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高知縣民諸君へ 高知民事部長 アクセルソン中佐

高知縣民が、昭和二十一年十二月二十一日の南海大震災の恐るべき惨禍に、打ち勝つのに示した努力と精神とは賞讃に値する。この災害はかつて本縣を襲つたもののうちで、最も激しいものであつたであろう。
そして、たとえ、それによつて縣民が將來に對する希望を失い、意氣阻喪し落膽したとて、誰も不思議だとは思わなかつたであろう。しかし實際は、かゝることは起らなかつた。震災の廃墟からは、新しい建物、道路、その他公共の進歩改良が始まり、それらはすべて高知をもつと住みよい所にするに役立っであろう。
高知民事部は、この再建の過程を深い關心と、賞讃の念を以て見まもつて來た。我々は我々自身の目で廃墟から新らしい復興がなされて行くのを見た。
かゝる偉大な結果は唯、先見の明ある指導者達ご、縣民の元氣な協力との賜物に外ならない。全縣のこの再建は、縣民の明るい樂天的な氣質を表わしており、又その氣質はすべての人々と共に働く事を幸福に思い、又將來の成功を心から祈るものである。

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写真 高知縣民諸君へ (原文)

縣民の成功と幸福を祈る 前高知軍政部軍政官 フレツド・エム・グラント少佐

震災直後年頭の辭
高知軍政部は高知縣民に對し、舊年において各機關および各個人が、再建計画實施につき発揮された立派な協同精神に、感謝の意を表するものである。進駐軍としては、この協力が本年も繼續されることを切望する次第であり當軍政部は全縣民の成功と幸福を祈ってやまない。また今回の震災受災者に對しては深甚なる同情を寄せるとともに、迅速かつまた明朗なる復興を祈つて新年の辭とする。

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写真 縣民の成功と幸福を祈る (原文)

序 高知縣知事 桃井直美

昭和二十一年十二月二十一日午前四時十五分二十六秒!突如として襲い來つた大地震は曾てなき大規模なものであつて、戦禍の痛手より漸く復興に向う途上にあつた南海地方に、大いなる被害を與えた。特に高知縣は震央に近く、その被害は縣下全域に亘り一瞬にして六百八十の尊い人命と二万五千の家屋、四千町歩の耕地が失われ、九万五千の罹災者を出した外、津浪は兇暴をたくましうして沿岸地方の到る處、道路、橋梁の流失、堤防の決壊、港灣の破壊數知れず、八十万縣民はただ茫然として爲すところを知らぬ状態に陥つた。何人も當時を回想して戦慄を覚えぬものはないであろう。然しながら、偉大なる白然の暴威の前に一瞬陥つた絶望のどん底から、八十万縣民は一致協力して、たくましき復興への意欲を振い起すと共に、時を逸せず各方面より差しのべられた救援に勵まされて、救護と復舊、そして再建へとひたすら努力した。その努力は言語に絶し、物もなく金もなく、汗と涙できづかれた凄壯を極めたものであつた。
私はこの復興の途上に、その任を承けたが、縣民の再起復興の意欲は愈よ旺んとなり、克く凡ゆる艱難欠乏に耐えて着々とその實をあげるに至つたことは、眞に驚歎すべき大事業であつたと思う。本縣の歴史を繙くに、遠くは自鳳、寳永、近くは安政のむかしより、地震、津浪の惨禍を蒙ること數度、各地に遺る苔むした碑柱や文献にみても、その都度よく古人は自ら警めて後世に對し、不時の災害に處する準備の訓えを傳えていたのである。しかるに今日迄、時を經るに従つて、漸く人心平穏に慣れ、これら古人の警訓を忘れんとした頃、再び災害に襲われ、殆んどその大被害を防ぐことが出來なかつた。
ここに再び吾々は後世に對し、人々の忘れかけんとする頃、突如ごして襲い來る天災を堅く警め未だ人知を以てしては避け難い地震に際して如何に對處すべきや、その被害の詳細と應急善後處置等のために行つた吾々の奮闘の跡を如實に示すと共に、各方面よりうけた友情の數々を記録し、反省と感謝の念を以て、將來の鑑戒、縣民白警の規範たらしめんとする目的を以つて、南海大震災誌編纂に着手したのである。その編纂方針は被害の實情より、應急善後處置はもちろん、その後の復興計畫、更に学術的觀察、はては將來の防災對策計畫等に至る迄萬全を期し、今日出來得る限りの資料を集録することとした。
思うに震災直後、各方面より受けた救援は感謝の言葉にも盡し難く、殊に進駐軍方面よりうけた各種の莫大な物資ご同情は、罹災民ご共に吾々の永遠に肝銘措く能わざるところである。希くば今後の縣民が幾多の淬勵刻苦を要するの秋、本誌を繙いて往年の辛酸を想起し、荒怠を戒め、益々復興の實績をあげ、防火、防水等の施設を完備し、以てかかる惨禍に備えられんことを。

思い出を語る 地震の頃 衆議院議員元高知縣知事 西村直巳

突然逝かれた吉冨前知事のあとを受けて、私は新憲法発布を限の前にひかえた|昭和二十一年十一月一日|生れて始めて土佐路に足を踏みいれた。數へきれぬトンネルを入つたり出たりして何時の問にか廣々とひらけた香長平野を眼のまへにしたときまだ見ぬ國土佐は凡てがもの珍しかつた。
數日後新聞記者諸君が、私に土佐入りの初印象を求めた。私は何げなしに”土佐は太平洋にむかつて悠々とあぐらをかいてゐる様な氣がする”と冗談をとばした。足摺と室戸の両岬を突端として土佐灣を前に太平洋に南面するこの國は海洋から來る一さいの恩恵と障碍をひとりでようし引きうけたと云ふ印象を私に強く強く映じた。土佐の風土史、人物史、災害史はみんなこゝからひもどくことが出來ると思つた。
その南の海底から突然私の赴任二ヶ月たらずの日に直面させられたのがあの南海の大地震である|十二月二十一日知事官舎で明けがたの夢を逐つてゐた私は輕い恐怖心と本能的な防禦心に驅られて寝床に起き上つた。砂ごホコリで何が何か見當がつかない。間もなく我にかへつてアッ自分は此の土地で大切な責任を負はされてゐるのだっ兎に角無事で生きなければならぬ。ようし!と固い決心がうかび出た。次いで私の頭のうちをかけ廻つたものは”火事、津浪、食糧”の三つだつた。着更へるうちに馳けつけて呉れた運轉手の黒岩君と兎に角く縣廳にゆかうと家を出た。暗い空に異な雲がうかび上り街外れの一ヶ所を明るく火の手が染めてゐた。津浪が來るぞのざはめきが暗い町々の避難者の群から流れて來る。
縣廳はさいわひ無事だつた。私も無事だ、働いてゐるのだと云ふことがはつきbすれぱする丈多くの人達も自然寄つて下さつて中心もきまるだらうと私は知事室に入つてたく山のろうそくを灯した。時折地ひびきを伴つて余震が訪れる。問もなく縣會議長の片岡さんや市長代理の宮本さんや朝臼新聞のI氏|血だらけな足をひきすつで|その他縣の部課長諸君も參集して來る。細川内政部長や久武敏育民政部長は折悪しく前々日頃本縣へ着任されたばかり、さぞ御迷惑のことだつたろう。縣會は最低限の員數で舊自治法最後の縣會として開會中。町村長は軍政部主催の農地問題で高知市に招集されていた。米は丁度供出にとりかゝる前とて貯米は非常にすくないとき||悪い條件が重つてゐるなと思つた。
警察部は職掌柄さすが手廻しがいい。小杉部長以下負傷にもめげす雄々しく活動をしてゐる。測候所と連絡がとれた。紀伊寄りの南方海中が震源地として推定報告されて來る。厚生課長の森田君や林勢政課長の指導で東海岸沿ひ室戸方面へ救援隊が先発したころ外は薄あかるくなつて來た。宮本市長代理から高知市内の災害が、手ぎわよく報告されて來る。新聞社の入達が、要領よく津浪は來ません安心して下さい|と人心鎭ぶの張紙に活躍してくれる。縣外との通信や交通は勿論一さいだ目だつた。米だ!何とかして米を早く縣内に入れることが人心安定の一つの大きな仕事だ。着任早々の内政部長に御苦勞乍ら陸路香川縣に立つて貰つた。三日程たつた頃、『米二万石廻送に着手』との增原香川縣知事からの來電があつたときは縣會議員各位と感激の涙をこぼした。
一日、二日と應急救助、被害状況調査、市内の防水對策にまた軍政部よりの依頼による電氣、水道の復舊等に時がたつ。まだ縣外の状況は明かでない。また幡多方面からは何一つ連絡がない。もち論私は須崎から以西へは陸路徒歩の連絡により人を出してはゐた。震源地の關係から幡多方面の被害は比較的輕いと誤算しつゝ。しかし西の方から幡多がひどいのではないかとの風評が、二日目頃に入り始めた。二日目の午後である。幡多支廳の酒井技官が、海路陸路を難行してやつと知事室へ惨状をもたらした。中村町全滅!私は余りにも震禍の無慈悲を憤つた。あの不便な、毎年風水害に苦しむ幡多の人達を百年に一度のこの地震迄がなぜ斯うまでさいなむのかと。直に保安課長を中心とする救援舶が幡多へ向けて急行した。今や縣内一切の被害の全貌も明かになつた。復員歸りの張り切つた警務課長中井君には寫眞や新聞號外を携行して報告の爲東京に辿りつく様に出發させた。商工課長有吉君は救援復舊物費の大量購入のため海路大阪に立ち向つた。四國銀行の山本頭取を始め、金融機關の御協力は此の際實に役立つて感謝の外はない。
折々地響きをたてて來る余震の最中ろう燭をたて乍ら十五名の最後の縣議諸氏が、決議案や豫算案を片附けて下さる老齢身体の不白由な身ではあるが、名議長片岡さんの御奮闘には頭が下るのみだつた。貞廣さんの如きは御家族數名が、不幸壓死されたことを中村に歸られる迄は御存知ない程に頑張られた。お氣の毒にたえない程の佳話である。縣廳上下の諸君もほんとうによく働き續けた。性急な余りの私の叱咤を意に介せず不平もなくまた災渦に苦しむ家族や不安に脅へる身内のものをよそに幾晩も徹夜して眼を充血させてゐた。十二月二十五日、震災四日目、私は大阪の會議によび出された。この頃和歌山、徳島、本縣の三縣が震禍の中心となつてゐた。貧弱な縣財政で、應急、恒久の復舊にはどうしても國の援助にまたねばならぬ。私達は説明資料もまだ充分間にあはないので高新や日報提供の現場被害寫眞や號外刷りを多數揃へて會議に堤供した。かへつて眞實味があふれてゐて工合がよかつた。和歌山縣新宮市の全燒や大阪に側近してゐる地の利は本縣の被害を過少評價せしめる虞が多分にあつた。本縣と和歌山に對する所謂救濟率を三對二にするかその逆をとるかが一つの大きな問題であつた。この問題は後日各方面の御援助と相まつて私たち期待の通り高知側三の比率に落ちついた。大阪での會議は罹災救助資金三千二百万圓の獲得ご中央に對する災害状況の認識をたかめるによい機曾だつたと考ヘられる。翌二十六日進駐軍は私共の熱意を買つて飛行機を提供して呉れた。雨のなかを徳島の海岸づたひに日章迄僅か一時問半で飛び歸れた。この頃の一日の節約は平時の一ヶ月に慣する。日章で別れた米軍兵士達に喰べ残した林檎を二つ、三つ、ポケツトから差出す外御禮の仕様なく御別したのは今でも思ひ出す毎に恐縮してゐる。
この頃である。依然ひかぬ高汐が市内の民家を三、四千戸水浸しにしてゐる。大きな問題である。幡多郡方面は私の身代りとして小島農地部長を派遣した。支廳は課長方の奥さん達數名が不幸壓死の災渦を蒙られてゐる。あの長い道中をよく徒歩で馳り走つた支廳長橋田さんが廢墟の町の中村から陣頭指揮で時折情報を傳へて呉れる。下知地區の浸水の根源である堤防の大決潰の應急工事もなかなか捗らす、被害者達はだんだん焦らだつてくる。無理もない。各府縣からの見舞客の殺到、宮殿下の御視察の準備。だんだん仕事は忙しくなる。大切な川村庶務課長や大神土木課長が他府縣へ轉任したのが災害が起つて一週間前後、一寸泣き度くなつた。でも官民合同の對策委員會の方々、市町村長始め關係官公署の方々も實に活動して下さる。東大京大合同の地震關係の学者グループの調査、中央からのニユース報道員の次々の來高|千客萬來の姿である。
大晦日、閑院宮殿下の御來高。市内、宇佐、須崎を御慰問になる。御宿舎は安全の立場から知事官舎を急きよ直して御用立てた。
依然市内の高汐浸水と中村町の復舊援護が私の最大關心事。一月三日大阪から乗り込んだ共産黛のG君が下知の罹災者數百名を引きつれて蓆旗を先頭に、私の官舎迄乗り込んで來る騒ぎが御景物として附け加へられる。間組の土建關係者の必死の防水、排水作業も遂に勝ちを制した。一月の十二日頃排水は完了した。街の人々の顔にも生氣がよみ返り電車も後免迄動き出した。
次は幡多だ。また須崎方面だ。私は一月上旬幡多へたつた。勿論海上からしか行けぬ。人を満載した小さな汽船は足の踏場もない程だつたo大洋の寒風に吹きさらされ、甲板の積荷の影で、小さ
な子供達と一晩を震へ明かす母子の姿には眼頭が熱くなつた。中村町は話以上の酷い災禍だ。しかし官民よく協力して實によく應急援護に當つて居る。兼松君を先頭に立上つた聯合青年團の活躍も素睛しい。この事は後日束京で天皇陛下に震災状況を御報告申し上げた際觸れ申した處殊の外御よろこび戴いたのは高知縣の爲に心から欣快にたえない。四万十川の大鐵橋も喰べちらかした、えびか蟹の捨てがらの様に抛り出されてゐる。宿毛に入る。矢張り堤防決潰による浸水が激しい。一月の十四日、愈々東京へ復舊補助金の獲得や起債等の問題で飛び出す。一行十數名。仕事は專ら大神土木蔀長、安岡監理課長のところが中心だ。流石は土佐、吉田總理、林書記官長を始め有力な郷土の先輩方も陰に陽に實に盡して下さつた。全國からの救援金品も漸次集つて來る。二月、三月と復舊工事も大分軌道に乗つて來た。
また私や縣をかげに日向に指導援助して下さつた温厚なワシントン出身の銀行家だつたと云ふグラント軍政部長やその奥さんの姿も亦震災と共に私は忘れることの出來ない一人。間もなく歸國されたが地笈の話や土佐人の南國的豪放さがよくあの大災害を乗り切つた話をあの地でして居られるだらう。
昨二十三年八月久し方振に私は土佐へ御招きあづかつた。川村前知事、桃井現知事を始め官民有志の方々の御奮闘はあの難物の中村町の四万十川大鐵橋でさへも立涙な姿を蒼穹に浮び上らせた。
”土佐は良い國南を受けで”とうたふ。太平洋を吹き募る颱風は今後も亦土佐を訪れるだろう。然しあの災厄に耐え乗切る所謂タフな精神力と南國特有のすつきりした熱血は土佐人の闘魂となつて土佐人物史の基盤をつくる。私は在任期間は極めて短かかつた。併しあの安政以來の大地震の時たまたま土佐に奉職してゐた私は何か土佐が最も心のなかに強くやきつけられた様な気がする。御受けした暖い人情、明朗濶たつな縣民性そして強い鬪志。私は最もすきな國の一つ、街の一つとして高知縣には云ひしれぬなつかしさと親しさを感じ乍ら震災思い出の記を擱筆する。
遙かに土佐の國高知縣の繁榮と幸福を祈り乍ら……。

記録寫眞

大激震を物語る記録
南海道大地震驗測表(高知測候所提供),
發震時
初動方向
初期微動時間
最大振幅
震源地
21.12.21日午前4時19分38秒0
西北西の上動
18秒2
47000ミクロン
○高知東南東約250KM
○潮岬南々西約50KM


四階建ビルと食堂倒壊
昔なつかしい新京橋畔唯一のエレベーターを持つた高層建物は今や跡形もない。(高知市提供)
今次最大の被害地中村町の惨状
全町はほとんど倒壊して全滅にひんし更に、町の中心部に火災が起こつて焼野原となった。


戦災と震災の街高知
打ちひしがれた高知市は、人口は十四万あまり、待ちの大半は戦災のため焼野原となつた。
復興途上に今また大地震に襲れ焼残りの家屋はひどい災害を受けた。市の東一面の大海原と化して手の施しようもない惨状を呈した。恐怖と寒さに闘いながら人々は喜びもなく餅もない新年を迎えたのである。(高知市提供)


閑院宮殿下の御視察御慰問お正月に餅もない待ちや邑を西村本縣知事の御案内で罹災者を親しく慰められ激勵された。
高知市寳永町方面は浸水の報に接し家財を纏めて灘難する人々で大混亂を呈した。
中村町は殆んど全滅となつた。寒空の下に打ちふるえる罹災者達と屋上の白雪を見る。


生埋文化ビルの残骸
最も悲惨な高知市堺町の文化ビルであるが、その昔は華かにデパートとして親しまれた。
大亀裂のため堤防決潰の危機
高知市の周邊の堤防は大亀裂を生じ、六月よりの雨季出水期を控えて不安であつた。


哀愁涙をそゝる
今浸水幾日も續く高知市新町方面の家から出る棺は涙をそゝる。
高知市新町方面では呆然自失する人々を勵ますかのように青年は下敷になった家財を搬出する。その瞳は復興の希望に燃えていた。
高知市新町方面では家を失つた人妻が夕餉の仕度を路傍で…明日への希望をいだいて祈りつゝ。


嶢ビル使用に貴い教訓
戰災で焼けたビル四階建の中央食堂の残骸である。
焼ビル使用について貴い教訓ともなつた。
四万十川大鐵橋は六つの橋梁圏が落ちた。
中村町の西の入り口に架けられているが一時は交通杜絶となった。莫大な復舊工事を投じ復舊は急がれた。


中村町の激震を物語る中村国民学校ゝ舎は全壊して、寒空の下に露天で授業した。
津波の惨状
高岡郡須崎驛前付近は津波が激流となつて逆流し貴い生命を奪い去つたのは實に悲惨であつた。


命の綱路傍の水道栓
江ノ口水源塔の残骸
桟橋方面電車線路の滲状
葛島堤防欠潰のため大海原となる
知寄町電車々庫附近の浸水
葛島電車鐵橋の亀裂


四万十川兩岸の亀裂は六月の出水期を眼前に控えた沿岸の住民を恐怖のドン底に追い込んだ
具同村側の堤防の亀裂
津波襲来の貴重な記録的寫眞
前後三回の大津波は夜明け前のため撮影できなかつたが、土佐新荘驛付近に浸入しつゝある津波である(須崎高工校橋本淸美氏撮影)


高知市東部を水底に葬つた決潰ケ所
數千町歩の田畑や澤山な家屋を一望大海原と化した下知方面及葛島橋附近の切所よりはるかに水に浮ぶ高知市街地を望む。


高知市東部方面の浸水の町も生活は續く
高知市棧橋岸壁は地盤沈下と亀裂著しい
煙高知市は浸水で毎日の通学通勤も水の中であつた


地盤沈下により半壊となつた高知港警察署
新宇佐町の津浪の勢を物語る
亀裂や沈下の港署長官舎附近の惨状。この裏手の競馬揚はまるで海と化した。
大海原と化した多ノ皛驛附近より須崎灣をのぞむ


浸水の街高知市東部方面
家を失つた人々が家財を運び出す悲慘な姿
須崎驛附近を襲つた當時の津浪が多ノ螂方面より史に逆流の跡
須崎町舊棧橋附近の地盤沈下
津浪のすごさを物語る須崎町新棧橋附近


多ノ郷驛附近では浸水と闘いつゝ國鐵復奮工事を急ぐ
須崎町の津浪の深さの記録
寒風と潮流に鬪いつゝ復奮工事
漸く杭打完了せんとする高知市葛島附近ホツト明るい氣分となつた


多ノ郷村野見灣の津浪の襲來の慘状
多ノ郷驛附近では鐵路は飴の如く巨船は線路上へ
津波で破壊された多くの多ノ郷驛附近で国鐵必死の復舊工事


室戸港の地盤隆起と亀裂
約一米十センチの隆起したので大きな漁船は出入が出来なくなり荷役作業も
出來なくなつた。港の構築について愼重な對策が必要である。
国分川復興完成
はるかに見えるのは青柳橋と堤防の一部である。


竣工した四万十川大鐵橋
莫大な経費と労力を費やして震前にも勝る復興振りを示した一台偉觀ある
(中村町長及大篠土木出張所長提供)
復興の資材は續々現場に集る
高知市葛島附近
かくして復興し從事する人々へ感謝の誠を捧げたい
復興しつゝある防潮堤
新宇佐町の防潮堤は津浪でうちのめされた。今や完成せんとするところである。


復興完成せんとする下田川堤防
高知市五台山附近の防潮堤も漸く完成せんとして部落民も安堵した。山麓に白線の如く見ゆるは防潮堤である。(河川課提供)


幡多郡後川左岸堤の復舊工事
後川右岸堤防の復舊工事
復興最初の一杭
嚴寒をものともせず潜水する人々の勞苦によつて市民を水魔より救つた。


復興途上の高知市の全貌
五台山上より國分川堤防、潮江新田堤防、青柳橋及はるかに市内を望む
津浪の新宇佐町の復興
蜒々たる防漸堤上にバスや人馬が通うている。靜かな海原は限りなく美しい。


高知市葛島附近の復興振
今や決潰ケ所は跡方もない
多ノ郷驛附近の復興
はるかに須崎灣を望む


室戸岬港地盤隆起の爲め内港改修工事(轟組提供)
排水作業
港口締切作業完成
港内排水完了
上空より觀たありし日の高知市の景況


ありし日の高知市の盛觀(小澤國三郎氏撮影)
ありし日の須崎港の全貌(須崎町提供)


災害は忘れかけた
時分にやつてくる寺田實彦

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大激震を物語る記録 南海道大地震驗測表(高知測候所提供)
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写真 四階建ビルと食堂倒壊
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写真 今次最大の被害地中村町の惨状
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写真 戦災と震災の街高知1
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写真 戦災と震災の街高知2
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写真 閑院宮殿下の御視察御慰問
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写真 高知市寳永町方面
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写真 中村町
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写真 生埋文化ビルの残骸
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写真 大亀裂のため堤防決潰の危機
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写真 哀愁涙をそゝる
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写真 高知市新町方面1
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写真 高知市新町方面2
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写真 嶢ビル使用に貴い教訓
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写真 四万十川大鐵橋は六つの橋梁圏が落ちた
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写真 中村町の激震を物語る中村国民学校ゝ舎
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写真 津波の惨状 高岡郡須崎驛前付近
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写真 命の綱路傍の水道栓
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写真 江ノ口水源塔の残骸
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写真 桟橋方面電車線路の滲状
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写真 葛島堤防欠潰のため大海原となる 知寄町電車々庫附近の浸水
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写真 葛島電車鐵橋の亀裂
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写真 四万十川兩岸の亀裂
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写真 具同村側の堤防の亀裂
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写真 津波襲来の貴重な記録的寫眞
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写真 高知市東部を水底に葬つた決潰ケ所
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写真 水に浮ぶ高知市街地
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写真 高知市東部方面の浸水の町も生活は續く
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写真 高知市棧橋岸壁は地盤沈下と亀裂著しい
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写真 煙高知市は浸水で毎日の通学通勤も水の中であつた
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写真 地盤沈下により半壊となつた高知港警察署
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写真 新宇佐町の津浪の勢を物語る
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写真 亀裂や沈下の港署長官舎附近の惨状。
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写真 大海原と化した多ノ皛驛附近より須崎灣をのぞむ
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写真 浸水の街高知市東部方面 家を失つた人々が家財を運び出す悲慘な姿
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写真 須崎驛附近を襲つた當時の津浪が多ノ螂方面より史に逆流の跡
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写真 須崎町舊棧橋附近の地盤沈下
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写真 津浪のすごさを物語る須崎町新棧橋附近
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写真 多ノ郷驛附近では浸水と闘いつゝ國鐵復奮工事を急ぐ
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写真 須崎町の津浪の深さの記録
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写真 寒風と潮流に鬪いつゝ復奮工事
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写真 多ノ郷村野見灣の津浪の襲來の慘状
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写真 多ノ郷驛附近では鐵路は飴の如く巨船は線路上へ
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写真 津波で破壊された多くの多ノ郷驛附近で国鐵必死の復舊工事
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写真 室戸港の地盤隆起と亀裂
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写真 国分川復興完成
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写真 竣工した四万十川大鐵橋
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写真 復興の資材は續々現場に集る
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写真 復興しつゝある防潮堤
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写真 復興完成せんとする下田川堤防
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写真 幡多郡後川左岸堤の復舊工事
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写真 後川右岸堤防の復舊工事
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写真 復興最初の一杭
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写真 復興途上の高知市の全貌
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写真 津浪の新宇佐町の復興
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写真 高知市葛島附近の復興振
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写真
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写真 多ノ郷驛附近の復興
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写真 室戸岬港地盤隆起の爲め内港改修工事
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写真 上空より觀たありし日の高知市の景況
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写真 ありし日の高知市の盛觀
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写真 ありし日の須崎港の全貌
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写真 災害は忘れかけた 時分にやつてくる寺田實彦

第一編 總説

第一章 南海大地震と津浪

鳴呼!昭和二十一年十二月二十一日(土曜日)!
高知は、この日、前日來からの晴天であつた。南國土佐とは云うものゝ流石に夜明け前は、相當に冷えて月影のない寒空に、星がまたたいていた。
歳暮迫る二十日の宵は、希望も新らたな樂しい正月を迎えんものと喜々として團欒を終え、人々はなお圓かなる夢路を辿つている拂曉午前四時十五分、突如として大地も覆えさんばかりに大地震が襲來した。
故老の語草や、書物で見ていた安政大地震以來の大激震である。
次いで餘震津浪が襲來する頃、ほのぼのと夜は明けはなれ曉の光の下に慘憺たる光景が展開された。
昨宵まで安らかに明け暮れた街も邑も、今や家屋は倒壊し死人の山を築き、一撃ただ荒凉たる燒土、泥土、砂原、水沼と化して終つた。
この強震により特に地盤の脆弱な中村町方面の建物は、殆んど倒壊し、壓死負傷、救いを求める聲は巷に滿ち間もなく數ヶ所より出火、火焔は天に冲し一時は猛威に任すの他なく、街は極度に混亂人心は恐怖と不安のドン底に投込まれた。
更に須崎町、多ノ皛村方面は地震後間もなく、津浪が須崎内灣へ岸を洗いつゝ奥へ奥へと深く浸入し、その潮は多ノ皛村の山手まで押し寄せ、やがては山なす木材を押流し引き潮となり、須崎驛前附近においては、避難せんとして逃路を北に縣道を駈ける婦女子は忽ちにして激流となつて押寄せて來るこの水中に捲込まれ悉く悲慘な運命を遂げた。
又新宇佐町は地震後間もなく襲いかゝる大津浪が前方の防潮堤を乗り越えて入り來り、低地の家屋は全部流失し、家財を搬出する暇なく寒空にうちふるえる様は眞にこの世ながらの無間地獄を現出した。
復、高知市内は前年の大空襲の戰災のため全市殆んど嶢土と化して、僅かに残された市街の東部方面は地震のため倒壊家屋夥しく死傷も少からす、且つ葛島橋附近の堤防に大亀裂を生じ折柄の高潮はドツと堤防を破壊して浸入したためこの方面はたちまちのうちに海原と化した。住居を失う者、高所を求めて避難する者或は倒壊家屋の下敷となつた儘放置される者等、人々は數日間を焦慮と悲嘆の涙で送つた。知寄町、下知方面は破壊した堤防を修築し水の侵入を防ぐに三週間を要しその間水浸しとなつた住民は困難を極めた。
しかして電信電話は全く不通となり、汽車電車は勿論バスさえ停止して動かす、縣下到る所倒壊家屋その他の障害路面の亀裂、欠潰等により車馬の往來杜絶し、墜道切通等は朋壊、埋没によつて、隣接町村との連絡を遮断され、中村町方面の如きは、翌二十二日の夕方に至り漸く孤立無援の窮地より連絡を得て、同町全滅の報がもたらされた。未だ明けやらぬ夜中のこととて混亂と狼狽と焦慮とに、人心は極度の不安に満され、その夜人々は室地、學校、寺院等安全な地帶を求め、板や莚を敷いて僅かに亙にたた生を護リ得たことをなぐさめ合うのであつた。
こゝに今回の被害を更に概觀するに残虐なる爪牙にさいなまれた地區は、震源地が土佐海底であつた關係で海岸地帶は特に激烈を極めたが、幸いに山間地帶に至る從い軽微であつた。
沿海地帶は地震後間もなく襲つた津波のために甚大なる被害をうけた。しかし幸いにも洋上に浮ぶが如き沖の島村は津波の被害皆無であつた。叉土佐灣に臨む地方は津波の襲来をうけたが、前方に防潮林や砂丘や防潮提のあるためその難を遁れた所は澤山にある。
そしてあらゆる被害中、最も凄惨を極めたのは、人の死傷であつた。その數實に六百八十名、受災の総數は實に九万五千の多數であつた。これに次ぐ住居の被害二万五千、耕地四千町歩を失い、津浪による道路、橋の流失、堤防の欠壊など言語に絶する慘状であつた。
しかしながら一時は手の施しようもなくぼうぜんとした人々もやがて力強く起ち上つた。助け合い励まし合いながらひたすら復興の槌を打ち鍬をふるつた。あらゆる戦後の悪條件と闘い不撓不屈孜ゝとして勵んだ縣民の努力は實を結んで、春波穏かに寄せては返す沿岸各地には、木の香新しい家や新らたに築かれた堤防護岸美田が往年にまさる姿として平和日本の再建に呼應し、着々殆んど完成への歩みをつゞけている。
禍を轉じて福となす、明日ヘの希望に生きる偉大なる人の力よ。
試みに大正、昭和間における日本代表的強震を擧ぐれば次の通りである。
第一位三陸沖大地震(昭和八年三月三日)
第二位南海大地震(昭和二十一年十二月二十一日)
第三位東南海大地震(昭和十九年十二月七日)
第四位關東大地震(大正十二年九月一日)
本縣としては例の安政元年の大地震以來のこととされ、さかのぼつて寳永四年、慶長九年、白鳳十三年の三大地震まさに第六回の大地震であり、またその規模においては關東地震の五倍である。

第二章 土佐震災沿革史

第一節 総説

我が土佐は古より大地震や津波の襲來をうけた悲運の記録が、歴史をひもどくと何回となく出で來る。またそれが百年とか百幾十年目位には、日本の何處かに必ずこの怖しい事實が繰り返されている。今ここに、このことを書き記すことは無駄なことでないと思う。
この度の南海大地震も安政大地震と同じような現象を起したことは注目に價する問題である。現在の科學をもつてしては地震を豫知することはできないし、又その根本原因をまだはつきり証明することのできない現在、土佐地震沿革史の一篇を掲げるとともに、一日も早く地震の豫知を逸早く一般に知らせる日の來るのを念願する次第である。
(1)土佐の大地震
一、白鳳の大地震白鳳十三年甲申冬十二月十四日
二、寛文の大地震寛文元年十一月十九日
三、慶長の大地震慶長九年十二月十六日
四、寳永の大地震寳永四年十月四日
五、安政の大地震安政元年十一月四日(午前九時頃)五日(午後五時頃)
六、昭和の南海大地震昭和二十一年十二月二十一日午前四時十五分二十六秒
地震記録の史に見えた最初は、今から千五百八年前河内國の地震である。
古は地殼の陷没や、地表の隆起については頗る幼稚な原始的解釋を下していた。
土佐のような僻遠の土地の記録は乏しく、山城國京都方面の記録は多いが、土佐は比較的中央より遠く、直接中央との關係が無かつた關係もあると思われる。
古記録による三大地震(慶長二年、元緑十六年、安政元年)の中で、安政の大地震等大激震であつたものの當時の模様が多少誇張に過ぎる点もあるが、地震、津浪のため大被害のあつたことは事實である。


なかんづく、天武天皇六年筑紫大地震と、同十二年土佐國大地震とは、稀有の強震で、筑紫におけるものは大地に廣さ二丈長さ三千余丈の亀裂を生じ、百姓の屋舎は各村多く倒壊した。
この時の地震に或る岡の上にあつた家の一軒は、その岡の崩壊とともに岡ごと移動されたが、家が破壊されなかつたので、家人は明方までその事を知らなかつたという珍話も記されている。


◇古今三千年を通じて稀に破壊的な白鳳大地震の文献
筑紫國大地震の六年後、天武天皇十三年に土佐國を震源地とした激震は大和朝時代は勿論、上下三千年を通じての稀に破壊的な大地震で、丈献によると、到る所の山崩れ、河涌き、諸國の郡官舎及百姓の倉屋、寺塔、神社等の破壊は實に數え切れぬほど被害甚大なものであつた。
ために、人民六畜の死傷夥しく、國を擧げて男女叫唱、東西を知らずうろたえ惑つたという事で、かの伊豫國道後の温泉が埋沒して湯を噴かなくなつたのも此の時の事であるといわれている。中でも土佐國は最も激烈を極め、田苑五十万頃陷沒して海と化つた。
更にその日の夕景には東方に當つて鼓動の如き音響が起つた。これこそ、伊豆島の北西二方面に自然に三百餘丈の土地が隆起して遂に一つの島となつたが、此の島を造るに當つて發せられた響であろうと言われた。
越えて十一月三日には土佐國にまたもや大海嘯が起つて、爲に多くの運調船が失われた。この種の土地の隆起や陷沒の記録に、斯の如く靈妙なる樂音の奇瑞の傳えらるゝ事があるのは、それは突出陷沒に伴う自然の鳴動の神物化されたものである。
却つて説く天武天皇十三年の大地震は史に斯くの如き地動は、未だ曾て無かつたと記録された程の激震であつた。
從つて餘震も夥しかつたであろう。それは十月十四日の大震災に次いで十一月三日には土佐の瀕海に大津浪が起り、十二月十日には大和國に特に西より發するところの地震というものゝ記録を存ずることでも考えられる。
大地震(海嘯、山海嘯を含む)九十二回の中、殊に破壊的な震度の烈しさと被害の大とを以て有名な十二地震であるが、中でも、慶長二年、元祿十六年、安政二年の大地震は最も著名なものである。
慶長九年十二月十六日土佐、薩摩、大隅、遠江、伊勢、伊豆、紀伊、上總、八丈島等大地震、徳川幕府の開府當初のもので瀕海の地、島嶼の多くは海嘯の被害夥しがつた。
土佐國佐喜濱のみで三千八百六人の死者を出した。
寳永四年十月四日土佐、伊豫、阿波、讃岐、紀伊、大和、攝津、伊勢、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、近江、長門、豊後、日向等の諸國の大地震
この日天氣快晴、未上刻の大地震で、屋舎の頽潰人畜の死傷するものその數を知らない。震災に續いて海嘯大いに漲り、土佐、伊豫、阿波、豊後、日向、長門、攝津、伊勢、三河、遠江、伊豆等その害を被ること夥しく四國のみにて人民四十万人死亡と言い傳えられた。「基熈公記」の記録は誇張に過ぎるようであるが。土佐國の災害を記せる「谷陵記」には『山を穿ち、水を漲らし川埋りて丘となる。國中の官舎民屋、悉く轉倒す、逃れんとすれど眩て壓に打たれ、或は頓絶の者多し、又は幽岑寒谷の民は巖石の爲に死傷するもの若干也、かゝる後に必す高潮入なる由言ひ傳ふなどつぶやくところに同下刻より寅の刻まで晝夜十一度打來る也、中にも第三番の津浪高く、山の半腹にある家も多く漂流す。國中の死人二千餘人、當國に不限伊與、阿波、攝津、長門の海邊も頗る破壊に及ぶ、其外西國、中國、關東に地震ばかりといふ。云々』と見えて四國激震の模様は察せられる。之に反し、江戸、駿河原までは小地震で死人なく、神原、油井破損、淸見寺、膏藥屋残らす潰れ興津、江尻、岡部、藤澤、島田、金谷、日坂家大に倒れ掛川家大に潰れた。袋井は殘らず潰れ、見附、濱松、舞坂は半潰れ、荒井津波打ち御番所は流された。二川半潰、古田城潰れ、家も大破損であるのに、御油、赤坂、藤川は事なく、岡崎は小破、池鯉鮒事なく、鳴海、宮半潰、大垣城破損桑名事なく半潰の四日市橋無く、石藥師、庄町、亀山、關、大津まで小破で、大阪は地震崩家一万四千十五軒、高潮大船小船に入つて沈沒し、橋數三十八陷落した。或は家潰れて壓死するもの或は高潮に溺れて死するもの一万五千二百六十人と稱せられた。
阿波の徳島は士屋敷二百三十軒、町家四百軒地震に潰えたが、潮入はなかつた。沿岸漁村の潮入亡所となれるものも多くあつた。
伊豫の宇和島領は小破であつたが、所々に潮入り、民屋の流失するもの多かつた。『總じて當國(伊豫)の潮入在々所々、田苑はいふに及ばず、故の市井は大半海底に沈沒し、嶮山却つて平地となりぬれば、新に國土を生じ出したる心地也。凡そ世の中の物語はさしも異々しく聞えしも、面のあたり其實を失ふこと多かるに此程の損廢は引かへて言語文墨にも盡すこと能はず。云々』と「谷陵記」は記している。


「三災録」
安政元年十一月四日朝五つ時過に畿内、東海、東山二道の諸國を大に震い明くる日、南海、西海、山陽、山陰四道の諸國を震つた。二震とも瀕海の諸國に海嘯を伴つて夥しい災害を與えたものゝ、引續きと見るが至當のようで、その後一年間は大小の地震絶える時なく、遂に安政二年十月二日の大震を惹起したのであつた。
もつと詳細には「三災録」に喜之助という七十五歳の老人が、安政元年十一月から、翌年十二月までの地震を大中小に分ち根気よく數えあげたのが記載せられているが、それによると總計八百十七度とある。


時代思想上より觀た、地震記録に及した傾向について
大和や山城方面の地震記録は詳細を極わめてい乃に反して、土佐の如きへきすうの地方ではそれが例え破壊的大地震であつても、精密な被害状況の記録を缺いでいるが、一面時代思想的に忌み嫌つて記録を敢えて等閑に附した傾向が確かにあつた。
當時上下一同の畏怖驚愕の尋常でなかつた事、殊には此の變災を以て天譴的のものであると考え、その天譴招來の罪を政道の缺陷に歸し、天子親ら鞠躬如として王道にいそしまれた事は、常時の詔に徴しても明らかで、又天皇の自責さるゝこと深く、王道の欠陷よりひいて民の災害を憂苦する者なきを悲嘆して檢地震使を遣わし、ひそかに其の被害状況を視察せしめられ、慰問と救護とに努めたことによつても知られる。
天譴思想より一變して崇の信仰は時代を經る毎に變遷している。
(1)平家の怨靈である。
(2)生靈の崇の所爲に歸している。
(3)神祗官の亀トと陰陽寮の易筮式占よりこれを兵動の兆であると奏していた。
天平六年の大地震、同十七年の大地震ほど、天下を畏怖せしめた地震はない。これというも震災地か京都若しくはその近き地方であつたからである。
よしそれが激震に屬する地震の類ではなかつたとするも、他の記録の之れが年月日を明記しないのは、全く地震記録のこの頃等閑に附せられてあつたことが知られる。

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大和朝時代地震記録
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江戸時代地震記録

第二節 縣下各地に傳えらるゝ大地震に關する文献

前述の如く土佐は白鳳の昔より大地震や海嘯に見舞われているが、特に沿海地方は昔より度々地震海嘯に遭いその被害甚大にして、この事實を後世に傳え警告している慈愛の心やりが覗われ、ありがたさや温さを感じ胸に迫るものがある。
須崎、字佐、岸本等海嘯の襲來をうけた海邊には碑を建てゝ供養をなし、文中で警告をしている。
文献の有名なものは谷陵記、三災録などで、土佐の災害を記している。
こゝに各地に殘る文献を掲げる。
一、須崎町史の白鳳年間の大地震の記録
二、須崎町史の寳永の大地震
三、字佐町誌の寳永の大地震
四、中村町の魚市場記録の安政大地震
五、中村町の安政大地震の被害表
六、須崎町史の安政大地震
七、宇佐町誌による安政大地震
八、谷陵記(抄)


一、白鳳年間の大地震(須崎町史より)
今を去ること千二百五十餘年天武天皇の御世白鳳十三年甲申冬十二月十四日發震土佐國の田畑五十余万頃陷沒して海となるとは歴史の語る所なり。然れども此時の地震に土佐は果して何れの地点陷沒せしか、歴史は其詳細を語らざるを以て諸説區々たり。或は云ふ我須崎の南方陸地なりと未だ其常否を知らず、今を去る一千二百余年前白鳳年間當國大地震ありて廣き陸地陷りて海となりきといへり。今其跡はこのあたり(須崎)の南ならんと云ふ。
古老の傳説によれば白鳳以前我が須崎附近に戸嶋、千軒、野見、十軒と云ひて戸嶋と野見とは當町一市邑にして長者の鼻は住居せし屋敷跡なり。海のよく澄みたる天氣の麗かなる日干潮を待ちて此の所に至れば井戸石垣等を海底に認むるを得べしと未だ其眞否を檢する能はずと書しあり。


二、寅永の大地震(須崎町史よリ)
寳永四年丁亥十月四日已の上刻より東南方の大鳴昔と共に、大地震起れり。此日天朗かに氣暖く人々單衣を纒ひたりしが變起るに及びて其騒動一方ならず。今こそ天柱の拆け地維缺くるかと思ふ許りにて如何なる丈夫も歩行し難く山嶽の崩るゝ土煙四方に漲りて天地倏ち晦冥稍々暫くは咫尺を辨せず爲に方角を失ひし老若男女突き叫ぶ樣實に悲慘を極む。而して地震の裂罅より潮水湧き出で人家は倒れ、或は崩れ、無難にて存するもの一軒もなし。山里の樵夫は家業の爲山に行きけるにこの難に逢ひ落ち來る岩石に壓されて死する者數を知らす。未の上刻より大潮浸入し來りて人家は悉く流れ、死人筏を組みたるが如く、牛、馬、犬、猫等亦皆死す。幸ひにして山に逃げ上り辛ふじて死を冤るゝ者あり。親兄弟下に流れ死するも助くる力及ばす。哭聲山谷に響き渡り、慘憺たる光景はよく筆紙の盡す所にあらざるなり。翌日の晩迄潮水の來り侵すこと十二回。然るに須崎の沖なる石ヶ礁より沖は海上頗る靜かなりしと言ふ。
恰も此時角谷の山頂より眺め居たる人の話によれば、戸嶋と長者の鼻との間潮全く干き暫くは沼の如く此處に小舟に二人乗り、流れ來りしが一人は船より落ちて沼に入り行方知れず、殘れる一人は舟に在りと見えしが忽ち大潮來りて小舟と共にその影だに見えずなれり。其後聞けば一人は新町の何某、今一人は恵美須屋五右衛門にてありしと。
此地震には畿内紀州の海邊は言ふに及ばず、東は豆州箱根より、西は九州の東南岸、何れも大潮に侵され、阿波の國も亦潮高かりしと當國の中種崎より宿毛迄の内浦には大潮侵入し赤岡より東の灘邊は多少の浸水に止まりしとぞ。
須崎浦に入り來りし潮は半山川筋(新荘川)は下郷の中、天神の上四五丁の所に及び多ノ郷は加茂宮の前吾井ノ郷は爲貞といふ所まで侵入せり。これらは何れも川に沿ひて侵入せしなり。土崎は在家の悉く流失し、押岡、神田は之れに次ぎて人家の流失あり、池ノ内村は在家被害なく、須崎は死人四百餘人あり。斯くも死人の多かりし所以を考ふるに糺池より出づる堀川の橋は地震のために落ちし所へ潮入り來り、人々渡るべき便なく、後より大勢押掛け先なる者堀川へ、壓し込まれて大半死したるなり。然るに水練あるもの或は天運に叶へる者は偶々死を冤れたり。此時此あたりに住居せし澁谷金の王と言へる力士大橋(今のメガネ橋)の元に來り多くの人を援けて其身は遂に伊勢の松に登りて助かりしといふ。
此時も家屋を流されたる人々は皆山に假住居し、縁を求めて流れざる住家を頼み飢寒を凌ぐなど目もあてら贈ぬ有様なり。大潮に家財道具、着物、食物等の流れたるを流れざる在家の者共是幸なりと理不盡に拾ひ取り罹災者の憂を顧みず、賊徒同様の振舞ありしかば官府より須崎庄屋年寄に仰せ付け屹度穿鑿せしむ。然るに隠し置きて出さざる徒多きに付被害者等在家に入り込み無斷にて家宅を探し口論、鬪争に及びしこと多かりき。糺の池には死人流れ集りて筏を組める如し。其中にて衣類其他にて見覺えある者はこれを證に己が身内を尋ね出せり。左もなき者は假令父母兄弟と雖も面影變り集て求むべき便なく、却つて物凄き躰となり、尋ねる術なしとて街道に泣き叫べども其甲斐なし。
池中に浮き沈む死體は鳶、烏是を啄む噫、何等の惨ぞ之に就ては官府より指圖に従ひ、滅多村刈谷の跡に長さ数十間ばかりの大坑を二列に堀り、之にその屍を埋めたり。後安政三年其百五十年忌に當り古屋竹原(尉助)當町大善寺谷に碑を建て題して寛永津浪之塚と云ふ。此の變災に家を流されたる者等は飢饑に及ぶに付官府より救米を定められ男三合女二合にて三十日、或は四、五十日の間其家業に就く迄給せられ、小屋掛、材木等手寄りの山より給付されたり。此大變ありて人心恟々たるに乗じ逃道の暴者盗賊の類これあるべしと官府に於ては詮議の上役人朝比奈忠蔵を須崎に遣はせたり、岩永より角谷迄の間往還道筋或は海となり、或は海水溢れ、従来する能はず、即ち鳥越坂の峠より池ノ内村へ横道を作りて下分村岡本へ越す。この外笹ヶ峰といふ古道を往還の道として門屋山際に通ぜり。諸役人の送りの番所も當分池ノ内村にあり、送夫の者共此處に詰めたり。翌々年の秋今在家本番所に帰る。


三、寛永の大地震 (宇佐町誌より)
寛永四丁亥年十年四日、大地震と共に海嘯が起り、惨状を極めた。其日は一天晴れ渡り、十月というに單物、帷子を着る程の暖さであつた。午の上刻(午前十一時)より大地震動し初むるや、其騒動は實に言語に絶した。地軸の砕くると共に山嶽崩れ落ちて、土煙は天に揚り、凄惨の状、何に■へんようもなく、只驚愕と恐怖のため心も空に、親は子を呼び、子は親を求めて泣き叫ぶ有様は目も當てられず、やがて未の上刻(午後一時)より大潮入り来り、入家は悉く押し流されて、溺死する者数を知らず、死屍累々として恰も筏を組めるが如く水上に浮ぶさま、まことに悲惨の極みであつた。當時の被害は左の如くである。


宇佐 潮は橋田の奥、宇佐坂の麓迄来り、僅かに山上の家一軒残る。溺死約四百人。
滑濱 在所は悉く海に沒し深さ五尋六尋に達した。
福島 上に同じ、溺死百餘人。
龍 青龍寺の客殿のみ殘つたといふ。
井尻 亡所。


土佐全體としては左の如くである。
一、流家一萬五百七十軒。
一、潰家四千八百六十六軒。
一、破損家千七百四十二軒。
一、死人千八百四十四人。
一、失人九百二十六人。
一、流失米穀二萬四千四十二石。
一、流失牛馬五百四十二疋。
一、濡米一萬六千七百六十七石。
一、手船百七十二艘。
一、商船百三十六艘。
尚當時の模様を南路志には左の如く書いている。


人を轉ずること丸き物を投げ轉するが如し。恐しとも何とも云々


叉萬變記には
諸人廣場に走り出づるに五人七人手を取り組むと雖も俯向けに倒れ三四間の内を轉じ、或は仰向けになり叉俯向けになりて逃走すること容易ならず。


四、安政大地震について中村町に遺る魚市場の記録
一、嘉永七寅年安政と年號替る右十一月五日晝七ッ時大地震仕其夜大ゆり小ゆり共又又三日目大ゆり是も同七日之七ツ時むかわり目迄少々づゝ毎日之事、其余もおりおり。
一、入野村地中半分より下も通流失中井早崎下田ノロ一、二流失かきぜ川添口はゞ弘くき水深さ十三尋立ち千五百石斗の市艘出入いたし穀物澤山に積入田の口の助けに相成申し田ノロ中井早崎は野地に相成潮先きは上田ノロ丸山の下迄中村之潮は崩岸の川一ぱいにて塩先き大用寺之下迄渡川は築地の沖の瀨迄。
一、家々相崩れ燒失家數軒おしうたれ人いたみ四五十人殘り家山端に多し市中一統に山々へ己屋を打ち十日余り居申候内色々相考候處文政五午年皛切替に付右魚問屋文助御冤被仰付候御役場ヘ口上を以右之次第一々御願申上候を私差留め是迄一向場合も無御座兩人相勤申候上御願申上ては不人情と奉存然共御願申上不申ては亡父へ譯相立不申命せしはいわ思付然に安政二卯四月私より伜万助へ願出認差出御座候處愁願全年八月差出左の通り御聞濟に相成候


五、安政大地震に於ける中村町の被害表


六、安政大地震(須崎町史より)
安政元年甲寅十一月四日朝五ッ時(午前八時)地震あり。敢て強きにあらざるも長震にして尋常に異なれり否や潮狂ひて堀川に逆流すること夥しく港内に碇泊せる船を東へ流し西へ引くこと終日なりき。此の日八幡磧に例の蛭子祭相撲興行ありて人々群集せしが、此有樣を見て一方ならず心配し、早くも山に逃げ上り夜半に家に歸りしものあり。


翌五扇は天晴れ渡りて一片の雲なく、風なく、人々安堵の思をなせり。然れども暑きこと夏の如し。相撲の翌日の事とて酒宴を張れる家も多かりしが夕七ッ半時(午後五時頃)に大地震起り、漸次強くなり忽ち暗夜の如く大地は所ゝに二、三尺、四尺、五尺、六尺と裂け、中より潮を吹くあり、土煙を飛ばすあり、一開一合山崩れ、谷湧き居宅土藏皆
倒れて算を亂せり、人々五人、六人、手に手を取りて泣き叫び、東西南北に駈廻り、父子兄弟互に呼び、或は俯伏せに或は仰向きに倒れ、二三間歩みては又倒れ、歩行自由ならず。半時ばかりにて稍々小震となりたり。此時人々は寳永の大變の如く大潮溢れ來らん、早く山に登るべし、とて我れ先にと取るものも取り敢ず山に駈け登る。稍々心豪な
るものは蒲團等を携へて逃れたり。時しも大潮天を蹴て海門に衝き人り來る物音凄まじく乾坤崩るゝかと思ふばかりにて光景轉た凄滲なり。堀川橋は皆地震に搖り落されて其上に潮水二三丈高く數百の家又船を浮かし來ること實に目ざましかりき。之を見て逃げ後れし人々素破堀川は渡るべき術なし。
疾く西の五紋中山へ登れよ。と呼び、叫びたれば皆々先を爭ひて刈谷の方へ走り行けり。然るに又二つ石の堤推し破られて大木人家等池中に推し流さる數百の人々は打渡らんと駈入りて水中の洲上に躍る様誠に哀れに見えたり。されど幸ひにも寛永の津浪よりは潮嵩低かりしかば、潮の退く間を見て辛うじて西の山に登り死するに至らざりき。既にして日は暮れけるに、今宵は暗夜なり。地震は大小幾百度と云ふ數を知らず。人た曉まで一睡だにせず。相引合ひて神を念じ、佛を祈りける程に夜深くなるに隨ひ着衣に置き凍れる霜は雪よりも白し、此夜山にて親子はなればなれにて生死も知らぬ者多く、親は子を呼び、子は親を慕ひ泣き悲しむ聲哀れなり。夜は明け六日となりたるに此日は晴天
にて日光人を射る。地震は猶止まず、されど壯者は各家に歸り見れば昨日晝の仕事を爲せし儘にて戸障子は明放し適々閉し家ありても壁は落ち、柱はゆがみ、瓦は飛び、一軒として全きものなく、我家に入りて衣類、蒲團、米、味噌等を手當り次第に取り後をも見ずして又山に逃げ行けり、其翌日も地震は止まず、總て是より四、五日間は晝夜四、
五十回も大震あり人ゝ家に歸る能はず。何十日間も山にて暮せしが、十ニ月の末にもなれば稍々震ひも遠くなり、人々新年を迎る準備に忙はしかりし、其三十日に又大地震ありて狼狽し、東西の山に駈け上れり。越えて其翌年も時々震動止まざりしは左に記する如し。


安政の大地震一ケ月の記録
大震一二回
中震一一一回
小震五九六回
計七一九回


右の記録は高知市鷹匠町水門御番人嘉助(當時七十五歳)の調査せしものなり。


七、安政の大地震(字佐町誌より)
有名な安政の大地震は其範圍の廣範な事、被害の甚大な事、實に驚くべき大震で當時は設備も不十分で死亡者も甚だ多く江戸に於ける死亡者二十三萬四百八十五人は、關東大震災の死者十萬六千九十人の二倍餘に及び、負傷者は八十九萬三千八百五十人の多きに達して後者の六萬五千人の約十四倍に及んで居る。以てその被害の如何に甚大であつたかを知る事が出來るであろう。
宇佐は海濱にある爲に津波に襲われ全町殆んど全滅の悲運に際會したのである。


安政元年十一月四日(町誌には八十年位前九十二年前)午前十一時頃相當大きい地震が襲い來り海潮定まらず、平日より多く引き又寄せ來る事七八度に及んだが然し人家迄は來ず、翌五日は晴天で風なく殊に温暖の好天氣であつたので、人々は安心して平常の通り家業に從事し、何等の警戒もなさなかつたが午後五時頃に至り俄に天薄闇となり俄然近代未曾有の大地震起り、山嶽崩壊、人家倒壊し人々救を求め忽ちにして阿鼻叫喚の巷と化し去つた所へ大津波が襲い來り、海に近い家々は悉く一呑みに捲き込まれ宇佐村中殘家六十軒、内造作にかゝるもの僅かに貳拾餘軒、溺死十餘名に及んだが、最も悲滲を極めたのは福島浦で(現宇佐町福島)引潮の爲にさらはれ行く人々多く其滲状は實に見るに忽びずようやく殘つた者も北方山地に逃れようとして走り出したが、後の川は橋が悉く落ちて渡れず、只あわてふためいて東方に走り遁れるより他に道なく、瞬く内に四十餘人は潮の中に呑まれ、只水泳の達人は泳ぎ逃れ幸福な人は板に縋つてようやく生命のみ取止める事が出來た。二番目に襲い來つた波は更に甚だしく、僅かに殘つて濱分及十町程後方の部落を一呑にし、此處は全く一戸をも殘さぬ廢墟と化し終つたのである。
このように寄來る波は七回に及び、中にも第四第五の波は最も甚だしく十五六町を隔てた山際の家も多くは流失し果てて殘るは只一戸山の上にあつた源右衛門の家のみであつたと言う。以てその慘状の如何に大であつたかを知る事が出來るであろう。
其後十年間位は毎日少く共五六度、多きは三四十度の地震の無い日はなく村民は只戰々恟々として日を送つた、殊に同年大晦日の如きは夕方より夜明までに百二十餘度ゆつたとの事である。
其後數ヶ年の村民の生活は實に悲慘を極めたらしく眞覺寺の僧静照の日記節分の日の條に。時節柄に付き鬼の窺ふ様なる家もなければ福の神の宿る家もなし。豆を投げて鬼は外福は内の聲も聞えず、皆々己家にて竊かに大根の煮しめを食うて節分の心持をなす。と言い又橋田の者共毎日海に拾い來りし衣類を洗い乾かし家々に竿を渡さぬ所もなく蚊帳小袖杯かけならべたる有樣は時ならぬ土用干の如し。と當時の悲滲な生活の状態を述ベてある。
又かゝる激變に際會し、精神的にも肉體的にも打ひしがれた人々は自然に氣風も荒み來り所々に喧嘩口論も起つたと見えて、
正月は他に用事もなく日夜地震の度數をかぞへると喧嘩を見聞するのみの用にて誠に氣易きことなり。と述べて居るo
かゝる慘状に加えて地震後の不自由、非衛生的な生活は遂に流行病を誘發し、死亡者相續いて出で滲憺目も當てられぬ状を呈したようである。


八、谷陵記(抄)
寳永四丁亥年十月四日未上刻大地震起り山穿て水を漲し川埋て丘となる、國中の官舎民屋悉く轉倒す、逃んとすれども眩て壓に打れ或は頓絶の者多し叉は幽岑寒谷の民は巖石の爲に死傷するも若干也係る後は必ず高潮入なるよし、云傳ふなどつぶやく所也。同下刻津浪打て海邊の在家一所として殘る方なし。
未の下刻より寅の刻まで晝夜十一度打來る也。中にも第三番の津浪高く山の半腹にある家も多く漂流す國中の死人二千余人當國に不限伊豫、阿波、紀伊、攝津、長門の海邊も頗る破壊に及ぶ其外西國、中國、關東は地震計と言江戸より大阪迄の模樣如斯江戸駿河原まで小地震、芳原家倒る死人なし神原油井波損清見寺膏藥屋不殘潰る澳津江尻家大に倒る周部、藤枝、島田、金谷、日坂上に同じ掛川家大に潰る、袋井不殘潰、見附濱松半潰れ、舞坂同じ、荒井津浪打て御番所流れ、ニ川半潰、吉田城潰る、町家も大に破損、御油、赤坂、藤川事なし、岡崎小破橋落る。
池鯉鮒事なし鳴海宮半潰、大垣城破損、桑名事なし四日市まで橋なし、四日市潰、石藥師、庄野、亀山、小波、關大津まで小破地震崩家一万四千十五軒、高潮入大船小船。
大坂競落す橋數三十八、家倒れ壓に打れ或は高潮に溺る共死人一万五千二百六十三人。
亦隣國の樣子、徳島士屋敷二亘二十軒民屋四百軒地震に潰る潮入はなし黒土浦郷共潮入も所富岡浦郷、阿波小波橋半亡所泊浦小波井佐より志和木までは存亡不知由岐兩浦共亡所溺死夥し淺川在家大形流失死人少し海部竪浦事なし靹小破宍喰亡所死入少々(以下略す)

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安政大地震に於ける中村町の被害表

第三節 各地に遺る震災記念碑柱

寳永、安取の大地震では土佐の沿海地方は大津浪が襲來して人畜、家屋、田畑の被害甚大であつた。この慘状を傳えるとともに、後世の人々のため、油斷しないよう警告を記念碑に刻み今もなお縣下各地に遺つている。
一、須崎町大善寺山麓の寳永津浪溺死の塚
二、新宇佐町萩谷の安政大地震の碑
三、岸本町飛鳥神社境内の安政大地震の碑
四、甲浦町萬福寺の碑
五、大方町入野の安政大地震碑
六、白田川村伊田の松山寺の麓の碑
七、清水町中ノ濱の海岸と部落はづれにある碑
八、市仁井田小十津中山の鼻の安政大地震の供養塔


一、寳永津浪溺死の塚(須崎町大善寺山の麓にあり)
この塚は昔寳永四年丁亥十月四日大地震して津浪起り、須崎の地にて四百余人溺死し池の面に流れ寄り筏を組みたるが如くなるを、池の南面に長き坑を二行に掘り死骸を集め在りしを今度百五十年忌の弔に此處に改葬するもの也。
其事を營まんとする。折しも安政元年甲寅十一月五日又大搖りして海溢れけるが其の事を傳聞、且記録もあれば人々思ひ當りて我先にと山林に逃登りければ昔の如く人の損じは無りし也。唯其中に船に乗り沖に出んとして逆卷浪に覆されて三十余人死したり、痛ましき事也。何なれば衆に洩れて斯はせしにと云に昔語の中に山に登りて落くる石にう
たれ死し、沖に出たる者恙なく歸りしと云事の有を聞誤認ししもの也。早く出で沖にあるは知らず。其時に當りて船を出す事は難かるべし。誠むべき事にこそ將昔の人は地震すれば迚て津浪の入る事を辨へず。浪の高く入り來るを見るよりして逃げ出でたればおくれてかくの如き難に逢へり哀にも叉悲しまざらんや。地震すれば津浪は起るものと思
ひて油断すまじき事なり。ざれど搖り出すや否や浪の入るにも非す少しの間はあるものなれば、ゆり様を見計ひ食物衣類等の用癒して扨て石の落ちざる高所を撰びて遁るべし。さり迚高山の頂にまで登るにも及ばず。今度の浪も古市神母の邊は屋敷の内へも入らず。昔も伊勢ヶ松にて數人助かりしといへば津浪とてさのみ高きものに非ず、是等百五
十年以來二度迄の例なれば考にも成るベきなり。今茲に此營を減すの印且後世若斯る折に逢はん人の心得にもなれかしと衆議して石を立て其事をしるさんことを余に請ふ。因て其荒增を擧げて爲に書付る者也。
安政三年丙辰十月四日古屋尉助識
附本願主發生寺現住
智隆房松園
世話人亀屋久藏
同鍛冶活助
同橋本屋吉左衛門


二、海嘯の跡(新宇佐町)
安政の大地震は、海嘯を呼び起し滲害を極めたことは、前述の通りである。其状况を誌した記念碑が、其の潮先に近き字佐萩谷に建てられてあり、碑文を左に記す。
南無阿彌陀佛
安政元甲寅歳十一月五日申の刻大地震日入前より津浪大に溢れ速こと八九度人家漂流殘る家僅六七十軒溺死の男女宇佐福島を合て七十余人なりき都て字佐の地勢は前高く後低く東は岩崎西は福島の低みより汐先逃路を取巻故昔寳永の變にも油断の者夥敷流死の由今度もその遺談を信じ取あへず山手へ逃登る者皆悲なく衣食等調度し又は狼狽て船に
のりなどせるは流死の數を免れず可哀哉其翌日は御倉開けで御救米頂戴し凍餓に至るものなく誠に難有御仁澤下りければ後代の變に逢ふ人必用意なくとも、早く山の平なる傍に岩なき所を擇びて逃よかし且流失の家材衣服等を拾ひ得し人暫時の内福に似たれども間もなく流行の惡病に染み悉皆なくなりしを眼前見聞したると告げ殘し殊に兩度溺死の
人の菩提を弔ん爲にと衆議して此碑を立るものと云爾
安政丁巳十一月
世話人西村耕助識
綠屋傅平
久市屋菊右衛門
梶和屋源次郎


三、安政大地震記念碑(香美郡岸本町飛鳥神肚境内西側にあり)
 徴毖
諺に油斷大敵とは深意あることにて仮初におもふべからず。安政元寅年十一月の事なりき朝五時頃常に覺ヘぬ程の地震して岸本の浦塩のさし引十間余りの違あり叉手結の港内も干揚りて鰻をつることなと夥し同日兩度小震すこしばかりあれとさばかり驚く人もあらざりしを翌五冊八時過大に震動すること三度七時過大雷鳴の如きどうどうと響してひとしく大地震す。こはいかと衆人驚く程こそあれ家藏高塀器物の崩れ破るゝ音さらにいふ計なし。迯んとすれど目くるめきて自由ならずはうはう家を出けるに津浪打來りて當地は徳善町より北の田中赤岡の西濱並松の本吉原は庄屋の門迄に及び叉川尻の波は赤岡神輿休のほとりまでにいたり、古川堤夜須堤も押切られて夜須の町家など過半流失す
かくて人々は老を扶け幼を携へ泣叫びつゝ王子須留田又は平井大龍寺の山へと逃れ登りて命助かりぬ。此時國中の官舎民屋多く轉倒し就中高知下町幡多中村等に失火ありて一円燒亡し凡そ怪我横死何百人といふ事なし。幸甚なるかな此地は神祗の加護によりて一人の怪我もなく彼山々に己家をかまへ日を經るに隨ひて震もいさゝか穩に成しかは恵あ
まねき大御代の忝を悦つゝ皆己々家に歸きぬ。抑寳永四年の大變は今を去ること百四十八年になりぬれば又かゝる年數にも必變事の出こんなといふ人もありなめと世變はいつあらん事豫めしりかたしされと常に菟あらん時は兎に角心せは今其變にあひて狼狽せさるへし今の人こゝ寳永の變を昔はなしの如くおもひて既に油断の大敵にあひぬ。さるに
よりて後世の人々今の變事を叉昔咄の如くおもひて油斷の患なからしめんためことのよしを石に(一字不明)りて此御社と共に動きなく萬歳の後に傳へんとふるひおこしたるは里人か誠心のめてたき限りにそありける。干規たまたま高見の官舎に祗役して倶に彼の變事に逢たれは其よし書てよの人々の乞ふにまかせてかくは記し侍りぬ穴賢
安政五年戊午季秋毅旦
徳永干規誌
前田有稔書
澤村寅次刻


四、甲浦町萬福寺に遺る碑
萬福寺にのこる碑の碑文は歳月を經て不明であるが、貞享元年十月十三日の銘がある。十月十三日は日蓮聖人の入滅の日にて此の經塚は當山の中腹にありて、此の塚まで津浪が來りたりと傳えられて居る。
この地に船越の地名あるは、津浪の浸入をうけたとき、此の坂を船が越えたりとの言傳えより生したりと云々。


五、大方町入野の安政大地震碑
嘉永七甲寅の歳十一月四日晝微々の震動有潮海岸に流れ溢る土俗是を名て鈴浪と云ふ是則海嘯の兆也其翌五日朝土俗海岸に望に滿眼の海色洋々として浪静也欣然として家に歸る平素の業を事とす時に申克に至て忽大震動瓦屋茅屋共崩家となる滿眼に全家なし氛埃濛々として暗西東人倶に後先を爭ふて山頭に登山上より西川を窺見るに西牡蠣瀨川東吹上川を漲り潮正に溢る是則海也最潮頭
緩々として進第二第三相進至第四潮勢最猛太にして實に膽を冷す家の漂流する事數を覺ず通計に海潮七度進退す初夜至て潮全く退く圃は沙漠と成田?更に海と成る當時震動する事劇く曾聞寳永四丁亥歳十月四日も同然今に至て一百四十八年今此石此邑浦の衆人勞を施して是を牡蠣瀬川の邊に採て此記を乞來は是を後人に告がためならん、鈴浪果して海嘯の兆なり爾來百有余年後此言を知るべき也
安政四年丁巳六月朔
入野
野並晴識村若連中



六、白田川村伊田の松山寺の麓にある安政大地震の碑
白田川村伊田の松山寺の麓に碑がある。風雨に晒されて、今では碑文が消えて讀めなくなつている。しかしこの地にも津浪が來たことは事實である。この碑に殘る碑文の一部に「一里以上沖に船を出したら津浪には安全である」との事をしるされてある。


七、清水町中ノ濱海岸の碑二柱
(一)中濱部落の海岸小高い所にあるもの。
碑文
「嘉永甲寅十一月大地震静否大潮四五度入ル高サニ丈斗リ諸國人多死ス」
(二)中濱部落から清水に通ずる、舊道部落はづれの一角にあるもの。
右側面
「前日ヨリ潮色ニゴリ津波並ニ井ノ水ニゴル或ハ干カレル所モ有兼テ心得ベシ是時諸人之悲歎難盡言語伍而爲後 世謹建之 中濱ノ浦池道之助清澄」
裏面
「子時安政二年乙卯三月建之池先祖墓所」
右側面
「寳永四年亥十一月四日未刻大地震靜否浦々大潮入ルコト三度流家死人夥し翌子ノ年中少々の地震タヱズ大地しんの時火をけし家を出ルコト第一也家にしかれ燒死者多」
(片仮名平仮名混用している)
「附記」池道之助という庄屋が建立したものであろう少しく欠けた不明な處は現在中濱郵便局にある記録の中の碑文の原稿より之れを補うた。


八、市仁井田十津中山の鼻の安政大地震の供養塔
高知市仁井田十津中山の鼻に、安政の大地震の折り津浪のため死体が澤山流れて來て、其の場所に埋葬し南妙の文字をきざみ塔が建てられている。

第四節 地震津浪に關する各地の古老の言い傳え

古老の言い傳えを入念に各地を歴訪して集めることは出來なかつたが、こゝに掲げたものはその一端である。今回の大地震の際役立つことがあつたか、又禍となつたものは無かつたか、各地の被害状況等と比較して研究して見る必要があると思う。
一、多ノ郷村大間の言い傳え
二、須崎町の古老の實話
三、須崎町のお伊勢の松
四、甲浦町の船越の話
五、清水町蓮光寺下まで津浪が押し寄せた話
六、上ノ加江町の古老の言葉
七、三和村と安政の大地震
八、虚室藏山の光岩


一、高岡郡多ノ郷村大間の人の話
(大間部落は、今回の津波を真正面、被害甚大であつた場所である。)
私は大地震が止むともうこれで後は大した事はあるまいと、寒いので皆家の中に入つて休もうと思つたが、フト思い出したのは地震後の津浪である。
昔の云い傳えに、津浪の入る前は必ず海岸の水が無くなるから氣をつけよと聞かされて居たので、早速近くの大間川へ見に行つた。
すると、暗がりの中に川の水が一切無いことが判つたので、これは大變だ津浪が來るに違いないと思い、大急ぎで駈け戻つて大聲でこの事を附近の者に知らせ、私は家族をせきたて、何物をも取る暇もなく二丁ばから西の山をさして走りましたが、津浪は早や大波の音を立てゝゴウゴウと眞白に押し寄せて來ました。
何様暗がりの道を川端づたい逃げるのではかどらず、津波は既に私どもの脛の所まで来ましたが、漸く山に駈け登ることが出來ました。


二、安政の大地震と古老の實話(須崎町にて)
曰く、安政の大地震のあつた其の日は天鼠は良く、今も變らぬ正月の相撲氣分で、朝から須崎の濱で蛭子相撲があつて、近郷近在から出て來た見物人で濱は黒山のようでした。夕方になつて相撲は首尾よく濟んで、優勝した力士は贔負の若者等とともに大關々々と町を練つて家に歸つて來て、盛んに酒宴を催して居た。日も暮れかゝつたので皆夕
食の準備をして居た。所謂黄昏の時分でした。突如大地震となつた。酒どころではない。そら地震だというので皆戸外へ飛び出した。見るみる大きな建物は次ぎつぎに倒れて行つた。然し人は皆津浪の來るのを恐れたが格別の事もないようでした。地震は漸く濟んで日も全く暮れた。その時何處で云うともなしに空の方から大聲で潮が入るぞ入るぞと入の叫び聲が聞えて來た。ソラ津浪が來ると云うので皆衣類や食糧等を抱えて城山へ逃げた。
地割れの所は雨戸をしいて通つた。やがて津浪は物凄い音をしてゴウゴウと押し寄せて來た。
八幡宮の社内は潮が來なかつた。然し堀川の橋は全部落ちてしまつた。町の東の方は家も船も皆流れてしまつた。
勿論人も澤山死んだ。我々は地震が濟んでも毎日毎晩小搖がするので恐しくて一週間ばかり山に居たが、家のある人は地震の間に走つて來ては鍋釜等の日用品を取つて來て山で暮して居た。
なお古老の云い傳えによれば
一、大地震の時角谷の沖へ大きな火柱が立つた
二、大地震後必ず津浪が來るが、其の津浪は地震後直ぐ來るものではない。ゆつくり飯を炊くだけの余裕はあるからあわてず落付いて充分の用意をして、避難せよと云つている。
三、大地震の後で夜空に何處で云うとなしに大聲で津浪が入るゾウー、とくり返し叫びましたのは實に不思議であるが、其叫び聲が須崎中は勿論、近郷近在は元より、遠く斗賀野村方面まで同じ様に聞え渡つたという。
然し今回の地震、津浪は火柱の立つたことは聞かないが、ただ海岸地方の人々は光ぼうを見たというのがある。第三の場合は全然無かつた。
第二の場合は震源地の遠近により差異がある。


三、お伊勢の松の傳説
高岡郡須崎町北横町の堀川に、メガネ橋という石橋がある。その橋の袂に、お伊勢の松と呼ぶ大松が、最近まであつた。幹の廻り二丈余樹齡四百余年という巨木であつたが、何故にその松をお伊勢の松と名付けたか茲に面白い傳説がある。かの寳永の大地震の節、堀川の橋は全部落ちて流れ、川より南に住む人女の内、逃げ遅れたものは西へ西へ
と駈けこの松の邊りまで殺到して來た。津浪は容赦なく押し寄せて來る人の命も危く見えた。咄嗟の場合、この松へ登れる丈の者は登つた。然し女子供は意の如くならない。只救いを求めて泣き叫ぶのであつた。この時現われたのがその當時村でも有名な大力のお伊勢と呼ぶ(賓永の大地震史には此のあたりに住居せし澁谷金の王と云える力士とあ
る。)大兵怪力の男である。(或は女ともいふ)見るみる内に片つぱしから向う岸へほうり投げて數多の人々を助け最後に自分は其の松に攀ぢ登つて命を拾つたというので、それより此の松をお伊勢の松と名付け、その傅説と共に有名となつたとのことである。このような大津浪でも高い山の頂へまで登るにも及ばないこの松でも助かつている。今回の大地震でも街の高い處の住家には津浪は押し寄せていないのである。


四、甲浦町の言い傳え
甲浦町に船越という處があるが、これは何時かの大津浪にこの坂を船が越えたとの云い傳えより船越の地名を附けたとのことである。
又古老の話では、井戸の水が減つたときは、大津浪があるから氣を付けよといわれている。


五、清水町蓮光寺の石段まで津浪が押し寄せた言い傳え
清水町へ安政の大地震のときの津浪は同地の蓮光寺の石段の三段目まで浪先が來たと云われているから、相當大きかつたと傳えられている。


六、上ノ加江町の古老の言い傳え
(イ)大變の時避難するには中山へ中山へといけ。
これは津浪に對する警告であるが、宇佐、須崎の土着のもので、古老の言に從つた者は皆事無きを得た。
(ロ)大變の後にはくれくれも第一に、井戸と便所に氣をつけよ。
此れは傳染病豫防上の警告で良教訓である。


七、三和村の古老の言
安政の地震と津浪について
古老の言によると『霜月八日黄昏から夜にかけての強震、村人は地裂を恐れ、津浪を怖れて、もよりの山へ藪の中へ避難した。
物部川の川口から押し寄せた高潮は、濱改田の北側にドツトせまり里改田を洗い片山との村境まで迫つた。
村の大半は凄い海、沖合から流された舟は丸池の地藏に激突したのもあり、中にはそれで命を矢つた船人もある。
余震旬日にわたり、その度毎に海水は襲つた。避難昆が山に藪に小屋掛してくらし、人馬諸共の避難生活がつゞいた恐怖のあまり永い者娃二十余日に及んだ』と。
『干潮の際は切戸の決かいで津浪の被害は少なく、地震のために所々に大きな地裂を生じた』との事である。しかし被害の程度は不明である。


八、虚空藏山の光岩の傳説
この光岩は安政の大地震で裂けたのだが、今回の南海大地震の時も頂上の大光岩が南側に轉げ落ち虚空藏山が眞二つになつたと、村人に不安な話題を投げたこともあつた。

第三章 土地の變動と土木耕地の復興工事

今回の大地震によつて土地の隆起と沈降を見たことは、以下各項に於て述べるが、後篇の學術的研究發表で、又地理調査所でも調査究明を續け、更に四國四縣議會土木委員會に於ては專門家に委嘱して究明に努めているが、いまだ明確なことは發表されていない。しかし、次々の中間報告によつて明かにされつゝある。眼に見えない土地の變動は今なお徐々と動いているといわれている。この事實は今後の復興工事に重大な關係を持つているが、本項に於てはその一端を述ベるに過ぎないのである。
(1)地理調査所の實態調査の概呪と現段階。
(2)室戸岬方面の漁港が淺くなつた。
(3)高知市の沈下
(4)須崎及び多ノ郷でも沈下している。
今度の地震で最も著しい現象は、地殻の隆起と陷沒とである。
建設省地理調査所及び各方面の學界に於ても、目下實態調査を行つており、未だ全部完了してでないと確かなことは判明しないが、とりあえず、左の通り同所の發表をこゝに公表する。これは今後の精査にょり、土木事業、耕地事業の上に及ぼす影響が甚大である。
大地震または大爆發に於ける地殻の變動、特に垂直移動の著しいことは從來しばしば経験したところで、陸地測量部ではそのつど、復舊測量を實施してその結果を發表し、以て學界に研究資料を提供してきた。
昭和二十一年十二月二十一日南海地方の強震があつたので、當所測量課は地殻變動調査の目的で、この地方に一等水準檢測作業を實施した。
 ◎觀測の結果は左の通りである。
 高知地方
安藝郡赤野村(一等水準点五一六七號)を不動点と假定し、これに基いて各点間の觀測直高を決定し、これを舊値と比較して移動量を算出したのである。
その結果は高知市に於ては赤野村に比し約二五粍沈下し、室戸岬に於ては約一一五粍隆起を示している。
今こゝに室戸方面及び足摺岬方面の隆起と高知市の沈下、須崎及多ノ郷の沈下に就いて左の如く述べられている。


▲地震ではね上つた室戸岬と室戸の漁港が淺くなつた
高知市附近が今度の地震で約六〇センチほど沈下した事實は前項で述べたが室戸岬附近は隆起した、今までにこの附近に起つた大地震に關する古い記録を調べると、何時でもそのようになつているという事實がある。
室戸港の築港の石垣には、海水面より一メートル位の高さにまつ黒な線が一直線に水平につながつていた。そしてその線から海水面までもやはり薄黒くよごれている。
沖の荒波からさえぎられた港の奥では、油でよごれた黒い海水が常にたまつているから、この石垣の黒い線は長い間海水而に接していた線の跡にちがいない。
土地の人々も地震前の海水面は皆の人は満潮の時には一番上のまつ黒な線のところまで海水につかつていたというている。
今では船の荷役に大變不便を感じている。
地震の時この邊りの陸地がもちあがつた事は確かである。
室戸岬の一番南の端では、上昇の量が最も大きく約九五センチに達するが、それより北へ行ぐに從つてこの上昇量は減つていた。


▲高知市の沈下
高知市では廣範圍に亘つて沈下した。此處では津浪は事は無かつた、(種崎方面へは津浪は來ている)然るに、地震後滿潮になると、下知方面の市街地から周邊の水田に潮が人り海となる樣になつた。測候所の周圍も、水びたしになる露場は海抜一・二米であつたが、最も潮の高かつた時は露場から五糎位下まで來た。
これから推算すると、五〇糎位沈下したことになるが何處も同じだけ沈下した譯ではないらしい。風力塔は二八糎程めり込んだ。併し高知附近の地盤が一般的に沈下したかどうかは甚だ疑問で、單に沖積層と埋立地だけかも知れない。


▲須崎及多ノ郷でも、沈下している
多ノ郷では津浪の後、水田の水が可成りの面積に亘つて引かない。縣道は一部滿潮時には水面下になり、渡舟で連絡している。何の位沈下したか、須崎の港附近では岸壁が全部壤れたので甚だ測り難い。海岸附近の道路を基として土木出張所が測つた所によると、一・二米位沈下したという。
併しこの道路は局部的に甚だしく下つたことは一見して明かなので全般的のことは良くわからない。野見でも岸壁は皆沈下しでいると土地の人はいつている。併し山から直ちに海になる絶壁の所で沈下したかどうか明らかでない。

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高知市附近の津浪の高さ

第四章 高知縣臨時災害對策本部の活躍

各方面の被害情報を把握するや西村知事は直ちに臨時災害對策本部を設け、關係官廳及び民間團体代表者を十二月二十二日知事室にまねき第一回臨時災害對策本部協議會を開催し臨機の處置を講じ協力方を要請した。引き續き第二回を二十三日に、第三回を二十四日に開催し各團体の連絡提携を密にした。
二十三日までに一應被害状況を知り、これにょり全國で一番被害が甚大である事が判明したので、直ちに復興事業計画の樹立に努力することゝした。
この協議會の概况は大体左の通りである。


(1)第一回高知縣臨時災害對策本部協議會記録(十二月二十二日)於知事室
◎西村知事挨拶
◎小杉警察部長の被害状況報告
◎電氣關係者(四國配電)
九つの幹線の送電をやり一ヶ所だけ点燈した。これは長濱方面の進駐軍關係へ送つたが他は一瞬間ついたが結局駄目であつた。
本日中に重要な幹線は復舊の見込があり、一般家庭はこゝ二、三日中に復舊する(實際点燈したのは九日よりだつた。)見込である。なお、資材の点も思う様にはゆかない。
勞力の点は主として市内の電氣關係從業員で今の所聞に合わしている。
◎鐵道關係者(國鐵)
本日午前八時に於げる鐵道の状況を申し上げると高知以東は豫定通りゆける見込で、後冤迄は開通した。今日中に高松迄の復舊をしたいと思つている。後冤高知間は目下運行中である。明日午後五時就行の豫定であるが時間の都合で二十四日初列車より運行したいと思つている。
右の樣に線路は二十四日より豫定通りやりたいと思つて居るが、問題は、水道の故障による機關車給水で、水道が復奮しないときは、動力による吸上ポンプで行いたいと思つて居る。
高知以西は目下朝倉までは二十四日開通の見込であるが他は見込がたゝない。但し伊野迄はニ、三日中に開通の豫定である。
鐡道不通ケ所
土讃線—後冤以東
由岐—波線—冨岡
宇野線—茶屋橋
山陽本線—西あち、玉島、里島等
族客は緊急要務者としてある。須崎方面へ差當り廳舎、官舎應急バラツク用材五〇石、板一五〇石、釘、杉皮五〇○、須崎多ノ郷市内其の他應急用として取纏め中である。
◎水道(市役所)
本日中に大体復舊の見込であるが、驛の方への送水をやつてみなければはつきりしたことはいえない。
市内收容者は、千五、六百人にして下知方面は九ヶ所の收容所に收容したが。これ以上の對策は私は承知していない。
◎營團(食糧)
一万個のパンを市役所立會で配給したが、後は製品が後れるので軍(進駐軍)の拂下パン等を今明日中に配給する豫定である。
藷を宇治より三万貫、日下村よりニ万五千貫供出する。
◎電氣逼信
電無外線二十三回線
今朝電話は徳島高松へ開通したが、徳島は軍の使用により高松線のみ使用可能である。
市外電話は四十三回線は不通。
一般電話四五五件不通。
加入者の規正や進駐箪關係に支障を來さないつもりである。
市外は七、八○%復舊、二、三日巾に復舊豫定で市内加入者は數日中に通話が出來る見込である。電信線縣内殆んど不能。
可能線
縣内−東豊永、前ノ濱、赤岡
縣外−高松
縣外電報
申込者の遅延承知の場合のみ取扱うている。
郵便物
縣外より來ない。
縣外へは現在後免迄發送中。
縣内束部、物蔀川橋自動車不通。
束部状況調査中である。
西部は波介の山崩宿毛線不能なるも、鐵道線路により佐川迄送つている。
◎交通課長
港岸壁は當分使用不能。
接岸可能。
農人町岸壁大型船不能。
いづれも荷役不能。
これが管理は海運管理局でやつている。
◎土木課
高松よりの米は鐵道三回貨物車を要する。三回不能の場合は三回の中一回でも貨物車使用して運送、香川縣よりは鐡道便がよい。
◎鐵道
右については極力努力するが後刻確答する。
之は石炭事惰による。
現在八日分位の石炭保有がある。
差當り二、三回貨物をとれると思う。
◎日銀
緊急措置令による應急措置の外、異常の拂出も何時でもする。
◎土木課
交通不能ケ所
赤岡高知線−稻生村
濱改田高知線−三和村
高知徳島線−野市物部川
赤冊線−大忍村二ケ所
住吉野市線−吉川村
和食線−和食村
新宇佐高岡線−高石村
本山伊野線−五ケ所
國道二三號線−越知外三ケ所省線バス越知迄
海岸方面の被害は多いと思われる。
國府川下流堤防は實質的に殆んど全滅状態である。
葛島橋下方欠潰四〇米は水深六米ちかくである。復舊に相當の努力を要する。應急措置を二十四日中に完成したい。
葛島橋上流左岸二右岸一は附近に家屋なく遂次復舊する。
若松町岸壁は殆んど使用不能、應急的の木材橋で開に合わす。
港の埋立は沈下が續くので相當先に延ベねばならぬ。
◎共同遍信入信
高松で一万四千俵船へ搬入中。
◎寝具衣料品(厚生課)
引揚者越冬對策用として全部放出し切る、手持品は毛布百枚たらず、衣類殆んどなし。
新宇佐町須崎町の要求に對しても僅かしか支給していない状態である。
一般家庭よりの供出をお願いする。引揚者用として毛布二十五日頃八八五○枚入荷の豫定なりしも今日の被害により見込たゝず現在取扱者三井物産に上阪してもらつている。
◎水産業會
被害状呪不明對策なし。
◎沿岸汽船状況不明
◎農業會長
交通、通僑壮絶のため状况不明なるも全面的に協力する。
塩自給製塩被害甚大にして(在庫見込三十五屯とない)全滅の見込で縣外移入の外なし。


(2)震災對策協議會事項(第二回)十二月二十三日開催
警察部長より第一回(咋日)報告以來の被害状況を詳細報告し。
新に判明せる中村町方面全滅に對する對策として、緊急救濟のため午前七時機帆船第七土佐丸を以て、醫師一名看護婦四名保安課長以下警察官十二名を農人町より出發せしめた。
第二船は午後三時新高知丸(三○〇屯)を以て、救護諸物資及び人員を輸送の豫定、余震は一、ニヶ月續くもニ十一日のようなことはないものと思う旨測候所の情報を説明し、續いて電菊關係の説明があつた。
◎電氣關係(四國配電)
一、送電開始ケ所市内
(一)進駐軍關係は五台山を除き全部。
(二)高知市の一部赤十字、放送局、水道、縣廳、高知署、郵便局、高知日刊及びこれに關連する一般民家。
食糧營團關係の製パンエ場は長濱、知寄町を除き全部。
(三)重工業、棧橋方面全部。
(四)電車、平田、宮本、舊陸軍の三病院、旭方面は本日中に送電可能。
二、須崎町方面の被害は電線二万米電柱二〇〇本。
宿毛、清水、變電所、營業所、配電所は相當被害あり。
發電所中佐賀、松葉川、送電支障なし。
東部の状況まだ不明である。
◎水道(高知市)
上水道の應急處置については、市内幹線送水の準備は完了し、支線への送水は、ただ今、幹線より一つ一つ送水試験中にして、結果は追つて判明、一般へは本日中可能。但し下知方面は浸水中にして幹線不能と思われるので送水不能である。鐵道の復舊が豫定より早かつたため、驛構内への給水は間に合わないかも知れないが、その時は消防車にでもよつて給水するより外致し方ない。
下知、潮江の減水がないとすベての救濟は非常に困難である。
◎食糧(食糧課)
年内市内割當完了。
供出強化も完了しそうである。
市民をして數日間、食をして離れしめることはない。
町村長會を召集し附近農家より今明日中に「にぎり飯」及び衣類の供出及び學童による供出を可決した。
◎鐵道(國鐡及地方鐵道)交通課
高知後冤間二つの橋梁は正午徐行で進行可能となる。
今日午後三時三十分列車より運轉見込み。
昨日後免發列車は赤野を通りたる後土砂崩壊せるも、人員傷害なく午前中復舊した。
西部明朝より伊野迄以西は仁淀川橋梁被害復舊調査中にして見透不明。
◎電話、電報
大阪線今朝又不調。
縣外は宇和島のみ不通。
縣内は東豊永、前濱、長濱、安藝等復舊。
中村迄の復舊は見透したゝず。
◎郵便物
東部甲浦迄遞送中なるも不明。
宿毛方面不通。
高知−吾桑車及人夫遞送。
種崎は一號便可能の豫想。
鏡野−見込たゝず。
新宇佐−見込なし。
上り後免引渡し上り便は濟んだが、下りは何らなし。一般は遅延承知の場合は受付している。縣外はかろうじて通信の状態なり。
◎日銀
羅災者の應急措置。
高松連絡により四國全般共通の措置として引出(封鎖預金)は
(1)全壞、流失、全焼(生必購入用)
世帶主一人五〇〇円
一世帶二千五百円
(2)半燒、浸水、半壞(生必購入用)
前項の半額
期間來年一月十一日迄である。
◎衛生課長
實施對策
赤痢、膓チブス發生が豫想されている。
藥劑以外クレゾール石灰による汚物便所の浩毒實施中である。
水道の送水に當り最初の水は汚れているので塩素メツキンの濃度を強くして使用するを關係方面と連絡準備中。
◎井上縣會議長
謝意の後
本日縣會に於て議案及び本會の意向を伺い見舞に對する決議をなす。
縣會も全力を擧げて協力するので指導鞭撻を頂きたい。
◎專賣局
高松より回送豫定の塩一一一屯は未た來らず。(丸亀よりの品)
罹災者用として山田貯藏所に三〇俵(一〇〇K)あり、之れは命令次第供出出來る。
煙草
年末年始用は罹災者へ配給す。
十二月分市部以外は全部送付濟。
◎土木課
野市物部橋は交通禁上解除した。
夜須町道路欠潰六〇米も本日中に解除の豫定。
新宇佐への交通線は舊線により、四、五日中利用可能の見込。
堤防
葛島橋下流の欠潰口は次第に變化したので、當初の復舊方法を變更した。
水深七米、俵は三万俵を必要とし現在一千五百俵在るのみ、然し二、三日中にやりたい。
對岸及國分川右岸に新に欠潰ヶ所あるも少くも五万俵の俵を要し、之れがなければ復舊は全く見込なし。
◎市長
食糧配給
二十二日朝食迄パンの配給。
學校、教會等牧容者一、八八○名。
本日の晝食から通常配給にしたい。
罹災証明書は打切り、本日より市内會隣組長証明書本日中になし、臨時配給切符より之を行う。
新宇佐、中村等は附近町村に食糧が相當ある見込で、之によつて補給をして貰いたいと思つている。
新宇佐、須崎、中村へは味噌、醤油を發途した。
供出促進手配中
縣内生産の超過供出具体策は目下樹てつゝあり、香川縣への申請もニ、三日中に行う。
◎營團(食糧)
宇治、日下の藷を配給。
高岡二〇〇俵、佐川三〇〇俵本日中入荷豫定。
香川縣米十屯二車は土讃線赤野驛まできているが、鐵道事故により稍遅延するも、後免迄は確實にくるものと思
うo
明日より完全に配給なし得る。
◎幡多郡聯合青年團長
謝意の後、如何なる協力も惜しまぬ決意を傳え、救護に對し先般女子青年團引揚者用として集めたものを衣類二万点非常供出せしめたため、再供出不能につき、如何程の數量にても可なるを以て頂いて歸り度い旨懇請した。
◎商工課
中村町方面への救護品は、第二便へ出來るだけ多く積みたい。又今日布團二百枚を作り第三便にて送りたい。
次いで厚生課員より新宇佐町の被害状況詳細を報告した。
◎營林局
深山勞務者は總て一括受給しつゝあるが、交通杜絶でこの点考慮されたい。
◎農業會長
可能町村四十ヶ所へ電報したが、まだ返電はない。
高岡町農業會よりの申請
馬鈴薯種の確保
麥の種子四十石拂下
肥料も棧橋に在るものは浸水で下積のものは使用不可能となり、使用見込みのものは目下附近町村へ送付中。
須崎の倉庫も浸水により見込なし。
◎市長
罹災者收容者について
罹災者は當時は緊張せるも一段落ちつきを得たる時は食糧衣類其の他寒さの關係の愈々深刻となるので、然るべき場所に收容せねばならぬ。現在學校の使用は新學年を控える關係で長く續かず、バラツクを建てるか、劇場、倉庫等物色している。それぞれ管理者と交渉したいので、此の点關係者と共に強力なる御協力を得たい。
◎最後に酉村知事
一應被害状況を知り得たるがこれにより本縣は殆んど全國で一番損害が甚大と思われるので、一同も早く復舊に取りかゝり、之については本省よりの調査團及本縣選出の代議士も慰問の爲本日中に歸縣する變定であり、生業復活運動を開始し擧縣一体で之れが解決に當りたいと思うので、御協力ありたい。
(3)震災對策協議會事項(第三回)十二月二十四日開催
警察部長災害状況説明の後
◎交通課長
鐵道を除く交通状滉を説明
電車伊野、五丁目−昨日午後三時より再開。
葛島、後冤−今日午後の見込み。
市内−當分見込なし。
後兔、安藝間−後免、手結間折返し中午後安藝迄再通の見込み。
高知、後免バス今朝室戸迄直通す。
高知、佐川、須崎−今日定期便通ず。
第一日八時出發第二便十時豫定。
明日より一車增の豫定。
以西は海上によるの外なし。
咋日午後四時三十分西沿岸航第一高知丸は救護物資及人員一九五名をつみ出帆。
本日正午土佐湊丸外二隻出帆豫定。
明日午後宿毛へ歸る船あり。
明日午後三時第二新高知丸西沿岸ヘ出來るだけ寄港しつゝ就航。
明日出帆後は二、三日欠航あり。
其の間は機帆船を使用するつもりである。
◎移入、食糧
香川縣よりの殘りの米は二十五日迄につむ豫定で、粳六千石、糯千六百俵は遅くとも二十六同中には來る豫定である。
市内需要量は一日二八〇石故、十日前後は確かで一万五千俵の一部は年末年始に充當したい。
食糧事情に不安はない。
◎知事
未曾有の災害を契機として救援ばかりでなく、一般の供出其の他も縣に供出促進本部とでも云うものを設置し、凡
ゆる機關を網羅して各系統毎にわらじばきの氣持ちで、此の際供出殘り八、九万石も急速に供出を完了したい。併行して暗取引、買出等を嚴重取締をし配給は確實に出來るようにしたい。
超過供出も對策とし農家の保有米の食延し等かゝる手を早急に打ち、民間機關、報道機關各部課を通じ供出促進を縣民運動としてやりたいと思つているので協力賜り度い。
◎農地部長
連絡調査事項の件を述べた。
◎知事
右の調査は何れ米國の支持を受けねばならぬ條件下にある關係と、適當な情報が必要で、本縣の災害状況は現在のまゝでは不充分であるので、此の点を考慮に入れて調査する要あり。
今後の復舊の問題を考慮して貰いたい。
二十六日地方長官會議が大阪で開催されるが、これには内務大臣以下各省次官も來るので、問題があれば承り度い。
◎薪炭事情
罹災地中一番困るのは高知市で、これに對しては計画以外に緊急用として二万俵を手配中。
對策としては縣外移出を差控えるより致し方ない唯今大阪府よりの申請もある見透し。
價格引上共の他により山元は活氣あるも山元より驛構内迄の輸送の点が問題で、今般の緊急用も運賃、交通關係で支障を來す。
◎知事
大阪府より物資を貰う關係上見返りの炭が入るので需給の計画を關係者は提出してほしい。
◎土木課長
須崎本日午後五時再開豫定である。
國道二三號線松山川口迄再開見込み。以西は本月中かゝる見込み。
須崎窪川線は四、五日中にやりたい。
葛島橋下流堤防欠潰は現在の最高潮が引かぬ限り不可能である。
其の聞の連絡は小舟にょるの外ない。
◎高知市
收容場所
商工會議所三階、白洋ビルニ階、今日から使用開始した。
掘詰、花月劇場交渉中。
◎西村知事
官民協力の協議會を設けたい御協力を乞う。

第五章 高知縣震災對策本部及高知縣震災 復興對策委員會の設置

今次の大地震の被害の甚大なるに鑑み、その日に設けた臨時災害對策本部を十二月二十五日に高知縣震災對策本部に改織し、更に二十八日官民一体となつた高知縣震災復興對策委員會を設置し、一大擧縣運動を展開したが、之れが機構やその運營等につき概記する。

第一節 高知縣震災對策本部の活動

先づ高知縣震災對策本部について其の本部規程並に本部の使命等は次の通りであるが、本部へは各課より常置の詰員を派遣し、當面の各種の緊急事務を執り各方面と連絡に當つた。
別項本部日誌にもあるが如く、晝夜兼行寝食を忘れて涙ぐましき努力が續けられ、翌二十二年四月十七日西村長官より、一應解散する旨通達があつた。


 高知縣震災對策本部規程(昭和二十一年十二月二十五日制定)
第一條震災復興の急速完成を期する爲め縣に高知縣震災對策本部(以下本部と稱す)を設置する。
第二條本部は本部長の指揮下に屬し別表に依り事務を分擔する外各班の連絡協調を圖り目的達成に努むる。
第三條本部長は必要に應じ樞要の地に支部又は出張所を設くることを得ること。
第四條本部長は復興の進度又は必要に應じ班の廢置分合を爲し得ること。
第五條本部に要する經費は別途之を定むること。


 附則
本規程は即日之を實施する。
昭和二十二年一月十七日
震災對策本部長西村直巳
震災對策本部各班長殿
震災復興對策に關する件
標記の件については、長官上京の際携行するに必要な程度に於て資料並びに計画の整備を爲したるも、右は、飽く迄も一應の計画に止まり、眞に力強く推進を圖る爲には、計画に充分なる檢討を加える要あるものと考えられ、各部課に於ても、夫々御準備中とは思うが、至急具体的計画の整備を取進められると共に、震災對策本部の組織の事務分擔の線に沿つて、夫々主任班長及關係擔任者に於て速かに關係方面と緊密な連絡をとつて、擔當事項に付き計画の設定と資料の整備を圖り、之が實施について遺憾のない樣に御配意願いたい。
追つて右整備の上は速かに本部へ二部提出相成りたい。

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高知縣震災復興對策本部の組織と使命

第二節 高知縣震災復興對策委員會の使命

強震は全縣下を襲い、その被害たるや言語を絶する甚大さにて、罹災者の悲慘の状態漸く調査を完了するに至り、速に之れが復興の一大事業計画の樹立を痛感したので、十二月二十七日附告示第五百二十一號を以て高知縣震災復興對策委員會規程を發布した。翌二十八日よりこれを實施したが、これにより官民一体となる一大擧縣運動は展開さる
ゝに至つた。この委員會の規程に依る委員、(常任、臨時)及幹事の委嘱に引續き緊急協議會を次々開催し、復興の計画の大綱を決定し順次實行に移すことゝした。
◎官民總力を結集する復興對策委員會發會式並に第一回委員會開催さる
十二月三十一日午前十時より、縣廳に於て第一回委員會が開催された。西村知事より絶大なる協力を依頼すると共に、萬難を排して復興完遂を契うたのである。
順次委員會の概要を述べて見たい。


 高知縣震災復興對策委員會規程(昭和二十一年十二月二十七日附)(高知県告示第五百二十一号)
第一條 震災復興對策委員會(以下單に委員會という。)は、知事の諮問に應じ震災復興に關する重要事項の調査
審議を爲すと共に復興對策の實施並びにこれが推進に當るものとする。
委員會は震災復興に關して知事に意見を述べることができる。
第二條 委員會は會長一人、副會長二人及び委員若干人でこれを組織する。
委員會に臨時委員を置くことができる。
第三條 會長は知事、副會長は内務部長、縣會議長をこれに充てる。
委員及び臨時委員は、縣出身貴衆兩院議員の外關係團体代表者、學識經験ある者、關係官公衙の長及び縣聞係官公吏の中から知事がこれを委嘱又は任命する。
第四條 會長は會務を總理する。
副會長は會畏を輔佐し會長が事故のあるときは其の職務を代理する。
第五條 委員會に常任委員會及び専門委員會を置くことができる。
常任委員會は委員會の開催できない場合及び輕微なる事項又は急施を要する事項について委員會に代り處理することができる。
専門委員會は、委員會で定めた部門別に復興對策の調査審議に當ると共に復興對策の實施並びにこれが推進に當るものとする。常任委員會及專門委員會の委員は、委員の中から委員會に諮つて知事がこれを選任する。常任委員會及び專門委員會の委員長は、委員の互選でこれを決める。
常任委員會及專門委員會の各委員長は各委員會の事務を掌理する。常任委員會及び專門委員會で調査審議した事項並びに實施した事項は委員會にこれを報告しなければならない。
第六條 委員會、常任委員會及び專門委員會は會長が随時にこれを開催することができる。
第七 條委員會、常任委員會及び專門委員會で調査審議した事項及び實施した事項は夫々これを記録して置かなければならない。
第八條 委員會に幹事及び書記若干人を置き知事これを委嘱又は任命する。
幹事は、會長の命を承けて庶務を掌理し、書記は、事務に從事する。
第九條 この委員會に要する經費については別にこれを定める。


 附則
この規程は昭和二十一年十二月二十八日からこれを施行する。
拝啓
此の度の大震災は、其の被害の範圍廣汎且甚大で罹災縣民の窮状は寔に同情に堪えないものがあります。縣は縣民各位の奮起と進駐軍當局、政府並に他府縣の御懇篤なる救援とに相俟つて罹災地救援に萬全を期しつゝありますが、震災の復舊復興は、未曾有のことだけに容易ならぬ大事業であり、而も一日も早く再建を圖らねばならぬ。仍て縣は震
災復興のため縣民の總力を結集して、此の事業を實行に移すため別紙規程に依り、震災復興對策委員會を設け震災復興に關する重要事項の調査審議と對策の實施推進に當つて戴くこととなり貴下を委員(臨時委員、幹事、書記)として御就任を煩すこととなりましたから、御承諾の上は、何分全幅の御協力をお願申上げます。
追て十二月三十一日午前十時本廳に於て第一回委員會を開催致しますについては、年末御繁忙の折柄恐縮には存じますが、萬障御繰合の上御來篤賜りたく併せて御願申上げます。
昭和二十一年十二月二十八日
高知縣知事西村直巳
(各委員其の他)殿
 高知縣復興對策委員會委員左の如し(順序不同)


高知縣震災復興對策委員會
□臨時委員は次の通りである(順序不同)


同委員會幹事は左の逓り
(順序不同)


高知縣震災對策委員會發會式並に第一回委員會記録
(昭和二十一年十二月三十一日於縣廳會議室)
一、川村庶務課長開會挨拶
一、西村知事挨拶
委員會設立の了解、委員委嘱の了解、協力依頼
一、細川内務部長經過並に状況報告
○縣下被害状況の説明。
○現在迄に取りたる方法。
○救濟物資の配分(長官曾議の結果阪神より移入せる物資。)
○聯合軍より特別の救援物資。
飛行機、汽車、軍艦により輸送。
〇一月一日には閑院宮様御來縣さる一層の協力を乞う。
○下知堤防防潮工事状況。
○潮江堤防防潮工事計画中。
○地震調管の爲め専門家來縣。
一、久武教育民生郡長
衛生、防除、豫防、勞務對策、賃銀等の對策説明。
一、藤原經濟部長
○主要食糧の對策、各地の主要食糧の緊急配分状況の説明。
○農作物の被害、供出の督勵、水産關係の被害。
○調味料配給状況。
○塩の移入状呪。
○木材流出(八万石)三万石集材不可能。
○木材の配給は罹災証明により配給する。
一、小杉警察部長
治安に不安なし。交通運輸状況報告。
卸以上物資の所在數量を確認しあり。
物資の値上りに對ずる處措。
一、氏原代議士
○中村町の震災状況報告。
○新聞紙上縣發表より以上甚大なり。
○負傷者は一、二〇〇余名(三百余名の報告は重傷者のみ。)
○大方町の被害も相當甚大。
○道路、四万十川鐵橋復舊は相當困難。
○中村町は後川、四万十川堤防對策を至急講ずる必要あり。
○中村町復舊困難と豫想さるに付特に考慮を要す。
○官公衙、學校被害甚大復舊に對し格段の考慮を要す。
一、宮本市長代理
○被害に對し各戸調査せり。
○全壊一、六二三戸、半壊二、四六三戸
○浸水(床上)三、一九九戸となり、發表せられた數以上となる。
一、堀部縣水産業會長
○甲浦町、多ノ郷村野見部落、上ノ加江町被害大。
○港灣被害相當甚大なるものがある。
一、漁船の修理復舊。(七千屯被害)
△官材の拂下、鋼材の拂下、釘配給。
△流木の拾得者に船舶修理用として拂下されたい。
一、資材
△綿糸を漁業用に割當られるよう。本省に對し努力せられたい。又マニラの移入も同様。
△被害七千万円と見られ復舊には一億円を要する。
△復興金庫を震災復興に優先的に貸付せられたいこと。
一、山崎四鐵出張所長
△吾桑迄開通、須崎−久禮間本日中に開通す。
△吾桑−須崎間は二、三ヶ月を要する見込。
一、武政木造船組合理事長
造船所の被害大に付考慮されたい。
一、森田建築勞働組合
建築資材は認可を要すると云わ膨るが如何。
◎協議事項
知事
委員會の運營方法は如何にしましようか。
縣の考えは常任委員會と專門委員會とにより實際にそくした協議を願いたい。
各部門説明す。
一、委員
委員會は常任委員、臨時、專門委員とに區別する必要ありや。
一、委員
委員の性格が判然としない樣に思う。
内務部長より説明す。
一、委員
賃金を早く決定せられたい。
米供出
中止す。
一、西村知事
△專門委員會の機構を御はかりします。
△左官組合の松田寅吉氏を追加します。
△幹事中水産業會の安岡氏を沖野氏に變更し松田氏は建築關係專門委員とする。
△營林局長を建築專門委員とする。
罹災者救援運動實施要領を別紙の通ひ實施したいと存じます。
△賛成々々。
一、川村庶務課長
現在迄の義捐見舞ありたるものを發表。
一、西村知事
△建築關係は專門委員會に委嘱することゝし。其他の件について御意見を聞きたい。
一、宮本市長代理
△この際震災者には色々と救護の手を盡されているが、戦災者がそちのけの感じがするのでなお充分に考慮された.
い。
一、堀部水産業會長
興行場を開放しては如何。
一、委員
米供出は強權を發動するや。
△強權發動する必要はないと思うが之を阻害し之を阻止する樣な言動をなす者は斷乎發動するむ止むを得ないと思うo
引續き西村知事
△閉會の挨拶。
相互の連絡と急ぐものは實施し事後承認を受けなければならない樣な事もあると思う、又中央への運動を如何にして補助を受けるか、食糧供出農民の協力等各方面に一般の御協力を願う。

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高知縣復興對策委員會委員
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高知縣震災復興對策委員會
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高知縣震災復興對策委員會幹事

第三節 常任委員會の概要

第一回常任委員會を一月六日開催、次々重要事項を決議し、第五回は四月十七日開催されたるが順次常任委員會の概要を記する。


高知縣震災對策委員會
◎常任委員は左の通りである。
(順序不同)


 第一回常任委員會々議録
場所縣廳會議室
日時昭和二十二年一月六日午前九時
出席者委員長知事、副委員長縣會議長、常任委員
◇委員長挨拶(知事)
陛下の御名代の宮閑院宮殿下を迎え令旨を頂き高知、須崎、新宇佐を御視察願い、又陛下より御下賜金も頂いたので實情を速かに調査し傅達する事に致したい。
本日は、前會の委員會以後の状況報告竝に專門委員會の運營等について御協議を願い御意見をお聞かせ願いたい。
◇内務部長
それぞれの係官より三十一日の委員會以後の救援状況を御報告する事に致します。
◇厚生課長
救援物資については別表の通りを罹災地に送つた。其の後援護局からついたものも送つているから一應ことの足りる程度には行き渡つていると思う、災害の大きい所へ重点的に配布したつもりである。
また長官の見舞として死亡者五十円、家屋倒壊、流失者に二十円、半壊、浸水者に十円の御見舞金を送つた。
各地よりの現金見舞についても割當を終り交付する樣致している。
罹災者の住宅でない集團收容していたものは親戚其の他へ分散せしめる樣にしている。
浸水地も同様であるが、昭和國民學校へ多數收容しているが無理のない程度にしてある。
◇經濟部長
食糧は香川縣から一月二日現在二六、○○俵送つて來た。五千石殘つているが、これも營團其の他と協力して入荷する樣にしてある。米の供出は餘りよくないが割當未濟の町村もあり、部落別に割當してあるが個人別割當の出來てない町村もあり、速かに割常を完了させ供出成績の上昇するよう努力している。
◇知事
委員會休憇を告げる、十時十分。
委員會再開を告げる、十時十五分。
◇経濟部長
救.援物資については商工課長を大阪に派し物資の取入に努力している。他懸と比較し被害が大であるから割當を多く貰う交渉を進めている。
◇土木部長
最も急を要する下知の堤防の復舊は、係の者の努力も察しく再び三十一日には不幸決潰した。市内に應急工事六ヶ所あり、平衡的に工事を進めているから幾分遅速はあるが下知は十四、五日には濟ませるつもりである。材料叺十二、三万俵の手當も木材も樂觀してよい状况になつている。
郡部の應急工事は様子が判り次第御報告するが、工費は只今の所二億四千万円の見積りであつてまだ増額するかも知れない、十日までには取纏める。
◇知事
金井博士の説では室戸が隆起し須崎、高知は沈下していると云うが、沈下していることゝ土地を捨てることとは別である。
市内の學校等も移轉を要する等の新聞報道があつたが謬見ではないかと思う。
◇内務部長
震災の状況報告には直後に警務課長が上京し、更に一月五日には教育民政部長が上京して災害の状况、復興計画等に付中央と打合せ中である。又経濟安定本部の長谷川事務官が歸高中で御打合があり、震災對策豫算等の關係で三十口迄に一應の計画豫算の作成が必要である。
緊急對策については各課で當つているので專門委員會を度々囲いて委員の御意見をつぎ込んで貰うつもりである。
御救恤金六八、〇〇〇円慰問金六六〇、〇〇〇円は其の程度に應じ配分を急速に實施したい。
◇山本義孝氏
一、委員含の運營について三月末日迄に總委員會を開くこと、常任委員會、専門委員會は毎週二回位開くこと。
二、震災復舊費は公定でなく實情に即した價格で見積り全額國庫の負擔で願いたい。
三、各方面からの金品は新聞紙を通じて發表されたい。
四、堤防が川來上つた場合の排水を如何にせらるるか。
五、中央との交渉頻繁故東京に臨時出張所を設けられたい。
六、中村、高知間の船便を充實されたい。
◇堀部虎猪氏
速急の問題は縣と市町村が連絡して急速にやつて貰わなければ吾々が週に二回も集る事は困る、暫定、恒久的な問題に吾々が參画することとし實行を主とするがよい。
◇野村茂久馬氏
常任委員會よりも專門委員會で事を運ばすことにずるがよくはないか。
◇知事
縣へのみの要求でない樣に縣と一緒になつてそれぞれの機關を動かさなければならない。
常任委員會は根本的なことを取上げる。專門委員會は其の部門の事を早く運んで行く必要があるが、一週二回開く件は知事にお任かせを願う。
東京出張所の件は自分も考えているが束京との連絡は常につく様にしているから、内務部長、庶務課長へ連絡されたい。
◇土木部長
堤防を完成しても浸水のはけない所が出來るかも知れないが、下知はポンプで排水する様段取をしている。耕地は沈下の關係もあり締め切つて模様を見る。
◇宮本市長代理
困窮者については、市町村の力で援護住宅を作るが、個人建築の場合地主と家主との關係があつて非常な障害となるが、何とかならないか。
資材の木材の分散と製材の打撃が大きいことも障害になるが、能力工場に素材の轉用をやらせる方法はないか、生活に困る者にも急な手を打たなければならない。
◇知事
住宅問題は衣食と共に最も急を要する。
◇建設課長
應急收容所として一時容れている者を建築に移すことになると資金、土地の間題で容易でないが各地の建設を必要とする實情を把握して急速に建てたい。
◇堀部委員
罹災者の貧困者に對する處置、其の日の生活に困る數、其の救濟策は講ぜられているか。
◇宮本市長代理
生活保護法の窓を擴げる、救恤金も配分する。
◇營林局長
專門委員會開催日を承りたい。
◇内務部長
明後日一齊に開く豫定、場所は廳内で用意する。
◇市長代理
生活援護金は遅れるから市町村の責任に於いて前借出來ないか、銀行の御意見はどうであるか。
◇山本豊吉氏
大金になるから直ちに應じかねる面もあり、專門委員會で研究したい。
◇内務部長
專門委員會の運營について御意見を聞きたい。
◇營林局長
木材の問題でも公定價格の枠があつて障害になる。
◇宇田耕一氏
木材量は二十万石と見て一度に持つて來ても消化出來ない。月にどの位いるか業會へお任かせを願いたい。
製材工場が潰れている、金融がつかん、價格も早く決めて難しい統制をやめ四國一本とせられたい。
◇入交太藏氏
四億を超す工業の復興を早くやり、生産む起す要がある。金融問題が先決で中央を動かさなければならない。
市附返の浸水も早く止めること、素人目にももつと機械的に早く進めて貰う方法を研究願いたい、罹災者の方は一暦痛切に感ずると思う。
◇横川久衛氏
浸水の如何が問題である。塩害防除、播種等の關係もあり又農業會の損失もひどい、倒れた倉庫から取出もやらなければならない。
◇西山亀七氏
食糧倉庫も破壊された。營團は倉庫へ力を入れて建てたいと思う。進駐軍放出物資等の關係もあり、營團自体で倉庫を持つ必要を感じている。
◇横川委員
下知の七つの倉庫も倒れた、町村へ送る品物の割當も早くして貰わないと困る。
◇知事
救援物資の新聞記事の件は紙面の件もあるが新聞方面へお願いする。
◇鐵道工事局
須崎、多ノ郷へは松山より六〇名の應援があり、地許からも勞力の應援があるが、不足物資は關係部長へお願いする。
◇小松重喜氏
須崎、多ノ郷の道路が急を要するが、鐡道をやれば道がつくと思う。舊棧橋方面は相當水が來ている。新庄川の堤防は狭い。須崎の西は増水の時に浸水し堤防が切れる虞れがある。
仮棧橋を作り荷役の出來る様にする必要がある。
委員會委員は高知市のみに依るは不合理との聲もある。實際問題としては委員會に出席出來ない事情もあるが。
◇知事
各方面の御意見も拝聽したから此の程度で本日は閉會したい。
◇傍聽席より發言要求あり委員長これを許す。
一、餘裕住宅の開放は強権發動を行うか。
二、集團バラツクを作つても皆目分の所へ建てたいが人情である。預金あるものは封鎖を解き頂金なき者へは一万円程度の資金を要求する。
三、委員に罹災者代表を入れるかどうか。
◇知事
一、委員に罹災者を入れる問題は罹災地が縣下に亘ることと誰を入れるかの人の問題でこの席では出來ない。
二、この問題については地方的に決定の出來ない問題であるから中央と打合せの上でなければ確定しない。
三、一の問題は一本の煙草も分けてのむと云う人情的な動きに愬えるべきで、強權發動は今の處考えていない。
これで閉會することにしたい。−十一時五十分


第三回常任委員會々議録
場所縣廳會議室
.日時昭和二十二年二月七日午後一時
出席者委員長知事、副委員長縣會議長、内務部長、土木部長、經濟部長、教育
民生部長、各課長、常任委員
◇委員長(知事)挨拶並に上京經過報告
1、内務省に於ける震災對策各省連絡會議に於て政府の徹底的援助を要請すると共に災害比率是正に成功。
2、閑院宮殿下御來縣の御禮言上と縣震災に於ける縣民の復興意欲を參上の上言上。
3、各省への個別折衝報告
(イ)厚生關係震災地應急救護費として高知縣二千四百萬円、和歌山縣二千百万円を得、一應生活諸必要物資
の購入費を賄うことに成功、更に運動の結果四百万円の増額に成功、之は出來るだけ自由なわくで支拂出來る
ように運動した。
緊急收容所バラツク千戸建築費七百戸の庶民往宅建築費補助を確保した。
(口)交通關係海運擴充の爲在京代議士の活躍により字和島丸、群山丸の就航確保を見、石炭の特配指令により現在阪神航路は日航となつているので之が永續を關係方面の努力によりつゞけたい。
陸運の方では貨物自動車の増加をめざして進駐軍トラツクの拂下約五○台、省營トラツクの増配車を交渉中である。
(ハ)土木耕地關係施工個所二千を突破、總工費八億八千万円に上る復舊事業は内務當局の査定と安本の資金面の諒解により差當り本年度六、五〇〇万円を確保し、二十二年度より數年にわたり繼續工事を施行することゝなつた。資材方面もセメント、石炭、釘など手配を見、木材もわくを擴げるよう認めてもらつた。
(二)醫華關係目下衛生課長が上京して交渉中であるので相當の成果を得ることゝ思う。
(ホ)農林關係逼迫せる縣内の食糧事情については、香川、愛媛縣よりの救援米で急場を繋いだものゝ、縣内産米の供出米は停噸状態で之が打開は管外米移入及び輸入食糧の放出許可の前提となつているだけ、一割超過供米の努力を縣民各位に望む次第である。
(へ)水産關係魚具、漁船の損害甚大な水産業の緊急對策としては、諸資材の特配に成功したが、更に堀部水産會長の活躍にょつて相當成功を收めた模樣で追つて報告があるはずである。
(ト)其の他災害學校の復舊には相當程度の國庫補助が見込まれておる。災害状況は新聞竝に映画等により束京に於ける本縣災害程度は認識を改めた。
立地條件の検討については、東大地震研究所が學術的立場より本縣地盤變化に關心を拂つているので、今後の恒久的土木行政の資料蒐集のためにも研究を求め、本縣のみならず地震國たる日本の爲貴重な結論が期待されている。在京先輩は高知縣復興中央會をつくり、現在は山地土佐太郎氏の事務所で活動中であるが、將來は獨立の事務所をつくり關係各層の人物の參集を求め、強力な活躍をしてくれることになつている。なほ説細な報告は關係各課でする。
◇林務課長上京報告
木材方面では復興木材所要量は、本年度に於て五二万八千石で、更に震災復興用以外にも相當程度の必要木材があるので、生産關係、重要關係部面の集りを願い協議した結果、進駐軍用木材一万八千石放出の許可了解を得た。之は再供出不要である。更に縣外供出六万石も取止めの了解があつた。
造船用木材としては四万四千石が必要で、内二万石は營林局と協議の結果營林局よリニ万石供出見込がつき殘りは宮崎縣より移入の見込がついた。官材供出は十二万石程度で之は復興用として充當することゝなつた。
製材工場方面では、復興用資金として五千万円、倉庫復舊費として七百七十万円、更に木材増産運用資金として相當程度の補助を要求してある。流失木材八万石中五万石は回牧見込がついたので之の回收費として一三二万円中半額國庫支辨となることに本省も了解した。
薪淡開係では、炭窯一千個の應急修理費及縣外移出用木炭増産のための費用は山林局で全額國庫補助となるよう、運動してもらいさしあたり、特別會計よゆ五十万円の補助を獲得した。木炭倉庫及作業道の復舊費は六割國庫補助認下を申請交渉中である。林道については三分の二の國庫補助を申請中である。尚製材工場の復舊として釘の特配許可があつた。
◇經濟總務課長報告
本縣の食糧事情は百%供出をしても尚年額十八万石の不足であり、之に加うるに震災により二万石を失い、更に應急米として二万石を消費し結局二十二万石の不足であるので、管理局と交渉の結果相當程度の補償の見込がつきさし當り一、二月分とも四千石が配給されることゝなつた。縣外の移入米は漸次到著中で、目下の所不安はないが今後更に一層の供出及移入に努力する必要がある。
水漆關係報告共同施設復舊費として高率國庫補助を要望してありなほ一般漁船については個人所有のものには補助の見込はないが、資材關係のあつせんはする樣である。共同施設のものとしては高率補助を要望してある。
一般資材としては、綿糸一万の移入の見込があり、之は中央水産業會を経て配布するやうになつている。なおマニラ、ワイヤーセルロープ鉛等少量ではあるが放出可能見込があり、増加配給割當を折衝中である。
◇農産課長報告
被害地代作計画用種子の確保、流失肥料の特配及塩害地追肥用肥料、被害箇所復舊資材の確保に折衝をつゞけ肥料方面では正式通知はないが硫安、カリ等が相當程度割當許可があつた。復舊資材としては、俵六六、〇〇〇枚、縄一万貫、かます三万枚の割當があり、疊表は岡山、廣島へ移入交渉中である、代作用種子としては、麥七五石があり之は配分申である。種馬鈴薯は六千俵約九万貫の割當中一、〇〇〇俵到著し、配給は縣農業會で行つている。蔬菜類は各種を要望してあるが、現在はキウリ八斗入荷している。
市附近の早稻地帶は晩稻に變更する必要があり。之に要する種子一五○石の確保が必要で現在管内で連絡して六五石の見透がつき殘余は努力中である。
◇商工課長報告
地下足袋は二万三千足を要望して現在四千足入荷している。鍋六千個、辨當三千個、杓子六千個、馬穴二千五百個、フライパン三千五百個、十能三千個は配分中である。尚陶磁器製品である、茶わん、皿、どんぶり、こんろ等は價格の關係で現在配分不能状態であるが、目下この打開につき交渉中である。
釘は七七六トン、針かね七七トン、亜鉛鐵板九四五枚、毛布は七万枚要望中四万枚、メリャス類は三万要望中二万四千枚入荷している。なほ作業服、作業シヤツ、手拭、足袋、くつ下、手袋頚も入荷中であるが、衣料は震災直後軍放出物資を無料で相當程度配分したので、今後の有料配分は見合す向もあり、今後移入する衣料は一般にも配分
する豫定である。
農器具については緊急農具であろ噴霧器二〇〇台、鎌九八○○丁、脱穀機一〇〇台、その他もみすり機、精米機、わら切機等入荷するようになつており、之等現物受領及配分は農業會で行う豫定である。
◇土木部關係
二十一年度分として三億九千万円要望したところ、國土局の見解で物理的にもかゝる巨額の事業は不可能であるとの意見で結局和歌山縣の十一倍である六千五百万円の國庫補助を獲得したのでこの二割程度の縣費その他で合計一億円の資金で工事着工となつた。
物資方面では、割當が非常に少なく、所要見積三千トンの鋼材中割當二三四トンであつたが、之は全國割當四○○トンの過半數であるので別途入手の必要がある。
尚事業の性質上定員増加も認められ、約百名の増加の承諾を得た。
なお後日工事のみならず、より恒久的工事計画の必要があるが、經費一億円程度であれば地元負擔を三分の一として三分の二の國庫補助がある様内諾を得た。
◇土末部長報告
耕地間題は非常に重大であつて、今年の稻作に間に合うか否かを早急に決定する必要がある。補助も別途に考える必要があると本省の方でも了解している。なお浸水地帶の排水工事ポンプは四○台を計画しており、これは市に二十九台、市外十一台の豫定をたてゝいるが現在二十台注文してある。殘余必要分は價格の關係もあり、關係會社に對して見積をさせている。街復舊には本省では五ヶ年を計画しているが、本縣としては三ヶ年完全復舊を目途としており、重点を二十二年、三年に置いて工事をする計画である。今後一ヶ年の八割完成が望ましく私個人の意見としては他力本願主義を捨て、あくまで地元の協力で行う意氣込が欲しい。
◇建設課長報告
住宅方面では本年度一千戸の應急收容所及庶民住宅七〇〇戸建設の補助費を獲得した。全國的には六万戸の建設を目ざしている、尚公共團体としての起債及坪二百円程度の整地が起債を認めてくれた。
資金方面では一万円の封鎖預金引出しを三万円まで引上を要望している。なお土地間題については地主、借入の調定で解決したい考えである。
資材方面では建設住宅用及修理用として九百戸分認める樣安本へ要望を提出しているが、二分の一以上の確保の見込がある。
◇厚生課長報告
震災應急援護資金として二千八百万円を獲得した。一般救援物資の配分は一應終つた。現在一番問題になつているのは住の間題であるが、小屋掛バラツクは宇佐では八十戸完成し中村町及高知市は目下工事進行中である。被服については目下對策中であり、學童の被服については登校不能の者もあるので早急手配している。なお男子方面は比較的充分であるに對して、女子方面が常に不足状態であるので之も對策中である。
◇内務部長
被害復舊費二十八億円にのぼる本縣としては、經濟的竝に資材に甚大な打撃を受けた今日之を如何にして打開するか重大な間題であり、本縣としても全額又は高度の國庫補助を要望しているものゝ、國全体としても、職災復舊竝に海外引揚者の間題もあり、財政的に困難な状態である。茲に縣市町村竝に個人負擔も覺悟する必要があり、同時に起債問題にしても將來の返還を考える時、之も縣市町村個人の負擔を考慮する必要がある。尚國庫補助の問題としても具体的に見透しは現在困難な状態であるから、あらゆる事態を豫想した柔軟な財政策が必要である。
いづれにしても長期にわたる相當の負擔の覺悟が必要であり、國縣自体としても新たな財源税源の考慮を拂わねばならぬ、尚資金の流用にも深甚な注意が必要で豫算獲得と尨大な復興費散布によるインフレ防止が重大である之については縣民各位の協力が必要である。
◎堀部水産業會長の要望
住なくしては生業の振興は絶對に期待出來ない。新宇佐、須崎、多ノ郷等の漁民は眞劒に立上る氣運はあるがこの住の間題解決なくしては之も水泡となる恐れがあるので、さきの二千八百万圓の應急援護費は是非共住の方面にふり向ける樣願いたい。
殊に二百五十戸中十三戸を殘して全滅状態にある高岡郡多ノ郷野見部落の間題は深刻である。
漁船修理については船大工が間題であつて、現在船大工で道具を流失した者が多いので巡回班をつくつて修理巡回をやりたいと思つている。
漁船用木材としては櫓及舵が間題で、之は特殊木材が必要であるので、宮崎縣よりの移入に關しては一應連絡していただきたい。
◎農業會長
本年の稻作の植付可能不可能問題は非常に重要であるので、科學的研究を根據とした明らかな發表が望ましい。ポンプ借入資金については短期であればなし得る限り協力する。
◎野老山齊
資金の裏付たる物の生産確保が非常に重要である。事業資金は現在復興金融金庫のみに頼つている状況であるが、之は週一回の委員會の査定の結果による状態である。現在の社會情勢では一日長びけば物價は一日毎に變轉している事であるので現在復興事業は停とんの状態であり、會社によつては從業員の給料も拂えない所もある。眞に復興
事業を活發化するためには週一回の金融專門委員會では不十分であるので、これの審議は毎日にしていただきたい。尚之には民間よりも委員を選出して會議する事が望しい。
◇知事
資金のあい路打開には努力するつもりであるが、なお一般事業關係者も金融關係と打合會を開いて之の打開に努力していたゞきたい。なお資金、物資、勞務者の勤勞意欲の三者が一体とならなければインフレの助長を促すものとなるので此点關係各位の深甚の注意努力を期待する。阪神航路は復興に重大影響があるので、早急に増發方を中央に再要請するが、關係各位も之の充分な利用について配意ありたい。
◎山本長藏(土佐機帆船)
若松町岩壁の修理は資材運搬に重大な影響を與えるので、早急之の修理が望まれる。
◇河川課長
若松町岸壁の假棧橋については、補助金が認められないので早急に別途處理するつもりである。


第五回常任委員會(昭和二十二年四月十七日)
◇西村長官
震災復舊資金に關しては、終戦連絡事務處理費の増加の爲補助率が意外に少くなつたが、縣財政状況により最高度の補助を與える事が可能なる樣努力する。
科學的根本調査を東大地震研究所及び内務省地理調査所に依頼して豫期以上の成果をあげつゝある。
財源に關しては電氣事業及び國有林に關して考慮する。
◎金井博士
十一班に分れ調査をしたが、未だ綜合的結論は出來ていない。全調査員の一致した意見の一部を發表しておく。
隆起沈下は漸次回復状況にあるが、完全復舊はいつかそれは未定である。今日までの資料によれば土佐の地震後は數ヶ月−藪年の内に地盤の隆起及沈下は復歸している。
災害状況については人工地震の結果、中村町附近の地盤は根本的に悪い事がわかつた。
四万十川鐵橋及堤防の再建には考慮を要する。下知方面には家屋密集の爲豫想外の被害があり綜合計晝必要があるo
◇内務部長
財政補助の關聯及見透しについて説明があり、事業關係は資金及インフレの状況からなるべく繰上施行を望む旨の意見があつた。
◇土末部長
地盤復歸の問題は未定であるので、考慮せずして計晝をした。
現在の状況においては、出水期までには恐れのない程度に復舊する見透しがついている。
四万十川鐡橋は撤去が完了し資材及設計の出來次第復舊する豫定である。なお出水期に對する危險防止はやり得るo
◇農地部長
五ヶ年計畫でもつて耕地復舊につとめているが、出來るだけ事業を繰上げ施行の豫定である。
◇民生部長
急救援護物資は、縣手持、進駐軍、ララ物資等により全額補助で分配した。
收容所も三八ヶ所におき炊出しを行つた。
小屋掛は縣二五〇〇戸、市町村二、〇〇〇戸の豫定であるが、現在資材その他の關係で三五%進展。
見舞金は約二十三万圓であるが、縣内が少いのは遺憾である。
死亡者に對しては一人當二〇〇圓、六七〇名に對して埋葬料として渡した。
就業に關しては困難な者に對して一世帶千圓を交付した。

第四節 專門委員會の概況

左の專門委員會を設置し夫々の專門部門において研究討議され復興計畫を樹立されるに至つたのである。
(1)援護對策並に民生教育專門委員會
(2)農林水産專門委員會
(3)食糧、物資專門委員會
(4)物價並に金融專門委員會
(5)商工鑛業專門委員會
(6)土木專門委員會
(7)勞務並輸送專門委員會
(8)建設專門委員會
高知縣震災復興對策委員會
各專門委員左の如し


◎農林水産專門委員會結果報告
一、開催月日昭和二十二年一月八日
二、出席者山崎正辰、高野健介、松村春繁、小松重喜、赤司禮三、堀部虎猪代理熊澤楠吉、原祐之、字田耕一代理中澤彦吉、田村一敏代理北川哲也、頼田松助代理西岡巽
三、缺席者永野土佐太郎
四、委員長の決定
農産課長挨拶の上委員長決定ありたき旨述ぶ。
中澤彦吉縣事情を一番良く承知して居る山崎正辰氏に御願い致したい旨述ぶ。
各委員意義なしと云う。
五、議事山崎正辰議長となり各幹事に被害状況の説明を求む。
農産、林務、蠶継、水産、耕地の各課長より被害状况を説明す。
經濟部長各委員はきたんのない意見をどしどし出して貰いたい。また單なる復舊でなく更に進んで産業を進展せしむるという事を考えて進んで行つて貰いたい。
營林局畏木材に付ては何處でどれ位必要なかと云うことを如何にして調ベるや。
内務部長其の様な資材は對策本部の資材係で纏めるので金と物と勞務ついて關係専門委員會で決定して貰いたい。
松村春繁農業の復舊に付ては先づ農家の流出土壤等を調査して其が復舊を見た上で計畫を樹てるベきだが、其の調査が出來上つて居るか。
農産課長其の調査は出來て居ない。
議長縣の農業會で調査中である。
松村春繁專門委員と云つても林業關係者は農業方面の事は解らない。更に小委員會を作り檢討すべきだ。
中澤彦吉小委員會で檢討すベきだ。
高野健介現在浸水して居る耕地に對する對策はどう考えて居るか。
農産課長試驗場で浸水地の塩分調査をやらして居るが。其の様な處は水が元通り減るか現在の樣な状態が更に續くか解らないので目下の處對策は樹たない。水が減るかどうかに依つて始めて計畫が樹つのである。
田村一敏北川哲也關聯性があるから小委員會を作るは反對である。
同、事務的な事は縣の方でやつて貰わねばならぬ。
松村春繋木材はどれ位あるか。
林務課長震災前は百五十万石あつたが、目下不明の爲詳細調査中で本日中に場別石數が判明する。
議長各課の被害資材を集める必要がある。
田村一敏北川哲也縣内の資材がどれ位あつて、必要量がどれ位だから県外からどれ位貰うかと云う計畫を樹てねばならぬ。
中澤一彦吉大体仕事に順位を附して復舊せねばならぬ。
松村春繁縣の樹立した計畫を檢討する必要がある。
議長委員會を更に小委員會に分けて檢討することにしたい。次の通り御願いする。
(水産關係)堀部虎猪(養蠶關係)原祐之、山崎正辰(畜産關係)高野健介
(林業關係)字田耕一、頼田松助、赤司禮三、小松重喜、永野土佐太郎(農業關
係)山崎正辰、田村一敏、松村春繁
議長第二回委員會を何時開催するか。
松村春繁午後一時からは反對、早くから開催ありたし。
議長十一日午前九時から第二回委員會を開催する。各課は被害の資料を提出ありたい。
小松重喜復舊は各部に關聯があるから、各課の被害状況は各部の委員會から交換する必要がある。
議長會議終了挨拶。


◎商工鑛業專門委員會
第一回委員會を一月八日午後一時より縣廳會議室で開催し、左記の通り意見を交換し對策を協議した。


◎商工鑛業專門委員會出席委員
縣會議員橋本亀郎
高知税務暑長新保美之
高知商工會議所會頭入交太藏
高知日報社々長高橋幸吉
四國銀行頭取山本豊吉
高知縣織維製品橡式會肚々長清岡保次
高知縣生活必需品統制組合理事長坂東字平
高知縣味噌醤油統制株式會社々長服部久吉
高知縣林産燃料株式會社々長頼田松助
高知縣造船株式會肚取締役細木兵太郎
高知縣経濟藤原賢吉
一、経濟部長委員會開催の挨拶
一、委員長の互選あり、服部久吉氏の發言により入交太藏氏を委員長に可決
一、入交太藏氏委員長就任挨拶
一、本委員會では、災害程度の詳細な調査、救援と復舊對策、復興に要する資材及資金の獲得、商工業關係物資の受け入れ配給方法、他の委員會との緊密な連絡のもとに救援物資の調達等遺憾のない樣對策を協議したいと思う。
(委員長)
一、今後の復興對策については原状回復に止まらず産業發展の立場からの對策をとられたい。
委員會の運用については活發に運用してもらいたい。
資金及資材等は縣内自給出來得るものは活用して不足の分は國庫補助又は資金放出を願うようしたい。(経濟部長)
一、戸梶事務官縣下の商工鑛業の被害状況を説明。
一、縣廳の調査と商工會議所の調査と幾分數字の違う所があるが、今後調査を徹底すれげする程被害の數字は大きくなるものと思うから、現在の調査表も數字の大きい方を採つてもらいたい。(幹事商工會議所宮田)
一、経濟部長から申されたように原状回復に止まらず發展的對策を講じたい。(委員長)
一、醸造工場の被害も相當あると思われる。(税務署長)
一、味噌、醤油方面の工場にも被害があるが這入つているか。(服部)
一、まだ回答の來ない部分もあるので督促するなり調査を進める。(宮田)
一、工業の復興には先づ高知市の工場地帶の復興を急がねばならない。製材工場の復舊も急がねばならないので浸水地帶の復舊が急務である。降雨期の危險を防ぐには堤防の巾を廣げ早急に工事を進めなければならないが、臨港鐵道の計畫を考慮してやりたい。(服部)
一、臨港鐵道の設計は出來ている。若松町岸壁に連絡することになつている。棧橋への連絡は距離河川等の關係が實
現は浸水箇所に跨るので今後の計畫に入れる必要がある。浸水地帶は工業地帶等重要地帶であるから堤防の改修は急速にせねばならない。原始的な堤防に且つ亀裂が生じているので全面的な手當が必要である。(委員長並服部)
一、機械の修理等油類の手配は出來ているか。(宮田)
一、充分手を盡くしている。すでに確保しつゝある。(戸梶)
一、製材工場は現在殘つている被害の少なかつた工場で充分消化し切れる。只輸送面に大きな隘路がある。(宮田)
一、カーバイトエ場は木造建築物に損害はあつたが、大切な機械部分には損傷がないので水が引けば操業が開始出來る。輸送に困難があるがなんとかやつて行ける。石友、セメントはどうしても確保しなければならないが、石炭が問題である。燃料さえあればセメントも石灰も生産が出來る状態であるからなんとかして石炭を確保するようしたい。(委員長)
一、資金は地方財務局で處理出來る旨七日のラヂオで放送があつた。(服部)
一、特別の措置により仕事に差支ない樣資金融通の途を開かれたい。(委員長)
一、工場復興については縣は商工會議所と緊密に連絡打合せせられたい。(委員長)
一、專門委員會より各一名宛中央へ派遣して陳情してほしい。尚昆間からも代表を選出して同行さしてほしい。(宮田)
一、會社個人としても行きたい、縣造船は營團より八百万圓の施設を借りている關係もあるので是非同行さしてもらいたい。他の會社でも斯る希望はあると思うから中央に行く時を發表してもらいたい。(細木氏代理)
一、七月八月の水害危險を見越して早急な對策をとることがどの部面でも必要だ(委員一同)
一、生必物資獲得は組合が行けば見返り物資の要求などあり縣の方で獲得をしてもらいたい。(坂東)
一、生活物資の問題であるが、一般に生活資金に困つている罹災者が多いではないかと思う、農人町で過日塩の配給があつたが買う金に困つている者が居た。(服部、宮田)
一、當委員會の委員に專門的な人を増加せられたい。(宮田)
以上御協議願つたことについて早急に對策を講じたいと思う。
委員長挨拶あり閉會。


◎物贋金融專門委員會
一、日時昭和二十二年一月八日午後一時
二、場所高知縣廳會議室
三、出席者委員
四國銀行頭取山本豊吉
日銀支店長木下常雄
商工會議所會頭入交太藏
高知縣水産業會長堀部虎猪(代理)
高知縣林産組合聯合會長永野土佐太郎(代理)
主任幹事蠶糸課課長
四、專門委員會委員長選任
日銀支店長木下常雄氏に決定
五、協護決定事項
一、復興金融金庫の融資を迅速適確に實施する爲に代行機關である興業銀行高松出張所より杜員を高知へ常駐せしめらるゝ樣日銀支店長より要望すること。
二、中小商工業者の營業所兼住宅又は一般の住宅建築資金として政府保誰等の樣な形式で低利資金の融通を受け得る様な措置を研究すること。期限五ヶ年以内一件の金額一万圓程度で融資範圍利率等は縣當局で研究すること。
三、金融融資に關しては各金融機關に於いて檢討の上融資可能を認むるものに付、縣の副申叉は證明の呈示を求め復興融資に無駄を生ぜしめないようにすること。
四、住宅建築をなそうとしても、資材入手等に困難を感じ勢い闇價格によらざるを得ない現況にあるので、住宅營團に代る樣なものを縣に於いて設立する樣關係專門委員會に要望實現に協力すること。
五、復興資材については、其の種類所要量及本省割當物資、縣内在庫品及將來縣内に於いて生産せられたもの縣外よりの移入によるもの等を調査して縣外移入に付いては、例外價格設定等の措置を講ずる必要あり、叉價格面に於ても生産阻害を來してはならぬから事務當局で具体的方策を樹立し、次回專門委員會で審議する樣取計らうこと。
六、最近發表せられた大工、左官、雜役等の勞務賃金の大巾(約二倍)値上けとなり、諸種の物價に悪影響を及ぼしつゝあり之が對策につき研究せられたい。


◎援護對策並に民生教育專門委員會次議事項
昭和二十二年一月八日(知事室に於て開催した)
一、救援物資配給に關する件
(イ)罹災者に直接配給の衝に當る末端配給機關を指導監督し配給を適正ならしむること。
二、震災罹災者收容所設置に關する件
(イ)收容所はアパート或は長屋式とし、各世帶獨立の生活を爲し得る樣計畫のこと。衛生防疫上特に注意計畫のこと。
(ロ)住宅復興の資金として封鎖預金一万五千圓程度の拂出を政府に要望すること。
三、震災罹災生活困窮者の保護に關する件
(イ)生活保護法により適正に保護を一行うこと。
四、生業資金に關する件
(イ)襄に外地引揚者等に對し實施したる生業資金貸附を震災罹災者に對しても實施し、尚全額現金を以て貸出す樣政府に要望すること。
五、震災罹災救援運動徹底に關する件
(イ)新聞其の他報道機關に依り震害の實状を全國的に徹底認識せしめること。
(ロ)市町村に對し救援物資供出割當を爲すこと。
(ハ)國民學校兒童により震災救援標語貼紙宣傳に努むること。
(ニ)震害並に罹災者の生活實態寫眞入りボスターを各市町村の掲示場其の他適當なる場所に掲げ實状を認識せしめること。
(ホ)現在貯木場にある建築資材を公定價格を以て供出すること。


◎食糧、物資專門委員會
△出庸者
縣廳經濟總務課長高鴨金廣
林務課武内可典
水産課北村治志
商工課石本鹿壽雄
縣勤勞共同委員會岡上鶴之助
農林省高知木炭事務所中澤輝夫
高知專賣支局東條美之
高知縣燃料林産組合高橋保治
高知縣繊維曾肚清岡保次
高知縣農業會長代理中澤浪治
農林省高知食糧事務所長山田正毅
高知縣食糧營團西山亀七
一、内務部長挨拶
一、経濟總務課長挨拶
委員長高知縣農業會長横川久衛
委員長横川久衛に決定せるも欠席の爲經濟總務課長が委員長を代理する。
(意見)
一、實際の仕事擔當者を臨時委員として出席せしめられ度し。
二、本會に於ける食糧は復興に要する食糧と限定する事。
震災による被害米の總量、損害額調査、其の補填策、復舊工事に要する勤務者加配米の取扱等の措置に限定する事とす。
(説明)
一、經濟總務課長より食糧の遅配欠配の恐れなき旨説明。
二、營團西山理專長よりも同様の説明あり。
三、商工課石本事務官より復興物資の割當及入荷數に付ての説明あり
四、專賣支局員より
一月七日塩二七三瓲入荷、左の通り配分割常
甲ノ浦六縣に於て輸送の手配をなす


安藝四三發送濟
須崎三〇下田四〇未發送
未發送分に對しては縣に於て輸送に付斡旋を爲す事とす。
五、味噌、醤油會社より原料入手難の爲二月以降の配給に不都合を生ずるやも知れず目下各關係機關と共に努力中なる旨説明あり。
(問題)
一、倉庫對策
二、水害による農作物(持に米)の收穫減若くは收穫皆無地に對する措置
三、堤防、河川、港灣の修理
四、復興資材の配給方法及價格
(結論)
一月十日頃各課に於て被害状況、復興に要する資材等について資料を整備する筈であり、其の贅料に基いて更に檢討する事にして散會


◎土木專門委員會
一、日時昭和二十二年一月八日午後一時
二、場所内務部長室
三、出席者
縣會議員山本義孝
高知營林局長赤司禮三
四國鐵道局高知出張所長山崎豊馬
高知造船橡式會社取締役細木兵太郎
高知土賦協力會長岡田幸造
高知縣土建勞働組合聯合曾長村上秀美
高知縣土木部長大神啓次郎
高知市建設局長清水眞澄
土佐商船株式會枇專務取締役大石金重
四、委員長互選當選渚山本義孝
五、協議決定事項
1災害對策は高知市と最も密接の關係あるので專門委員として高知市建設局長を推薦すること。
2土木部長經過報告。
3專門委員として災害を良く認識し置く必要あるに付災害地の視察をなすこと。
(一月十日十一日須崎、新宇佐、高知方面視察すること。)
4災害復舊のためには先づ土木部の陣容を整備すること。
(イ)人的整備
(ロ)事務室は災害の現状より見て本廳外に移轉するが如きことは行わない、なるべく知事其の他への連絡のよくつく所へ構えること。万一適當の所なきときは急造するとか適當に考えられたい。
5應急工事に要する費用として差當り一億圓位縣に用意すること。
6縣が中心となり堤防愛護團体等の結成運動を起すこと。
7應急工事に要する資材は急速に入手する樣努むること。
8食糧並に物資專門委員會に至急資材の入手方に付交渉すること。
震災復舊に併行して施行する工事もあると思うが、之れ等に付ては本縣財政の現状に鑑み富籤の様なものむやつて工事費に充てる樣せられたい。
9委員會として木省の災害費査定官並に本省に對し災害復舊費の全額國庫支辨方を陳情すること。
10次回會合は須崎方面視察を終了後委員長に於て召集すること。
六、開會午後五時


◎建設專門委員會
日時昭和二十二年一月八日午後一時
場所縣廳議員控室
出席者
縣會議員岡村三省
市長代理宮本辿
市建設局長代理建築課長仙波清春
高知縣土建協力會長岡田幸造
四國鐵道局高知出張所長山崎豊馬
四國配電株式會肚高知支店長代理上田慶次郎
日本發送電高知地區電力所長宮地冬樹
高知電氣通信工事局長宮本進
高知縣建築勞働組合長代理森田盛城
高知縣林産組合聯合會長代理島崎宏海
高知縣森林組合聯合會長宇田耕一
高知縣左官勞働組合長松田寅吉
高知縣土木部長大神啓次郎
開會午後一時四十六分
内務部長の挨拶あり直ちに議事に入る。
一、委員長互選の結果高知縣森林組合聯合會長宇田耕一氏當選、委員侵議長席に着き建設事案審議に入る。
審議の結果左の各項を決定
散會午後四時三十五分


 決議事項
一、排水問題
住宅對策中緊急を要するは下知附近の排水エ事であるので、この問題に付ては建設専門委員會より土木部專門委員會に對し具体案を提出することとする。
二、住宅問題
(一)不急建物を抑制する爲建築勞働組合の内部的連關に依る方法をとること。
(二)不許可建物の取締強化
(三)地主、家主、借家人間の各種問題を解決する爲個々の事件に付き縣市町村に相談所を設けること。
(四)罹災都市、借地借家臨時處理法の如き法的根據を與えること。
(五)金融に付ては、金融專門委員會と聯合委員會開催を要望する。
(六)勞務賃金の再檢討を賃金協定委員會へ要望すること。
(七)勞務者に對する食糧の加配方を要望する。
(八)公共建造物並に住宅復興に要する經費に全面的に國庫補助を要望する。


◎輸送勞務專門委員會
一月八日題記專門委員會開催の状況左記の通り報告する。
一、日時一月八日午後一時より午後四時迄
二、場所警察部長室
三、出席者勞働組合代表國澤熊治委員を除く十二委員出席
四、會議の状況
(1)警察部長挨拶
委員會設置經過並に運營方法に就て
(2)委員長選擧
満場一致にて縣議藤川千万太氏互選決定
(3)議事審議
別記の通り
(4)委員長閉會挨拶、終了


第一回輸送、勞務專門委員會議事ゝ項
出席者
土佐機帆船海運組合專務理事福谷熊壽
横山喜太郎
土佐機帆船運送株式會社輸送主任谷本清喜
野村産業社長代理運輸部長有光重一
貨物自動車運送事業組合專務理事大利頼實
縣會議員藤川千万太
四國鐡道局高知出張所長山崎豊馬
土佐交通株式會社常務簾締役池内政次
高知驛長相阪豊
高松海運監理部高知支部町田亨
警察部長小杉平一
日本通運四國支社高知出張所長郷田利夫


一、緊急輸送用石炭確保に就て
配分割當懇請打電方決議
◎交涌課長より緊急輸送用燃料資材確保の經過並に現状に就き説明
本縣西部地方の陸上交通杜絶に對する海上輸送の確保は治安上にも重大な影響があるも、之が所要石炭は現在迄辛じて工業用石炭五十屯が振替使用を以つて、沿岸線四航海を爲したるに過ぎず、已むなく機帆船の代用運航をしている状況に在りて、大阪航路も現在極めて重要であるので、大阪府知事に電請の結果八日、十日と二航海廻船決定通知ありたるが爾後の見透は不明の状況に在りたる處、幸にして四國商工局に少量の石炭配分可能の見込がついたので、本日同局に係員を急派すると共に尚近畿商工局、商工省、現地震災對策本部に之が配分割常懇請に上阪中である。
之に對しては、早急に配分割當の枠を確得する必要があるが、差當り現在の緊急需要量を確保するため「緊急輸送用としての石炭配分割當懇請打電方」決議し、尚之が目的達成には相當強硬に推進する必要があるので、其他の方途は後日に残し、本日直に近畿商工局内の現地震災對策本部長宛打電した。
二、航路標識の設置に就て
土佐機帆船代表委員より説明
震災の爲め棧橋より農人町に通ずる航路標識倒壞し、出入船舶に事故を生ずる状態であるので、差當り緊急措置として、竹束又はプイの設置方要望ありだが、主管課、青木技官の出席を得て、早急實地調査の上設置することに決定した。
三、船員震災援護物資配給に就て
土佐機帆船代表委員説明
船舶乗組員は陸上隣組に籍を置かぬ爲め震災者に對しても援護物資の配給がない現状にあるから之が斡旋方懇請ありて、資料の据出を俟つて縣主管課に交渉斡旋方決定。
四、自動車並に資材確保に就て
貨物自動車運送事業組合代表委員より説明
新車配分割當自動車にして、未だに車輛未着のものや現在、北陸地方には不要なる部面もある實状の樣であるから此の際本縣への確保を促進して貰い度く、資材の面では現在、タイヤ、チユーブに極度の困難を感じているので、此の際特に特配斡旋方懇請した。又、既に配分割當ありたるタイヤ、チユーブも久留米との輸送事情のため未着の實状に在るから之が輸送確保に就ての要望ありて、タイヤ、鐵道輸送については四鐵高知出張所に於て斡旋することに決定し他は爾後檢討とした。
五、岸壁荷役勞務確保に就て
野村産業代表委員より説明
棧橋岸壁荷役勞務者中二十五名の全壞震災者を生じ緊急物資荷役に困難を生じているので、緊急物資荷役に際しては一旦一十名乃至三十名の勞務供給方の懇請ありて、縣主管課に於て前日午前中に所要勞務者の申請あれば供給可能であり又、場合により囚人勞務の供給も可能性あるから考慮することに決定。
六、鐵道復舊所有燃料配給に就て
四鐵高知出張所代表委員より説明
須崎、吾桑間鐵道線路復舊に使用するモーターカーの所要ガソリンの配給方懇請ありて縣主管課に於て配給斡旋方決定。


◎農林水産寡門委員會(第二回)
一、日時昭和廿二年一月十一日(午前九時開會),ー
二、場所正廳控室
三、出席者
高知縣農業會副會長山崎正辰
縣會議員小松重喜
高知縣林産組合聯合會長永野土佐太郎
高知縣森林組合聯合會長(代)中澤彦吉
高知縣馬匹組合聯合會長高野健介
高釦縣林産燃料株式會社ゝ長(代)西岡巽
高知營林局長(代)安岡作業課長
日本勞働組合総同盟縣副會長(代)松村隼郎
高知縣水産業會長(代)細木(不詳)
四、欠席者
高知縣蚕絲業會副會長原祐之
高知縣農民組合聯合會田村一敏
五、協議決定事項
(1)農産關係
イ農作物被害激甚地中代作可能地に付ては縣樹立の代作計畫に基き種子の確保を期すると共に之が實行を指導督勵すること。
ロ肥料の流失、浸水に依る補填用及追肥用としての所要量、硫安一〇万二千〆、燐酸六万四千五百〆、加里一一万二千〆の特配方を政府に要望すること。
ハ流失、浸水に依る空叺の損失數量に對しては回收の免除を關係方面に要請すること。
ニ流失、浸水に伴う肥料代八一九、一六七圓の全額の補償を政府に要望すること。
ホ畜産關係の被害に對する所要資材を建設委員會に要望すること。
(2)蠶糸關係
イ縣有建築物の復舊費に對し全額國庫助成を要望すること。
ロエ場の復舊に對する補助金交付を政府及日本蠶糸業會に要望すること。
ハ製糸工場の災害に伴い生糸製造割當數量の勘案を其筋に要望すること。
ニ縣有建築物及工場關係の復舊に要する資材勞務の確保を關係委員會に連絡し要望すること。
(3)耕地關係
イ所要資材の確保に努め之を勘案して事業の重要度に感じ復舊の實行計畫を樹立し着手すること。
ロ耕地關係技術官を増員し復舊に遺憾無きを期すること
ハ耕地關係復舊事業は土木委員會と關連あるに付き連絡を密にすること。
(4)水産關係
漁船の建造及漁網、製氷設備の復舊に要する資材を急速に確保し漁業を再開し得る樣手配すること。
(5)林産關係
製材工場と林道復舊の緊急事なるに鑑み速に之に要する資材の確保に努むること。
(6)金融關係
イ農林水産及耕地關係復舊事業を通じ之が復舊運用資金の貸出しを縣及關係團体より中央農林金庫及金融委員會へ要望すること。
ロ復舊費及應急費は全額を國庫に於て負擔すること。
午后零時三十分閉會


◎農林水産專門委員會(第三回)
一、日時昭和二十二年一月十六日(午前十時半)
二、場所正廳控室
出席者
高知縣農業會副會長山崎正辰
高知縣森林組合聯合會長宇田耕一
日本勞働組合總同盟高知縣聯合會副會長松村春繁
高知縣馬匹組合聯合會長高野健介
高知縣林産組合聯合會長永野土佐太郎
高知縣農民組合聯合會田村一敏
高知縣水産業會長(代)細木忠義
高知營林局長(代)森尾洋一
山中正夫
四、欠席者
縣會議員小松重喜
高知縣林産燃料株式會社々長頼田松助
高知縣蠶絲業副會長原祐之
五、説明事項
闘係各課より一月十一日の委員會に於て協議決定せる事項に對する其の後の措置を説明す。
六、協議決定事項
(一)第二回委員會協議決定事項の終りに(7)物價並賃金關係として左の事項を追加するものとす。
適正なる物價並賃金の速やかなる決定を政府並關係專門委員會に要請すること。
(二)目下長官は上京して縣の作製した被害状況調書に依り夫々要請中なるに付本委員會も其の調書に依り措置を講ずること。
(午后零時二十分閉會)

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高知縣震災對策委員會常任委員
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(1)援護對策並に民生教育專門委員
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(2)農林水産專門委員
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(3)食糧、物資專門委員
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(4)物價並に金融專門委員
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(5)商工鑛業專門委員
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(6)土木專門委員
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(7)勞務並に輸送專門委員
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(8)建設專門委員
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(9)建設專門臨時委員

第六章 南海大震災日誌

この日誌は當時の混亂を如實に髣髴せしめる趣旨より具体的にありの儘を記した。(高知縣震災復興對策本部記録)

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南海大震災日誌

第七章 當局が採つ余緊急措置とその反省

前記

震災覆縣當局は、如何なる應急措置を採つたか又その措置が良かつたか悪かつたか、或はどんな事が一番困つたか等の反省的記録は若し不幸にして今後再び發牛する災害に對する防災對策の上に最も貴重な資料ともなりはしないか。
以下順次述べんとする事項は當時の状況下に採つた措置にして何等の修正、附加することなく掲記したものである。なお本章以外にも特に第二編災害、第四編公安の中にも處々に緊急措置が記せられているからこゝに重複をなるベくさけたのである。

第一節 當局か探つた緊急措置

縣は震災發生後直ちに臨時災害對策本部を縣廳に設け差當り、通信全く杜絶せる縣下各樞要地に係官を急派し情報の蒐集連絡に努めると共に、罹災者の收客、救援救護、手持物資の配給、食糧の炊出、薪炭、衣料等の特配を行い治安維持、修理、水防、消防、連絡、通信、闇物價の抑制取締等應急措置の万全を期し、主食に關しては香川縣よりの割當米の繰上方を懇請に二十二日内務部長を急派し急援米一万二千石を出して貰うよう努力を拂つた。全縣下の被害逐次判明するに伴い更に震災對策復興本部に改組(十二月二十五日)総務、物資、食糧、建設、援護、衛生、土木、交通運輸、農産、渉外等の各班を組織し復興復舊に全力を傾倒することとし別に官民合同の復興對策委員會を設け復興に關する重要事項の調査審議及計畫樹立をなすことゝし之れが發足を見た。
なお救護に關し官民合同の一大擧縣運動を展開し救護救援の萬全を期する事とし其他四國行政事務局及進駐軍々政部とは不斷の密接な連絡をとりつゝその援助を乞い遣憾なきを期した。


◎縣が採つた緊急對策本部及び協議會は次の通り
一、十二月廿一日(イ)高知縣臨時災害對策本部を設けた。
        (ロ)援護本部を設けた。
二、十二月廿五日高知縣震災復興對策本部を設置。
三、十二月廿八日高知縣震災復興對策委員會を設置。(官民一体とするもの)
次に各課に於て採つた緊急措置は左記の通りである。


(1)食糧關係の應急措置
 −食糧課−
現在政府買上のもの及び未完了のものを早急に供出せしめると共に甘藷ある地方は一時甘藷を代替順次米を配給をなすべく手配すると共に隣縣香川縣に急援米の懇請使を十二月二十二日派遣の豫定にて各地に對する對策左の通りである。
  記
一、新字佐町方面に對しては
一日に十五石位を要する見込みにて、現在政府買上米高岡町附近に二百五十五石あり、供出未完了のもの(數量判明せざるも相當ある見込)を供出せしめ配給すべく、本廿一日午前十時經濟總務課上田事務官が高岡町方面に出張努力中。
二、須崎町方面に對しては
一日十五石位を要すると認められ、現在政府買上米佐川町に百十四石、斗賀野村に百四十三石あるものを當てると共に、未供出のものを供出配給の計畫なるが、輸送意の如ぐならぬ節は、須崎町附近の甘藷(數量の見當は立たぬが相當あるものと見ている)を以てし輸送が出來だしてより米の配給をすべく、經濟總務課首席末久事務官が本日午後二時四十分出發した。
三、高知市に對しては
經濟總務課員二名高知警察署員並に食糧營團の者若干名は、城東商業學校に於て罹災者と認めた者に對し、二十一日晝食としてパンを配給したが引續き實施する。高知市は水が引いたら米は持つているから心配ないと見ている。
四、室戸方面には
本日午前十時發經濟總務課井上事務官が赴いたが、安藝地方事務所と連絡遺憾のないようにする。
五、中村方面は
連絡絶えて被害の程度不明なるも、相當の被害ある見込である。
六、清水方面にも
被害あるものと思われるが、之れは幡多支廳が配給の世話をしているものと思われる。
七、香川縣へ救援米懇請使派遣
明二十二日内務部長が食糧營團關係者を連れて隣縣香川縣へ急援米一万二千石出して貰うよう懇請の爲出發する。右に成功すれば、香川縣からの米の輸送を急ぐのであるが、鐵道の高知、大杉間軌道沈下橋梁破壞し(隧道は破壞して居らない)居り目下列事杜絶しているので、四國鐵道局高知出張所と連絡するに、早急復舊工事に取り掛りても香川高知間復舊には約五日間を要する見込なるが、係官に於て努力することになつている。


(2)負傷者の收容と防疫對策
 −衛生課−
一、救護本部は。
救護本部を高知縣廳衛生課内に設け縣下全般に亘る救護對策を實施す、その構成員は左の如くである。
(1)衛生課員全部。
(2)縣醫師會幹部及高知市内醫師。
(3)縣藥劑師會幹部。
二、救護對策は。
(イ)高知市内罹災者に對する處置。
A、各主要病院を臨時救護所として指定し、市内に於て負傷したる者の臨時手當及重傷者の手當を命ず。
B、右の處置をなすも尚重傷者續出したる爲臨時假救護所を縣立女子醫學曝門學校寄宿舎内に設け、應急の手當をなし現在迄に入院加療した者左の通り(A、B共に)


其の他負傷者は相當數に上るも市内指定外の醫院に於て治療しつゝあり其の數は目下不明である。
(ロ)郡部被害地に對する處置
郡部特に海岸地方の被害甚大なる處に對しては、左記の通り救護班を派遣す。
(イ)新宇佐町方面新宇佐町方面に對しては、二ヶの救護班を編成し自動車を以て急派したり。
一ヶ班の編成は左の通り(以下同じ)
醫師外科二名
内科二名
防疫職員二名
看護婦八名
(ロ)室戸町方面室戸町方面に對しては一ヶ班を編成し自動車を以て急派す。
(ハ)須崎町方面須崎町方面に對しても浸水被害甚大なる報道に直ちに一ヶ班を編成急派す。
(ニ)其の他の方面保健所、警察署をして適宜の處置を取らしめた。
三、防疫對策は。
目下災害による傳染病發生の徴候は無きも、今後を豫想し防疫職員を主なる災害地に派遣し且つ保健所員をして嚴重監視せしめた。
四、醫藥品に對する處置は。
災害に對する急救藥品に對しては高知縣醫藥品配給株式會社に對して統制醫藥品の殘置量並に第三、四半期分中より徴收し各救護所に供給し、又一方特殊衛生物資中より醫療器械並に藥品を供給、尚不足する分に對しては各醫藥品の卸賣商店より徴收し、亦米軍政部よりも『ズルフアチゾール』『ぺニシリン』等の藥品の供給を受けて治療救護の萬全を期している。只破傷風血清に對しては今後同患者の發生の見込あるやも知れざるを以て大阪方面より供給を受ける處置を取つている。
亦各市町村に於ける上水道破損せるため斷水し且つ浸水家屋多數のため、井水及便所等に對し縣藥劑師會の協力に依り煆製石灰晒粉等の消毒を施行し傳染病發生の豫防に萬全を期している。


(3)罹災者の收容並に救恤
−厚生課−
一、左の通り係員が出張した。
十二月甘一日午前十時高知市
゛廿一日午前十時藝東方面(勤勞課長と共に)
゛廿一日午前十一時新宇佐町方面へ開拓課長と共に)
゛廿一日午後二時須崎町方面(警務課長と共に)
右の方面に係員出張し被害状况並罹災者の調査をなすと共に、罹災者の收容並救恤に付ては地元市町村と協議し萬全を期しておる。
一、現在迄の状況は左の通りである。
高知市の罹災者の收容は市と協力し縣係官を派遣し收容其の他の指導連絡があつた。その收容所は左記の通り。


高知市の罹災者に對しては二十一日晝食より、パンの給與をなしておる。
負傷者は宮本、平田、女醫、日赤、中央各病院に收容し手當中である。
一、物資配給
(イ)十二月二十一日新宇佐町
ローソク二箱(八十斤)、燐寸二十箱、蒲團二五九枚
(ロ)十二月廿二日新宇佐町
釘五樽、燐寸(大)二十箱、ローソクニ箱(八十斤)、石鹸一、五〇〇個、タオル六〇〇枚、下駄二、〇〇〇足シャツ一、〇〇〇枚、作業衣一、〇〇〇枚、肌衣五〇〇枚
(ハ)十二月廿二日須崎町
シヤツ五〇〇枚、作業衣五〇〇枚、燐寸二〇箱、ローソク一六〇斤、毛布二〇〇枚、石鹸一箱(七五〇個)、タオル三〇〇枚


(4)全縣下の交通杜絶と市内の浸水防止に緊急措置
 −土木課−
大地震が勃發し約十分後にして高知港口に高潮(津浪)襲來し、浦戸灣より高知市内、國分川、鏡川等の各河川より浸入した。八時頃潮江満潮面上約二米に達し堤防上溢流し、爲めに高知市街は下知地區全部其の以北の低地及潮江南東地區に亘り廣大面積に浸入し深さ平均二米に逹するに至つた。縣土木課に於ては直ちに高知警察署及び土木出張所と連絡を取り、早速トラツク十數台及警防團員約八十名人夫百名動員し、先づ高知市内寳永町より葛島橋(國分川架設)間幹線縣道が前記浸水により交通不能となりたる爲、その換道として寳永町より農人町若松町を經て葛島橋に到る倒壞家屋を取除き開通を計ると共に、堤防欠所の内先づ高知市街地の浸水を防止する堤防欠所(葛島橋下流右岸二〇〇米)應急工事用土俵三万俵、杭、板、土等を運搬し、徹宵二十二日工事着手二十三日高潮の復するを待つて完了の豫定、しかし葛島橋南方の堤防工事は豫想に反し浸水防止に三週間を要した。其の他高知徳島線香美郡野市町物部川橋調査補強、高知市はりまや橋より棧橋に到る間浸水により道路流失個所に棧道を架設二十二日竣工の豫定、其の他縣下に亘り被害調査を爲し交通不能の道路橋梁の工作物の簡易な復舊工事を施工した。


(5)手持救援物資を放出非常措置と被害工場の調査
 −商工課−
一、救援物資手持を被害甚大なる方面へ放出した。
(イ)高知市
ローソク一、一二〇斤
(ロ)高岡郡新宇佐町
蒲團二五七枚、手拭六〇〇枚、作業服一、〇〇〇枚、シヤツ一、〇〇〇枚、肌着五〇〇枚、釘五樽、マツチ五〇箱、ローソク一六〇斤、石鹸一、五〇〇個、下駄二、〇〇〇足
(ハ)高岡郡須崎町方面
シヤツ五〇〇枚、作業服五〇〇枚、手拭三〇〇枚、マツチ二〇箱、石鹸七五〇個(一函)、ローソク一六〇斤、毛布二〇〇枚
二、本縣手持救援物資僅少のため四國地方行政事務局長、四國地方商工局長、香川縣知事に對し各々左記の物資の救援方を要請した。
毛布五万枚、蒲團二万枚、作業服五万枚、シヤツ五万枚、手袋五千打、マッチ三百瓲、靴下五千打、ローソク五百箱、足袋五万足、地下足袋五万足、手拭五万枚
三、被害工場調査を實施
其の被害の主なるものは次の通り
(イ)本縣唯一の輸入棉花消化工場なる敷島紡織株式會社土佐工場は機械の被害甚大にして逸急復舊の見込たゝず。
(ロ)高知市内鐵工業關係は挙均五〇%程度の被害の見込にて申には復舊の見込たゝざる工場もある見込なり。
(ハ)見返り物資たる典具帳紙並和紙關係は何れも被害僅少にして送電あり次第操業開始の見込。
(ニ)農機具關係工場は殆んど被害なし。
四、自給製塩關係
詳細は不明なるも津浪高潮のため潰滅的被害を蒙りたるも掛水式のみは再起し得る見込である。

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救護所名死亡入院治療摘要
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高知市罹災者收容状況

第二節 各方面が採つた緊急措置とその反省

◎道義心の低下が土木事業遂行上障害となつた−土木部−
戰後、國民思想混濁し、道義心低下したことは工事遂行上必要なる對地元との諸種の折衝事項に反映し、公共性を有し而も急速に復舊を要する河川堤防工事等には相當の障害となつた。然し新憲法下民心の納得に努め、その諒解を得るに二年有余の日時を經過したが概ね所期の事業、目的を達成し得た。
◎高知市葛島の決潰箇所復舊に困つたこと−土木部−
高知市下知地區破堤ヶ所復舊に當つては晝夜兼行約一ヶ月を要した。これがため約二千戸の浸水並倒壊家屋續出し同區民の協力を得ることも、亦管下一齊に被害激甚であつたため他地區からの協力を求めることも、困難であつた。
これがため市附近の請負業者を總出動して應急水防作業を實施した。
◎通信不通で應急救助がおくれた−厚生課−
災害と同時に通信不通となつたため、被害の實態を早急に把握することが出來ないので、全般的な應急救助對策に支障を生じたのである。色々手段を盡しても速かな連絡方法はなく、殊に幡多郡等にあつては數日後になつて漸く郡下の被害状況を知り得る状態であつた。もしも縣下數ヶ所に震害を直接うけない無電施設を完備していたならば罹災者の應急救助がより迅速に行われることを痛感したのである。
◎具体的對策樹立と情報の不明、遅延に困つた−衛生部−
災害の情報連絡のとれなかつたのは、この種の災害上普通とは思うが、その災害の情報の遅延、又は不明勝ちであつたので具体的對策をたてるのに困難を感じた。情報連絡係は當日より五名でその任に當り連日奮闘したが、これが打開には困難であつた。
◎當時は輸送力低劣で支障を生じた−衛生部−
輸送力の低いこと特に自動車その他機動力を充分發揮することができなかつたため應急人員資材の輸送に困難をきたした。
◎傷者を緊急收容に困つた−衛生部−
當時は災害救助病院は指定なく、又あつたとしても何れもそれ自体災害が大きかつたために醫療救謹施設が少なくて困難を感じた。救急を要する傷者については宮本、平田、日赤、中央等の各病院に收容し、なおしきれぬ傷者のために縣立女子醫專内に臨時救護病院を開設し、辛じて應急手當を加えた。
◎應急資材を分散保管してないため困つた−衛生部−
資材については應急資材の保管所であつた高知縣醫藥品統制株式會胱の農人町倉庫が全壊し、他の衛生材料の損害も甚大で一時はこれが蒐集に困難を感じたが、幸に連合軍の好意により救急資材の放出を受け又その後には岡山、廣島の各縣その他各製藥會社から衛材の寄贈を受けて治療上万全を期することのできたのは感謝にたえないところである。その後に於ては應急藥品の保管所を分散することにして居る。
◎救援班が統制がとれてない爲困つた−中村町−
澤山の死者、負傷者が出ても、すベての醫療機關、衛生救護機關、連絡機關の當富者の活動にもそれぞれ故障があつて充分にその機能を果すことが困難であつたので、この方面の應急對策も頗る不充分であつた。斯ういう場合には何よりも近接町村が急救對策協議會と言つたようなまた急援隊のようなものをつくつて、直ちにそれぞれ部署をきめて臨機適切な救護作業をすると言つたような事が望ましい。近接町村からも無論當時に於ては焼跡の整理、街路の取片づけ等毎日のように出動してもらつたけれど、震災の直後から前述のように直ちに統制ある救護作業に入つたなればより效果的であつたと思う。今回のような全町潰滅と云つたような場合には、その應急作業はすベての事をどうしても町外から受けるような事にしないと町全体としては殆んど充分の事は出來るものでないと思う。
◎今次の火災を通して平時に萬全を期せよ−小筑紫村−
本村においては、小筑紫部落の一戸に保管中の石油が庭一面に流れたことに氣づかず燐寸をすつたことから引火逐に附近十九戸を全燒してしまつた。消防用具としては手押ポンプニ台により近くの海面から給水消火につとめたのである。能力少く且つ暗黒の中の活動のため大火となつてしまつた。完全なる消防器具の整備と平素の訓練の徹底は平時において萬全を期したいと思うている。
◎工事實施上幾多の隘路があつた−土木部−
統制經濟が強力に實施せられあるため、工事用資材特に木材、棒鋼等の入手に手間取つた。又石材砂利公團が新設せられたるため石材砂利等の單價昂騰し、豫算の面に影響すること大きく更に、その手續の煩雑さは工事促進の上に相當の隘路となつた。
◎復興部を設置したら良かつたが人選に注意せよ−宇佐町−
町役場に人格者にして手腕ある復興部長の下に四五名の專任の復興部員を置いて、衣食住簿に就ての救濟、物資の斡旋並に土木復舊に就て活動努力せしめた事は非常によき結果を揚げ得たと思う。只其部員の人選には注意せねばならぬ。
◎急造バラツケ收容所設置後の惱みが多かつたこと−宇佐町−
罹災者全部が仮收容所に住むことが出來て非常な利益を與えたが、只だ遺憾なる点は收容所の建築場所に就て建築が急を要する爲と十戸以上或は特別の場合でも五戸以上の長屋建を原則とした故、敷地に窮した結果、廣小路神社境内等へ交通、火災、衛生等を度外視して建築した爲、其の後の土木事業に支障を來したり、叉火災に就て非常な危倶の念に悩まされたり、夏期に於ける公衆衛生に就き事の外迷惑したり、交通に就ても叉格別の不便不利益を受けた。
◎小町村が機能を失うた場合はどう云う措置をとるか−中村町−
本震災は中村町の八割が全壞大きな被害であつたので、町會議員、町吏員の大部分の者が何れも被害者となり、各自住居の出來る樣な應急建物施設に從事しなければならないので、町會を招集しても議員の大部分は出席出來ず、吏員も出務出來る者は四、五人と云う状態であつて、この状態は約十日間も續いたので、町として大變困つた。それ故町長憾町の男女青年團員の幹部中から毎日のように十名乃至十五名を役場へ出てもらつてこれによつて救濟物資の保管や配給事務をやつてもらつた。又重要問題を評議し町民の意向や希望を聽くために町内の有識者先輩等を以て對策審議會を組織し當面の諸問題について協議した上それぞれ手を打つたのである。斯様な非常變災時に町の中心諸機關がその機能を失なう場合どう云う措置をするか?それは小町村では平常から考えて置かねばならぬと思う。
◎食糧に困つた−宇佐町−
震災罹災者は衣食住共非常に困窮した、町は是等に對する應急措置として、食に就ては直ちに震災當日の朝食分から非震災地區である新居匿及宇佐山手の農家に對し炊出し方を求めた處、青年團の活動により陸續として炊出しが有つた。是には米八石、甘藷五百十貫を要した。又隣接町村よりも握り飯の見舞二、三日間續いた。町は縣に申請して救援米四十六石二斗の配給を受け、罹災者に一人七合宛配給した。又罹災者各個人が親類知己より見舞品として食糧の寄贈を受けた量も相當多かつた。食糧品に就ての措置は町民より好感を得た。
◎機構及資材の不備に悩んだ−土木部−
(1)震災當時の土木課は經濟部の一課として、土木部面を擔當して居たので、その職員數は僅かに一五六名であつたが偶々地震直後に、土木部に昇格したので、逐次機構を整備し昭和二十四年四月一日現在四五三名となり、エ事は著しく促進された。
(2)當時土木課の所管器具機械は殆んど見るべきものなく、管下の請負業者に全面的に依存する外なかつた。ただ高知土木出張所に小型乗用車を配置してあつたことは、少数の所員の不眠不休の活動を更に敏速ならしめることが出來た。
(3)水防資材の貯藏なく高知市附近國分川外數ヶ河川の堤防欠壊十一ケ所の締切用ヵマス、空俵の類は香川縣に懇請して漸く充足し得た。
◎飢餓線上にある食糧不足を如何にするか−食糧課−
主要食糧の應急措置を講ずるために經濟部長並びに高知食糧事務所長は急遽香川縣に赴き應急用食糧として、米五〇〇〇石應援方を懇請した結果了解を得、十二月二十七日迄に全量廻送した。急援米を高知港より罹災地へ
四五〇俵明神丸にて清水港へ
五〇〇俵第一土佐丸にて甲の浦港へ
五〇〇俵第一土佐丸にて室戸港へ
五五〇俵塵島丸にて須崎港へ
六〇〇俵エビス丸にて須崎港へ
◎執行部其他各方面協力して工事の推進に苦心した−土木部−
應急復舊工事を速急になすため、資材勞力の調達を急いだのでインフレの昂進を更に地域的に増進せしめ、一方政府の財政金融状況の逼迫も反映して、縣の計畫した復舊年次豫算より下廻り工事の推進上苦心した。これに就いては執行部は勿論、縣議會側とも協力一致して中央に要請し、他の震災府縣とも連繋して猛運動を實施した。又西村知事は震災直後いちはやく映画班を招請して「高知縣の南海震災」と題する映画をものし、これを中央、地方に紹介宣傳したのは多大の効果を收めたものと考える。電力の不足は電氣工具機械の運轉を抑制し工事の促進を阻んだ。これにはその電氣工具機械を使用する地區の一般送電を抑制して、工事場に專用するような處置を講じた。農地調整法實施に伴い敷地買收關係手續に著しく手間取つた。
◎衣類の配給に女子物が極少量で困つた−宇佐町−
衣類では震災直後進駐軍の同情にて放出衣類の無料配分を受けて男子は比較的困窮少なかりしも、女物の放出極少量なりし爲、女子は個人的關係よりの贈物を受けただけで實に氣の毒な状態であつた。衣食住の内衣類が一番救濟の方法がなく、今日に至るも男女とも着のみ着のまゝの者が多い。取わけ寝具に至つては其大部分或は全部を流失して居るので、家を流さぬ者でも非常に窮乏して居り、進駐軍毛布の放出と別に縣よりの蒲図の配給が有つたが、勿論其數では到底充分でない事と、購入するにも値段が高い爲購入出來ない等で、今日に至るも夏は蚊取線香にて夜を明かし、冬は一揃の縫具に多數の家族が折り重なつて暖を取つて居る家さえある。衣類に對する應急措置としては殆ど手のつけ様がなかつて、縣へ御願いして放出物や其他の配分を受けたのみである。
◎中央部火災消火に困つた−中村町−
震災に伴い町の中央部に火災が起つたので消防團のガソリン自動車が出動したけれど、すべての街の家が倒壊で通れないので町の東端を迂廻し治水堤防上を無理矢理通つて漸く火事現場に近寄つたので時間を多くとり、このため火災を擴大したのであつた。震災後中村町が萬難を排して都市計畫の施行を決定したのは右の專情による事が多い。
◎情報連絡の途なく當座は途方に暮れた−中村町−
これ程の大震災にも拘らず、この實状を縣廳へ報告するのにその手段がなく、いろいろの方法によつて連絡した結果、縣廳において實状の判明したのは三、四日も後の事であつたように思う。それがため國縣の援助指導を受け始めたのは大分時日を經過した後であつて、その當座は所謂途方に暮れて常分の闇對策を立て得ないで空白状態がしばらくあつたように思う。
◎復舊エ事に食糧の特配をして熱意に應えた−食糧課−
高知市(下知、潮江)新宇佐、須崎、久禮、中村方面の堤防應急工事その他道路橋梁等の應急工事は晝夜兼行の突
貫作業であつたので、一人一日二合宛の特配を實施した。十二月末日まで之に要した食糧は一一〇石四斗。
◎重要變壓器に耐震ボル卜の取付がなかつた、又第二次蓄電池は
殆んど落ちて破損して居た−四國配電株式會社−こゝに注目すべきことは、江ノ口、高知、潮江變電所共主要變壓器に對震ボルトの取付がなかつたため、地震により据付位置が種々の方向に相當移動し比較的強固な導体で引かれて居る二次側套管が多數折損したことである。殊に潮江變電所に於ては地盤の關係で危く變壓器が一台倒れんとし辛うじて建物壁で支えられ、一次二次側の套管折損及油コツクの破損による油漏出などの被害があつた。又二次蓄電池は其の台がすべり易い關係で高知市附近のものは殆んど落ちて破損して居た。將來この据付には一考を要することゝ思う。電池を失つた變電所では、應急的に充電用發電機を運轉して自働遮斷器のトリツプ用電源とした。幸いにこの蓄電池は丁度取換電極板を購入して居た處もあり、割れ殘つた外函を取り合せて江ノロ變電所は舊態に復し、高知、潮江の爾變電所は發送電會社より手持品を借用し使用中である。須崎變電所に於ては變壓器移動のため冷却水の導水管が破損する事故を起したが、變壓器が危く變壓器台より落ちんとする難をまぬがれたのは幸であつた。この導水管の被害は同じく江ノロ、潮江爾變電所に於ても見られた。
◎非常に役立つた話三つ−土木部、衛生部−
(土木部)
.(1)災害勃發直後應急工事に要する經費三千三百万円を、縣負擔復舊豫算として、早急に可決し、これが使途を所轄土木出張所長の權限に委して、随時資材の購求並、勞力費を支拂せしむることが出來るよう非常手段を講じた。ために以上の悪條件を克服して資材の調達勞力の使役に迅速円滑を期し得た。
(2)高知軍政部の配慮に依り、災害ヶ所の應急工事のために、聯合軍の貨物自動車數輛及上陸用舟艇二隻を操縦士と共詫貸與せられ、尚且つ作業促進上に就いても種々の便宜を與えられた。(衛生部)
(3)幡多郡方面の被害は震害二日後の二十二日夜半になリ漸く潰滅の報が傳わつたので課員の非常召集を行い、資材及び救護班編成を完了、第五救護班を二十三日未明海路急行せしめ、中村の救護に應ずることができ、又二十四日大阪府派遣救護班も二十六日海路中村へ急行し、高知に次いで慘害の大であつた中村の救護に役立つことができたことは不幸中の幸であつた。
◎震害直後三日間給食非常措置−食糧課−
◎十二月二十一日
罹災地における給食状況
震災當日各罹災地區においては、所轄地方事務所長(市、支廳長)の權限によつて附近町村の應援を求めパン、蒸甘藷等の應急給食を行う外、食糧營團の手持食糧を以て炊き出しを行い、食糧不安の一掃に努めた。
(1)高知市の状況
(イ)下知方面の罹災地區のために城東商業學校に特別配給所を設置し、緊急用として罹災者にバンを配給。
(ロ)罹災者集團場所(農人町大和劇場=現在の土佐倉庫=)天理教本部、下知小學校、要法寺等にパンを持込み市役所、營團の係員をして配給せしめた。
(ハ)女子醫專、平田病院、宮本病院の收容患者に對しては米を、徹宵附添醫師、看護婦に對してはパンを配給。
◎十ニ月二十二日
(1)高知市の罹災者に對しては二十一日同檬食糧營團本部、市役所、警察署の協力を得て各罹災者に對し應急食糧の配給を行った。
配給數量パン九、七七七個特壓食糧一、八七九個
(2)新宇佐町に對し醤油六石五斗を急送。
◎十二月二十三日
(1)幡多郡中村町救援のため味噌三〇〇貫、醤油一六石を陸上の交通杜絶のため汽帆船にて急送。
(2)高岡郡新宇佐町に對し新居の營團手持米一五〇俵を送る。
(3)高岡郡須崎町に對し營團所有浸水米三百俵を町内の應急米に充當するよう指示。
◎物資の荷造り運搬勞務者傭入に困つた−厚生課−
物資の荷造り運搬積換等に相常數の勞務者を必要としたが、一般民家に各々被害を蒙つているので勞務者の確保に困難した、警察や公共職業安定所と連絡し、特に町内會の特別の協力と廳員の晝夜兼行による勞務作業に從事されたことによつてこの隘路は打開された。
◎嬉しかつたこと、困つたこと−高知市役所三里支所−
堤防破損により水田に塩水の流れ込むため、應急措置を講ずるに急を要した、幸に市當局との蓮絡が速かにとれ、破損箇所修理、排水機の取附等着々準備なり、其の間種々な難間題にも當つたが、まづ地元の協力と市の盡力で損害を最小限度に止どめて工事の終了したる事は、不幸中の幸とするところである。人家の倒壊も拾數軒に及び、申には家屋の下敷となり死亡したもの數人を出し、又半壊家屋も相當あつて補修材料の集荷に隨分苦しんだものであつた。而しこれも市と連絡が具合よくとれ死亡者叉は負傷者にそれぞれ見舞金を出し、其の他厚生課の計いで衣料品等の配給もあり、大衆より不平の起らざりし宴は實に嬉しく感じた事である。家屋の修理等も割合思つたより早く材料を手に入れる事が出來たので好都合であつた。土地の沈下の爲め海岸道路の嵩上げも護岸(防潮)工事も其の後着々工事を進め現に道路の嵩上げは着工事二ヶ所の護岸工事も一ヶ所は咋今着手、他の一ヶ所も近日中着手の運びとなつている。幸いなことには津浪の恐れが多分にあつたが、これも無く火災もなかつたのは幸いである。
◎援護物資の確保に困つた−厚生課−
衣料品等の物資は常時非常に枯渇していたし、勿論縣にも非常災害用の備品もなかつた。各所の業者から在庫品を集荷したが、多數の罹災者には到底行き亘らせることが出來ない實情であつたので、軍政部へ懇請して特別の御好意により多量の物資を放出されたことは誠に有難く思つた。大体以上のようなものであるが、前述のように種々苦難に遭遇したが、それぞれの方途を講ずることによつてその結果は良好であつて、その終末をつけることが出來た。尚この災害を通じて援護の面から見て應急收容住宅の建築と、大工道具は罹災者の更生に役立つことが出來た。何しろ被害戸數は倒壊、流失、半壊、燒失を合して約九、三九○戸を算したが、縣は罹災者收容住宅建築のため國庫から特別の補助を受け、應急小屋掛式の佳宅を一戸五坪の基準を示して縣下に二五〇〇戸を建築し、その他に一般避難所及特別避難所を建設して應急收容することが出來たが、併し之れが建築に當つて建築資材や建築技術員が少く。又中には技術員があつても道具を流失又は破損していたので建築が遅々として進捗せざるに鑑み、大工道具を大量購入して配給したが、これが建築促進に非常に役立つたと共に、應急收容住宅の建築によつて罹災者の更生への道を助長することが出來た。南海大震災の貴重な經驗を通じ今後の非常災害に對處するため、災害救助法に基いて高知縣災害救助對策協議會を設置し、平常時から救助計畫を定め、更に縣に災害救助隊、支廳地方事務所にその支隊、市町村に分隊を組織し、關係各方面との連絡調整を一層緊密にして應急救助の萬全を期せんとしている。
◎援護物資の輸送に困つた−厚生課−
當時交通は杜絶していたので、救護物資の集結や輸送に困つた。軍政部の厚意により、放出された莫大な援護物資は縣外から汽車輸送で高知驛迄贈られたが、地方により陸上輸送は全く行われないので、海上輸送することにした。縣下各地に散在する船舶にも相當の被害を受けていたから、直ちに求めに應ずることが出來ないというのが實情であつたが、特に關係業者の協力を得、史に罹災地では青年團にも協力を求め、荷揚や困難な陸上輸送に積極的に協力されたことは救助に非常に役立つた。

第八章 軍政廳並に當地進駐軍の活動協力とその關係建物の被害状況

第一節 進駐軍の活動

(1)海、陸、空よりして震害地を救援
本縣下強震に依る災害を蒙りたるを知れる軍政廳並に當地進駐軍は應急措置につき絶大なる協力を拂われ多數の援護物資を放出し、これが物資に依り罹災者援護に或は急援車輛の運行に多大の寄與を得た。
この物資は、陸、海、空の輸送力により急速に現地に到着したので、一同感激感謝せないものは無かつたが、その状況左の通りである。
その物資の主なるものは、
一、毛布九、〇一〇枚一、上衣七、一六〇着一、ズボン七、〇七〇着一、食糧一〇五噸、出産用セツト二二三箱一、優良藥品四車輛一、優良燃料多量
右の救援品移送は中村町方面は交通杜絶の爲め汽船便で、安藝、室戸、新宇佐、須崎方面はトラツク便を以て輸送した。


(2)進駐軍建設隊の活動
道路、橋梁、堤防等の被害甚大にして、縣下各地の交通全く杜絶し、これが緊急措置として英軍建設除が來縣して修理に協力された。特に高知市東部に在る葛島堤防切所は、延長四十米、深さ最大七米に達し、浸水區域は高知市内一、四方粁戸數一、八八一戸に及んだ。本締切工事は震災直後着工、翌年一月十一日まで縣の全能力を以て不眠不休の努力と高知軍政部の厚意に依り竣工を見た。これに要した勢力延人員約一万人に達した。本工事は軍政部の厚意に依り、數日間に亘り毎日ジープ五台及船舶二隻を以て、熱心に土嚢、石材等を海上或は睦上輸送に援助を得た事は洵に感謝に堪えない所である。


(3)進駐軍の醫療班の活動
前述の如く優良藥品を多量に放出されると共に主要災害地に罹災者の救護、受災後の傳染病流行の徴あるを以てこれが防止に醫療班が派遣され大いなる効果を收めた。,
◇軍政部醫療班の編成
軍醫一人、兵四人を班として四班派遣された。


(4)進駐軍の旅客運輸に協力
激震に件い後免、高知間の汽車、電車不通となり、後免驛に下車する高知方面行の乗客及其の他より同方面に行かんとする者多數後免町に集り、バス及トラツクに依らんとするも其の收容に限度があり、翌二十二日(震災の翌日)は數百名が後免町に數時間待つ状態なりしを以て、日章村進駐軍にありては、リシイ隊指揮官トルトム少佐自ら後免町に來り進駐軍トラツク四台を指揮し、高知市方面の旅客を輸送した。歸路は高知市より東に向け旅行するもの、通勤するもの等を乗せ輸送に當り、旅客は勿論一般民衆は聲を揚げて之に感謝した。
なお翌二十三日もトラツク六台を以て應援旅客輸送に當つた。


(5)軍政部ミクソン中尉の厚意に感謝
高岡地方事務所に於ては、須崎町及多ノ郷村に於ける食糧事情は手持僅か五日分にして早急に補給を要するので折よく來町中の軍政部ミクソン中尉の援助を得又地方事務所に保管を委任せられて居る乾パン給與に付てもその承認をうけた。ミクソン中尉のこの臨機應變の措置に對して、町區民はいづれも感謝した。


(6)連合軍飛行機も出動(渉外局二十百十四時三十分發表)
一、二十一日早朝横須賀基地の海軍水上機が、日本各地沿岸における津浪來襲の兆候有無を調査するため進發したがまだ報告はない。
二、第一米國軍(京都)報告、現在までに占領軍施設または軍隊に關し損害の報告はない。第二十五師團は被害状況調査のため廣範圍に亘り空中偵察を行つている。
三、四國軍政部の報告
高岡町(高知市西南四里)では死者九十名、重傷者百二十名、家屋全壊二百八十一、半壊四十六。


(7)救濟物資を空輸
−第八軍司令官聲明−
「渉外局發表」
アイケルバーガー第八軍司令官は二十六日關西震災の救援措置について次のように聲明した。
二十五日一万一千着の衣類を本州南部の英占領地區から四國の災害者に空輸した。
これは四國の軍政部高級將校ボーター大佐からの要請によつて日本の豫備救濟物資から放出された。英占領軍は空輸および驅逐艦によつて輸送している。


(8)震災地に醫療品
◎第八軍政部長ビースレー大佐談
「渉外局特別發表」
今回の大震災に關し第八軍政部長は二十三日次のように語つた。
大震災各施の軍政部からの報告を綜合すると事態はほぼ救護の見込みがついたが、十三組の醫療品を日本側の供給量の豫備として罹災地向け發送した。一組は十万の醫藥のない病人を一ヶ月間治療するに足るものだ。十組は二十二日朝横濱から神戸に向け送出した他の三組はLSTでおくり既に和歌山灣で待機している。


(9)海からの救援第一陣
英國驅逐艦は救援物資を満載して桂濱沖へ
震禍木縣への救護物資、衣料、食糧などを満載して呉港から急派された、英國驅逐艦アメフイスト號は二十七日午前九時すぎ高知港沖に到着し桂濱沖二哩の地点に錨を下した。なお同艦は徳島及和歌山の兩縣の分の荷下のため向うはずである。


(10)來たぞ!!救援物資が空輸で
英軍の"情"でぞくぞく到着
英濠軍の罹災地救護物資第一陣として十二月二十六日午前八時と午後一時半の二回にわたり双發の大型輸送機が日章飛行場に到着、洋服一千着、毛布一千枚が直ちにトラツク五台に満載され一路高知へ向け送られた。また京都第八軍からの救援物資、乳児用シヤツ、同毛布、タオル、ネル、乳ビン、石鹸などの日用品類も二十六日午後三時七分高知驛着、同様土佐高女講堂に納められたが、二十七日午後縣厚生課では高知軍政部と協議の上直ちに罹災者に配給される。

第二節 進駐軍關係建物の被害状況

日章兵舎、朝倉兵舎ともに相當の被害あるを以て應急復舊に全力を盡した。
その概要左の通りである。
特別建設關係(進駐軍設營工事關係)
一、被害状況
(一)日章兵舎關係
壁面三五〇〇坪剥離、棟屋根、煙突、窓ガラス等に相當の損害あり、配電設備破損し、トランス倒壊十三ヶ所、其の他相當の損害にて之に要する復舊費約一五〇万圓程度。
(二)朝倉兵舎關係
衛兵所全壊、兵舎一戸半壊、煙突全壊し屋根に相當の被害あり。
二、朝倉陸軍病院
前病棟(現在娯樂施設として使用)は屋根及壁全壊新病棟は被害輕微。之に要する復舊費一一五万圓程度。
三、應急措置
(一)兵舎關係
日章兵舎は清水組、朝倉兵舎は間組が二十二日より直に清掃に着手し二十五日完了せり。
(二)宿舎關係
二十一日災害直後市内有力建築業者を招集し直に應急復舊に着し二十四日迄に六戸復舊完了し二十八日完了豫定
一戸、二十一日完了豫定一戸にして全壊二戸は目下復舊に着手せず。
四、今後の對策
(一)兵舎關係
一月六日より日章兵舎清水組、朝倉兵舎間組が復舊に着手の豫定。
(二)宿舎關係
各業者をして一月二日より本格的復舊に着手の豫定にして復舊用資材は現在手配中にして左記の通り。

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復舊用資材

第九章 震災と財政の状况

由来本県は地勢上颱風の通路に當り、毎年のように風水害の被害を蒙り、全国有数の災害県として復舊費等のために要した借入金は累増の一途を辿り、この借入金の償還費がそれでなくとも貧しい縣財政をますます窮迫せしめた。更に戰災復舊費とインフレの兆候とともに財政の前途はいよいよその困難性を増大しつゝあつたのであるが、未曾有の震災によつて、莫大な復舊費を必要とするに至つた。この復舊費に要する縣費負擔は將來の縣財政に破滅的の重壓を加重したのである。縣としてはこの苦難を乗り越すべく各方面の協力を得て、鋭意政府の強力な助成を要請したのであるが、その間において關係者の努力はなみなみならないものがあつた。被害總額實に二十七億九千三百五十万圓にして復舊工事は當初の縣工事六億八千二百九十六万圓、市町村工事一億二千三百五十三万圓合計八億六百四十九萬圓の豫算を以て急速なる復舊作業に就いた。別項の震災對策事業費財源調に共に左の如き要望事項の理解實現に官民總力を結集して運動を續けた。


◎要望事項
一、罹災國有建物及國直轄工事の復舊を急速に實施せられたい。
二、地方費支辨に驕する土木、耕地、農、林、水産等の諸施設の應急費並復舊費は全額國庫補助とせられたい。
三、地方費支辨に属する罹災官公廳舎、學校等の修築改正等に對して全額又は最高度の補助を要請する。
四、公共團体に於て建築する罹災者用應急住宅に對して全額又は最高度の國庫補助を要請する。
五、國庫補助金は急速に決定せられ尚前渡の方法を講ぜられたい。
六、震災復舊起債に對しては、元利補給を要請する。
七、震災に基因する縣並に市町村の歳入減に對しては特別の措置を講ぜられたい。
八、農業會、水産業會、農器具工場等の復舊については五割乃至八割程度の國庫補助と低利資金融通の方途を講ぜられたい。
九、病院等の衛生施設に對しても右同様の描置を講ぜられたい。
一〇、震災復舊低利資金制度を新設して金融機關をして左記の程度の融資を圖られたい。又同程度の貯金の封鎖解除を要請する。
住宅建築資金として参萬圓程度
商工業復舊資金として参萬圓程度
次に主なる復舊費は次の通りである。

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震災對策事業費財源調
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震災對策事業費年度別財源調
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昭和二十二年度縣財政收支對照表

第十章 縣議會の對震善後措置

第一節 總説

定例縣會は十二月十日開會され十四日より夫々委員會付託となつて審議を續けて居るところ十二月二十一日に至り突如として未曾有の大地震の襲來をうけ議員中には住宅全壊或は半壊没水等の被害を蒙りつゝもなお一日も歸宅せずローソク議會の名の如くローソクの灯の下に熱心に職務を盡し、縣政の爲め遺憾なきを期した。
なお縣會は震災に對する處置について、縣當局が速に適當なる案を立てられた場合は、全幅の協力をなし縣民の不安のないように努めると別記の如き震災に關する決議をなしこれが態度を明確にした。
次に官民擧縣運動たる高知縣震災復興對策委員會の設置されるや、
縣會議員山本義孝
同田中喜代馬
同岡杜三省
同横川久衛
同藤川千万太
同片岡信滋
同橋本亀郎
同小松重喜
同貞廣虎吾
等を参加せしめ震災復興に關する重要事項の調査審議と對策の實施推進力となつて働いた。

第二節 震災議會の善後措置

所謂震災議會となつた。通常縣會は災害對策につき重大決意をなしこれに對處することを縣民に契い明日よりの奮起と云わず今日より協力と積極的活動に入つた。震災議會に於てなされた決議或は被害報告、更に西村知事の議會に對する協力方要請等は左の通りである。


一、震災に關すみ決議と食糧供出に關する決議
二、縣會に於ける西村知事の震災被害状況と協力方要請
三、小杉警察部長の縣會席上に於ける震災の被害状況報告の概要
四、久武教育民生部長の須崎方面の被害状況報告
五、香川縣よりの移入救援米につきその派遣使桝本内務部長よりの情報
六、片岡議長の閉會の辭と四村知專の挨拶の概要


一、震災に關する決議(其の一)
縣民各位は終戦後二ヶ年凡ゆる困舌と欠乏に堪えられ皇國再建の途上にありて今復た稀有の震災に會し、具に生死の苦難を甞む、被害甚大眞に酸鼻に堪えず。當縣會は罹災者に深甚の同情を表し且震災による死傷者の悲運を痛悼すると共に縣當局と協力し善後措置に万全を期し以て本縣の前途に光輝あらしめんことを期す、庶幾くは縣民一同再難に屈せず一段の奮起あらんことを希う。
一、震災對策豫算の決議を參事會に委任す。
一、震災救援運動の組織急速を要す、特に縣有林拂下げ、國有林拂下げ、其他復興資材の確保、配給に万全を期せられたし。
右決議す
昭和二十一年十二月二十三日
提出者高知縣會議員片岡信滋
同横川久衛
同橋本亀郎
同西村繁太郎同岡村三省
同尾崎治一
同田中喜代馬
同中城惇一郎
同山崎正辰
同山本義孝
同安田?三
同松本孝一
同藤川千万太
同小松重喜
同貞廣虎吾
同宮川左内
决議(食糧供出に關する)(其の二)
(一)食糧供出に付當局に最善を望む
理由


食糧事情の現状は眞に縣民の安危に關す、勿論一黨一派に委すべきにあらず、又官僚獨善や輕卒なる官權の發動を許さざるは明なり。
乍而情理を竭くし尚目的を達し得ざる場合最後の斷あるは政治の要諦とす常縣會は斷じて優柔不斷を排す。
縣は空しく現状供出の不成績を慎重に査察し善處されん事を望む。
右決議す
昭和二十一年十二月二十三日
高知縣會


二、縣會に於ける西村知事の震災被害状況報告と協力方要請
西村知事は十二月二十三日の縣議會の席上で今日までに判明せる縣下の震災被害状況を左の通り報告した後今後の復舊復興につき協力方を要請された。
此度の震災被害は連絡のつきますにつれ豫想外に甚大なことが分り、實に心痛に堪えぬ限りであります。殊に縣民諸君が戦災があり洵に御気毒であります。殊に中村町須崎町の被害は甚大であります。未だ安藝郡喜濱町以東の状況は判明致しませぬが、目下のところ判明したもののみで死者行方不明推定五百名、傷者三百五十七名、家屋の流失、焼矢、倒壊、三千二百六戸、半壊三千四百二十九戸、浸水三千二百二十三戸に及んで居ります。又状況不明の地方はどうなつて居るか、情報に至らず只々心配の限りです。此の外工場、船舶、農産物の被害もあると存じますし、又土木關係の被害も大きいものと想像されます。縣としましては震災直後直らに震災對策本部を設置すると共に連日關係者の會合を開き、緊密な連絡を圖り、或は縣係官を派遣する等、情報の蒐集に、治安確保、人心安定に、食糧確保配給に、救療に、日用品、寝具の配給等目下諸般の應急援護に努力して居ります。此の度の被害は獨り本縣のみならず他縣にも相當の被害があるようでありますが、無線並に香川縣を通じ直ちに中央に報告すると共に、軍政部にも受災状況の報告をなし援助を乞ふ等の方途を講じて居りますが。更に今後一層必要な各方面との連絡を圖り出來るだけの救援を乞い一日も早く復舊出來るように措置する考えであります。
此の際私が心配しているのは、食糧の配給の問題であります。本縣の米、甘藷の供出が芳しくない矢先でありますので、若しも被害に依る輸送の不圓滑からして万一にも救援及び一般の配給に事欠くことがありますれば、ひいては人心の不安動揺を來すことになりそれこそ大變なことであります。どうか此の際是非縣民相助け相救うという大きな縣民愛の下に、速かに供出を完了して頂き、復舊復興にいそしむことの出來ますよう幾重にも關係各位の特段の御協力を願つて巳まぬ次第であります。


三、小杉警察部長の縣會席上に於ける震災の被害状況報告
十二月二十一日午前四時十五分にありました地震の災害状況に付御報告申上げます。
この地震の震源地は高知の東南方二五〇キロの地点でありまして、最大の震幅が五〇ミリ以上、震度は強震、震動の種類は上下動が東南で聞違いました水平動で東南動になつております。只今まで午後二時まで(十二月二十三日)に判明しました被害状況は、印刷物を御廻ししましたようで、これまでの數字だけでありますので少くともこれ以上のこの數字以上の被害は生じておると見て差支えないと存じます。この印刷物の御説明を申し上げます。高知警察署管内に於て死者が相常多く出ております、一番多いのは中村署の管内殊に中村町に於て死者が相當出ております。家屋の倒壊は中村町が非常に多い見常で、これは中村町の全町の約八割位の家屋が倒壊しておるという状況であります。浸水の個所は高知市の下知方面、須崎町、高岡署管内の新宇佐町に於て家屋浸水が非常に多く出ております。最初状況が判明しませんので、高知市並に高知市以東の被害が多いと思つておつたのでありますが、調査の結果、高知市は勿論でありますが、幡多郡中村町の被害が相當多いのであります。從いまして大きな所は高知市、新宇佐町、須崎町、中村町といつた所が大きな被害を受けて居ります。東の方は室戸署管内に於きましてこの數字にありますような程度でございまして家屋が相當倒壊して居るという程度であります。道路の欠壊の數字は殆んど完全なものではございませんが、各道路に相當な欠壊或は土砂の崩潰などがあるようであります。尚具体的な被害の状況は充分調査して公表したいと考えております。
大變簡單でありますが被害の状況を御報告致します。


四、久武教育民生部長の須崎方面の被害状況報告
昨日(十二月二十二日震災の翌日)長官の命忙より須崎の方へ參りました。途中の道路は大体トラツクが通れるようになつて居ります。唯斗賀野の坂の所の石灰工場の附近に大きな亀裂が生じております。これを早く修理せぬと崩潰する惧れがあります。若し崩潰すると交通が杜絶して困るということが考えられます。
それからずうと參りまして吾桑國民學校の右手に見える坂を下りた所まで行きますと、もう一面泥水になつて居りまして潮が満ちて居りました爲、縣道が通行不可能になつて居りました。そこで學校の後の方から廻り道をしまして田の畦道を通つて道の切れた所はやつと小さな板をかけた所を渡つて多ノ郷へ着いたのであります。
多ノ郷邊り一帶は津浪のため全部水浸しになつたようで電線にまで藁がかかつているという状態で、私共が參りました時は丁度佳民が歸つて來て取り片づけをしている最中でありましたが、家の中は泥が一杯で又道路には大きな製材工場や造船所の木材が流れて來ていまして非常に困難を來して居ります。
昨日(二十二日)朝はまるで道路一杯に材木が散亂していたのをそれをやつと取り片づけたと申しておりました。
その状況は慘澹たる有様で住民が濡れた布團や着物などを乾して居りましたが、非常に氣の毒な感じがしました。それから直ちに須崎警察署に參り被害状況を聞いておりました所ヘ中村の情報が入りました。須崎と久禮との間の斷崖絶壁になつている所の道路の上から土砂が崩潰し通行不可能で交通の見込みは全然立たない。恐らく二、三ケ月はかゝるだろうとのことで、その旨長官まで報告致しました。それからいろいろと話を聞き、收容所になつております國民學校寺院に參りまして、長官代理としまして御見舞を申して來ました。然しながら案外に皆元氣でありまして怪我人も病人も收容所には居りませんでした。非常にこちらから參りましたことを喜んで居ました。それから病院へ參りました。三名ばかり相當重傷で、十五、六歳位の人が寝て居りました。こゝでも御見舞して參りました。さういう状況で被害を非常に蒙りましたのは多ノ郷一帶と、それと近接致します須崎町方面であります。然し須崎の浸水しない個所には案外倒潰家屋も少く、又はそのまゝ殘つているものもありまして意を強くした次第であります。それから新宇佐の方を見て來た人の話にょりますと、新宇佐の状態は須崎の比ではなく、四百戸も流失しており丸で何もなくなつているという感じがしたということです。宇佐の方は全部浪が持つていつてしまつたという話をして居りました。
こういう風に状況を見渡しますと非常に悪いのです。むしろ空襲の場合等疎開も出來ますが、今度は地震と津浪ですつかり持ち去られた罹災者が非常に多いと思います。この点全縣下に互る被害に對しましては一生懸命に救援しませんと大きな問題になるという感じを非常に痛切に受けました。


五、香川縣よりの移入救援米につきその派遣使桝本内務郡長よりの情報
西村知事は縣議會で香川縣よりの救援米につき左の通り報告した。
只今香川縣に派遣致しました、桝本内務部長から報告が參つた譯であります。高知から高松までの交通には支障ないとのことです。先般來香川に差當り依頼しました移入米四千石取り敢えず貨車積みで二十二、二十三の兩日後免着で發送することに決定致し一部はすでに出て居ります。全部鐡道便であります。残りの三十一車分も二十五日までに右同様列車で來ることになつて居ります。香川縣からは更に一万二千石を頂くことも香川縣知事の快諾を得まして決定したそうです。その中六千石は一部白米を以て月末か、年初に發送することになつております。どうかその点御心配のないよう縣民に御傳えを願うという電報でありました。特にこの点につきまして香川縣知事は非常に積極的熱意を示され協力してくれました。その他の物資につきましても、行政事務局等を通じ極力御援助を仰いでおる次第であ
ります。


六、片岡議長の閉會の辞と西村知事の挨拶(抜萃)
(1)片岡議長の閉會の辭
片岡議長の閉會の辭は力強く復興意慾を示している。
(前略)
終りに當りまして誠に悲慘な震災を受け、皆様には随分御迷惑された方もあると思いますが、一家を棄てられ當縣會の終了に御精勵せられましたことは當縣會の特筆大書すべき間題であると感謝致します。……(中略)……これよりこの震災に對する跡仕末、再難に對し沮喪しました縣民に元氣をつけて頂くことは同僚各位の責任であると考えます。この点に對しましては私は衷心より御願い申上げる次第であります。……(中略)……
尚震災に對する處置につきまして縣當局が適當な案を立てられました場合は當縣會は絶對に御協力申上げ縣民の不安のない様に努めたい考えであります。
(2)西村知事の挨拶
謹んで御挨拶申上げます。今回の縣會は高知縣政史上に於きまして恐らく劃期的な、いろいろの意味の事があつた譯であゆまして、特筆大書すべきは安政以來の大震災、然も高知縣が最も激震の地帶であつたことであります。縣會議員各位に於かれましても或は家屋が倒壊し、或は相當な被害を受けられ、或は遠隔の地のため御歸郷なすことも出來ず、然もその間に家を顧みられず縣政のために御働き下さつたことは知事としまして心から感謝に堪えない次第であります。今回私共の編成しました豫算につき御協賛を頂き、縣會で御取上げになりました意見書、決議等に基き私共は今後豫算を中心に實行して参ります場合に於きましては極力これらの條件を充分に尊重致し、且つは部下同僚を督勵しまして其の効果を擧げて行きたいと思います。特に震災は極めて激甚でありますため、その善後措置並に今後行わねばなりません各種の對策は相當に重要な事柄と思いますので私と致しましては部下各位、或は關係各位と相協力致し極力善處して行きたいと思います。どうか各位に於かれましても微力では御座いますが私共に御協力を頂きますと共に、年末御多忙、希望のある新春を御迎えあらんことを厚く祈ります次第であります。大變有難う御座いました。

第三節 復興に活躍する議員

震災直後の議員の活動については前に概記したが、その後復興途上においては、震害各地を慰問激勵或は調査に、罹災地を行脚した、また或るときは、縣側に對してよき助言者となり漸く今日の復興を見るに至つた。今後に殘された地盤沈下、隆起の問題や土木、耕地の恒久的復興間題等究明に努力を拂れている。積極的迫力を與えられつゝある議員の方々は次の通りである。

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復興途上活躍の縣議會議員(昭和二十四年七月現在)

第十一章 復興の經過

第一節 總説

高知市は再建すべきか否かの間題について、震災の直後巷間では種々の噂があり、後免町方面に移轉説さえも行われていた。人心の不安のなかに、それは高知市の土地の沈降説からであつたが、しかしながら復興意欲旺盛なる市民は愛市観念より希望と勇氣を燃して、浸水の防止に、堤防の嵩上げに、涙ぐましき努力を續け立派な防潮堤は建設されつゝある。
又縣下で最も被害激甚であつた中村町新宇佐町、須崎町、多ノ郷村等は一時は唖然として爲すことを知らず災害地に呆然と停んだのであつたがやがて各地よりの慰問の情や、郷土愛の復興への希望は燦として輝き始めた。

第二節 復興機關

震災直後高知縣震災復興對策本部及對策委員會は設置され又夫々專門部會では專門委員に於て研究討議されたものを具体的方策として各部課に移されて着々實行し來たが、復興はあらゆる困難な條件を克服して完成への途を一路邁進した。

第三節 復興事業計画及その經過

應急措置を施しつゝも一面直ちに復興復舊計画を樹て夏季出水期を眼前に控えて涙ぐましき努力は夜となく晝となく續けられた。
高知市は震害前より既に都市計画として街路河川の擴築、新鑿改修地域の設定其の他の事業に對しての計画を樹立し都市の繁榮と市民の福社増進の爲め着々その事業の進捗に努めているとき、戰災に次ぐ震災に遭遇して一朝の夢と化した。又郡部中村町、須崎町、多ノ郷村、新宇佐町、野根町、甲浦町の如きは最もその震害大であつたが區民の奮起によつて、その日より復興に着手したことは夫々述べられて居る如くである。
又政府も極力援助されて全縣下一切に再建の大事業に向つて着々その歩を進むるに至つた。


(一)土末關係の復興計画及その經過
震災土木施設の復舊については内務、運輸兩省の檢査を二十二年一月二十一日より二十九日の間に於て受け、こゝに完全に檢査を終了し總額八億余万円の豫算を確定したのである。道路については海岸方面の沈下せる道路に對し一米内外の嵩上を爲し、山聞部の道路に對しては原形復舊の計畫を樹立し實施中である。
橋梁に對しては同様惜置を講じている。
河川工事に對しては高知市附近の沈下せる國分川、其の他の河川に於てはその堤防馬踏二米乃至二米五○、洪水位抜水八〇糎の嵩上を全面的に計畫し本年六月十五日の竣功を目途として實施中である。
右の外須崎附近海岸堤、上の加江海岸堤、上の加江港も現在着工し工事進捗中である。全般の計畫は三ケ年繼續事業にして昭和二十三年三月末日完成の見込である。
進捗状況
昭和二十二年三月末日現在に於て道路十六%河川三十%海岸十%港灣二十%の進捗状况である。
なお昭和二十四年三月末日現在に於ては僅かの工事を殘して一應完成するに至つた。


(二)市町村關係公私立學校震災害復興事業實施計画


(三)高知市の復興經過
(1)建設部關係方面
昭和二十一年十二月二十一日未明突如南海道一帶を襲つた強震は、本市にも多大の損害を與えたのである。以下に被害地區をめぐつて本市が歩んだ再建への記録をひろげてみよう。
震災復興事業關係
(一)昭和二十一年十二月二十一日の震災に依る被害總額
内務省關係一二三、七一八、三五〇円
農林省關係六五、六七九、七九二円
の多きに達し應急工事費のみ概算にて一、五〇〇、〇〇〇円を要した。
(二)工事方法は莫大なる資材並に勞力を要し、機械力を極度に利用する外なきに依り直營施行は到底不能なるを以て震災復舊事業は以下全工事に對し請負制に依る縣下、縣外の有力者を以つて資材並に勞力の提進契約をなし工事遂行に萬全を期して居る。現在の請負者は間組、土佐土建、村上組、西川組、轟組、生野組、鐵道工業、運輸省建設部、藤本組、巴組、四國鑛業等である。
(三)現在復舊作業の達捗状況を擧ぐれば内務省關係に於て
(イ)道路の部工事費總額二、四〇八、一一五円也
被害箇所旭本宮町線外二十八ケ所
被害延長二、四八一米
工事着手箇所旭本宮町線外二十二ケ所、内竣工箇所旭本宮町線外十七ケ所
(ロ)橋梁の部工事費總額二、六九一、〇四七円也
被害箇所横田橋外十五ケ所
被害延長七、五〇八米
工事着手箇所七ケ所(横田橋外六ケ所)
内竣工箇所二ケ所(孕三業橋外一)
(ハ)堤防の部工事費總額一一八、六一九、一八八円也
被害箇所下田川支流介良川堤防外十六箇所の陷沒
被害延長一〇、九〇〇米
工事着手箇所九ヶ所
高知市の地盤低下は必然的堤防の嵩上げ強化を要求され嵩上平均一、二〇米幅員二倍となし、將來の防災に萬全を期せんが爲、計画實施せんとするものにして本省の査定も完了せるも何分工費に莫大なる經費を要するものなるに付十五箇所は協議査定を受くる事となり、現在鋭意本設計を作成中にして近く本省の査定を受くる豫定なるも状況は一日も忽に出來ざるに付緊急實施の必要ある箇所は目下工事に着手逐次工事進捗中である。
(四)農林省關係に付ては
(イ)堤塘復舊費三四八四〇、四〇〇円也
被害箇所十三ケ所
工事着手箇所五郎堤防外一ケ所
農林省關係の堤塘は耕地施設に屬するものにして、直接河川に面せず緊急施行の要も認められざるに依り巳むを得ざる二ヶ所のみ蒲手し、目下工專も進捗中にして他十一ヶ所は本事業費の本省指名確定により重要部門より逐次着工の豫定である。
(ロ)排水機設置費總工費一二、〇八五、〇〇〇円也
高知市内の耕地面積千余町歩は震災に依り浸水せるも現在浸水箇所三百町歩、併し高汐位ともなれば再び底地の浸水は必然的であるので排水機設置に依る旧畑の排水工事は早急に實施を要する。排水機は全部、縣常局の斡旋により、左記の通り發注濟、現在十三機は入荷、残機は五月中旬迄に入荷する豫定である。
(ハ)水門復舊工事費七、一八七、六九二圓也
被害水門箇所汐江建出水門外五十ケ所
工事賠手箇所十九ヶ所(下知正學院外)
震災に依る水門被害は莫大にして殆んど全水門は復舊を要し緊急施行を要する左記十九ヶ所は目下工事着手突貫工事を實施中である。
排水機設置工事並に水門復舊には設計材料のみにてセメント約一、五〇〇瓲を要し、現在本省より本市に對して六〇〇瓲を割當指令をなせるも當淺野セメントエ場は進駐軍の支配下にあり、割當は徒に空白のみにて目下軍政部に對し縣當局より震災事情を具申協力方を懇請中なるも見透しつかず、工事も停頓状態に落入りつつある状態にして耕作時季を目前に控え憂慮すべきものあり。
(二)農道、橋復舊工事費五一一、四六〇圓也
農道復舊長濱地區外七地區に對し、三〇〇、○〇〇圓の工事費を以つて逐次重要箇所より施行中。
橋梁復舊費は一九六、四六〇圓を以つて全面的に復舊工事に着手。
農道、橋は全部地元に於いて青任を以つて施行することになつている。


被害の主なるものは、以上あげたるものにして、目下全力を集中して復興作業にいそしんでいる次第である。
(2)教育文化方面
第一學校方面
震災後全市の小學校は一時休校の止むなきに立ち至つた。先に空襲の爲め受災した市内學校は未だ復舊の途上にあつて硝子戸なき塞空の下に教育を續け、しかもその一部は燒失せなかつた遠い學校へ分割委托された。不充分な教育は續けられたが、それでも教育は全然捨てることなく漸次校舎の復舊に努め當面の敷育には設備内容不充實ながら漸く校舎を得たので順次生徒は母校に復歸しつゝある現状である。
第二文化方面
(1)圖書館は戰災に罹り縣立海南學校の一部に借室して内容を整えつゝ一般の閲覧に供しているが、目下復興計画を樹立されその實現に努力を拂うている。一方郡部へは圖書館自動車を購入して農山漁村の文化向上に寄與されている。
(2)映画館方面は目腥しき復興振りで、戰災震災の被害を蒙りつゝも罹災前に勝る立派なものを建設して都心を賑し市民の娯樂に文化向上に貢献している。

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昭和二十一年地震に因る災害土木工事檢査總計表 縣工事
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昭和二十一年地震に因る災害土木工事檢査總計表 市町村工事
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(二)市町村關係公私立學校震災害復興事業實施計画
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排水機設置
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水門復舊工事

第十二章 映画『南海震災』全三巻を完成

當時の西村知事は『約百年後に再び起る災害に備えて』貴い体験を生したい念願から、後の世の人々のためにこの映画の撮影計画を樹てゝ東京の日本映画社に依嘱した。震災後生々しい激震の地の撮影は着手され翌年廿二年の二月まで續けられ、貴い記録映画三卷を完成した。夫々三本宛製作して一は永久保存用として、二は主管課に、三は一般用に、更にフイルムライブラリーでは十六ミリに複寫して機會ある毎に上映して、平素より常に備えるよう注意を喚起している。
今回縣議會事務局速記者濱平基喜氏とフイルムライブラリー岡林係長の御厚意によりトーキーを速記してその内容の一端をこゝに掲げることゝした。


映画『南海震災』の解説
−全三卷−
−約百年後に再び起る災害に備えて、この映画を製作した。−
−高知懸知事西村直已−
高岡郡須崎町の近く、淋しい路傍に、寳永の溺死碑が立つています。その昔、恐ろしい天災に襲われて大きな犠牲を拂つた者を、永久に忘れまいとして、この石碑が立てられました。ところが、やがてこの路傍の石碑が苔むして、顧みられなくなつたころ、またまた大きな禍いが起つてまいります。
記録によれば、最大震幅五〇ミリ以上、關東大地震以上、寳永安政地震に次ぐ大きな地震でありました。震源地は汐ノ岬の南方約十キロの地点、地震帶の活動によるもので、その被害は、西南部日本全地域にわたり、汎太平洋沿岸各地を襲う大きな被害でありました。中でも高知縣の被害は最大で、ほとんど全縣下にわたり、この災害を被りました。
この映画にあらわれました被害地の撮影は、災害當時から千九百四十七年二月にかけて行われたものであります。このような大きな被害、これらはまつたく避けえられないものであつたかどうか。われわれはもう一度、災害のあとを振りかえつて考えてみる必要があります。


◇高知市
高知市は、人口十四万あまり、街の大半は、戰災のために打ちひしがれていました。その上、今度の地震で、またひどい災害を受けたのであります。二日間にわたり、葛島ほか二つの堤防が決潰したために、海水が浸入、街から附近一帶の田んぼにかけて、一千町歩が海となりました。
決潰した葛島の堤防、ここから海水が街に浸入して、崩壊家屋の最も多かつた下知方面一帶は、一時は手の施しようもない慘状を呈しました。まわり中、海となつた街で、人々は引續き起る余震におびえながら、恐怖と寒さの中に、不安な數日を送つたのであります。地震地の人々にとつて、堤防の修理が一日も早く望まれましたが、工事はなかなかはかどらず、人々は水の中に、喜びのない新年を迎えたのであります。明けても暮れても水の中の生活は、災害の復舊に起ち上ろうとする人々の氣力を弱めました。結局、高知においては、直接地震そのものの被害よりも、堤防の決潰にょつて受けた被害の方が、はるかに大きかつたのであります。
鐵もコンクリートも軟弱になつていた文化ビルなどの燒けビルも、もろくも崩れ、犠牲者を出しましたが、このことは燒けビル生活者に對する警告ともなりましよう。
棧橋通りの道路の破壊、棧橋附近の亀裂や沈下、港警察署は地盤沈下により半壊、この裏の競馬場はまるで海、縣造船工場は全壊、その他の木材工場の多くは、いづれも被害を受けました。
一月十二日、堤防の應急修理は完成しました。排水ポンプは活動を始めました。そして一月の下旬、人々はようやく水の中から解放されました。
電車通りもようやく乾いた。いくらか明るい感じがおとづれました。しかし、浸水のあとはまだなまなましい。人々はまつたく打ちのめされた中から起ち上り、跡かたづけや復舊に急がしくなりました。


二月に入つて、ぼつぼつ新しい家が建ち始めました。しかし、配給の材木では量が少くて、家は建てられない。ヤミ資材によるヤミ建築があちこちに建つ。一方、當局の臨時應急住宅はやつと二月の初めになつて、七十戸の建築が始まりましたが、敷地難のために、溝や道路を利用している。これでも一戸公定で七千五百圓と言われております。しかし、これだけでは多くの罹災者を收容することは、到底できません。ヤミの買えない多くの人々は依然として寒いバラツクや收容所の生活を續けております。
しかも、高知市の人々にとつて大きな問題が殘されています。これは堤防の問題で、もともと海より低かつたのが今度の地震でさらに沈下したので、堤防はこの地區の人々にとつては、まさに生命線であります。しかも堤防の修理はあくまでも應急のもので、ほかの箇所もまたいたんでいるに違いありません。六月の雨季までに堤防が完全に直らなければ、また災害に見舞われるかもしれません。
數百町歩にわたる附近の田畑は、なお一面の海であります。海水につかつた作物は全部だめ、農家の損失は少くありません。しかも、排水がうまくゆかなければ、この春の植えつけも、うまくできません。農事試驗場では、海水の引いたあとの田畑の塩分含有量の調査を行つておりますが、塩分含有量を〇・三%以下にしなければ、收穫はまつたくないと言われます。この塩分を早く除くためには、田んぼを平畝よりも高畝にした方がいいと、言つております。


◇中村町
幡多郡中村町は、渡川と後川のデルタ地帶で、地盤軟溺のため、被害は縣下で最も大きく、一時は全滅と言われました。全家屋の九〇%約二千五百戸が損傷、そのうち百六十戸が燒失、死傷三千六百あまり、六千五百人の罹災者を出しました。以前は毎年洪水に襲われていたので、土台が既に腐つていたことも、被害を大きくした一原因とも言われております。下がつぶれて二階だけが殘つた家、土藏造りは地震に弱い。ただ一つ無事だつた鐵筋コンクリートの銀行、三階建が皆助かつたのは、鐵捧のスジカイが通つていたためで、災害に對する對策は重要であり、こうした教訓を忘れてはならない。幡多支廳をはじめ官公廳の被害も多く、國民學校も全壊しました。幸い地震が夜明け前であつたため、兒童に死傷はありませんでした。しかし、教室を失つた子供たちは、今寒空に野外で勉強を續けております。中學校も半壊しました。同じ條件でありながら建築に對震の配慮がなされていた女學校だけは、完全に殘りました。中村町の西の入口四万十川の鐵橋は、六つの橋ケタが川の中に落ちました。原因は、橋ケタの孤立と、連結部の不備と言われております。復舊には一年の日子と莫大な經費がかかると言われております。中村町をはさむ二つの川の堤防は、到るところ破壊しました。雨季をひかえて、この復舊工事は急がれております。


◇新宇佐町
かつおぶしの産地の新宇佐町は、地震よりも津浪によつて、大きな慘害を被りました。津浪はこの方向で三回にわたつて來襲、最高五メートルの高さだつたと言われ、街も、家も、田畑も、すべて洗い流しました。長さ三百メートルの堤防が崩れ、三百艘の漁船が流失、地盤の沈下一メートルあまり、田畑は全部砂濱となりました。家屋の被害は千三百戸、罹災者六千二百五十名、破れかけた家や土台の殘つている家は、當時の津浪の勢いを物語つております。
家を突つた人々は、ここでも應急バラツクで困難な生活を續けております。ところが、すぐ隣りの新居の部落は、安政の津浪の經験を活かして、丈夫な堤防を造つていたために、なんらの被害も受けませんでした。


◇須崎町
津浪はまず多ノ郷村を襲い、かえりに須崎を荒らしました。須崎では、家屋の被害千五百戸、船舶の損害四百八十艘、その他多くの損害を出しました。驛前は火災でやられました。津浪で中をすつかり洗われた家、棧橋附近の破壊百トンの新造船が二つに折れて乗り上げているさまは、當時の津浪のすごさを物語つております。


◇多ノ郷村
多ノ郷村を襲つた津浪は、山の麓まで達し、家、田畑、鐵道、建造物のすべてを破壊してしまいました。大きな船は當時押し流されたものであります。縣造船工場は、木つ葉微塵に破壊し、多くの木材は、附近の田畑に流し込まされ、この流失木材六千五百石、損害二千万円。鐵道線路の被害は甚大、レールは飴のごとく曲り、枕木は悉く押し流されました。この復舊は、晝夜兼行、地元の人々の應援を得て續けられましたが、しかも二ヵ月にわたる日月を要しました。このあたり地盤沈下一メートル、一面海となつたまん中に縣道が走つています。


◇宿毛町
堤防決潰による田畑の被害は各地にあり、幡多郡の穀倉宿毛町の林新田百九十町歩も今は海。


◇小筑紫村
小筑紫村でも、


◇大方町
大方町でも、田畑が海水に荒されました。


◇下田町
幡多郡の玄關下田港の被害も多く、薪炭、木材の輸送が停止しました。


◇甲浦町
東の縣境甲ノ浦町も、津浪により田畑を荒され、橋は流されました。


◇野根町
野根町ではず家屋の被害はなはだ多く、一部落中村は全滅しました。


◇佐喜ノ濱町
佐喜ノ濱港は、船だまりの被害と隆起のため、薪炭の輸送にも、漁船の出入にも、支障をきたしました。


◇十市村
地盤沈下のため、排水口のふさがつた例も多く、長岡郡十市村では、附近一帶の水田に植えつけの見通しがつかず、農民はこまつております。


◇東川村
安藝郡東川村の五町歩にわたる山崩れ、このため林道は破壊され、木材の輸送に困難を與えました。木材の國高知では、このような被害が非常に多かつたのであります。


◇室戸岬町
日本八景の一つ室戸岬は、大地震の度ごとに岩が多くなつて、美しさを増すと言われております。このことは地殻の變動を物語るものであります。岬の突端にある歐穴口、ここは大昔波に洗われていた所でありますが、現在そこから水ぎわまで二百五十メートル離れております。また室戸岬方面の海岸には到るところ階段状の砂濱が見られます。
この状態は、松林の附近で一線、中間に一線見えます。さらに松林の向うにも一つの段があります。これらは、寳永安政、そして今度の地震に際してあらわれた隆起の歴史を物語つています。今度の地震で、室戸岬は約一メートル三〇センチ隆起しました。打ち續くこの岩の白い所は、地震以前海中にあつた所で、一番浮き上つて黒い所が、かつての海岸の線であります。


◇清水町
同じ現象が、西南端足摺岬にも見られます。ここは約一メートル以上の隆起が見られております。結局今度の隆起は、東南端の室戸岬と西南端の足摺岬を結ぶ線に沿つて隆起したものであつて、この隆起したことは、一つの地質的構造の一端を示すものであります。新たに海上にあらわれた岩は、このように白くなつてあらわれております。足摺岬の北の清水港、ここは隆起三十六センチを示していました。


◇室戸町
港の隆起の著しい例は、室戸港にも見られます。ここでは約一メートル十センチの隆起で大きな漁船は出入できなくなりました。岸壁の黒い所が、以前海中にあつた部分で、内港にあつた積込みやドツクが使えなくなつたので、目下對策に苦心していますが、港の構築については、あらかじめ慎重な對策が必要であります。


◇地殼の變動
地震の調査活動は、現在のような施設状態では、もちろん十分ではありません。少くとも今度の高知縣の被害二十八億円の二十八分の一の費用を、これらの研究施設や活動にかけたとしたならば、被害を非常に少くすることができたはずだと、科學者は言つております。地震や津浪は、今度はまたどんな大きさで起つてくるかわかりません。だから、天災を豫測するだけに止まらず、あらかじめ天災に對應する防備施設を造ることが必要であります。毎年室戸台風に襲われる津呂では、強固な堤防を造り、端盤の上に直接家が建てられております。その上なおヒヂやスジカイなど、家を頑丈にする工夫がこらされていたので、被害はほとんどありませんでした。この實例を忘れてはなりません。われわれは、高知縣下のこの各災害を通じて、もう一度深く考えてみましよう。人女の生活を幸福にするために。天災は單なる禍いではありません。

第十三章 今次の地震、津浪に對する貴い

体験、教訓、避難心得
この度の地震と津浪は、全く不測の天災である、その發生が嚴寒暗黒の未明であつたため火災は起らなかつたが(中村町は相當甚大であつた)避難上にいろいろの遺憾な点があつた。實際上の經驗に基づき又地震研究者の言葉の参考になる事項を掲げたい。


(1)とつさの處置
最初の一瞬間に、非常の地震かどうかを判斷して、その時々の状態に應じて適切な案をたてる事、これには多少の地震に關する知識が必要である。若し最初から器物を倒したり壁を裂く程ならば大地震であろうし、又初めの振動がゆるやかならば、震源地の距離はやゝ遠くて、主要動(横波)となるまでにいくらかの時間の余裕があるが、若し初めから急な振動なら距離は近い、主要動は概して初めの振動(縱波)の十倍程度である。


(2)屋外の脱出
非常の地震であるとさとつた人は、おのずと屋外へのがれようとするであろう。數秒間のうちに廣場へ出られる見込があるならば、すばやく飛び出すのがよい。但し火の用心は忘れないこと。


(3)階下の危險
二階建、三階建の木造家屋では階上の方が却つて危險が少い。高層建物の上の方に居合わせた場合には屋外ヘ匙げる事を一時斷念しなければなるまい。


(4)屋内にての避難
屋内の一時避難の場所としては、丈夫な家具のそばがよい。學校の教室では机の下が最も安全である。木造家屋内では桁や梁の下を避ける事。又洋風の建物の内では、張壁や暖爐の煉瓦造煙突等の落ちて來そうな場所はさけて、止むを得ない時は出入口の枠の眞下に身を寄せること。


(5)屋外にての避難
屋外では、屋根瓦、壁が落ちるおそれのある區域や、石垣、煉瓦塀、煙突等が倒れてくるおそれのある場所等から遠ざかること、特に石燈籠のそばへよつてはいけない。


(6)津浪と山津浪との注意
海岸に於いては津浪がやつてくる場所を警戒すること。山間では崖崩れや山津浪(地震の爲に山崩れが起つて、崩れた泥が洪水の様に谷間を流れ出す現象)に注意を怠らないこと。
以上が地震避難の心得である。ところが、大地震があると大混亂がおきたり、あるいは大火事になつたりして、折角自分は地震の難を免れてもその直後に起る火災などの爲に、叉危險にぶつかつたり、國家社會全体の損害が大きくなつたりする。この震災を防ぐ心得を、やはり今村博士の言葉を拜借して次に書き立てゝみよう。


(7)須崎、多ノ郷、新宇佐の町村津浪の場合
逆流に注意せよ!!慾を棄てよ!!避難道路橋梁を完備せよ!
(イ)須崎驛前で澤山の犠牲者を出したのは、逃げおくれたことと、多ノ郷村方面に溜つた潮が激流となつ逆流して來ることをハツキリ知らなかつた結果である。
(ロ)新宇佐町に死傷者が僅か二名であつたことは慾をすてて一應高所の山手へ避難したをとと、津浪が來ると大聲で知らせたからでもある。
(ハ)新宇佐町の西端福島濱部落は寳永、安政の時後方を流れる川の橋が津浪の逆流に流失して部落民は全部溺死したが、今回は橋がコンクリート橋と石橋とであつた爲め死者は一名も無かつた。避難道路と橋梁は絶對必要を痛感する。


震災を防ぐ心得
(1)震災防止の第一着手對大地震にあたり、最初の一分間を無事ですごせたならば、最早や危險は去つたと考えてよろしい。餘震は恐れるに足らず。又地割れに吸い込まれる事は、少くとも我が國では絶對にない。老幼男女すベての人のすべての力をつくして、災害防止につとめるべきである。火災の防止をまつ先にし、人命救助をその次とする、この事こそが人命及財産の損失を最小限にとゞめる手段である。


(2)潰家からの發火
潰家からの發火は、地震直後にも起り、一−二時間の後にも起る。だから油斷してはいけない。


(3)火災防止
大地震の場合には、水道は斷水するものと覺悟し、すばやく貯水の用意をする事。又水を使わない消火法をも應用すること。


地震後の心得
次に今度は地震後の心得二ヶ條をかゝげる。


(1)餘震に對する處置
餘震はその最大なものでも、本地震の十分の一以下の勢力である。最初の大地震を無事にのがれた家は、たとい多少破損したり傾斜しても餘震に對しては安全であろう。但し地震がなくても壊れそうな程度にまで潰れた家は別である。


(2)家屋の應急修理
木造建の應急修理としては、支柱をそえて家の傾きを直し、仕口(木材と木材とのつぎ目)の損じた箇所は「かすがい」等の鐵物で補強をすること。地震の最中、直後及び後の心得をなるべく無駄な言葉をさけて要旨のみを集めたのが、(以上)(次の)心得集である。實際問題として、この心得が皆さんのお役に立つ事もあろうと信ずる。若し大地震がいつどこで起るという事がはつきり豫知出來るようになつたならば、震災に對する防禦も完全に出來るようになるだろう。しかし、地震を科學的に豫知するという事は、地震がどうして起るかという道筋が、はつきりわかつて初めて、出來る事柄である。殘念ながら現在の地震學はまだその域に逹していない様である。けれども地震豫知の出來るまでの道は、まだまだ遠いとは思わない、大勢の人の各方面からの研究が目的の域を圍んで、その直前まで進んでいると思う、皆が協力して、全力をあげて進むならば、私達の希望も遠からず遠成される事であろう。

第二編 災害

第一章 地震、火災、津浪及土地の隆起と沈下による被害状況

第一節 總説

昭和二十一年十二月二十一日の未明、午前四時十五分二十六秒、突如として大激震が起り、間もなく海岸線は津浪の襲來をうけ、更に各地に火災の發生を見たので、縣下一圓に未曾有の混亂と慘害とを生ぜしめたが、又土地の隆起と沈下による、浸水或は船の出入が困難となる等の被害も甚大であつた。
かくの如く地震に次ぐ津浪と火災と土地の隆起、沈下によつて一層災禍を大ならしめたのであつた。
この悲慘なる修羅場は實に安政大地震以來未曾有の事で、多年築きあげた幾多の文化産業施設は根底より破壊されたのであつた。
左表の内務省警保局調の南海大地震被害一覧表に示す處より見るも、如何に本縣下の震害が激甚であつたか首肯されるのであるが、なお本縣下の被害を總括したものは左の如くである。
また地震、津浪、土地の隆起と沈下について、東京大學の專門家の博士諸氏の學説により、記録上に多少の矛盾あることを發見するが、附録篇に集録した學術的記録により是正されるところもあることゝ思う。

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一、南海大地震被害一覧表(昭和二十一年十二月二十一日)内務省警保局公安第一課
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二、南海地震被害状況(高知縣下)
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三、郡市別震災状況調昭和二十一年十二月二十八日現在(高知縣下)

第二節 地震に依る被害状況

山間部は比較的地盤が固く、平地は概ね土砂で地質は軟弱である。殊に東は安藝郡野根町や、西は幡多郡中村町の如きは舊河道や冲積暦の上に常つているので被害が比較的激甚であつた。その他の町村においても局部的に或る部落や或る街が甚大な被害を蒙つている。
一、全壊四、八三四戸
二、半壊九、三四一戸
三、罹災者七一、一六二人
四、死者六七九人
五、傷者一、八三六人
の如き被害を蒙り海岸地方は、倒壊家屋が多く山部方面は、山崩れのため埋沒する等の被害を相當出した。被害状況の最も慘澹たるものは中村町である。木造建二階建は、二階のみを殘し階下は全部破壊されている。同地は數次の出水で腐朽した關係もあり、殆んど全滅といつてよい位倒壊した。高知市では、鐵筋コンクリート三階建文化ビルと四階建の中央食堂が、戰災で周圍が燒失して殘つていたが無慘に破碎され幾人も生埋となつた。又特に東西山部到る處山崖は崩壊し、道路も又崩壊して交通は全く杜絶して、各町村の連絡を切斷したので多大の不便を來したのであつた。

第三節 火災による被害状況

火災はまだ夜明け前であつて、火氣を用いた家庭は僅少であつたので、比較的火災の發生は少かつた。ただ、特殊な湯屋とか自動車用油類とか、木炭自動車用木炭火等よりするものと、火燵の殘火があつた家庭から發した等の原因から、縣下各地に火災の被害を見たのであるが然し火災による被害は悲慘であつた。なお火災による被害は左の如くである。

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火災による被害表

第四節 津浪による被害状況

今回の大地震後の漂浪は安政の時より襲來が早かつたといわれている。
『意外に早かつた』ということは學理上からそのようなことは根據の無いことであるといわれているが、各地海岸地方の津浪は早かつた。その確實な測定はなされていなかつたので殘念である。被害の最も大なものは新宇佐町、須崎町、多ノ郷村、伊豆田村、甲浦町をあげることが出來ると思う。
◎須崎町の碑(抄)
搖り出すや否や浪の入るにも非ず少しの間はあるものなれば、ゆり様を見計ひ食物、衣類等の用意して石の落ちざる高所を撰びて遁るべし云々
◎新宇佐町の碑(抄)
後代の變に逢ふ人必ず用意なくとも、早くの山平なる傍に岩なき所を擇びて迯よかし且流失の家杜衣服等を拾ひ得し人暫時の内福に似たれども間もなく流行の悪病に染み悉皆なくなりしを眼前見聞したると告げ残し云々この二の碑の遺つている須崎町と新宇佐町が最も甚大な被害を蒙つた。
新宇佐町は言傳えにある通り何の用意なく北へ避難して死傷は無かつたが、須崎町は逃げ後れと逆流して來た激流のため驛前附近で澤山の死者を出したことは、後々の人はよく注意せなければならない事である。なお津浪による全縣下の被害は左の通りである。
1、津浪による全縣下の被害状況
(一)、流失家屋五六六戸
(二)、浸水家屋五、六〇八戸
(三)、浸水田畑三、〇三〇町歩
(四)、流失船舶八一六艘
(五)、死者六七九人(地震を含む)
(六)、傷者一、八三六人(〃)

第五節 土地の隆起と沈下に依る被害状況

土佐灣に面した海岸線で東端の室戸岬、西端の足摺岬は隆起して室戸港、室戸岬港、清水港等も船の出入に支障を生ぜしめたものもあつた。
高知市及その附近の沈下は甚しく浸水の爲め住家、田畑等相當大なる被害を蒙つた。その他の地方でも沈下によつて浸水して田畑の作物に大なる被害を與えている。

第二章 建物被害状況

第一節 罹災戸數(昭和二十一年十二月三十日現在)

罹災戸數は二三、〇九九戸であつて、内全壊したもの五、四一八戸、半壊したもの九、九〇六戸、浸水したもの七、○一三戸、全燒したもの一九六戸。

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各郡市別被害戸數(昭和二十一年十二月二十八日現在)

第二節 被害建物

被害建物は全壊、流矢によるものが被害大であつて半壊、浸衣に依るものが比較的復舊速かであつた。燒失家屋はその痛手の最悪のものであつた。今被害建物の用途別につき其の被害状况を示すと別記の通りである。
被害建物(用途別)
一、住宅=一一、九七七戸(普通住宅、共同住宅、農家、開拓者住宅等)
二、併用住宅=二、四〇六戸(店舖、工場、事務所等と一緒になつた住宅)
三、非住宅=四、四四五戸(工場、學校、公共建物等住宅外の建物)
計一八、二八二戸

第三章 人的被害状況

第一節 罹災人口

災害當時の状態に於て精確を期した、その罹災人口は郡市別に左の通りである。

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◎郡市別罹災人口調(十一万二十八日現在)

第二節 死傷者及行方不明者

死傷者行方不明者數は正確なる數を掲げたが行方不明者中には今日では死亡者として加えてよいものもある。又負傷者の如きは特に療養を受けたもの以外は全く不明で此の數宇には現われていないのである。

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死傷者及行方不明者(十二月二十八日現在)

第四章 農林、水産關係被害状況とその措置

第一節 農産阻係

(一)農作物
第一、被害の状況
全縣下の海岸線は、一帶に亘つて農耕地は、津浪の襲來をうけ又山部地區は石垣、田畑の崩壊等によりその被害は甚大であつた。
當時順調に生育中であつた麥及蔬菜数も相當大なる被害をうけたがその状況は左の通りである。
(1)農作物の被害調
第二、應急措置
當局に於ては農事試驗場其他關係方面と協力して左記事項に關し直ちに指導した。
1、浸水地に對しては極力排水を圖ること。
2、浸水により恢復の見込なき麥は、浸水せざる田畑の麥を間引き移穂又は播直しをすること。
3、浸水長期に至れる圃地は、耕地したる後移植又は播直しをすること。
4、浸水の程度輕微にして恢復の見込あるものは追肥を施すこと。


(二)肥料
一、被害状況
海岸地方に於ける縣農業會及市町村農業會倉庫叉は農家保管中の統制肥料は津浪の爲流失浸水した外、堆厩肥及其他の自給肥料も亦流失し、其の數量は大体左の如くである。
◇肥料震害調
二、應急措置
現下食糧事情窮迫の折柄、被害地の復舊並に農作物の増産施設の強力實施は焦眉の急務であるので浸水せる農作物の追肥用として、止りあえず三万貫を本省に要望し、尚お追肥増配の必要があるので本省に對し肥料の特配を申請すると共に農家に自給肥料の増産を督勵した。

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第一表 總括表
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第二表 麥の被害
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第三表 蔬菜の被害
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第四表 其他農作物の被害
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第五表 貯藏種子の被害表
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第六表 被害激甚地に對する代作物作付計画
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第七表潮入田面積表

第二節 家畜關係

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一、被害状況

第三節 蚕糸關係

震害が養蚕時期でないので直接の被害は無かつたが各種施設に相常被害を蒙つた。その主なる工場會社等は左の通りである。
一、被害状況
(一)高知縣繭檢定所建物は相當の被害を受けたが、使用に堪えるも、汽罐のパイプ類が破損し而も修理を依頼すべき工場も震災に遭うたので操業の開始には約一ヶ月を要する見込である。
(二)高知市内片倉製糸工場が全壊九棟、半壊一○棟で、内使用不可能三棟、乾燥機三台、繰絲機六○台、生糸五○貫の損害を受けた。
(三)郡是製絲株式會社工場は半壊一棟、乾燥機四台、ボイラー、生糸七貫に被害を受けた。
(四)藤村製絲株式會社は繰絲機一〇八台、揚返機八台、乾燥機パイプに夫々被害を受けた。


二、應急措置
各製絲工場共應急修理を急いではいるが、震災前に復歸操業するには約二ヶ月を要する見込である。


三、復舊用資材所要數量

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(一)縣有建物
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(二)製糸工場

第四節 耕地關係

一、被害状況
耕地關係の被害は縣下全域に互り、とりわけ海岸低地帶は津浪に依る被害極めて激烈で耕地、公共施設の被害額實に一億八千八十五万百九十圓の巨額に達し堤塘、護岸等の決潰に依り海水の耕地に浸入せるもの夥しく、高知市附近にても實に八百町歩に達したのである。概要左の通り。
(一)耕地田一四、三四五反
畑三、八一二反
畦畔六、八二九反
計二四、九八六反
(二)公共施設
農道二三、七一〇間
水道二六、八七九間
護岸一八、一八二間


二、應急對策
幸に非灌漑時期であるけれども、麥發芽後の最も重要なる時期であるから、極力耕地への浸水防止の爲に假工事を實施し排水機を利用して排水に努め、溜池、堤塘等の亀裂を生じたるものに對しては、決潰を憂慮して、減水せしめる等の應急措置を講じつゝある。概要左の通り


三、復舊對策
現下の状勢よりして恒久的安全性を望むは至難にして、稻作植付期迄には特殊なものを除き大体の復舊を完了する目途の許に、諸般の對策を進めて居るのであるが、特に海水の浸入せる耕地に對しては、全面的に客土工事を實施し地盤の沈下を傳えられて居る地域には、大規模の排水機を設置する等遺憾なきを期しつゝある。概要左の通り。

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工種別被害調
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應急費
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復舊費
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復舊資材表

第五節 林産關係

一、林道(國有林に就ては、別項において述べることとする)
(一)被害状況
震災に依る林道被害状況は、既設林道の亀裂欠壊、石垣の崩壊橋梁の破損及貯木場の護岸崩壊、及高潮により盛土の流失等其の被害極めて甚大な状態である。
林道貯木場被害見込額
(イ)林道被害路線數一八〇路線
被害延長二一、○〇〇米
被害額二、○〇〇、〇〇〇圓
復舊額二、○○○、〇〇〇圓
(ロ)貯木場被害箇所二ケ所
被害面積四五〇平方米
被害額三〇〇、〇〇〇圓
復舊額三〇〇、○○○圓
(二)應急措置
目下被害額は詳細調査中で、判明せざる小林産物の搬出上急速に復舊を要する箇所については、縣は指導督勵を加え復舊につとめておる。
(三)今後の對策
縣は之が復舊費として國庫助成を申請し復舊完成をすべく手續中であり、左記のものを應急必要資材とするものである。


二、薪炭
(一)被害状況
縣下全地域に亘り就中幡多方面最も甚だしく、山間生産施設である炭窯作業道の崩壊は普及施設數の過半數に及ぶ見込であり、海岸地に於ける木炭倉庫の倒壊津浪に依る流失、集積薪炭の流失浸水等現在迄に判明せるもの及此により推定せるものを合せ左表の通りである。特に冬山増産増送運動本格化せる際とて、影響する所眞に甚大である。
(二)應急措置
生産施設である炭窯作業道の復舊は勿論緊急であるが、これには最小限一ヶ月を要し、從て此の間の生産は一時中斷されるから、山元、中間地に現存する在荷量木炭約二四万俵、薪七〇万束を急速搬出につき全力を傾注している。罹災者救恤用其の他緊急用として木炭一五○瓲も右の内より逐次確保し充用なしつゝある。又木炭倉庫については差當り雨雪防止の措置を講ぜしめている。
(三)今後の對策
一、浸水木炭の早急手當
集荷地倉庫又は集積地の浸水木炭は、萬難を排して乾燥に努める。
2、生産出荷施設の復舊
炭窯作業道の復舊のため此の間可能の範圍に於て必要物資を特配するなどの施策を講じ速急修理を督勵するものである。
3、木炭倉庫の復舊については差當りバラツク建を以て急造復舊せしめるものであり之等の所要資材は別表の通である。


薪笈關係所要費材
イ、地下足袋一〇、〇〇〇足
ロ、作業衣一〇、○○○着
ハ、炭窯緊急復興並出荷食糧六、〇〇〇石(延一八〇、○○○人分)
ニ、ガソリン三〇、○○○立
ホ、貨物自動車用タイヤーチユーブ一五〇台分
へ、小出用リヤカータイヤチユーブ一、〇〇〇台分
ト、牛馬飼料延二〇、〇〇〇日分
チ、機帆船重油二〇、○○○立
リ、木炭倉庫復興用釘一五〇樽セメント二、五〇〇袋


三、木材
(一)被害状況
木縣は地理的事情に依り製材工場が大部分高知市及海岸地帶に設置せられてあるから、今回の震災は高浪を伴うた關係上、高知市一帶及主として東面又は東南面せる海岸一帶に被害を受け工場の流失倒壊、木材の流失意外に多く被害甚大である。
(二)應急措置
1、製材工場被害に對する應急處置
目下詳細調査中であり十二月二十八日迄に判明せる工場に對しては、檢査員をして緊密なる連絡と調査に依り應急必要物資の補給を迅速にする一方、損害輕微なる工場は電力の復活と共に全力を擧げて操業を開始して震災復興用及び供出に万全を期する。
尚復興用材の緊急性に鑑み、業者の手持材確保を圖る爲左記の如き切符制度により、應急配給を實施しておる。
イ、震災を受けたる者に對しては當分の間應急處置を以て之が木材を配給するものとし、三十石以上ぱ本廳に於て三十石未満は、縣林務課又は幡多支廳、各地方事務所に於て行う。而して配給方法は罹災者より復舊用材の申出ありたる時は町村長の証明書添付の者に限り購人切符を發行し、高知市内のものに付ては市長の震災証明書添付あるものに限り配給せしめることゝした。
ロ、一戸常五石未満の應急修理用材については、幡多支廳又は地方事務所の管轄區域は支廳長又は地方事務所長發行の購入切符に依り配給せしめ、遠隔の地甌は用材檢査員に之を取扱わしめ、高知市にあつては、本廳林務課若は林務課出張員の發行切符に依り配給せしめるものとした。
2、流失木材に對する應急處置
集材可能なるものは目下集材中であり、檢査員を擧げて各工場と連絡をとり盗材の防止に努めておる。
(三)今後の對策
1、被害工場の復舊に對しては資金の借入を行い早急に操業する様努力する。
2、流失木材については筏組人夫及各機帆船を動員して流矢材の確保に努めると共に、山元並に中間工場在荷のものを搬出する様終勵する。
3、現物確保につき特に縣外密移出者に對しては、各關係者と連絡を密にして嚴重取締る。
4、復舊資材については、各關係所と連絡をとり現物確保に努力する。
5、尚之が復舊に要する資材は左記の通り。


作業衣袴一〇、○〇〇着
地下足袋一〇、〇〇〇足
手袋三、〇〇〇組
食糧四五〇石
其の他
セメント二、○○○噸
釘四、○○○貫
丸鋸二〇〇個
帶鋸二〇〇〇尺
ベルト二〇〇〇尺
トランス三〇個
ガソリン三〇、○○○立


四、荒廢林地並防潮林
(一)被害状況
震動は激烈を極めたため、林野は各方面に崩壊地の新發生をみ、既生崩壊面も擴大するばかりでなく既設地は勿論工事施行中の工作物は破壊せられるなど被害は莫大である。
又地震によつて發生した津浪は海岸線一帶に襲來し震動にょつて弱體化した根止工は破壊せられ長年月愛育してき.た松林は一朝にしてさらわれ、土佐東中部海岸の防潮林は殆ど全滅し、西部海岸地帶も又甚大な打撃を蒙つた模檬であり、且本年度新設防潮林造成事業用セメント小屋及型板等の流失によつて得難き資材を失いその被害は激甚を極めているが、現在迄の被害概數は次の通りである。
(二)應急處置
被害状況の詳細につき調査を促進すると共に特に被害の状況にょりては應急修理をなしつゝある。
(三)今後の對策
被害状況は前表の通りであつて、現下の治山治水の觀点からして、速かに之が復舊にかゝる方針である。早速復舊計画を樹立しつゝあるも、特に急速復舊を要する被害程度の大なるものには此の際國庫の助成を仰ぎ、之が復舊をなすべく指導中である。
尚之が復舊に要する資材等は左表の通りである。


五、特殊林産物(竹材、杉檜皮)
(一)被害状況
杉檜皮流失五、〇〇〇坪竹材流失二、〇〇〇束
價額六五、○○○円價格四〇、○○○円
(二)應急措置
一般用を一時停止し復舊用として山元、中間在荷品を震災地に輸送なし、市町村長の震災証明書添付の申請書に高知縣森林組合聯合會をして配給なさしめつゝある。現在數量八万五千七百坪。
(三)今後の甥策
杉檜皮は今後季節的に生産不能なるため増産見込なきにつき、現在品の輸送確保を期すものであるが、之が輸送用として左記の資材を必要とする。
ガソリン二、〇〇〇立
オイル一、〇〇〇立

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應急必要資材
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薪炭關係被害状況
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1製材所の被害
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2在庫品の損失
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被害概數
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復舊に要する資材等

第六節 水産關係

本縣の海岸線は九十九洋の名にそむかず相當長きに亘つておる關係上、各種の漁業施設や漁船、漁具等は未明の津浪襲來で甚大なる被害をうけ、又土地の變動で港灣等にも甚大なる被害があつた。


一、被害状況
今回の震災に依る漁業關係損傷中その大要左の通りである。
(一)設備の損失
1、漁船一、八二〇隻
(イ)流失九四二隻
(ロ)破損八七八隻
2、漁網
(イ)流失三四〇統
(ロ)破損三〇○統
3、釣及延縄
(イ)流失一、二五〇
(ロ)破損三〇〇
4、漁業用設備
(イ)漁業用建物(倉庫事務所等を含む)五七
(ロ)船溜船揚場一〇
(ハ)冷藏庫七
(二)在庫資材及製造場等の被害
1、在庫資材
マニラロープ三四〇丸
藁工品二〇萬貫
染料一、〇〇〇貫
重油その他三、二〇〇罐
2、製造場等
(イ)鰹節製造所一ケ所
(ロ)水産物加工場八○ケ所


二、應急措置
高知縣水産業會の在庫品を適當に放出し、流失の漁具漁網等の補充に充てしめつつある。
現在把握しある物資資材の量は(高知縣水産業會在庫品)
綿糸一、〇〇〇貫、綿綱六〇〇貫、トワイン七〇〇封度、ロープ五、五〇〇封度。
繊維製品
作業服三、〇〇〇着防暑服三〇〇着白ズボン三〇〇着白麻ズボン一、二〇〇着シヤツ八二〇着メリャ
スセーター五〇〇着手拭九、九〇〇本軍足九〇〇双九紡紺織五〇〇反帆布二〇反。
ゴム製品
長靴一、二〇〇足深靴二七〇足地下足袋二、〇〇〇足染料四〇〇罐釘一五〇樽重油四八九竏。


三、今後の對策
應急處置として前記高知縣水産業會の保有物資を單位漁業會に配分し、尚不足の向に對しては縣外より移入すベく目下手配中なるが、尚復舊資金に付ては、中央の全幅的補助を仰ぐと共に特別の金融措置を得んとしておる。

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四、震災被害調査表
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五、復舊工事箇所一覧表
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六、漁業關係復舊に要する資材調

第五章 商工鑛業關係被害状況及緊急對策

一、被害状況
(1)商工業關係
被害は特に商工業地區である高知市附近、中村町、須崎町、新宇佐町、甲浦町、野根町、宿毛町、清水町等の海岸地帶全域が最も甚大であつた。
縣下一般工場數は四五〇工場あり、製材工場の七一一工場を合せて一、一六一工場中半數の五〇九工場が被害をうけ、その損害額は約二七、九九八、○○○圓であつた。
交通運輸會社、土建業、特殊會社、自給製塩場、一般商業等の被害は約三四、六五六、○〇〇圓で商工業の被害總額は實に六二、六五四、〇〇〇圓に達している。
(2)鑛業關係
山間地區であるため被害怯極く輕微であつたのは幸であつた。


二、應急對策
官民合同で商工鑛業専門委員會を設置し應急對策、復興對策を協議−復興に要する資材及資金の獲得等につきては中央の各省に折衝を重ねた。
浸水地域の機械の措置等につきては、油類の獲得に奔走し應急對策に萬全を期した。中央からの割當資材は少く資材の入手が非常に困難であつたが、凡ゆる手段を講じ自力による復興の指導をなすと共に全面的な復興をさけ、一部操業をなしつゝ徐々に復興する様措置をした。特に復興資材生産工場に對しては直ちに操業を開始する様努力した。
震災直後の甚大なる被害状況から見れば復興は豫想外早いものと思われる。
四月十日現在、全工場、事業場は操業を開始して居り、五〇%以上の被害を受げた工場は六二工場あつたが、復興が遅れて居る工場でも操業しつゝあり四〇%の復興を見て居る現状である。資材の入手状況が圓滑に運ぶなれば今後五ヶ月乃至六ヶ月すれば地震直前の状況までには復興出來得るものと思料されるが資材の割當が少く入手が困難なので復興には相當の創意と努力が必要と思われる。

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◎商、工、鑛業其の他の被害状況調

第六章 土木關係被害状況及應急措置

第一節 總説

一、震害土木施設の一般状況
本縣は震源地に最も近接しておったためその全縣に蒙れる震災被害は、未曾有のものであつて土木課管轄の縣下土木施設の被害は別表検査総括表の通り極めて廣範囲に亘り、且つその復舊費八億余圓の尨大なる予算に上つたのである。先づ道路について見るに山間部に於ては、欠壊、崩土等、海岸地帯は陥没、津浪襲來に因る流亡等で交通杜絶及浸水地帯と化したのである。橋梁は橋台の欠壊、橋脚の亀裂、橋体の大破及海岸に近接せるもの津波のため流失等の被害があつた。
河川に於ては、主要河川は全面的に堤体亀裂を生じ尚強震に因震り沈下し、加之海岸に近接せる大河の下流部に於ては強烈なる潮の襲來に依つて堤防欠壊し、爲に海水は住宅地帯、米作地帯に奔流し、一瞬に收拾のつかぬ惨状を呈した。特に高知市東部幹流國分川の堤防欠壊は極めて惨烈で、浸水は数百町歩の廣範囲及び、一目廣茫たる大海と變じた。
港灣は高知港、室津港、其の他縣下主要港灣は殆んど破壊した。


二、應急復舊の状況
道路に對しては急速に棧道架設、崩土取除等の手段を以て一般交通杜絶を復舊した。橋梁に對しては假橋等の方法に依り同じく交通開始に盡力した。
幡多郡中村町地内四万十川鐵橋は墜落し之の復舊に對しては、取り敢ず假橋の架設及び渡船を以て一般女通の便に供した。
河川工事に就ては主要河川の危險の虞ある箇所につき、全面的に危險除去の應急復舊の工事を爲した。又高知市東部幹流國分川の堤防欠壊に對しては事態の重大性に鑑み之を短時日に完成すべく、破堤箇所の締切工事を目途として官民全力を盡し晝夜を分たず奮勵努力して遂に之を旬日の間に完成したのである。即ち欠壊を締切り直ちにポンプ數臺を以て排水を爲し電車道路の浸水を除去し交通開始を爲し併せて市街地の浸水家屋、數十町歩に及ぶ浸水田地の排水に全力を傾注し之を平常に復せしめたのである。

第二節 道路、橋梁關係被害及應急措置

(一)被害状況
道路一、四七ニヶ所八二、二〇〇、○〇〇圓
橋梁九四ヶ所一七、九八〇,〇〇〇圓
(二)應急措置
道路の崩土、欠所等の被害については、支廳土木課、並に各土木出張所をして、地元常務者及一部請負人を使用して棧道架設、盛土等の緊急工法により人馬、荷馬車、自動車等の交通に支障なからしめた。
橋梁の破損せる箇所に對しては、各土木出張所にて請負人に命じ、應急的の假橋を施工し、自動車の交通を可能ならしめた。又幡多郡中村町地内四万十川鐵橋墜落は川巾が特に廣く、之が復舊は蓋し大事業である。之に付ては不取敢、河川洪水敷に假道を作り、一時渡船を以て、人馬等の交通を圖つている。
(三)今後の對策
震災を受けた道路、橋梁に關しては、重要なる路線より重点的に本復舊工事を實施する豫定である。勞力については縣内の有力なる請負人を選定指命し、或いは地元請負人(失業者)を優先的に雇傭し就勞させむ。
資材については、木材の集結は、さ程困難は覺えざるも、鐵材、セメントについては、入手困難につき、主務省に對し、之が急速配給方を懇請の豫定である。

第三節 河川被害状況及應急措置

(一)被害状況
河川一八〇ケ所八七、一五〇、〇〇〇圓
(二)應急措置
高知市内國分川堤防欠壊については、高知市内雇傭人夫、學生、請負人等の多數勞力に依つて、空俵、土嚢等を積上げ、海水の滿干を利して急速堤体の復舊に全力を傾注して、高知市内東部の浸水を敏速に吐出すべく努力中である。其他河川堤体の亀裂に關しても應急工法を實施した。
(三)今後の對策
國分川堤防は六粁の長きに亘り欠壊したが、之に付ては、堤防の嵩上等の根本的工法に依り、堤体を補強し、本復舊をなすものである。其他各河川堤体亀裂についても補強工作を根本的に實施する。

第四節 港灣の被害及應急措置

(一)被害状況
港灣
主として甲ノ浦港、室津港、高知港、須崎港で、尚此の他にも相當の被害があると思われるが、未だ正確な情報を得ていない。判明せる被害中の主なるものは、岸壁、防波堤、護岸、物揚場等の崩壊、亀裂及び後万埋立の陷沒等であり此の復舊費は、目下の處のみで三四、〇〇〇千圓位と思われるが、詳細なる調査の結果は何の位増額するか判明しない。
(二)應急措置
須崎港、高知捲については、被害の少い岸壁、棧橋の活用に資せしむる爲、盛土をなし、假橋、假道の架設を實施して、荷役運搬其の他に支障なからしめた。尚其他、被害を受けた港灣に對しても、同様措置を講じた。
(三)今後の對策
港灣今後の對策に關しては、各被害を受けた港灣の實情を急速に調査把握し、取りあえず接岸設備の復舊に主力を注ぐと共に、根本的復興を計畫實施する豫定である。

第五節 高知市東部及南部浸水に對する縣の採つた緊急措置

高知市の國分川は襲來する高潮のため堤防決潰たちまち大海原になつた。特に高知市東蔀は戰災で燒殘つた市街地である爲め、此の浸水地域の區民は大擧して縣廳に押し寄せその措置について迫ったが、一時は資材と労力に悩み手の下しようもなく焦慮の十數日を送つた。
警察署や警防團も第一線に活躍した技術的に何ともん致し方なかつたので県土木方面に移した。今茲に葛島堤防切所について特に當時模様を述べて見たい。
なお高知市南部の潮江新田方面の浸水についても、區民は、速に減水措置をとるよう押し寄せたが、下知方面と共に縣は最善の努力を拂つた。


葛島堤防切所についての震災對策
一、發生よりの經過
十二月二十一日四時十五分の強震により堤防に大亀裂を生じ法面崩壊せし時、間もなく襲來せる高潮(普通潮位より一、八米増高)は沈下せる堤防上を溢流せしため破堤せり。同所よりの海水侵入により高知市東部市街地の浸水深は平均二米に達せり。而して地震直後の高潮の事とて破堤を防止する應急的手段を取る時聞的余裕なし。
二、措置
破堤の報に接し直ちに高知警察署及土木出張所と連絡し午前七時現場に急行せり。其の結果現場に通ずる葛島橋以西縣道浸水により交通不能なるを發見し資材運搬に必要なる換道として寳永町より農人町、若松町を經て現場に至る道路上に横たわる倒壊家屋を取除き切所の實地踏査をなし計畫の樹立及應舊復舊資材及勞力の手配をなせり。
三、計畫の大要と進捗状況
切所は延長四〇米深さ干潮面で上流部約二、五米下流部約六、○米にして此の締切工事として下部に捨石を施し其の上部に木工沈床(重石として港灣用コンクリートブロツク)を干潮面以上施工し、干滿による潮汐の激流を一應遮斷し尚本工事は捨石工なるにより漏水は免れざるを以て、其の前方(川側)に満潮面に達する杭打工を二列乃至三列に一米間隔に施工其の中に土嚢を充實するものとす。(口繪寫眞參照)
尚工事は急速を要するを以て到底直營工事のみにては至難なるにつき市内請負人間組に假締切工の杭打、土佐土建工業株式會社に捨石採取運搬捨込、堀川組に「コンクリートブロツク」運搬並に捻込と分擔作業することゝし、工事の進捗を計れり而して目下施工中のものは捨石工、杭打工、土嚢製作、木工沈床製作其他各種資材勞力の蒐集等着々進捗を見つゝあり工事完了は本月三十日の豫定なり。
四、本計画實施せし場合他に及ぼす影響
本計画實施後に於ては、上下流堤防護岸其他に及ぼす悪影響なきものと認む。尚現在堤内地に湛水せる廣大なる市街地の排水方法は、現在の切所を閉塞干潮時に際し三箇所の樋門の開きて排水し、満潮に際し逆流する時に之を閉ず。之を繰返し尚且完全なる排水不能なる時は、現存せる四五馬力の排水ポンプを利用し排水し、尚不足の時は必要なポンプを新たに設置し完全排水をなすものとす。
五、資材勞力、自動車等所要要求に對し入手遅延或は不可能なものあつた爲工事進捗に及した影響
必要な資材は木材(五〇〇石)土嚢(三○、〇○○俵)杭打機(二台分)貨物自動車(最少一○台)其の他鐵線、土運船、曳航船等の莫大な資材及勞力として最少限度一日人夫五〇〇人(熱練工を含む)を必要とす。之等必要資材は各方面の斡旋協力により確保しつゝあるも、尚トラツク及人夫入手に困難を來し、貨物自動車について朝倉英軍の應援を求めたるも生活救援物資運搬のため總動員中にて目的を達せず、一方市内自動車も交通課を通じ協力を求めたるも意にまかせず、土俵用土砂採取上支障を來せり。勞力は當初二日間市警防團(八○名)の應援を求めたるも爾後續かず勤勞署に二○○名の人夫、を要求したるも殆ど出役を見ず、直營人夫五〇名を充當せり。二十六日より各請負業者の應援を求め、漸く本格的工事にとりかかり、更に市を通じ市民の應援を求め、土俵製作にかゝれり。二十七日は雨天のため一般勤勞者は姿を見せず市の斡旋にて午後六時に漸く六○名を得て土俵作りにかゝれり。

第七章 公共營造物被害状況

公共營造物の被害は高知市に於ては昭和二十年七月の大空襲に依りその大半は灰燼に歸し見る影もないが、その殘る建物も大部分甚大なる被害を蒙つた。中でも港警察署廳舎、縣立中村中學校、中村國民學校、中村町青年學校、市立公會堂、須崎の縣立水産試驗場等がその主要なものである。


以上は全縣下の主なる公共建物の被害状況であるが、なお公私立學校建物の震害状況について見るに左記の通りである。


二、應急復舊に要する資材
被害状況の概況は前述の通りであるが、先づ第一に屋根の應急修繕及補施工事等直ちに實施したが、之れに要する資材は左の通りである。

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一、被害状況
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(市町村)公私立學校建物璽災被害状況調書
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應急修繕に要する資材調

第八章 國鐵の被害概況

第一節 鉄道の被害状況

一、前言
南海地方を襲うた大地震で鐵道施設にも甚大な被害があつたが、當時夜行列車運轉中にもに拘らず現業従事員の臨機應變の措置により、列車脱線等の重大事故を惹起しなかつたことは、不幸中の幸であつた。土讃線の被害は阿波赤野、土佐久禮間百二十粁全線に及び、被害の最大なる箇所は津浪の襲來に伴つた多ノ郷須崎間で、橋梁の流失、線路土床の欠壊、流失、レールの彎曲、汽帆船の線路上乗り上り等相當大なるものがあつた。殊に須崎驛構内は數回の津浪に見舞れ構内には流木が山積し、運轉保安施設は大半破壊せられ驛本屋その他附属建物の
内部は殆んど流失し、單に原形のみを止めるの實情であつた。
次に被害の大であつた箇所は後免多ノ郷間で橋梁の破損、橋梁袖石垣の崩壊、路盤の沈下等が無數に起り、比較的輕微な土佐山田以北でも岩石、土砂の崩落、路盤沈下等が各所に起つた。
次に被害箇所の復舊には管内保線從事員を直ちに非常召集して當らせる外、驛、車掌區、機關區從事員も之に協力し又高松、池田兩保線區からも應援を得て先づ急救物資の輸送、進駐軍輸逸を慮り、高知以東の復舊に着手し連日徹宵復舊に努めた結果、列車は二十二日には高松後免間開通、二十三日には朝倉まで、二十四日には伊野まで、二十六日には吾桑まで開通し、吾桑須崎間を残し、須崎土佐久禮間は三十一日午後試運轉を完了し一月一日より開通した。
然し吾桑須崎闇の被害は最も大であつた爲、高松、徳島、松山、池田から保線從事員百名、須崎、多ノ郷、吾桑、斗賀野、佐川各町村から奉仕隊一日約三百名の應援を得て復舊工事に着手し約二ヶ月を要し二月二十八日に漸く土讃線全線の開通を見た次第である。
(イ)車輛關係 (ロ)荷物關係
(ハ)被害状況
被害状況を擧げるとその箇所數八八ヶ所、延長約一四粁八六二米に及び阿波赤野、土佐岩原間二ケ所、延畏八〇米
線路沈下五〇粍、移動七〇粍
土佐岩原豊永間一ケ所延長六〇米線路沈下七〇粍移動四〇粍
豊永大田口問ニケ所延長八○米線路沈下五〇粍移動三〇粍
大杉角茂谷間五ケ所延長五五七米線路沈下六〇−一〇〇粍移動二〇粍橋台亀裂一ケ所二八粍
角茂谷天坪間二ケ所延長一二〇米線路沈下六〇粍移動二〇粍
天坪新改間ニケ所延長六〇米線路沈下三〇粍移動一〇粍
新改土佐山田間十一ヶ所延長七〇五米線路沈下四〇−一五〇粍移動四〇粍
後免土佐大津間一ケ研延長五〇米線路沈下三〇粍移動五〇粍
土佐大津土佐一宮間五ケ所延長四六〇米線路沈下三〇−五〇〇粍移動五〇粍橋梁袖石垣崩壊二ヶ所五八平方米
土佐一宮高知間七ケ所延長六三五米線路沈下二〇−一五〇粍移動三〇粍橋梁袖石垣崩壊一ケ所一〇平方米
高知驛構内分岐器沈下一五〇粍
旭朝倉間二ヶ所延長一九〇米線路沈下五〇−一五〇粍橋梁袖石垣崩壊一ケ所ご一三七平方米
朝倉伊野間ニヶ所延長四二〇米線路沈下一五〇粍
伊野日下間五ヶ所延長四四五米線路沈下二〇−六〇〇粍仁淀川橋桁(第一連支間四五・七二米第四連
支間六〇・九六米)移動六〇粍桁座二七粍移動
日下土佐加茂問五ヶ所延長四〇〇米線路沈下二〇−一五〇粍
土佐加茂西佐川問四ヶ所延長四一〇米線路沈下五〇−一〇〇粍
西佐川佐川間二ヶ所延長二六〇米線路沈下六〇−一五〇粍移動三〇粍
佐川斗賀野間一ヶ所延長七〇米線路沈下三〇粍移動二〇粍
斗賀野吾桑間九ヶ所延長一粁〇二六米線路沈下一五〇−三〇〇粍移動一〇−五〇粍
須崎土佐新莊間九ヶ所延長一粁一八九米道床路盤流失一〇〇〇立米線路沈下一五〇−一一〇〇粍移動三〇〇粍
土佐新莊安和間ニヶ所延長四〇〇米道床流失約三五〇立米線路沈下一〇〇粍移動二〇粍新荘川橋梁僑台變状
安和土佐久禮間八ヶ所一粁九一五米線路沈下一〇〇−二〇〇粍移動三〇〇粍


の被害を蒙つたが尚吾桑須崎間は、地震に加うるに大津浪を件い須崎驛構内に於ては軌條面上一・四五米と云う未曾有の津浪を生じ地盤沈下約八○○粍、川崎堤防の跡方もない決潰により線路上満潮時水深一・八米の一望の海となり、軌條流失約二粁五〇〇米、築堤流失延長一粁七〇〇米、流失土砂約一万立米、橋桁(經間五・四九米上路鈑桁)流失一連橋梁袖石垣三四平米決潰、津浪のため押流された一五○噸余の船舶、各種木材の線路上に乗り上る等慘憺たる状態であり土讃線開設以來の大被害を生じた。
尚其の他建物關係家屋破損倒壊等二二ヶ所、電力通信車電關係電柱流失倒壊電線斷線機器流失破損等の被害があつた。

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(イ)車輛關係 (ロ)荷物關係

第二節 省營自動車の被害状況

省營自動車路線に於ても相當の被害をうけて二十一日は全線に亘つて一時的に運轉休止の状態となつたが、復舊は豫定計畫より一ヶ月以上早く完成開通することが出來た。被害箇所八十七ヶ所に及び左の通りである。
(一)省營自動車路線の被害

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大栃線(被害ヶ所七ヶ所)
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窪川線(被害箇所六十箇所)
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豫土線(被害箇所七箇所)

第九章 高知營林局管内被害状況とその對策

一、總説
安政以來の大強震に襲われ山崩れ等によつて管内の諸施設は甚大な被害があり、又海岸地方は津浪が貯木場に浸人し來つたため、流木によつて家屋等に與えた被害は又實に甚大であつた。今その被害と對策につき概况を述べる。


二、管内被害の状況
今回の地震は海岸に近い地盤の軟弱な地域程被害が大きく特に高知市附近、須崎町及中村町附近が最も被害が大きく、中村町は八割を全倒壞し殘る家屋も半壞の状態となり火災が發生した。所在の中村營林署も廳舎が全倒壞に近い被害があり、署長官舎は倒壞し附屬の建物及從業員必需物資配給所は倒壞の上焼失した。須崎町方面も震動に因る家屋倒壞後高潮が來襲し、港口附近の貯木場は五米五〇に及ぶ高潮のため貯材は殆んど散亂し流失したものも相當量に及ぶ。其の外倉庫、事務所及備品、器具、機械、從業員の家財も或は流失し、或は散亂浸水の爲使用不能となつた。
須崎貯木場附近は管下でも有數の木材集散、加工の中心地であつた關係から莫大な貯木が海水に乘り家屋施設に衝突し其の被害も甚しきものがあつた。
交通も須崎以西の路網は坂路が殊に多く山崩れの爲開通にも相當の期間を要する爲、山元の諸施設が修築出來ても搬出が出來ない事が憂慮され、海岸道も亦被害大であつた。一般的に管内東部の事業地は西部に比べると輕微であつたが林道が各所崩壞、亀裂を生じて生産物資の搬出も一時停止の止むなき状態であつたが、二月下旬頃から復舊せられ事業も復活された。以上述べた樣に地盤の變動が大きかつた爲林地に崩壞を生じ之が遠因となつて崩壞面の擴大が當然に起るので早急に復舊工事をなさねばならない。其他設備も基盤に變化を來したので應急修理が出來ても今後の各施設には衰損が大きく表面化し、之が對策に相當の準備と之に伴う經費も増加する見込である。又管内各事業地の炭窯は殆んどが落盤し、薪炭不足の折柄急速に復舊を要する状態であつた。一方手持資材も高知貯木場倉庫に貯えられてあつた各種事業用補給物資も、海水浸入の爲塩害を受け使用不能となつたものもあり、使用出來ても品質低下の爲命數が衰えているので之等物資の急速な補給は復舊經費とともに切望する處である。


三、被害及復舊額
今回の地震に因る被害總額は三千二百六十六萬圓余に上り、其の復舊所要經費は三千二百四十四萬圓余で、今後管内各種事業遂行に重大な支障を來したので之等の復舊は急速に實施しなければならない。被害の内譯は左記の通りである。
尚各方面共林地の至る所に亀裂を生じて居るので今後豪雨の際は、相當の崩壞を生ずることを覺悟して居なければならないと考えられる。


復舊計畫並に事業進捗状況
一、公用財産の部
現在復舊輕費の配賦がないので全然復舊なし
二、斫伐の部
三、經常造林の部
昭和二十一年度應急復舊なし
昭和二十二年度復舊費四十七萬圓
内譯工種
造林小屋三〇棟五三〇坪
堆肥小屋二棟一六坪
電話線二〇一粁
四、土木の部
五、民斫の部
復舊経費の配賦がないので全然復舊に着手せず
六、勞務施設の部
壹萬圓の復舊經費で清水營林署の見童合宿所復舊中
七、公有林野官行造林の郡
復舊經費の醜賦がないので全然復舊に着手せず

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被害額總括表
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二、斫伐の部
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四、土木の部

第十章 電氣被害とその對策

地震發生と同時に全縣下一齊に停電して、以來四國配電株式會就其他の協力で晝夜兼行復舊に努めた、結果翌年一月九日高知市内に点灯することを得て暗黒の世界から久し振りに樂しき夕を送ることが出來たが、(高知市下知方面は一月十五日であつた)發電水路の完成は後れた。地震及津浪による縣下の電氣の被害状況は次の通りである。


(一)縣下の電氣關係の被害状況並にその對策
(1)發電設備
發電設備の災害状況、應急措置、復舊計畫及其の進捗状況等は大略次表の通りであつて、其の内最も被害甚大なものは松葉川發電所及名野川發電所である。松窮川發電所の水路は灌漑用を兼ねて居る關係から、本年の植付に聞に合わすため特に急を要するにつき萬難を排し、復舊に常り四月末には復舊の見込である。名野川發電所はその出力も大であつて、運轉不能の期間を短縮することが電カ欠乏の折柄重要な問題であるので復舊を急いだが、セメント等の資材も漸く調つたので四月に入り着工、五月上旬には完成の見込みで工事進捗中である。其の他の發電所の被害は比較的少く殊に運轉中であつた水車發電機等には殆んど被害がなかつたがセメントの入手困難のため水路の復舊のおくれたのは幾念である。
此處で感じたことは被害は開渠の水路に最も多く、隧道等には殆んど被害がなかつたことである。又一般的に各水路に亀裂を生じ多少漏水の増したことは止むを得ない。然し地震直後は工場等の電力需用も減少して居て、四國全般として發電力には不足を來さなかつたことは幸いであつた。尚通水中の水路の決潰による水害が人畜に及ばなかつたことも幸いであつた。
(2)送電設備、獨立電話線設備
本設備の被害は次表の通り全般的に僅少であつて、中村線に於て後川越のコンクリートH柱の倒壊を最大のものとし、電話線では高岡郡多ノ郷村を經過して居た箇所が津浪のため流失した。
(3)變電設備
本設備の災害状況、應急措置、復舊計畫及其の進捗状況は大略次表の通りであつて、變電所は發電所に比し被害が輕少であつた。最も被害の多かつたのは、高知市内の江ノロ、高知、潮江の三變電所及須崎、中村の兩變電所であるが何れも應急措置にょつて、二、三日の間に運轉を開始することが出來たのは幸であつた。中村變電所に於ては社宅が倒壊したが、人畜には被害がなかつた。
(4)配電設備
本設備の被害状況復舊状況等は次表の涌りであつて被害の最も甚大であつたのは家屋の被害の多かつた高知市、新宇佐町、須崎町附近及中村町等であつた。故障の内最も多いのは震動のため架空線が混線して短絡状態となつて居るもの、之が送電中に起つて斷線を生じたもの、桂上變壓器の變台上で倒れ叉は墜落したもの等である。
市街地で家屋が倒壊し又は津浪のため流失損壊した様な箇所の屋内線、引込線は殆んど全面的に被害を受け、既設の資材も回牧されたものは僅少な状態である。須崎町附近多ノ郷村、新宇佐町に於ては津波に洗われ配電線路の電線支持物、屋内線共多數流失した。又中村町に於ては火災發生のため之等の多數が燒失した。地震發生と共に割合に早く配電線が停電したので電氣的に機器の損壊するものが比較的少なかつたのはこの種のものに乏しい現今殊に幸いであつた。
配電線は復舊殊に急を要し集團被害地に於ては治安維持の点にも重大な關係があるので、不眠不休で復舊の措置を講じ浸水のため其の復舊が最もおくれた高知市下知東部を一月十五日に送電したのを最後として全面的に復舊した。然し今後震災地に復興する家屋に對する所要電氣資材入手に就いては相當の困難を感ずるものと憂慮される。

第十一章 貴重なる震害第一情報

一度全縣下に大地震襲來するや、通信、交通全く杜絶し一朝にして廢墟と化し、電灯は消え暗黒の夜空の下に不安のどん底にさいなまれ饑餓と寒さに打ちふるうものの多きを想像するとき、一時も早く救援隊を、醫療班を、食糧物資を、急派急送すべく中央主脳部は焦慮するのみであつた。
こゝに集録せんとする貴重なる幾多の第一情報は當時如何に役立つたか。一言一句がよく中村町方面の全滅的被害を知ることが出來た。
忘れることの出來ない十二月二十二日の夕方の中村方面の情報!!
さあ大變だ中村町は全滅だと廳内各課、記者室、對策本部は色めき立つた。早速翌朝は海路を以て救援することになつて出帆した。
あらゆる緊急對策も此の貴い第一情報把握によつて適切な方途が講ぜられたのである。縣も市町村もこの情報を得るまでは全く何んの爲す處を知らず一時は途方に暮れたとさえ云われている。その間の空白は、關係當局をして如何に焦慮させたか當時を想像するに充分なものがある。その一例として、最も震央に近き東部室戸岬方面の被害が甚大と豫想されその方面に特に主力を注ぎ急派したが、案外被害は僅少であつたに反し西部の中村町を中心として更に須崎多ノ郷、新宇佐町の始き全滅的被害が一度傳わるや驚愕したことである。
今こゝに縣下各地に派邉した部課長を始め警察署長、地方事務所長、支廳長、測候所長等より寄せられた貴い第一報を掲げ當時の有様を想起して反省するとともに發信者或は受信者は如何に要点を逸早く送ることが出來るかを教えられるのである。
◎貴重なる第一情報集
(l)須崎町より久武教育民生部長報告(以下同じ)
(2)安藝町より林勤勞課長
(3)須崎署より中井警務課畏
(4)中村町より山本保安課長
(5)橋田幡多支廳長
(6)高岡地方事務所長(以下は報告文を省略する)
(7)高知測候所長
(8)窪川警察署長
(9)宿毛警察署長
(10)清水警察署長
(11)中村警察署長
(12)窪川警察署長
(13)須崎警察署長
(14)高岡警察署長
(15)伊野警察署長
(16)高知警察署長
(17)高知港警察署長
(18)本山警察署長
(19)大篠警察署長
(20)山田警察署長
(21)赤岡警察署長
(22)安藝警察署長
(23)室戸警察署長
(24)知事より中央各關係方面への第一報
(25)知事より中央本省へ無電報告第一報
(26)復興院宛被害状況第一報
①震害第一情報(一二、二二午後一〇、五〇分須崎町にて久武教育民生部長)
午後三時半須崎警察署着、須崎町以西の災害状况を概略調査するに、幡多郡中村町の災害甚大なる模榛に有之救護の責任者を派遣せられたし、尚陸上は當分交通杜絶に付船便を仕立て行かれる方法を取られたし。
②震害安藝方面(第一報)(十一万二十二日午前一〇、四五分室戸町にて林勤勞課長)
一、室戸以東は自動車交通は不通につき二十二日午前八時教養課長外保安課員三名自轉車にて甲浦に出發せり、相當難行を豫想せられる。
二、室戸附近の状況については署長、地方事務所長より連絡する。
三、甲浦の被害は浸水五〇〇戸にして食糧は一週間分は自力で賄うことが出來る豫定、なお在庫米浸水の虞あり目下罹災者には食糧炊出中。
右の余裕欠乏の場合は室戸を中心として極力農民の協力により供出を督勵する。尚營團の言によれば近日中に
室戸二、〇〇〇俵
甲浦五〇〇俵
縣外より移入の豫定なるも災害の折柄望薄し。(室戸を基地とせるは陸上便不能につき海上船便を利用せんとするもの)
一、目下林勤勞課長、地方事務所長、室戸にありて情報を蒐集中。
(3)激震後の治安状況並に對策に就て(第一報)(十二月二十二日午後一、五分須崎署にて警務課長)
一、激震による被害状況に就ては須崎署長の速報の通り。


二、罹災者の處置
罹災者は須崎町國民學校及天理教に收容(三千名)し炊出を行い給食しつゝあり。負傷者は縣民病院にて手當を加えたるも現在病院にある重傷者は二名のみ。


三、治安状況
罹災直後にありては津浪來るの流言發生し人心動搖しつゝありたゐも、時の經過と共に遂次平靜に歸し夕食後に至りては治安上憂慮すべき点認めず。


四、警備状況
罹災後須崎警察署にありては出動し來りたる署員中十二名(他は署内警備)及警防團員十六名を四班に編成し重要箇所の警備に任ぜしめつゝあり、後警備應援に來署せる佐川署員十名、伊野署員十名を前記箇所に配置警備力の充實に努めつゝあり。


五、食糧關係
須崎町及多ノ郷村に於ける食糧事情手持僅々五日間位にして、早急に補給するに非ざれば配給並に給食にも支障を生ずる虞ありと認めらるゝに付地方事務所長、警察署長、町長、集合協議の結果、二十二日より附近町村の速急供出を督勵補給する如く計畫中なるも、之が結果は在庫量放出を含み僅々十日間位を維持するに足る程度の見込なるに付今後當局とし善處の必要ありと思料す。


六、道路清掃並に復舊に就いて
須崎町にある主要道路の清掃復舊は目下重点的に施行しつゝあるも被害激甚のため佐川町より須崎町に至る幹線を除いて復舊の見込たゝざるも、右幹線は主要食糧の輸送並に連絡等には急速の復舊を要するに付浸水の滅少を待ち速急に復舊すべく手配完了しつゝあり。


七、衣料關係
家屋の流失者は勿論、浸水地帶在住者にありては衣料品家財等を流失、目下寒中の事とて衣料寝具に困難を生じつゝあるも地方事務所、其の他に在庫量なきため對策に苦心しつゝあり、之れが補給に付ては縣當局として努力を拂う必要ありと認む。


八、軍政部ミクソン中尉は二十日より須崎町に滯在中の處今二十二日道路の復舊の完了と共に歸高豫定。
其の他電燈は須崎町本町通りの一部に点燈あるも他はローソク其の他を使用中、飲料水は水道の使用不能により所々の井戸水を利用しつゝあり。

第三編 救護

第一章 援護概況

第一節 總説

十二月二十一日餘震頻々たるうちに、西村長官は知事室に緊急部課長を招集し、東西兩方面の被害甚大なるを推察されるも、通信交通全く杜絶したるを以て被害状況は全く不明にて、これに對して速かなる方途を講ぜなければたらないので、協議の上即刻係官を東西兩方面に急派せしめ、各地の救護と情報把握に努めた。一面これが應急措置として、臨時災害對策本部を設置し、翌二十二日には關係官廳及民間團体代表者を知事室に招いて、第一回臨時災害對策本部協議會を開催し、その後も引續き開催し各方面の被害状況漸く判明するに至つた。
更に十二月二十五日高知縣震災復興對策本部及同委員會を設け、官民一体となつた一大學縣運動を展開し、大災害に對する應急の手段を講じ、臨機の施設を爲すに於て遺憾なきを期し、これで全く復興に對する機構陣容を備うることが出來た。對策本部及委員會の機構は第一編にて前述した通りであるが、夫々の部署を分つて各々の分擔の事務に全力を盡すことゝした。
なお西村知事は震災當日、左記の如き談話を行い、緊急救護につき縣民各位の全幅の協力を要望した。


◎救護對策に萬全を期す=西村知事談話
(十二月二十一日高知縣應にて)
不幸にも今朝激震が發生、浸水の被害をうけたところもあり、ちゆう心より憂慮に堪えない次第で、縣では今朝震災對策本部を設け、災害防除、救療、給食など、それぞれ活動を開始しており、縣民も流説に惑うことなく、相協力全力を學げて御奮闘を切望する。
時に交通の回復にも日を要するため、食糧補給は心配にたえない。救護のための食糧配給の萬全を圖らねばならぬことは焦眉の急務だから、どうか縣民各位は相助け合うという氣持で米や甘藷の供出、輸送に全力を傾注、この機會に供出完了して罹災者の救護に再建に全幅の御協力をねがつてやまぬ。

第二節 要救助罹災者の收容

震災當時に於ては、震害甚大な地區の罹災者に對して炊出し及び食糧品其の他の物資を配給した。
又震災發生と共に直ちに縣各係官及び醫療班を派遣地元市町村と協力救護に全力を傾注したが、被害の大きかつた主なる地方の救護状況は左の通りである。


(一)高知市
罹災後直ちに高知市の實状調査を爲せるが、市は中央以東方面が最も被害甚大で、死者二三一名、傷者三三四名、家屋全壊一、〇九五戸、半壌一、九五七戸で、罹災者約一万一千名の内一部罹災者は親族知已に寄寓するものゝ外は差當り市内各所に應急の收容所を設け收容した。其の状況左の通り。右收容者に對しては二十一日晝食より食糧營團と協議しパンを給與したが、引續き隣接町村の好意により多量の食糧の救援あり、給食に萬全を期している。


(二)新宇佐町
震災直後海嘯の爲被害甚大にして、舊宇佐町二八部落中、二六部落被害を受けた。
家屋流失三四一戸、倒壊一三〇戸、半壊八一二戸、浸水一四二戸、死者一、不明者一、傷者五五にして罹災約六、○〇〇名である。
罹災者は震災當日は附近山林に避難したが、町當局は不取敢國民學校並に山手の民家に收容保護すると共に、舊新居村及び高石村より炊き出しをなし、收容並に救恤に萬全を期した。
救援物資として毛布、煙草、履物、石鹸、タオル、靴下、味噌醤油、石灰、腹藥、燐寸、ローソク、塩、釘、セメント、等の急送方縣に手配した。
其の後の收容状況左の如し。


(三)縣東部安藝郡
室戸岬以北の被害が大きく、死者一七名、行衛不明二名、負傷二〇余名、家屋被害倒壊三四戸、半壊七八七戸、浸水五〇〇戸であり、甲浦町の如きは高さ一丈余の津浪が三回襲來した。
室戸岬以西は被害状況は他に比し割合輕く、分散的である。東部に於ても夫々炊出を爲し、大部分親戚知己等に移つたが、其の他の者に付ては夫々適宜の建物に收容救護している。

(四)須崎町方面
被害甚大なる須崎町、多ノ郷村の罹災者は約一万一千名で、地元國民學校、天理教、寺院等に收容し、炊き出しは地元町村並に隣接佐川町に救援を求め給食し、又毛布二〇〇枚、ローソク一六五斤、マツチ一〇箱、作業衣五〇〇着、シャツ五〇〇着を急送方手配した。
尚決潰道路の應急修理、浸水町内の清掃に奉仕、應援隊の手配なし急援を得て、散亂する木材其の他の溝掃を行つた。
高岡郡下に於ける震災直後の收容並其の後の收容左の如し


(五)中村町方面
幡多郡方面は通信連絡全く杜絶、又道路崩壊、交通機關もその機能を失い、二十二日の夜に至り漸く被害の凡そを知り得たに過ぎない状況であるが、中村町の被害最も甚大で全壊一、六二一戸、全燒一六三戸、半壊六九六戸、死者二七三名、罹災者約六、四〇〇余名と云う慘憺たる被害であつたので、特に縣小島農地部長を派遣し臨機滴當なる措麗を講ずることとなり、二十三日海路第二高知丸に救援物資を滿載し、各課代表者、醫療班、警察隊員等が乗り込み出帆した。中村町の醫療機能は全く失われ、負傷者の收容に困難だつたが、その收容状況は左の通りである。

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高知市罹災者收容状況
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其の後の收容状況
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高岡郡下震災直後の收容並其の後の收容
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中村町(イ)罹災者收容状況 (ロ)負傷者收容状況

第三節 他府縣よりの援助

本縣未曾有の震害に對し寄せられた、縣外各地の厚意により、罹災民は飢寒の苦しみより免れ、これによつて復興意欲を高揚し奮つて希望の途へ進み得たことは、洵に感謝に堪えない所である。
近縣はもとより、全國よりの同惰救援の爲め特に慰問代表者來縣せられ、叉即時鄭専なる見舞の電報を寄せられ、或は義捐金品を募集して寄贈せられ、救援青年行動隊の急派等數知れぬ贈物は感激の他はない。
義捐金品や慰問電報は別掲の通りであるが、二、三の救援をかゝげて當時の感激を新にしたい。
(一)飢餓に瀕する本縣の爲め香川縣よりの救援米
(二)山口縣赤十字支部より醫療班の救援
(三)中國地方より特殊衛生物資の救援
(四)京都市青年行動隊の救援
(五)決潰堤防用空俵の救援(束京都、神奈川縣、愛知縣、岐阜縣、兵庫縣等より)

第四節 報道機關の活躍

大阪毎日、大阪朝日、讀賣新聞、大阪時事、時事通信、共同通信等の各報道機關は、全懸下のラジオ通信交通機關は杜絶し、全くなす所を知らざるのとき、有らゆる犠牲を拂うて慘害の情報を蒐樂し、刻々號外或は描示を以て民衆に報道し、且つ急遽現地に記者、寫眞班を派遣して、罹災地を踏査せしめ、慘憺たる光景を詳細に報道するとともに一般の同情に愬えて義金を募り多額を罹災地に贈つた。
次に報道部員の巾でも罹災した者は澤山あるが、特に當時市堺町文化ビルにあつた讀賣新聞高知支局長熊倉一夫氏の震災偲い出の記を見るとき、如何に地震が激烈であつたか悲慘なる當時の模様を物語つている。唯々讀む者に涙を催さしめると共に今後の防災對策を反省するに充分である。

第二章 保健衛生に關する救護施設の震害及應急措置並對策

第一節 總説

一、救護本部の設置及救護班の編成
南海大地震は前述の如く、一瞬にして幾百の尊き人命を奪い、幾万に達する罹災者を出し、加うるに住家の倒壊、橋梁、道路の決潰等未曾有の震害に直面して緊急に而も適切なる處置をなすべき、幾多の對策の中人命の救助及負傷者に對する救護は最も重大なものである。
聖成衛生課長は西村知事の指示をうけ、陣頭に立つて以下激項に述べるが如き、迅速適切なる救護及防疫等を實施した。
罹災地に急遽派遣すベき救護班は左の通りである。


イ、救護本部
A情報連絡係五名
B藥務係六名
C救護係
(ア)市内被害地救護班
第一班醫師國吉清次濱田彦九郎課員
第二班〃田村武次郎宇田豊治〝
第三班〝町田速雄岡村一雄〝
第四班〝坂本昭小西清課員三名
(イ)郡部派遣救護班
第一班醫師川北伊勢吉仙頭健兒野並朝夫溝淵防疫職員一名連絡員一名
看護婦三名
第二班醫師須藤吾一郎山本一郎徳久克己國吉朋重防疫職員一名連絡員一名
看護婦三名
第三班醫師坂井道夫古城直哉古城九州男森本昌防疫職員一名連絡員一名
看護姉四名
第四班醫師川村政悟山崎庄吉高橋重親刈谷一孝看護婦五名
第五班醫師須藤吾之助高島正博連絡員一名看護婦四名
(ウ)本部附醫師(救護班豫備員)
醫師岡崎義質氏原寅太郎澁谷三郎田村稔續刈谷刺滋細木高行
D資材係五名


ロ、本部外救護班
救護本部の外に左の救護班が編成された。
A縣立女子專門學校救護班(新宇佐町に派遣)
醫專敢授醫師下司孝磨外助手看護婦生徒計八名
B日赤病院救護班
(ア)第一班醫師清岡庸彦外、看護婦四名(安藝郡に派遣)
(イ)第二班〝窪田清、外看護婦三名(幡多郡に派遣)


二、被害概況
昭和二十年七月の戰災により半死半生の状態にあつた衛生施設も、漸く復舊の緒についていたが、再び今次震災のため大打撃を蒙り、その被害の總額は三、四〇〇万圓を超るであろうと豫想される。
以下被害の大要を記し節を改めて詳述する。
(イ)病院關係
高知市に於ては縣下最大の病院即ち日本醫療團經營中央病院、日本赤十字社經營高知赤十宇病院の二院は何れも地盤の低下のため病舎、炊事場、倉庫等倒壊叉は傾斜し、その他の病院も後述する如く夫々甚大なる震害を受けた。尚中村町の如きも、病院七の内三院は全然使用不可能にして、當分復舊は困難である。病床數にしても出來るだけ使用せしめ、醫療に支障なきようせしめあるも全然不能となりたもの二四八床である。其の他病院の全ての被害を綜合するに、その損害は一、二〇〇万圓を超過するであろうと豫想される。
(ロ)診療所關係
高知市内の診療所の大半は大小の震害を蒙らざるはなく、最も甚大なる損害を受けたのは中村町であつた。診療所の損害を綜合すれば少くも六〇〇万圓近いものであろう。
(ハ)藥局關係(醫藥品、衛生材料を含む)
藥局の倒壊半壊の數亦數十に上り、尚且つ高知市に於ては醫藥晶統制株式會社及製藥會杜の倉庫全壊し、縣下を通じての藥品、衛生材料の損害又實に大であり、之等の總計は少なくとも一、二〇〇万圓を越えるであろう。
(ニ)屠場關係
縣下の屠場、牛乳處理場等にして全壊した所はなかつたけれども、牛乳處理場の内には牛舎倒壊し、乳牛に相當の被害あり、この方面の損害は約一二〇万圓程度である。
(ホ)浴場、理髪關係
本關係震害は甚だ大にして、理髪業關係に於て見ても業者九五八名の内全壊、半壊、浸水の被害を見たもの實に二〇七名であり、湯場にしても全壊、半壊、浸水併せて三十七件に及んでいる。この被害額は兩者を併せて約三○○万圓以上である。


三、各地の被審状況
(1)高知市の被害状況
高知市内の被害は主として東部地區であり、幸いなことに同地區には病院診療所等主要なる衛生施設が少かつか關係上、その蒙つた被害も豫想よりは余程輕微であつた。而し中部地區及化部地區等に地盤の脆弱なる地域ありて、以下述ぶる如き被害を受けた。
イ、病院關係
病院にしてその被害の大なるものから列擧すれば、
A日本醫療團經營高知中央病院
同院は地盤の變動のため病棟傾斜し、患者收容は不可能となり、從前の病床數一八○の内一五〇は失われ、使用に堪え得るものは僅かに三〇床のみとなつた。本院の復舊は本縣の主要醫療機關として最も重要なる間題であるが、凡そ之れに要する費用は四〇〇万圓を必要とするであろう。
B日本赤十字社經營高知赤十字病院
市内北部江ノロ地區は地盤脆弱なるため、その震動は甚だ強く、病院數地に起伏を生じ、炊事場は倒壊し、病棟又その内部に於て相當の被害があつたが、幸にして倒壊は免れた。
本院の蒙つた被害は約二五〇万圓である。
C宮地病院
本院は最も被害甚大なりし市東部地區にあるが、幸にして倒壊を免がれ應急修理により診療を續けつゝあるも、その被害額は約五〇万圓である。
D右の外、南、平田、町田、等各病院の被害比較附大であるが、目下の診療には辛うじて支障なき模様である。
其の他各病院とも夫々被害はあつたが比較的輕微であつた。
ロ、診療所關係
高知市内診療所は約九〇あり、大小の被害なき診療所は一ヶ所もなかつたが、その内比較的被害の大きかつた所は等であり、診療所全休の蒙つた損害は尠なくも三〇〇万圓より以下ではないと豫想される。
ハ、藥局關係
市内東部地區にあつた藥局はその大部分甚大なる損害を蒙り、尚高知縣藥品配給株式會社及び製樂會社の所有に係る二棟の藥品倉庫倒壊した。而し乍ら倉庫内藥品は豫想外に被害尠かつたために、緊急救護には差して支障を生じなかつた。この關係の被害額は二五〇万圓程度である。
ニ、屠場關係
被害は比較的輕微であり特記する程のことはなかつた。
ホ牛乳處理場關係
比較的波害輕徴で約四二、○〇〇圓程度である。
へ浴場關係
被害の甚大であつたのは東部地區のみで、至壊したもの一、半壊したるもの五、浸水のあつたもの五である。
卜理髪關係
東部地區に於て全壊したもの一七、半壊したもの二○、浸水を受けたるもの二九である。


(2)安藝郡被害概況
安藝郡内に於ける被害概況は次の通である。
イ、病院關係
安藝郡内に於ける病院八の中特記すべき震害を蒙つた病院はなく、何れも輕微にして診療に支障を生じなかつた。
ロ、診療所關係
診療所數四八の内特記すべき被害と言えば左の三診療所のみにして、他は概ね被害軽微で平常診療に支障を生じな
かつた。
ハ、藥局關係
藥局關係の被害は輕微であつて、左の一局のみである。
甲浦町指原藥局浸水損害約一二、○○○圓
二、屠場關係
特記すべき被害なし。
ホ、牛乳搾取場關係
牛乳搾取場は左の被害を受けたが、業務上支障を生じなかつた。
へ、隔離病舎
甲浦隔離病舎浸水一部流失損害約五〇、〇〇〇圓
ト、浴場關係
甲浦町全壊流失したもの−二損害約一〇〇、○〇〇圓
甲浦町半壊したるもの−三損害約二〇、○○○圓
チ、理髪關係
安藝町、甲浦町其の他に於て全壊五、半壊七、損害約三五〇、○〇〇圓


(3)高岡郡被害状況
高岡郡下に於て津浪の來襲を受けたる、新宇佐町及び須崎町は被害甚大であつたが、倒壊家屋尠く、特に醫療衛生施設の被害比較的輕微であつたのは、不幸中の幸とも言うべきである。以下主なるものを述ベると、
イ、病院關係
被害僅少であり、唯須崎町向陵病院の損害約四〇万圓、新宇佐町國保病院損害約一〇万圓である。
ロ、診療所關係
流失、浸水の被害のあつたのは、多ノ郷方面に三ヶ所、上ノ加江町に一ヶ所あるも、一般の診療に支障を生じたのは一ヶ所のみであつた。其の他の診療所にしても相當の被害はあつたが、診療上差したる支障を生じなかつた。
ハ、藥局關係
須崎町に於て全壊したるもの一局あるも、他は概ね被害僅少であつた。
ニ、屠場、牛乳處理場關係
被害僅少であつた。
ホ、浴場理髪關係
浴場、理髪業者の被害は比較的大にして、浴場の半壊したるもの四、浸水したるもの七である。理髪業に於ては全壊したるもの九、半壊したるもの三四、浸水したるもの四○である。


(4)幡多郡被害概況
縣下全域を涌じ衛生施設に最も被害があつたのは中村町であり、殆んど全滅と稱しても過言ではない。又宿毛町に於ても西幡唯一最大の醫療施設たる宿毛病院大破し、甚大なる損害を蒙つた。以下大要を述べる。
イ、病院關係
A幡多病院
本院は從前二七床を有する病院であつたが全壊し、目下廢院の状態である。提害約八〇万圓。
B橋田病院
本院又倒壊の悲運を蒙る。目下廢院の状熊で、損害約七○万圓である。
C氷橋病院
本院は十一床を有するに過ぎなかつたが、之亦全壊し、再建は當分不可能であろう。損害約六〇万圓程度。
D田所病院
本院は全壊を漸く免れ得ているものゝ、從前の十七床中八床を矢い、目下辛じて使用し得るのは九床のみである。損害約五〇万圓。
E宿毛病院
西幡最大の病院であるが、病棟倒壊のため六七の病床は五二床を失い、目下收容し得るは僅かに十五床に過ぎな
い。本院の損害は約百万圓以上である。
F其の他の病院
右に列擧したる各病院の外に、中村町に於ける杉、細木、兼松、中橋等の各病院も又相當の被害を曲蒙りたるも、辛じて倒壊を免れ診療を繼續しているが、損害は何れも二〇万圓を下らない筈である。
ロ、診療所關係
診療所の受けた震害も亦甚大である。
A一般診療所の内、浦田診療所は倒壊の上全燒し、尚且院長たる浦田醫師夫妻燒死するの運命に會い、又月灘村溝淵診療所も倒壊し院長壓死する等、實に悲慘をきわめた。
其の他中村町に於て竹村、竹本、兩診療所も全燒した。
中橋診療所は倒壊を免かれたが大破した。
B歯科診療所
齒科診療所にして全壊の悲運に遭つたものは次の三院である。本田齒科診療所、竹村齒科診療所、川村齒科診療所、半壊のものは田村、田中兩診療所である。
ハ、藥局關係
中村町に於ける藥局關係の被害甚大であり、前述病院、診療所の潰滅と共に、緊急手當に藥品の不足を來し、一時非常に困惑した。藥局の被害の主なるものを述べると、
A全壊、全焼したるものは中村町谷川藥局、小野藥局、橋田藥局等でその被害は實に徹底的である。
ニ、屠場關係
屠場は最初倒壊と傳えられたがこれは誤報であつて、倒壊は免れているが、被害もとより僅少ではない。
ホ、隔離病舎
異状がなかつた。
へ、浴場理髪關係
浴場理髪關係にしても亦甚大なる被害あり。即ち浴場にして全壊したるもの二、半壊したるもの七、理髪關係にして全壊したるもの十三、半壊したるもの二八に及んでいる。
ト、保健所
半壊す。

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高知市診療所關係被害
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安藝郡診療所關係被害
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安藝郡牛乳搾取場關係被害
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(一)病院其の他の被害とその復舊資材調(其の一)
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(二)病院其の他の被害とその復舊資材調(その二)

第二節 傷病者の救護施設及緊急措置

地震、津浪に依る罹災傷病者は高知市、中村町、須崎町が最も多く、特に中村町の如きは一時全くその情報なく、漸く連絡がとれたるに、醫療施設の大半は全倒に瀕し、救護に支障を來したるも、各方面の救援を得て漸く萬全を期するに至つたのである。


(1)高知市
高知市に於ける負傷者救護は、主として救護本部に於て迅速且つ適切に實施した。概要次の通である。
イ、高知市中央地區に於ける病院の中、幸にして宮本、平田兩外科病院は被害輕微であつたため、之れを主体として患者の收容手當に萬全を期した。而し乍ら前述せる如く尚負傷者は續出したため縣立女子醫學專門學校に臨時救護病院を設置し、負傷者を收容した。
當時收容又は通院手當を加えたるものは次の通りである。
右治療人員の外市内診療所に於て治療手當を受けたもの元より相當數に上る筈であるが、右表は救護木部の指示に基くものゝ治療實數である。
A前述したる高知市内救護班は、夫々トラツク、タクシー等に分乗、市内東部地區罹災民救護に出動し、收容し得る限り宮本、平田、赤十字、中央等各病院に入院せしめた。輕傷者に對してはもとより應意手常を施した。
B然し乍ら各病院共に重輕傷者にて滿員となりたるも、尚重傷者続出したるため遂に收容する能はず、止むなく縣立女子醫學専門學校内に臨時救護病院を設置し、辛じて收容應急手當を施すを得た。
C斯くて其の後は專ら各病院長の責任に於て冶療せしめると共に、交替に醫師を派遣治療手當を應援せしめた。
D尚又家屋倒壊等のため學校、寺院等に收容せられた者の内、軽傷を受けている者に對しては、夫々巡回救護班を派遣し治療に當らしめた。
E以上述べたる收容病院又は應急手當を施したる負傷者等よりは勿論、治療に要したる全ての費川は徴收せず、縣費を以て支拂うよう特別の考慮が拂われた。


(2)安藝郡
イ、安藝郡内に於ける罹災、受傷者は比校的寡少であつた。縣救護本部より派遣したる救護班については前述したる所であるが、左に示す敷字は保健所を中心としたる安藝町に於ける救護實數である。
ロ、安藝郡に於ける防疫は同郡に於ける浸水地甲浦町に重点をおき、安藝保健所員を派遣し、源水調査及檢病戸口調査を實施せしめると共に、膓チフスの豫防接種を實施したるもの一回四〇七三名、二回一九八二名に及んだ。尚、井水、便池等の消毒の徹底を期した。使用したるクロールカルキは二〇瓩、D・D・Tは三〇ポンドであり、八〇〇名に對し實施した。
ハ、尚東部地區の負傷者中家屋倒壊のため學校、寺院等に收容せられたるものに對しては、大阪府派遣救護班に巡回
診療を依頼し、大いに効果を擧げ得ることが出來た。
當時齎らされた報告によれば、本部方面に於ては室戸町及室戸岬町方面の被害最も甚大なりとのことに、急遽第一救護班を派遣したが、幸にして同方面の被害は割合輕微であり、負傷者に對する處置は安藝保健所及醫師會、警察等の協力により適切になされていたため、携行したる藥品、衛生材料のみを殘置して翌二十二日歸高した。


(3)高岡郡
救護本部より新宇佐町に二ヶ班、須崎町に一ヶ班の救護班を派遣したことは前述した通りであるが、新宇佐町方面にては負傷者少なく、既に夫々地元にて手當を加えていた。須崎町方面しては須崎保健所と協力、重傷者は向陵病院に收容し、輕傷者に對しては須崎國民學校に救護所を設置し手常を加えた。
當時の實施數は次の通である。
高岡郡方面に於てその被害の甚大なるは、新宇佐町及須崎町方面なりとの報告に、新宇佐町方面に第二、三救護班を派遣し、須崎町方面に第四救護班を派遣したが、新宇佐町方面は負傷者甚だ少なく救護の必要なく引揚げた。
須崎町方面は須崎保健所と協力、後述する如き救護を實施した。


(4)幡多郡
中村町に於ける醫療施設の大半は倒壊したるため、當初の救護は全きを期するを得なかつたのは實に遺憾であつたが縣救護班の、派遣等のため漸く活氣を呈し、殘存病院等に重患者を收容し、一方保健所に救護本部を設置し輕傷者の手當に應ずると共に、巡回救護班を以て町内を巡回治療に當つた。
治療を施したる數は次の通である。
宿毛町に於ては負傷者僅少にして、全て宿毛病院其の他にて治療せしめた。尚其他の方面に於ては左の通りである。
(ア)幡多郡方面の被害は電信電話の不通のため不明のまゝ二十一日二十二日を送つたが、二十二日夜半に至り中村町潰滅の報傅わり衛生課長は夜半にも拘わらず課員の緊急招集を行い、所要醫藥品、衛生材料を準備すると共に、第五救護班員を招集し、同朝未明高知出帆の汽船にて中村町に派遣した。
(イ)尚同日夕刻廣島縣に出張していた森上技官歸郷したるため席の暖まる間もなく、中村町罹災者救護の總指揮者として派遣した。
(ウ)然るところ其の翌日大阪府派遣救護班一行十四名突如來高したが、高知市内の救護は概ね一段落の状態であつたから、之れを中村町に應援派遣することゝし、片岡事務官及高橋技官に之れが指揮先導を命じた。尚且當時米國より室輸せられたる醫藥品、衛生材料等の中村町への携行分配を命じた。
この一行は二十六日高知出帆にて中村町に急行し、先遣救護班と協力して後節述ぶる救護並に防疫に從事した。

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高知市收容又は通院手當
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安藝町に於ける救護實數
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高岡郡當時の實施數
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幡多郡治療を施したる數

第三節 衛生材料の調達並に配給

衛生材料は米英の進駐軍を始め、他府縣各種団体等の救援を得て、浸水地域の消毒、藥品補給に努力を拂つた。


(1)救護用藥品關係
イ、罹災者に對する救護用醫藥品の蒐集状況
前述したる救護班の使用藥品、病院收容所の所要藥品及び浸水地に不可缺の消毒藥品等は莫大なる量に上つたが之れ等は主として次の如き方法を以て蒐集した。即ち當初の緊急醫藥品及び衛生材料は、高知縣藥品配給會社の在庫品を使用した。(右會社倉庫潰滅したるも殘存藥品を以て)特に米英進駐軍の同情による多量の貴重醫藥品の放出があり、重傷者に對する救護に万全を期し得た。其の後岡山縣、廣島縣、大阪朝日新聞社、大阪塩野義製藥株式會社、笹虎製藥株式會社、近江日野製藥株式會社等より別項に記する如き數種多量の醫藥品、衛生材料の寄贈を受けて、震害地の市町村に配布し、負傷者の治療に萬全を期し得た。
又防疫に對しても周到なる準備をなすことが出來た。


ロ、蒐集醫藥品等の品名及數量
消毒防疫用としてリゾール一三九・五瓩、アルコール二一瓩、キタゾール五九・六瓩、外傷用として繃帶(一反巻)六三九個、ガーゼ(一〇米)九〇個。脱脂綿(一〇〇瓦)三〇〇個、昇汞ガーゼ(五五瓦)一五五個、三角巾八九〇個、止血帶二個、絆創膏二五七個、ゴム管五〇尺、治療用として重曹五〇瓩、次硝酸蒼鉛五瓩、ヂアスターゼ四・五瓩。當藥散二・五瓩、アスピリン錠(二〇入)二二〇個、硼酸四瓩、カンフルオレーフ油(一〇入)三一個、ヂヘルトン注(一〇入)七個、ヂキタリス(五〇入)一個、稀ヨードチンキ四瓩、アクリーノル二五〇瓦、マーキユロクローム三〇○瓦、ヂギラノーゲン注(一〇入)五〇個、安那加注(一〇入)三二個、第一糖液(五個)二七個、ヨードチンキ六・五瓩、硼酸軟膏七瓩、單軟膏五瓩、オキシドール一二瓩、ビクカンフアー注(一〇入)一〇〇個、ブロバリン錠(一〇〇入)二〇個、クエン酸ソーダ一二五瓦、ヂキタミン五〇〇瓦、アスピリン一瓩、ブロバリン五〇〇瓦、アミノピリン五〇〇瓦、アセトアニリド五〇〇瓦、サリチル酸ゾーダ五〇○瓦、吉草チンキ五〇〇瓦、加香ヒマシ油一・五瓩、磽軟膏五〇〇瓦、ロートエキス散五〇〇瓦、安那加末五〇〇瓦、健胃散五〇〇瓦、ウワウルシ流動エキス五〇〇瓦、ミグレニン二五〇瓦、グリセリン一・五瓩、ロヂノン(五入)一〇個、リンゲル液三二個、破傷風血清八個、注射筒五五個、注射針三二個


ハ、寄贈醫藥品
大阪朝日新聞社より複方袖熱四、○○○個
塩野義製藥株式會杜よりムルチン注(一〇入)一、五〇〇個、ザウベル(二五〇瓦入)五〇〇個、ネォパラントリン注(一〇入)五〇〇個、安那加注(一〇入)五〇〇個
笹虎製藥株式會杜よりネオノーメイ六三〇個、セキシン二二四個、ネオクレ丸一六○個、ノメチン二三〇個、順血湯一六〇個、胃膓錠五〇〇個、若守八七個、疳救丸一四〇個
近江日野製藥株式會杜より六神丸三、五〇〇個


ニ、米進駐軍より放出醫藥品
絆創膏一六八、モスリン三、大巾ガーゼ(二五ヤード)一六〇、油紙二八、脱脂綿二二四、食塩四八、スルフアヂアゾール注二四〇、局所消毒劑一、クロロホルム一八○、過マンガン酸カリ一、ワセリン二○、安ナヵ(注)一、酒精一六、石鹸五罐、プロヵイン二〇〇〇、縫合糸五〇
英進駐軍より放出醫藥品
プロヵイン六、脱脂綿八、クロロホルム三、ガーゼ五、ビタミンA、D球六、三角巾二、スルフアグアニヂン一二、ガーゼ二、アスピリン二、脱脂綿一二、リント布一一、絹布一、ベルラビツト一、ヵツトグラス一二、血清を投藥する紐二、縫合針八、縫合糸四、繃帶六七、繃帶小一、絆創膏一一
米進駐軍より放出醫藥品
ペニシリン六二、ズルフアチアゾール錠(一、〇〇〇入)一〇、晒粉(六オンス入)三〇


ホ、醫藥品等使用状況
醫藥品及特殊衛生物資は高知市、中村町、須崎町、新宇佐町、甲浦町に配付した。高知市に於ては日赤支部、日赤病院、宮本病院、平田病院、中央病院、岡村外科、診療所、女子醫專の臨時收容所にも醫藥品の配布を行つた。寄贈醫藥品は高知市、中村町、須崎町、新宇佐町に適當に配布したが、塩野義製藥株式會社の注射藥は醫師會にザウベルは藥剤師會を通じ適當に配付した。
米進駐軍放出醫藥品は英進駐軍より放出醫藥品は全部高知市に配布した。

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米進駐軍放出醫藥品
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米進駐軍放出醫藥品

第四節 傳染病予防と發生状況並に應急措置

(一)防疫概況
震災後の防疫に關しては、厚生省より石橋防疫課長の來高視察もあり、縣としても最も意を用いた處である。即ち當初救護班の派遣にしても必ず防疫職員を同行せしめ、特に新宇佐町、須崎町の如き浸水地に對しては、今後の施策の基礎となるべき資料を菟集せしめ、駐在防疫要員として嚴重監視せしめた。
其の後緊急救護の一段落と共に、愈々本格的に防疫に專念し、傳染病發生蔓延の防止に努力した。以下順を渣つて述べることゝする。


イ、防疫計畫
震災後に於ける傳染病發生防止の重点は言う迄もなく浸水被害であり、之れが万全を期するためには左の準據により計畫を進めた。
A防疫資材の多量蒐集整備。
B浸水被害地毎に浜遣すベき防疫班の編成。
C豫防の方法は消毒と豫防接種に重点を置き特に(膓チフス、赤痢)並に發疹チフスの發生と蔓延の防止。
D報道機關による被害地住民の衛生々活及豫防接種勵行の換氣。(衛生課長はラジオ放送及新聞發表をなした)


ロ、豫防接種實施
縣醫師會の協力を得ると共に、浸水被害地町村及擔當保健所を督勵し、徹底的豫防接種を實施した。(後述實施表に依る)


ハ、徹底的消毒實施
縣藥劑師會の多大の協力を得て、浸水地に於ける井水、便池、溝等の徹底的消毒を實施した。


ニ、檢病的戸口調査
浸水地町村の青年等の協力により、戸別訪問による患者の早期發見に努めた。


ホ、浸水地に於ける傳染病發生状況
地震直後より翌年一月二十三日迄の一ヶ月間に於ける、浸水地域に於ける傅染病(膓チフス)の發生は十五名であるが、その内譯はである。右の内須崎町の蔓延状況を最も重視し、防疫係官を數回に亘り派遣し、地元保健所、町役場職員を督勵吏に消毒と豫防接種の徹底を期したるため、幸い大蔓延を來さずして終熄せしめた。これがため更にその豫防接種數及
消毒數は倍加した。即ちとなつた。
尚高知市内に於ける震災地住民に對する防疫衛生指導は、次の要領にて實施せられた。


(二)高知市
高知市内震災者收容所の防疫衛生指導の實施計畫要綱
一、高知市内震災者收容所の防疫衛生指導實施のため、左の通り防疫巡回指導班を編成すること。
二、各班に醫師並に藥劑官たる技官各一名宛及衛生課員、保健所員各五名宛を配置すること。
三、各班長は各受持地區の防疫其の他保健衛生指導に全責任を持つこと。
四、各班長の氏名並に班員左の通り定む。
五、巡回指導場所十五ヶ所とす。
六、各班の受持收容所左の通り。(十五ヶ所)
第一班城東商業多賀神社昭和木品倉庫昭和國民學校
第二班天理教女子醫専城束中學
第三班松岡倉庫高知劇場稻荷神杜高知工業學校城北國民學校商工會議所第四國民學校中央青年學校
七、主なる指導事項は左の通りとす。
1、衛生々活の指導並に宣傳。
2、便所、手洗、井戸、水道、炊事場等の設備、使用法、肥料汲取り状況等についての衛生上の指導。
3、各收容所に衛生班長を作り連絡を密にし、各收容所の衛生責任者とする。
4、各種豫防接種(膓チフス、發疹チフス)の徹底を期すること。
5、D・D・T撒布の徹底を期すること。
6、清掃、清潔及必要物件に對する消毒の徹底的指導並に之れに要する資材(桶、箒、塵取り)醫藥品等の配給斡旋すること。
7、收容者の健康状態、生活状態巡視。
8、乳兒の保育状況、姙婦生活状況調査。
9、理髪、入浴等の状況調査其の他。
10、巡回指導の結果は各班毎に日報にして衛生課長宛報告すること。


震災後の傳染病豫防について 高知縣衛生課
震災後浸水地に於ては、諸種の不衛生事情の爲傅染病發生の虞れが非常に大であり、震害によりまして不幸罹災されました上に、万一更に恐るべき傳染病が發生致しましたならば、災害之以上の事はないのであります。縣におきましては、之れが防疫のため浸水地域に對し防疫班を、派遣し、消毒、接種等應急措置を實施しておりますが、中央におきましても特に傅染病豫防打合せ對策のため厚生省防疫課長が來高されまして状況視察をなし、又軍政部に於きましても之れが對策には大きた關心を持つており、諸種の援助を受けているのであります。尚本日より特に醫専の生徒が浸水地區防疫のため戸別訪問をし指導を行う事になつております。傳染病豫防の要訣は、御承知の様に個人衛生の徹底であります。個人に於きまして十分豫防方法を講ずれば、傳染病さして恐るゝに足らずでありますから、此の際發生を豫想される赤痢、膓チフス、發疹チフスに對しては充分注意を↓て、次の様な事項に留意し悪疫の侵入を防止し御互復興に努力致しましよう。
○生水を飲用しないこと、必ず煮沸して使用すること。
○手指を清潔にすること。
○虱を驅除すること。
○下水、水溜をきれいにし塵芥を處理すること。
○膓チフス、發疹チフスの豫防淀射を浸水地區にて實施中であるから洩れなく受けること。
○万一發病した時は直ちに醫師の診察を受けること。
八、宣傳ビラ左の通り。


(三)安藝郡
イ、震災後浸水地及罹災者收容所に對しては、徹底的な消毒を實施した。即ち浸水地附近の溝、便所等に對しクロールヵルキ、罹災者收容所に於てはD・D・Tを撤布した。ス、の使用量は別項に述べる通り。
ロ、尚右に併行して右地區住民及罹災者に對し、膓チフス、發疹チフスの豫防接種を實施した。本接種は衛生課員を三班に分ち大阪府派遣救護班を二ヶ班に分け、尚且城西病院及び女子醫專の應援を得て實施した。
ハ、豫防接種實施數及び消毒藥品使用量


(四)高岡郡
縣派遣防疫班主体となり、須崎保健所、須崎町當局及新宇佐町當局をして膓チフス、發疹チフスの豫防接種及浸水地の井水、便所、河川の消毒を徹底せしめたが、不幸須崎町に膓チフス患者發生し、其の蔓延防止に對しては前述せし如く非常なる努力を拂いたる結果、患者十二名を出したるのみにして、大事に至らずして終熄せしめた。
當時實施した豫防接種人員及消毒藥品量は次の通りである。


(五)幡多郡
縣派遣救護班大阪府派遣救護班中村保健所背年團員等互に協力し、町民に對する豫防接種及消毒を實施した。其の實施數は次の通りである。


(六)其の他の方面
以上述べたる地域以外に於てはその被害僅少なりしため、全て臨機に夫々担當保健所をして適當なる處置をとらしめた。本項には敢えて詳述する必要ないと考える。

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傅染病(膓チフス)の内譯
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豫防接種數及消毒數
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各班長の氏名並に班員
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宣傳ビラ
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安藝郡 豫防接種實施數及び消毒藥品使用量
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高岡郡 豫防接種人員及消毒藥品量
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幡多郡 豫防接種及消毒實施數

第五節 今後の對策

(一)今後の對策
市内に於ける應急醫療は一應終了したが、郡部特に中村町に於ては負傷者多數に加え病院倒壊の爲醫療能力の低下甚しく、縣係官を直に派遣し施設復舊並に救護に全力を注いでいるが、これに對する衛生資材等多量補給の要がある。長期入院を要する患者に關しては、可成國立病院を利用する豫定なるも、何分被害者の大部分は明日の生活にも困窮する状態にあり、今後の醫療状況より考えるもその救療については、全獺國庫負擔により救濟を要するものと認められる。醫藥品衛生材料の損害も甚大であるから、今後の罹災者救療並に一般醫療及消毒に要するこれら醫療薬品等の不足は、極めて憂慮すべき状況にある。
罹災民にして乳製品の特配救助を要する者に對しては、臨機これが配給を實施したが、一般需要との關係もありこれが不足に對しては考慮の余地がある。
浸水により傳染病發生の危惧が大であるから、これが對策として防疫班の機能を強化し特に赤痢、膓チフス、發疹チフスの豫防に全力をそゝぎつつあるも、これに要するワクチン等の確保に苦心している。


(二)復興
醫療機關の迅速なる復興は元より最も重視さるべきものであり、特に高知市に於ては中央病院、赤十字病院、中村町に於ては倒壊したる各病院及診療所、宿毛町に於ては宿毛病院の速かなる復舊は住民の保健衛生上喫緊の要務である。
縣に於ても之の点最も關心を寄せ之が復舊に努力中であるが、目下の資金難及資材難の場合凡ゆる方面に支障ありて、急速なる復舊の望み薄く、實現の困難なるは實に遺憾の極みである。別項による計畫は復舊の基本たるべき資材の必要量を記したるものであり、目下之れが入手は主管課をして奔走せしめある現状である。

第三章 食糧關係の被害及その對策

第一節 食糧關係の被害状況

震害後最も懸念されたものは食糧問題であつた。手持米僅か二、三日位の町村もあつたので、これを如何にして救援すべきか重大問題であつた。交通は全く杜絶し隣接町村との食糧等の救援物資の運搬さえ遮斷されて、應急措置としてその土地で蒸竿等で急場を切り抜け、全縣下擧げて供出米完納に農家の同情に訴えた。又一方では別項に記した如く香川縣の温き愛の贈り物!救援米の急送を懇請したのであつた。しかして、食糧の被害状況は次の通りである。
昭和二十二年一月十日までに調査の結果判明せる被害食糧は次の通りである。
(イ)政府手持食糧被害一〇五石
(ロ)食糧營團手持食糧被害六二八石
(ハ)農家保有食糧被害一七、四四一石
(ニ)消費者保有食糧被害一、五三二石
(ホ)土地沈下海水浸入等により麥の耕作地三四、八九一反に被害を蒙り、これがため約三七、三五九石(農産課調)の減收が見込まる。
(へ)應急用、救護用、復舊用としての必要食糧一五、○○○石
右は震災による應急用、救護用、及び堤防、道路、鐵道、涌信、橋梁、その他の復舊用等に充當するもの。
以上の調査に基き食糧課長及び食糧課係官が上京し農林省と折衝の結果、一般主要食糧の賣却以外に應急用として二万石を確保した。
一、政府手持食糧の被害状況
流矢せるもの三三俵
浸水せるもの一一〇俵一二瓩
埋沒せるもの一一九俵
合計二六二俵一二瓩
二、營團手持食糧
流矢せるもの三、三七五瓩
浸水によるもの八八、二一七瓩
埋沒によるもの九一瓩
腐敗せる甘藷二、〇〇〇貫
雨水浸入によるもの一二〇瓩
合計(米換算)六二八石
農家及び消費者手持食糧の被害状況(二二年一月一〇日現在)
農家及消費者の被害食糧の利用状況(米換算)

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農家及び消費者手持食糧の被害状況(二二年一月一〇日現在)
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農家及消費者の被害食糧の利用状況(米換算)

第二節 食糧對策

(1)應急對策
十二月二十一日震災に依る罹災家庭に對してはパン、蒸甘藷等の應急特配及び營團手持米を以て炊出しをなし罹災者の食糧不安を生ぜざる様努めると共に、救護班、警防團、復舊作業除等の出動に對しても食糧特配をなし、之等活発なる活動に資した。
縣内食糧の手持少なき爲縣内食糧の供出促進を計ると共に管外米移入の懇請をなし、目下香肌縣より移入中である。


(2)今後の對策
縣内農家の供出確保を計ると共に米、甘藷の超過供出を促進懇請すると共に、管外移入を懇請し、所用食糧の確保を期する。尚米の被害數量三三、四八七石であるが、麥作の浸水に依る減收見込約一、二〇〇町歩一二、一三五石を加えれば將來總計四五、六二二石の移入増加を乞わねばならぬ事になる。

第三節 供出米完納督勵運動

受災縣として他縣の救按に俟たなければならないが、本年度産米供出成績を見るに全國最下位の不成績では救援米の移入を仰ぐ上に一大支障を生ずるので此の際特に農家の協力と隣人愛より率先供出を得るより他に途はないのである。
一方縣當局に於ては香川縣へ救援米懇請の爲め細川内務部長、山田食糧事務所長、田村食糧課主任事務官等を急派した。
今縣が採つた關係方面と緊密なる連絡を保ち、割當量の急速完了の方途、更に今回の災害に對し縣下全農家より救援食糧として超過供出を懇請したが、その模様は次の通りである。


(1)知事訓示要旨
一、縣下の本年産米供出成績は現在迄割當十二萬八干石に對し約四万四千石で全國最下位の成績に(三四%)あり消費縣として來年六月迄に約十七、八万石の移入を仰がねばならぬ本縣の實情から、縣内産米の速やかなる供出は絶對要件なること。
二、縣は擧縣一致の供出運動を展開すべく準備中不幸二十一日の大震災により、縣下全般に亘つて甚大な被寄を受け之が應急對策、復舊對策の上からも、食糧問題は愈々重大性を加えるに至つたこと。
三、依つて極めて多忙の際ではあるが地方事務所長、警察署長、連絡會議を開催し、此の際各機關と緊密なる連繋を保ち、他面農民の愛郷心、義侠心に訴えて速かなる供出の完遂を期する。(詳細は經濟部長、總務課長等より説明する。)
四、香川縣米の移入状況。
五、此の際悪質違反者ブローカー等の徹底的取締、税務署と連絡して密造酒の取締を勵行する。
六、罹災地に於ける食糧需給に關しては特に意を用い縣と常時連絡を保ち、不安なからしむ様にすること、場合によつては、署長、地方事務所長等、出先機關の連絡によつて、機宜の措置を講じてもよろしい。


(2)昭和二十一年産米及甘藷の供出促進對策要綱方針
本縣の食糧事情は消費縣にして年々相當數量を政府を通じ、他府縣よりの移入に俟たねばならぬ實情に在り、從つて之が移入を確保する爲には縣内産米及甘藷の政府供出割當量を可及的速に完遂するの要あり、然るに最近に於ける供出は頓に低下し憂慮に不堪、此儘推移せば配給操作に支障を及ぼすのみならず、延ては不足量の移入確保上重大なる障碍を來す處あり、更に不幸にも一二月二十一日未明縣下を襲いたる震害は其の範圍廣汎、被害甚大にして罹災者の救護用食糧並に罹災食糧の補愼等に食糧操作上相當の打撃を免れず、特に罹災者の救援と罹災家屋其の他再建上際重要施設の復舊は焦眉の急務なるを以て、之が爲には食糧の確保と食糧治安の維持に遣憾なきを期すべく、農家の
同胞愛と愛縣の至情に愬え、關係機關の全幅的御協力を求め、政府供出割當量米一二八、三〇〇石、甘藷一〇、〇〇〇、○○○貫に付ては速に之が供出の絶對的確保を圖る爲緊急對策として左の措置を講ずるものとする。


第一 縣に主要食糧供出促進本部を設置し各市郡に夫々市、郡、圭要食糧供出促進支部を設置するものとする
本部に本部長、副本部長、部附及部員を置き支部に支部長、副支部長及支部員を置く。
本部長は知事、副本部長は内務部長、部附は經濟、農地、警察各部長とし部員は供出關係諜、所長、課所員を以て之に充つること、支部長は市長、地方事務所長、支廳長とし副支部長は關係團体長を以て之に充て、部員は關係官吏及關係團体幹部を以て構成するものとする。
主要食糧供出促進對策の趣旨の普及徹底と之が實践運動の推進に當る機關として、別に縣食糧委員會委員中より推薦せるものを以て、主要食糧供出促進委員會を設くるものとする。


第二 供出促進の具体方策
1、政府供出割當量の部落又は個人別割當完了期限を十二月末日と定め期間内に割當を完了すべき旨市町村長宛電報を以て通知す。(二十一日発電済み)
2、縣に縣農業會長、食糧營團理事長、食糧事務所長、日甘支所長、食糧檢査所長、高知市長等を招致し供出促進懇談會を開催すること。(日時十二月二十三日午前十時)
3、縣に新聞記者、放送局等報道機關の幹部を招致し主要食糧供出促進對策を發表し之等機關の全面的協力を要請すること。(日時十二月二十三日正午)
4、地方事務所長、警察署長の連絡會議を開催し、具体的方策の指示を爲すこと(日時十二月二十五日午前九時)
5、部課長會議を開催し指示すること。(日時十二月二十六日午前十時)
6、縣食糧委員會を招集し供出促進懇談會を開催し實践方法等に付協議すること。(日時十二月二十六日午後一時)
7、割當完了町村に對しては供出完遂の爲脱穀調整用油の配給、空俵の斡旋、政府買上手續の迅速化及輪送の圓滑等各般の措置を講じるものとし供出完了期限は米にありては二月末日、甘藷にありては一月末日とし右期限内に絶對的に之が供出の確保を目途とするも震災に依る罹災者の救護及再建復興對策の万全を期する爲完了期間を俟たず可及的速に供出を完了するものとすること。
8、高知市を中心とし縣下主要消費地に於て消費者大會を開催し消費地の實情を明にし生産農民に對し速かなる供出を懇請せしむるものとする。
9、供出成績良好なる地方より順次農村慰問、供出感謝演藝會を開催するものとする。


第三 超過供出促進對策
l、縣食糧需給の現状に鑑み最大限度の超過供出の促進を圖ることとし米にありては割當量の一〇%以上、甘藷にありては二〇%以上を超渦供出の旦標とすること。
2、超過供出報償用物資は清酒、木炭、繊維製品、食用油、塩、干魚等とし、縣に於て極力之が確保を圖るものとする。


第四 縣外よりの移入對策
食糧事務所と常時連絡を密にし本省に對し縣外より本縣への移入を懇請し、之が移入に關しては万全の策を講ずることとすること。


第五 取締對策
主食の闇行爲、横流し、密造酒の取締、供出阻害言動を爲す者等の取締強化に關しては、警察部に於て立案、之が萬激憾なきを期することとする。


(3)主要食糧供出促進對策要綱實施細目
一、本縣食糧事情は憂慮に堪えざる事情にある折柄今般の震災により更に急速なる供米及甘藷の供出完遂を圖り食糧を確保することは、焦眉の急務なるを以て一月末完了を期するを目途として供出の推進を圖るものとする。
二、供出促進本部の機構及青任分擔は別表の通りとする。
班長係員の供出促進上執るべき事項は左の通りとする。
1、班長は供出促進地方支部と連絡をなし呉休的推進方法を講ずるものとする。
2、前項に基き係員は各責任分擔區域の供出につき、關係員の協力を求め供出促進計畫を樹立し實施すること。
3、督勵期日
4、促進方法
係員は各自の分擔町村を巡廻し關係團体長及實行組合長(部落長)等の協力を求め指導促進し其の結果を別紙要領により各班長を通じ経済部長に報告すること。


(4)主要食糧供出促進本部機構

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(4)主要食糧供出促進本部機構

第四章 住宅に對する應急措置

第一節 避難所状況

家屋全壊流失、燒失、浸水等による罹災者は一時應急對策とし應急收容所とし、高知市に於ては劇場、神社、學校寺院、倉庫、公會堂等十二ヶ所を開放した。
郡部に於ても夫々神社、寺院、學校、大建築物等の施設を利用して罹災者を應急收容した。なお罹災者を臨時緊急に收容するため料埋店、高級飲食店、社寺、遊休住宅を全面的に充常するため左の如き緊急措置を採つた。
震災者を臨時に收容する住宅は左記原則によるものとする。


 記
(一)料理店、高級飲食店及社寺並に遊休住宅は、経營者又は管理者の居佐に必要な最少限度を除く他全面的に災害者臨時收容所に充當すること。
(二)右により尚住宅不足の場合は一般住宅の中余裕あるものよりなるべく縁故者を頼り順次災害者を收容すること。
(三)年内に元の住居に復歸出來得る見込みのものは現在利用の施設によらしむること。
(四)罹災者用の應急住宅の建設を促進し逐次(一)(二)に臨時收容したものを住居せしめる。
(五)罹災者にして住宅を建設せんとするものについては資材を重点的に配給すること。

第二節 罹災者收容バラツクの建設

(一)餘裕住宅の開放
關係方面と連絡し餘裕往宅の調査を徹底し其の開放を促進する。尚客觀的情勢に於て必要且つ妥當な場合は住宅緊急措置令による強權發動もする。
(二)修理可能のものに付ては復舊賓材を特別配給する。
(三)全壊、流失、消失のもので收容しきれないものに付ては應急小屋掛の新設により收容する。
小屋掛新設計畫は左記の通りである。
高知市四〇〇戸
新宇佐町三〇〇戸
須崎長多ノ郷二五〇戸
宿毛町五四〇戸
清水町四〇〇戸
中村町八○○戸
計二、六九〇戸
(四)應急復舊用資材資金必要量は左の通であるが、未だ所要資材入手するに至らないので各方面と折衝中である。
應急復舊用所要調(推定額)

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應急復舊用資材資金必要量
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應急復舊用所要調(推定額)

第五章 救援物資並金融

第一節 救援物費の給與状況

罹災者約七萬壹千余人に對する應急救護物資は大量を要するも、縣内に於ては集荷可能の物資は極めて僅少であつて、とりあえず引揚者に對する越冬對策用其の他少量の備蓄物資を放出し、左の通り一部罹災者に給與したが、連合軍側の救援物資が着々到蒲して居るし、亦他府縣方面からも順次着荷したので、段々救護も徹底せしむることが出來感謝に堪えない次第である。
なお現在までに給與した物資の状況については左の通りである。
(一)物資給與状況
(二)現在に於ては進駐軍の好意 により汽車及飛行機、船舶等を以つて多大なる救援物資の援助を受けつゝあり。高知軍政部と協議し差し當り一部の物資を本月二十七日左の通り送付した。
(三)應急救済用の衣料並に其の他物資の今後所要見込數量
(四)應急救護物資獲得の爲宇品引揚援護局に係官を派遣し備蓄毛布其の他衣料品の割愛方交渉中であるが、係官の情報によると相當物資を不日船便を以て輸送する旨通知があつた。
(五)知事の通達救援物資の配給について
昭和二十二年一月十五日知事より高知市長、幡多支廳長、各地方事務所長、各生必組合へ救援物資の配給についての通達を左の通り發した。


◇商工省割當復興並に救援物資の配給について
首題については左記方法により配分する事に決定したから、是が迅速公平なる割當配分實施につき萬全を期せられたい。



 一 總括配給方法
(イ)別途縣に於て定めたる各市郡別配分基準により、高知市は市長、其の他は幡多支廳長並に各地方事務所長(以下各長と稱す)に一括配分數量の通知をなす。
(ロ)各長は直ちに各町村別(町内會別)の家屋被害程度並に罹災者の實際の困窮の實情を勘案し各品日毎の町村別(町内會別)配分數量を縣商工課に報告する。
(ハ)縣は右報告により夫々の統制機關を通し、各町村の所屬する配給機關に(別紙參照)現品を急送する。


 二 末端配給方法
(イ)本商工省割當物資は總て有償につき、是が末端配給は前項(ハ)記載の通りを以つて平常の一般物資配給と同様、小賣公定價格(物資にょりては一部例外價格の物あり)にて現金取引とする。
(ロ)末端配給機關は各長又は各長の指示により、町村長或は町内會長、區長等の發行する物贅配給票と引換に現品を賣渡すものとする。
(ハ)物資配給票には品名、數量、購人者氏名、販賣所氏名、發行者氏名及有効期間を記載し、發行責仕者の職員印並に取扱者の捺印をなし、且つ上欄に特に(震)の印を押す事とする。


 三 配給についての處理方法
(イ)本物資配船は震災復興並に救護を主なる目的とするため、是が配給に當つては特に迅速且つ公平を期すること。
(ロ)各長並に町村長(町内會長)及配給店は、諸物資の割當數量並に販賣價格を夫々適宜の場所に公示すること。
(ハ)各長並に町村長(町内會長)及配給店は、配給についての証憑書類を整備しおくこと。
(ニ)本物資取扱については政府より特に震災地罹災者用復興並に救護用として割當られたるものにつき、各統制機關並に配給機關は奉仕的に協力なし配給に要せる直接経費を差引きたる剰余金額は總て、高知縣震災對策本部に寄付なさしむる方針なること。


 四 其他について
本物資は總て卸賣公定價格にて入手の上、小賣公定價格(一部例外あり)にて販賣の豫定なるも、現在割當物資の現物化につき係官を各方面に出張せしめ逐次人荷中にして販賣價は未定なるが、念を要するため着荷分より順次配分し、代金は証憑書類により價格決定次第徴收するにつき特に其の旨受配者に徹底さしおくこと。

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(一)物資給與状況
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(二)送付した物資
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(三)應急救済用の衣料並に其の他物資の今後所要見込數量
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商工省割當復興並に救援物資の配給機構表

第二節 金融

1 金融應急對策として日銀と協議の上、十二月二十三日應急生活必要品購入資金として第一封鎖預金よりの自由支拂に就いて請求のあつた場合は、左の通り取扱うこととした。
イ、家屋全壊、全燒又は流失に因り生必物品の大半を失いたる場合は世帶員一人當五百圓、一世帶最高二千五百圓。
ロ、家屋半壊中燒又は浸水のため、生必品の被害甚大と認められる場合はイの半額。


2 十二月二十六日縣下の産業並に金融界の代表參集、金融對策協議會を開催し、左の点に就て協議了解を求めた。
イ、歳末をひかえての操業停止により事業家の中には資金固渇したものもあり、從業員に對する給料の支拂不能等によつて社會的經濟不安を起す様なことがあつてはならないので、此の際金融機關は期限到來の手形書換え、應急資金の融通等につき特別の考慮を拂うこと。
ロ、金融機關の融資に俟たねばならぬ復興資金は約三億圓に上る見込みであるが、縣下金融機關の現況では到底まかなうことが出來ないので、復興金融金庫の積極的融資は迅速適切を要する爲、復興金庫の代行機關である勸銀高知支店限りで融資出來る一件の金額五十萬圓を、一千萬圓迄擴大せられる様官民一致中央に要望すること。


3 復興對策委員會專門委員會協議事項
別項に述べた通り各專門部會では夫々の對策を協議したが、物價金融委員會の協議事項は左の通りである。
(一)復興金融金庫の融資を迅速適確に實施する爲に、代行機關である興業銀行高松出張所より杜員を高知へ常駐せしめらるる様日銀支店長より要望すること。
(二)中小商工業者の營業所兼住宅又は一般の住宅建築資金として、政府保証の様な形式で低利資金の融通を受け得る様な措置を研究すること。期限五ヶ年以内一件の金額一萬圓程度で、融資範圍利率等は縣當局で研究すること。
(三)金融融資に關しては、各金融機關に於いて檢討の上融資可能と認むるものに付縣の副申又は証明の星示を求め、復興融資に無駄を生ぜしめない様にすること。
(四)住宅建築をなそうとして、も資材入手等に困難を感じ勢い闇價格にうつらざるを得ない現況にあるので、住宅營團に代る様なものを、縣に於て設立する様關係專門委員會に要望實現に協力すること。
(五)復興資材については、其の種類所要量及本省割當物資縣内在庫品及將來縣内に於て生産せられるもの縣外より移入によるもの等を調査して、縣移入については例外價格設定等の措置を講ずる必要あり。又價格面に於ても生産阻害を來してはならぬから事務當局で具体的方策を樹立し、次回専門委員會で審議する様取計うこと。
(六)最近發表せられた大工、左官、雜役等の勞務賃金は大巾(約二倍)値上げとなり、諸種の物價に悪影響を及ぼしつゝあり之が對策につき研究せられたい。


4 金融關係に於て特に中央に要望すベき事項
一、中小商工業者の營業所又は一般住宅建築資金として、政府補償等による自由支拂による特別低利資金の融通をせられたいこと。
右期限は五ヶ年以内一件金額二萬圓程度とする。
二、復興金融金庫の融資を迅速適確に實施する爲に代行機關である勸銀高知支店限りに於て、融資川來る限度を五百萬圓(一千萬圓)程度に擴張するか、或は代行機關である興業銀行高松出張所員を高知へ常駐せしめ、高松出張所限りで融資出來る限度五百萬圓を現地に於て處理出來る様に取計われたきこと。
三、復興金融金庫の高知縣へ融資出來る金額に制限が設けられておらば之を擴張せられたいこと。
四、救護物資叉は復興物資の入手資金は、自由支拂で所要資金の融通を受け得る様金、融緊急措置令施行規則第五條第一項第十一號による大藏大臣の指定を受けたきこと。
五、罹災者住宅建築資金として三萬圓程度自由支拂による預金引出を、金融緊急措置令施行規則第五條第一項第十一號により指定せられたきこと。

第六章 義捐金品と見舞

第一節 義摘金品

全縣下の震害の激甚なること一度全國に傳えらるゝや、各方面の温き情の慰問や義捐金品は山の如く次々到着した。次に天皇陛下の御下賜金を始め進駐軍の厚意による莫大なる救援物資は、ただちに極塞の冬空に泣く罹災者の人々の手に渡され、その濫き同情に感激と感謝の念で胸一杯であつた。
又各地よりの慰問激勵の言葉は、途方に暮れた罹災者に復興への希望奮起の光明ともなつた。今こゝに深く感謝の意を表する次第である。一、南海震災義捐金品二、天皇陛下よ甑の御下賜金三、知事見舞金等の明細表は左記の通りである。
二、天皇陛下よりの御下賜金
金貳拾萬圓を本縣下の罹災者に對して下され、別記配分表の通りただちに罹災者に夫々配分された。
三、知事見舞金
金參拾壹萬四千参百拾圓を別記配分表の通り罹災者に對し夫々配分した。


備考
罹災者救護の實情は、聯合軍の厚意による衣料食糧醫療品等の莫大なる各種救濟物資の放出並びに、厚生省所管元軍用食糧並びに衣料品及び、本縣に備蓄中の生活困窮者用各種救濟物質の轉用による無償配給實施等、或は救恤金を始め知事見舞金及び義損金の一部配分等相互勘案するに、その救護は飽和状態に逹したものと察知せられたので更に義捐金の追加配分による援護は、援護の觀点よりしてその適切を缺ぐ實情にあつたので、これが使塗處理施策については右の様な事情にょり、縣民に對し恒久的な公共福祉施設の建設事業の財源として充當し、縣民の福祉増進に寄與することを適正と思料せられるに及び、生活困窮にして扶養並びに自活能力のない老人の養老施設並びに震災罹災者引揚者生活困窮者の收容施設の建設費とし、或は災害被害の甚大であり、且つ兒童福祉施設の分布配置上多年懸案とせられた、高知縣幡多郡中村町に保育薗を建設する等により處理した。
なおこれが便途明細は義損金支出明細書(一)を參考とせられたい。

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一、南海震災義損金
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義捐金配分明細書
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一、義捐金支出明細書(厚生課扱)
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二、御救恤金配分表
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三、義捐金の罹災者に對する配分表
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四、知事見舞金交付表
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◎義捐金(都道府県別)
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南海屡災義損物資處理状況一覧表(高知縣)
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◎見舞品の内譯(都道府県別)

第二節 慰問

各地より慰問激勵の御詞に接し、一時は絶望のドン底に陷入つていた罹災の人々も、希望の光明を得たことは偏に絶えざる御援助の賜と感謝の他なく、或は混雑の際記載漏れの方々もあるやも計られざれど、こゝに芳名を記す。特に一月一日閑院宮春仁王殿下は天皇陛下の御名代として本縣を御慰問され、高知市、須崎町等を御視察なされたことは感激の至である。


一、電報
鳥取縣、京都府、大阪府、岐阜縣、熊本縣、
東京都、福岡縣、石川縣、奈良縣、北海道、
三重縣、青森縣、新潟縣、宮城縣、兵庫縣、
島根縣、山梨縣、宮崎縣、廣島縣、神奈川縣、
富山縣、静岡縣、滋賀縣、栃木縣、秋田縣、
岩手縣、
◎以上各縣知事
長野代議士、山地土佐太郎、兵庫縣豊岡市長、前岩本經濟部長、京阪神薪炭連絡協議會、函館市長、京都府會議長、大阪府會議長、警視總監、西ノ宮市長、富山縣内務部長、四國配電社長、兵庫縣林務課長、大野武夫、京都レース、神奈川縣婦人會寮聯合會、高野山金剛福寺、山本四郎、横濱市長、警視廳生活課長、岡山農地事務局長、善通寺關西ホンジ局長、芦屋市長、三田村一、來縣見舞者は各方面より澤山に受けたが、こゝに氏名を掲げることは省略させていたゞくとともに、謹で感謝の意を表する。

第七章 閑院宮殿下震災慰問に御來縣

第一日(一月一日)高知市御視察
震災慰問の聖旨により受災地御巡視の閑院宮春仁王殿下には一月元旦徳島縣を經て午前十一時二十六分高知驛着列車で御來縣遊され、午後一時縣廳で知事以下に對し前記のようなお書葉をたまわり丙村縣知事は復興の決意を奉答、状況報告を聽取され、たゞちに西村知事、宮本市長代理の御案内で高知公園天主閣から市内を概觀され三時四十分宿舎知事官舎に入られた。


第二日(一月二日)須崎町及新宇佐町御視察
二日は午前八時三十分宿舎御發、西村知事の御案内で材木や打ち上げられた船で慘たんたる須崎町を御視察、高岡町を經て午後は津浪に洗われ一面の砂濱になつた新宇佐町を御慰問、午後四時日程をおえて宿舎に歸られた。


◎御慰問のあちこち
この兩日殿下は、それとも知らず焼芋を頬ばるおかみさんや、掛小屋の前で焚火をする人々に
「家はどうだつたか」
「怪我はなくてよかつたね」など氣輕に話しかけられ
「いま何に一番不自出しているかね」
「お正月のもちぐらいは食べられたか」と問われ
「お正月どころではありませんよ」との答に
「そうだろうなあ」と御同情
「天災はしかたがない、悲しいだろうが氣を落さんように元氣で起ち上つてもらいたい。陛下もそれを一番におのぞみになつている。」
復興作業にいそしむ人々には
「しつかり頼む」
と御激勵、浸水地の中で聞える歌聲や醉つ拂いの大聲に
「これは朗らかな方だね」
と微笑される殿下だつた。


第三日(一月三日)御離縣
午前七時四十分全日程を終えられ高知驛發で離縣御歸京の途につかれた。
閑院宮春仁王殿下震災地御巡視日程
一月一日
一一、二六高知驛御着
一二、○○縣廳御着御休憩(縣廳知事室)
一三、一〇聖旨傳達(並に奉答)(縣廳正廳)
一三、二〇状呪報告(縣廳知事室)
一三、五〇市内災害地御巡視
一六、○○宿舎御着(知事官舎)
一月二日
八、三〇宿舎御出發
一〇、三〇須崎町御着御巡視
一一、三〇須崎町御出發
一二、三〇高岡町御着御休憩
一三、三〇高岡町御出發
一四、○○新宇佐町御着御巡視
一五、○〇新宇佐町御出發
一六、〇〇宿舎御着
一月三日
七、四〇高知驛御出發

第八章 震災直後及復興の現在の機構

震災當時の當地の軍政部や縣の主脳の方々や現在の機構を掲げ、特に進駐軍の方々の勞苦に對し感謝するとともに當時の機構の改革の跡を辿つてみよう。なお中間異動は一々こゝに補充して掲げなかつた。


昭和二十一年震災當時の高知軍政部職員
司令官ヱフ・ヱム・グラント少佐
民間教育情報課長ヱン・シー・シユフオード少佐
衛生課長ピー・ヱム・ダツセル大尉
經濟課長ビー・ピー・カーソン大尉
法政課長ヱム・ミクソン中尉
副官カウデン中尉
昭和二十四年六月現在の高知軍政部職員
司令官オー・エー・アクセルソン中佐
副官シー・エイチ・アースキン少佐
經濟課長デイー・イー・ラム大尉
法政課長アール・エー・バートン大尉
用度課長エイチ・デイー・ウオータース大尉
厚生課長兼衛生課長アール・テイー・ウイルソン中尉
分遣隊長ヂェー・エス・コンクリン中尉
資源課長エー・エル・ブラツクバーン中尉
勞務課長ヂェー・デイー・ホワイト中尉
民間一教育課長ダプリウ・エー・クラム博士
民間報道課長エル・スミス氏
税務課長イー・ピー・ニネマン氏


The Officers of Kochi Military Government
Team at the time of the earthquake in 1946.
Major Fred M.Grant Commanding Officer
Major Norman C. Shuford CE & CI Section
Capt. paul M.Dassel Pablic Health Section
Capt. Bavlis B. Carson Ecokom1cs Section
1st. Lt. Marion Mixson Lega1 & Gov't Section
1st. Lt. Cowden Adjutant
The Officers of Kochi Civil Affairs
Team as of June 1949.
Lt. COl. Oscars A. Axelson Commanding Officer
Major C. H. Erskine Executive O & Adjutant
Capt. David E. Lamb, Jr. Economics Section
Capt. Richard A. Burton Legal & Gov't Section
Capt. Harry D.Waters Supply Section
lst Lt Robert. T.Wilson Welfare & Public Health
Sections
1st Lt.James S.ConKlin Detachment Commander
1st Lt.Andrew L. Blackburn Natural Resource Sectjon
1st Lt. John D.White 8 Labor Section
Dr. William A. Cram Civil Education Section
Mr. Lucius Smith Civi Information Section
Mr. Edison P.Ninneman Finance & Civil Property


◎震災當時の高知縣主腦部(順序不同)
高知縣知事西村直已
内務部長細川良平
經濟部長藤原賢.吉
敏育民生部長久武猛彦
農地部長小島利太郎
警察部一長小杉平一
教學課長中平悦磨
厚生課長森田治作
建設課長安岡登志
農地課長鈴木貢
庶務課長川村正雄
農産課長竹内四郎
經濟總務課長高鴨金廣
人事課長兼渉外課長町田充
會計課長入倉勇一
統計課長安岡理
官房主事赤澤功
商工課長有吉久雄
土木課長森四郎
蚕糸課長今村壽雄
地方課長小松延秀
林務課長佐々木堅一
衛生課長聖成稔
水産課長永井敢次郎
開拓課長志賀清六
耕地課長柏井益水
勤勞課長林壽良
保險課長若林貞雄
幡多支廳長橋田光明
安藝地方事務所長島田善三郎
香美〝江島五郎
土佐、長岡〝赤堀四郎
吾川〝川澤美秋
高岡〝森寛
警務課長中井亮一
保安課長山本市太郎
公安課長小島小太郎
交通課長池添親
刑事課長松村役之助
經濟防犯課長横畠恒利
教養課長中西作治


◎復興完成當時の縣主腦部の人々(昭和二四、七、一現在)
知事桃井直美
副知事廣木三郎
出納長久武猛
總務部長(兼)廣木三郎
民生部長(兼)林壽良
經濟部長細木志雄
土木部長仁科太郎
衛生部長聖成稔
農地部長中山堅吉
勞働部長林壽良
秘書課長辻珍水
文書課長川澤美秋
人事課長橋田光明
統計課長島旧善三郎
庶務課長安岡三四郎
副出納長會計課長吉本盛稻
地方課長安岡理
渉外課長目代眞一
税務課長大坪岩男
厚生課長窪田金壹
兒童課長藤平榮
保險課長朝倉義綱
世話課長坂本俊馬
食糧課長濱田尚之
農務課長山崎直美
農業改良課長今村新
商工課長森寛
紙業課長馬田豊
蚕糸課長松下信彦
林務課長辰巳俊吉
水産課長山田純三郎
監理課長上村春吉
道路課長大村繁三郎
河川課長長瀬新
港灣課長青木淳吉
建築課長武田香壽美
營繕課長山本正民
醫務課長赤澤功
公衆衛生課長中屋逸郎
豫防課長山崎義郎
藥務課長植田香苗
農地課長幸川衛
開拓課長閣的場益二
耕地課長柏井益水
農業協同組合課長元吉正文
職業安定課長長岡寛
勞政課長山崎重利
安藝地方事務所長田原圭二郎
香美〝高橋辰猪
土佐長岡〝高橋進
吾川〝石本鹿壽男
高岡〝山下倭男
幡多支廳長赤堀四郎
警察隊長平井學
總務部長清水渉
警務部長鈴木直
警備部長村林保彦
刑事部長河村幸茂
秘書企畫課長清水渉
會計課長山崎松茂
人事装備課長鈴木直
教養課長中澤正市
警察學校長吉村多
警備課長村林保彦
交通課長乾直四郎
廣島管區通信出張所長小南幸松
捜査課長河村幸茂
防犯統計課長氏原尊法
鑑識課長下元萬太郎

第四編 公安

第一章 總説

南海地震は、その震源地が土佐沖東南海底であつた關係上、諸所に海嘯を伴い或は高潮となり、加えて數ヶ所に地盤の沈下を見、家屋の倒壊、流矢及び浸水廣汎に亘り、震害は激甚で縣下に於ける通信交通も全く杜絶した。その後に執つた緊急措置、情報蒐集、消防活動、闇取引や暴利行爲に對する取締等の概況を記述するに次の通りである。

第二章 警察部の活動

第一節 災害情報の蒐集

縣警察部に於ては速に災害の實情を把握し、以て適切なる對策し資するため、先づ情報蒐集に主力を傾注した。震害により警察電話は本山、赤岡線を除き全線不通警、察無電も亦電源停電のため使用不能の状態であつたが、應急復舊作業により警察電話は地震發生即日午後に高知港、伊野、高岡、佐川、山田、安藝、各線復舊し、連絡を確保し得たので瓶況は遂次判明したが、通信全く杜絶状態にある縣下各樞要地に對しては取敢えず左の如く夫々災害調査班を急派して情報蒐集に當らしめた。
室戸方面中西作治教養課長以下二名
須崎方面中井亮一警務課長以下三名
新宇佐方面土居幸雄警部補以下九名
尚幡多方面は當時海陸共交通杜絶の状態にあつたので、警察電話の通ずる佐川警察署をして同署以西の各警察署に遞傳徒歩連絡をもつて、災害状況を報告せしむるよう指揮した。その結果地震發生の翌二十二日午前中に幡多方面を除く須崎以東の被害概要が判明した。又同日午後九時には中村、窪川、須崎、佐川各警察署の協力遞傳連絡により漸く中村町を中心とする幡多方面の被害全貌が明かとなり、今次災害對策樹立の根據をなした。

第二節 緊急警備

震害はその状況判明するにつれ豫想の外甚大で、その罹災者數も約七万の多きに達した。特に甚大な被審を受けた高知市、新宇佐町、須崎町、中村町に於ては民心の不安同様も亦著しく認められる状況であつたので、之等の地に對しては夫々慮援警察官を派遣して警備、警戒の充實を期する傍ら、縣下各警察署に對しては、關係方面と緊密なる連絡を保ち、罹災者の救濟施策に積極的に協力せしめる反面、災害後必然的に跳梁を豫想される建築復興資材並に生必諸物資の逼迫につけ込む悪徳商人、闇ブローカーの取締、救援物資の盗犯豫防、造流言の取締等を嚴重にし、或は又市町村當局に於ける救援物資の適正配給を監視する等、冶安警備の万全を期すよう指揮督勵した。

第三節 應援、救護並に救援物資の輸送協力

A昭和二十一年十二月二十一日(震災發生當日)
高知市内に對しては高知、港、兩警察署に警察練習生三〇名を急派して應援警備に當らしめると共に、殘余の練習生並に比較的災害輕微であつた山田、赤岡、本山各警察署員をして情况に應じ直ちに出動し得る様應援隊を編成待機せしめた。
須崎町に對しては佐川警察署九谷警部補以下十名、伊野警察署澤田巡査部長以下十名の夫麦應援派遣を命じた。又新宇佐町、須崎町、室戸町に對してはかねて連絡待機中であつた應急救護班を派遣した。


B十二月二十二日(震災第二日)
前日に引續き情報の蒐集把握に努めた結果、須崎以東に於て高知市、新宇佐町、須崎町が最も被害の大なること判明したので、この三方面を主とした罹災者の救護對策に基き關係各課と協力し衣食料、燃料、醫藥品等救援物資の集荷輸送に當つた。同日午後九時中村町方面の被害判明すると共に直ちに編成待機中であつた山田、赤岡、本山、佐川各警察署員より成る特別應援隊を召集すると共に衣食料その他應急救援物資の整備並に海上輸送の手配を完了した。


C十二月二十三日(震災第三日)
午前七時前夜來召集してあつた應援除(山本市太郎保安課長以下十三名)及び醫師二名、看護婦四名より成る救護班を高知棧橋より機帆船にて中村町向け急派した。同時に衣食料、雑貨類等應急救援物資も午前七時及び午後四時の二回に亘り海上輸送を行つた。

第三章 各警察署の活動

縣下各警察署に於ては地震稜生と同時に署員の非常召集及び所要警防團員を召集し、或は又管轄市町村當局と緊密な連絡の下に夫々管内の震害に對する應急措置、縣本部ヘの連絡、混亂時につけ込む諸犯罪の防止、流言の取締等に當つたのであるが特に被害大であつた中村、須崎、高岡、高知港、高知各警察署の活動状況は左記の通りである。

第一節 中村警察署

中村町は瞬時にして全戸數の約八割が倒壊するの慘状であつた。地震常日幡多支廳長以下全廳各課長は高知市に出張不在、中村町長は上京中、同助役は震災により重傷を負い、町に於て震災に對處すべき責任者は實に警察署長のみであつた。しかも警察廳舎は辛うじて倒壊を冤れた程度の損害を蒙り、署員の佳宅も亦署長官舎及び津野巡査部長宿舎を除いては何れも倒壊し、ために坂本忠晴巡査部長は行方不明(後死亡と判明)、曳田義虎巡査部長は頭部に重傷を、其の他輕傷者數名を出し、又署員家族にも多數の死傷者を出した状熊であつたが、震災と同時に前記二巡査部長を除く全署員參集し、署長指揮の下に學署一体死傷者の收容、救出、罹災者の救護等應急處置に渾身の勇氣を振い不眠不休の努力を盡した。


A消防
地震に伴い町内三ヶ所に火災が發生した。二ヶ所は人家密集の地ではなかつたが、一ヶ所は町北方の主要地域であつた。出火と同時に中村町警防團約二十名を指揮して消火に當つたが、家屋倒壊或は機具破損のため活動意に任せず、東山村、下田町警防團各四十名の應援を得、更に叉具同、後川、蕨岡、各隣接村各警防團に對し應援出動を命じたが各地とも多少の被害があり結局、後川警防團十五名、蕨岡警防團二十名の出動をみたが、道路破損のため消防器具の携行不能で消火に當り得なかつた。
非常用として町内に備付けてあつた四台の腕用ポンプは、震害により何れも破損し使用不能であつた。中村町警防團の消防自動車二台は難を免れ完全であつたが、家屋倒壊で道路の通行不能のため火点に接近するを得ず町東方の後川堤防を迂廻し、國民學校の貯水池に至り漸く放水する等、活動困難を極めたが町住民の協力を得て、翌二十二日午前一時頃百戸余りを燒失して鎭火した。


B應急警備
地震發生後一週間に亘り署員、應援警察官及び警防團員をもつて數個の警備班を編成し毎時全町の巡邏を行い、又夜間は特別警戒を實施する等盗難、火災の豫防に努めた。又その間縣並に進駐軍よりの救援物資の下田町−中村町間の輸送に當つた。
尚警備應援については
十二月二十二日窪川警察署より三名
十二月二十三日清水警察署より三名
十二月二十四日特別應援除(混成)十三名
の外に平田村警防團、山奈村青年團等の絶大な協力があつた。


C死体收容及び道路の取片づけ
十二月二十二日総長より應援に駆けつけた附近町村警防團、青年團等は、警察署長指揮の下に専ら死体の掘出しに從事した。翌二十三日にはこれ等の一部を以て町内主要道路の啓開作業に當つたので同日夕刻には町内を南北に通ずる、主要道路は、手車、リヤカー等の交通は可能な状態に復舊した。翌二十四日よりは引續き東西道路の清掃に従事した。

第二節 須崎警察署

須崎町は地震に伴い數回に亘る海嘯の來襲を受け、然もその後の高潮のため多ノ郷村大間附近一帯は浸底し鐵道、國道共に崩壊、東への交通は全く杜絶した。
又海邊にあつた造船用製材の數千石に及ぶ木材は潮流に乗つて凄じい勢で家屋を倒し、道路を塞ぎ、多くの犠牲者を出した。
警察署に於ては直ちに署在地全員の召集を行うと共に警備本部を設け夫々の分擔に從い活動を開始した。


A消防
地震後間もなく須崎驛前附近に火災が發生したので、直ちに警防團を指揮して消防車を出動せしめたが、道路は倒壊した家屋、海嘯のための漂流物で通行全く不能にして現場に達すること出來ず、專ら人力をもつて消火に當つたが、結局第三回目に來襲した海嘯により家屋約十軒を燒失して自然に鎭火した。


B應急復舊
町内に於ける倒壊家屋と海嘯による流木及び漂流物の取片づけと、流失崩壊した主要道路の復舊は最も急を要したので、直ちに警察官警防團員をもつてこれに當らしめた。
地震發生の翌二十二日には來援した越知町警防團及び地元警防團を指揮して多の郷村道路の架橋作業に當つたので當旧午後には輕車輛の通行は可能に至つた。震災後三日間に出動した警察官は延一三五名、警防團員及び奉仕隊員延一、一〇〇名であつた。


C應急救護
地方事務所、町役場、醫療機關等と緊密なる連絡下に署員四〇名を五ヶ班に分ち夫々警防團員を補助配置して死体の收容傷者の救出を行い罹災者は國民學校講堂、天理教各寺院に收容し健民病院に醫療本部を置き傷者の救護に當らしめた。


D警備
罹災直後に出動して來た署員中十二名及び警防團員十六名を四ヶ班に編成し、夫々重要ヶ所の徹宵警備に當らしめた。同日夕來援した佐川警察署九谷警部補以下十名、伊野警察署澤田巡査部長以下十名も前記ケ所に配置して警備力の充實に努めた。


E情報連絡
夜明けと共に被害の概況も略々判明したので、その情況を縣本部へ報告するため急使を派遣したが、多の郷村大間附近の浸水甚しく到底通行は不能であつたので、午前十時當時須崎町より通勤していた、経濟防犯課勤務武市修巡査部長を特使として警防團員一名と共に、大間を遠く北へ迂廻して山越えに吾桑に出て漸くその目的を達した。十二月二十三日には警電の復舊なり爾後電話により連絡を保ち得た。


F闇取締
十二月二十四日一應の平静を取戻すと共に被害地に於ける暴利行爲、買い溜め賣り惜しみ、漂流物横領等は嚴罰に處する旨諸所に貼札して警告を發すると共に、經濟取締員を指名してこれに專從せしめた結果二十七日には釘の暴利行爲及び漂流木材横領等の違反事件を檢擧した。

第三節 高岡警察署

新宇佐町は地震と共に海嘯の來襲を受け同町の殆ど全戸に亘り流失倒壊浸水の水害を蒙つた。道路も亦高石村今戸坂の高知−宇佐線及び戸波村三ヶ所が決潰し主要道路の交通は杜絶した。警察署に於ては署長以下十五名が直ちに現場に出動し、新宇佐町警防團の召集を行い應急措置に着手した。


A警備
警察官及び警防團員をもつて各隣組單位の警備班を編成して町内警備に當つたが、一般部民は海嘯の來襲を怖れ殆ど山中に避難する状態であつたので、要所々々に貼紙を掲示して人心の平静につとめた結果同日午後には逐次落着を取戻し整理復興にかゝつた。


B救護
罹災者に對しては管内の比較的被害輕微の町村有力者に援助を要請し、布團衣類等を供出せしめ、取敢えずこれを支給する様町村當局と協力して供出督勵を行つた。又縣本部に對しては必需救濟物資の救援を具申した。


C應懸復舊
震災第二日の二十二日には管内警防團一五〇名を召集して町内の清掃取片づけに從事せしめ、一部戸波村警防團を以て戸波村道路決潰ヶ所の復舊に當らしめた。又高石村今戸坂の幹線道路の復舊に關しては、土木請負間組を動員してこれに當らしめたため同日夕刻には一應の復舊をみた。

第四節 高知港警察署

地震に伴う高潮のため高知市萩町土佐電化工場より棧橋にかけて堤防約八○米決潰し又長濱、五台山に於ても夫々堤防の破損あり、ために浸水による被害が極めて大きかつた。特に棧橋通り四丁目−六丁目に至る間は道路流失し海水は電車通り西側の水田地帶に浸水一面泥海と化した。警察廳舎も亦辛うじて倒壊は免れたが使用不能で移轉の止むなき状態であつたが、地震發生と共に全署員參集し港警防團員も亦急遽集結した。


A警備
潮の來襲が常態でなかつたので棧橋通り五、六丁目、港町方面の部民は大部分附近山麓に避難していた。警察署に於ては署員二十五名及び警防團員をもつて來襲の虞ある海嘯に對する警戒に當らしめると共に、諸流言防止のため要所に貼紙を掲示して人心の安定に努めた。
警察廳舎は震害のため使用不能になつたので、警備本部を市内塩屋崎町妙國寺に移し、武装警備班を編成して徹宵警戒に當つた。


B救護
倒壊家屋の下敷きとなつたもの數十名あつたが、警察官警防團員の决死的活躍により、夜明けまでには死体の引渡し及び負傷者の救出を完了した。又罹災者については關係方面と連絡の上急造バラツク或は學校、工場等に收容し衣食料の斡旋に協力した。


C堤防の應急復舊
棧橋地區に於ける被害の大部分は堤防決潰による高潮の浸人によるものであつたので、警察署に於ては直ちに地元警防團の主力を指揮して堤防の應急修理に當らんとしたが、海水の勢物凄く作業は容易に着手するに至らず、結局十二月二十五日より縣市關係當局により本格的に堰止め作業が開始せられたが、潮の勢容易に衰えず勞力も不十分で工事は困難を極めたので管内の比較的被害の少い三里、浦戸、御疊瀬、長濱、諸木、秋山、西分、芳原等の各警防團を交互に召集して專ら此の作業に協力せしめたので、翌一月二十五日頃に至り一應高潮の堰止めを完了した。


D進駐軍警備
地震發生後直ちに武装警察官二名、警防團員五名を高知市横濱の米軍CIC宿舎に、又武装警察官三名、警防團員三名を同じく五台山の高知軍政部グラント少佐宿舎に夫々派遣して警備に任ぜしめた。

第五節 高知警察署

葛島堤防の決潰により下知方面一帶は高潮浸水し之が復舊を最大急務とする状態であつたが、縣當局に於ける急速なる對策實施は困難な實情にあつたので、警察署に於ては管内警防團員一〇〇名及び大篠、伊野、山田各警察署より應援警防團員五〇−七〇名を毎日出動せしめて、憾急復舊に努めたが水勢強く工事は相當大規模で專門的技術を要するものがあつたので、十二月二十四日を以て一應打切り二十五日より市土木課に引繼いだ。
浸水地區の罹災者は市役所と協力して、市内の學校、紳社、専院、劇場、工場等に集團收容した。十二月二十四日までに收容した人員は一、九九八名であつた。


警察の措置


A十二月二十一日(地震發生當日)
午前中は參署警察官を順次要所に配置して警備警戒に當つた。午後署員及び警防團員を再編成して次の如く業務を分擔して應急措置と被害調査に努力した。
1庶務係、2救出並に檢視係、3配給協力係(罹災証明書の發給)、4救護所巡視係、5傷病者收容係、6堤防復舊工作様、7被害調査及び一般整理係。
夜間は警察練習所よりの應援警察官四十名を含めた全署員を市内に配置し、下知方面に重点を置き火災、盗難の豫防及び水害の警戒に從事した。


B十二月二十二日(震災第二日)
前日の殘業整理を目的として警察官及び警防團員七〇名を以て次の如く係班を編成して活動した。
1屍体發掘係、2屍休、負傷者の整理係、3罹災者の收容係、4道路取片付並に被害調査係


C十二月二十三日(震災第三日)
道路の取片付に重点を置き、前日の殘務を整理した。


D十二月二十四日(震災第四日)
外勤巡査を總動員して特殊建築物の被害精密調査を實施した。


E十二月二十五日以降、一應普通事務に復したが、其の後次の如き對策を講じた。
(一)デマの完封、火災の豫防、闇取引、盗難の警戒等を目的として、市内にポスターを褐出貼布すると共に左記回覧板を町内會に配布して宣傳に努め、或は又自動車にて市内を巡視しスピーヵー、メガホン等を使用して街頭宣傳を行う等の方法を講じた。


回覧板
一、震災に關聯して根のない事や、想像事を言い傳えたり、騒いだりするのは大敵であります。デマを完全に封鎖して復興に邁進して下さい。
二、闇取引や暴利行爲は震災の大敵であります。震災につけ込む之等悪徳業者を皆様の手で完全に驅逐して下さい
三、火事は地震の敵であります。此際竈や煙突の檢査をしお互に火の用心をして絶對に火事を起さない様にして下さい。
四、震災に乗ずる窃盗は最も悪むベき敵であります。お互に油断を戒め戸締りに注意して盗犯の防止に努めて下さい。
警察はデマを言いふらしたり、闇取引や暴利行爲をしたり、人の物を盗んだりする者は、斷乎嚴罰に處しますから、之等の悪徳者を知つた方はどしどし申告して下さい。又投書も歡迎します。
高知警察署


(二)若松町巡査派出所に小舟二艘を設備し、浸水地區の警邏に使用した。
(三)婦人警察官(毎日六名)をして町内會長、罹災者收容所等を巡廻せしめ慰問と意嚮内偵とに從事せしめると共に、署長及び幹部が收容所を巡廻して慰撫した。
(四)經濟防犯係を總動員して、又他署員の應援を得て經濟違反特に建築資材、食糧等の徹底的取締をした。
(五)震災を機會に政黨の地盤擴張を策動するものがあり、罹災者を煽動して團体行動を行わんとする傾向があつたので嚴重注意して不法行爲の豫防、警戒に努力した。
(六)震災者用配給物資の横流し等を警戒するため、經濟防犯係に毎日配給事務所を視察せしめて不法行爲を監視した。
(七)南海大震による將來への資料
A適確なる災警情報、應急救護措置及び適正なる防犯宣傳等を廣く一般部民に告知することは、徒らな民心動揺及び諸犯罪防止に最も効果的であつた。
B情報連絡に於て使用する傳令は何何等かの標識を附すことによつて、途中傳令が互に行き交うも判明せず、徒勞に歸する様なことのないよう留意の必要がある。
C特に海嘯襲來の慮ある沿岸地方に於ては避難計畫につきその場所、經路、時間、順序等に更に檢討を加え平常より一般に周知し訓練し置く必要あり。
D罹災証明蕃等の發給について、その罹災の眞否及び程度を確認して發給する様な方途を講じ、罹災者に不満を抱かしめる様なことのないようその救護措置に公正を期すべきである。
E道路、堤防、橋梁等の應急復舊についてはその破損の程度を考察し成可く專門、主管當局にこれをなさしむる事が肝要である。高知市に於ける堤防の應急復舊は震災發生後四日間に亘り、多數の警察官、警防團員をもつてこれに當てたが、決潰の規模大きく専門的土木知識の缺如と機械器具の不足により結局その目的を達し得なかつた。
十二月二十五日に至りはじめて市土木課の出動をみた状况であつたが、關係當局が當初より復舊に着手していたならば、その被害は更に縮減されていたものである。非常災害に處する官吏道の昂揚が望ましい。

第四章 交通、通信、電氣關係の被害とその應急措置

第一節 交通關係

一、被害の状況
車輛の燒失五、破損四、水浸三八、車庫修理場の燒失二、倒壊五、半壊一五、浸水一〇其の他建物倒壊六、半壊六にして機械工具部分品の水浸とも含め推定損害約三百四十万円である。右の外郡部に於て被害若干ある見込なるも目下調査中なり。
(一)地方鐵道及軌道
地方鐵道は損害輕微にして手結附近に決潰約二〇〇米生じた。電車は車輛二八、整備工場車庫浸水し潮江橋、棧橋間約八〇〇米軌條決潰−損害は地方鐵道を含め約二百五十万円と推定される。
(二)省線
土砂崩壊路線決潰十數ヶ所にのぼり、道床線路橋梁流失し區間開通に約四ヶ月を要する見込である。
(三)道路
縣道高知−中村線高知−甲浦線中村−宿毛線中村−江川崎線の被害が甚大であり中村線は聞通に三ケ月を要する見込である。


二、應急措置
(一)救急物資並に應急要員輸迭、手配
震災と同時に、時を移さず市内の乗用車、貨物自動車、乗合自動車を動員、各災害地(主として市内、新宇佐町、須崎町)へ醫療班藥品、食料品、衣料品、生必品の輸送を開始二十三日早朝幡多郡の被害判明するに及んで機帆船を動員、救急第一陣を急派する等救急策を實施している。
(二)交通機關の復舊状況
(イ)省線鐵道
震災と同時に阿波池田、久禮間不通となつたが、十二月二十三日十五時には後免、高知間、十二月二十六日十六時には朝倉、吾桑が開通した。尚開通見込は須崎、久禮間は一月早々にして須崎、吾桑間は約四ヶ月を要する。
(ロ)地方鐵道及軌道
地方鐵道は後免、手結間は十二月二十三日正午、手結、安藝間は十二月二十五日開通−目下全線運行中なり。電車は伊野、五丁目間十二月二十三日後三時、後免、葛島間十二月二十四日後四時開通せり。
市内(五丁目、葛島間)線は浸水が引けば補助バス三台あり救出せる浸水電車中二三台を使用し十日乃至三十日間で運行可能の見込なるも共の他市内線の開通は當分困難なる模様なり。
(ハ)乗合自動車は逐次平常運行に復歸しつゝあるも、尚土佐山線室戸、甲浦線須崎、中村線前濱線及幡多方面は未だ不通の状況なり。


三、今後の對策
(一)救急資材として
揮發油九四、五〇〇立
モビール油九、四五〇立
タイヤチユーブ各三〇〇本
石炭二、一三〇瓩
重油三〇一、五〇〇立
特配方を別途申請中であるが、特に揮發油は現在殘量僅々五、〇〇〇立であつて、これが取得には努力手配中なり。
(二)今次の災害による交通機關の損害は、概ね五九〇万円に達し、各運送事業者に資金の融通を斡旋すれば再起を危ぶまるものもあり、緊急輸送力の根幹である事業体の経營に困難を來す恐れがある。目下商工課を通じて日銀に交渉中なり。

第二節 電氣關係

一、被害状況
地震發生と向時に大部分の發電所、變電所に故障を生じ又送配電線の斷線、電桂の倒壊せるもの等多く、之が爲全縣下に亘つて一齊に停電したが、特に倒壊家屋の多かつた高知市並に中村町及津浪の來襲した新宇佐町、須崎町、甲浦町等は其の被害が甚大であつた。損害見積額に就ては目下調査未了の幡多郡を除き、約五百五十万圓に達するものと思われる。


二、應急措置
縣に於て即日、日本發送電、四國配電等の關係會社と連絡し手持資材及回收資材を活用して、應急復舊に着手し發電所に於ては吉良川、名野川、伊尾木、松葉川の各發電所を除き十二月二十三日迄に應急復舊を完了して直ちに發電を開始し同時に被害變電所送配電線の復舊に努力した結果、十二月二十八日迄に變電所の燒失した中村町及二、三の地區を除いて概ね復舊を見るに至つた。


三、今後の對策
今後所要復舊資材の入手あり次第恒久的復舊に着手する計画である。

第三節 通信關係

一、被害状況
通信關係施設も電氣關係と同様地震發生と同時に家屋倒壊に依る電信、電話機の故障、通信線の切斷等のため一齊に其の機能を喪失したが、高知市及中村町其の他津浪の來襲した海岸地方では、特に電桂の倒壊流失竝に線路の切斷せられたる箇所多く、其の被害は甚大であつた。尚現在までに判明した損害見積り額は遞信省關係で約二百四十四万圓である。


二、應急措置
縣に於ては十二月二十一日正午頃より關係方面と連絡してこれを督勵し、直ちに應急復舊作業に着手した結果、十二月二十八日現在遞信關係に於ては電信、電話共縣外各地とは通話可能、縣内に於ては電信では甲浦、新宇佐、幡多郡方面を除き電話では幡多郡を除き通信、通話可能の状態に迄復舊することが出來た。


三、今後の對策
今後は未だ復舊せざる數地區に重点を向け、應急的復舊を實施する豫定であるが、恒久的復舊には必要資材が不足しているのでこれが入手後着手する計画である。

第五章 物價騰貴と闇取引の横行に對する縣の施策

第一節 總説

今次の震災の被害甚大のため尨大なる復舊資材を要するのを見越し、買溜め賣惜み更に悪徳商人の暴利を貪るもの公然として闇取引を敢えて行う徒輩に對しては徹底的取締を爲すの他なく之れ等闇物價抑制に對する方策を樹てるペく、一月十七日部課長會議を開催レ又高知縣震災復興對策委員會、專門委員會に於ても闇取引抑制に關し方策を研究協議され、なお警察方面と協力して撲滅に努力を拂つた。
一、一月十七日開催の部課長會議の協議事項は左記の通りである。


闇物價抑制に對する方策
一、法定價格の周知徹底を圖る
隣組回覧、貼紙掲示等の方法で主要物資の法定價格を一般に周知せしめると共に一般消費者より、高物價販賣者及び其の物價名價格等を報告せしむる。
二、價格表示を勵行せしめる
各業者團休を通じて價格表示勵行を慫慂すると共に生活用品價格査定委員會の活発な活動を促し、價格査定の徹底を期し併せて、物價監視委員の活動に依り價格表示勵行の指導に當らしめる。
三、價格達反取締を強化する
警察署の外勤務員の積極的な活動に依り價格表示違反事件を檢擧し、以て業界内部の自粛氣運を促す。
震災前後の闇物價調査表(主として高知市附近)

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震災前後の闇物價調査表(主として高知市附近)

第二節 物價高騰抑制の概要

縣に於ては物價高騰抑制については、あらゆる施策を講じたがその概要左の通りである。
一、「高知市民に訴う」物價監視委員の協力に依り各所に掲示した
二、物價統制勵行強調週間實施要領は別記の通である
三、物價統制勵行強調運動について
四、知事聲明
五、經濟部長談
六、警察部長談
七、物價統制勵行強調運動ビラ
八、物價統制對策について高知軍政本部への報告


一、高知市民に訴う
親愛なる市民諸君、我等は今や燒土の中から泥水の中から新しい勇氣を以て立ち上らんとして居る。しかしながら震災よりももつと悲しまねばならぬことが現に起つています。他人の不幸や國家の災禍すら自己の利得の具に供しようとするものが我等の同胞の中にあることです。
市民諸君!
我等の自らの意志と責任の下に物價秩序を守ろうでは有りませんか、そして市民の災禍に乗ずる悪徳商人を摘發しよう。
我々監視員はこう云う使命を以て生れました。
市民諸君!
目に余る暴利行爲をするものがあつたらどしどし摘發して下さい。書式は何でも結構、宛先は高知署内高知地區物價監視委員室又は防犯課へ、そして私達の手で新しい明朗な高知市を築き上げようではありませんか。
高知地區物價監視委員


二、物價統制勵行強調週間實施要領
(一)目的
物價統制については官民一体の努力にも拘らず現下の社會的經濟的事情を反映し違反行爲の跡を絶たず、闇取引の横行甚しきものがあるが、此の傾向は過般の南海大震災及び最近の生産不振と金融温塞とに原因し巷間傳えられる三月經濟危機説とに依つて更に拍車をかけられ、食糧、生活用品生産資材、復興用建設資材、勞銀、運賃等の諸物價は急騰の一途を辿り、殊に從來とても、經濟的立地條件に恵まれず、而も今次大震災に因り全國一の破害を蒙つた本縣に於ては、斯る傾向の深刻であることはまことに遺憾に堪えない。
斯る情勢に鑑み四國地方物價事務局主催の四國全域に亘る大物價統制勵行確保運動に呼應し關係方面の積極的なる活動と民間のより以上の協力により物價統制令の遵守に協力すると共に其の周知勵行の徹底を期し明朗なる國民生活を建設せんとするものである。
(二)期間一月二十八日より二月十日まで二週間
(三)實施事項
(一)本運動實施の趣旨についての長官聲明を新聞を通じ周知せしめる。
(二)ラジオ放送
經濟部長又は警察部長がラジオ放送に依り本運動實施の趣旨説明を行う。尚四國地方物價事務局長の放送も右運動の期間中行わるゝ豫定。
(三)物價に關する講演會及座談會を縣主催で行う。講演者は物價廳第五部長の豫定。
(四)映画、スライド、垂布、回覧板等の作成。
報道槻關、交通機關、興行場、其の他關係者と連絡し、ラウドスピーヵi、映霜スライド、垂布を利用して、本運動の趣旨、標語を周知徹底せしめると共に、主要物資の統制價格等を記した隣組回覧板を作成回覧せしめる。
(五)諸學校を通じての啓蒙運動
 (イ)中等學校、國民學校を通じ生徒兒童に、「物資統制勵行確保」の趣旨を教育すること。
 (ロ)生徒兒童に物價統制勵行確保に關する標語、習宇、ポスターを作成せしめ街頭に貼附する様各學校に依頼すること、優秀品については公定價格品展示會等を利用し、展覧すると共に表彰状並に賞品を下附する。
(六)公定價格品展示會
生活用品價格査定委員會、商工會議所等の協力により、高知市内に於て公定價格品展示會並に即賣會を行う。
(七)價格表示の勵行強調
 (イ)各業者團休を通じて一般業者に統制價格の店頭表示の嚴重勵行を指示する。
 (ロ)一般消費者に於ては査定証紙の貼付なき生活用品や、價格表示のない商品は購入しないよう新聞、回覧板によつて周知せしめ、違法經濟行爲につき投書を求める。
 (ハ)縣下一二〇名の物價監視委員の一齊の奮起を促し、一般消費者の協力を得て、特に價格表示の勵行に當らしめる。
 (ニ)高知縣生活用品價格査定委員會に於ては二月を査定強化月とし、生活用品並に中古自動車の價格査定を此の際更に徹底的に行わしめる。
(八)警察に依る闇取引一齊取締
以上要領により實施するにつき、貴下に於ても之が準備をなすと共に、關係方面に周知徹底方取計われたい。尚具体的な日時、方法、資料等は遂次通知の豫定なるも貴下に於ても自主的に具体案をねり、之が實施に當られたい。


三、物價統制勵行強調運動について
物價統制については政府の中央地方を通ずる物價体系の確立と國民の協力にも拘らず、社會、状勢、經濟事情を反映し、違反行爲の跡を絶たず、闇取引の横行甚だしいものがあり、之がため國斑生活の急迫、生産の減退を來し、悪性インフレを助長し、國家の前途眞に塞心に堪えざるものがある。殊に本縣に於ては過般の南海大震災により甚大な打撃を受け、之が速かなる復興は焦眉の急務であるが、經濟的立地條件に恵まれない本縣として現在の如く、物資は騰貴して止まる所を知らず、且闇取引が跡を絶たぬ現状から見て、今にして積極的手段を講ずるに非ざれば、復興再建は勿論縣民生活の維持確保に困難を來たし、延ては國家經濟を混亂に導き民族の滅亡を來たす不幸な事態を招來する虞れなしとしない。此處に於て縣は諸物資の生産者、取扱業者及消費者を打つて一丸とする全縣民の愛國の至誠に愬え、其の一休的協力に依り統制價格を嚴守し物資配給統制の強化、開収引の絶滅を期すべく、左記により別に實施する物價統制勵行強調週間の運動な機に之が強力なる取締を繼續的に實施するの方針を定め、之を急速且つ強力に實施し、以て明朗なる縣民生活を確保し速かなる復興再建を圖ることとなつたから、諒知の上一般に周知徹底を圖り其の一体的協力を求むる爲、遺憾なき措置を講ぜられたい。
右通牒する。
尚本件に付ては連合軍軍政部に於いても重大關心を示され本件措置の實施に付て注視せられ居るから特に御含置きありたい。


物價統制の勵行強調に關する實施要領
一、地方事務所長支廳長及市町村長の爲すべき事項
(1)個々業者物資生産者及取扱業者並に消資者への趣旨の徹底、其の方法としては警察署、物價監視委員、業者等による講演會、座談會の開催、隣組の活動を促すため、常會を開き其の他回覧板、ポスター(主として生徒、兒童の作品)等に依り夫々管内の各機關を通じ一般個人及團体に趣旨の浸透徹底を期すること。
(2)各學校を通じての啓蒙運動
生徒、兒童に物價統制勵行確保に關する標語、習字、ポスターを作成せしめ街頭に貼付する様各學校に依頼すること。特に兒堂及生徒の童心を通じ、各家庭の父兄、主婦に對し、趣旨の浸透徹底を圖らしむること。


二、警察署長の爲すべき車項
別途警察部長の指示に依り行う。


三、各統制團体並に組合、生産配給等の取扱機關の爲すべき事項
(1)集荷配給統制規則の嚴守、商品の公正圓滑な配給及配給數量、品目方法等の公示
(2)下部團体業者へ趣旨の徹底を圖ると共に價格の店頭表示を徹底せしめること
(3)査定を受くべき日用品にありては個々業者をして生活用品價格査定委員會の査定を受け、其の証紙を貼付せしめること
(4)公定價格品展示會並に即賣會に取扱品を展示し、出來得れば即賣も行われたい


四、個人業者の爲すベき事項
(1)物資は正規のルートに依り取引きを爲すと共に公定價格を嚴守する、特に横流し等の闇取引の徹底的排除を申合す等の措置を講ずること
(2)店頭に商品別單位、數量毎の價格を掲示すること
(3)個々の商品については價格を表示し、或は査定証紙を貼付すること(この際所謂一山何程式の表示は行わぬこと)
(4)(公)、(協)、(許)、(届)の別を明にすること


五、消費者の爲すべき事項
(1)價格表示或は査定証紙を貼付せるものを買うこと。
(2)悪質と認められる業者の摘發。葉書其の他を以て業者の名、品物、價格、其の日時等を各警察署、物價監視委員、縣防犯課に投書せられたい。
(3)公定價格について疑問の点があれば縣商工課又は防犯課に問い合せられたい。
(4)物資の正常ルートに依る取引、公定價格に依る取引は、縣民生活を明朗にし、縣民の利益なる点を再確認するため、隣組常會等にて實行方申合せを行い、闇商人との取引を排除する措置を講ずること。


四、西村長官聲明
今回四國地方物價事務局主催の下に四國四縣を以て一丸とする一大物價統制勵行強調運動の展開されるに當り所懐の一端を述べて縣民各位の奮起と協力を要請したい。
抑〃經濟生活の安定を得るためには、第一に食糧の確保、第二に生産の再開、第三に物價の安定が必須の條件であつて、此等の諸條件は相互に相關聯して居るものなのである。即ち物價が安定する爲には賃銀の安定を要し、賃銀が安定するためには食糧問題の解決が先行しなければならない。此等の諸條件が滿たされてこそ始めて、インフレーシヨンの解消も治安の確立も得られるのである。然らば經濟再建の第一歩は食糧問題の解決にあると云つても過言ではなく、然もその食糧問題が輸入食糧の救援と天候恩恵によつて解決の曙光を見るに至つた今日こそ又物價問題解決の好機と云わなければならない。然るに、從來とても經濟的立地條件に恵まれず、而も今次大震災に因り全國一の被害を蒙つた本縣に於て食糧生活用品生産資材、復興建設資材、勞銀、運賃等の諸物價は急騰の一途を辿り經濟違反行爲の跡をたゝず、闇取引の横行を示して居るのは眞に遺憾にたえない。斯かる現状に鑑み縣は本運動を軍に一時的現象に留めず恒久的な國民運動に迄展開せしむべく、檢察當局と連絡を密にし、之を強力に實施する意圖を有する。
本運動の特色としては單に聲明、放送、講演會等を行うに留まらず、生徒兒童等の協力をも得、その純眞を通じて趣旨の徹底につとめると共に、一方生活用品價格査定委員會、縣商工會議所の協力を得て、公定價格品の展示會並に即賣會を行い具体的に公定價格の周知徹底を圖ると共に、その啓發宣傳につとめる。一方回監板、ポスターその他に依り、各種團体、業者、物價監視委員、消費者に呼びかけ、業者をして公平迅速な配給、價格表示等を勵行せしめ且つ之を監視せしめる。
又一方に於いて本運動の裏付けとして警察をして強力且繼續的に闇行爲の一齊取締りを行い、徹底的に價格表示を勵行せしめ、これがため縣下警察一体となり、部班編成により機動的な取締りを行う。もとよりかゝる運動は當局の活動又は取締りのみにては不充分であり、茲に縣民各位の自主的且つ積極的なる御援助を得るにあらざれば其の目的を達成することは極めて困難であることが豫想せられる次第である。尚本件に關しては四國軍政部並に當地軍政部に於いても極めて重大なる關心を寄せられていることをも、併せて御諒承の上、重ねて縣民各位の協力を切望して止まない。


五、藤原經濟部長談
物價統制については常局の施策と懸民の協力にも拘らず、最近に於ける物價の昂騰、闇収引の横行は其の勢を増し直接縣民生活を脅威し、延ては悪性インフレに依る國家經濟を紊し、新日本建設途上眞に寒心に堪えない。特に本縣は震災後此の傾向に拍車をかけられ、極めて深刻なるものがあり、經濟的立地條件に恵まれぬ本縣として震災復興上重大なる障碍であることは極めて遣憾である。そこで縣は縣民生活の安定確保と速かなる震災の復興を圖るため諸物資の統制價格の嚴守と、正常取引の實行を圖るため之が嚴正なる取締りと相俟つて本運動を強力に實施するため各般の措置を講ずる。縣民各位は物資の生産者取扱業者及び消費者たるを問わずこのことが直接縣民の明朗なる生活の維持確保と震災の復興、從つて新日本建設の速かなる達成が期せらるゝことを再認識して頂き、縣民各位の愛國の熱意に愬え全幅の御協力を望んで熄まぬ次第である。


六、小杉警察部長談
震災後の縣下の經濟事情を親るに薯しく物價は昂騰し、眞面目なる縣民生活並に復興の阻害されつゝあるを見るは洵に遣憾である。殊に此の間悪質なる闇商人、闇ブローカー等の跳梁、暴利行爲、賣惜み、買占行爲の横行は目に余るものがある。茲に警察の全機能を擧げ價格表示の勵行、統制價格取引の嚴守を日的とした檢擧主義による取締を繼續的に實施することを決意した。縣民各位は其の趣旨を理解せられ、徒らに法の適用を多からしめ本縣の不名譽にならないよう自粛自戒を望みたい。


七、物價統制勵行強調運動ビラ


八、物價統制對策についての報告
昭和二十二年一月二十一日
高知縣知事西村直巳
高知軍政本部グラント少佐殿
物價統制對策について報告
物價統制については官民一体の努力にも拘らず我國社會的、經濟的事情を反映し、違反行爲の跡を絶たず闇取引の横行甚しきものがあつたが、此の傾向は過般の南海大震災及び最近の生産不振と金融逼塞とに原因し、、巷間傳えられる三月危機説とに依つて更に拍車をかけられ、食糧生活用品生熊資材、復興建設資材、勞銀、運賃等の諸物價は急騰の一途を辿り殊に從來とても經濟的立地條件に患まれず而も今次大震災に因り全國一の被害を蒙つた本縣に於いてかゝる傾向の深刻であることは遺憾である。斯る情勢に鑑み、縣は民生安定及び産業復興に最も重要且つ必須と認められる食糧生活用品、建設資材等二十六品目に付之が(公)取引の維持、集荷配給の完全なる把握を期するため八○万縣民の協力を得左記事項を急速且つ強力に實行したい意圖を有するものである。



一、現行公定價格の再檢討
前記二十五品目中現行公定價格にては到底集荷配給不能の物資に就いては四國地方物價事務局、物慣廳、其の他關係省へ價格改正方を要望する。殊に四國地方物價事務局へ四國四縣の物價調整に特段の考慮を拂うべきことを要望する。
二、物資の確保
(一)配給物資はすぺて正規の集荷配給機關を通じてのみ取引さるゝよう各統制機關、民間業者、徹底せしめ監視する。
(二)割當物資の早急なる百%現物化を圖り配給數量の潤澤を期する。一般需要者に通知
三、經濟防犯運動の展開
二月三日より二月九日迄四國地方物價事務局主催にて、四國一圓に實施さるゝ豫定の經濟防犯運動に呼應し、一月二十八日より二月十日まで左記要領に依り物價統制に就いての啓蒙勵行運動を展開する。
(一)本運動實施の趣旨についての長官聲明を新聞を通じて周知せしめる。
(二)經濟部長又は警察部長がラジオ放送に依り本運動實施の趣旨説明を行う。尚四國物價事務局長の放送も右運動の期間中行わるゝ豫定。
(三)物價に關する講演會及び座談會を縣主催で行う。物價廳係官も講演の豫定。
(四)標語の募集、映画、スライド、垂布の利用、主要物資の公定價格等を記した隣組回覧板の作成、物價統制勵行についての國民學校、中等學校生徒等の図書、標語、習字等の募集、展示等を行う。
(五)生活用品價格査定委員會、商工會議所の協力により高知市内に於て(公)商品の展示會を行う。
四、價格表示の勵行強調
(一)各業者、團体を通じて一般業者に統制價格の店頭表示の嚴重勵行を指示する。
(二)一般消費者に於ては、査定証紙の貼付なき生活用品や、價格表示のない商品は購入しないよう、新聞、隣組回覧板で周知せしめ、違反経済行爲につき投書を求める。
(三)高知縣下一二〇名の物價監視委員の一齊の奮起を促し、一般消費者の協力を得て特に價格表示の勵行に當らしめる。
(四)高知縣生活用品價格査定委員會による生活用品の價格査定を此際更に徹底的に行わしめる。
五、警察に依る闇取引一齊取締
A取締期日
一月二十八日より二月十日迄に至る二週間
B取締對象
別紙一の品目就中主要食糧(米、小麥粉、甘藷)復興資材(木材、釘、セメント、漆喰、杉皮、瓦、亜鉛鐵板、疊表)鮮魚、蔬菜、牛肉、調味料(塩、みそ、醤油)電球、釜、雨傘、下駄、地下たび、木炭、薪、に主力を注ぎ取締期間中に之等物資の闇取引の徹底的完封を期すること。
C取締の方法
取締は警部一体の態勢をとり、部、班、編成により機動的なる取締を行うとともに、本月十五日附經防收第一〇八七號「價格の表示の取締について」通牒に依り外勤々務員並に物價監親委員の活動に依り、徹底的に價格表示を勵行せしめる等強力に價格表示の取締を實施すると共に悪質ブローカーを内偵檢擧し、闇取引の一掃を期すること。
D報告
取締結果は各警察署別に一月末日迄の分を二月八日迄に爾後の分を二月十五日迄に警察部に必着する様報告せしめる。

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物價統制勵行強調運動ビラ

第五編 復興

第一章 復興概要

第一節 總記

高知市は昭和二十年七月の空襲に依つて一夜にして、茫々たる燒野原と化し、唯々呆然たる有様であつた。今再び全縣下安政の大地震以來九十二年ぶりの強震に襲われ、一朝にして六百七十九の人命と二万五千の家屋、四千町歩の耕地を失い九万五千の受災者を出した。
そのほか海岸地帶は津浪による道路、橋梁の流失、堤防の欠壊など全縣下にわたつて文字どおり慘憺たる状景を現出した。
恐怖のドン底から再起の決意も新たに起ち上つた縣民必死の努力によつて一部堤防、道路、橋梁、港灣の復興を殘し次々に復興の緒についた。
(一)住宅の復興
(二)上水道事業の復興
(三)電力供給事業の復興
(四)交通の復興
(五)通信事業の復興
(六)教育、學藝、娯樂、文化事業の復興
(七)商工業及び經濟界の復興
以上は當時のおもかげを殘さないほどの立直りを見せたが、しかしながら目に見えぬ地盤の變動は、今なお續いているのは事實で、縣の防災對策に重大な課題を提供している。
こゝに未曾有の天災に直面し、縣民は一齊に奮起した。
或は一朝にして家財を烏有に歸したもの、或は骨肉に別れ妻子に先立たれたものも一様に勇しく復興の彼岸へと漕ぎ出でたのである。
間斷なく襲う余震と闘いながら、余煙未だ消えざる裡に又津浪の泥土の上に、又倒壊家屋の中より復興の杭を打つ音が朗らかに響き渡り、復興の光は燦として輝き亘つた。
受災當日直ちに着手された復舊工事は最初の縣工事六億八千二百九十六圓(千二百四十六ヶ所)市町村工事一億二千三百五十三万圓(百二十一ケ所)合計八億六百四十九万圓の豫算をもつて、擧縣的態勢のもとに進められ現在までに道路八百六十四ケ所中七百九十六ヶ所、港灣四十四ヶ所、中止八ヶ所、橋梁九十五ヶ所中九十ニヶ所、河川堤防二百七十一ヶ所中二百二ヶ所を完成、海岸堤(十五ヶ所)砂防(一ヶ所)は全工事を終了した。最大の難工事といわれた四万十川鐵橋、須崎の道路、鐵道はいずれも二十三年度竣工し、僅に一部を殘した宇治の堤防、道路、國分川堤防修復は殆んど完成し今夏までには全部完了の見込である。このための復舊費追加も四億二千万圓を認められ昭和二十四年度中にはへ全復舊工事は完成の見込である。

第二節 地盤變動への對策

目下地理調査所及び其の他學界の權威者によつて調査研究を續けられている土地の隆起と沈下の間題は、まだ最後的斷案は下されていないが間題は今後に殘されている。これに要する縣工事費四億六千四百万圓、市町村工事費、四千五百十四万圓の豫算で竣渫、埋立などの應急對策が講ぜられて來たが、最近になつて、四國全域の地盤が複雑な變動を續けていることが問題になり、四國綜合開發委員會でも學術的調査に基く恒久的對策を樹立しようと學界の權威者に委嘱して研究を續けている。
本縣でもこの對策として三億三千六百二十四万圓の追加を認められた。

第三節 復舊復興資材所要量調

全縣下の被害は實に未曾有であつて、これに要する復舊復興用資材も又莫大なるものを要するので、中央始め其の他各方面に對して協力方を要請した。その所要量調は左の通りである。

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復舊復興資材所要量調

第二章 建築の復興状況

第一節 建築復興の趨勢

一、建築物の被害は何の位か
(一)戰災建物の被害
戰争中本縣における建築物が受けた被害の大半は、勿論昭和二十年七月の大空襲によるものであり、之れに戰争中の建築物の強制疎開が加つているが、以上は何れもその殆んど全部が高知市におけるものであると云つてよい。
以上の直接間接の戰爭による被害建築物の戸數は次の通りである。
(イ)縣下の戰争による被害
職災建築物一二、七八九戸
疎開建築物、四六六戸
計一三、二五五戸
かくの如く多數に上つているが、之でも日本の全戰災疎數開戸數に比べるとその〇、四三%に過ぎないのである。
(ロ)高知市の戰爭による被害
戰災建築物一二、〇六四戸
疎開建築物四六六戸
計一二、五三〇戸
罹災人口四三、〇八二人
戰災前の高知市の建築物は二七、三三九戸だからその四五、八%即ち約半分が燒失してしまつたことになり、如何にその被害が大きかつたかを物語つている。
即ち、縣下全体として、倒壊流失、燒失等の家屋の喪失してしまつたものだけで六、一八○戸で、之は戰災戸數の約半數に相當し、半壊、浸水等を加えると、戰災建築物の二倍に相當するものが、大なり小なり、被害を受けたことになる。尚中村町は、喪失戸數が、高知市よりも大きいのは、注目せられる。
以上戰災、震災を合して、被害建築物は


戰災、震災被害建築物調
同表においては次のように分類している。
◇住宅=普通住宅、共同住宅、農家、開拓者任宅等
◇併用住宅=店舗、工場、事務所等と一緒になつた住宅
◇非住宅=工場、學校、公共建物等住宅以外の建築物
本縣で現在迄に竣工したものは一八、八二八戸であつてその七五%が住宅であるのは、最も不足しているのは住宅であること、臨時建築制限規則等にょつて、住宅優先の方針が徹底しているためである。そして復興戸數は高知市一、郡部二の割合である。
次に戰災、震災による被害戸數に對する復興戸數の割合は、縣全体では九七%で殆んど一〇〇%に近いが、高知市は四四、五%であつて半分にも達していない。反對に郡部は被害戸數の二、四倍であるが、之はそもそも被害が少い上に、家屋の自然腐朽もあり安心出來るわけではない。
本縣の終戰より現在迄の復興の足どりをみると、
(イ)終戰−昭和二十年末迄六四八戸七、穴六六坪
(ロ)昭和二十一年中一、八三六戸二八、五九一坪
(ハ)昭和二十二年中九、二六七戸一一七、九五六坪
(ニ)昭和二十三年中七、〇七七戸九四、六八六坪
となつており、二十二年に急増している。二十三年は十二月分を加えても前年よりは少し下廻つている。
二十三年三月迄の戰災及び疎開戸數に對する復興率は、本縣は全都道府縣中、第十四位であり、又他の四國三縣に比すると群を抜いている。


二、復興状態は、之でよいであろうか
以上よりみると、縣下全般的にみて、殆んど復興は完了してしまつたように考えられるが、此處に注意すべきことは
(一)前記の復興戸數は新築だけでなく、増築、移築、改築等を含んでおり本當の建築物の増加ではない。
(二)高知市の復興が郡部に比し非常に遅れている。
(三)戰前の建築物は、住宅でも三〇−五〇坪のものが澤山あつたが、現状はそうではなく二十二年中に建築されたも
のをみても住宅一一・二坪、併用住宅一三・五坪、非住宅一八・七坪、總平均一三・二坪であつて規模はずつと小さくなつている。
(四)戰前の建築物は修繕を加えて行けば都市で五十年、農家で百年の耐久力のあるものが多かつたが、終戰後、十年持つか持たぬかのバラツクが非常に多い。
(五)例年火災が多く、全國的にみて復興床面積の四〇%以上も燒失した年があつた。
(六)戰時中より修繕不能により、腐朽家屋が増加している。
(七)終戰後、外地よりの、復員引揚者相つぎ、又人口は自然増加も加えて本縣の人口は急増し、二十一年四月には七九七、八七六であつたものが、二十二年十月には八四八、三一二人と、僅か一年半の間に五万人の増加を示しており之に對する住宅の供給の問題が加つている。
以上總台して考える時、建築物、特に佐宅の質量兩面からの實質的完全復興に對しては、未だ遠しの感深く、之に資材の絶對不是に加えて、資金不足、殊に貸家在宅の行詰りを考慮して長期の住宅復興こそ今後に課せられた間題である。

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南海地震による被害
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戰災、震災被害建築物調

第二節 建築材料の配給

住むに家なき罹災者收容のバラツクを急造せんがため、これが建設木材及び建染用諸材料の蒐集に努めた。罹災者に對しては建築用木材及び其の他必要材料の配給をなした。主として木材は林務課、釘其他は商工課、厚生課でチケツトを發行して指定材木商店或は金物配給店等でうけ取らしめた。

第三章 交通の復興、復舊

第一節 道路、橋梁、港灣、河川、海岸の復興状況

震害に依る道路、橋梁、港灣、河川、海岸、其の他の復興を圖るため直ちに被害状尻の調査に著手し、特に本縣の出水期七、八、九月までに應急策を講じ漸くその危機を脱するを得たると共に、一面これが復興、復舊の計畫を樹て昭和二十四年三月末日までには殆んど完成したが順次これが復興状况について概記する。


第一、道路、橋梁
縣下の道路、橋梁の復興如何は、緊急援護物資の輸送に將又一般交通上急速を要するので、地元區民或は青年團、警防團等各方面の協力を得て應急措置を施し、諸車の通行に支障なき程度となすを得、更に七、八、九月の出水期にえることが出來た。これが復興工事の實施に當つては、終戰後勞務或は資材關係等あらゆる悪條件を克服して漸次復備興、その完成を見るに至つた。
(1)道路及橋梁復舊工事箇所及費額(縣)
竣工橋梁は左の通りで全部架換工事であつた。


第二、河川復興計畫並緊急對策
(一)緊急對策
今回の地震に依る被害中、國分川を中心とする高知市及び其近傍の河川災害は激甚で、津浪及び堤防决潰に基く國分川筋の氾濫浸水は、高知市東部一帶に滿々たる海水を湛えその慘状は洵に眼を蔽わせる如き大被害と成つた。亦須崎町大間附近に於ても津浪のため海岸堤決潰、海水浸入し附近一帶は一面の海と成り、交通は杜絶し、民心は極度の不安に陷つた。茲に於て縣では民生安定、國土保全上一刻も速かに原状に復すべく不眠不休の努力を續け、應急工事を進め、破堤箇所の締切、排水等に万全の措置そ盡し、昭和二十二年一月八日に到り高知市東部及び須崎町附近の排水を終え交通状態も復舊し、一應民心の安定を得た。
(二)復舊計畫の大要
復舊計畫については縣に於て直ちに本省に對し現地に査定官派遣の申請をなし、二十二年一且二十一日から二十九日まで樺島技官外四名の來縣を得て査定を絡了し、別表の如く總額六億四千九百余万圓の復舊費が決定した。茲に於て縣では高知市附近の沈下せる各地の本年の稻作の植付けに備え國分川、下田川、久万川、江ノ口川、舟入川等の各川の堤防は馬踏巾二米乃至二米五十、洪水位抜水八十糎嵩上を全面的に計畫し、二十二年六月十五日竣工を目指して工事を進めた。
なお右の外急施を要する須崎町附近海岸堤、櫻川、押岡川、新荘川、上ノ加江海岸等も急速に着工し全般の復舊は
三ヶ年繼續事業として昭和二十四年三月末日を以て完成した。
(三)河川、海岸應急工事箇所及費額(縣)
(四)河川、海岸應急工事箇所及費額(市町村)


第三、港灣
直接震動による被害も相當あつたが、津浪の襲來と土地の變動によつて甚大なる震害をうけた。殊に地盤隆起に因る港灣の問題は今尚殘された間題とされているが、震災後採つた應急對策、その後の港灣復興計畫は左の通りである。
(一)港灣復舊費及箇所
(二)復興港灣状況
(三)港灣復舊計畫概要
港灣の地震被害は、震動によるもの、地盤の變動によるもの、津浪によるもの、之等の復合によるもの、等で管下港灣施設の全般に亘り相當の損害を蒙り、特に船舶接岸施設は、その八○%を壊滅し貨客の輸送は意の如くならず地震による民心不安を一層助長した。そこで先づ、高知港その他に應急木造棧橋を急造して、特に幡多郡方面の藥品、食糧、被服等の補給物資の輸送圓滑化を計つた。
次いで運輸省及び農林省災害檢査官の派遣を請い、運輸省關係高知港外十港五千五百余万圓、農林省關係(漁港)二港四千六百余万圓の復舊費が決定したので、高知港、若松町岸壁、須崎港、下田港、清水港、片島港等の荷役護岸の工事に着手する一方、室戸岬港、室津港等の隆起地帶の港底竣掘工事に着手した。爾來二ヶ年余、概ね順調なる進捗を見、運輸省關係十一港は昭和二十四年三月末竣工、農林省關係二港は昭和二十五年三月末完成豫定である。

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(1)道路及橋梁復舊工事箇所及費額(縣)
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◇竣工橋梁名
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(三)河川、海岸應急工事箇所及費額(縣)
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(四)河川、海岸應急工事箇所及費額(市町村)
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(一)港灣復舊費及箇所
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(二)復興港灣状況

第二節 地方鐵道、軌道、バスの復舊状況

(1)電車
高知市は昭和二十年七月空襲により灰燼に歸し、漸く土佐交通株式會社の車輛及び軌道は復舊したところ市の東部葛島附近が今次の地震によつて決潰し大海原を現出、車輛二八、整備工場、車庫に浸水し、東方の電車は全くその機能を失つた。又潮江橋、棧橋間約八〇〇米の軌條も决潰したが、同社は全力を傾注して市内及郊外共に短時日を以て復興を完成し、交通利用者の便益を圖つた。尚特に進駐軍は後免驛にて高知方面の連絡を斷れたものの爲めに、或は高知市より後免方面に通勤する人々のために積極的に旅客輸送に當られたことは感謝の他はない。


(2)地方鐵道
地方鐵道土佐交通鐵道部の損害は比較的輕微にして、手結附近に決潰約二〇〇米に及んだ箇所があつたのでこれが復舊に努めた。


(3)バス
省營バスは別述の通りであるが、民營バスの主なるもの高知縣交通株式會社及び土佐交通株式會社は須崎に於て火災を起し五輛を焼失、破損四、浸水三八、車庫修理場の燒失二、全壊五、半壊一五、浸水一一等の被害で、これが復舊に努め漸く完成して居るが、高知市東部葛島附近は堤防決潰し大海原となり交通杜絶し、東線のバス運行に一大支障を生じ、又西部方面の交通も道路、海岸、崩壊によつて一時は全く交通杜絶したるも漸次復舊すると共に東西の交通確保を得るに至った。

第三節 國鐵の復舊状況

(一)鐵蓮の應急對策


(1)復舊工事の方針決定
地震發生後直に高知出張所に對策本部を構成、各箇所の被害報告に接し直ちに關係各係員を召集、其の他地方の應援を得て道床補充等前記の如く高知以東の復舊に努め續いて高知以西の仁淀川橋梁、構桁復元桁座の復舊を初めとし高知、吾桑間、須崎、土佐久禮間の復舊作業を續行、數ヶ所の列車徐行を行い開通を見るに至つたが吾桑、須崎間は前記被害の通り大工事を要するに付、鐵道局より施設部長、工事保線兩課長を迎え十二月三十日應急工事の方針及び施工大綱を次の如く決定した。
(イ)線路北側約七五万立方米の水量の抵抗を出來るだけ少くするため橋梁(木造ステージング)延長七〇米及び假棧橋延長約五〇米を設ける。
(ロ)線路盛土は土佐石灰會社が採出能力積込設備等優秀な爲この石灰碎石を利用する。
(ハ)勞務關係
管内線路工手毎日一〇〇名を出動させる。須崎勤勞署管内各町村より毎日約三○○名の勤奉隊の應援を得る。橋梁及び假棧橋杭打工並に組立は特殊技能を要するため之を四國鐵道工業株式會社に請負わす。
(二)開通所要期間今後二ケ月間
(ホ)復舊本部は多ノ郷信號場に設置する。


(2)以上の大綱方針に基き工事に着手之が經過の大略を述ベると
(イ)一月三十日より工事用材料調達のため高知出張所長始め本部員及び關係者、四鐵工業稻田支店長等は正月無休にて、其の第一歩を力強く踏み出した。
(ロ)一月四日他管内助勤線路工手一〇四名現地に到着。
(ハ)一月五日より軌條の引上げに着手、之は水中作業となり寒風身を切るばかりの嚴寒に率先眞裸となり、水中に飛込む其の意氣正に悲壯であつた。
(ニ)一月七日工事用材料第一便、吾桑驛構内に到着、以下順次多ノ郷現場に山と積む。
(ホ)一月九日工事用碎石列車運轉始まる。
佐川町、斗賀野、吾桑、多ノ郷村、須崎町の第一回勤奉隊三〇〇名勇躍現場に來る。以後吾桑方より多ノ郷に線路は着々と形造られる。
(へ)二月十五日所要木材資材も一應集荷され橋梁用杭打工始まり現場は一段と活氣を呈す。
(ト)一月二十七日工事中最大の難工事である橋梁用杭打は遂に完成、其の間四鐵工業現場從事員は夜業に次ぐ夜業を以てし、監督者請負側一体となり幾多の美談を生ず、又該現場は地盤軟弱であり普通の杭打工のみにては列車の安全通過不可能となり、干潮面迄杭打工をなし、其の上部に笠木を取付け、笠木の下に栗石を嗔充し、杭と笠木に依り列車荷重を支持する様、其の上部に二段構に柱を立てると云う特殊工法を取るに至つた。
(チ)一月三十日橋梁延長七〇米、假棧橋延長四三米完成す。見よ復舊本部苦心の橋梁は「スマート」な美しさを須崎灣奥深い所に忽然と現わす。
(リ)二月四日工事用列車は新橋梁を無事通過し西に碎石の散布を開始した。
(ヌ)二月十八日高知出張所全員地元各町村並に四鐵工業株式會社、土佐石灰工業會社等の努力は此處に實を結び試運轉列車は無事吾桑方より須崎驛に至り線路遂に開通す、時に二月十八日十五時二十分、地震發生後六十日、工事着手残四十五日の短時日を以て全線開通、民主國家再建の爲再び鐵輪は驀進する事となつた。


(3)工事所要資材延勞務者數並に被害見積額
①所要資材
工事に要した主なる資材を擧げると次の通りである。


(4)多ノ郷須崎驛間の本工事
現下の勞務資材難は現鐵道復舊工事の進捗を妨げるが、國家再建の重責を擔う國鐵として各方面の協力を得て工事は着々と進捗して居り、今本工事内容の概略を拳げると、多ノ郷より須崎に向い線路決潰の甚だしかつた約一粁區間の復舊、矢羽田橋梁の現在上路鈑桁を槽状桁に取替え、又一六八粁二〇〇米附近より須崎驛構内まで延長約一粁四○〇米間約三〇糎線路打上を計畫、土留石垣四、〇〇〇平方米、護岸石垣一六〇平方米、根固捨石四二〇立米、延長約一粁三〇〇米六九〇立米の波止コンクリート等の築造を完了した。


(二)省營バス路線の復舊状況
前述の如く鐵道方面は相當の被害を蒙つたが、省營バスも一時的全線運行休止となり、其の後降雨相次ぎ工事は非常に困難を來したが、各地方關係者の協力により一部を除いて豫想外に早く假工事を完了し、當初二ヶ月を要すると想像せられていた工事も二月二十五日に至り約一ヶ月聞で完成し遂に全線開通を見るに至つた。

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所要資材

第四章 上水道事業の復興

特に高知市當局は鋭意水路吸水管の應急修理、送水ポンプ及び送水鐵管の復舊に努めた結果、漸次全市に亘つて通水するに至つた。
高知市は戰災應急の漏水防止未だ完成せざるに、更に震害に遭遇して漏水は更に倍加した爲めに、全市に通水は翌年二月十五日に及んだ。


◎高知市内各方面の被害と復舊状況
一、上街方面=當方面は地盤良好のため橋梁箇所及び局部的損傷に止り、被害僅少であつた。
二、下街方面=當方面は地盤軟弱のため被害は全線に旦り其の三分の一は弛みを生じ給水管の取替等、復舊に多くの日時を費した。
三、潮江方面=この方面は地盤軟弱にして、殊に棧橋方面は布設替を要し多大の勞力と資材を要した。
四、江ノ口方面=これも地盤軟溺にして特に東部方面は布設替、或は締め直しを行つた。
なお郡部各地に於ても震災により一時は送水不可能となつたが直ちに送水管の取替、漏水の應急措置等にて順次復興するに至つた。

第五章 教育交化事業の復興

第一節 學校及圖書舘

今次の震害は被害の多少はあれ、全縣下に亘り大なる被害をうけ、震災後全縣下一時休校の止むなきに至つた。山間部方面の學校は直ちに授業を開始したが、特に前年に戰災を受けた高知市内の學校及び被害激甚の中村町に於ては大なる犠牲を拂うの止むを得ざるに至つた。
然しながら他の建築はさし置いても校舎の復興に努め、昭和二十三年度中には殆んど完成した。なお圖書舘の復舊については高知市、中村町等鋭意着々進捗し、近く建設されることとて待望されている。

第二節 娯樂文化

高知市の娯樂機關の大部分は戰災のため燒失し、漸く復興の緒についているのとき、引續震災に遇い市民は一時不安と恐怖のため娯樂をなすの暇さえなかつたが漸く人心の靜まる伴い、市内も郡部も一齊に興行を開始し震前に勝る賑しさを呈し、全く復興するに至つた。

第六章 商工業の復興

本縣の商工業の中心地たる高知市は、昭和二十年七月の空襲で灰燼となつたが、市民は漸次焦土に復歸し、商業復興の道程に上つたところ今また未曾有の大震害を蒙つたことは全滅的の痛手であつた。
今こゝに復興意欲に燃える商業復興の側面觀として高知市並縣下の各地を一括して一瞥して見たい。
高知市の住宅兼用の商店街は住民總て焦土に復歸して、商都復興に勇しく参加したのである。又工業の復興には先づ高知市の工場地帶の復興を急がねばならない。浸水地帶の多くは工業の重要地帶であるから、堤防の改修は急速にせなければならない。尚原始的な堺防に對して全面的に研究工夫を加え、築堤を施さなければならない。工場倉庫の復舊も漸次昔日にまさるの氣勢にある。
郡部方面の商工業復興は罹災最も激甚な地の中村町、須崎町、新宇佐町、野根町、甲浦町など目覺しき復興振りを示して、震前と同様にその繁榮を示している。

第七章 勞務對策

第一節 應急措置

一、勞力
堤防、橋梁、道路等の應急修理復舊の爲めの勞力並びに聯合軍官民からの特配物資の荷造り、積込等は主として被害の比較的少い地區の警防團、青年團、町内會、部藷會の勤勞奉仕を要請すると共に被害地附近の技能者(主として大工、左官、土工等)を市町村又は勞働組合の協力を得て出動せしめた。今後は復興計畫の進捗に伴い各部門毎に勞務需給計畫を樹て失業者を優先的に使用すると共に、不足勞力募働組合、市町村と連繋し之が確保を計る豫定である。


二、賃金
賃金は急騰し一躍二倍乃至三倍(震災前一日賃金七〇圓の大工、左官は百五十圓乃至三百圓となつた)となつたので縣では勞働組合連合体事業主休と連絡し極カ之れが抑制に努めている。


三、各地被害復舊工事に對し緊急措置
高知市東部の浸水防止、須崎−多ノ郷鐵道路線復舊工事、新宇佐町防潮堤工事、渡川鐵橋工事等次々復舊工事に着手したが、被害地の住民は大小はあれ殆んどが罹災者で之れが工事に參加するものが比較的僅少で、工事進捗上に一大支障を生じた。
當時最も急を要する鐵道路線の復舊工事中須崎−多ノ郷間の國鐵復舊工事に要する勞務者の協力方を要請され次のような措置をとつた。
昭和二十一年十二月三十日
高知縣震災對策本部長
高知縣知事西村直已
須崎勤勞署長殿
須崎警察署長殿
高岡地方事務所長殿
鍼道路線復舊工事協力方について
今般の大震災は各方面に甚大なる被害を與え、其の復舊も又容易ではないが、最も急を要する鐵道路線について四國鐵道局並びに同高知出張所長から多ノ郷、須崎間の路線復舊に要する勞務者の協力方について次の通り申入れがあつたから、勤勞署、警察署、地方事務所は緊密なる連絡を以てこの要請に應じ得るよう協力されたい。



一、地域別所要勞務者
1斗賀野、吾桑、多ノ郷計一五〇名
2須崎近郷各村計一五〇名
二、期間
昭和二十二年一月四日より約二ケ月
三、宿舎
須崎に於て百五十名收容程度の學校其の他を利用。
二二、須勤第三號
昭和二十二年一月六日
須崎勤勞署長
高知縣復興對策本部長殿
震災復興事業勞務協力について
標記事業につき本月四日關係官廳、事業体、隣接町村長の參集を求め協議の結果左記の通り決定致しましたから報告致します。



備考鐵道工事は二十四日以降所要人員減少の見込につき、更に協議會を開催し決定する
注意事項
1各出動町村に於て班長を選定し置くこと
2作業行程、現地係の指示に基くこと
3勤勞時間は八時間たること
4賃金一日三十圓内外たること、賃金は概ね十五日毎に決算し關係町村を經て支給すること
5出動者には主食一合の加給あるべきこと
6出動資格、身体強健十八才以上六十才以下にして土木事業從事可能なること
7出動人員報告は期日を確守し、事業別各日別に五日目毎に報告し且つ正確なる報告をなすこと
8町村には各日の出動人員名簿を作製し置くこと

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標記事業協議結果

第二節 今後の對策

一、勞力
復興計画の進捗に伴い各部門毎に勞務需給計画を樹て、これが適切なる運營を期すことは今後復興進捗上一大原動力となるので、緊急勞務の確保に重点を置くことゝしたが、一般勞働確保が不可能なる場合は高知刑務所の囚人勞務の供給に依り此の難關を打開するの方途を講じた。
なお鐵道路線復舊工事協力方について別記の通り須崎町、多ノ郷村を中心にせる町村に對し協力方を要望した。


二、賃金
特に日傭勞務者の賃金について左の如き措置をとつた。
昭和二十一年十二月二十一日大震災により本縣は相當の被害を受け、これが爲めこれが急速なる復興は一にかゝつて日傭勞務者の公正なる賃金の決定にあるので、勞政課に於ては震災直後急騰した口傭勞務者の賃金を如何に抑制すべきかにつき思案の結果、十二月三十日午後一時より會議室に於て縣側、事業主側及組合側の代表者の出席を求め、震災復舊勞務者の賃金協議會を開催した。
論議の焦点は日傭勞務者の賃金を或る一定標準に釘付し不當なる昂騰を防止すべしと全員一致の結論に達した。その結果に基き標準賃金案を作成し關係筋の了承を得たる上、これを公表しその標準に副つて使用者並に勞務者の勵行を左記により要望した。尚會議の席上要望されたる意見及出席者は左記の通り。


(一)新聞廣告案(一月日傭勞務協定賃金)
震災復興は擧縣一致の協力にょつて急速に進められて居るが、之に伴い日傭勞務賃金の協定は缺ぐことのできない要件となつたので、今回勞働團体事業主側等と左の賃金を協定し之が實施をなすことゝなつたので、縣民各位の御協力をお願いする。
尚本件について高知軍政部に於ては、一九四五年九月二十二日連合軍最高司令部指令第四七號に基き之が履行について深甚の注意と監視をなす旨御指示があつたので御了知ありたい。
昭和二十二年一月一日
高知縣知事西村直已



日傭勞務者賃金協定
備考
一、この賃金は一日實働八時間の場合の計算である。
二、時間外手當は一時間につき本給の二割とする。
三、この協定は男女の賃金に區別をつけない。
四、この協定の期間は一月一日より一月三十一日までとする。
五、この協定期間中に次期の協定をするものとする。


(二)會議の席上に於ける主なる意見並に出席者
一、不當賃金を抑壓する一方に於て物價の監視に強力な手を打つこと。
物僵監視陣の強化−民主團体の協力要望
二、勞務の確保斡旋と資材の獲得配給と併行を監視すること。
(就中木材配給の不圓滑)
三、復興委員會の專門部會を實践推進機關とする様組織すること。
四、復興建築綜合計画の急速なる發表を要望。
五、勞務者確保に登録制實施の要望。
六、勞務の適正確保につき組合側の參加要望。


出席者
教育民政部長外武猛彦
勞政課長林壽良
職業課長(代理)山崎重利
職業課中山保
勞政課池内正清
経濟防犯課武内司法事務官
建設課小島事務官
〃山本技官
商工課安岡技官
森澤組白川清亀
民主團體協議會岡上鶴之助
總同盟大鳥鷹延
間組赤澤卓郎
小田工業吉水猛
石本工業石本繁正
左官勞働組合松田寅吉
土建協力會岡田幸造
高知土建林傳六
三谷組佐幸溢郎
鐵道工業久保勝太郎
總同盟松村春繁
報國工業株式曾社櫛原一平


參考
マツカーサ司令部司令第四七號内譯(一九四五年九月二十二日)
貴下は主要商品に關する價格及賃金につき嚴重なる取締を創設し維持する責任を有する以上一月分協定は協定額が高過ぎ又大工、左官に差をつけた等の点に於て相常の非難があつた。
次に二月分協定は一月二十八日午後一時より會議塞に於て一月協定に於ける缺点を修正して左記の通り決定し公表された。


左記
新聞廣告案(二月日傭勞務協定賃金)
震災復興は擧縣一致の協力によつて急速に進められているが、之に伴い日傭勞務者の賃金協定は缺くことの出來ない要件となつたので曩にこれが協定を實施したが、更に次期實施について勞働團体、事業主側等と左の通り更新賃金の協定が成立し實施する事となつたので、縣民各位の御協力を御願いする。尚本件については高知軍政部に於て一九四五年九月二十二日連合軍最高司令部指令第四七號に基き之が履行について深甚の注意と監視をなす旨御指示があつたので御了知ありたい。
昭和二十二年二月一日
高知縣知事西村直巳
備考
一、此の賃金は一日實働八時間の場合の計算である
二、時間外手當は一時間につき本給の二割とする
三、此の協定は男女の賃金に區別をつけない
四、此の協定の期間は二月一日より二月二十八日迄とする
五、此の協定期間中に次期の協定をするものとする
六、本協定賃金は工場勞働者には適用しない
追つて二月分協定に對する各層の意見及び出席者


出席者の意見
一、第一回の協定發表は各方面に意外な反響を與えたが本協定は所謂日傭勞務者に適用されるものにして、工場に於ける勞務者等には適用されないのであるから、今回は特に此の点を周知徹底せしめなければならぬ。
二、本協定はもともと震害の急速なる復興を目的とする暫定的協定であつて、勞働組合、事業主側からも郷土の復興に關しては良心的なる熱意があり實行不可能なる協定は無意味であり、實行可能なる最少限度の協定額である。故に空文に等しき協定よりも多少の反響はあつても實行に際し組合側及事業主側の良心的協力を得る如く處置すること。
三、組合に加入しない勞務者に關しては勤勞署に於ける登録制を採用し、つとめて組合に加入する如く處理すること。
四、現在の大小請負業者、勞働組合、關係官廳を一丸乏する震災復興行動團秣が設立さるとすれば、賃金の間題も自然解決すると思う。
五、最高、最低の線をもう少し下げては如何。
六、協定適用範圍を震災地に限定してはどうかとの意見もあつたが、之は震災地外と比較していづれを高くするかの間題があり、勞務者の移動の点からしても相當困難であろう。
七、軍、前協定では雜役の中に石工、トビ、土工等を含めていたが之は別途協定すること
八、雜役の勞働者代表を本會議に加え意見を聞くこと。
九、本協定はもつと額を引下げてもよいが其の代り進駐軍勞務者と同様職場加配米を與えては如何。
一〇、本日の協定を一般に發表する場合は前以て案を見せて貰いたい。
三十日午後二時より勞政課に於て
事業主側堀内組石田所長
土佐土建藤本社長
組合側大工組合長廣瀬楔彦
總同盟村上亀義
一一、現在縣の經營している建築工補導所は期間が短かすぎるので一人前の大工として出發出來得るようにしては如何


出席者
勞政課武田事務官、池内事務官
建設課小島事務官
経濟防犯課武内司法事務官
商工會議所野中禾郎
事業主聯盟西澤弘順
總同盟廣瀬楔彦
〃岡本眞木
總同盟大鳥鷹延
〃村上亀吉
勤勞者組合共同委員會岡上金之助
土建協力會岡田幸造
市建設局中村斗南
高知日傭勤勞署小林事務官


以上二月分協定は大休に於て中傭を得たものであつたが、本協定は高知市を中心としてなされたものであつた爲め、須崎地區に於ては一部の非難があつた。
次に三月分協定は二月二十五日午前十時永國寺町二勞政課に於て二月協定に於ける缺点を修正して左記の通り決定公表された。


左記
新聞廣告案(三月日傭勞務協定賃金)
震災復興は擧縣一致の協力によつて急速に進められているが、之に伴い日傭勞務者の賃金協定を必要とするに至つたので本年初頭より此れを實施して來たが、更に三月分について勞働團体、事業主側等と左の通り更新賃金の協定が成立し實施する事となつたので、縣民各位の御協力をお願いする。
右協定は高知市を中心としてなされたもので各地區に於ては本協定の範圍内に於て地區の事情に應じた協定をなすよう取計われたい。
尚本件については高知軍政部に於ては一九四五年九月二十二日連合軍最高司令部指令第四七號に基き之が履行については深甚の注意と監視をなす旨御指示があつたので申添える。
昭和二十二年三月一日
高知縣知事西村直已

備考
一、此の賃金は一日實働八時聞の場合の計算である。
二、時間外手當は一時間に付本給の二割とす。
三、本協定は男女の賃金に區別をつけない。
四、本協定の期間は自三月一日至三月三十一日とす。
五、此の協定期間中に次期協定をするものとす。
六、本協定賃金は工場勞務者には適用しない。


次に本會出席者は左の通り
勞政課長安岡三四郎
勞政課武田事務官
〃島崎事務官
職業課安部深瀬事務官
建設課山本技官
監理課長谷川技官
經濟防犯課岩原司法事務官
總同盟大鳥鷹延
建築組合廣瀬楔彦
左官組合安藤滿榮
鹿島組山崎逸男
充産業川田友好
吉岡組吉岡義孝
高岡地方事務所高橋本美
商工會議所野中禾郎
市建設局黒岩庶務課長
高知勤勞署檜垣事務官
〃富永事務官
高知日傭勤勞署宮地暑長
〃小林事務官
〃岡野事務官


以上三月分協定は地區に於ては地區別に協定するよう通牒したので、その反響はなかつたようであるが、幡多郡を除くの外は本協定により實施中
幡多郡に於ける協定賃金は左記の通り實施中
左記
日傭勞務者協定賃金表(幡多郡内)
備考
一、此の賃金は實働八時間の場合の計算である。
二、時間外手當は一時間につき本給の二割とする。
三、本協定は男女の賃金に區別をつけない。
四、本協定の期間は自三月七日至三月三十一日とす。
五、本協定期間中に次期協定をなすものとす。
六、本協定は工場勞務者には適用しない。

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一月日傭勞務協定賃金
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二月日傭勞務協定賃金
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三月日傭勞務協定賃金
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日傭勞務者協定賃金表(幡多郡内)

第六編 市町村被害の實情とその對策

前記

全縣下を襲うた、今次の大地震の被害は實に想像以上のものがあつた。
こゝに特に市町村の震害の實態を一編に収録して彼我の比較に便ならしめ、一應全縣下の市町村別の被害状況を一括して掲げ、更に詳細に述べたい幾多の貴い資料を、限りある紙面故に殘したことは實に殘念である。
縣下各地の最も被害の大きかつた町村や或は特異性あるものを少しく述べて置く。例えば山間部でも意外な處で意外な震害を蒙つて居るのに驚かされるが、渺茫たる太平洋上に浮ぶが如き沖ノ島村は津浪の襲來もなく被害は皆無であつた。
なお海岸地帶は比較的被害は激甚であつたが、典型的なV字型灣奥や河川沿いに位置した街や邑は津浪による被害大であつた。然し震央に近い海岸地方でも案外地震や津浪の難を免れているのに氣付くのである。特に地盤の變動による土地の隆起沈降は今後に殘した重大間題で、今や學界は全力を注いでこれが究明に努めている處である。
次に同じ防潮堤を備えた久禮港と上ノ加江港との比較對照して、將來の防災對策に何等かの資料を與えていることは本編の最も貴い使命であるが、詳述することの出來ないのは洵に遺憾である故に他編に於いて補うことゝした。本表中、負傷者の數の如きは救護を受けざる者は算入されていない爲め實際の數は或は此の倍數に上ることゝ思われる。以下順次二十七の市町村についてその被害と復舊對策等の概要を記したい。

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一、縣下市町村別被害状況(昭和廿一年十二月廿八日現在) 高知、高知港警察署
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一、縣下市町村別被害状況 清水警察署
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一、縣下市町村別被害状況 中村警察署
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一、縣下市町村別被害状況 窪川警察署
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一、縣下市町村別被害状況 須崎警察署
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一、縣下市町村別被害状況 佐川警察署
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一、縣下市町村別被害状況 山田警察署
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一、縣下市町村別被害状況 本山警察署
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一、縣下市町村別被害状況 大篠警察署
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一、縣下市町村別被害状況 赤岡警察署
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一、縣下市町村別被害状況 安藝警察署
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一、縣下市町村別被害状況 室戸警察署
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地図 主なる震害地並に被害状況

第一章 高知市

第一節 總説

高知市は、昭和二十年八月戰災をうけて灰燼と化し、漸く廢墟の裡に希望の輝を見出したところ再び今次の大地震の襲來により未曾有の被害を蒙り、相次ぐ災禍に市民は恐怖と悲慘のドン底にあつたのであつたが、よく愛市の觀念をすてず大自然の暴威と鬪い建設に晝夜兼行の努力を續け、再び今日の如き盛觀を來すことが出來た。今當時の状況並にこれが緊急措置等を掲げたい。
前述の如く戰災復興の漸く緒についた本市として復興が總ての根幹であつた。地震は残存市街地に激甚なる損害を與え、あまつさえ高潮浸水は政沿、行政、經濟、文化方面に致命的打撃を加えたのである。しかしてその損害は
一、死者二三一名傷者三三四名
二、倒壞家屋一、一〇五戸半壊一、九五七戸
三、浸水家屋一、八八一
四、罹災者二〇、四〇五名
の多數に上つたのである。

第二節 被害の實情とその對策

前記の如き被害は、下知、北街、南街方面は最も大に、潮江、江ノ口之に次ぎ、激震による家屋の倒壊と堤防決潰による浸水の爲に住家を失つた市民の慘状は筆紙のよく盡す所ではない。市の周邊部にして地盤の堅固な所は壁が損傷を受けた位の輕度の被害に止つたが、其の被害に大小の差こそあれ震害は全市に及んだ。
被害の復舊は先づ市民日々の生活部面と浸水の喰止めにあつた。何れも縣市一体となつて之に當つたが、其の被害の全貌判明するに從い困難性を件う大事業なることが知られ、一縣一市のよくする所でないことが確認せられるに至つた。
二十一日高知市は登廳した吏員を數班に分つて各課之を分擔し、被害の實情調査を行つた。次いで町内課としては津野配給係長を總指揮とし、島村書記主食の主任となり、宮崎嘱託一般食料品及薪炭主任となり、隅田町内係長食糧營團との連絡主任及救援物費受配主任となり、永野嘱託收容所連絡主任となり、松田嘱託、伊與木書記補庶務係となり、其の他の全課員を動員して課長之を統率し、全員一体となつて救援事務に當ることとした。然しながぢ市民生活と直接取引の多い課の性質上平常のまゝの人員にては此の非常特別の任務を完全に遂行することは困難であつたので、市役所内に設けられた高知市震災對策本部と連絡して必要人員を他の課より臨時應援として廻してもらうことゝした。
先づ住居を失つた市民の集團避難状況調査の爲に係員は夫々に手を別つて實態把握に努力した。高知市東部の浸水地區の市民には食糧の取出が不可能となつた者も多く、炊事用具も失つて忽ち食生活に不自由を來すに至つたが、食糧營團は手持の所轄營團パンを之等避難民の爲に提供したので市は係員を配給本部となつた城東商業學校に派して配給事務に協力せしめた。
營團本部は暫く城東商業學校を非常配給の本部として居つたが、浸水漸く甚しく配分輸送の上に支障を生ずるに至つたので九反田に移轉した。
市は避難民の爲に收容所として使用し得る寺院、學校、教會等を用意して之に充てることゝしたが、浸水地域は潮の干滿によつて増減があるので、干潮時を利用して家財の持出整理等に當る必要上罹災民は之の住家の近距離に在住することを必要とし、市の準備した収容所を全面的に利用する譯には行かなかつた。從つて城東商業學校、昭和國民學校、多賀神社、大和舘、高知劇場、松岡倉庫の如きは此の方面の多數の避難民が密集して混難も多く悲慘を極めた。なお日時の經過するにつれて民家、山林中間に分散避難した避難民の小集團あるを知るに至つた。當日の二十一日に市の取扱つた集團收容所の避難民は一、八二七名翌二十二日は二、一五一名で、其の後日々増加し遂に三、〇〇〇名の多數に達するに至つた。當時主食糧の配給は、辛うじて順當に行て居つたが、供出米の事情は極めて不良で食糧營團手待品は僅少となり、將に危機に直面して居つた場合であつたので、非常配給は速に之を平常配給に復歸せしめるべきであつた。依つて二十二日市は縣及食糧營團との協議によつて非常配給を二十三日限りにて打切ることゝし、主食は平常配給に復せしめる方法をとることゝした。其の間震災による主食喪失者は臨時劵を交付して次回の都給迄欠配せぬ様の措置を講じたが、非常混亂の際之等の手續を短時日に周知徹底せしめて完了することは大なる混雜を伴い、之が爲に飢餓に瀕するなきを保し難い状態であつた。よつて二十三日に開かれた定例の市常會に於て、被害僅少地域よりの非常食糧救援を懇請した。大震災の報一度傅わるや縣内各地より救援物資が續々として寄贈せられ、市内よりの救援品と共に集團收容所に重点を置き急速に之を配分した。之等は、炊焚を要しない蒸甘藷握飯を主とし、其の他の食糧品、薪炭、衣料品等市民、縣民の赤誠による物であつた。後縣外遠く西山口縣、東北岩手縣に至る各地より乳送り届けられ、敗戰混亂の日本にも國民の道義心、人情は未だ地に墜ちずの感を深くした。課員は之等救援物資の受取配分及び臨時劵の發行、市民移動による台帳整理の爲に連日夜業を續け、晝間は他課よりの應援吏員と師範學校生徒の奉仕によつて急速なる處理を行うことが出來た。課として取扱つた救援物資は左表の通りであるが、救援米として寄贈せられたものは高知街區の鷹匠町、中島町、金子橋各町内會婦人部の應援によつて炊出をなし、握飯として避難民に配分した。激震と同時に市内の電燈は一齊に消え暗黒となつたので、全市民に蝋燭の配給を行つたが、三万二千世帶に對し各一本宛の少量であつたので、殘部は電燈復舊の遅れた地帶に對し重点配給を行い、其の上燈用石油を一世帶一リツトル程度に於て町内會長の証明によつて配分することゝした。其の他マツチ、石鹸、塵紙、鮮魚塩干魚、衣料品、薪炭、煙草、酒等震災者に對する重点的特配として配給した。震災によつて一時平靜を失つた市民も先づ食生活上の不安を一掃することによつて稍〃安定を得、町内會、區内常會の協力と民間の自發的な熱意になる救護團体の義侠によつて、救援及清掃復舊の仕事も緒に著き、後述の如く市は一月十日高知市災害復興委員會が結成せられ、役所事務も平常に復したので町内課としても引續き送付せられる救援物資は平常事務の傍らに於て便宜之を取扱うことゝした。

第三節 高知市災害復興委員會の設置

高知市は戰災復興漸く其の緒につかんとしたが、再度の災害の悲運に遇つて之れが復舊に全力を結集せなければならないので一月十日市に於ては各方面の關係者、學識經験者、婦人團体幹部等よりなる高知市災害復興委員會を設置して、復興對策につき調査研究、審議を重ねて着々實行に移した。
この委員會の規程、構成、委員等は左の通りである。


(1)高知市災害復興委員會規程
第一條本委員會は高知市災害復興委員會と稱し災害(震災及戰災を含む)の迅速なる復興、罹災者援護の微底を圖る爲、市長の諮問に應え諸施策の調査研究に努むると共に之が實行の促進に當るものとする
委員會は市長に對し災害榎興に關し意見を述べることが出來る
委員會め事務所は市役所に之を置く
第二條委員會は會長一人、副會長二人及び委員若干人を以て之を粗織する
第三條會長は市長、副會長の内一人は市脅議長を以て之に充て他の一人は委員中より市長が之が委囑する
委員は關係諸機關の代表者學識經驗者及罹災者代表等の中から市長が之を委嘱又は任命する
第四條會長は會務を總理する
副會畏は會長を輔佐し會長事故あるときは其の職務を代理する
第五條委員會に常任委員會及專門委員會を置く
常任委員會の開催出來ない場合及軽微なる事項又は急施を要する事項について委員會に代り處理することが出来る
專門委員會は左の各部に分ち夫々專門的事項を分掌するものとする
建築部
市營住宅、自力建築援助
學校其の他復舊、轉用住宅斡旋
土木部
道路堤防應急修理
道路橋梁、水門港灣等の恒久的修築
水道復舊
資材部(復興資材の調査獲得及各部への配分)
勞務部(勞務者確保、配分輸送機關斡旋)
清掃部(破壊家屋等の整理、街路等の清掃)
食糧部(食糧供出の促進、耕地、増産對策)
援護部(生活保護、罹災者収容所、一般救恤)
防疫部(浸水地域の消毒、豫防、救治一般、死傷者措置)
常任委員會は會長、常任委員及各部の部長を以て構成する、常任委員は委員會に諮つて委員の中から市長が之を選任する
專門委員會の委員は委員會に諮って委員の中から市長が之を選任し、部長は各部の專門委員の互選とする
第六條委員會及常任委員會は會長、專門委員會は各部長が必要と認めたとき随時開催するものとする
第七條委員會に顧問を置くことが出來る、顧問は市長が之を委嘱する
第八條委員會に幹事、專門委員會に書記を置き市吏員の中から市長が之を任命する
幹事は委員會及常任委員會の庶務を掌理するものとする
書記は專門委員會の事務に從事する


(2)高知市災害復興委員會構成


(3)委員會(常任委員會)幹事、書記名簿
幹事来岡猛馬
岡崎和郎
黒岩龍猪
仙波清春
中山友亀
矢野源治
和田幸盛
書記西澤勝
栗田鶴二郎
山崎彌三郎
土井原尚家
松本鉄男
小原義夫


(4)各專門委員名簿左の通りである

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(2)高知市災害復興委員會構成
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(4)各專門委員名簿

第二章 中村町

中村町は高知縣の西部四万十川の流域に位置して、交通上將又經濟、産業、政治文化の上で幡多郡下の重要都市である。
古きは一條氏の城下として繁榮し今日に至つた、過去に於てはこの大川を中心に大自然の災害を蒙り幾多の苦しい体験を經て來たが、戰災に次いで今回の大激震をうけて、全滅に瀕する廢墟と化し終つた。
中村町は、震央からかなり離れた場所であるが、それなのに、今回の大地震による被害の割合が一番大きかつた。
本町には二千百七十七軒の家があるが、その中千六百二十一軒が全壊し、又三百八十三軒の家が半壊で、更に火災に上り百六十三戸を燒失した。つまり殆んど全部の家が地震の爲に破壊され或は燒失して終つたのである。壊れた割合は八五%に達する。何故このような悲慘な災害を蒙つたのであるか、色々の立場から研究されなければならない。
この痛烈極まる被害に對し、町當局、幡多支廳、警察署、警防團、青年團等は緊急措置として死体の收容に、罹災者の救援に、救護に、消防に、救援米供出に、炊出し等に協力一致して日夜奮闘した。
罹災者收容バラツク建設に、庶民住宅建築に、倒壊と焦土と化した町民はひるむことなく希望の光を求めてあらゆる悪條件を克服し。蹶然として復興の緒につき、不撓不屈の精神を堅持してめざましき復興振りを示し、今や殆んど完成するに至つたのである。


一、中村町の被害一覧表
本縣下最菟激甚なる被害をとゞめた中村町の被害一覧表は左の通りである。
(一)中村町震害一覧表


二、中村町が直後に採った措置
本町は死者二七七名、負傷者三、三五八名、住家の倒壊したもの一、六二一戸、燒失、半壊した數を合わせて全戸數の九割は被害を蒙つて殆んど全滅の状況であつた。地震當日は町役場では町長公務で東京都へ出張中、助役重傷、其の他議員、町吏員は大部分罹災者となつたが、小數の議員、吏員、青年團員の活動で次の應急措置を執つた。第二日目には區長會を招集して對策を協議した。


1、死者の收容及處置
死者は青年團員、清防團員、隣家の者等の協力で、中村町正持院、正福寺、神宮に收容し、土葬希望者以外のもの一五〇体は町が四万十磧で火葬に附した(二十一日以後三日間)。また一方突如のことで死体を納める棺がないので、町役場裏で大工を督勵して荒木造りで急造し、各家庭でも不用材等で粗末なものを作つた。


2、負傷者の收容
負傷者は多數あつたが、重傷者を次のところに收容して應急手當をした。
杉病院、太陽舘、細木病院、幡多病院


3、食糧の配給(應急處置)
直ちに中村町食糧營團と交捗して、一般町民に玄米を三日分配給し、附近町村からの救援による食糧を青年團の手で配給した。
附近町村からは、それぞれ罹災の親類、知人等の家へ直接食糧を運んで來たものが相當多かつた。


4、火災についての對策
地震直後本町、中ノ丁方面で火災が起きたので、消防團が直ちに出動したが、家屋が道路に倒れ、消防自動車の通路が無く、漸く後川堤防外側の道のない荒地を通つて火災現場に出動し、消防用水は水道が破損されていたので、小學校庭及び女學校前の貯水槽より放水して消火に努めたが、遂に六六戸を燒失した。


5、救援物資の配給について
震災直後進駐軍、縣並に諸方面からの衣類、食糧等多數の救援物資が届けられ、中村町青年團員の晝夜兼行の協力で毎日適當に配給した。


6、市街地の大部分の者が住家を燒失又は倒壊して住むところがないので、概ね殘り板や家材で假小屋を急造して雨露をしのいだ。一部の者は學校や役所、神社、寺院の殘存建物の一隅に雑居してこの状態は當分續いた。
町としては殆んど特別の收容施該をする暇もなく資金もなかつた。

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(一)中村町震害一覧表
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地図 中村町震火災状況要図

第三章 宿毛町

宿毛町は本縣の西南端の愛媛縣に境する處に位置し、宿毛の街は海岸を四粁米以上距れている。地震による被害も相當あつたが、津浪は大島、片島を經てその奥にある防潮堤三ヶ所を破壊して、田畑の浸水あり又道路上に浸水し交通杜絶するに至つた。津浪は別に段をなさず、込潮の時の如く高く押し寄せること三、四回位であつたと云われてい.る。防潮堤は第二回目に押し寄せた揚合に破壊されたのである。


◎被害概况
震央より相當遠く隔つているが土地の軟弱な地域等は、地震並に津浪火災の被害は甚大で大体左の通りである。
一、人の被害
死者六名
重傷者四名
輕傷者五四名
二、家の被害
全壊一八五戸
半壊三九○戸
浸水五二〇戸
三、防潮堤
決潰一五三間
崩壊六五五間
計七七三間
四、道路
決潰一一五間
五、田畑
田一五〇町歩
畑四五町歩
六、水道切斷
一ヶ所(二四五軒使用のもの)
七、農作物
作付に對し被害
萎二、○〇〇反一八○反
蔬菜二五○反三○反
甘藷の腐敗四〇、〇〇〇貫一六万圓
八、燒失家屋四戸

第四章 小筑紫村

小筑紫村は本縣西南端近くにあり、震央より相當隔つた距離に位置している。
小筑紫は小筑紫港の奥にありて津浪の浸入を受けて堤防は悉く破壊され、人畜の被害は幸なかつたが、浸水の爲め田畑、家屋の被害は大であつた。剩へ小筑紫の中心地區に地震の爲め流れ出て小る石油に過つて引火し、火災の發生を見て遂に十九戸を灰燼に歸したのは、洵に惜むべきである。今次大地震による火災の最大は中村町にして、小筑紫村の火災はその次であつた。

第五章 沖ノ島村

沖ノ島村は土佐の西南の洋上に浮ぶが如き孤島である。渺々たる涯なき海原が遠く震央に續き距離は遠きとは言え直面して居るので、或は津浪の來襲を受けて相當の被害を蒙つたのでは無いか、心配してその情報把握を心待ちしていたが、幸にも津浪の來襲を見ず、人畜の被害はなく、又火災の發生もなく終んだのは不索中の幸と云うべきである。
本村は住宅地帶も畑も階段式の石垣にしてこれが地震に依り崩壊して被害を受けた。

第六章 清水町

涛水町は土佐の西南端にあつて、太平洋に臨んだ漁港である。
町は清水灣奥に位置しV字型の典型的な内灣である。幸に震央より遠く且又反對方向にあるので津浪の被害は僅少であつた。その他の地區に於ても海岸の土地が比較的高いため家屋、耕地に及ぼす津浪の被害は極く僅少であつた。
足摺崎方面は岩石の地盤で、地震の被害は殆んどなく、中部以北に於ては相當の被害はあつたが、人畜の被害は死者二名、傷者二名、計四名で死者二名は清水の川圃を埋立た處であつた。津浪は別圖の如く突き當り當り、灣奥に浸入しその高さは二、三米で海岸の護岸を越えて道路に浸水し、少數の床下浸水の家屋を生じた程度に止つている。
尚地震に因る海岸線の土地の隆起により、港灣に於ては、船舶の入港困難となり、干潮時には内港に繋留不能となるものあるに至つた。又地層の變化に起因する谷川の水が著しく減少し、灌漑に支障を來すもの多く、今後に殘された問題は重大である。
次に安政の津浪には、清水では蓮光寺の石段の三段目まで浪先が來たと云われているが、今回のはそれに比して小さかつた。

第七章 下田町

下田町は、本縣西部四國一の大河と稱せられる四万十川の河口にあるが、四万十川の北岸に沿うた細長い農婁漁村である。
下田港は、津浪に襲れたが港の甲が廣いため被害は比較的僅少であつたのは幸であつた。津浪は、安政のときも中村町の下の方の中筋川との分岐点の坂本迄潮完が浸入したことは、中村町魚市場記録に殘つている。今回も、同様坂木迄達しているが、當地の人々は古老の言い傅えもあるので逸早く山部方面に避難していたので人畜の被害は無かつた。今その津浪がこの四國一と、云れる大河四万十川を上つた時の状況は左の通りであるが、なお津浪は始めの二、三回は段になつて來たがその後も五、六時間は引いたり滿たりして、川口よりは奥の鍋島附近がずつと高かつたと云われている。


◎震災直後は一時幡多郡方面の救媛物資其の他輸迭の據点となる
一度大地震に襲われるや、高知−中村方面の交通、通信全ぐ杜絶され、隣接町村の連絡なく孤立して終つたので一時は途方に暮れたのである。翌二十二日夕方この方面の被害甚大の報を漸く把握するや、縣は非常措置として海路よりの救援を敢行し、この下田町を據点として莫大なる救援物資や急派の要員を悉く港に陸揚した。
折から冷雨は降りそゝぎ、救護物資の保管に運搬に並々ならぬ苦闘が續けられた。しかし一時も早く罹災者に渡さなければならない此の貴重な物資である。運搬船を以て川を遡る方法と、陳上運搬と二方法をとつて萬全を期したが意の如くは運ばなかつた。兼松幡多郡連合青年團長は、卒先協力陣頭に立つて活躍した。地元下田町青年團員も晝夜兼行嚴寒を冐して、、涙ぐましき努力を盡されたことを感謝する。

第八章 伊豆田村

伊豆田村は、本縣の西部清水町と向背をなし清水町とは、全く反對の方向に向い、震央に直面している点又下ノ加江川がある關係上津浪は此の川を上つて防潮堤を越えて兩岸に浸水して、浸水家屋二〇〇戸に近き相當大なる被害を蒙つたのは對照的である。
本村の被害は主として此の下ノ加江川々口及布立石等が最も激しかつた。清水の被害は隆起による被害が今後の措置として問題を殘しているが、直接津浪の被害は本村に比すれば僅少なものである。清水が反對に伊豆田村の方向に位置するなれば、被害は一層甚大であつた事と思う。
特に、伊豆田村、下ノ加江を記したのであるが、今後においても下ノ加江川畔の住家、田畑は津浪の被害を警戒すべきである。

第九章 大方町

大方町は、縣下の西部にあり、東方は土佐灣に臨んでいる農漁村を形成レている。安政の大地震にこゝの地も津浪に襲われ家の漂流すること數を覺えずと言われている。
今回は外海に直面せる關係もあり、又海岸線の入野地區は砂丘をなしているので幸にその進入を防いだ。特に蠣瀨川や吹上川に浸入した先訓があるので怖れていたが、今次も蠣瀨川、吹上川に浸入した津浪の被害は、相當甚大であつた。震源地より比較的離れているので津浪は浪高最高二丈位であつた。

第十章 佐賀町

佐賀町は、本縣の西部にあり、東方は土佐灣に面しているので、地震後津浪の襲來を受けて相當大なる被害を蒙つている。
伊與喜川の川口に於て津波の被害は最も大きかつた。當町を通ずる高知−中村線の幹線道路は地震によつて崩壊埋沒し、至く交通杜絶し物資の輸途に大なる支障を來したが、之れが應急復舊に沿線部落民は全力を注いだので、意外に速がなる完成を見るに至つた。

第十一章 白田川町

白田川村は本縣の西部にあり、東方及南方は土佐灣に臨み、今回の地震では上川口地區の一部軟弱な土地の所が被害があつたが、此の方面では津浪が砂丘に上る程度であつた。なお伊豆田方面及びこれより以東は、地盤が固いので殆んど被害はなかつた。
震央に直面する東部の白濱地區方面は津浪の襲來をうけて、海岸の自給製塩施設や船舶、田畑に被害を蒙つた。

第十二章 具同村

具同村は本縣西部四万十川の流域に位置し、四万十川を隔てゝ中村町に隣接する、人口二千百余名の農村であつて毎年この大河四万十川の氾濫により農生産物其の他に甚大なる被害を蒙りつゝある。然しながらこの悲運にさいなまれつゝも強靭不餐磯の勤勞猜岬はその都度難關に處してよく之を克服して來つた。建設省は、昭和四年工を起した四万十川治水工事は着々その成果を収め、就中四万十川及び中筋川の合流点に築造している全國類例のない大瀨割堤工事は將に成功されんとしているが、これで永年の水魔の跳梁に任せられつゝありし本村も、やがては豊穣なる農業平野として更新する日も近きにあるのとき、突如として襲いかゝつて來た今次の災禍は實に慘鼻の限りをつくした。一時は希望を失えるが如き様相を呈し、又何時の日か起ち上り得ようかと慮れていたが村民の愛郷の知性の喚起と異常なる復興への熱情は各方面より寄せられた厚意に報ゆるが如く逞しく復興へ邁進しつゝある。

第十三章 須崎町

當町は、本縣の西方土讃線の沿線に位置し、商工都市であるが南は土佐灣に臨み須崎灣を控えている。強震後僅か十五分間位して、須崎灣内奥深く津浪が浸入し、眞正面に多ノ郷村の堤防や鐵道線路を破壊して北方遠く山の手多ノ郷國民學校附近に押寄せた津浪は一瞬にしてあらゆるものを破壊し盡し、更に反轉した潮流は高知縣造船株式會社の資材或は高知營林局の貯木材、家屋等を逆巻きながら須崎驛附近に不氣味な音を立ててゴロゴロ、ガラガラ、バリバリ、ベリベリたけりたつて急速に迫るや、未だ明けやらぬ暗がりの中、子は親を呼び、親は子を呼び、助けを求むる悲痛な無間地獄を現出し、夜も白々とあけゆく頃には、須崎驛前附近三十何名かの死体が横たわつていたことは涙なくして見ることの出來ない悲慘な有様であつた。斯くの如く國鐵線路や、高知−中村間の國道は全く破壊され一時は交通杜絶され孤立の状態となつた。


一、須崎町の被害状況
今回の地震に依る被害左の通りである。


二、町の採つた緊急措置
須崎町は津浪による被害は甚大であつたが、浸水を免れた方面の家屋は比較的倒壊は少く被害の程度が輕かつた。然し被害は全町に及んだことは勿論である。一町役場は警察署、高岡地方事務所、警防團、等と協力し災害地の警戒、罹災者の救護、流木等の取片付等に全力を注いで遺憾なきを期した。
(1)被害調査
激震による被害と津浪による被害の程度把握に努め、當日晝頃漸く完了した。
(2)罹災者の收容
罹災者は須崎國尻學校及び天理教會に收容し炊出を行い給食を爲し、負傷者は、縣民病院にて手當を加えたるも、重傷者は二名のみで收容所には病人、負傷者は皆無で皆元氣であつた。
(3)食糧事情
食糧事情は僅か五日間の手持米を殘すのみで速かに補給するにあらざれば重大事を生ずる虞あるを以て、縣當局の善處方を要請すると共に附近町村の協力方を依頼した。
(4)道路の清掃と復舊
須崎町は先づ津浪による木材の散亂を速に整理し、倒壊家屋の片付け、主要道路の清掃は急務中の急務で、これにより主要食糧の輸送並に連絡に役立つのである。國鐡は目下の處茲數日復舊の見込はないと云われて居た。

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一、須崎町の被害状況
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地図 須崎町に於ける浸水地区及津浪による遭難地点

第十四章 多ノ郷村

多ノ郷村は本縣の西部にあり須崎灣奥及野見灣に臨んでいる農漁村で、今回の地震の襲來後間もなく三度の大津浪のため甚大なる被害を蒙つた。
當時の模様は須崎町と共に比較して考える必要があると思う。津浪は須崎の内灣を奥へ奥へと突入し、この多ノ郷村で溜つた潮は逆流して須崎町の背後から浸入、思い掛けざる悲慘なる光景を須崎驛附近に展開したのである。今ここに怖るべき津浪がV字型典型的なこの灣奥になるにつれて、波高を嵩かけて押し寄せたがその概况は次の通りである。
午前四時十九分、地震と共に電燈は消えて眞暗がりとなつて明けやらぬ夜空には星影さえきらめき寒さは虚空藏山おろしで身にしみた。大地震後聞もなく約二十分して大津浪は十數尺の高さを以て三度猛威を逞し、暗夜の中激流となつて物凄いうなりを立てゝ家屋の倒壊する音、船と船とが衝突する音、流木ののたうつ音等怖しい異様な大音響と共に國鐵土讃線の鐵路は二粁に亘る間アッと云う間もなく切斷し、更にこの奔流は中村−高知線の道路を又防波堤塘を破潰し、終に當村の穀倉とも稱すべき永年苦心を重ねて完成した二百四十町歩は全くたゞ一望涯なき荒蓼の砂原、泥上と化して終つた。
中でも殘虐なる災禍の爪牙にさいなまれた地區は大間、土崎、谷、串の浦、野見、大谷の海岸に面した低地帶であつた。長汀曲浦の眺め豊かな海岸には、あわれこの曉前の慘憺たる水魔の跡に唯芝然と佇み深い哀愁にうな垂れる住民の姿が見られた。
人命の損傷、住居の流矢並に倒壊、動産、耕地諸施設の被害は巨額に達するであろう。靜けさに返つたこの悲慘な跡に立てば心なき寒風は、押し流された高知營林局、高知縣造船會社の耳木や大船小舟、破損家屋、家財、食糧の上を吹き去つてゆくのであつた。
道路は到る處決潰し、鐵路は飴の如く曲り、復舊は何時の日か豫定が立たない状況で、人々の顔には不安の色がたゞようていた。然し罹災民は縣當局や各方面、殊に軍政部よりの心温き贈物や激勵救援などで恰適一朝の凶夢から醒めたように空拳を固く握つて、雄々しくも復興途上に立つのであつた。

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地図 高知縣高岡郡 須崎町 多ノ郷村

第十五章 上ノ加江町

上ノ加江町は縣下の西部にあつて、上ノ加江灣に臨んで居る農漁村である。
上ノ加江町は、この地震の後津浪に襲われたが、宇佐や須崎、多ノ郷のようた災禍を受けなかつたのは不幸中の幸とでも云われよう。津浪は町の中央の護岸に遮られて正面より街に浸人することは出來なかつたので、一部は北の方のの川に沿つて上り、堤防の裏側から流入し、又一部は南側護岸の盡きた所に埋立の低い石積の護岸があつたが、こゝより上陸して海岸に点在した倉庫、人家等を流失せしめて三、四〇〇米奥の山際まで運び、この低地は氾濫した。上ノ加江の街は中央部が高くなつているので、被害も比較的に少くて終んだ。浪の高さ及び浸水地域は後背の方面であるが、久禮町及び須崎町と比較して見る必要がある。須崎も多ノ郷方面より道に背後かち浸入されて相當大なる被害を蒙つたが、上ノ加江は比較的被害僅少で幸であつた。

第十六章 新宇佐町

新字佐町は、高知市の南、仁淀川の川口、宇佐灣奥、横浪三里の入口に位置する。字佐の街は戸數二、一六四戸、人口一〇、二〇六人で農漁村の形成である。(當時、宇佐町と新居村と合併して新宇佐町となつた)
今回の大地震で津浪の襲來をうけたが、家屋は比較的倒壊せなかつた。地震後約十分位して第一回に引續きそれより約十五分して第二回、又二十分位して第三回の津波は大体低地である宇佐地區に激浪、激流となつて襲いかゝり、その被害は高知縣下では最も甚大な破壊を蒙つている。今回の災害は寳永、家政の大地震の際の被害に比する大津浪であつた。
當町の新居部落は戸數約五○〇戸であるが、海岸線が丘陵をなしているので、海嘯の被害は全然なく又地盤が固いので地震の被害も僅少であつた。
前述の如く宇佐地區は低地にある關係上甚大なる被害を受けた。


一、襲來の時刻と波高
第一波地震後約十分浪高約一米
第二波一回目より約十五分後浪高約三米
第三波二回口より約二十分後浪高約五米以上
宇佐の街及び之に隣接する地域での津浪の高さ及び浸水地域は左圖の通りである。
宇佐灣の西に接して浦ノ内灣(横浪三里)は極めて奥深い灣が續いている。灣口より灣奥まで一二粁に及んでいる。この灣内では津浪の高さは僅かに一、五米内外に過ぎず、灣奥に近い横浪及び最奥の中の浦ではいづれも一米位にしか過ぎない。津浪が宇佐の海岸に到達したのは地震後一〇分−二〇分後と推察される對し中の浦では大体五時三○分から六時近く、あたりが少し薄明るくなつて來た頃とのことであつた。
浦の内灣は水深極めて淺く一、五米程度であるが、津浪の速度として長波の式があてはまるとすれば、一二粁の距離にある中の浦まで五二分を要することゝなると云われている。
今回の津浪の浪高は外洋で二−三米内外で、あたらしく海岸に近づき特にV字形の灣内では浪高を更に高め、東南東向の新宇佐町は特に高かつた。


◎應急措置
十二月二十一日の夜は津浪の再來を慮り人心動搖して居つたが、天候が回復し津浪の再來もなかつたので不安は一掃され人心は安定し、罹災者は罹災家屋の取片付に從事するようになつたが、地震の當日採つた應急措置は左の通りである。
一、罹災者の收容
罹災者中一〇三世帶四一五名は直に學校、神社、佛閣に收容し、其の他は親族知己を尋ね、又は山の手の方面や非罹災地の住家に避難した。


二、炊出しや救援米の配給
新居地區や山の手方面の被害僅少の地より救援された。
◎炊出し米八石
◎むし芋五百十貫
◎救援米四六石二斗(罹災者一人平均七合)


三、縣や軍政部より救援物資及び隣接町村よりの救援
各方面よりの救援物資は續々逸早く到達し、直ちに嚴寒にうちふるえる罹災者達に贈られたので感激していた。その主なる救援物資は左の通りである。
下駄と花緒各二、〇〇〇点を始め庖丁、釘、ローソク、石鹸、衣料品、茶碗、皿、手拭、布團、煙草等を縣より送付され、特に軍政都より衣料七、九六六点の放出物資を贈られ、唯々感激の他なく漸く温き人間愛に立ちかえることができた。又隣接町村より食糧、日用品等の救援物資が多量に恵與せられたので、一般町民は感謝の念で一杯であつた。


四、食糧事情
罹災者の食糧に對しては万全を期し、直後は不安がなかつたが、常町新居農業會の在庫は二三四俵で、なお供出米完遂に努力を續けた。


五、町内の清掃に協力
二十二日よりは附近の町村警防團百五十余名出動し、特に高岡警察署の協力を得て、道路の清掃並に罹災家屋の取片付に奉仕され、一月十日頃に一應整理を完了した。


六、衛生清潔を實施
膓チブス、發疹チブスの豫防接種、井戸水等の消毒、家具食器の消毒を全町に亘り實施した。

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地図 新宇佐町の津浪の高さ

第十七章 久禮町

久禮町は本縣の西部、土讃線沿線にあつて、南方は土佐灣に面した農漁村である。
久禮の街は久禮灣奥に位置し、土佐灣に直面しているに拘らず、今回の地震では極めて被害は僅少であつたことは不幸中の幸と云うべきである。津浪は押し寄せて來たが街の前面にある堤防にさえぎられて街の中へは浸入しなかつたのは幸であつた。
此の防潮堤は全く津浪を防ぐことが出來たのは、波高より防潮堤が高かつたからで、又破壊されずに終んだからで、隣接する上ノ加江は堤防はあつたが堤防の切目と川から浸入して相當大なる被害をうけた。久禮の津浪の高さは三、五米はあつたことゝ思われるが、堤防の高さは海面上四、五米で此の上面にひたひたになる迄押し寄せている。

第十八章 伊野町

伊野町は、高知市の西方仁淀川の流域に位置し、商工業の町を形成しているが。この街は仁淀川畔にありて地盤上被害甚大ではないかと想像されたが、比較的地盤固く表土も軟弱でない關係上被害が僅少であつたのは幸であつた。
その被害の程度は左記の通りであるが、罹災者は夫々措置され案外冷靜で、町は情報を調査して待期していた程度で濟んだ。復舊状況も極めて良妊で殆んど完成している。以下は皆震害に依るもので、火災の發生もなくすんだのは幸であつた。
一、人畜及住家被害状況
(イ)死傷者死亡者四重傷者一五
(ロ)住宅全半壊全壊二八半壊五八
一、被害額總額七百万圓也
内工場三百万圓一般住宅四百万圓

第十九章 十市村

十市村は高知市の東方にあり、南方は土佐灣に臨んだ農村を形成している。
地震後津浪は押し寄せたが、前方は東隣の三和村と同じで、海岸線の砂丘に遮られ津浪の浸入を防ぎ、その難を逃れ濱邊にあつた漁具等に多少の被害はあつた。地震の爲めの被害は左の通りである。
一、被害状况
(1)人畜の被害
死者四名(内小兒二名)傷者二名
(2)住家の被害
全壊一二戸半壊六二戸
以上の被害は札場地區、阿戸地區、劒尾地區にして、軟弱地質の地域のみ被害を蒙つているが、罹災者は二四〇名であつた。尚本村は約二尺位の土地の沈下を見ているので二十二年の夏季の出水期には浸水の爲め稻作の收穫皆無の状態となつた。

第二十章 三和村

三和村は高知市の東、香長平野の南部にありて、東は前濱村及び日章村を經て物部川に達しているが、又南方は土佐灣に面する農村である。
今回の大地震後津浪を虞れたるも、南方の海岸線は丘陵を(砂丘)なしている關係上津浪の浸入を遮つて大した被害を蒙らなかつた。
昔より里改田附近の田圃は三坪の雨が降ればいかる(水底に沒する)と云われ、地震による土地の沈下は大体二尺位で、村民は洪水を怖れていたが、翌二十二年の出水期には大海原と化し容易に減水せず大なる被害を生じた。今後排水路を如何にすべきか問題を殘している。これが對策は本村として技術的に重大問題である。

第二十一章 赤岡町

赤岡町は高知市の東方にありて、南は土佐灣に面し商業地を形成している。
津浪の被害は無かつたが、震害は別圖の様な數ヶ所の地區に限つて被害を蒙つている。この街の家屋は、大体砂丘の上に建つているようである。
被害は左の通りである。
1、死者無
2、負傷者三名
3、倒壊六戸
4、半壊四五戸
5、罹災者一四七名
被害は比較的僅少にて幸であつた。安藝町同様部分的被害をうけている。

第二十二章 槇山村

槇山村は高知市の東北方の山部に位置し、物部川上流にある農山村である。
今回の地震では當村は地勢嶮岨にして、崖の崩壊箇所到る所に生じ家屋、田畑埋沒し相當甚大なる被害を蒙つたが、山村の被害町村では本村が最大の被害村と云えよう。今後築かんとする石垣の築き方に付ても相當の工夫を要することを物語つている。

第二十三章 安藝町

安藝町は本縣東部にあり、南部は土佐灣に面して位置している。
今回の地震に於ては津浪の浸入することなく終んだのは幸であつた。外海に直面しているのと、又海岸は砂丘をなしているのでこれが遮つて殆んど被害はなかつたが、地震による被害は相當あつた。中でも街の西部に近い土居村方面に向う道路附近を中心として、帶状をなして局部的に被害甚大なるのは注目すべき處である。表土、地質等の關係であをことと思われるが、その被害地區は圖に示す通りである。火災の發生がなかつたのは不幸中幸とでも云えよう。
一、被害の實情
(1)人畜の被害
死者九人重傷者八人輕傷者二八人
(2)家屋の被害
倒壊家屋一七〇戸半壊六一五戸

第二十四章 室戸町

室戸町は、本縣の東南端に近く室戸岬町に隣接している。
震央に最も近いので、この附近は相當の被害があるのではないかと案ぜられて、救援部隊は逸早く此の方面に急派されたが、人畜の被害は極く僅少であつたのは幸であつた。
室戸岬方面の土地がはね上つて、室戸の漁港に船が入れなくなつたので、漁業上支障を生じ大損害だと云われていた。室戸で大体九〇センチの隆起を見ているので、貨物船や漁船などは荷役作業上に不便を感じていた。反對に高知市附近は五〇センチも沈下して居ることが判明したので、今後土木や耕地關係事業上考慮に入れて施業案を作成する必要があることは勿論である。今こゝに建設省地理調査所の測定にかゝる室戸岬とその附近の地震後の變動を掲げて見ると左の通りである。

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四国東南部の陸地の変動

第二十五章 室戸岬町

室戸岬町は土佐の東南端にありて、土佐灣に面し漁村を形成している。
震央に最も近いので相當甚大なる被害を蒙つて全滅に瀕しているものと豫想されて、救援部隊は情報把握のため此の方面に向けて急派されたが、震害の調査が進捗するに從い被害は比較的僅少であつた事が判明したのは不幸中の幸であつた。
此の方面に對して本縣西部の中村町を始め各町村の被害は想像外に甚大なるものがあつた。外海に直面する室戸岬町は津浪の浸入は三分間乃至五分間を経て海水の出入の如く滿干し、その潮高は一、五米乃至三、五米に及び心畑していた津浪の被害を蒙ることなく終んだ。


◎地震で隆起した室戸岬
この度の大地震による陸地の變動は、高知市附近では約五〇センチも沈下して浸水、堤防の決潰騒ぎをしているのにこの室戸岬では約九五センチも隆起し、西隣の室戸港では船の出入に障るときもあるとの事である。この陸地の變動の様子は安政大地震のときの記録にある陸地の變動と同じ型であると云われて居るが、今後施業上土木方面、水産方面にも共に重大な間題を殘しているので、學界は擧げて研究を續けこれが究明に努力を拂つている。

第二十六章 野根町

野根町は本縣の東端近くに位置し、南北の海岸線を有し農漁村を形成している。野根川の流域にありて震害の著しい点や地質其の他に於て今回の地震で最大の被害を蒙つた中村町に相似ている点が多いのである。
野根の街は、野根川の川口にありて、街は縣道に沿うて海岸近くにある細長い街である。特にこの町で震害の甚大であつたのは、浦地區及中村地區であつた。浦地區は砂丘の上に立つ部落であり、中村地區は野根川の舊河道に當つているようであるが、半數以上住家は倒壊又は半壊している。その他の部落は大部分地盤の固い山地にあるものであり、そのため震害は大きくなかつたものと思われる。野根町の各地區の被害状況を見ると。一瞬にして大破以上のもの二三三戸にして、特に浦と中村部落は全滅の被害を蒙つている。なお野根町は震央には比較的近いが、外海の關係上津浪の被害は無かつた。
被害の分布状態は左記の通りである。

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野根町の震害

第二十七章 甲浦町

甲浦町は本縣最東北端、徳島縣と堺する漁港である。葛島を港の入口に甲浦の街は、その港の奥にある。山は海岸の直ぐ近くまで迫り、建並ぶ家は山麓と海岸との間に帶の樣に細長く一列乃至二、三列に建つている。
津浪は港の奥に浸入し來つて各家の軒端起くまで浸水したが幸に何れも流矢を免れている。なお津浪は第三回目が最も高かつた。甲浦は地震による被害は地盤が固いので被害は僅少であつた。
次に地盤の沈下の問題について今迄より潮が滿ちた場合、海岸線は道路に上る程になつているから多少沈下しているかも判らない。
被害の程度は本縣の東部では隣接の野根町と共に被害甚大で、甲浦は特に津浪の被害が大であつたが、住家は山沿いに建つている關係等で流失せなかつたことは、新宇佐町や須崎町と異つているところで特に注目すベきであると云える。又安政の大變にも津浪の襲來をうけたことがあると云われ、地名に船越と云うのがあつて高潮のために此の地を船が越したと傳えられている。またこの地のお寺の處まで潮先が來たとも云われている。

第七編 各廨の活動

總記

以下數項に亘つて各廨の活動状況を記するが、各廨は直接に間接に震害の復舊に對しては晝夜の別なく涙ぐましき努力が拂われている。その記録の多くは縣及び市町村に於て掲げられているから今こゝに敢えて重複をさけたい。各廨が行つたことは實に數限りもないことであるが、
(1)全縣下各地の交通杜絶に對して執つた緊急措置
(2)罹災者の收容救護
(3)高知市東部の堤防决潰による浸水の防止
(4)麥作、稻作の塩害に對する對策と之れが指導
(5)復舊工事の根本をなす勞務對策
等である。以上はその一端を示したものであるが、これ等に盡した各廨の活躍振はかくれた偉大なる存在と云うて過言でない。記録上こゝに再び書き得ないのを遺憾に思う。縣立農事試驗場の如きは學術的記録編に掲げるのみであるが、その使命の如何に重大であるかを知ることが出來る。
なお支廳土木課及各土木出張所等が全力を盡し晝夜を分たず奮鬪努力した緊急行動は第二編中土木關係被害状况と應急措置にその一端を伺うことが出來る。

第一章 幡多支廳の活動状況

第一節 總説

幡多郡下は、今回の地震にょり全町村に亘り被害を受けたが、中村町の被害は最も激甚を極み殆んど全滅の状態で、通信交通杜絶した。漸く二十二日の夕刻に至り幡多郡方面の被害判明したるも陸路救援の途なく、緊急救濟のため直ちに第一船救援船第七土佐丸を二十三日午前七時必要人員、物資を積んで急派し又中村町を中心に幡多支廳、中村警察署は萬難を排し、郡下各地の被害状況の把握に努力を拂い、時をうつさず應急措置を講じ萬遺憾なきを期した。管下の被害概况及び緊急措置對策等左の通りである。

第二節 被害概况

一、幡多郡下の被害状况
(イ)概况左の通り
昭和二十一年十二月二十一日未明の大地震に因り郡下全町村に亘りて家屋、人畜、耕地、農作物、その他交通、産業等の諸施設に於て全面的に未曾有の大災害を蒙り、一朝にして莫大なる財貨の喪失と、數十名の死傷者を出し祖國再建の途上漸く明るい生活に向いつゝあつた郡民に激甚なる打撃を與えたのであるが、之が復舊は多年の歳月と彪大なる資材、勞力を要する容易ならぬ業である。
郡内に於て最も被害の著しい町村は中村、下田、宿毛、佐賀、大方、白田川、小筑紫、具同等であり、中村町の如きは死者二七三名、負傷者三、三五八名を出し、住家の倒壞せるもの一、六二一戸(内燒失六六戸)半壞せるもの四八三戸にして、全戸數の約九割に達し被害甚大を極めて殆んど全滅の状况にして、復興は至難の状態にある。
次に宿毛、清水、下田、佐賀、白田川、大方、小筑紫、等の海岸地帶の町村は津浪により耕地、農作物、船舶等に甚大なる被害を蒙り、亦富山、大正、昭和、十川、江川崎、津大の山村方面に於ても山崩、道路の埋沒及破壞箇所無數あり、路線の回復に相當の日時を要する見込みである。
中村町及その周邊一帶の地域は年々渡川、後川の氾濫に苦しみ、之を防護のため内務雀直轄の工事により堤塘を改修されつゝあつたが、今般の地震のため全面的に破損したので本年夏の降雨期迄に復舊工事を施さぬ場合は治水上深憂に堪えない状態にあるので、地元住民は早急に施工せられることを切望しているのである。四万十川鐵橋の破損(橋桁八箇の内六箇落下橋長五〇七米)は郡内交通に至大なる支障を來しているので、之が早急なる復舊措置を講ぜなければならない。その他公共施設中主なる被害は中村町國民學校、中村町青年學校(三町村共營)、中村勤勞署、幡多支廳官公舎の全壞並支廳舎、專賣局、營林署、税務署、裁判所、警察署、保健所、三中等學校の半壞等である。
右災害に對する應急的措置については、支廳内に設けられたる高知縣震災復興對策本部幡多出張所に於て關係方面と連絡、道路、橋梁、及通信施設の應急的復舊並に罹災者に對する援護等について遺憾なきを期しつゝあつたところ新に官公署並に各種機關及民間有識者等を以て構成せる幡多郡震災復興對策委員會を設けて郡下官民關係者一致協力恒久的復興方策の樹立並に實施の萬全を期すことゝした。


昭和二十一乍十二月廿一日震災種類別被害調(高知縣幡多郡)
一、公共施設
追つて營林署、税務署、裁判所、專賣局等直轄廳舎の損害額は一般非住家の損害額に算入してある。
二、教育施設復舊費
(一)國民學校及青年學校
(二)中等學校
三、人畜
四、家屋
備考罹災者數三四、四六〇人
五、土木關係
六、農地關係
七、林業關係
八、農作物
食糧流燒失八五万圓
農業工作物
九、水産施設
漁船
其の他
一〇、町村別被害状况は別項の通りである。

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一、公共施設
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二、(一)國民學校及青年學校
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二、(二)中等學校
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三、人畜
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四、家屋
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五、土木關係
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六、農地關係
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七、林業關係
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八、農作物
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九、水産施設

第三節 支廳が採つた緊急措置

前述の如く中村町は正に廢墟と化し、郡下の交涌路線全く破壊され孤立された幡多支廳は、蹶然として廢墟の中に立ちあがり、あらゆる悪條件を克服して、管下各町村を激勵しつゝ復興意慾の昂揚に努め着々難局を打開し、復興の緒についたが、震災直後に採つた應急對策は左の通りである。


一、應急對策
(1)遭難死体の收容處置については中村警察署主体となつて遅滯なく進捗
(2)負傷者の處置については中村保健所室体となり、進駐軍派遣醫療救援隊、縣派遣醫療救援隊及び町内醫師の協力を得て應急手當を實施滯りなく一段落
(3)罹災者の牧容
家屋全壊、燒失等の罹災者に對しては倒壊を免れた小學校舎、寺院等に收容すると共に其他は極力自力修理に努めて當面の住居安定に懸命の努力をして居る
(4)震災應急對策の萬全を期するため當廳に罹災對策本部を急設し、支廳長、所轄警察署長、保健所長、郵便局長、專賣支所長、中村町長、各關係機關有志等を網羅して毎日午後一時より連絡會を開き對策の協議實行に遺憾なきを期している。


二、食糧對策
(1)應急炊出米措置
震災直後被害甚大であつた中村町に對しては町當局、蕨岡配給所と連絡をとり、町在庫の内白米十三石を應急炊出用として配給した。
其の他具同村の一部、宿毛町、小筑紫村等の一部、燒失、流失の者に對し應急炊出を實施せしめ全般的に支障なからしめた。
(2)各町村共十二月分の配給は震災前既に配給を完了しているので一般には支障がなかつたが、一月分配給米の確保については次の通りである。
(イ)中村町
現在僅か百數十俵の在庫しかなかつたので平州、山奈兩村より五六〇俵を急送すると共に、中村澱粉工場集荷中の甘藷約一万二千貫を加えて一月分の配給に支障なからしめた。
(ロ)渭南地區
香川米約千五百俵年内入荷の見通しあり泥合用甘藷は既に確保されあるので、一月分に限り支障なき見込み。
(ハ)其他大部分の町村にあつては概ね自町村供出にょつて充當する見込であるが、沖ノ島村始め幡西沿岸部落北幡の一部及幡東の一部に對しては、營團と町村當局と連絡の上支障なきよう努力中である。
(ニ)下田町にかぎり十二月分一部未配のため取りあえず平田方面よりの米一四〇俵と、中筋村出荷一万貫の甘藷を急送した。
(ホ)震災後益々逼迫せんとする食糧事情に鑑み主要生産町村長、農業會長を本月二十四日緊急招集し、供出促進を懇望すると研時に、各町村に對し嚴重通牒を發して供出を督勵し食糧對策に万遺憾なきを期している。


三、救援物資の措置
縣並に軍政部其他より送付並に義捐を得た物資については所轄警察署と連絡をとり、中村町を主として災害町村に對し重点的配分を計畫實施、これが引取り引渡共に順調に處理されたのである。


四、交通關係
震災後四万十川鐵橋の陷落を始め主要道路橋梁の決潰、陷波、亀裂による損傷甚しいため殆んど主要車馬の交通杜絶を呈している實情に鑑み、これが復舊の遅速は今後罹災諸對策に支障あるは自明であつて、直に土木課員を督勵これが緊急修理に全力を注がしめた結果、各町村民の勤勞奉仕を得て大体幹線の復舊を見つゝあるが現在まで判明せるもの次の通りである。
(一)中村、佐賀間は一兩日中に開通の見込み。
(二)四万十川渡過は鐵橋陷落後直に渡船によつて連絡しているが、西部方面への重要幹点であるを以て假橋を應急架設すべく近日中に工事に着手する豫定である。


五、通信關係
遞信當局の不眠不休の努力によつて高知線を始め郡内北幡地區其の他一部を除く主要幹線の開通を見た。
中村町内官公衙其の他殘存加入者も大部分復舊している。


六、配電關係
配電當局最善の努力によつて幹線は一昨二十九日より点灯を見、正月元日は大部分点灯可能の見込み。


七、衞生關係
中村保健所を中心に縣派遣醫療團、日赤大阪府特派醫療團の協力を得て、罹災者の應急手當は云うまでもなく悪疫豫防注射等、衛生諸對策に遺憾なきを期している。


八、建築關係
家屋殆んど倒壊せる中村町に於ては、町當局の計畫により差當り約五○○戸の簡易住宅の建築を斯して具体的對策を講じているが、これが當面の建築資金の確保については縣並に國に於て相常考慮を要するものと認む。


九、復舊諸資材の確保
(l)復舊資材中特に應急資材としては洋釘、松檜皮、板類等であつて就中最も必要とするのは洋釘類であるので、これが確保については努力中であるが縣の特別の斡旋を望むのである。
(2)木材については生産組合及び同業者の申合せにより、配給品の價格の統制をなし適正なる配給を期している。


一〇、其の他
震災後建築關係労働賃金及び物価の昂騰著しきものがあるを以て、夫々の機関を通じ當業者の自重を警告して居る。

第四節 震災復興對策

幡多支廳に於ては震災直後より毎日震災對策連絡會を開催し、主要官公衙團体並有志と密接なる連絡を保つて來たが、一月五日より幡多郡震災復興對策委員會を設置し、橋田幡多支廳長は卒先日夜寝食を忘れ活躍し屡々協議會を開催し、復興對策を樹立し又各方面へ強力な援助を要請した。その委員會規程及役員等は別記の通りである。


幡多郡震災復興對策委員會規程
第一條震災復興對策委員會(以下單に委員會と稱す)は支廳長の諮問に應じ郡下震災復興に關する重要事項の調査審議をなすと共に復興對策の推進に當るものとす
委員會は震災復興に關し支廳長に意見を述ぶる事が出来る
第二條委員會は會長一各副會長二名及委員若干名でこれを組織する
第三條會長は支廳長、副會長は総務課長及町村長會長をこれに充てる
委負は關係団体代表者學識経験あるもの及關係官公吏の中から支廳長これを委嘱又は任命する
第四條會長は會務を総理する
副會長は會長を輔佐し會長事故あるときはその職務を代理する
第五條委員會に常任委員會及專門委員會を置くことが出來る常任委員會は委員會の開催出來ない場合及輕微なる事項又は急を要する事項についで委員倉に代り處理することが出来る專門委員會は委員會で定めた部門別に復興對策の調査審議に當るものとす
常任委員會及專門委員會の委員は委員の申から委員會に諮り會長これを選任する
常任委員會及專門委員會で調査審議した事項は次の委員會に於てこれを報告しなければならない
第六條委員會常任委員會及専門委員會は會長随時これを開催することが出來る
第七條委員會常任委員會專門委員會で調査審議した事項は夫々これを記録しておかねばならない
第八條委員會に幹事及書記若干名を置き支廳長これを委嘱叉は任命する
幹事は會長の命を憂け庶務を掌理し書記は事務に從事する
附則
右規程は昭和廿二年一月五日からこれを實施する

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幡多那震災復興對策委員會役職員

第五節 震災日誌(幡多支廳土木課)

この日誌は當時の状呪を其の儘記載したものなれば、特に土木關係被害情報並に土木方面がとつた措置を知るに充分である貴い資料であるから特に掲記する。
なお支廳關係で壓死された方々は堀見土木課長夫人、渡邊經濟課長夫人、矢野耕地課長夫人、鎌田土木課員一家七入全滅、伊與田土木諜員の令嬢、森岡経濟課蚕糸係夫人と子供、上谷會計課員の妹等で如何に震害の猛威が逞しかつたかを想像される。


震災日誌幡多支廳(土木課)
十二月廿一日土曜日
十二月二十一日午前四時二十分強震に襲わる、各地との通信機間破壊され状祝不明なり。中村町附近の慘状より推察し、各地共被害甚大なるものと想像す。巾村町を中心とする交通破損状態を調査するに左の通り。
一、中村町内は高知中村線、中村宿毛線、新田中村線共倒壊家屋にて徒渉にても通信困難となり、諸車の通行迄の取除きに數日を要するものと思料す。
二、高知中村線は佐岡橋の兩岸共陷沒殊に左岸は一米余に及び橋脚亀裂し、中央部下流に傾斜するも目下の通行には支障なき状態なり。其の他東山村内の各橋梁の橋台破壊され危險となり路盤亀裂し諸車通行不能なり。
三、中村宿毛線は四万十川橋六經間墜落交通杜絶、應急策として渡舟の準備す。
四、新田中村線は後川橋左岸橋台沈下し、橋面一米余の喰違いを生ず。共の他東山村安並地内に延長六○米余に及ぶ崩壊あり、徒歩にて辛して通行し得るのみ。
五、中村宇和島線、川登中村線共崩壊随所にあり、通行不能の情報あり。其他連絡なく状態不明。


十二月二十二日日曜日晴曇
一、中村宿毛間各所應急措置にて自動車開通を見るに至る。同同村具同地内、相ノ澤橋、松田川橋危險となり、應急補強工作を施す準備す。渡川は渡舟を増し交通の緩和に努む。
一、大正土木事務所より特便を以て被害報告あり。
江川崎窪川線は昭和村細口より大正村北の川に亘り砂面崩壊三百ヶ所に及び、新田中村線百余の崩上あり、詳細は調査中の報告あり。
一、三原土木出張所上野技官來廳。崩土十數ヶ所あり交通杜絶せるも、本月内に村民の應援により自動車開通の運となす見込。


十二月二十三日月曜日雨曇
一、渡川に大舟(センバ)を雇い中村町救援物資搬送に盡力す。
一、大正土木事務所今城技官來廳、應急費三百万圓に達する大正、昭和兩村緊急村會を開き村民全部出動し應急的人馬通行可能程度に努むることに決定せりと。
一、佐賀土木出張所越前技官來廳報告。
崩土六十ヶ所、決潰十五ヶ所、橋梁七ヶ所、堤防數ヶ所、路盤陷沒三千米、被害額八十五万圓程度。
一、清水土木事務所澤近抗官來廳報告あり。
橋梁三ヶ所、崩土一六ヶ所、決潰二ヶ所、陷沒三ヶ所。
清水港岸壁及荷揚場陥沒一ヶ所、松尾港護岸決潰一ヶ所、窪津港中波堤止決潰一ヶ所、總被害額七八五、〇〇〇圓
一、下川口小谷技官報告。
下川口中村線下川日村内崩上九ヶ所
下川口宿毛線〃三ヶ所
清水宿毛線崩土四五ヶ所、决潰八ヶ所、橋梁三ヶ所、路面陷沒亀裂、岩石落下取除數粁に亘り被害額五五六、〇〇〇圓。
一、蕨岡土木事務所上岡技官報告。
新田中村線の崩土、杓子坂内にて六十ヶ所、住次郎中村間數十ヶ所に及び橋梁破損數ヶ所。
一、清水下ノ加江土木事務所の電話開通する。


十二月二十四日火曜日曇
一、宿毛土木事務所木戸技官來廳報告。
一、中村宿毛線、松田川橋一徑間損傷重量制限する。月内に復舊の見込。
一、宿毛片島港線舖装路面(曲角橋より片島間)中央繼目二〇糎余亀裂開口す。
一、宿毛御内線。
一、片島港防潮堤。
一、下川口村土木事務所と電話連絡す。
一、小筑紫土木事務所武田技官來廳報告。
一、清水宿毛線、月灘村小才角才角間海岸地線殆ど全線崩壊、路線埋沒、交通杜絶、其他同村内の崩土合計一五ヶ所、切所二ヶ所下切宿毛、下川口宿毛、柏島宿毛線に亘り二十余ヶ所崩壊欠所あり福良川欠所切所八ゲ所、伊興野川一ヶ所、應急俣舊費三十四万三千余圓。
一、江川崎土木出張所澤田技官來廳報告。
一、江川崎窪川線、欠所一ヶ所、崩土九ヶ所、一万六千五百圓。
一、中村宇和島線、崩土二〇ヶ所五万圓、欠所三ヶ所、橋梁破損一ヶ所、五万五千圓の應急費を要す。
十川吉野線、崩土三ヶ所、欠所一ヶ所、應急八、七〇〇圓外に下ノ加江土木事務所管區内に崩土二十余ヶ所、欠所數ヶ所六十一万圓余の報告あり。
一、郡下一圓の應急筒所一、〇二四ヶ所。
應急費三千五百六十一万八千圓に達す。
尚此の外に細密調査施行せば相當の増額ある見込なり、以上の調書作成し縣廳派遣田淵事務官に手交す。


十二月二十五日水曜日晴天
一、咋二十四日を以て管内被害状態大容判明し、被害の状態豫想外甚大にして容易に復舊見込たち難きも各地郡民の協力を得、幹線路を主とし順次支線に及ぼすべく應急措置の打合せを行い各受持區に急遽歸任處置に當ることとす。
(一)佐岡橋の應急手當完成し下田港へ自動車開通し急援物資搬送開始す。
(二)渡川假橋の計画樹立し木材調達にかゝる。
(三)宿毛土木事務所と電話連絡開始する。


十二月二十六日木曜日雨曇
渡川假橋材として後川村岩田日吉神社境内立木の一部拂下を交渉す。大川筋村より渡川渡舟一艘廻送し來る。
高知中村線、中村宿毛線、橋梁應急手當作業一齊開始する。
新田中村線の中蕨岡中村線間手輓小車の通行可能となる。


十二月二十七日金曜日晴天
一、渡川假橋刑材一部拾收


十二月二十八日土曜日晴天


十二月二十九日日曜日晴天
一、自動車空車白田川村上川口迄通行す。


十二月三十日月曜日晴天
一、東山村古津賀地内橋梁破壊に對し補強工作を施し大正町迄積載自動車通行可能となる。

第二章 各地方事務所の活動状況

前記

十二月二十一日未明の全縣下を襲うた大地震と、その後に海岸地方に襲來した津浪の被害は實に甚大であつた。殊に西は中村町、新宇佐町、須崎町、多ノ郷村、東は野根町、甲浦町等全滅的被害を蒙つた。
各地方事務所に於ては町村を始め各團体と協力して被害情況の調査把握に努め、被害全貌を知るや所職員は晝夜兼行して之れが緊急對策に町村當局と共に盡力し、漸く人心の安定を得て着々復興の緒につき、各方面に對し指導的立場にありてよく震前に勝るの復舊振りを示すに至つた。
以下順次各地方事務所の當時の活動状況並に、管下の被害復舊状况等を記することとする。

第一節 安藝地方事務所

一、被害状況
被害状況は別記の通り安藝郡下に於て死亡三〇名、負傷者一〇六名、行方不明三名、全壊家屋三七四戸、半壊家屋九七六戸、罹災總計一、四六八世帶、八、七二五名の人的被害を蒙つた。


二、土地の隆起、沈降の状況
地學専門的精査によつたものでないが客觀的に判斷するに、室戸岬附近のハエの菩しい露出現象はこの土地の隆起状況を物語るものであり、又東端甲浦方面に於て高潮時には震災前に比して沿岸水位の上昇するは一面この土地のやゝ沈降をなしたものではないかと思料されるものである。


三、津浪の状況
沿岸町村に於ては地震直後夫々相當の高潮を伴つたのであるが、特に甲浦は一丈余の津浪の來襲あり、これがため全戸數の大半は浸水し、わけても港灣附近の家屋は殆ど水沒し家財は流失して慘憺たるものであつた。


四、道路、河川、港灣等の被害状況
道路は野根、北川、馬路、畑山、赤野、和食、各町村に於ては數ヶ所亀裂潰沒をなした處あり、特に東川村方面の山間では山崩れのため交通杜絶し、食糧等の輸送にも困難をきたしたのであつた。
吉良川、羽根、北川、安田、馬路各町村部落に於ては溜池水路の决潰、赤野、馬ノ上村に於ては橋梁の破損又羽根奈半利、町村に於ては防潮堤の崩壊等その被害夥しく、港灣にあつても本郡屈指の衣産地遠洋漁業の根據地である室戸、津呂兩港の被害は高潮と土地の隆起により港内淺底となり致命的打撃となつた。


五、船舶の被害状況
甲浦、室戸、和食等沿岸各町村に於ては夫々小型漁船の流失等相當の被害があつたが、室戸岬町に於ても大型一隻中型四隻、小型十隻等の流失被害をうけた。


六、緊急措置
未明の地震發生當日は夜明けとともに當所所在近方の所員は急遽集合をなし、自動車交通不能の箇所あるを慮り夫々自轉車に乘用被害調査のため各町村に出動した。そして逐次縣へ被害惰報を報告すると共に、特に被害甚大と認められる甲浦方面へは高知より食糧その他日用品を登載せる船を回航せしめその急救にあたつた。爾後引つゞき被害略判明すると共に重点的に寢具、衣料、炊事具等の配給を實施した。


七、復舊復興状況
近年稀大の震災のため郡民の經濟的、精神的打撃は實に多大であつた。とりわけ小學校等公共建築物の破壊はその復舊に經濟的困難を加え、まことに當事者の憂慮するところとなつた。然し郡民の建設意欲はたくましいものがあり、被害現場の取片づけ、家屋の修理建築等に努めその復興は逐日みるべきものがあつた。中にも本郡生産業の一つである水産にあつて、津呂、室戸、兩港の被害は看過すべからざるものであり、鋭意その復舊に努めたのであつた。最近に至りようやく完成に近づきつゝあるのは本郡發展のためにも悦ばしいことである。

第二節 香美地方事務所

一、被害状況
被害状況は別紙の通りにて香美郡下に於て死亡六名、重傷者七名、輕傷者十名、全壊家屋四五戸、半壊家屋三六八戸、破損家屋八、〇一四戸の被害を生ず。


二、海岸の隆起、沈降状况
夜須町海岸に於て五〇糎程度沈下
岸木町、赤岡町、吉川村に於ては五十糎乃至七五糎程度沈下


三、津浪の状況
(イ)襲來の場所及時刻
夜須町、手結、坪非、千切地區強震後約十分にして來襲
(ロ)來襲回數及間隔
前後三回、聞隔五分位
(ハ)津浪の高さ
三米乃至四米程度と認められ、最初海水が引いた後來襲する
(ニ)浸水區域
夜須町、手結、坪非、千切地區に於て浸水家屋六〇戸、手結地區に於て床上一尺乃至三尺程度にして、坪井、千切地區にては床下程度であつた。
(ホ)其の他
船舶流失四〇隻


四、道路破壊場所
(イ)美良布村に於て山田ー大栃間の道路崖崩れのため車馬不通となるも、三日後には車馬通行の出來得る程度に復舊する。
(ロ)横山村に於ては道路上(山田ー大栃線縣道)に山崩、崖崩のため六箇所の車馬不通箇所を生じ、車馬通行出來る程度の復舊に一ヶ月半を要せり。


五、其の他
家屋の復舊状況
香美郡下に於ては他郡下(高知市、幡多郡、高岡郡)に比較すると被害少く全壊家屋四五戸を出せるも、町村役場の協力により應急の措置として倒壊家屋の木材並に新資材を以て小屋掛を爲し震災後十日及至一ヶ月半にて殆ど小屋掛を終る。

第三節 土佐、長岡地方事務所

二十百の未明の大地震は安政以來の大激震であつた。土佐、長岡西部は南方は土佐湾に臨み、北は山岳部にして海岸地方は津波の襲来を受けたるも、前方は砂丘に遮られて海岸の塩田や漁具の被害はあつたが津波よる人畜の被害は殆ど皆無であつた。
又山部方面は地盤固く土砂の崩潰等も僅少で、地藏寺村に於て道路決潰一箇所と云う程度のものであつたことは幸とも云うべきである。
今こゝにその被害の實情とこれが對策について概要を記したい。


一、被害状況
前述の如く山岳部は被害は皆無というてよい。それでも海岸地方の土地の軟弱な砂丘の上に建つ家屋等は相當大なる震害を受けている。その大なるものは長岡郡三和村死者八名、十市村死者四名、後免町死者三名であつた。管内罹災者は實に一、四六八名である。
(1)人畜其の他の被害
 (イ)死者一五名
 (ロ)負傷者七三名
(2)家屋の被害
 (イ)全倒壊九九戸
 (ロ)半壊二二八戸
 (ハ)浸水一六戸
(3)道路決潰七ヶ所
(4)田畑浸水二八○町歩


二、緊急措置
(1)死傷者の措置
死傷者は一部被保護者を除き、罹災者自身に於いて處理す。
(2)罹災住宅に對する處置
近隣縁者、家屋又は小屋、公會堂等に收容し直ちに震災用木材、釘其の他建築躬資材の特配をなし、補修をなさしめた。貧困により自力復舊の出來ないものに對しては國庫補助に依る小屋掛住宅を次の通り割當した。
十市村二戸、三和村二〇戸、稻生村三戸、介良村三戸、計二八戸
(3)炊出し
特に町村として實施しなかつたが、近隣の者の手により二十一日一日間實施す。
(4)食糧問題
 (イ)食糧の流失がなかつたので、一部の罹災者を除いては應急米は配給しなかつた。
 (ロ)土地沈下堤防の決潰による高潮のため塩害を蒙つた田畑は約二八〇町歩であつた。麥はその大半が皆無となつた。現在に於いても塩害のため相當支障を來している。
(5)緊急復舊工事
前述の堤防決潰、土地沈下の最も被害甚大であつた大津村、介良村、稻生村の三村の復舊状況は次の通りである。
 (イ)大津村出分堤防決潰延長四○米
 (ロ)介良村東丸堤防決潰延長一〇米
 (ハ)稻生村、村内全般
各町村民の共同作業により土俵を以つて應急的に浸水を防ぐ一方、揚水ポンプを以つて排水につとめた。


三、復舊の現状並に今後の對象
(1)復舊復興状况
(イ)住宅全半壊共一〇○%復舊す
(ロ)築堤工事
工事着手以來二ヶ年後の現在大津村の一部を除いては九〇%完成した。
(2)土地の沈降の問題と排水の問題
 (イ)海岸地帶に近い介良、大津、三和方面の土地の沈降は一米−一、五米程度であろうとの推定であり、常時排水を行わなければ作付出來ない田畑は介良村に於ける一二〇町歩である。
(3)災害復興對策
被害町村に於いては對策本部を設置し最善の努力をして來た。今後の對策に對しても又万全を期しておる。

第四節 吾川地方事務所

第一、被害程度の概要
前記の強震により郡下各町村における家屋の倒壊、半壊、傾斜せるもの續出し其の他塀門柱(主として煉瓦、セメント、石造)等の倒壊、壁、屋根瓦等の落下せるもの枚擧にいとまあらず。其の被害状況(主なるもの)等は別表の通り倒壊家屋六三戸、半壊二五〇戸に及び之れが爲め壓死せる者伊野町において二名、弘岡中の村三名、森山村一名、岩石の転落により死亡せる者二名、計八名に達し其の他郡下の家屋倒壊により重輕傷を負える者一六三名の多きに達せり。他地盤の亀裂により家屋の傾斜せるもの上八川村において數戸を生じ、仁淀川堤防伊野町、八田村自弘岡上の村至森山村間(延長合計約八粁)闇に大小の亀裂を生じ被害甚大にして之が復舊費一千數百万圓を要する次第なり。尚郡内各所の道路に亀裂を生じ修復を要するもの數十箇所に及びたり。特に海岸地區たる仁西村、秋山村、諸木村においては震災に依る沈下か又は高潮の爲か(原因不明)耕地に相當廣範圍に亘り浸水あり、之が潮害の爲作付不能となりたるものあり。其の他山林原野等にも大小の亀裂を生じたるもの多數を生ぜり。


第二、概括
本地震は前記の如くまれなる震災なりしも、曉前の發震なりしため火氣の取扱等殆んどなく幸にして火災の發生を見ず尚他郡海岸地帶には津浪の來襲を見たる趣であるが、本郡關係の海岸地帶には之れが來襲を見ず、他郡に比し被害も僅少にして、殊に本郡においても伊野町を中心として北部方面は大した被害を蒙らず。


第三、被害町村における措置其の他
被害を蒙りたる町村に於ては直ちに警防團、町村當局、隣保組等出動し死傷者の收容、倒壊家屋の取片付等要緊急措置を講じたり。尚吾川地方事務所においては、直ちに被害各町村に所員を急派し被害調査をなすと共に、緊急措置方督勵する一方救援物資の募集を行い、食糧(生甘藷、切干甘藷)、薪、衣類、義捐金等の應募があり食糧、薪等は被害甚大なりし高知市に引渡し其の他義捐金等については被害甚大なりし地區に配分方縣當局に依託せり。
當震災に際し天皇陛下よりは御救恤金の御下賜あり、本郡に對し金壷千圓也が傳達せられ、高知縣知事見舞金五千九拾圓、同胞援護會見舞金二千三百六十圓、義捐金一万八百七十五圓也が配分せられ前記御救恤金見舞金、義捐金は各々其の被害状況に應じ適正に配分せり。


第四、被害状况
左の通りである。
一、人畜の被害
(1)死者八名(2)傷者一六四名
一、家屋の被害
(1)全壊六三戸(2)半壊二五〇戸
一、罹災者數一、一一三名

第五節 高岡地方事務所

震害は高岡郡下の須崎町、多ノ郷村、新宇佐町は、地震後の津浪の襲來によつて甚大なるものであつた。其の他の町村に於ても相當大なる被害な蒙つたが左の通りである。


一、緊急措置
(1)死傷者の措置
負傷、病人等は學校等へ收容遺憾なく手配し、死者に就ては警察署にて處置した。
(2)炊出し
須崎町當局をして行わすと共に高岡地方事務所に保管中であつた乾パンを偶々來町中の軍政部ミクソン中尉の多大の厚意を以て須崎町を通じて給與した。
(3)清掃
須崎町は津浪襲來の跡に巨材其の他の物が散亂し、速に清掃を爲すにあらざれば交通上將又住宅復舊上支障大であるので、被害の僅少の町村の應援を求めて急速に取除き作業を行つた。


二、食糧問題
僅か五日分の配給量しか在庫せない米麥が浸水し、交通杜絶の今日他町村の移入困難で此れが對策を講ずるよう努めた。


三、被害状況
(一)人畜の被害
死者六二、行方不明四、傷者一四七
(二)罹災者戸數四、三六七人員一八、五六五
(三)家屋の被害
住家燒失一二、流失二八六、全壊二五三、半壊八二二、、浸水二、五二六
非住家燒失一、流失七二四、全壊三九九、半壊二、三〇一、浸水一、七六八
(四)船舶流失九九五
(五)自動車燒失四

第八編 將來の防災對策

第一章 自然の暴威と戰え

我が高知縣は毎年夏期には大暴風雨の災害を蒙つて莫大なる國力を消粍し、且又縣民に尨大な負擔をかけている。
これ等防災に對しては、その對策はあつたが、その實行に迫力を欠き又各方面の相互の連絡も不完全であつた。
戰爭を放棄した我が日本も將來に亘つて、自然の暴威とは戰を續けていかなければならない事は、その地理的環境により定められた運命である。しかし事前の一の措置がよく百の損害を防ぎ得る事を考え、今回高知縣災害救助隊規別を設けて防災に對する組織を備え、その被害を最少限に阻止せんとするものである。
なお、今回の震災についてなされた事項を反省するに、將來の防災對策の上に貴い体驗を得ているが、その内でも次の二、三は最も悪かつたこと因つたことであつたから、今後特に注意せなければならない事柄である。
(1)情報把握に時問を費し、救援對策に一時は途方に暮れた。また被害の僅少な反對の方面へ全力を集注したこと、道路交通杜絶の場合に如何なる方面をもつて逸早く情報を把握するかが最も大切なことである。
(2)機構の充實の点である。當時は特に土木、衛生方面は人的にも物的にも、今日より觀れば實に貧弱であつたので、速かなる處置對策に萬全を期せられなかつた。
(3)各種救護物資の保管管理が悪しかつた。醫療用器具藥品等を一所に格納して置いてあつたためその倉庫が破壊されて取出しに困つたので分散して保管する必要を痛感した。

第二章 高知縣災害救助隊規則

本縣の災害救助隊規則は左の通りであるが、最も有効に利用されなければならない。
今後に起る地震、火事、暴風雨、洪水等にこれが機能を完全に發揮出來得るように平素より研究工夫を積なければならない。


○高知縣規則第四号
高知縣災害救助隊規則を次のように定める。
昭和二十四年二月八日
高知縣知事桃井直美


高知縣災害救助隊規則
第一條災害救助法(昭和二十二年法律第百十八号)第二十二條第二項の規定に基き高知縣災害救助隊(以下救助隊という。)を設け、本部を高知縣廳内に置く。


第二條高知縣災害救助隊の下に、市、支廳、及び地方事務所に支隊を設け、市及びそれぞれの郡名を冠して高知縣災害救助隊何々支隊(以下支隊という。)と稱し、支隊本部を市役所、支廳及び地方事務所内に置く。


第三條支廳及び地方事務所に設置する支隊の下に、町村ごとに分隊を設け、その町村名を冠して高知縣災害救助隊何々分隊(以下分隊という。)と稱し、分隊本部を町村役場内に置く。


第四條本部、支隊本部及び分隊本部は、時宜により、他へ移動することができる。


第五條救助隊は、別表(一)に掲げる組織によつて編成する。但し、知事が必要があると認めたときは、同表に掲げる以外の部及び班を設けることができる。


第六條支廳及び地方事務所に設置する支隊は、別表(二)に掲げる組織によつて編成する。但し、支廳長、又は地方事務所長が必要があると認めたときは、同表に掲げる以外の部及び班を設けることができる。


第七條市に設置する支隊及び町村に設置する分隊は、別表(三)に掲げる組織によつて編成する。但し、市長、又は町村長が必要あると認めたときは、同表に掲げる以外の部及び班を設けることができる。


第八條救助隊の構成は左のとおりとする。
隊長一人
副隊長一人
部長若干人
班長若干人
隊員若干人
2隊長は、知事がこれにあたる。
3副隊長は、副知事、叉は縣の部長の中から知事がこれを命ずる。
4部長及び班長は、災害救助に關係のある縣の部長、又は課長、關係機關の長又は職員及び日本赤十字社高知縣支部の役職員の中から、知事がこれを命じ、又は委嘱する。
5隊員は、班長たる縣の吏員又は關係機關の長若しくは職員の掌理する部課に勤務する縣の職員及び關係機關の職員並びに日本赤十字社高知縣支部の職員をもつてこれにあてる。


第九條支隊の構成は左のとおりとする。
支隊長一人
副支隊長若干人
部長若干人
班長若干人
隊員若干人
2支隊長は、市長、支廳長、及び地方事務所がこれにあたる。
3副支隊長は、支廳及び地方事務所の課長並びに市の助役、收入役、部長、課長又は災害救助に關係のある關係機關の長若しくは團体の代表者の中から、支隊長がこれを命じ、又は委嘱する。
4部長及び班長は、支廳及び地方事務所の課長並びに市の助役、收入役、部長若しくは課長又は災害救助に關係のある關係機關の長、團体の代表者若しくは構成員その他適當と認める者の中から、支隊長がこれを命じ、又は委嘱する。
5隊員は、支廳、地方事務所及び市の職員並びに部長又は班長たる關係機關の長又は團体代表者の掌理する關係機關の職員及び團休の構成員その他支隊長の適當と認める者をもつてこれをあてる。


第十條分隊の構成は左のとおりとする。
分隊長一人
副分隊長若干人
部長若干人
班長若干人
隊員若干人
2分隊長は、町村長がこれにあたる。
3副分隊長は、町村の助役若しくは收入役又は災害救助に關係のある町村内の機關の長若しくは團体の代表者の中から、分隊長がこれを命じ又は委嘱する。
4部長及び班長は、町村の助役、收入役若しくは吏員叉は災害救助に關係のある町村内の機關の長、團体の代表者若しくは構成員その他適當と認める者の中から、分隊長がこれを命じ、又は委嘱する。
5隊員は、町村の吏員並びに部長又は班長たる町村内の機關の長又は團体の代表者の掌理する關係機關の職員及び團体の構成員その他分隊長の適富と認める者をもつてこれにあてる。


第十一條隊長、支隊長及び分隊長は、それぞれ隊を統轄する。
2副隊長、副支隊長及び副分隊長は、その隊長、支隊長又は分隊長を補佐し、隊長、支隊長又は分隊長に事故があるときは、その職務を代行する。
3部長は、隊長、支隊長又は分隊長の指揮に從い、班長を指揮督勵する。
4班長は、上司の指揮に從い、隊員を指揮督勵する。
5隊員は、上司の指揮を受けて救助に從事する。


第十二條隊長は、支隊長及び分隊長を指揮し、支隊長は分隊長を指揮する。


第十三條支隊長及び分隊長は、第五條及び第六條の救助組織につき、翌年度における災害時の完全な活用計画を定め、毎年三月末日までに、これを支隊長は隊長に、分隊長は支隊長に提出しなければならない。


第十四條部隊長及び班長は、それぞれ隊員名簿を作製し、常時整備して置かなければならない。
2部長又は班長に異動があつたときは、前任者は、後任者に隊員名簿を引き繼がなければならない。


附則
1、この規則は、公布の日から施行する。
〇、昭和二十三年五月高知縣告示第二百四十一号(高知縣災害對策要綱)は廢止する。

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別表(一) 高知縣災害救助隊組織編成表
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別表(二) 高知縣災害救助隊各郡支援組織編成表
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別表(三) 高知縣災害救助隊高知市支援及び町村分隊組織編成表

第九編 震災体験談と美談哀話

第一章 南海大地震の回顧録

現高知縣議會議員
前高知縣議會議長
山本義孝


昭和二十一年十二月定例縣議會は十日に開會せられた。同月十四日に提案各議案の質疑應答が終了したので、各議案は土木、歳入、勸業の三つの部に分割附託せられた。私は土木委員に指名を受け、委員互選の結果委員長の席を汚がすことになつた。十四日より二十日迄各所現地視察を完了し、二十一日土木委員會の意見を取纒め、二十三日の本會に於て報告すべく考えておつたのである。然るに二十一日未明突如未曾有の大震災に遭遇し關東大震災の經験ある私はこの様子ならば、相當被害があるぞと心秘に心配し、土木部委員長としての責務を痛感し夜のあけるを待ちかね縣廳に飛んでゆき、各方面よりの被害状呪を聽取し、知事その他の常局と計つて、不取敢震災應急對策を講じたのである。縣議會は廿三日午後一時再會の豫定が四時に開會せられた。開會劈頭左記の震災に關する決議案が提出され、万場一致で决議になつた。
縣民各位は終戰後二ヶ年凡ゆる困苦と欠乏に堪えられ、皇國再建の途上にありて今復稀有の震災に會し具に生死の苦難を嘗む。被筈甚大眞に酸鼻に堪えず。當縣會は罹災者に深甚の同情を表し且つ震災による死傷者の非運を痛悼すると共に縣當局と協力し善後措置に万全を期し、以て本縣の前途に光輝あらしめんことを期す。庶幾くは縣民一同再難に屈せず一段の奮起あらんことを希う。
一、震災對策豫算の決議を参事會に委任す。
一、震災救援運動の組織急速を要す。特に縣有林拂下げ、國有林拂下げ、其他復興資材の確保、配給に万全を期せられたし。
一、暴利取締りの嚴正を望む。
右決議す


昭和二十一年十二月二十三日
當日の會議は正に震災議會であつた。特に本縣議會開設以來未曾有の事であり、ローソクを點火し薄暗い會場で議事を進行せし事は一種不安な氣分で恐らく將來に於てもかゝることはないであらうが、然し會場に居る者皆緊張し非常な決意が漲つて居た。
西村知事の議場に於ての演説も切實なるものがあり、縣民相助け相救うと云う大きな縣民愛を要望せられた。當局に於ては早急に震災被害状況及復舊對策書を作成し三十一日に第一回の委員會を開催、高知縣震災復興對策委員會規定を決定、直ちに活発な活動を開始した。
私は土木專門委員と常任委員に選任された。
畏れ多くも天皇陛下におかせられては戰後復興にあつた各地の被害をいたく御軫念あらせられ、本縣へ閑院宮春仁王殿下を御差遣になり、被害地御見舞の聖旨を知事に御傳達あらせられ、再建日本の爲に御心志を勞し給う聖慮の程寔に恐懼感激致したのである。
震災地には、新春の喜びもなく我々は被暑者の身を思い、一日も早く復興をと縣下くまなく實地視察をすると共に、促進會議を續行し寧日なき有様であつた。私は土木專門委員會の委員長として、この際本縣の多年の縣案である土木事業を震災復興土木事業と同時に着手すべきを強調し、當局に於ても賛同せられ、その意味に於て復興豫算を作成せられ議會と歩調を一にして、政府に猛烈なる運動を展開したのである。
尚復興費は全額補助を目途として運動した結果、殆んど全額に近い補助を受くることに成功した。當時は西村知事以下縣當局は不眠不休復興事業及救濟事業のため涙ぐましき活動を經續せられたことは、特筆大書しなければならない。


「天災は忘れた時に來る」


我々は未曾有のこの經驗を生し、不斷に万全を期すべきである。
あれから早三年の月日を經たが、すざましい復興の姿を見て、當時を回顧すれば、感無量なるものがある。
二四、五、二八記

第二章 大震災の思い出

元高知市長代理助役
現高知縣議會議員
宮本迪


あの日は、私が高知市助役に就任してから一年半、大戰災復興途上にあつた市の事情にも大体通じかけていたものゝ大野市長退職の後を承けて、市長代理の重荷に喘いでいた矢先のこととて、終生忘るゝことの出來ない尊い経験となつた。激震と同時に恰度來泊していた幡多支廳長橋田光明氏と共に、私は市役所へ、橋田氏は縣廳へと馳せつけた。鐵筋コンクリートの仮廳舎(第六小學校)には異状はなかつたが、未
だ誰も來ておらず、市内の状況も判らない。取り敢えず縣廳に急行しで見ると西村知事が數名の廳員と共に知事室に頑張つていたが通信網全滅の爲各地の情報はサツパリ判らぬ。
然しその中に續々登廳して來る人々の話を綜合すると、余程の被害らしい。「これは長期籠城になる。兎も角腹ごしらえが大切だ」と急いで自宅に向つたが既にこの時分「津浪だ津波だ」と言う聲に城山目指して避難する市民の混亂が始まつていた。
被害状況や震災對策本部を中心とする、一般的活動状況の詳細は本文に載せられてある通りで、敢て蛇足を加える必要もあるまいから、私は五十年か百年に一度あるかなしかの尊い体驗を通じて、若干の事柄を書き連ね、後世何等かの參考に供すると同時に、私自身の思出のよすがともしたい。
先づ第一に軍政部、縣その他各方面の深き御同情と御援助に對しては勿論であるが、あの大混亂の中にあつて市民諸君が市役所の色々の手薄や不行届にもかゝわらず、自主積極的に起ち上つて復興に努められたことゝ、高知市會、警防團その他の機關が全員一致晝夜を分たず活動せられたことに對し、深甚の感謝を捧げるものである。
更にこの大震災の應急措置に際して市吏員諸君が實に辛棒強く働いてくれたことは今でも忘れ得ぬ感激であるが、多數の吏員が一年半前の大空襲と云う非常の經驗を持つていたことが、幸か不幸か大いに役立つたことは争えない。
私自身も永年の警察生活で非常警備計画の策定に當つたことや、突發的な災害や重大事件の處理に直接した休験がどれ丈け役立つたか知れない。平時に於ける計画とか準備等は兎角、等閑に附され易いものであるが、万一の場合を考慮して出來る丈けの準備や訓練を怠つてはならないと思う。若しそれが無用となれば最上の幸福であろう。
下街、潮江の大半が約一ヶ月に亘つて水浸しとなり、ひどい處は舟で往來せねばならなかつたことが、救援活動にも市民の復興努力にも最大の障害となつたことは勿論であるが、切實に困つた問題は永い戰争に因るひどい物資不足であつた。葛島西岸や潮江の欠潰した堤防を防ぎ止めるためには、水深の關係上三十五六尺の松丸太が澤山要るのだが遠く山奥からわざわざ伐り出して來ねば間に合わなかつたし、土俵用の俵は市近郊を總動員しても不足で郡部や隣縣にまで應援を求めなければならなかつた。「水を止めろ、堤防を早くせき止めろ」と叫ぶ市民の聲が當面最大のものであつた。欠潰場所のごうごうたる水音は恰も私を呪う市民の聲であり渦巻く奔流は復舊の手ぬるさを怒號する群衆の影とも見えた。今完全に復舊の工成つて滿々たる平和の水を湛えた葛島堤防に立てば、感慨眞に無量のものがある。
水浸しと、家屋倒潰のため一時收容の施設として學校、社寺、劇場等が充てられたことは止むを得ぬことであつたが、非衛生極まるこれ等の施設から傳染病の出なかつたことは何と云つても大きな仕合せであつた。
電氣と水道の復舊は意外に早く、これがどの位不安と窮乏感の緩和に役立つたか知れない。だが主食をはじめ生活必需物資の配給不円滑は、部分的ではあつたが可なり長く續いた、絶對量の不足が最大の原因ではあつたが、罹災者の場所的移動が烈しく實体の把握に苦しんだのである。幸に大なる不祥事が起らなかつたのは、罹災者達の自治組織の賜ものと言えよう。
應急バラツクの建設に最も苦しんだのは宅地の問題であつた。今比較的交通の閑散な道路の片側に見られる急造住家は一見無謀の如くではあるが、當時の困難さと急迫した事情にあつたことを物語るものである。
「あの日」から早くも二年有半、市民にとつては終生忘れ得ぬ苦難ではあつたが、今や形の上での復興は殆んど完成に近い、大空襲で徹底的に打ちのめされ、廢墟となつた高知市が復興途上更に南海大地震に見舞われて「再起不能」「香長平野ヘ都市移轉」の聲まで聞かれた當時を思い起し、今更乍ら人間の營みの力の偉大さに胸を打たれるばかりである。
人生如何なる不幸も苦しみも、決して永久の不幸や苦しみではない。やがてそれから幸福の芽がふき、樂しみの實が生るところに言い知れぬ人生の妙味があろう。物心兩面に亘る復興の前途は永く且つけわしい、高知市永遠の繁榮をいのり市民各位の一層の奮起を切望に堪えない次第である。
茲に「南海大震災誌」の編纂さるゝに際り靜かに、往時を追憶し震災の犠牲となられた多數市民の冥福を祈り且つは高知軍政部、縣及各町村その他、大方の厚き御援助に深甚の謝意を表しつゝこの稿を終る。
先哲日く「天災は忘れられた頃に來る」と(昭和廿四年五月六日記)

第三章 南海震災と復興の憶い出

元庶務課長
現勞働兼民生部長
林壽良


昭和二十一年十二月二十一日の未明グソグラパチーン(障子のガラスのわれた音)で眼がさめた。まだ揺れている。突サに布團をひつかむつてそなえたが事はなかつた。隣家の川村庶務課長をたずねると役所へすでに出かけたとのこと、とるものもとりあえず登廳してみると、西村知事は既に知事室にローソク數本を立て座つておられる。兎に角震源地をたしかめようと車を測候所に馳せらす。「震源地は高知市の東南二五〇粁」と・安藝郡方面だ。震央にも近いし、相當にやられているのだとの意見が強く兎に角先発隊の指揮をとれというので日赤醫療班、警察官とトラツクに同乗出発する事になつたのが午前九時頃だつたろう。途中物部川の大橋通行止めで大迂回を余儀なくされたが野市町、岸本町、奈半利町など土藏造の家が無慘に倒壊してはいたが被害は意外に少ないのに拍子抜けした。甲浦、野根方面は、相當の被害のようであるが、トラツクも室戸岬以東へは不通というし、負傷者の應急手當も出來ているし、甲浦への食糧輸送については室戸署長等にお願いして、一先づ引揚げることにした。歸廳してみると縣下の被害状況がツギツギに傳えられて大變なことである。廿四日だつたと記憶する、縣會もローソクを灯して廿二年度豫算の議決をすませた。十二月卅一日に突然川村底務課長の愛知縣轉出の後をうけて庶務課長拜命、併せて震災對策本部の總務係長をやることになつた。これは大變なことになつたもんだ、しかし百年に一回の地震に遭遇し而かもその復興に正面から取組むことは自分の公的生活の最後でもあると考え”生命がけだぞ”と湧氣を振いおこしもした。それからがホントに眼から火花が散るように働いた。今から考えるとよく体がつゞいたものだと思う。
中央への災害報告の第一陣は中井警務課長、第二陣に久武民生部長、第三陣の西村知事に隨行、當時の混亂した列車の荷物車の車掌室に無理に乘せて貰つたりして上京。廿日の間東奔西走、縣出身代議士や在京出身者の御協力を得又、内務省の一室に”南海地震對策連絡所”を開いて、會議々々陳情々々の連續であつた。地震當初に於いては和歌山三、高知二、徳島一、の被害比牽のよう宣傳されていたものが、日を經るにつれ高知と和歌山は、逆になるべきだと中央の認識が訂正されるに至つたことは愉快であつた。西村知事の活躍は眞に眼覺しいものがあつて、われわれ大いに鞭撻された。「安本長官に會に行くヨ庶務課長寫眞はよいかッ」と内務省の廊下を脱兎のように馳けたことなど常時を憶い出すと今でもホホエマシクなる。廿一日に和歌山、徳島、高知の三縣知事に對し陛下の謁見があり、西村知事は約一時間に亘り詳細に説明申上げ殊に幡多郡聯合青年團の活動を申上げたところ、陛下には殊の外お喜びになりお体を乘り出されるようにしこお聞き頂いたと知事も感激の面持で話されるし、聞くわれわれも眼がしらが熱くなるを禁じ得なかつた。も一つ上京中のおもいで−和歌山縣の方に於いては、震災復興對策を活版印刷も新しくまことに突嵯の間よくも間ぜんすることのないようなプランが出來ていたことに對する驚きと、わが方がようやくがり版で出來た資料と對象することの氣はづかしさ−而し、西村知事は意にも介せず、和歌山の被害は、手足の怪我、高知の被害は胸中に受けた大傷、だから資料の活版印刷など思いもよらんと云つて陳情するなど、却つて逆効果があつたと今でもそう信じているが、部數に限があるので、随行の者總動員で、版り増した苦勞も並大抵でなかつた。厚生省から應急援護費三千万円の支出が確定し、運輸省から阪紳航路再開の手配を受けるなど、第一回の目的が略達せられたことは大きな収穫であつた。
われわれの最も關心をもつ震炎復舊費の高率國庫補助要望については、仲々結論を得ず、大藏省、經濟安定本部、内務省の視察團を派遣しその結果によるとの事で、四月上旬(知事公選、國會議員、地方議員總選擧のあわたゞしい最中であつた)大藏省主計局東條第一課長(本縣出身)、小池事務官、經濟安定本部杉山公共事業課長(杉山元本縣知事の子息で高知生)、小笠原部員(本縣出身)、内務省小池技官、河西事務官等の一行を甲浦に迎え、宿毛町より愛媛縣へ入るまで五日間縣下災害地をクマ無く視察されたことは後日本縣の復舊にとり非常に役立つた。東條氏曰く「われわれ一行中には縣出身のもの又、縣に縁故の者がいるけれどもわれわれはそういう情實には囚われることなく冷嚴なる事實によつて、補助率を決定するよう上司に報告する云々」の挨拶を今もアリアリと記憶する。
四月十五日に初代公選知事として川村和嘉治氏就任され、西村知事は、縣民多數の惜別のうちに海路離縣された。川村知事も着任第一聲として、震災の速かなる復舊をとり上げ、高率補助の要請に屡々上京中央へ陳情した。特に本縣が九割五分の線(最高)まで、事業費補助と財政援助を出そうと極つたのは第一次吉田内閣が退陣する前夜であつたことも印象的であつた。同内閣には林讓治氏が内閣書記官長としておられた事も縣にとり非常に有利であつたと思う。
昭和廿二年度の縣財政はインフレの昂進による人件費の引上げと、巨大な復舊費支出をみる一方、國庫補助金の入手が円滑を欠ぎ金庫現在高は赤字々々の連續で、職員の俸給遅配も二、三回に止まらぬ状態で、その度毎に上京百方金策に走つた。大藏省銀行局特殊金融課原田課長や中川事務官等が、終始厚意ある措置をとつてくれた事は全く感激の他ないと思つている。
縣財政の方が右の如き状態であることは、市町村に於いても又同様で、高知市周邊の村で、耕地公共施設の復舊につき金融難のものに對しては、縣より補助の前拂の方法をとつたり、直轄河川工事費に縣費の立替等の非常措置は西村知事の英斷であつたが、復舊の上に大きな効果を來たしたものである。
インフレの昂進は復舊費そのものゝ單價引上を來たし土建業者からは苦情續出、陳情柑踵ぐ状態が繰返されたが廿二年度末に於いて、議會の承認を得て解決したことだつた。又地盤沈下による、港灣、海岸工事等當然、震災復舊に見込まれねばならないものが後から後から出て來たが、これは當時比較的被害が輕かつた隣縣愛媛や香川にもあり、四縣同調して中央に善處方を要望し、震災復舊に準ずる取扱いとなつたことは幸せであるが、地震直後のかゝる現象に對しての對策に見落しのあつた事は黒星であつたと云える。
震災復舊に伴う財政援助については、當初はその負債償還の年限中に分割交付される建前であつたが、大藏省主計局へ(東條第一部長の意見で)昭和廿三年度に於いてはその前年の決算により交付されることになつた。これは、所要資金の金融面から云つて、災害縣にとつて眞に好意的な措置で大いに期待されたが、昭和廿四年度は均衡財政の建前上うち切られた事は返す返すも殘念である。
昭和廿三年八月渡川橋復舊落成式が擧行せられるに當り桃井知事の配慮により、西村直巳氏が遙々來縣せられ、當時の憶出も新らたに參列されることになり、小生も隨行してその落成を祝う郷土の人達の喜び様を見たが、西村氏曰く「こんなに喜んで貰つて、自分も當時の苦心が酬いられたヨ」と。今からふりかえつてみると、震災復舊に關與した約二ヶ年の間、胸を絞られるような苦勞に出あつた事も、再三、もう駄目だと思つた危機も三回あつた。「窮すれば通ず」とはよく云つたもので、皆様の御支援で、兎に角打開されて來たことは感謝に堪えない。
「戰災にも燒かれず、地震にもつぶされず生き殘つた、一つのわが生命をいつくしみ、生きながらえん」
ことを−

第四章 酸鼻を極めた中村町の震災情況について

前幡多支廳長
現高知縣人事課長
橋田光明


私は過去二十七年の永い役人生活の間大小數度の災厄を体験したが、そのうちでも昭和二十年七月三日の高知市に於ける戰災と、昭和二十一年十二月二十一日の南海大震災は比類のない大災害であつた。特に私はあの地震で命拾いをした幸運を、今も尚おつくづくと感じている。
私はあの當時は幡多支廳長を奉職していたが、偶々會議用務で出高して何時ものように高知市長代理である友人、宮本迪君方に止宿して、二階に寝て居た。私は用便の爲階下に降りて土間を二三歩歩いた時突然ザーと云う異様な音を聞いたので風も無いのに變だなと思つた途端にギチギチと家鳴りが起つたので之は地震だと直感し直ぐに表の道路に飛び出た處、地震は次第に激しくなり立つては居れないので四ツ這いになつて居たが、前方の電柱はベリベリと倒れるし後方ではガラガラと云う家屋の倒壊するような物凄い音響が起り、全く此の世の果てかとさえ思われる激震であつた。
地震が止んで宮本君は市役所へ、私は縣廳へと一緒に出掛けたが、燒け殘りを修築した縣廳舎は多分倒壊しているだろうと思つて來て見ると案外被害もなく、西村長官は、朗に登廳せられ森田厚生課長其の他二三の者も居た。西村長官は震源地聞合の爲測候所へ使を出もたが、其の結果震源地は潮岬西南方五○粁附近の海底と判つた。そこで震源地に近い安藝郡方面の被害が想像されるので、取敢ず此の方面へ調査員を急行せしめる手配を進められたが、高知市がこの程度だから幡多郡方面は被害は無いだろうと話し合つたことは無理もない次第で、私も全く安心しきつて落ち着いて居た。
會議は前日で濟んでいたので私は、自動車の修理の出來るのを待ち午後二時過ぎ、支廳の經濟課長渡邊一君と同課の山岡光馬君を伴い、それに第一高女在學の二女及城東中學在學の二男が學期末休になつたので二人を連れ歸幡の途についたが、高岡街道は通れないので佐川廻りに夕方漸く多ノ郷の學校前迄歸つた處、そこは一面の海洋と化していた。その時分雨が降り出していたが、吾桑村駐在の岩井友一君が雨中に消防團員を指揮して、潮の引き間を見ては道路の應急復舊に當られ、明朝迄には通行出來る様にする心算だとのこと故、私達は吾桑に引返し岩井君や村役場員の御厚意を受けて一泊し、翌早朝出掛けて見たけれど前日と變りなく、又須崎以西も自動車の通行は出來ないとの情報を聞き止むなく自動車は高知へ引返えさせ私達五名は此處から徒歩で歸ることにした。須崎町に來て驛前附近一帶の海嘯による慘状を見て驚いた。
鐵道線路傳いに久禮町附近迄歸つた時、高知日報中村支局の上野記者が本社へ急報の途中に出逢い同君から中村町の被害は甚大で家屋の八歩通りは倒れ、死傷者も多數であると聞き、私達はびつくりしたが而し震源地の關係から幡多郡方面は、被害はないとの先入觀念があるので上野君の話も實は半信半疑の儘で歩を續けた。久禮坂を近道する途中數名に出逢つた處何れも中村町の全滅を報じていたので、漸く中村の被害が相當大きいことを確信するようになつた。そこで夜を徹して歩く心算でいたが皆が可成勞れてきたので、佐賀町市野瀬にある支廳耕地課長矢野貞馬君の宅で、暫く休ませて貰う心算で暗い夜道を這うように、同家に辿り着いたのは午後九時頃であつた。同家には四、五名が集まつて話して居られ、話を聞くと矢野課長の細君は、地震で亡くなられたと支廳から急使が來たので、潰骸を取りに行つて居るとのことで、私達は驚愕したが更に慄然としたことは他にも高知へ行つて居る課長の細君二三名が亡くなつたとのことである。矢野耕地課長は、會議のため高知へ行つて居り私は高知を出發する際同課長に、會議を濟ませて歸るようにと殘して來たがこんな事と知れば、一緒に歸れば良かつたと、同君に相濟まぬと思つた。高知へ行つて居る課長と云えば同行の渡邊經濟課長と他に堀見土木課長である。こんな事を聞くと私達は、一刻も早く歸りたくなり翌朝四時頃同家を出立した。佐賀町中角附近迄歸つた時後から窪川町美馬久吉氏が自轉車で追着き、同氏から渡邊經濟課長の細君も亡くなつたことを、咋夜高知新聞中村支局長阿部勇氏から聞いたと知らして貰つたが、渡邊君は非常に勞れて居る様子なので本人には何も知らさず、佐賀町役場の厚意により自轉車を借りて渡邊君を先に歸らした。
私は郷里近くの上川口迄歸つて案じていた郷里の母も無事であり、又支廳長官舎は全壊したが幸に妻も娘も難を免れたと聞きほつと安堵した。
佐賀町以西の沿道附近は、家屋の倒壊や道路の亀裂崩潰など相當な被害であつたが、一歩中村町に足を路み入れて始めて今迄聞いたり又想像したより以上に被害の甚大であるのに驚倒し午後三時過ぎに漸く支廳に歸着した。
支廳舎並に附屬建物は、殆ど倒れるばかりの大被害であり、私を初め幹部の大部分が不在なので山崎恒喜君などが中心となり、罹災者の救護に各地の情報蒐集に懸命の努力を拂つていて呉れたし、又縣の方へも状況報告の爲酒井理定技官を即日急行させたと聞いて私は涙の出る程嬉しかつた。中村在住の支廳員は、殆ど罹災し中でも矢野耕地、渡邊經濟兩課長の細君の他に土木課長堀見清龍君の細君も死亡し、又森岡要吉君は細君と愛兒二名を一時に亡い、鎌田君は山崩れのため一家七名悉く壓死され其の他子供や兄弟を亡つた廳員が數名あると聞き同情に堪えない次第であつた。
私は馴れない長途の徒歩強行で靴摺れのした疼む足を杖に頼りながら取敢ず町内を一巡したが、何處共其の被害の甚大なことは想像も及ばない有様で、町内一面に倒壊家屋による瓦礫や木材の堆積で道路もなければ水路もない。就中中の町及本町一帶の燒跡に至つては自ら眼をそむけざるを得ないような痛ましい状景を呈し、寔に悲慘と云うか凄絶と云うか、私は此の慘状を表現する言葉を知らない程であつた。又渡川の大鐵橋の大部分が墜落してあの頑丈な鐵材が飴のように捻れて居るのを見ても、磔此の地方の地震が如何に激甚であつたかが想像された。
郡内の被害状況については別稿に詳記されていると思うので、私はこれを省略する。
私はこの未曾有の大震災の應急善後措置を講ずる爲、翌二十四日早朝中村町内外の各官衙及團体主脳者を招集し、幡多郡震災復興對策本部を支廳に設置することゝし各機關の長は、毎日午后一時に本部に集合、それそれの情報を持ち寄り、互に連絡協調を保ち復興に關する重要事項を協議して各機關の力を結集し有機的活動により復興を促進することゝした。又羅災地の食生活の不安を除くと共に交通通信の早急復舊は、全活動の基礎要件であることを思い、近隣の町杜長農業會長を招集して、食糧の供出と自力による道路の應急復舊を要請すると共に遠隔の町村に對しても、同様のことを依頼した。一方縣に速報した酒井君は二十四日の未明に早くも歸廳し、縣廳から應援員數名が救援物資を汽船に滿載して、本日下田に入港するとの報告を聞き私は縣の迅速な措置に感謝すると共に、救援物資の到着は千万の力を得た思いがした。聞けば酒井君は二十二日佐賀港から木炭積機帆船を傭い危險を冐して、高知へ直航同夜九時頃縣廳に到着、報告任務を果し二十三日縣差廻しの汽船で歸廳したとのことであつた。その日縣からは小島農地部長が知事代理として廳員を連れ來町された。
救援物資は、其の後縣から續々と輸送されるし、又高知軍政部からも多量の救援物資と共に數名の部員を逸早く派遣され、ミクソン中尉や岡上女史など自ら物資配給や罹災者の救護に數日間努力されたことは感謝に堪えなかつた。
又縣廳厚生課の永吉清喜君や伊野部正男君は、陸揚げして野積みにされた救援物資を管理する爲、支廳員と共に、雨や雲の中で幾夜も不寝番に就かれ、或は自ら物資を運搬するなど二十日餘りも、所謂寝食を忘れて救護に協力された。
その職務に忠實で責任感が強く勞を惜まぬ眞摯な態度に對しては、私は永い役人生活を通じて見て實に頭の下る思いであつた。
道路は各町村民の奉仕により比較的早く應急修理が整い、又通信關係も長谷川中村局長其の他の努力により一部の復舊を見たが何と云つても大打撃は、中村以西に通ずる大動脈とも云うべき渡川鐵橋の落ちたことである。これは仮橋を架設することにしたが相にく當時雨雪が頻繁なので、川は増水するし、大工は自家の修繕などで傭えないし、それに特別の長尺木材を要するので、この仮橋には隨分困難したことである。
中村町周邊と具同村側の堤防は共に沈下や崩潰により大被害を受けたので關係住民は出水期に對し非常な不安に驅られていたが中國、四國土木出張所に於ては早速同所の機材資材を總動員してこの復舊に當られることになつた。私は同所長末松榮氏のこの大英斷に滿腔の敬意を表すると共に、その御厚意に對し深い感銘を覺えたのであつた。震災當時最早復舊は殆んど不可能と迄云われた中村町も、町民の再び起ち上ろうとする不撓不屈の雄魂と各方面の協力支援とにより旬月の間早くも復興の軌道に驀進を開始したばかりでなく、轉禍爲測の烈々たる愛町の赤心は更に躍進して百年の大計に基く都市計画の實施に迄大發展を見たことは、實に力張い限りであつた。此の火震災復興に對して政府は、素より縣其の他各方面の大きな力が集結されたことは勿論であるが、就中幡多郡連合青年團の献身的活躍は特筆大書すべきであろう。同團に於ては震災直後卒先復興の一役を擔われ團長兼松林檎郎君の指揮の下に一糸亂れざる統制を保つて、各般の復興作業に貢献されたが分けても中村町に對しては、毎日各支部から數十名の團員が出動して町内の道路や倒壊家屋の取り片着け、救援物資や食糧の運搬などに長期間に亘り黙々として奉仕されたのである。敗戦後世道人心は頽廢し青年の思想亦浮薄荒廢の中に於て、斯る仁侠犠牲の崇高なる行動は世の亀鑑として賞讃されたことは云う迄もない。宜なる哉西村知事はこの青年團の善行義擧を表彰すると共に、天皇陛下に奏上したと洩れ聞いた。
幡多郡連合青年團として寔に面目躍如たるものがある。
私の住んで居た支廳長官舎は、比較的新しく又相當堅牢に出來ていたので、あれが倒れるなど思いも寄らぬことであつたが歸つて見ると壓し潰したようにペシヤンコになつていた。妻の話では地震が餘りひどくなつたので、隣室に寝ていた娘を呼んで戸外に飛び出した瞬間に、家が倒れ本當に秒忽の差で助かつたとのことである。私が命ち拾いをしたと思つたのは、私は元來横着と云うか不精と云うか、戰時中も敵機の爆音を聞いても待避もせず蒲團を引被つて寝ていたものであるが、若し私が家に居たらこの地震にもおそらく逃げ出さず寝ていたであろうし、そうしたら其の儘片にお陀佛となつたことであろう。
私の家族は、あれ以來地震に對しては非常に神経が過敏になつて、一寸の地震にも直ぐ戸外に飛び出ている。私が南海震災皮の編纂主任田内亮敏君に督促されてこの思い出を書き初めた晩(正確に云へは十二日の午前二時十一分)可成の地震があり私の家族は皆遽てゝ表に飛び出たが其の際吊つていた蚊帳を引き破つてまたまたえらい損害を蒙つた。
何と思つても地震は、始末の悪い怖いものである。何とかしてこの地震の發生を豫知しその災害を未前然防止し社會人類の安寧と幸福を確保増進したいものである。二四、七、一五記

第五章 二・一ストに直面した縣廳職組と南海震災

當時高知縣廳職組長
元高知縣勞政課長
北村修


官廳勞働組合の在り方には常に世論の深刻な批判があると共に、その活動は我が國勞働運動の推進力とも言える現状にある。その立場が一層國民に直結している地方自治体職組の勞働運動は影響も更に重大であつて、その上未曾有の震災に遭遇した創立直後の縣廳職組が當時の勞働運動の様相と嚴しい世評の矢面に立つてその行動の正こうを期することの如何に困難であつたかは今更言を俟たないところである。當時の組合長として、南海震災誌にその回顧録を投稿することも亦無意義であるまい。
當時の勞働事情は全官公廳の年末賃金攻勢の眞只中であつた勞働組合本来の立場に生くるならば勞働条件の改善のために立つた全官公廳職組との共同斗爭に立つべきが當然であつた。他面縣民擧げて震災對策に精根を打ち込むとき公僕としての責務がある。組合の動向は誠に重大で岐路に逢着した。組合はその指向すべき方途につき鋭意義を纏めたのであるが、賢明な三千廳員の意志は基本方針として「鋭意震災對策に邁進し公僕たる使命を遂行する」ことに一致して呉れたので、幹部として重大使命に對し固い決意が出來た次第である。
高知市及高岡郡以東の被害は日ならずして判明したので紅合員は各々部署で復興のために精勵出來たが、幡多郡は通信交通全く杜絶し容易に情況を知る由がなかつたが、十二月二十二日夕八時、支廳同僚酒井理定技官の決死的な中村高知間船と徒歩連絡で第一報が齎らされ、これを基として幡多郡應急策が樹てられたがこの到着の瞬間こそ劇的であり今は亡き同氏のこの功績は南海震災誌とともに永く讃えらることゝ信じて疑わない。
中村町は全戸數の八割迄が倒壊又は燒失の厄に遭い應急措置は焦眉の急務であつたが、更に問題は支廳員の殆んどが罹災し、課長中死者や負傷者を出さなかつた家庭は少かつたという情況に、組合員一同愕然たらざるを得なかつたのであるが、組合は直ちに支廳應援のため、酒井技官を團長として選抜した少壯組合員十數名を第一便高知丸で現地に派遣した。
震災對策の前途暗膽たる中で全官公廳の賃金爭議は日に深刻を加え、二月一日を期して一齊にストラィキを決行することゝなり、縣内他官廳も擧げて之に參加する態勢が整つたのであつたが、縣廳職組としては友誼團体の信義と基本方針との板挾みの苦境に立ち議論百出する中を既定方針に則り、共同斗爭は行う、職場は斷じて捨てない、二月一日ストラィキに突入すれば、通勤者全員泊り込みにて職場を守ることを決定、新に青年部の創立を慫慂して萬一の事態に備えることゝしたが、マ元帥指令により事態は急轉廻事なきを得たのであつた。
斯うした困難に際會し初志を置き公僕の理念に生き抜くことの出來たことは、廳員の教養の高さ抱懐する信念の正しさの賜と顧みて敬意を表せざるを得ない。
當時の西村知事は稀に見る立汲な方で震災對策に精根と熱情を傾倒された方であつたが、吾々組合員もその至誠に感動された點が多かつたことは特に附記したい。
震災後既に二年有半、その創痍漸く癒え、着々復興の成果を見る只今當時を回想してうたゝ感概深きものがある。
昭和二十四年孟夏七月表日記す。

第六章 遭難体験談と救援苦心談

第一節 南海地震の憶い出

讀賣新聞(現京都支局)態倉一夫


私たち一家五人が高知に着任したのは九月甘日の未明であつた。街は戰災後一年經つていてもまだまるで焼野原だつた。この町に私は殆んど知己とてなかつた。やつと私が探し當てた住居は文化ビルの三階であつた。その名がどんなに酒落れていようと實際は戦災燒け殘りのビルであつた。コンクリートの冷やかな灰色の生地がむき出しになつている外壁、窓はすつかり燒け落ちて黒い穴が四圍にポカリポカリと友きな口を開いている。内部はもつと荒れ果てゝいた。階段にはコンクリートの破片やら挨が積つている。モルタールがところどころにしみついている柱。正に廢墟であつた。私が陣どつた、三階はホールであつたらしく柱が眞中には一本もなく壁に沿つて立ち並んでいた。それを連ねて板が張り廻らされ柱のところで小部屋を仕切つてある始末。電氣もなければ水道もない。そんな状態で三ヶ月を過し、いよいよ明日は引越しという日に地震に見舞われたのだ。
何時頃だつたのか、深い昏睡から突然目ざめた私は、暗闇の中で履物を瓜先で探つて小用に行つた。正に放尿しようとした時巨大なコンクリートの建物が、ぐらぐらと揺れ出した。地底から湧き出てくるような、凄じい捻りを聞いたようにも思うが、それはビルがきしむ音だつたかもしれない。また窓の外に一点ピヵリと光り輝いた星を認めたようにも思うがそれはコンクリートが擦れ合つて發した火花の幻影だつたかもしれない。ビルが倒壊する?恐怖に捕えられた私は自分の仕切り部屋に飛び込むと妻の名を連呼した。妻も恐怖に滿ちた聲で私を連呼しているだけだつた。
一瞬の止み間もなしにビルは搖れつづけ立つてむることはできない。私はその時己にをルの倒壊を確信した。逃げなければならない。多少の冒険はあつても一刻も速かに子供を連れて逃げられる道はどこだらうか。次の瞬間私は仕切り部屋を飛び出していた。道は唯一つ−北側の窓から雨樋を傳つて降りる−突さに私はそう決斷していたようだ。だが後で考えてみるとこれとて滑稽なことだ。よし雨樋があつたにしても妻と三人の子供をどうして安全に一べんに救い出せよう。それに私の眼に映つたむのは西北隅のコンクリート壁が擦れ合いきしめき合つて發する火花だつた。私はこの期に及んで始めて絶對絶命の窮地に追いこまれていることを覺つた。死は免れないなら、せめて親子揃つてと私は部屋に引返した。次の刹那さしもの激動も一瞬止んだ。「もう大丈夫大丈夫」私は妻を勵まし次女を抱いて布團を被らうとした途端、再び激烈な震動が襲つてきた。前よりもつと強烈なものだつた、私は急いで長女をも抱きこもうと、その布團の方へ手を延ばしたがその時には、もう目も口も開いていられなかつた。コンクリートの破片が顔一面にぶつかり視界はもうもうたる粉塵で眞暗になつた。それでも私の右手はかすかに長女の布團にふれた。と思つたその瞬間、私の体はコンクリートの床もろとも奈落の底にひかれて行くように墜落していた。仰のけに投げ出された私の頭上遙かに廢墟の如くビルの殘骸がそゝり立つていた。窓は黒暗々としていた。私はそのまゝ意識を失つてしまつた。その次に私が憶えている光景はコンクリートの破片の丘の上で、長男を腹の上にのせた妻と私は並んで頻りに救けを求めていた。やがて中村行の一番バスの警笛が聞え提灯や懐中電燈の光が遙か下に見え出した。救援の人々がコンクリートの山を上つてくるのが大へんもどかしかつた。私が意識を失つてから救出される迄の間の事柄を後で妻は次のように話してくれた。私は次女の泣き聲で意識をとり戻した。そして背椎を骨折していながらまるで常人の如く起ち上ると涙にぬれそぼれながら次女を救いに行つて抱き上げようとして始めて左腕を失つているのに氣がついた。
次女を片手で抱えて妻の處に戻ると止血させようとしたが妻は背椎をシケ私も骨折していた。腰が抜け手に力が入らないので、私は腰紐の一端を口にくわいて止血した。そのため多量の出血にも拘らず、私の命はとり止めることができた。しかし長女は壓死してしまつて死体が堀り出されたのは二日後であつた。
以上は私の南海地震を巾心にした記録からの抄出であるが、耐震建造物といわれる、鐵筋コンクリートが何故倒壊したのだろうか。私はその後文化ビルの建てられた由来から地震當時のビルの状況までいろいろ聞いたが、結局は工事に手抜きがあつたのではないかと考える。この事は當局によつても看過されているようだが、將來のためにも注意を喚起したい。
入院後、また長女の埋葬に當つて、私は當局並に縣民諸君から多大の恩恵を蒙つた。特に名を擧げて感謝せねばならぬ人も十指に余るが、それは個人的に亘るので遠慮するが、その人々の名は長女の憶い出と共に、私は忘れる事はなかろう。

第二節 生埋十二時間、親子五人文化ビルの下敷から救助された

高知文化連盟尾崎芳松氏談


倒壊した高知市堺町文化ビルの下敷になつて、かすり傷一つ負わず奇蹟的に助かつた、尾崎氏は「生埋十二時聞」の模様を次のように語つた。
「危險だ」と感じて階段へ走るうち床がぐらぐらと大きくゆれた。私は子供(忠道)を横に抱え込んだままその場で目をつむつた。瞬間二、三秒なんにも考えなかつた。だが此の世への訣別がいなづまのように頭をかすめた。はつと我に返つたら息が出來る。
「占めた」と思つて子供を呼んで見たら健在だ。セメント臭い、むせかえるような眞暗がりでさぐつて見ると四方壁に包まれている。窒息を恐れて壁の割目を掘りつゞけた。すると、微かな空氣が流れて來た。手が届く限り掘つたこれから先は人を待つより外はないと、心を落つけた。何時間經つやら晝やら夜やらさつぱり判らない。
子供が「お父さん腹が減つた」と訴えた。「當分飯は食えんぞ」と云つたら失望したような聲で返事をした。
他人の力を一心に頼んで救援を待つた。やがてつるはしの音が聞えてきて靴の音さえかすかに聞きとれた。しばらくすると、岡上和夫氏の「しばらく待て助けてやるぞ」という聲が聞えた。涙がとめどなく流れ墓場の中から生きて出るという氣持が切々と胸にこみ上げて來た。(高知新聞所載より)

第三節 須崎原町附近で津浪で亡くした愛兒を語る

須崎にて橋田美壽子さん談


自分は、生後二ヶ月の赤坊昌典を背負い、長男晃一と長女和加子は、老母に托して、共に阿鼻叫喚の地蔵堂附近から城山に避難せんとしました。五人は、悪魔の様な津浪と力の限りを盡し鬪かつたのでしたが、今は亡き和子の遭難について語つてみたいと思います。
十二月二十一日未明の大地震、次いで來る大津浪で愛兒和加子は慕うお婆ちやん、長子晃一と二人に、しつかと手を引かれ、安全な公園へと、北へ逃れる最中、意外にも早く、多ノ郷方面より逆向から襲い來つた津浪に呑まれ、弱き三人の足は波に奪われ、幸にも晃一は其の場の電柱にたどり着き、命かけてしつかと抱え居る所を傍の青年に教わり、お婆ちやんは日頃慕わる孫二人と手を斷たれ、其の後は波の中に浮きつ、沈みつ、救を求むる聲と共に身は激流に包まれましたが、ふと浮んだその刹那隣家の軒につかまり漸く波から出で上りました。恰も濡鼠の如き体、ふと氣を取戻した其の時は愛する二人の孫は離れています。祖母の心中は想像だに出來ません。今はこれ迄と着てゐた物は脱ぎ捨て、棟を傳い、垣を械え、寒さも瀕死の痛みも覺えず命からがら遁れました。然し和加子は婆ちやんの祈も叶わず、お婆ちやんの手は離れましたが、お婆ちやんのお家忘れず歸つているのを、當日後弟が発見「これ和加子」と抱いた時はよべど聲なく、冷たき體となつていました。波に倒され、息の絶ゆる迄、物に取着き、着きては流され幾度かお婆ちやん、お母ちやんと救を求めたかと思う時私は胸に込上げ斷膓の思と涙に咽ぶのでございます。なぜ助かつてくれなかつたのかと、無念がこみ上げてまいりましたが、人事果て、遂に神様にもおすがり出來ず斯くなつてしまいました。和加子を探し求める迄、萬が一どこかに生き殘つていればと一縷の望をかけていましたが命盡きてここに出會つた私は、身も心も置く所を知らず、つんざくばかりでございました。其の夜は涙に更け、涙に明けてまいりました。一日置き二十三日は愈々和加子と別れなければならなくなりました。立つ精の無い身ではありましたが、日頃着けていた衣類を整え、愛好していた玩具を取揃え、親に抱かれ、最後のお湯を浴びせる時の姿は眠れる平生と何等異なることなく、如何程か念じましたのはもう唯の一言「お父ちやん、お母ちやん」と聞かせて呉れないかと呼びかけましたが、矢張り駄目、和加子は靈魂として答えるばかりでございました。そして二十四日墳墓の地に埋葬してまいりました。

第四節 全滅の中村町で大震遭難記

(1)町内學校生徒兒童の思い出
◇冷い夜風
◇深海の底へ
◇手拭の水
(2)遭難の思い出中村町今岡健


(1)大震遭難記
全滅の中村町で遭難の談を聞くことは容易なことであり、集めるにも骨の折れぬ筈であるが、語るは易く、綴るは難いもの。他人の話の聞き書きは、とかく眞實から離れやすい。
そこで−震災一週年に作つた町内學校生徒兒童の文集「震災の思い出」から二三を鈔出して遭難記とする。
(町立圖書館にて山崎生)


冷い夜風—中村町國民學校兒童
(前略)「がさつ!」と云う物すごい音と共に私の頭の上に何やらかぶさつたような感じがしました。あつ!と思つて、しばらくうつ伏していますと、私を呼ぶ母の聲が聞えて來ました。「私は大丈夫、お母さんは?」と問い返えしますと「お母さんは手をしかれて…」私は頭から冷水をあびせられたような氣がしました。(中略)「どうにかして外に出なければ」そう思うと急に勇氣が出て、きちんと坐り直すと上や横の方を手さぐりしてみました。頭に當る位いに天井が落ちていました。ごつごつした木がすき間なく重なつていました。上ヘ出られないとわかると、横の方をさぐつてみました。障子らしいものにあたつたので強く押してみますと、ボギツと折れて私の頬へ冷い夜風があたりました。ああその時のうれしさ。外へはい出して見て驚ろきました。自分の背よりも低く屋根が横たわつていました。(下略)


深海の底へ—中村町國民學校兒童
(前略)ゴーツとすごい地鳴り、つづいてギシギシと無氣味な家のきしり。ふと夢心地で目を開いた私は、はげしく左右に搖れている、電燈をみて、アッ地震だ!と氣づいて、かたわらの姉をかえりみた。搖れはますますひどくなる。姉と私はあまりの恐ろしさに聲も出ず、ただ離れまいと固く手を握り合つた。ゆれていた電燈がパツト消えると暗さが心細くひしひしと身にせまつてきた。と、地獄の底から聞えて來るような物すごい音に私は夢中でふとんをかぶつた。枕もとのガラス戸がガチヤガチャとこわれる音、とたんに、私の上にドサドサと何やら重たくのしかかつた。
一瞬何が何やらわからない。余りの息苦しさに今更らのように、けたたましく母を呼んだ。「母さん母さん」聲のつづく限り、息のつづく限り。だんだん息が苦しくなるとともに聲が出ない。ああもうだめだ。くるくると頭の中を何やら考えがかけめぐる。助けを求める姉の聲に、兄が「節子、節子」と呼ぶのをかすかに意識しながら深海の底にひきこまれるように氣が遠くなつた。(中略)
強く強く背中をたたかれ「節子、節子」と氣狂のように呼ぶ母の聲に、我にかえつた私は狐にばかされたようなへんな氣持であつた。冷い屋根の上に素足で心配していた兄弟のよろこびの聲に、はつきり夢からさめてあたりを見廻した。すぐ間近に火の手が見へる。急にあたりがさわがしくなつた。あちらでも、こちらでも助けをよぶ聲。父と兄とは聲の方へとんで行つた。私は屋根傳いに裏の空地ヘ行つて焚火を圍んで夜明けを待つた。


手拭の水—中村町國民學校兒童
(前略)あの地震の時、私の家の近くに大火事がおこりました。その時のことです。ある家のおばあさんと孫(男の子)とが梁にしかれて動けなくなり、親せきの人たちが一生けんめい救い出そうとしましたが、なかなか思うようにいきません。火はもうすぐ近くまできています。おばあさんは「私は助からなくてもよい。孫だけは助けてくれ」と云つたそうです。だが、火はその倒れた家へもえうつり、あつくて、あつくてたまりません。もう自分たちは助からないとあきらめたのか、おばあさんも孫も「もう助かる見込はない。私達の事はかまわずに皆んな早くにげてくれ……のどがかわいてしかたがない。水を一ぱいのましてくれ」と云つて人々が手拭にしめして與えた水をのみながら「あゝうまい、うまい」と滿足して二人は抱き合つて、生きながら燒け死んだそうです。


(2)遭難の思い出
中村町今岡健
昭和二十一年十二月二十一日午前四時二十分、まだ深き眠りに閉されていた夢を破りてゆすぶる大地震!あゝ地震!と眼のさめた時は既におくれていた。私は東京にいた時、地震の多いのに馴れていた習慣が禍いして、地震をあまり問題にしなかつたので、その時も皆が二階から降りたのに一人自分だけは二階の隅まで歩いて行つたが、もう大變な搖り様で、始めて危いと感じ、最早降りるのは却つていかぬと、じつとすわつていたら、いつの間にか頭だけ家の外に出て胴から下は大きな梁にしかれていた。
いくらもがいても出れない、息がとまりそうであつた。その梁を鋸で切つてやつと助かつた。長男、長女、二女が隣室に寝ていたがこのうち十三になる二女、本というのが眼をさまさず、聲もたてずに死んだ。此の晩は特に母を戀い、一寸でもよいからといつて母と一所に寝ていたが、狭いので私がそれを制して隣室に歸つたのだつた。母と一所に寝さしていたら助かつているかもしれないと思うと私が彼を殺したような氣がしてならぬ。この子は身体も丈夫で學佼でも副級長などしていた。また美しい子で圖画の時間に皆が寫生したこともあつたのに殘念の思い出はいつまでもつきない。
本の死体は中々にわからなかつたが家が倒れてどうすることも出來ず二日目に警官が立ち合い青年團がきて掘つてくれてやつと死体が出た。重い重い書棚につぶされ、その上に隣の家が倒れてのしかゝつていた。
××
うかららの喚びあふ中に汝の聲せねば死せしと思ふ瞬間
登校の用意もきちんとしてありし汝のかばんを見るに堪へざらむとす遅くまで宿題の足袋縫ひて寝しその夜地震で死ぬと思はむや瀾漫と咲く口を待たで八重櫻散るはかなさや汝は十三あの世にし汝が生きをれば我もまた行かんとすらに思ひたるかも美しき顔よ心よ汝の血すぢ受けつぐすべの今はあらなくにこの日の中村町の慘状は世界の大地震にも珍らしいといわれた。何しろ東下町の一くぎりを殘して全中村が倒壊、生き埋めとなつた人々は屋根をつきぬけ、或は掘り出してやつと助かつた人もある、一軒の家に三人も四人も七人も棺を出した家もある。棺もなく死休は戸板に載せたまゝ幾日も過したのもあつた。一番むごかつたのは本町全燒の際農林學校の生徒が足だけを敷かれた爲に身休は自由でありながら、みすみす生きた身を燒け死なせたことであつた。
足を切つてくれと叫んだが、まさか生きた足を切る人もない。助けんとすればその人も燒け死ぬる時、せめての情に末期の水のみ飲ませてやつたのであつた。あゝ目の前に生くる命をすら救うすべがなかつたのである。
こうした地震は百年毎に起ることを知らなかつた。せめて子孫のために中村に紀念碑でも建てゝ百年後の町民の注意をうながしたいものである。我等がみじめなことになつたのもこの恐るべき有名な地震學でいう中村地帶に居りながら、之を知らなかつたことも關係しているのである。(筆者は大乘新聞社長)

第五節 中村町全滅の報に幡多郡救援の命をうけ第一救援船で荒波をけつて下田港へ

高知縣厚生課永吉清喜
昭和二十一年十二月二十一日未明に發生した南海大震災は實に激甚であつて、縣下各地は甚大な被害を蒙つた。
幡多郡救援の命をうけて廳内各課から派遣された各代表と共に、救援物資を第二高知丸に滿載して、二十三日午後三時半頃同船にて急行した。上川口港で浮流物危險のため同夜碇泊したので、代表の一部は下船し支廳へ連絡を取ることになつた。
二十四日午前七時過ぎ、下田港に着いて各代表は下船し、更に支廳へ連絡する事になつたので、伺僚の伊野部正男君と二人は應援の到着まで船中に止つたが、罹災状況や物資輸送の關係等を早く知りたいと考えて、伊野部君を物資監督のため船中に止つて貰らい、下船することに決めた。下田町役場に助役(町長不在)を訪問、被害その他の状況を聽取しながら、物資の荷揚、輸送の協力方を懇請し更に警防團、青年團幹部を訪い協力方を依頼した處、早速快諾され三隻の船を準備され荷揚を始めた。支廳からも漸く二人の應援が着いた。
荷揚は始めたものの陸上輸送が困難であるので、河川を利用し發動船の航行可能の上流地域まで輸送し陸上において、荷馬車二台を漸く雇入れ輸送を行つたが、干潮のため水上輸送が出來なくなつた。物資は止むなく中村、下田間三ヶ所に分散集積を余儀なくされた。殊に日は正に沒せんとしているし、人手は少い、物資監督にも支障があるし、その日の中に如何なることがあつても、何んとかして中村まで送り届けねばならんと考え、物資に監督を附して自ら支廳へ連絡に向つた。處で中村町は想像以上に被害が甚大であつて、支廳でも當時は橋田支廳長の他に少數の職員で震災對策に大童であつたから、中村町連合青年團の應援を受けて、集積された一ヶ所の物資の大部分は日暮れにやつと中村まで輸送し支廳員の協力で中村町、その一部は東山村へ直ちに取り敢えず配給することが出來たのである。
處がその夜俄かに天候が悪くなつた。切角此處まで送つて來た物資を濡しては申譯ないと思い、支廳職員、中村町連合青年團、中村警察署員の特別の援助の下に防水準備を整え、凍る夜中風雨にさらされながら焚火に暖をとりつゝ徹宵物資の保護監督したのである。
その翌日から支廳で被害状況調の資料に基き本格的な應急救助は始つたが、毎日縣から救援物資が二、三隻づつ機帆船で次ぎ次ぎと送られて來たが、支廳員と共に毎夜深更まで配給計画や被害町村への連絡、物資の受入、配給等で目の廻る程忙殺された日が續いた。寸暇があれば自ら荷擔もやつたが應急救助は實に迅速且つ適正に行うことが出來たこれは自己の被害を顧みず協力された方々の御蔭である。特に軍政部から絶大な御援助を頂いたことは應急救助に拍車を掛けたことを感謝している。
二十數日間滯在して救助の御手傳をしたが、この間特に中村町連合青年團の諸兄が自已の被害をも顧みず献身奉仕されたこと、中村警察署員等の積極的な協力のあつたこと、橋田支廳長は被害發生するや直ちに、公用旅行先高知から任地に徒歩急行され兩足に杯大の踏みづめを出しながら震災應急對策に日夜奮鬪されたこと等頭が下つた。
この震災救援で一番苦心した点は、如何にしてこの莫大な物資を輸送し、一刻も早く罹災者へ配給するか、この物資を如何して監督するかであつたが、各方面の御援助によつて罹災者の應急救助が迅速に行われたことは此の上なき幸であつた。

第七章 震災美談

(1)青年學徒の貴い努力の結晶
◎地盤隆起沈降運動の發見
須崎高等工業學校生徒下村昇君
同堅田耕正君
兩君は學業の傍、南海大地震によつて沈下した高岡郡須崎町附近一帶が短時日の間に驚くべき速度で回復隆起したことが兩君の調査研究にょつて發見され、各方面ヘ貴い資料を提供したが、兩氏は今なお研究を續けている。
なおこの研究は、昭和廿三年五月、東京大學地震研究所河角博士から、東京で開かれた「南海地震研究會」へ發表された。これは兩君が須崎町堀川の水面を利用して、測量の結果棧橋附近では一月中旬と二月中旬の水位に、約三十センチメートル差を發見、研究續行後、同町中央部から棧橋にかけた地帶の地盤が隆起したことを確證、同時に中央部四國銀行支店附近は、地震前にくらベて六十二センチメートル、西町の縣立須崎保健所附近は六十センチメートル沈下したことも判明した。


(2)罹災者を感泣せしめた話題三つ
(イ)津浪襲來で人心恐怖の中に夜が明けたが、上ノ加江町越部落の越尾之馬氏は強震の終るや否や、一家總掛りで甘藷を蒸し中山及衣笠山に避難して居る人々に、見舞の言葉をかけつゝ廻り「粗末なものですがどうぞおあがり下さい」、との挨拶には罹災者をいたく感動させたが、同人のこの美擧は未明中になされた爲、多くの者は誰とも余り氣にも留めず「まあ親切な人」といつて居た由だが數日して同人であつた事が判明した。
(ロ)坂出梅太郎氏は罹災者が木炭に困却して居ると知るや、自家用の炭十數俵を自身車に積み破壊された路を汗みどろとなり、見舞品として殆んど夜分配給して廻り、しかも新聞等に出る事を厭がり爲に同人の美擧も一般町民に余り知られなかつた。
(ハ)本越淺海、堀部虎猪兩氏は郷土の慘状を聞くや直に修理用釘の寄贈をせられ、罹災民の家屋修理に寄與された事は、町民一同を感銘せしめた。


(3)ふかしイモに感激の涙
長岡郡岡豊村小はず婦人團の活躍
救援隊の紙旗を先頭に荷車をかこんで婦人の一隊が震災の街にはいつて來た。荷車にはふかし芋や、握り飯が山とつまれていた。震災につゞく浸水で、しようすいした罹災民に、同胞愛の結晶が次々と手渡されていつた。子供がわつと歡聲をあげた。震災に勞れきつた顔つきのおかみさんの顔がゆがんだ。感激の涙が一すじ二すじ。震災のあの日以來罹災地の各所でえがかれる美わしい風景である。


(4)奥山からも救援物資相次ぐ同胞愛
土佐郡土佐山村婦人會都綱班
重いザルを肩にしたわらじばきのお百姓たち、土佐郡土佐山村前田五月さん等二十名は、市内の罹災者を救いましようと持ち寄りの救援物資を天びんでかつぎ二十五日朝霜おいた三里の山路をはるばる辿つて晝ごろ市役所厚生課へ情の木炭十五俵にフカシ芋六十貫を差出した。その日それぞれ罹災避難の人々の手に渡されこゝにも感謝と感激の涙は双頬に光つていた。


(5)津浪の危險を冐し暗夜敢然使命を果す
幡多郡小筑紫村岩田勝三郎氏
警防團員岩田勝三郎氏は、宿毛警察署へ連絡の爲め震災直後、暗夜の中を三往復して使命を達したので、警防團解散に際し之を表彰した。
宿毛小筑紫は縣道海岸線一〇粁あるのであるが。地震と同時に暗黒の世界となつた中を、海岸地帶に押し寄せる津浪の危險を冐し、敢然警察への連絡を達成した。暗夜の恐怖もあり約三十分遅れて来た津波は更に、後に続くかも知れないという危惧もあり、此の使命を達成するの人選には困つたのであつたが、岩田君が敢然として此の使者として當つたことは、まことに賞讃の價値十分であり、感謝に堪えなかつたところである。


(6)若き警察官の活躍した二人の話と他に一つ
宿毛町役場職員目撃談
街には火災が起り、倒壊家屋は相當あつたので騒ぎは一通りでなかつた。向うからは津浪が襲來すると云うとき若き警察官二名の姿を見た。自分を犠牲にして下敷になつて救いを求める、倒壊建物の中に飛込んで、救い出しを敢行して居るを目撃したが、その行動の迅速なことと立派なる態度には當然の職務と云え私は敬服いたしました。
今もなお當時若き警察官の活躍振を思い出し、心嬉しく思いますがもつ一つは農民の愛の力である。
◇農民の土地を愛する心
防潮堤が津浪で破壊されたが、農民が土地を愛すると云う心は實に想像以上のものがあつた。ただちに積極的、熱心に修築に力を盡したので、復舊工事は順調に進捗した。戰災後やゝもすれば廢頽した農民達に對し清涼劑となつた。

第八章 震災哀話

この震災哀話の一篇は當時被害甚大であつた中村町、須崎町、高知市の中で直接その遭難を目撃したり聽たりしたものを掲げて、今は亡き人々のため冥福を祈つてやまないのである。貴い生命を失れた六七九名の方々の親となる方、夫、妻、兄弟、姉妹の肉親の人々の悲歎は想像するだに、哀愁と共に熱い涙が双頻を下るのを覺えるが、當時を想起するに充方である。


(其の一)津浪遭難哀話須崎町にて
須崎町死沒者は如何にして遭難したのか、當時須崎驛前附近では津浪の襲來と、避難とが同時となり大混亂を呈し自動車によつて避難せんとするものもあつたが、既に時機を失し、且つ自動車のエンヂン等の騒音の爲に北より潮の侵人しつゝある事さえ知らなかつた模様で、遂に多數の死者さえ出るという結果となつてしまつた。
當時原町官舎にあつた、須崎驛長田中基介氏宅では、妻力子さんと子供二人は家から縣道へ出るや南流する激流に押流され溺死し、又須崎驛南側構内合宿所にあつた、驛助役久松四十明氏宅に於ても子供三人を失うという慘状となり、北原町谷岡彌生(十五)さんは弟と共に騨前で流木に打たれて溺死、又市川雪(六十才)市川豊子(三十二才)さんも同地附近で溺死し一家全滅、又橋本久美(二十四才)さんは幼兒と共に之又驛前附近で潮流、流木に押流されて溺死し、岡村幸(三十九才)さんも子供を背負い驛前を北へ避難中流木により押流され軒をおさえて屋根に上らんとしたが遂に力盡き家の中に捲き込まれて共に溺死するなど、其の他流木に打たれ、或は溺死する者數知れず、哀話切々として、聞く人の涙をさそつたがこれらの人々は皆驛前附近の住者であり、死体も父自宅附近に於て殆ど發見せられたのである。
原町中央部地藏堂附近では、當時の混雑に加わる激流によつて多數の死者を生じた。山手通橋本鹿恵(五十四才)さん三才の誠子さんと共に遂に自宅裏にて溺死、明神岩太郎(八十才)さん夫婦も同様溺死し一家全滅、市川亀尾(五十一才)さんは十五才の久恵さんと共に溺死したが家を出る時は既に五米の浸水、地藏堂附近で家族四人が生別れとなつてしまつたと云う、又山崎亀江(五十才)さんは正昭君を背負い地藏堂南側四ツ辻に於て水勢に抗し得ず、家の格子に取りついたが遂に押流され、打撲なども受けて死体は堀川で發見されるなど、其の他の哀話數え切れない。
又新棧橋方面に於ては三宮繁太郎氏宅では女中及子供三人を失い、子供の死体は一週間後遠く野見白濱に於て發見された。又一般死体は殆ど町内で發見されたが、一部堀川、内港、糺の海でも發見された。


(其の二)震災哀話中村町にて
中村町での澤山な哀話の中から拾つて見る。不安と怖しさにふるえていると、何處からとなく助けてくれという女の悲鳴、懐中電燈を手にして近寄ると前中計町長岩合亀松氏の倒壊した住宅の下から令媛茂猪さんの血をしぼる救の聲だ、間もなく救い出されたが重傷で出血甚しく間もなく絶命した。
橋田支廳長以下、渡邊經濟課長、等は會議の爲め高知市へ出張不在中に官全は倒壊し二課長の奥さんが壓死された。
本町の浦田醫院の夫妻は倒壊家屋の下敷となつて、看護婦が「先生々々」と叫んだけれど答えずその中火が燃えて來て燒けてしまつた。
又こゝより東北へ少し離れた處では、母親と共に農業學校生徒が知だけ敷れて、もがいて居る中、火事が迫り來り、必死で逃れんとすれど及ばず「足を切つてくれ」と叫んだが誰も救う者もなく遂に「母と一緒に死ぬるのだからかまわん」と言つて燒け死んだ。小姓町では頑丈であつた橋田醫院の主人と令嬢とが共に、壓死し、もと幡多病院長の未亡人と息子とは、かろうじて家を脱出して、手をつないで道路を逃げ行く中に厚い煉瓦塀が倒れかかつて二人共壓死した。大城氏ら親子三人は戸口の戸を持つたまゝ三人が死んだ。西下町ロビン洋服店は親兄弟三人死んだが、一人殘つた中學生は、こわれた家から現金數万円を掘り出して、こんなものはいらない親が生きて居ればよかつたと悲嘆の聲を揚げた。この様な話は至る處にあり、そして南京町は四十六名、中町は三十二名、小姓町では二十六名、天神橋では二十一名の死者を出し、中村町全体で二百七十三名に及んだ。又負傷者は一千名以上にも上り倒壊家屋千六百戸を數えた人口一万余戸數二千余の中村町としては被害率は甚大で文字通り全滅の有様である。


(其の三)震害悲運の街を訪ねて高知市にて
 □文化ビルの生埋の悲運!!
震災の朝誰れ云うとなく堺町の文化ビルが崩壊して生埋になつたぞ!
三階に住んでいた讀賣新聞社高知支局長の熊倉一夫氏一家五名と其の二階に住んでいた高知文化聯盟尾崎松吉氏一家四名は物凄い音響と共に生埋となつたが、態倉氏は土佐へ赴任されて家なくこゝに寓居しその日轉宅するという未明にこの悲慘な災禍に遭うた、自分は左腕を切斷され、妻君は重傷、長女は壓死された。尾崎氏一家四名は無事救い出しに成功して奇蹟的に助かつた。
 □戰災と震災の再度の遭難
岩崎四郎氏(本縣秘書課長や須崎職安所長等を務めた)は先きに南新町で戰災のため燒燼し更に今回の地震で細君春榮さん、母堂初さんと三人共家屋の下敷となり、氏は足部のみの負傷で幸に助かつたが二人は遂に壓死された。折柄葛島方面の决潰のため浸水は倒壊家屋を水底に沒せさせると云う悲慘の極に達した。

第九章 各地青年團並消防團の活躍

第一節 青年團の活躍

郷土の生んだ學聖寺田寅彦博士は「天災は忘れかけた頃に來る」と貴い警告を與えられているが、やゝもすれば忘れられんとした頃、今次の大地震が來り未曾有の大被害を蒙つた。
西村當時の本縣知事は新春劈頭の言葉に「禍を轉じて福となさん」と吾等を激勵した。
吾等青年!若人!は奮然として立つて叫んだ「時は今だ若人私等死力を盡して郷土の復舊にあたらん」と。
噫!何んと力強い言葉だろう!何にかしらん胸に迫つて熱い涙さえ双頬を下るのを覺ゆるではないか。
感激の涙だ、全滅的被害の爲め一時は震害地に立つて呆然たる有様であつた。
▽母を失つて泣き續ける幼兒
▽妻を亡くし數人の子供を抱えて途方にくれている夫
▽兩親を矢つて氣のぬけた青年
まことに人の世のはかなさを泣けるだけ泣いた。然し吾等は何時までも泣いてはいられない。
兼松縣連合青年團長以下全團員は今こそガツチリと腕を組み郷土の復興にあたる秋は來たのだと叫び立ち上つた。
全縣下の青年團は相互に罹災地の青年團に對し被害僅少の、町村團は之れを助け罹災現地に出動して折柄の寒風冷雨をついて晝夜の別なく、震害地の跡片付、道路修理、供米督勵、小屋掛、救援品配給及運搬、警備、死体收容、女子青年團員の炊出し作業、義捐金募集等に卒先して活動した。その功績顯著なものは知事より表彰をうけた。しかしまだ知られざる貴い功績は數え切れない程澤山あるが、西は幡多郡連合青年團、東は甲浦町青年團、或は下田町等澤山の功績の記録は殘されている。

第二節 消防團

震災直後發生した各地の火災の防火或は堤防破壊による浸水に對し晝嵐の別なく防水に努め、又遭難者の救助に警備に、涙ぐましい努力を致され震害の應急措置に協力して復舊の速かなる力となつた。

南海大震災學術的記録(附録)

學術編目次

第一 高知縣に於ける南海地震の建物被害調査報告・
第二 南海地震による地變、津浪、震度と震害特に南海地震の特徴に就て・
第三 余震の地震動から観た高知市内の地盤の震動性能
第四 南海地震の余震観測報告
第五 高知縣に於ける南海地震の震害と地盤について・
第六 土佐において大地震に件った土地の隆起沈降の復舊ついて
第七 高知縣中村町において弾性波地下探査結果
第八 高知縣地質圖
第九 高知縣須崎町及新宇佐町の津浪調査報告
第十 高知縣種崎及久禮に於ける津浪調査報告
第十一 南海大地震の調査より見たる震度と震害
第十二 耐震構造について
第十三 南海道大地震調査概報
第十四 高知地方一等水準檢測實施報告
第十五 大震災と本縣産業
第十六 潮害を受けた麥作地の對策について
第十七
 第1 南海地震観測中間報告
 第2 南海大地震余震観測報告

前記

震災直後東京大學地震研究所の先生達からなる調査隊の一行は續々來縣せられ、あらゆる悪條件を克服して交通不便な東は甲浦町、西は宿毛町、淸水町に至る長き海岸線の縣下各地を實地調査の上歸京、その後更に福井縣に起つた激震地へも出張された。今回各部門につき研究調査事項を発表されたが本記鐵はその調査報告である。救にその勞苦に對し感謝を捧げる共に、本稿を寄せられた好意を深謝するものである。

第一編 東京大學地震研究所発表

第一 高知縣に於ける南海地震の建物被害調査報告
東大地震研究所技師 工學博士 金井淸
助手 田中貞二
助手 金子重彦


1・まえがき
昭和21年12月21日4時20分頃潮岬西南方50km附近に起つた大地震は1府23縣にわたつて災害を及ぼし、建物被害は住家全壊9.070半壊19.240、非住家全壊2.521、半壊4.283工場其他全壊70、半壊79、流失1.451、消失2.598、浸水28.879に及び・その他橋梁損壊160以上、堤防決潰627以上、道路決潰1.531以上、船舶流失破損2.349の損害を受け、死者1.354、傷者3.807、行方不明者113の犠牲を生んだ。
筆者等は12月25日から1月10日までの17日間、災害の最も大きかつた高知縣を始めとして香川、愛媛岡山、廣島の5縣下に於ける主として建物被害を踏査した。
大地震の際の建物損傷が地盤と密接な關係のあることは、大正12年關東大地震を始めとして次々に起つた大地震に際して、多くの方々によつて指摘されて來たが、踏査の結果、今回の地震でも全くその例にもれず、建物被害地域はすべて沖積層に属し、沖積層の中でも人工的埋立土也、盛土、氾濫のしばしばある河川流域低濕地に於て特に建物被害が甚大であつた。
それゆえ、極端な場合には道路1つを距てて1方の地域では建物が全滅に近い損傷を受けているのに他方では壁に僅かに亀裂が入つた程度の
建物しかないという例も少くない。
調査結果に多少の考察を試みて、こゝに概報する。


2.踏査結果
各町村毎に住家倒壊指數として(全壊建物數十1/2半壊建物數)/全戸數をとり地圖に書き入れて第1圖に示す。
第1圖で明かなように被害の甚大な地域は宿毛、下田を結ぶ帯状の沖積地と海岸線に沿うて点在する河口その他の軟弱地盤上に限られ、山地の堅い地盤上では被害は全然ない。次に踏査した町村について東から順を逐うて被害状況を述べる。
安藝郡の海岸は一般に大壁作の葺土を十分に使用した瓦葺家屋が多く地震に際して壁がはげ落ちた後屋根が重いために崩れるやうにして全潰した家屋が特に目立つた。住家倒壊指数2の吉良川町では東の川の東の傍士、西の川の西の西宮は地盤が良いのと家屋が粗末ではあるが輕い構造のため損傷が極めて少かつた。雨河川にはさまる本町は埋立地であるが、大壁作の重い家屋や土藏は殆んど多かれ少かれ損傷を受けていたが新しい型式の家屋はかなり粗末なもので安全であつた。この町は今回踏査した災害地の中で家屋移動が最も多く、大部分の家屋が5cm位移動していた。尚、本町役場は外から見るといたつて弱そうで、助つているのが不思議に思へたが、中に入つて見ると土地でニイと稱する松の節のところをピストル型にした方杖の1種を、柱と梁桁の連結点全部に使用してあり、その効力が十分に現はれたものであつた。
安藝町は住家倒壊指數12、地盤は砂地である。コンクリート基礎の大壁作が多いが、不同沈下はほとんど見あたらず、屋根瓦はかなり落ちていた。土藏造大壁2階家の2階安全、1階柱8゜〜19゜傾斜し、l9゜部分の柱は柄で折損した家屋、及び中柱は布石からはづれ外柱は土台から抜けて家屋全体が3゜傾斜したものが特に眼に止つた。
赤岡町は住家倒壊指數2.0、砂丘上にあり、安藝町と同様に不同沈下は見あたらず、古い家屋の屋根瓦が落ち、大壁作家屋が隣家によりかゝ
つているのが特に眼についた。被害分布を第2圖に示す。
大忍村岩田は田の中に盛土した場所で、基礎の不同沈下のため7棟の内4棟倒壊、3棟半壊といふ大きな被害を蒙つた。大壁作の家屋で玉石
が不同沈下して柱がはづれて損傷したもの、8本の柱のうち3方から橫材が柄仕口で連結されている柱が1本折れたために全体の損傷に導いた
ものがあり、崩潰しない家屋の瓦はほとんど落ちていない。
高知市下知は元沼地であつたところで、地盤が非常に軟弱なため基礎の不同沈下による家屋の倒壊が多く、住家倒壊指數は61に及んだ。江口川堤防の南側で、基礎の不同沈下によつて倒潰した家屋のために隣の新築の小さい2階家が押し倒され、その次の新築の大きな2階家半面を破壊していた。
基礎の粗悪な家屋の多いこの方面や、上部に壁体が多く、葺土を十分に使用した瓦屋根家屋或は楝瓦壁家屋の多い鏡川北岸方面では隣室の倒壊のために損傷する所謂將棋倒の状況が澤山に見かけられた。彌生町で地上6.41m下部外径1.95m上部外径1.18m厚さ約10cmのコンクリート煙突が、上部から1/3のところで折損していたが、周圍の地盤には無數の亀裂と凸凹ができていた。
若松町では第3圖に示す平面圖の戦災後建てた瓦葺のバラツクが倒壊一歩手前に傾いていた。この主人の話は非常に寫實的で、家が小刻みに小揺れしているうちに揺れ方がのろくなるとともに段々に揺れが大きくなるので、危いから外に飛び出そうと思つている中に、揺れがそれ以上大きくならずに同じ位の大さのまゝ、ぐらぐらやり始めたから、外に出るのを思ひ止つたがしばらくそのやうな状態がつゞいている時、急にズシンとした瞬間に家がめりめりと傾いたと言っていた。
話の状況は、突然に周期的連続振動が起つたとき、建物が静止の状態から定常振動になるまでの理論的並びに模型實験的結果と全く符号する。最後のズシンとしたのは、このときこの地盤に沈下が起つたものと推察される。この主人の語るぐらぐら揺れる調子を、ストツプウオツチで測つた値0.6秒は、第3圖の寸法を使用して柱の両端固定、床剛架構の數理的研究結果に代人した値と略一致する。
新本町では數年前に盛土した小區域にある3戸が相當の損害を蒙りその中の1戸の昭和16年に建てた4間×2.5間の土藏は地震中に2.5間に平行方向に動搖して元の位置に復つて止つたことを、入口の石階段のずれ方がはつきり物語り、壁は半分以上落ちていた。その他、木骨構造の壁が全部はげ落ちた家屋、使用に耐えない位い傾ていた、5間×5.5間の立派な瓦葺木造家屋がある。しかるに、そのすぐ周圍の昔盛土して地盤の固つた地域でクよ、古い粗悪な家屋でさえ全く損傷がなく土藏の壁には毛細亀裂もなかつた即ち、地盤の差違と家屋被望の軽重との関係が一目でわかる状況を残していた。
本町では鐵筋コンクリートの3階建文化ピル、5階建中央ビルが崩壊していたが、何れも戦火災を受けたもので専門家の話では施工も非常に悪いといふことであつた。中央ビルは1.2階はほとんど被害なく、3階床西半分健全、東半分破壊、それ以上が南東は崩壊した。附近の人は、コンクリートがばらばらと音をたててア落ちつゞけ最後に弓なりになつて倒れたと話した。文化ビルは川縁にあり川側の墓礎が不同沈下して5゜傾斜し、北側壁体全部と西側の階段のある部分のみ残して崩壊した。北側柱壁体は北へ最大(東部分)15゜傾いたまゝ残つたが、その原因は階段が斜材の役目を十分に果したものと考へられる。文化ビルの平面図を第4に図示す。建物に接した南の地面が、局部的に沈下していたことを附記する。
尚、高知市は11ヶ所の堤防が決潰し、合計1.090町歩の宅地田畑が浸水の難に遇ひ、1m前後の地盤沈下があつた。新宇佐町は津浪により341の流失家屋と942の損傷家屋を出したが、地震動による家屋の損傷はほとんどない。この町では安政大地震による津浪の教訓が町民の間によくしみこんでいた上に、警察官が夜警中で適宜の處置をとつて高地に早目に避難したため、特殊な事情による老婆と幼児の犠牲のみですんでいた。
須埼町は新荘川の流失土砂でできた土地である。被害分布を第5図に示す。2階家の屋根瓦は相當に落ち、中央部の海岸一帶の古い家屋が特に被害が大であつた。住家倒階指數は1.1である。尚、ある寺の110ヶの墓石は1ヶの轉倒もなく全部移動していた。
中村町は四万十川の流出土砂ででき、氾濫の難に繰り返し遇ふ土地であるが、今回の地震で最大の被害を受けた。被害分布を第6図に示す。
全世帯數2.177に對し全壊家屋2.421、半壊773、3ヶ所から発火して全焼62を算え、死者273、傷者3.358の犠牲を出し、全町壊滅に近い被害
を蒙つたが(住家倒階指數86)西及び南の山麓の家屋は崩壊を免れて半壊が多く、稀には安全な家屋も残つている。この町に來て誰でもすぐに氣がつくことは倒壊を免れた家屋の屋根瓦が完全であり、崩壊した家屋に於てさへも屋根瓦のずれ落ち方がきわめて少いことである。地盤が殊更に軟弱なため、家屋の自重で不同沈下したもの多く、そのため家の周圍に泥の山ができたり、薄いコンクリート基礎がグジャグジャに壊れたりした状況が各處に見られ、叉、倒壊或は傾斜して隣へ将棋倒の損傷を與へたものが少くない。1階が崩壊して2階がそのまゝ安全に地上に坐つている家が澤山に見受けられた。煉瓦建が比較的安全であつたが、損壊原因が基礎の不同沈下である場合には、斜材を使用し木造家屋のように連結部分が離れ安い構造が最も危険なことになる。土地の人の地震中の家の揺れ方の話からして、振動周期は木造家屋の固有、周期に近い0.6〜0.8秒程度と考へられるが、こんな地震動で屋根瓦の損傷が極めて少いためには、地震動の振幅はそれ程大きくなかつたものと推定される。即ち、この町の大被害は地震動によつて家屋が直接純粹振動的原因で破損したものではなく、軟弱地盤特有の基礎の不同沈下とふ特殊原因で損壊したものと考へる。地震の終頃に上下動が來たから家が澤山倒れたのだという意見を宿の女中が吐いていたが、これは恐らく不同沈下がしばらく揺れた後に起きたことを証明するものであらう。前述した(高知市若松町の人の話と全く同じ意味をもつ)渡川(四万十川)の鐵橋の破壊状況を第7図に示したが、全長507.2mの鐵橋が1經間54.55mのトラス部分8經間の中、両端を残して6經間が落ち、落ちた部分の橋脚は下部で大きな口を開け、落ちない部分の下部及びT型橋脚の各部には大小の亀裂を生じた。この橋梁の落ち方は橋脚の破壊状況からして、1經間の橋梁の自由端が橋脚からすべり落ち、その自重で固定端の橋脚を引き付けるので、次の經間の自由端が落ちたといふことを續けて行つたものと考へられる。最初の自由端が落ちた原因はよ橋脚の純粹振動とはどうも考へにくい。その理由は、この橋脚の固有周期を自由端に集中質量(橋梁)を有し他端は完全固定の柱と假定して計算してみると約0.2秒
となり、この橋脚が橋梁を振り落すだけ振動する位地震動の振幅が大きかつたとすると、中村町の家屋の屋根瓦が安全であることの説明が困難になる。こゝでもやはり純粹振動的原因でない地盤の影響を考へに入れねばならぬであらう。
下田町は四万十川河口にあり、河岸地帶が家屋被害多く、岸壁は各所に不同沈下のための損壊を蒙つた。住家倒壊指數は8.2である。被害分布を第8図に示す。
宿毛町はもと古川が流れていたところで、厚さ90尺流出土砂と盛土からなる。海岸地帶は不同沈下甚だしく、岸壁の損壊、堤防の決潰4個所あり、住家倒壊指數は10であつた。
室戸岬沖を航行中の船舶が暗礁に乗り上がつたようになり、10ノットの速力が6ノットに減じた、そのとき燈台の光消えたという話を聴いたが、これは恐らく海震いう現象で、地震動が海水を傅つて來て船舶に急激な振動を起こさしたものであらう。


3・踏査結果の考察
災害地踏査の結果、或る町村の家屋損傷は基礎の不同沈下の結果であり、或る町村の家屋砿壊は振動に起因したことがかなりはつきり判別された。こゝに高知縣の代表的町村の全壊戸數/死者、即ち全壊何戸に1人の割で死者があつたかといふものをつくつて並べて見ると、主として基礎の不同沈下による家屋倒壊の町村では、北街3.4下知6.4南街7.6野根4.9中村5.9具同3.9で平均は5±2.5となり、主として振動原因による家屋倒壊の町村では、潮江13、赤岡14、安藝9.4、須崎16、宿毛20で平均は14.5±5.5となる。即ち不同沈下の場合が振動による場合よりも犠牲者の割合が約3倍多いことになる。このような傾向は昭和19年東南海地震の際にも氣付かれたことである。家屋が突然に震動を受けて静止の状態から振動し始める場合、少しづゝ振幅を增して定常振幅になるまでには相當數の振動を繰り返さねばならぬことは理論的にも模型實験からもわかつておる。實際の地震の場合、震原から相當離れたところでは、家屋が倒壊するまでにはかなりの時間がかゝることは今回の踏査地の人々の話でも明かである。それ故、純粹振動によつて家屋が倒壊する場合には避難の時間的余裕が相當あるが、不同沈下は高知市若松町の人の話のようにまだ大した振動ではないと思つている時、ズシンと倒壊する場合が多いから犠牲者も多いのではないかと思ふ。
津浪被害のあつた高知、和歌山、徳島3縣を除いて死者のあつた13府縣の住家全壊/死者の平均は7となり、昭和19年東南海地震に於ける津浪被害のあつた、和歌山、三重縣を除く3府縣の平均21に對し約3倍の犠牲者の割合になる。この事實は今回4時過、東南海は13時過といふ時刻的原囚でも一應説明がつくが、他に原因がひそんでいるのかも知れない。


4・むすび
軟弱地盤上の木造家屋は震害率が大きいことは過去の多くの大地震の事實が設明しており、その原因として軟弱地盤の卓越周期の木造家屋の固有周期に近いといふ説が近年盛んに行はれて來たが、これらの振動學的原因のほかに軟弱地盤は不同沈下といふ特殊原因による家屋損壊が豫想外に多いことが今回の災害調査の結果極めで明かになつた。
この事實は、家屋震害分布から地球物理學的諸問題を抽出しようとする場合に深い関係があるばかりではなく、耐震建築の立場からも非常に大切なことと思う。
尚、今回の震災調査の結果、隣接建物の倒壊のための損傷、いわゆる将棋倒による被害が各地に於て相當の數に上つたことがわかり、市街地建築に一つの示唆を與えるものである。
終りに臨み、本調査にあたつて絶大な御後援を給つた西村植巳知事始め縣當局、各町村當局並びに縣民各位に深甚なる感謝の意を表する。

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地図 第1図 高知縣住家倒壊指數
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地図 第2図 高知県赤岡町附近家屋震害分布図
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第3図 寸法平面図
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第4図 文化ビルの平面図
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地図 第5図 焼失分布図
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地図 第6図 中村町被害分布図
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第7図 渡川(四万十川)の鐵橋の破壊状況
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地図 第8図
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写真 安藝郡吉艮川町役傷は=イ(造船に使うもの)が耐震効果を発揮して被害を最小限度に止めた。
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写真 安藝郡吉艮川町役傷は=イ(造船に使うもの)が耐震効果を発揮して被害を最小限度に止めた。
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写真 高知市文化ビル階段が筋違の役をし一部分が残つたところ。
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写真 高知市新本町土藏が動搖振動した跡が石段でわかる
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写真 幡多郡中村町では一階が崩れて二階が地上に据つた家屋が多かった。このように破壊した家でも屋根瓦の損傷は極めて少かつた
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写真 幡多郡中村町に於ける被害家屋の基礎が不同沈下してコンクリートがグジヤグジャに破壊した一例。
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写真 幡多郡中村町ではいわゆる将棋倒の損害が多かつたがこの寫眞は隣家によりかゝつて迷惑を及ぼした一例。
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写真 幡多郡中村町は最大の震害地であるが屋根瓦は安全であつた

第二・南海地震による地變、津浪、震度と震害特に南海地震の特徴に就て

東大教授
理學博士
河角廣
助教授佐藤泰夫


昭秘21年12月21日南海地方に起つた大地震は過去に於て同地方に發生した大地震と全くその軌を一つにして起つたもので、地震學上極めて重大な示唆を與へたものであつた。即ちその規模に於て、その發生時機及び經過に於て、又それに伴つた地震及び津浪に於て、更に詳しく見るならばその震害分布に至るまで實に顯著な相似性を示したものであつた。
規模はその震域より見る時古來所謂五畿七道に亘る大地震と云はれたものに相當し、古來の大地震中の大地震で各地の震度分布より見る時、關東地震と、昭和8年の三陸大地震の中間に位し、筆者の規模指數7に當り、総エネルギーも10^25〜10^26エルグの程度と推定される。
又その發生時機及び経過より見れば、安政3年11月4〜5日(太陽暦12月23〜24日)の東海及び南海の地震より此の地方大地震の平均間隔約100年に近い92年を隔て、期節に於ては僅かに3日の差を以て起り、然もこの地方大地震の特徴たる、先づ東海に起り次いで南海といふ発生順序に於ても、昭和19年12月7日の東南海地震後2年にしてその西なる南海地域に發つたのである。斯くの如き例を拾ふならば正平(1361)の地震の前年には尾鷲より兵庫まで津浪の被害を及ぼした地震があり、明應地震(1498)の3年前には鎌倉をし地震津浪の記録がある。慶長(1605)及び寳永(1707)地震も今村博士によれば同様な二元地震であるといふ。
又歴史上此の地方最古の大地震たる白鳳(684)の地震も伊豆に於ける地變が記録されてゐるのは同様な事實を物語るものかも知れない。即ちこの地方の地震は東西の二元から同時若しくは2〜3年の間に續發する著しい特徴があるのであるが、その様な續發地震を一回と見れば14世紀以後この地方の大地震活動は(1360−1361)、(1495〜1498)、1605、1707、1854、(1944〜1946)の6回となり、その間隔は(135〜138)、107、102、147、(90〜92)、(平均約117)年となり、等間隔性は著しいものである。即ちこの事實は此の度の大地震が、起るべき時期に起るべき順序で起つたことを示すものと云ふべきであらう。


地變
次に此の地震に伴つた地變を見るに地震直後高知市附近、須崎附近及び宿毛附近に夫々930、309、及び300町歩に及ぶ地域に海水浸入があり室戸附近に於ては港の水深が減じ、いち早く地盤變動の實否が問題になつたが、その後筆者等及び水路局の測定により四國地方のみならず紀伊半島沿岸にも著しい地盤變動が實証せられた。今その大要を列記すれば次の通りである。但し地名の次の數宇は地盤變動量を米に示し「+」は隆起「−」は沈下を示す。
即ち鳥羽−0.26、尾鷲−0.2〜0.3、三木浦−0.6、浦神+0.6、潮岬+
0.6−0.9、文里−0.3、日濱−0.3、由良−0.16、加太−0.1、洲本−
0.15、福良−0.13、小松島−0.2、橘−0.2、由岐−0.9、淺川−0.9、甲
浦−0.4、椎名+0.8、津呂+0.8、浦戸−1.2、宇佐−0.9、須崎−1.2、
久禮〜0.5、清水+0.2、宿毛−0.3、であつた、尚高松の變動疑を零と假定した時の四國地方一等水準点の變動は地理調査所の昭和22〜23年の測量結果によれば大要第1圖に示す通りである。之等の結果は全く安政及び賓永大地震直後の變動と同様であつて、然もその後最近に及ぶ慢性の地殼變動の傾向と正反對のものである事は既に屡々今村博士によつて指摘された所であつた。
簡單に安政度の地變の情況を古記録及び今村博士等の調査からまとめて列記すれば次の通りである。


遠江國氣賀(濱名湖東北端)田畑2800石程度の場所汐下になる。
阿部川川水は泥の如く一咋日越し時よりは水嵩倍せり。
三河國幡豆郡吉田村、高島村、大島村、相木島村、等數ヶ所切込候
上潮時常よりも日々高く成時不順に而堤築立六ヶ敷急速に出來兼、
右村之内にも日々居宅棟之上迄潮滿込候者も有之難澁の由に候
志摩國之内44ヶ村、勢州領分之内3ヶ村
田畑荒高凡一万七百三十一石余、(但表汐高にて篤と致し候儀は難相分)
熊野長島日數15.6日の内潮慢々としてさし引も揃兼候得共漸く此頃(12月15日)に至り平日の並相成候、往來筋之田杯は今に地より一二尺宛水上り居り申候を多く見受け申候。是迄とは海の潮全体に相増と相見へ申候
勝浦町大震直後の水準變化認められず(小平孝雄氏)
上野(潮岬の一部落)地震津浪此方潮は常水よりも三四尺低しといふ由土人の話なり(古座町役場所藏地震洪浪の記)
潮岬村燈台附近隆起1米〜1.5米(小平)
江住村見老津一米隆起?
瀬戸鉛山汐2尺低下したり(小平)
新庄村地震後2年位は潮2.3尺高かりきと(甲寅津浪實記)
南部郷潮水平日よりも2.3尺高し(甲寅地震海翻之記)
由良汐3尺許高く相成るなり、但し後々小しづゝ直ると見ヘたり(毛綿屋平兵衛手記)
加太町地震前常に水面上に露出して居た岩地震直後滿潮時に於て水面下3尺の所まで沈みしといふ(小平)


徳島縣
豊益新田地震搖込み地面一圓下りて新田内間の田地大痛み辰巳新田は此地震で海揚の為に東海邊の堤防大半崩壊し地勢大いに下低したので斥鹵の地となり住民逃亡離散した。
黒津地の南新田大地震と大津浪の打撃を受けて全部破壊し海面に變じた。


高知縣
甲浦凡そ3尺の沈下(今村、地震3(1934)536)
室戸(四尺隆起)五日大地震後約四尺程減る(港役人久保家記録)
高知六日八つ時過北の丸堤切れ潮押入る潮江下地、農人町、新町下知は海と成地潮より三尺四、五寸高し。(11月28日)却而その
節より一尺余も多分に滿ち伊勢合屋數迄來り申し候、近江は大津邊まで日々潮床上江滿上り申候
(12月13日)潮はいまだ御家中邊迄、江廻りは不申及、江口邊にも滿上り、一向引下げ不申、先日同様の事
(12月17日)此頃に至り潮本に歸ると云、(地震日記)(尤數十日の後堤御普請ありしより不入)安政2年7月14日より風雨と成潮今去の中一番高く……(所々の)堤度々の高潮に切居候ゆえ……潮押入り大震の日より二尺高く平和の潮より都合五尺四、五寸(海邊は七尺)高かりしと云、自然菜園場前町へ上り、農人町、弘岡町、朝倉町、納屋堀、浦戸町は舟に乘る。(新町は土俵にて防ぐ)本御藏地形九反田は水底、材木町、紺屋町、新市蓮池町、山田町は東半丁許上る。南は潮江、西窪(少將様御釣御殿高潮小枌棟を拂ひ水底となる。當時定潮なりし故御毀になりし柱をはじめ天井まで牡蠣はみつきたりと)一面海となる。塩屋崎、高見竹島西孚潮は山根まで、北は陽貴山前堤一宮沖の堤所々切れ牛之助堤切潮押入、比島は山根まで江ノロは田丁に入り、愛宕町にも入、薊野、一呂、秦泉寺は田丁に入、下知(此夏は堤切れざる故新町へは潮入らず)堤所々切る。東は絶海葛島の大堤又々切れ、家頭、大島、葛島、新木、高須の田家軒を拂ふ、潮は山根まで(中道往來は葛島の山より油屋潮田の堤通り新木、高須の山を通り高須より鹿兒まで船渡しなり)、鹿兒、蒲島も同斷介良は在所まで下田衣笠は山根まで八助堤切れ潮は山根まで、下田川橋流る、北にては砂地(家數九軒)亡所の如し……
南にしては吸江人家坪まで入、御亭御成道打起築立の切岸地形まで薫る。五台山は山根まで。郭中は東堀詰より潮押入大手筋上は北御會所角限、尤此町會所東横丁より北は至つて低く舟にて往來す。内江の口、與力町、永國寺町まで外輪漕ゆく、大川端七軒町、東築所共堀内一面の海となる。本町は西ヘ一丁半程上る。溝は蛤丁まで上る、帶屋町、中島町、南與力町、片町潮は北御會所角より南見通限扨又南川は御旅所の西まで、北川は常通寺橋まで、久万川は將監殿橋迄、布師川は橋の上まで、大津川は關まで、下田川は衣笠迄のまへ込出高潮にて7月14日15日兩日山田橋より石淵までの大還往來止る。
上の加江一米程度の沈下記録(今村地震2卷6號)
宿毛堤研々切れ汐押込み御領分七所之場所不鮮様相聞き申候
愛媛縣西條津浪御本陣(御城)北御門川上まで(海岸より1500米)、潮の高さ三尺、その後連日路上二尺位まで上る。よし原陷沒沼
地となる(神野氏祖父談)
出雲國
継崎(杵築辰巳方半里程)一町七反地上り、一町八反余地下り一尺五寸
西戸村地上り、地沈み
大島村田畑一町一反少程二尺詐り地中へ沈む


以上地變は極めて廣範圍に互り遠江、伊勢、志摩、紀伊、阿波、土佐、伊豫から出雲に及んで居るが、之は東海及び南海の兩地震の結果であるが紀伊半島及び四國に於ける變化は今次の南海地震による地變に酷似してゐる。
次に寳永地震に件つた地變を見よう。


三河渥美郡赤昭、東伊古部、西伊古部、三四ヶ所五七町四方の海中に島出來。
新宮御城は大破……町も大破損なれども浪は入らず、地形を搖下げ候様有之候
田邊何地も地形を搖込み山なども低くなり候様に覺へ候
大坂津守新田之堤不殘切汐差込住居難相成候
室津港の深さ
港内港口
満潮干潮満潮干潮
(久保家記録)地震前 14尺 8.5尺 12尺 6.5尺
寳暦9年 8.7尺 3.6尺 6.9尺 2.2尺
變化量 5.3尺 4.9尺 5.1尺 4.3尺
津呂、室津の邊は七〜八尺も爾來より揺上げ高くなる。
香美郡芳原濱並松の外に古田出る畔の形顯然たり(但此の松林は昔より當所の墓地にして當々七、八尺堀ると雖も遂に如此土なし。是を以て相計れば深さ一丈の内ならん)
下田、衣笠、潮は田丁殘なし家は三ヶ二
五台山、吸江、潮は山まで
八ツ頭、葛島、高須、潮は山迄家は檐を沒し冬を経て干落ざれば居民所を失ひ山處穴居の様目もあてられず。
介良、大津、潮は田丁中半迄
商知御城廻り堤不殘打こえ押切り大潮人込み、眞如寺橋通以東悉く浸し、潮江、下知、新町、(新町分は往來床の上一間或は九尺潮いかり)江の口より西は小高坂、井口北は萬々、久万、秦泉寺、薊野、一宮、布師田東は介良大津(衣笠)の山の根まで一面の海となり舟ならでは通路なし。此の地震は城下6.7里がうち大地7.8尺許りゆり下げ低くなる。大門筋、帯屋町下より一二丁内唐網或はすくい網にて海魚數多とりし也、本町二丁目の横町まで汐來る。山田橋より石縁(淵)まで舟にて往来す。汐干の時は歩にて渡ると雖裸に不威は難通。寳永5年子正月4日より山田橋より石淵までの内往還御普請出来ず、比島より山田橋までの大道分繕ひ、塩田橋の詰より比島までの堤は新に築成し潮留す。
布師田潮は田丁中半迄
一宮潮は仁王門まで
薊野潮は田丁まで
比島潮は山まで家にも入る。
秦泉寺潮は田丁まで
汀ノ口潮は在所残なし、家には三ヶ二ヶ二二
潮江潮は山まで家にも
右内海分は初打入りし日より定潮となり干潮なし
渭の濱在所は盡く海に沒し深さ五尋六尋あれば別に記す事なし
福島上に同じ
龍亡所、青龍等客殿斗残る、蟹池海に沒す。
浦内潮田は海
東西奥浦潮田は海、
土崎亡所、民家田園海に沒す。
多之郷大間より名越の麓迄一面の海となる。
池内今在家の二つ石といふ所より海に連る。
須崎浦霜月下旬迄も汐不干ず、各八幡之原の東北たゝずといふ所に假に町地を割彼所に佐居す。大變前二つ石より沖の方15.6間町並な
れども大潮に地崩れ海二百余間地方へ寄町に不相成。
久禮市井三ヶ二海に沒す。
入野北濱松林の中間に古より潮滿ち來れば横20間斗の江灣あり高潮の後横四五丁の海となり田丁6丁程上み浪打際となる。
鍋島竹島、井澤、小津賀潮は田丁、窪田は海となる。
山名潮は田丁まで木戸は家盡く流れ、窪田は海となる。
眞崎田地不残毎になる。
下の加江濱より行程一里故の市井は海底に沈む。
以布利市井海に沒す。
湊田苑海に沒す。
宿毛田苑は海に沒す。
以上の結果を見るに今次の南海地震による變動と極めて酷似し、然もその程度は著しく大きい。最も確實なる資料は室津港の水深變化であるが、寳永度五尺、安政度四尺、今度は三尺隆起といふ所であらう。高知では賓永度、葛島、高須檐を沒す。とあり安政度では翌年7月15日同所の田家軒を拂ふと云ひ、高知市内に於ける浸永範圍も寳永度に本町二丁目横丁まで汐來るとあるに對し、安政2年7月15日には本町は西へ一丁半程上ると云ひ大差ないものと見なされる。然るにこの日は安政地震直後より二尺潮高く5尺4.5寸へと云ふ故、寳永度5尺4.5寸へ、安政度3尺4.5寸といふ所らしい。今次の大震では高知市附近は0.7米〜0.8米位であらう但しこの値は地震後4〜50日後の値である、即ち古來の此の地方の大地震に伴ふ地盤が極めてよく相似るのみならずその大きさは大体寳永、安政、昭和度が5:4:3位の程度である事が知られる。但し此處に考へた今次の高知の沈下量には地震前に此の附近が上昇して居た事が考慮に入れてないかも知れない。1895〜1939年の間に11cm上昇して居るし、その後の上昇も考慮に入れゝば上の値は約15cm位増すべきかも知れない。その上に地震直後の變動量は更にそれより大きかつた事は後に述べる事とする。
此處で重要な事は占來の地震毎に此の高知附近が大沈下を繰返して居るに不拘その地震時の浸水範圍が安政度は寳永度より狭く、今次は安政度と大差ない事である。即ち地盤は地震の時急激に變るがその後次の大震迄にその變動量の大部分回復してゐると云ふ事である。
それが高知附近の如き沈下地帯では水による泥の推積も考ヘられない事はないが市街地に於てその様な事は考へられずむしろ浸蝕があつた事であら