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巻頭寫眞

序1

一昨年三月三日深夜の夢を破つて突如三陸地方に激震に次ぐ津浪の襲來あり爲めに幾多の人命財産を損し其の慘状實に正視するに忍びざるものがあつた 災害直後 畏き邊より侍從御差遣救恤の資を御下賜あらせるれた
 聖恩廣大誠に感泣の外なかつた次第である
 又縣下は素より國の内外に渉り深甚の同情翕然として罹災地に集り爲に慮急救護の實を擧ぐることを得たことは永久に忘れ難い感謝である
 災害善後の措置に就ては地元町村縣廳其の他關係各廳青年團等の不眠不休に近い奉仕努力と殊に軍隊が最も迅速に救護復舊の端緒を開いて人心の安定に致された絶大の功勞とは全く涙なしには追想することの出來ない所である當時帝國議會は閉會に間近い頃であつたので予は特に取急いで復舊復興の案を樹て之を提げて上京
 石黒岩手縣知事と共に追加豫算として補助費を計上されんことを政府に懇請したのであるが中には期日の餘裕少きの故を以て其の無理なることを極言せられた向もあつたが災害の現状を知悉して居る自分等としては素より斯る説に耳を籍す譯にはゆかなかつたのであつたが遂に關係各省の熟烈なる配慮の下に追加豫算の提案を見るに至つた時の喜びと鈴木、若槻の兩氏が自分等に對し政府さへ適當の案を提出するならば一時間ででも衆議院は議決して見せると言明せられた熟意に對する感激とを今に忘るることが出來ない
 臨時議會への復舊復興の提案は理想としては不充分のものであつたらうが縣會に於て滿場感謝を以て迎へられたのであつて自分の長き地方官生活での空前のことであり如何にも地方官となつた甲斐があつた樣に深い感激に打たれたことであつた復舊復興の事に當りては轉禍爲編罹災地産業の振興と將來の災厄防止とを主眼とし殊に住家を安全地帯に移すことに重きを置いたのは災害に依つて痛切に訓へられた善後の一施設であつた
由來東北の地は天恵薄くして加ふるに災繭荐りに至る 今や東北振興の聲は天下の輿論たるの觀があるのも素より當然のことである 自然現象は人力の如何ともすべからざるものの如きも之れに基く慘害は智識と經驗との力に依つて其の程度を輕減することの出來ることは言ふ迄もない 科學の進歩限りなしとせば或は慘害の根絶も不可能で無からう
 人は歡樂に死して憂患に生く 東北人の剛健にして我慢強き性質は我が日本の大きな誇の一つである
 東北人は決して累年の災鍋に屈することの無いことを確信する 科學は東北の天地にこそ其の全威力を發揮すべきで無からうか やがて東北は東北人自身の不屈不撓の精神と科學の力とに依って立派に更生して希望の樂土と化することも不可能事であるまいと思はれる
 之を北歐諸國に就いて見ても其の土地必ずしも豊饒ではない其の氣候必ずしも適良とは云ひ難い 而かも彼等は深く自ら信じて他に依頼せず能く自然を克服して文化を建設し天恵厚き土地を支配して世界を濶歩せるにあらずや
 予は切に東北人各位の發憤奮起を祈望して已まないのである
本震嘯災害誌は繰返すことあるべき歴史の好資料とならずして繰返さない歴史の參考資料となり 東北人の感謝と奉仕努力の比類なき記録たらんことを切望する
 自分は震嘯災害當時乏きを宮城縣知事の職に承け微力を災害善後の措置に致した關係より宮城縣震嘯災害誌成れると聞き需めらるる儘に當時を追想し所感の一端を述べて序に代ふる次第である


昭和十年三月三日 文部次官 三邊長治

序2

昭和八年三月三日、三陸地方を襲つた震嘯災害は、未曾有の慘害であつて、幾多貴重な人命を奪ひ、巨額の財産を海底に没し去つたのである。
恰も予の宮城縣に任を承けたのは、災害復舊事業の緒に就いた際であつて、不幸の罹災縣民をして、一日も早く其の堵に安んぜしむるを要した。然るに被害範圍は極めて廣く、その程度も亦數十年來甞て見ざる慘状にして、微力これが復舊の任に堪ふるを得るやを疑つた次第であつた。幸にして 畏くも上皇室の優渥なる恩澤に浴し奉り、又政府當局及國の内外より寄せられたる絶大なる支援同情に加ふるに、同僚各位の寢食を忘れたる努力と、罹災縣民の不屈の奮闘により、克く此の難事業の進捗を圖るを得たのである。此の間、特に感激に堪えなかつたことは、東久邇第二師團長宮殿下に於かれては、沿岸住民の身上に御心を垂れさせ給ひ、親しく駕を罹災地に枉げさせられ、復舊復興状况の御視察を賜つたことで、此の光榮と感激とは三陸沿岸縣民の永く膽に銘じて忘れ得ない所であらう。
由來東北の地は天惠に乏しく、加ふるに災害の頻發は、地方の史を繙くものをして驚嘆措くこと能はざらしむるものがある、然るに、如何なる災厄に臨みても、常にこれを克服し、克く復興し得たのは、地方民が堅忍不拔の精神を以つて倦まず撓まず努力せる結果に外ならない。
今日東北民の特徴とも言ふべき剛健不屈の精紳は斯くして培はれたものとさへ思はれるのである。
今累年の困憊に重ねて、復た天の試練に遭ふや茫然自失爲す所を知らざる感があつた、然るにこの偉大なる傳統的精神は、罹災民をして奮起せしめ萬目蕭條の荒野と化したる郷土に、黙々として復舊復興の鍬を攝り、或は孜々として建設の槌を振ひ・日夜を分たず不撓不屈、營々として勵みたる結果は、震嘯二週年を迎ふるに際して舊態略々回復し、新興繁榮の地たるも將に近きにありと聞くを得るに至つた。天時不如地利、地利不如人和とか、天時常に惠まれざる東北に於ては
人和の貴重なる一層大なるものがある。
今後一般縣民は益々一致團結、隣保相扶の精神を體して刻苦淬勵、以つて地の不利を克服する事を得ば、樂土と化するも至難の業でないと信ずる。
記念すべき日に當り、震嘯災害誌成るを知り、茲に些か所懷を述べて序に代ふる次第である。


昭和十年三月三日  社會局長官 赤木朝治

序3

東北の天地は天惠に乏しきに、由來災禍の相亞ぎて臻るの難を負ふ事多し。
就中、昭和八年三月の、強震に伴へる津浪の害は、明治二十九年の慘害にも比すべきものにして、その害の及べる處一道・三縣に渉れり。狂壽一度迫るや、忽焉一瞬の間に、寄るべきの肉親を喪ひ、住むべきの屋舎を、はるか海上に浮游し去り、或ひは無策にして拱手傍觀し、或ひは仰天俯地慟哭せるもの、蜿蜒數十里の浦汀に充ちたり。その慘状は忽ちにして我國津々浦々に報導せられ、世人士は多大の同情と愛憐の實を致されたり。
然れども烏兎怱々、二周年の歳月は白駒の隙の如く過ぎ去り、一見あらゆる生活機能を喪失せる如く思惟せられし、三陸沿岸の民は、今や嬉々として、平和なる朝夕を迎へ、更新せられたる生業に活きつつあり。
これ、もとより、天恩の厚きと、同胞の心よりなる暖かき扶翼の力に據る處尠からずと雖、又、一に罹災民が、天譴に對ふるの自力更生の此處に至らしめたるを認めざるべからず。
然り、天惠薄く、而も天災多き東北地方民は、この自力更生による協同一致の和合にのみ因りて、天災の禍を轉じて、再興の樂土の福と爲し、捲土重來の意氣に燃ゆるを得るなり。
しかも、年月と共に、過去の苦難を忘れて苟安に狎れんとするは人情なり。
而して、古きを温ねて、新しきを知るは、すべてに通ずるの眞理なり。
今や、「宮城縣昭和震嘯誌」脱梓して、博く世に頒つに當り、同胞各位の同情に應ふると共に、一は以て將來の鑑戒たらんを期するは、又以て、かかる意圖に出づるに外ならず。
此處にいささか所懷を述べて序に代ふ。


昭和十年三月三日 半井 清

例言

一、本誌は昭和八年三月三日、三陸沿岸を襲へる震嘯災害に關する被害・應急措置及救護・復舊・復興の状况記述を中心とし、それに、追弔・記念事業・表彰・褒賞・關係作文・美談・實話等の附随的記事を含め、更に此地方の震嘯災の沿革・特性等についても、能ふ限りの資料を收録した。
一、本誌は昭和八年五月末、資料蒐集に着手し、翌昭和九年四月より本稿執筆にかかつたが、その間編者は、次の點につき豫想外の難關に逢着した。


(イ)本誌の如き、主として縣廳内各課の調査と盡力を第一基本となすべきものについても、廳内當務者の絶えざる移動は、豫定し置ける資料の蒐集の困難を伴ひ、まま全然不能になる事さへあつた。


(口)着手當時、一ケ年以内に完成すべき豫定であつた爲、各方面共に、資料の簡潔主義を以て宗としてゐたが、半頃當局の方針にも變更を來して、内容の相當委曲を盡せるものを作り上げる事に一新した爲、資料の再研討をする必要に迫られた。


(ハ)各町村に同一事項につき照會・調査を乞へるものにも、町村によつては、一向回答を寄せられないものもあつた。資料蒐集期間は、編者自らも罹災地に出張して、それ等の事情を聞訊すを得たが、原稿執筆後は、つひそれも出來かねて、最初豫定して置いた「各町村誌」の執筆が不能となつたのは遺憾であつた。


(ニ)最初の内は、切角起稿の興昧が油然と湧いて來る樣な場合でも、資料の種類によつては、數字の機械的計算二同一事項の反覆的複寫・謄寫等の必要に迫られて、執筆の迅速を期するを得ない憾があつた。


一、本誌の編纂に先だち、内務省社會局・東京府・神奈川縣・靜岡縣・千葉縣・京都府・兵庫縣・鹿児島縣・熊本縣・北海道廳等の編纂に係る「大正震災誌」、「東京府大正震災誌」、「紳奈川縣震災誌」、「靜岡縣大正震災誌」、「大正大震災の回顧と其の復興」、「奥丹後震災誌」、「北但震災誌」、「櫻島大正噴火誌」、「昭和二年熊本縣潮害誌」、「十勝岳爆發災害誌」等を參照、参考に資した處が多い。此處に誌して敬意を表する。
一、本誌の編纂については、最初阿部勝雄氏の援助を得、後に石田五郎氏の助力を受ける樣になつた。特に、石田氏が校正期間、日曜なると休日なるとを問はず、晝夜を頒たず、眼の赤くなる迄校正に從事され、毫も倦まれなかつたのは、今に感謝して餘りある處である。
又、目録・附録被害表等についても、兩氏の盡力に負ふ處が多い。
一、本誌は寫眞及圖面の一部を除いて、本稿第一編より第四編迄は、縣附屬印刷所に於て印刷に附したが、製本の迅速を期する爲、第五編のみは、之を東北印刷株式會社に依託した。從つて、本稿全部にわたつての通頁を探る事を得ない不便がある。この點各位の御寛恕を願ひ度い。
一、本誌の序文を半井知事より賜つたのはもとより、何れも前知事の職をうけられ、震嘯災勃發當時本縣に在任されて、逸早く善後措置の寄る處を定められた三邊文部次官、復舊・復興について寝食を忘れて盡力されし赤木社會局長官よりも、各々同樣序文を頂戴出來たので、本誌の光彩を一段と添へる事になつた。此處に謹んで御禮申上げる次第である。
一、題筌「宮城縣昭和震嘯誌」は、三邊文部次官に特にお願ひせるもの、表紙漁船の陸上打揚竝背面の波形圖案は畏友小笠原哲治君苦心の意匠になるものである。
一、寫眞は、編者自らも能ふ限り撮影竝蒐集したが、各新聞社より貸與されたものを許可を得て再録したものも亦尠くない。それ等については、轉載を快諾されし各社に深甚の謝意を表する。
一、第五編雜録所收の震嘯災關係論文中、國富信一博士のものは中央氣象臺發行「三陸沖強震及津浪報告」より、今村明恒博士の「地震漫談」は雜誌「地震」より、石本巳四雄博士、萩原尊禮學士共編の歐字論文は東京帝國大學「地震研究所彙報別冊」より、何れも執筆者の御承諾を得て轉載した。
尚、中村左衛門太郎博士の「昭和八年三月大津浪の地球物理學的觀測」の一稿は、博士が、編者の乞を容れられ、本誌のため特に起草されしもの、渡邊萬次郎博士のものは、本縣教育曾に寄せられ、林喬博士のものは廣く學界に發表されたものを、乞うて收録した。
一、「海嘯」なる現象は、多く海水の上層面に於ける攣化であり、「津浪」は、地攣動に伴ふ海底よりの大動揺なりとは、寧ろ今日の常識であらうが、官廳・町村役場等よりの報告類は、殆んど今回の災害を「海嘯」と云つて居り、之を一々「津浪」と改攣するのは、頗る煩はしい事である。加之、支那の古典には、まま今日「津浪」と呼ばるべき現象をも、「海嘯」なる語を以て表現してゐる例が散見されるのに鑑みれば、必らずしも文字にこだはる必要はないと思はれる。從つて、本誌に於てはこれを併用する事にした。
一、印刷が終了して、最初から通讀して見れば、隨分、杜撰な點もないわけではない。しかし、この一編にも多くの人の汗と苦心とがこもつて居ると考へれば、一種敬虔な氣持にさへうたれる。
殊に吾人は、常に「理想と現實」の遠いものである事を知つてゐる。それだけに、曲りなりにも、あの大震嘯災の一つの記念碑を樹立し得たかと思へば、感謝の涙さへも禁じ得ないのである。


昭和十年三月三日
編者 室谷精四郎

第一輯

一、聖旨傳達

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写真 正廳に於ける大金侍從の御下賜金傳達
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写真 縣會に於ける知事の御下賜金傳達報告
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写真 宮内省より縣宛の御下賜金傳達状

二、侍從・諸官の災害地視察

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写真 唐桑村只越に於ける侍從・知事一行(其の一)
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写真 唐桑村只越に於ける侍從・知事一行(其の二)
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写真 十五濱村巡察の後藤農相
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写真 三邊知事、齋藤内務政務次官に災害状況報告(於知事應接室)
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写真 齋藤内務政務次官の罹災地巡察(於大谷村)

三、縣會議員の災害地視察

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写真 罹災地視察の縣會議員一行(於唐桑村只越)

四、被害傍證

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石巻測候所仙臺出張所の三陸沖強震記象(ウイルヘルト上下動)
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写真 各新聞の震嘯記事
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写真 當時を偲ぶに足る電報
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写真 罹災地より災害状況通報齎來(氣仙沼署に飛來の傳書鳩)
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写真 傳書鳩齎來の通信紙(其の一)
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写真 傳書鳩齎來の通信紙(其の二)
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写真 傳書鳩齎來の通信紙(其の三)

五、廳内關係會議

富田文書課長
渡邊教育課長
郡庶務課長
草刈勝衛氏
千石順平氏
吉田潤平氏
富田廣重氏
小島眞助氏
澤口一郎氏
熊谷泰事郎氏
庄治作五郎氏
遣水祐四郎氏
北村文衛氏
佐々木靜氏
菊地養之輔氏
今村治三郎氏
若生書記
松本水産課長
北條衛生課長
鈴木警察部長
樺澤敬之助氏
加藤豹五郎氏
中島徳治氏
小野寺廣亮氏
朝倉松吉氏
高橋幸市氏
佐藤彌代二氏
南條秀夫氏
今川正氏
粟野豊助氏
飯塚千尋氏
伊藤土木課長
財津警務課長
小川會計課長
熊谷誠一氏
清水谷學務部長
大槻儀十郎氏
小野惣助氏
高城畊造氏
大槻(茂)副議長
伊丹議長
三邊知事
二見内務部長
山田甚助氏
小野儀左衛門氏
松山平兵衛氏
安藤源治郎氏
菊地明夫氏

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写真 廳内關係會議記念撮影
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写真 罹災町村長會議記念撮影
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写真 罹災地小學校長會議

六、被害

(イ)唐桑村
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写真 唐桑村大澤に於ける國富技師一行
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写真 唐桑村只越の慘状(其の一)
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写真 唐桑村只越の慘状(其の二)
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写真 唐桑村只越の慘状(其の三)
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写真 唐桑村小鯖の慘状
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写真 七歳と九歳との少年慘死體(於唐桑村小鯖)
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写真 唐桑村小鯖に於ける災害直後のバラック住居
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写真 唐桑村舞根の養蠣柵の流失
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写真 小流に沿ふ半潰家屋(於大島村長崎)
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写真 唐桑村松圃瀧濱海岸に地震後打ち上げられし巨岩
(口)大島村
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写真 大島村長崎に於ける巨船の乗り上げし岩
(ハ)大谷村
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写真 大谷村大谷の慘状
(二)階上村
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写真 階上村杉の下の慘状
(ホ)小泉村
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写真 小泉村二十一濱の慘状
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写真 小泉村二十一濱の死體取片付け
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写真 小泉村二十一濱の溺死せる馬
(へ)志津川町
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写真 志津川町潮見橋の破壞
(ト)歌津村
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写真 歌津村田ノ浦の慘状
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写真 歌津村田ノ浦、八幡神社神域に乘上げたる發動機船
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写真 歌津村名足の堤防破損
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写真 歌津村港の慘状
(チ)十三濱村
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写真 十三濱村相川の慘状
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写真 十三濱村相川小學校校庭の慘状
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写真 十三濱村小泊の破壞道路より相川部落遠望
(リ)大原村
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写真 大原村谷川の慘状
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写真 大原村鮫ノ浦の慘状(其の一)
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写真 大原村鮫ノ浦の慘状(其のニ)
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写真 大原村大谷川の慘状
(ヌ)鮎川村
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写真 鮎川村湊川の流失せる橋梁
(ル)女川町
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写真 女川町鷲神の慘状
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写真 女川町女川の浸水状況
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写真 女川町女川の慘状
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写真 女川町石濱の破壞家屋
(ヲ)十五濱村
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写真 十五濱村雄勝の慘状(其の一)
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写真 十五濱村雄勝の慘状(其のニ)
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写真 十五濱村雄勝の慘状(其の三)
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写真 焚火を圍む子供達(於十五濱村雄勝)
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写真 十五濱村船越の慘状
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写真 十五濱村荒海岸の慘状
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写真 子供の死體に取りすがって泣く親(於十五濱村荒)
(ワ)閑上町
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写真 浸水家屋と三邊知事(於閑上町)
(カ)坂元村
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写真 坂元村磯濱の慘害(其の一)
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写真 坂元村磯濱の慘害(其のニ)

七、避難

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写真 唐桑村只越、熊野神社前の避難民
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写真 唐桑村只越、八雲神社神域に避難中の子供達
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写真 唐桑村只越部落區長夫妻
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写真 避難民(於唐桑村)
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写真 唐桑村只越の避難民
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写真 海岸に茫然と立ちつくす志津川町の罹災家族の群れ

八、救護及應急措置

(イ)縣關係
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写真 鈴木警察部長の災害地巡察
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写真 縣廳社會課員徹夜の執務
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写真 仙臺驛前救護出張所
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写真 仙臺驛ホームに於ける救恤品輸送
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写真 志津川救護出張所(志津川警察署内)
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写真 三月三日夜の氣仙沼警察署員
(ロ)陸海軍
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写真 十五濱村に出動の工兵隊(其の一)
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写真 十五濱村に出動の工兵隊(其のニ)
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写真 歌津村に出動の工兵隊(其の一)
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写真 歌津村に出動の工兵隊(其の二)
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写真 驅逐艦「神風」及「雷」の出動(「神風」の勇姿)
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写真 驅逐艦「神風」及「雷」の出動(「雷」の救援出動準備-大觀-)
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写真 驅逐艦「神風」及「雷」の出動(雷の救援出動準備-局部-)
(ハ)その他の團體
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写真 日本赤十字社宮城支部救護班の出動(於唐桑村小鯖)
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写真 愛國婦人會宮城縣支部に於ける東北女子職業學校生徒の蒲團調製
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写真 宮城縣女子青年團員の蒲團調製
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写真 朴澤松操女學校生徒の裁縫奉仕
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写真 大原村谷川に於ける石巻義勇團の活躍
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写真 氣仙沼鹿折消防組の救援
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写真 氣仙沼消防組の活躍(三月三日朝於唐桑村只越)
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写真 十五濱村消防警備隊の活躍
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写真 仙臺市東二番丁青年團員の罹災地救援出動
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写真 少年團宮城聯盟の義金募集
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写真 慰問品を滿載して配給所を出發せんとする救世軍の慰問隊(於氣仙沼)
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写真 救世軍の「しるこ鍋」に集る罹災民(於唐桑村只越)
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写真 仙臺牧師會の幻燈會廣告(於唐桑村只越)
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写真 河北新報社の慰問班(於唐桑村宿)
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写真 氣仙沼驛に到着せる佐沼建築手組合救護班
(二)救護品の配給
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写真 帝都人士の同情(上野驛に於ける救恤品其の一)
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写真 帝都人士の同情(上野驛に於ける救恤品其の二)
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写真 仙臺驛に於ける救恤品
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写真 女川町の蒲團配給
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写真 氣仙沼町に於ける救護品の消毒
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写真 復舊バラック材料の積出し(於氣仙沼)
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写真 歌津村伊里前の配給準備
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写真 十五濱村雄勝に到着せる救護品
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写真 十三濱村相川西條貢方に於ける救護品の配給状况(三月三十日午後二時)
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写真 戸倉村折立に於ける救護品の配給
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写真 戸倉村波傳谷に於ける救護品の配給
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写真 罹災民に義捐金の配給をなしつつある東朝社の慰問使
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写真 東日本社へ慰品金に對する謝禮のため出掛けたる三邊知事

九、託兒所

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写真 十五濱村雄勝保育園(天雄寺内)
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写真 十五濱村雄勝保育園兒の遊戯(其の一)
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写真 十五濱村雄勝保育園兒の遊戯(其のニ)
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写真 唐桑村只越宇賀神社内の託兒所開所式
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写真 大原村鮫ノ浦託兒所(中央杖を手にせるは齋藤内務政務次官)
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写真 大原村谷川託兒所

十、追弔

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写真 唐桑村只越十三名の行方不明者の共葬(三月二十五日)
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写真 小泉村の大施餓鬼(其の一)
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写真 小泉村の大施餓鬼(其の二)
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写真 震嘯災一周年追悼會(於志津川町志津川座)
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写真 震嘯災一周年追悼會(於女川町黄金座)
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写真 震嘯災一周年記念追悼會に於ける表彰式(氣仙沼觀音寺にて)
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写真 善光寺主催の三陸震嘯追悼會

十一、復舊・復興

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写真 唐桑村只越の復舊バラック(災害後三日)
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写真 大原村谷川、谷川峠に於ける船材切出し
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写真 大原村谷川のバラック建築
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写真 大原村谷川の復舊工事
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写真 小泉村二十一濱の建築材料 其の一(三月二十八日)
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写真 小泉村二十一濱のバラック(三月二十八日)
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写真 歌津村田ノ浦のバラック材料製作
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写真 歌津村名足の復舊せる小船(三月二十九日)
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写真 歌津村田ノ浦の復興住宅
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写真 唐桑村只越の復興振り
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写真 女川町女川に於ける被害後の整理
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写真 十五濱村雄勝のバラツク建設
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写真 十五濱村雄勝に於ける疊屋の臨時出張所
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写真 十五濱村雄勝の復舊土木工事(其の一)
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写真 十五濱村雄勝の復舊土木工事(其の二)
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写真 十五濱村雄勝の復舊土木工事(其の三)
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写真 復舊せる電柱(於十五濱村雄勝)
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写真 復舊工事從事中の電工(於十五濱村雄勝)
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写真 護岸堤防に沿ひ土砂運搬の馬車(於十五濱村雄勝)
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写真 雄勝裏山の土砂運搬
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写真 新築郵便局舎敷地(於十五濱村雄勝)
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写真 歌津村名足のバラック商店
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写真 坂元村磯濱の縣護岸工事
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写真 坂元村に於ける縣營バラック
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写真 十三濱村相川の復興(宅地造成)
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写真 十三濱村相川小學校に於ける震嘯罹災記念文庫
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写真 歌津村名足小學校に於ける震嘯罹災記念文庫
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写真 女川町女川小學校に於ける震嘯罹災記念文庫

十二、縣土木工事(災害當時と復舊後との比較)

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写真 (イ)女川町石濱(當時)
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写真 (イ)同上(現在)
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写真 (口)大原村谷川(當時)
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写真 (口)同上(現在)
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写真 (ハ)大原村谷川(當時)
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写真 (ハ)同上(現在)
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写真 (二)大原村谷川(當時)
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写真 (二)同上(現在)
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写真 (ホ)大原村大谷川(當時)
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写真 (ホ)同上(現在)
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写真 (へ)大原村大谷川(當時)
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写真 (へ)同上(現在)
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写真 (ト)大原村大谷川(當時)
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写真 (ト)同上(現在)
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写真 (チ)大原村鮫ノ浦(當時)
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写真 (チ)同上(現在)
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写真 (リ)十三濱村月濱(當時)
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写真 (リ)同上(現在)

第二輯

一、災害史

巖手縣 青森縣 宮城縣
大海嘯畫報


「明治二十九年六月十五日(陰暦五月五日)怒濤天を捲いて襲來し其勢ひ猛烈にして實に五千餘の家屋海底に沈み三萬餘の死屍波間に葬らる此悲慘の境界に一生を全ふする者あるも家無く食なく家族なく財産なし負傷者は痛に斃れ健康者は饑に迫る其の慘状實に酸鼻の至り也■に赤十字社の如きは夙く災地へ醫員を出張せしめ能く之を看護し四方の有志者は財を抛うって能く之を救恤せらるるも如何せん被害區域の廣き爲め未だ二分の潤澤も現はれず同胞相憐の情ある人は萬費を省略して罹災人民を救濟せられんことを切に勸誘する所なり」


明治二十九年七月 日印刷 日發行


臨寫印刷兼發行者
日本橋區長谷川丁九バンチ
福田初次郎


と、繪中に記載あり。


小國政


明治二十九年地震・津浪のポンチ繪(其の一)


明治二十九年
三陸大海嘯實况


「時は惟れ明治二十九年六月十五日岩手宮城青森の三縣海邊に起りし大海嘯は實に猛烈を極めたり此日は恰も舊暦の端午にて家族友人相會し宴飲歡を盡しつつありしが突然沖合に當つて巨砲を發したるが如き響あり人々怪み屋外に出んとする一瞬間數丈の狂瀾襲ひ來り三萬に近き人命を家屋と共に一掃せり幸に逃れしも或は爲に不具となり或は食ふに粟なく其慘憺悽愴たるの状能く筆舌の盡す所にあらず
弊堂今回稀有の大海嘯實況を出版して博く天下の仁人に照會し此同胞目前の急を救助するの義務を盡せられんことを希望す」


明治二十九年七月一日印刷  日發行


臨寫印刷兼發行者
日本橋區長谷殉丁九バンチ
福田初次郎


と、繪中に記載あり。


小國政(梅堂)晝


明治二十九年地震・津浪のポンチ繪(其の二)

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写真 安政三年大津浪の記録
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写真 明治二十九年地震・津浪のポンチ繪(其の一)
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写真 明治二十九年地震・津浪のポンチ繪(其の二)
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写真 明治二十九年地震・津浪に關する書類・過去帳・記録等(其の一)
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写真 明治二十九年地震・津浪に關する書類・過去帳・記録等(其の二)
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写真 明治二十九年地震・津浪に關する書類・過去帳・記録等(其の三)
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写真 明治二十九年地震・津浪に關する書類・過去帳・記録等(其の四)

二、他道縣

(イ)岩手縣
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写真 釜石港の慘状
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写真 田老村の郵便局假局舎
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写真 釜石町役場前の無料診療ポスター
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写真 氣仙郡長部湊に於ける犠牲者の柩
(口)青森縣
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写真 種市郵便局の簡易保險竝郵便貯金の非常局待拂
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写真 八戸線、八木川橋梁の流失
(ハ)北海道
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写真 庶野村の津浪による慘状

三、震嘯災記念碑

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写真 牡鹿郡女川町の震嘯災記念碑
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写真 牡鹿郡荻濱村の震嘯災記念碑

特輯 東久邇宮第二師團長殿下の御視察

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写真 「貞山丸」にて大原村、谷川より鮫ノ浦に向はるる殿下(於谷川謹寫)
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写真 十五濱村に於て佐藤村長の説明をきこし召す殿下(於雄勝謹寫)

卷頭地圖・圖面・統計圖等

一、地圖

十五濱村雄勝ノ住宅適地造成關係圖


I.宮城縣十五濱村雄勝


本部落は雄勝灣に臨み、高峻なる山崖を背ひたる狹隘なる地に位し、縣道を挾み細長き帶状街衢をなす。明治二十九年津浪高滿潮面上3.6米、流失倒壞戸數119戸、死傷226人に達せしも、津浪災害豫防に關する全面的對策の講ぜられしものなく、昭和八年津浪(波高3.85米)に依り、流失倒壤361棟、浸水206棟、死亡9人を出せり。要移轉戸數226戸、本部落附近に之を収容し得る適當の地を選定し得ざるを以て、舊宅地を地上げし、敷地を造成す。雄勝灣は波高並に衝撃力共に此較的強大ならざる灣形なるを以て、敷地計畫高昭和八年津浪高と同高とし現地盤より最大3.00米の地盛をなし、盛土法面は凡て石積とす。敷地造成面積15,520坪、内道路、水路面積1,125坪なり。


II.宮城縣十五濱村船渡


舊部落後方高台畑地を昭和八年津浪面上8.05米に地均し、34戸を移轉せしむ。敷地造成面積2,702坪、内道路面積767坪なり。


十三濱村相川ノ住宅適地造成關係圖


宮城縣十三濱村相川
明治二十九年波高5.8米(平均滿潮位上)の津浪に依り流失、倒壤戸數42戸、死傷194人に建したるも復興防浪の施設に看る可きものなく、昭利八年波高4.1米の津浪にて流失倒壤40戸、死傷4人を算す、造成敷地は相川部落北方約500米を隔つる高地に選定し、面積約2,313坪の敷地を造成し、29戸を移轉せしむ。敷地計畫高滿潮面上31米。

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地図 (一)三陸沿岸及北海道南部地勢圖 震源地及被害地帶
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地図 (二)震央及等發震時線圖 (中央氣象臺)
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地図 (三)師團  宮城縣  日赤支部 救護班所在地圖 (三月四日午後十時ニ於ケル状况)
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地図 (四)宮城縣震嘯關係方面圏 (其ノ一) 各部落人口、流失、倒潰家屋、死者、行方不明者數人
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地図 (五)宮城縣震嘯關係方面圖 (其ノ二) (縣土木部河港課調査)  三陸津浪浸水面積及津浪ノ高サ圖 明治二十九年津浪區域及津浪ノ高サトモ比較
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地図 (六)十五濱村雄勝震嘯圖 (十五濱村役場調査)
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地図 (七)三遷セル唐桑村只越部落圖 津浪ニ依ッテ道路、家並ノ變化セル例 (唐桑村只越、龜谷孝治郎調査)
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凡例
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地図 (八)十五濱村雄勝ノ住宅適地造成關係圖
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写真 宮城縣 十五濱村 雄勝及般戸 昭和八年七月二十三日撮影 縮尺五千分ノ一
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地図 (八)十三濱村相川ノ住宅適地造成關係圖
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写真 宮城縣 十五濱村 相川 昭和八年七月二十三日撮影 縮尺五千分ノ一
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地図 (八)大原村谷川ノ住宅適地造成關係圖
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写真 宮城縣 大原村 谷川 昭和八年七月二十三日撮影 縮尺五千分ノ一

二、圖面

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(一)震嘯關係地ノ驗潮圖 檢潮儀記象 (桃生郡月濱、石卷、北上川口、牡鹿郡鮎川、鹽釜港口花淵、鹽釜港内尾島)
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(二)標本的バラック設計圖
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(三)標本的記念館設計圖

三、統計圖

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(一)罹災町村別死者及負傷者統計圖
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(二)震嘯被害統計圖  農、漁、商工業等被害類別

四、十五濱村荒部落罹災圖

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十五濱村荒部落罹災圖説明
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地図 凡例
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更生の郷土建設へ

本文

第一編 總説

第一章 概説

第一節 今回の地震と津浪
I 概觀

昭和八年三月三日の未明、午前二時三十二分に發せる外側帶性強震は、北、北海道より、南、近畿地方に至る地域に渉りて、人體に感ずる程度のものなりしが、これより約三十分後に「三陸沿岸」を襲へる津浪は、須臾にして、猛威を振ひ、堤防を破り、丘を越え、河川を溯りて、無數の家屋を流失・倒潰し、多くの人命を毀損し、財寳を喪はしめ、船舶を流失せしむる等一帶の地をして阿鼻叫喚の巷たらしめたり。其の被害の及べる處、北海道・青森・岩手・宮城の一道・三縣の六十七ケ町村三百六十二部落に渉り、死者三千に垂んとし、負傷者又夥しき數に上れり。
今回の地震の震度分布は、去る大正十二年九月一日の關東大地震に比して、規模廣大なるも、震源地は、陸を去る二百八十粁前後(石卷測候所調査)の海中に在りしを以て、陸上に及ぼせる影響は前者の如く激しからず。
山丘の崩壤、地割れの如きも數多からず、地震其のものにょる被害の如きは、仙臺市に於て、強震に驚きて心臓麻痺を起せし者一名、北海道石狩國三笠山村彌生炭坑に於て、地震による落盤の爲、其の下敷となりて即死せし者一名あるに過ぎざりしも、之に伴へる津浪こそ,慘害をして甚大ならしめたるものなり。

II 震嘯發生當日前後の天候概况

昭和八年二月二十八日夜半より三月一日畫にかけ、低氣壓は、北海道を通過してオホック海に入り、叉本州の南方洋上を二個の低氣壓相踵ぎて東に通過せる後、熱河方面に七七一粍の高氣壓現れ、一日夕刻の等壓線の走向は、臺灣より琉球内地に沿へる北東に走り、奥羽より北西に曲りて、黒龍江方面に向へり。この傾向は三月二日より三日早朝迄持續したり。
三月二日午後六時には、高氣壓の中心は依然として遼河流域にありて七七三粍を示し、カムチヤッカ南端には七五○粍内外の低氣壓ありて東進中なりき。
房總沖と北陸沿岸には小不連續線あり、鹿島灘と若狭灣沿岸にては小雨降り、秋田・青森にては小雪ありき。その他の各地は一般に晴曇相半し、等温線の走向は略西より東に向ひ、八丈島にて十度、福島にて一度、宮古氷點下二度、浦河氷點下五度、大泊氷點下十度なりき。
三月三日午前六時に於て、高氣壓の中心稍東に移動して、鮮滿國境にあり、低氣壓はカムチヤッカ方面に一つ、支那東海に新に發生せるもののみなりき。
天候は一般に曇なりしも、北陸より北海道西部にかけ小雪降り、關東地方北部より北海道西部にかけ小雪降り、關東地方北部より北海道東部に至る所謂「表日本」は晴天なりき。
地震前後の震源地附近に於る氣壓傾度、三月二日午後六時、三月三日午前六時の各地の氣壓、氣温表及び天氣圖を左に掲載せん。氣厭傾度は、宮古・盛岡・石卷各測候所測定の氣壓により算出せるものなり。(中央氣象臺豫報掛)

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昭和八年三月二日十八時 天氣圖
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氣壓傾度の表
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昭和八年三月三日六時 天気圖
III 震嘯發生の前兆

古來、天災地變の發生前には、其の前兆屡ありと謂はるるものなるが、以下各方面の調査に基き、其の二、三を擧げん。


一、自然現象の異變
イ、井戸水の涸渇及び混濁
明治二十九年 岩手縣大槌町・同縣氣仙郡越喜來村・同縣同郡白濱村
昭和八年 本吉郡唐桑村大澤・同郡同村崎濱・同郡大島村の各地
ロ、潮汐の變化
明治二十九年 岩手縣宮古町 - 海嘯七時間前に大干潮
本吉郡御嶽村 海岸 - 海嘯四時間前に干汐、平時十尋水深の處迄干潟
同郡志津川町 - 海嘯二日前に灣内の汐流に大變化ありしが當日は大干汐あり。
昭和八年 本吉郡階上村・大島村・唐桑村 - 二三日前より干汐甚しくなり、海嘯直前には稀有の大干汐あり。なほ同地沿岸の小漁業者の談に據れば、二三日前より水温急に上昇すと。
ハ、音響及怪光
明治二十九年 青森縣百石町一川目にて、海嘯前、連夜海上に怪光あり。
同縣三澤村四川目にて、海嘯二日前に、大砲の如き音響あり。
岩手縣氣仙郡綾里村に、砲聲の如き音響を聞き、續いて、白煙の灣内上空を掩ふを見たり。
本吉郡唐桑村一帶に、沖の方にて、「ハッパ」の如き音を聞く。
昭和八年 本吉郡唐桑村・大島村・階上村一帶に二三日前沖鳴するを聞く。
同地方に海嘯三十分前、大音響を聞く。
同地方に、海嘯時、波頭に光物を屡認む。


二、水産生物の異變
一、鯰 地震前には集燥凡そ止むことなし。
鯰と地震との關係につきては、東北帝大理學部の畑井新喜司教授、目下研究中なり、
二、鰮 安政三年、明治二十九年共に大漁續き、今回は、昭和七年十月頃より昭和八年二月迄大漁あり。
三、いか 明治二十九年、昭和八年兩度共、海嘯後稀なる豐漁あり。仍て、「三陸地方」に、「いわしで倒され、いかで活き返る。」の俚諺あり。
四、鮑 海嘯前、鮑の海岸に掲りしものありしは、明治二十九年も今回も同じ。
五、鰻 明治二十九年海嘯前には、岩手縣上閉伊・下閉伊沿岸に、昭和八年には、海嘯前二十日位に鰻の密集を見たり。
六、其他 蛸、川菜等の來游・發生あり。


三、陸棲生物の變化
一、鼠 海嘯の二、三日前より、從來多かりし家鼠かげをひそむ。 (本吉郡鹿折村・唐桑村)
畑鼠急にかげをひそむ、 (本吉郡唐桑村)
二、猫 海嘯二日前より、猫戸外に出でず、家内にて平常より柔和なり。(本吉郡大島村)
三、烏 海嘯四、五日前より、烏、澤山集合して啼鳴す。(本吉郡唐桑村大澤)
四、雉 海嘯前日、雉さかんに鳴く。海嘯後は全く耳にせず。(本吉郡松岩村・大島村・鹿折村)
五、蜂、其の他 海嘯後蜜蜂、急に姿をかくす。(本吉郡大島村)
海嘯前、虫類澤山沿岸にあらはる。(本吉郡鹿折村鶴浦)

IV 震災地踏査班

(イ)-東北帝國大學-
東北帝國大學理學部地球物理學教室主任教授中村左衞門太郎博士は、震嘯直後、加藤助手を伴ひ、罹災地に出張、次の日程により、津浪現象の一般的性質の調査に當れり。
三月三日 閖上
三月四日 - 同六日 志津川-歌津-氣仙沼-唐桑
三月二十五日 - 同三十日 大谷 - 高田 - 廣田 - 盛 - 綾里 - 吉濱 - 釜石 - 鵜住居
四月四日 女川 - 雄勝
四月七日 八戸
四月十日 坂元
四月十一日 - 同十四日 大原 - 十五濱 - 十三濱
又、同學部地質學古生物學教室の田山利三郎講師は、江口・馬淵兩理學士と共に、三月四日出發、田山講師は岩手縣宮古より釜石迄、江口學士は、宮古・鮫間を、馬淵學士は、釜石以南、金華山、石卷に至る本縣下被害地を、同教室學生職員一同は、石巻以南阿武隈川口に至る區域を、各分擔調査にあたり、約八日乃至二週間の後、歸仙せり。之等は何れも、その結果を關係機關誌或は新聞を通じて發表する處ありき。
又、四月三日は、中央竝地方に於ける著名なる地震學者、東北帝國大學學士會館を會場とせる日本數學物理學會に集合せるが、その後、「三陸沿岸」の罹災地を、左の二班に分ちて實地踏査をなし、災害状况を充分調査する處ありき。


(A班)
中村左衞門太郎博士
林喬博士
箕作新六博士
田中舘秀三學士
小安正三氏


(B班)
石本巳四雄博士
松澤武雄博士
今村明恒博士
坪井忠二助教授
鈴木清太郎氏
伊藤陸之助氏
山口生知氏
三浦幸平氏


(ロ)-中央氣象臺-
中央氣象臺にては、「三陸沿岸」の震嘯災害を聽くや、直に國富技師を本縣下に、本多技師を岩手縣下の罹災地調査に、夫々出張せしめたり。國富技師は、竹花技手と共に、本縣下本吉・桃生二郡下の志津川・歌津・小泉・大谷・階上・唐桑・戸倉・十五濱等の各町村につき、約一週間に亘りて詳細に實地踏査をなし、別に鷺坂技手は牡鹿半島方面に、石川技手は唐桑村の一部及び大島村に出張の上、各踏査の結果を報告する處ありき。

第二節 罹災地の地勢及歴史
I 罹災地の地勢及歴史

イ「三陸地方」の地勢
所謂「三陸」とは陸奥・陸中・陸前三ケ國の總稱なるも、その沿岸一帶に、古來、地震・津浪の害多きを以て、「三陸」と云へば、直に此の三國を聯想するに至れり。
「三陸の沿岸」たるや、北、青森縣八戸市の東なる鮫岬より、南、宮城縣なる牡鹿半島に至る沿岸は、本邦に於ても、最も凸凹の激しき沿岸にして、西側は、直に北上の褶曲山脈迫りて、海中に沒し、ここに所謂「リアス式沿岸」を構成せり。
此等海岸に沿ひ、V字形をなして、太平洋に向ひて開口せる小灣は、灣口より内部に入るに從ひ、水深俄に淺くなるを以て、津浪を釀成し易し。


ロ、磐城國(宮城縣の部)の地勢
「三陸」以外の地にして、津浪の滲害を蒙れるものは、磐城國沿岸の一部にして、實に本縣管轄下亘理郡に屬する地域なり。この方面の海岸線は、金華山以北の、灣入、屈折島嶼碁布せる複雜なる海岸線に比して、全く單調にして、恰も双曲線の一をなすが如く、しかも砂濱相連りて、地位の高低尠し。


ハ、「三陸海岸」の特性
「三陸海岸」の特相は、この沿岸が古來屡次、地震に伴ふ津浪に惱まされたる所以を説明するに足るものあり。
仍て、次に、東北帝國大學理學部教授渡邊博士の之に關する記述を借りん。
-石巻の東南海上には、牡鹿半島が遠く南に突出する。これから以北、所謂「三陸の海岸」は、北上山地の、海に臨んだ部分であつて、等しく東北の東海岸でも、阿武隈山地の東を縁どる「常磐地方の海岸」とは、その趣を一變する。
「常磐地方」に於ては、挾い段丘地帶が阿武隈山地の東麓に續いて、眞直に續いた斷崖を以て海に臨み、壯年期に屬する隆起海岸の特徴を發揮してゐる。しかるに、「三陸海岸」に至つては、複雜に形成せられた北上山地の山谷、直に海に臨み、谷には海を入れて港灣となり、山はそのまま水に突き出して岬角となり、島嶼となり、「リアス式沈降性海岸」の特徴を具備してゐる。
但し「三陸海岸」と雖、必ずしも沈降のみを續けたとはいへぬ。例へば、氣仙沼灣の沿岸にしても、市街の南側から階上村方面、灣口大島の南半、唐桑半島の南端等には立派な海岸段丘が見られ、海蝕面が數十米も隆起した事を示してゐるが、この段丘面さへも、複雜なる沈降性海岸の一出一入に沿うたもので、且それ自身再び開析せられて沈降を繰返し、氣仙沼の神明崎では石灰洞が海に沈んでゐる。
要之、「三陸海岸」の最大の特相は複雜なる山地の邊縁が海中に沈降して生じた鋸齒の様な出入である。これがある爲に、「三陸海岸」は到るところ景勝に富む。牡鹿半島から金華山一帶、氣仙沼灣から廣田灣、大船渡灣と並んだ一帶、宮古に近い淨土ケ濱等、何れも、到底「常磐地方」には見られぬ景勝に富む海岸である。
また、この出入あるが爲に、「三陸海岸」には良港・深灣が多い。女川、志津川、氣仙沼、大船渡、釜石、山田、宮古、何れも灣内水深く、風波に對して安全である。大船渡灣の東岸にあるセメント用石灰岩の石切場で、三千トン級の船が、何等築港の要なくして天然の岸壁に横着けされる如きは、これを最も雄辯に物語るものと云つてよい。しかも一面に於ては、この出入あるが爲に、隣接諸濱、一々長角に隔てられ、その先端は斷崖をなして人を通ぜず、數里の近きにある港灣間の聯絡さへ、岬を廻る長い海路か、山腹を辿々と越ゆる山道に頼らねばならず、未だ充分なる沿海道路も鐵道も出來ない。加之、北上流域の交通路とは、北上山地數十粁の山道を以て僅に連絡せられるだけで、之を貫く鐵道としては、大船渡線が開通して居るに過ぎない。
これを以て、「三陸海岸」は景勝に富むと雖、未だ大いに世に知られたるもの少く、良港多數連りながら、未だ大に利用せられず、交通の不便と後方地帶の挾隘とは、之を産業の門戸たらしむるに至らなかつた。
然しながらその海上は塞暖二流の會する所で、魚族極めて豊富な爲、これ等の諸港は、漁船の根據地として重要性を保ち、「三陸汽船」の定期航行によつて、その相互の聯絡竝塩釜港との聯絡を保つてゐた。
然るに、今や大船渡線の北上山地横斷を見、山田線又宮古迄開通し、岩手輕鐵と釜石鐵道とは、將に政府の手に歸して、仙人峠のトンネルを以て連ねられんとし、久慈線、又北からこの海岸を延びるに至つた。「三陸海岸」の面目を一新する日も遠くはあるまい-と。
(渡邊萬次郎博士述「三陸の海岸」、新光社發行、日本地理風俗大系、關東北部及奥羽篇所收)

II 「三陸地方」の歴史

往古文献少く、叉、今日に傳はる處極めて尠きを以て、東北邊輙の事情の良く傳へらるるもの稀なり。


イ、古代
現在の「三陸沿岸」に起れる事實ならんと思惟せらるる史實の最も古きものは、續日本紀の元正天皇靈龜元年(一三七五年)冬十月丁丑(二十九日)の條の記事なり。
これに據れば、陸奥蝦夷第三等邑良志別君宇蘇彌奈等言。親族死亡子孫數人。常恐レ被二狄徒抄略一乎。請於二香河村一。造二-建郡家一。爲二編戸民一。永保二安堵一。叉蝦夷須賀君古麻比留等言。先祖以來貢献昆布。常採二此地一。年時不レ闕。今國府郭下。相去道遠。往還累レ旬。甚多二辛苦一。請於二閇村一。便建二郡家一。同二於百姓一。共率二親族一。永不レ闕レ貢。並許レ之。
とあり。
この記事に關して、諸説あるも、要之、我國に馴服せる蝦夷が、水産物の豐富なる「三陸沿海」に於て建郡し、中央政府に封して、進貢せる事實を傳ふるものにして、十數世紀を隔つる奈良朝時代に於て、皇威の既にかかる僻地に迄遍ねかりしを示すものなり、嵯峨天皇の弘仁二年(一四七一年)三月、陸奥出羽按察使文室朝臣綿麻呂は、陸奥・出羽兩國の兵二萬六千人を以て、爾薩體・幣伊二村の蝦夷を征伐し、同年七月、閇村の俘囚と貳薩體の村夷との間に内訌あり、出羽國司は、この機會を以て、「賊を以て賊を伐つ」の策により討夷すべきを献言せり。
なほ同年十二月の、蝦夷征伐戰捷報告の宣命には、「遠閇伊村乎極弓。略掃除……云々」とあり。即ち、王朝政治伸張の平安朝初期に於て、「三陸地方」たるべき閇伊村(或は閇村、幣伊村)は、夷賊の根據地たりしと共に、征夷軍の到達せし極奥の地方たりしなり。
而して、北海道方面居住の蝦夷ならんと想はるるものがこの頃「三陸沿海」に來往したるものならんと考へらるるは、次の記事に照して明かなり。
陸奥國言。渡島狄二百餘人。來着部下氣仙郡。非當國所管。令之歸去。狄等云。時是寒節。海路難越。願候來春。欲歸本郷者。許レ之。留住之間。宜レ給二衣粮一。(日本後紀、弘仁元年十月甲午の條)
此の地方の都市村落の分布は、到底近畿・中國の如く、聚落的分布を見る能はざりしも、水産物の豐饒なる、巨石・山神の崇拜多き、又は異民族の神をその儘同化せる等の關係、加之、此の地方に西國より移住せる集團が、各郷里より齎來せる氏神とも謂ふべきものを祭祀せるものの中、國家より奉幣せる「式内社」の分布状態より見れば、昔時に於て、現今の岩手縣氣仙郡迄に至る沿岸及び孤島に於て、地方民崇拜の對照となりし神の祭祀せられし事を認めらる。
その後この沿岸地方に關しては、見るべきの文献なきも、醍醐天皇の延喜年間(一五六○年代)撰進せられし「延喜式神名帳第九・第十」所載「東山道陸奥國の神社分布状態」によりて見るに、「三陸沿岸」に於ても、尠からず官・國幣神社の祭祀せられしを知るを得べし。
「式内社」の分布より觀たる「三陸沿岸」
奈良朝時代の正史に見ゆる海道は、現在の仙臺市に近き多賀城より、石卷市を經、北上川に沿ふ十數里に及べるものの如く、金華山以北の「三陸沿岸」は、自然、地理的制約によりて、この海道よりは幾分相距るものの如し。
されど、「延喜式神名帳」に於て、官・國幣の神社は、牡鹿郡に十座、桃生郡に六座、氣仙郡に三座見えたり。
之等「式内社」の位置は、文献の徴するもの尠く、且つ、十世紀を隔つる今日に於て、到底その眞僞を遽に決定し難きも諸學者の諸説を綜合して、關係神社の今日祭祀せらるるものを見ん。之等「式内社」を列擧すれば、左の如し。


之によつて見れば、金華山以北の交通不便なる「三陸沿岸」に於て、既に十世紀前、中央政府より奉幣せる神社の祭祀せられたるもの尠からず、漁業・鑛業等の生産物多き爲、畿内・東海・北陸方面の住民夙に移住したると、蝦夷を中心とせる先住民族馴服の必要上、山嶽、巨石等の自然物崇拜の風習をその儘遺存せしめたるものならん。
源順撰(一五八○年頃)の「和名抄」に據れば、所謂「三陸地方」と謂はるる方面の郷は左記の如く十を以て數へられたり。


ロ、中世
東北の歴史は、中世に於て特に不明の點多く、據るべきの記録、亦、散佚して多く傳はらず。殊に、「三陸沿岸」の如きは殆んど口碑・傅説を索ね、或は、實地踏査による綜合的史觀によらざれば、之を分明にするを得ず。
大小の灣入櫛比し、地形相入錯綜せる點より推して、全國を通じて現はれたる分散・割據的現象は、「三陸沿岸」に於ても遺憾なく現はれたるものと考へらる。沿岸には、内部山地に於けると同様、「舘」なる地名多く、その地には、空堀、土手等設けられ、地方民、それ等の地に、義家・秀衡等の傳説を附會す。
今、本縣「三陸沿岸」に於て、中世の豪族の據りし城郭の跡と認めらるるものを次に擧げん。
又、沿岸の地名、唐桑、唐丹、越喜來等支那の國名に倣ひしものある點と、この地方に、古來、歸化人不尠むねの口碑あるものとより合考すれば、何時の頃にか、沿岸住民と呉・越商人との間に、商賈の往來ありしものとも推量さる。
特に、一部學者によつて唱導せらるるは、平泉に於ける「藤原氏三代榮華」の經濟的基調は、「三陸沿岸」を通じて、支那商人との間に貿易行はれ、物資の供給盛んなりしが爲なりと。
その眞僞は、暫く措くも、本縣管内本吉郡下には、秀衡の傳説に富む處多く、殊に郡下の田束山は、本吉郡の總鎭守として官民の崇敬厚く、藤原秀衡は、この山顛に、七堂伽藍を建立し、四十八坊を置きたり(歌津村村誌)と傳ふるは、興味ある事實なり。
「吾妻鏡」を見るに、平泉倉庫内の寳物を擧げたり。沈紫壇以下唐木厨子數脚ありて、
「牛玉、犀角、象牙笛、水牛角、紺瑠璃等、笏、金沓、玉幡、金華鬘、蜀江の錦の直垂、不縫帷、金造鷄、銀造猫、瑠璃燈爐、南廷白、及錦繍綾羅」
を容れたり。之等は敦れも外國品なり。仍て藤原氏は宋と貿易したらんとの説起り、これは氣仙郡唐丹より貿易船出發したるものなりとの傳説あり。
萬一是を事實とせば、「三陸地方」唯一の難關たる北上背梁を東西に通じて、外國文明の輸入せられし痕跡を認むるを得ん。


ハ、近世
奥州方面に於ける葛西、大崎等の諸豪族は、伊達氏及び南部氏の勢力に併合され、近世に入りたるが、特に伊達氏は、海外貿易發展に志したるを以て、沿岸地勢の良好なるを利用して、これが根據地たらしめんとしたると同時に、水運利用に志したる處多し。
北上川の水路變更は、元和年間行はれ(或は、慶長年中、寛永年中とも云ふ。)、從來追波灣に注ぎし本流は、桃生郡鹿又より南に轉ぜられて石卷灣に注ぎ、本吉郡柳津より桃生郡飯野川町に南北に直流せしものは、西に迂回するに至りたり。
近世に於て、特筆大書すべきは、伊達政宗が、その臣支倉常長をして、海外へ派遣したる際の造船場竝解纜地が、共に、「三陸沿岸」にありし事なり。
伊達政宗は慶長十八年(二二七三年)九月十五日、家臣支倉六右衞門常長及、サン・フランシスコ派宣教師ソテロ(sotelo)等を使とし、信書音物を羅馬法王及西班牙國王に贈れり。常長等、陸奥月ノ浦を發し、七年後の元和六年(二二八○年)八月二十六日歸朝せり。(大日本史料第十二編之十二、後水尾天皇、慶長十八年の條)
「伊達貞山治家記録二十三」には
「慶長十八年癸丑、三月丙辰、十日戊辰、向井將監殿忠勝へ、御書ヲ以テ、船ノ義ニ就テ、仙臺ヘ大工共ヲ下サレ滿足シ玉フ、(中略)是ハ公南蠻國ヘ船ヲ渡サルへキ由、内々將監殿ト御談合アリ、因テ其御用意ノタメ、船ヲ造ラシメラル。」
とありて、政宗が南蠻へ遣使の爲、幕府海賊方向井將監をして、造船の事を請負はしめたる消息を窺知するに足るものあり。
「九月十五日、庚午、此日南蠻國へ渡サル黒船、牡鹿郡月浦ヨリ發ス。支倉六右衞門常長、竝ニ今泉令史、松木忠作、西九助、田中太郎右衞門、内藤半十郎、其外、九右衞門、内藏丞、主殿、吉内、久次、金藏(以上六人氏不知)ト云フ者差遣サル。向井將監殿家人十人計リ、南蠻人四十人計リ、都合百八十餘人、其外、商買人等、共ニ同船ニ乘ル、船中ニ商賣荷物数百箇積メリ。(中略)去ル比ヨリ黒船ラ造ラシメラル。其材木、杉板ハ、氣仙東山ヨリ伐出シ、曲木ハ片濱通リ磐井江刺ヨリ採ル。公義御大工與十郎及ビ水手頭鹿之助、城之助兩人ヲ、將監殿ヨリ差下サレ、彼船ヲ造ル、秋保刑部頼重、河東田縫殿親顯兩人、奉行シテ、頃日成就ス。右船、横五間半、長十八間、高十四間一尺五寸アリ、帆柱十六間三尺、松ノ木ナリ。又彌帆柱モ同木ニテ造ル、九間一尺五寸アリ。今度、公、南蠻へ船ヲ渡サル事、其他ノ樣子ヲ檢察セシメ、上意ヲ經テ、攻取リ玉フベキ御内存ナリト云々。」(伊達貞山治家記録二十三、慶長十八年九月十五日條)
とあるは、南蠻派遣用船の出發期日及地點、乘員、用船の船材切出先及規模等を窺知せしむ。
されど、かかるわが國外交史上、はた、造船史上の劃期的偉業も、當時のわが當局の政策たりし「切支丹禁壓」の影響をうけ、關係者、亦、世上の傳聞を避けて、史料の存在を秘密にせしかば、その船名、船種の如き曖昧模糊たるのみならず又、その造船地竝に船の發著點に關しても、異説乃至別考證の存するは否むべからず。
先づ、造船地竝に發船地を牡鹿郡荻ノ濱村月浦なりとする通説に、疑を挾みし最初のものは、幕末の蘭學者大槻玄澤著「金城秘■」にして、
「按ずるに、月ノ浦は遠島の中にして、今も其の名を呼びて、昔、葛西殿の船着岸して、着(ツキ)の浦(ウラ)と呼び初めしといふ。但し、此浦は、求めて新造船を發帆せしむべき所とも覺えず、恐らくは、此の邊へ蠻船漂着し、其の船は破れて役立たず、新造を西洋法に傚はせ給ふ事を、ソテロに相謀られ、向井殿と議り給ひ、即、其の着岸の所にて造らしめられしにはあらずや。」
と述べ、牡鹿郡月浦の解纜地として不適當のものなりとの見解を下せり。加之、造船地として、牡鹿郡月浦の灣入は、記録に見らるる如き、長さ十八間、幅五間半の巨船建造に適せざるは、その地形に通ずるものの意見の一致する處なり。
而して、桃生郡十五濱村雄勝には、同地の舊家山下氏に傳はる記録、村社熊野神社の別當寺淨月坊金剛院の籠堂に在りし繪馬、及同院傳來の記録「雄勝風土記」等ありて、之等は寧ろ、支倉一行の、南蠻遣使造船竝解纜の地は、桃生郡十五濱村「雄勝呉壼濱」なりしを裏書するに足るものなり。
之等資料中、明治二十九年の津浪その他の理由により、散佚、亡失せしものあるも、なほその寫書及拔萃によりて、その大略は窺ふに足るものなり。
乃ち之に據れば、十五濱村雄勝附近の灣入を、往昔「月の浦」と云ひし事あり。問題の「雄勝濱呉壺の地」は、その地形、汐の干滿等によりても、造船地として適當にして、用材は、現在の岩手縣管内の山林より切出し、元筋の北上川、即ち現在の追波川に流し、「大須崎」より「白銀崎」を經て、目的地に搬入せし方容易なりと觀る人多し。(樋畑雪湖氏「江戸時代の交通文化」五三〇頁、山下慶助氏説等)
船名は、「陸奥丸」と稱せしものの如し。以下その規模を誌さん。


館樣造船模樣
一、大黒船「陸奥丸」二本帆柱船也
一、船の形 異國名すくんねる造り(兩■船)といふ由なり
一、船敷 長十八間
一、肩幅 五間半
一、をや柱 檜一本、長十五尋也
一、子柱同、長十三尋半
一、館胴の間 居所部屋、春慶塗、青貝篏込、善美を盡す
一、海具
一、敷
一、間敷す 御用ひに罷成
一、槍出す 江刺郡産檜材
一、帆布木綿 松右衞門を用ひたり
一、御船印 日の丸、伊達家館樣紋所「丸に立引龍(タチビキリヨウ)」


かくして、今日の學説は、慶長年間、支倉一行の遣外使節乘用の船は、牡鹿郡荻ノ濱村月浦よりも、寧ろ桃生郡十五濱村雄勝にて造船され、ついで、海外に向け解纜せられしものなりとの見解に傾けり。
何れにせよ、近世初頭を飾るべき我國民海外雄飛の念の具體化せる舞臺が「三陸沿岸」に置かれし事を忘るべからず。
されど、かかる劃期的事件と共に、漸く發達し來れる海運も、對外的には貿易全く禁ぜられ、又國内海運の如きも、奥地の農産物の運漕には、北上、阿武隈の兩河川の利用により、主として、石卷灣以南に限られ、石卷、荒濱二港を以て、その根據地としたり。津輕方面の産物、多く日本海を經由する西廻海運に據りし爲、「三陸沿岸」にありては、良港たるべき素質を有せる幾多の灣入を擁しながら、僅かに、近村部落の交通、物資輸送の便に委ぬるに過ぎざりき。
しかも近世は、政治的にも徳川幕府の統合政策よく行はれて、地方的にも、中世に於けるが如き權力の爭奪なく、特に、諸侯の城下に遠ざかれる「三陸沿海」は、全く、平和なる漁村の點綴するに過ぎざる有樣なりき。


二、最近世
「明治維新」により、從來の行政權は一變し、一時措置をあやまれる仙臺藩・南部藩の領地は、多く、朝廷の直轄或は他藩の管轄下に屬せり。
乃ち、「三陸地方」たる現在本縣管轄下の本吉・桃生・牡鹿の三郡は、はじめ高崎藩、大河内右京亮輝照その取締を命ぜられしが、明治二年七月には、「桃生縣」と稱して、權知事山中献來任したり。間もなく、「石巻縣」と改稱し、後「登米縣」に併合せられしが、明治四年七月、「廢藩置縣」の斷行あるや、之を、「仙臺」・「一ノ關」の二縣にて治むる事となり、その後、多少の變遷ありて後、明治九年八月に至り、現行の「宮城縣」に包含されたり。時に宮城時亮縣令たりき。

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式内社
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「三陸地方」と謂はるる方面の郷
第三節 三陸三郡(宮城縣ノ分)の人口及産業
I 三陸三郡(宮城縣ノ分)人口動態

明治以前の事は暫く置き、昭和五年國勢調査によるものより明治十五年に溯る、約五十年間に於ける、戸口の動態を顧れば、次表の如き變遷あり。


これに據れば、明治十五年より昭和五年に至る四十八年間に、世帶に於て、一七、九六五世帶、人口に於て、一一○、三五六人増加し、共に八割九分強の増加率にして、殆ど二倍に近し。
これ、本縣全體に就き、明治十四年より昭和七年に至る、五十一年間に於て、約九割の増加ありたると略その率を等しうせり。
されど、この三郡は、明治二十九年の震嘯によりて、本吉郡に於て、被害戸數(流失、全半潰のみ)六四九戸、死者一、四八五人、牡鹿郡に於て、四七戸、二人、桃生郡一四一戸、五九人にて、三郡總計八三七戸、一、五四六人となり、此の三郡當時の總戸口、二萬四千戸、十六萬人の、戸數に於て○、○三四、人口に於て○、○○九の被害比率なるも、このためか、明治十五年より同二十三年に至る八年間に、世帶に於て、二、七四六世帶、人口三○、五七九人の増加ありしに、二十九年の海嘯被害を含める明治二十三年より三十三年に至る十年間の増加數一、六一七世帶、人口一六、三六四人に過ぎざるは、災害が戸口の増加に影響せしものかとも考へらる。
今回の災害による結果は、三郡合計罹災戸數、(流失倒潰のみ)一、六〇七戸、死者三〇六人にして、二十九年に比して、戸數に於て七七〇戸多く、人口に於て一、二四〇人少し。
今回の災害が、本吉・桃生・牡鹿三郡の戸口に、如何なる影響を及ぼし、數字の上に如何なる變化を與ふるかは、將來に殘されたる問題なるべし。

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三陸三郡(宮城縣ノ分)世帶、人口増加表
II 三陸三郡(宮城縣分)の産業

宮城縣の産業としては、東北地方一般を通じての如く、農業を以て第一に推すべきものなり。
されど、本吉・桃生・牡鹿の三郡は、北上山脈の脊柱、後部に迫りて、耕作に適すべき沃土尠く、全町村數三十一ケ所(内石卷町は昭和八年四月より市制を施行せり。)中、良港灣に富める「三陸沿海」に臨める町村、二十一ケ所に達したる地勢より見るも、水産業を以て生命となすべきは、謂ふを俟たず。
特に、本縣金華山沖は、塞暖兩流の會合點に當り、漁業の産出頗る多く、就中、鮎川の捕鯨、渡波の牡蠣の如きは、世界的名聲あり。
即ち、三都の水産業從事者總戸數は、昭和七年度末現在に於て、五、三九七戸にして、同地方の農業從事者戸數一五、一六四戸の、○、三五 - 約三分の一強なるに過ぎざるに、水産物生産額は、一○、九三○、二三九圓に達し、農産物生産額の七、九八五、四〇五圓を超過する事約參百萬圓に近く、本縣水産物生産總額一五、〇五一、八五八圓の三分の二強は、實にこの三陸三郡沿海の漁獲竝水産製造物に俟つ處なり。
農産物も、これに次ぎて多く、工産・林産・畜産・鑛産の順を以て、生産額を減じ、工産以下は、これを合するも、參百萬圓臺を出でず。三陸三郡の職業別戸數竝生産額次の如し。

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三陸三郡(宮城縣分)職業別戸數調(昭和八年十二月末日現在)
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三陸三郡生産物統計總覽(昭和七年)
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三陸三郡農業・水産業從事者戸數竝農産物・水産物生産額調
第四節 三陸を中心とする東北地方震災の沿革
I 津浪に關する口碑・記録類調査の注意

「三陸沿岸」の津浪の沿革を考察するに、往古は東北の僻遠なる事情の具にするを得ざりしと、記録の整備する能はざりしとによりて、天災地變あるも、これを今日に傳ふるもの極めて稀なり。加之、この自然現象を傳ふる記録そのものの、地震、津浪の災禍多き沿海の舊家に傳はれるものは、次の震災、浪禍によつて流失せらるるの危險に曝され、その保存率は一層少し。
又、一方、わが國も「明治維新」以後教育の一般に普及する迄は、災害の如き、之を記録によりて窺ふよりは寧ろ、口碑によりて後世に傅へられしもの多かるべし。從つて被害區域は漠然と知らるるに不拘、年月日の正確ならざるもの少からず。
慶安四年(二三一一)の宮城縣亘理郡の津浪の如き、元祿二年(二三四九)の陸中國の津浪の如き、何れも、現在より僅かに三百年以前の事に屬すれども、該地方に津浪ありし事實の知らるる以外、月も日も被害の程度も明瞭ならず。
而して、辛うじて搜し當てられたる古記録も、明治以前のものにありては、多く誇張・形容に過ぎざれば、神異・佛縁に假託し、或は、これを直に教訓的に利用せんとする爲政者の意志により、多く眞實に乖離せる事あり。
その例として最も適切なるは、慶長十六年十一月大晦日の「三陸大津浪」を傳ふる「駿府政事録」の記事にして、その主筋は、「伊達政宗、徳川家康に謁見して、初鱈を獻上し、その序に、- 甲乙兩士に命じて出漁せしめたるに、漁人、『汐色常ならざれば、舟出は危險なり。』と告げたり。甲はその言を聽き、乙は主命なればとて、舟出を敢行したるに、果して漁人の言の如く大津浪ありたるも、陸にありし甲士は溺死し、海上に船行せる乙士は却つて命を全うしたり。 - と語り、これを聞ける家康は、『彼者依重其主命而免災難、退得福者也」と、答ヘたりと謂ふ。」これ、津浪の記事は、主命の重んずべきを力説せんが爲の手段として引用せられしに過ぎず。
かく、記録に殘れるものも、明治以前のものにありては、一部民間の手になれるもの(例へば、桃生郡十五濱村雄勝山下恂氏所藏の「先祖代々記」中の「安政津浪に關する記録」の如き)を除きては、筆致そのものにも亦檢討を加ふべきもの多し。
されど、「三陸地方」の災害に關する記録は、その數に於て比較的尠きを以て、之等形容・假託多き記事も、「災害史編纂」に際しては重要なる資料となるぺきのみならず、邊輙地方民間に傳はる口碑は勿論、傳説に至る迄も濫りに却け去るべきものならず。
かかる見地に立ちて、從來「三陸」に襲來せる地震、津浪の歴史を顧みん。

II 三陸地方に於ける既往の震嘯

「三陸沿岸」に於て、從來、記録又は據るべき口碑により、「地震に伴ふ津浪」の起りしものを次に列擧せん。
(備考)括弧内の年代は昭和八年よりの逆算數なり。
(一)貞觀十一年五月二十六日(一千六十四年前)三代實録
陸奥國大地震家屋倒潰、壓死者多く、津浪は城下(多賀城か)に追つて溺死者千人餘資産苗稼流失す。
(二)天正十三年五月十四日(三百四十八年前)(口碑)
宮城縣本吉郡戸倉村の口碑に海嘯ありしを傳ふ。
(参考 同年十一月二十九日、畿内・東海・東山・北陸に大震ありて死者多し。)
(三)慶長十六年十月二十八日(三百二十二年前)御三代御書上
陸奥國地震後大津浪あり。伊達領内にて男女一千七百八十三人、牛馬八十五頭溺死す。又現在の陸中山田町附近・鵜住居村・大槌町・津輕石村等にも被害多し。
(四)元和二年七月二十八日(三百十七年前)
「三陸地方」強震後大津浪あり。
(五)慶安四年(二百八十二年前)
宮城縣亘理郡東裏迄海嘯襲來す。(口碑)
(六)延寳四年十月(二百五十七年前)
常陸國水戸、陸奥國磐城の海邊に津浪ありて人畜溺死し、屋舎流失す。
(七)延寳五年三月十二日(二百五十六年前)(口碑)
陸中國南部領に數十回の地震あり、地震直接の被害なきも、津浪ありし宮古、鍬ケ崎、大槌浦等に家屋流失あり。
(八)貞享四年九月十七日(二百四十六年前)
宮城縣内、鹽釜をはじめ宮城郡沿岸に海嘯あり、その高さ地上一尺五、六寸にして、十二、三度進退す。
(九)元祿二年(二百四十四年前)
陸中國に津浪あり。(口碑)
(十)元祿九年十一月一日(二百三十七年前)
宮城縣北上川口に高浪襲來、船三百隻を流し、溺死者多し。
(十一)享保年間(二百十七年、百九十八年前)
海嘯あり、田畑を害せしが、民家・人畜を害ふに至らず。
(十二)寳暦元年四月二十六日(百八十二年前)
高田大地震の餘波として、陸中國に津浪あり。
(十三)天明年間(百五十二年 - 百四十五年前)
海嘯あり。
(十四)寛政年間(凡百四十年前)
「三陸沿岸」に地震・津浪あり、宮城縣桃生郡十五濱村雄勝にて床上浸水二尺。
(十五)天保七年六月二十五日(九十七年前)東藩史稿
仙臺地方大震ありて、牙城の石垣崩れ、海水溢れ、民家數百を破りて溺死者多し。
(十六)安政三年七月二十三日(七十七年前)宮城縣桃生郡十五濱村雄勝「先祖代々記」
正午頃「三陸地方」に地震あり、次いで大津浪起り、現在の宮城縣桃生郡十五濱村雄勝にて床上浸水三尺、午後十時頃迄に十四、五度押寄す。人畜の死傷は凡んどなかりしが、北海道南部にては、かなりの被害ありしものの如し。
(十七)明治元年六月(六十六年前)
宮城縣本吉郡地方津浪あり。
(十八)明治二十七年三月二十二日(三十九年前)
午後八時二十分頃岩手縣沿岸に小津浪あり。
(十九)明治二十九年六月十五日(三十七年前)
午後七時半起れる海底地震によりて、「三陸沿岸」は、午後八時十分頃より八時三十分頃迄に於て大津浪襲來し死者二萬千九百五十三人、傷者四千三百九十八人、流矢家屋一萬三百七十棟、内、宮城縣死者三千四百五十二人、傷者千二百四十一人、流失家屋九百八十五戸
(二十)大正四年十一月一日(十八年前)
「三陸沖地震」によるものにして宮城縣志津川灣に小津浪あり。
(廿一)昭和八年三月三日


午前二時半頃起れる外側帶性地震は、約三十分後、「三陸」及北海道日高國の沿岸に津浪を伴ひ、そのため、六十七町村は被害をうけ、死者千五百二十九人、行方不明者千四百二十一人、負傷者千二百五十八人を出し、流失・倒潰家屋七千二百六十三戸を生ぜり。

III 主なる地震、津浪

「三陸地方」に於ける既往の震嘯は、前述の如くなるが、その中、代表的のものを次に掲げん。


(一)貞觀十一年の震嘯
陸奥國地大震動。流光如レ晝隱映。頃之。人民叫呼。伏不レ能レ起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顛覆。不レ知二其數一。海口■吼。聲似ニ雷霆一。驚濤涌潮。泝漲長。忽至二城下一。去レ海數十百里。
浩々不レ辨二其涯■一。原野道路。惣爲二滄溟一。乘レ船不レ遑。登レ山難レ及。溺死者千許。資産苗稼。殆無二子遺一焉。(三代實録、貞觀十一年(八六九)五月二十六日癸未條)
この際の地震に伴ひて、流光あり、明治二十九年・昭和八年兩度の地震の際、被害地に發光現象を認めし所尠からず。今回の如き、ひとり罹地地のみならず、茨城縣筑波山測候所、神奈川縣測候所にても同樣の現象ありし旨報告あり。その科學的説明は、之を学者の研究に讓るも、大地震・津浪と同時に、發光現象の古今を通じて起るは注意すべき點なるべし。
當時の城下は、前後の關係より推測して、恐らく國司駐在の「多賀城」なるべしとは、衆説の一致する處、現に、本縣下宮城郡多賀城村、大字八幡の地に、「末の松山」と呼べる個所ありて、往古の津浪の際、海波此處迄至れりと地方人の説くは、後の慶長年間の津浪を、名取郡千貫村の「千貫松」に附會せしものと共に、東北地方津浪の沿革調査に際して、興味ある事實なり。
「去レ海數十百里。浩々不レ辨二其涯■一。」の「數十百(○)里」は往古「數千(○)百里」に作りし事あり。十と千とにては、その相違甚だしきも、何れにせよ、當時の正史の筆法は、支那の形式を學べる處不尠、その形容の如き、誇張に過ぎしものさへあれば、貞觀年間の津浪の被害面積及び溺死者數の如きは、記録その儘を信ずるは早計なりと謂ふべし。


(二)慶長十六年の震嘯
封内地大ニ震ス、海溢レ男女一千七百八十三人、牛馬八十五頭溺死ス、是時公、兩士ニ命ジ漁セシム、漁人謂フ潮色常ニ非ズ、變測ルベカラス、甲士之ヲ諾ス、乙士聽カス君命ヲ如何ト、獨漁夫六、七人テ促シ船ヲ浮ブ、數十町忽チ波浪大二激シ、舟波上ニ泛浮ス、遂ニ千貫松ト云ヲ得テ舟ヲ繋グ、既ニシテ潮退キ其里ニ■レバ、一家ノ屋舎アルナシ、甲士亦溺死ス、舟ハ高ク松梢ニ懸ルト云フ、公、乙士ヲ賞シ祿ヲ加フ、東照公聞イテ日ク、主命ヲ重ンジ災ヲ免レ福ヲ得ル、天道果シテ非ナラズト。「駿府政事録參照」(東藩史稿卷之四世紀四貞山公三慶長十六年(一六一一)十月二十八日の條)
慶長年間の震嘯記事執筆の目的は既述の如くなるも、死傷者數の一千七百餘人、家畜被害八十五頭は三百年前の記事として、恐らく實數なるべし。


(三)安政三年の震嘯
安政三年七月二十三日午後一時頃、北海道南東部に強震ありて、發震後一時間にして津浪襲來し、北海道南部、殊に箱館にて被害あり。三陸地方にも津浪來りしが、被害尠し、と。
以上が、同年の震嘯に關する知識なりしが、今回管内桃生郡下より次の記録を發見し、「三陸沿岸」に於ても、相當被害を受けたりしものあるを知れり。
一、安政三辰年氣候能作物豐作に相成然るに七月二十三日書九ッ時(1)地震ゆり揚り併大地震と云にも無之候九ッ半頃(2)に相成大津浪急に押來り居家縁より三尺高く水押揚數度押揚夜の四ッ頃(3)まで十四、五度押揚誠に大變成事言語可申樣御座無く候。
何れに其節六十四五年先(4)の津浪よりは一尺位も高く水押揚候事に相見得申し候手前の婆妻子共抔揃ヘは別家忠太夫家に迯申し候。
縁板はなされ翌朝抔は家へはいる事不叶漸く二十五日朝より火をたき申候手前之者共は物置に止宿仕候隣地の人々は鹿込の畑へ火をたき二日目の朝まで家へ戻らず、其節は別家より飯抔貰へ漸々にくらし申候、若し此以後津浪も難計參り候はば、疊を何分にも早く高き所に揚申候方と存候。
一、當村極貧之者共へ手前より籾一俵宛貳拾俵手當仕候追々に相圖、御代官樣御出救、手前御庭に御鑑み御助救に相成候其後難澁之御百姓へ辻堂(5)御倉より籾四拾貳俵御手當に被下置候事尚亦追々水押揚者共五拾人江籾百俵辻堂御倉より御手當罷成候事、何れ年數過ぎに相成候へば又々津浪參者と心得、參候節は用心大切可申候事、其時之津浪は晝の事にて人畜に怪我無之、夜抔にては不叶事に御座候誠に聞傳にも無之候事之津浪と聞申候乍去明神濱・唐桑(6)抔は少々位之事に御座候手前は大痛位之事に御座候乍繰事も年數相くらし候はば、聞而氣を付可申候何年にも聞傳無之津浪に御座候。(桃生郡十五濱村雄勝、山下恂氏所藏「先祖代々記」)


(註)
1)正午
2)午後一時
3)午後十時
4)寛政年間(紀元二四四九 - 二四六〇)盛小學校ノパンフレツト、「氣仙郡誌」ノ中ニ記録アリ。
5)宮城縣桃生郡二俣村辻堂
6)桃生郡十五濱村にて雄勝に近き同灣内の部落


この記録の發見により、現在より七十餘年前に於ける、桃生郡十五濱村雄勝附近の被害程度及救護状况の詳細に亘りて知悉すると共に、更に次の事を知り得べし。


イ、この際の地震は、「大地震と云にも無之候」に不拘、「大津浪急に押來り」の現象を伴へり、これ、安政の津浪のみならず、明治二十九年、昭和八年の震嘯につきても、同樣なりとは、東北帝大中村(左)博士の唱導せらるる處と合致せり。


ロ、この記録に云へる「六十四五年先の津浪」とは、「岩手縣氣仙郡誌」に見ゆる寛政年間の津浪を裏書するに足るものならん。
要之、安政三年の震嘯は、或は明治二十九年、昭和八年兩度の被害よりも、尠きものならんも、桃生郡十五濱村上雄勝の十五濱村郵便局舎にては、滿潮時より七尺五寸高き床より、更に各、次の如き浸水をなせるを、同局舎の柱にのこれる海水の痕より判斷するを得るものなり。


安政三年 四尺七寸五分
明治二十九年 四尺三寸五分
昭和八年 二尺六寸五分


而して、特記すべきは、今より僅か七十餘年前の震嘯の如きも、その眞相を傅ふるに足るべき記録は、僅かに、この一事を傳ふるのみにして、他は散佚して傳はらざる事なり。


(四)明治二十九年の震嘯
明治二十九年六月十五日(陰暦五月五日)の大震嘯は、未だ吾人の耳朶に新たなるものあり。從つてこれに關する詳細は、次の諸冊子、資料に讓る事とせん。

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IV 附 東北震嘯災害史年表

第二章 今回の地震・津浪に關する觀測

第一節 縣内各地の觀測
I 石卷測候所

本所及仙臺出張所にては、強震を感ぜしが、その觀測次の如し。


震源は金華山沖、東北東約二百八十粁の「三陸沖」であつて、東徑百四十四度七、北緯三十九度一の本邦東方海上に横はつてゐるタスカロラ海底の極めて淺い個所に發生したものである。
尚本所管内氣候觀測所よりの報告を列記すれば、此の地震も、明治二十九年六月十五日に起つた地震同樣陸地では性質が緩慢であつたが、震源ではその勢力が相當強烈なもので、宮城、岩手の兩縣及福島の大半は強震にして、弱震程度の所は、北は北海道の根室、網走から、南は八丈島、濱松長野に及び、微震は遠く下ノ關にまで感じてゐる。此の樣に震域が廣いにもかかわらず、その地震による直接の被害が殆んどなかつたのは、震源が陸地から遠く距つた海中に存在した事と、震源が淺く、從つて、震度が震央を去ると共に急に減衰した爲である。
既に衆知の如く、東北地方の東方海上は、所謂外側地震帶に屬し、その上に頻發する地震は、年平均一千餘に及び、今までもこの地震帶から屡々大地震と大津浪が起つた事は、歴史に、年代記に、又は口碑となつて數多く今に傳つてゐる。


「三陸地方」に於ける近年の活動


次に近年の「三陸沖」の顯著地震回數は、
大正元年 十八回 大正二年 九回 大正三年 十二回
大正四年 廿八回 大正五年 廿一回 大正六年 十二回
大正七年 八回 大正九年 七回 大正十年 七回
大正十一年 十一回 大正十二年 九回 大正十三年 二回
大正十四年 五回 昭和元年 四回 昭和二年 九回
昭和三年 六回 昭和四年 四回 昭和五年 三回
昭和六年 五回 昭和七年 十回
となり、二十一年間に二百一回即ち年平均約十回の顯著地震があつた。
而して、「三陸沖」又は「鹿島灘」に發生する地震は、群生の傾向があり、殊に震源が淺く、且つ其の勢力が強い場合には、その特性が著しく現れるから、此の方面に小地震が頻發する時は、大體に於て、大地震の前驅と解しても強ち不穩當な獨斷とは言はれないであらう。その前驅的活動は、昭和八年に入つて著しくなり、一月中のみで顯著地震一回、稍顯著地震五回となり、無感覺の小地震は實に百四十一回を算してゐる。これは明に此の地震の前驅的活動を示してゐるものである。

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石卷測候所の觀測
II 東北帝國大學

イ、地球物理學教室
東北帝國大學理學部地球物理學教室所屬向山觀象所(仙臺市越路町、通稱八木山)に於ては、微動計、倍率二倍の強震計共に、描針紙外に逸し、或は重錘支柱に衝突して用を爲さざるに至れり。從つて、その最大震幅の絶對値は求め難きも、全振幅以上に達せる事明かなり。されど、振動の週期極めて長く、四乃至六秒以上にして、これが爲、震度僅かに、六○○乃至七〇〇粍/2秒、即ち震度○、〇六乃至七前後なり。木造建築を倒潰せしむるには、未だ半ばに達せしに過ぎず。
地震觀測の要點次の如し。


一、發震時 三月三日午前二時三十一分四十二秒四
一、最大振幅(全振幅) 南北八十四粍以上 - 東西七十四粍以上
一、初期微動繼續時間 (p-s)四十秒七
一、總繼續時間 一時間以上
一、震度 強震(弱き方)
一、性質 緩
一、震源地 仙臺の東北東三百粁


ロ、海洋水産化學研究所
主任林博士の研究に據れば、- 岩手縣久慈より、本縣金華山に至る「三陸沿岸」は、硬軟兩質の岩石地質よりなり、岩手縣沿岸の海灣は、宮城・青森兩縣のそれよりも深し。
津浪の被害程度は、岩手・宮城・青森の順序にして、震嘯による災害は、必ずしも、震源よりの遠近に據らざるものなり。
又、該地方の岩石の新古地質時代による硬軟程度及地方沿岸海灣の水深にも關係あり。
而して、災害沿岸を通じ、津浪樣式に二あり。岩手縣廣田灣より久慈灣に至る古生代地層の北部地帶と、氣仙沼灣以南の中生代地層及、青森縣の第三紀・第四紀地層の地域に起れるものと、之なり - と。なほ今回襲來せる津浪を、襲來樣式により次の三型種に分てり。


(1)廻し津浪(本郷型)被害激烈
(2)引き津浪(氣仙沼型)被害僅少
(3)潮吹き津浪(綾里型)被害甚大


ハ、地質學古生物學教室
「三陸沿岸」の津浪は、其特有の地形に支配せられ、明治二十九年のそれと同性質のものなり。田山理學士の報告によれば之を次の四部に分てり。


一、鮫 - 侍濱海岸(岩手縣)
海岸線は殆んど直線的にして、海岸に近く小島點在し、磯の發達を見、新鮮なる數段の「海岸段丘」の存在を見る。又、海底には「大陸柵」の發達廣く、遠淺の海岸よく發達す。


二、久慈 - 田老海岸(岩手縣)
稍直線的海岸にして、僅か二三、奥行淺き灣入あり、久慈灣・野田灣・羅賀灣等之なり。久慈・宇部兩河口を除きては、砂濱の見るべきものなく、其他の河口に近く沖積原は斷崖絶壁を以て直接海に臨む。北部には低位段丘良く發達するも、南下するに從ひて發達惡し。換言すれば、斷層海岸なりと謂ふを得べし。


三、宮古 - 綾里海岸(岩手縣)
大規模の灣入、半島と交互に配列し、北より、宮古・山田・船越・大槌・兩石・釜石・唐丹・吉濱・越喜來・綾里の諸灣あり。
段丘の發達最も惡く、山麓は直接海岸に接し、急崖をなして波に洗はる。深さも亦急に深く、百米の「大陸柵線」も著しく海岸に近づけり。宮古・山田兩灣には典型的斷層海岸あり。


四、大船渡 - 金華山海岸(宮城縣)
大規模の灣入たる、大船渡・廣田・氣仙沼・津谷・志津川・追波・雄勝・女川・鮫ノ浦等の諸灣に、更に重ねて大規模の灣入あり。從って、最も複雜なる海岸を呈し、「低位段丘」亦發達す。
要之、以上、四區域中、今回の津浪による被害の最も大なりし部分は、岩手縣管下の二、の久慈より田老に至る海岸、及三の宮古より綾里崎に至る海岸なりと謂ふを得べし。

第二節 全國各地の觀測
I 中央氣象臺

三月三日の未明に起れる大地震を、中央氣象臺地震掛にて驗測せる結果は次の如し。


(驗測)
發震時 午前二時三十二分十四秒
初期徴動繼續時間 六十秒
最大振幅 十七粍七
震度 弱震
性質 緩
總震動時聞 約一時間


(「三陸沿岸」の地形と津浪との關係)
「三陸沿岸」の三十近くの江灣は、多く東方に開口せるを以て、この沿岸に並行して沖合を略南北に走る外側地震帶上に起り、規模大にして、且震源淺く、海底面に地變を生ずる如き地震にありては、津浪を伴ひ、又、北東或は南東に開口せる灣にては、多く袋の如く陸地深く灣入せるため、灣奥にては著しく浪高を増して、津浪を生ぜり。
かく「三陸海岸」は外側地震帶上 - 即ち「三陸沖合に起れる地震」によりて、古來多くの津浪を蒙りたるが、又他の個所に於ても、大なる海底地震によりて餘波を蒙り、津浪を生じたり。今、歴史に徴するも、「三陸沖に起れる津浪」は、その數極めて多く、慶長以來約三百二十年間に十八回 - 即ち「十八年間に一回」の割合にて津浪の襲來を蒙れり。


(震源と震度)
震源は、岩手縣釜石沖東方、遙かなる海底に當り、その深さ、極めて淺く、僅か數粁に過ぎずと概算せらる。
「三陸地方」の中央脊髓をなす北上の褶曲山脈は、主として、古生層・中生層の砂岩及粘板岩より形成され、南方牡鹿半島及び仙臺灣は、第三紀及第四紀層よりなる。
かく、「三陸地方」の海岸は、堅牢なる地盤よりなるを以て、地震動に對しても、震度比較的少なり。
故に、今回の如き大規模なる地震に於ても、海岸の沖積層地にては、強震を感じ、壁に龜裂を生じたる處もありしが、古生層及び中生層の土地にては、強震(弱き方)及び弱震程度にして、地震による直接被害は殆んど見るを得ず、之に伴ヘる津浪によりて、沿岸地方に崖崩れ、石垣、堤防の决潰、地面の小龜裂等ありたるものあり。
各測候所或は管内觀測所の報告による震度分布を見るも、宮古・石卷・仙臺は強震なるも、他は凡て強震(弱き方)にして、却つて福島縣下に入りて強震を感ぜし所あり。尚、青森縣の下北半島にては弱震の個所多し。
斯樣に今回の強震は、震域頗る廣汎に亘り、且つ規模極めて大なるに不拘、震度の小なりしは、震央の遠きに因るのみならず、「三陸地方」を構成する地盤は、中生層及古生層にして、地震動に對し、極めて堅牢なりしが爲ならんと推測せらる。

II 各地測候所

イ、筑波山測候所
發光現象報告
三月三日午前二時三十二分の地震に伴へる光


一、見たる場所 筑波町大字筑波東山
見たる人 石井富次郎(筑波山測候所小使)
見たる時 震動中(最大動直後)
見たる方向 東南東と思はる。
光の形 不明(但し、パツパツと閃光あり、電光より傳播速度大なりと思はれたり。)
光の色 不明
光りし回數 二回


(備考)觀察者は激しき震動に吃驚、起き上りて表へ飛出せるが、其の瞬間前記の如き發光現象を認めたるものなり。
其の形竝色は、之を明瞭に觀察する暇なかりき。方向は、戸口の位置竝馳け出して立ち止りし表の位置より考察せし結果、東南東なりと判斷せられたり。


二、見たる場所 筑波町ケーブルカー宮脇停車場
見たる人 小池武男(宮脇驛助役)
見たる時 震動中
見たる方向 南(東京方面)
光の形 電光の如く明瞭ならず。パツパツパツとしたる閃光なり。
光の色 淡青色
光りし回數 三回
(備考)觀察者は地震に驚き、直に表へ飛び出せるが、其の瞬間關東大震災の事を想起し、先づ東京方面を望見したりしに、同方面の電燈の光は、平常の如く見られたるも、其の際、層積雲の後方と覺しき位置にて、前記の如き閃光ありしを觀察したるものなり。


ロ、水戸測候所
茨城縣下に於ける津浪の調査


一、縣土木課にて行ひたる那珂川河口に近き祝町下の川岸に於ける自記檢潮儀氣象に依れば、三日三時八分頃、○米二程減水後○米三六の浪一回あり、後三回に亘り著しきものあり、七時三十五分に最高○米七五を示し爾後漸次弱まりしが、二十時前後約三時間に亘り稍著しきものありたり。


二、同上稍上流なる字小川にあるものに依れば、三日三時四十分より水位稍上昇後、○米一八程度に減水し、後、著しきもの十六回あり、漸次弱まり十九時より二十一時三十分迄稍著し。


三、多賀郡大津町役場よりの報告、地震及津浪の被害なし。


四、同郡中潟町役場の報告に據れば、地震の被害なく、午前六時三十分に汐六尺強引きて後大潮となり、被害なし。


ハ、神奈川縣測候所


(イ)神奈川縣下地震被害報告
三月三日の「三陸沖強震」により、横濱市中區大岡川に架せる吉田橋の橋脚及橋欄の損傷最も大にして、橋脚には大龜裂を生じ、橋欄は前面にのめり出でたり。其の他の諸橋にも、阿元の龜裂・開口する損傷ありたり。


(ロ)稻妻樣の光に就ての報告
姥子 三月三日午前二時三十二分、地震と同時に戸外を見れば、東方の空に當り頻に光る稻妻樣の閃光を認む。強く光りて約四、五秒後震動強く、光ること弱ければ震動弱く、稍ありて光消ゆ。地震後に強くなり次に弱くなりて遂に止む。
箱根町 地震に付、東の方向にピカリと閃光を認めたり。

III 航行中汽船

イ、大阪商船株式會社「モンテビデオ丸」よりの海嘯報告
北米ロスアンゼルス(Los Angeles)より横濱に向ふ航海の途中、三月三日午前三時四十分(東徑百五十四度四十五分に於ける眞時使用)、突然強激なる推進機のレイシイング(Racing)の如き震動を約四分間繼續して感じたり。其の直後、當時の波浪と明かに區別せらるる階級四なる「ウネリ」を西方より受けたり。


ロ、農林省所管「ウルツプ丸」よりの海嘯報告
農林省所管「ウルツプ丸」よりの無電に依れば、「三月三日、午前二時三十分■崎より眞方位三十六度三十浬にして、約一分聞、強き震動を感ぜり。」と。

第二編 被害

第一章 人及家屋被害

第一節 人
I 人の被害

凡そ、天災地變に際し最も悲慘なるは、人のこれが犠牲となりて生命を失ひ、或は、生涯不具となるが如き事なるべし。
動産・不動産の損害の如きは、その額如何に莫大にのぼると雖も、當局の熱心なる支援と、地方人士の捲土重來の意氣との協調宜しきを得たらんには、恢復必ずしも困難ならず。されど、貴重なる人命に於ては、之を賠ふに由なし。
昭和八年三月三日の震嘯災害は、本縣下に於て、三一五の生靈を奪ひ、重傷七四(二週間以上醫師の治療を受けたるもの)輕傷七七を出したる、誠に痛恨事とや謂ふべし。
之等死傷者は、地震に伴ふ津浪の爲押流され、或は倒潰家屋の下敷となりて、痛ましき犠牲となりたるものの外、三陸の三月上旬、しかも未明にて、膚を刺すが如き寒氣に觸れ、凍死或は凍傷に冐されしものあり。
昭和十年三月、震嘯災害二週忌に際し、之等死者中未だ屍體不明者一○五を算するは、甚だ遺憾なる次第なり。

II 郡別死傷者調

死傷者を出せる郡は、亘理・桃生・牡鹿・本吉の四郡にして、之が關係町村十四なり。
名取・宮城二郡に於ては、家財・船舶・田畑等の流失・破損・冠水、その他産業上の被害を蒙れるものあるも、幸にして人の被害無きを得たり。
今、之を次の統計に據りて見るに、死者に於ては、本吉郡の一八二人最も多く、桃生の六九人、牡鹿の六四人之に次ぐ。
負傷者は本吉郡の六九人を筆頭に、桃生の四一人、牡鹿の二九人、亘理の一二人之に次ぎ、合計一五一人にして、死者總計三一五人(行方不明者を含む)の約半數なり。
死者及負傷者の被害前人口に對する比率は、桃生郡第一位にして、死者に於て、千人に付十人八分、負傷者に於て、千人に六人四分の割合なり。死者三郡平均千人に付一人七分、傷者四郡平均千人に五分の割合を占む。

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郡別死傷者調
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町村別罹災者の被害調
III 年齡別死傷者調

年齡別による死傷者の、當歳より七十歳前後に至るものを、十歳毎に區別せば、次表の如きものとならん。(昭和八年三月八日保安課調査)
これに據れば、死傷者中、十歳未滿の者男女共最も多く、合計一一七人に及べるが、内九割弱に當れる一○五人は、死者及び行方不明者なり。而して、この十歳未滿の死者及び行方不明者は男子に於て六三人、女子に於て四二人にして、男子及び女子、死者、行方不明者總數の各○、四二及○、二七に當り、何れも最高率を示せり。
ついで、男子に於て、六十歳より七十歳に至るもの二十名、女子に於て、五十歳以上六十歳未滿の者に、同數の犠牲者を出せり。
猶、二十歳より三十歳に至る婦人が、母性愛の尊き犠牲として二七名 - 即ち、女子總死者・行方不明者の一割七分を算するは注意すべし。非常災害時に際し、「先づ老幼婦人を避難せしむる。」の必要なるは、本表によりても、明かに首肯せらるる所なるべし。

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年齡別による死傷者
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死傷及行方不明者年齡別調(三月八日正午現在)
第二節 家屋
I 家屋の破害

罹災地一帶の家屋は、主として茅葺の粗末なるものなれども、桃生・牡鹿一帶には、地方特産のスレートを以て葺けるもの、市街地には瓦葺のものも尠からず。何れも、大都市に見る如き耐震家屋には非ざれど、地震そのものにてよる被害は概して尠く、津浪によりて悲慘なる結果を生じたり。
沿岸の地勢、背面は山岳の聳ゆる所多く、流倒家屋は山際に押しつけられしものあり。又、大原村鮫ノ浦の如く、灣口狭く、之に連れる低平地に住宅多き被害地には、流失家屋、遠く海上に押流されて浮游せしものもあり。
特に、將來の鑑戒とすべきは、「三陸沿岸」從來の住家の構造が、津浪の如き災害に對し、最も危險なる樣式にありし事なり。例へば、女川町石濱の如き、多くの住宅は、海岸に面せる一方のみに、出入口を設け、裏口とも謂ふべき方面は、窓格子、その他の採光方面のみ注意せられ、出入すべき個所なき爲、津浪の急襲に際しては、背面の丘陵に避難せんとして多大の困難を感じ、中には、家屋流失せざるに不拘、激浪の爲め浚はれ、沖合八十間迄押流されて九死に一生を得たる者すらあり。又、津浪の特質として、苟も河流のある處必らず潮流溯上し、兩側に氾濫して、河岸に建てる家屋に被害を及ぼせり。
從つて、「三陸沿岸」に於て、將來河流に沿へる建築は、假令河口より三、四百米の距離にあるも、津浪襲來の際、絶對に安全なりとは斷言し難し。

II 住家の被害

イ、郡別住家の被害
住家の被害を受けたるは、亘理・名取・桃生・牡鹿・本吉五郡十七町村に亘り、被害總戸數、二、二八四戸にのぼれり。内、浸水家屋、住家一、六四五戸にして總被害戸數の七割二分に當り、その總建坪五○、九四○坪に及べり。最も悲慘なる住家の流失倒潰の厄を蒙りしもの、總數四七七戸なるが、これが過半數たる五割三分は、本吉郡内の被害に屬し、桃生郡一六五戸(三割四分)、牡鹿郡四八戸(一割)、亘理郡一〇戸(二分)にして、名取郡は流失・倒潰家屋一件も無し。
被害前住家戸數に對する罹災戸數比率は、總體的に桃生郡最も高く、その比率一、○○○戸に對する三九二戸を示せるが、流失・倒潰家屋の率も、一、○○○戸に對する一三八戸にして、半潰家屋をも加ふれば、その率實に一、○○○戸につき二○七戸に當る。
前夜迄平和なる漁村として、朝に漁り、夕に一家團欒して談笑せし「三陸沿岸」住民中、一夜にして家を奪はれ、茫然爲す處を知らざるもの、本縣下に於て六三九戸、三、八四〇人の多きを見るに至りしなり。


ロ、町村別住家の被害
罹災戸數を町村別に見るに、牡鹿郡女川町の五〇七戸第一位なり。されどその九割強は、浸水程度にして、就中、鷲の神・女川の二區は相接續して市街を形成し、商・漁業を營むもの多く、津浪襲來により店舖の表戸の硝子を打貫かれ、或は壁・疊等を汚損せられしもの大部分を占めたり。
これに次げるは桃生郡十五濱村にして、罹災總戸數四六九戸中流失・倒潰家屋一六五戸は、同村の總被害の三割五分に當れば、實質的の被害は寧ろ本縣隨一なり。こは、同村内、雄勝が、海岸に沿ひて細長き市街を形成し、人家櫛比したれば、類似灣形にある分散的部落よりなる他町村に比して、被害を大ならしめたるものならん。
住家の罹災總戸數及流潰戸數の多少を町村數に對比すれば、次表の如し。


流潰戸數を五〇戸以上出したる町村は、桃生郡十五濱村、本吉郡唐桑村及び歌津村なり。

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罹災住家郡別調
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住家の罹災總戸數及流潰戸數
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一、罹災住家町村別調
III 非住家の被害

罹災町村五郡十七ケ町村に亘れるは、住家の被害區域と全く同じなり。
納屋及その他の非住家の被害は、本吉郡第一にして、納屋六二三棟、その他の非住家八四二棟合計一、四六五棟の多きに達し、桃生郡の納屋二〇五棟、その他の非住家三一四棟、合せて五一九棟これに次ぐ。
流失・倒潰家屋に於ても、被害の程度、本吉郡・桃生郡の順なり。
被害前非住家棟數に對する罹災棟數比率は、住家の際と同じく、桃生郡最高率にして、四割七分を示せり。流失・倒潰棟數に於ても同樣なり。


○なゐいみしくふり出て海の鳴ととろく
伊達自得
野に山にさまよふ見れば貧きも
とめるもけふはおなし世そかし
契なれや濱かせ寒き松原に
板戸かこひてなな夜ねにけり
假庵の軒のたれこも隙をあらみ
顏にきらめく夜半の月影
うつ潮は餘處にのかれし家さへや
薪とすらんかくつちの神
玉極(きは)るいのちの外にしろかねも
黄かねもけふはなき世なり
岩かねの動かすとても彌益に
國かためよとなゐはふるらし


註 伊達自得翁は、有名なる陸奥宗光氏の父君にして、之等は、「伊達自得翁全集」より摘録せりo何れも、安政元年十一月五日の大地震に關する、翁が寓居紀伊田邊にありての詠歌なり。

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罹災非住家郡別調
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罹災非住家(納屋)町村別調
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罹災非住家(其の他)町村別調

第二章 産業上の被害

第一節 一般状况
I 震嘯以前に於ける産業状况

本縣下罹災地は、本吉・桃生・牡鹿の三郡にして、その他、仙南に亘理郡坂元村あり。
之等町村の沿岸住民は、半農・半漁の職業に從事し生活を營むもの多し。之等町村の最近に於ける、産業別戸數竝に生産額次の如し。

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三陸三郡罹災町村産業別戸數(昭和八年度現在)
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三陸三郡罹災町村(一七)生産額一覽(昭和七年度現在)
II 職業別による被害世帶

今回の震嘯罹災地は、海岸に近き關係より、自然、被害世帶、漁業者に最も多く、商工業者・農業者之に次ぐ。

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被害者職業別調 (商工課調査)
第二節 農業
I 被害前の農業状態

「三陸沿岸」の農業從事者は、自作農大多數を占め、小作地面積の五割以上に及べる處なし。
耕地總面積に對する小作地面積の割合次の如し。(但し沿海諸町村のみを擧ぐ)

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耕地總面積に對する小作地面積の割合
II 農業從事者被害世帶調

農業者の罹災世帶數は、總數二五八にして、漁業・商業從事者罹災世帶數に次ぎて第三位に在り、各職業關係者罹災世帶總數二、二八四の八分の一に當るに過ぎざるは、「三陸沿岸」が、水産業を以て第一となすのみならず、主なる農業生産地が多く津浪の害を受けざる地域に在り、從つて、之に從事せるものが、海岸よりも寧ろ、山丘の地に住居及び貯藏庫を設けたるによる。
被害世帶數、本吉郡一八○にして、農業從事者被害世帶の四分の三を占め、牡鹿・亘理・桃生の諸郡之に次ぎ、名取郡に於ては、漁業從事者の被害世帶六あるに對し、農業從事者の被害世帶皆無なり。

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郡別農業從事者被害世帶調
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町村別農業從事者被害世帶調
III 耕地の被害

三月三日未明に發せる強震は、狂暴なる津浪を伴ひ、縣下本吉郡・桃生郡・牡鹿郡及び亘理郡の十四ケ町村八十五地區に亘り、耕地面積、田に於て二百餘町歩、畑に於て百七十餘町歩に及び、六寸乃至二尺の耕土の流失あり。又、六寸乃至五尺の土砂の埋沒、又は、倒潰し、流失せる家屋の殘材及破片散亂するありて、被害甚大なり。
その被害額は、田に於て五萬餘圓、畑に於て五萬餘圓、耕地損害額合計約拾萬餘圓なり。

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震嘯災害耕地被害面積及損害額
IV 建物の被害

農業關係建物の被害は、亘理一、桃生一、牡鹿三、本吉九の四郡十四ケ町村に亘り、流潰浸水棟數一、○○八にして、之が損害見積額は六三、六二○圓に達せり。
罹災町村中、激甚なる被害を蒙りたるは、本吉郡歌津村にして、その被害棟數一九四棟、損害額一二、○四五圓に及べり。
以下、牡鹿郡大原村の一○五棟、九、一三四圓、本吉郡唐桑村の四○八棟、八、三三○圓、十三濱村の三一棟、五、二六○圓之に次げり。

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建物の被害表
V 農具の被害

農具の被害は、本吉郡歌津村最も多く、被害數量三、九九一にして、損害額四、三七二圓を算し、小泉村は、數量一、三八四なるも、脱穀機・籾摺器等の高價なる器械の使用、不能に陥りたる爲、損害額は更に大にして、五千圓を超えたり。
罹災町村十二、内、亘理郡一、桃生郡一、牡鹿郡一、本吉郡九にして、被害總數量一八、○○五、損害額一八、九四四、四圓なり。その詳細次の如し。

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農具の被害表
VI 家畜の被害

家畜の被害は鷄を第一とし、四百羽に餘り、豚・馬各三十頭前後にして、牛は坂元村に於て三頭の犠牲を見たるのみなり。
頭・羽數に於て、十五濱村の二百二十七を第一とし、被害總頭・羽數の三分の一を超え、階上村の百二十三、十三濱村の九十六、坂元村の七十八、歌津村の六十一、之に次ぐ。
損害見積額に於ては馬・牛・豚・鷄の各種に亘りて被害を見たる坂元村の二、三四○圓を最高とし、大原村・歌津村・十三濱村・唐桑村は各五百圓以上千圓未滿の損額を蒙れり。

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家畜の被害表
VII 農作物の被害

本縣「三陸沿岸地方」に於ては、大麥・小麥は、通例十月上旬播種して、翌年六月上旬・中旬の頃收穫し、野菜類は、越年生のものにありては、十月下旬播種し、翌年三月中旬收穫し、一年生にありては、三月下旬播種して、十月下旬收穫す。又、紫雲英は、九月上旬播種、五月下旬收穫するを常とす。
かくて、越年の野菜類にありては、三月上旬は九分通り、大麥・小麥・紫雲英の如きも六、七分通り生育して、收穫をまてる際、この天災によりて、收穫皆無五九、七五三・四畝、七割以上の減收三、九五一畝、五割以上の減收四、四六八畝、都合五割以上の減收より收穫皆無に至る栽培面積六八町一段二畝餘の被害を受けたり。この損害見積額二一、六四六圓に達せり。

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農作物の被害表
VIII 種苗貯藏農産物・肥料及農用諸材料の被害

種苗の損害は、桃生郡十五濱村最も多く、全被害額の四割五分強を占む。貯藏農産物中には、總じて籾の被害多く、肥料及農用諸材料には、厩肥・堆肥・魚粕・豆粕等の損害多し。貯藏農産物の損害は、小泉村最も多く、唐桑村・歌津村之につぎ、何れも四萬圓以上の被害額なり。各町村被害額左の如し。
その内譯次の如し。

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各町村被害額
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種苗の被害
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貯藏農産物の被害
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肥料及農用諸材料の被害
第三節 養蠶業
I 約説

「三陸沿岸地方」に於ては、半農・半漁を以て生業となすも、傍ら植桑をなして、副業たる養蠶に從事せり。
桃生・牡鹿・本吉三郡の、養蠶業組合區域内養蠶戸數は、合計六、七八六戸、實行組合數は、二九八にして、組合員數は五、三二三人なり。(昭和七年現在)

II 桑園の被害

桑園被害中、最も甚だしきものは、桑株流失にして、その面積五十四町七反に及び、輕微のものに於ても、桑園の冠水七十三町六反に及びたり。爲に、土砂、桑園に入り、桑發芽前なりしにも不拘、發芽止まり、桑葉の收穫を見るを得ざりき。
その被害見積額八萬參千八百七拾壹圓に達したり。
又、蠶室及蠶具に於ては、一般家屋と同じく、流矢蠶室一二四戸、倒潰蠶室五一戸を數へ、其の被害見積金額拾六寓五千九百九拾六圓に上れり。
桑園・蠶室・蠶具の被害次表の如し。

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桑園・蠶室・蠶具の被害
第四節 水産業
I 約説

本縣に於ける水産業者總世帶數は、昭和七年末に於て、本業七、〇九四、兼業四、六〇六、計一一、七〇〇なるが、今回の災害に據り、罹災世帶一、〇一五(但しこれは本業のみ)を出したれば、水産業者總世帶數の約一割四分に當り、その影響する處尠からず。
漁船總數八、〇二六隻(昭和七年末)中、動力一五五隻、無動力二、一九二隻、合計二、三四七隻の被害を出し、他に運送船二九隻も、同じく損害を受けたり。即ち、漁船に於て、本縣下總數三割弱は一瞬にして、自然の暴威のままに海上はるかに流失し、或は、陸上に打揚げられ、使用に耐えざるに至りたるは、漁業を以て生業となす、沿岸住民への經濟的脅威は勿論同時に、沿岸近村部落への、唯一の交通機關たりし運脚を奪はるるの悲運に遭遇せるものなりと謂ふを得べし。
之等船舶の被害、八拾萬圓餘にのぼり、その他、漁具・漁肥等の損害、又四拾萬圓に近く、共同製造所・共同倉庫・共同販賣所・共同養殖等の被害額拾六萬圓に達し、船溜・船揚場及築磯等被害七萬圓を加算すれば、水産業關係の被害額實に百四拾參萬圓餘に上れり。
仍つて、昭和七年末及昭和八年末に於ける桃生・牡鹿・本吉三郡の水産業戸數竝水産業者、漁船、近海漁業、水産養殖、水産物製造額等の比較表を掲げ、表によりて、震嘯災害による水産業の影響を考察せん。

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昭和七年末・昭和八年末水産業戸數比較表
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昭和七年末・昭和八年末水産業者數比較表
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昭和七年末・昭和八年末漁船數比較表
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昭和七年末、昭和八年末水産業郡別生産額調
II 漁業者罹災世帶

漁業者の罹災世帶數は、總數一、〇一五にして、各職業關係者罹災世帶總數二、二八四の半ばに達せり。
總數に於ては、本吉郡第一なるも、町村平均に於ては、桃生郡隨一たり。
漁業者世帶の總被害見積金額一、二九一、三三〇圓中、その半數以上たる六五七、九一三圓が、桃生郡十五濱村、一村のものなるは注目に値す。

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郡別漁業者家屋被害世帶調
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町村別漁業者家屋被害世帶調
III 船舶の被害

發震時は、午前二時半といふ夜半にして、沿岸住民は、津浪襲來に遭ひ、辛うじて生命を全うしたるもの多き始末なれば沿岸陸揚中の漁船の如き、到底之を避難せしむる能はざりき。折から出漁の凖備をなし、岸邊に纜を解かずして待機中のものありしが、津浪襲來の爲、乘組員と共に陸上に打揚げられ、船體微塵に破壤せられしもの、又、近海航行中、俄かに怒濤の冐す處となり、暗礁に乘上げ、沈沒せしものもあり。之等震嘯災害による遭難漁船の種類及び船舶被害種別次の如し。
一般罹災町村以外として、石卷町・氣仙沼町・塩釜町に次の如き漁船の損害あり。

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遭難漁船調(統計課調査)
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船舶被害種別調
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運送船被害表
IV 漁具の被害

漁具の被害は、被害漁船登載中のもの約半數、漁船の流失破損とその運命を共にし、他の半數は、沿海漁村の家屋に置藏せられたるものなり。

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漁具の被害調
V 魚肥の被害
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魚肥の被害
VI 漁業組合の被害

漁村經濟の最大缺陷たる漁村金融逼迫緩和を一契機として生れたる漁業組合數は、本縣下を通じて一〇三に及べるが、今回の震嘯災害によりて被害を蒙りたる組合數二八、その他の團體三にして、之等共同施設たる共同製造場・共同倉庫・共同販賣所等、共同施設の被害個所數總計九八ケ所を數へ、被害額拾六萬圓に達せり。


◎漁業組合共同製造場各個別被害調
本吉郡唐桑村 穀田周藏外九名團體小野寺佐太雄外九名團體
同 大谷村 金澤要次郎外九名團體
同 歌津村 歌津漁業組合
同 戸倉村 戸倉漁業組合
同 十三濱村 十ケ濱漁業組合(大室、小泊、白濱、小指、大指、小瀧、長塩谷、相川)
桃生郡十五濱村 名振漁業組合 雄勝漁業組合
同 船越漁業組合 分濱水濱漁業組合
同 大濱漁業組合
牡鹿郡女川町 女川濱漁業組合 女川海産物製造組合
同 桐ケ崎漁業組合 出島漁業組合
同 大原村 谷川漁業組合 給分小淵漁業組合
同 鮫ノ浦漁業組合 寄磯漁業組合
宮城郡塩釜町 共立漁業共同組合


◎漁業組合共同倉庫被害調
本吉郡大谷村 及川彦左衛門外九名團體
桃生郡十五濱村 名振漁業組合 船越漁業組合
同 熊澤漁業組合 雄勝漁業組合
牡鹿郡女川町 女川漁業組合 桐ケ崎漁業組合
同 女川海産物製造組合 出島漁業組合
宮城郡塩釜町 共立漁業共同組合


◎漁業組合共同販賣所被害調
本吉郡歌津村 歌津漁業組合
牡鹿郡女川町 鷲ノ神漁業組合

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漁業組合の被害
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被害總計
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震嘯災害築磯被害調
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震嘯災害復舊船溜船揚場工事一覽
第五節 商工業
I 商業の状况

「三陸沿岸」は、その地形・地勢の然らしむる處として、多く水産物は自供自足すれども、農産物は、地方住民の食料を充たすに足らず、之等は多く、石卷・塩釜等の物資輸送の大集散地を經て、交易せらるるものなり。
從つて、「三陸沿岸」の商業は、石卷・塩釜・氣仙沼・女川・志津川等の海産物貿易を除きては、沿岸に大規模に行はるる事なし。殊に山間僻地の漁村部落に於ては、日用品の如きも、女川・志津川・氣仙沼等の港市より行商に入り込みてその需要を充すの現状にあり。大小の灣内を航行する發動機船に、柴刈風に、販賣品を入れたる箱乃至風呂敷を背負へる行商人の必らず一、二名の見らるるは、この間の消息を充分物語るものならざるべからず。

II 工業の状况

「三陸沿岸」は、往古、金をはじめ、鐵・銅等の産出ありたるが如く傳へらるるも、その産出、程無くして絶えたるものの如く、ただ山金として、本吉郡大谷に採掘操業せられ、今日は、本郡屈指の産金地となれり。
從つて、金屬製品は、本吉・牡鹿等の諸郡に行はれ、鐵工業者の工場、沿岸に尠からず。又桃生郡十五濱村及牡鹿郡女川町一帶には、スレートの産出ありて、漸次工業製品としての販途多ければ、之等從業者は、一の工業組合を設立せんとの意志を抱けり。されど要之、本縣下の工業は、之を全面的に觀察せば、未だ手工業の域を脱せず。

III 商業の被害

商業從事者中、家屋流矢五七世帶、全潰一一世帶、半潰一四世帶及び床上、床下浸水三九二世帶を出せり。
この中最も甚だしきは、十五濱村にして、流失に於て、二六世帶、即ち全流失世帶數の半ばに近く、全潰七世帶にして、總世帶戸數の半ばを超え、その他、半潰・浸水等を加ふれば、總被害戸數七三世帶に達し、罹災總戸數の約一五%強に當れり。
流失に於ては、唐桑・歌津これに次ぎ、全潰に於ては唐桑二世帶にして第二位を占め、半潰にては、十三濱の四世帶次位たり。
浸水に於ては、女川斷然多くして、一九〇世帶を算し、志津川の八五世帶も有數なり。女川及び志津川の浸水戸數多きは海岸及び河流に面せる市街地に冠水ありたるが爲なり。

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郡別商業罹災者世帶調
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町村別商業罹災者世帶調
IV 工業の被害

工業從事者家屋(住家)の被害は、世帶數流失七六、全潰一二、半潰三六及び床上・床下浸水一一○にして、被害總戸數二三四に逹し、商業被害世帶の殆んど半なり。
工業從事者の家屋被害に於ても、商業に於けるそれと同じく、桃生郡十五濱村隨一たり。罹災町村工業關係家屋流失・全潰八八世帶中、七二世帶は十五濱村なり。その他、半潰・浸水等を加ふれば、同村のみにて、一五七世帶となりて、罹災町村總被害戸數の三分の二を占む。

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郡別工業罹災世帶調
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町村別工業罹災者世帶調
第六節 其の他の被害
I 産業組合の被害

イ、事務所及倉庫の被害
産業組合事務所及び倉庫の被害は、桃生郡十五濱村にて、雄勝製硯販賣購買組合及十五濱村信用購買販賣利用組合所有のもの夫々流失したるに過ぎず。
なほ、倉庫に於ては、登米郡佐沼町に於て、地震そのものによる全潰一棟ありき。


ロ、組合員の被害
罹災地組合員の被害竝關係損害高次の如し。

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罹災地組合員の被害竝關係損害高
II 鹽竝煙草の損害

仙臺地方專賣局にては、「三陸地方震災」と同時に大曾根副參事を現地に急行せしめ、塩竝に煙草の販賣、被害状况を調査せしめたり。
その調査報告によれば、宮古の塩取引所に貯藏中の塩二十萬サロが浸水せる爲、約壹萬圓の損失を受けし外、宮古・岩泉の煙草小賣人四名死亡せり。
而して、宮城、岩手兩縣を通じて、「三陸沿岸」に亘りて、流失せる塩八百五十俵、煙草壹萬八千參百餘圓と算定さる。
煙草及塩小賣人にして、流失・倒潰家屋を出せるもの左表の如し。

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鹽竝煙草の損害

第三章 交通・通信機關及電燈の被害

第一節 道路・橋梁・河川・海岸
I 道路の被害

道路の被害は、一般被害程度とその割合を等しうし、本吉郡下に最も多く、牡鹿・桃生之に次ぐ。
「三陸地方」は、從來交通不便にして、近年縣道たると町村道たるとを不問、大いに改修せらるる處ありて、面目を一新せるものありし際なれば、震嘯當時、改修或は開鑿せられしもの尠からざりしに、今次の震嘯により決潰乃至路面沈下を來せるものあり。
本吉郡十三濱村月濱の決潰、同階上村波路上、及桃生郡十五濱村名振の海岸道路の崩壤、牡鹿郡大原村大谷川の路面沈下の如き、その著しきものなり。
被害道路の總延長、縣道に於て、六七九二・三米、町村道に於て、一、八二九・七米にして、これが復舊施行箇所及び査定工費左の如し。
因みに、道路復舊は、海岸に沿へ箇個所多く、實質的には、海岸護岸工事を兼用せるもの多し。

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○縣費事業
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○町村費事業
II 橋梁・河川・海岸の被害

激震に伴へる津浪の物凄き怒濤は、壓するが如く、脅すが如く、狂奔、見る間に灣口ヘと襲ひ來りて、北上・追波等の如き大河川は勿論、小流と雖、潮流急激に潮上し、或は堤防、或は橋梁等を悉く流失、破壤、破損せしめたり。爲に、人及家屋の被害、極めて僅少なる牡鹿郡鮎川町(鮎川、十八成)・同女川町・本吉郡志津川町の如きも、橋梁の流失、破損亦尠からざりき。
小流に架せる橋梁の流失、破損せるものに對して、假橋架設その他の應急修理は、第二師團より派遣せられたる「工兵第二大隊」の盡力に負う處大なり(第三編應急措置及救護第二章政府の救護・援助第二節陸軍の救援の條參照)


橋梁・河川・海岸被害延長
橋梁 縣工事 七五、五五米 町村工事 一七、四米
河川 縣工事 七二〇米 町村工事 一三五米
海岸 縣工事 七、三〇八、六四米 町村工事 三、七一六、九四米

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橋梁・河川・海岸の被害
第二節 郵便・電信・電話・ラヂオ

本縣下の郵便・電信・電話等の被害は、岩手縣下の激甚なる損害に比すれば、同日の談に非ざるも、電信・電話線の復舊には尠からざる費用と苦心とを沸へり。

I 郵便

イ、局舎・郵便物の被害及事務復舊
(1)十五濱局(局舎浸水)
十五濱局は、安政三年・明治二十九年兩度の津浪にも浸水するところとなりしが、今回も亦床上二尺餘の浸水を蒙り普通・通常二〇通、代金引換小包三個の濕潤被害を受けたり。なほ、郵便物取片附に努力せる從業員一名は、遂に波濤のため殉職するが如き悲慘事もありたり。
仍て三日午前八時雄勝小學校上手武山靜夫宅に假郵便局を開設し、電話通話事務は三日午前九時より、電信事務は同午前十時三十分より開始し、其の他の事務は、同日午後六時半本局舎に移轉の上開始せり。


(2)女川局(局舎浸水)
女川局の被害は、敷地が冠水せる程度なれば、郵便物の被害は全くなく、爲替事務は三日午前九時四十分より、保險事務は同日正午より開始し、其の他は平常通り事務を取扱ひたり。


ロ、郵便線路の被害
本縣下に於て、鐵道郵便線路及通常道路には、何等障害なかりき。水路郵便線路の塩釜・宮古線中・釜石・宮古間は、二日始點地發下便及三日始點地發上便に限り缺航せるも、次便より復舊せり。


ハ、從業員死傷竝家屋被害
遞信從業員中、十五濱郵便局從業員一名行方不明となり(既述、殉職せしものと認めらる。)大島郵便局從業員一名負傷せるが、從業員家屋被害は左表の如し。

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從業員家屋被害
II 電信電話の被害

イ、電信・電話線路の被害


ロ、電信・電話・器具・機械類の被害
仙臺遞信局管内に於ける電信・電話器の被害は、電信に於て地氣端子流失二、破損二五、以下ダニエル電池等都合一二一單位の被害を見、電話に於て磁石式加入者可鎔片管四二四個、加入者保安器二二四個以下、共電式加入者受話器・背面板・加入者デルヴエル送話器等合計二、一○○單位(個、板、臺)の撓失・流失・浸水・破損等の被害を受けたり。


ハ、震嘯災害直後八日間の電報取扱状况
此の表に於て見る如く、震嘯當日及び翌四日に於て、關係郵便局の取扱數平日の約七倍強より八・五倍の數にのぼれり。


二、簡易保險金及貸付金非常局待彿調


ホ、貯金非常沸取扱状况表(岩手縣の分を含む)

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電信・電話線路の被害
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震嘯災害直後八日間の電報取扱状况
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簡易保險金及貸付金非常局待彿調
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貯金非常沸取扱状况表(岩手縣の分を含む)
III ラヂオの聽取料免除及聽取廢止

震嘯罹災民救濟及慰安の一助として、日本放送協會東北支部にては、災害當日より五月末日迄、被害地域たる三縣・八郡四十六町村の聽取加入者に對し、聽取料の免除をなせしが、災害後聽取廢止を申出でたるものも尠からずありたり。各町村聽取料免除數及び聽取廢止數左の如し。

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昭和八年 三陸震嘯による聽取料免除地域及聽取者數竝聽取廢止數調(宮城縣分)
第三節 電氣事業
I 縣電の被害

イ、宮城縣電氣工作物被害状况明細表


ロ、宮城縣電關係配電不能箇所明細表


ハ、町村別配電系統被害状况調

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宮城縣電氣工作物被害状况明細表
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宮城縣電關係配電不能箇所明細表
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町村別配電系統被害状况調
II 氣仙沼水力電氣株式會社の被害

1、被害状况
被害地域は海岸一帶即ち、唐丹、吉濱、越喜來、綾里、赤崎、大船渡、盛、末崎、小友、廣田、米崎、高田、氣仙の各町村にして、配電線以下需要家屋内設備に至る被害次の通とす。


(イ)發電所 日頃市第一、同第二、世田米及盛各發電所共被害なし。


(口)變電所 高田、鹿折、兩變電所共被害なし。


(ハ)送電線 全線に亘り被害なし。


(ニ)配電線 支持物に於て四〇〇本折損又は倒潰(内流失せるもの三〇〇)せり。


(ホ)需要家屋内設備 需要家一、〇七〇戸流失し、電燈數に於て二、○○○燈(街燈を含む)電動機七ケ所六〇馬力の被害あり。
以上損害見積概算高 五、○○○圓とす。


2、復舊状况
吉濱、唐丹の兩村は十日、其の他は九日迄全部點燈の運びに至れり。

第四節 鐵道

「三陸沿岸」には、由來鐵道の敷設普からず。やや海岸に沿へるは、久慈線、山田線及釜石輕鐵の一部にして、本縣内の大船渡線を加へて、四線を數ふるのみ。
而して、今回の地震の震源地は、遠く海中に在りたるを以て、地震により、陸上に龜裂を生じ、或は、地層の陷落せる事等尠し。從つて運轉中の列車・貨車等の顛覆脱線の如きは皆無にして、鐵路の破損等の如きも甚だしく大ならず。ただ、久慈線種市、陸中八木間(青森縣)に於て、八木川架橋の橋梁の一部及び附近の築堤護岸張コンクリートの缺壤せしものを最なりとす。」
仙臺保線事務所管内にて、被害の甚だしきもの次の如し。


其の他、仙臺運輸事務所管内にて三十ケ所、本縣管下にて二十五ヶ所、驛舎・官舎・機關庫等に於て、煙突三個の破損をはじめ、壁瓦等の剥落、窓硝子の破壤等あれども、之等は極く輕微なる損害なり。
尚、全國各地より「三陸沿岸」の各地に、鐵道便を以て發送せられたる合計百十一個の貨物及小荷物は、罹災地にありたる爲に、流失或は、全部乃至一部濡損したり。
されど、之等は凡んど岩手縣下沿岸に於けるものにして、本縣下に於ては一件もかかる事なし。

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仙臺保線事務所管内被害
第五節 警察電語
I 被害及應急措置

警察電話の被害竝に之に對する應急措置は、次の如くにして、當局は、假修理の爲、六五四圓四五錢を支出せり。


三月三日
一、十五濱巡査駐在所電話に被害あり。直に工夫を派遣、應急假修理を施し、開通せしむ。
一、志津川・伊里前・津谷・大谷方面線路の被害に對しては、應急修理の爲、工夫を派遣し假開通せしむ。


三月五日
一、十五濱方面の被害假復舊したるも、通信連絡上不便なるにより、十五濱巡査駐在所の電話を同村役場に假移轉し公私とも災害上便利なるを得たり。


三月七日
一、第二師團より軍用ゴム線及電話機を借入れ、自動車にて十五濱・船越間の警察電話を假架設せり。
一、氣仙沼線路被害復舊及架設修理の爲、淺水・米谷間及津谷・大谷間の線路復舊架設修理の爲、工夫・人夫を派遣し同工事を施行せり。


三月十一日米谷、淺水間


三月十三日より二十三日迄津谷、大谷問

II 復舊及新架設

縣當局は、復興費九、八三四圓を以て、前記警察電話の本修理竝今回の災害の結果、痛切に警察電話の必要を感ぜし左記罹災地への新架設費に充て、夫々實施完了せり。


新架設線
一、氣仙沼・唐桑間一回線架設工事施行(昭和八年四月十一日起工 同年五月八日竣功)
一、十五濱村巡査駐在所線路復舊工事施行(昭和八年四月七日起工 同年四月十四日竣功)
一、志津川・伊里前間一回線架設工事施行(昭和八年五月八日起工 同年五月十七日竣功)
一、橋浦・十三濱間一回線路架設工事施行(昭和八年五月二十四日起工 同年六月四日竣功)

第四章 學校・官公署の被害

第一節 學校
I 罹災學校數及校地校舎の被害

本縣二市二百町村二百八十八校中、災害を被れるは、亘理・名取・桃生・牡鹿・本吉の五郡二十ケ町村三十二校なれども、其の甚だしきは、桃生郡十五濱村・牡鹿郡大原村・本吉郡十三濱村・歌津村・小泉村・唐桑村の六ヶ村十一校なり。
小學校及其の他の校舎にして、倒潰・流失せるものなし。然れども、床上まで浸水せる學校二校あり。殊に桃生郡雄勝小學校は床上四尺餘の浸水にて、腰板・床板・壁・硝子窓等の破損甚しく、尚同校教員住宅二棟、使丁室一棟半潰せり。

II 罹災兒童及教員

災害地小學校の在籍兒童約一萬七千三百十八人にして、其の中罹災せる兒童約二千三百五十六人中死亡兒童二十三人、行方不明兒童十七人、負傷兒童十八人、又、災害地小學校に勤務せる教員にして、罹災せる教員二十三人なり。その詳細は次表の如し。

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罹災兒童及教員調(昭和八年三月十五日現在)
第二節 官公衙

罹災區域は、本縣下に於て、比較的行政的主腦部とも謂ふべき地方に非ざれば、官公衙の被害を受けたるものは、極く少數にして、被害程度も極めて輕微なり。
加之、神社、小學校等の村落信仰・教育の中心ともなるべきものは、多く山腹、高臺等に設けられ、災害當時罹災民の避難箇所と目せられたる程なれば、之等の損害として數ふべきものは、寧ろ焚出・罹災民收容による拜殿・教室等の汚損、摩擦等による間接的のものなり。


被害箇所及種類次の如し。


一、村役場
十五濱村役場
志津川町役場 (損害額) 一、一〇〇、円○○


一、三等郵便局
十五濱郵便局 (被害程度) 床上二尺浸水
女川郵便局 (被害程度) 敷地冠水


一、巡査駐在所
十五濱村雄勝巡査駐在所 (損害額) 一一六、円六〇
女川町尾浦巡査駐在所 (同) 三四、五〇

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官公衙被害調

第三編 應急措置及救護

第一章 侍從御差遣竝御救恤金御下賜

第一節 畏き大御心

至仁至慈なる 天皇・皇后兩陛下におかせられては、三陸地方震嘯災につき、關係大臣の奏上を聽召され、畏くも痛く宸襟を惱まし給ひ、御内帑金御下賜の御沙汰ありたり。
依て、宮内大臣より本縣知事に對し、左の如く電報ありたり。


本月三日管下強震ノ爲被害尠カラサル趣聞シ召サレ御救恤トシテ
天皇・皇后爾陛下ヨリ金八千圓下賜セラル
宮内大臣(八年三月四日午後二時十八分着)


この電報に接し、知事は恐懼措く處を知らず、早速、宮内大臣宛、謹みて左記御禮の電報を發送せり。


縣下沿岸地方災害ニ際シ、罹災者御救恤トシテ
天皇・皇后兩陛下ヨリ特ニ金員ヲ下シ賜リ恐懼感激ノ至ニ堪ヘス
謹テ御禮申上ケ奉ル 右宜敷御執奏テ請フ
宮城縣知事 三邊長治


而して、同日聖旨の優渥なる、親しく侍從を遣して、罹災地の慰問竝に視察に任ぜせしめたまふの御沙汰あり。
其ノ管下震災ノ爲被害尠カラサル趣聞召サレ、思召ヲ以テ侍從大金釜治郎ヲ差遣ハサル同侍從ハ本日午後十時三十分上野驛發ニテ明五日午前七時仙臺驛着ノ豫定ニ付同所ニテ岩手縣知事竝青森縣知事ト萬事打合セアリタシ。
宮内大臣(八年三月四日午後三時着)


仍て、本縣知事は、直ちに、岩手、青森兩縣知事宛、五日午前七時迄に、來仙せられたきむね通知したり。
乃ち、石黒岩手縣知事竝多久青森縣知事は、早速列車にて來仙され、侍從と相前後して本縣廳に到着せられたり。
又、四日、縣下牡鹿、桃生郡下の罹災地視察をなし、五、六兩日本吉郡下に赴かんとせる三邊本縣知事は、この御沙汰を拜し、四日の族程を了ふるや、翌日よりの豫定を變更し、急遽歸廳せり。

第二節 聖旨傳達

尊き聖旨を奉戴せる大金侍從は、丹羽社會局長官以下帶同、五日午前七時仙臺驛着、三邊知事以下の出迎へを受け、針久別館にて朝食を攝りたる後、縣廳に向はれ、正面玄關に列立出迎への廳員に、輕く會釋を給ひて、四階貴賓室に入らる。
小憩の後、午前九時に至り、清水谷學務部長の先導にて、傳達式場たる正廳に入られ、やがて、三邊知事に對し、嚴かに聖旨を傳達せられしが、ついで次の順序により、御下賜金を傳達せられたり。


一、宮城縣
二、岩手縣
三、青森縣


ついで關係縣知事より、謹み畏みて、聖旨拜受につき奉答ありたる後、知事應接室に入られ、同所にて、本縣知事より、管下竝に被害状况報告を聽取せられたり。

第三節 侍從の罹災地覗察竝慰問

有難き 聖旨を奉じたる大金侍從は、三邊知事、二階堂秘書、野村保安兩課長、佐々木社會事業主事、吉野仙臺聯隊區司令官、出口仙臺憲兵隊長、上野第二師團參謀、庄司縣議等の案内にて、次の如き旅程にて、震嘯罹災の實地につき視察竝慰問の爲、出發せられたり。


第一日〔三月五日(日)〕
午前九時五十分 宮城縣廳發
同十時 電鐵仙臺驛發
同十一時四十分 電鐵石卷驛着
同十一時五十分 石卷町日和山着(晝食)
午後一時 石卷町日和山發
同二時二十分 大原村着
谷川部落
鮫浦部落
視察約二時間
同四時二十分 大原村發
同五時四十分 石卷町千葉甚旅館着泊


第二日〔三月六日(月)〕
午前七時 石卷町發
同九時 十五濱村雄勝着
同九時三十分 同所發
(途中十三濱村ノ状况聽取)
正午 志津川町着
晝食(常盤)
午後零時四十分 同所發
同一時 歌津村着
同四時十分 唐桑村只越着
同四時三十分 同所發
同六時 氣仙沼町菅原旅館着泊


第三日〔三月七日(火)
岩手縣へ


■第一日(三月五日)
午前十一時四十分石卷着の大金侍從は、石母田町長の案内にて、日和山迎陽閣にて午餐を攝られ、午後零時五十分、自動車にて牡鹿郡の罹災地視察に向はれたり。
この頃よりして朝來の雨は雪と變じ、渡波町を過ぎて風越峠に差しかかれば、ぬかるみ甚しく、八臺の自動車は車輪を沒する泥濘に難行を續けたり。
車窓を打つ雪を透して見る蛤濱、桃の浦、月の浦の風光に變りなく波穩かなるも、行く手の被害地を想ひて人々の心重し。
大原村の入口より谷川に向ふ田圃道のぬかるみは、遂に自動車の通行に難く、一同下車して漸く谷川に到着す。安藤同村助役、八卷石卷警察署長の報告を受けられたる大金侍從は、慘たる被害地を眼のあたりにして、今更の如き感に打たれたり。
谷川部落の入口早川醫院に負傷者四名收容中と聞き、大金侍從は同醫院を訪ね一々負傷者に對し、「不慮の御災難でお氣の毒でした。誠に御同情に堪へません。御加減は如何ですか。心強く治療して下さい。」と、丁寧に言葉をかけられたり。續いて阿部谷川區長宅を訪ね、同家に避難中の人々にも同樣慰籍の言葉を述べらる。
斯くて海岸に立ちて、三邊知事、野上宮内屬等と四方をながめ、倒潰せる家屋、流失せる屋敷跡等、そぞろに暴虐の跡を偲べり。ついで、石卷より廻航せる「貞山丸」に一行は移りて、第二の被害地同村鮫の浦に向へり。
下船せる刹那見るも哀れなる野邊の送りの樣を見たり。
聞けば、前日の四日午後四時頃掃海作業にて發見されし同部落の被害者阿部とめ(七九)、伊藤こう(五五)兩老女の死體埋葬行列なりき。數十人の濱人、僅かに青竹に提燈を吊せるものを持つのみなり。
大金侍從、三邊知事等は、この有樣に胸を衝かれ、しばし瞑目弔意を表せり。此處の被害状况も亦「悲慘」の二字に盡く。
大金侍從は同部落伊藤豐吉宅に收容せられたる避難民二家族中の負傷者伊藤仙太郎氏(五三)に對し、「思はぬ御災難でした。御加減はどうですか。」と、同じく慰問あり。伊藤氏の兩眼には感激の涙見えたり。
同家を辭し、再び貞山丸に乘込みしが、往路の泥濘より見て、自動車は非常に危險なりとて、豫定を變更し、貞山丸にて女川港に着きしは午後六時五分過ぎ、視察第一日を終へて、大金侍從ならびに知事の一行は六時半石卷に歸り、千葉甚旅館に投宿せられたり。


■第二日(三月六日)
午前七時、自動車にて石卷を出發、桃生郡十五濱村雄勝に向ふ。八卷石卷警察署長以下の警察官は、女川灣より、内務屬一行と貞山丸に便乘し、雄勝一帶の警戒に當れり。
一行は、夜來の寒さに、前日の泥濘も凍てつきたる爲、雄勝峠も難なく越えて、八時半雄勝部落に到着、成澤村長、鈴木飯野川警察署長等の出迎を受け、荒れ果てたる同村役場に於て該被害状况を調査せり。
大金侍從、三邊知事一行は悲慘なる状况に胸を衝かれながらも、復舊へと取片附を急ぐ多數の人々、應援の爲、出動中の伊藤工兵少尉の指揮する工兵第二大隊より派遣されたる三十五名の下士以下の兵、竝に賜暇を得て歸省したる遠藤兵曹外六名の海軍兵が、作業衣袴も凛凛しく立働く樣に、感激の色を示し、折柄通り合せたる鈴木兄弟 - 九人家族中七人を失ひて生き殘りたる二人 - に對し、種々、遭難状况及其の後の處置等に就いて質ねられ、或は慰められ、歸途大川村役場に出張中の十三濱村臨時出張所を訪ねられ、千葉村長より慘害の状况、今後の對策等に就き聽取せられ、次いで、志津川町にて午餐、午後一時出發、歌津村小學校にて、阿部村長より同村の被害状況報告を受けられ、屈曲の惡路を辛うじて小泉村へと急がれたり。同村には、松山・高橋の兩縣議出迎ふるありて、其の後兩縣議は一行に加はりたり。
氣仙沼を過ぎ、唐桑村に至れば、やがて、被害地近く、只越の峠に於ては、大金侍從、三邊知事の乘られたる自動車遂に進まず、困惑の末、惡路に下車し、車輪にチェーンを捲き着け、漸くにして惡路を脱し、只越部落に入るを得たり。部落の入口なる伊藤孫之助宅にて、龜谷區長より被害状况を聞かれ、大金侍從には、「死者の始末はどうしましたか。村費で埋葬しましたか。部落費で埋葬しましたか。罹災者の衣服、寝具には困りませんか。」等、詳細に渉りて尋ねられ、其の説明を聞かれては一々頷かる。やがて、被害地の海岸に立たれ、其の慘状には、暗然として心なしか兩眼を曇らせられたり。
折柄、地震と津浪の關係に就き、同部落の實地調査の爲、出張中なりし中央氣象臺の國富技師は、大金侍從の前に出で意外の久濶を叙せり。
聞く所に據れば、大金侍從と技師とは、高等學校在學當時の同窓生にて、計らずも、被害地に於て、各重大責務を持つての奇遇たりしなり。
其の傍に位置を占めたる、焼け殘りの材木にて、辛うじて急造したる假小屋は、之、九人家族中八人をば無慘にも奪はれたる吾妻徳之助の佗住居なり。
侍從は、入口に掲げたる莚を開きて、優しく中なる徳之助を慰められ、次いで、半潰家屋の中に、橋場きよの家族を慰められ、歸途不慮の死を遂げたる人々の家族を一ヶ所に集めて鄭重なる慰問の言葉を賜ひ、三邊知事は、「何んとも申上げやうのない御氣の毒な事でした。今回御内帑金の御下賜もあり、縣も出來るだけ將來の事に一層努力してゐるから、心を強く持つて下さい。」と諭し、再び只越峠を越え、氣仙沼に至り、菅原旅館に投宿、二日間に亘る宮城縣被害地の實状調査を終ヘらたり。

第四節 御下賜金傳達及交付要項

震嘯災害の翌日、御救恤あらせられ、罹災民を一刻も早く慰問せむとせられたる、大御心に對し奉りても、御下賜金の傅達を迅速になし、且つ忝き聖慮に副ひ奉るべく、愼重協議せる縣當局は、三月十七日、左記の如く、その傳達の儀竝に御下賜金交付につき關係町村長に對し通牒を發せり。
昭和八年三月十七日
宮城縣知事官房主事


罹災地關係町村長殿
御下賜金傳蓬ノ義ニ付依命通牒
本月三日縣下震災ノ爲特ニ
天皇
皇后兩陛下ヨリ御下賜アラセラレ候御救恤金左記ニ依リ傳達可相成候條別記要項ニ基キ貴町村ニ於テ災害當時罹災シタル者ニ對シ速ニ交付相成度
追テ交附完了ノ上ハ別記御下賜金交付標準別ニ拜受者住所氏名(御下賜金ノ交付ヲ受クル者ニシテ本人ニアラサルトキハ其ノ續柄等ヲ明記ノコト)及交付金額竝交付年月日遲滯ナク御報告相成度申添候





傅蓬金額金
傅達日時 三月二十日午時
傳達場所
傳達ノ爲出張スル者ノ官職氏名
御下賜金交付要項


一、御下賜金交付標準
1、死亡者、行方不明者 一人當 一〇
2、負傷者 一人當 四
3、住宅全流失 一世帶當 七
4、住宅全潰 一世帯當 五
5、住宅半流失若クハ半潰 一世帶當 二
6、住宅ノ床上浸水 一世帶當 一
備考
 一、各罹災者ニ御下賜金交付スル標準ハ大體右ニ依ルコト
 二、右標準ニ依リ算出ノ際圓位未滿ノ端數ヲ生スルモ成ルヘク之ヲ圓位ニ止ムルコト


二、御下賜金交付ノ方法
 一、御救恤金下付ノ恩典ニ浴スル範圍ハ内外人ヲ問ハス今回ノ震災ニ遭遇シタル者ニ及ホスコト
 二、死亡者、行方不明者及負傷者ニ付テハ罹災當時罹災地ニ在リタル者ニ限ルコト但シ世帶ヲ構ヘテ居リタルト否トヲ問ハス
 三、負傷者ニ付テハ一週聞以上醫師ノ治療ヲ受ケタル者トスルコト
 四、住宅ノ罹災ニ付テハ罹災當時罹災地ニ世帶ヲ構へ居リタル者ニ限ルコト但シ罹災シタル住宅ハ自家タルト借家タルトヲ問ハス


三、御下賜金交付手續
 一、御下賜金交付ノ際ハ御沙汰書及知事ノ告諭寫ヲ交付シ克ク 聖旨ノ徹底ヲ期スルコト
 二、御下賜金ノ交付ヲ了リタルトキハ別紙印刷ノ拜受證ヲ各人ヨリ差出サシムルコト
 三、御下賜金ハ奉書紙ニ包ミ水引ヲ掛ケ各人ニ交付スルコト(奉書紙及水引ハ縣ヨリ送付ノモノヲ使用スルコト)
 四、御下賜金ハ住宅ノ罹災者ニ就テハ世帶主ニ、死亡者・行方不明者ニ就テハ其ノ遺族(遺族ナキトキハ葬祭ヲ行フ者)


負傷者ニ對シテハ其ノ本人(又ハ世帶主)ニ夫々交付スルコト

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負傷者ニ對シテハ其ノ本人(又ハ世帶主)ニ夫々交付スルコト
第五節 御下賜金傳達
I 傳達の次第

御救恤金御下賜の御沙汰を拜し、直ちに罹災町村長をして被害状况を調査せる縣當局は、前記の如き、傳達の儀及び御下賜金交付要項に基き、三月二十日を期して、關係十七ケ町村に對し一齊に傅達を行へり。(別表、御下賜金交付種類及頒賜調參照)


傅達金額、日時、町村、場所、及傳達の爲縣當局より出張せる係員左の如し。

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御下賜金交付種類及頒賜金額調(各町村別)
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御下賜金竝傳達ノ日時、場所及出張者
II 知事の告諭

三邊宮城縣知事は、今回の災害につき特に侍從を御差遣遊ばされ、同時に御救恤を御下賜せられたる 聖恩に答ヘ奉り、併せて罹災者の感奮自立すべき決心を促さんが爲、御下賜金傅達當日、次の如き告諭を發したり。


○告諭第二號
亘理郡 坂元村長
名取郡 閖上町長
桃生郡 十五濱村長
牡鹿郡 女川町長 荻濱村長 大原村長 鮎川村長
本吉郡 志津川町長 戸倉村長 十三濱村長 歌津村長 小泉村長
大谷村長 階上村長 鹿折村長 唐桑村長 大島村長


本月三日縣下震災ノ爲損害不尠趣被聞食 至仁至慈ナル天皇皇后兩陛下ヨリ御救恤ノ思召ヲ以テ金八千圓御下賜アラセラレタルハ恐懼感激ニ禁ヘサル所ナリ乃チ茲ニ其ノ傅達ヲ行フヘキニ付各位ハ此ノ鴻恩ニ感銘シ各罹災者ニ對シ迅速交付ヲ了スルト共ニ各拜受者ヲシテ齊シク克ク優渥ナル聖旨ヲ奉體シテ御救恤金ヲ最モ有效適切ナル方途ニ利用セシメ以テ自奮自勵家運ノ挽回ニ努メ進ムテ地方災害ノ復興ニ力ヲ致サムコトヲ期セラルヘシ
昭和八年三月二十日
宮城縣知事 三邊長治

第六節 有難き御下問

天皇陛下におかせられては、四月二十一日、折から地方長官會議に出席中の地方長官に對し、宮中豐明殿に於て、陪食仰せつけらるる旨有難き御沙汰ありたるが、その際、三陸震嘯關係地たる宮城・岩手・青森三縣知事に對し、震嘯災害の被害及復舊状况に關し、特に有難き御下問ありたり。
この光榮に浴せる三邊知事は、歸縣後大御心の有難さに咽びたり。
先には被害を聽し召さるるや直ちに、御救恤金御下賜及び侍從御差遣の御事あり、大金侍從の闕下に状况伏奏に際しては畏くも龍顔を曇らせ給ふた事を洩れ承るだに恐れ多き次第なるに、越えて四月の地方長官御賜餐に際して、重ねてこの御沙汰ありしは、聖恩の山よりも高く、海よりも深きに、縣民と共に感泣して措く能はざる處なり。

第七節 皇后陛下の御救恤品御下賜

先に、天皇・皇后兩陛下より多額の御救恤金御下賜ありて、聖恩の忝けなきに感激措く能はざりし罹災民は、越えて四月十一日、更に皇后陛下より、震嘯罹災傷病者及六十歳以上十四歳未滿の孤獨者に對し衣服地竝裁縫料御下賜の御沙汰あり。
重ね重ね下々を憐ませ給ふ御仁慈には唯々感激に耐へざる處なり。
仍て、十一日午前九時、本縣廳内正廳に於て、關係町村長參集の上、次の如き式順序を以て、御下賜品の傳達行はれたり。


式順序
關係町村長整列
各部局長各課長列席
知事出席
知事ヨリ御下賜品傳達(町村毎ニ)
知事訓示
知事退場
各員退場


尚御下賜品は關係町村長より、四月十五日より五月三日迄の間に役場若しくは小學校に於て罹災者に夫々交付ありたり。
本縣に於ける拜受者の種類別人員は左の如し。
傷病者 七十三人 六十歳以上の孤獨者 二人
十四歳未滿の孤兒 一人 計七十六人

第八節 各宮家の御仁慈
I 伏見軍令部長宮殿下の御下問

海軍兵徴募檢査御視察の爲、三月十五日午後四時三十八分、御來仙遊ばされたる、伏見宮軍令部長宮殿下におかせられては、同日、御族館伯陽閣に入らせられたるが、折から、御機嫌奉伺に參上せる三邊本縣知事に對し、三陸地方震嘯災害の状况を親しく御下問あらせられたり。
仍て、知事は恐懼措く處を知らず、縣下罹災状况を具さに奉答する處ありしに、殿下におかせられては、之に對し、有難
き御言葉を下し給へり。

II 各宮家の御救恤金

各宮家におかせられては、御救恤の御思召あり。
三月九日社會局社會部長より本縣知事に對し、次の如き有難き御思召を電報を以て傳達せらる。
「各宮家ヨリ震災ニ付、御救恤金御下賜相成タルヲ以テ、貴縣ニ對シ金四〇〇圓送付ス」と。
この旨を受けたる知事は、感佩措く能はず、謹みて次の如く、御禮申しあげたり。
各縣下沿岸地方震災ニ付宮殿下ヨリ御救恤金下賜アラセラレ感激ニ堪ヘス、謹ミテ御禮申上ク右宜敷御執成ヲ請フ
宮城縣知事 三邊長治
各宮家別當(事務官)宛
而して、同日社會局社會部長より本縣知事に對し、次の如き通牒あり。
震災御救恤御下賜金ニ關スル件通牒
今般各宮家ヨリ三陸地方震災ニ付御救恤トシテ別紙目録寫ノ通御下賜相成候ニ付貴縣ニ對シ金四百圓也別途送付候條御査
收ノ上御禮言上竝分配方可然御取計相成度


(寫)
金貳千圓
右三陸地方震災ニ付御救恤金トシテ御下賜
秩父宮
高松宮
閑院宮
東伏見宮
伏見宮
山階宮
賀陽宮
久邇宮
梨本宮
朝香宮
東久邇宮
北白川宮
竹田宮
昌徳宮
李鍵公家
李■公家

III 御救恤金の頒賜

各宮家御救恤の頒賜傳達については、縣當局は、愼重協議を遂げたりしが、一般義捐金の分配と時を同じうして、次の如
く頒賜の件を關係罹災町村長に對し通牒したり。
昭和八年八月二十三日 學務部長
町村長殿
各宮家御下賜金傳達ノ件依命通牒
三月三日三陸地方震災ノ爲思召ニ依リ各宮家ヨリ別紙寫ノ通御救恤金御下賜アラセラレ内本縣ニ對シ金四百圓御下賜アラセラレ候ニ付本日右傳達式擧行相成候處別記要項ニ基キ貴町村ニ於テ罹災者ニ速ニ御交付相成度
追テ交付完了ノ上ハ拜受者氏名(拜受者本人ニアラサルトキハ本人トノ續柄明記ノコト)及交付年月日遲滯ナク報告相成度
御救恤金交付要項


一、交付標準
死亡者、行方不明者、不具癈疾者、及二週間以上醫師ノ治療ヲ受ケタル傷病者一人當各一ノ割ニ依リ交付ノコト


二、交付ノ方法
1、御救恤金ヲ拜受シ得ル範圍ハ内外人ヲ問ハス交付標凖ニ掲ケタル者トシ罹災當時罹災地ニ世帶ヲ構へ居リタルト否トヲ問ハサルコト
2、交付ノ際ハ克ク御趣旨ノ徹底ヲ期スルコト
3、御救恤金ハ奉書紙ニ包ミ水引ヲ掛ケ各人ニ交付スルコト(奉書、水引縣ヨリ交付)
4、御救恤金ハ死亡者行方不明者ニ就テハ其ノ遺族(遺族ナキトキハ葬祭ヲ行フ者)傷病者ニ就テハ其ノ本人(又ハ世帶 主)ニ夫々交付スルコト
5、御救恤金ノ交付ヲ了シタルトキハ別紙樣式ニ依ル拜受證ヲ各人ヨリ差出サシムルコト


別記
拜受證
一金圓
各宮家ヨリ御下賜ノ御救恤金
右拜受候也
年月日 住所
氏名 印
町村長宛


大金侍從の謹話
畏き邊の御思召を奉じて、罹災地状况視察のため、來縣せられし大金侍從には牡鹿郡大原村鮫ノ浦より女川港に至る途中、貞山丸の甲板にて、次の如く謹話せられたり。
ほんの一部分の視察に過ぎず、纏つた事は申されませんが、私は津浪の被害の方ヘの御差遣は今度が初めてですが、海の力の偉大な事を染染感じさせられました。幸ひ避難者も落ついていよいよ復興に努力しようと意氣込んで居りますのを見て、心強く思ひます。
これも偏に東北の人達の特色であり、最も力強い東北の根底をなすものと感じました。
聖上に置かせられては東北地方が天惠に惠まれる事が甚だ乏しい事を御軫念あらせられ、如何にして東北地方に幸福を増すべきかについて御聖慮を煩はせられて居りました折、この災厄に對しては特に御軫念を煩はされたやうに拜します。
願はくは、當該地方の官憲の御努力と縣民一致の奮勵とによつて、復舊と復興とにいよいよ遺憾なきことを望む次第であります。

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御救恤金傳達調

第二章 政府の救護援助

第一節 諸官の罹災地視察
I 被害報告

三陸一帶に亘る悲慘なる状况は、先づ、ラヂオ、新聞等によりて逸早く、全國同胞の耳目に達せしが、政府各方面ヘは、縣當局より、被害状况を打電し、三月四日には知事の名を以て、内務大臣・他道府縣長官・縣下各關係警察署長宛、縣下被害各村の稍詳細なる被害状况及警察官の召集竝救援、罹災民の慘状・救護状况を、次いで九日には、罹災者收容「バラツク」建設状况の報告をなしたり。
なほ、その後も、縣保安課調査に係る被害状况は、調査の都度、關係各方面に報告せり。

II 諸官の慰問・視察

内務省にては、三月三日の災害當日、東京日々新聞社及電報通信社共用の罹災地視察の目的を以て、飛來せる飛行機に、石川事務官を同乘來縣せしめたるを手始めとし、衛生局草間防疫官をして、來縣せしめたり。草間防疫官は同日直ちに罹災地に向ひ、特に同地方の家屋、井戸、便所等の防疫施設について調査せり。
丹羽社會局長官は、三月八日、小林社會局事務官、尾花屬を隨ヘ、岩手縣より本縣の罹災地に入り、本縣佐々木社會事業主事の案内にて、關係地方の視察をなせり。
山本内相は、この悲慘事を衷心より憂慮せられ、自ら沿岸の慘禍竝びに救護状况を視察せんと欲せられしも、何分の老體なればとて、齋藤政務次官をして、之に代らしめたり。
乃ち、同政務次官は、臨時議曾に於ける災害復舊費追加豫算計上を了りたるを以て、鈴木、本田兩内務技師外屬一名同伴四月六日午前七時仙臺驛着、八時三十分縣廳訪問、三邊知事、部長、關係課長等より災害及び救護復舊状况を聽取し、後、二見本縣内務部長、佐々木社會事業主事、相澤土木技手、新妻水産技手等の案内にて、第一日は、石卷町より、牡鹿郡大原村を視察せられたり。
翌七日(第二日)は、十五濱村雄勝、志津川町、歌津村田浦を視察後、氣仙沼町ヘ宿泊せられ、八日(第三日)午前、唐桑村只越を視察後、岩手縣へ向はれたり。
農林省にては、夙に三月四日、長久保農林技師をして、内務省谷口事務官と共に來縣せしめ、本縣よりは、大槻土木技師之が案内役として、罹災地に向へり。
又、同日午前、別に同省米穀部の佐藤事務官は、曾我農林省屬と共に來仙、二見内務部長と會見、政府米の拂下につき協議せし結果、拂下を政府に請ふ事とせり。
佐藤事務官は、直ちにそのむね本省に打電せるが、政府はこれに對し、快諾し、兩三日中にトラックにて、瀬峰驛に發送する事となしたり。
復舊豫算の臨時議曾提出通過を俟ちて、後藤農林大臣は、親しく三陸沿岸視察の事を決せられたり。仍て農相は戸田水産局長、田淵曾計課長、橋本秘書官、村田屬、村上屬、十川技手等を隨ヘられ、三月三十一日午前七時仙臺着、縣廳にて三邊知事以下の災害に關する説明を受け、知事、鈴木警察部長、松本水産課長、渡邊社會課長、中谷水産技師等の案内により、自動車にて、石卷を經由、十五濱村雄勝に到着せられたり。同地の被害状况視察後、俊鳥丸にて、海路三十五浬の唐桑村只越に至り、約一時間に亘り、災害地視察及状况聽取の後、同船にて岩手縣に向はれたるが、三邊本縣知事は、翌四月一日岩手縣釜石町にて、農相一行と別れ、同日歸廳し、農相一行は、岩手・青森兩縣下の罹災地視察後、四月三日、歸京せられたり。
陸軍方面にては、陸軍省軍事調査委員長谷壽夫少將、井出少佐、大久保大尉を隨へ、三月十日陸軍大臣代理として、來縣せられたり。
先づ第二師團司令部を訪問し、多門師團長に面談の後、倉茂第二師團參謀の案内にて、午前八時三十分、本縣廳に三邊知事を訪問、親しく災害の見舞を述べたる後、同知事より災害竝救護状况等につき詳細説明を受けられたり。
又、文部省にては、山崎事務官、乙黒屬三月五日來縣、本縣須藤視學の案内にて、五・六・七三日間に亘り、桃生・牡鹿・本吉三郡の雄勝小學校以下罹災地所在六校の視察をなせり。
尚、遞信省よりは、三月五日頃、川瀬事務官、拓務省よりは、三月八日、森重事務官來縣、各罹災地の被害状况竝びに善後對策につき聽取する處ありき。

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政府各省慰問救護來訪者一覽
第二節 陸軍の救援

凡そ震嘯災害に限らず、天災地變の被害に際し、その應急措置につきて最も效果あるは、日常非常時に於ける對策を事とし、あらゆる困難に打克つの訓練をなしつつある軍隊・消防組等の團體の力なるべし。
特に、軍隊の力は、活動の敏速にして規則的に有勢なる統合力の下にあるを以て、かかる災害に際しては、地方の期待甚だ大にして、其の効果最多なるや、言を俟たず。

I 第二師團の活躍

一、震災地偵察者の派遣
三月三日、師團は、「ラヂオ」放送及新聞社の通報に依り、震源地は金華山沖にして、海岸方面の被害甚大なるを知るや、直に海岸方面全般の状况偵察の爲將校以下を左の如く派遣す。
一、山田參謀 渡波町附近に到り追波川以南石卷間の海岸
二、瀧本少佐 志津川町に到り追波川以北津谷(含まず)間の海岸
三、谷地少佐 氣仙沼町に到り津谷(含む)以北縣境に到る間の海岸
四、土田大尉 閖上町附近
五、下士官 坂元村附近


二、救護班の派遣
師團は、右偵察者を派遣すると共に、直に第一救護班(師團司令部千田軍醫正の指揮に屬する三二名)を、牡鹿郡に、第二救護班(鈴木軍醫の指揮する六名)を氣仙沼に派遣し、次いで、偵察者の報告到着するや、第三救護班(佐藤軍醫の指揮する五名)を志津川・歌津方而に、第四救護班(小川軍醫の指揮する五名)を三日夜自動車を以て派遣し、各々其附近一帶の救護に任ぜしめたり。
以下各救護班の救護の状况を述ぶれば左の如し。


(イ)第一救護班の救護状况
第一救護班は三月三日午後一時宮城電鐵にて仙臺驛出發、午後二時五十分石卷町に到着せるが、石卷に於て警察署及町役場と連絡の結果、牡鹿郡大原村及桃生郡十五濱村の被害甚大にして、兩方面共、直に救護の必要ある爲、更に二半部に分れ、第一半部(千田軍醫正以下十七名)は十五濱村方面の、又第二半部(佐藤軍醫以下十六名)は、大原村方面の救護に任ずる事に決し、夫々自動車に分乘被害地に急行せり。


一、第一半部は、三日午後七時十五濱村雄勝に到着し、同村荒屋敷の被害最も大なるに依り、同夜八時雄勝より乘船、出發、海上を經て同村大濱に上陸し、次いて船越を經て同日午後十時同村荒屋敷に到着し、直に救護に從事せり。
翌四日、午前中引續き荒屋敷の傷病者診療に任じ、救護人員二八名(延人員五六名)の内、重傷者十名に及べり。次いで四日午後船越に至り、三名を救護、更に雄勝に至り、救護所を開設し十三名を救護す。
以上の如く、第一半部は晝夜の活動に依り、良く派遣の目的を達成し、罹災者に多大の感激を與へ、翌五日仙臺に歸還せり。


二、第二半部は三日午後七時三十分大原着、直に駐在所竝役場と連繋し、同地に於て夕食を喫し、午後十一時三十分出發材料を臂力搬送の上、四日午後一時頃谷川着、直に救護に着手し、十五名の傷病者を診療せり。同日午前九時二十分同地を出發し、同十時三十分鮫ノ浦に到着す。大谷川及鮫ノ浦に於て、十名の傷病者を診療せり。午後零時三十分救護終了、午後一時二十分定期船に依り、寄磯其の他寄港地の被害状况を調査しつつ、午後三時頃女川港に上陸せり。同地には死者一名輕傷者一名にして、特に救護を要する者なき状况にて、直に自動車に依り、午後三時三十分出發、石卷着、午後五時十七分石卷發、宮城電鐡に依り、午後六時四十五分仙臺に到着せり。


(ロ)第二救護班の状况
第二救護班は、三月三日午後一時六分、列車にて仙臺驛出發、午後五時三十分氣仙沼に到着す。役場及警察署にて、本吉郡の被害の状况を承知す。即ち同町以南は、被害僅少なるも、同町以北は被害甚大にして、全滅に瀕せる部落あるを以て午後八時氣仙沼發の汽船にて唐桑村宿に到る。午後九時同地着小鯖に到る。午後十一時同地着。區長に就き實况聽取せるに輕傷三名のみなるを以て、午後十時同地出發夜行軍を以て四日午前三時石濱着。同地に於て重傷者一名を處置し、午前五時只越に到着し、同地に於て重傷輕傷計九名を診療し、午前九時大澤に向ひたり。同十一時同地着。同地に於て重輕傷八名を診療し、午後三時本縣最北端の診療を了し、爾後岩手縣高田町長部港廣田村等を巡回救護に任じ、六日歸仙せり。


(ハ)第三救護班の救護の状况
第三救護班は、三月三日午後十時五十分自動車にて仙臺衞戌病院出發。吉岡・三本木・佐沼を經て、三月四日午前二時五十分志津川町に到着し、同地警察署に於て、被害の状况を聽取し、午前五時同地出發。歌津村伊里前を經て、午前八時四十五分小泉村二十一濱に至り、二十七名の傷病者を診療せり。次いで、午後二時三十分同地を出發、歌津村港及田ノ浦に至り、四十三名の傷病者を診療し、午後七時伊里前に至り宿營せり。
三月五日伊里前出發。田ノ浦名足及石濱を巡回し、十六名の傷病者を診療し、同夜伊里前に歸還宿營せり。
三月六日午前八時伊里前出發。馬場中山及泊に至り、二十四名の傷病者を診療したる後、志津川町字細浦及清水に至り、七名の傷病者を診療し、午後七時志津川町に到着宿營。三月七日午前八時三十分同地出發、午後一時無事歸仙せり。


(ニ)第四救護班救護状况
第四救護班は、三月三日午後十時三十分、自動車に依り仙臺出發。四日午前二時三十分亘理郡坂元村字磯に到着。同地に於て十八名の傷病者を診療し、次いで、午前十時同地出發福島縣下の診療に任じ、同日午後二時仙臺に歸着せり。


三、工兵隊の派遣


(イ)第一作業隊
三月四日十五濱村雄勝附近震災被害者救助の爲、工兵第二大隊より伊藤少尉の指揮する作業隊三十七名を同地に派遣す。該作業隊は主として左記作業に從事す。
1、橋梁の架設・加工
2、各地に於ける障碍物の排除
3、船戸橋梁の加工
4、倒潰家屋の解體
5、電話架設
右作業の略々完了を得、三月九日午後一時無事原除に歸還せり。
地方官民一般に作業隊の派遣を衷心より感謝せり。


(ロ)第二作業隊
三月七日午前十一時、本吉郡歌津村管内交通路復舊の爲、工兵第二大隊より黒沼少尉の指揮する作業隊三十六名を同地に派遣す。該作業隊は、主として左記作業に從事す。
1、列柱橋の架設
2、築頭櫓の構築
3、橋礎の構築
4、橋梁の架設
右作業の略々完了を得、三月十二日午後八時十五分無事歸還せり。
歌津村の被害は、縣下に於ても甚大なる關係上、人心の動揺極度に達し、被害後數日經たるも、復興の途に就くの考慮なきのみならず官民共に統制なく、頗る困難なる状况に在りしも、作業隊の派遣に依り漸く安堵沈靜し、意氣頓に揚り、被害整理の途に就けり。
作業隊は、斯の如き状態に在るを知りたるを以て、極力官民の人心を振作する如く努め、且督勵しつつ作業を實施せるを以て、官民大に感謝し、益々軍隊の眞價を知り、尊敬其の極に達せり。
これを表示すれば左の如し。


四、通信器材


通信器材は左記の如く貸與す。
使用區間
桃生郡十五濱村雄勝-舟越-荒に至る問に通信網を構成し地方救恤の爲資する所大なり。


五、毛布配給状况


三月三日次の如く罹災地に對し毛布二、○○○枚を配給す。
本吉郡氣仙沼町 七〇〇枚
同 志津川町 三〇〇枚
桃生郡十五濱村 七〇〇枚
牡鹿郡大原村 三〇〇枚
計 二、○○○枚
三月四日次の如く罹災地に對し毛布五〇〇枚を配給す。
牡鹿郡大原村 五〇〇枚
三月八月次の如く罹災地に對し毛布二〇〇枚を配給す。
亘理郡坂元村 二〇〇枚
尚、配給の毛布は盡く、之を給與する事とせり。


六、司令部付少將以下の慰問竝視察


(イ)吉富少將
師團長代理として、師團司令部付吉富少將は、三月八日早朝出發、九日歸着の豫定を以て本吉郡被害救護の状况特に在郷軍人、出征軍人家族及遺族の状况を視察せり。尚聯隊區司令部付高橋少佐を吉富少將と同行せしめ、主として、在郷軍人出征軍人家族及遺族の被害救護の状况を視察せり。


(ロ)龜井軍醫正
師團軍醫部長龜井軍醫正は、三月四日出發同五日歸着の豫定を以て牡鹿、桃生、本吉郡に至り、第一・第二・第三救護班の救護業務を指導せり。
尚、同軍醫部長は其の際、衞生材料の一部を携行し各救護班に配給せり。


(ハ)沼田二等獸醫正
師團獸醫部長沼田獸醫正は軍醫部長と同行し同方面家畜の被害状况を視察せり。


七、罹災地下士官兵の救護救援及其れに對する戰友援助


(イ)震災地のものにして歸郷を許可したる者
准士官 三 下士官 五兵 一五一


(ロ)此等の援助の爲歸郷を許可したる者
下士官 一兵 八

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救護班救護状况
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工兵隊の派遣状况
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通信器材
II 仙臺憲兵隊の活動

一、約説
災害の報一度び達するや、仙臺憲兵隊に於ては、始終第二師團司令部竝に縣當局と連絡を取り、又中央新聞杜の通信隊と連絡し、罹災地方民の爲、機宜應變の處置に出で、陸軍の活動をして敏速且効果あらしむる處多大なりき。
從つて、この難事に當りたる仙臺憲兵隊隊員は、震嘯發生の三月三日より、同六日に至る四日間、或は本部にありて詰切勤務をなし、或は罹災地に出動して、直接救護事務に從事し、連日不眠不休にて震嘯善後の業務に服されたるは、一般の感謝する處なり。


二、災害状况の通知竝報告収受
災害當日午前八時三十分、縣警察部との連絡によりて漸く被害状况の大要を知り得たるを以て、之を直に第一報として憲兵司令官に電報すると共に、第二師團司令部竝在仙各部隊に急報したり。されど其後の状况は、激震による通信網の杜絶故障の爲、詳細を期し難く、從つて軍隊竝憲兵出動の要否を決定するの資料なかりしも、正午頃に至り、各方面の情報を綜合するに、被害の豫想外に大なるを知りたり。


三、軍隊の出動命令
仍て第二師團司令部に對し、軍隊救護班の出動必要なる旨を通報し、師團よりは取不敢第一回救護班として、四十名の將兵を午後一時八分仙臺發列車にて、氣仙沼・渡波方面に派遣する事となれり。
又、憲兵隊も同時に、下士官以下七名を同地方に分散派遣し、軍隊の行動援助と治安維持上の資料蒐集に任ぜしめ、現地より刻々被害状况を警察電話或は公衆電報により、報告の迅速を要求せしも、當時電信・電話共に混雜を極めし故、派遣者の報告迅速を期し得ざりしは、遺憾なりき。


四、新聞杜飛行機の飛來
三月三日午後二時、師團參謀より仙臺憲兵隊本部に對し電話を以て、「本日東京日々新聞杜竝電報通信社より震災による被害状况調査の爲、飛行機二機宮城ノ原に着陸許可を願出でたるを以て許可せり。尚内務省より石川事務官も同乘來縣の由なるを以て、憲兵は之等と連絡し、被害状况判明せば、師團側にも通報せられ度」との依頼あり。仍て、直ちに憲兵一名を宮城ノ原に派遣、同原に着陸の飛行機と本隊との連絡に任じたり。


五、三月三日夕刻の救護状况
午後に至り、憲兵隊本部副官は、師團參謀部に至り、師團の處置を通報し、災害状况の蒐集に就き打合せをなせり。午後四時に至り、福島縣下原町方面にも被害ある旨情報ありしにより、直ちに憲兵下士官一名を同地方に派遣し、被害状况を視察せしめたり。
午後八時に至り、午後一時八分仙臺發にて氣仙沼方面に派遣したる憲兵より、最初の被害状况の詳報を、公衆電話により通知あり。(本電話は局に申込みてより通話迄約四時間を要したり。)其後逐次詳報ありしが、それ等の報告は、罹災民に對する應急措置中焦眉の急を要するは、衣食にして、就中、餘寒嚴しき折から、衣類・寝具類の不足は、罹災民の痛心すべき點なることを力説し來れり。
この状報により、憲兵隊にては、其の旨師團司令部に通達したるを以て、司令部にては、毛布二千枚を縣當局の手を經て被害地に配給せり。


六、現役在郷軍人及軍人遺家族の被害状况調査
陸軍としては、災害による罹災者中、現役軍人家族被害及支那事變に伴ふ戰病死者遺家族の實状を調査せしめ、判明報告の都度、各所屬部隊長・聯隊區司令部に通報するの要あり。之によりて、罹災地方出身の軍人を歸郷せしめ、更に聯隊區司令部よりの依頼により、派遣憲兵をして、罹災在郷軍人の被害の實状をも調査せしむる救護資料を蒐集の上提供せり。


七、非常災害に對する將來の希望意見(憲兵隊)
將來震災等の非常災害に際し、通信機關例へば電報電話等を關係官廳に無條件優先權を與へ、逸早く被害の状况を承知せしめ、救護其他治安維持上の資料を報告せしむる如く、遞信常局と協定し置くの要あるは勿論、直接治安の責にある警察當局に於ても、軍隊出動の要ありと認めたる場合は、進んで具體的實状を軍當局に速に提供する如く便宜を圖り、以て軍民一體となり、救護共他治安の維持に當る要あるを切望するものなり。


八、仙臺憲兵隊本部の震災業務分擔表及震災地派遣人員要項


震災業務分擔表(仙臺憲兵隊本部)


隊長


副官-師團司令部トノ連絡意見具申


特務曹長
一、情報ノ蒐集ニ關スル事項
二、分隊ノ指導
三、警察部及軍隊トノ連絡
四、人員ノ派遣ニ關スル事項


警務係下士官
一、報告通報、起案淨書
二、震災日誌ノ記載


計手
一、詰切勤務ノ設備
二、旅費其他給與ニ關スル事項


附下士官
一、被害地派遣
二、全般本來ノ職務

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震災地派遣人員
III 仙臺衛戌病院の活躍

仙臺衛戌病院にては、震嘯災害の報により直に、軍醫・看護兵をして、救護班を組織せしめ、當日即刻災害地各方面に向け出發せしめしが、同救護班は災害による傷病者の手當を了し、多大の感謝を受け、それぞれ四日或は五日歸仙せり。
各救護班の編成及び救護方面竝日時次の如し。

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各救護班の編成及び救護方面竝日時
第三節 海軍の救援
I 約説

横須賀鎭守府にては、震嘯災害による罹災地縣なる本縣及び岩手、青森三縣知事の要講と海軍省の内命とにより、驅逐艦を派遣する事となり、三月三日午前十時頃出動準備に着手せり。
而して、これが任務に當れるものは、驅逐艦神風、野風、沼風の三隻よりなる第一驅逐隊と、電・雷二隻よりなる第六驅逐隊の合計五隻にして、大湊海軍要港部より岩手、青森縣沿岸に出動せる第四驅逐隊初風、帆風、太刀風、秋風、羽風と相互に連絡して、救護應急措置の事に從事せり。更に、救恤品の配給の迅速・周到を期する爲、海軍軍需部在庫品を慰問品として登載、四日夜横須賀出港、六日早朝釜石に入港し、先着の第一、第四、第六驅逐隊諸艦に、慰問品を移載し、各災害地
に分配せしめたり。
一瞬にして家屋、財寳を失ひ、膚寒き三月初旬着るに衣なく、食料に缺乏せる罹災民が、茫然供手して爲す所を知らざる際、聞くだに勇しきプロペラの晋を耳にして我にかへり、我が海軍の偵察機を空に仰ぎ、海邊近く、帝國の鎭護たる浮城を指呼の間に望み得たる、如何に心強き安心の境地に達し得たりしかは論を俟たず。
加之、海軍の根據地より積出せる豐富なる救恤品、醫療品、慰問品の迅速なる配給によりて、衣食の缺乏を速に補ひ、混雜せる交通路の復舊を見たりし際、我等が海軍のかかる災害に當りて處せらるる恩惠の偉大なるに、感謝の念の禁じ能はざるものありしなり。

II 震災情報到達直後鎭守府に於ける對策

横須賀鎭守府にては、三月三日午前二時三十一分三陸沿岸に於ける強震と之に伴へる海嘯の爲、被害甚大なる諸情報竝岩手縣、宮城縣知事よりの救護依頼の電報同日午前七時過より相次いで到着せしを以て、直に館山及霞ケ浦兩海軍航空隊司令に災害地實情偵察の爲飛行機派遣を命ずると共に、第六驅逐隊(驅逐艦、電、雷)及第一驅逐隊(神風、沼風、野風)をして、必要なる救恤品及藥品類を搭載し、救護の爲災害地に急派するに決し、之が準備を急至各部に命じたり。

III 飛行機偵察

ラヂオ、新聞號外等の報導によりて、震嘯による災害地は、大略三陸沿岸なる事を察知し得たるも、詳細なる被害状况竝程度を迅速に知るの要あるを以て、館山海軍航空隊飛行艇二機、霞ヶ浦海軍航空隊水上偵察機二機、三月三日正午近く、相前後して、館山及び霞ケ浦を出發、罹災地一帶の上空を飛翔し、被害情况偵察に當れり。かくて充分なる偵察の任務を果したる後、同日夕刻及翌四日午後各原隊に歸還し、機上偵察の各地被害状况を報告する處ありき。
偵察機の行動日程竝偵察状况次の如し。


一、館山海軍航空隊飛行艇ノ偵察 (海軍大尉 西澤愼六 指揮)
午前一〇時、四〇分 舘山發
午後○、三〇 原ノ町
原ノ町以南沿岸被害状况ヲ認メズ。金華山ニ直行
同二、一五 金華山
爾後飛行高度四〇〇米ニテ、陸岸ニ沿ヒ北上ス。途中、氣仙沼灣、廣田灣一帶ニ流木、民家ノ多數漂流セルヲ認ム。
同三、○○ 大船渡港着
北上スルニ從ヒ、流木、流出家屋増加ス。當時、西ノ風約二〇米、氣流險惡ニシテ陸岸ニ接近スルヲ得ズ
港内ノ状况詳ナラズ。
同三、二〇 釜石上空ヨリ歸途ニ就ク。
平田町ハ其ノ大部流失セリ。釜石町ハ約五分ノ一流失シ、所々ニ火災ラシキ煙ヲ認ム。略鎭火セルガ如シ。又、此ノ附近一帶ニ、多數ノ發動機船救難作業中ナルヲ認ム。
同五、○○ 原ノ町通過
同六、○○ 霞ケ浦着
一番機燃料補給、二番機館山へ直行。
同七、二〇 一番機霞ケ浦發
同七、三〇 二番機館山歸着
同八、二〇 一番機館山歸着


二、霞ケ浦海軍航空隊水上偵察機ノ偵察 (海軍大尉 伊東藤雄 指揮)


(イ)行動
三月三日
午後○時、五〇分 霞ケ浦發
同二、二〇 塩釜着。二番機ノ燃料ヲ一番機ニ移載。
同四、○○ 一番機塩釜、釜石間偵察ノ爲出發。
同六、四〇 右塩釜歸着
同九、○○ 二機共代ケ崎日本石油會社支店海岸ニ錨泊。
三月四日
午前八時、○○分 二番機■釜、氣仙沼間偵察ノ爲塩釜發。
同八、五〇 一番機氣仙沼、宮古間偵察ノ爲塩釜發。
同一〇、五〇 二番機塩釜歸着
午後○、一〇 一番機塩釜歸着
同一、五〇 二機共塩釜發歸途ニ就ク。
同四、○○ 霞ケ浦歸着


(ロ)機上偵察ニ依ル各地被害ノ状况


被害地ハ、金華山以北ノ海岸一帶ニシテ、海嘯ニ依ル流失・倒潰及火災ニ依ル被害甚大ニシテ、只越、宮古間海岸各地殆ンド全滅ノ悲連ニ遭ヒ、附近海上ニハ流木夥シク、陸上ハ倒潰・燒失・流失無數其ノ状實ニ慘憺タリ。


1、殆ンド全滅セルモノ
雄勝、只越、志津川附近小部落(以上宮城縣)、細浦、泊、綾里、越喜來、光濱、小白濱、大槌、津輕石(以上岩手縣)
2、大被害ノモノ
釜石(損害1/2程度)宮古附近(損害1/4)
3、被害比較的輕少ノモノ
渡波、鮎川、女川、伊里前、小泉、津谷、氣仙沼(以上宮城縣)、高田、盛、山田(以上岩手縣)

IV 第一次救護

横須賀鎭守府司令長官より罹災地に向け出動の命令を受けたる第一、第六驅逐隊諸艦は、軍需品、救護品等の搭載、軍醫科士官、電信員等の必要人員の補充を了へ、第一驅逐隊は、釜石以南の岩手縣及び本縣下沿岸の、第六驅逐隊は、釜石以北の救護に從事する事と夫々分憺區域を定めたり。
かくして、三日午後二時四十分、救護出動の諸艦は舳艫相踏んで横須賀港を一齊に拔錨、時速二十四節を以て目的地に向ひたり。途中、罹災地の被害状况を綜合聽取しつつ北上し、岩手縣釜石を以て救護作用の基地と定め、四日早朝迄各艦を左記の配備に就かしめたり。


第一驅逐隊
「神風」盛以北釜石に至る沿岸
「野風」盛方面
「沼風」金華山以北、盛迄(本縣三陸沿岸の大部分)の沿岸
第六驅逐隊
「電」釜石方面
「雷」山田灣方面
第四驅逐隊(大湊要港部所管)
「太刀風」鮫
「帆風」久慈
「秋風」宮古
「羽風」釜石


而して、地方官憲と協議の上、實地に於ける被害状况を考慮の上、概ね次の如き順序により救護作業の實施に當れり。


イ、罹災地に於ける治安維持
ロ、差當り二日乃至三日を支へ得る糧食竝に寝具の配給
ハ、負傷者の應急手當及醫療品の配給
ニ、交通運輸機關の復舊作業援助
ホ、救護用品の運搬及配給
ヘ、被害状况の調査


本縣沿岸は、豫定配備の如く「沼風」之に當り、女川、鮫ノ浦、雄勝諸灣沿岸の被害調査及救護品の配給に任じたり。
而して、三月八日、第一驅逐隊氣仙沼入港の際、同隊司令小林海軍大佐は、三邊本縣知事に邂逅の際、海軍大臣竝横須賀鎭守府司令長官代理として慰問の辭を述べられたり。

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地図 四日早朝ニ於ケル配備
V 軍艦「嚴島」の派遣と第二次救護

先に第一、第六兩驅逐隊の罹災地沿岸派遣を了したる横須賀鎭守府當局に於ては、四日更に横須賀海軍軍需部在庫の物品を輸送救護に從事せしむべき者、海軍大臣より訓令を受けたるにより、軍艦「嚴島」を派遣するに決し、次の如く出動凖備を整へしめたり。
出動命令に接してより、横須賀拔錨に至る迄僅々九時間半なり。
かくして、航行中救護品の積卸し凖備を完成の上、三月六日午前八時四十分岩手縣釜石沖に到着せるが、横須賀出港後無電により、第六驅逐隊司令河瀬海軍大佐と連絡し、「嚴島」搭載救護品の配給卸込を迅速正確ならしむべき目的の下に、三陸沖出動中の、第一、第四、第六驅逐隊の若干をして、六日午前九時迄、配給基地釜石沖に集合を命じたり。
而して、本縣及び岩手縣當局者と協議の上、救護品は宮城一〇、岩手三〇、青森一の割合に配給し、「嚴島」と驅逐艦間の救護品荷渡運搬用としては、宮城、岩手の兩縣より發動機船四隻を派遣使用せしむる事とせり。
かかる手順を經、釜石沖に於て、「嚴島」より救恤品、慰問品を移載の上、本縣下に向へるは、第一驅逐隊の「神風」、「野風」の二隻にして、「神風」は、氣仙沼に於て、「野風」は、女川に於て、各々毛布、軍衣袴、襦袢等の救恤品と、鑵詰、白米、砂糖、醤油、漬物以下の慰問品を陸揚し、縣當局より出張の官憲に手交し、配給方を依頼せり。
かくて、七日午前七時を以て、救恤品、慰問品の配給、一段落を告げたるを以て、同日午後九時「嚴島」は釜石沖拔錨、途中金華山沖にて夜間機雷敷設訓練、防備要地視察、溺者救助教練等をなしつつ、八日渡波沖に假泊せしが、その際「嚴島」艦長は、横須賀鎭守府司令長官代理として上陸、石卷町に赴き、同地官公署を訪問の上、震嘯災害慰問の辭を述べられたり。
九日午前七時、渡波沖を拔錨、途中夜間訓練を實施しつつ、横須賀に向ひ、十日午前十時、重大なる罹災地救援の任務を全うして、無事歸港せり。驅逐隊諸隊に於ても、「嚴島」と相前後して、横須賀へ歸港せり。

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出動凖備作業經過概要
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地図 第二次救護品配給分擔圖
VI 第二次慰問品

軍艦「嚴島」より、本縣下罹災民に配給のため、驅逐艦「神風」及「野風」に移載せる救恤品及慰問品次の如し。

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驅逐艦「神風」及「野風」に移載せる救恤品及慰問品
第四節 鐵道關係の救援及善後措置
I 約説

鐵道省にては、震災地行の救護班員及び救恤品復舊用建築用材に對し、鐵道省告示五六、六〇、六一、六四の各號を以て、制限附國鐵運賃の免除乃至割引をなしたり。
その結果旅客、關係運賃に於て、合計一五四件二、六八二人、三、二三〇圓一四、貨物關係運賃に於て、一四四件三、三六七、五四九瓩代運賃の減免を見たり。その大部分は岩手縣關係なるも、本縣關係亦尠からず。之により罹災地方の救助復舊に多大の便益を與へたる事謂ふを俟たず。

II 旅客に對する運賃の減免

イ、救護班員に對する無賃輸送


一、震災地行救護班員に對し、左の各號に依り無賃輸送の取扱を爲したり。
1、區間 上野驛と石卷・氣仙沼・花卷・平津戸又は久慈驛との相互間
2、等級 二、三等
3、期間 昭和八年三月四日より同年三月二十日迄
4、條件 無報酬にして官公衙發行の救護班員たることを證する證明書を所持すること。
三月三日より(1)の區間中上野驛の次に仙臺・盛岡・青森を追加せり。


救護班員無賃取扱調
備考 1、往復は件數、人員共二倍に計上せり。
2、運賃は省收得額とし、個人又は團體として收受すべかりし額を記載せり。


ロ、無報酬復舊勞務奉仕團に對する無賃輸送


二、震災地復舊に無報酬にて引續き三日以上勞務を奉仕する爲、大人十人以上一團となり乘車するものに對し、左の各號に依り無賃輸送の取扱を爲したり。
1、區間 宮城・岩手・青森縣下省線各驛と石卷・千厩・氣仙沼・陸前矢作・平津戸・仙人峠(岩手輕便鐵道を含む)・沼宮内・古間木・下田・陸奥湊・階上・陸中八木・久慈驛との相互間。
2、等級 三等
3、期間 昭和八年三月七日より同年三月二十日迄。
4、條件 官公衙發行の證明書を所持すること。


勞務奉仕團無賃取扱調
備考 1、往復は件數、人員共二倍に計上せり。
2、運賃は省收得額とし、個人又は團體として收受すべかりし額を記載せり。


ハ、無報酬復舊勞務奉仕團に對する運賃低減


三、震災地復舊に無報酬にて引續き三日以上勞務を奉仕する爲、大人十人以上一團となり、乘車するものに對し左の各號に依り、旅客運賃の五割を低減せり。
1、區間 宮城・岩手・青森縣下省線各驛と花卷・千厩・氣仙沼・陸前矢作・平津戸・沼宮内・古間木・下田・陸奥湊・階上・陸中八
木・久慈驛との相互間。
2、期間 昭和八年四月一日より同年四月十五日迄。
3、條件 官公衙發行の相當證明書を所持すること。


勞務奉仕團五割引取扱調
備考 豫定運賃欄には、個人又は團體として支拂ふべかりし額を記入し、收受運賃欄には、五割引に依る實際收受額を記載せり。

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救護班員無賃取扱調
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勞務奉仕團無賃取扱調
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勞務奉仕團五割引取扱調
III 救恤品・復舊建築材料に對する運賃減免

震嘯災害にょる三陸沿岸の被害につき、まづ救恤品復舊建築用材の必要なるは謂ふを俟たず。これが陸上輸送機關の主要部を占むる國鐵が率先して、省線及連帶線各驛より、之等の輸送貨物に對して、運賃全免及び五割減免の處置を採られたるは、罹災民の救濟に便益ならしめたる處不尠ものありたり。
この特別扱を受くる貨物の範圍は、鐵道省告示を以て、次の如く發表せられたり。
鐵道省告示第五十六號
三陸沿岸震火災及海嘯罹災者用救恤品及復舊建築材料ニ對シ左記ニ依リ運賃減免ヲ爲ス
昭和八年三月六日 鐵道大臣 三土忠造


一、品名 甲 罹災者救恤用寄贈品
乙 復舊建築材料
木材、杉皮、竹、瓦類、煉瓦類、セメント、セメント製品、ブリキ及トタン板、針金類、釘類、建具、敷物類、疊、板硝子。
一、發驛 省線及連帶線各驛
一、著驛 甲 仙臺・一關・盛岡・沼宮内・古間木・下田・塩釜・石卷・千厩・氣仙沼・陸前矢作・平津戸・八戸・湊・鮫・階上・種市・ 久慈間各驛・仙人峠・遠野・米谷淺水・三陸汽船會社各取扱所
乙 一關・沼宮内・古間木・下田・塩釜・石卷・氣仙沼・陸前矢作・平津戸・八戸・湊・鮫・階上・種市・久慈間各驛・仙人峠・遠野・米谷淺水・三陸汽船會肚各取扱所
一、扱種別 甲 小荷物及各扱貨物
乙 各扱貨物
一、賃率 甲 省線・仙北鐵道・岩手輕便鐵道及三陸汽船會社航路無賃
乙 省線・仙北鐵道・岩手輕便鐵道及三陸汽船會社航路五割減
一、荷受人 甲 岩手・宮城・青森縣知事又ハ岩手縣九戸・下閉伊・上閉伊・氣仙郡下各町村長 宮城縣本吉・桃生・牡鹿郡下各町村長・青森縣百石町長・市川・三澤各村長
一、期間 甲 自昭和八年三月四日 至昭和八年五月三日
乙 自昭和八年三月四日 至昭和八年七月三日
一、條件 イ、甲ハ集貨及配達ヲナサズ
ロ、乙ニ對シテハ岩手・宮城・青森縣知事又ハ岩手縣九戸・下閉伊・上閉伊・氣仙郡・宮城縣本吉・桃生・牡鹿郡下各
町村長・青森縣百石町長・市川・三澤各村長ニ於テ震火災又ハ海嘯罹災者用復舊材料タルコトヲ證明シタル各書類ヲ提出スルコト


而して、この特別扱による救恤品及び復舊材料の詳細次の如し

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イ、救恤品(貨物ノ部)
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ロ、救恤品(小荷物ノ部)
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ハ、復舊材料(貨物ノ部)
IV 客車及貨車の増結

v東京より罹災地見舞客多數にして、且つ救恤品等輸送の必要上、東京發下り列車に三月三日より同十日迄の間に於て、次の如く十七輛の客車及び貨車を増結し、一般の便益を計れり。更に、制限外重量小荷物輸送二件ありたり。

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三陸地方震災關係旅客及荷物輸送
第五節 國税の免除、徴收猶豫
I 約説

震嘯災害による被害者の負擔を輕からしめんが爲、大藏省にては帝國議會の協賛を經て、別項の如く法律第十三號を以て震災地に於ける昭和七年度分第三種所得税及地租の免除、減税、及び所得税、地租、營業收益税、相續税、酒造税、清涼飲料税等の徴收猶豫をなす事を公布し、更にその施行方法を大藏省令第六號を以て公示せり。
仙臺税務監督局にては、震嘯災害による免税、徴收猶豫等の法律及省令の發布を見たるを以て、三月二十三日、同局内に臨時震災事務處理委員會を設置し、委員長一人、委員二人及び幹事若干名を設け、罹災地の實情視察及び關係税務署員の監督は勿論、勅令に基く事務規程の編纂に從事し、苟も國税の免除、猶豫の標準認定の公正を期する事とせり。

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本縣下國税免除及徴收猶豫一覽 免税之部
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本縣下國税免除及徴收猶豫一覽 徴收猶豫之部
II 減免税

罹災地たる三陸沿岸は、農漁業を以て主なる生業となすを以て、納税方面は、地租最も多く、商工業關係たる所得税・營業收益税の如き左程多からず。
從つて、國税の減免に於ても、地租殆んど大部分を占めたり。本縣關係にありては、減免總額五六、二一五圓中、地租の免除總額五二、五八八圓にして、減免税總額の九割五分強に當れり。昭和七・八年分第三種所得税の減免額二、四一八圓、昭和八年分營業收益税の減免額一、二〇九圓これに次ぐ。
本縣下に於て、間税の減免せられしもの皆無なり。


(イ)地租
國税減免の大部分を占むる地租中、一般土地及荒地を通じ、免除被害面積及免税額共、田租最も多く、一七、一二五畝、二六、八六一圓にして、地租免除額の殆んど半に達す。
宅地は一六〇、三三一坪なれども、免税額に於ては、二〇、○〇五圓にして、田の免税額に殆んど匹敵せり。
畑の被害面積一一、九八三畝、五、五一六圓之に次ぎ、更に被害面積、原野二、七六四畝、池沼一、二五九畝を數ふるもその免税額は些少なり。


(ロ)昭和七年度第三種所得税
法律第十三號第一條及大藏省令第二條の公布により制定せられたる、震災地に於て納付すべき昭和七年分第三種所得税第四期分の本縣關係免除分は、仙臺税務署管下には一件もなく、志津川・石巻兩税務署管下にて、合計三一人、税額四一九圓に達せり。その詳細次の如し。


(ハ)昭和八年分第三種所得税及個人營業收益税
宮城縣下の震災關係昭和八年度の第三種所得税及個人營業收益税減免額は、所得税に於て、輕減人員四七人、輕減額一、四三七圓、收益税に於て輕減人員五六人、輕減六七八圓なり。
輕減の結果、全額免除せられたるもの、所得税に於て、二九人、五六二圓、收益税に於て三〇人、五三一圓を算せり。その詳細次の如し。

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地租免除面積及金額
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地租(荒地ヲ除ク)
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荒地免租
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震災被害者ニ對スル昭和七年分第三種所得税免除状况
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震災被害者ニ對スル 昭和八年度 第三種所得税決定額表 個人營業收益税 (輕減サレテモナホコレダ ケノ決定額ヲ見タルモノ)
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震災被害者ニ對スル 第三種所得税 個人營業收益税 決定額表 (其二)
III 徴收猶豫

昭和八年三月發布の法律第十三號第四條及同月公布の大藏省令第十一條に該當する國税徴收猶豫は、最初の査定額中、調査の結果、免除となりたるものもありて、その額に於ては多少變更を來したるが、本縣管下の關係地-即ち志津川(本吉)・石卷(桃生・牡鹿)兩税務署管轄下の徴收猶豫種目は、所得税・地租・營業收益税・相續税の四種なり。之等は大凡徴收猶豫の最大期間たる昭和九年四月十五日以前に於て、全納せられたり。
徴收猶豫せられたる税種目及人員税額次の如し。


これによりて見れば、徴收猶豫税額總計六、三四四圓三四錢にして、その半數強たる、三、二七一圓三〇錢は田租(地租)にして、第三種所得税の二、六〇一圓〇二錢之に次ぐ。
尚、宅地の被害にして、被害調査の出來ざる爲に、納期の到來したる昭和八年度第一期宅地租あり。
これは、昭和八年三月發布の前記震災關係法律及大藏省令第六號に該當せざるを以て、別に國税徴收法第七條(納税人非常ノ災害ニ罹リ政府ニ於テソノ被害調査ノ爲、時日ヲ要スルトキハ、ソノ間税金ノ徴收ヲ爲サザルコトアルベシ)を適用し租税免除及徴收猶豫をなせり。
その免除及徴收猶豫額次の如し。

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徴收猶豫せられたる税種目及人員税額
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免除及徴收猶豫額

第三章 帝國議會に於ける決議

第一節 衆議院議事
I 山本内相の状况報告(官報、速記録)

三陸沿岸が震嘯災害に見舞はれし、三月上旬は、時恰も第六十四議曾開會中なりしを以て、三月五日の衆議院本會議に於て、次の如く、剪頭秋田議長の紹介ありたる後、山本内相のこれに對する報告ありたり。


三月五日 議長ノ紹介


○議長(秋田清君)是ヨリ會議ヲ開キマス諸君昨三日早曉東北三陸地方ニ於テ大震火災竝ニ海嘯ノタメ同地方民ガ不測ノ慘禍ヲ被リマシタルコトハ洵ニ同情ニ堪ヘヌ次第デアリマス又之ガタメ殃死者モ多數アリタルヤニ報ゼラレテ居リマス是等ノ人々ニ對シマシテ■ニ謹ンデ深ク哀悼ノ意ヲ表シマス(拍手)尚ホ其内ニハ滿洲派遣將兵ノ家庭モ數百ニ及ブトノコトデアリマス之ニ對シテハ國民ハ宜シク慰藉ヲナシ將兵ヲシテ後顧ノ憂ナカラシムルヤウ努メタイト考ヘマス(拍手)此ノ際内務大臣ヨリ東北地方震災被害状况ニ付キ報告ノタメ發言ヲ求メラレマシタ之ヲ許シマス 内務大臣山本達
雄君


(國務大臣男爵山本達雄君登壇)
○國務大臣(男爵山本達雄君)私ハ東北地方震災ノ大略ヲ御報告ヲ致シマス昨朝東北地方北海道關東地方及本洲中部地方ニ起ッタ震災ノ被害ノ情况ヲ申述ベマスレバ被害ハ強震地帶殊ニ岩手縣ニ於キマシテ甚シク宮城、青森、北海道之ニ亞ギ其海岸地方ニ於キマシテ何レモ海嘯ヲ伴ヒ又岩手縣釜石町ニ於キマシテハ地震ト同時ニ火災ヲ起シマシテ右以外ノ地方即チ山形、秋田、茨城、栃木、埼玉、千葉、東京、神奈川ノ各府縣ニ於キマシテハ被害ハ極メテ僅少デアリマシテ死傷者倒潰家屋ハナイトノ知事ヨリノ報告ニ接シテ居リマス地方ヲ視察セシメマシタ事務官ノ報告ニ依リマスト宮城縣金華山以北ヨリ岩手縣ノ海岸ニ亘リ一帶ニ其被害大キク倒潰セル家屋等相當多ク且ツ流失セル木材並ニ流失船舶家屋ノ破片等ガ海岸一面ニ浮ンデ居ル状態デアリマシテ取分ケ釜石町附近各部落ニ於キマシテ其情况最モ慘澹タルモノト認メタト云フコトデアリマス而シテ其情况ハ昭和五年北伊豆地方震災當時ノ被害ヲ遙ニ凌駕スルノ有樣デアリマス
今人及家屋共ノ他ノ被害ニシテ本日午前零時マデニ判明致シマシタル分ヲ申シマスレバ次ノ通リデアリマス死傷者等ノ數テ縣別ニ申述べマスレバ岩手縣ニ於キマシテハ氣仙、九戸、下閉伊、上閉伊ノ四郡ガ主デアリマシテ死者干三百八十名、傷者二百七十六名、行方不明ガ六百九十六名デアリマス宮城縣ニ於キマシテハ牡鹿、本吉、桃生ノ三郡ガ主デアリマシテ死者百三十六名、傷者二十五名、行方不明ガ二百二十七名デアリマス
青森縣ニ於キマシテハ三戸上北ノ二郡ガ主デアリマシテ死者八名傷者三十七名、行方不明ガ二十一名デアリマス北海道ニ於キマシテハ日高國ガ主デアリマシテ死者十一名、傷者ナシ行方不明ガ四名デアリマス以上ヲ總計致シマスレバ死者千五百三十五、負傷者三百三十八名、行方不明九百四十八名デアリマス次ニ家屋ノ損害ニ付キ申述べマスレバ岩手縣ニ於キマシテハ倒潰ガ九百七十一戸、流失ガ二千四百五十三戸、燒失ガ二百十一戸、浸水ガ五千四十四戸、計八千六百七十九戸デアリマス宮城縣ニ於キマシテハ倒潰ガ二百八十三戸、流失ガ四百四十戸、浸水ガ千二百二十九戸、計一千九百五十二戸デアリマス青森縣ニ於キマシテハ倒潰ガ十三戸、流失ガ五十九戸、浸水調査中、計七十二戸デアリマス。北海道ニ於キマシテハ倒潰ガ十二戸、流失十一戸、浸水七十戸、計九十三戸デアリマス以上家屋ノ被害ヲ總計致シマスレバ倒潰ガ千二百七十九戸、流失二千九百六十三戸、燒失二百十一戸、浸水六千三百四十三戸、計一萬七百九十六戸デアリマス
更ニ震災ニ伴フ海嘯ニ因リ左ノ如ク船舟ノ流失ヲ見マシタ宮城縣ガ千九十六隻、青森縣ガ三百七十隻、北海道ガ十四隻、岩手縣ハ目下マダ調査中デアリマス右ノ外漁具ノ流失モ相當多數ニ上ル見込デアリマス以上ガ昨日ノ震災ニ因ル被害状况ノ大要デアリマス
次ニ震災直後内務省ノ取リマシタ應急措置ヲ申シマスレバ取敢ヘズ事務官ヲ飛行機ニ依リ昨日震災激甚地ニ急派致シマシテ一般状况ヲ視察セシメマシタ又救護状况ノ視察ノタメ事務官ヲ現地ニ急行セシメマシタ尚ホ又本日ハ丹羽社會局長官ヲ同地ニ派遣セシメマシテ罹災地全般ノ救護實施上遣憾ナカラシメンコトヲ期シテ居ル次第デアリマス別ニ土木ノ事務官技師兩名ヲ現地ニ急行セシメ其方面ノ善後措置ヲ講ゼシメルコトト致シマシタ次ニ罹災地方ノ警備状况ニ付キマシテ申シマスレバ岩手縣ニ於キマシテハ地震發生ト同時ニ知事ハ非常警備規定ニ基イテ非常警備司令部ヲ設ケ縣下警察官ノ全員非常召集ヲ行ヒ罹災地ニ應援警察官百名ヲ急派致シマシテ警備ノ萬全ヲ期シマスルト共ニ極力被害状况ノ視察情報蒐集ニ努メマシタガ縣下一般ニ警備上何等ノ事故ハゴザイマセヌ唯情報ノ蒐集ニ付キマシテハ避遠ノ地デ而モ通信機關杜絶ノタメ極メテ困難ヲ感ジツツアル状况デアリマス宮城縣ニ於キマシテハ縣警察部ヨリハ直ニ應援警察官ヲ派遣シ警備及救護等ノ状况視察ニ當ラシメマシテ目下遺憾ノ點ヲ認メマセヌ尚青森縣及北海道ニ於キマシテハ主要地方ニ警察官ヲ派遣シ治安維持上萬遺憾ナキヲ期シテ居ル次第デアリマス
次ニ罹災者救護ノ状况ニ付キ申述べマスレバ罹災者ニ對スル應急救護ニ關シマシテハ目下各關係縣並ニ町村等ニ於キマシテ全力ヲ傾倒シテ救助ノ遺漏ナキヲ期シツツアリマスガ今其主要災害地ノ状况ヲ申述べマスレバ岩手縣ニ於キマシテハ縣職員ヲ各罹災中心地ニ派遣シ地元町村當局並ニ關係諸團體ト協力致シマシテ應急救助ノ方法ヲ講ゼシメマシタ其概况ヲ述べマスレバ各罹災中心地ニ救護本部ヲ設ケ炊出シヲ行ヒツツアリ又取敢ヘズ學校寺院等ヲ避難所ニ充當シテ罹災者ヲ收容セル外小屋掛材料ヲ取纏メ急速收容設備ヲ開設スル見込デアリマス又醫療ニ付キマシテハ縣醫師會ノ協力ヲ求メ特ニ同會ヨリ醫師ヲ罹災地ニ派遣シ負傷者ノ治療ニ努メツツアリ尚ホ東北帝國大學ヨリモ更ニ醫師ヲ派遣スル見込デアリマス
次ニ食糧被服共ノ他日用品ノ配給ハ縣ニ於キマシテ直接之ヲ行フコトトシ各地ノ警察ヲ通ジテ各罹災者ニ支給ヲナシツツアリマス
尚ホ義捐金金品ノ募集ニ付キマシテハ縣ニ於キマシテハ聯隊區司令部青年團在郷軍人分會愛國婦人會等ノ各團體ト協力致シ既ニ其募集ニ着手致シテ居リマス同縣ニ於キマシテハ罹災救助ニ要スル經費トシテ直ニ豫算ヲ追加シ罹災救助基金約十七萬圓ヲ支出ノ見込デアリマス救護ニ萬違算ナキヲ期シテ居ル次第デアリマス
次ニ宮城縣デアリマスガ縣ニ於テハ震災直後各町村當局青年團體在郷軍人會等ヲ督シ各罹災者ニ對シテ炊出シヲ行ヒ當面ノ食糧給與ニ遺漏ナキヲ努メツツアリマス尚ホ住宅ノ流失倒潰セルモノ相當多數ニ上ルタメ罹災地ニ於キマシテハ取敢ヘズ小學校寺院等ヲ避難所トナシ罹災者ノ收容ニ充テツツアリマス負傷者ニ對スル醫療ニ付キマシテハ恩賜救療施設カラ救護班ヲ出シ尚縣赤十字支部及第二師團所屬救護班ト協力シ罹災地方ニ救護所ヲ設ケ負傷者ノ應急手當ヲ行ヒツツアリマス更ニ救護物資ノ供給デアリマスガ目下ノ所罹災地方ニ於キマシテハ食糧品ハ特ニ窮乏ヲ告グルコトナキ模樣デアリマスガ海嘯ノ襲來アリタルタメ衣類防塞具ノ缺乏ヲ見マシタノデ第二師團司令部カラ毛布二千枚ヲ借入レ既二罹災地ニ發送致シマシタガ尚ホ衣類ニ付テモ縣ニ於テ急速現品ヲ調達送付ノ手配ヲ致シマシタ
青森縣ニ於キマシテハ罹災救助ヲ要スト認メルモノハ目下上北郡三澤村外一箇村ノ見込デアリマス縣ニ於キマシテハ直チニ關係職員ヲ派遣シ炊出シ衣服小屋掛等必要ナル救助ニ關スル手配ヲ了シ救助上遺憾ナキヲ期シツツアリマス最後ニ北海道ノ状况デアリマスガ目下判明セル罹災地ハ日高國ノ一部デアリマス
支廳長及地元村長ヲ督勵シソレゾレ罹災救助ニ努メツツアル状况デアリマス
以上簡單ナガラ昨朝ノ地震並ニ其被害警備ノ状况ノ大要ヲ申上ゲマシタガ尚復舊復興等ニ就キマシテハ關係道縣等ト協議致シマシテ萬遺策ナキヲ期シタイト思ツテ居ル次第デゴザイマス此點御報告申上ゲマス(拍手)


この、内相の報告により、滿場は、三陸地方の不慮の災禍に對する政府當局の應急對策を知ると共に、深く同情の念を湧起し、相協力して之が救護に當らん事を期したり。

II 租税免除猶豫の法律案可决

三月十四日の衆議院本會議には、政府より震災被害者に對する租税の免除猶豫等に關する法律案を提出上程して、第一讀會を開けり。


三月十四日


第一震災被害者ニ對スル租税ノ免除猶豫等ニ關スル法律案(政府提出)第一讀會
震災被害者ニ租税ノ免除猶豫等ニ關スル法律案


第一條 政府ハ震災(昭和八年三月三日ノ震災及之ニ伴フ火災又ハ海嘯ヲ含ム以下同シ)ニ因ル被害者ノ震災地ニ於テ納付スベキ昭和七年分第三種所得税第四期分ニ付命令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ免除スルコトヲ得


第二條 政府ハ震災ニ因リ著シク利用ヲ妨ゲラレタル土地ニ付命令ノ定ムル所ニ依リ其ノ地租ヲ免除スルコトヲ得


第三條 政府ハ震災地ニ於テ納付スベキ昭和八年分ノ第三種所得税個人ノ營業收益税及乙種資本利子税ニ限リ課税ニ關スル申告及申請並課税標準ノ決定ニ關シ命令ヲ以テ特例ヲ設クルコトヲ得


第四條 政府ハ震災地ニ於テ昭和八年三月三日以後ニ納付スベキ租税ニ付命令ノ定ムル所ニ依リ其ノ徴收ヲ猶豫スルコトヲ得


第五條 第一條第三條及前條ノ震災地ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム


第六條 第一條又ハ第二條ノ規定ニ依リ免除セラルル租税ハ法令上ノ納税資格要件ニ關シテハ免除セラレザルモノト看做ス
前項ノ規定ハ北海道地方税及縣税ニシテ震災ニ因リ減免セラルルモノニ付之ヲ準用ス


附則


本法ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
仍て高橋藏相は右、租税の免除猶豫等に關する法律案提出の理由説明をなして、之が協賛を求め、之に對し、議員菅原傳氏(宮城縣選出)登壇


右法案ハ今回ノ災害ニ對シ人情味アル案ナレドモ、更ニ岩手、宮城兩縣ヲ通ジテ死者數千、家屋ノ倒潰、流失無數ナレバ、ソノ復舊費ノ多額ヲ要スル事論ナシ。加之罹災東北三縣ニハ滿洲ニ出征セル軍人ノ家族モアリテ是等ノ事ニ想到スレバ實ニ感慨無量ナリ。
政府ニ於テモ、地租免除猶豫案提出ヲナセルハ結構ナルモ、更ニ物質的損害ヲモ考慮ノ上、コレガ復舊救濟ノ方法ヲ特ニ目下議曾ノ開會中ナル機會ヲ逸セズ計ラレ、是非追加豫算ノ提出ヲ計ラレムコトヲ。(大意)


と述べ、高橋藏相は
目下内務・農林兩省ニ於テ實状調査中ナレバ、該調査結了後、直ニ其手續ヲ執ラン。(大意)
と答辯し、本議案は、議長指名十八名の委員に調査を付託せられたり。
越えて三月十六日の本會議に於て、本案の第一讀會の續きを開き、八田調査委員長より、委員會にて、原案可決すべきものと認めたるむねの報告あり。希望條項として、災害の甚大なるに鑑み、之が復舊復興の爲、速に追加豫算を提出されたきむね申し述べたり。
以下、八田調査委員長の報告中、主要なる點を摘記せん。


今回ノ免税案ハ昭和二年三月、丹波・丹後方面ニ起リタル震災當時執リタル處置ト同一ノ法律ニテ免税スルモノナリ
昭和二年以前ニアリテハ、免税ハ主トシテ地租ノミニ止マリシガ、昭和二年ノ奥丹後震災後ハ、更ニ所得税、營業税、酒税ニ關シテモ免税セシヲ以テ、今回モコレニ做ハントス免税總額ハ凡ソ三十萬圓ニ達スベク、内所得税七萬圓、地租五萬五千圓、營業收益税五萬圓、酒税十萬圓ノ豫定ナリシカモ今回ノ震災ト云ヒ、奥丹後ノソレト云ヒ、等シク三月ナルモ、連日氷點下十度内外ナル東北地方ト丹波・丹後方面ニ於ケル慘状トハ異ルモノアリテ、一樣ニ律スルヲ得ズ
尚、丹波・丹後ノ震災ニハナサザリシモ、被保險者ニ對シ、政府ハ特ニ施設スル所アルガ如シ、又、震災地ヨリ滿洲ニ出征セル遺家族ニ對シ、内務省等ニテモ何等カ温キ施設ヲ以テ對策ヲ講ズベキナリト云フ質問ニ對シテモ、政府ニ於テハ目下調査研究中ニシテ、然ルベク希望ニ副ハントノ答辯アリ
カクノ如キ質問應答交換セラレシ後、討論ニ入リ、菅原傳君ヨリ希望ヲ述ブル處アリ、復舊、復興ノタメ追加豫算ノ提出ニッキ書面トシテ提議シタリ。
コレニ對シ、民政黨ノ内ケ崎作三郎君ヨリ賛成アリ、國民同盟ヲ代表シテ、菊地良一君ヨリモ賛成アリ、各委員滿場一致ヲ以テ、此法案希望條項ニ對シ、賛意ヲ表シタリ
以上大體ノ經過ヲ申上ゲタルガ、是非滿場一致ヲ以テ速ニ可決セラレン事ヲ希望ス(大意)


次に討論に入り
先づ田子一民氏(岩手縣選出)登壇


簡單ニ、只今議題トナリタル法律案竝ニ附帶希望決議ニ對シ、賛成ノ意志ヲ表明シタシ租税ノ免除猶豫ハ當然過グル程當然デ特ニ言辭ヲ用ヒズシテ賛成スベシ、復舊、復興ニ關スル追加豫算提出ヲ求メラレシガ、今回ノ海嘯ニハ死者、行方不明者多數、流失、倒潰無數ニシテ、日常生活ノ根本タルベキ漁船ハ税金ノ關係上、八千トナレルモ事實上ハ、コレノ五割増ノ多大ノ損害ナリ、東北地方中、青森縣ニハ凶作アリ、岩手縣ハ銀行破綻シテ、預金者ノ支拂ヲ受ケ得ザル金額七千萬圓ナリ
宮城縣モ比年水害等ニ加惱サレ、縣ノ財政極メテ窮乏ヲ告ゲタリ
此ノ三縣ガ財政的ニモ經濟的ニモ洵ニ悲慘ナル状態ニ在リシニ不拘、今回ノ如キ慘害ヲ受ケタルニツキ、政府ハ單ニ復舊ト云フ消極的ノ豫算ノミナラズ、復興ヲ含メル意味ノ豫算ヲ速ニ提出スベキハ最モ必要ナリト認ムルモノナリ(大意)


と述べ、之に代つて、内ケ崎作三郎氏(宮城縣選出)登壇


本議員モ本案ニ對シ賛成ノ意ヲ表スルモ、委細ハ田子君ヨリ述ベラレタル通リナリ政府ガ速ニ本案ヲ提出セラレシバ、我等罹災地ニ關係アルモノノ特ニ感謝スル所ナリ三陸海岸ハ世界第一ノ漁場ニシテ、世界著名ノ水産國タル我ガ帝國ノ運命ノ懸レル主ナル地點ナリ、然ルニ此地方ハ五十年乃至三十年ニ一回、週期的ニ大震害ニ遇ヒ、ソレニ伴ヘル海嘯ノ災害ヲ被レルハ、洵ニ遺憾ニ堪ヘズ政府當局ニ於カレテハ速ニ追加豫算ヲ本議會中ニ提出、是等ノ人々ヲ救濟スルト共ニ、ソレ等地方ノ水産業ノ復興ヲ圖リ、又將來ノ災害ニ對スル豫防ノ手段トシテ、相當ノ努力アラン事ヲ希望シ、本案ニ對スル賛成ノ趣旨トナスモノナリ終リニ臨ミ、此度ノ災害ニツキ、上ハ皇室ヲハジメ奉リ、下一般國民ニ至ル迄、非常ナル同情ヲ垂レラレシヲ感謝スルト共ニ、同僚各位ヨリモ、多大ノ義金ヲ寄セラレツツアル事ヲモ併セテ感謝スル次第ナリ(大意)


と述べて、重ねて、震災地方民に對する租税の減免は勿論、更に復舊復興につきても適當の措置をとられん事を希望せり。
ついで、菊地良一氏(青森縣選出)登壇、同氏の罹災地の實地視察慰問により、一層同情すべき實状なるを語り、復舊のみならず、將來のこの種災禍の豫防をなすべきを説き、免税案に對しては、滿腔の賛意を有するを述べたり。
かくて、秋田議長は、討論の絡局せるむねを宣し、直に第二讀會を開き議案全部を議題とし、その結果、原案可決を確定せり。

第二節 貴族院議事
I 田中館博士の希望質問

三月八日、貴族院本會議に於て、昭和八年度歳入、歳出總豫算案外一件上程せられたる際、議員田中館愛橘博士は、三陸地方震災につき滿腔の同情を寄せ、ついで次の三點に關する質問をなせり。


一、今度ノ震害地方ノ地形變化ノ調査ヲナサザルヤ
二、町村復興ニ對スル注意、乃至進ンデ或制限ヲ設クル必要ナキヤ
三、津浪・地震ノ觀測所タル測候所ノ分布ヲ整理スルノ必要ナキヤ


同博士の相當詳細なる右三ケ條に就いての希望質問ありて、政府の意向を求めたるに對し、山本内相、鳩山文相、大角海相相續いて登壇の上、各所管につき然るべく返答をなせり。
更に、同博士は、地形に對する陸地測量部の意見をきき、荒木陸相之に答ふる處あり、田中館博士は、諸閣僚の返答に謝辭を表し希望質問を打切りたり。

II 政府委員の免税案説明

三月十六日三陸震災被害者に對する租税の免除猶豫に關する法律案は、衆議院に於て可決したるを以て、貴族院に廻付し來れり。
劈頭堀切政府委員は登壇して、三陸地方震嘯災の悲慘なる状况を述べ誠に同情に堪へざる事、罹災民の國税納付負擔力の減殺せられしもの不尠事を語りて、これが救濟の一法として、是非共免税をなすの必要あるを力説せり。
これに對し、徳川議長は、地租法中改正法律案外五件を特別委員に付託する事とせり。

III 特別委員會の状况

仍て三月十八日、申御門委員長以下八名の委員及び、勝田・中島・石渡三政府委員出席の上、特別委員會を開會せり。まづ中島政府委員登壇し、免税猶豫に關する法律案の第一條より第六條に至る逐一の説明をなせしが、要之、唯サへ財政不况ニヨリ困憊セル沿岸漁村ガ、今回ノ震災ニヨリテ、拱手傍觀スルノ止ムナキニ至リタルモノナレバ、差當リ、三月末日迄徴收スベキ第三種第四種ノ所得税ヲ免除シテ、負擔力ヲ少シニテモ、輕減スベキモノナリ。


と、之に對し、加藤政之助氏登壇


今回ノ法案ハ、從來ノ災害ニ際シテ、政府ノ採リタル處置ト如何ナル異同アリヤ、又、目下ハ所得税徴收中ナランガ、コノ命令ヲ如何ニナスベキヤ、ナホ免除税額ハ如何程ノ金額ニ達スルヤ、等の諸點につき質問せり。


石渡政府委員は再び登壇し


今回ノ三陸震災ハ昭和二年三月ノ峯山ノ地震ト丁度時期ヲ同ジウセルヲ以テ、其ノ免税案モ、峯山ノ例ニ做ヘリ。唯三陸地方ハ漁業ヲ生業トセルヲ以テ、漁船・漁具ノ損害ヲ的確ニ見積リタシ。
本月納付スベキ所得税ノ納税切符ハ未ダ出シ居ラザル見込ナレドモ、仙臺税務監督局及震災地ノ税務署ト打合セノ上、被害著シキモノニツキテハ免除セシムベキナリ。而シテ免除及猶豫ノ總額ハ約參拾萬圓ニ上ル見込ナリ。


と、返答する處ありたり。
次いで、大橋新太郎氏は、わが國には十年に二度乃至三度の震災あるを以て、將來適當なる時期に於て、突發的事件に對應する立法をなさん事を希望し、中島政府委員は、これに賛意を表し、中御門委員長、討論採擇を宣したる結果、免税案は委員會一致を以て可決せられたり。

IV 免税案の可決

三陸地方震災被害者に對する租税の免除猶豫に關する法律案は、議長より付託せられし特別委員會の可決を經たるを以て三月二十日、貴族院本會議に再び上程せり。
即ち、中御門委員長は、衆議院に於て本案可決に至りたる理由を説明報告し、かくて全員賛成の内に、第二、第三讀會を開き滿場一致を以て本案を可決せり。

第三節 議員の慰問・視察及兩政黨の救護對策
I 議員の慰問・視察

三陸沿岸震嘯災害の報傳はるや、悲慘なる状况に同情せる政友・民政兩黨にては、其の詳細を實地に慰問・視察する必要ありとし、左記四議員を兩黨代表として、三月三日夜、東京を出發、本縣下へ向はしめたり。
四議員は、四日朝、本縣廳に來訪、知事に慰問の辭を述べられし後、村上屬(農務)、加藤屬(商工)案内の下に、罹災地を視察・慰問したり。
議員及び日程左の如し


政友會 上野基三氏(栃木縣選出) 大島寅吉氏(北海道選出)
民政黨 佐藤與一氏(新潟縣選出) 金井正夫氏(鹿兒島縣選出)
日程
三月四日 仙臺-大原(石卷宿泊)
五日 石卷-十五濱-志津川-歌津-小泉-大谷-氣仙沼(氣仙沼宿泊)
六日 歸京


その後、内ケ崎作三郎(宮城縣選出)、村松久義(宮城縣選出)、菊地良一(青森縣選出)、菅原傳(宮城縣選出)の諸氏も續々來縣、罹災地を視察・慰問せられたり。

II 兩政黨の救護對策

(イ)政友會
政友會の東北・北海道團體は四日午前十一時院内交渉室に集合の上、三陸沿岸震嘯災害善後策につき協議の結果、左の諸項を決定せり。


一、應急措置として米・衣類・寝具の配給を行ひ、その内、米につきては、政府より無料交付を受くる事
一、住宅資金の供給
一、應急復舊土木事業の急施
一、國税の減免(本件につきては、政府は國税の減免規定を速に議會に提案する旨、堀切大蔵政務次官の言明あり。)
一、岩手縣の財政建直しを政府に迫る件
一、貴衆兩院議長を發起者として義捐金の募集を行ふ事
一、四日の本會議に於て、三陸地方被害に關する山本内相の報告を求むる事
尚、之等の實行委員として、岩手縣選出代議士全部及北海道外五縣代議士二名宛を指名せり。


ロ)民政黨
民政黨に於ては、三陸沿岸災害救濟委員會を組織し、次の諸氏を委員に推薦せり。
内ケ崎作三郎 村松久義 柏田忠一 工藤鐵男 比佐昌平 鈴木寅彦 林平馬 手代木隆吉 大島寅吉 清水徳太郎 猪股謙二郎
救濟案は協議の結果、次の諸項に決定、政府に對し、その實行を迫る事とせり。


一、災害救濟方法は關東大震災の例による事
一、政府米の給與及廉價拂下
一、住宅材料・農具・漁具等の給與、又は廉價供給その他
一、災害地に於ける免租の件(地租所得税營業收益税の免除竝相續税の延納)
一、復舊費の補助及低利資金の融通

第四章 縣の應急措置及救護

第一節 震嘯災害當日の状况
I 災害周知迄の經過

東北地方に於ては未だ膚寒き昭和八年三月三日の午前二時半頃、本縣下一帶を搖り動かせる地震に、夜半の夢を破られたる人々は、近年稀なる激震に、仙臺市・石卷町の如き大都邑にありては、火災又は家屋・煙突の倒潰等の椿事の出態を恐れつつありしに、幸にして、それ等の事はなかりき。
されど、三陸沿岸に於ては、明治二十九年の地震に伴へる大津浪の襲來による被害甚しかりし經驗を有せり。
沿岸地方民は、この恐るべき過去の慘禍を知るも知らぬも稀有の激震に一抹の不安の念を懷けるは否むべからず。
剩さへ地方によりては、電光の如き怪光、雷鳴に似たる晋響のありて、唯事ならざる模樣を察すべきものあり。
午前六時三十分及七時三十分のラヂオ體操に續きて、仙臺放送局(JOHK)より臨時ニュースにより「今曉二時三十分頃、當地方に稀有の強震あり。震源地金華山東方、海底陷沒、北海道・東北・關東方面に、強弱震あり、三陸方面に四-七尺の津浪あり。」及び「今曉の地震により、宮城・岩手縣下の津浪及火災による被害甚大なるものあり。」との旨放送ありたり。
この報は、本縣内聽取者をして、驚愕せしめしが、縣當局へは罹災地及び附近警察・町役場及び、恰も同地方へ出張中の官公吏等の電信・電話による通報ありたり。以て、刻々、被害の豫想外に大なるを知るに至れり。
午前十時、本縣内務部農務課より、廳内各課に對し、次の如く通告したり。


今朝ノ地震
發震時 午前二時三十一分十秒
最大震幅 二十三粍
震源地 石卷ヲ去ル一五〇粁、金華山東南東沖
地震學上ニ於ケル所謂外側地震帶ニ依ル大地震ニシテ、牡鹿半島及岩手縣釜石地方ニハ相當被害アル見込、女川附近ニハ
四尺内外ノ津浪襲來シタリ。
尚今朝ノ地震ハ、北海道・關東地方ニマデ感ゼラレタル模樣ナリ。


昭和八年三月三日 内務部農務課
各課御中
しかるに、牡鹿郡大原村より災害第一報到着をはじめとし、各地よりの情報竝沿岸地方出張中の縣官吏よりの報告により、正午頃、被害は牡鹿半島一帶に止まらず、本縣下にて桃生・本吉・亘理・名取の併せて五郡に亘れる事分明するに至り、更に桃生郡十五濱村・本吉郡唐桑村・歌津村の如きは、人畜の死傷・家屋の流失・破損夥多に上れる事判明し來れり。
尚、一層の詳細なる被害状况を知るべく、仙臺放送局(JOHK)に依頼し、午後零時四十分以後の定時ニユースに於て、「ラヂオ聽取者にして、僻遠地方の被害状况を最寄の警察部に急報され度く、それに基き、救護方法を講ずる旨」の放送をなせり。

II 縣の應急對策

此處に、本縣は急遽救護組織を整ふる必要を感じ、三邊知事をはじめ、廳員一同は、鋭意之に當る事となれり。
乃ち、知事は、應接室に各部長・各課長等を招集して、緊急會議を開き、臨時應急措置を開始する事及其の事務分擔を定むる事、竝災害状况及救護状况を視察せしむる事等を決し、徹宵善後策を協議し、頻々として來る慘状に、一同は眉をひそめて罹災者の身の上を案じたり。仍て知事は、訓辭を與へたる後、官吏々員十六名と一齊に、左記關係町村(二十三箇町村)に向け急派したり。
社會課に於ては、午前八時半渡邊課長を中心に鳩首協議し、救護計畫を樹て、更に知事を中心に協議を遂げ、夫々の任務部所を定めて、廳員を急派し、慰問竝災害の調査救護等に努めしめたり。
尚、被害状况特に著しと認められたる町村に對しては、視察竝慰問の爲、別に廳内の課長等を特派し、併せて救護の徹底と復興計畫とに資する所あらしめたり。
視察竝慰問者及派遣官吏員名左の如し。

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本縣沿岸震災地出張者名
第二節 知事及各部長の罹災地視察
I 知事の視察

知事は三月四日別記の如き告諭を發して罹災民に對する縣民の協力を促し、更に同日應急救護の措置を了するを待つて、災害地牡鹿郡大原村(谷川、鮫の浦)、荻濱村、桃生郡十五濱村(雄勝)の視察を兼ね罹災者を慰問し、且つ死亡又は行方不明と爲りたる者の遺族に對し、弔慰金を贈りて弔問せり。
尚、知事は、三月五日、縣廳正廳に於て大金侍從より御下賜金拜受の後、同侍從の災害地視察案内をかねて、五・六の兩日牡鹿郡大原村(谷川・鮫浦)桃生郡十五濱村(雄勝)本吉郡志津川町、歌津村、唐桑村(只越)の災害状况を視察し、且罹災者の慰問・弔慰を爲したり。三月三十一日及四月一日は、罹災地視察の爲東下したる後藤農林大臣に隨行し、縣下十五濱村唐桑村の他、岩手縣氣仙郡・上閉伊郡の主要罹災地二、三を視察し、越えて四月七・八の兩日、木吉郡十三濱村(月濱・立神以下大指に至る各部落)戸倉村(寺濱・藤濱・長清水・波傳谷)志津川町(清水)、歌津村(伊里前)、小泉村(二十一濱)を、四月十三日は名取郡閖上町、亘理郡坂元村(中濱・磯濱)を順次視察、慰問せり。
尚、知事は、三月四日附を以て、告諭(第一號)を發し、救護慰問に遺憾なからん事を期したる旨竝救援慰問及復興の實を擧げんことを期せざるべからざる旨を諭す處ありき。


告諭第一號


本月三日午前二時三十一分過キ突如金華山東南東沖合海底ニ發シタル地震ハ最大震動二十三粍總震動時間凡ソ二時間ニ渉リ近年稀ニ見ル強震ナリ而シテ一度地震起ルヤ次テ忽チ海波荒レ爲ニ三陸一帶ノ沿岸ニ時ナラヌ海嘯ヲ生シ同日午後十時迄ニ達シタル情報ヲ綜合スルモ死傷者百六十餘名ヲ出シタル外行方不明者二百二十餘名家屋ノ倒潰約三百ニ上リ其ノ流失セルモノ四百七十餘船舟ノ覆沒流失セルモノ亦千百四十ノ多キニ達シ浸水家屋亦極メテ多シ而シテ就中本吉郡唐桑村、歌津村、十三濱村、牡鹿郡大原村及桃生郡十五濱ノ如キハ其ノ被害最甚大ニシテ罹災者ノ近状眞ニ察スルニ餘リアル所ナリ
即チ縣ノ巡察診療班ハ陸軍衞生班及東北帝國大學醫學部衞生班竝日本赤十字社宮城支部臨時救護班ト共ニ直ニ救療ノ任ニ就キ罹災者ノ救護ニ當ルト共ニ縣ハ各地ニ吏員職員ヲ急遽特派シテ具サニ其ノ實状ヲ調査視察セシメ救護ノ徹底ト復興ノ計畫ニ資スル所アラシムコトヲ期シタリ又第二師團ヨリ陸軍用毛布ヲ、日本赤十字社宮城支部ヨリ備付用毛布ヲ借入レ直ニ災害地ニ向ケテ發送シ或ハ本縣水産試験場ノ試驗船二艘ヲ沿岸罹災町村地先ニ派シテ救護ニ遺憾ナカラムコトヲ期シタリ又同日災害善後ニ關スル事務ヲ最圓滑機敏ニ促進セシメムカ爲縣廳内ニ新ニ臨時災害善後委員會ヲ組織シ更ニ又余ハ親シク災害地ヲ巡リテ實情ノ視察ニ併セテ不幸ナル遺族ヲ弔慰セムトス
當地方ノ災害ノ報一度天下ノ知ルトコロトナルヤ各方面ヨリ翕然トシテ深甚ナル見舞ヲ寄セラレ殊ニ横須賀鎭守府司令長官ハ特ニ驅逐隊ヲ急派シテ救護ニ努メラル洵ニ感謝措ク能ハサル所ナリ
災害地附近ニ於ケル縣民ハ必スヤ古來ノ傳統的精神ノ發露タル隣保相助ノ道ヲ盡シテ罹災者ノ救護慰問ニ萬全ヲ期シツツアルヲ信スサレハ斯ル災禍ヲ傳聞スルニ過キスシテ地異ノ身邊ニ及ハサル者ニ在リテハ不幸ナル同胞ノ爲ニ絶大ナル救援ヲ吝シムヘキニアラス即チ内ニ誠意ヲ披■シ外ニ■烈ナル愛縣ノ至情ニ愬へ相協力シテ救援慰問竝復興ノ實ヲ擧ケムコトヲ期セサルヘカラス若夫レ更ニ其ノ詳細ニ至リテハ日ヲ逐フテ實ヲ効サム切ニ自重奮勵アラムコトヲ
昭和八年三月四日
宮城縣知事 三邊長治

II 各部長の視察

内務・警察・學務の各部長に於ても、縣當局の應急措置事務確立を俟つて、中央政府よの視察派遣官の案内を兼ね、死者の弔靈、縣官吏々員の救護事務監督復舊事務促進等、各罹災地を巡察し、關係者の慰問救濟に關し萬遣憾なきを期したり。
各部長罹災地視察の日程次の如し。

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内務部長の視察 警察部長の視察 學務部長の視察
第三節 臨時災害善後委員會の組織

三月三日、災害善後事務の圖滑にして、機敏なる促進を圖る爲、廳内に臨時災害善後委員會を組織し、同日廳訓第四號を以て、左記規程を發表せり。


臨時災害善後委員會規程
第一條 昭和八年三月ノ宮城縣下災害善後ニ關スル事務ノ促進ヲ期スル爲宮城縣廳内ニ臨時災害善後委員會ヲ置ク
第二條 委員曾ハ委員長一人、副委員長二人及委員若干名ヲ以テ之ヲ組織ス
第三條 委員長ハ内務部長ヲ以テ之ニ充ツ副委員長ハ警察部長及學務部長ヲ以テ之ニ充ツ委員ハ知事之ヲ任命ス
第四條 委員長ハ會務ヲ總理ス副委目員長ハ委員長ヲ補佐シ委員長事故アルトキハ知事ノ指定スル副委目員長其ノ職務ヲ代理ス
第五條 委員曾ニ幹事若干人ヲ置キ知事之ヲ命ス幹事ハ委員長ノ指揮ヲ承ケ庶務ヲ掌理ス
第六條 委員曾ニ部曾ヲ設クルコトヲ得部會ノ組織名及名稱等ハ別ニ之ヲ定ム


臨時災害善後委員會委員長副委員長委員
委員長 内務部長宮城縣書記官 二見直三
副委員長 警察部長宮城縣書記官 鈴木登
同 學務部長宮城縣書記官 清水谷徹委員 農務課長地方事務官 猪股博
同 地方課長兼商工山林課長地方事務官 横山一俊
同 教育課長兼社會課長地方事務官 渡邊信男
同 官房主事兼會計課長地方事務官 小川彌太郎
同 水産課長地方事務官 松本孝四郎
同 社寺兵事課長地方事務官 木村強
同 庶務課長地方事務官 郡祐一
同 警務課長地方警視 財津吉文
同 耕地課長地方技師 原田嘉種
同 衞生課長地方技師 北條光丸
同 土木課長地方技師 伊藤覈
同 統計課長地方銃計主事 鈴木清兵衞
同 秘書課長屬 二階堂三治
同 保安課長宮城縣警部 野村道夫


尚、三月五日、同委員會に、救護部、配給部及復興部の三部曾を設け、次の如く、各部の責任者を定むると共に、社會課の外に、義措金品係及物品の調達發送係を設け、救護事務の圓滑を期したり。
委員會部會(○印ハ幹事)
救護部 秘書課長 庶務課長 地方課長 教育課長
○社會課長 警務課長 衞生課長
配給部 統計課長 ○會計課長 杜會課長 社寺兵事課長
復興部 ○庶務課長 地方課長 土木課長 農務課長
水産課長 商工山林課長 耕地課長 社會課長

第四節 吏員駐在及臨時出張所の設置
I 縣官吏々員の災害地駐在

震嘯當日各災害地に派遣せる官吏吏員は、三月六日全員歸廳せるを以て、被害最も甚しかりし、左記六ケ町村に對し各屬、技手其他一名乃至二名、合計十一名の廳員を駐在せしめ、縣救護出張所と連絡を取り、救護に遺憾なきを期したり。
牡鹿郡 大原村
桃生郡 十五濱村
本吉郡 唐桑村、十三濱村、小泉村、歌津村
罹災地に駐在せる廳員官職氏名次の如し。


十五濱村 屬 岩井兵吉
雇 守谷俊夫
大原村 屬 場地精
十三濱村 同 窪田新吉
同 三塚武吉
石卷出張所と連絡


歌津村 技手 渡邊彦松
小泉村 屬 加藤平四郎
同 高橋授
主事補 大泉吉郎
志津川出張所と連絡


唐桑村 屬 加藤三郎
主事補 針生壽平
氣仙沼出張所と連絡

II 臨時出張所設置

救恤品の配分及救護事務の圓滑機敏の促進の爲、三月六日災害地方三ケ所に左記の通救護出張所を設け、主任以下職員を配置し、縣及町村其他關係方面との聯絡を緊密にし、應急救護に遺憾なきを期したり。尚救恤品を罹災状况に應じ適當に配分すると同時に、地方救護出張所をして敏活に配給せしむる爲、仙臺驛前に臨時出張所を設け主任以下十五名を配置し慰問品の配分に潰憾なきを期したり。
石卷救護出張所(石卷警察署内)職員十名
管轄區域 牡鹿郡女川町、大原村、荻濱村、鮎川村、本吉郡十三濱村、桃生郡十五濱村
志津川救護出張所(志津川警察署内)職員五名
管轄區域 本吉郡志津川町、小泉村、歌津村、戸倉村
氣仙沼救護出張所(氣仙沼警察署内)職員六名
管轄區域 本吉郡唐桑村、鹿折村、大島村、大谷村、階上村、松岩村、御岳村


罹災地中名取郡閖上町、亘理郡坂元村及桃生郡宮戸村に對しては、當初より縣直接救護事務を取扱へり。
尚三月末にて大體應急救護措置終了せるを以て、四月五日限地方救護出張所を閉鎖し、慰問品は仙臺驛前出張所より直接配給することとせり。又町村の駐在員も救護出張所の閉鎖と同時に廢止し爾後各町村に隨時官吏々員を派遣の上指導督勵を爲さしむることとなしたり。各出張所配置廳員の官職氏名次の如し。


○石卷出張所
一、出張員
イ、出張所
主任屬(文書課長)富田重盛 屬 池田政記
主事補 高橋順四郎 主記 高橋謙悟
雇 鈴木秀雄 雇 氏川英郎
同 渡邊文吉 防疫監吏 角泉二
同 日野鷹之助 蠶業取締吏員 丹野卓郎


ロ、駐在員
十五濱村 屬 岩井兵吉 雇 守谷俊夫
大原村 同 場地精 屬 三浦要人
十三濱村 伺 窪田新吉 同 三塚武吉


○志津川出張所
一、出張員
イ、出張所
主任 屬 加藤林藏 屬 三浦源内
同 阿部末吉 雇 今野利吉
助手 淺野正雄


ロ、駐在員
歌津村 技手 渡邊彦松
小泉村 屬 加藤平四郎
主事補 大泉吉郎 屬 高橋授


〇氣仙沼出張所
一、出張員
イ、出張所
主任屬(保安課長)佐藤東三郎 屬 木村忠吾
同 藤島眞平 雇 川西勝信
雇 鈴木一郎 防疫監吏 幸野政名
防疫事務囑託 岩槻新藏 雇 仙達■治


ロ、駐在員
唐桑村 屬 加藤三郎
主事補 針生壽平


○驛前出張所
出張員係長 郡庶務課長
係長代理 菅原總務課長
屬 安達保次
同 富田榮藏
同 今野龜十郎
同 鴇田駿
雇 庄司要藏
同 菅原泰壽
同 波多野正
農林技手 相馬芳二
主事補 須藤彌
雇 遠藤吾一
同 一條正夫
助手 安倍倫次
技手 吉田紀世志
同 富樫嘉之助
書記補 上原常雄
同 佐藤勝巳

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課別出張員調
第五節 縣指導船の救護出動
I 約説

宮城縣水産試驗場所屬指導船「宮城丸」及「大東丸」は、震災當日、縣の命令により沿岸各地の救援に出動せり。
「宮城丸」は三月三日より十一日迄九日間、「大東丸」は十日より二十七日迄十八日間、政府及び本縣廳・諸官廨關係者の罹災地視察・救護從事者の便乘、救護品の運搬、漁船・罹災民の救助、屍體搜索の從事等、殆んど日夜相つぎて三陸沖に出動活躍し、能ふ限りの便益を與へ、地方民より多大の感謝を受けたり。

II 「大東丸」の出動

「大東丸」は特別檢査の受檢及機關主氣■削正工事の爲、氣仙沼町村上造船所に上架修繕中今回の震嘯あり。
當日、知事より之が救護出動の電命に接し、急遽同船の應急假手入を行ひ、六日仙臺遞信局海事部の檢査官の檢査をうけ七日より機關取付け、船底手入、其の他の修理を急ぎ、八日進水、九日機關調節、十日より二十七日迄救護出動せり。その大要次の如し。

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「大東丸」出動救護状况
II 「宮城丸」の出動

三月三日 災害救助の爲、罹災地へ出動を命ぜらる。
三月四日 午前七時渡波出帆、金華山附近より牡鹿半島沿岸漁船を救助しつつ鮎川港入港、附近罹災民の救助に從事
更に大原村谷川・鮫ノ浦に回航し、漂流屍體の搜索及收容に從事。
午前九時十五濱村雄勝に急行罹災救助に從事。
三月五日 海軍救恤品を釜石在泊軍艦より受領、氣仙沼迄運搬竝縣内罹災地へ配給方沿岸救助作業中の本船へ電命。
三月七日 氣仙沼より女川に回航(午前一時女川着)
軍艦「野風」より左記救恤品を受領す。
毛布軍服其他食糧品 四、○○○點 内 所定數量を谷川・鮫ノ浦に配給す。
三月九日 前日に引續き、救恤品配給作業の爲、渡波出帆、石卷へ向ふ。
三月十日 前日に引續き十五濱村、十三濱村、相川に慰問品配給に從事。
三月十一日 前日に引續き救護品配給に從事、午前八時半十三濱村、相川に於て救護品陸揚修了、九時相川出帆、午後一時石卷歸港。

第六節 救護物資の配給

各地の被害情報入るや、縣は直ちに之等町村に對し電報を發し見舞を兼ね救護上に必要なる物品、數量等の申告方を照會すると共に、取敢へず被害最も甚しく、着るに衣なく寝るに寝具なき多數の罹災者を生じたる町村に對し、第二師團より陸軍用毛布を三月三日に二千枚同四日に五百枚の貸付を受け、敦れも當日トラツクを以て運搬し所轄警察署を經て左記の通貸付をなしたり。


陸軍用毛布貸付先
牡鹿郡大原村 八百枚 桃生郡十五濱村 七百枚
本吉郡唐桑村 六百枚 本吉郡十三濱村 百五十枚
本吉郡小泉村 八十枚 本吉郡歌津村 八十枚
本吉郡志津川町 四十枚 本吉郡戸倉村 三十枚
本吉郡大谷村 二十枚


尚三月八日亘理郡坂元村へ歩兵第四聯隊より毛布二百枚を借受け貸付したり。其の後右毛布は何れも陸軍より給與せらるることに決定せられたり。
又三月五日より同十二日迄の間に於て、各罹災地の情况に應じ、縣より應急救護に要する寝具衣類食料品等左記の通義捐金を以て調達配給したり。


更に縣は政府所有白米四八○叺(一九二石)の拂下を受け、三月七日之を配分給與し、尚必要の向に對し、九六〇叺(三四八石)の拂下を受け、三月十四日配給を了したり。


尚屋根用亞鉛引生子板六千枚を罹災町村の希望に依り東京より購入配給し、又三月十二日には、疊に代るべき薄縁一千枚及蒲團二百五十組を女川町の申告に依り送附せり。又桃生郡十五濱村に牡鹿郡農會の斡旋に依り白菜一千貫供給の手配をなし其の他の罹災町村に對しても野菜の供給を爲す等、罹災地に於ける生活必要品の購入斡旋送付に遺憾なき樣努力したり。

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義捐金を以て購入したる救護品 寝具衣類其他(三月五日配給開始 三月十二日完了)
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義捐金を以て購入したる救護品 食料品(三月五日配給)
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義捐金を以て購入したる救護品 食料品(三月十四日配給)
第七節 廳内各課の活躍
I 約説

縣下三陸沿岸に、三日未明の地震により津波襲來し、須臾にして、沿岸漁村は阿鼻叫喚の巷と化し、尊き幾多の生靈を奪はれたるものは勿論、辛うじて生命を全うしたるものも、住むに家なく、食ふに糧なきもの續出するの報を得たる、宮城縣當局は、三邊知事をはじめ、各部長、課長以下、全廳員は罹災民の身の上を案じつつ、直ちに救護凖備に着手せり。
直接外部の文書の收受發送に當りたる文書課をはじめ、秘書課、社會課の如きは、中央政府との交渉、廳内各課への通牒罹災救助應急施設等に次から次へと忙殺され、災害當日は、全課員徹夜にて執務し、土木課、農務課、會計課、商工山林課員等又、擔當主務者は何れも徹夜從事せり。内務部長、學務部長も翌四日午前三時迄勤務し、部課員の罹災状况調査、救護事務を監督したり。
尚十一日午後二時より罹災町村長を縣に招集し、知事以下部課長臨席の下に、震災事務打合會を開催し、次の如き各課の提出事項につき協議せり。


震災事務打合會提出事項


社會課
一、罹災救助ニ關スル件
二、救恤品竝復興材料配給ニ關スル件
三、罹災状况調査ニ關スル件


農務課
一、農具配給ニ闘開スル件
二、種苗配給ニ關スル件
三、政府所有白米ノ拂下ニ關スル件
四、被害調査要目ニ關スル件


地方課
一、町村會ニ關スル件
二、町村會議員選擧ニ關スル件


衞生課
一、罹災地醫療ニ關スル件
二、罹災地傳染病豫防ニ關スル件


土木課
一、町村工事災害補助ニ關スル件
二、個人ノ土木復舊ニ關スル件

II 知事官房

イ、秘書課
震災直後、縣廳の總元締として、小川官房主事、二階堂秘書課長統率の下に、晝夜兼行の活躍をなし、始終の緊張の下に執務せし隨一に推すべきものは秘書課なり。
畏くも上は皇室の御仁慈をはじめ奉り、知事の告諭、知事、各部長の震災地出張日程、中央高官の視察日程、救護組織、侍從の應接、災害見舞電報の受付より、中央各方面よりの救護打合、追弔會協議會開催の通知、廳内各課への通牒等縣廳當局の災害對策、應急措置及救護に、文字通りの奮鬪をなせり。
加之、今回の災害を永遠に記念し、將來この種の災害に際し、參考に供すべき目的を以て、廳内各課宛、三月七日左記照會をなしたり。


(各課宛)

一、貴課ニ於テ實施シタル事項
一、他官廳公署學校軍隊其他各種團體ト照復シタル事項
一、罹災地ヨリ申報アリタル事項
一、罹災地視察又ハ慰問ニ來縣セラレタル主ナル人名及視察地名
一、其他災害ニ關シ、將來ノ參考トナルヘキ事項
以上ヲ毎日午前十時迄、前日分ヲ記録シ、秘書課ニ送付ノコト。本月七日迄ノ分ハ日毎ニ別紙トシ、本月八日正午迄秘書課ニ送付ノコト
又、三月七日、石卷、志津川、氣仙沼の三ケ所に設置したる救護出張所の状况を、毎日、午前は十一時より、午後は三時より各一時間、その状况を聽取し、これを關係課に通報すると共に、各課よりの要求及通報を救護出張所に傅達するの役にも任じたり。
而して、之等震災善後事務その他被害報告、情報集の書類を蒐集累積せしものを分類して、「震災關係綴」、「災害日誌」、「諸情報綴」の三部として保存し、「震嘯誌」編纂の主要なる資料たらしめたり。


ロ、文書課
發震當夜の宿直は、文書課窪田屬、越後雇なりしが、地震後三日午前三時半、石卷測候所榴岡出張所より、當日今曉の地震觀測の結果報告の電話あり。
ついで、同五時二十分、更に同所より、今回の地震により、「女川ニ於テハ四尺内外ノ小海嘯襲來シ、浸水家屋アリ。幸ニ水ハ減水シタリ。鮎川附近モ多少ノ海嘯アリ。一般半島方面モ多少ノ被害アリタルモノト思惟セラル。(下略)」との通知ありしを以て、之等を直ちに、長官官舎、内務部長、土木課長官舍へ報告したり。
續いて、同八時五分には、亘理郡坂元村より、「午前二時半ヨリ三時迄ノ間ニ磯濱ニ津浪アリ。倒潰家屋約二十戸、浸水家屋約六十五戸、怪我人約十人、舟損害二十隻、漁具一切流失、損害約八萬圓乃至十萬圓、目下村會招集、救護對策中」なる電話あり。此處に於てか、こは、安閑となし居るべきに非ずとて、至急杜會課長に報告せしが、ついで牡鹿郡大原村及大谷村より、次の如き入電ありて、一層由々しき大事なることを覺るに至れり。
「海嘯被害甚大、救護ノ要アリ、調査中」(大原村)
「今朝三時、海嘯アリ、流失戸數六戸、舟一五〇人、怪我ナシ」(大谷村)
かくて各方面よりの情報續々到來したるを以て、用務増大するを豫想し、特に災害に關する電信、電話及文書事務の取扱方に關しては、正確且敏連に處理する事に協議し、宿直員一名を増員、義捐金品送付關係文書の迅速なる關係課配付の準備を整ふる等、萬遺漏なきを期したり。


ハ、統計課
災害による死傷者・家屋流潰・浸水は固より、漁船・漁網の流失、農用地、店舖業の被害に至る迄、迅速なる調査をなし各方面に、被害状况を明細に知らしむると共に、縣當局の、政府に災害救護費要求の基礎となるべき、基本調査をなせり。
一方、救護を以て、最大急務となせるを以て、兎角調査の事は、第二義となるの止むなき事情に直面し、しかも統計の設定に迫られ居り、この間豫期以上の苦心をなせり。
尚、三月五日よりは、罹災地に對する救護物品の調製輸送に當りたるが、就中、苦心を拂へるは、夜具の調製發送手續なりき。
即ち、夜具は、膚寒く、凌ぎ難き夜を過すに必須なるを以て、至急綿商組合、蒲團組合、愛國婦人會宮城縣支部等に依頼して調製せしめ、之等は出來次第、縣廳養賢堂に於て荷造りし、トラツク或は貨車積便にて、關係救護出張所經由、罹災町村に配給せしめたり。
三月七日より十三日に至る間、調製輸送せる夜具一、二一八組にして之が一部輸送の爲要せるトラツク十七臺なりき。

III 内務部

イ、庶務課
災害後最も緊急を要する罹災者の救助警備竝應急施設に關する計費一切の見積に任ずべき庶務課員は、震災後より四月六日の臨時縣會開催に至る間、大童の活動をなせり。
まづ統計・保安・警務等損害額竝復舊額の調査に關係せる各課と連絡し・四月八日今回の震嘯災による損失額竝復舊費大體の調査の完了を見たるを以て、九日、罹災者の救助警備竝應急施設費、昭和七年度に於て、四五、〇九六圓、同八年度に於て三五、〇六六圓を要するを以て、之に對し、國庫補助の申請を内務大臣に申請し、ついで三月八日現在の調査による損失額竝復舊費調を、内務、大藏、農林各大臣に報告せり。
ついで、救助警備竝應急施設費等、愼重なる考慮を經たる議案を作成の上、之を諮るべく十一日、災害後第一回の縣參事會を召集し、歳出臨時部、震災竝海嘯應急諸費三五、〇六六圓、罹災救助費限度外支出の件、その他を議決せり。
數年來の財界の不况により、本縣の財政は極度に逼迫せるを以て、到底復舊費を支辨する能はざる現状に鑑み、復舊費に對する國庫補助及無利子貸付資金供給申請を同日、政府の各大臣宛提出せり。
その他、縣税減免に關する調査をなし、被害者に對する縣税不賦課の條例を、災害の實状に照して決定する等、その功勞偉大なりと謂ふべし。
大正十四年五月廿三日の北但震災(兵庫)に對する救護竝復舊に關する經費の承認を求むる縣參事會は、六月三日に開會し昭和二年三月七日の奥丹後震災の應急對策經費捻出の府參事會は、同月廿八日開會し、前者は、災害後十一日、後者は二十一日を要せるに比して、災害後僅に、八日目を以て、參事會開會の運びに至れるを以て見ても、如何に迅速に、本課が救護應急對策及復舊に關する經費調査に對して盡力せるかを窺知せらるべし。


ロ、土木課
三月三日、午前より午後に亘り、所管仙臺、佐沼、石卷各土木工區及石卷港修築事務所より、關係震嘯災害各地の罹災状况報告あり。
これにより、家屋、橋梁、堤防、道路等の、破損状况を大體知るを得たるを以て、之が對策を講ずると共に、同日、午後十時、本課所屬、トラツク六臺をもつて、陸軍より急遽貸付を受けたる毛布二千五百枚の罹災地配給に任じ、尚石卷、佐沼兩土木工區のトラツクをして、建築材料運搬に從事せしめたり。
尚、四日以後は中央政府よりの派遣官續々來縣して罹災地の視察をなせるが、内務省より長久保技師及谷口事務官の派遣に際しては、災害を技術的方面より説明する必要上、本課大槻技師之が案内を爲したり。
越えて、五日には、齋藤・遊佐・伊藤・藤原各技手等を、罹災地各方面に被害調査及家屋調査の爲派遣、その結果、井戸復舊の緊急を要すべきを認め、尚、各地に於ける檢潮器記録の調製をなしたり。
同六日には、早くもバラツク建設用材料として亞鉛引生子板一萬二千枚(内、氣仙沼町五千百枚、石卷町六千九百枚)の購入及配給手續を了し、尚輸送の迅速を期する爲、震災救恤品なる事の證明書を、供給請負人株式會社大林組へ交付したり。
尚、罹災地へ出張せる藤原・伊藤兩營繕技手は、流失倒潰せる家屋に對するバラツク建築指導をなし、豫め作成せるバラツク設計にょり、移動村會を開催して、建築に着手せしめたる處もあり。又、町村にょりては、縣の設計より遙かに劣等なる掘立小屋の如きを建設したるものには、工事中止を命じ、所期の如く起工せしめたり。一方、罹災地の實状に應じてバラツク建築平面圖を決定し、尚倒潰殘材の利用、屋根板、障子板の斡旋、建築に對する打合等、晝夜兼行して、罹災民の生活
を安定せしめんとしたり。


ハ、耕地課
災害當日、耕地課員は名取郡閖上町及亘理郡坂元村の災害調査及罹災民慰問のため出張せしが、翌四日、更に罹災地及近傍町村たる名取郡六郷村、亘理郡荒濱村外三ケ村、宮城郡松島町外三ヶ村、又、桃生郡十五濱村外四ケ村、牡鹿郡女川町外二町三ケ村、本吉郡氣仙沼町外九ケ村に夫々課員を派遣せり。
又、同日、罹災各町村に對し、耕地被害の状况を照會したり。
五日よりの、農林省柴田農林技師の罹災地状况視察に際しては、本課員之が案内に當れり。
尚、仙臺・石卷兩救護事務所へは、雇員を出勤せしめ、救護事務所の援助に當らしめたり。
三月九日、本課にては、災害當時より着手せる罹災復舊工事見込額調査完了の次第、農林省へ書面を以て申報し、國庫補助或は低利資金融通の件を依頼せり。


二、水産課
災害の情報を聽くや、直ちに指導船「宮城丸」をして、罹災地へ出動、救護に從事せしめしが、(本章五節縣指導船の救護出動の俟參照)課員中谷技師・岩井屬・玉谷主事補をして、女川町・大川村・十五濱村・松岩村・階上村の各地に、二日乃至四日間の慰問及被害状况調査をなさしめたり。
水産物は今回の震嘯災に於て、被害額の隨一に位するものなれば、四日には、調査完了せる分の被害額を庶務課長に報告し、更に同日、罹災地町村時局匡救船溜、船揚場の被害報告をなせり。
又、本吉郡水産會の如きは、郡内の被害甚大なるを以て、援助方を電報にて懇請せり。
八日よりは、其の筋の出張員の本縣罹災地視察に隨行せる技師・技手等多し。
十日には、指導船「大東丸」も、修理を了したるを以て、即日氣仙沼出帆、初救護に從事したるが、「宮城丸」と共に、以後二週間に亘りて、救護に從事せり。


ホ、商工山林課
震嘯災害當日、商工山林課にては、早速山林關係調査員派遣の手配をなし、四日よりは、安部・大槻・吉岡・高橋の各助手を、本吉郡・牡鹿郡・桃生郡の各罹災町村に派遣せり。
五日には、農林省山林局より、災害調査員として、池部・西澤兩技師外三技手來縣したるを以て、本縣より高木技師・菊地技手同行、約四日間に亘り、山林被害竝防潮に關する調査に從事し、五、六日頃には調査員歸廳の上、調査状况の復命をなせり。
三月七日以後は、同課員數名宛交代して慰問品配給事務の爲、仙臺驛前臨時救護出張所に執務援助をなせり。


ヘ、農務課
三月三日午前十時、石卷測候所より、當日拂曉に於ける地震觀測に關し、農務課に通報ありたるを以て、取敢へず、之を謄寫して、各課に配布したりしが、その後、被害の甚大なるを知るや被害農家・耕地・農具・作物・蠶業各方面に渉りて、その被害につき調査したり。
また、食糧方面の救護は、緊急を要するを以て、四日縣の罹災救助基金支出による救助米として、政府米四八○俵の拂下を、農林省に電請すると共に、一方罹災各町村長に對し政府米拂下に關する希望竝手續につき通牒を發せり。
その結果、六日に至り、逸早く石卷驛に三二〇俵、氣仙沼驛に一六〇俵の政府拂下米到着したるを以て、吉目木技手・伊藤穀物檢査員をして同地に派遣、關係町村へ配給方を手配せしめたり。
同日、桃生郡十五濱村長より野菜千貫匁の配給方を申請し來りしものに對しては、縣農會熊野技手を石卷に出張せしめ、希望に副ふべく努力せしめたり。
かくて、四日頃より、農林省方面にては、伊藤事務官・曾我屬の來縣せるをはじめ、耕地課柴戸技師、米穀部田中農林技手、同半田技手等相ついで罹災地被害調査に從事し、産業組合方面より、中央會濱田主事、中央金庫井上參事、全國購買組合聯合役員等も視察に赴きしかば、本課より、砂金技手及蠶業取締支所職員の沿岸出張調査と相俟ち、罹災地の農業被害の大體を知得したり。

IV 警察部

イ、警務課
三月三日の地震竝海嘯の爲、氣仙沼・志津川・中新田・築館・若柳・飯野川・石卷の各署の警察電話不通となりたるを以て、至急縣下警察電話工夫を動員して、人夫十名を傭入れ、即時各方面に派遣し、復舊工事の手配をなし、特に海嘯災害地なる飯野川・氣仙沼・志津川・石卷各署に對する復舊に力を集中せり。
電話復舊の結果、飯野川警察署より管下十五濱村雄勝巡査駐在所の書類流失通知竝巡査派遣方の要求あり。
仍て、午前十時、災害地警察署なる・石卷・飯野川・氣仙沼・志津川・亘理各警察署へ、石卷警察署管内三町村へ、警部補、巡査部長等四名、飯野川警察署管内一村へ、巡査部長一名、志津川警察署管内二村へ、警部補、巡査部長各一名、氣仙沼警察署管内三村へ、警部補、巡査部長等四名、亘理警察署管内一村へ、巡査部長一名を被害調査竝救護として、急派したり。
翌四日には、罹災地附近警察署の不通電話復舊したれども、未復舊警察及巡査駐在所の電話開通につとめ、工夫・人夫を派遣せり。
又、五日には、大金侍從、罹災地視察を行はるるにつき、警衞計畫を作成し、關係警察署へ、其の日程及自動車の配置等を通知せり。
今回の如き非常災害に際しては、特に本縣三陸南部の警察根據地たる、石卷警察署と附近各警察署との連絡通話必要なるを以て、第二師團より輕便電話機を借り受け施設して便益を計れり。
而して、被害弛各警察署の警察電話は大率復舊したるも、氣仙沼・石卷等の警察署電話線は、將來二回線以上に増設するの要ありと認めらるるものありき。


ロ、高等警察課
災害當日、當課員全員召集し、直に罹災地の災害状况報告接受及救護其他の罹災地との連絡事務に從事せり。
尚、課員千葉・上野兩巡査部長は、罹災地實地調査をなし、又、菊地巡査部長は、大金侍從警衞の爲、福島縣及管下罹災地竝岩手縣氣仙郡に出張せしが、八日歸任せり。
四日以後に於ても、災害當日と同樣に多忙裡に執務せしが、六日には、各府縣より寄贈に係る義捐・慰問金品の接受及引渡に從事し、尚佐藤警部補は、鈴木警察部長の罹災地出張に隨行したり。


ハ、保安課
震嘯災害の報に、全課員總動員、警察電話を以て、罹災地各方面に被害内容を照會し、或は各警察署よりの報告に依り、罹災世帶數及人員、家屋其他、船舶の被害、バラツク建設等の調査をなすと共に、關係警察署をして、罹災者の心神を惑はすが如き流言■語の發動を嚴に戒しめたり。
又、五日・六日に亘り、宮内大臣・内閣總理大臣以下各省大臣、府、縣知事宛縣下各關係警察署長宛被害報告をなしたり。
爾來、日數を經て、災害後の整理、應急措置及救護の事、緒につき漸く被害程度の判明するに從ひて、その都度被害報告を印刷配付せり。
又、バラツク建設に際しては、風紀・衞生に差障なき樣留意し、六月三十日には、縣令を以て、今回の海嘯罹災地域及海嘯罹災の虞ある地域内に於ては、知事の認可を受くるに非ざれば、住居の用に供する建物を建築し得ざる事として、將來に於ける慘禍を未然に防がん事を計れり。


二、衞生課
三陸沿岸各町村に被害多しとの報を受くるや、鈴木警察部長は、衞生課救療巡回救療班に對し、被害地に出張、救療に當るべく下命せるを以て、當課にては巡査部長・醫師・藥剤師・看護婦各一名よりなる第一救護班は、午前十一時出發、當課備付自動車にて、本吉郡大谷・小泉・唐桑各村へ急行し、同一人員よりなる第二救護班は、午後零時貸切自動車にて、本吉郡十三濱村に急行せり。
北條衞生課長は、恰も桃生郡浦戸村に救療事務視察のため出張中なりしが、災害の報により、塩釜より直に、宮城電鐵にて石卷に向ひ、牡鹿半島方面罹災地の被害視察に赴き、飯田巡査部長は、午後二時出發、亘理郡坂元村に出張、被害状况を調査せり。
同四日、内務省より、防疫醫三名、防疫監吏五名二ケ月間、増配すべき旨電話令達あり。
北條課長は、罹災地の視察を了へ歸廳するや、直に、災害地方防疫竝衞生施設に關する協議會を開催し、差當り、罹災地の汚染せられたる飲料井戸の消毒實施を行ふ事を決定し、臨時に防疫事務囑託二名を採用し、技師技手と共に罹災地に派し防疫事務に携はらしめたり。(本章、第九節、醫療救護竝防疫の條參照)
尚、防疫事務の緊急に迫られ、且用務多端なる現状に鑑み、七日更に、防疫事務囑託三名を加へ、部落戸別診療を行ひ、將來に於て、罹災地に疫病發生の根絶を期したり。
かくして、五日以來七日に亘る間に、本吉郡方面に於て消毒をなしたる井戸のみにても七十五を數へ、牡鹿郡方面にて五十三、又、引續き共同便所及浸水家屋の消毒せるもの無數なりき。
更に各方面より送られたる慰問品に對しても、當初より配給に支障なき程度に於て、蒸氣消毒をなして、衞生の完備に努めたりしが、氣仙沼救護出張所一ケ所に於ける九日迄の消毒點數六、〇三九點なり。
三月十日、災害地復興防疫施設として、罹災地に對し、飲料井戸二〇〇個、(この費用一萬圓)、改良便所七五五(この費用二萬六千六百五十圓)の築造計畫を爲せり。

V 學務部

イ、教育課
災害當日、震嘯災による被害兒童を出せりと豫想せられし學校、桃生郡四、牡鹿郡一二、本吉郡一六、名取郡一、亘理郡二、宮城郡四、計三九校に對し、被害兒童報告の件、通牒を發したりしが、同日、桃生郡(十五濱村)雄勝小學校より、床上四尺に達したるも、御眞影は村内寺院に無事奉遷、同村船越小學校に於ても、同樣の旨通報し來れり。なほ、牡鹿郡(大原村)谷川小擧校より津浪にて被害甚大なる旨、本吉郡小泉小學校よりは學校被害なきも兒童一名死亡の旨、本吉郡(歌津村)名
足小學校より學校無事なるも、五日間臨時休業する旨、何れも入電ありたり。
その他、臨時休業を願ひ來れるものに雄勝・相川(十三濱村)の學校ありたるが、最大七日間なりき。
なほ、四日には、更に、牡鹿郡大原・谷川・鮫ノ浦(大原村)、女川(女川町)、本吉郡鹿折(鹿折村)、伊里前小學校分教場(歌津村)、大島(大島村)、小泉(小泉村)の各小學校長より被害状况の調査報告あり。その結果罹災校舍二、教員數二一、兒童數一、五〇〇と判明せり。
同日、縣教育會と協議の上、小・中等學校兒童・生徒・職員より義捐金募集の事を決したり。(別稿學校に對する救援の條參照)
三月五日、須藤視學をして、災害地小學校の視察を兼ね、來縣の丈部省山崎事務官・乙黒屬を案内せしめしが、七日には右義捐金の配給のため、香川視學を本吉郡へ、山本教育會主事を、牡鹿・桃生郡に派遣したり。
八日、災害地小學校三十二校長に對し、學務部長名を以て、罹災兒童の救護方に關し、遺憾なきを期し、給食兒童數及罹災教員の職氏名を報告せられたき旨通牒を發したり。
又、石卷・志津川・氣仙沼各小學校長に對し、慰問品配給方の援助を青年團員に依頼し、十五濱村々長に對しては、小學校々舍の復舊工事の經費及其支出計畫を、至急回答する樣電話したり。
ついで、同九日、市内在住青年團理事の來廳を求め、仙臺驛前出張所の配給手傅方を市青年團に依頼する事の協議をなせり。
十日に至りては、震災地復舊及救護費として、小學校々舍復舊費四、二五〇圓、兒童就學奬勵費一〇、七九〇圓の見積書を庶務課へ提出したり。
又、三月一日より七日迄、宮城縣青年製作品展覧會開催中なりしが、其の出品物中罹災者慰問品として適當なる物品は、出品者の回答を俟ちて、直ちに寄贈の手續をなすべしと、寄贈希望者の申出を慫慂せり。
三月中旬には、罹災地に救援出張すべき、青年團員の訪問を受け、之に對し、實地に就き心得ふべき件に關し訓示する處ありき。
三月十六日、小學校關係の震嘯災被害及兒童救護に要する費用に付、文部省に説明の爲、須藤視學上京し、種々接衡する處ありき。


ロ、社會課
罹災救助の第一線に立つべきは、當課本來の使命なれば、震嘯災の報告を受くるや、渡邊課長、佐々木社會事業主事、嶺岸主席屬以下全課員は異常の緊張裡に、救護凖備を整へたり。
即ち、課員を、慰問者應待其他庶務・情報・救護・義捐金品收受・配給・記録・電話・電信等の諸係に分擔して責任を頒ち、秘書・文書・保安・警務・衞生各課よりの報導と當課直接受信のものとを充分■酌し、救護品の種類竝緩急宜しきを得て應急措置を講ずるに遺憾なきを期したり。
一方、災害當日午前中、知事・各部長・各課長の應急對策鳩首協議により、その大綱決定し、續いて官吏々員の現地に向け出發せるものあり。
尚、陸軍より、取扱へず防寒具として、毛布二千枚を借受けたるを以て、被害状况に照合し、氣仙沼警察署管内七〇○枚志津川警察署管内三○○枚、本吉郡十五村濱役場七〇〇枚、牡鹿郡大原村役場三〇〇枚の割宛を定めたる上、至急トラック四臺を以て、現地に配給せしめたり。
なほ、被害の大略調査を俟ちて、杜會局長官・被害町村長宛、震災被害及處置状况を通知したりしが、社會局杜會部長、濟生會理事長より、罹災者應急救助の概略竝救療状况につき電報を以て問合せ來れり。
一方、罹災地各町村より、被害の詳細につき通知あり。之等は前後によりて、異動あり。この電信・電話の受付にても殆んど終夜に及び、尚義捐金品の受付相つぎたるも、課員は、この情報によりて、一喜一憂し、ひたすら罹災民の身邊を氣遣ひたり。
而して、同日、午後十時迄の調査によりて判明せる分は、死者一三八名、行方不明者二二七名以上、負傷者二五名、流失家屋四七四戸、倒潰家屋二八三戸、浸水家屋一、五三七戸、船流失一、一四〇艘なりき。
三月四日、義捐金募集の件につきては、數回協議の結果、原案を設定し、知事・仙臺市長・縣會議長・町村長會長・在仙新聞社長は廳内會議室に於て、協議の上、之を行ふ事に決し、直に募集を開始したり。(第六章第一節義捐金の募集の條參照)
六日には、罹災救助基金の前渡を斷行して、應急・救恤の實を擧ぐると共に、各方面より金品の義捐せられたる方面へ、謝禮状を發送し、又、大金侍從をはじめ後藤農相以下罹災地實地視察の高官及び中央政府關係各省へ、罹災竝救護状况報告書を作成して之を呈上せしが、その後も、各方面より、同一事項につき問合せを受くる事多きに鑑み、多忙の間に「震嘯災害救護概况」(菊版七四頁外に地圖・寫眞封入)二千部を發行し、或程度以上の義捐金寄贈者及必要とする向に頒ちたり。


ハ、社寺兵事課
社寺兵事課にては、震災の報を聽くや、直に、縣内社寺關係の損害を調査したりしが、幸にもこの方面には該當すべきものなかりき。
一方第二師團入營沿岸壮丁の滿洲派遣の事あるにより、陸軍當局と打合せの上、軍人遺家族及傷痍軍人の罹災者の調査をなし、普通一般的の救護に努むる外、別に帝國軍人後援會の軍人援護資金中、遺家族義捐金殘金千二百二十四圓の内より、夫々被害程度に應じて、見舞金を贈れり。
海軍より救恤品運搬竝に罹災民救助の爲、五日軍艦嚴島派遣の旨來報ありたれば、木村社寺兵事課長は、救恤品受領の爲岩手縣釜石町に到り、縣内の配給に關して、萬遺憾なく取計ふ事を得たり。

第八節 罹災救助基金の支出

罹災救助基金の支出については、災害當日より關係町村當局及本縣社會課を中心とせる派遣官吏・吏員をして、食料救助を始めとし、各種の救助に努めしめ、三月六日には、特に罹災町村十三箇町村に對し、取敢へず金一萬八千八百三十五圓の前渡を斷行し、救護上の便に供したり。
又、三月七日別に政府の所有自米百二十九石を罹災救助基金に依り、被害地の状况と罹災民の人員によりて、二十日間内外の食糧を一日白米五合見當にて給與する事とし、次の如く拂下を受けて配給したり。


桃生郡十五濱村 六十石 牡鹿郡女川町 四十八石
本吉郡唐桑村 二十九石六斗 牡鹿郡大原村 十六石
本吉郡歌津村 十二石八斗 同 志津川町 九石六斗
同 戸倉村 六石四斗 同 小泉村 五石六斗
同 十三濱村 四石


其他小屋掛材料の供給、被服・野菜類の配給竝治療等につき遺憾なき樣細心の注意を拂ひ、災害當日の三月三日より兩三日間は、本縣にても社會課をはじめ、關係諸課に於ては文書課・會計課・保安課等徹宵執務して、萬遺憾なきを期したり。
尚、災害の状况に鑑み、規定の限度に於ては、充分なる救助を爲し難きものと認め、特に縣參事會の議決を經て、小屋掛費・就業費等は規定の二倍迄の額に於て、救護を爲したり。

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昭和七年度罹災救助基金支出調
第九節 縣參事會

震嘯災害救護に要する諸經費の承認を求むべき縣參事會は、三月十一日開會、昭和七年度、八年度國庫補助金及昭和七年度電氣事業災害復舊凖備積立金繰入より財源を求め、救護に關する次の如き諸議案を可決せり。


A、震災救護費
震災竝海嘯應急諸費 七二、二二一圓
罹災地へ官吏々員の出張旅費臨時雇傭給、道路應急補修費等
震災竝海嘯警備費 七、二八二圓(警官の罹災地出張旅費、通信費)
震災竝海嘯災害電話應急補習費 六五九圓
電氣事業、災害復舊費 一七、二五五圓
合計 九七、四一七圓


右に對する財源は左の如し。


國庫補助震災竝海嘯應急費補助金(昭和八年度) 三五、〇六六圓
同上 (昭和七年度) 四五、〇九六
電氣事業災害復舊凖備積立金繰入 一七、二五五
合計 九七、四一七


B、罹災救助基金
食費 一七、三一二圓 被服費 二〇、九〇七圓
治療費 五八八 小屋掛費 二三、〇七〇
就業費 四三、四九四 學用品費 二、二五〇
埋葬費 三、〇三〇 運搬費 二、七七三
雜費 一、三八七
合計、一一四、八一一


右財源は、罹災救助基金繰入金より支出する事とせり。

第十節 警備

三月三日の海嘯に際し被害地管轄警察署(石卷・飯野川・志津川・氣仙沼・亘理)に於ては直に非番員の非常召集を行ひ海嘯地の警戒を爲し一面被害者の救護及調査等に當らしめたりしも尚署員に不足を生じ充分なる活動を爲すこと能はざりし爲警察部より警部補二名、巡査部長八名、巡査一名を被害地に即日派遣し瞥備應援に當らしめたる外被害最も甚しき町村を管轄する氣仙沼、飯野川署に對し各十名(飯野川署へ仙臺署、涌谷署より各五名づつ氣仙沼著へ登米著、佐沼署より各五名づつ)
志津川署へ五名(登米署より三名、佐沼署より二名)を急派し警備其の他の應援を爲さしめ更に同日警務課長は自動車を以て氣仙沼・志津川・石卷・飯野川各署の被害地に出張各署長を督勵して警備竝に救護の活動に當らしめ治安維持は完全に行はれたり尚各被害地に於ける警戒救護の状况左の如し。


一、氣仙沼警察署


氣仙沼警察署にありては午前三時頃管内大谷村に居住する防疫事務囑託より公衆電話を以て大谷村に海嘯襲來海岸線に相當の被害ある旨報告ありたるを以て管内全般に亘りても相當の被害あるべしと豫想し署所在地非番員竝に新月・鹿折各駐在所巡査に對しては直に非常召集を行ひ情報係巡査部長以下四名を殘留せしめ唐桑・大島・松岩・階上・大谷・小泉各村に急遣し警備救護等に當らしめたり。
更に午訪七時三十分管内全部の被害概况報告を受けたるを以て罹災地以外の各村消防組員、自警團員、青年團員等を召集し羅災地に急派現場警察官之を指揮して現場取片付救助應急手當等に從事せしめたり。尚氣仙沼警察署所轄罹災地唐桑・大島の兩村は交通通信機關不便なる爲、豫て警察署に於て飼育中の傳書鳩を使用通信連絡の便を得たり。
氣仙沼警察署管内に於て警備救護に從事したる警察官其の他の團體左の如し。
警察官 三三名
消防組員自警團員 三三〇名
青年團員六○名


一、志津川警察署


志津川警察署に於ては強震後海嘯襲來の虞あるを以て直に署所在地非番員竝に海岸に接せざる横山村、入谷村駐在所巡査の非常召集を行ひたるに各海岸に面せる十三濱・歌津・戸倉の各駐在所より海嘯襲來の報告ありたるを以て召集中の署員を各被害地に急派し警備救護に當らしめたるも署員の數僅少にして充分なる活動を爲すこと能はざるを以て被害地以外の消防組員、自警團員、青年團員等の應援を求め警察官の指揮に依り警備、救護等に當らしめたり。而して更に警察部、登米佐沼署等より急派したる應援警察官の到着を待ち警備救護の完全を期したり。
警備救護に從事したる警察官其の他團體左の如し。
警察官 二一名
消防組員 三一○名
青年團員 三五〇名
自警團員 六四〇名


一、飯野川警察署


飯野川警察署に於ては強震後十五濱村雄勝駐在所巡査より海嘯襲來の報告ありたるも其の後電話不通となり被害の状况全く不明なりしを以て署備付の自動車に署員四名を同乘、雄勝濱に急派せしめたるに其の報告に依れば被害甚大なるに依り警察部に應援警察官の急派を電報を以て要求一面消防組員・自警團員・青年團員の應援を得て警備救護に當らしめたり。尚十五濱村船越部落、雄勝部落は約二里の距離なるも交通不便にして通信連絡に最も困難なるを以て、第二師團工兵第二大隊より電用電話を借受け之を架設し、通信連絡の圓滑を得たり。
警備救護に從事したる警察官其の他團體左の如し。


警察官 二一名
消防組員 六一五名


一、石卷警察署


石卷警察署に於ては強震と共に町内の電燈消えたるを以て、署長は石卷測候所及北上川口見張番に對して電話を以て海嘯襲來の虞なきや否やを問合中、女川駐在所勤務巡査より海水に異状の干水あり海嘯襲來の前兆ならんとの電話報告あり更に幾何もなく同駐在所より海嘯襲來したりとの報告に接したるを以て、直に打鐘の上署及消防組員の非常召集を行ひ町民に海嘯襲來を警告せしめ河岸繋留船の警戒に當らしむると同時に渡波・根岸・流溜・女川・大原・荻濱・鮎川・矢本・野蒜・小
野の各駐在所をして消防組其の他の團體と協力し沿岸住民に之が周知方を取計しめたり、尚一面召集したる署員を沿岸駐在所に急派し、署長は署員三名を隨へ女川に急行罹災民の救護に從事中、大原村谷川、鮫浦地方は被害殊に甚しきを知り即時貞山丸の出動を命じ警備救護に任ぜしめたり。
警備救護に從事したる警察官其の他の團體左の如し。
警察官 一四名
消防組員 五〇名
自警團員 二〇名
石卷義勇團員 二五名


一、亘理警察署


亘理警察署に在りては三月三日未明管内坂元巡査駐在所詰巡査より警察電話を以て同村磯濱海岸一帶に海嘯襲來し住家の倒潰浸水、人畜にも被害多數ある旨の報告を受くるや、署長は警備救護の急なるを認め直に開業醫一名を依囑し在署員巡査部長以下一名を伴ひ自動車にて急行し、同伴せる醫師をして負傷者の應急手當を施さしむると共に、一面署員及既に現場に召集しありたる坂元消防組員百七十七名を督勵し之が警備警戒に當らしめ遺憾なきを期したり。

第十一節 小學校兒童の救濟
I 災害當時の状况

災害地小學校長に對して、罹災兒童救濟方に關し、通達すると共に、視學等を派して遺憾なきを期したり。尚一方に於て本縣教育會をして發起せしめ、災害地を除く他の小學校兒童及教員竝中等學校生徒より罹災兒童救濟義捐金を募集せしむることとし、同時に災害地小學校に人を遣し、罹災兒童一人に對して三圓、死亡或は負傷兒童一人に對して五圓の割にて配給し、罹災兒童の救護に努むると共に、教科書、學用品をも配給し、兒童の學習に支障なきを期したり。

II 其の後の状况

國庫より交付せられたる地震竝海嘯罹災學齡兒童救濟費一萬三十二圓を、別表の如く、夫々町村に交付し、學用品・被服の給與は、兒童就學奬勵資金管理規程に準據し、兒童給食臨時施設方法に據り、實施せしめつつあり。
又、地震竝海嘯罹災兒童及教員に對し、本縣に配給方を依頼し來れる學校、教育關係團體等(二十九)より寄せられたる義捐金七千百四十圓二十二錢を、別表の如く配當し、兒童及教員に對しては、左表に依り配給せしめ、施設費は震嘯災を永久に記念すると共に、教育に資する文庫設置に充當せしめたり。


因みに、兒童に配給せる義捐金は、成るべく現金にて交付することなく、個人別に郵便貯金となさしめ、必要に應じて受領せしむることとなし、該郵便貯金は、學校長の職印を以てせざれば、受領し得ざる手續を採らしめたり。而して、永久的施設として、機會ある毎に増殖せしむることとなせり。
次に、本縣教育會にて取扱ひたる義捐金第一回四千五百五十圓、第二回七千百五圓、購入の筆記帳三千六十一冊、寄贈にかかる教科書一萬二千二十三冊は、別表の如く、配當或は配給を了したり。
以上の外、縣外よりの慰問品中には、八千三百七十四個の學用品あり、夫々罹災町村に配給し、又、罹災救助基金より、一千五百九十二圓五十銭を支出し、學用品を給與せしめたるを以て、一般救護施設と相俟ちて、兒童の就學に支障なきを得たり。

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1、兒童に對する配當標凖
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2、教員に對する配當標凖
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罹災兒童及教員調
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地震竝海嘯罹災學齡兒童救濟費交付額調
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(一)學用品給與費は次の三種別に依りて交付したり
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(二)被服給與費は次の三種別に依りて交付したり
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(三)學校給食費は次の三種別に依りて交付したり
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地震竝海嘯罹災兒童及教員に對する義捐金配當額調
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教育會に於て取扱ひたる義捐金品配給状况
第十二節 縣税の免除
I 縣税不賦課の議決

震嘯災害地に於ける被害者の縣税不賦課の件は、昭和八年五月十日の縣參事會に提案し、愼重審議の上、原案を可決せり。
その規定は縣條例第四號を以て、五月十七日の縣公報を以て、左記の如く正式に公布せられたり。


○宮城縣條例第四號


震災被害者ニ對スル縣税不賦課ニ關スル條例縣參事會ノ議決ヲ經左ノ通定ム
昭年八年五月十七日 宮城縣知事 三邊長治


震災被害者ニ對スル縣税不賦課ニ關スル條例
第一條 震災(昭和八年三月三日ノ震災及之ニ伴フ海嘯ヲ含ム以下同シ)ニ因ル被害者ノ震災地ニ於ヲ納付スヘキ昭和八年度分縣税ハ別ニ定ムルモノヲ除クノ外本人ノ申請ニ依リ本條例ノ定ムル所ニ從ヒ之ヲ賦課セス
第二條 前條ノ震災地トハ昭和八年大藏省令第六號第一俟ニ定ムル縣内ノ震災地ヲ謂フ
第三條 震災ニ因リテ著シク毀損シタル家屋及震災ニ因リテ滅失若ハ家屋トシテノ効用ヲ失ヒタル爲新ニ取得シタル家屋ニ對シテハ家屋税ヲ賦課セス
第四條 震災ニ因ル被害者ノ營業ニ對シテハ營業税ヲ賦課セス
第五條 左ノ各號ノ一ニ該當スル者ニハ雜種税ヲ賦課セス
一、震災ニ因リテ著シク毀損シタル物件及震災ニ因リテ滅失若ハ其ノ効用ヲ失ヒタル爲新ニ取得シタル物件
二、震災ニ因リテ死傷又ハ行方不明トナリタル爲新ニ取得シタル牛馬
三、震災ニ因リテ自用ノ建物又ハ其ノ敷地ヲ取得シタル場合ノ不動産取得若シクハ自用ノ爲ニスル立木伐採
四、震災ニ因ル被害者ノ爲ス代書人、雇婦、漁業採藻


附則


本條例ハ昭和八年度分ニ付之ヲ適用ス

II 見込額調査と低利資金の融通

縣庶務課にては、この條例により關係各町村に照會、免除すべき見込額を調査したるに、地租附加税二、〇三七圓、營業收益税附加税一、八四九圓、所得税附加税二、七一二圓、家屋税五、三一三圓、營業税二、五三四圓、雜種税二四、八五五圓にして、その總額三九、三〇〇圓に達したり。その他昭和七年度分未拂縣税一三、七〇〇圓の免除豫想額を加へ、五三、○○○圓の縣税免除必要額を認めたるを以て、別に町村歳入缺陷補填資金轉貸の爲、金五萬九千四百圓、合計拾壹萬貳千四
百圓を預金部資金より借入をなす必要あるを以て、早速、次の如き理由書を政府に提出して請願する處ありき。
その結果、政府より低利資金の融通を見たるを以て、別記の如き縣税の免除をなしたり。
理由書
(前略)
然ルニ一面災害ニ因リ納税義務者ノ資力ヲ失ヒタルモノ及課税目的物等ノ滅失シタルモノ等不尠シテ縣ニ於テハ金五萬參千圓、町村ニ於テハ金五萬九千四百餘圓、計金拾壹萬貳千四百餘圓ノ歳入缺陷ヲ生スル状况ナルモ縣町村共財政窮迫シ且各種復舊及救護等ノ爲費用ヲ要スル場合他ニ補填ノ途ナキヲ以テ止ムヲ得ス起債ニ求メサルヘカラサルニ依リ、縣歳入缺陷補填金五萬參千圓及町村歳入缺陷補填資金轉貸ノ爲金五萬九千四百圓、計金拾壹萬貳千四百圓ヲ預金部資金ヨリ借入ヲ爲サントスル所以ナリ

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縣税減收(不賦課)調
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實際の免税人員一、八六七人、免税額三、六一二圓八七錢にして、その内譯
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(營業税、雜種税内容)
III 府縣制による免除

縣下三陸沿岸の縣税滞納は、昭和二年度分より同七年度に至れるもの、相當の額に達したりし内、罹災者より免除の申請ありしものに對しては、調査の結果、徴收免除するを適當と認められたるものを、昭和八年五月十日、同九月十五日、昭和
九年四月十六日三回の縣參事會にはかり、府縣制第百十三條(府縣税ノ減免若シクハ納税ノ延期ハ特別ノ事情アル者ニ限リ府縣知事ハ府縣參事會ノ議決ヲ經テ之ヲ許スコトヲ得)を適用して、免除せり。
その申請人員及税額次の如し。


第一回決定分
中請人 七七〇人
總税額 三、八六九円、八三


第二回決定分
申請人 一三人
總税額 七九二、三五


第三回決定分
申請人 七九人
總税額 八八、七七



申請人 八六二人
總税額 四、七五〇、九五

第五章 各方面の救護

第一節 縣下市町村當局
I 仙臺市

イ、義捐金の醵出
仙臺市にては、三月七日緊急市會を開催し、三陸罹災地に對する義捐金の醵出を決定したり。醵出義捐金總額は、六千五百圓にして、内本縣五千圓、岩手縣壹千圓、青森縣五百圓の割合なり。因に、本縣被害町村に對しては、一町村當り、拾圓死者行方不明者一人當九圓、家屋の流失倒潰一戸當貳圓宛分配せり。各町村別割當額左の如し。


ロ、慰問隊の派遣
仙臺市役所にては、罹災民慰問の爲、慰問隊を派潰する事となり、市長代理として各課長を漸次動員の上、該災害地に向け派遺したり。
即ち佐々木社會課長・鈴木市視學外一名は、先づ、吏員一同を代表して、五日午後零時十八分仙臺市出發、被害激甚なる本吉郡歌津村及志津川町に向へり。慰問と共に市内有志より寄贈せられたる慰問品をトラツクにて輸送の上、配給を了へ、六日午後四時三十分歸仙せり。
次いで、七日、第二回慰問隊として、杜會課長外一名は、牡鹿郡大原村慰問の爲、午前八時仙臺出發、任務完了の上、午後七時歸廳せり。
産業課長外一名は、九日、第三回目の慰問使となり、早朝仙臺出發、十五濱村に向ひ、該地に一泊の上、十日午前十一時四十分歸仙したり。外に、畠山衞生課長は、見舞金として、鮎川村に六〇圓、大原村に六五〇圓、女川町に一七〇圓携行慰問し、十日正午歸廳せり。又、内記課長は坂元村に見舞金一〇〇圓を携行し慰問するところありたり。
更に十日に於ては、社會課長外一名、午前七時三十分、十三濱村へ向け慰問のため出發、十一日午後零時十分歸仙したり。
十一日午前九時五十分、雪晴れ後の眩しき旭光を滿面に浴びつつ、唐桑村以下十箇町村に見舞使として出發したる高橋庶務課長以下七名の一行は、任務完了の上、十三日午後五時歸仙したり。


ハ、救恤品發送
仙臺市にては、五日午後零時十八分慰問隊派遣と共に、市内有志より寄贈の救恤品をトラツク二臺に積載の上、本吉郡志津川町・歌津村に發送せるが、その後も四回に亘り、トラツク便により救恤品を次の諸方面に發送せり。
なほ第一回の配給先及配給品次の如し。


その後も、市内有志より續々救恤品を寄託せらるる處ありしが、之等は梱包をなせる上、三月六日より開設の仙臺驛前本
縣出張所へ搬送の上、本縣へその配給方を依頼せり。

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義捐金各町村別割當額
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救恤品發送トラツク便の諸方面
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第一回の配給先及配給品
II 石卷町

石卷町に於ては、震嘯災害當日、即ち、三月三日、町會の緊急決議に依り、救援義金として一、○○○圓を支出し、食糧品・日用品及び其の他雜品を購入の上、縣内罹災地に慰問品として贈る事に決したり。次いで四日、町社會課の手に依り米・麥・味噌・炊事道具等の慰問品を多數購入し、且、被害最も激甚なりし十五濱村・女川町・大原村へ向け、吏員を急派すると共に、之等をトラツクに滿載して輸送、罹災地に於て配給をなしたり。

III 氣仙沼町

イ、救護事務の開始
三月三日、午前海嘯の報至るや、町村長以下吏員は、早朝登廳して、善後措置を協議し、偶々第一回町會議案調査會開會ありたるも、之れが會議を取止め、即日海嘯被害救護善後策に付、町會議員協議會を招集し、以て、罹災救護方法を諮り當町に於ける直接被害僅少なるも、先づ以て調査を爲し、一方他町村の被害甚大に付、其の罹災者救護に當る爲、取り敢へず之等の町村に對し、見舞竝被害状况視察として、助役以下吏員六名を特派し、其の報告に依り、夫々具體的救護に努むることとなれり。


ロ、罹災地慰問使特派
罹災地慰問使左の通り特派したり。
イ、本吉郡内(十三濱を除く) 助役以下吏員六名
ロ、本吉郡外
第一班 釜石町・唐丹・吉濱・越喜來・綾里・赤崎各村 町會議員一名  吏員一名
第二班 氣仙町・高田町・末崎村・廣田村 町會議員二名
第三班 郡内十三濱村・桃生郡十五濱村・牡鹿郡女川町・荻ノ濱・大原・鮎川各村 町會議員二名


ハ、第二師團・赤十字社支部・東北帝國大學醫學部・縣等救護班の活動斡旋
本吉郡地方に於ける罹災者救護の爲、第二師團・赤十字社宮城支部・東北帝國大學醫學部・縣及其の他より、連日連夜多數の救護班來町するに當り、直接災害區域をも奔走して、其の活動を斡旋幇助したり。


ニ、救護事務所の開設
救護物資竝慰問金品の募集配給の爲、救護事務所を役場竝魚町勞働共濟事務所の二箇所に設け、吏員を配置し、在郷軍人分會員竝男女青年團員等の協力を得、外に町會議員全員を委員とし、半數、隔日交代に兩事務所に出務して救護に遺憾なきを期したり。


ホ、救護物資竝慰問金品の募集配給
各地の慘状入るや、直に慰問竝救護上に必要なる物資を募集し、又町費を支出することとし、之が募集には、金員は各區々長竝有志百八十名を囑託し、物品な男女青年團に依囑したりしに、救護は極めて早急を肝要とするに付、先づ以て、右一般寄附收入竝町費を見込み、生活必需品を購入配給したるの外、右一般慰問金品多數に上り、之が配給に依り、救護の萬全を期したり。
其の状况左の通りとす。
尚、救護事務手傳の爲、吏員二名を、數日間唐桑村役場に出張せしめたり。

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▽町内罹災者
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▽他町村罹災者 A、直接町に於て購入したる物品の配給調
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▽他町村罹災者 B、金品の配給調(義捐金の内一、○○○圓す)
IV 鹽釜町

塩釜町當局に於ては、災害當日同町直接の被害を調査すると共に、縣當局と連絡をとり、町内各自警團長を招集して、義捐金品の募集斡旋に盡力せられん事を委囑せり。
その結果、總計九百貳拾壹圓五拾九錢の義捐金と、若干義捐品の募集を見たり。
仍て、義捐品は直接罹災地方へ送附し、義捐金は、内貳百六拾圓を、町關係、死傷者及び船舶破損被害者に惠與し、殘金六百餘圓は、縣當局へ發送の上、配給方を依頼せり。
尚、運搬船の修繕見込あると否とを問はず、復舊計畫を有するものに對しては、縣當局に依頼し、復舊に要する費用補助竝低利資金融通の盡力をされたきむね依頼する處ありき。

V 飯野川町

飯野川町は、縣下第一の被害地たる十五濱村に最も近く、且又、十三濱村に至るにも咽喉を扼するの地なり。
震嘯災害當時、應急措置の要衝に當れり。三月三日未明十五濱村雄勝よりの非常急報によりて、災害の激甚なるを知るや警察當局と打合せの上、吏員をして、醫療品を携帶同地に急行せしめたり。
ついで、六日に至り、町役場に桃生郡町村長會議を開き、郡下町村長召集の上、各町村長交互にて、七日より郡下罹災地十五濱村に出張の上、救護作業の督勵に當る事とせり。

第二節 青年團
I 約説

不時の災害に際し、罹災地に急行、破壞家屋・冠水による飛散物の取片附け、道路の修復よりバラツクの建設等に至る迄日常の團體的訓練を利用して奉仕盡力せるものに、陸海軍・消防組以外に、青年團あり。
その罹災地に出動せるものは、多く團服・卷ゲートル姿凛々しく身を固め、背嚢・外套・大工道具及數日分の食料品携帶の上、日頃磨きし腕を以て、献身的に救護事務に從事せり。
之等出動青年團は、凡んど本縣市町村のものなるが、その他遠く東京市よりも來援せし青年團あり。又本縣の青年團にして岩手縣釜石町に救援に赴きしものもあり。
又、義捐金品の募集の如きも、迅速、輕快に事を運ぶもの、青年團員の力に依らざるべからず。
而して、その醵出金品中には、男子青年團員が農業從事の傍ら、寸暇を惜みて製作せし藁工品の賣上代金を共同貯蓄し置きしものより、慰問金募集の映畫會開催により醵出せし尊き勞務の結晶によるものあり。又女子青年團が、日常の勞務を廢して、足袋・衣類・帽子等の裁縫に從事して、學用品、日用品等と共に暖き同情心を籠めたる手製品を贈りたるものあり。

II 宮城縣青年團及女子青年團

三月五日縣青年團長及縣女子青年團長より各市町村男女青年團長に對し罹災者救援に關する通牒を發し、各團をして自發的に義捐金品の醵出、勞力奉仕其の他適當なる方法に依り罹災者救護を促したる結果、或は義捐金品を送付し、或は現地に至りて勞力の奉仕をなしたり。尚三月一日より七日迄宮城縣青年製作品展覽會開催中なりしを以て、其の出品物中罹災者救護に必要なる物品を寄贈せしめ、又は本團に於て買上げ之を罹災地に送付せり。
本團に於て發送の品名數量左の如し。


品名 數量
農産物加工品 四二三點
木竹製品 四七點
水産物加工品 四點
金工手藝、食料品 三七點
計 五一一點


三月九日在仙理事會を開催し救護に關する協議をなし、仙臺驛前に設置せる縣の臨時出張所の手傳として仙臺市内各青團員二名を三月十日より十八日迄交替に出動せしめたり。

III 各市町村青年團及女子青年團

罹災地町村の青年團員にして災害を受けざるものは當時自警團、消防組等と協力し震災地の整理及避難所の建設に努力し女子青年團員は浸水のため汚損せる衣類等の洗濯に從事したり。其他の町村青年團にありては義捐金品を贈り、又は現地に至りて破損家屋の修理及障碍物の整理等をなし、若しくは義捐品配給事務に從事する等罹災者の救援に貢獻したる所尠からず。尚遙に岩手縣釜石町の罹災地に至りバラツク建築に從事し大いに感謝せられたり。
義捐金及勞力奉仕の状况左の如し


なほ罹災町村青年團にして、自救竝に近隣町村・部落の救援に赴きしもの左の如し。

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罹災地外青年團(男子)勞力奉仕状况
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罹災町村青年團にして、自救竝に近隣町村・部落の救援に赴きしもの
VI 各青年團の活躍状况

イ、東二番丁青年團
仙臺市東二番丁青年團員十二名は、菊地團長に引率され、三月十四日午後一時半、宮城電鐡仙臺驛出發、災害最も甚しき桃生郡十五濱村に向へり。
一行は大工十名、トタン職二名よりなり災害地に於て、三月十四日より同十七日に至る四日間、小學校舍及巡査駐在所の官公廨、一般半潰家屋の應急修理、被害船の引下し作業等に從事せり。
作業に際しては、毎日午前七時より午後六時半に至る長時間、忍苦に耐へて勞働奉仕をなせり。


ロ、培根青年團
仙臺市培根青年團は、建設班を組織し、岩手縣下釜石町に出張、同地方の災害後の取片附け、バラツク建設等に從事せり。
一行は、大工八人、ブリキ職一人、鳶職一人、その他、合計十二名にして、三月十二日より七日間、小學校校舍に宿泊しつつ、同地の救護に從事せり。


ハ、共の他
なほ、罹災町村青年團の活躍状况を知らんが爲、唐桑村青年團員活躍の状况を記して、その一端を偲ぶ事とせん。


三月三日(出動員數總計五十六名)
一、海嘯により家屋の倒潰・流失等の聲を聞くや、宿班青年團員は定所に集合、東海岸方面の流出者救助の爲、高砂丸・八幡丸の二隻を動かして出動す。
一方に於て、倒潰家屋の整理・道路の復舊に努力し、夜は四名宛にて、徹宵警戒の任に當れり。
二、鯖立班にては消防組と協力し、流出物の拾收、負傷者の救護等の活動目覺しきものありたり。
三、各班も右に準じ、夫々活動せり。


三月四日(出動員總數八十四名)
一、班員全部にて漂流物・破損物の整理、午後より村役場に於て毛布の運搬配給、各方面への傳令を引受けたり。夜は屍體埋葬の爲、八時より十二時迄活動せり。出動員四十三名(以上宿班)
二、小鯖海岸漂流物の後片付に、二十六名の班員出動(中井班)
三、石濱青年會と協同作業(石濱班)十五名


三月五日(出動員數一〇六名)
一、各部落にて、各班員總出動にて、前日同樣、流失物・道路の修理に努力す。


三月六日(出動員數六十五名)
前日同樣に活動。


三月七日(出動員數九十五名)
一、前同樣の活動をなす。
二、一方宿班、鮪立班、石濱班は只越部落に出動し、片付方及び慰問品の配給等に盡力せり。


三月八日
一、小鯖區より手傳を求められたるにより、團員及び小學校高等科兒童と共に出動す。陸上に打揚げられたる舟を海に下し、ガラス破片其他の危險物の除去、材木の運搬等をなせり。(宿班)
二、一方一部團員は慰問品の運搬・配分等の仕事を擔當活動せり。


三月九日(出動員數二十四名)
一、陸上乘揚船の海上引卸及流失物整理等の仕事をなせり。


三月十日(出動員數二十二名)
一、前日同樣


之を總じて見るに、今回の震嘯災に於ては、人畜の死傷、往時明治二十九年のものよりは尠かりしも、家屋の流失・浸水、殊に漁船の流失破損極めて多く、從つて仕事も困難且多大なりしに不拘、團員は自發的に統制をとり、献身的に活躍せり。
且、新聞ラヂオ等所謂文明の利器により、災害状况は全國一般に知られたるを以て、同情慰問の品々多數にして、之が運搬・配給にても容易ならざる仕事なりしに、團員は連日深更に至るまで自己を忘れて活躍したるは、罹災地住民のみならず
關係各方面より深く感謝せらるる處なり。

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ハ、共の他
第三節 消防組
I 公設消防組

三月三日、海嘯襲來するや、罹災地消防組は、非常召集を行ひ、又附近町村の消防組は自發的に災害地に出動し、連日罹災者の救護、倒潰家屋の整理、屍體の搜索、道路・交通復舊、食料品の供給等に努めたり。
罹災地町村の消防組にして、出動せるもの九組、その出動延日數五十二日、人員五、二九八人、他町村より出動せる消防組は十二組にして、その出動延日數二十八日、人員一、三二二人にして、その活動目覺ましく、罹災民の救護・復舊に盡瘁する處不尠ものあり。
その他、一日乃至二日、局部的に活動、救護に從事せるものに、新月村新月消防組、稻井村消防組等あり。

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罹災町村消防組出動日數及人員
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他町村へ出動の消防組出動日數及人員
II 私設消防組

(イ)石卷義勇團
石卷町濱横丁・九軒丁・裏丁の商人・大工・出稼職人等六十名よりなる石卷義勇團は、常時消防その他の奉仕事業に從事するものなるが、災害と同時に、石卷滯留中の二十八名は、食糧品携帶の上、福田團長竝松谷副團長引率の下に、發動機船に便乘し、大原村・谷川及鮫ノ浦兩部落の救護作業に從事の爲急行せり。
罹災地に到着と同時に、災害後第一に要求せられつつありし、屍體收容の棺桶の急造をはじめ、破壞せる家屋の取崩し、浸水地域の取片付け、バラツクの急造等の救護作用に四日間に亘り、奉仕的に從事せり。


(ロ)その他の私設消防組
罹災地をはじめ附近町村に於て、日常團體的訓練をなせる、青年消防組、自警團消防組等にして、災害に際し、救護に從事せるもの不尠、之等の中、主なるものを左に掲げん。

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その他の私設消防組出動日數及人員
第四節 帝國在郷軍人會仙臺支部
I 罹災地視察竝慰問

帝國在郷軍人會仙臺支部長吉野大佐は、三月三日午後一時六分發列車にて被害状况調査竝に救援の爲、志津川町方面に瀧本少佐を、閖上町方面に赤木曹長を、坂元村方面に伊藤曹長を、夫々派遣せり。
又、午後二時、被害激甚なる牡鹿郡大原村の災害救護の爲、石卷町・渡波町・稻井村各分會宛「郡下被害地の救護援助に當られ度」旨電報を發し、同地方への出動を促せり。
罹災各地に派遣せられたる者の情報綜合の上、三月四日朝、吉野支部長は、牡鹿郡・桃生郡の各罹災地へ出張、調査の結果、十五濱村へ工兵隊を派遣すべきむね、多門第二師團長に對し、意見を具申せしかば、工兵第二大隊よりは、作業隊三十八名、直に同地に派遣せられたり。
吉野大佐は大金侍從に隨行して、牡鹿郡方面に、佐藤中佐は帝國在郷軍人會副曾長中野海軍中將に隨ひ本吉郡に、高橋少佐は、聯合支部長吉富少將に隨ひ、同じく本吉郡方面の罹災地視察に任じたり。

II 慰問金募集竝配給

三月五日、吉野在郷軍人會支部長より、管下聯合分會長に對し、被害状况を通知すると共に、罹災地に對する慰問金を募集せり。
その結果、三月十三日第一回の〆切に於て仙臺支部の五〇〇圓をはじめとし、在郷軍人會本部・支部・聯合會・分會等より八八五圓の慰問金を、四月二十日第二回〆切に於て、一九一圓六一錢、五月三十日第三回の〆切に於て、二、一一〇圓六〇錢、九月二十一日第四回の〆切に於て、二三七圓六〇錢、合計三、四二四圓八一錢の金額に達せしが、之等は、その都度寄贈者の意志をくみて、左記の如く、罹災地在郷軍人聯合分會に配給、その處分方を一任せり。

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○慰問金第一回〆切の分(三月十三日)
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○慰問金第二回〆切の分(四月二十日)
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○慰問金第三回〆切の分(五月三十日)
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○慰問金第四回〆切の分(九月二十一日)
第五節 帝國軍人後援會

I 軍人遺家族・傷痍軍人


今回の震災に際し、日支事變關係の戰死者の遺族竝戰傷者の家族及日支事變の爲出動中、傷痍を被りしものに對し、普通一般的の救護に努むる外、帝國軍人後援會より、四月八日、關係町村長を經て、慰籍料を贈呈慰問せり。
その金額一八六圓、慰問を受けたるもの三六名なり。

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軍人遺家族・傷痍軍人罹災者調
第六節 宗教團體
I 佛教關係

イ、宮城縣聯合佛教會
宮城縣聯合佛教會にては、震嘯災害直後、桃生郡十五濱村の雄勝・荒・船越・名振の各部落に罹災民を慰問し、なほ雄勝・荒の二箇所にては死亡者追悼會を施行して、生靈を慰むる處ありき。


ロ、東本願寺
三陸沿岸災害の報に接し、東本願寺當局に於ては、東北別院輪番粟津勸縁氏を本願寺慰問使として、災害地に派遣し、罹災状况を視察慰問せしむる處あり。同氏は、三月四日仙臺出發、同七日迄、主として、岩手縣沿岸の罹災地を巡回慰問して歸仙、直に仙臺市内大谷派寺院住職、東北別院總代、世話方、大谷婦人會幹事等を召集の上、緊急協議會を開催し、慰問品として、手拭三千本、日用聲明教本、佛教聖典各三百冊を贈り、且つ慰問班を組織し、罹災各地に出張の上、移動、追弔會・
讀經・法話等をなして慰問する事に決定したり。仍て、慰問班を二に分ち、第一班は釜石町以北、第二班は氣仙郡方面を分擔慰問の事とし、三月十三日出發、同十六日迄、沿岸各地を巡回せるも、之等は、何れも岩手縣下の事に屬するを以て、此處には詳述せず。


ハ、西本願寺
京都なる本派本願寺よりの命により、同派慰問使として、同寺仙臺別院輪番福永俊良師竝本山仙臺布教使橘實言師の兩氏は、三月四日仙臺出發同八日迄の五日間に亘り、本縣十五濱村より岩手縣釜石に至る各罹災部落を歴訪・慰問をなし、その情况を逐一本山に報告せり。
本山社會部にては、かねて、龍谷大學生・全國本願寺青年會員・婦人會員等に對して、災害義捐金幕集中なりしかば、この報告により、直に仙臺別院の慰問使を通じ、本縣・岩手・青森の三縣に對し金八○○圓の寄贈方を申込みたり。
内、本縣へ寄贈の分は三〇〇圓なりき。


ニ、曹洞宗大本山
曹洞宗大本山にては、三陸沿岸罹災民慰問として、宗務院人事部主事佐藤元惠氏を特派せり。
同氏は六日來仙、宮城縣同宗宗務所長三田村龜範氏と打合せの上、直ちに罹災地に出張、罹災民の慰問に當りたり。

II 神道關係

イ、金光教本部
災害直後の三月五日、岡山縣金光町なる金光教管長より慰問金三百圓を本縣に寄贈する處ありしが、なほ金光教本部にては、三陸沿岸被害激甚なる箇所に、五月上旬、弔慰祭を催し、弔慰金を贈る處あり。本縣下に於ては、五月四日、十五濱村雄勝小學校々庭に於て、弔慰祭を行ひ、弔慰金は、桃生・牡鹿・本吉三郡の八ケ村に四百六十圓を惠與し、別に十五圓宛を石卷飯野川兩警察署員に寄贈して、その勞を犒ふ處ありき。
又、右町村の遺族に對し、「偲草」としてネル二百反、甲種供物五〇個、乙種供物五〇〇個を寄贈し、その他、復興精神パンフレツト「芽のふく春」及び同樣の趣旨によるポスター等を寄贈して、物質竝精神の兩方面より慰問する處ありき。


ロ、金光教仙臺教會所
金光教仙臺教會所にては、慰問金一〇〇圓、慰問袋二七〇袋を準備し、三月十七日、亘理郡坂元村を振出しに、十八・十九・二十日の三日間は、牡鹿郡鮎川村、大原村、女川町、桃生郡十五濱村、本吉郡十三濱村等の諸町村を巡回、羅災者を慰問する處ありき。更に、その後、戸倉村・閖上町を加へ、慰問町村都合五郡八ケ町村に及べり。
慰問金は、村役場或は縁故者に惠贈し、自ネル布、縫針、ハガキ、鉛筆、ナイフ、堅パン等封入の袋の表面に慰問語を印刷せるものは、家屋流失或は倒潰の不幸なる罹災者に寄贈する處ありき。


ハ、大原村敬神自警主婦會
牝鹿郡大原村の字大原・新山・泊・前網等の各區に、主婦を以て組織し、敬神思想の普及竝火災警防を目的とせる各部落別敬神自警主婦會は、三月三日同村内谷川及鮫ノ浦部落が、震嘯により莫大なる被害を受けたるむね知るや、直に非常召集をなし、大原・新山の敬神自警主婦會は谷川部落に、泊のそれは、谷川・鮫ノ浦の兩部落に、前網のそれは、鮫ノ浦部落に出向せり。
而して、日常の敬神思想による奉仕の心を遺憾なく發揮し、罹災民の炊出、汚物の洗濯等、男子には到底爲し能はざる方面の救護、慰問に盡す處多かりき。

III 基督教關係

イ、救世軍本隊
三陸沿岸震嘯災害を受けたるむねの情報一度達するや、救世軍本隊より、司令官の電命各地に飛び、救護・慰問の運動開始せられたり。
即ち、同隊特有の「社會鍋」は、東京・大阪・京都の三大都市をはじめ全國主要要都市の街頭に立てられ、義捐金の募集に盡力せり。
又、罹災民に衣服を給せんがため、古着の寄贈・購買に當り、之等は、東京神田一ッ橋の救世軍本營にて荷造され、直に上野驛に送られたり。
その他、蒲團・毛布・盥・下駄・バケツ・林檎・ビスケツト・紙・柄杓・鍋等の日用品・食料品等、救世軍の手を經たる合計二百五十四梱の慰問物品は、氣仙沼・釜石の同軍救護本部へ急送せられ、此處にて各小隊員の手にて分類、直ちに罹災民に配給せられたり。
又、三月二十四日より同二十七日迄に鐵鍋二千個を、罹災三縣の被害地帶に向け發送せるが、内、本縣管内の受贈せる分は四四〇個なりき。


ロ、救世軍氣仙沼小隊
救世軍氣仙沼小隊にては、震嘯災當日、折柄小隊長仙臺の士官會に出席中なりしを以て、同地にて仙臺小隊とも打合せ、附近沿岸町村の救護計畫を立てしが、四日個臺第一小隊より杉原中校、七日、東京本營より特派士官を迎ふるに至り、全員を二隊に分ちて、罹災地に、暖き救援の手をさし延べたり。
自動車により沿岸各被害部落を慰問すると共に、東京の本營より送られたる義捐金を以て、ビスケツト・手拭・塵紙等の災害後應急用品を整へ、慰問品として、罹災民に配給せり。
又、三月八日・九日の兩日、同小隊中心となりて、唐桑村只越・小鯖・大澤・歌津村田ノ浦の各部落を巡回し、罹災民に汁粉接待をなし、精神的にも大いに慰問する處ありき。
因みに、同小隊の救護に從事せる範圍は、南、本縣桃生郡十五ケ濱村より、北、岩手縣氣仙郡越喜來に至る三十五里の海岸なりき。


ハ、仙臺牧師會
仙臺牧師會にては、三月六日、仙臺組合教會高橋牧師宅に、災害救濟に關する協議會を開き、その結果、震災救濟事務所を、仙臺市東六番丁日本基督教會内に設置せり。
而して、まづ第一に義捐金の募集をなす事に決定し、その趣意書を全國關係各方面の同情に訴へしが、その結果、全國基督教教會竝關係者より寄贈せられしもの一九〇ケ所、金一、三二三圓三九錢に達せり。
之等、應募金額中、内五〇〇圓は本縣下罹災地の託兒所開設の目的を以て、本縣社會事業協會に提供せられたれば、双方合議の上、之に仙臺友の會よりの寄附金を合せ、唐桑村只越及び十五濱村雄勝に震災臨時託兒所を開設し、地方部落民の便益を計る處多かりき。(別節、臨時託兒所開設の條參照)
又、三〇〇圓は、本縣・岩手・青森三縣の一般救濟金として、寄贈され、殘金を以て六月下旬、七月下旬、十月上旬の三回に亘りて、南、本縣十五濱村より、北、岩手縣釜石町に至る五十餘里の沿岸を、各部落につき慰問傳道する處ありき。
この間、機關新聞・キヤラメルの配布、幻燈の撮影等、あらゆる苦心を重ね、天災に痛められし罹災民の上に、限りなき慰問の贐を與へられたり。


三陸慰問運動の圖解(救世軍本營)


一、三月三日、三陸海嘯の報、一度達するや、救世軍では司令官の電命各地に飛び、救護慰問の運動開始さる。東京、大阪、京都の三大都市はじめ、各地の街頭には、社會鍋立つ。圖は東京丸ビル
前の社會鍋。


二、市民の同情、海の如く、鍋に投ぜられた同情金、山の如し。


三、一方、古着を集める爲、各小隊一齊に荷車もつて町々を縫ふ。
四谷の某呉服店で、番頭さん小僧を督促し、「子供ものを、もつと持つて來い!大人は辛抱も出來るが、子供は可哀さうだから!」と。かくて四、五軒も行くうち、荷車は山の如し。


四、慰問物品の集合所は、東京神田一ッ橋の救世軍本營、その地下室で荷造され、直ちに上野驛へ送らる。


五、合計二百五十四梱の慰問物品は、氣仙沼に於ける救世軍第一救護本部と、釜石の第二本部へ急迭された。


六、トラツクに積んだ慰問品は、衣類あり、蒲團あり、毛布あり。その他盥、下駄、バケツ、林檎、鷄卵、ビスケツト、紙、柄杓、鍋等。峠を越え谷を通り、目的地へ達した。


七、陸路不便の所は、海路を利用し、發動機船は毎日のやう、大波小波を蹴つて津々浦々を訪ねた。海風にひるがへる救世軍の三色軍旗、その美しさ!


八、陸路、自動車通ぜず。辛うじて馬に物資を滿載し海岸に達した所もあつた。その馬子、救世軍の義擧に感じ、「駄賃はいりませぬ」と無代で奉仕、トツトと急ぐ足並の早いこと。


九、只越に於ける子供のシルコ接待の光景、家屋は海に流されたが竈は殘つてゐる。それを拜借して軍人達は大車輪の活動。小鍋に盛られたシルコ、子供達の喜びは一方でない。食べたあとの小鍋
は、慰問品として家に持ち歸る。社會鍋に投ぜられた同情が小鍋シルコとなつて罹災者に渡された。これこそ文字通りの社會鍋。


一○、○印は、救世軍救護隊の慰問したる所、氣仙沼本部の受持だけでも、南へ二十五里、北へ二十里、都合四十五里の海岸線に亘つてゐる。

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三陸慰問運動の圖解(救世軍本營)
第七節 各種團體
I 日本赤十字社宮城支部

災害當日直ちに、日本赤十字社宮城支部仙臺診療所より一班、石卷町同社病院より二班、合計三班の救護班を組織し、次の如く、罹災各地に派遣せり。
又、愛國婦人會宮城縣支部と協力し、吏員を罹災地に急派し、被害状况の調査及慰問を爲したり。
尚被害甚大と認むべき罹災地八ケ村に對し、感冒豫防・下痢止・胃腸藥の家庭藥二萬二千錠を配給し、災害直後疲弊により、病人の續出するを未然に防がんと努めたり。

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救護班派遣
II 愛國婦人會宮城縣支部

(イ)災害地見舞と慰問品配給
災害當日日本赤十字社宮城支部と協力し、直ちに主事以下、吏員を災害地に急派し、被害状况の調査及慰問を爲さしむると共に、比較的被害甚大なりと認むべき町村に對し、麺麭二十二箱及足袋百足乃至三百足(總數一千足)を配給したり。又仙臺市内に於ける支部役員は、女子青年團員と共に、縣に於て配給すべき蒲圍の調製に從事し、六百枚を作製したり。


(ロ)義捐金品の募集竝に分配
仙臺市内諸官衙、仙臺市内愛國婦人會宮城縣支部支部役員及町村委員その他に對し、義捐金品の募集を依頼せり。
義捐品は、三千五百點を超えたりしが、義捐金は六、八九二圓餘に達し、之等は次の如く分配せられたり。


義捐金分配總數 六、八九二圓七七
内譯
香典 二八六円、○○
託兒所費 一九七、七〇
物品購入(救恤品) 一、一四三、九四
各罹災町村に分配 五、二六五、一三
坂元 一三〇、○○ 閖上 二〇、一三 十五濱 一、六五〇、○○ 女川 四〇五、○○ 大原 四七五、○○ 荻濱 六五、○○ 鮎川 五〇、○○志津川 一二〇、○○ 戸倉 八五、○○ 歌津 五七五、○○ 十三濱 三七五、○○ 小泉 一六五、○○ 階上 五〇、○○ 大谷 五〇、○○ 大島 六五、○○ 鹿折 五五、○○ 唐桑 九三〇、○○


尚三月七日以降、支部長以下各役員は罹災地を慰問し、死者の遺族に對し、弔慰料(一人につき二圓)を贈呈し、尚出征軍人の家族戰死者遺族及傷痍軍人の罹災者に對しては、慰問金(各金五圓)を贈呈せり。


(ハ)臨時託兒所の設置
愛國婦人會にては、募集せる義捐金の一部を割き、桃生郡十五濱村名振の滿照寺に臨時託兒所を開き、八月一日より約三ヶ月開所し地方罹災民より絶大の感謝の念を受けたり。(別稿 臨時託兒所開設の條參照)

III 水難救濟會宮城支部竝日本海員掖濟會宮城支部

水難救濟會宮城支部竝日本海員抜濟會宮城支部に於ては三月十二、三の兩日(桃生郡十五濱村船越に於ては更に二日間延期)に亘り左記により海嘯の爲行方不明となりたる者の搜索を爲したり。
區域竝搜索船配置 災害地を六區に分ち各區に搜索船一艘を配置す搜索員の乘込 各搜索船二十名を乘込ましめ搜索に當らしむ(各船に潜水夫一名宛乘込)
搜索の要領 災害地を中心に分擔區域内を警邏し行方不明者の搜索を爲す
報告連絡 搜索船は左記配置警察官に搜索の状况を報告し互に連絡を圖り遺漏なきを期したり


第一區搜索船 牡鹿郡大原村谷川
第二區搜索船 桃生郡十五濱村船越
第三區搜索船 本吉郡十三濱村相川
第四區搜索船 本吉郡歌津村田浦
第五區搜索船 本吉郡小泉村二十一濱
第六區搜索船 本吉郡唐桑村只越


搜索船は二十噸乃至二十五噸(三十馬力乃至四十馬力)の發動機船にして女川港、志津川港、氣仙沼港に各二隻準備し出動せしめたり。
搜索成績 桃生郡十五濱村船越に於て三月十四日三名同十五日一名の屍體を發見せり。

IV 宮城縣教育會

宮城縣教育會に於ては、震災の翌日、縣下各學校長に對し、罹災地に送る義捐金品の募集方を依頼すると共に、宮城縣教育職員互助會より取敢へず、四千五百五十圓の一時立替支出を受け、香川理事を三月七日より五日間、本吉郡下の各罹災町村に、山本主事を三月七日より七日間に亘りて派遣し、罹災各小學校長に贈呈し、兒童の應急救護費に充てしめたり。
教育會にて取扱ひたる義捐金品の配給次の如し。

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宮城縣教育會にて取扱ひたる義捐金品の配給
V 三陸汽船株式會社

(イ)慰問船の派遣
三陸汽船株式會社は、從來陸運に惠まれざりし、三陸沿岸輸送の任務を帶び來りしが、釜石町の本社をはじめ、沿岸各地の支店、出張所、代理店等は多く損害を受け、取引先にて被害を受けたるもの又多數あり。
三日午前、粟野縣議、尾上常務、山中支配人は鹽釜町の同社營業所に協議の結果、社員三名及び關東大震災救護に從事せる有經驗の仲仕十名を選拔、救護班を組織し、差當り金五千圓の慰問金の外、白米・食料品・衣類・雜貨多數を準備の上塩釜港碇泊中の「新東北丸」に積込み、山中支配人指揮の下に、午後一時、同港を出發せり。
翌四日午前六時、釜石港に入港、直ちに救護事務に從事せしかば、地方人士より多大の感謝を寄せられたり。


(ロ)救恤品・復舊建築材料に對する運賃減免
三陸汽船株式會社は、前記の如く、會社自身莫大なる損害を蒙りて、漁業も中止され、沿岸よりの物資なき状况となりしに不拘、この災禍に際し、海上交通機關の活躍は、罹災民にとりて、必須不可缺のものたるを自覺し、利害を超越して、斷然定期運航の外、山なす救恤品輸送の爲、臨時發航する事數日に及べり。
而して、救恤品に對しては、三月四日より五月三日に至る六十一日間、無賃輸送をなし、復舊材料に對しては、三月四日より七月三日に至る百二十二日間に亘りて、運賃半減輸送をなせり。
その結果、同社船便により、三陸沿山序に輸送せられしもの、總個數、救恤品二四、六四八個(約二、○○噸)、復舊建築材料三一、三七六個(九六一噸)に達せり。
同社のこの犠牲的行爲に對しては、各方面より多大の同情と感謝とを寄せられたり。

VI 鹽釜合同運送株式會社

三月三日震嘯當日、ラヂオを通じ刻々に判明する慘状を知り、早くも、當日出帆の塩釜含同運送會社定期船は、關係ある商人は勿論、見舞人にて滿員となれり。
塩釜合同運送株式會社にても、この定期船にて社員を震災地へ急行せしめ、罹災地の情况を視察せしめしが、その結果、取引先にて被害を蒙らざるもの殆んどなき事判明せり。
仍て、同社は、慰問品は無賃、復興材料は五割減として、之等救恤、復興品の輸送に任じたるを以て、全國よりの慰問品連日引きも切らず、一時は、沿岸各地の運搬船を全部使用するも、尚船舶の不足を來し、止置品山をなせり。
かくして、慰問品約一千噸、復興材料約三百五十噸を無賃竝びに五割減にて輸送せしが、同社にては別に五百點の慰問品を得意先に進呈したり。

第八節 臨時託兒所の開設
I 約説

震嘯災害の直後に於て、罹災地住民が最も心を痛めたるは、災害の後始末、家屋復興に從事の爲、多忙に取紛れ、小學校入學前の兒童の保護充分ならざる事なり。
この點に着眼せる財團法人宮城縣社會事業協會竝愛國婦人會宮城縣支部にては、施設必要ありと認められたる罹災地部落に臨時託兒所を開設し、地方特志家の應援を得て、多きは百數十日間、少きも九十數日間に亘り、鋭意罹災民負擔軽減の目的に副はん事を期したり。その結果、受託兒各八千名より千數百名(延人數)に及び、地方民より多大の感謝を受けたり。

II 宮城縣社會事業協會の施設

財團法人宮城縣社會事業協會開設の震災臨時託兒所は、牡鹿郡大原村に於て二ヶ所、桃生郡十五濱村、牡鹿郡女川町、本古郡唐桑村各一ケ所にして、託兒事務に當れる職員二七名、開所期間四五〇日、受託延兒數四、六六一名にして、一日平均受託兒數一二五名に上れり。其の詳細次の如し。
尚、仙臺基督教育兒院の、罹災民に對する同情と、本計畫に共鳴せられ特に保姆の派遣竝斡施に努められたるとは、同協會の深く感謝するところなりき。


1、大原村第一臨時託兒所
場所 牡鹿郡大原村谷川洞福寺内
所長 大原村長代理 安藤貞五郎
主任 洞福寺住職 石田■光
外に保姆二名、助手一名、囑託醫一名
開所期間 自昭和八年四月一日至同七月三日(八十八日間)
受託延兒數 一、六一二人


2、大原村第二臨時託兒所
場所 牡鹿郡大原村鮫浦 籠堂
所長 大原村長代理 安藤貞五郎
主任 大原村谷川尋常小學校長 伊藤文吾
外に保姆二名、囑託醫一名
開所期間 自昭和八年四月三日至同七月三日(八十六日間)
受託延兒數 一、一二九人


3、十五濱村臨時託兒所
場所 桃生郡十五濱村雄勝 天雄寺内
所長 十五濱村長 佐藤源治
主任 天雄寺住職 本多喜禪
外に保姆二名、助手一名、囑託醫一名
開所期間 自昭和八年五月二十日至同九月二十一日(百十日間)
受託延兒數 七、九九二名


本託兒所は、天雄寺住職本多喜禪師が震嘯災害直後より受託を開始し、私財を投じて拮据經營せしものを五月二十四日より縣社會事業協會にて引繼ぎ、閉所後再び本多師、常設保育所として獨力經營中のものなり。


4、女川町臨時託兒所
場所 牡鹿郡女川町石濱 元教員住宅
所長 女川町長 松川豁
主任 女川託兒所長 末永英郎
外に保姆及助手一名宛、囑託醫一名
開所期間 自昭和八年四月二十一日至同七月三十日(八十三日間)
受託延兒數 一、九六四人


5、唐桑村臨時託兒所
場所 本吉郡唐桑村只越 氏神祠内
所長 唐桑村長代理 男虎良雄
主任 氣仙沼パプテスト教會收師 若松守二
外に保姆及助手各一名、囑託醫一名
開所期間 自昭和八年六月二十日至同九月十九日(八十三日間)
受託延兒數 一、九六四人


十五濱村雄勝天雄寺保育園園兒募集のポスター


-保育園の開設-
津浪災害の後片付けから家々の復興までには少なからぬ努力が必要です。
此の時に當つて皆樣の御手足まとひになる御子樣方を保育して御家庭の御繁忙に御手傳ひ致さうと思ひます。
どうぞ御遠慮なく今日から是非御利用を願ひます。
一、小學校入學前の子供はどなたでも御出下さい
一、當分の内は御晝食や御やつを差し上げます。
一、皆で仲よくたのしく面白く歌つて遊んで大きくなりませう。
宮城縣桃生郡十五濱村雄勝
保育園主 本多喜禪

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受託状况
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十五濱村雄勝天雄寺保育園園兒募集のポスター
III 愛國婦人會宮城縣支部の施設

愛國婦人會宮城縣文部にては、昭和八年八月一日より十月末日に至る約九十日間、桃生郡十五濱村名振、滿照寺境内に、臨時託兒所を設け、毎日午前六時半より午後四時に至る間、附近罹災部落の幼兒を受託し、大いに部落民の利便を計る處ありき。
仍て、名振部落に近き、船越・荒部落の幼兒は勿論、開設期の前半は、暑中休暇なりし關係上、通學中の兄姉に手を引かれ、或は背負はれて、遠く雄勝方面よりも出席せるもの多かりし爲、男一、六二九人、女二、三八七人、計四、〇一六人(一日
平均四五人)の受託延兒數を見たり。


IV 臨時託兒所の時間配當及注惹要項


臨時託兒所に於ける時間配當及注意要項は施設箇所の状况竝部落事情の相違によりて、必らずしも同一規準に從ふを得ずと雖、震嘯災害にょる家庭の暗き氣分を些少なりとも忘れしめ、兒童本來の天眞爛漫たる氣分を味ははしめんと努めたる點に於ては、盡く一致せりと謂ふを得べし。
今、左に、その時間配當竝注意要項の一例を記し、以て全般を推さんとす。


イ、時間配當
ロ、注意要項
右表を標準として、時と場所とに依り、夫々適當なる樣配當せり。
(設備)オルガン、其の他の樂器・蓄音器・滑臺・ブランコ・シーソー・輪投・萬國旗・手技用品・藥品其の他。
(給食)幼兒に對しては、間食及副食物を給與せり。
○間食 せんべい・パン・焼餅・ビスケツト・林檎・甘蔗・ミルク・だんご等午前及午後の二回給與。
○畫食副食物 土地産物を適當に選擇給與。
(保健)幼兒の健康には特に留意し、時を定めて身體檢査を施行、恰も麻疹流行中とて、其の豫防に相當苦心すると同時に、凍傷・耳だれ・毛髪しらみの治療、驅除を行ひたり。
(慰安)託兒所開設地は概ね交通の不便なる土地にして、幼兒の慰安竝村民の爲に、運動會・お話會・遠足會等を催す一方保姆等の慰安にも特に慰問品を贈呈せり。

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イ、時間配當
第九節 醫療救護竝防疫
I 約説

牡鹿郡以北及亘理郡方面に海嘯あるを聞くや、本縣は勿論、平素醫療を爲しつつある各方面に於ては、直に救護班・衞生班等を特に組織出動せしめ、尚又他府縣の醫療團體よりも來援あり。
罹災民の救療に、或は防疫等に努めたる外、災害地附近の町村の醫師も奉仕的に活動したる結果、醫療救護に遺憾なきを期し得たり。
尚、救護班等の活動状况次の如し。

II 醫療

一、應急救療の状况


(イ)縣の救護班
縣にては震嘯災害による被害、意外に甚大なる旨知るや、衞生課の恩賜金に依る巡回診療班、二班とも折よく在廳せるを以て、直に診療班の醫師一名、看護婦一名に、巡査部長一名、衞生技手(藥劑師)一名を加へ、急救治療に應ずる凖備を整へ、第一班は午前十一時、本吉郡小泉村・大谷村・唐桑村に、第二班は午後零時十分、本吉郡十三濱村に急行し、夫々罹災民の應急救療に當りたり。


(ロ)軍隊の救護班
第二師團より救護班四班出動せり。
第一班 桃生郡十五濱村・牡鹿郡大原村方面へ
軍醫正一名、軍醫二名、看護長四名、看護兵九名、兵一五名、主計一名、計手一名、計三十三名。
第二班 本吉郡唐桑村方面へ
軍醫一名、看護長一名、看護兵二名、兵三名、計七名。
第三班 本吉郡歌津村方面へ
軍醫一名、看護長一名、看護兵二名、兵三名、計七名。
第四班 亘理郡坂元村方面へ
軍醫一名、看護長一名、看護兵二名、兵二名、計六名。


(ハ)赤十字社支部の救護班
日本赤十字社宮城支部より救護班三班出動せり。
第一班 本吉郡唐桑村へ
醫師一名、看護婦二名。
第二班 桃生郡十五濱村へ
醫師二名、看護婦四名。
第三班 牡鹿郡大原村方面へ
醫師二名、看護婦四名。


(二)東北帝大の救護班
東北帝國大學醫學部附屬醫院より救護班一班本吉郡歌津村方面へ
内科醫一名、外科醫二名、産科婦人科醫一名、藥劑師一名、看護婦五名、事務員一名、各救護班は連繋を保ち傷病者の救療に當りたり。


(ホ)醫師會員の活動
罹災地所在郡醫師會に於ては會員にて夫々手分を爲し、救療に當りたり。中にも本吉郡醫師會の氣仙沼警察署管内にありたる醫師會員は毎日四班宛日程を定め救療の爲活動せり。


(へ)三月五日新潟縣日赤支部の救護班醫師一名、看護婦二名來援あり。桃生郡十五濱村荒部落の救護に當り三月七日引上げたり。


(卜)簡易保險局の救護班
仙臺簡易保險局にては、震嘯直後、醫師・看護婦等より成る救護班を桃生郡十五濱村に派遣し、診療所を開設し、負傷者、罹病者の診療手當に盡力したり。


二、爾後の救療竝防疫施設


三月五日迄に、應急救療は、大體に於て支障なく行はれたるも、其の後に於て、感胃、胃腸疾患等の發生を顧慮し、恩賜救療班の從來の日程を變更し又は救療場所の改廢を行ひ、罹災地に主力を注ぎ救療に當ると共に、一面特に内務省より罹災地の防疫の爲三月四日防疫醫三名、防疫監吏五名増配ありたるを以て、(三月、四月の二ヶ月間)取り敢へず、三月十日、防疫醫務囑託二名の増員を行ひ、志津川・氣仙沼兩警察署に各一名を配置し、氣仙沼警察署勤務の者は本吉郡唐桑村、志津川警察署勤務の者は本吉郡歌津村・戸倉村を各擔常し、罹災民の救療に當らしめ、更に三月十八日防疫醫務囑託一名を増員し石卷警察署に配置し、牡鹿郡大原村を擔當せしめ罹災民の救療に當らしめたり。四月に至りては、臨時縣會に於て、國庫交付金に依る震嘯災害救護費決議せられたるを以て、昭和八年九月迄、唐桑村に二箇所、歌津村、大原村各一箇所、計四箇所の出張診療所を開設し、且罹災地の巡回診療班一班を設置し(醫師一名、看護婦一名、事務員一名)震嘯地本吉郡歌津村、十三濱村、桃生郡十五濱村に月二回宛の巡回診療を行ひたり。

III 防疫施設の状况

震嘯の結果、家屋・井戸・便所等は、海水の浸入に依り凡て汚染せられ、保健衞生上は勿論防疫上憂慮に堪へざる状態なるに付、不取敢三月四日付衞第一、八九〇號を以て罹災地關係各警察署長に左記通牒を發し、應急措置の緊要を促したり。
海嘯罹災地衞生施設ニ關スル件今回ノ海嘯罹災地方ニ對スル衞生施設ニ就テハ夫々配慮計畫シアルベシト雖モ既往ニ於テ水害後其ノ地方ニ腸チフス、赤痢其ノ他ノ惡疫流行シタル事例アルニ鑑ミ、此ノ際特ニ町村當局ヲ督勵シ左記事項ヲ取急ギ實行セシメ以テ保健ノ實ヲ擧ゲラレ度追而浸水家屋ノ清潔方法竝井戸消毒ノ日割戸數等決定次第電話報告相成度
一、浸水家屋ハ全部消毒的大清潔方法ヲ施行スル事
二、浸水セル家具、什器、被服、農具ハ洗滌煮沸、日光、藥物等適當ノ消毒ヲ行ハシムルコト
三、飲料井戸ハ勿論雜用井戸ヲモ浚渫セシメ「クロール石灰水」又ハ「アンプレ入液體クロール」ヲ以テ消毒ノ上使用セシムルコト
四、屋外ノ下水肥料溜ハ浚渫シ、汚物ヲ停滯セシメザル樣處置スルコト
五、汚物ハ勿論塵芥ハ一定ノ場所ニ可成蒐集シ燒却シ得ザルモノハ消毒後土中ニ埋沒セシムルコト
六、檢病的戸口調査又ハ衞生状態視察ヲ間斷ナク勵行シテ部落民ノ健康ヲ監視スルコト

IV 縣直接の防疫施設

(イ)飲料井戸の消毒
罹災地に於ける汚染せられたる飲料井戸に對する消毒方法施行の爲、左の四班を編成し、消毒藥品携行の上之が實施に當らしめたり。
1、本吉郡唐桑村、大谷村、小泉村、歌津村方面へ
衞生技手(藥劑師)一名、防疫雇一名、巡査部長一名
2、桃生郡十五濱村、本吉郡十三濱村方面へ
衞生技手(藥劑師)一名、防疫事務囑託一名
3、牡鹿郡大原村、女川町方面へ
衞生技手(藥劑師)一名、防疫事務囑託一名
4、亘理郡坂元村へ
衞生技手(藥劑師)一名、防疫事務囑託一名


(ロ)臨時防疫職員の増配に依り防疫事務囑託五名を任命し、左の如き防疫事務に當らしめたり。
1、慰問品の消毒
慰問品中消毒を要すべき衣類等を消毒の爲、三月八日より左記職員を派遣し之に富らしめたり。
石卷救護出張所へ
衞生技手一名、防疫事務囑託一名
志津川救護出張所へ
防疫事務囑託一名
氣仙沼救護出張所へ
防疫監吏一名、防疫事務囑託一名


2、清潔法の督勵竝檢病的戸口調査
三月十日より左記の通防疫職員を派し、罹災地消毒的清潔方法の督勵竝健康状態の視察を兼ね傳染病不審患者の早期發見に當らしめ、病者發見の場合は救療班の診療を受けしむる等相連繋を保ちて活動せしめたり。
牡鹿郡女川町、大原村方面へ
防疫事務囑託一名、巡査部長一名
桃生郡十五濱村方面へ
防疫事務囑託一名。
本吉郡志津川町、歌津村、十三濱村方面へ
防疫事務囑託二名。
尚五月より九月迄防疫監吏二名の増配ありたるに依り、引續き防疫事務に當らしめたり。


(ハ)衞生施設の改善
四月十一日、十二日兩日に亘り、開かれたる罹災地關係町村長會議に於て、防疫施設の一端として、復興に際しては井戸の築造は、閉鎖式喞筒使用の構造とし、便所は内務省式改良便所の構築を普及する樣指示し、尚罹災地に於て復興に關する打合會の節、係員を派遣し之が指導を爲さしめたり。

第十節 保險會肚の應急措置
I 保險金の即時拂

天災による火災の保險金支拂に關しては、火災保險約■により、關係各會社は之を支拂はざる意向なるも、生命保險に於ては、多く支拂の斷行をなしたり。
安田生命・大正生命・仁壽生命、横濱生命・富國徴兵等の各社にては、何れも保險金の即時拂斷行を爲すを決議の上、その旨三月上旬の一流新聞誌上に發表し、該當者の最寄支活又は代理店に申出次第、社員をして、支拂手續を取らしめたり。

II 保險會社の救護・慰問

安田生命保險會社にては、三陸地方震嘯災の報に接し、東京本社より堀契約課長以下、仙臺支店より武市支店長以下、合計十數名を以て、救護班二班を組織し、毛布・シヤツ・足袋一千名分を携帶、加入罹災者慰問の爲、三陸沿岸に向ひ、大いに救護・慰問する處ありたり。

第十一節 新聞社の救援
I 義捐金募集

在仙日刊新聞社長・東京各新聞社仙臺支局長・在仙福島新聞支局長は、本縣知事・仙臺市長・縣曾議員・縣町村長會長と協同の下に、三月四日以來、三陸沿岸罹災者の爲に、義捐金品の募集をなせり。(別稿第六章義捐金品の募集竝配給の條參照)受付場所は、縣廳・市役所及町村役場を以て、之に指定したるも、尚從來の慣習により、義捐者中には、各新聞社に義捐金品を送附又は持參の上、之が寄託をなすもの尠からざりき。仍て、受託の新聞社にては、之を本縣社會課乃至市社會課に移送の勞を執られたるのみならず、義捐金品受領證に代へ、貴重なる紙面を割きて、義捐者の芳名掲載に當られたりき。
之等、義捐金募集發企をなせる新聞社名左の如し。


仙臺市及福島市日刊新聞
河北新報社 東華薪聞社
仙臺日々新聞社 日刊大仙臺社
東北産業日報社 福島民報社


東京市日刊新聞
東京朝日新聞社仙臺支局 東京日々新聞社仙臺支局
報知新聞社仙臺支局 讀賣新聞社仙臺支局
時事新報社仙臺支局 國民新聞社仙臺支局

II 河北新報社

報導
河北新報社にては、發震直後、ラヂオの臨時ニユース、災害地支局の至急報知により、急遽社員の總動員を行ひ、本縣牡鹿郡及岩手縣釜石町・遠野町の水火災状况第一報號外に續きて、災害當日三回、四日二回、五日一回の號外を發行し、仙臺市及附近町村民に對し、縣下災害の詳報竝實况(寫眞)を速報したり。
救援隊の出動
災害當夜、同社にては事業部員を總動員して、慰問準備を整へたり。食糧品・日用品を携へたる第一回第一班の慰問班は即夜牡鹿郡女川町・本吉郡志津川町方面に派遣せられ、遠く、岩手縣宮古・釜石・大船渡・盛・高田の各方面に急行せしものも
ありき。
この經驗により、五日夕刻發せる同社の罹災地慰問第二班は、災害地に於て最も必要なる次の如き品々を選定、トラツクに滿載、まづ女川町に向ひ、同地より海岸傳ひに北上せり。


白米二升入袋 二百袋
手拭 八百本
福神漬鑵詰 三百個
バケツ 二百個
メリヤスシヤツ 百五十六枚
足袋(大、小) 五千足
メンソレータム 百五十箱
風呂敷 五十枚
歯みがき及ブラシ 一梱
用箋 三百冊


ついで、八日更に第二回の同社罹災地慰問班は、本吉郡北部に派遣せられたり。同慰問隊は、午前八時半仙臺同社前發、十一時頃、本吉郡唐桑村に入り、同村各部落に對し、白米・漬物・鑵詰の食料品より、シヤツ・足袋・ヂヤケツ等の衣類、バケ
ッ等の日用品の配給をなしたり。
又、十日には、第三回の慰問班を派遣し、四日間に亘りて、女川・荻ノ濱・大原・鮎川・十五濱・戸倉・志津川・歌津・小泉・大谷・階上・氣仙沼・唐桑・大島の各地を通じて、仙臺市内各方面より寄贈せられたる慰問品と、同社寄贈の日用品とを配給せり。

III 東京朝日・大阪朝日新聞社

報導
災害當日、午前六時三十分、ラヂオの臨時、ニュースにより、「三陸沿岸」に津浪あるを知れる東京・大阪朝日新聞社にては宮城・岩手・青森各地所在の支局より續々到來せる慘害情報によりて、豫想以上の慘害あるに驚き、社員を總動員して、記事の蒐集につとめたり。
當日午前、逸早く號外第一報を出し、更に主要罹災地に向け特派員を派遣せり。同日の夕刊にも、各支局よりの電話によりて、關係記事を滿載せるが、五日には災害地寫眞所載の新聞紙二頁大の號外二回を發行せり。
又三月五日より、罹災地の慘状實况寫眞を、仙臺市・石卷町以下の縣下主要町村商店のウインドウに陳列し、報導をかねて、行人の同情を惹くにつとめたり。


慰問隊の派遣
東京朝日新聞社伊東通信部長は、朝日新聞社寄贈の二千圓及同社内震災共同基金會寄贈の二干圓計四千圓を携へ、取敢へず三日夜、東京出發、罹災地に向け出發せり。
ついで、東京・大阪兩朝日新聞社を通じて寄せられたる全國よりの同情による義捐金第一回配給をかね、罹災地慰問の爲東京本社より派遣の三慰問班中、第三班は本縣下罹災地に向へり。
八日午前、同班は、本縣知事訪問、見舞の辭を述べたる後、災害激甚なりし、牡鹿半島・大原村・荻ノ濱村・女川町の慘状を順次視察慰問の後、同胞同情の温き結晶たる義捐金を配給せり。


義捐金の募集及配給
同社にては、今回の災害に對し、廣く江湖の同情を求むる事となし、三月四日「三陸罹災者のため救援同情義金を募る」と題して、一口一圓以上の義捐金募集廣告を出せり。
然るに、之が反響は湧然として起り、同年五月末日迄、應募金額東京朝日、拾萬貳千七百貳拾參圓八拾錢、大阪朝日、拾壹萬二百七拾參圓六拾參錢、合計貳拾壹萬貳千九百九拾七圓四拾參錢に達せり。
而して、右金額の處分は、募集の際の條件に、兩社は配當方法を一任されたるにより、拾六萬貳千餘圓を一般罹災民に分配(三回に配給)なせると、貳千餘圓を出征家族慰問に配當せる他の、約五萬圓を以て、罹災各町村部落に「災害記念碑」を建設
し、今回の災害を永久に、記念せしむる事とせり。


映畫公開
災害の慘報至るや、東京朝日新聞社映畫班は、撮影凖備萬端の終了するを俟つて、至急災害地に赴き、實况を撮影の上、飛來中の同社の飛行機に託して空輸せしが、これを三月六日より東京市に於て、一般に公開すると共に、仙臺市に於ても、同日二ケ所に於て、數回に亘り映寫し、八日よりは引續き縣下各所(中新田・南郷・亘理)等を巡回公開せり。
これにより、多少災害に無關心なりし者も、同情心を刺戟せられ、義金應募に參加せるもの尠からざりき。

IV 東京日日・大阪毎日新聞社

報導
東京日日、大阪毎日新聞の兩社にては、三月三日の夜半、東日本は強震、關西に於ても弱震を感ずる程度の大地震により三陸沿岸に異變あるを洞察し、早くも關係各地に電話を以て照會したるに、仙臺支局にては石卷通信部の活動により、地震後津浪の襲來、慘害を蒙れるを知り、第一報を午前四時頃、東京本社に通報したるを以て、これにより、午前六時二十分、逸早く震災記事滿載の四ッ切不再録號外を發行したり。
一方、東京本社にては、取敢へず、電報通信社と連合にて、飛行機一臺を以て、災害状况を視察せしむる事とし、尚内務省の依頼により、石川事務官を同乘せしめたり。同飛行機は、一旦仙臺に着陸後岩手縣釜石町に飛行、罹災地沿岸を慰問旁々空中より、状况撮影に任じたり。
尚、同日、東京本社より、社員は寫眞班と同行、罹災地に向け出發したり。
仙臺支局にては、號外を發行すると共に、社員二名宛を主要罹災地に自動車にて急行せしめ、報導の確實を期し、その結果を續々四日夕刊以後發行の朝夕刊に掲載せり。


義捐金の配給及募集
東京日日・大阪毎日兩社にては、災害の報を知るや、四日取敢へず、金貳千圓を見舞金として、本縣及岩手・青森三縣罹災者に對して、寄贈すべく、伊藤内國通信部長をして、罹災地に派して、各町村を訪ね、慰問の辭を述ぶると共に、義捐金の配給をなせり。
翌五日、兩紙上に、義捐金募集廣告を發表し、大方の同情に訴ふる事とせり。
その結果、義捐金取扱締切たる三月十五日迄に、累計七萬參千七拾五圓五拾五錢に達せしかば、之が配給につきては、第一・第二現地慰問使配分の、壹萬參千餘圓を除き、他は關係道縣當局に一任する事とせり。
仍て、十六日正午、同社にては、折から上京中の、佐上北海道長官、本縣二見内務部長、森部岩手縣警察部長、木村青森縣土木主事の一道・三縣當局者に、各配分の義捐金を手交する處あり。本縣配分金額は、壹萬圓なりき。


映畫公開
兩社にては三月四日三陸沿岸に飛行機派遣の際、機上より罹災民の慰問をなすと共に、沿岸の悲慘なる實况を活動寫眞におさめたり。
まづ、東京に於て、同社「サンデー毎日」主催の「三陸大震災義捐小唄と映畫の會」を、日比谷公會堂に八日夜開催し、その席上、同映晝を映寫、關東震災の記憶未だ生々しき中央都人士に同情の念を惹起せしめたり。
尚、本縣下にては、同映畫を、滿洲熱河討伐關係映畫と共に、七日より十九日に至る間、各地にて公開したり。

V 報知新聞社

報導
三月三日拂曉、突如東北・關東地方を搖り動かせる強震の爲、三陸沿岸に津浪襲來し、岩手縣方面は水火災に見舞はるとの慘報は、報知新聞、仙臺・盛岡・青森の各支局より至急電話ありしを以て、同本社にては、特派員を各地に派遣せしが、本縣下に於ては、長谷特派員は氣仙沼・女川・大原方面に、佐々木特派員は石卷方面に向へり。之等の報導によりて東京及關係各支局に於ては、號外を印刷して、讀者に配布せり。
三日夕刊はもとより、四日朝・夕刊にも、紙面の主要部分を震嘯記事掲載につとめ、特に本縣地方版の如き、殆んど九分通り、縣下罹災の状况を詳述せり。


義捐金品の募集
今回の強震と津浪の災厄を蒙れる三陸沿岸地方は、近年凶作に惱まされ、又滿洲派遣部隊の出身地なるに、今又この天災に襲はれて慘苦は一層甚だしきものあり。この點に同情せる報知新聞社にては、三月四日、卒先して金壹千圓也を見舞金として罹災民に贈ると共に、廣く一般の義捐金品を募集する事となり、同社企畫部をして之に當らしめたり。
この募集に先立ちて、逸早く災害當日、同社に持込める義捐金品より、三月十七日締切に至る迄、殺到せる金品は、物品八萬四千八百五十六點、現金壹萬八千四百七拾九圓七拾八錢に達したり。
義捐品は主として、夜具・衣類・外套・タオル・バケッ等の災害直後使用の必要あるものより、通學用カバン・藥品・封筒等の日用品多かりしを以て、速に本縣他二縣の罹災地に向け發途せるが、一時は發送する後より後よりと同情者よりの集まる物品の爲、同社の企畫部のみにては收容する能はずして、同本社前道路に迄はみ出す状况なりしといふ。

VI 讀賣新聞社

報導
讀賣新聞社にては、三月三日三陸沿岸を襲來せる地震・津浪の災禍を、宮城・岩手兩縣保安課、仙臺・盛岡の各支局よりの電話等により知るや、之等を綜合して號外を發行し、東京市民に逸早く慘状を傳へ、同日夕刊にはその詳報を掲げたり。
續いて、四日、同社特派員の手になる慘害地寫眞及踏破記事滿載の號外を全國讀者に配布せるを以て、その同情を惹く處尠からざりき。


慰問品發送
震嘯災による罹災民の窮状は筆紙に絶するものあり。就中、同地方の物資缺乏は明々白なるを以て、讀賣新聞社にては、見舞品として、寒國の災禍に最も緊要なる木炭二千俵(郡山營林署製)を罹災地に急送せり。


義捐金品の配給
讀賣新聞社仙臺支局は義捐金募集をなせるが、これと別に、東京本社宛、義捐金品の寄託をなせるものあり。義捐品にはタオル・衣類・雜貨・マントの日用品より、温き同情の心をこめたる物品封入の慰問袋等あり。之等は、主務官廳を經て、適當に罹災者へ分配を依頼せり。

VII 時事新報社

報導
時事新報社は、災害即日、これに關する號外を發行せるが、同日夕刊には、「今曉三陸地方の大震災」なる見出しの下に、震嘯災害記事を以て、劈頭第一頁を埋め、翌四日朝刊には、「死屍を搖がす餘震」なる記事を載せ、讀者の心膽をして寒からしむると同時に、多大の同情心を喚び起さしめたり。又、同日の東北版は、盡く震嘯記事を以て充され、同社獨特の産業ぺーヂには、三陸漁場の損失が、我が國水産界に及ぼせる影響の甚大なる所以を説き、今回の災害の決して東北地方に限られたる問題に非ざるを強調せり。


慰問品の急送及慰問金品の募集
今回の震嘯災に對し、まづ第一に緊要なるは、罹災民の饑餓を救ふにありとし、時事新報社は、災害の報至るや、即刻多量の衣類・寝具その他日用品を罹災地に急送し、配給を開始せり。
加之、同社は更に社會の同情に訴ふる事とし、廣く慰問品を募集し、之等受託品は、迅速有効に、罹災民の饑寒防止に役立つる事とせり。
これに對し、各方面よりの同情翕然として集まり、義捐金品の蒐集多額にのぼれるを以て、三月四日午後取敢へず第一回分を、五日午後二時、衣類一千餘枚、その他雜品十數包を罹災地に向け急送せり。
之等、慰問品發送の經驗に鑑みて、罹災地にて、急に買入不可能にして、しかも必要なるは予供の衣類、男女履物及足袋なるを知り、同八日及十日これを讀者の同情に訴へたるを以て、篤志家の之に應ずるものありて、罹災民の感謝する處となれり。

VIII その他の新聞社

右の外、全國を通じて、今回の震嘯災害に同情し、被害状况の報導につとむると共に、本縣に向け義捐金品を發送し來れる新聞社尠からず。
之等の記事は、これを一々記述するは、困難なるを以て、その社名のみを記する事とせり。

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その他の新聞社
第十二節 其の他の救護
I 宮城縣販賣購買組合聯合會

災害直後、縣に於て直接政府拂下米を被害地町村を通じ配給せるも、之等は一時的の處置なるを以て、更に飯米の必要起りたり。
此處に於て、縣販賣購買組合聯合會に於ては、安價低廉なる飯米を、被害地産業組合の組合員に供給するの必要を痛感し早速被害地組合と連絡を採り、全國米穀販賣組合聯合會と交渉、政府米の拂下を爲し、組合員の生活の安定を圖りたり。
尚、産業組合設置町村にして、被害甚大なる左記組合に對し、三、一三三俵の飯米を安價に配給し、災害後に於ける復興の一助に資したり。配給を受けたる組合及配給俵數左の如し。

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配給を受けたる組合及配給俵數
II 井上組

大阪市の建築請負業井上組にては、從業者を本縣下罹災地に送る處あり。
内五名は、本吉郡唐桑村小鯖に來りて、バラック建築その他に從事せり。

III 其の他

イ 三月十一日の縣參事會に於て七年度に於て救護警備等に要する諸費四萬五千九拾六圓竝小漁船建造、耕地復舊、稚蠶共同飼育所設置等の費用に充當せしむる貸付金拾七萬九千六百圓の議決を經て、救護警備其他應急施設を促進するに遺憾なきを期したり。


ロ 縣電氣局に於ては罹災部落の樞要道路、海岸に災害直後十燭乃至二百燭光の臨時電燈を架設し一般の便に供し、又罹災者中生活困難なりと認むる者に對しては五月末日迄電燈料無料供給することとし三月二十八日迄決定したるもの桃生郡九十六戸牡鹿郡三百三十戸本吉郡二百八十二戸計七百八戸あり、尚電燈の流失破損八百十一戸、一千三百九十七燈、電柱の倒壞流失三百三十八本あり。之が復舊に付ては配電線路費壹萬七百五拾圓、引込内線費六千五百五圓計壹萬七千貳百五拾五圓の豫算を以て急速復舊に努めたり。

第六章 義捐金品の募集及配給

第一節 義捐金品の募集
I 義捐金募集の努力

今回の震災竝海嘯の被害殊の外甚大にして、之が救護に付ては廣く社會の同情に愬へ義捐金品を募集するの必要を認め、三月四日知事より全國各府縣知事、竝北海道廳長官に義捐金品の募集に關し、特別の御配慮を請ふ旨電報を以て依頼し、更に同日知事・仙臺市長・縣會議長・縣町村長會長・在仙新聞社長・同支局長等、縣廳會議室に參集し協議したる結果、罹災地以外の縣下一般より義捐金品を募集することに決し即時公告したり。
又、警察部長は知事代理として、三月四日午後六時二十五分仙臺放送局(JOHK)より、「三陸海嘯の被害に就て」と題し、宮城・岩手及青森縣下に於ける震災當時の状况、罹災地の現状及之に對する應急措置を述べ、全國の志士仁人の同情に愬へたり。
又、縣官吏々員は、何等かの方法によりて、管下沿岸罹災民の不幸を慰問せんと欲せし折から、次の如き回状に接し、一同卒先して、義捐金の醵出に應ぜり。


官第五〇號
昭和八年三月四日
知事官房主事
 殿


義捐金醵出ノ件
本月三日午前二時三十一分過震源地ヲ金華山沖ニ發シタル強震ハ家屋ヲ倒潰シ海嘯ヲ起シテ多數ノ死傷者ヲ出シ流出シタル戸數船舟又夥シキ數ニ上リ罹災者ノ近状誠ニ同情ニ不堪次第ニ有之候縣ハ之力救濟ニ努ムルト雖亦以テ萬全ヲ期シ
難ク依テ各方面ノ同情ヲ希フコト切ナルモノ有之候ニ就テハ本縣職員ハ左記ニ依リ醵出ノ上救濟ノ資ト致度候條貴課(所)員全部御賛成相成候樣致度依命及通牒候也



一、醵出金額ハ高等官、同待遇者及年給者ハ俸給月割額ノ百分ノ三、判任官同待遇者及月給者(雇員ヲ除ク)俸給百分ノ
二、雇員ハ月給百分ノ一トスルコト
二、醵出額ハ三月三十一日迄官職氏名及金額ヲ記シ會計課長宛送付ノコト
その義捐金額次の如し。


高等官及同待遇者 四三円、八六
判任官及同待遇者 九七、七四
雇員その他 八、七八
計 一五〇、三八


尚義捐金募集の發表以前に於て既に出捐を申出たるもの件數十二件、總額四千九百拾圓に及び、その後各地方より絶大の同情を受け、近きは東北各縣より、遠きは、滿洲國・南洋・北米合衆國よりも續々として、義捐金品の寄贈あり。
中には、可憐なる小學校兒童の純情に依るもの、或は勞働者の時間外勤務になる金を集め、或は傷病兵が煙草代を節して出捐したる等、感激すべきもの枚擧に遑あらず。
縣に於て、昭和九年六月末日迄に受理したる義捐金は、合計一、三三〇件、參拾六萬壹千八百六拾九圓八拾六錢に達せり。

II 義捐金の寄贈先

尚、義捐金分配當時に於ける寄贈先別次の如し。
義捐金總額 金參拾四萬壹千貳百八拾貳圓參拾四錢(昭和八年七月二十日現在)





金四寓貳千百拾參圓九拾七錢 宮城縣分 金貳拾九萬百六拾八圓參拾七錢 其の他の分

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義捐金分配當時に於ける寄贈先
III 罹災町村直接受領の義捐金

右の外直接罹災地町村に於て寄贈を受けたる義捐金額左の如し

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直接罹災地町村に於て寄贈を受けたる義捐金額
IV 義捐品配給の状况

災害に依り罹災民の先づ以て必要とする所のものは、衣類・寝具及食料品にして、之等は、縣及罹災地附近町村其他各方面の救援に依り、纔かに飢餓寒威を凌ぐを得たりと雖、尚充分なりと謂ふを得ざるに付、義捐金の内より、罹災民の特に必要とする衣類・食料品等を購入調達し、之を罹災地町村に配給せり。其の總額九千七百四拾六圓參拾參錢なり。縣廳扱の義捐金に付ては、被害の程度竝今後に於ける生活の難易等を考慮し、適當なる分配標凖竝方法等を決定して分配し、之を最も有効適當なる方途に充てしめたり。
尚、縣に於て受領したる義捐品は、各救護出張所又は罹災地町村役場に送付し、各罹災民に迅速に配給せしめたり。因みに各救護出張所其他に配給したる數量左の如し。


石卷救護出張所 三千五百七十三個 志津川救護出張所 一千五百五十二個
氣仙沼救護出張所 一千六百八個 坂元村 四十個
罹災地町村へ直接送付(坂元村以外) 三百四十七個


右の内重なる慰問品の寄贈者及配給先左の如し。


又、石卷・志津川・氣仙沼の各救護出張所に於て、罹災地町村に配給したる慰問、救護品の種類別、數量及配給先左の如し。

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慰問品の寄贈者及配給先
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各救護出張所に於ける救恤品の配給状况(合計)(四月五日現在)
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石卷出張所救恤品配給状况(四月五日現在)
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志津川出張所救恤品配給状况(四月五日現在)
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氣仙沼出張所救恤品配給状况(四月五日現在)
第二節 義捐金品の配給
I 災害直後の配給

災害に依り罹災民の先づ必要とせるものは、謂ふ迄もなく、衣類・寝具及食料品等なれば、、之等は縣及罹災地附近町村其他各方面の救援に依り、纔かに飢餓寒威を凌ぐを得たりと雖、尚充分ならざるを以て、義捐金中より、罹災民の特に必要とする衣類・蒲團・食料品等を購入調達し、之を罹災町村に配給せり。共の總類九千七百四拾六圓參拾參錢なり。

II 義捐金配給の決定

各方面の絶大なる同情により、縣に寄贈せられたる義捐金は、昭和八年七月二十日現在に於て、總額參拾四萬壹千貳百八拾貳圓參拾四錢に達したり。之が處分方法に關しては、苟も寄贈者の趣旨に悖らざる樣數度愼重協議し、傍ら奥丹後(京都府)北但(兵庫縣)その他近年に起りし災害に對する義捐金の處分方法を參考とし、更に震嘯災害善後委員會にはかり、大體の腹案を得たる後、八月十八日義捐金募集主催者の協議會を開催の上、之が分配標凖及方法を決定せり。

III 義捐金分配の要項決定

義捐金交付に先立ち、八月二十三日付を以て、學務部長より關係各町村長に對し、左の如き通牒を發し、罹災者に分配するに際しては愼重處理せられたきむね希望する處ありたり。


義捐金交付ニ關スル件依命通牒


過般ノ震災ニ際シ罹災者救援ノ爲直ニ各府縣知事竝北海道長官ニ義捐金品ノ募集ニ關シ依頼スルト共ニ知事、仙臺市長、縣會議長、縣町村長會長及在仙新聞社長、同支局長等主催ノ下ニ罹災地以外ノ縣下一般ヨリ義捐金募集ノ處各方面ヨリ絶大ナル同情ヲ受ケ七月二十日現在ニ於テ總額參拾四萬壹千貳百八拾貳圓參拾四錢ニ達シ(内縣内五萬壹千壹百拾參圓九拾七錢)右處分ニ關シ本月十八日主催者ノ協議會ヲ開催シ別記ノ通決定相成候ニ付各要項御了承ノ上可然措置相成度尚弔意金及見舞金ニ付テハ別途送付候ニ付速ニ罹災者ニ交付シ各罹災者ヲシテ寄贈者ノ趣旨ニ添フヘク最モ有効適切ナル使途ニ充テシメ苟モ濫費等無之樣充分御留意相成度
而してその處分要項次の如し。


義捐金處分要項


義捐金總額 金三四一、二八二圓三四 昭和八年七月二十日現在
内指定義捐金 金二〇、二六六圓三五
1、朝日新聞社ヨリ記念碑建設資金トシテ寄託 一三、一一五圓一三
2、罹災教員兒童共ノ他ニ對スル分 七、一五一圓二二
右ハ指定ノ趣旨ニ依リ處分スルモノトス
差引殘額 金三二一、〇一五圓九九 一般義捐金


一般義捐金ヲ處分スルコト左ノ如シ


一、罹災民分配額 金二一八、五四〇圓三九


内譯


1、應急救恤品代 金一〇、〇一九圓三九(支出濟)
2、住宅適地造成費補助 金六〇、○○○圓○○(適地造成費ノ三割以内)
3、無動力船舶復舊利子補給 金一、三四〇圓○○
4、死亡者、行方不明者等ニ對スル弔慰金 金一三、六〇〇圓○○(四七九人分)
5、不具癈疾其ノ他ノ傷痍者見舞金 金一、二三二圓○○(一五五人分)
6、住宅被害見舞金 金一三二、三四九圓○○(二、一九〇戸分)


二、公共施設費分配額 金一〇〇、○○○圓○○
公共施設費ハ被害部落ノ戸數及被害程度等ヲ斟酌シ記念施設ノ費用ニ充當セシメ之ヲ非常時ニハ避難所トシ常時ニハ共同作業場及隣保事業ニ使用セシムルモノトス


三、差引殘額 金二、四七五圓六〇(第二回處分迄保留)

IV 義捐金分配標凖及方法

一、分配標準


1、死亡者、行方不明者 一人ニ付 三〇
2、傷病者
イ、不具癈疾トナリタル者
有資産者 同 五〇
無資産者 一〇〇
ロ、二週間以上醫師ノ治療ヲ受ケタル者 同 一〇
ハ、一週間以上二週間未満醫師ノ治療ヲ受ケタル者 同 三
3、一家ノ主働目者ヲ喪ヒタル者
イ、六十五歳以上十三歳未滿ノ遺族
有資産者 同 二〇
無資産者 同 四〇
ロ、其ノ他ノ遺族
有資産者 同 一〇
無資産者 同 二〇
4、六十五歳以上十三歳未滿ノ孤獨者
有資産者 同 五〇
無資産者 同 一○○
5、住宅ノ被害
イ、全潰全流失
建築スルモノ一世帶ニ付 一七〇
建築セサルモノ 同 一〇〇
ロ、半潰半流失
建築スルモノ 同 一二〇
建築セサルモノ 同 五〇
ハ、床上浸水 同 三五
ニ、床下浸水 同 三


備考
一、不具癈疾トナリタルモノノ程度ハ全然勞働能力ヲ喪ヒタルモノトス
二、有資産者、無資産者ノ區別ハ四月一日社第五八五號被害地町村長照會ノ第二表ニ依ル中流以上ノ者ヲ有資産トシ貧困者ヲ無資産者トスルコト


(二)分配方法
1、義捐金ノ分配ヲ受クヘキ者ノ範圍ハ内外人ヲ問ハス今回ノ地震・海嘯ニ因リ分配標準ニ掲ケタル災害ヲ被リタルモノトス
2、死亡者・行方不明者及傷病者ニ付テハ罹災當時罹災地ニ世帶ヲ構へ居リタルト否トヲ問ハサルコト
3、住宅ノ罹災ニ付テハ罹災當時罹災地ニ世帶ヲ構へ居リタルモノニ限ルコト 但シ罹災住宅ハ自家タルト借家タルトヲ問ハサルコト
4、縣ハ分配標準ニ依リ町村配當額ヲ定メ送付ス町村長ハ右分配標準ニ依リ各個人ニ交付スルコト
5、義捐金ノ交付ニ當リテハ産業組合預金帳又ハ郵便貯金通帳ニ預金或ハ貯金ノ上交付シ拂出ノ必要アル場合ハ町村長若シクハ助役ノ證印ヲ要スルコトトシ濫費ノ防止ニ努ムルコト
住宅ノ被害ヲ標準トシ義捐金ノ交付ヲ受ケタル者ニシテ住宅ノ建設ヲ行フモノニ對シテハ住宅ノ建設ヲ行フ際ニ拂出サシムル方法ヲ取ルコト
6、義捐金ハ住宅ノ罹災者ニ付テハ世帶主ニ死亡者・行方不明者ニ付テハ其ノ遺族ニ傷病者ニ付テハ本人又ハ世帶主ニ交付スルコト
7、義捐金交付ノ際ハ交付簿(交付年月日、金額、氏名ヲ記載シ種類別ニ作製スルコト)ニ受領印ヲ徴スルコト
交付完了シタルトキハ右交付簿ヲ添へ直ニ報告スルコト

V 義捐金各町村交付額

義捐金の各町村への交付額次の如し。

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義捐金の各町村への交付額
VII 義捐金第二回の處分

第一回の義捐金處分後、なほ震嘯災に對し、同情せる各位よりの義捐金あり、これが總額は昭和九年八月上旬現在に於て二八、六〇八圓五五錢に達したるを以て、之が處分法を社會課に於て立案し、各方面に協議の上、次の如く決定せり。


第二回處分額及處分方法


前記義捐金二八、六〇八圓五五錢及第一回處分確定額中使用殘額ヲ處分スルコト次ノ如シ。
(一)震嘯誌印刷費 二、八○○圓○○
(二)震嘯災臨時事務囑託手當 四七〇圓○〇
(三)無動力船舶復舊資金利子補給追加 二三一圓○○
(四)諸費(震嘯誌荷造、送料其ノ他雜費) 二〇〇圓○○
(五)震嘯災害地復興指導助成費(上記諸經費ノ控除殘額ヲ之ニ充當ス)
本費ハ財團法人宮城縣社會事業協會ニ交付シ特別會計トシテ震嘯災害地復興指導助成費ニ充當セシム
(註)同協會ハ從來ニ於テモ罹災地ニ託兒所八ケ所ヲ直營シ又同種事業ニ助成金ヲ交付シ或ハ生業資金ヲ貸付スル等相當ノ活動ヲ爲シツツアルヲ以テ本資金ノ交付ニヨリ其ノ活動ヲ助長スルヲ適當ト認ム。

第四編 復舊復興

第一章 知事以下の上京陳情

第一節 政府及議會への陳情

三邊知事は、大金侍從の罹災地視察隨行竝應急措置の大體の決定を俟ち、三月十一日の縣參事會終了後、同夜九時二十五分發の急行にて上京し、畏き邊りの救恤金御下賜と、大金侍從御差遣とに對する御禮言上をなし、更に各宮家の御救恤金御下賜に就き御禮申し上げたるが、政府に對し、縣下の災害状况と縣のとりたる應急各種措置を報告すると共に、罹災地復興計畫に就き諒解を求め、今回の災害復舊に關し、政府の方針、特に、各種國庫補助交付率、復興低利資金の融通等に就き、政府の最大限且積極的なる援助を懇望し、極力諒解を求むる事に力めたり。
越えて十三日、知事は、早朝より、石黒農林・潮内務兩次官を夫々官邸に訪問し、被害の實状を具陳し、政府の援助方を懇請したり。更に午前十一時半より、衆議院に出頭し、院内各派交渉室に於て、内ケ崎・菅原・守屋の縣選出代議士及岩手縣選出代議士同縣會議員其の他有志の一行等と親しく會見、石黒岩手縣知事と共に、委曲を盡して同樣懇請するところありたり。
之に對し、山本内相は、
「三陸の被害は、聞けば聞く程大きいので、誠に御同情に堪へない、未だ自分は、總理大臣、大藏大臣とも話をしてゐないので、近く相談の上、なるべく御希望に添ふ樣努力したい。」と、回答され、後藤農相は、
「漁船の被害は非常に大きいと承つてゐる。然し、今日、これに對する國庫補助の先例はないので、この點十分研究したいと思ふ。今回の問題に就ては、政府は縣知事と共に一致協力して善處するが肝要である。」と、極めて好意的の回答を與へられ、午後一時十分引續き齋藤首相も出席され、
「三陸地方の災害に就ては、自分も十分承知してゐる。豫算は内務・農林兩大臣ともよく話合ひ、大藏大臣とも相談の上兩三日中に追加豫算として、今議會に提案したいと思ふ。」と、言明されたり。よつて、一行は、更に、山口(政友)・松田(民政)兩黨幹事長・小山(民政)・濱田(政友)兩黨總務の出席を要請し、同樣趣旨の陳情を試みたり。
之に對し、兩黨幹部は、齋藤首相に、追加豫算の提否を確むる事となり、院内大臣室に於て、齋藤首相に尋ねたるに、首相は、
「明後日(十五日)の追加豫算と一緒に提案したいと思ふが、若し出來ぬ場合は、今期議會に於て解決する。」旨、答へられたるを以て、四氏は右を一行に報告するところありたり。
かくて、各方面に亘り、積極的なる運動を開始したる三邊知事は、伏見軍令部長宮殿下奉迎の爲、十五日朝、一先づ、歸仙したるが、十七日、更に上京、復興計畫の追加豫算の議會提出方實現を要求するところあり。又、關係各省と折衝の爲、十三、十四の兩夜にわたり、二見内務部長以下、庶務・土木・商工・山林・衞生の各課長竝水産・耕地・農務・養蠶關係技師等大擧上京し、夫々活動を開始せり。

第二節 知事の政黨總裁訪問

山本内相は三月十四日午前九時、鈴木政友會總裁をその私邸に訪問し、三陸地方震災救濟追加豫算につき諒解を求め、懇談する處あり。これと相前後して、三邊本縣知事は、石黒岩手縣知事と相伴ひて、同總裁を訪問し、三陸地方の復舊費を臨時議會の追加豫算として計上提出せられん事を懇請せしが、同總裁も、之を諒とせられ、極力希望に副ふ樣盡力すべしと答へられたり。

第二章 災害關係會議

第一節 臨時縣會の開催
I 約説

縣當局に於ては、今回の災害による事態の重大なるに鑑み、縣會臨時會の開催を、四月五・六日の兩日間召集して、震嘯災害復舊費等に關する豫算を附議したりしが、第一號より第六號に至る議案全部は、六日午後滿場一致を以て可決せられたり。
而して兩日出席の議員次の如し。


出席議員
一番(菊地養之輔) 二番(今村治三郎)
三番(山田甚助) 四番(佐藤彌代二)
五番(大槻儀十郎) 六番(朝倉松吉)
八番(粟野豐助) 九番(高城畊造)
十番(澤口一郎) 十一番(伊丹榮三郎)
十二番(小野儀左衞門) 十三番(庄司作五郎)
十四番(樺澤敬之助) 十五番(南條秀夫)
十六番(高橋幸市) 十七番(今川正)
十八番(中島徳治) 十九番(加藤豹五郎)
二十一番(遣水祐四郎) 二十二番(松山平兵衞)
二十三番(草刈勝衞) 二十四番(小野惣助)
二十五番(菊地明夫) 二十六番(小野寺廣亮)
二十七番(小島眞助) 二十八番(吉田潤平)
二十九番(安藤源治郎) 三十番(北村文衞)
三十一番(千石順平) 三十二番(熊谷泰事郎)
三十三番(飯塚千尋) 三十四番(富田廣重)
三十五番(大槻茂) 三十六番(佐々木靜)
三十七番(熊谷誠一)


缺席議員一名
七番(菅原壽左衞門)

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震嘯災復舊事業費
II 議事進行の次第

四月五日午後二時三十四分、號鈴により開會を告げらるるや、三邊知事は、鈴木警察部長以下各部・課長を隨へ、縣會議事堂に臨場の上、登壇して、次の如き開會の辭を述べたり。
諸君■ニ府縣制ノ規程ニ基キマシテ、宮城縣會臨時會ヲ開會致シマス、開會劈頭ニ當リマシテ、謹ンデ各位ニ御報告申上ゲルコトガゴザイマス、天皇皇后兩陛下ニ於カセラレマシテハ今回ノ震嘯災害ノ激甚ナル趣ヲ聞召サレマシテ、三月五日特ニ侍從ヲ御差遣ニナリマシテ、御救恤ノ御思召ヲ以タレマシテ、御内帑ノ資ヲ下シ賜ツタノデゴザイマス、尚ホ四月一日ニハ皇后陛下ヨリ罹災地ノ罹災傷病者竝六十歳以上十四歳未滿ノ孤獨者ニ對シマシテ、御救恤品ヲ賜リマシタ、尚ホ又各宮家ヨリハ三月九日御救恤ノ資ヲ下シ賜ツタノデゴザイマス、皇室ノ御恩澤ノ宏大ナルコト寔ニ恐懼感激ノ至リニ堪ヘヌ次第デゴザイマス、今回附議致シマスル事件ハ告示致シテアリマスル通リ、先般ノ震嘯災害ノ救護復舊等ノ善後措置ニ關シマスル追加更正豫算竝之ニ伴ヒマスル各案デゴザイマス、罹災地ノ状况ハ洵ニ酸鼻ヲ極メテ居リマス、災害發生以來縣ト致シマシテハ直チニ臨時救護ノ衝ニ努力致シマスルト共ニ、一面復舊復興其ノ他ノ善後措置ニ付キマシテ、案ヲ得マシタノデ、直チニ政府ト打合セ、政府ノ補助モ決定ヲ致シマシタノデ、■ニ提案ノ運ビニナツタ次第デアリマス、各案共何レモ敏速ニ執行スル必要アリト存ジマシテ取急イデ縣會ヲ招集シタヤウナ次第デゴザイマス、願クハ各位ノ御協賛ヲ得マシテ一日モ速ニ此ノ復舊其ノ他ノ善後措置ヲ完了致シタイト切望シテ已マヌ次第デゴザイマス、之ヲ以チマシテ開會ノ御挨拶ト致シマス
ついで、同日午後二時四十七分、いよいよ本議題に入り、次の順序により、五・六の兩日に亘り、議事の進行をなしたり。
(以下、宮城縣會臨時會議事速記録による。)


(イ)四月五日の分


○議長(伊丹榮三郎君)出席議員半數以上デアリマス、是ヨリ會議ヲ開キマス、會議録署名員ハ前例ニ依リマシテ三名トシ
本會期中毎日議長ノ指名トスルコトニ御賛成ヲ願ヒタイト思ヒマス、御異議ガアリマセヌカ
〔「異議ナシ」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)御異議ガナイト認メマシテ右樣ニ決シマス、本日ノ會議録署名員ヲ指名致シマス、一番、二番、三番以上御三君ニ御願ヒ致シマス、知事ヨリ議事參與ノ任命通知ガアリマスカラ御報告致シマス、書記ニ朗讀致サセマス
〔若生書記朗讀〕


庶第三八八號
昭和八年四月五日
宮城縣知事


宮城縣會議長殿
縣會臨時會議事參與任命通知
昭和八年四月宮城縣會臨時會議事參與左ノ通任命候條及通知候也

宮城縣書記官 鈴木登 宮城縣書記官 二見直三
同 清水谷徹 地方事務官 猪股博
地方事務官 横山一俊 同 渡邊信男
同 小川彌太郎 同 松本孝四郎
同 郡祐一 地方警視 財津吉文
地方技師 原田嘉種 地方技師 北條光丸
同 伊藤覈 宮城縣屬 富田重盛


○議長(伊丹榮三郎君)チヨット此ノ機會ニ御報告致スコトガゴザイマス、二十番議員デアリマシタ大友平藏君ハ去ル二月十三日職ヲ失ハレマシテ、只今二十番ハ缺員中デアリマス、念ノ爲ニ御報告致シテ置キマス、尚ホ當臨時縣會ノ書記ト致シマシテ若生長治、後藤養治、木村忠吾ノ三名ヲ任命シ、速記者トシテ西村要治、月江匡ノ二名ガ任命ニ相成リマシタ、右御報ヲ致シマス、尚ホ此ノ場合御諮リヲ致シマス、先刻知事ヨリ震嘯災害ニ付キマシテ御下賜金竝御救恤品等ノ御報告ガァリマシタガ、此ノ優渥ナル御思召竝各宮家及公家ノ御厚恩ニ對シ奉リマシテ、縣會ノ決議ヲ以チマシテ御禮ヲ申上ゲタイト存ジマス、尚ホ其ノ文案ハ議長ニ御一任ヲ願ヒタイト存ジマス、御賛成ノ御方ノ御起立ヲ願ヒマス
〔總員起立〕


○議長(伊丹榮三郎君)總員御賛成ト認メマシテ、右樣ニ決シマス、ソレデハ御禮ノ文案ヲ朗讀致シマス、敬意ヲ表スル爲ニ總員ノ御起立ヲ願ヒマス
〔總員起立〕


文案


這般ノ震嘯災害ニ際シ御思召ヲ以テ特ニ内帑ノ資ヲ下シ賜フ、天恩優渥洵ニ感激ノ至リニ禁ヘズ、■ニ縣會ノ議ヲ經、謹ミテ御禮ヲ申上ゲ奉ル
右御執奏ヲ請フ
宮城縣會議長


宮内大臣宛
這般ノ震嘯災害ニ際シ御思召ヲ以テ特ニ内帑ノ資ヲ下シ賜フ、鴻恩優渥洵ニ感激ノ至ニ禁ヘズ、■ニ縣會ノ議ヲ經、謹ミテ御禮ヲ申上ゲ奉ル
右御執成ヲ請フ
宮城縣會議長


皇后宮大夫宛
震嘯罹災者ニ對シ御思召ヲ以テ特ニ御救恤品ヲ下シ給フ、鴻恩優渥洵ニ感激ノ至ニ禁ヘズ、■ニ縣會ノ議ヲ經、謹ミテ御禮ヲ申上ゲ奉ル
右御執成ヲ請フ
宮城縣會議長


皇后宮大夫宛
震嘯災害ニ際シ御思召ヲ以テ特ニ御救恤ノ資ヲ下シ賜フ御厚恩洵ニ感激ノ至リニ禁ヘズ、■ニ縣會ノ議ヲ經、謹ミテ御禮申上ゲ奉ル
右御執成ヲ請フ
宮城縣會議長


各宮家、公家、別當又ハ事務官宛
(宛名)
秩父宮附別當 犬塚太郎 高松宮附別當 石川岩吉
閑院宮附別當 稻垣三郎 東伏見宮附別當 川島令次郎
伏見宮附別當 本多正復 山階宮附別當 大石正吉
賀陽宮附別當 山田良之助 久邇宮附別當 高橋其三
梨本宮附別當 三雲敬一郎 朝香宮附別當 東乙彦
東久邇宮附別當 松本幹之介 北白川宮附別當 石川連平
竹田宮附別當 石原健三 昌徳宮附長官 篠田治策
李鍵公附事務官 末松多美彦 李■公附事務官 志賀信光


是ハ早速議長ヨリ執奏又ハ執成ヲ請フコトニ致シマス
〔總員着席〕


○議長(伊丹榮三郎君)次ニ御諮ヲ致シマス、知事ヨリ御提出ニ係リマスル臨第一號議案乃至臨第七號議案ヲ一括致シマシテ其ノ第一讀會ヲ本日ノ日程ト致シマシテハ如何デアリマスカ
〔「異議ナシ」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)御異議ガナイト認メマシテ右樣ニ決シマス、是ヨリ右各案ノ第一讀曾ヲ開キマス


○臨第一號議案 昭和八年度縣歳入歳出追加更正豫算
○臨第二號議案 震嘯罹災住宅復舊資金起債及償還方法
○臨第三號議案 震嘯災害土木復舊費竝同資金及住宅適地造成資金起債及償還方法
○臨第四號議案 震嘯災害歳入缺陷補填竝同資金起債及償還方法
○臨第五號議案 震嘯災害小學校舍復舊資金起債及償還方法
○臨第六號議案 震嘯災害産業復舊資金起債及償還方法
○臨第七號議案 震嘯災害商工業復舊資金起債及償還方法
以上第一讀會


附稿宮城縣會臨時會議案參照
○議長〔伊丹榮三郎君〕朗讀ハ省略致シマシテ差支ヘアリマスマイカ
〔「異議ナシ」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)御異議ガナイト認メマシテ、朗讀ハ省略致シマス、是ヨリ知事ノ御演説ガアリマス
〔番外三邊知事登壇〕


○番外(三邊知事)諸君■ニ縣會臨時會ヲ開會シ震嘯災害復舊費等ニ關スル豫算ノ御審議ヲ煩ハスニ當リマシテ、震嘯勃發以來ノ各種應急對策竝復舊其ノ他災害善後計畫ノ大要ヲ御説明申シ上ゲ度イト思ヒマス
至仁至慈ナル天皇皇后兩陛下ニ於カセラレマシテハ、震災ノ被害尠カラザル趣ヲ聞召サレ、三月五日特ニ侍從ヲ御差遣遊バサレマシテ御内帑ノ資ヲ下シ賜ヒ、惠撫慈養ノ道ヲ御示シ遊バサレタノデアリマス、天恩優渥洵ニ感激ノ至リニ堪ヘヌ次第デアリマス、侍從ハ御思召ヲ奉ジテ三月五日六日ノ兩日罹災地ヲ巡視セラレマシテ、被害ノ状况ヲ詳ニサルルト共ニ、宏大ナル聖恩ヲ傳ヘラレタノデアリマス、御下賜金ノ傳達ニ當リマシテハ聖旨ヲ體スルニ遺憾無キヲ期シマシテ、町村長警察署長ヲシテ愼重ニ罹災状况ヲ調査セシメマシテ、其ノ結果ニ基キマシテ、三月二十日夫々傳達ヲ致シタノデアリマス、此ノ聖恩ニ浴シマシテ罹災地方ハ申スニ及バズ全縣民ハ眞ニ感奮興起同心協力シテ賑恤救護ノ實ヲ擧グルト共ニ、災害地復舊ノ目的ヲ速ニ達シマシテ以テ聖恩ノ厚キニ應へ奉ランコトヲ誓フ次第デゴザイマス
震嘯災害ヲ被リマシタル町村數ハ二十、五郡ニ亘ツテ居リマシテ、特ニ本吉、桃生、牡鹿ノ三郡ノ沿岸地方ニ於キマシテ酸鼻ヲ極メテ居ルノデアリマス、死者、行方不明者合計三百九名、負傷者百六十一名、倒潰流失セル家屋一千四百五十四棟、床上床下ノ浸水ヲ合セマシテ實ニ三千三百八十八棟ノ多キニ達シテ居ルノデアリマス、罹災地方ハ本縣重要ナル漁業ノ根據地デアリマスルガ爲ニ、船舶ノ被害ガ特ニ著シク、運送船十七艘、動力付漁船七十七艘、無動力漁船一千九百七十一艘合計二千六十五艘ノ流失破損ヲ出シテ居ルノデアリマス、冠水又ハ土砂ノ埋沒シマシタ耕地モ頗ル廣ウゴザイマシテ、農家ノ被害モ尠クァリマセヌ、更ニ養蠶家、商工業者等各種ノ業態ニ亘リマシテ夫々復舊ノ要ガ極メテ緊切ナノデアリマス、道路、橋梁、河川海岸ノ破壞、警察電話ノ破損亦大ナノデアリマシテ、各種ノ損失總額ハ實ニ四百貳拾四萬餘圓ト
計算サレテ居ルノデアリマス
縣ニ於キマシテハ震嘯當日直チニ罹災町村ニ官吏々員ヲ急派シマシテ、罹災者ノ慰問被害状况ノ調査及ビ救護ノ指導ニ當ラシメマシテ、水産試驗場ノ所屬試驗船宮城丸、大東丸ヲシテ三日以來約二十日間罹災各地ノ救援ニ當ラシメタノデアリマス、災害當時ハ寒氣尚ホ烈シク、寝具衣類無キ罹災者ノ困窮ハ甚大デアリマスルノデ、取敢ヘズ第二師團ヨリ陸軍用毛布ノ貸付ヲ受ケマシテ、三日、四日ノ兩日罹災地ヘノ運搬ヲ了シタノデアリマス、廳内ニ於キマスル救護警備ノ事務ヲ敏活ニ統制アルモノト爲スガ爲、三日災害善後委員會ヲ組織シマシテ、救護ノ處理ト復舊事務ノ促進トニ遺憾無キヲ期シマシテ、一面救恤金品ノ配分ト救護事務ノ圓滑ヲ圖リマスルニハ、現地ニ於テ是ガ事務ヲ行フコトノ必要ヲ認メマシテ、六日石卷、志津川、氣仙沼ノ三箇所ニ救護出張所ヲ設ケマシテ、職員二十名ヲ配置シ、一方被害最モ著シキ六箇村ニ對シマシテハ官吏々員ヲ駐在セシムルコトトシマシテ、更ニ同日仙臺驛前ニ臨時出張所ヲ設ケマシテ救恤品ノ配給ヲ敏速ナラシムル方法ヲ執ツタノデアリマス
縣トシマシテハ死者ノ遺族ニ對シマシテ取敢ヘズ見舞金ヲ贈呈シマシタ、又食糧、被服、小屋掛等ニ要シマスル費用ハ救護上特ニ速ニ支出スルコトヲ要シマスルノデ、六日罹災町村長ニ對シマシテ罹災救助基金ヨリ壹萬八千餘圓ヲ前渡シマシテ、一方政府所有米五百四十石ノ拂下ヲ受ケマシテ是ガ供給ヲ致シマシタ、其ノ他建築材料、野菜等ノ供給等モ致シタノデアリマシテ、今日迄罹災救助基金ヨリ拾四萬餘圓ノ支出ヲ爲スト云フ見込ヲ以チマシテ、救護ニ當ラセテ居ルヤウナ次第デアリマス、罹災民ノ救療ト防疫ノ爲ニ三日午前直チニ巡回診療班ヲ組織シマシテ救療ニ當ラシメ、一方飲料井戸ノ消毒ト清潔法ノ督勵トニ努メマシテ、更ニ罹災直後ノ民心ノ安定ヲ圖ルガ爲ニ、罹災地警察署ニ對シマシテ警察部外各署ヨリ應援警察官ヲ急派シマシテ、盗難豫防、流言蜚語ノ取締ニ當ヲシメタノデアリマス、尚ホ三月十一日縣參事會ニ於キマシテ罹災救助ノ給與ヲ最高限度迄支出シ得ルノ議決ヲ經マスルト共ニ、之ニ伴ヒマスル罹災救助基金歳入歳出追加豫算ヲ提出シマシテ、更ニ七年度ニ於テ救護警備等ニ要シマスル諸費四萬五千九拾六圓竝小漁船建造、耕地復舊、稚蠶共同飼育所設置等ノ費用ニ充當セシムル貸付金拾七萬九千六百圓ノ議決ヲ經マシテ、救護警備其ノ他最モ急ヲ要スル施設ヲ速進スルニ遺憾無キヲ期シタノデアリマス
以上ハ縣トシテ行ヒマシタ急應施設ノ大要デアリマスルガ、縣内ハ申スニ及バズ全國ヨリ寄セラレマシタル同情ハ洵ニ甚大ナルモノデアリマシテ、陸海軍部ハ最モ敏速ニ衞生班ノ急派、道路、橋梁ノ修理、災害地現場ノ整理ニ當ラレ、横須賀鎭守府司令長官ハ特ニ三日驅逐隊ヲ急派サレマシテ救護ニ努メラレ、五日ニハ軍艦嚴島ニ依テ救恤品ノ分配ヲ行ハレタノデアリマス、醫療救護ノ爲ニハ第二師團、赤十字社支部、東北帝大、各地醫師會員等ガ夫々救護班ヲ組織セラレマシテ、應急措置ニ遺憾無キヲ期セラレマシタ、又宮内省其ノ他各方面ヨリ贈ラレマシタル救護品ハ六千餘個ニ及ビ、本縣廳ニ於キマシテ受理致シマシタ義捐金ノミニテモ九萬餘圓ニ達シテ居ルノデアリマス、是等ノ敏速ナル應援ト深甚ナル同情トガアリマセンデシタナラバ、救護施設モ應急對策モ容易ニ萬全ヲ期シ得ザルベキヲ思ヒマスルトキニハ、是等ノ同情ニ對シマシテ深ク深ク感激致シマスルト共ニ、今後ノ復舊ニ全力ヲ擧ゲテ邁進セネバナラヌコトヲ痛感スルノデアリマス
震嘯災害復舊竝豫防施設ノ根本ニ至リマシテハ自ラ應急施設ト其ノ趣ヲ異ニ致シマシテ、縣財政ノ逼迫特ニ著シキ縣ノ現状ト罹災地ガ由來必シモ富裕ナラザルニ加ヘテ、地震後續發シマシタ海嘯ノ爲ニ殆ド一物モ殘サザル有樣デアルノニ鑑ミマシテ、獨力ヲ以テシテハ如何トモ爲シ得ナイコトガ明デアリマスルノデ、被害ノ状况ヲ詳ニシ計畫ノ樹立ヲ急ギマシテ大體成案ヲ得マシタノデ直チニ政府ニ對シテ本縣ノ特殊事情ヲ明ニシ、極力其ノ實現ヲ期シタノデアリマス、時恰モ帝國議會開會中デアリマシタノデ他ノ罹災縣ト協力シマシテ復舊豫算ノ提案ヲ熱望シタノデアリマス、關係各省ニ於カレマシテハ到底常時ニ見ルコトノ出來ナイ敏速サヲ以チマシテ豫算ノ編成ニ當ラレ、御承知ノ通リ三月二十四日、二十五日ノ兩日滿場一致貴衆兩院ノ協賛ヲ得ルニ至ツタノデアリマス、斯ノ如キ短期間ニ於キマシテ追加豫算ノ提案議決ヲ見タコトハ殆ド前例ナキ所デアリマシテ、是偏ニ政府竝議曾ノ罹災地ニ對スル同惰熱意ト關係貴衆兩院議員竝縣會議員各位ノ熱誠ニシテ眞摯ナル御協力ノ賜ニ外ナラヌト存ジテ深ク感激シテ居ルノデアリマス
今回ノ震嘯災害善後豫算ノ編成ニ當リマシテハ、第一ニ本縣竝罹災地ノ現状ハ容易ニ自己資金ノ出資ヲ見込ミ得マセヌノデ、出來得ル限リ國庫補給又ハ國庫補助金ヲ多額ニ配當ヲ受クルコトヲ主眼トシテ事業計畫ヲ樹テタノデアリマス、第二ニ國庫補給又ハ國庫補助金以外ノ財源ハ總テ大藏省預金部ノ低利資金ノ供給ヲ受クルコトニ致シマシテ、是ガ供給ヲ受クルニ當リマシテモ成ルベク利子補給ニ依ル助成ヲ求メタノデアリマス、第三ニ利子補給ノアリマスルモノハ兎モ角利子補給ノ無イ低利資金ハ矢張リ將來ノ縣民負擔ト相成リマスルノデ、復舊ニ必要ニシテ且ツ充分ナル限度ニ止メマシテ、一時ノ便益ノ爲ニ將來ニ憂ヲ貽スコト無キヲ顧慮シタノデアリマス、第四ニ將來再ヒ海嘯等ノアリマスル場合、人命、財産等ニ對スル被害ヲ豫防スル根本施設ハ、所謂罹災地ノミナラズ本縣ニ於ケル百年ノ大計デアリマシテ、最モ是ハ必要ナルモ
ノト存ジマシテ、之ニ要スル費用ヲ政府ニ於テ支出サレルコトヲ熱望シタノデアリマスガ、之ニ付キマシテハ政府ハ調査ノ上ニ實施スルヲ適當トセラレマシテ、内務、農林、文部ノ關係省ニ於テ必要ナル調査ヲ實施セラルルコトニナツタノデアリマス、尤モ復舊計畫ト不可分デアリマシテ何人モ其ノ必要ヲ認メマスル住宅適地造成ト云フヤウナコトハ此ノ機會ニ於テ實現スルコトニナツタノデアリマス、以上ノ方針ニ依リマシテ出來得ル限リ完全ナル復舊其ノ他震嘯善後ノ措置ヲ講ジマスルト共ニ、是ガ爲ニ縣並縣民財政ノ將來ニ不安ヲ殘スコト無キヲ期シタノデアリマス
斯樣ニ致シマシテ決定致シマシタ復舊費、並之ニ關聯シテ必要ト致シマスル經費ハ合計貳百七拾七萬九千參百參拾五圓デアリマシテ、是ガ財源ハ國庫補助及補給金百貳萬八千六百九拾貳圓尤モ參事會ニ於キマシテ追加豫算ノ財源トシテ國庫補助ヲ豫定シタモノガアリマスルカラ、之ヲ加算シマスルト云フト今回ノ震嘯災害ニ對シテ國庫補助及補給金ノ合計ハ百七萬壹千六百九拾九圓トナル譯デアリマス、ソレカラ貸付返納金ガ參萬七千八百貳拾九圓、縣債ガ百六拾六萬九千八百圓及ビ一般縣費四萬參千拾四圓トナリマシテ、此ノ縣債ノ中デモ利子補給ノアルモノガ四拾壹萬八千五百圓デアリマス、利子補給ノ無イモノハ全部低利資金デアリマスガ、ソレハ百貳拾五萬壹千參百圓ナノデアリマス、此ノ復舊費及ビ之ニ關聯スル諸費カラ歳入豫算ノミノ追加更正トナツテ居リマスル縣歳入缺陷補填ノ爲ニスル縣債五萬參千圓ヲ除キマシタモノガ今
回提案致シマシタ豫算總額貳百七拾貳萬六千參百參拾五圓トナルノデアリマス
震嘯災害復舊費ハ五拾壹萬圓デアリマシテ、之ニ依テ道路ニ付キマシテハ土留護岸ヲ石垣或ハ混凝土トシ、橋梁ニ付キマシテハ出來得ル限リ鐵筋混凝土橋ニ架ケ換へ、海岸堤防ニ在リマシテハ道路土留護岸同樣石垣混凝土ト爲ス外、重要ノ箇所ニ付キマシテハ天端及ビ裏法面ニ張石ヲ施シマシテ、高サヲ高メ將來海嘯ニ對スル抵抗力ヲ大ナラシムルコトトシタノデアリマス、本復舊費ハ八割五分ノ國庫補助金、及ビ殘リノ一割五分ニ對シマシテハ利子補給ニ依ル低利資金ヲ支出セラルルコトニナツテ居リマス


震嘯災害復舊助成費ハ五拾八萬圓デアリマシテ、其ノ事業費總額ハ百拾五萬圓トナルノデアリマス、其ノ内譯ハ


第一ニ町村土木復舊助成費五萬七千圓デアリマシテ、此ノ事業費ハ六萬八千圓デアリマス、即チ八割五分ノ補助ト一割五分ニ當ル壹萬圓ノ利子補給アル低利資金トヲ以チマシテ工事ヲ爲スノデアリマス之ニ依テ町村費所屬ノ道路、橋梁、河川、河岸ハ縣工事ト同樣ノ復舊ヲ爲シ得ルコトニナツテ居ルノデアリマス


第二ニハ農事復舊助成費參萬圓デアリマス、是ガ事業費ハ五萬參千圓トナツテ居リマシテ、其ノ差額ハ低利資金デアリマス、全額ノ補助ヲ以チマシテ罹災農家ニ對シ自家食糧補給ノ爲ニ馬鈴薯ノ種苗ヲ、次季作付ノ爲ニ水稻、大豆等ノ種苗ヲ配付スルコトトシテアリマス、又二分ノ一ノ補助ヲ以チマシテ生業ヲ營ムニ缺クベカラザル農具ノ設備ト、農家經營上必要ナル納屋及ビ肥料舍ノ建設ヲ爲サシムルコトトシテアルノデアリマス


第三ハ蠶業復舊助成費壹萬七千圓デ、是ガ事業費ハ參萬四千圓トナツテ居リマス、二分ノ一ノ補助ト其ノ殘ハ低利資金デアリマスガ、之ヲ以チマシテ養蠶家ニトッテ蠶作ニ最モ關係深キ稚蠶飼育ノ安全ヲ期スルガ爲、罹災地ノ養蠶實行組合ヲシテ稚蠶共同飼育所ヲ設置セシムルト共ニ、養蠶家ノ蠶具購入ヲ爲サシムルコトトシタノデアリマス


第四ニ畜産業復舊助成費約貳千圓ヲ置キマシテ、同額ノ低利資金卜合セテ家畜ノ購入ト飼料ノ購入ヲ爲サシムルコトニシテアルノデアリマス


第五ニ水産業復舊助成費四拾萬八千圓ヲ置キマシテ、低利資金ト合シマシテ八拾四萬六千圓ノ事業ヲ行ハシムルコトニシテアルノデアリマス、今回ノ震嘯災ニ因リマシテ直接被害ヲ受クルコト最モ大デアリマスル水産諸施設ハ、特ニ漁業家ガ他ニ生業ノ途ヲ有セザル實情ニ鑑ミマシテ、極メテ敏速ニ且ッ完全ニ復舊ヲ了スルコトヲ必要トシマシテ、出來得ル限リ多方面ニ亘リマシテ其ノ計畫ヲ樹テタノデアリマス、漁船復舊費ハ參拾八萬九千圓デ、二分ノ一ノ補助ヲ以テ無動力漁船及ビ動力付漁船ノ復舊ヲ爲サントスルノデアリマス、是等ノ漁船ハ適當ナル造船所ニ於テ大量製造ノ方法ニ依リマシテ短時日ノ間ニ最モ經濟的ニ建造ヲ了スルガ爲、特ニ町村當局並漁業組合當事者等ノ細心ナル注意ヲ要スルト思ヒマス、漁具復舊費ハ八萬參千圓ノ補功ト拾四萬參千圓ノ低利資金トヲ合セテ貳拾貳萬六千圓デアリマシテ、半額若シクハ四分ノ一ノ補助ヲ以テ小漁具、曳網類、旋網類沖合漁業用刺網及ビ定置漁業用漁具ノ復舊ヲサセルコトニナツテ居リマス、共同施設費復舊費ハ拾六萬圓デアリマシテ、二分ノ一ノ補助ヲ以テ共同販賣所、共同製造所、共同倉庫及海苔ノ養殖場、海苔ノ乾燥場牡蠣ノ養殖場等ノ共同養殖ノ設備ノ復舊ヲ爲サシムルコトトシタノデアリマス、事業ノ鞏固、利益ノ配分、危險ノ負擔等ノ諸點ヨリ見マスルモ、個人ノ經營ニ比べマシテ共同設備ハ遙ニ有利ト思ハレマスルノデ、不測ノ災害ニ際會シマシテ將來一層ノ飛躍ニ備ヘマスルガ爲、是等ノ施設ニ對シマシテハ官民協力シテ其ノ遂行ニ當ラレンコトヲ切望スルノデアリマス、船溜船揚場復舊費六萬圓ハ四分ノ三ノ補助ト四分ノ一ノ利子補給アル低利資金ヲ以チマシテ、築磯復舊費九千圓ハ半額宛ノ補助及利子補給アル低利資金ヲ以チマシテ、夫々沿岸各地ニ亘ル被害箇所ノ復舊ヲ爲サントスルノデアリマス


第六ニ耕地復舊助成費貳萬六千圓ハ低利資金及一般縣費ヲ合セ四萬四千圓ヲ以チマシテ、三郡十四箇町村ニ亘ル被害耕地約八十町歩ノ復舊及ビ是ガ調査指導ヲ行ヒマシテ、本年ノ收穫ニ違算ナキコトヲ期スルノデアリマス


第七ニ商工業復舊助成費ハ參萬九千圓デアリマス、低利資金六萬八千圓ヲ合セマシテ拾萬七千圓ヲ以テ約四百戸ニ及ブ商工業者ノ工場店舖諸設備及海運業者所有ノ罹災運送船ノ建造ヲ爲サシメントスルノデアリマス、工場店舖ノ設備復舊費ハ九萬圓デアリマシテ、四割ノ補助、運送船建造費ハ壹萬七千圓デ一割八分ノ補助ガアリマス


以上ノ諸事業ノ遂行ニ當リマシテ町村及其ノ他ノ事業主體ガ自ラ財源ヲ捻出致シマスコトハ、今日ノ財政状態ヲ以チマシテハ素ヨリ望ムコトハ困難デアリマスルノデ、預金部資金ヲ縣ヨリ轉貸スルコトトシ、更ニ國庫補給又ハ補助ニ依ル助成ハアリマセヌケレドモ、復舊事業トシテ進ンデ遂行致サネバナラヌ、計畫並復舊事業ニ伴ヒマシテ必要ナル各種運轉資金ヲ、同ジク預金部資金ヨリ融通ヲ受クルコトトシマシテ、是等ニ必要ナル貸付金百五拾參萬圓ヲ計上シタノデアリマス


補助又ハ補給ヲ伴ヒマセヌ貸付金ノ
第一ハ罹災住宅復舊貸付金デアリマシテ貳拾七萬六千圓デアリマス、十五箇町村ニ亘ル罹災住宅五百五十三戸ハ到底自力ヲ以テ復舊スルコトハ不可能デアリマスルノデ、努メテ經濟的ニシテ而モ便利ナル家屋ヲ復舊セシメマシテ、各種ノ状態ニ應ジテ納屋肥料舍蠶室等ヲ同時ニ建築シテ遺憾ナカラシメントスルノデアリマス


第二ハ住宅適地造成費拾九萬五千圓デアリマシテ、是ニハ利子ノ補給ガアルノデアリマス、今回此ノ海嘯ニ因ル被害ニ稽ヘマシテ、特ニ本縣沿岸地方ノ地勢等ヨリ見マシテモ、復舊スベキ家屋ノ敷地ヲ滿潮位ヨリ相當高キ箇所ニ移轉造成セシムルコトガ最モ確實ニシテ安全ナル災害對策ト信ジマシテ、先般海嘯地各町村ニ臨時海嘯地家屋復興計畫委員會ト云フモノヲ組織致サセマシテ、縣廳ニ於テモ夫々準備ヲ進メテ居ルノデアリマスルガ、此ノ宅地造成ニ要スル切崩費、地均費及ビ道路ノ取付費等ヲ計上シタノデアリマス


第三ニ雄勝尋常高等小學校ノ復舊費四千圓ヲ計上致シマシテ、校舍、教員住宅、校具類ノ復舊ヲ爲サシムルコトトシマシタ


第四ニ町村歳入缺陷補填資金五萬九千圓ヲ置キマシテ、被害二十箇町村ノ七年度及ビ八年度ニ於ケル各種租税ノ減免課税標準ノ減少ニ因リマスル減收及ビ未納税金ノ徴収不能ナルモノノ補填等ニ充テシメマシテ、以テ町村財政ニ缺陷ナカラシムルコトヲ期シタノデアリマス、此ノ資金ニ付テハ利子補給ガ認メラレテ居リマス


第五ハ蠶室復舊費九萬圓デアリマシテ、蠶兒ノ飼育ニ十分ナル面積ヲ得ルガ爲ニ住宅ノ復舊ト併セテ蠶室ヲ作リマシテ相當多量ノ掃立ヲ可能ニシテ以テ現金收入ノ便ヲ圖ツタノデアリマス


第六ハ肥料資金參萬貳千圓デアリマシテ、春季水田ニ施スベキ堆肥ヲ備ヘシメ、流失、冠水ニ因リマシテ地力ノ減耗甚シキ耕地ノ施肥ヲ十分ナラシメントスルノデアリマス


第七ニ漁船復舊事業資金壹萬六千圓ヲ以テ漁船ノ修繕及ビ動力付漁船ノ第一回ノ出漁ニ必要ナル所ノ燃料餌料等ノ着業資金ニ充テルノデアリマス


第八ハ共同製造場復舊資金金四萬五千圓デアリマシテ、原料、燃料等ヲ購入セシメ事業資金ノ缺乏ニ因ル困難ヲ感ズルコトナク直チニ事業ニ着手セシメントスルノデアリマス


第九ニ共同養殖設備復舊事業資金貳萬圓ヲ以テ牡蠣ノ養殖場ノ復舊ニ伴ヒ之ニ必要ナル種牡蠣ノ購入費ニ充テサセマシテ全國ニ冠タル本縣ノ牡蠣ノ養殖事業ヲシテ一日ノ遲緩無ク益々進展セシメンコトヲ期シテ居リマス


第十ニ個人製造場復舊資金拾六萬圓ヲ計上致シマシタ、共同諸施設ニ依リマシテ共同事業ノ復舊ガ行ハレマスルケレドモ縣下多數ノ個人製造家ノ製造場製造設備乾燥場等ノ復舊ハ特ニ其ノ業態ノ小ナルニ鑑ミマシテ、是ガ資金ノ融通ノ必要ヲ認メタノデアリマス


第十一ニ工場、店舖運轉資金六萬圓ヲ以チマシテ工場、店舖ノ設備ニ伴ヒマシテ中小商工業者ノ當然運轉資金ニ困難ヲ感ズルコトヲ豫想シテ之ニ充テシメルコトニシタノデアリマス


以上ヲ以テ復舊諸事業ノ大要トスルノデアリマスルガ、別ニ災害調査及ビ復舊事業ノ促進、救護、救療、救助及ビ警備ニ要スル諸經費ヲ計上致シタノデアリマス、災害救護費四萬貳千圓ハ囑託四人ヲ置キマシテ、國費ニ依ル人員ノ増加ニ伴ヒマシテ、救護事務竝復舊事務ノ特ニ多忙ナル方面ニ活動セシメマシテ、其ノ他廳内官吏々員ノ救護調査ニ要シマスル旅費等ニ充テシムルコトニシタノデアリマス、警察關係ニ於キマシテ災害警備費九千圓、廳舎修繕費壹萬九千圓ヲ置キマシテ災害後ノ各種警察施設竝復奮事務ノ進行ニ伴ヒ、一層増大シマスル所ノ警察事務ニ備へ、又被害地電話線路ノ改善及ビ架設ニ依リマシテ復舊計畫上遺憾無カラシメントシタノデアリマス、衞生關係ニ於キマシテハ、六千圓ノ全額補助ヲ受ケマシテ診療班ヲ組織シ罹災各地ノ出張診療及ビ巡回診療ヲ爲シ、傷病者ノ救療ト防疫ノ徹底ヲ圖ルノデアリマス、又教育費
ニ於キマシテハ給食ヲ必要トシマスル兒童ニ對スル食費及ビ罹災貧困兒童ノ被服費合計參千圓ヲ、國庫補助ヲ財源トシテ計上シマシタ、更ニ利子補給ニ依ル縣ノ歳入缺陷補填資金五萬參千圓ヲ起債致シマシテ、震嘯災ニ因ル昭和七年度歳入缺陷額壹萬參千圓ヲ繰越金ノ中ヨリ減額シ、昭和八年度ニ於テ本税免除ニ伴フ減收、課税標準ノ減額等ヲ合計致シマシテ參萬九千圓ノ歳入缺陷ヲ見込ミマシテ、地租營業收益税、所得税、各附加税、家屋税、營業税及ビ雜種税ヲ夫々更正減額シテ、災害ノ爲ニ本縣財政ヲ直チニ壓迫スルコトノ無イヤウニ致シタノデアリマス、縣ノ豫算ニハ現レテ居リマセヌガ、國費ニ依ル災害善後人件費トシマシテ屬、技手、及ビ之ニ伴フ雇員其ノ他ヲ配當サレルコトニ決定シテ居リマスルノデ、縣ノ施設ト相呼應シマシテ事務ノ遂行上萬全ヲ期スルコトガ出來ルト考ヘテ居ルノデアリマス
諸君縣民協力シテ公私經濟ノ窮迫ヲ打開シ、將來ノ活動力ヲ培養センガ爲ニ、自力更生ノ一路ニ邁進シテ居リマスル時ニ當ツテ、不測ノ災害ガ突發致シマシタコトハ、直接生命財産ニ災厄ヲ被ムリマシタ罹災地町村ニ對シテ深甚ナル同情ヲ呈シマスルコトハ勿論、本縣全體トシテ大ナル試練ニ遭遇シタコトヲ痛切ニ感ゼザルヲ得ナイノデアリマス、而モ此ノ不幸ノ中ニアリマシテ震嘯災直後罹災各町村ガ、一齊ニ相互扶助ト災害善後措置ノ爲ニ奮起シマシテ、隣保相扶ノ美風ト不屈不撓ノ特質トヲ發揮セラレマシテ、周章セズ自棄セズ難局ニ處シテ居ラルルコトハ、縣下各地ノ同情ト援助ト共ニ私共ノ感激ニ堪ヘナイ所デアリマス、巨額ニ上ル物質ノ損失モ此ノ忍耐ト此ノ勤勞ノ精神等ノ存スル限リハ、遠カラズシテ償フコトガ出來マシテ、却テ一段ノ發展ヲ期待スルコトガ出來ルト信ジテ居ルノデアリマス、眞摯ニシテ剛毅ナル我ガ縣民ノ美風ガ克ク一時ノ緊張ニ終ルコトナク、完全ニシテ且ツ迅速ニ復舊ノ大業ヲ成シ遂ゲマシテ、以テ上ハ優渥ナル聖旨ニ副ヒ奉リ、下ハ熱誠ナル國民ノ援助ニ酬ヒンコトヲ各位竝百十餘萬縣民ト共ニ相信ジ相誓ヒ得ルコトヲ私ハ衷心ヨリノ喜トスルノデアリマス
附議致シマシタ諸案ニ付キマシテハ御質問ノ都度私及參與ヨリ詳細ニ御説明申上ゲタイト存ジマス、何卒御審議ノ上御協賛アランコトヲ切望致シマス、長時間ニ亘リ御清聽ヲ煩ハシマシタコトヲ深ク感謝致シマス(拍手)


○三十番(北村文衞君)附議セラレマシタ議案ノ調査ヲ爲ス爲ニ本日ノ日程ヲ明日ニ繼續致シマシテ、本日ハ之ヲ以テ散會セラレンコトヲ望ミマス、動議ヲ提出致シマス
〔「賛成」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)只今三十番ヨリ御聽及ノ通リノ動議ガゴザイマシテ賛成ガアツテ成立致シテ居リマス、右動議ニ御異議アリマセヌカ
〔「異議ナシ」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)御異議無イト認メマシテ右動議ノ通リ決定致シマス、隨ヒマシテ明六日ノ會議日程ハ本日上程各案ノ第一讀會ノ繼續議デアリマス、本日ハ是デ散會ト致シマス
午後三時二十四分散會


(ロ)四月六日の分


午後二時二十八分開議
出席議員 三十五名
缺席議員 一名
七番(菅原壽左衞門)


○議長(伊丹榮三郎君)出席議員半數以上デアリマス、會議ヲ開キマス、本日ノ會議録署名員ヲ指名致シマス、四番、十三番、十五番、以上御三名ニ御願ヒ致シマス、本日ノ會議日程臨第一號議案乃至臨第七號議案ノ第一讀會ノ繼續議ヲ開キマス、御申込順ニ依ツテ-三十四番


〔三十四番富田廣重君登壇〕
○三十四番(富田廣重君)同僚同志各位ノ御指示ニ從ヒマシテ僣越ナガラ本臨時縣會ニ提案サレマシタ議案ニ對シテ賛成ノ理由ヲ表示致シタイト思ヒマス、言葉足ラズシテ意ヲ盡サズ、修辭拙クシテ趣旨ヲ明ニスルコトガ出來ナカツタト致シマスレバ、ソハ決シテ同僚各位ノ不徹底ナルニ非ズシテ、賛成理由ヲ表示致シマスル本員ノ責タルコトヲ豫メ御諒承ヲ願フ者デアリマス、過グル三月三日夜半、突如トシテ天地ヲ震ハセタル強震、續イテ起リマシタル海嘯ノ爲ニ、太平洋岸ニ位置スル本縣下五郡二十箇町村、特ニ本吉、桃生、牡鹿三郡下ノ被害ガ甚シク、倒壞流失家屋一千四百五十四棟、浸水家屋三千三百八十八棟、二千六十五隻ノ船舶ヲ失ヒ、其ノ他耕地道路、河川橋梁、電柱等ノ破損夥シク、損失四百貳拾四萬圓ト見積ラレテ居リマス、之ヲ本縣一箇年ノ歳入歳出豫算ニ比較致シマスト、須臾ニシテ殆ド其ノ半バヲ失ツタモノデアリマス、ト同時ニ復舊成リマスマデハ幾多ノ生産ヲ中絶致スノデアリマス、而モ是ハ再ビ求メントスレバ求メ得ベキ物資物件ノ損失デアリマス、是等物資的損失以外ニ貴重ナル人命ヲ失フコト三百九名、傷キ惱ム者百六十一名ヲ算シテ居リマス、中宵人靜マリ、天地寂寞タル時、俄ニ怒濤岸ニ飜リ、狂瀾巷ヲ侵ス一瞬間、斯ノ如キ多數ノ人命ト巨大ナル物資トハ、憐レ狂ヘル海神ノ犠牲ニ供セラレタノデアリマス、寓籟止ミ天地靜寂ニ歸シマスレバ、父或ハ母或ハ子或ハ兄弟ハ、冷キ骸トナツテ渚ニ斃レ伏シ、或ハ喚ビドモ再ビ應ヘズ、索レドモ再ビ得ラレナイ所ノ家族ノ歸リマサンコトヲ望ンデ渚ニ立ツテ居ル樣ヲ想ヒ浮ベナケレバナリマセヌ、住ムニ家無ク、纒フニ衣無ク、餓エテ食スベキ糧ダニ無ク、罹災民ハ無限無量ノ衷愁ノ裡ニヒシヒシト迫リ來ル寒氣ニ慄ヒ戰イタノデアリマス、滿目荒廢、滿耳悽愴、罹災現場ノ慘状、罹災民ノ苦難ハ眞ニ言語ニ絶スルモノガゴザイマス、此ノ凶報ガ一度傳ハリマスルヤ、天下ノ同情ハ翕然トシテ罹災地ニ集マリマシテ各方面ヨリ寄セラレタル救恤品ハ積ンデ山ヲ成シ、慰問ノ人、通信報導ノ人、視察ノ人、調査ノ人、踵ヲ接シテ罹災地ニ集マリマシテ、特ニ忝クモ天皇皇后兩陛下ニ於カセラレマシテハ災害直後待從ヲ御差遣下サイマシテ、御内帑金ヲ下シ賜ハリ、不慮不測ノ災厄ニ泣ケル赤子ノ上ニ御仁惠ヲ垂レ給フタノデアリマス、聖恩ノ鴻大無邊眞ニ感激ニ禁ヘマセヌ、次イデハ陸海軍當局ノ活動ヲ永久ニ記念スベキモノデアルト私ハ考ヘマス、惡魔ノ如キ狂瀾怒濤ガ其ノ暴威ヲ逞ウシテ去リマスルヤ、電柱ハ倒レマシテ一個ノ燈火ヲ得ルニモ困難ヲ致シマシタ罹災民ハサナキダニ暗イ心ニイトド暗黒サヲ加ヘマシテ困迷致シマシタ際ニ、派遣サレマシタ帝國ノ驅逐艦ガ其ノ雄姿ヲ灣頭ニ現ハシマシテ、照シ出サレマシタ「サーチライト」ガ如何ニ此ノ罹災民ニ對シテ心強サト明ルサトヲ與ヘタカト云フ事ハ、罹災民ガ親シク私ニ物語ツタ述懷デゴザイマス、又家屋船舶ノ破片ガ散亂集積致シマシテ交通ヲ阻害致シマシタル時、工兵隊ノ活動ニ依ツテ直チニ其ノ道路ノ整理ヲヤツテ呉レマシタ、是モ罹災民ノ等シク感激スル所デゴザイマシテ、本員ハ此ノ機會ニ於テ陸海軍當局ニ感謝ノ意ヲ表スル者デゴザイマス、其ノ他醫療救護班ノ活動ノ如キ洵ニ感謝讃嘆ニ値スルモノガ尠クアリマセヌ、斯ノ如キ不慮ノ大災厄ヲ管下二十箇町村ニ被リマシタル縣當局ノ應急竝恒久ノ善後策ニ關スル活動ノ賢明ニシテ眞劍適當ニシテ敏活ナリシ御精勵ニ對シマシテハ、衷心ヨリ敬意ヲ表シ滿腔ノ謝意ヲ献グル者デアリマス、爲ニ公安ハ聊カノ不祥事ヲモ發生スル事ナクシテ維持セラレマシタ、負傷疾患者ハ速ニ救護サレ衞生状態ニ不安ナク、救恤品ノ配給マタ比較的迅速ナルヲ得マシタ、小學校兒童ノ就學マタ比較的速カナリシコトハ特ニ慶ブベキ現象デアツタト本員ハ考ヘマス、交通機關ノ應急修理復舊敏速ナリシ爲メ運搬ニ便セラレマシタコトモ、私ハ當局ニ感謝スル一人デゴザイマス、勿論此ノ特別任務ニ鞅掌サレマシタ縣ノ官公吏、警察官諸君ニ對シ、出來ルナラバ特別ノ報勞慰問ノ志ヲ現シタイト思フ程デゴザイマス、殊ニ焦眉ノ急務タル應急策ヲ施シテ息ヲ吐ク暇ダニナク、直チニ上京致シマシテ、政府當局竝貴衆兩院議員等ニ對シテ折衝ヲ重ネ、限局サレタル日時ニ於テ能ク所期ノ効果ヲ收メテ歸廳サレ、今日■ニ震嘯勃發以來ノ各種應急對策竝復興其ノ他災害善後策實施ノ豫算ヲ編成シテ、私共ニ其ノ審議協賛ヲ求メラレタル、三邊知事ノ御勞苦ニ對シ特ニ感謝ノ意ヲ表シタイト思ヒマス、勿論今回ノ災害ノ如キハ、現代ノ進歩セル科學ニ依ツテスラ之ヲ豫知スルコト殆ド不可能ナル不測不慮ノ天災地殃デアリマス、而シテ其ノ災害ノ程度ハ餘リニモ巨大デアリマシタ、而モ地理的ニ交通通信ノ最モ不便不利ナル地域ニ發生シタ事件デアリマス、故ニ是ガ應急處置等ニ對シマシテ、事後ニ於テ之ヲ批判シ、或ハ直接ニ利害關係無キ第三者ヨリ冷靜ニ檢討致シマス時ハ幾分ノ缺陷ハアルカモ知レマセヌ、併ナガラソレハ國策ノ上ニ於テスラ非常時ト云フ言葉ガ用ヰラルル、今日デアリマス、幾分ノ缺陷ガアリトスルモ事後ニ於テ之ヲ當局ニ責メ立ツベキモノデハナイト私ハ考ヘテ居リマス、應急策ハ飽迄應急策デアリ、急施處置ハ何處迄モ急施處置デアリマス、故ニ本員ハ災害勃發以來今日マデノ縣當局ノ執リタル各般ノ處置施策ニ對シマシテハ、何等ノ質疑難詰ヲ挾ム者デハアリマセヌ、寧ロアノ忽卒ノ際、能クアレダケノ應急罹災救助ヲ爲シ得タモノト、其ノ沈着サト敏活ナルニ驚嘆スル一人デアリマス、例ヘバ昨日ノ知事ノ豫算説明ノ演説中ニアリマシタガ、「縣トシテハ死者ノ遺族ニ對シ取敢ヘズ見舞金ヲ贈呈シマシタ云々」トアリマシタガ、申上グル迄モナク罹災救助基金ニ關スル法律ハ、明治三十二年三月二十二日法律第七十五號ヲ以テ公布施行以來三十有餘年ヲ閲シテ今日ニ至ツテ居ルノデアリマスガ、過去ノ施行實績ニ鑑ミテ、一ハ道府縣ノ財政緩和ニ資スル爲、一ハ救助範圍ノ擴張ノ爲ニ、昭和七年九月八日法律第三十三號ヲ以テ改正サレ、本年一月一日ヨリ施行サレテ居ルノデゴザイマス、救助範圍トシテハ、從來ノ規程ハ其ノ費目ガ避難所費、食料費、被服費、治療費、小屋掛費、就業費、學用品費、運搬用具費及人夫費、此ノ九目ニ限定サレテ居リマシタノデ、災害ニ伴ヒ易キ死亡者ニ對シマシテ埋葬費ヲ給スルコトガ出來ナカツタノデゴザイマス、其ノ缺陷ニ鑑ミ今度ノ改正ニ依ツテ救助費目中ニ埋葬費ヲ加ヘタコトガ改正ノ重大ナル要點トナツテ居ルノデゴザイマス、然ルニ今回ノ災害ニ於テ當然死亡者タルコトガ明ナル者ト雖モ、屍體未發見ノ爲ニ行方不明者トシテ取扱ハナケレバナラヌ實情ナリシニ徴シ、縣當局ハ所謂法規條文ノ末節ニ囚ハルルコトナク、本法改正ノ根本精神ニ則リ、不幸ナル罹災遣族ニ對シ見舞金トシテ取敢ヘズ贈呈シタルガ如キハ、眞ニ是アリテコソ法ノ活用ナリト敬服讃嘆ニ堪ヘナイ者デアリマス、他ハ推シテ知ルベキデアリマス、唯本員ハ應急策ナラザル恒久策、換言スレバ本縣震嘯災害防止ニ關スル百年ノ長計ヲ樹立スル上ニ於テ、縣當局ノ賢明ナル復舊復興善後策ニ加フルニ、縣民トシテノ希望ト要求トヲ以テセバ、初メテ完璧ニ近キモノアランコトヲ慮ツテ居リマスガ、是ハ多分サウ云フヤウナ要求モ現レテ參ルダラウト思ヒマスカラ本員ハ之ニ言及ハ致シマセヌ、地球上ノ一大秘境トモ稻スベク又地體構造上世界一ノ危險箇所デアリマスル太平洋中ノ「タスカロラ海溝」ノ存在スル限リ、海中火山ノ解消致シマセヌ限リ、而モ多クV字形ノ灣形ヲ成セル三陸沿岸ニ今後再ビ今回ノ震嘯ノ如キ慘害ナシト唯ガ保證シ得ル者ガゴザイマセウカ斷ジテアリマセヌ、過去數千年來ノ記録ニ傳ハル所ノ事實ハ明ニ震嘯ノ連發ヲ物語ツテ居リマス、遠クハ一千六十三年前ノ貞觀十一年五月二十六日ノ震嘯、大浪多賀城ニ及ビ死者千人ト云フ事實ガ三代實録ト云フ本ニ記録サレテ居リマス、次ハ三百二十三年前ノ慶長十六年十月二十八日三陸沿岸ヨリ北海道東部一帶ニ及ビ、岩沼ノ西南方千貫山ノ松ノ上ニ船ヲ繋イダト云フ記録サヘモアリマス、ソレカラ二百五十年前延寳五年伊達綱宗公時代ニモ三陸沿岸ニ震嘯アリ、寳暦元年即チ百八十六年前ニモ牡鹿、桃生、本吉ノ沿岸ニ大慘害アリ、八十三年前ニモ同樣又元和二年、元緑二年、安政三年ニモ同樣津浪ノ慘害ノアツタコトガ明ニ記録ニ記サレテゴザイマス、明治二十九年六月十五日ノ大海嘯ハ御承知ノ如ク流失家屋一萬三千戸、死者二萬九百九人ト云フ慘害デゴザイマシテ、此ノ外記録サレナイ度數ハ幾許アルカ分リマセヌ、遠キ過去ハ暫ク措キ、明治二十九年ノ大海嘯以來三十九年目ニ今次ノ震嘯デアリマス、而シテ失ヒタル人命ハ二萬一千二百十八名ノ多キヲ算ス、流失倒潰家屋一萬四千四百五十戸ニ達シテ居リマス、其ノ損失ノ巨大ナル實ニ驚クベキモノデアリマス、明治二十九年ノ海嘯ニ於ケル死亡者ハ、其ノ前年ノ日清戰役ノ戰死者ヨリモ更ニ多ク四倍ニ相當シテ居ルト言ハレテ居リマス、今回ノソレハ滿洲事變ノ戰死者ニ相當スル非常ニ大キイ損失デゴザイマス、假ニ五十年毎ニ大慘害ガアリマシテ人命一萬ヲ失フトスレバ、一箇年二百人ノ貴イ人命ガ無慘ニ奪ハレルト云フ勘定ニ相成リマス、恐ルベキデハゴザイマセヌカ、明治二十九年ノ海嘯以來四十年ニシテ今次ノ災厄アリ、爲ニ四百貳拾四萬圓ノ財ヲ失ツテ居リマス、一箇年ニ割當テマスルト拾萬圓以上ヅツノ損害デアリマス、之ニ人命ヲ失フノデアリマスカラ眞ニ心ヲ寒ウセザルヲ得マセヌ、故ニ應急善後策、復舊策ニ引續キ眞劍ニ災害防止ノ長計ヲ講ズル必要ガゴザイマス、今回災害ヲ免レ、又ハ比較的災害程度ノ少ナカツタ地方ト雖モ、縣當局ハ必ズ御考ノ中ニ置カレルコトデアラウト私ハ信ジテ居リマス、更ニ私ハ是等ノ豫算ヲ見マスト云フト前申上ゲマシタヤウニ災害ニ對シテ應急ノ策ガ立派ニ講ゼラレテ居ルノデゴザイマスガ、更ニ又應急ノミナラズ復舊舊状態ニ復スルト云フコトニノミ止マラズ、更ニ更ニ災害以前ヨリモ生産多ク、又住民心安カレト云フ所ノ復興ノ策ガ、■ニ明ニ縣當局ニ依ッテ考案サレタコトガ推察ガ出來ルノデゴザイマス、故ニ私ハ餘リ長イコトハ申シマセヌガ、此ノ提案サレマシタ諸案ヲ通覽致シマシテ、總額貳百七拾貳萬六千參百參拾五圓ト云フ豫算ハ、縣當局ガ如何ニ苦心サレテ編成サレタカ、又如何ニ今後ノコトヲ御考ヘニナツテ編成サレタカト云フコトヲ推察致シマシテ、滿腔ノ賛意ヲ表スル者デゴザイマス、冀クハ此ノ豫算ノ一分二分ノ末節ニ拘泥セラルルコトナク、當局ノ苦心ト手腕トニ御信頼下サイマシテ、滿堂ノ御賛成ヲ希望致シマシテ不肖私ノ賛成演説ヲ終リタイト思フ者デアリマス(拍子)


〔二十二番松山平兵衞君登壇〕
○二十二番(松山平兵衞君)吾々ハ今回本臨時會ニ御提案ニ相成リマシタ震嘯災害復舊事業費ニ關スル豫算ニ對シ吾々同志ヲ代表致シマシテ滿腔ノ賛意ヲ表スル者デアリマス、今回突如トシテ起リマシタ震嘯災害ハ、天下ノ耳目ヲ衝動シタノデアリマス、罹災民ハ天恩ノ優渥ニシテ鴻大無邊ナルニ唯々感泣ニ咽ンデ居ルノデアリマス、又天下江湖ノ深甚ナル同情ニ對シ感激シ且ッ感謝ノ意ヲ表シテ居ルノデアリマス、可憐ナル罹災民ノ現在ト云フモノハ辛ウジテ寒氣ト饑餓ヲ免ルルコトヲ得マシタケレドモ、精神的ニ物質的ニ蒙リマシタ極度ノ打撃ニ對シマシテ、疲勞シナガラ其ノ復活ノ途ヲ辿リツツアル状態デアリマス、震嘯勃發以來縣當局ガ畫夜兼行ニ執ラレマシタ周到敏活ニシテ統制アル應急對策、竝復舊其ノ他災害ノ善後處置ニ對シマシテハ、罹災民ハ齊シク感激ヲ致シテ居リマスルコトハ勿論、吾々縣民ト致シマシテモ其ノ御奮闘ニ對シ感謝ノ意ヲ表シツツアルノデアリマス、知事ノ豫算案説明ノ御演説ニアリマシタ通リ、震嘯災害復舊竝豫防施設ノ根本ニ關シマシテハ、本縣財政ノ現状ト罹災地何レモ困窮ノ事情ニアルニ鑑ミラレマシテ、其ノ計畫ハ極メテ穏健着實ナル態度、眞摯的確ナル調査ヲ基礎トシテ樹立セラレマシタ事ヲ見出スノデアリマス、即チ水産復舊ニ重點ヲ置キ、其ノ積極的計畫ヲ企テ、又各種産業ノ復舊、土木事業ノ復舊ヲ初メ細大漏サズ網羅セラレテ居ルノデアリマス、其ノ豫算編成ノ内容ヲ檢討致シマスレバ、國庫補給又ハ國庫補助金ヲ多額ニ配當ヲ受クルヤウ努力セラレマシタルコト、及ビ大藏省預金部ヨリ低利資金ハ努メテ利子補給ヲ求メラレマシテ、利子補給ナキモノハ、低利ノ爲ニ一時的便益ノ爲ニ之ヲ利用シ、將來ニ憂ヒヲ貽スコトヲ顧慮セラレマシテ、或限度迄ニ借入ヲ抑止セラレマシタルガ如キ、又縣民ノ負擔ノ過重ヲ考ヘラレマシテ自己資金ヲ僅ニ四萬參千圓ノ支出ニ止メラレマシタガ如キ、豫算編成方針ハ縣ノ財政ト縣民ノ財政ノ將來ニ不安不利ヲ貽サザル堅實性ヲ帶ビタモノト思慮致シマシテ、縣當局ノ苦心ノアル所ヲ多トスル者デアリマス、復舊豫算ハ帝國議會ニ追加提案ノコトニ決定シ關係各省ニ於テ著々準備ヲ進メラレタノデアリマスルガ、最後ニ三月十八日大藏省主計局ノ査定ニ這入リマスルヤ、他ノ關係各省ニ於テ諒解決定セル原案ニ對シマシテ三四割方ノ大斧■ヲ蒙ッタ事實ガアルノデアヲマス、私ハ當時上京運動員ノ一人ト致シマシテ、手ニ汗ヲ握ツテ其ノ状況ヲ目撃シタノデアリマスガ、三邊知事初メ關係縣係員ノ不眠不休ノ努力ハ全ク其ノ時ヲ想ヒ起スダニ感激ノ外ハナイノデアリマス、三月十八日ノ大藏省ノ査定ニ於テ縣税及町村税ノ歳入缺陷補填資金ハ岩手縣ト差別待遇ヲ受ケタノデアリマス、即チ岩手縣ハ凶作アリ、其ノ次ニ銀行ノ破綻ガアリ、今回ノ海嘯ト云フ所ノ災害ノ三重奏ヲ被ツテ居ルト云フノデ、大イニ政府カラ同情ヲセラレマシテ、右資金ニ對シ二十箇年ノ利子補給ヲ認メラレマシタケレドモ、宮城縣ハ是ト事情ヲ異ニスルト云フ理由ノ下ニ之ヲ認メラレナカツタノデアリマス、併ナガラ知事ハ本縣財政ノ窮迫セル事情ヲ具體的ニ説明セラレマシテ、岩手縣ト同樣ニ三月十九日漸ク是ハ承認ヲセラレ、縣税、町村税ノ歳入缺陷ヲ合セマシテ拾壹萬貳千圓ノ利子補給ノ復活ニ成功ヲシタノデアリマス、又十八日ノ大藏省ノ査定ニ於キマシテ、縣土木工事及ビ町村土木事業ヲ、原案ヨリ岩手縣ハ三割減、宮城縣ハ四割減ニ査定ヲ
サレタノデアリマス、然ルニ十九日ニ至リマシテ、兩縣共之ガ復活ニ成功シ一割減ニ喰止メタルガ如キハ、知事初メ縣當局ノ苦心ノ跡歴然タルモノアルコトヲ認ムルノデアリマス、住宅適地造成ノ計畫ハ拾九萬五千圓ヲ計上シ、二十箇年ノ利子補給ノ案デアリ、三邊知事ノ創意ニナルモノト聞イテ居ルノデアリマス、之ニ對シマシテモ利子補給ヲ削除セラレタノデアリマスガ、低地ヨリ高地ニ移轉スル所謂將來ノ災害ヲ豫防スルノ案デアルコトヲ力説セラレマシテ、利子補給ノ原案ノ復活ヲ貫徹セラレタノデアリマス、御承知ノ如ク岩手縣ハ復舊ノ外ニ復興ノ豫算ノ編成方針ヲ取リマシテ、尨大ナル參千六百萬圓ヲ政府ニ要求ヲ致シタノデアリマスルガ、内貳百萬圓ハ自己資金デアリマス、此ノ自已資金ヲ除キマシテ政府ノ國庫關係及ビ預金部低利資金ヲ加ヘマシテ、壹千壹百萬圓ニ復舊事業費ガ决定ヲ致シタノデアリマスルガ、宮城縣ハ參百五拾萬圓ヲ政府ニ要求致シマシテ、五萬參千圓ノ更正分共加ヘマシテ、貳百七拾七萬圓ノ復舊事業費ガ決定ヲ致シタノデアリマス、即チ岩手縣ハ要求ノ七割ダケ削減ヲセラレマシテ三割ダケ殘ツテ豫算ニ現レ宮城縣ハ要求ノ三割ダケ削減セラレマシテ七割ガ殘ツテ豫算ニ現レタト云フ、洵ニ奇ナル現象ヲ見出スコトガ出來ルノデアリマス、即チ三邊知事ハ疲弊困憊ノ被害地、悲嘆ニ暮ルル所ノ罹災民ニ直面シマシテ、徒ニ理想ニ走ラズ、非常事變ニ適應セル實際ニ即シタル最モ合理的ニ無理ノナイ豫算編成方針ヲ樹立セラレマシタ結果ハ、政府ノ諒解スル所トナリ洵ニ良好ナル成果ヲ收メ得タルコトヲ考ヘルノデアリマス、吾々ハ眞摯ニシテ信念ニ堅キ知事ノ人格ニ對シ又其ノ行政的手腕、其ノ事務的才能ニ對シ深甚ナル敬意ヲ表スル者デアリマス、提出セラレマシタ復舊豫算ハ、短期間ニ編成セラレタル事實ノミヲ解釋致シ、觀察ヲ致シマスルナラバ、表面的ニ頗ル簡單ニ編成サレタルカノ如キ感モスルノデハゴザイマスルケレドモ、此ノ豫算編成ノ前提ニ於テ政府トノ間ニ行ハレタル其ノ基礎的折衝ニ於テ、知事初メ縣當局ノ涙グマシキ、血ニニジンダル尊キ奮闘ノ跡鮮カナルコトヲ思フ時ニ、私ハソゾロ敬虔ノ念禁ズル能ハザルモノガアルノデアリマス、吾々ハ豫算ノ甜執行ニ畳田リマシテ、萬違算ナキヲ熱望スル餘リ、希望ヲ述べテ縣當局ノ參考ニ資スルコトモ強チ徒爾ナラザルヲ思フノデアリマス、第一ハ復舊ノ豫算ノ執行ニ當リマシテハ、恒久的且ツ復興ヲ加味シタル性質ノモノハ、其ノ範圍ニ於テ之ヲ實施セラレンコトヲ希望スルノデアリマス、第二ハ被害町村ニ各事業ヲ按配スルニ當リマシテハ、各種事業ヲ大局ヨリ見テ適當ニ之ヲ按配シ、消化不能ニ陷ラザルヤウ希望致スノデアリマス、第三ハ資金貸付ニ當リマシテハ豫メ償還計畫ヲ樹テシメ、償還期ニ至リマシテ困却スルガ如キコト無キヤウ、豫メ御注意ヲ願ヒタイノデアリマス、殷鑑遠カラズ是ハ丹後ノ震災ノ直後ニ於テ、又豆相震災ノ直後ニ於テ屡々此ノ事例ヲ見タノデアリマス、第四ハ復舊事業ニ依リマシテ得タル所ノ勞働賃銀ニ依リマシテ、繰上償還ヲセシムルヤウ、將來ノ計畫ヲ立テシメ、成ベク負債ヲ少クスルヤウ豫メ御注意ヲ願ヒタイノデアリマス、第五ハ罹災民ニ對シ今日ノ精神緊張ヲ永續セシムルヤウ精神ノ作興ヲ爲シ、一時ノ救濟ニ依リ又一時ノ收入増ニ依リマシテ、奢侈ノ弊風ヲ馴致致サザルヤウ御注意ヲ願ツテ置キタイト思フノデアリマス、第六ハ縣自身及ビ被害町村ヲ督勵致シマシテ、事業ノ着手ヲ最モ速カニセラレムコトヲ希望シテ已マザル者デアリマス、三邊知事ハ昨日ノ豫算説明ノ御演説ニ於テ左ノ要旨ヲ述ベラレテ居ルノデアリマス、即チ堅忍不拔ニシテ眞摯剛毅ナル本縣特有ノ縣民性ニ信頼セラレマシテ、其ノ美風ガ克ク一時ノ緊張ニ終ル事ナク完全ニシテ且ツ迅速ニ復舊ノ大業ヲ成就シ以テ上ハ優渥ナル聖旨ニ副ヒ奉リ下ハ熱誠ナル國民ノ援助ニ酬インコトヲ各位竝百十萬餘縣民卜共ニ信ジ、相誓ヒ得ルコトヲ衷心ヨリ喜ビトスルト云フコトヲ御述べニナツテ居ルノデアリマス、洵ニ私モ同感デアリマス、併シナガラ震嘯罹災民ノ大部分ハ到底自力ヲ以テ更正シ能ハザル他力本願ヲ待望スル悲慘ナル境遇ニ置カレテ居ルノデアリマス、如何ニ自力更生ヲ爲スノ意氣旺盛ナルモノアリト雖モ全ク不可能ノ状態デアリマス、吾々ハ熱意ヲ以テ此ノ震嘯災害復舊豫算ノ協賛ヲ致シマスル所以ノモノハ、其ノ豫算ノ執行ニ當リマシテ縣當局ハ適正妥當ナル運行ニ依リ、初メテ罹災民ガ蘇生シ初メテ罹災民ガ活氣ヲ負ヒ、初メテ罹災民ガ復活ノ緒ニ付クモノデアルト云フコトヲ考ヘルモノデアリマス、私ハ衷心ヨリ吾々同志ト共ニ此ノ豫算案ヲ協賛致シマスルト同時ニ、三邊知事及ビ縣當局ガ益々奮勵努力セラレマシテ、此ノ善後措置ニ對シ最善ノ努力ヲ盡サレムコトヲ切望シテ已マザル次第デアリマス(拍子)


〔二番今村治三郎君登壇〕
○二番(今村治三郎君)本員ハ今回提出セラレマシタル所ノ昭和八年度追加更正豫算第一號議案竝第七號議案ニ至ル迄、一括シテ之ニ協賛ヲ致ス者デアリマス、三月三日ノ海嘯ノ爲ニ慘害ヲ被ッタ程度ハ頗ル慘澹タルモノデアリマシテ、今本員カラ特ニ申述ベル必要ハナイト思フノデアリマスガ、是等ニ對スル當局ノ應急ノ施設ハ極メテ適當ナル施設デアリマシテ、着々其ノ宜シキヲ得マシテ、其ノ効果頗ル見ルベキモノガアルノデアリマス、此ノ點ハ私カラ更ニ駄辯ヲ混ヘテ申述ベル必要ハナイト思フノデアリマス、今迄松山君竝富田君ヨリ最モ詳細ニ又最モ廣汎ニ亘ツテ當局竝各方面ニ對シテ讀辭ヲ呈セラレタノデアリマシテ、私カラ又駄辯ヲ混ヘテ之ヲ繰返ス必要ハナイト思フノデアリマスカラ、是ハ略シマシテ、唯私ガ一言申述べテ置キタイコトハ、是等ノ豫算ノ内容ラ見マスルト云フト、表面ニ現レタル所ノ現象ヲ對照トシテ計畫セラレタル感ガアルノデアリマス、此ノ災害ノ裏面ニ於テ一ツノ非常ニ慘憺タル苦ミヲ持ツテ居ル所ノモノガ存在シテ居ルト云フコトニ對シテハ、當局ハ何等其ノ點ニ御考ガ達シテ居ラヌヤウニ思ハレルノデアリマス、即チ鹽釜町ノ如キハ三陸沿岸ノ物資ノ集散地デアリマスルノデ、其ノ商取引又ハ土地ノ状態等カラ非常ニ關係ヲ持ッテ居ルノデゴザイマスルガ、是等ノ關係者ハ先頃ノ災害ニ對シテ直接ニ災害ヲ受ケタ者ヨリモ尚ホ以上ニ財的ニ於テハ打撃ヲ被ツテ居ルトモ言ヘルノデアリマス、一船具店ノ如キハ今回ノ災害ニ於テ約七萬圓ノ損害ヲ被ツテ居ル、其ノ回收ノ見込アルモノハ僅カニ壹萬五千圓ニ過ギナイ、斯ウ云フコトヲ言フテ居ルノデアリマス、又運送船ノ如キモ壹萬貳千圓乃至壹萬五千圓ヲ要スル所ノ船ガ二艘共破壞沈沒シテ居ルト云フヤウナコトデアリマシテ、鹽釜町全體ヲ通ジテ其ノ損害ヲ通算シマス時ハ、恐ラクハ貳百萬圓以上ニ上ルノデハアルマイカト言フテ居ルノデアリマス、斯ノ如キモノハ直接ノ被害者デナイガ爲ニ、今回ノ此ノ豫算ヲ適用スル所ノ恩典ニ浴スルコトガ出來ナイト云フコトニナツテ居ルト思ハレルノデアリマス、是ハ甚ダ遺憾ナコトデ、直接波浪ノ爲ニ家ヲ攫ハレルモ、財的ノ被害ヲ受ケテ其ノ家ヲ攫ハレルモ其ノ攫ハレル結果ニ於テハ同一ダラウト思フノデアリマス、所謂一種ノ罹災民ニハ相違ナイト思フノデアリマス、斯ウ云フ者ニ對シテモ何等カノ救濟ノ方法ヲ立テ、其ノ前途ヲ安ンゼシメルト云フコトガ縣當局ノ取ルベキ方法デハナカラウカト思フノデアリマスガ、今回ノ豫算計畫ヲ見マスト、唯表画ニ現レタ所ノ罹災者ニ對シテノミノ救濟方法ノヤウニ見ユルノデアリマス、是ハ見ヤウガ惡イノデアリマスルガ、兎ニ角私ハサウ云フ風ニ見エルノデアリマス、是等ノ點ニ付テ當局ハ若シ此ノ計畫ノ中ニ當テ嵌メ得ラレルナラバ、之ヲ當テ嵌メテ戴ク、若シ是ガ當テ嵌メ得ラレナイモノトスレバ、更ニ今後何等カノ方法ヲ以テ、是等ノ者ヲ救助シテ貰ヒタイ、斯ウ云フ希望ヲ申述べテ置クノデアリマス、此ノ豫算案ニ對シテハ全然賛成ヲ表スル次第デアリマス(拍手)


○三十番(北村文衞君)討論ヲ終決致シマシテ、上程中ノ各號議案ハ一括シテ之ヲ可トシテ採擇シ、第二讀會ヲ開クベキモノト決セラレンコトヲ望ミマス、動議ヲ提出致シマス
〔「賛成」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)只今三十番カラ御聽及ビノ通リノ動議ガアリマシテ、賛成者モアリ成立致シテ居リマス、右動議ニ御異議ゴザイマセヌカ
〔「異議ナシ」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)御異議ナイト認メマシテ、右動議ノ通リ本各案ヲ第一讀會ニ於テハ之ヲ採擇シ、第二讀會ヲ開クベキモノト決定致シマス、此ノ機會ニ御報告致シタイコトガゴザイマス、昨日御決議ニ基キマシテ罹災者御救恤ノ御召ニ對シ奉リマシテ、ソレゾレ御體ヲ言上致シタノデアリマスルガ、右ノ中李■公家志賀事務官ヨリ本日次ノ如キ電報ガゴザイマシタ、本文ノミ朗讀致シマス
殿下演習御不在ニ付貴電ノ趣傳達ス
以上御報告致シマス


○三十番(北村文衞君)只今第一讀會ヲ終ヘマシタ各號議案ノ第二讀會ヲ本日ノ追加日程トシテ上程セラレンコトヲ希望致シマス
〔「賛成」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)只今三十番ヨリノ御動議ニ賛成ガアツテ成立致シテ居リマス、御異議ゴザイマセヌカ
〔「異議ナシ」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)御異議ナイト認メマシテ、右樣ニ決シマス、即チ臨第一號議案乃至臨第七號議案ノ第二讀會ヲ本日ノ日程ニ追加致シマス、是ヨリ右各案ノ第二讀會ヲ開キマス


○三十番(北村文衞君)上程セラレマシタ各號議案ノ第二讀會ニ異議アリマセヌ、仍テ之ヲ可決シ尚ホ第三讀會ヲ省略シテ確定議トセラレンコトヲ希望致シマス
〔「賛成」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)只今三十番カラ御聽及ビノ通リノ動議ガアリマシテ、賛成者モアリ成立致シテ居リマス、右動議ニ御異議ゴザイマセヌカ
〔「異議ナシ」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)御異議ナイト認メマシテ、右動議ノ通リ上程中ノ各號議案ハ第二讀會ニ於テハ原案ヲ可決シ第三讀會ヲ省略シテ確定議ト致シマス、暫時休憩ヲ致シマス
午後三時十四分休憩
午後三時五十六分再會


○議長(伊丹榮三郎君)再開致シマス、■ニ議員伊丹榮三郎外三十四名ヨリ提出ニ係ル震嘯災害ニ對スル根本的防難方策樹立方要望ノ意見書ヲ提出シタイト云フ建議ガアリマス、日程ヲ追加シテ右意見書ノ第一讀會ヲ開クコトニ御異議ゴザイマセヌカ
〔「異議ナシ」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)御異議ガナイト認メマシテ右樣ニ決シマス、意見書ノ第一讀會ヲ開キマス


○震嘯災害防難方策樹立要望ノ件 第一、二、三讀會


○議長(伊丹榮三郎君)意見書ヲ朗讀致サセマス
〔若生書記朗讀〕


建議


別紙意見書提出致度候條御採用相成度及建議候也


昭和八年四月六日
提出者議員


伊丹榮三郎 大槻茂 菊地養之輔
今村治三郎 山田甚助 佐藤彌代二
大槻儀十郎 朝倉松吉 粟野豐助
高城畊造 澤口一郎 小野儀左衞門
庄司作五郎 樺澤敬之助 南條秀夫
高橋幸市 今川正 中島徳治
加藤豹五郎 遣水祐四郎 松山平兵衞
草刈勝衞 小野惣助 菊地明夫
小野寺廣亮 小島眞助 吉田潤平
安藤源治郎 北村文衞 千石順平
熊谷泰事郎 飯塚千尋 富田廣重
佐々木靜 熊谷誠一
宮城縣會議長殿


意見書


一、這般突發セル震嘯災害ノ甚大ナルニ鑑ミ本縣沿岸全部ニ對シ根本的調査ヲ遂ゲ速ニ有効適切ナル防難方策ヲ樹立セラレンコトヲ要望ス


理由


三陸沿岸震嘯ノ慘害ハ古來一再ニ止マラズ殊ニ去ル明治二十九年及今回ノ災害ニ於テ最モ酸鼻ヲ極メタリ震嘯ノ被害ヲ豫防スル根本施設ハ罹災地百年ノ大計ニシテ内務、農林、文部ノ各省ニ於テ必要ナル調査ヲ遂ゲ以テ寳施セラルル計畫アルハ洵ニ罹災地生民ノ至上ノ幸福ナリト雖今回ノ罹災地ニ止マラズ本縣百五十餘里ノ海濱曲浦ノ全部ニ亘リ悉ク之ヲ調査シ苟モ海嘯襲來ノ虞アル地域ニ對シテハ速ニ適切ナル防難施設ヲ完成スルニアラズンバ沿岸ノ生民ヲシテ其ノ堵ニ安ンゼシムル能ハザルニヨリ本意見書ヲ呈出シ其ノ實現ヲ要望スル所以ナリ
右府縣制第四十四條ニ依リ意見書呈出候也
年月日
宮城縣會議長
内閣總理大臣


内務大臣
大藏大臣
農林大臣 宛
文部大臣
宮城縣知事


〔伊丹議長議長席ヲ退キ大槻副議長著席〕


○副議長(大槻茂君)十一番


〔十一番伊丹榮三郎君登壇〕
○十一番(伊丹榮三郎君)私ハ唯今提出ニナリマシタ意見書ノ提出理由ヲ簡單ニ申述ベタイト思フノデアリマス、此ノ理由ハ意見書ニ付ケテアリマス通リデアリマシテ、殊更ニ私ガ登壇致シマシテ申述ブル程ノモノデモナイノデアリマス、併ナガラ聊カ附加ヘテ申シテ見タイト思フ點モアルノデアリマス、ノミナラズ私ハ同僚各位ガ御存知ノ通リ、幸カ不幸カ海岸ニ生レ海岸ニ育チマシテ、多少海岸ノ状態、沿岸住民ノ利害幸福ヲ知リ、又苦患ヲ嘗メテ居ル關係上、理由ノ説明ヲ致シマスル演説者ト致シマシテ考ヘマシタ時分ニハ、他ニ同僚ノ中ニ立派ナ御方々ガアルノデアリマスケレドモ、今申上ゲルヤウナ事情ヲ以チマシテ私ガ此ノ提案ノ理由ヲ申述ブルコトニ甘ンジタノデゴザイマス、申迄モナク我國ハ海國デアリマス、而シテ我宮城縣ハ一市十六郡中亘理、名取、宮城、桃生、牡鹿、本吉ノ六郡ハ沿岸地ニナッテ居ルノデアリマス、理由書ニハ本縣百五十餘里ト書キマシタケレドモ、此ノ里程ハ亘理郡ヨリ本吉郡ニ到ル海岸ヲ直徑ニ計ツタノデアリマシテ、其ノ間ノ海濱曲浦ヲ能ク計リマシタ時分ニハ、百七十餘里ノ長キニ亘ル海濱曲浦ヲ有シテ居ル本縣デアリマス、而シテ沿岸住民ノ利害ヲ考ヘテ見マスル時ニ、沿岸住民ノ多クハ漁民デアリマス、其ノ漁民ハ御承知ノ如ク板子一枚下ハ地獄ノ渡世ヲ致シテ居ルノデアリマス、住宅ハ皆悉ク海岸ニ設ケテアルノデアリマス、業務ハ今申上ゲマシタヤウナ板子一枚下ハ地獄ノ渡世ヲヤツテ居ル、家ニ殘ッテ居ル老幼婦女子ハ非常ナル危險地帶ニ設ケラレテ居ル住宅ニ起伏ヲシテ居ルノデアリマス、住家ナルモノハ吾々人世ノ城廓デアルノデアリマス、一虔此ノ城廓ニ身ヲ置ク時ハ安全デナケレバナラナイ
ノデアリマス、然ルニ此ノ沿岸住民ノ住宅ハサウハイカヌノデアリマス、決シテ城廓ノ安全ヲ成シテ居ラヌノデアリマス、何故カナラバ此ノ度ノヤウナ海嘯ガナクッテモ、年々歳々四季ノ變遷二起リマスル時化ノ時ニハ狂瀾怒濤ニ脅威サレルノデアリマス、其ノ心配タルヤ沿岸ニ住居ヲ持ツテ其ノ住ヒヲ爲シタ人デナケレバ容易ニ想像ガ及バザルモノアルノデハナイカト思フ程デアリマス、而モ此ノ危險地帶ニ年一年ニ人口ガ繁殖シ戸數ガ増殖スルト云フ事ハ聊力不可思議ナル感ヲ持タレルノデアリマス、御承知ノ通リ山村又ハ農村ニ比べテハ、左樣ナ危險ノアル土地ニ住ミ、危險ナル業務ニ從事シテ居ルニ拘ラズソレニ比例致シマシタ利得ハナイノデアリマス、是ハ論ヨリ證據山村又ハ農村ニハソレゾレ財産家、豪農等ハアリマスケレドモ、海岸地帶ニ財産家ハ殆ドナイノデアリマス、利益ガナクシテ危險ナ地帶ニ住ムト云フコトハ、前ニ申上ゲマシタ通リ、如何ニモ不可思議ナル状態デアルノデアリマスルガ、奈何セン耕スニ田畑ナク、商人トナラント欲スルモ資本ニ乏シイ、否資本ハ無イ、斯ウ云フ人々ガ詰リ集ツテソレゾレ村落集團ヲ成シテ居ルノデアリマス、今ヤ我國ハ人口ガ増殖シテ何レニカ植民地ヲ求メネバナラヌト云フヤウナ必要ニ年一年ト迫リツツアルノデアリマス、而シテ何レノ方面、何レノ地ニ植民地ヲ求メヤウトシテモ中々無サソウデアルノデアリマス、同僚諸君モ御承知ノ通リ排日ト云フ氣分ガ國外ニ盛ニナツテ居ルノデアリマス、■ニ於テカ私ノ考ヘマスルノニハ、沿岸地帶ナルモノハ危險地帶デハアルケレドモ、一種ノ植民地デハアルマイカ、斯ウ云フコトヲ常ニ思ツテ居ルノデアリマス、此ノ植民地ハ前段申上ゲマシタ通リ頗ル割ノ惡イ植民地デアリマス、アリマスケレドモ此ノ海岸ト云フモノヲ保全スルニ非ザレバ、大ハ國土保全ノ爲ニモナラズ、又吾々縣民ノ分業ノ精神カラ考へマシテモ、是非此ノ海岸ト云フモノヲ安全ニシテ、ヨリ良キ植民地ニ致シマスルコトハ、國家ノ上カラ考ヘマシテモ、吾々縣民ノ共存共榮ノ上カラ考察致シマシテモ、必要ナコトト考フル者デアリマス、然ルニ此ノ沿岸ガ、理由書ニモ書キマシタ通リ海嘯ノ慘害ト云フモノハ、記録ニ殘ツテ居ル所ニ徴シマシテモ、中々ニ尠クナイノデアリマス、殊ニ去ヌル明治二十九年ノ海嘯、其ノ翌年ニ又起ツタノデアリマス、次ニ又大正二年ノ激浪怒濤モ性質ハ海嘯デアルカドウカハ存ジマセヌケレドモ、甚大ナル怒濤デアリマシテ、非常ナル慘害ヲ見マシタ苦イ經驗モアルノデアリマス、其ノ後モ冒頭ニ申述べマシタ通リ、年々歳々ノ激浪怒濤ハ左程ニ生命財産ヲ失フマデデナクモ、其ノ海岸ノ住民ニ對シテ脅威ヲ感ゼシメルコトハ尠クナイノデアリマス、况ヤ今回ノ桃生、牡鹿、本吉ノ震嘯ニ因ル慘害ノ如キハ、私ガ■ニ改メテ申上ゲル迄モナク恐シイモノデアルト云フヨリ外ナイノデアリマス、被害地ヲ視察シテ見マシテ全ク吾々ノ心膽ヲ寒カラシムルモノアルノデアリマス、ケレドモ此ノ波ノ跡ハ河川ノ水害ノ跡ヨリハ、慘况ノ所謂痕跡ハ殘ラナイノデアリマス、波ハ靜カナル時ハ全ク鏡ノ如キ有樣ヲ呈シマス、一旦怒レバ龍神ノ怒ヲ爲セルガ如キ狂瀾ノ光景ヲ呈スノデアリマスガ、素々海面ノ性質トシテ、一旦左樣ナ光景ヲ呈シマシテモ、波ガ引イテシマツタ後ハ、矢張リ海ノ本性ニ歸リマシテ殆ド沼ノ如キ有樣ヲ呈シテ居ル、又波ノ爲ニ奪ハレタ家屋ハ、陸ノ水害ト違ヒマシテ遠ク流沒サレテシマヒマスカラシテ、其ノ慘害ハ見エナクナルノデアリマス、ソレデアリマスカラシテ、海ニ經驗ノナイ人ニハ左程デハナイヤウニ見ラレル憾モアルノデアリマスガ、其ノ慘害ガ見エナクナル程被害ガ甚シイノデアリマス、私ハ自分ノコトヲ申シマシテ、チヨツトオカシク聽カレ申ス虞モアリマスケレドモ、知ラナイ事ヲ申スヨリモ知ツタコトヲ申スコトガ皆サンノ御參考ニナルト思ヒマスカラ申上ゲマスガ、私ノ先祖ハ伊丹デス、其ノ伊丹ガ伊丹ノ城廓ヲ失ヒ、東京ニ於テ祿ヲ失ツテサウシテ磐城ニ這入ツタノデアリマス、磐城ニ這入ツテ遂ニ蓄ヘノ金モ無クナリマシテ、遂々宮城郡七ヶ濱村ノ菖蒲田濱ニ流浪シテ參リマシテ菖蒲田濱ノ海岸ニ住家ヲ設ケタノデアリマス、此ノ住家ヲ設ケマスル時分ニハ私ノ先祖モ餘程波打際ニ遠イ所ニ設ケタノデアリマス、此ノ位ノ場所ナラバ波ニ襲ハレル虞無シトテ家ヲ設ケタノデアリマス、焉ゾ知ラン波打際ヨリ餘程遠イカラ此ノ邊ナラバ波ニ襲ハレル虞ナシト見立テ、住家ヲ設ケタ所ガ、遂ニ其ノ場所ガ波ニ侵サレルコトニナリマシテ、其ノ低イ場所ヨリ部落ニ於テ一番高イ丘ノ方ヲ切開イテ家ヲ建テ直シタノデアリマス、■ニ於テカ私ハ考フルノデアリマス、若シ夫レ私ノ先祖ニシテ地方ノ即チ海岸ノ事情ニ當時通ジテアツタナラバ、假令波打際ハ遠クトモ、濱丘ガ高クトモ、此ノ邊ナラバ住家ヲ設ケテモ差支ナイトシテ、其處ニハ建テナカツタト思フノデアリマスガ、ソレハ即チ其ノ地方ノ海岸ノ状况ト云フモノヲ知ラザルガ爲ニ、其處ニ家ヲ設ケテアツタノダト思フノデアリマス、左樣ナ譯デアリマシテ、海岸ト云フモノヲ能ク見、能ク聞カズンバ、海岸ノ事情ト云フモノハ如何ナル博識賢明ナル御方ト雖モ神ニ非ザル限リハ分リヤウハナイト思フノデアリマス、私ノ先祖ハ不賢明デ或ハ設ケタノカ知リマセヌケレドモ、私ノ想像致シマス所デハ、何人デモ、サウ云フ誤ニ陷ル虞ガアルノデハアルマイカト考ヘルノデアリマス、其ノ高イ所ニ宅地ヲ設ケマシタガ、其ノ宅地ノ半分ヲ又此ノ前ノ、私ガ縣廳在勤中ニ波ニ攫ハレテシマツタノデアリマス、土木課ニ於テハ海岸即チ防波堤ヲ調査ニ行キマシテ、私ノ前屋敷ノ取ラレタコトヲ少シモ分ランデ、殘ツタ屋敷ヲ切下ゲテ其處ニ混凝土ノ防波堤ヲ造ツテ呉レタノデアリマス、私ノ弟ハ驚イテ私ニ急報シテ參ツタノデアリマス、縣廳ノ御役人樣ト云フモノハ、ドウモサツパリ分ラナイモノダ、畢竟スルニ、常ニ海岸ト云フモノヲ見タリ聽イタリシナイカラデアル、ドウ云フ譯デアルカト言ツタ所ガ、前屋敷ノ波ニ崩サレタ所ハ屋敷デナイト思ツタカ、殘ツタ所ヲ又切下ゲテ其處ニ防波堤ヲ築キマシタ、サウシテ其ノ築イタル防波堤ハ唯斜ニ築イタカラ此ノ次ニ大波ガ來ルト云フト殘ツタ屋敷ノ方ニ又波ガ上ル事ニナリマス、飛ンデモナイコトヲサレタカラ來テ見ヨト云フ急報ナノデ、私モ取敢ヘズ行ツテ見タ所ガ果シテ其ノ通リデアリマス、ソレヨリ私ハ當時ノ土木課ニ行ツテ御話ヲ致シマシタ所ガ、ソレハ飛ンデモナイコトヲシタ、アノ殘ツテ居ツタ屋敷ダケデ前ハ前々カラ濱ダト思ツタノデアリマスト、百方私ニ詑ビマスカラ咎メ立致シテモ、知ラナイデヤツタ官吏モ困ルト思ヒマシタカラ、ソレナラバ殘ツタ宅地バカリモ後波ニ流レナイヤウニ、即チ流沒シナイヤウニ何トカ君等ノ工夫ハアルマイカ、波返シヲ付ケルヨリ外ナイカラ波返シヲ付ケテヤルカラソレデ勘辨ヲシテ貰ヒタイト云フノデ、稍々波返シヲ付ケテ貰ヒマシタケレドモ、前ニ申シマシタ大正二年ノ大波ニハ矢張リ慘々傷メラレ、塀ヲ超エテ屋敷ノ上ニ波ガ上ツタ斯ウ云フ苦イ私ハ經驗ヲ持ツテ居ル者デアリマス、是ハ決シテ自分ノ爲ニ辯ズル者デアリマセヌ、我身ヲ抓ツテ人ノ身ヲ抓レト云フコトガアリマスカラ、自分ノ苦シイ思ヒヲシタコトヲ以テ私ト同樣、否私ヨリ以上ノ損害ト苦ミト甚シキニ至ツテハ取ツテ返シノ付カナイ命迄オ亡シニナツタ皆サンニ、私ハソゾロニ同情ヲ致シツツアル者デアリマス、勿論私ノ家ハ此ノ屋敷ヲ失ツタバカリデナイ、船モ失ヒ、其ノ船デ先祖ノ生命ヲ失ヒ、又私ノ盛ンナ年代ニ義兄モ海ニ於テ溺死致シマシタ、私モ大波ノ爲ニ一度死ニ瀕シタ例マデ持ツテ居ル者デアリマス、斯樣ナ苦イ經驗ヲ持ツテ居ル拙者デアリマシテ、海岸ノ住民ノ苦ミニハ滿腔ノ同情ヲ以テ何トカ皆サンノ御賛成ヲ得テ、此ノ危險ナル沿岸ヲ安全地帶ニシテ、沿岸住民ノ不安ヲ除去シタイト云フコトハ、何ゾ今回ノ海嘯アツテ初メテ考ヘタコトデハナイノデアリマス、是ハ當局ニ對シテ御氣障リニナルカモ知レマセヌケレドモ、事重大ナコトデアリマスカラ卒直ニ申上ゲマスガ、此ノ海岸ノ防波堤ヲ改築シテ貰フ爲ニ屡々地方ヨリ陳情書ガ參ルノデアリマス、其ノ虔毎ニ私ハ御係ニ向ツテ哀訴歎願ヲ致スノデアリマス、ケレドモ何時デモ此ノ海岸堤防ニ對スル豫算ガ缺乏シテ居ルノデアリマス、成程私ハ缺乏シナケレバナラヌト思フノデアリマスガ、何故缺乏スル筈ダト云フコトヲ考ヘマスカト申シマスナラバ、私ガ前回ニ縣會議員ニナリマスト、本縣ノ豫算ヲ調査致シテ見マシタ、所ガ海岸堤防費ト云フモノガ見エナイ、堤防費ハアルケレドモ、ソレハ河川ノ堤防費ト認メル外ナイ豫算ニナツテ居ル、ドウシテ海岸堤防費ト云フモノガナイカト云フコトヲ、當時ノ當局ニ質問致シマシタ所ガ、イヤソレハ無クトモ港灣費ノ方カラ出スコトニスルト斯ウ言フ、港灣費ニハ港灣費トシテノ使口ガアル、海岸ノ堤防即チ防波堤ノ費用トシテハ當ラザルモノト私ハ考ヘルノデアリマス、今尚ホ私ハサウ信ジテ居ル、是ハ竟畢スルニ我宮城縣ニ於テハ、河川ノ治水ニ急ニシテ海岸ノ方ヲ知ラズ識ラズ、勿論惡意デハアリマスマイガ自然閑却サレタモノデハアルマイカト思フノデアリマス、豫算ノ形式カラ致シマシテ左樣ニナツテ居ルノデアリマスルカラ、此ノ海岸ノ堤防費ト云フモノガ缺乏スルト云フコトハ免レナイノデアリマス、從ヒマシテ防波堤ヲ築クニ當リマシテハ、波ノ高サニ聞カズシテ豫算ノ高サニ聞イテ工事ヲ爲スト云フ憾ガアルノデアリマス、
波ニ聞カズシテ豫算ニ聞イテ造ル防波堤デアリマスカラ、日和ノ良イ、防波堤ニ用ノナイ時分ニハ、此處ニモ防波堤アリト見マスケレドモ、本當ノ防波堤ノ効用ヲ爲ス即チ激浪怒濤ノ際ニハ何等用ヲ爲サナイ防波堤デアリマス、姑息ナル防波堤デアリマス、况ヤ這般ノ海嘯ノ如キ暴威ニ遭遇スルヤ忽ニ波ニ侵サレ、家屋ハ勿論、取返シノ付カザル生命マデ奪ハレルト云フコトハ免レザル状態デアルト私ハ痛切ニ考フル者デアリマス、尚ホ■ニ申上ゲテ見タイコトハ、日本海ハ陸地ガ海ニ取ラレ即チ沈沒シテ行ク、ソレニ反シテ太平洋沿岸ハ土地ガ隆起シテ居ル、斯ウ云フコトヲ學界ニ於テ説カレテ居ルヤウデアリマスルガ、大體論トシテハ左樣カモ知レマセヌ、ケレドモ私ノ知ツテ居ル限リニ於テハ我宮城縣ハソレト反對デアリマス、昔ヨリズツト此ノ砂丘ト云フモノガ減ツテ居リマス、昔ハ餘程砂丘ト云フモノガ高クテ、其ノ砂丘ニハ「ボウフ」ト云フモノモ生ジテ居ル、濱茄ナント云フモノモ生ジテ居ル、野蒜草、土筆サウシタヤウナ花卉草木ガ發生シテ居ル程、砂丘ガ高カツタノデアリマス、所ガ近來ハ其ノ濱丘ト云フモノハ激浪怒濤ニサラヒ取ラレテ、私共ノ少年時代ニ三丈モアツタ高サノ砂丘ガ今ハ一丈以下ニ減ツテ居リマス、從ツテ防波堤ノアツタ所ヨリ波打際ハ約百間モ遠イ所ニアツタノガ、段々陸地ニ迫ツテ參リマシテ十間ソコソコニナツテ居ルノデアリマス、ソレデアリマスカラ濱丘ガ低クナリ、波打際ハ近ク陸地ニ迫ツテ居リマスカラ、動モスレバ此ノ激浪怒濤ニ侵サレテ、年々歳々流沒スル家屋モアリ、ドウニカ更ニ適地ニ宅地ヲ設ケテ移轉スルコトノ出來ル者ハ、山ノ方ニ逃ゲルト云フヤウナ傾向ニナツテ居ルノデアリマス、所ガ逃ゲタナラバソレデ宜シイカト云フト、其ノ第一線ニ並ンデアツタ家ガ逃ゲレバ、其ノ背後ニアツタ家ガ又侵サレルト云フヤウナ状態ニ相成ツテ居ルノデアリマス、餘リ長クナル虞ガアリマスカラシテ、大概略スコトニ致シマスガ、■ニ序デニ付加ヘタイノハ三丈ノ砂丘ノ上ニ築ク堤防モ、五尺ノ堤防、一丈以下ニ減ツタ砂丘ニ築ク堤防モ復舊工事ナリトシテ五尺ノ堤防デアリマス、三丈ノ砂丘ニ築ク五尺ノ堤防ナラバ海拔三丈五尺ニナル譯デアリマス、ケレドモ一丈以下ニアリマス所ノ - 一丈ノ上ニ五尺ノ堤防ヲ築キマスレバ矢張リ一丈五尺シカナイト云フコトニナリマシテ、三丈五尺ヨリ一丈五尺ヲ引クト二丈低イコトニナリマスカラ、常識カラ考ヘテ見マシテモ當リ前ノ激浪怒濤デモ侵サレルト云フコトハ認識サレル筈デアリマス、ケレドモ奈何センソレハ激浪、怒濤ノ際ニ見タコトデナケレバ分ラナイノデアリマス、怒濤ノ止ンダ時、怒濤ノナイ時分ニ行ツテ見タノデハ役ニ立チマセヌ、ソレナラバ縣當局ハ如何ニスレバ可ナルカ、斯ウ云フ問題ニナルノデアリマスルガ、矢張リ此ノ學者ノ説モ大切デアリマスケレドモ、地方ノ人ニモ能ク聞イテ下サルト云フコトハ、今回ノ復舊工事ヲ致シマスルニ付テモ必要ナコトデアルマイカト私ハ存ズルノデアリマス、地方ノ人ニ聞キマスレバ必ズヤ分リマス、ドノ位ノ高サノ波ガ來ルカヲ聞カズシテ、波ノナイ時分ニ行ツテ見タコトデハ到底如何ナル博學多識ノ御方ト雖モ認識スルコトハ出來ナイノデアリマス、今回ハ此ノ海嘯ノ慘害ニ鑑ミラレマシテ、御當局ニ於テモ充分御注意ヲ以テ色々御盡力ニナリ畫策セラレ、工事モ以前ト違ヒマシタ、所謂脆弱ナモノデナクシテ堅牢ニ波ニ打勝ツダケノ防波堤ヲ造ツテ下サルコトト思フノデアリマスカラ、稍々私モ安心ハ致シテ居ルモノノ、思ヒ付イタ點ヲ御話シ申上ゲナケレバ、却テ此ノ復舊工事ヲ爲サレルニ付テモ御不便ガアルノデハアルマイカト云フコトヲ、老婆心ナガラ考フル儘御機嫌ニ障ルコトモ顧ミズ
以上申上ゲタ次第デアリマス、宜ナル哉此ノ今回ノ罹災地ニ向ヒマシテハ、知事サンノ御説明モ昨日承ハリマシタガ、將來再ビ海嘯等ノアリマスル場合、人命財産等ニ對スル被害ヲ豫防スル根本施設ハ罹災地百年ノ大計デアリマシテ、最モ必要ナルモノデアルト信ジテ之ニ要スル費用ノ計上ヲ熱望シタノデアル、之ニ對シマシテハ政府モ亦大イニ御考へ下サイマシテ、内務・農林・文部ノ關係省ニ於テ必要ナル調査ヲ實施セラレルコトニナツタト云フコトハ、吾々沿岸住民ノ洵ニ有難キ仕合セナリト、所謂天來ノ福音ナリト感謝ヲ致ス者デアリマス、(「時間延長」ト呼ブ者アリ)唯此ノ御説明ノミニテハ罹災地ニ限ラレルヤウナ憾ガアルノデアリマス、カルガ故ニ此ノ意見書ト云フモノハ詰リ生レタト申シテモ宜シイノデアリマス、今回ノ罹災地ニ止マラズ本縣百七十餘里ノ海濱曲浦ノ全部ニ亘ツテ悉ク之ヲ調査シ、苟モ海嘯襲來ノ虞アル地域ニ對シテハ速カニ適切ナル防難設備ヲシテ貰ヒタイ、斯ウ云フ意見ナノデアリマス、■ニ於テ何故罹災地以外ノ海濱曲浦ニ向ツテモ調査ヲ遂ゲラレテ防難設備ヲシテ貰ハネバナラヌカト云フコトヲ説明申上ゲタイノデアリマス、記録ニハ明カデアリマセヌケレドモ、此ノ罹災地以外ノ海濱曲浦モ古來屡々海嘯ニ遭ツタ例ガアルノデアリマス、況ヤ聞クガ如クンバ、海嘯ノ發生地點ハ二十九年ニ比シテ今回ハ約十里モ南下シテ居ルト云フコトヲ承知致シテ居ルノデアリマス、果シテ然ラバ金華山ノ眞沖、或ハ金華山ノ西ノ方ニ於テ此ノ度ノヤウナ海嘯ガ起ルコトガアツタナラバ、我宮城縣ノ被害ト云フモノハ今回ヨリ以上甚大ナルモノガアルト私ハ推察致スノデアリマス、決シテナイトハ限ラレナイノデアリマス、否私ハアルコトヲ不幸ナガラ想像致スノデアリマス、若シ私ノ此ノ恐怖ガ杞憂ニ終ルナレバ沿岸住民ノ幸福デアリマス、起ラザルニ拘ラズ此ノ防難設備ヲシタコトハ無駄デアツタト云フコトガアツタナラバ幸デアリマス、勿論起ラナイニ致シマシテモ、サウシタ防難設備ヲ致シマシテ此ノ危險地帶タル沿岸ヲ安杢地帶ニ致シマスト云フト、前ニ申上ゲマシタヤウニ一種ノ植民地トモ申スベキ此ノ海岸ニ、年一年ニ人口ガ移住シテ我宮城縣ノ水産ノ勃興ヲ見ルト云フコトニ相成リマスルカラシテ、其ノ意義ニ考ヘマシテモ此ノ罹災地以外ニ向ツテモ防難施設ヲ完成シテ貰ヒタイト云フコトヲ切望シテ止マヌ次第デアリマス、仍テ本意見書ハ此ノ點ヲ特ニ附加ヘタイト云ウ精神カラ致シマシテ、前ニ申上ゲマシタ通リ生レタト申シテモ宜シイ意見書デアリマスカラ御當局ニ於テモ左樣ニ御思召アランコトヲ御願ヒ致ス者デアリマス、尚ホ如何ニ政府ニ於テ調査費貳萬圓ヲ設ケテ、サウシテ調査ヲ致シマシテモ、縣當局ガ御熱心ニ、前ニ申上ゲマシタヤウニ各地ノ沿岸ノ状況ヲ能ク知ツテ居ル者ニ聞キモシ、實地ニ御見聞ヲ爲サツテ、サウシテ政府ニ献策シテ下サルヤウニ致シマセヌデハ、折角始メマシタル調査モ餘リニ用ヲ爲サナイヤウニナノルデハナイカト云フコトヲ心窃ニ憂ヘテ居ル者デアリマス


○副議長(大槻茂君)時間ヲ延長致シマス


○十一番(伊丹榮三郎君)(續)時間ヲ延長シテ戴イテ其ノ上ニ必ズヤ此ノ意見書ニ付テ賛否ノ御議論モアルコトト思ヒマスカラシテ、提案理由ハ之ヲ以テ打切ルコトニ致シマスガ、重ネテ申上ゲマスガ、ドウゾ罹災地ニ止メズシテ、罹災地以外モ御調査ヲ爲サレ、御調査ヲ爲サルニ付テハ繰言ニモ縣當局ニ於カレテハ充分ニ御注意ノ上ニ、成ベク速ニ此ノ防難設備ヲ實施セラレンコトヲ要望シテ提案理由ト致シマス(拍手)
〔伊丹議長議長席ニ着ク〕


〔三番山田甚助君登壇〕
〇三番(山田甚助君)私ハ只今ノ意見書ニ對シテ同僚ヲ代表致シマシテ賛成ヲ表スル者デアリマスルガ、其ノ賛成ヲ表スルニ付キマシテ少々意見ヲ申上ゲテ置カウト思フノデアリマス、私モ災害地ヲ視察シタ者ノ一人デゴザイマシテ、其ノ慘状ノ光景ハサツキ富田君カラ申上ゲタ通リ同樣感ジタ者デアリマス、而シテ私ハ全ク此ノ桃生・牡鹿・本吉ノ海岸ト云フモノヲ實地視察シタコトハ初メテデアリマシテ、又異樣ニ感ジタノデアリマスソレハ何故此ノ三郡ノミガ斯樣ナ災害ヲ受ケタノデアルカト云フコトヲ考ヘマスルト、第一ニハ海岸ハ悉ク皆山岳ナノデアリマス、山岳ハ矢張リ波ニ向ツテハ非常ナル抵抗力ヲ持ツモノデアルカラシテ、如何ニ大キイ波ガ來テ此ノ山ニ打チ當ツテ、サウシテ其ノ碎ケタ波ガ此ノ人家ヲ襲フタカト云フコトヲ想像サレルノデアリマス、故ニ私ハ斯樣ナル海岸ノ防難事業ト云フモノハ餘程考慮ヲセナケレバナルマイト、斯ウ思フノデアリマス、私ハ矢張リ堰堤モ必要トハ認メマスガ、總テ此ノ自然物ヲ防止スルニハ、自然ノ物デ防止スルコトガ一番大切デハアルマイカト斯ウ感ズルノデアリマス、ソレハ何デアルカト云フト、海岸ヲ形容致シマスト白砂青松ナドト申シマシテ、白イ砂原、青イ松原ト、斯ウ云フコトヲ申シマスガ、此ノ形容詞ハ至ツテ優シク出テ居リマスルガ、彼ノ怒濤ニ向ツテノ防難ト云フモノハ、又偉大ナル力ヲ持ツモノデアル、即チ波ヲ打碎クモノハ松林デアルト云フコトヲ感ズル、故ニ地形カラ言フト狹イノデアルケレドモ、アノ沿岸ハ矢張リ松林ヲ造ルベキモノデハナイカ、斯ウ感ズルノデアリマス、サウシテ松林ノ後方ニ向ツテ人家ヲ建テルベキモノデアルト云フコトヲ私ハ信ズル者デアリマス、斯樣ナ見地カラ見マシテ、實例ヲ擧ゲマスレバ、六郡ノ中宮城・名取・亘理ト云フノハ矢張リ昔カラ左程海嘯ニハ侵サレテ居ラヌノデアリマス、ソレハ海嘯ハナイ譯デハゴザイマセヌ、昨年ノ稻ヲ流シタ十月ノ海膨レハ矢張リ一ツノ海嘯デアリマシタ矢張リアノ沿岸ノスカヲ打超エ、サウシテ松林ヲ通リ拔ケテ、田面ニ行ツテ稻ヲ流シタノデアリマスカラシテ餘程宜イノデアリマスガ、唯此ノ宮城・名取・亘理ノ海岸ハ白砂青松デアリマス、矢張リ三百年來ノ鬱蒼タル松林ガ一ツノ防波堤ニナツテ居ルノデアリマス、故ニ如何ナル波ガ參リマシテモ、アノ松林デ一挫キ挫カレテシマフノデアリマス、サウシテ又北上阿武隈ヲ通ジタ所ノ即チ貞山運河ガアリマス、海嘯ナルモノハ塩水デアリマスガ、眞水ニ這入リマスト今マデ暴力ヲ逞シウシタモノハ直グ泡ノ消エル如ク消散シテシマフノデアリマス、即チ其ノ松林ヲ越エテ來ル所ノ海水ハ忽チ運河ノ水面ニ吸收サレテ、サウシテ南北ニ走ツテシマツテ、サウシテ常ニ其ノ水害ヲ自然ニ防イデ居ル、是ハ流石正宗公ノ貞山運河ナルモノハ三ツノ目的デ築カレタモノデアルト私ハ信ズルノデアリマス、第一ハ即チ船舶ノ航路、次ニハ名取・亘理・宮城ト云フ此ノ耕土ノ排水路デアル、又三ツ目ハ海水ヲ防グ所ノ貞山運河デアル、即チ海岸ニハ鬱蒼タル松林ヲ置キ、サウシテ此
ノ横斷スル所ノ掘ガアルト云フコトハ、最モ此ノ海嘯ヲ防グ上ニ於テ効果ノアルモノト信ズル者デアリマス、故ニ今後縣當局ニ於テモ貞山運河ハ最早航路ノ必要ハナイカラト云フテ、アノ埋ツタ儘ニシテ置クト云フコトハ所謂此ノ海嘯ヲ防グ上ニ於テモ甚ダ心細イコトデアリマスルカラ、ドウカ此ノ貞山運河ナルモノハ充分保護ヲ加ヘテ、一ハ海嘯除ケ、一ハ耕土ノ排水路、尚ホ船舶ノ航路ト云フコトヲ御認メニナツテ戴キタイ、斯ウ思フノデアリマス、聊カ感ジタ所ヲ申上ゲマシテ此ノ意見書ニ賛成ヲ表スル者デアリマス(拍手)


〔十六番高橋幸市君登壇〕
○十六番(高橋幸市君)本意見書ニ對スル賛成意見ヲ述べマス前ニ、本員ハ被害地ノ選出議員トシテ一應當局ニ對シテ、又ハ同僚ニ對シテ感謝ノ言葉ヲ申述ベタイノデアリマス、先程二十二番、三十四番ヨリ縣當局ニ對シマシテ充分ナル感謝ノ意ヲ表サレテ居ルノデアリマスルガ、私モ當局ニ對シマシテ一應感謝ノ意ヲ表シタイノデアリマス、ソレハ災害ガ發生致シマシテ三邊長官ヲ初メ縣當局ガ敏速ナル應急對策ヲ講ゼラレ、長官ハ尚ホ被害地ニ對シテ親シク現場ヲ御視察ニナラレタ、其ノ節ニ私ノ感激致シタコトガアルノデアリマシテ、此ノ機會ニ長官ニ對シテ感謝ノ言葉ヲ表シタイノデアリマス、長官ハ本吉郡ヲ親シク視察セラレマシテ、私共モ御案内ノ意味ニ於テ同行シタノデアリマスガ、其ノ時ノ御言葉ノ一節ニ「幸ヒ自分モ中央ヨリ歸ツテ在仙ヲ致シテ居ツタノデ萬事都合ガ宜カツタ」ト云フ御話ヲ爲サレタノデアリマス、私ハ此ノ短イ言葉ニ依ツテ長官ニ對シテ非常ナル感激ト敬意トヲ表シタノデアリマス、長官ノ此ノ御話ノ中ニ籠ラレテ居ル所ノ、縣民ノ休戚ニ對シテ長官ガ至誠ヲ盡サレテ居ル點ニ對シマシテ、恰モ一家ノ家長トシテ慈父タルノ態度デアラルルト云フコトヲ私ハ直感致シマシテ、長官ニ對シテ非常ナル感激ヲ致シタノデアリマシテ、此ノ壇上カラ長官ニ對シテ厚ク其ノ點ニ對シテハ御禮ヲ申上ゲタイト思フノデアリマス、又同僚ノ各位ニ對シマシテハ、災害勃發以來直接間接ニ非常ナル御努力ト御苦心トヲ爲サレマシテ、災害地ノコトニ付テ色々御心配ヲ賜ツタノデアリマス、取敢ヘズ在仙ノ議員ノ方々ガ具ニ現状ヲ視察セラレマシテ、其ノ善後對策ニ付テ考慮ヲ爲サレ、サウシテ縣當局ニ之ヲ進言シ、更ニ協議會ヲ開カレマシテ議會ニ運動ヲスベク、或ハ政府當局ヲ動カスベク、最善ノ努力ヲ拂ハレマシテ、此ノ度ノ此ノ對策ニ對スル豫算ガ提出ニナリマシタ、其ノ豫算ハ完全デアルトハ申サレナクトモ、至レリ盡セリノ此ノ豫算ヲ決議致スコトガ出來マシタコトハ、其ノ間ニ同僚各位ガ深甚ナル努力ヲ拂ハレタト云フ點ニ對シマシテハ、ドナタモ御認メノ點デアリマシテ、其ノ點ニ付テ此ノ機會ニ災害地ニ關係ヲ持ツ本員トシテ厚ク同僚ノ各位ニ深甚ノ感謝ヲ致ス次第デアリマス、尚ホ此ノ意見書ニ對シマシテハ、只今提案者トシテ伊丹議長ヨリ十二分ナル御説明ヲ下サレ、尚ホ三番議員ヨリ洵ニ適切ナル賛成ノ御意見ガアラレタノデアリマス、本員モ本案ニ對シマシテ、罹災地ニアツテ其ノ災害ノ現状ヲ具ニ知ツテ居リマスル關係上、此ノ度災害ヲ受ケザル地方ニ對シテモ何時斯ノ如キ災害ガ勃發シナイトモ限ラナイノデアリマス、斯カル故ニ縣百年ノ大計ト致シマシテ本案ヲ通過セシメ、政府當局ヲシテ是ガ施設ヲ爲サシメルコトガ、洵ニ適切ナルコトデアルト考慮致スノデアリマシテ本意見書ニ賛成ヲ致ス次第デアリマス(拍手)


○三十番(北村文衞君)上程中ノ意見畫ハ之ヲ可トシテ採擇致シマシテ、尚ホ第二讀會、第三讀會ヲ省略致シマシテ可決確定セラレンコトヲ希望致シマス、動議ヲ提出致シマス
〔「賛成」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)只今三十番ヨリ御聽及ビノ通リノ動議ガアリマシテ賛成者モアリ成立致シテ居リマス、右ノ動議ニ御異議ガゴイマセヌカ
〔「異議ナシ」ト呼ブ者アリ〕


○議長(伊丹榮三郎君)御異議ナイト認メマシテ右動議ノ通リ第一讀會ニ於キマシテハ之ヲ可トシテ採擇シ第二讀會、第三讀會ヲ省略シテ確定議ト致シマス


○二十二番(松山平兵衞君)只今ノ動議ト議長ノ宣告ガ少シ違フヤウデゴザイマスカラ御修正ヲ願ヒマス、只今三十番ノ動議ハ二讀會、三讀會ヲ省略スルト申シテ居リマスルシ、議長ハ二讀會ニ於テ原案ヲ可トシ、三讀會ヲ省略シテ確定議トスルト云フノデアリマス


○議長(伊丹榮三郎君)サウ云フコトハ申シテ居リマセヌ、速記録ヲ御調べニナルナラバ分リマスガ、第二讀會、第三讀會ヲ省略シテト申シテ居リマス


〇二十二番(松山平兵衞君)ソンナラ宜シイガ、アナタハ二讀會ハ原案ヲ可トシテ三讀會ヲ省略スルト言ヒマシタ


○議長(伊丹榮三郎君)ソレデハ訂正シテ置キマス、第一讀會ニ於テハ之ヲ可トシテ採擇シ第二讀會、第三讀會ヲ省略シテ確定議ト致シマス、- ソレハ速記録ヲ調べテ御覽ナサイ、間違ヒナイヨ、併シ惑ヒダカラサウ訂正シテ置キマス、君ガサウ云フカラサウシテ置キマス
〔「末梢事ダヨ」ト呼ブ者アリ〕


〇議長(伊丹榮三郎君)サウデス、末節ナ問題デス - 之ヲ以チマシテ議事ハ終了致シマシタカラ、次ニ知事ニ閉會ヲ求ムルコトニ致シマス、會議ヲ閉ヂマス(午後五時十二分閉會)


閉會式


三邊知事は參與員鈴木書記官以下を隨へて臨場登壇し、左の閉會の辭を述べ、此處に二日間に亘れる臨時縣會を閉じたり。
■ニ本縣會臨時會ヲ閉會スルニ方リマシテ、一言御挨拶ヲ申述ベタイト思ヒマス、此ノ虔附議致シマシタ諸案件ハ何レモ過般ノ震嘯災害ノ救護復舊等ノ善後措置ニ關スル案件デゴザイマシテ、其ノ内容ハ相當ニ複雜デアリマシテ、尚ホ其ノ金額モ巨額ニ上ツタニ拘リマセズ、各位ニ於カレマシテハ災害地ノ被害ノ激甚ナルニ深ク同情セラレマシテ熱心ニ御審議ニ相成リ、尚ホ又協調偕和ノ精神ヲ御發揮ニナリマシテ、議案全部ヲ極メテ短キ期間ニ於テ全部御議了下サイマシタコトハ當局ト致シマシテ深ク感謝致ス所デゴザイマス、罹災地地方民モ思ヒヲ同ジウスルコトト存ズルノデゴザイマス、尚ホ叉會期中代表議員ノ各位ヨリ私共ガ此ノ震災ノ救護、又善後措置ノ豫算編成等ニ當リマシテ取リマシタ行動ニ付キマシテ、多大ノ御讃辭ト感謝ノ言葉ヲ戴キシテ、寔ニ恐縮ニ存ズル次第デアリマス、併シ本縣ニ職ヲ奉ズル者ト致シマシテハ、深ク光榮ニ感ジマスル、私ハ此ノ讃辭ト感謝ノ言葉ヲバ將來私ノ努力ニ依リマシテ御酬ヒ致シタイト存ジテ居リマス、私ノ部僚モ恐ク感ヲ同ジウスルコトト考ヘテ居リマス、御議決ニナリマシタ諸案件ノ執行ニ付キマシテハ、細心ノ注意ヲ拂ヒマシテ遺漏ナク此ノ復舊其ノ他善後措置ノ完了ニ努メタイト思ヒマス、終ニ臨ミマシテ各位ノ連日ノ勞ニ對シマシテ深ク敬意ヲ表シマシテ、將來相變ラズ縣政ノ爲ニ御盡瘁下サランコトヲ切望シテ置キマス、之ヲ以チマシテ閉會致シマス
于時午後五時十五分


臨第一號議案


昭和八年度縣歳入歳出追加更正豫算
歳入
經常部


第一■ 地租附加税 金百四拾四萬八千六百四拾八圓
第一項 地租附加税 金百四拾四萬八千六百四拾八圓
但シ地租豫算金高百萬壹千百參拾九圓
本税壹圓ニ付壹圓四拾四錢七厘


第三■ 營業收益税附加税 金貳拾壹萬六千八百參圓
第一項 營業收益税附加税 金貳拾壹萬六千八百參圓
但シ營業收益税豫算金高貳拾七萬參千五拾貳圓
本税壹圓ニ付七拾九錢四厘


第四■ 所得税附加税 金參拾參萬六百八拾六圓
第一項 所得税附加税 金參拾參萬六百八拾六圓
但シ所得税豫算金高八拾萬六千五百五拾貳圓


本税壹圓ニ付四拾壹錢


第七■ 家屋税 金五拾參萬九千貳百拾五圓
第一項 家屋税 金五拾參萬九千貳百拾五圓
但シ家屋賃貸價格貳千貳百四拾六萬七千貳百九拾貳圓
家屋賃貸價格壹圓ニ付貳錢四厘


第八■ 營業税 金拾貳萬貳千九百參拾壹圓
第一項 營業税 金拾貳萬貳千九百參拾壹圓


第九■ 雜種税 金七拾六萬六千百六拾參圓
第一項 船税 金七千八百七拾參圓
第二項 車税 金參拾七萬參千七百七圓
第十一項 漁業税 金貳萬參百五拾四圓


第十三■ 雜收入 金百四拾七萬壹千貳百七拾五圓
第七項 過年虔收入 金百貳拾四萬參百貳拾參圓
經常部計金六百貳拾壹萬壹千五百參拾六圓


臨時部


第一■ 國庫補助金 金四百參拾七萬八千貳百九拾九圓
第十三項 震災竝海嘯應急費補助金 金○
第十四項 震嘯災害復舊費補助金 金四拾參萬四千參百貳拾七圓
第十五項 震嘯災害復舊助成費補助金 金五拾七萬七千五百參拾參圓


第二■ 國庫補給金 金拾七萬七千貳百五拾四圓
第一項 縣債費補給金 金拾貳萬九千五拾六圓
第二項 警察費補給金 金七千六百九拾七圓
第三項 震嘯災害救護費補給金 金貳萬壹千圓
第四項 警察廳舍修繕費補給金 金九千八百參拾四圓
第五項 醫療救護費補給金 金六千六百貳拾五圓
第六項 教育費補給金 金參千四拾貳圓


第四■ 縣債 金參百七拾參萬貳千四百圓
第一項 縣債 金參百七拾參萬貳千四百圓


第六■ 貸付返納金 金拾九萬八千參百四拾八圓
第一項 貸付返納金 金拾九萬八千參百四拾八圓


第十一■ 繰越金 金百貳拾八萬貳千貳拾四圓
第一項 前年度繰越金 金百貳拾八萬貳千貳拾四圓


臨時部計金壹千六拾四萬九千六百九拾七圓
歳入合計金壹千六百八拾六萬壹千貳百參拾參圓


歳出


經常部


第二■ 會議費 金參萬四千圓
第一項 縣會議費 金貳萬五百六拾八圓


第四■ 警察費 金七拾壹萬七千四百八拾九圓
第四項 震嘯災害警備費 金九千四百貳圓


第五■ 警察廳舍修繕費 金參萬壼千七百四拾七圓
第二項 震嘯災害電話補習費 金壹萬九千六百六拾八圓


經常部計金參百拾七萬六千百九拾六圓


臨時部


第四■ 教育費 金拾參萬貳百六拾壹圓
第八項 震嘯罹災兒童就學奨勵費 金參千四拾貳圓


第十五■ 縣債費 金參百四拾四萬七千五百四拾圓
第二項 利子 金九拾七萬四千五百貳拾參圓


第二十七■ 醫療救護費 金四萬八千五百九圓
第二項 震嘯罹災者醫療救護費 金六千六百貳拾五圓


第三十七■ 貸付金 金貳百五拾萬貳千七百貳拾五圓
第一項 貸付金 金貳百五拾萬貳千七百貳拾五圓


第三十八■ 震災竝海嘯應急諸費 金○
第一項 震災竝海嘯應急諸費 金○


第四十一■ 震嘯災害救護費 金四萬貳千圓
第一項 震嘯災害救護費 金四萬貳千圓


第四十二■ 震嘯災害復舊費 金五拾壹萬六千九百七拾參圓
第一項 土木復舊費 金五拾壹萬九百七拾參圓
第二項 土木應急補修費 金六千圓


第四十三■ 震嘯災害復舊助成費 金五拾八萬壹千四百七拾參圓
第一項 町村土木復舊助成費 金五萬七千九百七拾參圓
第二項 農事復舊助成費 金參萬七百七拾圓
第三項 蠶業復舊助成費 金壹萬七千四百圓
第四項 畜産業復舊助成費 金壹千九百八拾五圓
第五項 水産業復舊助成費 金四拾萬八千圓
第六項 耕地復舊助成費 金貳萬六千參百四拾五圓
第七項 商工業復舊助成費 金參萬九千圓


第四十四■ 利子補給金 金四千六百貳拾參圓
第一項利子補給金 金四千六百貳拾參圓


臨時部計金壹千參百六拾八萬五千參拾七圓
歳出合計金壹千六百八拾六萬壹千貳百參拾參圓


臨第二號議案


震嘯罹災住宅復舊資金起債及償還方法


第一條 震嘯罹災住宅復舊資金轉貸ノ爲昭和八年度ニ於テ金貳拾七萬六千五百圓ヲ起債ス
前項ノ公債ハ債券ヲ發行シテ大藏省預金部ノ引受ヲ受クルモノトス
第二條 債券ハ百圓、五百圓、壹千圓、五千圓、壹萬圓ノ五種トシ其ノ樣式ハ別ニ之ヲ定ム
第三條 本公債ノ利子ハ年三分二厘トシ毎年九月一日三月一日ニ於テ各其ノ日迄六箇月間ニ屬スルモノヲ支拂フ但シ募集又ハ償還ノ際ニ於ケル一期ニ滿タサル端數利子ハ日割ヲ以テ計算ス
第四條 本公債ハ昭和八年度ヨリ同十二年虔迄五箇年度間据置昭和十三年度ヨリ同二十七年度迄十五箇年度間ニ毎年度九月一日三月一日ニ於テ別紙償還年次表ニ依リ償還ス但シ縣經濟ノ都合ニ依リ繰上償還ヲ爲シ又ハ償還年限ヲ短縮スルコトアルヘシ
第五條 本公債ノ元金ハ證書引換ニ之ヲ支拂フ
第六條 本公債ノ元利金ハ貸付償還金及縣一般歳入ヲ以テ之ヲ償還ス


臨第三號議案


震嘯災害土木復舊費竝同資金及住宅適地造成資金起債及償還方法


第一條 震嘯災害土木復舊費竝同資金及住宅適地造成資金轉貸ノ爲昭和八年度ニ於テ金貳拾八萬七千六百圓ヲ起債ス
前項ノ公債ハ債券ヲ發行シテ大藏省預金部ノ引受ヲ受クルモノトス
第二條 債券ハ百圓、五百圓、壹千圓、五千圓、壹萬圓ノ五種トシ其ノ樣式ハ別ニ之ヲ定ム
第三條 本公債ノ利子ハ年三分二厘トシ毎年九月一日三月一日ニ於テ各其ノ日迄六箇月間ニ屬スルモノヲ支拂フ但シ募集又ハ償還ノ際ニ於ケル一期ニ滿タサル端數利子ハ日割ヲ以テ計算ス
第四條 本公債ハ昭和八年度ヨリ同十二年度迄五箇年度間据置昭和十三年度ヨリ同二十七年度迄十五箇年度間ニ毎年度九月一日三月一日ニ於テ別紙償還年次表ニ依リ償還ス但シ縣經濟ノ都合ニ依リ繰上償還ヲ爲シ又ハ償還年限ヲ短縮スルコトアルヘシ
第五條 本公債ノ元金ハ證書引換ニ之ヲ支拂フ
第六條 本公債ノ元利金ハ政府ノ利子補給金、貸付償還金及縣一般歳入ヲ以テ之ヲ償還ス


臨第四號議案


震嘯災害歳入缺陷補填竝同資金起債及償還方法


第一條 震嘯災害歳入缺陷補填竝同資金轉貸ノ爲昭和八年度ニ於テ金拾壹萬貳千四百圓ヲ起債ス
前項ノ公債ハ債券ヲ發行シテ大藏省預金部ノ引受ヲ受クルモノトス
第二條 債券ハ百圓、五百圓、壹千圓ノ三種トシ其ノ樣式ハ別ニ之ヲ定ム
第三條 本公債ノ利子ハ年三分二厘トシ毎年九月一日三月一日ニ於テ各其ノ日迄六箇月間ニ屬スルモノヲ支拂フ但シ募集又ハ償還ノ際ニ於ケル一期ニ滿タサル端數利子ハ日割ヲ以テ計算ス
第四條 本公債ハ昭和八年度ヨリ同十二年度迄五箇年度間据置昭和十三年度ヨリ同二十七年度迄十五箇年度間ニ毎年度九月一日三月一日ニ於テ別紙償還年次表ニ依リ償還ス但シ縣經濟ノ都合ニ依リ繰上償還ヲ爲シ又ハ償還年限ヲ短縮スルコトアルヘシ
第五條 本公債ノ元金ハ證書引換ニ之ヲ支拂フ
第六條 本公債ノ元利金ハ政府ノ利子補給金、貸付償還金及縣一般歳入ヲ以ヲ之ヲ償還ス


臨第五號議案


震嘯災害小學校舍復舊資金起債及償還方法


第一條 震嘯災害小學校舍復舊資金轉貸ノ爲昭和八年度ニ於テ金四千七百圓ヲ起債ス
前項ノ公債ハ債券ヲ發行シテ大藏省預金部ノ引受ヲ受クルモノトス
第二條 債券ハ百圓ノ一種トシ其ノ樣式ハ別ニ之ヲ定ム
第三條 本公債ノ利子ハ年三分二厘トシ毎年九月一日三月一日ニ於テ各其ノ日迄六箇月間ニ屬スルモノヲ支拂フ但シ募集又ハ償還ノ際ニ於ケル一期ニ滿タサル端數利子ハ日割ヲ以テ計算ス
第四條 本公債ハ昭和八年度ヨリ同十二年度迄五箇年度間据置昭和十三年度ヨリ同二十七年度迄十五箇年度間ニ毎年度九月一日三月一日ニ於テ別紙償還年次表ニ依リ償還ス但シ縣經濟ノ都合ニ依リ繰上償還ヲ爲シ又ハ償還年限ヲ短縮スルコトアルヘシ
第五條 本公債ノ元金ハ證書引換ニ之ヲ支拂フ
第六條 本公債ノ元利金ハ貸付償還金及縣一般歳入ヲ以テ之ヲ償還ス


臨第六號議案


震嘯災害産業復舊資金起債及償還方法


第一條 震嘯災害産業復舊等資金轉貸ノ爲昭和八年度ニ於テ金八拾六萬六百圓ヲ起債ス
前項ノ公債ハ債券ヲ發行シテ大藏省預金部ノ引受クルモノトス
第二條 債券ハ百圓、五百圓、壹千圓、五千圓、壹萬圓ノ五種トシ其ノ樣式ハ別ニ之ヲ定ム
第三條 本公債ノ利子ハ年三分二厘トシ毎年九月一日三月一日ニ於テ各其ノ日迄六箇月間ニ屬スルモノヲ支拂フ但シ募集又ハ償還ノ際ニ於ケル一期ニ滿タサル端數利子ハ日割ヲ以テ計算ス
第四條 本公債ハ金五拾壹萬四百圓ハ昭和八年度ヨリ同十年度迄三箇年度間据置昭和十一年度ヨリ同十七年度迄七筒年度間ニ金參拾五萬貳百圓ハ昭和八年度ヨリ同十二年度迄五箇年度間据置昭和十三年度ヨリ同二十七年度迄十五箇年度間ニ毎年度九月一日三月一日ニ於テ別紙償還年次表ニ依リ償還ス但シ縣經濟ノ都合ニ依リ繰上償還ヲ爲シ又ハ償還年限ヲ短縮スルコトアルヘシ
第五條 本公債ノ元金ハ證書引換ニ之ヲ支拂フ
第六條 本公債ノ元利金ハ貸付償還金及縣一般歳入ヲ以テ之ヲ償還ス


臨第七號議案


震嘯災害商工業復舊資金起債及償還方法


第一條 震嘯災害商工業復舊等資金轉貸ノ爲昭和八年度ニ於テ金拾貳萬八千圓ヲ起債ス
前項ノ公債ハ債券ヲ發行シテ大藏省預金部ノ引受ヲ受クルモノトス
第二條 債券ハ百圓、五百圓、壹千圓、五千圓、壹萬圓ノ五種トシ其ノ樣式ハ別ニ之ヲ定ム
第三條 本公債ノ利子ハ年三分二厘トシ毎年九月一日三月一日ニ於テ各其ノ日迄六箇月間ニ屬スルモノヲ支拂フ但シ募集又ハ償還ノ際ニ於ケル一期ニ滿タサル端數利子ハ日割ヲ以テ計算ス
第四條 本公債ハ昭和八年度ヨリ同十年度迄三箇年度間据置昭和十一年度ヨリ同十七年度迄七箇年度間ニ毎年度九月一日三月一日ニ於テ別紙償還年次表ニ依リ償還ス但シ縣經濟ノ都合ニ依リ繰上償還ヲ爲シ又ハ償還年限ヲ短縮スルコトアルヘシ
第五條 本公債ノ元金ハ證書引換ニ之ヲ支拂フ
第六條 本公債ノ元利金ハ貸付償還金及縣一般歳入ヲ以テ之ヲ償還ス

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償還年次表 臨第二號議案
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償還年次表 臨第三號議案
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償還年次表 臨第四號議案
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償還年次表 臨第六號議案
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償還年次表 臨第七號議案
第二節 罹災地町村長會議

災害關係會議開催状况


震嘯災害善後措置に關し、四月十一、十二の兩日、縣會議室に關係町村長會議を開催し、知事より訓示ありたる後、左記の如き指示協議を遂げ、萬遺漏なきを期したり。


指示事項
一、更生精神ノ作興ニ關スル件 一、縣税免除ニ關スル件
一、町村税免除ニ關スル件 一、復舊町村補助工事ニ關スル件
一、宅地造成ニ關スル件 一、復興建築ニ關スル件
一、農作物種苗購入費補助ニ關スル件 一、農具購入費補助ニ關スル件
一、納舍及肥料舍等建築費補助ニ關スル件 一、肥料資金ノ供給ニ關スル件
一、稚蠶共同飼育所設置ニ關スル件 一、被害桑園復舊ニ關スル件
一、蠶室復舊低利資金ニ關スル件 一、蠶具復舊ニ關スル件
一、家畜購入補助ノ件 一、家畜飼料費補助ノ件
一、震災地ニ於ケル小作地ノ小作料ニ關スル件 一、産業組合設立促進ニ關スル件
一、商工業復舊施設ニ關スル件 一、災害耕地ノ復舊ニ關スル件
一、無動力船復舊ニ關スル件 一、動力船復舊ニ關スル件
一、漁船復舊資金ニ關スル件 一、漁具復舊ニ關スル件
一、水産共同施設復舊ニ關スル件 一、共同製造場復舊資金ニ關スル件
一、共同養殖設備復舊資金ニ關スル件 一、個人製造場復舊ニ關スル件
一、船溜、船揚場築磯復舊ニ關スル件 一、兒童就學奬勵費交付ニ關スル件
一、罹災住宅ノ復舊ニ關スル件 一、罹災救助ニ關スル件
一、罹災救助終了後ニ於ケル救助ニ關スル件 一、海嘯被害地ニ於ケル家屋建設ニ關スル件
一、罹災地ノ救療ニ關スル件 一、井戸便所築造ニ關スル件


更生精神ノ作興ニ關スル件


復舊ノ根本ハ更生精神ノ作興ニ存スルコト言ヲ俟タス宜シク復興計畫ヲ確立シ感謝報恩、相互扶助、協力諧和、勤儉貯蓄勤勞奉仕ノ美風ヲ馴致シ以テ更生精神ノ作興ヲ策セラレンコトヲ望ム


縣税免除ニ關スル件


三月三日ノ震災及之ニ伴フ火災又ハ海嘯ニ因ル被害者ノ震災地ニ於テ納付スヘキ國税ニ付テハ昭和八年三月法律第十三號及同日大藏省令第六號ヲ以テ夫々免除又ハ猶豫セラルルコトトナレリ
縣税ニ就テハ震災ニ因ル直接被害者ノ納付スヘキ昭和七年度分ノ未徴收額一三、七〇〇圓昭和八年度分ノ減免額三九、三〇〇圓ヲ豫算シ之カ補填財源ヲ起債ニ求ムルコトトシ過般ノ臨時縣會ニ於テ議決ヲ經タリ減免猶豫ニ關スル詳細ナル事項ハ追テ詮議ノ上通牒スヘキモ府縣制第百十三條ニ該當スルモノニ就テハ本人ノ申請ニ依リ縣參事會ノ議決ヲ經テ許サルヘキモノナルヲ以テ速ニ本人ヨリ申請セシムル凖備ヲセラレ度尚町村ニ於テハ被害ノ状況、程度、被害物件等詳細ニ調査シ特ニ復舊若シクハ復興セル物件ト然ラサル物件トノ區別ヲ明瞭ニセラレ度


町村税免除ニ關スル件


震嘯災害町村税ノ減免未納及課税標凖減少ニ伴フ附加税ノ減收等ハ惹テ町村財政運用ニ蹉跌ヲ來スヘキヲ慮リ其ノ補填トシテ五萬九千圓(利子補給)ヲ豫算シ希望町村ニ轉貸スルコトトシ過般ノ臨時縣會ノ議決ヲ經タルヲ以テ町村制第百八條ニ該當スルモノニ付テハ左記各項ニ付詳細調査ノ上報告セラレ度





(一)、町村税被害者未納税金額(別表)
(一)、昭和八年度豫算缺損見込町村税額ノ税目別調(昭和八年三月二十七日法律第十三號參照)
(一)、町村税未納金總額
(一)、戸數割一戸平均額


復舊町村補助工事ニ關スル件


一、震嘯災ニ依ル復舊工事ノ目的ヲ以テ町村ニ於テ該事業ヲ執行スル場合ハ其ノ事業費ノ百分ノ八十五ヲ補助スル見込ニ付罹災者救濟ト復舊工事ノ目的ヲ充分ニ達成セラレ度
二、震嘯災ニ依ル復舊工事ニ對スル町村負擔財源ハ二十箇年間利子補給ノ資金ヲ融通セラル、尚償還方法ハ五箇年間据置十五箇年ノ年賦償還ニ依ルモノトス
三、震嘯災ニ依ル復舊工事ニ對シテハ決定次第配當工事費ノ内定ヲ爲スニ付右内定ヲ受ケタル場合ハ速ニ町村會ヲ召集シ豫算議決ノ上直ニ補助申請書提出セラレ度
四、補助申請手續等ニ就テハ一般土木費補助規程ニ凖據セラレ度
五、震嘯災復舊工事ニシテ内務省ノ査定洩レトナリタル工事ニ對シテハ時局匡救事業費ヲ以テ之ヲ爲ス方針ナリ、右ニ關シ三月二十日附第一、九七四號ヲ以テ照會シ置キタルモ未タ回答ナキ町村アルヲ以テ速ニ回答セラレ度
六、震嘯災土木工事設計作成ノ方針トシテ設計ハ已ムヲ得ザルモノノ外原形復舊ヲ主眼トシ特ニ被害甚大ナルカ、維持至難ナリト認メラルル箇所ニ對シテハ再度ノ被害ヲ防止スル爲從來ノ工法ノ變更若シクハ改良ヲ加フルコトトセリ施行箇所ハ追テ通牒ス


宅地造成ニ關スル件


一、流失倒壞シタル家屋ノ復興ニ當リテハ舊位置ニ建築セス(防護施設或ハ地盛等ニ頼ラス)他ノ適當ノ高所ニ建築スルコト尚床上浸水家屋ニ於テモ可成ク右ニ凖スルコト
一、前項宅地ノ高サハ今回及ヒ明治二十九年ノ海嘯以上トスルコト
一、以上ノ目的達成ノ爲メ政府ヨリ拾九萬五千圓ノ金額利子補給付五箇年据置十五箇年償還ノ資金ヲ融通セラル右融通額ハ一戸當リ百六拾圓ナルモ場所ニヨリ平均額ヲ要セサル場所アルニ付彼此流用セハ必要ニ應シ相當多額ノ要求ニ應シ得ヘク別途ノ資金ヲ要セスシテ經理シ得ル見込ナリ
尚宅地ノ選定ハ最モ重要ナル事項ニツキ此ノ目的ヲ達成スル爲メ義捐金ノ配分ニ關シテモ多少考慮ノ見込ナリ
一、在來道路ヨリ新タニ選定セル住宅地ニ達スル道路ニ封シテハ此レヲ町村道ニ認定セラルルモノニ就キテハ匡救事業同樣四分ノ三ノ補助ト低利資金ノ融通ヲナシ個人竝ニ町村ノ負擔ノ輕減ヲ計ル見込ナリ
但シ造成宅地カ縣ノ指示ニ副ハサルモノニ對シテハ此ノ恩典ナシ
一、部落ヨリ高地ノ避難場所(學校、神社、寺院其ノ他ノ廣場)ニ通スル避難道路ノ新設ニツキテモ前項同樣
一、川口ニハ可成宅地ヲ設ケサルコト
一、崖ニ住宅ヲ設クル場合崩壞ヲ注意スルコト
一、宅地ハ六尺以上ノ道路ニ接セシムルコト
一、成ル可ク袋路ヲ造ラサルコト
一、一團地ノ宅地ヲ計畫スルニ當リ地區外ニ於ケル既設道路トノ連絡ヲ圖ルコト
一、今回及明治二十九年ノ海嘯ニヨリ危險卜認メラルル地區ニアル官公署及小學校移轉ニ付テモ其ノ敷地ニ付考慮スルコト


復興建築ニ關スル件


一、住宅
(一)、建物ハ質素ニシタ竪牢ナルコト
(二)、大サハ成ルタケ最少限ニ止メ將來増築シ得ル構造トスルコト
(三)、床ノ高サハ成ルタケ地上二尺以上トスルコト
(四)、土臺ト土臺石ハ「ボールト」ニテ取付クルコト
(五)、柱ハ上下柄付込栓打チトスルコト
(六)、柱間ニハ筋違ヲ堅牢ニ入レルコト
(七)、外部ハ成ルタケ板張トスルコト
(八)、屋根材ハ不燃質ニシテ成ル丈ケ輕量ナルモノヲ使用スルコト
(九)、火氣ヲ使用スル場所ハ不燃質材ヲ以テ施工スルコト
(一〇)、危險地域ニ假住宅ヲ建築シ本住宅トナス樣ニ見受ケラルルモノアリ是等ハ一般ヲ危險地域ニ誘導スル虞アルニ付必ス高地ニ移轉スヘシ
(一一)、便所ハ内務省考案(別樣式)改良便所トスルコト


二、特種建築
各種製造所、蠶室其他特種ノ建築ハ專門技術者ノ意見ヲ徴シ違算ナキ樣建築スルコト


三、材料
材料ハ成丈地方産ノモノヲ使用スルコト


四、注意
(一)、建築計畫ノ際住宅ト附屬建物トノ關係ヲ考慮スルコト
(二)、保安、衛生、交通上其ノ他ノ關係ヲ考慮スルコト


農作物種苗購入費補助ニ關スル件


一、震嘯罹災農家ニ對シ
1、自家食糧補給用農作物種苗トシテ馬鈴薯種薯ヲ給與スル目的ノ下ニ一戸當四圓ヲ豫算ニ計上セリ
2、次季作付用種苗トシテ水稻大豆等ノ種子ヲ給與スル目的ノ下ニ一戸當四圓九拾七錢ヲ豫算ニ計上セリ


一、給與スヘキ種苗ノ購入方法及其ノ給與方法
罹災農家數ニ應シ各町村毎ニ配當額ヲ定メ配當額ノ範團内ニ於テ町村長ヲシテ給與スヘキ種苗ヲ購入セシメ無償ヲ以テ配付セシム
右ノ内速急ヲ要スル馬鈴薯種薯種籾ニ付テハ其ノ一部ニ對シ縣ニ於テ既ニ現品給與ヲ終リタルモノアルヲ以テ今後本事業實施ニ當リ右經費ヲ差引計算スルモノトス


農具購入費補助ニ關スル件


震嘯罹災著シキ農家ニ對シ一戸當所要農具經費八○圓ノ見込ナルヲ以テ其ノ半額四〇圓(半額ハ低資融通ノ見込)ヲ補助シ之レガ購入ヲ助成セントス


農具購入助成方法


當該町村ヲシテ罹災農家ノ購入價額ノ二分ノ一以内ヲ補助セシメ之ニ對シ縣ヨリ全額ノ補助金ヲ交付セントス從テ本補助ニ要スル經費ハ町村費中ニ計上スルヲ要ス
右ノ内速急ヲ要スル農其ニ付テハ其ノ一部ニ對シ既ニ現品ニテ配給斡旋ヲナシタルモノアルヲ以テ今後本事業實施ニ當リ右經費ヲ差引計算スルモノトス


納舍及肥料舍等建築費補助ニ關スル件


震嘯罹災著シキ農家ニ對シ一戸當所要建物(八坪)建築經費八○圓ノ見込ナルヲ以テ其ノ半額四〇圓(半額ハ低資融通ノ見込)ヲ補助シ建設ヲ助成セントス


納舍及肥料舍等建設助成方法


當該町村ヲシテ納舍及肥料舍等ノ建設費ノ二分ノ一以内ヲ補助セシメ之ニ對シ縣ヨリ全額ノ補助金ヲ交付セントス從ツテ本補助ニ要スル經費ハ町村費中ニ計上スルヲ要ス
注意 種苗農具ノ講入及納舍肥料舍等ノ建設ニ對シテハ縣ハ夫々斡旋指導ヲナスモノトス


肥料資金ノ供給ニ關スル件


震嘯罹災農家ニ對シ耕作地反當五圓餘ノ肥料代ヲ貸付セントス


稚蠶共同飼育所設置ニ關スル件


被害地ニ於テ稚蠶飼育ノ完璧ヲ期スル爲稚蠶共同蠶室ノ設置ニ對シ設置費ノ半額(半額ハ低資融通ノ見込)ヲ補助スル見込ナルヲ以テ關係養蠶實行組合ヲ鞭韃シ其ノ目的達成ニ努メラレンコトヲ望ム
参考 助成棟數八棟 一棟(四〇坪)建設費二、六〇〇圓見當


被害桑園復舊ニ關スル件


被害桑園ノ復舊又ハ換地改植ヲ爲サムトスル養蠶實行組合員ニ對シ特別助成ヲ爲ス見込ナルヲ以テ之レカ周知ヲ圖ルト共ニ實施ニ當リテハ充分指導監督セラレンコトヲ望ム
参考 復奮反別八四町歩反當植付經費補助貳拾五圓


蠶室復舊低利資金ニ關スル件


罹災養蠶家ノ蠶室復舊費ニ對シ建設費トシテ流失セルモノニ對シテハ一戸當五三〇圓全壞セルモノニ對シテハ一戸當約四
七〇圓見當ノ低利資金ヲ融通スル見込ナルヲ以テ之カ利用ニ關シ遺憾ナキ樣措置セラレンコトヲ望ム
参考 一戸平均規模二十坪建築費八○○圓 - 七〇〇圓見當


蠶具復舊ニ關スル件


罹災養蠶家ノ蠶且ハ復舊費ニ關シテハ可成養蠶實行組合ヲシテ共同購入ヲ爲サシメ經費ノ半額(半額ハ低資融通)ヲ助成スル
方針ナルヲ以テ一般ニ周知ノ上蠶具ノ整備上遺憾ナキ樣指導督勵セラレンコトヲ望ム
参考 一戸平均設備費 約八拾圓見當


家畜購入補助ノ件


災害ニ依リ斃死シタル馬匹補充ノ爲馬ノ購入費ニ對シ約二分ノ一(二分ノ一ハ低資融通ノ見込)ノ補助金ヲ交付スル見込ナルヲ以テ當業者ニ周知ノ上罹災者ノ就業上遺憾ナキ樣措置セラレタシ
猶希望町村ニ於テハ四月二十日迄別紙樣式ノ調査表ヲ提出セラレタシ
参考 補助金交付頭數二〇頭一頭購入價格百圓見當


家畜飼料費補助ノ件


家畜飼料ヲ流失シ又ハ罹災者ニシテ飼料購入資金缺乏ノタメ家畜飼養ニ著シク困窮シ居ル者ニ對シ飼料ヲ補給シ家畜ノ飼養ヲ容易ナラシムル爲飼料費ヲ補給セントス
猶希望町村ニ於テハ四月二十日迄ニ別紙樣式ノ調査表ヲ提出セラレタシ
参考 補助金交付高馬一九七頭分一頭當五圓補助


震災地ニ於ケル小作地ノ小作料ニ關スル件


震災地ニ於ケル小作地ノ小作料ニ關シテハ被害ノ程度ニ應シ地主ニ於テモ夫々之カ減免方ニ就キ考慮中ノコトナランモ被害地ニシテ其ノ生産力カ恢復スルニ至ル迄ニハ相當期間ヲ要ス可ク更ニ其ノ間年々減收ノ免カレ得サルモノアルヲ以テ小作料ノ減免方ニ就テハ唯ニ本年度ニ於テノミナラス將來ニ亘リテモ地主ヲシテ充分考慮セシムル樣善處セラレンコトヲ望ム


産業組合設立促進ニ關スル件


災害地ノ復舊復興ヲ圖ルノ方途因ヨリ一ニシテ足ラスト雖就中産業組合ヲ設立シ國家ノ助成ト相俟チテ其ノ全機能ヲ發揮シ之カ活動ニ依リ其ノ町村民ノ金融ノ圓滑ヲ圖リ消費ノ合理化ヲ爲シ進ンテ生産販賣ノ統制ヲ確立スルハ刻下緊急ノ要事ニ屬ス因ツヲ産業組合未設町村長各位ニ於カレテハ一日モ早ク之カ設立促進ニ御努力アランコトヲ望ム


商工業復舊施設ニ關スル件


商工業復舊施設トシテ今次ノ臨時縣會ノ議決ヲ經タルハ左ノ如シ
工場店舖設備費貸付金九萬圓(内參萬六千圓國庫補助)
工場店舖運轉資金貸付金六萬圓
運送船建造資金貸付金壹萬七千圓(内參千圓國庫補助)
右ハ町村轉貸ニ依リ融通ノ豫定ナルヲ以テ之カ實施ニ當リテハ左記事項ニ留意セラレ適當指導監督セラレタシ





一、工場店舖ノ設備ニ付テハ徒ニ資金ヲ固定セシムルカ如キ計畫ヲ避ケシメ且工場ノ如キハ出來得ル限リ同業者共同シテ之ヲ設備シ經費ノ合理化ヲ圖ル樣勸奬セラレタシ
一、本件工場設備中ニハ水産製造場ヲ包含セサルモノトス
一、復舊ニ要スル諸材料ハ可成共同購入ニ依ラシムル樣勸奬セラレタシ
運送船建造資金ハ專ラ貨客ノ運送船ノミニ補助又ハ貸付ヲ爲スモノトス且之カ取扱ノ町村ハ船舶所有者ノ住所地トスルコト
一、補助金及貸付金ハ事業ノ進捗ニ從ヒ内渡ヲ爲ス見込ナルモ目的外ニ使用スルカ如キコト無之樣注意セラレタシ


災害耕地ノ復舊ニ關スル件


震嘯災害耕地ノ復舊工事ニ對シテハ工事費決算額ノ十分ノ五ニ相當スル補助金ヲ交付スルヲ以テ工事ハ直營ヲ本體トシ被害大ナル箇所ハ可成復舊耕地ヲ一團トスル共同施行又ハ耕地整理組合ノ成立ヲ促進セシメ速カニ之カ耕地ノ復舊ニ努力セラレ度尚復舊計畫ノ調査、事務指導、工事ノ監督等ハ縣ニ於テ助成スルヲ以テ四月一日付耕第一九六五號通牒ニ依ル災害耕地復舊踏査申請ヲ町村長ハ罹災土地所有者ニ代リ速カニ提出セラレ度


無動力船復舊ニ關スル件


無動力船ノ復舊ハ最モ急ヲ要スルニ不拘單ナル便宜上ヨリ地元ニテ建造セムトシ之カ爲ニ長日月ヲ要スルカ如キ罹災者ニ取リテハ莫大ナル損失ナルヲ以テ地元ニ於テ建造シ得ルモノ以外ハ縣ニ建造ヲ依頼サルル樣致度建造費ニ對シ半額ノ補助アリ他ノ半額ニ對シテハ低利資金ノ供給アリ其ノ利率ハ三分二厘ニシテ償還期限ハ三箇年据置七箇年賦トス


動力船復舊ニ關スル件


小型發動機ハ需要増加ニツケ込ミ不良機ノ浸入スル惧アルヲ以テ之カ購入ハ縣ニ依頼セラルル樣致度動力船モ亦急速建造ヲ要スルヲ以テ之カ建造モ亦直ニ縣ニ依頼サルル方迅速建造シ得ヘシ補助竝低利資金ノ融通ハ無動力船ニ同シ


漁船復舊資金ニ關スル件


本資金ハ漁船修繕費及動力船漁業ノ着業資金ヲ含ミ町村又ハ漁業組合ニ貸付ケ町村ハ之ヲ罹災者ニ轉貸スル樣致度低利資金融通條件ハ無動力船ニ同シ


漁具復舊ニ關スル件


小漁具、曳網、旋網、刺網、定置漁具ノ復舊ニシテ之カ補助率ハ定置漁具ハ二割五分其ノ他ハ五割トス
尚低利資金融通條件ハ無動力船ニ同シ


水産共同施設復舊ニ關スル件


共同販賣所、共同倉庫、共同製造場、共同養殖設備ノ四種類ヲ含ム災害ヲ受ケタルモノハ共同施設ニ非ストモ此ノ際共同施設ニ改ムルコトヲ得
事業主體ハ成ル可ク漁業組合タルヘシ漁村計畫上之等ノ設備ヲ海面ニ近キ場所ニ置キ海面ニ遠キ場所ニハ住宅ヲ置ク樣計畫セラレタシ然ルトキハ住宅ハ改善セラレ作業ハ便宜トナリシカモ津浪ノ害ヲ避クルコトヲ得ヘシ
本施設ニ對シテハ五割ノ補助アリ低利資金ノ償還期限ハ共同販賣所、共同倉庫、共同製造場ニ在リテハ五箇年据置十五箇年賦、共同養殖設備ニ在リテハ三箇年据置七箇年賦ニシテ利率ハ前記ニ同シ


共同製造場復舊資金ニ關スル件


本資金ハ材料費消耗品費等ヲ含ミ其ノ供給條件ハ無動力船ニ同シ


共同養殖設備復舊資金ニ關スル件


本資金ハ主トシテ種牡蠣購入費トス本縣養蠣業ノ盛否ハ本邦ハ勿論米國ノ養蠣業ニ影響アルノ故ヲ以テ特ニ供給ヲ認メラレタル資金ナリ(補助金ナシ)
融通條件ハ前記ニ同シ


個人製造場復舊ニ關スル件


水産設備ハ成ル可ク共同施設タラシムル方針ナルモ製造場ハ全部共同タラシムルコトヲ不可能ナルヲ以テ本資金ヲ融通スルコトトセリ從テ本件ニ對シテハ補助金ナシ
融通條件ハ其同製造場ニ同シ


船溜、船揚場、築磯復舊ニ關スル件


船溜、船揚場ニ對シテハ七割五分、築磯ニ對シテハ五割ノ補助アル點時局匡救ト同樣トス復舊事業トシテ本事業ヲ爲サムトスル向ハ急速設計ヲ作成シ申込ム樣致度
低利資金ハ五箇年据置十五箇年賦トス


兒童就學奬勵費交付ニ關スル件


右ニ關シ從來ヨリ毎年各町村ニ對シ交付金アリ更ニ時局匡救策ノ一トシテ七年度ヨリ缺食兒童ニ對スル學校給食費ノ交付アリタル處今次ノ震嘯災ニ依リ被害甚シキ町村ニ於テハ右救助ヲ要スヘキ兒童増加シ之カ爲就學ニモ支障多カルヘキヲ考慮シ特ニ國庫ヨリ之ニ對スル補給金ノ交付ヲ受ケ罹災町村ニ交付スルコトニ相成タルニ付右兒童ノ選定及給與ノ方法等ニ就キテハ學校長ト愼重協議ヲ遂ケ苟モ交付ノ趣旨ヲ沒却スルカ如キコト無キ樣特ニ留意セラレ度


罹災住宅ノ復舊ニ關スル件


今回ノ罹災住宅ノ復舊ニ關シテハ左記要項ニ依リ罹災住宅復舊資金融通可相成目下之力所要資金額調査中ノ處住宅ノ建設ニ際シテハ將來震嘯災害防止上適當ノ場所ヲ選定セシメ之カ復舊ニ遺憾ナキヲ期セラルヘシ





罹災住宅復舊資金貸付要項


(一)貸付資金額 一戸平均五百圓トシ最高壹千圓以内ニ於テ貸付ノ見込ナリ
(二)貸付ノ方法 縣ヨリ町村ニ轉貸シ更ニ町村ヨリ罹災者ニ轉貸スルモノトス
罹災者ニ貸付ニ當リテハ調査委員等ヲ設ケ愼重ニ調査シ出來形檢査ノ上現金ノ交付ヲ爲スコト
(三)貸付利率 三分二厘トス町村ヨリ罹災者ニ貸付ノ場合利鞘ヲ徴セサルコト
(四)償還方法 償還期限ハ昭和八年度ヨリ二十箇年以内(五箇年以内ノ据置期間ヲ含ム)トシ毎年度八月末日二月末日ノ兩期ニ於テ元利均等償還スルモノトス、但シ罹災者ヨリ町村ヘノ償還期日ニ付テハ回收ノ便宜上毎月又ハ月二回等町村ニ於テ適當ニ定ムルコト
(三)債權確保ノ方法 本資金ノ貸付ヲ受ケ建築シタル住宅ニ對シテハ資金完濟ニ至ル迄登記順位第一位ノ抵當權ヲ設定セシメ其ノ建物ニ對シ貸付金額ヲ限度トシ火災保險ヲ附セシメ其ノ受領人ヲ當該町村長ト爲サシムルコト
町村長ニ於テ適當ト認ムル保證人ヲ立テシムルコト
(六)住宅ノ規模 本資金ノ貸付ニ依リ建設スル住宅ハ大體罹災前ノ住宅延坪數以内ヲ標凖トスルコト
(七)住宅建設敷地 縣ニ於テ適當ト認ムル敷地以外ノ土地ニ建設スル住宅ニ對シテハ資金ノ貸付ヲ爲サス


罹災救助ニ關スル件


今回ノ海嘯罹災者ニ對スル罹災救助ニ關シテハ曩ニ本縣ヨリ官吏々員ヲ派遣シ貴町村ト協力シ應急救護ノ措置ヲ講シ更ニ三月三十一日本基金ニ依ル救助ニ關シ指令ヲ發スルト共ニ之カ執行ニ關シ通牒致置タル處ナルモ左記事項ニ關シテハ特ニ留意シ遺憾ナキヲ期セラレ度


(一)食料及小屋掛材料ノ外ハ現金ヲ以テ給與シ得ルコトニ致シタルモ可成現品ヲ以テ給與シ他ノ費用ニ充ツルカ如キコトナキ樣注意ノコト
(二)治療費ハ主治醫ヨリ三月末日迄分ノ請求書ヲ徴シ貴職ノ計算書ヲ添附シ請求ノコト尚藥價療養品代ハ傷病者一人一日金六拾錢以内診察料、手術料、看護人給料及其ノ他諸費ハ貴職ニ於テ主治醫ト協定ノ上實費額請求ノコト
(三)救助終了ノ上ハ罹災救助基金支出規程第六條ニ依リ精算ノ上遲クモ本月二十日迄諸經費ノ請求書及救助金品給與簿ヲ添付シ精算書提出ノコト尚給與簿ハ救助申請書ノ樣式ニ依リ作製ノコト


罹災救助終了後ニ於ケル助救ニ關スル件


罹災者中罹災救助終了後モ尚引繼キ救助ヲ必要トスル者ニ對シテハ其ノ要救護ノ状况ニ應シ救護法、大禮賑恤資金給與規程及恩賜財團濟生會診療規程等ニ依リ救助シ又軍人遺家族ノ要救護者ニ對シテハ軍事救護法ニ依リ救護ノ方法ヲ講スル等之カ救護ニ付遺憾ナキヲ期セラレタシ


海嘯被害地ニ於ケル家屋建設ニ關スル件


標記ノ件ニ關シテハ今次ノ被害状况ニ鑑ミルモ家屋建設ノ敷地選定ハ最モ考慮ヲ要スル緊要事ト思料セラレ曩ニ關係各警察署長宛本建築ニ着手セムトスルモノニ對シテハ豫メ町村當局ト打合セノ上災害ノ豫防上遺憾ナキヲ期ス樣一般部民ニ指示相成度旨通牒スル處アリ夫々御留意ノコトト信スルモ之力永久的對策トシテ斯種敷地ノ選定指示ノミニテハ到底萬全ヲ期シ難キニ付近ク罹災地域内ニハ住宅ノ建築ヲ禁止シ當局ノ指示スル地揚其ノ他ヲ爲スニ非サレハ許可セサル方針ノ下ニ縣令ヲ制定シ將來海嘯遜難ノ永久的對策樹立ノ見込ニ有之町村營局ニ於テモ之ヵ趣旨ヲ體シ最善ノ方途ヲ講セラレ度


罹災地ノ救療ニ關スル件


本件ニ關シテハ恩賜巡回診療ノ外災害發生直後ニ於テ臨時防疫職員ノ増配ニ依リ臨時職員ヲ任命シ該職員タル醫師ヲシテ唐桑村歌津村大原村等ノ罹災民救療ニ當ラシメツツアルモ右ハ四月末日限リ解職ノ筈ニ付更ニ九月迄ノ間災害地救療ヲ行フコトトナリ縣ニ於テハ巡回診療班一班出張診療所四箇所ヲ設置シ巡回診療ハ歌津村、十三濱村、十五濱村ニ於テ月二回出張診療所ハ唐桑村二箇所小泉村、大原村ニ夫々設置シ四日ニ一回ノ豫定ヲ以テ救療ヲ行フコトトナリタルニヨリ場所ノ選定竝罹災者名簿ヲ作成セラレ度


井戸便所築造ニ關スル件


罹災各地方ハ從來ノ事實ニ徴シ腸チフス等ノ傳染病ノ發生多キニ鑑ミ復興ニ際シテハ井戸ノ築造ハ閉鎖式喞筒使用ノモノトシ便所ハ可及的ニ内務省考案多槽式改良便所ノ築造ヲ普及スル樣御配慮相煩度

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(別表) 町村税被害者未納税金調 (昭和年度)
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震嘯災ニヨル斃死馬調査表
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家畜飼料補給ニ關スル調査表
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震嘯災害復舊費
第三節 罹災地小學校長會議

震嘯により災害を蒙れる罹災地教育機關、主として小學校の復舊は緊要事なるを以て、罹災地小學校長を縣當局に召集の上應急對策を議ずる事となり、學務部長は、主務課に命じて、會議事項を決定せしめたり。
之によりて四月十四日、縣會議室に、罹災地大島小學校長以下關係二十六校長は參集し、縣側より清水谷學務部長以下渡邊教育課長・齋藤視學官その他出席、次の如き會議事項に入りたり。
罹災地小學校長會議事項(昭和八年四月十四日)


會議事項
一、震嘯罹災地方民精神作興ニ關スル件
一、學校給食ニ關スル件
一、兒童就學奬勵ニ關スル件
一、遭難者ノ慰靈法要ニ關スル件
一、復興ニ關スル部落懇談會開催ノ件


罹災地小學校長會議事項
一、震嘯罹災地方民精神作興ニ關スル件
(一)四月十日發セラレタル告諭及通牒ノ趣旨徹底ヲ期スルコト
(二)精神作興ポスターノ活用竝趣旨徹底ヲ企圖スルコト
一、學校給食ニ關スル件
(一)學校給食ハ左記訓令竝通牒ニ依リ實施スベシ
昭和七年九月二十四日本縣訓令甲第二十八號學校給食臨時施設方法
昭和七年九月二十四日教第二、六三一號通牒學校給食臨時施設方法ニ關スル件
昭和七年十二月五日教第三、六六六號通牒學校給食ニ關スル件
(二)給食ニ關スル交付金ノ一部ヲ給食ニ要スル設備費及人件費薪炭費等ニ充ツルコトヲ得ルモノトス
(三)給食兒童ノ決定ニハ細心ノ注意ヲ拂ヒ次ノ二種ニ大別スヘシ
1、學校給食臨時施設方法ニ依ル(貧困)兒童
2、震嘯災ニ依リ特ニ給食ヲ必要トスル兒童
給食兒童名簿ハ前二種ニ大別シテ整理スヘシ
(四)献立竝調理法ハ(一)項通牒參照スヘシ
調理ニ要スル設備費ニ給食ニ關スル交付金ノ一割以内ヲ使用スルコトヲ得ルモノトス
(五)給食ノ方法モ(一)項通牒ニ基クヘキモ給食兒童多數ナル學校ニ於テハ特ニ專任者ヲ雇傭シテ之ニ當ラシムルコトヲ得ルモノトス但シ雇傭人ノ人件費ハ兒童一人平均一日四錢ノ給食費ニテ支辨スルモノトス
食器ハ辨當ヲ使用セシムルヲ便宜トス
(六)給食上注意スヘキ事項
1、學校ニ於テハ給食主任者ヲ定ムルモノトス
2、學校ニ於テハ給食日誌竝兒童ノ給食一覽表ヲ調製整理スルモノトス
3、學校ニ於テハ給食主任者ヲシテ給食ニ關スル一切ノ會計事務ヲ掌ラシムルノ外献立表ノ整理ニ當ラシムルモノトス
(七)學校長ハ毎月ノ實施状况ヲ左表ニ依リテ翌月五日マテ知事ニ報告スルモノトス





備考 其ノ月中ニ於テ設備費ニ使用シタル時ハ詳記スルモノトス
一、兒童就學奬勵ニ關スル件


(一)給與兒童ノ決定ハ次ノ二種ニ大別シ更ニ三種ニ等別シ學校長、職員、町村吏員、學務委員、區長等ト協定シテ行フモノトス


1、貧困兒童
イ、救護法ニ該當スルモノ 一等
ロ、前號ニ該當セサル貧困ノ程度著シキモノ 二等
ハ、生活程度ノ前號ヨリ稍高キモノ 三等


2、震嘯災ニ依リ特ニ給與ヲ必要トスル兒童
イ、救護法ニ該當スルモノ 一等
ロ、前號ニ該當セサル貧困ノ程度著シキモノ 二等
ハ、生活程度ノ前號ヨリ稍高キモノ 三等
就學奬勵兒童名簿ヲ二大別各三種等別ニ整理スルモノトス


(二)本奬勵費ノ給與種目及標準ハ兒童就學奬勵資金管理規程施行細則第四條ニ據ルモノトス


(三)給與上注意スヘキ事項
1、學校ニ於テハ給與主任者ヲ定ムルモノトス
2、學校ニ於テハ兒童ニ對スル給與一覽表ヲ調製整理スルモノトス
3、學校ニ於テハ給與主任者ヲシテ給與ニ關スル一切ノ會計事務ヲ掌ラシメ常ニ整理セシムヘシ


(四)學校長ハ毎月ノ給與状况ヲ左表ニ依リテ翌月五日マテ知事ニ報告スルモノトス





一、遭難者ノ慰靈法要ニ關スル件


(一)主催 宮城縣佛教會及罹災町村共同主催トス
(二)期日 四月十九日、二十日兩日ノ豫定トス
(三)場所 各部落毎ニ罹災地ニ於テ擧行スルモノトス
(四)方法 現地ニ搭婆建設本縣佛教會理事竝關係地住職及隣接町村ノ住職參集供養スルモノトス
縣ヨリハ弔辭供物ヲ呈スルモノトス
(五)經費
1、塔婆建設 地元町村負擔トス
2、佛教會理事出張諸費 同會負擔トス
3、供物 縣ニ於テ負擔スルモノトス
(六)其他
設備其ノ他ニ關シ後援セラルヘシ


一、復興ニ關スル部落懇談會開催ノ件


(一)主催 宮城縣
(二)場所 罹災地部落毎ニ開催セントス
(三)出席者 罹災地部落各戸代表(戸主・主婦)男女青年各種團體代表
(四)懇談協議題
1、精神ノ作興ニ關スルコト
2、産業(農林漁業)ニ關スルコト
3、建築(住宅・臺所・便所ノ改善)等ニ關スルコト
4、衞生ニ關スルコト
5、公會堂(復興記念館)又ハ共同作業場建設ニ關スルコト
6、活動寫眞(自力更生)
7、經費 縣ニ於テ負擔スルモノトス
(五)講師 縣官竝地方有志ヲ囑託セントス
(六)其ノ他 右開催ニ關シヲハ協力後援セラルヘシ

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給食兒童
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毎月ノ給與状况表
第四節 其の他の會議
I 防疫及衛生施設に關する協議會(衛生課)

三月四日、縣當局は廳内に、災害地方防疫竝衞生施設に關する協議會を開催し、差當り災害地の汚染せられたる飲料井戸の消毒を實施することに決し、臨時に防疫事務囑託二名を用ひ、五日より左の組織に依り實施せり。
第一方面 高城技師 佐藤防疫事務囑託
五日より八日迄、桃生郡十五濱村・本吉郡十三濱方面
第二方面 大友技師 大友防疫事務囑託
五日より八日迄、牡鹿郡女川町及大原村
第三方面 向山技手 佐藤巡査部長、川野雇
五日より八日迄、本吉郡歌津村・小泉村・大谷村・唐桑村方面

II 漁船復興對策協議竝小漁船建造資金貸付に關する協議會(水産課)

縣は災害漁船復興對策協議竝小漁船建造資金貸付に關し、三月十三日午後二時より、廳内會議室に於て、關係町村長と協議を行ひ、次の如く、貸付金の割當を決定し、夫々同額の借入申込を徴し、同時に貸付内定通知を爲したり。尚、貸付金は造般契約締結次第貸付くるものとなせり。


小漁船建造資金貸付規程


第一條 本資金ハ町村又ハ漁業組合ニ對シ貸付クルモノトス
第二條 本資金ヲ借受ケタル町村又ハ漁業組合ハ本年三月三日ノ津浪ニ因リ發動機ヲ有セサル小型漁船ヲ失ヒタル者ニ對シ其ノ建造ノ爲ニ本資金ヲ轉貸シ又ハ自ラ建造シテ之ヲ貸付クヘシ
第三條 貸付額ハ前條ノ漁船一隻ニ付百圓以内トス
第四條 貸付金ノ償還期限ハ七箇年以内トス
第五條 國又ハ縣ヨリ本資金貸付ノ目的ト同一ノ目的ノ爲ニ助成金ノ交付若ハ低利資金ノ供給アリタルトキハ其ノ助成金若シクハ低利資金ト同額ノ貸付金ヲ直ニ償還スヘシ
第六條 貸付金ノ利息ハ昭和七年度及八年度ハ無利子トシ九年度以降ハ年四分三厘以内トス但シ元金ノ償還ヲ怠リタルトキハ支拂期日經遇後償還金百圓ニ付一日金參錢ノ割合ヲ以テ遲延利息ヲ徴收ス
第七條 借人ヲ爲サントスルモノハ第一號樣式ノ借入竝起債許可申請書ニ左ノ書類ヲ添附シテ知事ニ差出スヘシ但シ申請書ニ添附シ得サル書類ハ借入後速ニ差出スヘシ
一、貸付計畫書又ハ事業計畫書
二、貸付又ハ事業ニ關スル收支豫算書
三、起債及償還方法
四、議決ヲ證スル書面
第八條 借人ヲ爲シタル町村又ハ漁業組合ハ直ニ第二號樣式ノ借入證書ヲ知事ニ差出スヘシ
第九條 貸付金ノ交付ヲ受ケタルモノハ直ニ轉貸又ハ建造ヲ了シ其ノ結果ヲ知事ニ報告スヘシ
第十條 本資金ヲ借受ケタルモノ本資金融通ノ目的ニ違背スト認メタルトキハ貸付ヲ取消シ貸付金ノ全部又ハ一部ヲ返還セシム
轉貸ヲ受ケタル者ニ付前項ノ所爲アリト認メタル場合亦同シ


第一號樣式


小漁船建造資金借入竝起債許可申請書
一、借入金額
一、建造漁船隻數
右借入竝起債許可相成度別紙相添申請候也
年月日
町村長名
又ハ漁業組合理事名
知事宛


第二號樣式


小漁船建造資金借入證書
一、借入金額
一、償還方法
一、元金支拂期日
一、目的又ハ事業
右本日借入候ニ付借入證書提出候也
年月日
町村長名
又ハ漁業組合理事名
知事宛

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和船建造資金貸付見込表

第三章 縣會議員の活躍

第一節 罹災地視察

三月六日午後二時、伊丹本縣縣會議長は、縣會議事堂に在仙及近接郡部の縣會議員の參集を求め、罹災地救濟善後對策につき協議し、先づ被害状况を知り、罹災者の慰問をなさざるべからずとなし、議長以下議員八名は、三月七・八・九の三日間、左記の如き日程に依り、罹災地の視察をなせり。


視察員
議長 伊丹榮三郎
議員 山田甚助 粟野甚助 庄司作五郎
安藤源治郎 小野寺廣亮 富田廣重
大槻儀十郎 北村文衞


縣會議員視察日程


□三月七日
午前九時 縣廳發(自動車) 午後零時半 大原村着(晝食)
(谷川部落、鮫ノ浦部落 視察)
午後三時 鮫浦發 同四時三十分 女川着
同五時 女川發 同六時 石巻着(泊)


□三月八日
午前八時 石巻發 同九時三十分 十五濱村雄勝着
(雄勝荒濱 視察)
午後零時三十分 雄勝荒濱發 午後二時三十分 十三濱村月濱着
同三時 月濱發 同四時 戸倉村着
同四時三十分 戸倉村發 同四時五十分 志津川町着(泊)


□三月九日
午前八時 志津川町發 同八時三十分 歌津村着
午前九時 歌津村發 同九時二十分 小泉村着
(二十一濱 視察)
同十時二十分 小泉村發 同十時五十分 大谷村着
同十一時二十分 大谷村發 同十一時三十分 階上村着
正午 階上村發 午後零時二十分 氣仙沼町着(畫食)
午後一時 氣仙沼町發 同一時三十分 唐桑村着(視察)
同四時 唐桑村發 同四時三十分 氣仙沼町着(泊)


罹災地を一巡して、その實状に接したる議員一同は、今更の如く、惨禍の甚しきに同情し、協力して、救護・復舊につき盡力すべきを誓へり。
視察を了へたる伊丹議長は、一行を代表して、次の如く感想を河北新報記者に述べたり。「誠に聞きしにまさる慘状で、お氣の毒に堪へない。今後善後策を講ずるに當つて、我々のなすべき責務は、將來に渉つて、かくの如き慘害を繰返さざる樣人智・人力の最善を盡くすにある。縣當局には、縣當局の意見があり、各々御努力中の事は、我々縣民としては、誠に感謝に堪へないが、我々も不肖ながら、縣民の代表たる責めを汚してゐる以上、此地方最大の重要問題を前にし、供手して止むべきでなく、各方面から最非善後處置を攻究して見たい。
一部には縣會無用論もあるとの事だが、何と言はれても、我々の現在の心持は少しでも縣民將來の慘禍を輕減したいといふ考で一抔である、區々たる非難の如きは顧みる處ではない。勿論縣會召集をすべきや否や、皆さんにおはかりする考である。(下略)」

第二節 上京陳情

縣にては、三月十一日、今回の震嘯災復舊費に對し、國庫補助及無利子貸付、貸金供給申請書を内務・農林・商工・文部の各大臣宛提出せしが、縣會議員一同に於ても、同樣の趣旨を以て、三陸罹災地の復舊に關し、政府當局の救助を乞ふ事とせり。
仍て、同日、縣會議員一同は協議曾を開催し、復舊に關し、上京の上、内務・大藏・農林・商工・文部・鐵道各大臣に陳情する事とし、議長以下十二名の縣會議員は、縣庶務課若生書記同行の下に三月十三日仙臺出發上京せり。
因みに、陳情の爲上京せし議員次の如し。


縣會議長 伊丹榮三郎
縣會議員 高城畊造 松山平兵衞 遣水祐四郎
飯塚千尋 千石順平 高橋幸市
佐藤彌代二 菊地明夫 庄司作五郎
小島眞助 山田甚助

第四章 縣職員増員稟請

知事は、災害後廳員の用務漸次多端となれるに鑑み、災害救護竝復興に關しては、尠くも事務官以下十八名の増員を必要なりとし、三月九日、之が増配方を、次の如く内務大臣宛稟請したり。


災害救護竝復興ニ關シ職員増配ノ件ニ付稟請


本月三日午前二時三十一分過金華山東南東沖合海底ニ發シタル地震ハ最大震動二十三粍總震動時間凡ソ二時間ニ渉リ近年稀ニ見ルノ強震ニシテ是ニ因ル海嘯ハ三陸一帶ノ海岸ニ襲來シ其ノ被害絶大ナルモノ有之候 即チ今次ノ被害地ハ震源地ニ近キ爲海嘯ノ襲來極メテ迅ク而モ未明ノ突發事ナルニ依リ其ノ受クル所ノ災害モ亦大ナル次第ニ御座候 而シテ現在判明セル被害ノ状况ハ死者一六九名行方不明者一三八名負傷者一四五名倒潰家屋五四七棟流失家屋九八○棟船舟ノ覆沒流失セルモノ一、三七三艘ニ及ビ又浸水家屋一、五九七棟ニ達シ其ノ他大小ノ被害本縣海岸線全般ニ渉リ擧ゲテ數へ得ザル次第ニ御座候
就中最モ被害ノ大ナルハ本吉・桃生・牡鹿ノ三郡方面ニシテ此ノ方面ニ於テハ或ハ部落ノ全滅ニ瀕セルモノモ有之候 當耕地ノ被害ハ約二八○町歩ニシテ之等鹹水ヲ蒙リタル耕地ハ今後數年ノ作付ニ影響ヲ來シ將來特別ノ施設的指導ヲ要スル
次第ニ有之又道路橋梁及防波堤等ノ被害ニ至リテモ實ニ巨額ニ上ル見込ニ御座候
由來本縣ハ海岸線六二二粁餘ヲ有シ有名ナル金華山沖ノ漁場ヲ控フルガ故ニ縣ニ於テモ水産業ノ助成發達ニ對シテハ多大ノ意ヲ致シ來リタル次第ニ候 昭和七年本縣生産額ヲ見ルニ生産額八千參百餘萬圓ニ對シ水産總額ハ千貳百餘萬圓ヲ算スルノ状况ニ在リ水産業ノ隆替ハ本縣産業經濟ノ上ニ至大ノ影響ヲ有スル次第ニ候然ルニ今回ノ災害ハ有數ナル漁村ヲ根本的ニ破壞シ多數ノ漁具・船舟ヲ始メ製造加工貯藏ノ設備等ヲ喪ハシメタルニ依リ其ノ損害ハ實ニ甚大ナルモノニ有之候 仍テ之等罹災者ノ救護ト罹災地ニ對スル復興事業ノ遂行ハ刻下ノ急務トスル
所ニシテ事象勃發ヲ聞クヤ右取敢ヘズ廳内ニ臨時災害善後委員會ヲ設ケ罹災地ニハ關係職員ヲ派シ石卷・志津川・氣仙沼ノ三ケ町ニ臨時救護出張所ヲ置キ鋭意罹災者ノ救護ニ當ラシメ現ニ其ノ活動ヲ促シ居リ候へ共廳務又多端ナル爲多數ノ廳員ヲ之ニ專屬セシムルコトハ到底之ヲ許サザル實情ニ有之候
况ヤ今後復興計畫ヲ樹テ之ヲ遂行スルコトハ現在ノ廳員ヲ以テシテハ一層困難ヲ感ズル次第ニ付罹災者ノ救護及災害地ノ復興計畫ヲ樹テ之ヲ實施スルニハ少クトモ左記ノ通事務及技師ノ職員ヲ必要トスル次第ニ御座候條實情御洞察ノ上特別ノ御詮議ニ依リ右増配及之ニ伴フ豫算配當相成候樣致シ度此ノ段稟請候也





事務官 一名屬 六名 技手 三名 雇員 九名

第五章 精神作興の運動

第一節 約説

震嘯災による物質的打撃は、官民の一致協力により、逸早く、應急救護の實を遺憾なく遂行し得たるが、ともすれば等閑視され易きは、罹災民及附近部落民の不測の災害に遇ひて萎徴せる精神の復興にあり。仍て災害と同時に、三邊知事より災害に對する精神作興の告諭(第三號)を發し、又、罹災町村長・學校長・教化團體代表・男女青年團長・婦人團體代表宛、告諭の趣旨
徹底の爲通牒を出したり。
縣社會教育竝社會事業方面にては、罹災地の救護竝應急措置の一段落を期として、四月下旬より五月中旬迄、罹災地各町村に出張して、震嘯災復興懇談會を開催し、各地・各方面の復舊・復興に關し、懇談的に善後策を講じ、罹災民竝地方民をして精神的安定を得しむると同時に、災害による横死者の慰靈祭を催して、故人の靈を慰むる事に努めたり。
一方、縣は宮城縣教化聯合會の出資により、各罹災部落の毎戸に、地方民をして、困憊の底より、自奮更生して、再興の意氣を養ふに足るべき繪畫と標語とを載せたるポスター約三千枚を配布したり。(別紙ポスター參照)
又、宮城縣海外協會及海外移住組合にては、社會教育方面と提契して、一般文化機關の均霑に霑まるる事比較的尠き三陸沿岸部落を巡回して、映畫會を催し、罹災民の痛める心を、目と耳とより樂しましめて、幾分なりとも、餘裕ある氣分を保たしめたり。
尚、義捐金の一部を以て、罹災地三十二ケ所に建設せらるる震嘯災記念館は、震嘯災をして永く記念して忘れしめざると共に、隣保相助の精神を養ふを目的とするものなるが、これが主旨の徹底を計らんが爲、震災一周年記念事業の一として、縣竝記念館建設設置町村主催の下に、三月四日より八日間、縣下八ケ所に於て、復興講演會竝座談會を開催せり。

第二節 告諭竝通牒の發布

精神作興の告諭は、災害後約一ケ月を經たる四月十日、三邊知事より、罹災地町村長宛發布せられ、同日の縣公報號外を以て、次の如く公示せられたり。


〇告諭第三號
亘理郡 坂元村
名取郡 閖上町
桃生郡 宮戸村 十五濱村
牡鹿郡 女川町 荻濱村
大原村 鮎川村
本吉郡 志津川町 戸倉村
十三濱村 歌津村
小泉村 御嶽村
大谷村 階上村
松岩村 鹿折村
唐桑村 大島村


去三月三日三陸沿岸ニ襲來セル海嘯ノ慘害ニ對シテハ全國各方面ノ同情翕然トシテ集リ或ハ救恤品義捐金ノ寄贈トナリ或ハ勞力奉仕トナリ公共ノ施設ト相俟チテ災害善後ノ措置着々其ノ實ヲ擧ケツツアリ畏クモ我カ 至仁至慈ナル
天皇
皇后兩陛下ニハ本縣ノ災害ノ甚大ナルヲ聞召サレ罹災者ニ對シテ救恤金ヲ御下賜アラセラル
聖恩廣大恐懼感激ニ堪ヘス政府亦速ニ災害復舊ノ方策ヲ講シ國庫窮乏ノ際ナルニ拘ラス議會ノ協賛ヲ經テ多額ノ補助支出ヲ決セラレ本縣復臨時縣會ヲ開キ災害善後ノ方途ヲ議シ以テ復舊計畫ヲ樹立シ近ク其ノ實施ヲ見ムトス
惟フニ災害復舊ノ事タル罹災町村民ノ自奮自勵ニ俟ツ事最モ肝要ニシテ嚴ニ浮華放縱ヲ戒メ民風ノ刷新教育ノ充實生活ノ改善經濟機構ノ統制ヲ策シ協力一致更生ノ郷土建設ノ爲ニ邁進シ以テ所謂災禍ヲ轉シテ幸福ヲ招來スル永遠ノ復興計畫ヲ確立セサルヘカラス宜シク勤勉力行産ヲ治メ業ヲ勵ミ堅忍持久ノ精神ヲ振起シ戮力諧和家運ノ挽回ト堅實ナル町村再建ノ爲努力精進シ速ニ復興ノ大業ヲ成就シ以テ上ハ優渥ナル
聖旨ニ副ヒ奉リ下ハ熱誠ナル國民ノ援助ニ酬イムコトヲ期セラルヘシ
昭和八年四月十日
宮城縣知事 三邊長治


續いて、清水谷學務部長は、同日、更に、罹災地町村長・學校長・教化團體代表・男女青年團長・婦人團體代表宛、通牒を發して、右趣旨の徹底を期したり。


精神作興ニ關スル件通牒


過般ノ震嘯災復舊ニ關シテハ夫々計畫ヲ樹テラレ着々其ノ遂行ニ努力セラレツツアルコトト被存候處復興ノ要諦ハ精神ノ振作ヲ以テ第一義トスベキ儀ニ有之今回發セラレタル告諭第三號ノ趣旨モ亦此ニ存スル次第ニ候條其ノ町村社會教育委員又ハ自力更生委員等ト熱議ノ上戸主會婦人會男女青年團産業組合其ノ他ノ諸機關トノ聯携協調ヲ圖リ生活ノ改善教育ノ充實産業ノ更新經濟組織ノ改善統制ヲ畫スル等更生ノ新施設ノ下ニ溌溂タル新興精神ヲ振起セシメ以テ復舊ニ努力セシム
ルハ所謂禍ヲ轉ジテ福トナス所以ニ有之候條各々其ノ町村ノ事情ニ即シ適切ナル精神作興ノ施設ヲ確立實施セラレ候樣致度


罹災地町村長
同 小學校長 宛
同 男女青年團長

第三節 ポスターに據る運動

復興の精神的振作は、先づ目よりとの主旨より、縣社會教育關係者は、罹災町村に復興の意を表徴せるポスターを印刷配付する計畫をたてたり。
乃ち、凡そ半紙二枚大の紙に、上部に、「更生の郷土建設へ」と大書し、之に續きて、「復興は汗と力から」、「心は明るく氣は強く」、「辛棒強く浪費するな」等の標語を記し、その下に、洋々たる大海の、はるか彼方地平線上に、今や將に太陽は昇天せんとし、黎明の曉に、空には水鳥の飛び散るあり、近くの漁船は、雄々しくも將に纜を解かれんとする(別圖參照)、希
望と意氣とに燃えたる色刷のものにして、罹災民をして、覆滅の底より奮起せしむるに足るものなりき。
かくの如きポスター、約三千枚は、罹災地町村各戸の見易き場所に貼附せられ、地方特志家の精神振作のポスターと共に、關係地方民を力づくる處頗る大なるものありき。
因みに、この經費は、一枚約壹錢五厘にして、所要經費四拾五圓は、宮城縣教化事業聯合會の負擔する處なり。

第四節 復興懇談會
I 震嘯災復興懇談會

災害による混亂の一段落を俟ち、縣に於ては、罹災各町村に、復興懇談會を開き、活動寫眞の映寫を行ひ罹災民の慰安をなすと同時に、懇談的に復興の將來につき協議したり。
四月三十日、本吉郡鹿折村浦島分教場を皮切りとし、五月十三日桃生郡十五濱村船越小學校に於けるを最後とする迄凡そ十日間に亘り、十ケ所に懇談會を開催せるが、各會場は、何れも來會者を以て溢れ、如何に、地方民が、この擧に對し、熱心なる關心を有せしかを、窺知するに充分足るものありき。


各會場に於ける懇談會開催順序は、大約次の如く行はれたり。
一、主催者の挨拶 二、議師紹介
三、村長の挨拶 四、懇談
五、村長謝辭 六、映畫會

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震嘯災復興懇談會
II 震囎災一周年記念復興懇談會

縣にては、震嘯災一周年を期し、三月四日より同十一日迄十日間、主なる災害部落に一周年記念懇談會を開催し、拓務省及本縣より派遣せられたる講師を中心にして、當時を偲び、併せて、轉禍爲福の目的を以て、復舊・復興に備へんとしたり。
(別稿第六編雜録第二章記念事業第三節震嘯災一周年記念事業の條參照)
開催箇所に於ては、部落民多く集り、特に、今回記念事業として、建設せらるる記念館に對する希望竝意見を開陳し、又勤儉貯蓄の必要を力説する等、災害一周年を迎へて、何れも眞劍なる態度に出でしは、精神作興の一助として、この種懇談會の無益に非ざるを知らしめ、力強き次第なりき。

第五節 罹災地映畫巡回

縣社會教育方面にては、社會事業方面と提契し、罹災地各部落に、復興懇談會を開催すると同時に、罹災民慰問の映畫會を開催し、自然の暴威にたたきのめされたる地方民の心を慰めしかば、開催部落に於ては、開催定刻以前より多數の観客押し寄せ、各地共豫想以上の好結果をおさめ得たり。


映畫の種類は、「自力更生」二卷、「海の世界」一卷、「鍬の光」四卷等にして、總て復興精神の作興に適切なるものにして、觀衆に多大の感銘を與へたり。


震災地復興部落懇談會開催要項


一、目的
震嘯災地ニ於ケル民心ヲ作興シ復興ノ氣分ヲ喚起セントス


二、場所
震嘯災地中被害ノ多キ町村ニ就キ可成部落現地ニ於ケル小學校、分教場又ハ公會堂等トス


三、協議懇談ノ方法
出席講師ヨリ一應復興ニ關スル説明ヲナシ左記項目ニ就キ協議懇談ヲスルモノトス
1、精神方面 2、産業方面 3、建築方面 4、衞生方面 5、記念館其ノ他ニ關スル方面


四、協議會出席者
町村當局、學校職員、町村會議員、學務委員、社會教育委員、經濟(自力)更生委員、町村農會職員、各區長、各種教化及産業團體幹部、奉仕委員、男女青年團役職員、在郷軍人、消防組員、其ノ他部落有志


五、日時(別表參照)
協議懇談會 午後一時ヨリ四時迄
活動映寫會 午後七時ヨリ十時迄(一町村一箇所又二箇所適當ノ所ニ電燈其他ノ凖備ヲナスコト經費は縣負擔)


六、協議懇談後ノ措置
協議ノ結果特ニ專門ノ指導ヲ要スル場合ニハ更ニ日時ヲ改メテ之ガ指導ノ徹底ヲ圖ル見込

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部落懇談會日程
第六節 復興記念館

沿岸地方は從來屡次震嘯の厄に悩まされたる苦き經験を有する地方なれば、今回の災害を機會として、各部落毎に、復興記念館を建設し、災害を永久に追憶し、將來の災禍防止避難を眼目とし、傍らこの種の天災に對する知識を獲得せしめ、更に部落民の會議懇談冠婚葬祭等の諸會合にも利用せしむる公會堂の一種となさんと欲したり。
即ち、將來海嘯等の被害尠き場所を選定し、神殿を中心に、圖書閲覽室・議堂・炊事場等を設け、平屋建坪貳拾圓當二十坪都合一棟四百圓の建築費による記念館を設置すべく計畫したり。
然るに、七月二十日の第一回義捐金の分配の際、當初計畫の豫算にては、到底所期のものの建設の困難なるを悟り、公共施設費拾萬圓を計上し、之を以て、記念館の建設費に充てたり。
而して、施設内容は本館と物置とよりなり、本館は、最大一〇〇坪より、最小五〇坪に至る四種とし、坪當り四拾圓の見當なり。
尚、設置部落も最初罹災部落全部に亘る豫定なりしが、内容の改變と共に、かかる施設が必須にして、且つ最も適當なりと認めらるる部落三十二ケ所を指定して、此處に設くる事とせり。(第六編雜録第二章記念事業第一節記念館の設立の條參照)

第七節 災害記念文庫の設立

教育關係團體寄贈の義捐金は、大體罹災兒童の被服給與・學用品購入竝學校給食に資せるが、尚ほ之等慰問金殘額は、罹災地各小學校をして記念文庫を設立せしめ、兒童・男女青年・成人を通じ、地震津浪に關するものはもとより、科學・歴史・文學或は各種辭書に至る迄、多きは三百冊より、少きも百數十冊を備へしめ、今回の天災を轉機として、三陸沿岸地方の文化進展の一助たらしめんとせり。
之等罹災地十六校は一律に、記念文庫を設立せるが、中にも本吉郡(歌津村)名足小學校に於ては、佐々木校長以下同校職員一同、此の方面に多大の熱意を有し、協力一致して、圖書の蒐集に當りたるを以て、昭和八年十二月下旬に至る迄、蒐集文庫に所藏せる圖書冊數二八一冊(この代金二九七圓七五錢)罹災慘状及復興途上寫眞各一一葉に達するを得たり。これが記念文庫圖書たるを明示せむが爲、各圖書には、下の如き文庫圃書名札と文庫藏書印を貼附・捺印せり。
尚、罹災記念文庫設置の各小學校に於ける圖書購入費・書棚設備費・其の他諸經費次の如し。

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文庫圃書名札と文庫藏書印
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罹災記念文庫設置の各小學校に於ける圖書購入費・書棚設備費・其の他諸經費
第八節 漁村振興青年講座開設

災害に際し、縣青年團へ寄贈せられたる義捐金の内四百五拾圓を以て、沿岸罹災部落町村青年に對し、漁村振興青年講座を開設し、その精神作興及産業開發に資せんとし、罹災地中五ケ町村を選び次の如き日程を以て擧行せり。
議座科目及講師次の如し。


漁村經濟更生 農林技師 中谷熊楠
副業一般 農林技師 野崎正雄
同 農林主事補 簡野博志
竹林及椎茸栽培 柴田農林學校長 沼田清五郎
非常時青年ノ使命 社會教育主事 長瀬道郎
産業改善ノ要諦 實業補習教育主事 齋藤義一郎


尚、受講者は、男女青年及實業補習學校卒業生及生徒、更に青年訓練所生徒を合して、一ケ所二百名内外の豫定なりしが、一般のものにも希望ある際は、之が聽講を許したれば、各會場共聽衆者溢れ、大いに關係地方民の智能を啓發する處ありき。
而して、受講者にして三日間以上出席し、所定の科目を修了したる者には、本縣より修了證書を授與せり。

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漁村振興青年講座

第六章 復舊事業の進捗

第一節 復舊事業費の計上
I 各省別豫算計上

今回の震嘯災に臨み、復舊の一日も忽にすべからざるは言ふを俟たず。
即ち縣に於ては、三邊知事・各部長・各課長以下關係課員鳩首協議の上、復舊に必要なる豫算の計上に取りかかり、其の大部分は、時下の實状に鑑みて、政府の援助に縋るの止むなきを知り、之を關係各省に提出したり。
其の結果、内務・農林・文部の各省に於ては、必要なる調査を實施し、次の如く、各省別の復舊費計上を見るに至れり。


之に據れば、農林省關係の一、三四九、五五〇圓、第一位にして、内務省關係の一、二六九、一〇九圓、之に次ぎ、この兩省の復舊豫算額は、全復舊費の九割四分強に當る。
各省別の復舊豫算内容次の如し。

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各省別豫算計上
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(イ)内務省關係 (ロ)農林省關係
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(ハ)商工省關係 (二)文部省關係
II 震嘯災害復舊事業費

震嘯災害の復舊費は、土木復舊・農事復舊・蠶業復舊・畜産業復舊・水産業復舊・耕地復舊・商工業復舊等、各方面の復舊を始め、警備事務の整備・缺食兒童給食費竝就學兒童奬勵・醫療救護・震嘯災害救護事務費の計上、貸付金・縣歳入缺陷補填資金等の多方面に亘りて計上されたり。
其の内譯次の如し。


1 土木復舊


イ、縣土木復舊
事業費總額 五一六、九七三圓

國庫補助 四三四、三二七
低利資金(利子補給あり) 八二、六〇〇
縣費 四六


ロ、町村土木復舊助成
事業費總額 六八、二〇四圓

國庫補助 五七、九七三
低利資金(利子補給あり) 一〇、○○○
純自己資金 二三一


2 農事復舊


イ、農作物種苗購入費補助
事業費 八、〇一〇圓
内國庫補助 八、〇一〇


ロ、農具購入費補助
事業費 二六、四〇〇圓

國庫補助 一三、二〇〇
低利資金 一三、○○○
自己資金 二〇〇


ハ、納舍及肥料舍建築費補助
復舊費 一九、一二〇圓

國庫補助 九、五六○
低利資金 九、五〇〇
自己資金 六〇


3 蠶業復舊


イ、稚蠶共同飼育所設置費補助
設置費 二〇、八○○圓

國庫補助 一〇、四〇〇
低利資金 一〇、○○○
自己資金 四〇〇


ロ、蠶具購入費補助
購人費 一四、○○○圓

國庫補助 七、○○○
低利資金 七、○○○


4 畜産業復舊


イ、家畜購入費補助
購入費 二、○○○圓

國庫補助 一、○○○
低利資金 一、○○○


ロ、家畜飼料購入費補助
購入費 一、九七〇圓

國庫補助 九八五
低利資金 九五〇
自己資金 三五


5 水産業復舊


イ、漁船復舊費補助
復舊費 三八九、六〇〇圓

國庫補助 一九四、八○○
低利資金 一九四、五五〇
自己資金 二五〇


ロ、漁具復舊費補助
復舊費 二二六、八○○圓

國庫補助 八三、四〇〇
低利資金 一四三、四〇〇


ハ、共同施設復舊費補助
復舊費 一六○、○○○圓

圃庫補助 八○、○○○
低利資金 八○、○○○


ニ、船溜・船揚場復舊費補助
復舊費 六〇、○○○圓

國庫補助 四五、○○○
低利資金(利子補給あり) 一五、○○○


ホ、築磯復舊費補助
復舊費 九、六〇〇圓

國庫補助 四、八○○
低利資金(利子補給あり) 四、八○○


6 耕地復舊


イ、耕地復舊助成費
工事費 四四、八一〇圓

國庫補助 二二、四〇五
低利資金 一八、四〇〇
貸付返納金 三、九四〇
自己資金 六五


7 商工業復舊


イ、工場店舗設備費補助
設備費 九〇、○○○圓

國庫補助 三六、○○○
低利資金 五四、○○○


ロ、運送船建造費補助
建造費 一七、○○○園

國庫補助 三、○○○
低利資金 一四、○○○


8 警備事務の整備


イ、警備費の充實
警備費 九、四〇二圓

國庫補給金 四、七〇一
縣費 四、七〇一


ロ、警察電話補修費
補修費 一九、六六八圓

國庫補給金 九、八三四圓
縣費 九、八三四


9 缺食兒童給食費竝就學兒童奬勵


イ、罹災兒童就學奬勵
事業費 一〇、〇三二圓
内、國庫補給金 一〇、〇三二


10 醫療救護


イ、醫療救護費
事業費 六、六二五圓
内、國庫補給金 六、六二五


11 震嘯災害救護事務費の計上


イ、震嘯災害救護費
事業費 四二、○○○圓

國庫補給金 二一、○○○
縣費 二一、○○○


12 貸付金


イ、罹災住宅復舊資金貸付
復舊資金 二七六、五〇〇圓
全額低利資金


ロ、住宅適地造成資金貸付
造成資金 一九五、○○○圓
全額低利資金(利子補給あり)


ハ、小學校舍復舊資金貸付
復舊資金 四、七〇〇圓
全額低利資金(利子補給あり)


ニ、町村歳入缺陷補填資金貸付
補填資金 五九、○○○圓
全額低利資金(利子補給あり)


ホ、肥料資金貸付
肥料資金 三二、○○○圓
全額低利資金


へ、蠶室復舊資金貸付
復舊資金 九〇、○○○圓
全額低利資金


卜、漁船復舊事業資金貸付
復舊事業資金 一六、○○○圓
全額低利資金


チ、共同製造場復舊事業資金貸付
復舊事業資金 四五、○○○圓
全額低利資金


リ、共同養殖設備復舊事業資金貸付
復舊事業資金 二〇、○○○圓
全額低利資金


ヌ、個