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海嘯略誌編纂について

 去る三月三日未明、突如襲来せる津浪によつて、本縣海岸地方の人達は、精神的にも物質的にも、非常な打撃を受けましだが、そのうちでも我が大槌町は、被害程度の高い一地方で有ります。
 何千といふ人達は家を失ひました。着のみ着のままで避難しました。食ふ事が出来なくなました。
 子供達は學習すべき総べての物を失ひました。學校は止むなく休校の上、被害の調査やら、學習準備を行つて、一週間後にはどうやら、開校の運びに至りました。
 町の人達も日が経つにつれて「復舊から復興へ」を、目指して働き出しました。
 一般の人達といひ、學校の子供達といひ、比較的短日数で、どうやら夫々の立場に歸る事の出來たのは、その人々の「意氣」そのものが土臺であることは、勿論の事ではありますが、一面又社會全般の深厚な、御同情の賜である事を深く信じます。
 よつて、當時、哀れな子供達に、御同情下さいました皆様に、御挨拶を申し上ぐると同時に「將来の参考にも」との浄念から、此の小冊子を編纂することに致しました。
 幸ひ、この浄念の現はれが、何處かにありますなら、本懐の至りでございます。

昭和八年六月三十日、校長 鈴木兼三

偲ばるる海嘯の惨害他・被害区域図

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写真 写真 偲ばるる海嘯の惨害(其の一)
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写真 写真 偲ばるる海嘯の惨害(其の二)
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写真 写真 偲ばるる海嘯の惨害(其の三)
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写真 写真 偲ばるる海嘯の惨害(其の四)
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写真 写真 偲ばるる海嘯の惨害(其の五)
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写真 写真 海嘯後稍そう整理されたる大槌町の一部
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地図 三陸津浪被害区域圖(岩手縣)
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地図 大槌町(町方) 被害状況分布図 その1
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地図 大槌町(町方) 被害状況分布図 その2

昭和八年 三月三日 大槌海嘯略誌 第一章 海嘯の歴史

第一項 大槌海嘯略史

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大槌海嘯略史

第二項 歴史上の三陸津浪

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歴史上の三陸津浪

第二章 三陸海嘯の学的調査

第一項 観測所の観測発表

一、發震時及び震央距離
二、東京観測所の観測
三、震源地
 各地方測候所より電信により、報告せられたる所によると、震域頗る廣範囲に亙り、岩手縣、官城縣、福島縣の海岸では強震を感じ、震央は東百四十四度六、北緯三十六度二、金華山東北二百八十粁、釜石の東方約二百三十粁の遠い沖合に當つてゐる。
 此の位置は所謂外側地震帯上に位し、常に頻々として地震を發する所である。即ち此の地帯に發する地震の回数は、毎年千回を越ゆる位である。然し此の地帯に發する地震としても、今回の如き大規摸の地震は、稀に見る大地震である。

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發震時及び震央距離と東京観測所の観測

第二項 津浪の來た時刻

 津浪が來た時刻は、各地に於て可なり違つてゐる。之は各部落の住民から聴き取つたのであるから、勿論正確なものではない。只、鮎川検潮所で測定したものは、検潮儀によつたものであるから、正確といふことが出来る。而してそれによると、地震後四十分にして潮が急降した事を示して居る。然し夫れより九分前に徐々な上潮を記録して居る故、此の上潮が津浪の初波であるとすれば、津浪は震央より三十一分にして、鮎川へ到達したこととなり、平均約百六十米の秒速で傅播したことになる。然し之は震央に於ける浪の撹乱が、地震と同時に起つたと假定して、推算したものである。
 左記の如く、大體二十分乃至四十分を要し、其の平均は三十分強となつてゐる。之れより平均の速度を算出して見ると、秒速約百五十米となつて、鮎川の材料から算出したものと、似た結果を得る。
一、宮城縣 鮎川—四十分後    小網倉—二十分後
二、上閉伊郡 大槌—三十分後   釜石—三十三分後
三、下閉伊郡 宮古—三十九分後  田老—二十八分後

第三項 音響と海鳴

 地震後に音を聞いた處は頗ゐ多い。處によつては、二回も音を聞いて居る。そうして二回目の音は、極めて微かな音であつた。此の二回目の音は、恐らく第一回の音の、反射波であらうと思はれる。叉第一回の音響も、地震後十分以上を經てから聞いた處が多いが、之は震央から沿岸まで、平均二百五十粁も在るから、地震と同時に、震央にて音を發しても、早い所で十二分、遅い所では十五分を經たなければ、其の音を聴く事は出来ない。各部落の音響、海鳴は次の如くである。(部落名、同種のものを省く)
○震後十五分砲馨の如き音響を聞いた ○東方沖合に汽車の如き音を聞いた
〇三時十分寅艮方に大音響を聞いた  ○地震後東方にゴーといふ音を聞いた
○震後二十分沖合に音を二回聞いた  ○津浪の直前ドンと音がして浪が退いた

第四項 三陸地方地質地形概況

  一、三陸地方の地質概況
 三陸地方ば其の脊髄として、日本外帯山脈の北半たる北上脈がある。此の山脈は東は太平洋に面し、海岸はリアス式となつて居るが、西は北上川及馬淵川の渓谷によつて、中央山脈と境されてゐて、紡錘状をなしてゐる。此の山脈の地質は、大体古生層からなつて居るが、南部牡鹿半島は、中生層によつて、構成されてゐる。
而して、其のうち所々に花崗岩迸出がある。
 斯くして北上山脈の地盤は古く、且つ堅■であるため、地震に對して震度は、比較的小さい。故に今回の如き大規模の地震にあつても、海岸の沖積層上では、強震を感じたが、他の處では強震(弱き方)或は弱震程度の地震あつて、地震による被害は、殆んど見る事が出来なかつた程である。
  二、三陸地方の地形
 南は牡鹿半島から北は青森縣八戸町の、東なる鮫岬に至る海岸は、本邦に於て最も凸凹の著しい海岸である。即ち北上山脈の尾根が太平洋に没する所が、此の海岸であつて、所謂、リアス式海岸を構成して居る。
 此の海岸は、北上の褶曲山脈が、多くの枝谷を海岸へ向けて居る所へ、地盤の沈降が起つて水準を高め、其のため、海水は深く谷間に浸入して、形成されたものである。此の如き海岸にあつては、灣口の水深は極めて深いが、灣内へ入るに從つて淺くなつてゐる。然も此の場合、北上山脈の如き枝谷が多い所では、小灣が極めて多くなつてゐる。
 斯るリアス式海岸は、V字形をなした小灣が、太洋に開口せることと、灣口から海岸に至るに從つて、次第に淺くなる事によつて、津浪を生ずる恐が充分にある。岩手縣に入つて、門之灣、綾里灣、越喜來灣、吉濱灣、唐丹灣、釜石灣、大槌灣、船越灣、山田灣、宮古灣、久慈灣等がある。
 之等各江灣は、概ね東方に開口して居るため、今回の如く三陸海岸に平行して、其の沖合を走る外側地帯上に發した地震にあつては、其の震源極めて淺い場合に、津浪を生ずる恐れがある。叉北東、或は南東に開口してゐる灣では、多く袋の様になつて、深く灣入して居るため、失張り浪高を増して、津浪の災害を蒙つてゐる。
此の様に、三陸海岸は其の構造から見て、極めて津浪を生じ易い形式を備へて居る。故に古来津浪の災害を蒙つた事が頗る多い。歴史に徴して見ても、有史以來十一回の津浪を挙げる事が出來る。

第三章 大槌町海嘯に関する状況

第一項 當夜の概況

 三月三日午前二時卅分過ぎ、強音の猛續する近年に珍らしい、強震に襲はれた。
「すはや!!」と、戸外に出る者、海潮を見に出る者、者、兎に角、此の一大地變に戦いた。寒さは寒い。けれども皆起き出て、何かしら次に起るらしい、豫感そのものを待つやうであつた。
 強震後廿分も経過したと思はれる頃、電燈が消えて全く闇となる。嵐の前の静けさのやうな、氣分の満ち満ちる時、此の消燈で益々夫を強くした。と、突如!!遙かに、そして近くに、「津浪だー!!」人間の最も懸命な、叫びが、—人生の途上に於て、或は一度も發し得ざる、或は聞き得ざる、悲痛、絞膓、血を吐くが如き、痛烈な叫びが— 一切の静を破りそうにして、そして破らうとせまる。
 時に、此の聲に應じでか、大須賀方面の各戸の人々、慌てふためいて、戸外に出て、各々、江岸寺裏山に、或は上方の親類、縁者、學校等の方向に疾走し、力走した。
—天地万物一切眠り、軒亦三寸下ると言はれる丑滿時、空には月なく、星もなき、暗黒の夜の寂に、常夜にすら肌へを刺す三月の大氣は、特に皮膚をつんざいて、その寒さ一入身に浸み込む—
 子を呼ぶ母、子供は!我が子は!!足りない。叉数へても、又呼んでも、やはり足りない。置き忘れて來たのだ。
 ああ、子供は!子供は!!呼べども叫べども、更に答へとてもなく、身を顫ひ、聲をからし、血を吐きて叫べども、暗黒の夜に巳が子の影とて見へで、更に更に悶ゆれど、やはり子供の数は不足に、天地神明にその加護を頼めども、心の何處くにも安けさなし、ああ恨しし、恨ましし、併し誰をか恨むべし、眞に誰を怨めばいいのだ。只、聲をふりしぼつて慟哭する悲痛な叫び、津浪の襲來に無我無中なる身にも、聞くだに辛き切ない、血絞地獄の聲だ。更に一方には、水だ!!津浪だー!!! との聲に交つて、親を求める子の凄絶なる絶叫!!兄を呼ぶ、妹を探す、兄弟姉妹の身を切るやうな聲、老ひさばれたる人らしい、かすれた中にむせび乍ら絶叫する聲、夫たる者の、妻たる人の互に呼ぶらしい叫び、叫!!叫!!叫びの■■!!暗黒の裡の大自然の力の中に、また小なる人間の、然し乍ら眞劒な叫び、正に阿鼻叫喚である。
 此の第一回目の水は町方より、大須賀の曲り角まで來た。間もなく消防隊及自警團、竝に軍人分會及町青年團の人々が警羅に出た。斯くして此の水は一度引退いたが、再び襲来した。此の間、凡そ廿分も経過したであらうか、這度の土水は前に襲つたものよりは尚ほ強く、大須賀より八日町、御社地、新町及向川原方面の一帯に押し寄せた時は、既に災害地域の電燈が消えてあるので、只、目標の不安定な暗夜を辿るのみであつた。
 之より二時間以上も経過して、漸くほのぼのと夜が白けかかる頃となつて見渡すと、其の惨状は、棲愴の極であつた。
 家を流した者、子を失ふ者、親を失つた者、寝巻のまま、跣足のまま、避難した者等の、物をも言ひ得ない哀れな姿は、フラフラと、倒壊家屋の間を彷徨する。之を見て、今更現實の大なる悲境を痛感せられた。
 血氣の男達が漸次山を下りて來て、夫々の被害程度に應ずる處置を取らうとして、一歩屋内に踏み入ればその荒れ狂つた混維の様に思はず驚嘆、而して「よくも斯く荒れだものだ」と、皮肉笑ひさへ出された。
  —再び、「津浪だあー!!」あの未だ忘れられない響を持つ叫び!!一散に山へとぶ!!とぶ!!
  どぶ溝に足を入る者、蹟く者、「全く恐ろしいのだ」思ひ出すだに戦慓させられる。—
 漸く安心して再び山を下る。三度、四度、此の海嘯來の叫びに脅かされ乍らも、やがて夜は全く明け擴がり、人々の聲にも漸く安心の影を認むることが出來るやうになつた。

第二項 學校の採りたる處置  (自三月三日至三月十四日)

 一、事件突發當時に於ける處置
 午前二時半過、海嘯襲来と共に学校に避難する者多数だつたで、校長以下全職員、直ちに学校に出動し、男女両控所、小使室、宿直室を開放し、控所にはストーブを焚き付けて、避難者の便益を計ると共に、諸管理の任に當る。
 二、其の後の處置
1、児童に對しては臨時休業の旨を直ちに公示す
2、通常女教員一名宛の日直員を男教員二名とす
3、全職員は直に被害地の現状視察に向ふ
4、平常一名宛の宿直員を二名に増加す
5、罹災者に對する處置
 (1)、當朝、罹災者に對する給食は握飯とし、女教員之か任務につく
 (2)、當夜より尋一男女、尋三女の各教室、小使室、宿直室を開放し、罹災者の宿泊所に充てた
 (3)、罹災者の宿泊所には、敷物、火鉢、ストーブを配置す
 (4)、當夜より宿直員外二名の不寝番を設けて、火氣其の他の取締をなす
6、三月四日以後十四日に至る迄同一方法を繼績實施す
7、三月四日には職員総動員で被害家庭を訪問し児童の状況を調査す
8、三月七日再び職員総動員で被害家庭を訪問し児童被害状況の詳細な調査を行ふ
9、職員交互に町當局の罹災民救濟事務を應援す
10、三月八日満洲派遣兵へ郷土月報(海嘯號)を作製之を發送す
11、三月九日より實習室に於て町内整理の爲めに立ち働く消防手等のため炊事をなす
12、三月十一日被害児童に對し第一回目の配給をなす
13、三月十三日第二回目の配給をなす
   三、収容人員
三月三日現在にて廿三家族、其の人員百三十二名

第三項 交通、通信方面

 流言は流言を産んで、大槌町全滅の爆破的噂を耳にした町出身の他郷土にある者及び親類縁者は、どんなに心を疲れさせたことであらう。
 遠くにある人々は、その報道の遅いのに劫をにやし、配達される新聞には「遅し!!」とばかり、直ぐに縋りついたことであらう。
 刻々に被害地の酸鼻が報ぜられる。けれども大槌地方の記事は出ない。アナウンサーは附近の情況を報するが、大槌地方の事は放送してくれない。
 釜石の様子は報ぜられた。宮古の事は報せられた。山田の事も報ぜられ。
 然し、大槌の事のみは報ぜられない。海嘯鳥瞰図には、これ等の地方に挾まれて居て、當然大きな被害を豫想される。我等が大槌— 一体何うなつたのだ?
 心は非常に動揺する。安否を氣づかうた電信の返事まで來ない。ほんとうに何うした事だらう。
 一つ刻、一つ時の間さへ心もとなくて、じゆつとして居られない。
 状況がわからぬ迄も、せめて電信の返事ばかりも來さうなものだ。
 一つ体どうして居るんだらう。とんまな奴等だ。
 併しなあー、斯んな事では、大槌は全滅したんぢやなからうか?等、随分心配せられた事であらう。
 全く當地方の報導は、各地のそれに比し非常に遅かつた。併しこれは海嘯襲來と共に、交通、通信の両機關は、全く破壊せられ、ために一切の消息を絶たねばならなかつた實情にあつたからのだ。それでも若し假に、通信、交通の両機關として、取り残されたそのものを拾ふならば、僅かに、ほんの僅かに、舊道を息せき切つて來るのが、通信のもつとも迅速な方法であり、此の舊道を喘へきつつ辿り着き、辿り行くのが、唯一の交通だつたのだ。左にその状況を、日次を逐ふて記録し、以て参考に供す。
 三月三日
 1、自動車不通(小鎚橋、安渡橋共に落橋)
 2、電信、發信不能、來信の受付をなす(釜石局を通ず)
 3、電話、市内被害地及び長距離電話不通
 4、三陸汽船入港せず
 三月四日
 1、自動車不通 釜石方面への交通路は室濱橋急架工事を施し、之を通り白石より自動車便に移る
 2、電信は依然として來信のみ受付く、發信不能
 3、海軍及新聞社の飛行機視察の爲飛來
 三月五日
 1、新聞始めて來る
 2、始めて三陸汽船入港す
 3、大湊より驅逐艦入港
 4、通信交通機關前日の通り
 三月六日
 1、電信は盛岡へ直通可能となる
 2、盛岡工兵隊より架橋道路修理のため四十余名來槌
 3、其の他通信機關、自動車の運轉は前日同様
 三月七日
 1、自動車未だに町内より直接出立し得ず
 2、長距離電話通ぜず
三月八日
 1、小槌橋、安渡橋、架橋工事夕刻完成
 2、自動車便漸く通す
三月九日 本校宿泊中の工兵隊歸隊

第四項 避難民の救護

一、学校のとれる救護
海嘯襲來と共に校長以下全職員、直に學校に出動し、男女両控所、小使室、宿直室を開放し、ストーブを焚き付ける等、避難者の便■を計り、諸管理の任に當つた。
二、概況
三月三日 學校への避難者は総計百参拾貮名で、宿直記事に依ると當夜は微震が藪回あつて、収容者は、戦々競々たる様子であつた。當町内巡視の夜警は、数回に亘つて學校の収容所を巡視した。
三月四日 罹災収容者は前夜より減ずる。疲労と安心の爲か多く熟睡状態であつた。
三月五日 前夜と大差なし
三月六日 本校内の避難者は漸次減少の傾向で概数百各位となる
三月七日 本校内の罹災収容者調査の結果、十四家族、九十三名。
三月八日 本校内の避難者はいよいよ減少して、総数六十余名となる。罹災者一同(伹戸主)を宿直室に集め明後十日より授業開始に付、各人の引揚げ予定等に関し談合をなす。
三月九日 避難者は本格的に本校を引揚げ、尋一男女の教室にある収容者は、其の数を減じ、尋三女の教室には一家族を残せるのみとなる
三月十二日 収容者全部引揚ぐ
三、急造バラック
 各部落に急造バラックを建築して罹災者中寄るべなき人々を収容した

第四章 各種統計表

第一項 各地被害調

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各地被害調

第二項 本縣全員被害調(昭和八年三月廿二日現在)

一、人及び家屋の被害
ニ~四、ページ抜けている(表一部あり)
五、船舶の被害
六、農用地被害表
七、家畜の被害
八、義捐金の内譯書
九、白米及其の他雑品配給状況表 四月三十日現在
一〇、災害以來救護状況
 一、罹災戸数・救護人員
 二、慰問
イ、御下賜金    金二千二百五拾六圓
ロ、御下賜品    御衣服地・・・・四一人分  御裁縫料・・・・二、〇二五圓
ハ、各宮家御救恤金 百拾七圓二拾八銭
ニ、一般義捐金   金壹萬参百圓〇四銭 
ホ、縣罹災救助基金中ヨリ   六萬九千七百五十一圓二十三銭
へ、義捐金配當額
   種別             配當額
 一、生業資金         七九、九〇二、〇〇円
 二、生産施設援助       二二、〇〇〇、〇〇
   水産業共同施設       九、〇〇〇、〇〇
   養蚕業共同施設       一、八八〇、〇〇
   畜産共同施設        一、二九三、五〇
   林業共同施設        一、四二六、五〇
   副業共同施設        八、四〇〇、〇〇
   商工施設
   其の他
 三、死者ノ弔慰援助         七〇〇、〇〇
 四、災害豫防及備荒施設援助   九、六七八、〇二
   備荒林及防潮林苗圃ノ造成援助  六七八、〇二
   備荒倉庫設備ノ援助     九、〇〇〇、〇〇
   計           一一二、二八〇、〇二

一、生業資金交付状況
 区分             一戸當り      一人當り
自家流失者           九五圓       六、〇〇
借家流失者           五五圓       六、〇〇
自家全潰者           九五圓       六、〇〇
借家全潰者           五五圓       六、〇〇
自家半潰者           五五圓       四、〇〇
借家半潰者           二五圓       四、〇〇
浸水者             一五圓       一、八〇
倉庫、製造場、個居流失、全潰  五〇圓
右半潰者            二五圓
發動機艇流失、全潰       三〇圓

ト、慰問金配當割合
     一一、大槌尋常高等小學校児童被害状況調
     一二~一六ページ抜けている。
     一七、學区内被害状況
イ、被害家族数  二、一七六名
ロ、死亡者数— 二一名   行方不明者数— 五名   重傷者数— 七名   軽傷者数— 三五名
ハ、総被害総額  七一二、七七三圓

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一、人及び家屋の被害
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ページ抜けの表一部分
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五、船舶の被害
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六、農用地被害表
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七、家畜の被害
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八、義捐金の内譯書
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九、白米及其の他雑品配給状況表
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罹災戸数・救護人員
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慰問金配當割合
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大槌尋常高等小學校児童被害状況調(表一部抜け)
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學区内被害状況

第五章 津浪被害豫防法及び地震津浪に對する心得

1、港灣は其の地形・水深分布及び環境等により、その災害の状況を異にするを以つて、その豫防は地形・環境等を考へた上にすることが大切である。
2、港灣の形状及び海底の深浅と津浪の加害状況
津浪は平常の水準面上に、二・三十米の高さになるので、その港灣の地形は増水により異なつて來るものである。當町の港灣の如きは、平常U字形であるが、一旦増水すると、V字形となるが如きである。斯くした港灣の地形によつて、加害状況を研究した結果は、左の如きである。
 甲類=直接に外洋に向へる灣
   第一、港灣の型V字をなせる場合
    綾里灣、吉濱灣、姉吉灣等の如く、外洋に向つてV字型に開けてゐるところは、津浪は灣奥十米乃至三十米の高さに達し、汀近くに於て一層浪勢を増して、高所に打上げるものである。
   第二、灣型U字型をなせる場合
    田老・久慈・小本・大谷等、U字型をなせる港灣にては、前者よりも波浪稍〃軽きも、十五米に達することがある。
   第三、海岸線に凹凸の少なき場合
    吉灣村・千歳・赤崎・長崎・大須等は、津浪は前記第二に近くして、稍低く十二米に達することがある。
 乙類=大灣の内に有る港灣
   第四、港灣V字形をなして然かも大灣に開く場合
    津浪は第一の形式を取るも、波高稍低く十五米位に達することがある。船越、兩石港、十五濱村等は、この類である。
   第五、港灣U字形をなして大灣に開く場合
    津浪は第四に比して一層低く、波高七・八米に達することがある。廣田灣に開ける泊、釜石灣に開ける釜石港、大槌灣に開ける大槌港等は之なり。
   第六、海岸線凹凸少なき場合
    津浪は第五に比較して一層低く、四・五米に達することあり、又波浪することがなく、単に水の増減を繰返すに過ぎないことが多い。山田灣に開ける山田港、大船渡灣に開ける大船渡港等は、之に類す。
  丙類=・・・・・・・・・・・・
   第七、細長く且つ比較的浅き場合
   津浪は概して低く、波高漸く二・三米に達する。氣仙沼等は此の部類に属してゐるし、女川港は之に近い型である。
 丁類=・・・・・・・・
   第八、九十九里濱型砂濱
   海岸の地形直線に近きところにして、海底の傾斜比較的緩かなところは、津浪の高さ四・五米に達するに過ぎざることがある。青森縣東海岸、宮城縣亘理郡沿岸は、之に類するものである。
港澱の形状、深浅による結果の實験状況の分類は、以上の様なものであるが、この他に灣側、灣底地形が、津浪の波高に影響を與へることも甚大であることは、軽視することが出來ないもので、屈折凹凸の甚だしい港灣は、浪勢を減殺するのが常である。
3、津浪豫防法
(1)、住宅地高地移轉
(2)、防浪堤の設備
(3)、防潮林の設備
(4)、護岸の建設
(5)、防浪地区の設定
(6)、緩衝地区の設定
(7)、避灘道路建設

4、警浪の警戒
津浪襲來は豫知することは困難なるも、その副現象に注意することは、幾分でもその被害を減少することが出來る。
(1)、津浪には大規模の大地震を伴ふもので、その地震動は之れに緩急種々の区別があるであらうが、概して大きく揺れ且つ長く継續するものであること。
(2)、地震と津浪とは同時に發生するものであるが、その傅播速度に差があつて、その發生より海岸に到着するまでに、地震は三十秒程度であるが、津浪は二十分乃至四十分を要するものであること
(3)、津浪の襲來の時には遠雷或は大砲のやうな音を数回聞くこともあるが、それは地震後五・六分乃至十数分後に来るのが通例である。
(4)、津浪は三陸沿岸に於ては引潮後を以つて始まるのが通例ではあるが、何時も左様だと思つてゐてはならない。例外の場合もあると思はなくてはならない。
 以上の様なことを常に考へて置いて、それぞれの準備と心構へとを怠つてはならぬと思ふ。若し一朝不幸にして今時の様な災害に會つた際、びくともせぬ訓練を積んで置く事は大切だと考へる。
5、地震・津浪に對する心得
△、あわてるな先づ落ちついて・・・・・・
一、丈夫さうな机、箪笥などの陰に身を寄せて、桁・梁の破壊の危険からのがれよ
一、地震が起きたら先づ出口を開けて、逃げるに便利な交通路を見つけて置け
一、家屋が倒壊するのは余程の強震であるから、あわてて飛出して怪我をするな

△避難するときには・・・・・・・・・・
一、あわてずに、地割に落ち込む心配のない空地などに避難せよ
一、瓦などが上から落ちてくる心配があるから、氣をつけよ、二階などが却つて安全である。
一、屋内の火には灰をかけるか水を注ぐかして、その上に、鐵瓶・鍋釜でもかけて飛出すことを忘れるな。
一、電燈ば安全器によつて電流を遮断して、漏電による失火を防せげ
一、塀・塗壁・煉瓦・建物・煙突・石垣・石燈籠・石塔・崖の下等は、倒壊・崩壊する危険があるから近寄るな

△山間の人は・・・・・・・・・・・・・
一、崖崩れ、山津浪の危険があるから注意せよ
一、長雨後の地震や、地震後の大雨のときは、特に氣をつけよ
一、土砂・岩石の崩壊が、河水の流れをせき止める恐れがあるから氣をつけよ
一、迅く安全な所に避難せよ

△海岸の人は・・・・・・・・・・・・・
一、緩漫な長い大揺れの地震(時計の振子が止り、棚のものが落ちる程度のもの)があつたら、津浪襲來の慮れがあるから、少なくとも一時間位は警戒せよ
一、家財に目をくれず、身一つで家族を連れてのがれよ
一、直に高い所、安全な所へ避難せよ
一、避難するときは、川添をにげると危瞼
一、夜には燈火を上げ、警鐘を打つて警告せよ

△平素の心得・・・・・・・・・・・・・
一、常に非常用のマツチ・ローソク・履物等を用意し、一朝事が起きたら、あわてぬ準備が必要・・・・・・。

昭和八年十二月十日印刷(非賣品)
昭和八年十二月廿日發行
發行所  大槌尋常高等小學校臨時海嘯調査部
岩手縣上閉伊郡大槌町
編輯兼發行者 鈴木 兼三
岩手縣上閉伊郡遠野町
印刷所 秀盛舎印刷株式會杜
電話 一三三番