ノ此カル地震ニ伴フコト稀ナルハ如何ト、之レ容易ニ起ルベキ疑問ナレドモ此ノ疑問ハ全ク事實ニ合スルモノトハ斷定シ能ハザルナリ、即チ通常ノ所謂「津浪」ハ大津浪ニシテ此レ等ノ數ト雖モ敢テ僅少ナラザルコトハ既ニ第五章ニ述ベタルガ如シ、又弱小ナル津浪ニ至リテハ起ルコトアルモ現今ノ驗潮儀ヲ以テハ觀測スルコト能ハザルナリ、否寧ロ平時ニ存在スル海水ノ振動ト區別スルコト能ハザルナリ(第十五章參照)然レバ決シテ一般ニ津浪ガ稀ナリトハ稱スベカラザルナリ、余ハ津浪ノ現象ハ海中地震後ニ於テ多少現出スルモノナラント思フ

十一〔津浪ノ強弱ハ何故ニ必ズシモ地震ノ大小及ビ陸地上ニ於ケル震動ノ強サニ比例セザルヤ〕次ニ起ルベキ疑問ハ津浪ノ強弱ハ何故ニ常ニ地震ノ大小及ヒ陸地上ニ於ケル地震動ノ強サニ比例セザルヤト云フニアリ(地震ノ大小ハ其震動ヲ感ジタル區域ノ廣サニ比例スルモノト見做ス)此ノ如キ事實ハ往々アル所ニシテ、先ツ例トシテ近年三陸海中ヨリ發セル地震中明治二十九年六月十五日同三十年二月廿日、同年八月五日ノ三地震ヲ相比較スベシ此ノ三地震ノ大サ、震原ノ位置等ハ次表ニ記スルガ如シ(本會報告第二十九號宮古地震驗測報告參照)
附記、發震時ハ陸中國宮古測候所ノ測定ニ依ル」震動區域面積ハ地ノ震動ガ充分強クシテ吾人ノ感覺ニ觸レ若クハ諸測候所据ヘ付ケノ普通地震計ニ感ズルコトヲ得タル地方ノ面積ニシテ其海中ニ於ケル分ハ推定ニ依ル」、震度ハ我中央氣象臺ガ定メラレタル方法ニ依リテ微、弱、強、激、烈ニ區別セルモノナリ
此ノ表ニ依レバ三回地震ノ震動區域ハ粗ボ互ニ相近ケレドモ其ノ中震動區域ノ最大ナルハ三十年二月廿日ノ地震ニシテ次ハ同年八月五日地震、最小ナルハ二十九年六月十五日地震ナリ而シテ此等三回地震ニ際シテ陸地上ニ於ケル震動ノ強サモ各激、強、弱ナリシガ地震ノ爲ニ起レル津浪ノ大サハ却テ震動區域及ビ陸地上ニ於ケル震度トハ反對ノ關係ヲナシテ、三十年二月廿日地震ノ塲合ニハ極微ノ津浪アリ(第十三章(三)參照)同年八月五日ノ塲合ニハ稍ゝ著ルシキ津浪アリ、更ニ廿九年六月十五日ノ地震ハ非常ナル大津浪ヲ伴ヒ起コセリ
上記セル三回地震ハ單ニ一種ノ塲合ヲ例示スルノミニ止マリ、敢テ一般ニ海底地震ノ大小ト津浪ノ大小トハ互ニ少シモ相關セザルモノナリト云フニハ非ルナリ、又勿論大津浪ハ常ニ微小ノ地震ニ伴フト云フガ如キ理ハ更ニ無キナリ、我邦古來著名ノ大震地中天武天皇十二年十月十四日、明應七年八月廿五日、天正十三年十一月廿九日、慶長九年十二月十六日、寳永四年十月四日、安政元年十一月四日及ビ五日ノ大地震ノ如キハ太平洋中ヨリ起リ皆非常ナル大津浪ヲ伴ヒタルモノナリ
(本會報告第三十二號日本ノ地震ニ關スル報文參照)而シテ上ニ引證セル三回ノ地震ノ如キモ震原ガ稍陸地ヨリ遠カリシヲ以テ陸上ニ於テハ大地震ト稱スベキ程ニ震動烈シカラザリシモ其面積ヨリ推セバ敢テ小地震ニアラズシテ、何レモ歐羅巴洲ノ諸地震觀測所ニ於テ記録セラレタルヲ以テ見レバ頗ル大ナル地震ナルヲ知ルベキナリ、(本會報告第二十九號、園地地震ニ關スル調査參照)又陸地内ニ發セル大地震ト比較スレバ此等三回地震ノ海陸面積ハ何レモ明治二十七年十月廿二日庄内大地震ノ面積ヨリモ頗ル大ナルモノトス、因ニ記ルス庄内地震ノ震動區域ノ長半徑ハ約四百五十「キロメートル」ニシテ短半徑ハ海中ニ亘リタレバ正確ニハ知リ難キモ約三百「キロメートル」ナラント思ハル
地震ノ大小、陸地上ニ於ケル震動ノ強弱ト津浪ノ大小トノ關係ハ此ノ如ク一見頗ル複雜ナレドモ津浪ハ海底ノ地震動ヲ海水ニ傳フルニ起因ストノ臆説ヲ以テ容易ニ説明スルヲ得ベシ、即チ此ノ臆説ニ依レバ津浪ノ大小ハ單ニ地震ノ大サノミニ關セズシテ、海底面ニ於ケル地震動ノ強サ(強サハ地動ノ加速度ヲ以テ示ス)ニモ關スベケレバナリ、即チ地震動ノ加速度ハセントル震原點ヨリノ距離ニ反比例スルモノナレバ一地震ノ大サヲAヲ以テ示シ其ノ震原點ノ海底面下ノ深サヲdヲ以テ示セバヱビセントル震央ニ於ケル震動ノ強サハAdナル數ニ比例スベシ故ニ一地震ノ爲ニ起ルベキ津浪ノ大サヲwヲ以テ示セバ次ノ關係ヲ有スベシ


      w  nearly_equal k' times A/d times S


上式中k´ハ定數ナリ又Sハ震央附近ノ海底面ニ於テ震動ガ或ル一定ノ限數以上ニ強キ面積ヲ示モノニシテAニ比例スルモヲ有スベシ


      w  nearly_equal k times  A2/d (1)


kハ定數ナリ」(1)式ニ依レバ津浪ノ大サ(w)ハ地震ノ大サ(A)ニハ本ヨリ關スレドモ、震原ノ深サ(d)ニ粗ボ反比例スルコトゝナル故ニ地震ハ大ナルモ其ノ震原ガ非常ニ深キトキハ格別ノ津浪ヲ生ゼザルベク、此レニ反シテ震原ガ非常ニ淺キトキハ一般ニ地震ノ大小ニ從ヒ多少ノ津浪ヲ生ズベキノ理ナリ而シテ津浪ノ最モ著シキハdノ最少ナルトキ、即チ震原ガ正シク海底面ニ在ル塲合ナリトス、尤モ 此カルトキニハ必ズ幾分カ海底面ノ變形即チ隆起、陷落等ノ現象ヲ伴フベケレバ單ニ其ノミニテモ津浪ヲ起コシ得ベキナリ」(1)式ヲ近年三陸海中ヨリ發セル上記三回ノ地震ニ適用スルニ三回地震中ニテ明治三十年二月廿日地震ノ震原ハ最モ深ク、同年八月五日地震ノ震原ハ割合ニ淺ク、二十九年六月十五日地震ノ震原ハ非常ニ淺カリシカ、或ハ正シク海底面ニアリシナラント思ハル
又何故ニ時トシテハ津浪ノ甚シキニ關セズ陸上ニ於ケル震動ノ微弱ナルコトアルヤハ容易ニ(1)式ニ依リテ説明スルヲ得ベシ即チ地震大ニシテ震原ノ深サガ非常ニ淺キトキハ津浪ハ甚シカルベキガ、若シ其震原ノ位置ガ海岸ヨリ遠キトキハ陸上ニ於ケル震動ハ弱カルベシ、極端ノ塲合ニテハ海岸ニ津浪ノミテ押シ寄セテ絶エテ地震ヲ感ゼザルコトモ勿論有ル所ナリトス、南亞米利加西岸ニ發セル地震ニ伴ヘル津浪ガ我邦ニ傳ハリ來リ、或ハ我邦東岸ニ起レル地震ニ伴ヘル津浪ガ亞米利加西岸ニ達スルガ如キ是ナリ

十二〔粗ボ同一個所ヨリ起ル津浪ノ振動期ハ任意一觀測地(海岸)ニ於テハ不變ナルベシ〕津浪ナル現象ハ海底地震動ノ爲ニ動揺ヲ海水ニ傳ヘテ海水ガ液體振子的ノ振動ヲ爲スニアリトスレバ一般ニ任意ノ一海岸ニ於ケル津浪(地震ノ爲ニ起コレル)ノ振動期ハ多少不變ナルニ近カルベキノ理ナリ、就中地震ガ粗ボ同一海底ヨリ發スル塲合ニハ其レニ伴フ津浪ノ振動期ハ任意ノ一海岸ニ於テハ常ニ全ク同一ナルベシ
地震ニ伴ヘル津浪ノ例」近年我邦ニテ津浪ノ最モ頻繁ナリシハ三陸海岸ナリトス、依テ次章ニ陸前國(金華山近傍ナル)鮎川ニ於ケル驗潮儀記録ニ就キテ津浪ノ振動期等ヲ吟味シ以テ理論上ノ結論ノ當否ヲ見ルベシ

十三〔陸前國牡鹿郡鮎川ニ於ケル津浪ノ驗潮儀記録〕近年三陸ノ沿岸ニ著シキ津浪ヲ起コシタルハ(一)明治二十七年三月二十二日北海道大地震、(二)廿九年六月十五日地震(三)三十年八月五日強震ノ三地震ナリ後二者ハ前記セル如ク共ニ三陸ノ海中ヨリ發セルモノナルガ尚此ノ外ニ近年三陸ノ海中ヨリ起レル顯著ナル地震(四)明治三十年二月廿日及ビ(五)三十一年四月二十三日ノ兩地震ノ如キハ陸地上ニ於ケル震動モ頗ル強カリキ、此等五回ノ地震ニ際セル海水ノ状況ハ第十三圖以下ニ示セル鮎川ニ於ケル驗潮儀記録(參謀本部ノ觀測ニ係ル)ニ依リテ判明ナルベシ左ニ順ヲ逐フテ驗潮儀記録ヨリ計算セル結果ヲ記ルスベシ

(一)〔明治廿七年三月二十二日北海道大地震〕發震時ハ根室ニ於テハ午後七時二十分四十五秒、東京ニ於テハ同ク七時二十七分四十九秒ナリ」震動ハ根室釧路ノ海岸ニ於テ最モ激シク許多ノ損害ヲ與ヘタルガ震原ハ根室ヨリ南南東ニ當リテ約三十里ノ距離、即チ東徑百四十六度、北緯四十二度ノ點ニ近キ所ニアリ、此ノ地震ニ伴ヘル津浪ニ關スル沿岸各地ヨリノ報告ハ本委員提出ノ概報告ニ載セタレバ就キテ見ルベシ(震災豫防調査會報告第三號)
鮎川驗潮儀 鮎川驗潮儀記録紙(第十三圖)ヨリ計算スレバ津浪ノ始メ(圖中aト記ルス所)ハ午後八時二十六分ナリ、但シ多少時辰儀ノ誤差ハ勿論アルヘクシテ此ノ時刻モ幾分カ誤リアルベシ而シテ原記録紙ニ「午後七時四十八分地震ユリ長シ」ト記入シアレバ津浪ハ震後三十八分ヲ經テ初メテ鮎川ニ達シタルモノナルベシ、又 驗潮儀監守者ノ旬報ニハ「午後七時四十八分地震強ク長シ、同八時四十分ヨリ海嘯」トアリ其ノ海嘯ノ時刻ハ盖シ海水ガ著ルシキ動揺ヲ始メタル時刻ニシテ圖中(b)ト記ルス點ヲ指スナルベシ
津浪ハ先ツ二十四「センチメートル」ノ上昇動ヲ以テ始メ、之ニ次ギテ四十六「センチメートル」ノ下降動ヲ呈ス、其振動期(振動期トハ本報告ニ於テハ常ニ往復振動期ノ意義ナリ)ハ約二十五分ナリ、但シ此ノ下降動ハ短キ振動期ヲ有スル振動ヲモ交ユ、次ギテ八回ノ判然タル振動(振動トハ常ニ往復振動ノ意義ナリ)アリ、其ノ平均振動期ハ六分三十六秒ニシテ最大動ハ二十六「センチメートル」ナリ、以上ハ初動期ト見做スベキ分ニシテ長キ振動期ヲ有スル波動ハ敢テ顯著ナラザリシガ初發後一時五十三分ニ及ビテ始メテ判然タル長振動期ノ上昇動(圖中cト記ルス、全振幅五十八「センチメートル」)現ハレ爾後約四時三十四分間ハ海水ノ動揺最モ著クシテ其振幅ハ格別ノ增減ヲ示サザルモ最大波動(圖中eト記ルス)ハ此ノ時期ノ最終ニ起リテ全振幅七十七「センチメートル」ニ達セリ、但シ最初五回ノ振動ハ小波動ヲ混ズルコト少ナク平均振動期二十二分ニシテ、其ノ振動中最大ナルハ第五回目波動ノ下降動(圖中dト記ルス)ナリ全振幅七十一「センチメートル」ニ達セリ又此等五回ノ振動ニ次ギテ現ハレタル波動ハ振動期ノ長キ振動ノ上ニ判明ナル急振動ヲ重ネタルモノヨリナルヲ以テ頗ル錯雜スレドモ其(緩動)ノ平均振動期ヲ十回ノ振動ニ就キテ計リタルニ振動期ハ約二十六、二分トナル」此ノ時期ノ終リ、即チ初發ヨリ六時二十七分後ニ於テハ一般ニ短キ振動期ヲ有スル波動顯著ニシテ次第ニ振幅ヲ減ジテ二十五日午前零時頃ニ至リテ始ド平常ノ状况ニ復セリ
上記ノ如ク此ノ津浪ニ於ケル海水ノ動揺ハ主トシテ長振動期(二十分以上)ノ振動ト短振動期(六七分)ノモノト相混合シテ成ルモノナルヲ見ルベシ而シテ鮎川驗潮儀ハ常ニ同樣ノ性質ヲ呈スルヲ以テ爰ニ便宜ノ爲、假ニ鮎川ノ場合ノミニ限リテ長振動期波動ヲ緩波動ト稱シ、短振動期波動ヲ急波動ト稱スベシ」二十四日午前零時ト六時ノ間ニ於テ十四回ノ緩波動ヨリ振動期ヲ測リタルニ平均二十五、七分ナリ」
急波動ノ振幅ハ二十三日午前零時ト正午ノ間ニ於テハ格別ノ增減ナシ其中最大ノ全振幅ハ六十三「センチメートル」ニ達シテ午前零時ト午前七時トニ現ハル」二十三日ノ午前二時半ヨリ 急波動ノ振動期ヲ順次ニ計リタル結果左ノ如シ
六時間ニ四十八回ノ波動アリ、平均振動期……七,五分
同四十九回半…………………………………七,三分
三時二十二分間ニ二十八回……………………七,三分
六時間ニ四十八回………………………………七,五分
同五十一回半…………………………………七,〇分

以上ノ結果ヲ約言スレバ鮎川ニ於ケル緩波動ノ最大全振幅七十七 「センチメートル」ニシテ其ノ總平均振動期ハ二十五、二分ナリ又急波動ノ最大全振幅ハ六十三「センチメートル」ニシテ其ノ總平均波動期ハ七、三分ナリ」
地震前ニ於ケル天氣概况ハ左ノ如シ(天氣圖ヨリ抄出)
明治二十七年三月二十一日午後十時 右旋回ノ部位ハ尚日本全國ヲ覆フテ其最高示度七百七十三粍ハ長野ニ、最低示度七百六十六粍ハ根室ニアリ」概ネ軟風吹キ晴天ナレドモ北海道ハ雪降レル所アリ
仝月二十二日午前六時 右旋回ノ部位ハ廣大トナリテ且其高度モ增加シ全國通ジテ區々ノ軟風吹キ或ハ靜穩ニシテ好天氣ナリ
仝月仝日午後二時 區々ノ風吹キ晴天ナリ高氣壓ノ部位七百七十二乃至七百七十粍ハ全國ニ擴張シタレドモ九州及北海道ハ七百六十九粍ヲ呈セリ

(二)〔明治二十九年六月十五日地震〕此ハ彼ノ有名ナル三陸大津浪ヲ起コセル地震ナリ(震動區域圖ハ第二圖ニ示ス)、當時鮎川、花咲、三崎(油壺)ノ三ケ所ニ於ケル驗潮儀記録圖ハ既ニ參謀本部ニ於テ出版セラレ、尚ホ今村理學士ノ三陸津浪取調報文ニモ附セラレタレバ爰ニハ採録セズ、讀者宜シク此等ヲ參照スベシ」此ノ地震ノ發震時ハ宮古測候所ノ測定ニ依レバ午後七時三十分ナルガ二三分ノ誤リハアルベシ、又東京ニ於ケル發震時刻測定ニ依レバ午後七時三十四分十四秒ナリトス此ハ勿論正確ノモノト信ズベキナレバ東京ニ於ケル發震時ヨリ推セバ陸前、陸中ノ海岸ニ於ケル發震時ハ七時三十三、三分頃ナリシナルベシ
(鮎川驗潮儀)但シ參謀本部出版ノ二分ノ一縮寫圖ニ依ル驗潮儀記録紙ヨリ計算スレバ津浪ノ始メハ午後八時十九分トナル、但シ鮎川監守者ノ旬報ニハ「午後七時半地震緩ク長シ同八時半海嘯トナル」トアリ之ヲ前記ノ發震時ト比較スルニ驗潮儀ノ時辰儀ハ格別ノ誤差 無カリシモノト思ハル、即チ津浪ハ鮎川ニテハ地震ノ初發後約四十六秒ヲ經テ 起レルモノト推セラル初回ノ波動ハ微ナル下降動ニシテ其ノ大サ十九「センチメートル」ナリ、次回ノ動揺ハ即チ最初ノ著大波ト見做スベキモノニシテ一、四「メートル」ノ上昇動ナリ、之ニ次ギテ二,三「メートル」ノ下降動ヲ呈シ振動期ハ平均七,一分(下ニ記ルス如シ)ニシテ爾後約三時間ハ海水ノ動揺甚シク、其ヨリ次第ニ勢ヲ減ジタレドモ尚次ノ約十一時間ハ波動頗ル著シカリキ而シテ海水ノ全ク平常ノ状况ニ復シタルハ數日ノ後ニアリタリ、此ノ津浪中最大ノ波動ハ二,四八「メートル」ニシテ十五日ノ午後十一時頃、即チ津浪ノ初發ヨリ約二時間半後ニ至リテ起レルモノトス
津浪ノ振動期 去ル明治二十七年三月廿二日北海道大地震ニ伴ヘル津浪ニ於テハ既ニ前記セル如ク平均二十五、二分ノ振動期ヲ有スル緩波動ト、平均七,三分ノ振動期ヲ有スル急波動ト相混ズルモノナルガ、今回ノ津浪ハ主トシテ殆ド全ク短振動期ノ波動ヨリ成ル、初發ヨリ二十九時間内ニ順次ニ平均振動期ヲ計算セルニ次ノ結果ヲ得タリ
   平均振動期     七,一分    但シ四回ノ波動ヨリ計算ス
   同         七,一五分   同三十回  同前
   同         七,二分    同五十回  同前
   同         六,九分    同六十回  同前
   同         七,一五分   同 百 回 同前
即チ總平均振動期七、一分トナル
又此ノ主要ナル急波動ノ上ニ多少緩波動ヲ混ジタルノ形跡アリ、例之バ六月十五日午後十時半ヨリ翌十六日午前四時半迄六時間ニ十五回ノ緩波動ヲ數ヘ得タリ、即チ其ノ平均振動期ハ二十四分トナル、但シ此ノ塲合ニハ緩波動ノ振動小ニシテ著ルシカザルモノトス
因ニ記ルス、六月十五日大津浪ノ前ニ當リテモ少シク海水ノ動揺アリ、例之バ同日ノ正午ト午後八時半ノ間ニ於テ四十一回ノ波動(振幅ハ小ナリ)ヨリ計リタルニ平均振動期ハ七,五分ニシテ大津浪ニ於ケル波動ノ平均振動期ト實驗差ナキヲ見ルベシ、此ハ敢テ奇異ナル現象ニアラズシテ後(第十五章)ニ記ルス如ク港彎ニ於テ海水ハ平時ニテモ津浪ニ際セルトキト同一ノ振動期ヲ以テ絶エズ動揺スベキモノナルコトノ一例ナリ」今村理學士ノ如ク驗潮儀記録上此カル事實ヲ見テ直チニ津浪ガ發起セル數時間以前ニ於テ既ニ海底ハ變動ヲ示シツゝアリタリトナスハ誤リナルベシ

(三)明治三十年二月廿日地震 東京ニ於ケル發震時ハ午前五時四十九分二十三秒ナリ」此ノ地震ハ頗ル廣大ニシテ微震動ヲ感ジタル區域ハ震原ヨリ四百三十乃至七百「キロメートル」ニ達シ、就中仙臺及ビ其ノ近傍ニ於テ家屋ノ損害、土地ノ龜裂等ヲ生ジタル激震ナリ、震原ノ位置ハ東徑百四十三度三十分、北緯三十八度三十分、即チ陸中國宮古ヨリ東南ノ方、約二百六十「キロメートル」ニ當ル」 東京ニ於ケル發震時ヨリ推セバ陸前海岸ニ於ケル發震時ハ約午前五時四十八分半ナリシナラン」此ノ地震ノ際ニ於ケル鮎川驗潮儀記録ヲ吟味スルニ左ノ如シ
(鮎川驗潮儀) 第十四圖(甲)ニ二月廿日午前零時ヨリ同日午後十二時迄ノ驗潮儀記録ヲ與フ」、驗潮儀ノ原記録ニハ近年稀ナル大強震ノ爲止駐セル旨記入シアリ、而シテ記録紙ヨリ計算スレバ記録機描針ガ止マレルハ午前五時十分ニ當レバ驗潮儀ガ示ス時刻ハ標準時ヨリモ約三十九分後レアリタルモノト知ルベシ其レヨリ約六時間ヲ經テ、即チ驗潮儀ノ時刻ニテ午前十一時頃ニ至リテ再ビ平常ノ如ク記録スルヲ得タルガ、海水ハ多少地震以前トハ異レル動揺ヲ呈スレバ幾分ノ津浪現象アリシモノト見做シテ不可ナカルベキナリ、海水ノ動揺ハ主トシテ平均振動期二十四、六分(十八回ノ波動ヨリ算出ス)ノ波動ヨリ成リ其ノ最大全振幅ハ十四「センチメートル」ナリ、此ノ緩波動ノ上ニ尚ホ二種ノ急波動ヲ混ジタルガ其ノ平均振動期ハ左ノ如シ
平均振動期  七,二分ノ波動 (但シ四十回ノ波動ヨリ算出ス)
平均振動期  一,九分ノ波動 (但シ五十七回 同前)
明治三十年二月廿日ノ天氣概况左ノ如シ
(午後二時) 昨日午後極南西部ニアリシ低氣壓ハ遙ニ南海岸ヲ通過シ南部ニ概ネ寒冷ナル北風ヲ起シ且ツ雨又ハ雪ヲ誘ヘリ」晴雨計ハ東部ニ著シク下降シタレトモ西部ニ上昇シテ某示度ハ本日午後釜山ニ於ケル七百六十七粍ヨリ北海道東部ノ沖ニ於ケル七百五十四粍ノ間ニアリ」
全國北又ハ西ノ風(所々ニ暴風)吹キ西部ハ霽レントシ西海岸ハ少雪降レリ(本日石巻ニ於テハ午前六時ハ無風、午後二時ハ西ノ烈風吹キ、午後十時ハ無風ナリ)

(四)明治三十年八月五日地震  東京ニ於ケル發震時ハ午前九時十二分廿三秒ナリ」此ノ地震モ頗ル廣大ニシテ微震動ヲ感ジタル區域ハ震原ヨリ三百八十,乃至六百五十「キロメートル」ニ達シテ本州東北海岸一帶ニ強キ震動ヲ與ヘタリ(震域圖ハ本会報告第二十九号初期微動ニ關スル調査文ニ附セリ)、震原ノ位置ハ東經百四十三度半、北緯三十八度半、即チ陸中國宮古ヨリ東南ノ方約二百十「キロメートル」ニ當ル故ニ東京發震時ヨリ推セバ陸前海岸ニ於ケル發震時ハ約午前九時十一分半ナリシナルベシ、此ノ地震ハ稍々著シキ津浪ヲ伴ヒ起コシタリ其ノ三陸海岸ノ諸地方ニ於ケル報告ハ震災豫防調査會報告第二十九號今村理學士ノ三陸津浪取調中ニ載セラレタレバ就キテ見ルベシ
鮎川驗潮儀記録ヲ吟味スルニ左ノ如シ
(鮎川驗潮儀) 第十五圖ニ八月五日午前八時頃ヨリ同日午後十一時迄ノ鮎川驗潮記録圖ヲ輿フ」鮎川監守ノ旬報ニハ「午前八時三十五分地震強ク長シ又四分間程經過シ微震アリ仝九時ヨリ海嘯トナリ初回甚シク……………
九時四十分頃マデ強シ云々」トアリ之ヲ東京ニ於ケル發震時ト比較スレバ驗潮儀ノ時辰機ハ約三十六七分後レタルモノナラント思ハル、今マ驗潮儀記録紙ニ就キテ見ルニ始メハ海水全ク平穩ニシテ少シモ動揺ナカリシガ同日午前八時四十四分(驗潮儀ノ時刻)ニ至リテ微小ナル二回ノ波動ヲ示シタリ、但シ此レ等ノ小波動ハ果シテ津浪ノ初期動ナルヤ否ヤハ判然セザレドモ九時零分(同上)ニ及ビテ始メテ確タル津浪トナル去レバ津浪ハ地震ヨリ約二十四分ヲ經タル後ニ鮎川ニ達シタルモノナルガ如シ、初回ノ波ハ三十三「センチメートル」ノ下降動ニシテ、之ニ次ギテ百五十八「センチメートル」ノ著大ナル上昇動アリ、其ノ反動ハ二百二十二「センチメートル」ノ下降動ニシテ即チ此ノ津浪中ノ最大波動ナリトス、次ギテ九時四十三分(驗潮儀ノ時刻)三回ノ頗ル著シキ大ナル振動ナリ
即チ此等四回ノ波動ガ津浪ノ最盛部ヲ成スモノニシテ其ノ平均振動期ハ七、六分ナリ、之ニ次ギテ現ハレタル波動ハ同ジク平均振動期七、七分(三十一回ノ波動ヨリ計算ス)ノ急波動ト平均振動期二十三分(二十一回ノ波動ヨリ計算ス)ノ緩波動ト相混ジタルモノヨリ成ル、但シ五日午後二時以後ハ津浪ノ勢ヒ頗ル衰ヘテ緩波動ノ方著シクナレリ
明治三十年八月五日ノ天氣概况左ノ如シ
(午後二時)氣壓ノ變化ハ全國ヲ通シ僅少ニシテ極西部ニ少シク高ク七百五十八粍、東部ニ七百五十六粍ヲ示セリ」全國區々ノ風吹キ過半晴天ナレドモ本州ノ東部ハ少雨降レリ(石巻ニ於テハ本日午前六時ハ無風、午後二時ニ東南東ノ和風吹キ、午後十時ハ無風ナリ)

(五)明治三十一年四月二十三日地震  東京ニ於ケル發震時ハ午前八時三十七分零秒ナリ」 此ノ地震モ前二回ノ地震ト同ジク頗ル廣大ニシテ微震動區域ハ震原ヨリ三百八十乃至六百五十「キロメートル」ニ達シ、就中陸奥、羽後ヨリ東京附近ニ至ル迄日本本州ノ北部全体ニ於テ強震トシテ感ゼラレタリ
(震域圖ハ本會報告第二十九號初期微動ニ關スル調査文中ニ附セリ)震原ノ位置ハ東經百四十二、七度、北緯三十九度、即チ陸中國宮古ヨリ東南東ノ方、約百六十「キロメートル」ニ當ル、故ニ東京發震時ヨリ推セバ陸前國海岸ニ於ケル發震時ハ午前八時三十六分頃ナリシナルベシ、此ノ地震ハ敢テ人ノ注意ヲ引クニ足ルベキ津浪ヲ伴フコト無ク、從テ津浪ニ關スル報告ハ無カリシガ鮎川驗潮儀ノ記録紙ヲ吟味スレバ次ニ記述スルガ如ク少シク津浪ヲ起コシタルガ如シ
鮎川驗潮儀 第十四圖(乙)ニ四月廿三日午前零時ヨリ午後十二時ニ至ル迄ノ驗潮儀記録圖ヲ與フ」鮎川監守ノ旬報ニハ廿三日午前八時三十分大強震アリ時辰器止駐ス」トアリ之ヲ東京ニ於ケル發震時ト比較スルニ驗潮儀ノ時辰儀ハ約六分後レアリシナラン、驗潮儀記録紙ヲ驗スルニ廿三日朝ニ於ケル海水ノ動揺ハ主トシテ振動期ノ短ナル波動ヨリ成リシガ午前九時二十八分(驗潮儀ノ時刻)ニ至リテ突然小ナレドモ判明ナル緩波動ヲ呈スルヲ以テ見レバ正シク地震ノ爲ニ起レル津浪ナリト考ヘラル(即チ驗潮儀記録及ビ旬報記事ヨリ推セバ地震後五十八分ナリトス)
津浪ハ十一「センチメートル」ノ上昇動ヲ以テ始メ、之ニ次ギテ二十七「センチメートル」ノ下降動(最大動)ヲ呈シ、爾後判明ニシテ急波動ヲ混ズルコト少ナキ緩波動十一回アリ其平均振動期ハ二十三分ナリ、此ノ後ハ小ナル急波動ヲ混ジタルヲ以テ海水ノ振動錯雜トナル、」急波動ハ格別著大ノモノハ無キガ最大ノモノニテ十「センチメートル」ニ達セリ、其ノ平均振動期ハ次ノ如シ
平均振動期 七,三分  (但シ二十三日正午ト午後六時トノ間ニ於テ四十九回ノ波動ヨリ計算ス)
平均振動期 七,一分  (但シ同日午後六時ト夜半トノ間ニ於テ五十一回ノ波動ヨリ計算ス)
總平均振動期七,一分
以上兩種ノ波動ノ外ニ尚一層小ナル急波動ヲ重ネタリ」
二十三日夜半ニ及ビテ海水ハ平常ノ状体ニ復シタリ
明治三十一年四月二十三日ノ天氣概况左ノ如シ
(午後二時)低氣壓ハ琉球南部ニ發達セントスルモノゝ如ク晴雨計ハ一般ニ下降シテ那覇ハ其最低度七百五十九粍ヲ報セリ而シテ高氣壓部位(七百七十一粍)ハ日本海ノ中部ヲ掩ヘリ」南部ハ北又ハ東ノ和風、北部ハ西ノ強風吹キ晴天ナレドモ南部ハ曇天ニシテ州南諸島及ヒ九州南部ハ雨降リ大島ハ前八時間ニ五十八粍ノ量アリ(石巻ニ於テハ本日午前六時ハ無風、午後二時ハ西ノ強風吹キ、午後十時ハ無風ナリ)

十四〔鮎川驗潮儀觀測摘要〕爰ニ前章(一)ヨリ(五)迄ニ記述シタル五回ノ地震ノ際ニ於ケル鮎川驗潮儀記録ヲ吟味セル結果ヲ約言スベシ
(一)鮎川ニ於ケル地震ニ伴ヘル海水ノ動揺ハ主トシテ緩急二種ノ波動ヨリ成ル、其ノ平均振動期ハ次表ニ示スガ如シ
此ノ如ク何レノ塲合ニ於テモ緩波動竝ビニ急波動トモ其ノ振動期ハ殆ド不變ナルヲ見ルベシ、即チ緩波動ノ總平均振動期ハ二十四分ニシテ急波動ノ總平均振動期ハ七、三分ナリ、盖シ上表五回ノ地震中第二、三,四,五回ノ震原ハ互ニ相遠カラザリシカドモ勿論全ク同一個所ニアラズ而シテ第一回(根室)地震ノ震原ハ此等トハ頗ル距リタルニモ關セズ其ノ津浪ノ波動ノ振動期ガ實際同一ナルヲ見レバ鮎川ニ於ケル津浪ノ振動期ハエビセントル震央(海底)ニ於ケル地形ノ變動(若シ有ル塲合ニハ)ニ依ルニアラズシテ觀測地(海濱)ノ有樣ニ 依ルモノナルコト明カナリ」津浪ノ波動ガ何レノ塲合ニモ不變ナルハ或ハ驗潮儀、若クハ其据付ケ方ニ特殊ナル一種ノ自己振動ニ起因スルニアラズヤトノ疑問モアランガ、此カル事ハ實際ニ存セザルナリ、即チ本委員ハ會長ノ命ニ依リ本年七月末ニ於テ鮎川ニ至リ驗潮儀ヲ一覽シタルガ驗潮儀ノ「浮キ」ガ浮ブ井筒ハ角形ニシテ約二尺四方ナリ、而シテ井筒内ノ海水ハ干潮ノトキニ於テ深サ約一「メートル」滿潮ノ際ニハ二「メートル」餘トナル、又此ノ井筒ト外水トヲ通ズル水平管ノ長サハ約二間ナリ、故ニ縱令井筒内ノ水ガ自己振動ヲ呈スルコトアルモ七、三分乃至二十四分ト云フガ如キ長キ振動期ヲ有スル動揺ヲ生ズルコト無キハ明ラカナリ、試ミニ手ヲ以テ少シク「浮キ」ヲ上下ニ動カスモ驗潮儀ノ描針(鉛筆)ハ直ニ原位ニ戻リテ敢テ振動ノ現象ヲ 呈セザリキ、尚ホ第十五章(九)三崎驗潮儀ニ關スル條ヲ參照スベシ
液体ノ振子的振動ノ例最簡單ノ塲合ヲ取リテ第三圖ニ示ス如ク直形ノABCD…………アリテ水ヲ滿タセリト假定ス而シテ、其ノ槽内ノ水ガ其ノ長軸XXニ平行シテ振子的振動ヲ成ス塲合ニハ液体力學ノ定理ニ依リテ次ノ關係アリ


    t  = 2a/ root(gh)


上式中tハ液体振動ノ往復振動期ナリ、又aハ水槽ノ長サAD,hハ其ノ深サAAニシテ、gハ重力ノ加速度ナリ」若シ液体ガ水槽ノ短軸YYニ並行シテ振子的振動ヲ成ス塲合ニハ前式中aノ代リニbヲ用井ベシ、bハ水槽ノ幅ABノ長サナリ」此式ハ既ニ「フォーレル」氏ガ湖水ノ動揺、所謂 「セーシュ」(Seiche)ノ塲合ニ適用シタルモノナルガ、彎ノ形状ガ狹長サルトキハ海水ノ動揺ニモ亦時トシテハ適用スルヲ得ベシ」
鮎川彎ハ牡鹿半嶋ノ南端ニ在リテ南西方ニ面スル小彎ニシテ鮎川村(驗潮儀所在地)ハ其彎頭ニアリ今マ鮎川村ニ於テ觀察スレバ波浪ハ南西方、即チ彎口ヨリ進ミ來ルガ如クナレバ彎内海水全体ノ動揺ヨリ成ル波動、即チ長キ振動期ヲ有スル波動モ亦同一ノ方向ニアリト假定スベシ、鮎川彎ノ水界ヲ判然區畫スルコト能ハザレドモ今暫ク牡鹿半嶋ノ最南端タル黑崎ト、鮎川彎ノ西邊端、淸崎トヲ連結セル直線ヲ以テ彎ノ外限ト見做セバ此ノ直線ノ中央ト鮎川村トノ距離aハ約一,六「キロメートル」ナリ、又彎ノ中心ニ於ケル水深ハ(二十万分一地質圖ニ依ル)十尋ナレバ平均ノ水深hヲ假リニ五尋トシ(1)式ニ依リテ此レ等ノ數ニ對スル波動ノ振動期tヲ計算スレバ約五分半トナル、即チ鮎川驗潮儀ガ示ス七,三分ナル振動期ニ近クシテ其ノ生起スル原因ヲ大体説明スルモノナラント思ハル、他ノ長キ振動期(二十四分)ハ大ナル面積ヲ有スル海面即チ牡鹿半嶋ノ南西端ト田代島、網地嶋間ナル海峽ノ海水ガ全体ニ振子的振動ヲ爲スニ依ルニアラザランカ、暫ク疑ヲ存ス
 (二)津浪ノ來ルトキハ海濱ニ於テ最初ニ海水ガ著シク退減スルモノナリトハ一般ニ人ノ信ズル處ナルガ、鮎川驗潮儀記録ニ依リテ見レバ明治二十九年六月十五日大津浪及ビ三十年八月五日津浪ニ於テハ最初ノ減水ハアリタレドモ甚ダ顯著ナラズシテ、各々十九「センチメートル」及ビ三十三「センチメートル」ナリ、津浪ノ波動ガ實際始メテ著大トナルハ次回ノ上昇動ニシテ各々一、四「メートル」及ビ一,五八「メートル」ナリキ故ニ此等兩回ノ地震ニ於テハ初回ノ下降動ト次回ノ上昇動トノ比ハ各々1/7,4及ビ1/4,8トナル思フニ一般ニ初回ノ下降動ハ津浪ノ甚シキニ從ヒ顯著ニシテ、其ノ弱小ナルニ從ヒ微トナリ遂ニハ認ムベカラザルニ至レバ津浪ハ上昇動ヲ以テ始ムベキナリ、現ニ明治二十七年三月廿二日北海道大地震及ビ三十一年四月廿三日地震ニ伴ヘル兩回ノ津浪ニ於テハ波動ハ實ニ上昇動ヲ以テ始メレリ、」 他ノ塲所ノ例ヲ示サンニ明治二十九年六月十五日大津浪ノ時ニモ震原ヨリ距リタル根室國花咲及ビ下總國銚子ニ於テハ驗潮儀記録ニ依ルニ津浪ハ何レモ上昇動ヲ以テ始メタリ、又同地震ノ際相模國三崎ニ於テハ津浪ノ來ルコト緩慢ニシテ其ノ起點ヲ認ムルコト難ク、從ツテ初回ノ波動ハ上昇動ナリシカ、或ハ下降動ナリシカヲ知ルコト能ハザルナリ」、此ノ如ク同一津浪ニテモ觀測地ノ異ナルニ從ヒ或ハ下降動ヲ以テ始メ、或ハ上昇動ヲ以テ始ムレバ單ニ一觀測地ニ於ケル初回ノ波動ガ下降動、或ハ上昇動ナルニ依リテ海底面ノ地形變動等(若シ有ル塲合ニ)ニ論及セントスルハ誤謬ニ陷リ易キコトナルヲ思フベシ
津浪ノ波動ガ下降動ヲ以テ始ムルハ「チャールス、ダーウ井ン」ノ説ノ如ク蒸汽船ガ海岸ヲ通行シテ波ヲ起コストキハ波ガ海濱ニ打チ上グル前ニ、先ヅ少シク引キ退ゾクト同一理ナルベシ」余嘗テ獨逸郵船ニテ「スエズ」運河ヲ通過セル際、此種ノ水波ヲ目撃シタリ、即チ船體ノ幅大ナルガ爲船ノ進行ニ連レテ波ヲ起コシテ兩岸ニ打チ付ケタルガ、其ノ現象全ク津浪ノ如ク、二三十「メートル」モ船ノ進行ニ先チテ兩岸ニ於ケル水ノ高サ次第ニ減ジ一定ノ度ニ及ビテ水波ノ進行ト合シ岸ニ高波ヲ打チ上グル樣、見事ニシテ兩岸ニ打チ上ゲル小津浪ハ始終船ト同一ノ速度ヲ以テ進行シタリ、此ノ場合ニ於テハ船體水中ニ割リ入ル爲水波ヲ起コシ、彼ノ大津浪ニ際シテハ水先ヅ退キタル後ニ高浪ヲ來タス現象ヲ能ク現出シタリ
(三)津浪ハ海水ノ液体振子的振動ナリトスレバ波動ノ振幅ハ震原ニ近クシテ、津浪ノ勢非常ニ強キ海濱ニ於テハ最大波動ハ其ノ始メニ現ハル(即チ第二回目ノ下降動トナル)コト第三圖中甲(一)ノ如クナランガ震原地ヨリ遠距離ニ及ビテ津浪ノ勢力微震ナル海濱ニ於テハ津浪ハ最初微ナル波動ヲ來シ次第ニ振幅ノ大ナル波動ヲ呈スルコト甲(二)圖ノ如クナルベシ盖シ「バリスチック」振子、水平振子、普通振子等ガ外ヨリ働力ヲ受ケテ自己振動ヲ呈スルノ状況モ亦皆此ノ如クナリトス、乙(一,二)圖ニ示スハ本委員ガ實際東京帝國大學構内ニ於テ「バシウイツチ」氏水平振子ヲ以テ觀測シタル寫眞的記象ノ畧圖解ナリ
鮎川驗潮儀記録ニ就キテ實例ヲ示セバ明治三十年八月五日津浪ハ甲(一)圖ノ種類ニ屬シ、明治二十九年六月十五日大津浪モ同種類ニ近カシ、而シテ明治二十七年三月廿二日津浪ハ甲(二)ノ種類ニ屬ス」又明治二十九年六月十五日大津波ノ際、相模國三崎(油壺)ニ於ケル驗潮儀記録ハ(甲)二ノ種類ニ屬ス
(四)津浪ヲ起コセル地震ノ震原ヲ正確ニ定ムルハ地震學上要用ナリ依リテ以テ日本東方ノ海中ニ於ケル大地震、殊ニ其ノ中心ノ海底面下ノ深サガ淺キモノノ發起スル震原帶、即チ當地方ニ於ケル地殻ノ最弱個所ヲ知ルヲ得ベキナリ、此ノ事ニ關シテハ他日詳論スル所アルベシ一般ニ海中地震ノ震原地ノ定ムルハ頗ル難事ニシテ普通ノ場合ニハ本委員ガ甞テ地震ノ初期微動ニ關スル調査文(震災豫防調査會報告第二十九號)中ニ述ベタル任意觀測地ニ於ケル初期微動繼續時間ノ長サヨリ震原地ノ距離ヲ推定スルノ方法ニ依ルニアラズンバ他ニ道ナキナリ、之レ本委員ガ切ニ諸測候所ニ於テ地震觀測ヲ完全ニセンコトヲ望ム所以ノ一ナリトス、左表ニ第十三章ニ記述シタル五回津浪ノ震原ノ位置及ビ宮古(陸中國)、鮎川ニ於ケル津浪到着ノ時刻ニ關スル事實ヲ載ス
上表中震原ノ位置ハ二十七年三月廿二日地震ノ塲合ニハ余ガ實地踏査シタル結果ニ基キ震動ノ方向ヨリ推定シ、二十九年六月十五日地震ニ就キテハ今村、伊木兩理學士研究ノ結果ヲ折中シタルモノヲ用井、三十年八月五日及ビ三十一年四月廿三日兩地震ニ關シテハ初期微動ノ方法ニ依リタリ、獨ダ三十年二月廿日ノ地震ノミハ他ニ道ナカリシニ依リ震動區域圖ヨル判定シタルモノトス」表ノ(f)行ニ與フル時間ハ宮古ニ於ケル發震時ト津浪ノ始マリタル時刻トノ差ニシテ、二十七年三月廿二日及ビ二十九年六月十五日ノ兩度ニ於テハ海水ハ始メ(宮古ニテハ)減退シタル由ナレバ若シ地震後ヨリ始メテ增水シタル迄ノ時間ヲ得ント欲セバ宮古ニ於ケル津浪振動期ノ二分一、即チ約七八分ヲ(f)行ニ與ヘタル時間ニ加フベシ(宮古測候所ノ三陸大津浪報告ヨリ判スレバ當時津浪ノ振動期ハ約十四五分ナリシガ如シ)、三十年八月五日津浪ハ增水ヲ以テ始メタルナリトゾ」(g)行ニ與フル時間ハ鮎川驗潮儀記録ヨリ津浪ノ始マリタル時刻ヲ算出シ、之レト同驗潮儀監守者ノ旬報中ニ記ルセル地震ノ發震時刻トヲ對照シテ定メタル時差ナルガ、爰ニ假定セル如ク監守者ノ時計ハ必ズ驗潮儀ノ時辰儀ト相一致スル時ヲ示スモノナルヤハ疑ハシケレバ(g)行中ノ時間ハ頗ル信ヲ置キ能ハザルモノトス」(f)行カ與フル宮古ニ於ケル地震ト津浪トノ時差ニ關スル結果ハ海ノ深サト津浪傳達ノ速度トヲ調査スルノ材料トナルベシト思ハル

十五〔任意ノ港彎ニ於ケル津浪ノ振動期ハ津浪ノ原因ガ海中ノ地震ナルト暴風雨ノ爲ナルトニ關セズ同一ナルベキコト、又津浪ノ振動期ハ平時ニ存在スル海水振動ノ振動期ト同一ナルベキコト〕
此ハ余ガ第九章ニ與ヘタル津浪ノ定義ニ依リテ直チニ明カナル所ナリ、又暴風雨ガ津浪ヲ起コスコトハ敢テ稀ナラザル現象ナルコトモ人ノ知ル所ニシテ故小鹿島果君編日本災異誌中津浪ノ部ニモ數多ノ例アリ
近年ノ最大津浪タル三陸大津浪 及ビ暴風雨ノ爲ニ起レル昨明治三十二年十月七日田子浦津浪ニ關シテハ後ニ詳説スベキガ(第三編及ビ第四編)、次ニ左ノ如キ陸前國鮎川及ビ相模國三浦三崎ニ於ケル驗潮儀記録ニ就キテ順次ニ記述スベシ
○鮎川(參謀本部驗潮儀)
一,明治二十七年三月三日及ビ四日    (平時)
二,明治三十年八月三日及ビ四日     (平時)
三,明治三十一年四月廿一日及ビ廿二日  (強風)
四,明治三十二年九月六日及ビ七日    (平時)
五,摘要
○三崎油壺(同上)
六,明治二十九年六月十五日大津浪
七,明治三十二年八月廿八日及ビ廿九日(西國暴風雨)
○三崎舊臨海實驗所構内(理科大學驗潮儀)
八、明治二十四年十二月三日ヨリ五日迄、竝ニ明治二十五年二月三日ヨリ五日迄
九,摘要
○日向國細島
十,明治三十二年十一月廿五日及ビ廿六日(廿五日強震アリ)
十一,結論
爰ニ引用シタル(一)乃至(四)、(六)乃至(八)ノ驗潮儀記録ハ別ニ理由アリテ特ニ擇ミ出タシタルニアラズシテ、單ニ地震津浪ノ調査ヲナセル序デニ調ベ出シタルモノ多シトス、括弧内ニ平時ト記ルスハ暴風雨、地震等無キ日ニ於ケル驗潮儀記録ナリト知ルベシ」又次ノ記述中ニ掲グル各當該日ノ天氣概况ハ中央氣象臺天氣圖ヨリ轉載セリ
鮎川
(一)明治二十七年三月三日(平時) 第十六圖(乙)ニ三日午前零時ヨリ同日午後十二時迄ノ驗潮儀記録ヲ示ス
三日ノ天氣概况ハ左ノ如シ
(午前六時) 低氣壓ハ急速ニ太平洋ニ經過シ去リテ銚子(七百五十三粍)ノ沖合ニアリ而テ其高部位七百五十八粍ハ全極北部ヲ掩ヘリ」晴雨計ハ南東部ニ急降シ朝鮮海峽ニ於テモ其下降 夥シトス、過半北乃至東方ノ風吹キ雨勝ナレトモ北海道ハ一部晴天ナリ(石巻ニ於テハ東ノ和風吹ク)
(午後二時) 一個ノ低氣壓(七百五十粍)ノ部位ハ再ヒ境ノ沖合ニ現出シ沼津(七百五十粍)ノ沖合ニ於ケル他ノ一ハ僅ニ深厚トナレリ而シテ最高晴雨計示度ハ北海道ノ北部(七百五十五乃至七百五十六粍)ヲ通ジテ擴張セリ極西部ハ西方ノ風、其他ハ北乃至東方ノ風吹キ、全國雨勝且本州ノ北部ハ少雪降レリ(石ノ巻ニ於テハ東北ノ和風吹ク)
(午後十時) 最低氣壓七百四十九粍ハ沼津近傍ニアリテ全東海岸ハ晴雨計下降シタレドモ西部ニ上昇シテ九州ノ西部ハ七百五十八粍ヲ報ゼリ、西部ハ西方ノ風、東部ハ東方ノ風吹キ雨勝(金澤ニ十八粍)ノ天氣ナリ(石ノ巻ニ於テハ東北ノ和風吹ク)
驗潮儀 此ハ北海道大地震ヨリ約二十日前ニシテ三日ノ午前零時ヨリ午後十二時迄ノ間ニ於テハ緩波動頗ル著シク現ハル其振動期及ビ振幅ヲ計ルニ左ノ如シ(緩波動及ビ急波動ナル語ハ第十三章ト同一ノ意義ヲ有ス)
三日午前零時ト六時ノ間最大波ノ全振幅ハ十「センチメートル」ニシテ平均振動期ハ二十四分ナリ」、同日正午ト午後六時トノ間 最大波ノ全振幅ハ二十「センチメートル」ニシテ平均振動期ハ二十四、五分ナリ」同日午後六時ト夜半トノ間 最大波ノ全振幅ハ十八「センチメートル」ニシテ平均振動期ハ二十三、二分ナリ」此等ヲ凡テ平均スレバ緩波動ノ振動期ハ二十三、九分トナル
急波動ハ頗ル錯雜スレドモ三日ノ午後三時ト七時トノ間ノ如キハ判然認ムルヲ得ベシ、其最大波動ノ全振幅ハ十五「センチメートル」ニシテ平均振動期七、二分ナリ尚此ノ外ニ一層短ナル小波動アリ
(二)明治三十年八月三日及ビ四日(平時)
三日及ビ四日ノ天氣概况ハ左ノ如シ
(三日午後二時) 淺薄ナル低氣壓ハ北部ヲ通過シツゝアリテ其最低示度七百五十四粍ハ宮古ヨリ札幌ニ擴張セリ」西部及ビ中部ハ南ノ風吹キ過半晴天ナレトモ北部ハ雨天ニシテ秋田ハ前八時間ニ四十二粍ノ量アリ(石巻ニ於テハ本日午前六時ニハ無風、午後二時ニハ南西ノ強風吹キ、午後十時ニハ無風ナリ)
(四日午後二時) 全國南ノ風吹キ過半晴天ニシテ暑氣強ク北部ニ少雨降レリ晴雨計ハ甲府近傍ニ於ケル七百五十三粍ヨリ朝鮮南北ニ於ケル七百六十粍ノ間ニアリ(石巻ニ於テハ本日午前六時ニハ無風、午後二時ニハ東ノ和風吹キ、午後十時ニハ無風ナリキ)
此ハ彼ノ小津浪ヲ起コシタル強震ノ直グ前ニ當ル日ナレドモ別ニ其ノ爲ニ異状ヲ呈シタルニハアラザルベシ
驗潮儀 緩波動平均振動期ヲ四日午前十時ト午後六時トノ間ニ於テ計算(二十回ノ波動アリ)シタルニ二十四分トナル
又急波動ノ振動期ヲ計算セルニ左ノ如シ
三日正午ト午後六時トノ間ニ五十回半ノ波動アリテ平均振動期七,一分トナル」同日午後六時ト夜半トノ間ニ五十一回ノ波動アリテ平均振動期七、一分トナル」四日午前零時ト六時トノ間ニ五十二回半ノ波動アリテ平均振動期六,九分トナル」、同日午前六時ト正午トノ間ニ四十九回ノ波動アリテ平均振動期七,三分トナル」同日正午ト午後六時トノ間ニ四十八回ノ波動アリテ平均振動期七,五分トナル」此等ノ計算ヲ凡テ平均スレバ急波動ノ振動期ハ七,二分トナル、但シ此ノ外ニ一層小ナル波動ノ痕跡アリ
(三)明治三十一年四月廿一日及ビ廿二日(強風) 第十六(甲)圖ニ廿一日正午ヨリ廿二日正午迄ノ驗潮儀記録ヲ與フ」此ハ四月廿三日強震ノ直グ前日ニ當レルモノナルガ寧ロ著シキ津浪ヲ示スヲ見ルベシ
廿一日及ビ廿二日ノ天氣概况左ノ如シ
(廿一日午後二時)低氣壓ハ日本海南部ヨリ西、北西海岸ヲ沿フテ進行セリ即チ晴雨計ハ南東及ビ東海岸ニ下降シタレドモ其他ハ著シク上昇シテ釜山ニ於ケル七百六十六粍ヨリ南東部ニ於ケル七百五十三粍ノ間ニアリ」全國北又ハ西ノ風ニシテ南東部及ビ根室ハ南ノ風吹キ西部ハ晴天ナレドモ其他ハ雨降レリ(石巻ニ於テハ本日午前六時ニハ無風、午後二時ニハ無風、午後十時ニハ北西北ノ烈風吹ケリ)
(廿二日午後二時)氣壓ハ一般ニ上昇ヲ呈シ最高度ハ朝鮮及ビ日本海南部ヲ覆ヒ七百六十九粍、最低ハ根室沖ニ七百五十四粍ヲ示セリ、全國北又ハ西ノ風吹キ過半晴天ナリ(石巻ニ於テハ本日午前六時ニハ無風、午後二時ニハ北西北ノ烈風吹ケリ)
驗潮儀 廿一日及ビ廿二日トモ格別ニ風強カリシカバ(地震ハ無カリシ)此ノ津浪ハ全ク風ノ爲ニ起リシニ相違ナシ、但シ津浪ハ何時ヨリ始マリシヤハ此ノ場合ニハ判明ナラザレドモ急波動ハ二十一日午後三時半頃ヨリ少シク增大シ、同日午後八時五十三分ニ至リテ緩波動稍々著シクナレリ、而シテ其初動ハ上昇動ナリキ、次ギテ午後十時三十二分ニ至リテ二回ノ判然タル急波動アリシガ其二回目ノ全振幅ハ二十五「センチメートル」ナリ、午後十一時十三分ヨリ大ニシテ判明ナル急波動現ハル其ノ初メノ十六回ノ波動ハ特ニ顯著ニシテ平均振動期七,七分トナル其ノ中ニテ最大ナル波動ノ全振幅ハ六十「センチメートル」ニシテ二十一日夜半ニ現ハル但シ全津浪中ノ最大波動ノ全振幅ハ七十四「センチメートル」ノ上昇動ニシテ二十二日ノ午前二時二十九分ニ至リテ現ハレタリ」前記十六回ノ波動ニ次ギテハ緩波動稍々判明トナル其ノ平均振動期(二十七回ノ振動ヨリ計算ス)ハ二十二、四分ナリ
此ノ小津浪ハ二十二日強震ガ發セル頃迄多少持續セリ
(四)明治三十二年九月六日及ビ七日(平時)第十七圖ニ六日午前六時ヨリ七日夜半過迄ノ驗潮儀記録ヲ與フ
六日及ビ七日ノ天氣概况左ノ如シ
(六日午後二時) 晴雨計ハ本州北部ヲ除ク外各地ニ稍々連降シテ其示度ハ大島近傍ニ最低七百五十八粍、本州北部ハ最高七百六十四粍ヲ示セリ」全國北ノ風吹キ曇天且ツ冷氣ニシテ西海岸ハ雨降レリ(本日石巻ニ於テハ午前六時ニハ無風、午後二時ニハ北ノ疾風吹キ、午後十時ニハ無風ナリ)
(七日午後二時) 晴雨計ハ中部ノ數ケ所ヲ除ク外下降シツゝアリテ殊ニ極南部ハ著シク即チ九州南部ノ沖合ニ低氣壓ノ現出ヲ示シツゝアリ」西部ハ北乃至東ノ風、東部ハ區々ノ風吹キ全國過半曇天又ハ雨天ニシテ中部ノ各地ヨリ大雨ヲ報セリ(本日石ノ巻ニ於テハ午前六時ニハ無風、午後二時ニハ北西ノ和風吹キ、午後十時ニハ無風ナリ)
驗潮儀 六日ノ午前八時頃ヨリ午後六時頃迄ノ間ハ緩波動ノ存在判明ナリ其ノ最大波動ノ全振幅ハ十四「センチメートル」ニシテ平均振動期ハ二十三、二分ナリ(三十一回ノ波動ヨリ計算ス)
七日正午頃ヨリ頗ル顯著ナル緩波動現ハル其ノ最大波動ノ全振幅ハ三十三「センチメートル」ニシテ平均振動期ハ二十二,八分ナリ (三十一回ノ波動ヨリ計算ス)此等ヲ凡テ平均スレバ振動期ハ二十三分トナル、勿論緩動ノ上ニ急波動ヲモ交ヘタリ
(五)〔鮎川觀測摘要〕本章(一)ヨリ(四)迄ニ記ルシタル鮎川ニ於ケル波動ノ平均振動期ヲ左表ニ列記ス
即チ四回ノ非地震的ノ海水波ノ總平均振動期ハ二十三、三分ト七、四分ニシテ之ヲ第十四章ニ與ヘタル五回ノ地震ニ伴ヘル津浪ノ振動期ト比較スレバ兩者ノ實際同一ナルヲ見ルベシ
三崎油壺(參謀本部驗潮儀)
(六)明治二十九年六月十五日三陸大津浪(三崎油壺ニ於ケル當日ノ驗潮儀記録ハ既ニ參謀本部ニ於テ出版セラレ、今村理學士モ本會報第二十九號中ニ與ヘラレタレバ爰ニハ畧ス)
津浪ノ始マル前、即チ平時ニ於ケル波動ヲ調ブル爲ニ、十六日正午ヨリ午後八時四十分迄ノ間ニ於テ三十回ノ波動ニ就キテ平均振動期ヲ計算シタルニ十五、一分トナレリ
津浪ノ始メハ何時ニアリシヤハ驗潮儀記録ニ依ルモ判明ナラザレドモ十五日午後八時三十分頃ヨリ次第ニ津浪トナルガ如シ但シ此ノ時刻ヨリ十六日午前三時迄ハ波動小ニシテ最大波ノ全振幅七「センチメートル」ニ過ギザリキ、其ノ間ニ二十五回ノ波動アリテ平均振動期十五、二分トナル」十六日午前三時ニ至リテ突然波動ノ增大ヲ呈シ(其状恰モ地震ニ於テ初期微動後ニ主要動ヲ來タスガ如シ)全振幅十「センチメートル」ニ達ス、此後同日午後三時頃ニ至ル迄デハ波動ノ振幅ニ格別ノ增減ナク、即チ殊ニ顯著ニシテ主要波動或ハ最大波動ト稱スベキモノハ存セザルナリ、爾後次第ニ少シヅヽ波勢ハ弱マリタルガ數日間ハ全ク平常ノ有樣ニ歸セザリシナリ」十六日午前三時ト正午ノ間ニハ三十七回ノ波動アリテ平均振動期十四,八分トナル、又十六日正午ト同日午後十二時トノ間ニ四十八回半ノ波動アリテ平均振動期十四、九分トナル」此等ノ計算ヲ凡テ平均スレバ津浪ノ振動期ハ十五分トナル
油壺ニ於ケル津浪ハ一種ノ非常ニ規則正シキ振動ヨリ成リテ鮎川ニ於ケル如ク數種ノ波動ヲ混ゼザルガ如シ、尤モ此ノ場合ノミニ限ラズ 三崎驗潮儀記録ハ常ニ此ノ性質ヲ有スルモノトス(但シ微小ノ波動ヲ混ズルコトモアリ)
(七)明治三十二年八月廿八日、廿九日、卅日(西國暴風雨)八月廿八日及ビ廿九日ノ天氣概况左ノ如シ
(廿八日午後二時) 一個ノ深厚ナル低氣壓ハ今朝大島ニ接近シテ北東方ニ進ムモノヽ如シ而シテ晴雨計ハ九州ニ甚速ニ下降シツヽ、北東部ニ上昇シツヽアリテ九州ノ南部ハ七百四十七粍銚子ハ七百六十粍ヲ報ゼリ極西部及ビ北部ハ北ノ風其他ハ南ノ風吹キ西部ハ過半雨天ナレドモ中部及ビ東部ハ曇天ナリ(本日石巻ニ於テハ午前六時ニハ無風、午後二時ニハ南ノ強風吹キ、午後十時ニハ南ノ烈風吹ケリ)
(廿九日午後二時) 低氣壓ノ中心ハ北東方ニ急進シテ多度津(七百二十四粍)岡山(七百三十四粍)近傍ヲ經テ昨夜中ニ日本海ヲ通過セリ而シテ晴雨計ハ西部及ビ中部ニ上昇シ北海道ノ東部ニ著ク下降セリ」東部ハ南ノ強風乃至烈風吹キ金澤近傍ハ強雨降リタレドモ西部ハ晴天ナリ(本日石巻ニ於テハ午前六時ニ南ノ強風吹キ、午後二時ニハ南ノ颶風吹キ、午後十時ニハ無風ナリ)
(卅日午後二時)  晴雨計ハ各地共上昇シテ平年ニ比スレバ大ニ高度(七百五十七乃至七百六十二粍)ヲ示セリ」全國區々ノ風吹キ過半曇天ニシテ極西部ハ晴天、南東海岸ハ少雨降レリ(本日石巻ニ於テハ午前六時ハ無風、午後二時ハ南ノ軟風吹キ午後十時ニハ無風ナリ)
驗潮儀記録 廿九日午前六時頃迄ハ規則正シキ(細波ヲ混ゼザル)波動ヨリ成ル、其ノ震動期ハ左ノ如シ
二十八日午前六時ト正午トノ間   平均震動期十四,二分
同日正午ト午後六時トノ間     十五,一分
同日午後六時ト夜半トノ間     十五分
二十九日午前零時ト六時トノ間   十五、三分
此後ハ暴風雨ノ影響ナリト思シク波動ハ小波動ヲ混ズルニ至レリ其震動期ハ左ノ如シ
二十九日午前六時ト正午トノ間 最大波動ノ全振幅ハ十「センチメートル」ニシテ其平均振動期ハ十四、四分ナリ、此ノ上ニ平均振動期三分ノ小波動ヲ混ズ
同日正午ト午後六時トノ間 最大波動ノ全振幅ハ十一「センチメートル」ニシテ其ノ平均振動期ハ十五,三分ナリ、此ノ上ニ平均振動期三分ノ小波動ヲ混ズ
同日午後六時ト夜半トノ間  平均振動期十四、五分ニシテ尚ホ多少小波動ヲ混ゼリ
此ノ以後ニ於ケル波動ハ再ビ殆ド全ク規則正シクシテ、小波動ヲ混ゼザルニ至ル、三十日ニ於ケル波動ノ平均振動期ハ左ノ如シ
                 平均振動期
三十日午前零時ト六時トノ間    十四,八分
同日午前六時ト正午トノ間     十六、一分
同日正午ト午後六時トノ間     十五分
同日午後六時ト夜半トノ間     十四、四分
以上二十八日ヨリ卅日迄ノ波動ノ振動期ヲ凡テ平均スレバ十五,〇分トナル、又其上ニ混ジタル小波動ノ平均振動期ハ三分ナリ
三崎(理科大學驗潮儀) 
(八)甞テ明治二十四五年ノ頃理科大學地震學棏コノ事業トシテ相模國三浦郡三崎町舊動物學臨海實驗所構内ニ於テ驗潮儀ノ觀測ヲ施行セラレタルコトアリキ、其ノ驗潮儀ハ 少シク參謀本部ノ器械ト異リ畧式ニシテ水平ノ圓筒上ニ纏フタル白紙ニ記録ヲ與フルモノナリ、爰ニ此ノ驗潮儀記録ヨリ随意ニ左ノ(甲)、(乙)二個ノ塲合ヲ例トシテ取ルベシ
(甲)明治二十四年十二月三日ヨリ五日ニ至ル 驗潮儀記録ハ規則正シキ波動ヲ示ス、其ノ平均振動期ハ十三、八分トナル(百十二回ノ波動ヨリ計算ス)
(乙)明治二十五年二月三日ヨリ五日ニ至ル 波動ハ同ジク規則正シクシテ、其ノ平均振動期ハ十五、六分トナル(六十七回ノ波動ヨリ計算ス)
更ニ(甲)ト(乙)トヲ平均スレバ波動ノ振動期ハ十四、七分トナル
(九)〔三崎觀測摘要〕 本章第(六)ニ記ルシタル三崎油壺ニ於ケル地震津浪竝ニ津浪前ノ平時ニ於ケル波動ノ平均振動期ハ十五,〇分ニシテ第(七)ニ記ルシタル暴風雨ノ際ニ起レル海水波動ノ振動期モ又十五、〇分ナリ此ハ參謀本部驗潮儀ノ記録ニ依レルモノナリトス、更ニ第(八)ニ記ルセル理科大學驗潮儀記録ノ例ニ依レバ海水波動ノ振動期ハ十四,七分トナリテ參謀本部驗潮儀記録ヨリ得タル結果ト實際殆ド同一ナリ故ニ三崎ニ於ケル海水波動ノ振動期ハ十五分ナリト知ルベシ(尚後章田子浦津浪ノ場合ヲ參照スベシ)而シテ參謀本部ト理科大學ノ兩驗潮儀ハ共ニ三崎ニアリシカドモ、其ノ据ヘ付ケ塲所ハ全ク同一ニハアラズ、且ツ器械ノ構造ガ少シク互ニ相異ナリシニモ關セズ同一ノ結果ヲ與フルヲ見レバ十五分ナル
海水振動ノ振動期ハ三崎附近ニ於テ眞ニ存在スルモノニシテ、器械自己ノ振動等ニ依ルニアラザルコトハ明白ナリトス、從テ第十三章及ビ本章(一)ヨリ(四)迄鮎川ノ驗潮儀記録ガ與フル振動期モ敢テ器械ノ構造等ニ依リテ支配セラルヽモノニアラザルコト推知セラルベキナリ
(十)日向國細島 (參謀本部驗潮儀)  明治三十二年十一月廿五日及ビ廿六日(廿五日ニ九州激震アリ)
十一月廿五日及ビ廿六日ノ天氣概况左ノ如シ
(廿五日午後二時) 晴雨計ハ全國概ネ下降シテ其較差ハ僅少(七百六十四乃至七百六十粍)ナリ」全國區々ノ風吹キ東部及ビ西部ハ過半晴天ナレドモ中部ハ雨天ナリ
(廿六日午後二時) 氣壓ノ低部位(七百五十四粍)ハ南東海岸ニ發育シ高部位(七百六十五粍)ハ極西部ニ波及セリ」全國北又ハ西ノ風吹キ過半曇天ニシテ東部ハ所ニヨリ雨又ハ雪降リ西部ハ一部晴天ナリ
廿五日午前三時四十分過ギ大分、宮崎附近ニ激震アリ爲ニ潰レ家數軒ヲ生ズルニ至レリ當時諸測候所ニ於ケル地震觀測左ノ如シ
十一月二十五日地震觀測表
        時  分  秒
大  分 午前 三、四十三 四   強、 性質急、家屋破損シ續震アリ
熊  本    三、四十三、廿九  強、 性質急、上下動アリ家屋動揺ス
佐  賀    三、四十六、十二  強、 (時刻不正)
宮  崎    三、四十三、四   強  (震度弱キ方)障壁龜裂ス續震アリ
鹿兒島     三、四十三、廿一  強、 (同上)家屋動揺ス
松  山    三、四十二、十二  弱、 (時刻不正)
長  崎    三、四十四、三十三 弱、 性質急、家屋動揺ス
大  阪    三、四十五、十七  弱、 震動時間長シ
福  岡    三、四十八、五十  弱、 上下動アリ家屋動揺ス
大  島    三、四十一、〇   弱、 (震度弱キ方)家屋動揺ス
廣  島    三、四十二、二十  弱、 (同上)
軏  田    三、四十九、二十  微、 (時刻不正)
高  知    三、四十五、三十八 微、   
東  京    三、四十八、四十一 微、 
水  戸    三、四十三、二十  微、
尚ホ約十分後チニ強震一回アリ其ノ觀測左ノ如シ
同日(第二回目地震)
        時  分    秒
大  分 午前 三、五十五   七   強、 性質急、家屋動揺ス
佐  賀    三、五十六、  十八  強、 (時刻不正)
熊  本    三、五十四、  十   強、 (弱キ方)性質急、上下動アリ
福  岡    三、五十、   四十三 弱、 上下動アリ、家屋動揺ス
鹿兒島     三、五十五、  〇   弱、 家屋動揺ス
大  阪    三、五十六、  五十二 弱、 震動時間長シ
廣  島    三、五十四、  十   微、 上下動アリ
長  崎    三、五十五、  十   微、 家屋動揺ス
驗潮儀記録 第十八圖ニ細島ニ於ケル明治三十二年十一月廿四日正午頃ヨリ廿六日午後十二時迄ノ驗潮儀記録ヲ示ス」驗潮儀ノ原紙ニハ「二十五日午前三時四十分頃激震アリ同四時頃震動其際駐止ス」トアリ圖ニ依リテ計算スレバ時辰機ノ止駐セルハ午前三時五十六分(驗潮儀ノ時刻ニテ)ナリ其ヨリ約四時間ヲ經午前七時五十八分(同上)ニ至リテ驗潮儀ハ再ビ完全ニ記録ヲ始メタルガ海水ノ波動ハ整然タル振動ヲ呈シ、而シテ其ノ振幅頗ル大ニシテ廿四日(即チ時辰機ノ停止前)ニ於ケル平時ノ波動トハ寧ロ著シク異ナレバ地震ノ爲ニ起レル津浪ト見做スベキモノナラント考ヘラル、波動ノ著大ナルハ上記午前七時五十八分ヨリ午後一時頃迄ノ間ニシテ(其ノ以前、即チ激震ノ直後ニ於ケル波動ハ一層大ナリシナラント思ハルレドモ機械停止ノ爲記録ヲ欠ケバ知ルコト能ハザルナリ)最大波動ノ全振幅ハ三十二「センチメートル」ニ及ビ、平均振動期ハ十九、七分ナリ、午後一時ヨリ以後ニ於ケル海水ノ波動ハ平均振動期十九、五分ノ波動ノ上ニ平均振動期約四分半ノ小波動ヲ重ネタルモノニシテ兩種ノ波動交々タル著シク現ハル」津浪ノ何時ニ至リテ終リタルヤハ區別スルコト能ハザレドモ海水ノ波動ハ廿六日夕刻ニ至リテハ粗ボ地震前ト同一樣ノ状况ニ歸シタリ
廿六日午前六時ト午後六時トノ間ニ於テ振動期ヲ計算スルニ左ノ如シ
平均振動期十九分 此ノ上ニ平均振動期約四,二分ノ小波動ヲ混ズ
更ニ激震前、即チ廿四日正午ヨリ激震ノ起レル頃迄ノ間ニ於ケル海水ノ状況ヲ見ルニ最大波動ノ全振幅ハ七,五「センチメートル」 ニシテ其ノ平均振動期ハ十九分ナリ又此ノ上ニ平均振動期約四,八分ノ小波動ヲ混ズ
上記セル所ニ依リテ見レバ細嶋ニ於ケル海水ノ波動ハ主ナルモノ二種アリ、即チ平均振動期(總テ平均セル結果)十九、三分ニシテ、其ノ上ニ平均振動期約四,五分ノ小波動ヲ混ズルナリ、而シテ激震ノ爲ニ起コレルモノト、平時ニ存スル波動トノ間ニ振動期ノ差アルコトナシ
(十一)結論第十三章及ビ本章(竝ニ後ノ第三、四編)ニ記述シタル所ヲ通覽スレバ驗潮儀記録上ニ於テハ地震ノ爲ニ起レルト、暴風雨ノ爲ニ起レルトヲ問ハズ津浪ノ振動期ハ各場所ニ就キヲ常ニ不變ナリトス、而シテ更ニ一歩ヲ進メテ平時、即チ地震若クハ暴風雨ナキ時ニ於ケル海水ノ状體ヲ驗スルニ此レ亦絶エズ多少ノ振動現象ヲ呈シテ其ノ振動期ハ津浪ノ時ニ於ケルト少シモ異ナルコト無キヲ認ムベシ
此ノ如クナルヲ以テ普通ノ所謂「津浪」ト平時ニ於ケル海水ノ液體振子的振動トハ波動ノ性質上敢テ異ナル所ナキナリ、只ダ「津浪」ニ於テハ振幅著大ナルヲ以テ人ノ注意ヲ引クニ至ルモノトス」爰ニ論ジタルハ僅ニ鮎川、三崎、細島三ケ所ノ驗潮儀記録ニ就キテ調査シタル結果ナルガ、一般ニ同様ノ事實アルベシト思ハル、但シ驗潮儀記録ガ此等四ケ所ノ如ク比較的簡單ナラズシテ甚ダシク錯雜セル場合ニハ一見主要振動期ヲ判定スルコト困難ナルコトモ有リ得ベキナリ
驗潮儀記録ニ就キテ 以上記述シタル所、海水波動ノ振動期ニ關スル結果ハ專ラ驗潮儀記録ニノミ依リテ得タルモノナリ、而シテ注意スベキ事ハ尚ホ此ノ外ニ數種ノ波動アリテ驗潮儀記録ニ現ハレザルコト是ナリ、即チ驗潮儀ノ構造ハ振動期ノ短ナル小波動 (例之バ振動期一分以下ノモノ)ニハ感ゼザラシメタルモノナレバ此カル小波動ハ記録上ニ現ハレザルモノト知ルベシ

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三陸地震明治29年6月15日同30年2月20日、同年8月5日の比較表
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鮎川の地震に伴う津浪の平均振動期
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第二圖
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第三圖 津浪及び水平振子自己の振動図解
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五回津浪の震原の位置及び宮古、鮎川における津浪到着の時刻に関する表
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鮎川における波動の平均振動期表

第三編 明治廿九年六月十五日三陸津浪

十六〔被害〕此ハ近時我國ニ於ケル最激甚ノ津浪ニシテ陸前國吉濱ニ於テハ波ノ高サ實ニ八十呎(伊木理學士ノ調査ニ依ル) ニ及ビタリ、而シテ津浪ガ家屋ヲ破壞シ人命ヲ損害セルハ三陸東海岸ニ於テ、北ハ陸奧國尻矢崎附近ヨリ南ハ陸前國牡鹿半島迄殆ド百里ノ距離ニ亘リ單ニ住家ノミニ就キテ算スルモ流失家屋六千四十九戸、全潰五百三十七戸、合計七千六百八十六戸トナル(半潰、破損、若クハ浸水ニ止マルモノハ此ノ内ニ算入セズ)、死者ハ二萬一千九百九人、傷者ハ四千三百九十八人、行衛不明ノモノ四十四人ニ及ビタリ、因ニ記ルス去ル明治二十四年十月廿八日濃尾大地震ニ於テハ全潰セル住家ノ數ハ八萬ニシテ震死者ノ數ハ七千ナレバ此回ノ津浪ト濃尾大震トニ於ケル全潰家屋ト死者ノ比較ハ各一ト十、及ビ三ト一ノ割合ナリ、以テ津浪ノ災害、殊ニ人命ノ損失ガ如何ニ甚ダシキカヲ知ルベキナリ、總ジテ國後、根室、釧路、十勝、三陸、東海道、南海道、攝津、及ビ九州東部ノ海岸ニ於テ激震、強震、若クハ震動微弱ナレドモ緩慢ニシテ長時間繼續スル地震アレバ多少ノ津浪ヲ伴フコトモアルベケレバ、其都度海水ニ異状ノ有無ヲ注意スルコト必要ナルベシ、殊ニ比等ノ海岸ニ於ケル大地震ニ至リテハ其ノ半數ガ大津浪ヲ伴フモノナルコト既ニ第五章ニ述ベタルガ如シ

十七〔三陸大津浪ノ原因ニ就キテ〕一般ニ津浪ノ主ナル原因ハ(第一)海中地震、(第二)比較的徐々ナル海底面ノ斷層、陷落等、(第三)海中ニ於ケル懸崖崩壞、(第四)海中火山ノ爆發、(第五)暴風雨(風力ノミニ依ルトキト氣壓低下ニ依ルトキトノ 二ツノ場合アリ)等ナルベキガ今回三陸大津浪ノ原因ニ就キテハ既ニ諸先輩ノ説モアリ、伊木理學士ハ(第四)ノ海中火山ノ爆發ニ依レリトシ、今村理學士ハ(第二)ノ比較的徐々ナル海底面ノ斷層、陷落等ニ依レリトナスモノノ如シ、而シテ伊木理學士ノ海中火山爆發説ハ毫モ其ノ論基トナルベキ事實ナク、單ニ當時三陸沿岸ニ於ケル地震ノ震度ガ微弱ナリシト云フヲ以テ強テ津浪ノ原因ヲ意想外ナル火山爆發ニ求メタルモノヽ如ク見ユ、又今村理學士ノ比較的徐々ナル海底面ノ斷層、陷落説ハ同シク津浪前ニ於ケル地震ノ震度ガ三陸沿岸ニ於テ微弱ナリシヲ以テ大津浪ヲ起コスニ足ラズトシ 且ツ三崎、鮎川、花咲ニ於ケル津浪ノ振動期ハ十五分乃至七八分ニシテ此カル長サノ振動期ヲ海水ニ與フルニハ海底ガ同ジ位ノ時間ヲ費ヤシテ斷層、陷落等ヲ生ゼル結果ナルベシト云フニアリテ主トシテ津浪ノ振動期ニ就キテ立論シタレドモ、(本篇ニ詳述セル所ノ) 海水ノ常况、即チ其ノ平時ト雖トモ同一ノ振動期ヲ以テ振動ヲ呈シツヽアルノ事實ヲ全ク眼中ヨリ脱シタルモノナリ、要スルニ伊木理學士ノ津浪原因説ハ全ク非ニシテ、今村理學士ノ津浪原因説ハ其ノ然ル場合モアランガ、斯カル臆説ヲ假ルコトハ必要ナラズト思ハル」余ハ諸先輩ノ論ニ向ツテ好ンデ妄リニ攻撃ヲ加フルニハ非ズ、其ハ自己ノ意見ヲ披露シ、他人ノ論ヲ批評スルハ學者ノ義務ト信ズレバナリ、而シテ余ハ又爰ニ特ニ一事ヲ記ルシ置クノ義務アリ、他ナシ伊木、今村、兩理學士ガ率先シテ三陸大津浪ヲ調査セラレタル學問上ノ功績是ナリ
次ニ(第三)ノ海中懸崖ノ崩壞ハ希臘ニ於テハ時々アリテ、海底電線ヲ切斷スル由、フォルスター氏(Forster)ノ説日本地震學會英文報告書中ニ見エタルガ此ノ如キハ微々タル動作ニ止マリ、小ナル津浪ヲ伴フコトモアランガ、大ナル地震ト大ナル津浪トヲ起コスコト 無カル可ケレバ今回ノ三陸大津浪ノ場合ニハ適用スベカラズト考へラル」又(第五)ノ暴風雨原因説モ此ノ三陸大津浪ニハ關係ナキモノトス即チ當日ハ日本全体ビ少シモ暴風雨ノ微候無ク、靜穩ノ天氣ナリキ、左ニ中央氣象臺天氣圖ヨリ抄出スルガ如シ
明治二十九年六月十五日ノ天氣概况
(午前六時)  天氣ノ模樣ハ總テ同樣ニシテ別ニ記ルス程ノコトナシ
(午後二時)  全國雨勝ノ天氣ナレトモ西部ハ一部晴天ナリ
(午後十時)  氣壓及ビ温度ハ孰レモ大ニ平均度以上ヲ呈シ前者ハ網走ニ於ケル七百六十五粍ヨリ釜山ニ於ケル七百五十九粍ノ間ニアリ全國南ノ風吹キ、或ハ靜穩ニシテ陰晴相半ハシ雨降レル所アリ
此ノ如ク前ニ列記セル五條ノ津浪原因説ノ中ニテ(第二)(第三)(第四)、(第五)ノ四説ハ共ニ今回ノ三陸大津浪ヲ説明スルニ充分ナリト認ムル能ハズ、余ハ(第一)ノ海底地震説ヲ取リ、即チ今回ノ大津浪ノ原因ハ海底地震ニシテ其震原(中心點)ノ海底面下ヨリノ深サ甚ダ少ナルモノ、或ハ眞ニ海底面ニアリシモノナルベシト思フ」斯カル地震ガ大ナル津浪ヲ起コシ得ベキコトハ既ニ第九章ニ於テ述ベタル所ナレバ再ビ爰ニ繰返ヘサヾルベキガ、次ニ津浪ノ原因トナレル地震ニ就キテ記述スベシ

十八〔地震〕津浪ノ始メテ三陸海岸ニ達シタルハ午後八時十九分ニシテ地震ノ同海岸ニ於ケル發震時ハ約七時三十三、三分ナリ〔第十三章(二)參照〕
左ニ諸測候所ニ於ケル此ノ地震ニ關スル觀測ヲ載ス
明治二十九年六月十五日地震觀測
賴  森 午後 七時三十三分三十秒  弱 性質緩
福  島    七,三十四、 〇   微 性質緩
東  京    七,三十四、十四   弱 性質緩
根  室    七,三十四、二十   微 性質緩
函  遧    七,三十四、三十   弱
境       七,三十四、四十五  弱 性質緩
宇都宮     七,三十五、 〇   弱 性質緩
甲  府    七,三十六、二十一  微 性質緩
山  形    七,三十九、〇    微
宮  古    七,三十二、三〇   微
又附圖(第四圖)ニ震動區域及ビ各地方ニ於ケル震度ヲ示ス」
震央ノ位置、震動區域ノ大サ等ニ關シテハ既ニ第十一章ニ述ベタレバ參照スベシ
餘震 津浪地震ニ續キ起コレル餘震ノ數モ亦少カラズ左ニ六月十五日ヨリ同月三十一日迄ニ賴森、宮古ノ兩測候所ニ於ケル觀測ヲ列記ス
此ノ如ク六月十五日津浪地震ノ餘震數ハ六月卅日迄十五日間ニ賴森測候所ニ於テハ九十四回 (初回ノ地震ヲモ含有シテ)、宮古測候所ニ於テハ五十九回(同上)ナリ」注意   津浪ヲ起コセル地震、即チ初回地震ノ震原位置ハ東徑百四十四度、北緯三十九度十分(第十四章(四)參照)ニシテ賴森ト震原間ノ距離ハ約三百三十「キロメートル」、宮古ト震原間ノ距離ハ約百九十「キロメートル」ナリ然ルニ餘震ノ數ハ賴森ニ於ケル方、宮古ニ於ケルヨリモ多キハ宮古測候所ガ岩岬上ニ建設セラルヽヲ以テ一般ニ地震ニ感ズルコト弱キ爲ナルベシ(宮古ノ町ニ於テハ地震ヲ感ズレドモ測候所ニ於テ感ゼザルガ如キコトモアリトゾ)」此等ノ賴森及ビ宮古ニ於ケル餘震回數ハ震原地ヨリノ距離ノ遠キニ比シテ甚ダ夥シキモノトス左ニ 二三ノ個處ニ就キテ近時ノ大地震タル明治廿四年十月廿八日濃尾大震ノ餘震ト比較シテ示スベシ
上表ニ依レバ震央ヨリノ任意距離ニ對シテハ三陸地震ノ餘震ノ方、濃尾地震ノ餘震ヨリモ夥多ナルヲ認ムベシ、(此等ノ觀測ハ凡テ地震計ニ依レルモノナレバ頗ル正確ナリトス、石巻測候所ニ於テハ二十九年大津浪ノ當時ハ未ダ地震計ノ据ヘ付ケ無カリシヲ以テ 同測候所地震觀測ハ爰ニハ引用セズ)盖シ或ハ土質、地形、及ビ地質構造上ノ關係モ多少兩地震ノ場合トモニ有ルナルベキガ、六月十五日三陸地震ノ餘震數ハ濃尾地震ノ餘震數ヨリモ 多カリシト斷定スルハ誤ニアラザルベシ、而シテ一般ニ餘震數ノ多寡ハ初回大地震ノ大小ニ比例スルモノノ如ク見ユレバ以上ノ事實ヨリシテ此ノ三陸地震、即チ三陸大津浪ヲ起コシタル地震ハ濃尾大地震ヨリモ大ナルモノト推定セザルヲ得ザルナリ(第十一章庄内地震トノ比較ヲモ參照スベシ)」此ノ結論ハ單ニ餘震ノ回數ヨリ推定セルモノナルガ既ニ第十一章ニ與ヘタル如ク三陸地震ノ震動區域ノ長半徑ハ約六百「キロメートル」ニシテ濃尾地震ノ平均半徑ハ約五百二十「キロメートル」ナレバ震動面積ヨリ推スモ三陸地震ノ大サガ濃尾地震ノ大サニ劣ラザルベシト思ハルヽナリ、且ツ及三陸地震ノ震原ハ海中ニアリシヲ以テ震動區域ヲ正確ニ知ルコトハ甚ダ困難ニシテ、其ノ震動區域ノ長短半徑等ハ單ニ陸地上ニ於ケル等震線ノ形状ヨリ判定セルモノナルガ上記ノ六百「キロメートル」ナル長半徑ノ價値モ (次ニ述ブル如ク)際實ヨリ過小ナルベシト考ヘラル

十九〔六月十五日三陸地震(即チ大津浪ヲ起コセルモノ)ト近年三陸地方強震トノ比較〕爰ニ三陸大津浪ヲ起コセル六月十五日地震ト第十四章ニ引擧セル明治三十年二月廿日、同年八月五日竝ニ明治三十一年四月廿三日ノ四地震ヲ宮古、賴森、福島、石巻ニ於ケル餘震回數ニ就キテ相比較スベシ、但シ此等ノ四地震ハ何レモ三陸ノ海中ヨリ發起セシガ其ノ震央ノ位置ハ同一ニアラズシテ多少互ニ相距タリタルコトヲ記臆セザル可カラズ
前表ニ依レバ四回ノ地震中震原ヨリノ距離ノ割合ニ餘震回數ノ最多ナルハ明治二十九年六月十五日地震ナリトス、去レバ其ノ大サモ他ノ三回地震ヨリ大ナリト判定セザルヲ得ズ」第十三章ニ此等四回地震ノ震動區域ノ大サヲ與ヘタルガ以上ノ結果ニ依レバ六月十五日津浪地震ノ震動區域ノ大サハ同章ニ與ヘタルモノヨリモ實際ニ於テハ少シク尚ホ大ナリシナルベシ、從ツテ本篇ニハ六月十五日津浪地震ノ震原點ハ伊木、今村兩理學士研究ノ結果ヲ折中シテ東徑百四十四度、北緯三十九度十分トシタレドモ或ハ實際ニ於テ其震原地ハ今少シク海岸ヨリ遠カラザリシト疑ハル
以上記述セル如ク六月十五日地震ノ震動區域ノ大サ及ビ餘震回數ヨリ推スニ津浪ヲ起シタル地震ハ實ニ非常ノ大地震ニシテ敢テ微小ナルモノニアラザルコト明瞭ナルベシ、而シテ此ノ地震線ノ特殊ナル點ハ其ノ震原、即チ中心ガ直チニ海底面ニアリ、若クハ 海底面下極メテ 淺キ地殻中ニ存シタルベキコト之レナリ、
六月十五日地震ノ餘震ニ就キテ其ノ時トノ關係ヲ見ン爲ニ明治二十九年六月十五日午後八時(初回ノ地震ガ起リタルハ此ノ時刻ヨリ三十分以前ナリ)翌十六日午後八時迄二十四時間ヲ一日トシ、其レヨリ順次二十四時間ヲ一日ヅヽトナシ賴森、宮古兩地ニ於ケル餘震數ヲ數フレバ既ニ前ニ與ヘタル餘震表ヨリ左ノ結果ヲ得
上表ノ結果ハ曲線ヲ以テ第五圖ニ解説スル如ク、餘震回數(yトス) ト時(χトス)トノ關係ハ双曲線ヲ以テ示シ得ベキコト、他ノ大地震、即チ明治二十四年十月二十八日濃尾地震、同二十二年七月二十八日熊本地震、同二十六年九月七日鹿兒島地震、同二十七年三月二十二日北海道地震及ビ安政元年十一月五日大地震等ノ餘震ノ塲合ニ於ケルト同樣ナリ、明治二十九年六月十五日三陸津浪地震モ此等ノ諸地震ト同ジク盖シ地殻ノ斷層ガ原因ナルベシ、如何トナレバ以上ノ諸地震ハ火山ノ破裂ニ伴ヒタルモノニ アラザルハ 勿論ナリ、而シテ皆大地震ナレバ地ノ一部陷落等ノ爲ニ依レルニモ非ザルベケレバナリ、且ツ又明治三十一年八月十日及ビ十二日ノ福岡激震ノ塲合ニ徴スルニ地殻中ニ蒸氣、瓦斯等ガ急ニ浸入シテ裂罅ヲ生ジテ起コセル地震ノ餘震ハ一般ノ斷層地震ノ如ク双曲線ノ方則ニ從ハザルモノヽ如シ(震災豫防調査會報告第二號、第二十九號、第三十號又ビ第三十二號參照)
明治二十九年六月十五日地震及ビ其ノ餘震中ノ三回ハ歐羅巴ノ諸地方ニ於テモ水平振子、上下振子等ノ地震器械ニ依リテ觀測セラレタリ(震災豫防調査會報告第二十九號中遠地地震ニ關スル調査參照)
注意  前數條ニ列擧セル宮古、賴森…………等ニ於ケル明治二十九年六月十五日及ビ他ノ地震ノ餘震回數中ニハ眞ニ餘震ナラザルモノ、即チ平常ノ地震ヲモ含有スベケレドモ此等ハ比較的甚ダ小數ナレバ、敢テ其ノ爲ニ結果ニ格別ノ不都合ヲ來タスコトハアラズトス

二十〔驗潮儀記録〕明治二十九年六月十五日三陸大津浪ノ當日、本州東北海岸ナル(甲)花咲、(乙)鮎川、(丙)三崎、(丁)銚子ノ四ケ所ニ於ケル驗潮儀記録ノ概畧ヲ爰ニ記ルスベシ
以上四ケ所ノ中、銚子驗潮儀ノミハ土木監督署ニ屬シ他ハ凡テ參謀本部陸地測量部ニ屬スルモノナリ
(甲)花咲驗潮儀記録 (二分一縮圖ハ參謀本部ノ出版ニ係ル冊子及ヒ本會報告二十九號中ニアレバ爰ニハ略ス)津浪ハ十五日午後八時五十分頃三十五「センチメートル」ノ上昇動ヲ以テ始メ次テ九十六「センチメートル」ノ下降動ヲ呈シ爾後平均振動期約二十分ノ波動ノ上ニ平均振動期約七分ノ小波動ヲ混ジタルモノヲ示ス如クナリシガ、不幸ニシテ午後十時頃ヨリ驗潮儀ノ一部分ニ故障ヲ生ジタルヲ以テ翌日午前八時頃迄ハ觀測スルヲ得ザリキ、其ノ後ノ波動ヲ驗スルニ數種ノ波動相混ジテ頗ル錯雜スレドモ、就中左ノ長短二種ノ波動ハ著シク現ハル
(長振動期ノ波動)、六月十六日午前十一時同日午後四時ノ間ニ於テ計ルニ平均振動期十九分トナル」同日午後九時ト十七日午前三時ノ間ニ於テ計ルニ平均振動期十八分トナル」以上總テヲ平均スレバ振動期ハ十八分半トナル
(短振動期ノ波動) 六月十六日午前八時二十分頃ト午前十一時トノ間ニ於テ計ルニ平均振動期ハ六,三分トナル」六月十七日午前二時半ト午前五時トノ間ニ於テ計ルニ平均振動期六,五分トナル」同日午前八時ヨリ午前十時迄ノ間ニ於テ計ルニ平均振動期六,三分トナル」以上總テヲ平均スレバ振動期ハ六,四分トナル
尚ホ以上兩種ノ外ニ一層長キモノ、及ビ一層短カキ振動期モ存スル如クニ見ユレドモ判然セズ
(乙)鮎川驗潮儀記録  既ニ第十三章(二)ニ記述セリ
(丙)三崎(油壺)驗潮儀記録  既ニ第十五章(六)ニ記述セリ
(丁)銚子驗潮儀記録  第二十圖ニ銚子驗潮儀記録(原物大)
六月十五日正午ヨリ十七日午後十二時ニ至ル迄ノ分ヲ示ス、此ノ圖ノ原紙(寫シナリ)ハ近藤委員ガ本會ニ寄セラレタルモノニシテ 爰ニ録出スルノ便ヲ得タルハ同委員ニ向ツテ深ク謝スル所ナリ
驗潮儀記録ニ依レバ津浪ハ十五日午后八時十六分(時辰儀ノ差ヲ正タシタル結果ナリ、以下傚之)即チ圖中aト記ルス時刻ニ於テabナル二十六「センチメートル」ノ判然タル上昇動ヲ以テ始メ、次ギテbc ナル四十四「センチメートル」ノ下降動ヲ呈ス、其レヨリ十六日ノ午前二時頃迄ハ平均振動期十九分ノ緩波動ノ上ニ平均振動期六分ノ急波動ヲ混ジタルモノヨリ成ル、而シテ此ノ時期間ニ於テハ緩波動著大ニシテ(初回ノ波動abcモ緩波動ニ屬シ、其ノ最大動ナリ)急波動ハ寧ロ著ルシカラズトス、十六日午前二時ヨリ以後モ同ジク以上兩種ノ波動ヨリ成レドモ今回ハ急波動ノ方、寧ロ著大トナル、急波動ノ最大ナルモノノ中ニテ一回ハ午前二時二十三分ニ現ハレ其ノ全振幅ハ四十「センチメートル」ナリ、又他ノ一回ハ午前四時四十五分ニ現ハレ其ノ全振幅ハ四十一「センチメートル」ナリ」海水波動ノ最盛ナリシハ初發ヨリ十六日午前十時頃迄ニシテ此間ニハ勿論振幅ハ變化シタレドモ全体ニ於テ波動ノ強サハ先ヅ始終同樣ナルヲ認ムベシ其以後ノ波動ハ次第ニ衰ヘタルガ十七日夜半ニ及ブモ尚ホ未ダ全ク靜穩ノ有樣ニ復歸セザリキ」
緩波動及ビ及波動ノ平均振動期ヲ計算シタル結果左ノ如シ
(緩波動) 十五日午後八時十六分ト十六日午前四時トノ間ニ於テ計リタルニ平均振動期十九分トナル」十六日午前五時ト午後二時トノ間ニ於テ同ジク十九,三分トナル」十六日午後七時ト十七日午前八時トノ間ニ於テ同ジク十九,〇分トナル」以上ヲ總ベテ平均スレバ振動期ハ一九,一分トナル、」又津浪ノ始マリシ以前、即チ十五日午後四時四十分頃ヨリ午後八時頃迄ノ間ニ於テ平均振動期ヲ計リタルニ約二十一分トナル
(急波動) 十五日午後九時ト午後十一時半トノ間ニ於テ計リタルニ平均振動期六分トナル」十六日午前二時ト午前五時トノ間ニ於テ同ジク六,四分トナル」十六日午前六時ト午前十一時トノ間ニ於テ同ジク五,九分トナル」十六日午前十一時ト十七日午前七時トノ間ニ於テ同ジク五,九分トナル」以上ヲ總ベテ平均スレバ平均振動期ハ六,〇分トナル
〔摘要〕以上四ケ所ニ於ケル驗潮儀記録調査ノ摘要ヲ左ニ表示ス
前表中諸所ニ於ケル津浪ノ始マリタル時刻ハ驗潮儀記録ヨリ計リ出ダセルモノナレバ多少誤差アリト知ルベシ」津浪ノ波動ハ四ケ所中震原ニ最近ナル鮎川ニ於テハ微ナル下降動ヲ以テ始メ次ギテ著大ナル上昇動アリ、震原ヨリ遠キ花咲及ビ銚子ニ於テハ直チニ著大ナル上昇動ヲ以テ始ム、又震原ヨリ最遠ニシテ房總半島ノ影ニ當レル三崎油壺ニ於テハ津浪ハ極メテ徐々ニ始マリタレバ判然ト其ノ始點ヲ見定メ難キニ至ル之ヲ以テ推セバ(既ニ第十四章(三)ニ記ルセル如ク)非常ニ激烈ナル津浪、若クハ震原ニ近カキ海濱ニ於テハ、津浪ハ先ヅ海水ノ下降動ヲ以テ始ムベキガ、此ノ下降動ハ次ギノ上昇動ニ比較シテ微々タレバ、微弱ナル津浪、若クハ震原ヨリ遠方ノ海濱ニ於テハ初回ノ下降動ハ消滅スルニ至リ、即チ津浪ハ上昇動ヲ以テ始ムベキナリ」
一般ニ大津浪トナリテ海水ガ擾亂セラルヽトキハ兩三日間ハ容易ニ海水ハ平常ノ有樣ニ復歸セザルモノトス今回ノ大津浪ニ於テモ亦此クノ如クナリシガ、就中波動ノ盛ナリシハ十二時間、乃至十四時間ニ至レリ、 (地震動トノ比較)大地震ヲ地動計ヲ以テ觀測スレバ其ノ震動ノ繼續時間ハ時トシテハ四時間ニ亘ルコトアリ、地殻ノ如キモ既ニ此ノ如ク長時間振動ヲ保持スルヲ以テ見レバ海水ノ動揺ガ數日ノ長キニ繼續スルハ本ヨリ想像シ易キ所ナリトス」津浪波動ノ振動期ハ三崎油壺ニ於テハ十五分ナリ他ノ三ケ所ニ於テハ主トシテ長短二種アリテ相混ジテ現ハル、長キ振動期ハ十八分半乃至二十四分ニシテ、短カキ振動期ハ六分乃至七、一分ナリ但シ此等ノ振動期ハ各塲所ノ海水ニ固有ナルモノナレバ震央附近ニ於ケル海水ノ振動期ト同一ナリトハ 直チニ見做ス可カラザルモノナリ」四ケ所ノ内ニテ海水昇降ノ最大ナリシハ鮎川ニシテ二,四八「メートル」ニ及ビタルガ津浪ノ最激烈ナリシ海濱ニ於テハ勿論遙カニ之レヨリモ大ナリシナリ(伊木理學士報文參照)」最大波動若クハ著大波動ハ三ケ所ノ驗潮儀記録ニ依リテ見レバ(花咲ハ不明)直チニ津浪ノ最初ニ現レズシテ多少ノ時間ヲ經過シタル後ニ來ルモノトス、即チ鮎川ニ於テハ初發後約三時間ヲ經タル後ニ起リ、銚子ニ於テハ同ク約六時間ノ後、三崎油壺ニ於テハ同ジク約六時間半ヲ經タル後ニ起レリ、盖シ震原ニ近カキ海濱ニ於テハ津浪ハ直チニ最大波動ヲ以テ始ムルナランガ、震原ヨリ距離ノ增加スルニ從ヒ最初數時間ハ波動比較的ニ微小ナルコト恰モ地震動ノ塲合ニ於テ初期微動ト震原、觀測地間距離トノ關係ノ如キ觀アリ(勿論、原因ハ兩現象ニ於テ同ジカラザルベシ)
爰ニ當時北海道及ビ小笠原島ノ如キ震原ヨリ遠キ地方ニ於ケル三陸大津浪ノ報告ヲ畧記スベシ、但シ何レモ震災豫防調査會報告第十一號ヨリ抄出セウモノナリ、
日高國幌泉地方 六月十五日津浪ノ襲來、退却ハ各所一定ナラザレドモ概ネ同日午後八時三十分乃至九時三十分ニ始マリ同十一時三十分乃至翌日午前一時前後ニ終レリ云々
十勝國茂寄村海面沖合ニ於テ十五日遠雷ノ轟クガ如キ音響ト共ニ微震アリ、其振動ニ比シ地響長ク且ツ大ニシテ殆ド五分間ニ亘リ、同十一時俄然退潮數十尺ニ及ビ云々
函館ノ海濱ニテハ十五日午後十時頃ヨリ海水次第ニ增加シ十二時ヨリ翌午前一時頃ニ至リテハ平常ノ波打際ヨリ四十間モ陸上ヘ溢レ來レリ
室蘭ニテハ十六日午前四時頃天氣晴朗ナルニ係ラズ突然ト高浪押寄セ棧橋及ビ突堤トヲ洗ヒ去レリト云フ
小笠原島  父嶋二見港ニテハ六月十六日午前四時ヨリ潮水異状ヲ呈シ同五時ニ至リ非常ノ水量トナリ云々
以上五ケ所ニ於ケル津浪ノ始マリタル時刻ハ皆幾分ノ誤リアルベク、殊ニ小笠原嶋ノ如キニ至リテハ或ハ一二時間ノ誤差アルヤヲ知ラズト雖トモ今暫ク報告ノ儘ニ從ヒ震原地ニ於ケル發震時(十五日午後七時三十三分頃)ト津浪初發時刻トノ差ヲ左表中(甲)ニ示ス
(乙)ノ分ハ本章中ノ表ヨリ製セリ
此ノ如ク(甲)地方ノ觀測ニ依レバ(乙)地方、即チ驗潮儀觀測ニ依レルモノヨリモ震原地ニ於ケル地震ノ發震時刻ト津浪到達時刻トノ差(時間)ガ概シテ距離ノ割合ニ著シク過大ナルヲ見ルベシ、之レ盖シ震原地ヨリ遠キ所ニ至レバ津浪ハ直チニ最大波動ヲ以テ始メズシテ、始メノ數時間ハ振動微ナルコト恰モ三崎油壺驗潮儀記録ガ示ス如クニシテ而シテ初期ノ小ナル波動ハ人々ノ觀察ヲ脱スルガ爲ナルベシ

二十一〔津浪ノ方向ニ就キテ〕 津浪襲來ノ方向ハ洋中及ビ外ト開キナル海岸ニ於テハ殆ト其起原點ニ向ツテ集中スベシ、三陸大津浪ノ場合ニ於テハ伊木理學士ノ調査ニ依ルニ三陸東岸ニ於ケル諸所ニテノ津浪襲來ノ方向ハ粗ボ東徑百四十四度三十分、北緯三十九度ノ點ニ集中スト云フ去レバ此ノ津浪ヲ起コセル地震ノ震央ハ寧ロ非常ナル延長ヲ有セザリシトモ考ヘラルベシ
一般ニ津浪ガ屈曲シタル彎内ニ入リ込ムトキ、或ハ斜メニ半島、岬角等ヲ打ツトキハ津浪進行ノ方向ハ變化ヲ受クベシ
圖中ABCハ一ノ半島ニシテ津浪ハG矢ヲ以テ示ス方向ニ右ヨリ左ニ進行スト假定スレバCヨリ頂角B迄ハ進行ノ方向ニ勿論變化ナク、又DE線ヨリ以外モ變化ヲ來タスコト無カルベシ而シテ半島ノ左方ニ於テハBE線ヲ幾何學的境界トシテ其ノ以内ハ半島ノ蔭トナリテ津浪ガ直接ニ打チ込ムコトハ無カルベキモB點ノ附近ニ於ケル海水ノ動揺ガ更ニ中心トナリテEBAノ内方ニ波動ヲ送ルベシ即チBAナル海邊ニ於テハ波動ハBFナル方向ニ傳播スベシ換言スレバ港彎ノ凹入若クハ半島、岬角ノ突出スルガ爲ニ津浪ハ入射ノ方向ニ關セズシテ其ノ内側(直接ニ津浪衝撃ヲ受ケザル方面)ニ於テハ必ズ濱邊ニ並行シテ進行スベキナリ
次圖(第七圖)中0ヲ津浪ノ起點トスレバAB間ノ海邊ニ於テハ津浪襲來ノ方向ハ畧ボ0點ニ集合スベキガ(深サノ關係ヨリシテ多少差ヲ生ズベキコト故「マレツト」氏及ビ今村理學士ガ既ニ説カレタル所ナリ)甲地方ノ彎内ニ於テハ津浪ハ大體矢ヲ以テ示セル如キ道ヲ取リテ進退スベシ、又乙地方ノ如クBニ半島若クハ岬角アリテBB´ナル海岸ガ多少出入スルトキハBBヲ連結セル直線ノ方向ニ於テ津浪ハ進行スベキナリ」三陸大津浪ノ塲合ニ就キテ實例ヲ求ムレバ甲ハ陸中國宮古灣、乙ハ陸前國牡鹿半島ノ南西面ニ該當ス而シテ伊木理學士ノ調査文ニ依ルニ此等兩處ニ於ケル津浪ノ方向ハ實際圖ニ示ス如クナリキ

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地図 第四圖 明治廿九年六月十五日三陸地震図
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青森、宮古両測候所余震観測表
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明治廿四年十月廿八日濃尾大地震の余震と明治廿九年六月十五日三陸地震の余震比較表
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三陸強震余震回数の比較表
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第五圖 明治ニ九年六月十五日地震の余震グラフ
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青森、宮古両地における日々余震回数表
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明治廿九年六月十五日大津浪
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震源地における発震時と津浪発生時刻との差
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第六圖 津浪襲来の方向
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第七圖 津浪の起点と襲来の方向

第四編  明治三十二年十月七日田子浦津浪

二十二〔損害〕明治三十二年十月七日暴風雨アリテ殆ド全國ニ互リ就中駿河國田子浦ニ於テ著ルシキ津浪ヲ起コシテ數多ノ家屋ヲ洗ヒ去リ、人命ヲ損ヒ、潤川ノ川口ヲ閉塞シテ鈴川停車塲附近ヲ一時湖水ノ如クナラシメタリ、今被害ノ概要ヲ擧グレバ左ノ如シ
(官報ヨリ抄出ス)
暴風雨被害 東京府外九縣ヨリ暴風雨被害ノ状况左ノ如ク報告アリ
東京府 東京市内ニ於ケル本月七日暴風雨被害ノ概况左ノ如シ
(同日附警視廳)
       人      負傷            三
              行衛不明          一
       家屋全潰   住屋            二七
              非住居           四八
       同  半潰  同             七
              同             四三
       同  破損  同             一,八〇四
              同             一五八
       同  浸水  床上
              床下
       電燈電話線  顛倒         二六
       及報知機   切斷         三三〇
       道路破損            二,六一九
       墻塀破損            一,六九八
       崖及土手崩壞              八
       石垣崩壞                二
       堤防崩壞                九
       橋梁破損                四
                 
神奈川縣 昨日七日暴風雨ノタメ小田原ニ潰家一,浸水家屋二十、死者二,大磯ニ家屋破壞四,死者二、負傷者四、漁船難破一,乘組員二,行衛不明、葉山村ニ家屋破壞三,厚木ニ浸水家屋三百餘其他縣内多少被害アル見込 一昨八日午前九時四十二分神奈川縣發 
埼玉縣  今七日午後三時ヨリ暴風雨アリ同五時鎭靜ス家屋建物等多少損害アルモ人畜死傷ナキ見込時本月七日午後五三十五分發今七日午後四時縣下入間郡毛呂村「イヅミハタ」工塲暴風雨ノ爲崩壞工女五人重輕傷ス同日午後九時四十八分以上埼玉縣發
群馬縣 縣廳裏最高水量十六尺施工中ニ係ル縣廳裏災害工事過半破壞「ヤツタジマ」築堤凡ソ七十間崩壞下仁田「ヨチミチ」三間橋流失其他被害多カルベシ渡良瀬川下「サガワダ」十五尺、吾妻川八尺被害箇所各川トモ取調中 一昨八日午前十一時四十四分群馬發
千葉縣 昨日六日ノ暴風ニテ下志津原ノ假兵營ノ棟倒レ下士以下兵卒八人負傷ス 本月七日午後一時四十五分發  昨七日午後暴風雨ニテ海岸江戸、利根兩川出水關宿十二尺八寸颶風オ爲メ千葉中學校撃劔塲一棟倒ル其他家屋ノ倒潰多シ浸水家屋千戸今縣官派遣取調中 一昨八日午後一時五十分發 昨七日ノ暴風雨ニ關シ當千葉町ニ於ケル被害ノ状况ハ電報セシガ同日ハ朝來風雨アリ天候頗ル不穩ニシテ午後参時頃ヨリ暴風雨トナリ千葉町ノ如キハ樹木塀墻ヲ吹倒シタルモノ尠カラズ加フルニ潮水暴漲シテ陸地ニ浸入シ家屋ノ浸水シタルモノ約ソ七百戸其内三百戸位ハ何レモ床上三尺ニ達シ又道路ノ破壞セシ箇所アリ一時ハ騒擾ヲ極メシモ三十分間位ニシテ漸時減水シ午後五時頃ニ至リ道路ハ漸ク通行シ得ラルヽニ至レリ其他沿海町村中同樣ノ被害少ナカラズ縣下市原郡八幡町ニ於テハ潮水浸入ノタメ床上二尺以上ニ浸水シ海岸ノ小屋五戸流失シ且ツ同町ヨリ同郡五井町ニ至ル道路ニ於テ近衛師團ノ砲兵一人海嘯ノタメ溺死シタリ又君津郡木更津町ニ於テハ浸水家屋二百二十一戸是レ亦床上二尺ニ達シ尚ホ船舶ノ沈没セシモノ二艘破壞セシモノ一艘アリ又安房郡富崎村ニ於テハ激浪ノタメ破壞セラレタル家屋二十餘戸、山武郡片貝村ニ於テハ浸水シタル家屋百五十餘戸ニシテ其外各地ニ於テ被害尠カラザル見込目下取調中  同日附以上千葉縣
栃木縣 本日七日午後二時五十分宇都宮發下リ列車那須郡箒川鐡橋ニテ客車顛覆死傷取調中 本月七日午後十一時十分發 昨日暴風雨ノタメ渡瀬川增水一丈一尺足尾町ニテ假橋流失一,溺死男一又日光町ニテ潰家一 一昨八日午後八時四十分發  汽車轉覆荷車一、客車七ニシテ總乘客凡ソ百人ノ内重傷十、輕傷三十五發見セシ死亡十三其餘ハ生死不明追々發見ノ見込右更ニ報告ス 同日午後十時三十分以上栃木縣發
三重縣 一昨日五日  來降雨今朝ヨリ風雨トナリ各川水出益々增水ノ模樣浸水家屋田畑等ノ被害多シ取調中 本月七日午後零時五十分發 宮川出水一八尺餘該堤防决壞死傷者アリ市街悉ク浸水目下取調中
同日午後二時三十二分發  前電宮川增水ノ件中市街トハ字山田ニテ浸水ハ道路ナリ 同日午後四時頃  一昨日來ノ降雨ニテ宮川出水度會郡御薗村字長屋ニテ堤防破損セシモ村民總出ニテ之ヲ堰止メルヲ得タリ
同村ニテハ流木ヲ拾ハントシ流サレタル者二人アリ行衛不明
尚ホ前電山田市街浸水ハ池水ニテ既ニ減水セリ  同日午後十時發以上三重縣
靜岡縣 沿海浪高ク志太郡燒津ニテ潰家二十戸餘、興津以東ニモ家屋其他被害アリ取調中 本月七日午前六時二十分發 本日七日 午後三時過縣下富士郡元吉原村ニ於テ海嘯ノタメ家屋ノ流失電信柱ノ損傷其他漁船數艘破壞負傷四人アリ同村田中新田以西往來不通被害ノ模樣不明即時警察官吏ヲ派遣シ醫師ノ手當救護等ヲ爲シタリ  同日午後八時三十分發  昨夜報告ニ及ビタル後夫々視察セシムルニ鈴川附近及以西一面ニテ流家死傷者尠カラザルニ付キ今ヨリ本官警部長以下警部巡査ヲ率ヒ救護ノタメ現塲ヘ出張ス 一昨八日午前三時五十九分發
昨七日激浪ノタメ興津ニ於テ被害潰小家三,半潰二,小家十七,船流失十、破損五,國道決損五十間其他電線ノ切斷アリ取調中 同日午後十二時三十分發 昨日七日  沼津ヨリ報告セシ後本日午前二時ヨリ富士郡鈴川田子浦附近ヲ視察セシニ海水浸入ノタメ停車塲最寄一面水ニ浸サレ鈴川村海邊ノ別莊三十餘悉ク流失其他前田新田家屋流失數十戸行衛不明ノ者五十人餘ト認メラルヽモ渡船シ能ハズシテ詳細ヲ知ルコトヲ得ズ依テ警部巡査ヲ配置シ救護ト調査ニ從事セシメ小官及警部長ハ一先歸廳ノ上屬官數十人夫々ヘ派遣ス興津、沼津間汽車不通 同日午后三時十分發 其後田子浦ノ状况ハ行衛不明ノ者四十四人内十三死體發見重傷者四十六人ハ學校等ニ収容シ地方醫師九人ヲシテ治療セシメ仍ホ衛生課長醫師二人ヲ連レ應急藥品器機ヲ携帶出張セリ家屋ノ流失全潰二百二十餘戸大破損百三十餘戸小破算ナシ浸入家屋五百餘戸田畑ノ浸水ハ附近ノ村落トモ合セテ約ソ六百町餘漁船
ノ破壞三百三十艘ノ内二百九十九艘ノ多キニ及ビタリ救護手當十分手配セリ 昨九日午前九時五分發以上靜岡縣
富山縣  昨日七日 西北風強雨ニシテ各川出水只今マデニ接シタル報告ニ依レバ、庄川十一尺、射水郡淺江枇杷首リヤウダイジ村堤防切所ヨリ大門町附近ニ浸水半壞家屋一棟、下條川增水ノタメ小杉町ニ浸水、小矢部川十二尺、堤防破損百間、家屋流失一棟、神通川九尺八寸、富山停車塲通路假橋流失其他堤防ノ破損浸水家屋多キ見込川追々減水目下被害取調中一昨八日午後三時七分富山縣發
宮崎縣  昨六日怒濤ノタメ兒湯郡美々津町流失家屋二,破損廿七、浸水二十,海岸長サ百五十間幅二間土堤崩壞、東臼杵郡岩脇村流失家屋一、重傷一人、輕傷一人、破損八 本月七日午後一時五十三分宮崎縣發
(以上明治三十二年十月十日官報)
水害  靜岡、高知二縣ニ於ケル水害ノ状况左ノ如シ
靜岡縣 本月七日ニ於ケル暴風雨竝ニ海嘯被害ノ概况左ノ如シ 本月九日本月十日附靜岡縣本欄内參着(内務省)
富士郡  田子浦村前田新田家屋流失全潰三十五戸、同大破二十三戸、重傷者十二人、行衛不明十九人(死體發見三人)、漁船破壞六十艘、田畑浸水凡ソ八十町、同村川成島新濱家屋流失全潰八十戸、同大破八戸、重傷者二十六人、行衛不明二十二人(死體發見八人)、漁船破壞七十艘、田畑浸水約ソ五十町、同村鮫島家屋全潰七戸、同大破壞四十三戸、重傷者五人、行衛不明一人、漁船破壞四十艘、田畑浸水約ソ五十町、同村田子家屋破潰二戸、同大破三十戸行衛不明一人、漁船破壞五十艘、田畑浸水約ソ十町、同村西鮫島家屋大破十戸、漁船破壞四十艘、田畑浸水約ソ六十町、同村中丸家屋全潰九戸、同大破二十戸、重傷者三人、行衛不明一人、漁船破壞三十五艘、田畑浸水約ソ七十町、元吉原村田中新田家屋流失全潰三戸、同村鈴川砂山戸數十六戸ノ處全部流失全潰
志太郡  燒津村鰯ケ島家屋全潰二十戸、流失十一戸、半潰二十二戸、大破十三戸同村城之腰家屋全潰十一戸流失四戸、半潰十六戸、大破八戸、同村新屋家屋半潰四戸、大破六戸、鹽除堤防延長約ソ二百八十六間破壞、小川村家屋全潰一戸、鹽除堤防破損約ソ四十一間
庵原郡  興津町洞家屋物置破損十七棟、漁船流失十艘、同破損五艘、國道缺壞五十間、同町淸見寺 浸水家屋五十戸
濱名郡 濱名湖ニ架設ノ橋梁二百十間落失、篠原村漁船破損十數艘(以上明治三十二年十月十三日官報)
水害  奈良宮城二縣ニ於ケル水害ノ状况左ノ如シ
奈良縣  本月五日ヨリ同七日マテニ於ケル降雨被害ノ状况左ノ如シ 本月七日附 (奈良縣)
宇陀郡  松山町大字拾生城山ノ南端ナル小山高サ十五間、幅十間餘崩潰壓死女一人、牧村大字檜牧ニ於テ山丘崩潰壓死男二人女五人負傷男女各々一人南葛城郡 葛城村大字南膳ノ岸崖高サ二十八間餘崩レ壓死男二人、女一人
宮城縣  本月七日ニ於ケル暴風雨被害ノ状况左ノ如シ(宮城縣)宮城郡鹽竈町ニ於テ本月七日午后三時暴風雨ノタメ海水暴漲シ平水ヨリ三尺六寸餘ノ高潮ト爲リ同町内海岸家屋百三十八戸ニ浸水シ諸會社倉庫内ノ貨物被害等三千五百餘圓ニ達セリ又本吉郡氣仙沼町ハ同時海水三尺餘增潮シ家屋六十五戸ニ浸水シ牡鹿郡石巻町ニテハ二尺餘ノ增潮家屋浸水三十四戸、桃生郡野蒜村東名濱及宮戸村ニ於テハ家屋浸水百七十戸、堤防破壞八箇所アリ其他各河川等多少ノ增水アリト雖モ著シキ被害ナク人畜死傷ナシ(以上明治三十二年十月十六日官報)
水害  靜岡、宮崎二縣ニ於ケル水害ノ状况左ノ如シ
靜岡縣 本月七日海嘯及暴風雨ノタメ縣下被害ノ状况ハ追々報告セシカ爾來今日マテニ知悉シ得タル死傷者及損害ノ模樣等左ノ如ク其最モ慘状ヲ極メタルハ富士郡田子ノ浦附近ニシテ殊ニ死傷者ノ數モ夥シク負傷者及救助等ノ手當ハ迅速ニ運ビシモ彼ノ潤井川ヘハ無量ノ土砂ヲ吹上ケ川尻ヲ充塞シタルヲ以テ河水爲ニ流下セズ堤外ニ氾濫シテ深サ丈餘ニ達シ東西凡ソ三里、南北一里ノ間ハ一面湖水ノ如ク依テ第一著ニ川口ノ開鑿ヲ命シ被害各村ノ人民竝ニ鐵道作業局雇工夫等都合千餘人ヲ以テ徹宵之ニ從事セシモ最寄人夫ハ數日來水防其他ニ奔走セシタメ疲勞シテ十分ノ勞働ヲナサス從テ排水方不十分ナルヨリ終ニ第三師團工兵隊ノ出張ヲ懇請スルニ至レリ是ニ於テ始テ良好ナル結果ヲ得今朝ハ已ニ道路顯ハレ鐵道復舊工事モ爲ニ渉リ本日中ニハ汽車運轉ノ見込ニシテ其外各郡被害ノ状况ハ比較的輕易ナリ 本月十二日附靜岡縣 同十三日本欄内參着(内務省)
     人   死                         七二
         傷                         九五
     畜死                             三
     家屋 全潰   住屋                    七四
             非住居                  一九八
     同  半潰   同                     七八
             同                     二〇
     同  破損   同                    一二二
             同                     六一
     同  流失   住屋                   一〇一
     同  浸水   床上                   七一七
             床下                   二八二
     堤防決潰    箇所                   二一一
             延長                 六,八五五
     同  破損   同                    二三二
             同                 一七、八七三
     道路流失及埋立 同                     一三
             同                    四〇三
     同  破損   同                    一四一
             同                  一,六五五
     橋  梁    流失                    三六
             破損                    五一
     田       埋没及流失              八、〇〇〇
             浸水           一,〇九一九一畝二四歩
     畑       同                二五〇二,〇〇
             同               六九〇九五、〇一
     宅地浸水                     八三三〇、〇〇
     山林及原野   埋没及流失               二、〇〇
             浸水                三五〇、〇〇
     雜種地浸水                      一一、〇〇
     用惡水路溜池井堰溝渠樋管等 流失               一
                   破損              一一
     墻塀石垣                         一〇三
     電柱顛倒                         一六
     船  舶     流失                  二七八
              破損                  二五八
     山  崩                           四

宮崎縣  本月六日午前五時頃ヨリ波濤猛烈トナリ同六時ヨリ十時ニ至ルノ間最モ強暴ニシテ狂瀾二丈以上ノ高サニ達シ爲ニ兒湯郡美々津町ニ於テ家屋崩壞流失二棟其他ノ建物流失二十九棟、破損家屋二十一棟、浸水家屋三十棟、東臼杵郡岩脇村ニ於テ家屋崩壞流失一棟、負傷者二人アリ 本月十二日附 (宮崎縣)
(以上明治三十二年十月十八日官報)
二十三〔天氣模樣概况〕第八圖ニ中央氣象臺發行ノ明治三十二年十月七日ノ天氣圖ヲ示ス」左ニ録スル天氣概况ハ官報ヨリ抄出セルモノナリ
暴風雨概况  本月二日以來低氣壓襲來ノ虞アリシヲ以テ全國警戒中ナリシカ果シテ甚タ深厚ナル低氣壓ハ臺灣ノ南東ヨリ北上シ同六日午前四時中心ハ遠ク那覇ノ東方ニ達シ翌七日早朝九州四國ノ沖合ヲ北東ニ進行シ正午遠江洋ヲ過キ午後二時十分伊豆半島ヲ横貫セリ當時伊豆南端ノ長津呂海岸望樓ニ於テハ最低氣壓七百十四粍五ヲ示セリ斯ノ如キ低度ハ各國共甚タ稀ニ見ル所ニシテ本邦ニ於テハ既往二十年間僅ニ明治二十四年九月十四日、同二十八年七月二十四日長崎ニ於テ七百十三粍及本年八月二十二日恒春ニ於テ七百十四粍六ノ三回アリシノミ其ヨリ中心ハ横須賀(七百十八粍七)ノ南方附近オ過ギテ東京灣ニ入リ午後三時二十分東京(七百二十二粍六)千葉間ヲ經テ午後四時銚子(七百二十一粍)ノ北方ヨリ鹿島洋ニ突出セリ其後中心ハ本州東岸ニ沿ヒテ殆ト北方ニ急行シ午後七時金華山沖ヲ通過シ午後十時浦河近傍ヨリ日高國ニ入リ北海道ノ中央ヲ貫キテ同八日早朝網走邊ヨリ阿哥斯克海ニ出テタリ而シテ低氣壓ノ進行ハ初メ中心ノ南西海ニ在リシ際ハ一時間僅ニ二十海里ニ過キサリシカ漸次中心ノ北上スルニ從ヒ其進行速度ハ大ニ增加シ遠江洋上ニ於テハ一時間五十海里、鹿島洋ニ於テハ六十海里ト爲リ金華山以北ハ約ソ百海里ト爲レリ又低氣壓ノ回轉ハ中心ノ周圍二十海里ノ邊最モ強ク中心附近ニ於テハ殆ト無風ニシテ風速度ハ七日午後四時布良ニ於テ觀測シタル一秒時五十四米 (即チ之ヲ埀直風壓ニ換算スレハ六尺平方ニ附キ約ソ三百八貫ト爲ルヲ最大トス今回ノ低氣壓ノ襲來ニ際シテハ之ニ先ツコト三日前ヨリ降雨ハ關西地方ニ始リ尋テ關東ニ及シ暴風ノ當日七日ノ如キハ九州ヲ除ク外ハ一般ニ雨天ト爲リ殊ニ東海道地方ハ前日來引續キテ強雨アリ
近江、伊勢、美濃、尾張ノ如キ最モ多ク二十四時間ノ降量百粍(一段歩約五百五十石)以上ニ達セリ東京ニ於テハ五日マデハ晴天ナリシガ同日午前五時四十五分ヨリ雨天ニ變ジ爾來殆ンド間斷ナク降雨アリシモ六日午前六時ニ至ルマテハ氣壓ノ示度及變化共ニ平常ニ異ナルコトナカリシカ同日午後ヨリ晴雨計ハ稍々下降ヲ呈シ風位北西ト爲リ氣温稍々上昇セリ而シテ七日午前四時十五分ヨリ雨勢頻ニ加リ晴雨計ハ一時間一粍ノ割合ヲ以テ急降ヲ始メシモ風力微弱ニシテ風位定ラサリシ然ルニ午前十一時ヨリ晴雨計ハ俄然一時間四粍ノ激降ヲ呈シ風位ハ南東ニ變シ氣温微昇スルト同時ニ大ニ風力ヲ增加シ一秒間十四五米ノ速度ト爲レリ晴雨計ノ最低度七百二十粍六(前日 同時ニ 比スレハ 實ニ三十七粍ノ低降ナリ) ニ達セシハ午後三時二十分ニシテ之ニ先ツコト數分間風力ハ卒然衰頽シテ殆ト無風ト爲リシカ又風勢加リ午後三時五十五分一秒間三十九米ノ最大速度ニ達シ其ヨリ漸次減殺シテ午後五時四十分頃ヨリ強風以下ト爲レリ降雨ハ時々增減アリシモ其最モ強勢ナリシハ午後二時五十五分ヨリ三時ニ至ル五分間ニシテ其間ノ降量ハ五粍二ニ達シ三時五十分ヨリ微雨ト爲リ四時十分ニ至リ三日來ノ霖雨ハ遂ニ歇ミタリ
又測候所ノ内ニテ田子ノ浦ニ最モ近キ沼津測候所ノ報告ハ左ノ如シ
明治三十二年十月七日沼津暴風雨報告
十月五日沼津ハ氣壓七百六十四粍内外ヲ示シテ微ニ低下ノ傾アリ終日北東風吹キ冷氣ニシテ降雨止ムトキナカリシガ氣壓ハ漸次下降シテ六日午後二時七百五十九粍ヲ示シ雨ハ益強大トナリ毎四時間ニ十五粍以上ニ達セリ當時低氣壓ハ既ニ臺灣ノ南部ヲ經テ那覇ノ東方ニアリシガ北東方ノ進路ヲ取リテ七日午前六時土佐洋ニ來リ七百三十八粍ニ劇降シ畿内地方ニ大雨ヲ降セリ沼津モ此時頃ヨリ氣壓ノ低下稍急ニシテ七百四十九粍ヲ示シ下雲南東ヨリ疾走シテ天候頗ル險惡トナリ正午氣壓七百三十四粍ニシテ東南東ノ強風雨ヲ起シ一層不穩ノ状態ニ陷リシカ午後二時遂ニ七百二十粍(創立以來ノ最低度)ノ最低ニ達シ東風ハ怱チ西北風ニ變ジ尋テ降雨ハ歇ミシモ風力益々強猛ニシテ三時三十分氣壓七百三十一粍ニ急昇シ西北西風廿二米ヲ走レリ之ヲ今回ノ最大風速度トス爾後風力次第ニ衰エ午後八時全ク靜穩ニ歸セリ即暴風吹續時間ハ九時間ニ互リシモ内烈風ハ僅カニ二時間ニ滿タザルヲ以テ氣壓ノ劇降セル割合ニハ幸ニ被害少ク雨ハ初ヨリ三日間合計百九十二粍ニシテ一坪面ニ三石五斗二舛ノ水ヲ撒布セシニ同ジキヲ以テ各河川ハ孰モ氾濫セリ而シテ低氣壓ハ土佐洋ヨリ尚同一進路ヲ繼續シテ駿河灣ヲ掠メ南東海岸ニ沿フテ同夜東海岸ニ馳去セルモノト推測ス
明治三十二年十月八日    沼津測候所
二十四〔驗潮儀記録〕
油壺驗潮儀記録、 第二十一圖ニ驗潮儀据ヘ付ケ塲所ノ内ニテ田子ノ浦ニ最近ナル三崎油壺ニ於ケル暴風雨當日ノ驗潮儀記録ヲ與フ
驗潮儀記録ニ由レハ最大波動ノ全振幅ハ二十七「センチメートル」ニシテ七日午後五時ニ現ハレ其振動期ハ十五分ナリ一二個所ニ於テハ波動ノ平均振動期ヲ計ルニ左ノ如シ
七日午前六時ト午後四時ノ間ニ於テ平均振動期十五、六分
七日午後六時ト十二時ノ間ニ於テ平均振動期十四、四分
總平均十五分トナル
前記ノ最大波動ハ去ル明治二十九年六月十五日三陸大津浪ノ際三崎ニ於ケル最大動(十「センチメートル」)ヨリモ頗ル大ナリトス而シテ波動ノ振動期ハ何レノ塲合ニモ同一ニシテ、十五分ナルヲ見ルベシ」此回ノ場合ニハ三崎ニ於ケル波動ハ單ニ振動期十五分ナル規則正シキ緩波動ノミヨリ成ルニアラズシテ稍々著シキ小波動ヲ混シタリ其最大動ハ五「センチメートル」ニシテ平均振動期ハ二,八分ナリ(八十六回ノ波動ヨリ計算ス)
鮎川驗潮儀記録  暴風雨ノ當日、鮎川驗潮儀ハ不幸ニモ七日午前四時半頃ニ至リテ器械ニ故障ヲ生ジタル爲メ完全ニ海水ノ動揺ヲ記録スルヲ得ザリシカ其レ迄ニ於テハ最大動二十「センチメートル」ニシテ平均振動期七,七分ナリ(四十七回ノ波動ヨリ計算ス)
二十五〔本委員ノ觀察〕本委員ハ會長ノ命ニ由リテ十月十四日東京ヲ發シテ靜岡縣下ニ出張シ津浪ニ關スル調査ヲ遂ゲ、十七日歸京シタルガ、出張中見聞ノ一二ヲ爰ニ記ルスベシ
○沼津町ニ於テハ當日北西風強カリシガ石燈籠ノ倒レタルハ無カリキ又尾根瓦ナドノ損害モ僅少ニシテ東京ヨリモ損害輕カリシ樣見受ケラレタリ
○沼津町字市道ノ濱邊ニテハ平時ニテモ岸ニ波ガ打チ上ルコトアリトゾ此處ニテハ岸ノ高サ二間程ニシテ岸ヨリ水際迄ハ三十間程ノ砂地ナルガ去ル七日暴風雨ノ前日ヨリ風モ無キニ波激シク當日波ハ磯ノ半途迄デ引キテハ打チ上グタリト云フ但シ岸ノ上ニハ水ハ上ラザリシトゾ
何人モ知ル如ク波ニハ大小幾種モアリテ海邊ニテ觀察スレバ此等ノ波ガ次第ニ寄セ來ルヲ見ルベシ、余十月十四日正午頃ヨリ市道ニテ暫ク海水ノ波動ヲ觀察シタルガ大小波ノ寄セ來ル状况左ノ如クナリキ、但シ波ノ大小ハ便宜ニ依リ極小、小、中、大、極大ノ五ニ區別セリ
但シ前表中ノ大或ハ極大ト記ルセル波モ單ニ比較上ニ止マリ皆ナ漣ナリト知ルベシ」 (第九圖ニ圖解アリ)
○原町  原町ノ海濱モ沼津附近ト大差ナシ、津浪ノ當日海水ガ岸上ニ打チ上リタルハ原町ヨリ少シク西ニ當リ新田ノ海濱ヨリ始マル、即チ津浪激シカリシ區域ノ東限ニシテ 地圖ニ照ラセバ此ノ地恰モ伊豆國西岸ノ諸岬ヲ連結セル線(殆ド正南北ノ方向ヲ有ス) ヲ北ニ延長シタルモノト 駿河灣ノ北海岸ト相會スル點ニ當ル盖シ原町以東ノ地ハ伊豆西岸ノ蔭トナリテ南方ヨリ襲來スル風濤ヲ遮斷シテ直接ノ衝撃ヲ免ルヽ爲ナルベシ此ヨリ以西ハ次第ニ津浪ノ災害甚シク、鈴川以西新濱迄一帶ニ及ビテハ實ニ非常ノ慘状ヲ呈シタリ
○鈴川  余ハ十月十四日、即チ大津浪後一週間目ニ鈴川ニ行キタルガ水ハ 既ニ引キタレドモ道路ハ尚ホ惡シク家屋内モ濕氣甚シカリキ、
原町ノ少シク西ヨリ海岸ニ砂丘起リ鈴川停車塲ノ西手潤川ニ至リテ盡ク而シテ砂丘ノ外側即チ濱邊ハ鈴川附近ニ於テ最廣ナルガ十月七日暴風雨ノ際ニ激浪ハ砂丘ノ頂上ニ迄デ達シ、潤川東岸ノ砂濱ニ建テタル別莊(大抵俳優若クハ賤業者ノ別莊ナリ)ハ、砂丘ノ頂上ニアリタルモノヽ外ハ 皆ナ跡モ止メズ流シ去ラレタリ
津浪ハ暴風ノ爲ニ起レルト地震ノ爲ニ起レルトヲ問ハズ、往々土砂ヲ堆積セシメテ港或ハ河川ノ口ヲ淺クシ若クハ全ク塞閉スルコトアリ、今回ノ十月七日津浪ノ際ニモ此種ノ變動ノ最モ著ルシキ現象ヲ生ジタル次第ハ、潤川ハ元來其ノ川下數町ハ砂濱ヲ横ギリテ流レタルガ(沼川ト合シタル後ニテ)激浪ガ砂石ヲ持チ來リテ磯ハ更ニ少ナル砂(礫)丘ノ如キ形チトナリテ幾何カ内方ノ濱地ヨリハ高クナリタルノミナラズ、(川口ニ於テ 砂岸ノ最モ高キ所ハ二間ニ達ス、川幅ハ約三十間ナリ)潤川ノ川下二町裡ヲ全ク砂礫ニテ填充シテ兩岸ノ濱地ト同一樣ノ平地トナシタレバ浮嶋沼等ヨリ流レ來ル川水ハ出口ヲ失ヒタルヲ以テ鈴川町及ビ其附近ノ低地ニ氾濫シテ爰ニ一大湖水ヲ現出スルニ至リタルナリ、此ノ渚水ハ次第ニ其ノ量ヲ增シテ鈴川町ノ中ニテハ高位ニアル停車塲ノ如キモ「プラットフオーム」ノ上ニ迄デ浸水シ民家ノ如キハ屋根迄水ニ浸タサレタルモノ 多カリシトゾ、治水ノ爲ニハ既ニ靜岡縣ヨリノ報告中ニモ見ユル如ク工兵一大隊ヲ派遣スルニ至リタル程ノ大事トナリシガ十月十二日ニ至リテ河口開ケ減水セリトゾ」
鐡道線路ノ如キモ一時水下トナリ汽車不通トナレリ、但シ減水後ニ驗スルニ線路ニハ格別ノ故障ナカリシト云フ」流失セル一別莊ノ留守番ノ話ニ依ルニ當日ハ格別ノ大風ニテモナカリシガ前日ヨリ「シケ」ニテ浪激シク七日午後ニ至リテ雨モ止ミタレバ此レニテ浪モ治マルナラント思ヒ談話ナドナシ居リシニ卒カニ海中遙カニ伊豆ノ山ヨリモ高キ大浪立チ現ハレテ寄セ來ルヲ認メタレバ、スワ津浪ナリトテ逃ゲ出デタルガ逃ゲ出ヅル迄ニハ充分時間アリ、且ツ大浪ハ六七回モアリテ次第々々ニ靜マリ、夜ニ及ビテハ既ニ濱岸ニ波ヲ上ゲズナレリト云ヘリ、又山本某氏ノ談話ニ依ルニ六日ヨリ浪高カリシガ當日ハ朝來別ニ堪ヘ難キ程ノ強風ニテモ無ク、大浪ハ次第ニ高マリタルモノナリトゾ、當地ニテハ一昨年ノ暴風ヨリ今回ノ暴風雨ノ方弱クシテ戸障子ヲ外ス等ノ事ハナカリシ、又潤川ノ川口ハ斷エズ東方ニ移動スル傾キアリ、暴風雨ノ節ハ多少其川口ヲ塞閉スルコト往々アリタリト云フ
潤井川東方ノ濱地ニテ團十郎ノ別莊ガアリタル邊ニテハ松木ノ倒レタルハ皆北二十五度西ノ方ニ向ヒ、根本ヨリ一二尺ノ所ニテ折レタルモノ多シ、濱地ニテハ松木ノ傷ガ二間程高キ所ニアルモノアリ、又松木ニ二間程高キ所ニ藁海岸ノ枯草等ヲ掛ケ殘コセルモノアリ、左レバ濱地ニテ海水ノ上リタル高サハ約二間ナリシト思ハル但シ波浪ハ非常ノ勢ヲ以テ傾斜ノ緩ナル濱ヨリ砂丘ノ頂上ニ向ツテ寄セ來レルモノニシテ砂丘ノ西端ニ近キ邊ニテハ二個ノ大ナル材木ガ砂丘ヲ打チ越シテ流シ寄セアルヲ見タリ、又濱邊ヨリ海水ガ持チ來レル大ナル材木ヲ砂丘上ノ松木ノ間ニ殘シ行キタルアリ、特ニ丘上ノ一家屋ハ激波ノ爲メ全體ニ一尺五寸程西北ニ向ツテ移動セラレタリ、又一個ノ藁屋根ヲ下手ヨリ打チ上ラセテ丘ヲ越シテ其ノ内側ニ棄テ置キタルモアリキ」此處ニテ砂丘ノ高サハ 水面上約四間或ハ四間半ナリ
更ニ河口ヨリ少シク東方ニ進メバ激浪ハ水際ヨリ約六町ノ距離ニ迄打チ上リテ草木ハ枯死シテ赤クナリテ殘レリ(水際ヨリ砂丘ノ頂上迄ハ約七八町ナルベシ)此ノ邊ニテ砂礫ノ水ニ動カサレタル跡線條トナリテ有リケルガ其方向ハ北十度西ナリキ
○前田新田  鈴川ヨリ西ニ潤川ヲ渡リテ前田新田ニ至ル、渡船塲(佛原渡)ノ附近ニテ松木ノ枝ニ藁ゴミ等カ掛リ殘リタルヲ見ルニ四間位ノ高サニアリタリ土砂カ潤川ノ口ヲ閉ヂタル以前ニハ波浪ノ激シク川ヲ逆リタルモノト思ハル、前田新田ノ裏手ノ田地中ニ大船(日本形風帆船)一隻漂着シアルヲ見タリ
前田新田ノ濱邊ヨリ再ビ砂丘起リテ西方新濱ニ亘ル、」前田新田ニ於テハ砂丘ノ高サ四間半乃至五間ニシテ海ニ接近セリ、村ハ此ノ砂丘ノ内側ニアリシガ、砂丘ヲ越シテ打チ寄セ來リタル激浪ノ爲ニ家屋ハ破壞セラレタルナリ、特ニ村地ノ前ハ一段低キ田地ナレハ破壞セル家屋ハ皆之ニ向テ押シ流サレテ、大抵全ク跡モ止メズ流失セリ」吉原警察署在勤ノ一巡査ノ話ニ由ルニ七日午後四時警察署ノ樓上ヨリ望ミ見タルニ前田新田佛原渡シノ見當ニシテ五分間毎程ニ大浪ヲ打チ上ケテ松木ノ上ニ一丈モ昇ルト思ハレシト云フ
前田新田ノ入リ口ナル松原ニ於テ木ノ倒レタルハ大抵北方ニ向ヘリ、又沼川渡シ塲ニテ木ノ倒レタルハ北十度西ニ向ヘリ
當村飯坂常七ナル者ノ話ニ依ルニ七日午後北風カ軟ニナリタルト同時ニ津浪來レリト云フ、而シテ最初富士山ノ如キ形状ノ大浪遙カノ海中ニ出現シタレバスワ津浪ナリトテ家ニ歸リテ逃ケ支度ヲナシタルカ其ヨリ浪ガ山(砂丘)ヲ越シテ打チ込ミタル迄ニハ三十分位ノ時間差アリシナラント云ヒタリ、山ヲ越シタル巨浪ハ六七度モアリタルカ、特ニ最初ノ分ノ三四度迄カ甚タシク、最大ナルハ三度目ノモノナラントノコトナリキ」大津浪ノ三日程前ヨリ波浪激シク凡ソ五分間毎ニ浪ノ打ツタビニ地響ヲ起コシ雨戸、硝子戸等ガビリビリシテ地震カト思フ程ナリシトゾ、又七日大浪カ來レル一時間程前ヨリ既ニ道路ニ水上リタリト云フ、此ハ潤川若クハ村ノ前方ノ田地ヨリ水ガ寄セ來リタルベシ
前田新田ノ西半部即チ鮫島村ニ接近セル部分ハ土地高ク村地ト濱トノ間ナル砂丘モ亦高ケレバ水カ道路ニ一二尺上リタルノミニシテ殆ト無害ナリキ
○新濱  前田新田ヨリ亘レル砂丘ハ新濱ニ至リテ卑クナル、新濱ノ村ハ即チ此ノ卑キ偏平ナル砂丘上ニアリシモノナリ去レバ波浪ハ容易ニ村地ニ浸入シ來レルナリ」當村ヨリ東隣リノ土地ハ高ケレバ津浪ノ害ヲ蒙リシコト無ク當時其處ニ避難セントテ皆々走リ行キタリト云フ」新濱ノ濱ハ廣カラズ海邊ヨリ村地マテノ距離即チ緩ク傾斜セル濱ノ廣サハ約八十間ナリ
新濱ノ一遭難者ノ話ニ依ルニ激浪ハ二度目迄ハ山ヲ越サヾリシカ三度目ヨリ大キクナリテ初メテ丘ヲ越シテ村地ニ侵入セルガ大抵ノ家ハ四,五度或ハ七度目ノ波ニ破壞セラレタルナリ、浪ハ午後五時頃マテ強ク、夕方近クニ及ブマテ多少丘上ニ打チ上ケタルナリトゾ、此ノ遭難者ハ 暴風ノ爲ニ濱ニ上ケ置キタル漁船ヲ奪ヒ去ラレンコトヲ恐レテ船ヲ助ケニ行キタルニ其船ニ乘リタル儘、三度目ノ浪ニテ砂丘上ノ松並木ヲ越シテ村地ニ押シ上ケラレ或ル家ニ突キ當リタリトゾ又浪ノ差シ引キ(村地ニテノコトナリ)ハ頗ル速カニシテ一波ガ退キテ次波ガ來ル間ニ漸ク一町程ノ距離ヲ走リ行クコトヲ得タリト云フ、村ニテハ土藏、石藏等モ皆破壞セラレテ、石藏ノ如キモ僅ニ其基礎ノミヲ存スルノミニ止マリ、住家等ハ全ク流失シテ一モ跡ヲ殘コセルモノナク、村地モ一尺程砂ヲ以テ覆ハルヽニ至リ、當時激浪ノ勢力ガ如何ニ大ナリシカヲ想像スルニ餘リアリ而シテ、家屋、土藏等ガ破壞セラレタルハ單ニ海水ノ爲ノミナラスシテ以前ヨリ濱邊ニ積ミアリタル四日市及ビ富士製紙會社ノ材木ガ海水ト共ニ漂ヒ來リテ衝突シタルガ故ナリト云フ
砂丘ノ頂上即チ村地ト濱トノ境界ヲナセル松木ノ倒レタルモノハ北三十度西ノ方ニ向ヘリ
今回ノ津浪ニテ災害ノ最激甚ナリシハ以上鈴川、前田新田、新濱ノ三個所ナリ、新濱ヨリ以西ノ海岸ハ格別ノ大損害ナキガ燒津ハ堤防ノ崩壞ニ依リテ少ナカラザル水害アリタリ
○燒津  燒津城腰ハ相隣接スル村ナリ」此地ニ於テモ十月七日ハ早朝ヨリ浪高カリシガ午後三時頃ヨリ大浪トナリ五時頃ニ至リテ潰レ家ヲ生ジ、六、七時ノ頃ニ及ンテ最盛トナリ、八時頃ヨリシテ次第ニ靜マリタリト云フ,而シテ大浪ノ状况ヲ考フルニ、所謂激浪ニシテ通常暴風雨ニ際シテ起ルモノト同樣ナレドモ一層烈シサヲ加ヘタルモノナルガ如シ、又大浪モ不意ニ現ハレタルモノニアラズシテ漸次其大サヲ增シタルモノト見ユ」海岸一帶ニ延長八百間ノ堤防アリ内百間程ハ石造(直立二十尺ニシテ 當時未ダ全ク竣工セザリキ)ニシテ此ノ分ハ無難ナリシガ他ハ杭打堤(高サ十五尺)ニシテ五百間程ノ間ハ多少ノ損害アリタリ堤防外ノ濱地ハ幅約十五間ナルガ激浪ハ堤防ノ上尚ホ七八尺モ昇リタリトゾ殊ニ破壞個所ヨリハ築堤ニ用井タル砂利ヲ流シ込ミテ宅地内ニ押シ來リ堤防ト宅地ト同高トナリタル所モアリキ、去レバ夥シク海水ヲ町内ニ打チ入レタルヲ以テ道路ハ船ニテ往來セリト云フ」、當日午後八時頃マテハ海水堤防内ニ打チ入レリトゾ
余ハ十月十六日ニ城腰ニ至リタルガ此ノ日ハ前夜來風雨アリテ海波頗ル穩ナラズ、依リテ午前十時半頃ヨリ城腰ノ中程ナル海岸ニ於テ暫ク波動ヲ觀察シタリ其ノ状况ハ次表ニ示スガ如シ、但シ便宜ノ爲浪ノ大小ヲ(既記沼津ニ於ケルト同ジク)極小、小、中、大、極大ノ五ツニ區別シタリ
上表ノ結果ハ第十圖ニ圖解トシテ示ス以テ大小波ノ相互ニ襲ヒ來タルヲ見ルベシ、」此ノ表中極大ト記ルセル波動ハ頗ル激シクシテ殆ド堤防ニ 打チ上ゲントセリ里人ニ聞キ正ダセルニ去ル十月七日ノ大浪モ此ノ如キモノニシテ今一層甚シキモノナリシト云ヘリ余ハ直チニ當地ヨリ出發シタレバ其ノ後ノ状况ヲ觀察セザリシガ本日午後ニ及ビテハ波濤ハ更ニ勢ヲ增シタリトノ由ヲ後ニテ聞ケリ」本日朝城腰ニテ波濤ヲ觀察シタルニ主要ナルモノハ 南四十度東ヨリ進行シ來ルヲ認メタリ、正午頃ニ及ビテハ南風吹キテ海面ニ小ナル白波立チ現ハレ風ト同一方向ニ南ヨリ北ニ向テ進行シタルガ遙カノ沖合ヨリ來ル主ナル大波浪ハ午前ト同ジク矢張リ南東ヨリ進ミ來タレリ、去レバ此濱ニ於テハ平時主要波動ハ南東ノ方向ヨリ來ルモノナルベク、去ル十月七日ノ大激浪モ亦同一方向ヨリ襲ヒ來レルモノナリシト思ハル」里人ノ言ニ依ルニ十月七日ノ津浪モ平常ノ浪ノ如ク三四回大浪ヲ來タシ次ニ三四回小浪ヲ來タシテ相交代セリト云ヘリ
○淸水  十月七日暴風雨ノトキハ三保松原ノ外面ニ激波ガ打チ來リテ三保本村ノ松ヲ越ヘテ白波ガ立チ昇ルヲ淸水町ヨリ望ミ得タリト云フ淸水町ニ於テハ道路ニ水溢レタリ尤モ家屋ノ床上ニ浸水スル程ニハアラザリシカドモ淸水港波止塲(東西ニ平行スルモノ)ノ北側ハ波浪ノ爲ニ少シク破壞セラレタリ」淸水港ニ入リ來レル津浪ハ對岸興津淸見寺ノ邊ヨリ射來セリト云フ盖シ約南若クハ南々東ノ方向ヨリ駿河灣ノ北海岸ニ寄セ來ル波浪ガ興津附近ニ至リテ反射シ、更ニ淸水港ニ向ヘルモノトナスハ誤リナルベシ、即チ第廿一章ニ述ベタル所ニ依リ外海、即チ興津附近ニ於ケル波浪ノ爲メ淸水灣口ニ於テ新タニ海水動揺ノ原點ヲ生ジテ灣ノ長軸線、即チ南々西ノ方向ヲ取リテ淸水灣ニ波浪ヲ送リ込ムモノナルベシ」十月七日ハ夕刻六時或ハ七時頃ニ至リテ最大波動來リ同八時頃ヨリ漸々鎭靜ノ有樣ニ歸セリト云フ
○興津  中宿及ビ淸見寺近傍ニ於テハ去ル十月七日少シク道路、若クハ家内ニ浸水シタレドモ總ジテ興津町ハ格別ノ被害ナカリキ、里人ニ聞クニ當日大浪ハ三保崎ノ端ノ方ヨリ來レルガ三保ヨリモ浪ノ方、高カク見エシト云ヘリ」淸見寺ノ下ニ住スル山梨正八ナル者ノ談話ニ依ルニ十月七日津浪ノトキハ大浪ハ三回アリテ内二回ハ午後五時頃(未ダ日ノ暮レザル中ナリシトゾ)ニシテ海水ハ家内ニ入リ込ミタレドモ表テノ道路迄デハ達セザリシガ(此ノ家ハ濱ヨリ一町程ノ處ニアリテ表テハ直チニ道路ナリ宅地ハ海面ヨリ二間乃至二間半高カシ)第三回目ノ大浪ハ乃チ最大波動ニシテ午後六時頃(點燈後ナリシト)ニ來タリ、今度ハ家内ヲ通リ過ギ表テ戸ヲ外ヅシテ道路迄モ浸水シタリ、尚ホ當夜八時頃迄ハ海水ハ多少庭先キニ打チ上ゲタリ、又庭先キノ濱邊ニ上ゲ置キタル漁船ハ敢テ浪ノ爲ニ浮キ上ガル程ノ事ハアラザリシトゾ」又此ノ所ヨリ(晝間)望ミ見タルニ大浪ハ三保崎ノ少シク左手ヨリ進ミ來リ、白波トナリテ寄セ來ル故、三保ノ松原ハ爲ニ見エズナリシ、且三保ノ外面ニ打ツ白波モ見ルヲ得タリト云フ因ニ當日ノ風ハ格別ニ強クハ無カリシトゾ、又滿潮ハ夕六七時頃ナリシ由シ、
余ハ十月七日ノ夕興津ニ着シ翌十七日早朝興津海岸ニ於テ波浪ヲ觀察シタルニ大ナル波ハ南十度東ノ方、即チ三保ノ鼻ト伊豆ノ鼻トノ間ニ當ル方位ヨリ進ミ來ルモノト認ラル、此ノ日風ハ西西北、或ハ西ノ」風ニシテ較々強ク、海岸ニ打チ寄スル波浪モ頗ル盛ナリキ、其時風ノ爲ニ直接ニ起レル小ナル白波ハ風ト共ニ東方ニ進行スレドモ大ナル波浪ハ常ニ南方ヨリ 進行シ來レルヲ認メタリ」
前夜ヨリ本朝ニ掛ケ大ナル波濤カ濱ニ打チ付クルトキハ地響ヲ起シテ地震ノ如キ感シヲ生ズ、障子、戸ノ類ハ其都度ビリビリ音ヲナセリ
○洞村  興津川ヲ渡リタル東手ニアリ」去ル十月七日ニハ大浪ハ午後三時頃ニ至リテ三保鼻ノ方即チ殆ド正南ヨリ進ミ來リ、其レヨリ引キ續キ波動激シカリシガ、夕六時頃(汐時ナリ)ニ至リテ最大波ヲ來タセリトゾ此ノ處ニ高サ五尺程ノ海岸堤防アレドモ波浪ハ其ヲ打チ越シテ船ヲ家根ニ迄突キ寄セタリト云フ」里人ノ言ヲ聞クニ此ノ海岸ニ於テハ大波ハ平常南方ヨリ來ルト云ヘリ
○洞村「トンネル」  洞村ノ外レ東手ニ「トンネル」アリ、濱邊ヨリ三十間程ノ距離ニアリテ十月七日津浪ノトキハ其ノ内部ニ砂ヲ充タシテ深サ一二尺ニ及ベリトゾ興津警察署詰巡査ノ言ニ依ルニ同日午後二時五十六分興津發ノ汽車ガ此處ニ來リタル時ハ未ダ鐡道線路ニハ故障ナカリシガ浪ガ強キ爲ニ停車セシナリト云フ、又同氏ノ説ニ波浪ノ最激ナリシハ午後三時前後ナルベシトナリ、而シテ同氏ハ午後四時頃ニ至リテ浪ガ少シク靜マリタルヲ以テ 「トンネル」ヲ見分ニ來リタルニ 其ノ内部ニ小兒ノ死體ガ砂中ニ埋モレタルモノヲ發見セリ云々
○蒲原  去ル十月七日蒲原ニ於ケル津浪ハ沼津ニ於ケルヨリハ少シク強カリシト見ユ」濱地ハ幅凡ソ四五十間アリテ緩ナル傾斜ヲナスモノナルガ、七日ニハ波ガ濱ヨリ平地ニ上ルコト二十間程ニ及ビタレドモ其附近ノ小屋内ニ浸入スルニハ至ラザリキ但シ此ノ地ニハ鹽田アリ皆津浪ノ爲ニ多少ノ害ヲ受ケタリ、七日ノ大浪ハ伊豆ノ「ハガチ」鼻ト三保ノ鼻トノ間ノ方位ヨリ山形ニナリテ寄セ來リタルガ久能山程ノ高サニ見ユ、伊豆山ハ隱レテ見エザリシトゾ、而シテ午後六時頃迄ハ松原際ニ波ヲ打チ付ケタリト云フ、又里人ニ質ダスニ大浪ハ引キモ切ラズ後ヲ追フテ寄セ來レリト云ヘバ其ノ振動期ハ餘リ長カラザリシモノト考ヘラル、
余ハ十月七日蒲原ニ至リタルガ其前日ハ濱邊全體ニ波ヲ打チ上ゲタリト云フ
二十六〔摘要〕以上記セル所ヲ相比較シテ摘要スルコトノ如シ
時刻  田子ノ浦ニ津浪ガ寄セ來リタル時刻ハ判然セザルモ十月七日午後三時乃至三時半頃ナルガ如シ、今此ノ津浪ハ同日午後二時頃ニ長津呂附近ヲ通過シタル低氣壓ノ爲ニ起レルモノナリト假定スレバ(下條參照)其ノ中心ト田子ノ浦間ノ平均進行速度ハ一時間ニ約三十乃至五十「キロメートル」トナル、此ノ價値ハ去ル明治二十九年三陸大津浪及ビ安政元年十一月四日伊豆津浪等ノ場合ニ於テ本邦ト亞米利加、或ハ本邦トハワイ布哇間ニテ一時間ニ四百乃至六百「キロメートル」ナル津浪傳播ノ速度ニ比較シテ非常ニ微少ナルヲ見ルベシ、尤モ次ニ記ルス如ク田子ノ浦(盖シ駿河灣ノ全海岸)ニ於ケル津浪ノ主ナル津浪ノ振動期ガ 短ニシテ其「波丈ケ」ガ小ナル塲合ニハ此ノ如キ小ナル波動進行速度ヲ示スコト 容易ニ説明セラルベシ
津浪  今回田子ノ浦、燒津等ニテ激烈ヲ極メタル田子ノ浦津浪ノ状况ハ普通海中地震ノ爲ニ起レル津浪トハ少シク異ナル所アルガ如シ、即チ新濱、燒津等ニ於テ見聞セル所ヲ以テ推セバ災害ヲ生ゼシメタル波ハ寧ロ激浪ト稱スベキモノニシテ其振動期ハ二三分乃至十分以下ニシテ、波丈ケモ甚ダ大ナラザリシ(例之バ十町以下)ノモノト思ハル、即チ普通暴風雨ニ際シテ高マリ起ル波濤ノ大ナリシモノナルニ似タリ而シテ目撃者ノ言ヲ採レバ激浪ハ遙カノ冲合ニ出現シテ海岸ニ打チ寄セタルモノヽ如シ又其ノ進行シ來ル速度ハ割合ニ緩ニシテ前項速度ガ小ナルベシトノ説ニ合ス」爰ニ注意スベキコトアリ、即チ余ハ敢テ田子ノ浦津浪ハ所謂「激浪」ノミヨリ成レルモノナリト云フニハアラズ、若シ驗潮儀ヲ以テ觀測シ得タランニハ此ノ「激浪」ノ外ニ振動期ガ數分乃至數十分ニシテ地震ノ爲ニ起レル津浪ニ於ケルト同種類ノ緩ニシテ「丈ケ」長キ波動モ存在セルヲ認ムベキナリ、實際同日三崎油壺及ビ鮎川ニテノ驗潮儀記録ヲ見ルニ同所ニ於テハ明治二十九年三陸大津浪ノトキト同一ナル振動期ヲ有スル波動ガ存セシヲ知ルナリ(第二十四章參照)盖シ今回津浪ノ場合ニハ緩波動ハ存シタレドモ著ルシカラザレバ人目ニ觸レザリシカドモ、所謂「激浪」ガ甚ダシカリシ現象ナルベシ
田子ノ浦津浪ノ原因  此ノ津浪ハ全ク大氣ノ不穩ニ原因シ地震若クハ海底陷落等ニ關係ナキハ明ナリ(東京ニ於ケル地動計記録ヲ見ルニ當日地ノ緩微動ハ著ルシカリシカドモ地震ハ有ラザリキ)而シテ全國到ル所ノ海岸ニ於テ波浪激シク、少ナカラザル損害ヲ起コシタルガ其ノ特ニ田子ノ浦ニ於テ甚ダシカリシハ第一、地形ノ然ラシムル所ニシテ第二、暴風雨ノ最低氣壓ガ此ノ附近ニ於テ現ハレタレバナリ
(第一)、抑々駿河灣ハ東方ハ伊豆半島ニ限ラレ、西方ハ駿河遠江ニ限ラレ、南方ハ開ケテ大洋ニ接ス即チ其ノ形ハ大體ニ於テ三角形ヲ成シ南方ノ伊豆國石廊崎ト遠江國御前崎トヲ連結セル線ヲ底邊トシテ軸線ハ北々東ニ向ヒ、次第ニ幅ヲ減ジ三角形ノ鈍キ頂角ニ當ル所ヲ田子ノ浦トナス、故ニ外洋即チ遠江洋、若クハ伊豆ノ南西端ニ近キ海ニ於テ海水ガ擾亂セラルヽトキハ波浪ハ駿河灣内ニ浸入シテ次第ニ其ノ勢力ヲ集合シ、田子浦ニ來リテハ全力ヲ以テ海岸ニ打チ上グベシ、現今潤川東方ノ濱邊ノ村落ヲ元吉原村ト稱ス盖シ吉原村ハ古ヘ此ノ地ニアリシガ津浪ノ災害ニ遭フテ荒廢シ當時ノ地位(潤川口ヨリ一里程北方ニアリ)ニ移リタルモノナリト云フ左レバ古來暴風雨ノ爲ニ津浪ヲ起コシタルコト敢テ稀ナラザリシナルベク、年々「シケ」ニ際シテハ波浪激シキ處ナリトス
駿河灣ニ於ケル波動進行ノ方向ヲ吟味スルニ燒津(城腰)ニ於テハ風ノ有無若クハ風ノ方向ニハ關セズシテ主ナル波浪ハ常ニ南四十度東ノ方向ヨリ進行シ來ル、又興津ニ於テハ平時主ナル波浪ハ南約十度東ノ方ヨリ進行シ來リ十月七日大津浪ノ際モ激浪ハ同一方向ヨリ進行セリ、又田子浦ニ於テハ十月七日ノ大津浪ハ南々東、乃至南ノ方向ヨリ襲來セルガ盖シ平時ニテモ主ナル波浪ハ同一方向ヨリ進行シ來ルモノナルベシ」
要スルニ駿河灣ノ北邊ニ於ケル波浪ハ主トシテ南、乃至南々東ノ方向ヨリ、即チ其濱邊ニ畧ボ直角ニ進行シ來ルモノニシテ駿河灣ノ北邊中最モ多ク津浪ヲ受クベキ部分ハ西方ハ興津淸見寺近傍(三保崎ノ陰ニ外ル所)ヨリ東方ハ原町ノ西方新田近傍(伊豆西岸ノ陰ニ外ル所)迄デ一帶ノ海邊ナルベシ(第二十五章參照)就中富士川口ヨリ東方浮島沼、近傍迄一帶即チ田子浦、元吉原村ノ地ハ此ノ限界中最平坦ニシテ其近海モ比較的遠淺ナレバ津浪ノ現象ヲ最モ充分ニ生起スルナルベシ
(第二)  今回ノ暴風雨ニ際シテ氣壓低下ノ甚ダシカリシコトハ近年稀ナル所ニシテ全國諸測候所ニテ觀測セル最低氣壓ハ伊豆半島南端ノ長津呂ニ於テ十月七日午後二時ニアリテ七百十四、五「ミリメートル」ニマデ降レリ、田子浦ニ於テ津浪ヲ起コシタルハ一部ハ風力ノ強キニ依ルト雖モ一部ハ實ニ此ノ如ク甚ダシキ氣壓ノ低下ニアリシト考ヘラル、今回暴風雨中ノ最低氣壓ハ疑モナク長津呂附近ニテ現ハレタルモノナルベキガ、其ノ示度ハ長津呂ニ於ケルモノト同一ナリト假定スレバ 低氣壓ノ中心點ニテ氣壓ノ平時ヨリ降レルコトハ(平時ノ氣壓ヲ七百六十「ミリメートル」トスレバ水銀柱ノ
760.ー714.5=455 ミリメートル
四十五、五「ミリメートル」ニシテ水ノ
1.36×45.5=620 ミリメートル
六百二十「ミリメートル」(曲尺二尺)ノ高サニ相當ス、即チ低氣壓ノ中心ニ於ケル海水ハ此ノ氣壓減少ノ爲ニ平均ヲ保タントシテ平時ヨリモ曲尺二尺ダケ上昇スベシ此ノ如クナレバ自然海水ニ動揺ヲ來タスベキナリ加之今回暴風雨中心ノ進行速度ハ非常ニ速ニシテ遠江洋上ニ於テハ一時間ニ五十海里ニ及ビタリ(鹿嶋洋及ビ金華山以北ニ於テハ一層之ヨリモ大ナリキ)今マ一時間ニ五十海里以上ノ速度ハ既ニ記ルセル如ク十月七日ノ津浪ガ中心ヨリ進行セル一時間ニ付キ三十乃至五十「キロメートル」ノ速度ニ比較シテハ頗ル大ナルヲ以テ此ノ低氣壓中心移動ノ結果トシテ今回ノ如キ津浪ハ起リ得ベキナリ

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地図 第八圖 明治三十二年十月七日天気図
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暴風雨概況
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十月十四日午後大小波の打ち上げた時刻
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第九圖 沼津における海水波動略図解(明治三十二年十月十四日観測)
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十月十六日波の大小と打ち上げた時刻
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第十圖 焼津(城腰)における海水波動略図解(明治三十二年十月十六日観測)
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地図 第十一圖 田子浦付近図(十万分一)

結論

二十七〔波動ノ性質〕 本篇第十三章及ビ第十五章等ニ於テ驗潮儀記録ヲ調査シ余ガ立論ノ可否ヲ判スルノ材料トナシタルガ、爰ニ注意スベキハ驗潮儀ノ設置アル塲所ハ大抵河口港灣等ニシテ幾分ノ凹入ヲナシ直接ニ洋中ヨリ來ル波濤ノ衝撃ヲ免カルヽ位置ニアルコトナリ、從ツテ其附近ノ海水ハ最モ自己ノ液體振子的振動ヲ生ジ易キ有樣ニアルモノナリトス故ニ單ニ諸所ニ現存スル驗潮儀記録ノミニヨリテ立論スルハ未ダ盡サヾル所アルノ感アリ、要スルニ海中地震ノ爲ニ津浪ガ起レル塲合ニ任意一海岸ニ於ケル波動ハ其直接局部ノ海水ガ一體トナリテ生ズル液體振子的振動ト震央附近ヨリ波及シ來ル海水振動ト相混ズルモノナルベシ、而シテ一般ノ塲合ニハ震央附近ニ起ル波動モ亦其局部ニ於ケル海水ノ液體振子的振動ナルベシト思ハル」若シ海底ニ大ナル陷落等ガ生ズルトキハ之レ亦タ津浪ノ原因トナリ得ベキナリ」因ニ海中地震、若クハ他ノ變動ナキモ海水ハ平時多少大ナル振子的振動ヲナシツヽアルハ氣壓ノ昇降、風力、潮流、地殻ノ緩動及ビ微動等ガ原因ナルベシカ
暴風雨ノ爲ニ起レル津浪ニ於テハ前章ニ記セル「激浪」ト稱スベキ浪ガ著ルシキニ似タリ
火山  海底ニ火山破裂アルトキハ附近ノ海水ガ爲ニ撃動ヲ受クルコト恰モ「バリスチック」振子ノ如クナリテ此塲合ニモ亦液體振子的ノ振動ヲ生ジテ津浪トナルベキナリ
津浪ニ關スル研究  津浪ニ關スル研究ハ未タ甚ダ少ナケレバ今後理論上、竝ニ觀測上ニ調査ヲ積ムコト必要ナリ而シテ其事タル海洋力學ノ一部ニ屬シテ液體力學應用ノ一ト看做スベキモノナリ」驗潮儀觀測ノ如キモ單ニ津浪ノ際ニ於ケル記録ノミヲ吟味スルハ不充分ナリ、平時ニ於ケル海水波動ノ状况ヲモ知悉スルヲ要スルハ言ヲ俟タザル所ナリ、而シテ津浪研究ノ目的ニハ現時諸觀測地ニ設置セラレタル驗潮儀ノ据付方ヲ少シク變更シテ短振動儀ノ波動ヲ記録セシムルコト望マシキ所ナリトス、又現時ノ驗潮儀ノ構造ヲ簡單ナラシメテ旅行携帶ニ便ナラシムルコトモ吾人ノ目的ニハ必要ナリ、左スレバ諸所ノ海岸湖水等ニ於テ潮水ノ觀測ヲ施コシテ各海岸ニ固有ナル波動ノ振動期等ヲ定ムルコトモ容易ナルベシ」地震ノ爲メニ津浪ガ生ゼル塲合ニハ其動原ハ實ニ水底ニ存スルモノナリ然ルニ從來津浪ハ海水ノ表面ニ傳ハリ行ク波動ノ現象ノミト假定シテ凡テヲ説明セント勉ムルモノヽ如シ此ノ點モ注意スベキコトヽ思ハル
津浪ノ豫知  暴風雨ノ爲ニ起レル津浪ハ突然、急速ニ浸入シ來ルモノニ非ザルベケレバ豫メ避難スルコト敢テ難カラザルベシ」海中地震ノ爲ニ起ル津浪ハ海岸ト震原トノ距離ニ從テ其襲來ノ時刻ニ遅速アレドモ本邦ノ大平洋方面ニ起ル地震津浪ハ古來ノ場合ニ就キテ見ルニ地震後凡ソ二三十分乃至一時間ヲ經タル後ニ海岸ニ打チ寄スルガ如シ、一般ニ海岸ニテ大地震ヲ感ジタルトキハ勿論、又大地震ナラザルモ震動時間長キニ亘ル地震ナレバ直チニ海水ノ状況ニ注意スルヲ可トス
地震後ニ津浪アルトキニ海水ハ先ツ引退スルコトニ就キテハ既ニ第十三章ニ論シタルガ此ノ外往々大津浪ノ數時間若クハ一日程以前ヨリ海水ガ遠ク退ケリト云フ説アリ此カルコトニシテ事實ナランニハ地震器械ヲ以テ地ノ「パルセーション」、地面ノ傾斜等ヲ海岸地ニ於テ不斷觀測ヲ施コシ豫知スルヲ得ベキバリ
結尾  本篇ハ津浪ニ關スル余ガ第一回報告ニ止マレバ素ヨリ不充分ノ點少ナカラズ尚第二回報告ニ於テ調査スル所アランコトヲ期ス若シ本報文ガ津浪研究上ニ關シテ多少裨益スル所アランニハ余ノ大幸ナリ

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次ニ附録トシテ慶長九年十二月十六日大地震ノ津浪ニ關スル調査ヲ載ス材料ハ全ク震災豫防調査會蒐集ノ大日本地震史料(未刊)ニ依リタリ

附録

 慶長九年十二月十六日  大地震
 一、震域  此ノ地震ハ上總、安房、武藏、相模等ニ於テ大震動ヲ呈シタルコト房總治亂記續本朝通鑑等ニ依リテ明カナレドモ當代記、東照宮實紀土佐國安藝郡崎之濱談議所之僧阿闍梨曉印ノ置文等ニハ地震有タルヲ記ルシテ潰レ家等ニ關スル記事ナケレバ恐クハ駿遠ヨリ以西ノ方、紀州土佐等ニ於テハ單ニ強震ヲ感ジタルニ止マリシナラン而シテ又薩藩舊記後編所載ノ嶋津龍伯手紙中ニハ東目、西目、沿岸ニ大浪ノ打チ寄セタルコトノミヲ云ヒテ地震ニ關スル所ナケレバ薩隅地方ニ於テハ當時地震ヲ感ゼザリシナランカ、又伊豆國八丈嶋宗福寺古記ニハ同嶋ニ大津浪ノ寄セタルコトヲ記ルセドモ地震ノ記事ナケレバ八丈嶋ニ於テハ盖シ強震以上ノ震動ハ無カリシナランカ
津浪ノ區域 津浪ハ犬吠埼ヨリ以西東海道及ビ紀伊土佐ノ沿岸ヨリ日向、大隅、薩摩ニ達シ其區域ノ廣大ナルコト我國地震史ニ於テ稀ニ見ル所ニシテ洋中ノ八丈嶋ノ如キモ非常ナル災害ヲ蒙リタリ而シテ諸舊記ニ依リテ判スルニ津浪ノ殊ニ甚シカリシハ房總半嶋ノ外面部(即南東側)、ニシテ之ニ次ギテ甚シカリシハ武藏相模ノ沿岸土佐ノ東南岸、遠江今切附近等ナリ、其他明細ナル記録ノ徴スベキハ無キモ伊豆、駿河ノ沿岸及ビ紀伊ノ東南岸等モ頗ル甚シキ津浪ヲ受ケタルモノナルベシ
當代記ニハ「諸國内海ハ不苦、攝州兵庫之浦ハ一圓不苦、是ハ先年慶長元年ノ事ナルベシノ地震他所ニ超過シタルガ故カト、所ノ者申候」トアルニ依リテ見レバ大阪灣ハ地震モ格別ノ強サニアラズシテ大津浪ノ現象少シモ無カリシヲ知ルベシ、又伊勢海ニテ伊勢國沿岸ニハ津浪頗ル甚シカリシガ東照宮實紀ニモ三河ニ關スル紀事ナケレバ三河灣内ニハ格別ノ大津浪ナカリシニ似タリ
上記スル所ニ依リテ考フルニ震原ノ中點ト看做スベキハ安房ノ東南海岸ヲ去ルコト遠カラザル海中ニ存セルナラント思ハル
津浪ノ時刻  當代記ニハ十二月十六日戌刻、丑寅ノ方ニ魂打三度、同地震右三魂打ト聞ヘケレバ俄ニ大波來テ云々」トアレバ地震ノ起リタル時刻ハ午後八時前後ニシテ遠州ニ於テハ其ヨリ幾何カノ小時間ヲ經タル後ニ大波來タリタルナラン
又僧阿闍梨曉印ノ置文ニハ「十二月十六日夜地震ス其時夜半ニ四海波ノ大潮入テ云々」トアレバ土佐東南海岸ニ於テハ津浪ハ地震後三四時間ヲ經テ襲ヒ來レルモノナルニ似タリ
嶋津龍伯ノ手紙中ニハ十二月十六日ニ大浪アリタル由記ルスヲ見レバ大浪ノ薩隅海岸ニ達シタルハ十六日ノ夜半頃ナリシアランカ( 房總治亂記ニ十七日子ノ刻ニ大浪寄セ來タリタルヲ記ルスハ疑ハシ)
津浪ノ模樣、當代記ニハ伊勢國浦々潮數町干キタルコト一時許ニ及ベル由ヲ記ルス土佐ニテハ僧阿闍梨曉印置文中ニ最初汐ノ引キタルコトヲ記ルサザレドモ夜中ナレバ見止メザリシカ、或ハ其甚シカラザル爲ニ見止メザリシニテモアランカ、房總治亂記ニハ海上俄ニ潮引テ三十餘町干潟トナル由ヲ記ルス僧阿闍梨曉印ガ記ルス所、土佐國安藝郡崎之濱(今佐喜濱ニ作ル)、穴喰等ノ如キハ非常ノ災害ヲ受ケタルハ主トシテ海岸ノ東南ニ面シ且川アリテ低地タルニ因ルナラン、且穴喰ハ小港ニシテ灣形ヲ成セバ殊ニ其甚タシキヲ致シタルナリ

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明治三十三年九月四日東京ニ於テ認ム

驗潮儀記録圖目次
第十三圖   鮎川    明治二十七年三月二十二日北海道大地震ノ津浪
第十四圖(甲)同     明治三十年二月廿日(東北地方激震アリ)
    (乙)同     明治三十一年四月廿三日(東北地方強震アリ)
第十五圖   同     明治三十年八月五日(東北地方強震アリ)
第十六圖(甲)同     明治三十一年四月廿一、廿二日(強風)
    (乙)同     明治二十七年三月三日      (平時)
第十七圖   同     明治三十二年九月六日、七日  (平時)
第十八圖   細島    明治三十二年十一月廿四日(九州ニ激震アリ)
第十九圖   銚子    明治二十九年六月十五日三陸大津浪
第廿圖    三崎(油壺)明治三十二年十月七日田子浦暴風雨

明治二十九年六月十五日三陸大津浪ノ際宮城縣本吉郡唐桑郡外五ケ所ニ於ケル水害區域竝ニ宅地移轉計畫ニ關スル圖面參考ノ爲提出候也
明治三十三年七月
委員工學博士  近藤虎五郎
震災豫防調査會長理學博士 菊池大麓殿

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地図 第十二圖 慶長九年十二月十六日(西暦千六百五年一月三十一日)大地震
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第十三圖 鮎川験潮儀記録
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第十四圖 鮎川験潮儀記録
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第十五圖 鮎川験潮儀記録
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第十六圖 鮎川験潮儀記録
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第十七圖 鮎川験潮儀記録
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第十八圖 細島験潮儀記録
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第十九圖 銚子験潮儀記録
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第二十圖 三崎験潮儀記録
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地図 本吉郡唐桑村字小原木ノ内只越 縮尺六千分一
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地図 本吉郡志津川町字志津川海嘯被害地實測図 縮尺六千七百分一
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地図 本吉郡戸倉村字波傳谷海嘯被害地及家屋移轉地畧図 縮尺七千七百分一
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地図 本吉郡階上村海嘯被害地及家屋移轉地畧図 縮尺九千分一
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地図 本吉郡唐桑村字大澤ノ内港濱 縮尺六千分一
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地図 本吉郡大谷村字海嘯被害地及家屋移轉地畧図 縮尺一万三千五百分之一

震災豫防調査會報告

總 目 録
●第一號(明治二十六年十一月二十日發行)
(一)貴族院議員理學博士菊池大麓ノ同院ニ提出シタル建議案并ニ同人ノ同院ニ於ケル演説……………第二〇頁
(二)本會官制……………………………………………第三二頁
(三)濃尾震災ノ鐡道ニ及ホシタル震害調査報告(原口委員提出)……………………………第三三頁
(四)地震計調査ニ關スル報告(田中館、中村、長岡、大森各委員提出)…………………………第四〇頁
(五)耐震家屋ニ關スル報告(辰野委員提出)…………第四二頁
(六)吾妻山噴火ニ關スル報告(大森委員提出)………第六〇頁
●第二號(同二十七年八月二十五日發行)
(一)愛知縣震災報告(江森臨時委員提出)……………第八頁
(二)福井縣震災景况(福井縣報告)…………………… 第六九頁
(三)餘震ニ關スル報告(大森委員提出)…………………第一〇三頁
(四)名古屋及仙臺兩市ニ於ケル磁力計室ニ關スル報告(田中館、中村兩委員提出)…………第一四〇頁
(五)地震ト地球磁力ノ變動トノ關係ニ付會長ノ開陳………………………………………………第一四一頁
(六)深井穿掘ニ關スル報告(吉田委員提出)………第一四四頁
(七)深井地質第一回報告(理科大學々生山崎直方調査小藤委員提出)………第一四七頁
(八)材料強弱試驗ニ關スル報告(田邊、眞野、井口各委員提出)…………………第一五五頁
(九)人爲地震ヲ生スル方法ニ付報告(關谷、田邊、眞野、田中館、井口、大森各委員提出)………第一六三頁
(十)構造物雛形調整ニ關スル報告(辰野、片山、中村、曾禰各委員提出)…………第一六四頁
○地震其他地異彙報(自明治二五年九月  至同 二十七年三月)………第一六七頁
●第三號(同二十八年六月八日發行)
(一)岐阜三重兩縣土木工事震害復舊工事ニ關スル報告(佐伯臨時委員提出)………………… 第九頁
(二)材料強弱試驗第二回成績ニ關スル報告(田邊、眞野、井口各委員提出)…………………第一五頁
(三)北海道地震ニ關スル報告(大森委員提出)………第二七頁
(四)同上記録調査ニ關スル報告(大森委員提出)………第三七頁
(五)同上構造物震災調査ニ關スル報告(囑託員工學士石井敬吉提出)……………………第四七頁
(六)烟突修繕方ニ付注意(本會ヨリ文部大臣ヘノ報告)…第六九頁
(七)煉瓦烟突危害豫防等諮問ニ對スル答申(内務省照會ニ關シ文部大臣ノ諮問ニ對スル本會ノ答申)…………………第六九頁
(八)千葉神奈川兩縣下地裂線調査ニ關スル報告(囑託員理學士大塚專一提出)………………… 第七二頁
(九)山形縣下地震調査ニ關スル報告(大森委員提出)……第 七九 頁
(十)同上震災地巡回取調ニ關スル報告(中村委員提出)…第一〇七頁
(十一)同上震害家屋取調ニ關スル報告(曾禰委員提出)……………………第一一七頁
(十二)古來出羽ニ於ケル大地震記事(囑託員田山實調査)………………………………第一三一頁
(十三)地震動傳達ノ速度及「波丈ケ」ニ關スル報告(大森委員提出)……………………………………第一六四頁
○地震其他地異彙報(自明治二十七年四月至同年十二月)…………第一四二頁
●第四號(同二十八年七月三十日發行)
(一)構造物雛形調整ニ關スル報告(辰野、片山、中村、曾禰各委員提出)…………第五頁
(二)東京附近地震被害建物等調査ニ關スル報告(同上各委員提出)…………………………………第一三頁
(三)同上被害橋梁調査ニ關スル報告(囑託員吉見鎭之助調査石黑、田邊兩委員提出)………………第九一頁
(四)水平振子觀測ノ報告(工科大學棏ジョン、ミルン提出)……………第九三頁
○地震其他地異彙報(自明治二十八年一月至同年三月)…………第九五頁
●第五號(同二十八年八月十五日發行)
○東京附近地震被害工塲烟突調査ニ關スル報告(眞野委員提出)
●第六號(同二十八年九月二十九日發行)
○木造耐震家屋調査ニ關スル報告(辰野、片山、中村、曾禰各委員提出)
●第七號(同二十八年十二月三十日發行)
(一)山形縣下震災被害建物調査報告(大學院學生及工科大學學生等調査辰野、中村兩各委員提出)…………第四頁
(二)同上(大學院學生工學士野口孫市調査辰野、中村兩委員提出)…………………………第一五頁
(三)東京地震被害建物實况調査報告(大學院學生工學士塚本靖、野口孫市、囑託員山崎定信調査辰野、片山、中村、曾禰各委員提出)……………第三一頁
●第八號(同二十九年三月九日發行)
(一)庄内地震ニ關スル地質學上報告(小藤委員提出)……………………………………第一頁
(二)妙高火山彙地質調査報文(囑託員理學士山崎直方調査小藤委員提出)……………………………第二三頁
(三)米山火山地質調査報文(囑託員理科大學々生岩崎重三調査小藤委員提出)……………………………第八七頁
(四)毛無火山近傍地質調査報文(囑託員理學士淸水實隆調査小藤委員提出)…………………………………第一三七頁
●第九號(同二十九年七月二十四日發行)
(一)山形縣下震災後建築視察報告(囑託員工學士野口孫市調査辰野、片山、中村、曾禰各委員提出)…………第五頁
(二)大島火山調査報文(理學士山崎直方調査小藤委員提出)………………第三三頁
●第十號(同二十九年十一月十九日發行)
○煉瓦接合試驗成績第一回及第二回報告(囑託員吉見鎭之助調査田邊委員提出) 
●第十一號(同三十年一月二十二日發行)
(一)三陸地方津浪實况取調報告(囑託員理科大學々生伊木常誠調査小藤委員提出)………………………第五頁
(二)三陸地方津浪前後地球磁力變動報告(中村委員提出)………………………………………第三五頁
(三)布哇島ノ津浪詳報抄譯……………………………第三七頁
(四)三陸津浪彙報………………………………………第四一頁
(五)陸羽地震調査概報(囑託員理學士山崎直方調査小藤委員提出)………………………………………第五〇頁
(六)秋田縣震災調査報告(巨智部委員提出)…………第七五頁
(七)陸羽震災地巡回報告(中村委員提出)……………第八四頁
(八)岩手秋田兩縣下震害家屋調査報告(曾禰委員提出)………………………………………第九二頁
(九)震害家屋ノ修繕ニ就テノ注意(本會ヨリ秋田岩手兩縣ヘ送付セルモノ)……………………………第一〇五頁
(十)陸羽震災前ニ於ケル地球磁力ノ變動報告(和田委員提出)……………………………………第一〇六頁
(十一)陸羽地震彙報……………………………………第一〇九頁
(十二)榛名火山及角落火山地質調査報文(囑託員理學士岩崎重三調査小藤委員提出)…………………第一四〇頁
●第十二號(同三十年六月二十七日發行)
(一)煉瓦接合強弱試驗成績第三回報告(囑託員吉見鎭之助前澤初治調査田邊委員提出)………………第五頁
(二)高架鐡道布設計畫ニ關スル逓信省鐡道局照會及本會回答…………………………………第二二八頁
●第十三號(同三十年九月十三日發行)
(一)北海道根室ニ建設セル改良日本風木造家屋建築仕樣圖面……………………………………第五頁
(二)東京市深川ニ建設セル改良日本風木造家屋建築仕樣及圖面…………………………………第九頁
(三)木造日本風改良構造仕樣及圖面…………………第一三頁
(四)木造耐震家屋雛形解説概要及寫眞………………第一九頁
(五)公共用木造二階建改良構造仕樣及圖面(小藤委員提出)……………………………………第一頁
(六)大不列■理學獎勵會ノ提議ニ關スル本會委員會ノ決議………………………………………第三一頁
●第十四號(同三十年十二月十日發行)
○工塲烟突調査ニ關スル報告(眞野委員提出)
●第十五號(同三十一年一月六日發行)
○木材接合試驗第一回報告(囑託員吉見鎭之助前澤初治調査田邊委員提出)
●第十六號(同三十一年一月三十一日發行)
○箱根熱海兩火山地質調査報文(囑託員理科大學々生平林武調査田邊委員提出)
●第十七號(同三十一年二月二十六日發行)
○伊豆半島火山地質調査報文(囑託員理學士石原初太郎調査小藤委員提出)
●第十八號(同三十一年四月二十九日發行)
○赤城火山地質調査報文(囑託員理科大學々生齋藤讓調査小藤委員提出)
●第十九號(同三十一年五月二十九日發行)
○荒船火山地質調査報文(囑託員理科大學々生佐川榮次郎調査小藤委員提出)
●第二十號(同三十一年六月二十七日發行)
(一)深井地質第二回報告(囑託員理學士山崎直方調査小藤委員提出)
(二)八ケ嶽火山彙地質調査報文(同文)
●第二十一號(同三十一年七月二十八日發行)
(一)人爲地震臺改修報告(眞野委員提出)………………第五頁
(二)煙突震動實驗報告(田中館、眞野兩委員提出)……第七頁
(三)人爲地震波速度測定報告(大森委員提出)…………第一七頁
(四)地震波傳達速度測定第一回報告(大森委員提出)……………………………………第二一頁
(五)同第二回報告(囑託員理學士今村明恒調査大森委員提出)…………………………………第三一頁
(六)地震動ノ強度ト被害トノ關係調査報告(大森委員提出)……………………………………第四五頁
(七)仙臺市及附近震災被害調査報告(囑託員理學士木村駿吉六波羅杢次郎提出)……………第五一頁
(八)福井縣大飯郡内變動地調査報告(囑託員理學士(伊木常誠調査小藤委員提出)…………第五七頁
(九)東印度震災畧誌ニ關スル報告(近藤委員提出)……第六七頁
○地震彙報(自明治三十年一月至同年十二月)…第七一頁
●第二十二號(同三十一年九月九日發行)
○印度震災地巡回報告(中村委員提出)
●第二十三號(同三十一年十月十七日發行)
○煉瓦接合強弱試驗成績第四回報告(囑託員吉見鎭之助前澤初治調査田邊委員提出)
●第二十四號(同三十二年二月十五日發行)
○富士及愛鷹火山地質調査報文(囑託員理學士平林武調査小藤委員提出)
●第二十五號(同三十一年十二月二十日發行)
○印度アッサム地方震災實况調査報文(小山臨時委員提出)
●第二十六號(同三十二年二月八日發行)
○日本地震史料目録(囑託員田山實蒐集大森委員提出)………………第三頁
○日本地震史料目録ノ調査(大森委員提出)………第一一七頁
●第二十七號(同三十二年三月十五日發行)
○日光火山彙地質調査報文(囑託員理學士齋藤讓調査小藤委員提出)
●第二十七號附録(同三十二年九月八日發行)
○六甲山鳴動ニ關スル意見(大森委員提出)
●第二十八號(同三十二年九月十日發行)
○煉瓦柱破壞及柱状物體轉倒ニ關スル調査(大森委員提出)……………………………………第四頁
○明治二十七年六月二十日東京激震ノ調査(同上)………………………………………………第七一頁
○明治二十四年十月二十八日濃尾大地震ニ關スル調査(同上)…………………………………第七九頁
○明治二十七年六月二十日東京激震ノ地震計記録圖(同上)……………………………………第九七頁
●第二十九號(同三十二年九月二十九日發行)
○福岡地震調査(囑託員理學士伊木常誠調査小藤委員提出)……………………………………第五頁
○東京ニ於ケル福岡地震餘波ノ觀測調査(大森委員提出)…………………………………第十一頁
○三陸津浪取調(囑託員理學士今村明恒調査大森委員提出)……………………………第十七頁
○工科大學二階地震驗測ノ結果(大森委員提出)……第三三頁
○地震ノ初期微動ニ關スル調査(同上)……………第三七頁
○遠地地震ニ關スル調査(同上)……………………第四七頁
○宮古地震觀測ノ調査(同上)………………………第五七頁
○震災ト水位ノ關係第一回報告(囑託員前澤初治調査近藤委員提出)…………………………………第七九頁
○支那地震表(大森委員提出)………………………第八五頁
○地震其他地異彙報(自明治三十一年一月至同年十二月)…………第一〇七頁
●第三十號(同三十三年六月四日發行)
○餘震ニ關スル調査第二回報告(大森委員提出)……第五頁
○日本ニ於ケル地震ノ一年中及一日中ノ分布(同上)…………………………………………………第三〇頁
●第三十一號(同三十三年七月十日發行)
○高原火山地質調査報文(囑託員東京帝國大學理科大學々生金原信恭調査小藤委員提出)
●第三十二號(同三十三年九月十三日發行)
○地震觀測方ニ關スル意見 (大森委員提出)………第七頁
○地震動ノ性質ニ關スル調査第一回報告(同上)……………………………………………第九頁
○物體ノ轉倒及移動ニ就キテ(同上)………………第一九頁
○月(太陰)ト地震トノ關係ニ就キテ第一回報告(同上)…………………………………第三五頁
○明治三十一年八月福岡激震ニ關スル調査第二回報告(同上)……………………………第四七頁
○日本ノ大地震ニ就キテ(同上)……………………第五五頁
○靑森ニ於ケル地震回數(同上)……………………第六三頁
○明治二十四年十月廿八日濃尾大地震調査第二回報告(同上)…………………………第六七頁
○京都地震觀測ノ調査第一回報告(同上)…………第八九頁
○大阪地方震害調査報告(曾禰委員提出)…………第一〇五頁
○地震波傳播ノ速度測定第三回報告(今村臨時委員提出)…………………………………第一二一頁
○明治三十三年五月十二日陸前地方ニ發セシ強震前ニ於ケル磁力變動調査報告(囑託員理學士大石和三郎調査和田委員提出)……………………第一二七頁
○地震ト地磁気トノ關係調査報告(囑託員理學士本間義次郎調査和田委員提出)……………………第一三一頁
○地震其他地異彙報(自明治三十二年一月至同年十二月)…………第一四五頁
●第三十三號
○阿蘇火山調査報文(囑託員理學士伊木常誠調査小藤委員提出)
明治三十三年十二月二十日印刷
明治三十四年一月二日發行
震災豫防調査會
東京市神田區美土代町二丁目一番地
印刷者  島 蓮太郎
東京市神田區美土代町二丁目一番地
印刷所  三光社活版所